朝 鮮
の
近 代 化 と 宗 教
ー
東 学
11
天 道 教
の
歴 史
か ら趙
景 達
〈 論 文 要 旨
〉
植 民 地
朝 鮮
に お
い
て、 天 道 教
( 新 派
)
は
大 き な 役 割 を 果 た し た
。
文 化 運 動 や 啓 蒙 運 動 を 積 極 的 に
行
い
、
民 族 運 動
の
主 役 も 占 め た と
い
え る
。
し か
し、 そ の
運 動 は 終 始 協 力 的
で
あ
っ
た
。
そ し て、 朝 鮮
の
植 民 地 化 は 他 者11
凵 本
の
問 題 で は な く
、
朝 鮮
人
の
民 族 性
に 問 題 が あ る と し て、 民 族 改 造 を 唱 え た。 天 道 教 の 民 族 主 義
は 端 的
に
い っ
て
文 化 的 民 族 主 義 と 評 価 す る こ と が で
き る
。
こ
う し た 天 道 教 は
文 化 と 啓 蒙 に 執 着 す
る が ゆ え に
、
勢
い
民 衆
の
主 体 化 を お ろ そ か に し た
。
そ こ で、 一 九
二
〇 年 代
の
終
わ り 頃 に 民 衆 向
け の
通 俗 的 な 教 理 書
で あ る
『
天 道 教 理 読 本』
の
刊 行 が 意 図 さ れ た
。
し か
し
、
総 督 府 か ら 大 幅 な 検 閲 削 除 を 受 け、 そ
の
刊 行 は な
ら な か
っ
た。
以
降
、
天
道 教 は ま す ま す 穏 健 化
し、 戦 争 協 力
の
道 を 進
ん で い
く
こ
と に な る
。
〈 キ ー ワ
ー
ド
〉 東 学
11 天 道 教、
民 族 改 造、
文 化 的 民 族 主 義
、
民 衆
の
主
体 化、
協 力 運 動
『宗教 研究 』
84
巻4
輯 (2011年 )は
じ め に
般
に 創 唱
宗
教 は、
何
ら か の
普
遍性
を持
つ
と さ れ
、
そ れ ゆ え に
論
理 的に は
世 界 宗 教
化 が 可 能 と な る。
し か
し
、
そ れ が キ リ ス
ト
教 化
さ れ た西
欧 起 源の
近
代
と
遭
遇 し た時
に は
、
深
刻 な葛 藤
を強
い
ら れ る
。
イ
ス
ラ
ム
教 が 典 型
で
あ
る が
、
そ
の
葛
藤
は キ リ ス
ト
教
と 同 じ 一く
神
教で
あ る こ と に よ
っ
て
、
よ
り
深 刻で
あ
っ
た よ
う
に
思 わ れ る
。
中
国
や朝 鮮
の
場 合 は
、
近 代 と 遭 遇 し た
時
に
体
制教
学で
あ る 儒 教 が
深 刻
な葛 藤
を強
い
ら れ た
。
儒 教
が
宗
教 であ
る か
否
か につ い
て は
、
現
在
で
も
意
見 が分
か れ る と
こ ろ で
あ
る が
、
た と
え 宗 教
で
な
い に せ よ
、
孔 孟 を
あ
た かも 創 始 者
と す るよ
う
な
、
キ リ
ス
ト 教 に
対
応 する
東
ア ジ ア の
絶 対
的教 学
と さ れ た こ と は 間 違
い
な
い
。
そ し て
朝 鮮
に
つ い
て
い
え ば
、
ウ
ェ
ス タ
ン
・ イ
ン パ
ク ト
の
衝 撃
に
よ
っ
て
、
新
興宗
教の
東 学
が崔 済
愚に よ
っ
て
創 建
さ れ た こ と が重
要 であ
る
。
東 学
の
基
礎
に あ る教 学
は
儒 教
と
い
っ
て
い い
が
、
そ
の
誕 生 は
朝 鮮
的 文脈
に お
け
る 陽
明 学
的展
開 一のつ
の
表
現で
あ
っ
た と
い
う
の が
、
筆 者
の
理
解
で
あ
る
。
中
国で
は
陽 明
学が
、
天 理 と 人
欲
の
闘
い
を 説
く
、
リ
ゴ
リ ス テ
ィ ッ
ク に し
て
主
知
主義 的
な朱 子 学 を
、
「
心 即 理
」
や
「
万
物
一体
の
仁
」
「
致
良知
」
な ど
の テ
ー ゼ
に よ
っ
て 広 く 人
々
に 開
放
せ し め
、
万 人 聖 人
観
を打
ち 出 し た。
陽
明学
は
、
朱
子学
の
体
内
か ら その
内
在
的 な 批 判 を 通 じ て 生 み 出 さ れ た もの で あ
っ
た
。
そ
の
意
味
(
)1 で、
朱 子
学 と 陽 明学
は 連 続 し て い
た
。
し か
し
朝
鮮で
は、 朱 子 学 至 上 主
義
が徹
底 し てい
た 結 果
、
陽 明
学
は 邪
学
と さ れ
、
朱
子学
の
内 在
的 な自
己 批 判 は 土 俗的
な
信 仰
と結
び
つ
く
こ
と に
よ
っ
て
可
能
と な
っ
た
。
そ れ こ
そ が
東 学
で
あ
っ
た
の
だ が
、
東 学
は民 衆
的信 仰
との
共
鳴
の
内
に 誕 生 し た が
ゆ
え
に
、
そ
の
万 人 聖 人
観
は よ
り 徹 底
し た
も
の に
な
っ
た
。
朝 鮮 近 代
思想 史
に お
い て は
、
儒 教
的葛 藤
の
う
ち に
朝 鮮 独 自
の
近
代
思想
が 誕 生 す る 過程
が
大 き
な幹
と し てあ
る と
い
え
る
。
そ
の一
方
で
、
東 学
は 民 衆 思
想
と し て
片
づ
け
ら れ、
そ
の
近 代
的
葛 藤
は
傍
流で
あ る か の
よ
う
に
考
え ら れ が ちで
あ る
。
し か
し
東 学
は
、
二
〇
世 紀
に
入
っ
て
か ら は 天 道
教
と名
乗り
、
近 代 的
宗
教へ
の
脱
皮
を意
図 し、
植 民
地期
に お
い て は
宗 教
運動
に お
い
て も 民 族 運
動
に
お
い
て
も
主役
の
位 置
に
あ
っ
た
。
し か
も
東
学 11 天 道教
の
歴
史
は、
民
衆 思 想
の
自 己 転 回 だ と は
単 純
に
い
え な
い
よ
う
な
様
相 を 呈し て
い
る
。
植 民 地 期
の
天
道
教幹 部
一は
様
に
近 代 的 知
識 人 であ
り
、
天 道 教
の
近
代
的 転
回 は
急
で
あ
っ
た
。
そ の よ
う な 意 味
で
、
朝
鮮 に お ける
近
代
と
宗 教
の
問 題
を考
え る に あ たっ
て は、
東 学
11 天
道 教
に
つ い
て
語
る の が
最
も朝 鮮の 近代 化と宗 教
相
応 しい
よ う に 思 わ れ る
。
そ の
歴
史
は
ま
こ
と に
紆 余 曲 折
に
富
ん で い
る
。
近
代 化
が こ の
宗
教 を変
え た と もい
え
る
が
、
こ の
宗
教 は 近 代化 す
る こ と に よ
っ
て 民
族
運動
の
先 頭
に 立 ち
、
あ
る い
は 逆 に
民 族 運
動
に
背
理 し てい
っ
た
。
あ
る
意 味
で は
東 学
11 天
道
教の
歴
史
を 語 る こ と は、
朝
鮮の
近 代
を 語 る こ と に も な る。
そ
う
し た意
味 か ら 本稿
で は
、
東
学 11 天 道 教の
近
代
的葛 藤
に
つ
い て
考 察
を行 う
こ
と
に
す る が
、
そ
の
際 も
っ
ぱ ら
対 象
と
す
る
時 期
は
、
文
化 政治 期
で
あ る
。
こ の
時 期 は、 天
道
教 が民
族運 動
の
先
頭
に
立
っ
て
啓 蒙
運動
を華
々 し く
展
開 す るも
、
民 族
運動 陣 営
か ら
後
退 し て いく 時
期
で
あ り、 ま た 民 衆
の
生
活 論
理 か らも
遠 ざ かっ
て
い
く
時 期
で
も
あ る。
天 道 教
の
近
代 的葛 藤
が最
も 見え
や
す
い
時 期
で
あ
る
と
い
え
る で
あ
ろ
う
。東 学
“
天 道 教 運 動
の 時 期 区 分
こ こ で は ま
ず
は じ め に
、
全
体
像の
理
解
と
い
う 観 点
か ら
、
東
学“
天 道 教
の
歴
史
を
筆 者
な りの
時 期 区
分 に 従っ
て 概 観
(
)2
し て
お
き
た
い
。
1
( 原
始
) 東学
の
成 立
期一 八 六
〇
i
一 八 六 四
年 崔 済 愚 に よ る
東 学
の
創 建
か ら
「
左
道惑 民
」
の
罪
に よ り
彼
が 処 刑 さ れ る
時 ま で で
あ
る
。
彼
は 呪 文(
至
気
今 至 願 為 大降 侍
天 主
造 化 定 永
世不 忘
万事 知
)
の
読 誦
と
仙
薬の
服 用 に よ
っ
て
天 人 合一 11
「
天 心 乃 人 心
」
が な さ れ
、
万 人 が 君 子
化
する 地 上 天
国
が到 来 す
る と 唱
え
た。
し か
し
、
彼
は
徐
々
に
「
守
心 正
気
」
と
い
う
内
省
主義
を 奨励 す
る よ
う
に
な り、 呪 文
の
読 誦 と 仙
薬
の
服
用 だ け では
「
天 心 乃 人 心
」
と は な ら な
い
と 唱
え る に
い
た る
。
そ
こ に は
、
人
格
的な
天 11 上 帝 観 に 基
づ
き 天
と
の
合一 を 易
行
と見
る 他
力
主義
と、 汎神 論 的
な 天観
に 基
づ
き
天 と の
合}
を 難 行
と 見 る自 力 主 義
が 混 在 し て い
た
。
他
力
主 義こ そ が 原
始 東
学 とい い
う
る
も
の で
あ
り
、自 力
主義
はの
ち
に 正
統 教
理 と な る が、
崔
済 愚
は そ れ を
確
立す
る
業
な かば で
死 し た と
い
え
る。
2
正
統
と 異端
の
対
立期
一 八 六 四1
一 八 九 四
年
崔 済
愚の
死 一は 八 六 四
年
三 月
の こ
と で あ る が
、
東 学
の
第
二
期
は そ
の と き か ら
甲 午
農民
戦争
まで で
あ
る。
崔 済
愚 が 果 た せな か
っ
た
東 学
の
正
統 教
理化
は第
二
代 教 祖
の
崔
時 亨
に よ
っ
て
な さ れ る が
、
そ
の
正
統 教
理化
に
異 議
を 差し
挟
む異
端 勢力
が 出て
く
る
。
の
ち
に
南 接
とい
わ れ、 一 八 九 四
年
の
甲
午 農 民
戦争
を
主 導
し てい
く グ ル ー プ で あ る
。
彼
ら は
、
原 始 東
学
的 理解
に お
い
て
東 学
を認
識 し た が、 他力
主義
に よ る
易 行
の
万 人
君
子化
は
、
一 般
民 衆
を 即変
革主 体
と し て認
識 す る もの で
あ り
、
大 農 民
反乱
を惹 起
す る の に、
適 応
し た教
理 理解
で
あ
っ
た
。
こ れ に
対
し て崔
済愚
ら 教
門 中
央
は北 接
と 呼 ば れ た
の
だ が
、
汎
神 論 的
な 天観
と 内
省
主義
を強
め て
い
き
、
自 力
・難 行
の
万 人
君
子 化 を 説い
た
。
崔 時 亨
は 従
来
の
信 仰
の
あ
り方
を「
向
壁設 位
」
法
と して
否 定
し、
東 学
は
「
向 我
設位
」
法
で
あ
ら ね ば な ら な
い
と し た が
、
こ れ は
自
ら に神
位 を設
け、
自
ら が 天 た る に
相 応
しい
人
間
た る
べ
く
、
生
涯
に
わ た
っ
て
信 仰
を深
め る と
い
う
こ と を 意
味
し
、
ま
さ に 正統
東学
の
理
解
で
あ
っ
た
。
3
正
統 東 学
の
確 立 期
一 八九 五 一
ー
九
〇 五
年
甲
午 農
民 戦争 後
か ら 天道
教 に 生ま
れ 変 わ る 直 前 ま
で で
あ
る
。
崔 時 亨
は一 八 九 八
年
に
「
左 道 乱 正
」
の
罪 で
逮 捕
処刑
さ れ る が、
そ
の
後 を 襲
っ
た の
が
、
第
三 代 教
祖 孫 秉
煕 であ
る
。
彼
一は 九 一〇
年
に 日 本
に 亡
命 す
る が
、
そ
の
間 も 東
学 は発 展
を続 け
た
。
そ し
て
孫
は、
東 学
の
近 代 化
を 図 ろう
と し て日
本
に
接 近
し、
日
露
戦 争 で は 日本
を
支 援 す
る 立
場
を選
ん
だ
。
彼
は近 代
的 な民 会
運動
を展 開 す
る よ
う
に
本
国 に指 示
し、
そ
の
結 果
生 ま れ たの
が
の
ち に 露
骨
な親
日 団体
と な り、
朝 鮮の近 代 化 と宗 教
「
日
韓 合
邦 運 動」
を 繰
り 広
げ るよ
う
に な
}る 進
会
で
あ る
。
4
天
道 教
の
成
立期
一九
〇 六
1
一 九一 九
年
一九
〇 六
年
一 月の
孫 秉 煕
の
帰 国 か ら 三・ 一
運 動
ま で であ る
。
〇 五 年 末 に
東 学
を 天 道 教 に改 称
す る こ と を宣
布 し てい
た
孫
は
、
帰 国 後
た だ ち に 天
道
教教
理の
近
代 化
に
着 手
し た
。
「
人 乃 天
」
の テ ー ゼ は こ の と き
に
作 ら れ た
。
東
学
と
い
え ば、
「
人 乃
天
」
を 教
旨 と す る と 思
わ れ て い
る が、
実
は そ れ 一は 九〇 七
年
に 正 式
に
宣
布
さ れ た もの で
あ
っ
て、 厳 密 に は 天
道 教
の
教 旨
で
あ
る
。
そ れ は 天
道
教 が自 力
・難 行
の
内
省
主義
的 東 学 理 解 を極 点
に
高
め た も
の
で あ り、 民 衆 は
容
易 に は君
子た り
得
ない の
だ か ら
、
果
て
な き
修 業
を な さ ね ば な ら ない
存 在 と さ れ た
。
そ し て
、
迷
信
が 否 定 さ れ る と と も に、 汎
神 論
が 明
確
に
打
ち出
さ れ、
天
道 教
の
世
界 宗 教
化 が夢 想
さ れ る よ
う
に な
る
。
一
方
、孫
一は
進
会の
あ ま
り
の
親
日 行為
に よ
っ
て
人 心 を
失 う
の
を お そ れ
、
こ
れ と
絶 縁
し た。
「
韓
国 併 合」
後
は
、
孫 は 総
督 府
に 冷 遇 さ れ た こ
と を 不
満
と し、 ウ
ィ ル ソ ン
が一 四
ヶ
条
の
平
和
原 則 を 公表
し た
の
を 機
に 三・ 一 運
動
を 企図 し、 天
道
教 は そ の中
心勢 力
と なっ
た
。
5
天
道 教
の
分
裂 期
一 九 二〇
1
一 九
三 四
年
三・ 一 運 動後
か ら総 督 府
の
心 田 開 発 運
動
に
よ る
宗
教弾
圧 が 強 まる
直 前 ま で で
あ り
、
ほ ぼ 文
化
政 治 期 に 相 当
す
る
。
こ の
時 期
天道
教一は 九
二 二
年
五 月
の
孫 秉 煕
の
死 を
契 機
に 四
分
さ れ る
が、
大
き
く
一は
九
二 五
年
=
月 に
新
派 と 旧 派に
分 か れ た
。
両 派 一は 九
三
〇
年
一 二月 合 同
↓ 三 二
年 再 分 裂
↓ 四
〇
年
四 月 再 合 同 と
い
う
よ
う
に 分
裂
と
合
同 を繰
り 返 す が、 両 者各
々
に 民
族 運 動
の 主
役
と し て大 き
な影 響 力
を持
っ
た
。
通 説 的 に は
、
新 派 が
自 治
運 動を
標榜 す
る よ う な
妥
協 的 な 民 族 運 動で
あ
っ
た
の に
対
し て、 旧派
は
非 妥 協
的 な民 族 運 動
を 農 開 し た と さ れ る
。
勢 力
が よ り大
き か
っ
た の は 新
派
で
、
新 派
は 文 化 運
動
を
積 極 的
に
展 開
し、
農 村 啓 蒙
運
動
や 青年
運動
な ど に力
を注
い
だ
。
こ の
時
期
は
、
天
道
教 が最
も力 あ
っ
た 時 期 で
あ
る とい
え
、
教 理
の
近
代 化
】も
層 加
速 し た。
そ
の
過 程
で キ リ
ス
ト
教
や他
の
新
興宗 教
に
対 す
る 宗
教
批判
を
強
め
、
ま た
社
会 主義 者
な ど と、
民 族 運 動
の
主
導 権
とも
関 わっ
て 大 き な
論 争
を
展
開 し た。
6
天
道
教 の戦 争
協力 期
一 九三 五
1
一 九
四 五
年
一 九 三 五年
一月
よ り
開 始
さ れ る
心
田開 発
運動
を 起点
に
解 放
を 迎 え る ま で で あ る。
心
田開 発 運 動
は
国 家 神 道
体制
に
諸 宗 教
を 組み 込 ん で
、
国 体 観 念
の
内 面 化
を迫
ろ
う
とす
る も
の で
あ
っ
た が
、
勢
い
そ れ は
多 く
の
新
興宗
教へ
の
弾
圧 と なっ
て
表
れ た。
世 界
宗
教 化 を夢 想
す る 天道 教
は
新 派
・ 旧派
と も
に
弾 圧 を
避 け
る
べ
く
、
心
田開
発 運動
に 迎
合
し てい
く
。
新 派
で は い
ち 早 一く 九 三一
二
年
一二
月
に
大 東 方
主義
を唱
え て転 向
を 明 ら か に し
て
い
た
。
旧 派
で は
心
田 開発
運動 後
も独
立
へ
の
希
望 を失
わ
ず
に
い
た が、
つ い
に 三 八
年
四 月 転
向
を 宣言
し た
。
四
〇
年
四月
再 合同
は そ
う
し た
事
情 に よっ
て 可
能
と な
っ
た も
の で
あ る
。
そ し て 以
後
、
新 派
・ 旧派
と も に
戦 争 協 力
の
道
を ひ た走
っ
て
い
く
。
以 上 の
よ
う
に
、
東 学
11
天 道
教
の
歴
史
は ま
こ
と に
起
伏 に富
ん で
い
る
。
東 学
11
天 道
教 は、
民 族 運
動
の
旗 手 に し て 近
代 化
運動
の
旗
手
で
も
あっ
た
。
し か
し
、
近
代 化
運動
11
文 化
運動
は
民 族 運 動
と連 動
し、
民 族
運 動
を 活
性 化
さ せ 一る方
で
、
そ の
行 き
着く
先
は
親
日
協 力
の
道 で
あ
っ
た
。
皮
肉 であ
る と し か
い い
よ
う
が
な
い
が
、
そ
う
し た 分
岐 点
と な る時
期が
5
の 天 道
教
の
分 裂
期
で
あ
る こ
と は
、
容 易
に
知
ら れ る であ
ろ
う
。
以 下
、
こ の
時 期
の
問
題 につ い て
、
民 族 と
改
造 を めぐ る
議 論
と
、
当
該 期 に刊 行
が意
図 さ れ た、
あ る
教
理 書の
内
容を
検 討
す る中
で
考
え てい
き
た
い
。
朝鮮の近 代化と宗教
一一
天 道 教
に お
け
る民 族 と
改
造
文 化
政治 期
の
民 族
論
で
有
名 な の は、
文 豪
李光 洙
が一 九
二 二
年
に
総
合 雑 誌の
『
開 闢
』
誌
上 に 発表
し た「
民
族 改
造〔
)3
論
」
で
あ る
。
李
は こ の
論 文
に お
い て、 朝
鮮
人 の
民 族
性
と して
、
支 配
階 級に は
「
虚 偽
」
と
「
私 欲
」 、
、 般
民 衆
に は
「
怠
惰
」
を は じ め
「
怯
懦」
「
無 信
」
「
社
会 性
の
欠
如」
な ど
の
道
徳
的 問 題性
が
あ
る
の
一を 般 論 と し て 認 め た
。
そ し
て
朝
鮮
民族
が
再
生で
き
る 道 は
、
こ
れ ら の
道
徳 的
欠点
を克
服 し て民
族 性 を 全 面 的に
改
造 する こ と に あ
る と し、 し か
も そ れ は
永
続 的 な課 業
で
あ
る と し た
。
当 時
に
お
け
る
彼
の
思 想
的特 徴
は
、
朝
鮮 思想
界 に あっ
て 三
二
運 動 段 階
に
お
い て
す で に、
「
弱 肉
強
食」
や
「
適 者 生
存
」
な ど を
肯 定 的
に
説
く 社会
進化
論 が 基本
的 に 克服
さ れ て い
た に も か か わ ら
ず
、
依
然?) と
し て そ れ
を 信 奉
し て い
た
こ と に
あ
る
。
そ
こ に は
深
い ペ
シ ミ
ス一
ア
ィ
ッ
ク な 世
界 観
が あ る が
、
そ れ 一は
面
朝
鮮民 衆
へ
の
蔑 視 観
と、
そ れ に 規
定
さ れ た 民 族 独 立
へ
の
諦
念
に よ る も
の で
あ る
。
彼 に よ れ ば
朝 鮮
が
独
立 民 族 た り
得
ない の は、 日
本
の
責 任
で
あ る
前
に
、
弱 者
た る
朝
鮮民 族
の
主 体 的
な 問 題 に よ る とい
う
こ と に な る
。
李 光
洙 は 近 代 至 ヒ 主義
の
立
場
か ら
、
朝 鮮
的 な もの
を
未
開 と して
退 け
、
そ
の
結
果
日 本的 オ リ
エ ン
タ リ ズ
ム
に
無
抵
抗
と な ら ざ る を 得な く な
っ
た の
だ と
い
え よ
う
。
李 光 洙
の こ
う
し た 認 識 は、
の
ち に
彼
が皇
民化
運 動 に積
極 的 に 関与
し て
い
く
伏 線 と な る もの で
あ
っ
た
。
「
民 族
改
造論
」
は、 当 時
朝
鮮の
政
治
・文 化
戦 線 で相 当
な物
議 を 醸し
、
非
妥 協
的 民 族 運 動 陣営
か ら多
くの
批
判
を浴
び た
。
し か し
、
李 光 洙
の よ
う
な 議論
は ひ と り
彼
だ けの
も
の で は な か
っ
た
。
彼
の
議
論
は
、
自 治 主 義 を 標 榜 す る
妥 協
的 な
民 族
運動
を代 表 す
る
も
の で
あ り
、
天 道
教
新 派(
以 下 単
に 天 道 教
と す
)る の
立
場
を 反 映
す
る も
の で
あ
っ
た
。
『
開 闢
』
は
社 会
主義
者の
議 論
も載
せ る よ
う
な幅
の
広
い
雑 誌
で
あ
っ
た が
、
実
は そ
の
発
行者
は 天
道
教の
前 衛
組 織
と も
い
う
べ
き 天 道
教 青 年
会(
の
ち 天
道
教青
年党
)
で
あ
っ
た
。
そ し て
、
李
光
洙の
「
民 族
改 造
論」
が 掲
載
さ れ た 同 じ号
に は
、
李 敦 化
の
( 5V
「
空
論
の
人 か ら 超 越 し て 理 想
の
人
、
主 義
の
人 に な ろ
う
」
も
載
せ ら れ て い
る が
、
そ
の
主
張 す
る と こ ろ は
李 光 洙
と よ く 似
て い
る
。
李 敦 化
は、
当 時
天 道教
きっ
て
の
理
論 家
で
あ
り、
天
道
教の
近
代
教 理化
に 最 も
貢
献 し た 人物
で
あ る
。
「
空
論
(6
) の
人
か ら超
越し て 理
想
の
人
、
主
義
の
人 に な
ろ
」
う
は
、
「
民
族 改 造 論
」
に
比
べ
ほ と ん
ど
知
ら れ てい
な
い
が、 天
道
教の
民 族 理 論
を見
る 上
で
重
要
な 文 献 で あ る の で、
以 下
若 干
の
紹 介
を し て お き たい
。
李 敦
化 に よ れ ば、
朝 鮮
人 に は「
安
逸」
と
「
名 誉
」
と
「
権 勢
」
を
求
め る 三
大
欲 求 が あり、 そ
の た め に
朝
鮮 人 は信
念あ
る
理 想
や 主
義 を
持つ
こ
と が で
き な
い
と
い
う
。
そ
の こ と に
つ
い
て
彼
は
次
の
よ う に 嘆
い て い
る
。
マ
マ
朝 鮮
民 族 が腐
敗 し たの は 決 し て 運
命
で は な く
、
ま
た 外
来 的 抗
力 でも
ない
。
そ
の
実
は
朝
鮮 人の
空
論 が朝
鮮 人自
身の
腐 敗
を も たら し た の で あ る
。
あ
あ、朝 鮮
人 よ1
ど
う す
れ ば 空論
の
人 か ら 理
想
の
人
に
な
り
、
理
想
の
人 か ら
、
さ ら に
主 義
の
人 に
な る こ と が で
き
る であ
ろ
う
か。
李 光 洙
の
民 族 批
判
は
相
当 に厳
しい
も
の
だ が
、
李 敦 化 も 厳
し
い
。
彼
は
警
官 で あろ
う
が
、
請 負 業 者
で あ
ろ
う
が
、
人 力
車 夫
で
あ
ろ
う
が、朝
鮮 人 は 日 本 人 や 中 国 人 より も 信 用
さ れ ない の だ
、
と ま
で 述
べ て い
る
。
そ れ ゆ
え
、
こ
う
し た 民 族
性
は 止
揚
さ れ なけ
れ ば な ら な
い
が
、
そ れ は
「
永 久
的改 造
」
を や
り
遂 げ る「
民
族 改 造
の
信 念
」
を 持
っ
て
遂 行 さ れ な け れ ば な ら な
い
と
い
う
。
李 敦 化
が ど
の よ
う
な 思
想
的葛 藤 を
通じ て
こ
う
し た
ネ ガ テ
ィ
ブ な
朝
鮮民
族 論 を 展開 す
るに い
た
っ
た
の
か は よ く
分
か ら な
い
。
こ の
論 文
よ
り
二
年
ほ
ど
前
に 発
表
さ れ た論 文
で は
、
む し ろ ポ ジ テ
ィ
ブ な
朝 鮮 民
族論
を展
開 し て
い る か ら で
あ
る
。
す
な わ ち、
朝
鮮 人
の
民 族 性 は
「
善 心
」
に あ る が
、
そ れ は 決 し て
「
徒
食 無 為
」
「
退
屈 自
弱」
「
無
主 義
無
主
張
」
を 生