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坂出市与島のヒキガエル個体群の年変化(1979~1988)-香川大学学術情報リポジトリ

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香川生物(Kagawa Seibutsu)(15・16):75−80,1989

坂出市与島のヒキガエル個体群の年変化(1979∼1988)

植 松 辰 夫

〒760 高松市幸町1−1 香川大学教育学部生物学教室

AnnualPopulation Transition of theJapanease Toad,

Bzdb jqponicus,in the YoshimaIsland,Sakaide

TatsumiUEMATSU,βわgogわα∼ エαわorαとOrツ,釣肌車γ可β血cα鳥0花, &曙αぴαU花iuer叫γ,7bゐαmαと5昆ア60,Jqpα乃 等の調査を担当し報告された多度津中学校川田 英則教頭,香川大学教育学部金子之史教授,高 松市二番丁小学校篠原望教諭および調査を援助 された多くの方々に対し,心から感謝申しあげ る。 調査地と調査方法 調査地ほ,坂出苗与島(周囲約4km,面酷約 12k頗)の中央部を南北に流れる河川状の水田 潅漑用に掘られた溜泡(長さ約200m,巾2∼ 7m,水深30∼50cm,地底に堆積した泥土の深 さ30∼60cmのこの池をここでは中央池とよぶ) とその周辺および南部住宅地(A穴部地区,B 小学校・浦城地区)である(図1)。 調査は,早春と晩夏の年2回行った。早春(2 月末∼3月初)の繁殖個体群は,中央池で4名 の調査者が観察記録した。晩夏(8,9月)の採 餌個体群は,南部住宅地および中央池とその周 辺に設けた観察ルートに沿って2∼4名が調査 した。 1979年8月から1981年3月にかけての基礎調 査の後,1981年9月から1988年3月にかけて夏 期(8,9月)と翌年の早春(2,3月)の観察を 隔年でこれまでに4回実施した。観察ほいずれ も夜間(17:00∼23:00)に行い,必要に応じて 昼間の補足調査も行った。 調査地域の環境や調査日時と方法ほ,これま での報告に詳しいので,ここでは大要の記載に とどめた。 は じ め に 本州四国連絡橋Dル・−トの瀬戸大橋架橋工事 は,1978年10月に開始された。.工事ほ予定通り に進捗し,約10年を経た1988年4月10日に.,T R瀬戸大橋線と瀬戸中央自動車道の併用橋とし て開通し,供用されている。 架橋工事を開始するにあたって,この大規模 な工事が,ル・−ト沿いの自然環境に及ぼす影響 を調査する目的で,モニタリング調査を1981年 より隔年で実施しその結果が報質されている。 この調査の叫環として,著名等ほ,与島のヒ キガコニ/レをモニタリング対象動物としてとりあ げ,その個体数変化を追跡し,すでに4回の報 告を行った(川田・植松・金子1982;植松・ 金子・川田 1984;植松・金子・川田・篠原 1986;植松・川田・篠原 1988)。 なお,与島のヒキガェルに関する調査ほ,モ ニタリング調査開始前に,基礎調査として1979 年から1981年にかけて4回実施された(川田 1980,1981;植松1980)。 これ等の調査報告の中で,最も新しい1988年 の報告では,1987年8,9月および1988年2月末 に行った観察調査において,ヒキガェルが全く 記録されなかったことを報じている(植松・川 田・篠原1988)。 本報では,この10年間の与島におけるヒキガ エルの個体数変化について,これまでの記録を 纏め若干の考察を加えて報告する。 この小論は,上記のようにこれまでに蓄積さ れた報告に基づいて草されたものであり,これ

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図1調査ル・−トと採集観察地点略図(植松・金子・川田・篠原1986より). 左下囲(1983年夏第Ⅶ回モニタリング調査)

1:よしま屋, 2:三辻, 3:中央泡, 丸:ヒキガェル,

黒丸・線(A):穴部ルーート 32個体, 白丸・破線(B):小学校・ 浦妖ルート 31個体. 右上図(1985年夏第Ⅱ回モニタリング調査) A:穴部ル・−ト, B:小学校・浦城ル・−ト, 数字:地点番号,

Bl,B2,B4の黒丸は順に6,3,3個体, 他は1個体.

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調査年月 体 長(cm) 図2 与島におけるヒキガェルの個体数変化(1979∼1988). (り∼(Ⅰり:第l∼Ⅳ回モニタリング調査,雌:内数, 拶日):卵塊と観察個体から推定した繁殖参加個体数, 星印:ヒキガェル未記録, 黒星:現地調査結果, 白星:聞込・情報の結果, 黒丸白抜き星印:夏の現 地調査で初めての末記録,年令0(ノヤー:奥野(1984) をもとに推定した体長の範囲, 太線矢印より右下り で,86−3に至る曲線:同一年生れの推定成長曲線.

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れる他の水面約64mの範囲を8区分し,携帯用 探照灯を照射して,採集できないで池内に残っ ているカエルを,1個体づつ2名が互に確認し あい乍ら数えた。カエルの眼球の反射光点で確 認ほ容易であった。 250個体が確認され,8区の中央部で最も多 く,両端では認められなかった。区画の長さは 北端の約15mを除いて6∼8mであったが,個 体数は北から順に,0,2,8,60,96,73,11,0 であった。採集個体とあわせて353個体が記録 されたことになる。 第Ⅶ回 (植松・金子・川田1984) 1983年8月27日19:00(ゼ1:30,22:0…3:00 この日の調査ルートや結果ほ,図1に示され ている。 第1回:穴部ル−・ト仏);32個体,小学校・滞 城ルート恥31個体,合計63個体を採集し,体長, 体重を計り標識してその場に放した。 第2回:小雨が降った.後の調査で,目測に.よ る体長と標識(第1回調査)の南無を確認した。 穴部ル・−・ト63個体中7個体ほ再捕されたもの であった。小学校・滑城ル−トのそれは,49個 体中1個体であった(2回の訂167個体確認)。 合計112個体中に8個体の再捕個体を含むこ とから,両地区の推定生息数は,500∼900個体 であると考えた。 1984年3月1,10日19:00∼19:30 中央池および周辺その他で,カエルほ観察さ れないし,産卵活動の形跡は全く認められなか った。 第m回(植松・金子・川田・篠原1986) 1985年8月17,26,27日,9日21日19:30∼ 22:40 16個体を観察し,体長96∼130cm,体重 72∼240gを計測した。この調査でほ,別の 臼に同一個体が記録されている可能性が残る。 1986年3月5,8日 17:00∼20:40 中央池その他で,カエルは認められない。産 卵活動の痕跡も情報もない。 第1V回 (植松・川田・篠原1988) 1987年8月21′戎3日,9月26日17:00−21:00 観察されない。聞き込みでも生息ほ否定的で 調査結果の概要 観察記録されたヒキガエルの経年変化ほ,体 長別(1/5cm毎)個体数のヒストグラムで,調 査年月日順に纏めて図2に示した。 以下でほ,基本論査と1モニタリング調査につい いて,調査日順に結果の概略を述べる。 基本調査 1979年8月10日(川田,1980) 採集された11個体(雄4,雌7)は,頭胴長 から耳腺間の距離まで29項目の各種部位が計測

記録され標本(KSMOOlO∼0020)として川田

が保管している。 1980年2月25日にほ,聞込み情報として,毎 年3月上旬に大量の卵塊が中央池でみられ,約 200個体のカエルが集まることが明らかにされ た。

1980年3月5日18:00(川田1981)

産卵個体群を観察し,写真撮影も行った。個 体数ほ.,卵塊や配偶行動個体などから300∼400 個体と推定された。 1981年3月8日 9:00∼10:00(川田・植松・ 金子1982) 中央池で,昼間に雄14,雌4,計18個体を採 集し体長を測定した後標識して放した。 モニタリング調査

第1回 (川田・植松・金子1982)

1981年9月20日 21:15∼21:30 与島小学校運動場北端の照明灯下や歩道で, 50個体を採集し,体長と体重を測定し標本(KS M・ARO183∼0232)とした(体長31∼120mm)。

1982年2月27日17:35∼21:18

中央池で,2月20日と26日に繁殖活動を確認 し,27日に繁殖個体群を調査した。 他に接する水浸しの畑と池とで,103個体 (妹97,雌6)一を採集し,体長と体重を計測し 標識して調査終了時に放した。 採集個体を,池17:35∼18:30の31個体,池 20:40∼21:18の36個体および畑19:35∼20: 00の36個体に区別して体重を比較した結果は, 池31個体が他の2群より有意に大きい値を示 した。 採集計測等の作業終了後に,カエルの認めら

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年)には全く認められなくなる。 このことで,与島のヒキガェル個体群が絶激 したとほ,直ちに断定することができない。し かし,中央他の繁殖集団が消失したことによっ て,この他からの新しい個体の加入がなくなっ たのほ事実である。 この事突から与島のヒキガェルは,生息して いるとしてもその数が極めて少ないことほ明ら かである。 以上のような結果から個体数変化を要約する と以下のようになる。与島中失地で産卵して−い たヒキガェル個体群は,1983年から新しい個体 の産出を停止した。この年からほ,1982年生ま れのカエルが最若令個体となった。高年令個体 の死によって年々個体数を減じ,1987年には観 察できない程度の数に減少もしくほ消失した。 1982年生れのカエルほ,1987年にほ5才に なっている。奥野(1986)は,雌8才雄10才を 記録しているので,加令による自然死だけなら, 与島にはもっと残っていてもよい。 なお,中央池での産卵停止の原因ほ明らかで ない。しかし,架橋にともなって進行したアン カレッジAlや高架橋・駐車場など大規模な建 設工事や,畑地や原野の焼払い,島内生活路や 排水路の新営や改修,田畑の放棄とそれに附随 する中央他の管理中止による荒廃など,自然の 急激で大きな改変と生活域の都市化が原因であ ることほ疑のないことである。 ヒキガ・コニルは,狭い水域で産卵発生できるの で,開発されていない島東部のどこかで生存し 続けている可能性が残されていることに,かす かな期待をかけたい。 要 約 瀬戸大橋の通過する坂出市与島ほ,備讃瀬戸 のはぼ中央に位置し,面積約1.2k鰯の島である。 この島の中央部を南北に連なる河川状の潅漑用 溜池(2∼7×200m)ほ,ヒキガェルの産卵場 所であった。この中央池におけるヒキガエルの 初春(2月末∼3月初め)の繁殖個体群と,島 中央部低地(中央他の周辺)および島南東部の 住宅地(穴部地区・小学校・浦城地区)におけ あり,夏に確認できなかったのほ初めでである。 1988年2月28,29日10:50∼11:40,18:50∼ 20:00 観察されなかった。与島中学校の全生徒(14 名)に,前年8月より記録報告を依醸してあっ たが観察例ほ1件もなかった。 結果のまとめと考察 1879年8月から1988年3月の9年間に亘る調 査結果を,採描して体長・体重を計測した個体 について纏めたのが図2である。 1982年2月27日の第l回春の池調査で確認さ れた353個体(図2には示されていない未採補 250個体を含む)および,1983年8月27日の第 Ⅶ回夏の調査で,標識個体の再描から推定した 500∼900個体をピ・−・クとし,第【Ⅴ回(1987年 8月)調査では夏にも観察されなくなった。な お,上記第Ⅷ回夏の標識個体の再描調査でほ, 112個体を確認し,夏の確認数の最大値を示し たが,図2にほ体長が目測であったため表示し ていない(標識個体63個体から再描個体8を除 いた55個体を加えると112+55=167個体が確 認されたこ.とになる)。 春の繁殖集団の産卵が,中央池で確認された のほ,1980,1981,1982年の3回であった。1983 年以降は,産卵の事実を示す報告や形跡も全く 認められない。すなわち,1982年が最後の産卵 であった可能性が高い。これほ,夏の調査にお ける個体数や体長組成の変化からも支持される。 次に.夏の個体数変化を検討してみる。 与島における個体数の経年変化を検討するた め,ヒキガユ・ルの体長による成長曲線と年令の 関係図(奥野1984)から,与島の調査結果を 考慮して体長の年金区分を行った(図2)。 この区分は,採描個体の体長分布の経年変化 とも比較的よく対応しており,次のように結果 を読みとることができる。 夏の調査時における年令組成は,第1回モニ タリング調査の1981年には,0才や1才の個体 が記録されたが,第l回(1983年)にほ,0才 が欠落し,1才以上の個体となる。第Ⅲ回(1985 年)には,2才以下の調体が消え,第lV回(1987

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る夏(8,9月)の採餌個体群を調査してきた。 1979年8月から1988年3月までの隔年調査の 結果ほ次の通りである。 1)春(2月末∼3月初め)の中央他におけ る繁殖活動ほ,1982年2月27日の253個体(103 個体ほ採描し体長,体重を測定し,個査終了後 放した)を記録した。翌年からほ,観察記録さ れていない。 2)夏(8∼9月)の島南部住宅地および中 央鞄とその周辺における夜間調査の結果は,1983 年8月27日に記録した167個体中にほ0才個体 が欠険し,1985年8,9月にほ,観察された16 個体中に2才以下のカエルが観察できなかった。 さらに,1987年8,9月にはヒキガエルが全く記 録されなかった。 3)体長を測定した個体の,体長別個体数の ヒストグラムから画かれた成長曲線は,以上の 結果と・一・致している。 4)池における繁殖活動および住宅地に.おけ るヒキガェルの観察記銀の消失の直接の原因ほ 不明であるが,架橋工事に附随した与島の自然 の大規模な改変と,生活域の都市化に,その原 因があることは疑え.ないことである。 5)開発の進んでいない島東部の山林地域に 生残している可能性に期待したい。 文 献 川田英則.1980.楷石島および与島周辺地域に おける淡水魚,両生類および爬虫類について. 晦和54年皮一・般国道30号(香川県側)自然環 境調査報告書:47−60 .1981..聖通寺山・角山周辺の両生・ 爬虫類および与島のヒキガエル.昭和55年慶 一・般国道30号(香川県側)自然環境調査報告 書:39−46 ・植松辰美・金子之史.1982与島に おけるヒキガェル剛繁殖期における個体数 の調査を中心にして−.昭和56年度Dルーー ト自然環境モニタリング調査報告書:195− 204 奥野良之助.1984ニホンヒキガェル㈲ 両町ぬ路力卵液購の自然誌的研究Ⅳ.変 態後の成長と性成熟年令.日生態会誌 34: 445−455 1986同上.Ⅶ.生息場所集団の 年令構成と個体数変動.日生態会誌 36: 153−161. 植松辰莫.1980.与島および植石島における陸 上動物調査結果の概要..昭和54年慶一・般国道 30号(香川県側)自然環境調査報告書,3−5。. 1984.与島に おけるヒキガユノ亘2)夏期の個体数調査.昭和 58年度D′レート自然環境モニタリング調査報 告書:217−224 叫・∴・∵ ・篠原望.1986 与島のヒキガユノ巧3)1985年夏期の個体数調 査.昭和60年度Dルー・ト自然環境モニタリン グ調査報告書:275−284 ∵・ 川田英則・篠原 望.1988同上(4) 1987年度の調査.昭和62年度Dルート自然環 境モニタリング調査報告書:263−269

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