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南山宗教文化研究所 研究所報

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南山宗教文化研究所 研究所報

28 号 ・ 2018

はじめに 3 金 承哲 近年韓国に紹介されている日本の浄土仏教 5

金 浩星 第3回日本宗教研究・南山セミナー 17

横井桃子 死後の世界を前提とする死生観について 21

坂井祐円 『中動態の世界』によって見えない隠れた世界は捉えられる 31

髙橋勝幸 旧師旧友 47 昨年の行事 52 研究所のスタッフの研究業績 55 Japanese Journal of Religious Studies

Volume 44 (2017) の目次 59 研究所のスタッフ 61

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は じ め に

2017年は、まず人事の年とも言える一年でした。

長年Japanese Journal of Religious Studiesの編集に携わってきたポール・スワンソン第一 種研究所員が 3 年間の任期延長に入り、その後任を探すのが目前の課題になりました。

その結果、嬉しいことに、日本仏教を専門にする研究者のマシュ―・マクマレン(Matthew McMullen)氏を第一種研究所員(任期付)として迎えることができました。今後のマクマ レン氏のお働きによって、今までJJRSが築いてきた国際的なレベルでの学問的貢献が継続 されることを期待したいと思います。

また、今までJapanese Journal of Religious StudiesAsian EthnologyのAssociate Editor として働いて下さったデイビット・ホワイト(David White)氏が、2017年8月に辞任するこ とがありました。ホワイト氏の辞任は、あまりにも予期できなかったものであり、その辞任 に至ることになった事由を考えるとき、とても残念なことだったと言わざるを得ませんでし た。長年にわたり良きAssociate Editorとして、また何よりも良き同僚として研究活動を共に して下さったホワイト氏に、宗文研の研究所員と共に、心より御礼を申し上げたいと思いま す。

ホワイト氏の後任としては、若き研究者のティム・グラフ(Tim Graf)氏を迎えることが できました。グラフ氏は、ドイツのハイデルベルク大学で日本仏教関連の論文で博士号を 取得された方で、今後の活動を期待したいと思います。

また、「 南 山 宗 教 文化 研 究 所 ヤン・ヴァン・ブラフト奨 励 基 金 」(Jan Van Bragt Scholarship Fund of the Nanzan Institute for Religion and Culture)も軌道に乗りました。

2017 年度末を持って任期終了になる齋藤喬研究員の後任として、深堀彩香氏を採用するこ とになりました。これをもって、毎年 2 名の若き研究者を迎え、その研究活動をサポート することになり、次世代研究者の育成という宗文研の活動を続けることができました。奨 励基金を送って下さるアメリカの神言会に御礼を申し上げます。

2017年も、国内外から来所した多数の研究者によって、研究共同体としての南山宗教文 化研究所のアイデンティティが再確認されました。来所する研究者たちに研究室や宿舎の 手配や書類作りなどのためには、研究所事務員の方や、教育・研究支援室の方々を始めと する大学の支援を頂きましたこと、改めて御礼を申し上げたいと思います。

若手研究者の育成という宗文研の活動目標は、2017年にも南山セミナーを開催すること によって継続されました。2017年度の南山セミナーは、名古屋大学人文学研究科の阿部泰 郎教授の率いる「平成29年度研究拠点形成事業」(研究課題名:「テクスト学による宗教 文化遺産の普遍的価値創成学術共同体の構築」)との共催という形で行われました。こ の共同研究活動は、2021年まで行われる予定です。

昨年も、奥山倫明第一種研究所員が主催する「南山宗教研究会」が数回開催され、近 辺の若手の宗教研究者同士の交流が可能になりました。この活動も、若手研究者の育成 という側面で、意義の大きなものだと思います。

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第三期国際化推進事業の最終年度の研究活動として、香港で開催されたeasssr (East Asian Society for the Scientific Study of Religion)の創立学会に、二人の研究員(横井桃子 氏と栗田英彦氏)を派遣し、今後、宗文研との共同研究の可能性について検討すること になりました。また、第三期国際化推進事業の締めくくりと第四期国際化推進事業申請の ための準備作業として、2018年2月、 Japanese Philosophy: A Sourcebook(James W. Heisig et.

al., eds., University of Hawai‘i Press, 2011)の韓国語訳を推進するためのワークショップを 開催しました。この書物は、1400頁近くの膨大なもので、日本の仏教・儒教・神道・宗教 哲学・古典文学などの分野を網羅して関連資料を集めたもので、すでにスペイン語訳が刊 行されており、2017年9月よりはその中国語訳のための作業が始まっています。この資料集 が韓国語で翻訳・出版されることができるならば、中国と韓国における日本思想研究に更 なる牽引力を発揮すると期待されます。

日本思想の海外発信という主題に関連しては、南山大学が申請した「平成 29 年度私立 大学ブランディング事業」に、宗文研が中心的な役割を担ったことを記しておきたいと思い ます。残念ながらその申請は採択されませんでしたが、宗文研としては、今後も大学全体 の研究活動に貢献できる道を探りたいと思います。

今後も、宗文研の活動にご協力とご支援をお願いしたいと思います。

金 承哲 2018年5月1日

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近年韓国に紹介されている 日本の浄土仏教

教の中でも、台湾から多くの刺激を受けて いる。星雲、聖嚴、證嚴などの仏教や、そ の他に浄土仏教に関しても台湾の影響は少 なくない。台湾の浄土仏教についての学界 の関心は不思議なほど少ないが、信仰の現 場では台湾の浄土仏教の書籍が翻訳され、

僧侶と在家の間で広く読まれ、活用されて いる。

このように様々な国の仏教伝統について 比較的開かれた態度で接してきた韓国仏教 であるが、日本仏教に対してはまだ障壁が 残っている。実際筆者は「どうして日本仏 教なのか?日本ではなく中国や韓国の僧侶 から例を引くことはできないか」という異 議申し立てを多く受けている。これは韓日 の間の歴史問題と、妻帯を認める日本仏教 についての批判的観点が作用していると推 定される。しかし近年日本仏教を研究した 留学生たちの帰国と数少ない学者たちの努 力で日本仏教についての関心が高まってき たことも事実である。

韓国においては、創価学会を除いた日本 の宗派の中でも、浄土仏教についての紹介 が充実している。本論考では、日本の浄土 仏教が韓国においてどのように紹介されて きたかを出版物を中心に読んでみたい。

時代的には2010年以降とし、学界の論文 のみならず、原典の翻訳も網羅し、日本の

金 浩星

Kim Ho Song

はじめに

現在、韓国仏教が直面している課題の一 つは、伝統的に続いてきた大乗仏教中心主 義、特に禅と華厳を下部構造とし、密教と 浄土信仰を上部構造とする形態が揺れ始め ていることである。

韓国仏教のもっとも中心的な位置にある 大韓仏教曹渓宗は、禅宗としてのアイデン ティティを持ち、禅の修行の方法として看 話禅を重視している。しかし、看話禅の強 調と力説の裏には、看話禅以外の修行法を 求める修行者が少なくないという苦悩があ る。代表的な南方仏教の修行法であるヴィ パッサナー(vipassana)が流入し、僧侶たち のみならず在家の仏者たちからも人気を得 ている。そうした雰囲気とあいまって初期 仏教に戻ろうとする動きも起こり、大乗非 仏説に拠って大乗仏教を批判したり非難す る流れもある。

その他に、大乗仏教の伝統のなかではチ ベット仏教が多く入ってきている。大乗仏 教研究の場合、サンスクリット原典が少な く、それを補完する代替材としてチベット 語の大蔵経が注目されている。それに加え て、生きている信仰としてダライ・ラマを 中心とするチベット仏教を学習し受容する 動きもまた少なくない。

伝統的に韓国仏教の源泉となった中国仏

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浄土仏教についての理解を照らしあわして みたい。日本の浄土仏教の宗派を鑑みて、

まず浄土宗の法然(1133–1212)、浄土真宗の 親 鸞(1173–1262)、 時 宗 の 一 遍(1239–1289) を扱い、天台宗の中の浄土信仰として源信 と慶滋保胤の場合を扱いたい。ただし、本 論考では信仰の現場に入ってきている日本 の浄土仏教に関しては扱わない。特に韓国 では親鸞の浄土真宗が布教されているが、

具体的な調査や情報はないからである。

三大祖師に関する考察 法然

浄土信仰はインドから始まり、中国にお いて完成され、韓国と日本で独自の展開を 見せたと言える。しかし中国と韓国では独 自の「浄土宗」として独立したというより は仏教全般に幅広く影響を与えた。宗派と して独立するのは深さを追求し、仏教全般 に影響を与えたというのは広さを追求した と言える。

周知のように日本で浄土宗が独立したの は法然によってである。法然は天台宗に出 家したが、比叡山を下ることで浄土宗の独 立を果たした。その過程で法然は苦闘した。

それは彼が選捨を含む選択と専修の道を歩 んだからである。このような歴史的過程か ら見た時、法然の仏教は中国や韓国の浄土 信仰とは多少の違いがあると言えよう。

しかし基本的には中国で形成された浄土 教、特に唐代の善導大師の浄土信仰を法然 はそのまま受け継いだのである。阿弥陀仏 と一対一で念仏を唱えるだけで往生できる という立場においては、善導と法然には差 がない。韓国の伝統的な浄土仏教も基本的 には同様である。その点で法然の仏教は韓 国でも受け入れられやすそうだが、現実に はそうでない。あまり議論されていないの

である。

現在法然の著作の中で韓国語に翻訳され たのは『選択本願念仏集』(『選択集』)、「一 紙小消息」、そして「一枚起請文」のみであ る。『選択本願念仏集』(수마제[須摩提]

2015)は初めての翻訳ではない。訳者が明ら

かにしているわけではないが、以前の翻訳 (釋道實 1991)を少なからず参考にしている ように思われる。しかしあまりにも多くの 誤訳と誤謬を犯している。これについては

金浩星(2015c)によって詳細な指摘がされて

いる。

「一紙小消息」の場合、最近翻訳された柳 宗悦の『南無阿弥陀仏』にも全文が紹介さ れている。「一紙小消息」や「一枚起請文」

は小品だが、柳宗悅は『選択集』より高く 評価している。

『選択集』よりも、わずか数行に足らぬ、『一 枚起請文』のほうが、どんなに簡明でまた 潤いがあるか分らぬ。(中略)しかも『選択集』

の万語が、この一枚の『起請文』に結晶され、

浄土門の要旨がここに凡て含まれていると いっても過言ではあるまい。(中略)この一 枚を得るために、『選択集』がその用意をな したともいえる。(柳宗悦2007、233)

しかし『一枚起請文』の韓国語訳は雑誌

(『日本仏教史勉強会』)に収録されただけ

で広く知られていない。簡明な分量で法会 の教材としても遜色のないものでもっと広 く知られて良さそうだ。

しかしながら、まだ法然についての韓国 語による学術論文は、管見の限りでは存在 しない。法然の場合、親鸞に比べて学者た ちの関心をほとんど受けていないことを示 している。2017年の秋、東国大学の大学院 で『選択本願念仏集』の講読がなされ、こ の時のレポートを論文に発展させて発表し た人物が李正喆(大空)である。彼は『無

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量壽経』において諸行往生も認定されてい たのに、なぜ法然は専修念仏を選択したか を論じている(李正喆(大空) 2018).

しかし韓国仏教の現実で浄土門がそれな りの立場を持とうとすれば、やはり法然が おこなった役割をする僧侶の出現が期待さ

れる(김호성[金浩星] 2017c)という点で、

法然についての研究と理解の努力が必要と なると考える。そのような要請に共感する 学僧が出現する可能性はありうると期待さ れる。

親鸞

浄土真宗の開祖親鸞の場合、師匠の法然 と比べて韓国では多く言及されている。原 典の翻訳については大きな違いはないが、

論文の場合、親鸞はいくつかの論文が生産 されているからである。

まず原典の翻訳を見てみよう。本稿で範 囲とされている2010年以降は親鸞の主著

『敎行信證』の翻訳が始められた点に注目で きる。まず現在までの翻訳の書誌事項を整 理すると以下の通りである。

朴五洙, 朴泫姝 2015. 「敎行信證後序」.

『日本仏教史勉強会』第13号.

了竟 2015. 「顕浄土真実敎行證文類序」.

『日本仏教史勉強会』第13号. 大空 外 2015. 「顕浄土真実敎文類」.

『日本仏教史勉強会』第13号.

敎行信證読書会 2015, 『顕浄土真実行文類』

2-①『日本仏教史勉強会』第, 14号. _____. 2016, 『顕浄土真実行文類』 2-②,

『日本仏教史勉強会』第15号.

「後序」から翻訳されたのは、『敎行信證』

の歴史的背景と親鸞についての理解が先決 さ れ る べ き だ と 考 え た か ら で あ る。 現 在まで『敎行信證』第2巻の「論註曰」まで 発表されており、「安樂集云」からは翻訳さ

れていない。

翻訳者たちはすべて金浩星の大学院授業 に参加した学生たちであり、翻訳を授業中 の討論を通じて修正し、最終的に金浩星が 監修と訳注を加えたものである。現在『敎 行信證』の読書会は中止されているが、い つどのように再開されて翻訳が続けられる か不明である。

さらに問題は、このような翻訳の結果を 金浩星が編集、発行する『日本仏教史勉強会』

を通じて発表せざるを得ないため、広く読 まれていない状況にあることだ。そのため、

現在韓国で親鸞の著述を直接読むことは大 変難しい。ただ親鸞の語録を含む『歎異 抄』が二回翻訳されて(마에다류(前田龍), 전대석[田大錫] 1997; オ・ヨンウン 2008) おり、読者を待っている。

次に親鸞に関する研究状況をみてみよう。

最近韓国での親鸞研究は、親鸞をテーマに した博士論文が最初に誕生したことが一つ の目印として考えられる。宋在根の「親鸞 の他力浄土思想研究」(동아대[東亞大],

2011)である。これは親鸞教学のほとんど

すべての分野を扱ったものとして大きな意 味がある。この論文で著者は「純粋な念仏 者としての親鸞と浄土真宗の宗祖という二 つの親鸞像を区別し、純粋な親鸞の思想を 理解するのに尽力する」(송재근[宋在根]

2011, 10)と述べた。その考察の結果を以下

のようにまとめている。

『惠信尼文書』の第3通と『歎異抄』の第 2章から見て念仏者親鸞は師匠法然の言葉 を聞いてそのまま信じたのみだった。これ によると、「釈尊ー善導ー法然ー親鸞」に連 なる系譜で十分である。しかし善導はすで に浄土宗の系譜に属しているので浄土真宗 の宗祖としての親鸞には他の系譜が必要だ ったのである。そのような理由で誕生した

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のが七高僧の系譜である。空也と源信の場 合も同じである。空也はすでに時宗の系譜 に位置しているので浄土真宗の宗祖として 別の人物が必要だった。その役割を源信に 与えたのである。しかし念仏者親鸞にとっ て源信の価値はとても足りないように思わ れる。(송재근[宋在根] 2011, 63)

宋在根は七高僧の系譜よりは『歎異抄』

第2章の系譜、つまり「阿弥陀仏→釈尊→

善導→法然→親鸞」に連なる系譜がより純 粋であると考えている。しかし七高僧の系 譜もまた親鸞自身によるものではないか。

そのような点で二つの系譜を選択的に考え るよりは、融合できる論理の開発がより必 要ではないかと考えられる。

一方、宋在根は七高僧の系譜については 多少批判的であるが、その埋め合わせのよ うに韓国浄土教と親鸞の関係性を強調して いる(송재근[宋在根] 2011, 71–78)。しか し韓国浄土教との関係を補完的に強調する ことはよいが、親鸞の中で韓国浄土教の重 みをどのように評価すべきかという点はも っと綿密な考察が必要だろうと考えられる。

2011年の博士論文以降、宋在根は非常に 重要な小論文を2本発表している。親鸞の

戒律観(송재근[宋在根] 2012a)と悪人観

(송재근[宋在根] 2012b)についてである。

この二つの論文が「非常に重要」だとした 理由は韓国仏教の伝統を鑑みて、その上で 親鸞が韓国で理解されるに当たってもっと も大きなハードルとなる二つの問題を正面 から扱っているからである。

韓国仏教は禅と華厳を中心とする自力仏 教の伝統が強い。朝鮮王朝後期に念仏が 流行したとされる、その時もまた禅と華 厳、念仏という三門修業の形態だった。法 然以降の日本の浄土仏教で見られるような 専修念仏ではなかった。そのような文脈で

重視されるのは禅の修行とともに戒律であ る。戒律の立場から見れば親鸞はどのよ うに評価されるだろうか。宋在根はこの ような問題を提起したのである。まず彼 は、親鸞の戒律観が無戒であったとして も、「真実他力の立場からであって、方便と しての戒律まで否定したのではなかった」

(송재근[宋在根] 2012a, 29)と前提し、本来 意図したものは「戒律によって成仏しよう とする自力の行為に委託しようとする心を 警戒」(56)しようとしたとする。

悪人正機説もまた韓国仏教では理解しに くいが、宋在根は悪人の概念を二つに分け て理解する。一つは阿弥陀仏以外は皆悪人 であるという範疇であり、もう一つは親鸞 の時代の日本社会で悪人は被差別民であっ たというものである。特に後者については 弟子たちを詳細に分析しながら論証してい るが、次のように評価している。

現実には支配者と被支配者、差別者と被 差別民という不平等と差別が厳然と存在す る状況の中で善人と悪人の差別もまた存在 せざるを得ないからである。よって疎外さ れ続けざるを得なかった民衆のために悪人 の概念を善人より優位に置く逆の発想をし たものと考えられる。(송 재 근[宋在根] 2012b, 37)

論文の形態で直接親鸞について発表した 学者としては宋在根がほとんど一人舞台だ ったと言えるが、『敎行信證』についての 論文を書いた学者が登場した。曹渓宗の僧 侶朴性春(如然)は、親鸞の「眞佛子とし ての念仏人は弥勒のごとし」という言葉の 真意を探求する。阿弥陀仏が本願力で廻向 した信心によって現生で正定聚に入って不 退転の境地に入った念仏者を、まるで一生 補処にとどまって衆生たちを救済する弥勒 のような地位にあるものとして理解する

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(박성춘(여연) 2015, 349–350) 。この指摘 が重要な理由は、親鸞から還相廻向の問題 に一つの光をあてることになるからである。

果たして還相廻向の主体は阿弥陀仏のみだ ろうか、それとも正定聚を得た念仏者も可 能だろうかという問いを提起し、念仏者も また可能だという答えを得られる。これは 浄土信仰の弱点として考えられてきた現世 での他者に対する菩薩行の問題を解決する 展望が示唆される。

法然や一遍と比べ、親鸞は韓国で多く言 及される人物であることは事実だ。また書 籍や記事も比較的に多いほうである。しか し学術論文となると、上記で議論した宋在 根と朴性春(如然)以外に直接的なアプロ ーチは見当たらない。しかし親鸞の場合は 間接的なアプローチもある。親鸞の解釈者 に対して論じることによって親鸞を考える 論考である。これも多くはないが、現在は 近代の倉田百三を通じた親鸞の理解が試さ れている。

倉田百三は『出家とその弟子』という戯 曲を通じて親鸞を再解釈した。その戯曲は 事実上『歎異抄』の劇化と言ってもよいが、

金浩星は2本の論考を通じて、間接的に親 鸞を議論した。一つは『出家とその弟子』

の作品論であり、悪人正機説で見られるよ うな慈悲によって教団の権力化現象を解体 する様相が見られるとした。長い間「出家」

をテーマとしながら、出家精神の核心が権 力からの脱皮にあると把握した金浩星はそ のテーマが『出家とその弟子』でも発見で きるとした(김호성[金浩星] 2011)。もう 一つは『出家とその弟子』ではなく倉田 百三が言及した親鸞論に対する批評であっ た。倉田が親鸞を「現実の苦しみを生きな がらも救済の道を見つけ、教団の組織や権 力の所有に無関心な真実の念仏者として描

いている」(김호성[金浩星] 2015a, 280)点 では共感したが、彼の親鸞論には侵略と帝 国主義的暴力を擁護する論理もなくはなか った点を指摘した(前掲書)。それは親鸞か ら発見されるものではなく、倉田が親鸞を 歪曲したという点で倉田を批判した。

一遍

一遍は自ら自身の著述を焚書してから往 生したため、そもそも法然や親鸞と比べて 残っている著述があまりない状況である。

辛うじて弟子たちが記憶を口述したものを 結集したりして『一遍聖絵』などが編纂さ れたことは幸いなことであった。そのよう な原因もあり、日本でも一遍は大衆的に広 く知られていないようである。柳宗悦自身 が『南無阿弥陀仏』の著述の趣旨の一つと して一遍の歴史的位相を定めたいと挙げる ほどである。

そのためか一遍は、法然や親鸞と比べて 遅れて韓国に紹介された。おそらく2007年 以降柳宗悦の『南無阿弥陀仏』が翻訳され てからではないかと思う。韓国で一遍につ いて言及され始めたのもごく最近のことで、

その結果一遍についての原典の翻訳や研究 も物足りない現状である。

原典の翻訳は『一遍上人全集』(春秋社) に載せられた手紙6通が韓国語に訳された のが全てだが、その目録は下記の通りであ る。

「結縁したまふ殿上人に書(き)てしめし たまふ御法語」

「或人、念仏の法門を尋(ね)申(し)け るに書(き)てしめしたまふ御法語」

「頭の弁殿より、念仏の安心尋(ね)たま ひけるに、書(き)て示したまふ御返事」

「或人、法門を尋(ね)申(し)けるに書( き)てしめしたまふ」

「山門橫川の眞緣上人へつかはさるゝ御返

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事」

「興願僧都、念仏の安心を尋(ね)申され けるに、書(き)てしめしたまふ御返事」

これで現在残っている一遍の手紙はすべ て韓国語訳されており、その意味も解説され ている(김호성[金浩星] 2016)。柳宗悦の『南 無阿弥陀仏』は6通の中で「興願僧都、念 仏の安心を尋(ね)申されけるに、書(き) てしめしたまふ御返事」を「時宗第一の法語」

と称賛して寄せている。そのような理由で、

韓国に翻訳された『南無阿弥陀仏』にもそ の翻訳文が載せられている。

次に一遍についての研究論文を見てみよ う。現在は一遍のみを扱ったものとしては 元永常の論文が一本あるのみである。元永 常は一遍の伝法行脚に焦点をあて、その現 代的意味を抽出している。一遍が念仏賦算 のために16年間全国津々浦々を遊行したこ とは、現在韓国仏教で伝法が話題となって いる文脈で大きな示唆がある。具体的に元 永常はその現代的意味を大きく3つに整理 している。

一つ、衆生が生きている時代の苦しみを 仏法に昇華して生の現場に近寄ったことで ある。

二つ、出家の意味を究極的に具現したこ とである。一遍は再出家を通じて出家の本 質をありのまま提示したとみられる。

三つ、発心⟶求道⟶悟り⟶伝法の 過程という仏教の伝統を継承すると同時に すべての人生の意味を仏陀のそれに帰結さ せたことである。(원영상[元永常] 2015, 40–47)

伝法の観点から一遍のもつ意味を高く評 価した元永常の観点には全く共感できる。

のみならず、この論文は一遍自身の生涯と 思想の核心を韓国の学界に初めて紹介した 論文であるという点でも意味が大きい。要

領を得た叙述だと考えられるが、一つ問題 は元暁(617−686)と一遍を繋げて考えると ころだが、下記のように記している。

元暁は本覚と始覚を説明するにあたっ て、まず『大乗起信論』の(中略)智慧と して表れた一心の世界観を意味するもので ある。 元暁こそ『大乗起信論』の一心を 通じて仏法の教えを一心帰命させた人物で あることは周知の事実である。こう考える と、一遍の不二思想は元暁とも密接な関係 にあることが分かる。特に元暁が市井を渡 り歩きながら衆生に仏法を伝えようとした 行脚とはっきりとした類似点を発見できる。

(원영상[元永常] 2015, 32–33)

後半の「市井を渡り歩きながら衆生に仏 法を伝えようとした行脚」において元暁と 一遍が共通することは間違いない。しかし 前半の叙述についてはより限定される必要 がありそうだ。勿論より明確にするために は元暁と一遍それぞれについての個別的考 察がより深化される必要がある。なぜなら 一遍は、阿弥陀仏の中の私が私の中の阿弥 陀仏に帰命することを「帰命」の意味とし て把握している点で一心浄土を語っている ように見えるが、究極的には阿弥陀仏も私 も取り除いて六字名号のみを残しているか らである。帰命の意味は元暁と相通じるが、

独一の名号を語るという点では一心浄土な いし唯心浄土と区別されたれる側面がある ように思われる。一遍の浄土は一心浄土や 唯心浄土というよりはむしろ一名浄土や唯 名浄土と言ったほうが妥当であろう。

三大祖師についての総合的考察

三大祖師について日本で行われた個別的 研究はその数を数えきれないほど多い。し かし三大祖師の中で二人以上を比較したり して扱っているものはさほど多くないよう

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に感じられる。それは日本の浄土仏教が宗 派仏教の性格をもっている点に起因するだ ろう。法然と親鸞を比較する研究はまだあ るにはある。その場合、親鸞を語るために 法然から出発することになる。それゆえ日 本でも法然、親鸞、一遍の三大祖師を同時 に考えることは稀であると言わざるを得な い。

例外は柳宗悦である。柳宗悦は法然、親鸞、

一遍を別々にみるのではなく、一つの人格 として統合的に理解する。法然なしに親鸞 と一遍もなく、親鸞ぬきに法然と一遍も理 解できず、一遍なしには法然と親鸞もまた 未完成であるという観点だ。2007年以降柳 宗悦の著書『南無阿弥陀仏』の翻訳が始まり、

韓国で三大祖師についての共観がなされ始 めた。その先鞭をとっている学者が元永常 と金浩星である。

まず元永常の場合は、もともと日本浄土 教の往生伝を研究し博士学位を取得した日 本浄土仏教の専門者である。しかし学位取 得以降、帰国してから主に日本の近代を扱 ってきた。だが前述したように一遍につい ての研究以外にも法然と親鸞を合わせて扱

った論文(원영상[元永常] 2013)を一本発

表することになった。

そこでは、一遍は少し言及される程度に とどまり法然と親鸞の生涯と浄土思想を叙 述している。法然と親鸞の浄土思想がどの ようなもので、共通点と相違点をもつよう になったかを描いている。その点で大きな 誤りはないように判断される。ただし論文 のタイトルから内容に至るまで論旨を展開 する手がかりとなるキーワードが「修行」

と「悟り」である。それがなぜかといえば、

『歎異抄』で述べられているように「念仏は 善行でも修行でもない」からである。修行 であるなら、私たちはまず自力門の修行が

思い出される。「悟り」も浄土仏教の言葉よ りは禅仏教の言葉に近い。

浄土門こそ、修行と悟りに絶望した凡夫 たちの救済のために阿弥陀仏が開いたもの ではないだろうか。読者が「修行」と「悟り」

という言葉を浄土仏教の用語に置き換える より、自力門の「修行」と「悟り」に対応 する他力門の「信・念仏」や「安心・往生」

を使ったほうがよかったのではなかっただ ろうか。

金浩星は、柳宗悦の『南無阿弥陀仏』に 出会って翻訳する過程で一歩一歩浄土門 に入るようになった。それゆえ脱宗門の 観点から始まったが、その視点自体がもう 一つの宗門とみられる柳の目を通じて浄 土思想を見つめることから出発する。こ のような解釈学的見方に共感を表すこと

(김호성[金浩星] 2015b)から自身の浄土思

想を構築していこうとする。

まずは柳がそうしたように、浄土世界を 信じられない現代人を説得する論理を開発 していく。このような文脈で重要な示唆を 与えてくれる人物として親鸞と一遍を同時

に考察(김호성[金浩星] 2017a)する。親鸞

の場合は『歎異抄』の第2章、一遍の場合 は「興願僧都、念仏の安心を尋(ね)申さ れけるに、書(き)てしめしたまふ御返事」

をもとにして、それらが共に極楽世界の存 在如何に関わらない心性・信心の世界が開 かれている点を強調する。そのうえ韓国仏 教の伝統で義相(625–702)の『白花道場発 願文』に依って極楽の創造という観点、法 蔵菩薩と並んで立つか、あるいは彼を背負 って同じ方向を見つめる観点を提示する。

柳の浄土思想を超えて韓国化する時、金浩 星は義相に頼っている。これは前述の論文

(김호성[金浩星] 2015b)で義相の即虚現実

の美学に頼っている点と合わせて考えてみ

(12)

る必要がある。

他にも金浩星は三大祖師の生涯を論じな がら、彼が長い間研究してきた「出家」と いう事件の意味を再考察する。柳の『南無 阿弥陀仏』第17章(僧と非僧と捨聖)の議 論を手掛かりとして出家、在家そして非僧 非俗の意味を議論する(김호성[金浩星] 2017b)。このような金浩星の議論は単に学 問的研究にとどまらず、実践的な浄土教信 仰者として生きる時どのように生きるべき か、特に在家者として非僧非俗の生涯を生 きることができるのかシミュレーションす る意味もなくはないだろう。

三大祖師以前と以降 以前:源信と慶滋保胤

韓国において、日本の浄土仏教はまず法 然から始まる流れが真っ先に思い浮かぶこ とが事実だ。本稿もまた法然から始まる「宗 派としての浄土仏教」を先に扱った。しかし、

法然に至るまでの浄土仏教の歴史的展開が 重要でないことはない。

法然と親鸞はいずれも天台宗総本山の比 叡山延暦寺に出家して修行し、浄土につい て決定信を確立した後に比叡山を降りてく る。それが浄土宗の独立という歴史的意味 をもたらしたことは周知の事実である。よ って、法然に及んでいた天台宗の中の浄土 仏教についても考察する必要があるように 思われる。残念なことにまだそれについて の私たちの学界の研究成果は報告されてい ない。平安時代の浄土思想について、源信 (942–1017)と慶滋保胤(933?–1002)について の研究成果があるのみである。

まず源信についての研究を発表したのは 金星順である。彼女は東アジア天台宗の念 仏結社をテーマに博士論文を作成したが、

日本天台宗の念仏結社としては二十五三昧

會を取り上げている。その文脈で源信を論 じているのである。

金星順は二十五三昧會を二重構造として 把握している。比叡山横川の僧侶たちで構 成された結衆と、この僧侶たちの会を後援 しながらその結社に参加する結縁衆の二重 構造である。このような二重性の文脈で金 星順がより重点的に考えるものは、結縁衆 を通じて結社が開放され、広がっていくこ とである。このような二重構造は源信の二 重性とも相応するという点を以下のように 指摘する。

二十五三昧會の結成と活動における、源 信の立場から注目すべき点は比叡山の「世 俗化」に積極的な反対の意思を表明し、修 行の独自性を主張し、隠遁の修行、つまり 参籠修行のために横川に隠遁した源信がい ざ結社の場では民間の信徒たちに幅広く開 かれているという点である。つまり源信は 個人的修行の側面では反世俗化ないし隠遁 型の性格をもつが、結社の中の民間信徒た ちを大規模に収容し結社活動を通じた大衆 の救済という大乗教団的性格も積極的に実 現しているのである。(김 성 순[金星順] 2011, 63)

また源信がそのように民間の信徒たちを も収容する開かれた結社共同体を作ること ができたという点は「すべての人間を含む 一切の衆生ないし草木までも成仏できると いう天台教の教えが支えとなったから」(86) 可能だったとしている。

ところで二十五三昧會と源信について の金星順の研究を宋在根は繊細に検討し、

批評している。まず二十五三昧會が慶滋 保胤と勸學會によって構成された念仏結 社だとしたら、「この念仏結社の正体を知 るために当然勸學會という結社の理解が 優先的に行われるべきであるにもかかわ

(13)

らず、この本では詳細に扱われていない」

(송재근[宋在根] 2014, 172)という点を指 摘している。

この点を補う研究をおこなったのが安京 植である。安京植は慶滋保胤を世俗的には 儒教知識人としつつも、出世間的には仏 教、特に浄土を追求した「儒家仏教人」と 規定しながら、彼の生涯をヒンドゥー教で いう人生の4周期のように区分して議論し ている。その過程で勸學會や源信との関 連性などにも論じている。とくに安京植は 慶滋保胤の晩年の出家について「源信の 動きと密接な関係があるように思われる」

(안경식[安京植] 2016, 324)とした。ここで 安京植が言う「源信の動き」とは、具体的 には『往生要集』の著述及びそれに基づい た横川の僧侶25人が二十五三昧會という結 社を作ったこと、慶滋保胤が出家直後の寬 和2年9月に結社の清規と言える「二十五三 昧起請」を書いた点などである。

結局、慶滋保胤の生涯から源信の影響を 確認できるが、これは『源氏物語』につい ても言えるという点を柳周希が明らかにし ている。『源氏物語』には「横川僧都」とい う人物が登場するが、これは「惠心僧都」

とも呼ばれた源信をモデルとしたのではな いか(류주희[柳周希] 2013, 148)というも のである。作家の紫式部が『往生要集』の 存在を知っており、『往生要集』で「源信 が追求した觀想念佛を‘佛を念ずる’とい う表現に組み合わせ、作者の紫式部独特の 言葉を作り上げている」(류주희[柳周希]

2013, 158)というものである。

源信の『往生要集』が『源氏物語』にも 影響を与え、受容されたという点で当時源 信のもっていた思想をあらかじめ確認でき る。しかし韓国では、その主著である『往 生要集』についての研究や訳注がまだ行わ

れていないという点が残念でならない。

蓮如

法然、親鸞、一遍という浄土門の三大祖 師以降についてはほとんど知られていない。

韓国の学者たちはそこまで思い至っていな い。そのような余裕がないと言っても過言 ではない。三大祖師の思想や彼らのつくっ た宗派の成立史だけでも力不足であること が現実である。

そんな中、蓮如(1415–1499)についての論 文が一本報告されている。東アジア仏教の 結社運動を専攻する金星順は、結社運動の 一つとして一向一揆を取り上げている。た だし彼女は蓮如を語るとしても、蓮如の宗 教人としての内面世界や信仰世界について 関心を持っているわけではなく、一向一揆 が展開される過程という歴史的文脈の中の 蓮如について関心を持っているだけである。

彼女は、蓮如の教学、親鸞についての再 解釈がどのように一向衆を成長させ、後に は統御不能に陥らせたかを考え、その結論 を次のように整理している。

蓮如の意欲的なお文・御文章/お文配布 や坊主の格下げ、新しい本尊の制定、阿弥 陀仏の救済の再解釈などは新しい宗教の渇 きを感じていた村落の信徒たちを吸収し、

本願寺の教団を作ったが、その強力な教義 は一方では一向一揆という強力な衝突を生 み出す機制として作用した。一向衆の宗教 的自信は一向一揆という政治的結社に氾濫 するようになり、教祖である蓮如の統制の 外に出ることになる。蓮如が天台教団と真 宗教団の領域を出て新しい本願寺を建てた ように一向衆もまた蓮如の宗教的枠組みか ら抜け出して一向一揆という政治的牙城を 建てたのである。(김성순[金星順] 2010, 141)

この論文は室町時代の政治社会的文脈と

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仏教界の動向を合わせて考えられるように 要領を得た叙述をしている。しかし蓮如自 身の、つまりお文/御文章に表れた蓮如の 信仰や思想については掘り下げていない。

その部分は今後思想研究者たちの手を待っ ているというべきだろう。

結語

韓国で日本の浄土仏教を研究し、言及するこ とは大変難しいことである。「日本の浄土仏 教」は「日本仏教」と「浄土仏教」が複合さ れているが、二つとも研究、あるいは言及す ることが大変困難である。

まず浄土仏教の困難な点として、現在韓 国仏教の上層部では禅や華厳を中心に語る ので浄土信仰は言及されないことが挙げら れる。日本の浄土仏教のみならず、浄土仏 教そのものへの関心が希薄である点をまず 指摘したい。浄土仏教を広く勧進する僧侶 も、浄土学を研究する学者も、浄土文献を 翻訳紹介する翻訳家もほとんどいない状況 である。

なぜ浄土仏教なのか。浄土仏教は他力の 仏教、他力は外道ではないか。極楽などど こにあるのか。「おためごかし」なのではな いか。そのような根本的問題提起について 答えてくれる浄土家の存在は見当たらない。

これが一つ目の問題である。

次に浄土仏教を語ることはまだよいとし てもなぜ日本仏教の中の浄土仏教なのか。

中国仏教や韓国仏教の伝統の中でも素晴ら しい浄土思想、素晴らしい僧侶たちが多い のではないか。このような問いは実際日本 の浄土仏教を語る時にいつも突き当たる問 題提起である。

このような二つの課題や視線に向き合い ながら日本の浄土仏教を語ることが困難な 中、2010年以降韓国で日本の浄土仏教につ

いての論文が少数ながらもあるという事実 に驚くかもしれない。

不思議なことに、真に不思議なことに、

2010年度以降韓国の学界で行われた浄土仏 教についての研究で重要な特色の一つとし て、日本の浄土仏教についての研究の流れ がある。勿論、中国や韓国の浄土仏教につ いての研究と比べるとまだ量的には物足り ない。

原典の訳注がもっと活発に行われるため には論文もより多様な分野から書かれるべ きだろう。このためには何よりも優秀な研 究者の出現が期待される。研究者がなけれ ば論文も出ず、講義もなされない。大学で 講義が存在しなければ研究者を養成できず、

研究者がなければ大学で教育も行われない。

鶏が先か、卵が先か。確かなことは、現在 そのような悪循環の中にあるということで ある。こうした悪条件の中、本稿を書ける 程度には翻訳と研究の蓄積があった。何人 かの研究者の孤軍奮闘があったためであろ う。今後より熱心な精進と同時に新しい研 究者の出現を待ちたい。

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第3回日本宗教研究・南山セミナー

横井桃子

Yokoi Momoko

2018年1月7日・8日、南山宗教文化研 究所にて「第3回日本宗教研究・南山セミ ナー」が開催された。2013年6月の第1回、

2015年の第2回に続くものであり、今回も 海外の大学院で日本宗教を研究する、日本 語を母語としない若手研究者が日本語で研 究発表をおこなった。また今回は、名古屋 大学・人類文化遺産テクスト学研究センタ ー(CHT)と共催でおこなわれ、発表者6 名とコメンテーター7名のほか、研究所内 外からの参加者を含む計36名が参加した。

筆者は2日目午前中の司会として携わった が、どの発表もレベルが高く、興味深い内 容であった。

今回選ばれた6名の研究者と発表タイト ルは下記の通りであった。

Hannah Gould (University of Melbourne)

「捨てられるモノにみる宗教の物質性―現 代日本における仏壇の事例研究」

Rebecca Mendelson (Duke University/駒澤大 学)

「国家のための内観―勝峰大徹とその在家 禅」

Dana Mirsalis (Harvard University/國學院大 学)

「女子神職は本当に普通の女性として生き られるのか―ジェンダー、関係性と女子神 職―」

Lindsey E. DeWitt (九州大学)

「大峰山と沖ノ島での世界遺産と女人禁制 について」

Julia Cross (Harvard University/名古屋大学)

「12世紀から14世紀における舎利信仰の共 同体」

Esben Peterson (Goethe University, Frankfurt am Main/南山大学)

「ドイツ語雑誌における日本の宗教の位置」

発表タイトルを見て分かる通り、多様な 視点からのオリジナリティ溢れる研究発表 がなされた。上記の発表に対して、コメン テーターである阿部泰郎氏(名古屋大学)、

岩田文昭氏(大阪教育大学)、栗田英彦氏(南 山宗教文化研究所)、小林奈央子氏(愛知学 院大学)、近本謙介氏(名古屋大学)、ユリア・

ブレニナ氏(同朋大学)、吉田一彦氏(名古 屋市立大学)の7名がコメントをおこなっ た。

初日はグールド氏の、「仏壇」をとりあげ、

その廃棄というプロセスを観察することを 通して、人々が宗教用具に見出す神聖性の 境界を論じた発表から始まった。氏は、人 口移動に伴う都市化や世俗化などの近代化 現象によって、現代の仏壇の置き場の問題 や仏教的習慣の喪失および仏壇消費の減少 が起こってきたことを踏まえ、フィールド ワークによって「仏壇の処分」にかかわる

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消費者や僧侶や販売員の姿勢を描き出した。

この発表に対し、仏壇の庶民への普及は江 戸時代中期頃までに起こったもので比較的 新しいつくられた伝統であるとされ、さら にその役割が変容していることから仏壇の 伝統の再編成の時期が到来しつつあるので はないかという指摘がなされた。

次のメンデルソン氏は、近代日本におけ る「修養ブーム」と国家主義の関連をとら える中で、臨済宗僧侶・勝峰が設立した興 禅護国会の教えや修行とその国家的位置づ けへの模索を論じた。勝峰の残した著作や 興禅護国会の資料から彼の教えをつぶさに 分析し、政治的観点や在家禅団体のネット ワークによる普及という観点から検討した 氏は、今後、定量的分析やジェンダー論を 援用した幅広い研究を目指していることを 述べていた。この発表に対し、興禅護国会 の変容とナショナリズムとの関連を整理す る必要性があるとのアドヴァイスがなされ た。

2日目はデウィット氏の発表から始まっ

た。氏は、奈良県の大峰山、および九州北 部の沖ノ島と関連遺産群が世界遺産に登録 される際のユネスコへのプレゼンテーショ ンにおいて、これらの聖地に女人禁制が伝 統的に施されていることの言及を意図的に 避けていたことを指摘し、一方で、現地で 女人禁制への反対運動が起こったことや現 地の人々の女人禁制に対する意識などをと りあげ、政治的に語られた文化遺産と宗教 的歴史的現実とのギャップを記述した。こ の発表に対し、宗教的遺産・建築物等が観 光資源として扱われる一方で、そうした宗 教施設の観光社会学的研究あるいは観光資 源の宗教社会学的研究があまり蓄積されて こなかった現状の指摘がなされた。

続くマサリス氏の発表では、女子神職と いうジェンダー役割と深くかかわる個人の アイデンティティと、それに影響をおよぼ す家族という社会環境・関係性の観点から、

女子神職の役割と現状の検討がなされた。

母娘ともに宮司である女性や、結婚後に宮 司になった女性など、様々な属性・家族関

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係をもつ女子神職らに対するインタビュー 調査から、女性であることが神職の価値を 高めている一方で、母親・女性の理想的な 姿が遂行できていない現状への葛藤がある ことが示された。この発表に対し、日本の 社会構造の影響を考慮する必要性があるの ではないかというアドヴァイスがなされ、

また数少ない女子神職の研究の発展への期 待が述べられた。

昼食をはさみ午後からは、クロス氏の発 表で始まった。氏は鎌倉時代から室町時代 初期の舎利信仰、とくに「身体の舎利」へ の信仰がどのような機能を果たしたのかに 着目し、法華寺の尼僧と叡尊の関係を事例 に、中世ヨーロッパのFutra sacraを比較対 象にあげながら、僧侶の間で舎利の移動や 配布がおこなわれるなかで、舎利がそれを 管理する者の宗教的権威を保つために利用 されていたこと明らかにした。この発表に 対し、叡尊研究を舎利の観点からおこなう ことのオリジナリティや、また「ネットワ ーク」あるいは「関係」という視座からの 研究をおこなう意義を評価しながら、時系 列の整理が必要であるというアドヴァイス がなされた。

最後の発表者となったピーターセン氏は、

ドイツの宣教師雑誌ZMRの著者らが日本の 宗教について述べた内容を分析し、彼らの 当時の日本宗教についての理解がどのよう なものであったかを検討している。神学者 でもある著者らは、キリスト教神学の教義 や思想を基軸として、日本で主流であった 仏教をキリスト教と比較し共通点を見出す ことで、仏教を普遍的宗教であると結論付 けている。さらに氏は、日本の宗教学者は こうした宣教師たちの宗教理解に影響を受 けていることも指摘した。この発表に対し、

19世紀末頃の宣教師らが宗教思想の比較を

通して日本を理解していた点を評価したう えで、しかし「日本の仏教」を彼らが真に 理解していたかという疑問が残るというコ メントがなされた。

以上にみてきたように、6名の発表はそ れぞれが独自性に富んだテーマを持ち、ま たそのアプローチの方法も多岐にわたるこ とがお分かりいただけるであろう。フィー ルドワークやインタビュー調査といった社 会科学的手法を用いた実証的なアプローチ を採用する研究が今回多くみられたことも、

筆者にとっては驚きであった。筆者も海外 フィールドワークの経験があるが、現地の 公用語を母語としない者が現地の公用語を 使ってインタビューをおこなうということ は、インタビュアーの言語レベルにもよる が、インタビュイーの話す内容に臨機応変 な返答をおこなうことが難しかったり、細 かいニュアンスを伝えきれなかったりする という問題を常に抱えることになる。こう した問題を乗り越えながら、自身のもつ問 いを探求しようとする発表者の姿勢には感 服するばかりであった。こうした経験にも とづく日本宗教のリアリティを、海外の日 本宗教研究者が日本語でも外国語でも発信 していくことによって、日本宗教研究の国 際的かつ多角的な発展に寄与していること はすでにご承知の通りであるだろう。

さらに驚いたのが、コメンテーターであ る小林氏も言及されたが、今回の6名の発 表者のうち5名が女性研究者であることで あった。日本の大学で宗教関係科目を担当 する教員の女性比率はいまだ低いと言わざ るを得ない状況にあるなかで、積極的に日 本宗教を学び追究していく女性外国人研究 者の存在は、学界に大きな刺激をもたらす だろう。トランスナショナルな日本宗教研 究が、日本のアカデミズムのしがらみを超

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えジェンダー平等な社会でおこなわれてい ることに深い喜びをおぼえると同時に、国 内外の日本宗教研究者の互恵的な協働によ る発展的な研究体制が整うことを願ってや まない。

おそらくそうした学際的・国際的な日本 宗教研究への取り組みは、今回共催となっ た名古屋大学・人類文化遺産テクスト学研 究センター(CHT)を中心として今後積極 的に行われていくことになるだろう。現代 日本社会に巻き起こっている“文系不要論”

に対して、宗教研究界全体がどのようにそ

の価値を提示していけるのかという社会的 要請に応えることも喫緊の課題となってい る。今回のセミナーは、日本国内外の研究 者が集まり議論を交わすことによって、「宗 教研究をおこなう意義」といったものまで をも射程に入れたものであったと思う。今 後もこうしたセミナーを定期的に開催する ことで、日本宗教研究の深化と発展に寄与 できるものと考える。今回の6名の発表者 の健闘をたたえ、また今後の研究の発展を 祈りたい。

よこい・ももこ 南山宗教文化研究所研究員

(21)

れとも死後にも何らかの世界が続くと考え るかによって、死生観に違いが生じる。そ れは、結局のところ、人生の意味をどのよ うに捉えるのかの質的な違いと言ってよい だろう。

さて、このように死生観を大きく二つに 分類するとして、とりわけ後者の死後の世 界を前提とする死生観というのは、果たし てどれほどの根拠をもち得るであろうか。

近代以前は、死後の世界があるのは当た り前であった。ところが、物質主義に依拠 する近代科学の成立によって、肉体が消滅 するのに従って精神も消滅するのであり、

肉体を離れて精神のみが残るということを 実証することは不可能であると結論づけら れた。そのために、近代以降の世界観の主 流においては、死後の世界は、迷信の類と みなされ、せいぜい比喩表現の一つとし て語られるにとどまるものとなったのであ る。

この傾向は今日でもなお続いている。と りわけアカデミックな装いのある公共の場 においては、死後の世界の実在をまともに 論じようとすること自体ナンセンスであ る。研究者自身が死後の世界を確信してい るなどと発言すれば、正気でなくなったと みなされるかオカルトの類として嘲笑を浴 び、ひいては社会的な信用や地位を失いか

死後の世界を前提とする死生観について

坂井祐円

Sakai Yūen

はじめに

死後の世界は、死生観を構成する重要な 因子である。死後の世界を前提とするかし ないかで、死生観は二分される。言うなれ ば、これは死生観の分岐点である。

 死生観というのは、一般的には「死 を通して生をどう捉えるのか」、あるいは「

どのように生き、どのように死んでいくの か」を問題にする。死とは、言うまでもな く、肉体の死を意味しており、生命活動が 停止することを指す。したがって、死は、

個体の生の有限性を表している。生が有限 であるからこそ、人生の意味が問われてく る。ここに死生観の成立根拠がある、とひ とまず言うことができる。

ところが、死後の世界を想定するという ことは、肉体の死によって個体の生が終わ るのではなく、精神的な実在が何らかの世 界に移行し、なおも生き続けるということ を表している。このとき死生観もまた大き く変わってくる。それは「死の向こう側

(死後の世界)を見据えながら、この人生 をどう生きるのか」という生への問いかけ であり、つまりは、生を死後に至るまで拡 張すること(有限性の先延ばし)におい て、人生の意味を問うことを指している。

生は、死によって終わると考えるか、そ

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ねない。死後の世界を学問的な対象として 扱えるとすれば、宗教社会学の分野か、文 化人類学・民俗学の分野くらいではなかろ うか。つまりは、新興宗教の話題やスピリ チュアルなどの社会現象を扱う場合、ある いは民話、伝説、伝承、風習、民間信仰な どの歴史的文化遺産を扱う場合に限られる のである。

しかし、個人的なレベルで見れば、死後 の世界を信じている、さらに言えば、確信 しているといった人々が、実際には少なか らずいる。その中には、特定の宗教への信 仰からそのような考えに至ったという人も いれば、何らかの神秘体験に遭遇すること によって確信することができたという人も いる。いずれにせよ、その人々は、死後の 世界を前提にした死生観の持ち主というこ とになる。ここには、それなりの哲学なり 思想が背景にあるのであり、科学的な実証 が十分にできなくとも、何らかの体験的も しくは実感的な根拠性があるとも言えるだ ろう。しかも、彼らは、その根拠に基づい て自らの生き方や行動指針を決定し、それ によって人生を意味づけているのである。

本稿では、死後の世界を前提とする死生 観について、まずはその背景にある哲学や 思想をスケッチすることを試み、その上 で、いくつかの具体的な死生観を取り上げ て、それが人生の意味づけにどのように関 与するのかを考えてみたいと思う。

霊魂と肉体の二元論

近代の科学的世界観によってもはや一掃 されたかに見えるが、近代以前では当たり 前のように信じられていた世界観がある。

肉体と霊魂の二元論である。

肉体が死ぬと、霊魂が抜け出て、この世 とは離れた異界へと赴く。太古の昔からど

の地域にも見られる素朴な他界観念は、お よそ肉体と霊魂の二元論に基づいている。

そして、この世界観が、哲学的に昇華され ると、プラトンが『パイドン』において主 題化した霊魂不滅説や、デカルトが『情念 論』などで展開した心身二元論になる。

心身二元論は、今日では、脳と意識の関 係の問題として、意識のハード・プロブレ ムという哲学課題に受け継がれている1。こ れは要するに、神経細胞(ニューロン)と 神経伝達物質からなる電気化学的回路の集 積体である物質としての脳から、なぜ主観 的な意識体験(現象的意識)が生じてくる のか、という問題である。ちなみに、この 主観的な意識体験の核心は、クオリア2と呼 ばれている。

クオリアとは、ごく簡単に言えば、実感 のことである。例えば、美しいメロディを 聞いたときに心が癒される、といった場面 を考えてみよう。そのメロディのもつどの ような音程や波長が聴覚に刺激を与え、脳 のどの部位を刺激し、どのような神経細胞 1. 意識のハード・プロブレムを主題的に取り上げたの は、オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズであ る。彼が最初に発表したのは1994年の意識についての 国際会議であるツーソン会議(アリゾナ大学主催)にお いてで、「哲学的ゾンビ」の比喩を用いて説明した。こ れは次の著書にまとめられている。David John Chalmers, The Conscious Mind: In Search of a Fundamental Theory (Oxford University Press, 1996)(邦訳:林一訳『意識す る心――脳と精神の根本理論を求めて』白揚社、2001

年)。

2. クオリアという言葉を最初に用いたのは、アメリカの哲 学者クラレンス・アーヴィング・ルイスで、1929年の著書 の中である。その後、ルイスの弟子ネルソン・グットマンに よってこの言葉が広められ、1974年のトマス・ネーゲル「コ ウモリであるとはどのようなことか」という主観性に関する 論文や、1982年のフランク・ジャクソンによる「マリーの部屋」

という思考実験などによって、物理的現象にクオリアは還 元できないのではないか、という主張がなされた。

参照

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報告日付: 2017年 11月 6日 事業ID:

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