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資料紹介・京都女子大学図書館所蔵 東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題Ⅰ: 付. 平安後期写『梵本真言集』影印

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  東寺宝菩提院三密蔵所蔵 の 聖教 は、 「 近年多 く 流出 し、 現状 の 確認 が 困難 なこ と は 惜 しま れ る」 ( 『 日本古典書誌学辞典 』 「 教王護国寺 」 条 、 岩波書店 、 平 11)と いう 状態 にある 。その 流出 した 三密蔵聖教 の 一部 が、 京都女子大学図書館 に 所 蔵 さ れ て いる。   今 まで に 四度 、そ れらのう ち の 何点 かを まと めて 、 学内 の 建学記念館 ・ 錦華殿 あるいは 図書館分館 におい て 展示 し、 次 のような 目録 を 作成 して き た 。   A『 仏教文学関係図書特別展観目録稿 』 ( 平 9、 全 45頁 )   B『 京都女子大学図書館所蔵 悉曇 ・ 声明関係典籍特別展観 ― 東寺宝菩提院旧蔵書 を 中心 に ―』 ( 平 17、 全 25頁 )   C『 京都女子大学図書館所蔵 東寺宝菩提院三密蔵聖教 』 ( 平 18、 全 26頁 )   D『 東寺宝菩提院旧蔵 平安末鎌倉期悉曇 ・ 声明関係典籍 』 ( 平 27、 全 10頁 ) 女子大國 お   第百五十九号   平成二十八年九月三十日

︹資料紹介︺京都女子大学図書館所蔵

  

東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群

略解題

平安後期写

梵本真言集

影印

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あるいは 、 これら 展示 を 承 けつつ 、 い ず れも 錦華殿 を 会場 とす る 稿者 の 担当 した 図書館資料特別展観 など におい て も 計四度 、そ れぞれ 一 ~ 十数点 を 選択 し 展示 、 以下 の 図録 に 一部 の 影印 を 付 して 甚 だ 拙 い 解説 を 掲載 し て おいた。   a『 日本古書籍 100百大集合 』 ( 平 22、 全 57頁 )   b『 方丈記八百年記念 長明 と 清盛 ― ゆく 川 、 海 へ ―』 ( 平 24、 全 40頁 )   c『 恋 する 平安京 』 ( 平 26、 全 37頁 )   d『 琳派四百年記念 絵 ッ !?ふじの ち ゃ ん の 自分発見物語 』 ( 平 27、 全 20頁 )   これらのう ち BあるいはCの 展示 を 準備 する 過程 で、 京都女子大学図書館 が 所蔵 する 三密蔵聖教 の 全体像 が 見 えて きて 、そ れらが 計二十七点 に 及 ぶこ と が 判明 した。そ れで 、その ことを 次 の 拙稿 の 中 で 報告 し て おいた。   Ⅰ 「 京都女子大学図書館所蔵東寺宝菩提院三密蔵聖教略目録稿 ― 第九回大会時図書展観 の 報告 を 兼 ねて ― 」     ( 『 日本宗教文化史研究 』 10―2、 平 18) 右 より 先 には また 、 二十七点 のう ち 連歌懐紙 を 紙背 とす る 一点 ( 後掲⑩ )を 特 に 取 り 上 げ 、その 連歌懐紙 とそ こか ら 浮 かび 上 がる 東寺 での 月次連歌会 につい て 、 左記拙稿 にて 検討 を 加 えもした。   Ⅱ 「 文明十七 、 八年 の 東寺 における 月次連歌会 ― 京都女子大学図書館所蔵 『 涅槃講式 』の 紙背 から ―」     ( 『 女子大国文 』 123、 平 10)   しかしながら 、A~D ・a~dにおい て は 同 じ 聖教 を 繰 り 返 し 取 り 上 げ て いるの で 、 二十七点 のう ち 九点 につい て はなおほ と ん ど 全 く 未検討 で ある 。また 、A~Dは 、ワープロ 原稿 を 学内 で 印刷 しホッチキス ど めしただけの 、 言 わ ばその 場限 りの 簡易 な 小冊子 で、 京都女子大学図書館 にさえ 配架 されて おら ず 、 全 く 公刊 されて い な い のも 同然 のも の で ある 。a~dも 、 広 く 研究者 の 目 に 触 れる とい う も の では な い う え 、 紙数 の 制限 など のためにごく 簡略 な 紹介 に

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 止 まっ て いる 。 Ⅰ は、 全二十七点 のリ ストを 掲 げ 総括的 に 記述 して は い る が 、 学会大会 の 報告 と 合 わせ て 全五頁 とい う 小編 であ っ て、 や は り 充分 に 説 き 尽 くせて い ると は 言 い 難 いし、また、いくつか 誤謬 を 犯 し て もいる。   つまりは 、 無責任 にも 手 をつ けた だ け で 極 めて 中途半端 な 形 のまま 放置 して い る 、と い う 状態 にある 。そうした 現 状 を 承 けて 、 右 の 種々拙稿 を 整理 しつつ 集成 し、 また、 必要 に 応 じて 大小様々 な 修補 を 加 え、 さ らに は 新 たに 検討 して 、 全点 につい て の 解題 を 作成 し 公 にし て お き たい と 思 う。 流出 した 三密蔵聖教 のう ち のご く 一部 とは 言 え、 国文学 や 国 語学 の 分野 に 関 わる 貴重 なものも 少 なく なく、 そ れらの 解題 を 整備 し 公刊 し て おく こと には、 一定 の 意味 もある だ ろう。 ただ、 非才 であ り 門外漢 で あるため 、 全点 に 亘 って 充分 な 解題 を 提示 する ことは 到底 で き そう にな い。 「 略解題 」と 題 した 所以 で ある。 専門諸賢 による 精査 のための 下準備 にで も な れ ば 幸 い で ある。   さて 、 京都女子大学図書館 が 所蔵 する 三密蔵聖教 は、 次 の 二十七点 であ る と 認 められ る 。 請求記号 の 順 に 列挙 する 。 書名 の 下 の(    ) 内 は 順 に、 請求記号 、 書冊 ごと に 付 され た 貴重書番号 、 同 じく 書冊 ごと の 受入番号 、 受入印 に 記 入 され た 受入年月日 で ある 。また 、 先 の 目録 (A~D) ・ 図録 (a~d)に 取 り 上 げたものについ て は 、 どれ に 取 り 上 げたのか を 、 末尾 の* 以下 に 記号 を 掲 げて 示 した。   ① 仏母大孔雀明王経 巻中 ( KN183.7B97 108 117986 42/6/26)   巻子装一軸   ② 仏説八名普密陀羅尼経 ( KN183.7H11 109 117984 42/6/24 )   巻子装一軸   ③ 仏説一切如来金剛寿命陀羅尼経 ( KN183.7Ko74 110 117976 42/6/26 )   巻子装一軸   *Aa   ④ 誦経導師作法 ( KN186.1J92 111 117975 42/6/26 )   巻子装一軸   ⑤ 金界 下 ( KN186.1Ki46 112 117964 42/6/24 )   粘葉装一帖   *Cad

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  ⑥ 妙抄口伝 中 ・ 下巻 ( KN186.1My 113 ・ 114 117961 ・ 117962 42/6/24 )   桝形粘葉装二帖   *a   ⑦ 三五要集 ( KN186.1Sa63 115 117985 42/6/26 )   巻子装一軸   ⑧ 真言法用巻 ( KN186.1Sh62 116 117982 42/6/26 )   巻子装一軸   ⑨ 阿娑縛抄目録 并 序 ( KN186.1Sh95 117 117972 42/6/26 )   巻子装一軸   ⑩ 涅槃講式 ( KN186.2Ko13 118 117971 42/6/26 )   巻子装一軸   *Aa   ⑪ 舎利講式 ( KN186.2Sh13 119 117979 42/6/26 )   巻子装一軸   *A   ⑫ 表白集 第一 ・ 四 ・ 六 ( KN186.3H99 133 ~ 135 117957 ~ 117959 42/6/24 )   横綴三冊   *Ca   ⑬ 法則集 ( KN186.5H95 136 117956 42/6/24 )   粘葉装一帖   *ABCDa   ⑭ 法則集 中 ・ 下巻 ( KN186.5H95 120 ・ 121 117977 ・ 117978 42/6/26 )   巻子装二軸   *ABC   ⑮ 法則集 上 ・ 中 ・ 下巻 ( KN186.5H95 122 ~ 124 117987 ~ 117989 42/6/26 )   巻子装三軸   ⑯ 声決書 ( KN186.5J51 125 117963 42/6/24 )   列帖装一帖   *ABCa   ⑰ 伽陀集 秘伝 ( KN186.5Ka13 126 117983 42/6/26 )   巻子装一軸   *ABCDa   ⑱ 声明血脈撰 ( KN186.5Sh96 127 117980 42/6/26 )   巻子装一軸   *ABa   ⑲ 声明集 雑々 ( KN186.5Sh96 128 117981 42/6/26 )   巻子装一軸   *ABCDa   ⑳ 御遺告 ( KN188.52Ku27 137 117990 42/6/26 )   巻子装一軸   *C   三教指帰 中 ・ 下巻 ( KN188.53Ku27 129 ・ 130 117969 ・ 117970 42/6/24 )   折本二帖   *ACac   密宗肝要 ( KN188.56Mi56 131 ・ 132 117967 ・ 117968 42/6/24 )   仮綴二帖   梵本真言集 ( KN829.89B64 143 118619 42/8/18 )   桝形粘葉装一帖   *ABCDa

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ   梵字形音義 巻二 ( KN829.89My 138 117960 42/6/24 )   桝形粘葉装一帖   *ABCDabc   梵字形音義 巻三 ・ 四 ( KN829.89My 139 ・ 140 117973 ・ 117974 42/6/26 )   巻子装二軸   *ABC   悉曇綱要抄 ( KN829.89R12 141 117965 42/6/24 )   袋綴一冊   *ABa   悉曇極位 ( KN829.89Sh92 142 117966 42/6/24 )   仮綴一帖   これら 二十七点 は、 の 一帖 を 除 いて い ず れ も 、 昭和四十二年六月二十四日付 または 同年六月二十六日付 で 受 け 入 れられ て おり 、 受入番号 も 一一七九五六号 から 一一七九九 〇 号 まで で 連続 して い る 。 た だ、 だけは 昭和四十二年八 月十八日付受入 で、 受入番号 も 他 とは 連続 しな い 一一八六一九号 となっ て いる 。しかし 、 貴重書番号 の 方 は、 も 含 めて 一 〇 八号 から 一四三号 まで 完全 に 連続 して い る ( 最後 の 一四三号 が ) 。 さ ら に 、 昭和四十二年時 の 図書館 の 受入 台帳 「 貴重書台帳 」を 繙 くに 、 右 の 二十七点 が 連続 して 列挙 され (や は り 最後 が ) 、 い ず れ も あ る 同一書店 より 購入 さ れ て い る 。 これらの こ とがまず 、 当該二十七点 が 何 らかの 意味 で 一括 され るべき 一連 の 聖教群 であ る 可能性 の 高 い ことを 示唆 して い よ う 。   そこ で、 次 に 注目 され る の は 、 先 の 二十七点 の 中 に 東寺宝菩提院三密蔵旧蔵書 であ る こ と を 何 らかの 形 で 窺 わせる もの が 多 く 存 す る ことで ある。   まず 、 ⑬⑰⑲ には 、 東寺宝菩提院 の 所蔵印 が 見 られ る 。 ⑬ の 末尾部 および ⑰⑲ の 巻頭部 には 陽刻朱正方印 「 東寺 宝 / 菩提院 」 ( 縦六 ・ 二 × 横六 ・ 二糎   図 1 参照 ) 、 の 各巻内題下 および 巻中末尾部 には 陰刻朱長方印 「 東寺宝菩提院 」 ( 縦 九 ・ 三 × 横一 ・ 九糎   図 2 参照 ) 。 の 場合 、 各帖前表紙右上 に「 宝菩提院 」と 墨書 さ れ て も いる。   また 、 梵字貴重資料刊行会 『 梵字貴重資料集成 』 図版篇 ( 東京美術 、 昭 55)が 、 同解説篇 の 著録 する 「 梵本真言集   一帖   京都 ・ 東 〇 寺 〇 三 〇 密 〇 蔵 〇 」 ( 189頁 )の 写真二葉 を 掲載 する が ( 240頁 ) 、 そ れ は 紛 れもなく 梵本真言集 の 冒頭部 に 他

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ならない ( 図 3 ・ 4 ) 。 解説篇 が 記録 する 東寺三密蔵 『 梵本真言集 』の 料紙 ・ 装丁 ・ 内題 ・ 奥書 など につい て の 情報 も すべ て 、 と 合致 する ( 後出略解題参照 ) 。 所蔵印 など は 見 られ な い が 、 も 東寺三密蔵旧蔵書 で あるに 違 いな い 。 なお 、 右 の 解説篇 が 法量 につい て「 不詳 」と 記 し て いるのは、 『 梵字貴重資料集成 』が 刊行 され た 昭和五十五年 よりも 十年以上前 に、 梵本真言集 が 東寺宝菩提院 から 離 れ 京都女子大学図書館 に 受 け 入 れられて い て ( 先 に 示 した 通 り 昭 和四十二年八月十八日付受入 ) 、 直接調査 し 得 なかった と い う 事情 によるものなの で あ ろうか。   『 梵字貴重資料集成 』は また、 「 梵字形音義   四帖   京都 ・ 東 〇 寺 〇 三 〇 密 〇 蔵 〇 」 ( 解説篇 180頁 )のう ち 最終帖 の 末尾部 の 写真 二葉 を 掲 げる が ( 図版篇 200頁 ) 、 そ の 筆跡 のほか 毎半葉七行 とい う 行数 や 一行十字前後 の 字詰 のあり 方 など、 梵字形 音義 巻二 とほ ぼ 合致 し て いる ( 図 5 ・ 6 ) 。 『 梵字貴重資料集成 』 に は 装丁 や 法量 につい て の 情報 が 提示 されて い な い が 、 馬渕和夫氏編 『 影印 注解 悉曇学書選集 』 第二巻 ( 勉誠社 、 昭 63)に 東寺観智院金剛蔵建長二年写本 『 梵字形音義 』の 影印 が 掲 げられ 校合本 の 一 つと して『 梵字貴重資料集成 』 所載 の 上記三密蔵本 が 用 いられて い て 、その 解題 に 三密蔵本 につ いて 「 粘葉 」 で あり 「 紙髙十八 ・ 一 センチ   紙幅十六 センチ」 で あ る ことが 示 さ れ て いる。そ れらも と 合致 する 。 は、 この 東寺三密蔵本全四帖 のう ち の 第二帖 ・ 巻二 と 見 て よいの ではない だろうか 。 な お 、 上記馬渕編著 が 三密藏本 のう ち 巻三 ・ 巻四 のみ を 校合 に 用 いて いて 巻二 を 用 いな いのは 、 それ がすで に 流出 して 京都女子大学 に 所蔵 さ れ て いたた めか と 推量 され る ( 馬渕編著 に「 粘葉二帖 」 と あるの で 、 巻二 とともに 巻一 もすで に 流出 し て いたのか と 見 られ る) 。   さら に 『 梵字貴重資料集成 』 が 「 梵字形音義 第三   一巻   京都 ・ 東 〇 寺 〇 三 〇 密 〇 蔵 〇 」 ( 解説篇 203頁 ) の 写真四葉 を 掲載 する が ( 図 版篇 312・ 313頁 ) 、 そ れ も 確 かに 、 梵字形音義 巻三 ・ 四 であ る ( 図 7 ・ 8) 。 同書解説篇 が 載 せる 奥書 も にそのまま 見 える 。 高楠順次郎 『 悉曇撰書目録 』 ( 大日本仏教全書 )も、 「 梵字形音義   三四   明覚著   二軸   東 〇 寺 〇 三 〇 密 〇 蔵 〇 蔵 」と して 右 の 奥 書 を 掲 げる。 も 東寺三密蔵旧蔵書 で あるに 違 いな い。とこ ろで 、『 梵字貴重資料集成 』 は 、 右引通 り 「 第三 」 のみの 「 一

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 巻 」と す る から 、 巻三 の 一巻 だけについ て 調査 した と い う こ となの で あろうか 。 巻四末 に 見 える 奥書 を 掲載 する の は 、 直接 の 調査結果 で は な い の だ ろ う か。 ま た、 解説篇 が「 一頁六行   一行十二字 」と す る のは 、 図版篇 に 掲載 の 写真 と 明 らかに 食 い 違 っ て おり、 不審 。   あるいは 、 三密蔵聖教流出以前 の 櫛田良洪氏 『 真言密教成立過程 の 研究 』 ( 山喜房仏書林 、 昭 39)は 、 「 東寺宝菩提 院三密蔵一一五函 の 中 に 声決書一巻 がある」 と し て 、 そ れ が 「 文明十二年三月晦日書之   舜尭房 」と いう 奥書 を 有 す る「 文明十二年 の 古写本 であ り 完本 で ある」 と 述 べる が ( 441頁 ) 、 ⑯声決書 が 上記 と まさに 同 じ 奥書 を 持 った 完本 なの であ っ て ( た だ し 、 「 文明十二年 」の 下 に 干支 「 庚 子 」が 入 って い る ) 、 同書 が 櫛田前掲書 に 記述 され た 三密蔵本 そのもの に 他 なるまい 。また 、 『 仏書解説大辞典 』 第三巻 に「 金界   一冊   存  鎌倉時代写   宝菩提院 」と 著録 さ れ て いるのも まさに、 下帖 のみ 存 する 粘葉装一帖 の ⑤金界 下 であ る と 見 られ る。 ⑤ も 宝菩提院三密蔵旧蔵書 とい う こ とに なる 。   さら に、 ③⑭⑮⑳ に    ③ 延享五辰年三月 、 加修覆訖 。   僧正承照    ⑭ 延享五戊辰年孟夏中浣 、 修復之訖 。   僧正承照    ⑮ 此三巻 、 延享四丁卯歳仲冬下旬 、 加修復訖 。   僧正承照    ⑳ 寛延四辛未年六月上浣 、 以故真源権僧正本校合加奥書訖 。   僧正承照    国師大僧正亮恵真跡也 。 宝暦二年二月 、 加修復了 。   僧正承照 と、 「 僧正承照 」による 修復 あるいは 校合 した 旨 の 奥書 が 見 える 点 、 注意 され る 。 延享四年 ( 一七四七 )~ 宝暦二年 ( 一七五二 )のもの で ある。 右 の 承照 は、 『 密教大辞典 』 ( 増訂版 、 法蔵館 )が 「 東 ○ 寺 ○ 宝 ○ 菩 ○ 提 ○ 院 ○ 第一一世 。 初 の 名 は 亮忠 、 中御門亜相資煕卿 の 末子 なり 。 金蓮院 に 住 し、 学頭 に 補 し 僧正 に 任 じ、 知法抜群 の 名 あり 、 寿及 び 寂年 を 欠 く 」 ( 「 中

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御門亜相資煕卿 」は 一六三五 ~ 一七 〇 七 )と 記 す 人物 かと 見 られ る 。 とすれ ば 、 右 の 五点 も 東寺宝菩提院三密蔵旧蔵 書 で あ ると いうこ と になろう 。   とこ ろで 、 昭和三十六年 に 撮影 され た、 「 東寺宝菩提院資料 」と 題 さ れ るマイ ク ロフィルム 四百余巻 が、 大正大学附 属図書館 に 所蔵 されて い る 。 同大学 の「 元学長 であ る 故櫛田良洪博士 が 中心 となり 、 昭和 30年代中頃 から 京都 の 東寺 宝菩提院 に 現存 して い た 資料調査 」が 行 われた 際 に 撮影 され たも ので あ る ( 小此木輝之氏 「 東寺宝菩提院資料 の 資料 と 研究 」 〈 『 大正大学研究紀要 』 86、 平 13〉 。 平成十八年 に 同 マイ ク ロフィルム を 部分的 に 閲覧 させて 頂 く 機会 を 得 たが 、 その 結果 、 先 の 二十七点 のう ち 少 なく とも ④⑥⑧⑪⑫⑬⑯⑰⑱⑲ につい て は 、 同 マイ ク ロフィルムに 収録 さ れて いる こ と を 確認 した 。そ れらの 中 の ⑬⑯⑰⑲ は、 先 に 何 らかの 形 で 三密蔵旧蔵書 であ る こ と が 窺 われた も の で あ るが 、その 点 また 一層明 らかに 確認 できた こ とに なるし 、 残 りの ④⑥⑧⑪⑫⑱ につい て は 、 新 たに 三密蔵旧 蔵書 であ る こ と が 明 らか となった こと になる 。 また 、 「 僧正承照 」による 修復 ・ 校合奥書 の 見 える ことが 三密蔵旧蔵書 であ る こ と を 示唆 する であ ろ う と 、 先 に 述 べた が 、 そ う した 奥書 を 持 つも のと し て 先 に 挙 げた う ち の 一 つ が 右 マイ ク ロフィルムに 収録 さ れ てい て、 確実 に 三密蔵旧蔵書 であ る こ と が 明 らかになったのは、 上 の 推測 を 裏付 ける で あ ろう。 なお、 『 図印抄 』 (フィルム № 156、 四 〇 箱一号 )にも「 延享五歳次戊辰三月上旬都合五巻加修復訖 。   僧正承照 春秋   六十五 」と 、 同様 の 修復奥書 が 見 られ るから 、 承照 が 天和三年 ( 一六八三 ) 生 まれで あ り 、 先 に 挙 げた 承照 による 奥書 がその 六十 代 の 半 ばか ら 後半 にかけ て のもの で あった ことも 判明 する 。   結局 のとこ ろ 、 以上 によっ て 、 先 の 二十七点 のう ち ①②⑦⑨⑩ の 五点 を 除 く 二十二点 まで が 東寺宝菩提院三密蔵旧 蔵書 であ る こ と を 推定 さら には 確認 できた こ とに なる 。 五点 につい て は 未 だ 個別 には 推定 ・ 確認 し 得 てい な い が 、 最 初 に 述 べた 通 り 二十七点 が 何 らかの 意味 で 一括 され るべき 一連 の 聖教群 であ る と 見 られ るの で あ っ て 、 右五点 も 含 め

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ て 二十七点全体 が 三密蔵旧蔵書 であ る こ と は 最早 ほぼ 完全 に 明 らか となった と 言 っ て よかろう。   なお、 ⑫ を 取 り 上 げて 、 そ の 全体 の 影印 も 載 せる 山本真吾氏 「 京都女子大学蔵表白集解説 並 びに 影印 」 ( 『 鎌倉時代語研究 』 第十輯 、 武蔵野書院 、 昭 62)に 、 「 本書 を 含 む 京都女子大学 の 聖教群 ( 二十七点 )には、いずれもその 奥書等 に 東寺々 僧 によっ て 書写伝領 がなさ れ た 旨記 され たも のば か り で あ り、 東寺以外 の 所 に 伝来 した とは 考 えられ ま せん」 ( 傍線 = 中前 )と いう 橋本初子氏 から の 私信 が 掲 げられて いる ( 右山本論文 が 改稿 ・ 再收 され た 同氏 『 平安鎌倉時代 に 於 ける 表白 ・ 願文 の 文体 の 研究 』 〈 汲古書院 、 平 18〉に は 上記私信 は 掲載 さ れ て い ない) 。 ここ に 記 され る 「 聖教群 ( 二十七点 ) 」 は、 恐 らく 先 に 列挙 した 二十七点 と 同一 の 書 を 指 し て いるのか と 思 われる 。 とすれば、 「 東寺以外 の 所 に 伝来 した とは 考 え ら れ」 ない とさ れる が 、 右 に 行 って き た 検討 により 、さらに 絞 って、 東寺 の 中 でも 特 に 宝菩提院 に 伝来 したもの であ る こ と を 確認 し 得 たこ と に な る。 な お、 先 に 列挙 した 二十七点 の 中 には、 例 えば ⑤金界 下 のように 奥書等 なく て 東寺僧 の 名 など 一切見 られ な い も の も 含 ま れ て いるし 、また 、 ⑥妙抄口伝   中 ・ 下巻 の 場合 は、 「 延慶元年十二月二日 賜遍知院御本書写校合畢 」 ( 巻中末 )と いう 奥書 が 見 られ るも のの、 特 に 東寺々僧 が 書写伝領 した と 記 されて い るわ け で は ない。 ど ういう わ けなのか、そうした 点 、 右橋本私信 の 傍線部 とは 合致 しな い。 * 右 の 検討 に 際 して は、 京都女子大学図書館 さら には 大正大学附属図書館 、 教王護国寺 から 多大 なる ご 高配 を 賜 りました。また、 清水宥聖氏 および 大田壮一郎氏 より 有益 なご 教示 を 頂戴 しました。 記 して 深謝申 し 上 げま す。

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図 1 陽刻朱正方印「東寺宝/菩提院」

(⑲声明集雑々の巻頭)

図 2 陰刻朱長方印「東寺宝菩提院」

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 図 3 『梵字貴重資料集成』所載「梵本真言集 一帖 京都・東寺三密蔵」 図 4 京都女子大学図書館所蔵 梵本真言集(3 ウ~ 4 オ)

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図 5 『梵字貴重資料集成』所載「梵字形音義 四帖 京都・東寺三密蔵」

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 図 7 『梵字貴重資料集成』所載「梵字形音義 第三 一巻 京都・東寺三密蔵」 図 8 京都女子大学図書館所蔵 梵字形音義 巻三・四(巻三巻末部)

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  本稿 におい て 略解題 を 掲 げるの は 、 先 の 二十七点 のう ち 一点 のみ と し て 、そのあ と に 同書全体 の 影印 を 掲 げる こ とと した 。なお 、 引用 に 当 たっ て は 、 原則 とし て 通行 の 字体 に 改 める とともに 適宜句読点 を 施 した 場合 がある 。また 、 一部 を 除 き 改行箇所 を/ で 示 し、 判読 できなかった 箇所 は□ とした 。 割注 につい て は 、 〈   /   /   〉と して 示 した 場 合 がある。 梵本真言集︵ KN829.89B64 平安後期写 桝形粘葉装一帖 薄紅色唐草文様表紙 ( 後補 ) 、 縦一七 ・ 一 × 横一六 ・ 三糎 。 前後表紙以外三八丁 。う ち 前後遊紙 ( 後補 ) ・ 扉 ( 元表 紙 か) 各一丁 。 斐紙 。 扉題 「 梵本真言集 一 」 ( 扉中央 ) 。 扉題 の 右 に「 随求得次第不同集之 」 、 下 に「 宗真 」 。 扉左上 に「 一校了 」 ( 切断 され 左半分欠 ) 。 内題 ナシ 。 末尾 に「 千手陀羅尼註已下皆加賀明覚聖人注也 」 。 基本的 に 毎半 葉八行 。 押界 あり 。 界高一四 ・ 六糎 、 界幅一 ・ 六糎 。 梵文 ・ 漢字音写 は 原則 とし て 左横書 き。 若干 のイ 本注記 や 天 部書込 みが 存 する 。 ま た 、 末尾 の 第十 「 理趣分真言 」にのみ 多 くの 朱書 きが 見 ら れ る。 な お、 32ウに 35オの 朱書 きの 墨 が 付着 し、 同様 に 33オに 35ウ、 33ウに 34オ、 35オに 37オ、 36ウに 37オ、 37オに 35ウの 、 そ れ ぞ れの 朱墨 が 付着 し て いるのが 認 められ る 。その 他 、 3オ・ 5ウ・ 23オ・ 30オな どに も 朱墨 が 付着 して い る 。 粘葉装 とし て 整 えられ る 以前 、 朱書 きさ れ て 間 もなくに、 料紙 が 重 ね 合 せられ た 結果 だろうか。   『 梵字貴重資料集成 』 図版篇 は、 先述通 り、 高楠順次郎 『 悉曇撰書目録 』に 「 東寺三密蔵蔵 」と して 著録 されて も い る 東寺三密蔵 『 梵本真言集 』の 写真二葉 を 掲 げる が 、 そ れ は 紛 れもなく 、 本写本 の 本文冒頭部 の 写真 に 他 ならない 。 同書解説篇 が 掲載 す る、その 東寺三密蔵本 の 料紙 ・ 装丁 ・ 内題 ・ 奥書 など につい て の 情報 も、 すべ て 本写本 と 合致 する 。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 先 にも 述 べた が、 大正大学附属図書館所蔵 マイ ク ロフィルム「 東寺宝菩提院資料 」に 収録 さ れ て も いる。   右 に 掲 げた 通 り 扉題 の 下 に 「 宗真 」 と 見 える が、 同人物 につい て は 未詳 。 右引扉題右 の 「 随求得次第不同集之 」 が 「 宗 真 」による 記述 だとすれ ば 、「 宗真 」は 本書 の 編者 とい う こ とに な ろ うか 。 そ れ と も 書写者 あるいは 所蔵者 であ ろ う か 。 また 、 扉題右下 に「 一 」と 見 えるか ら 、 本書 は、 本来数帖 あったもののう ち の 第一帖 とい う こ とに なる だ ろ うか 。 後 述 の 吉水蔵本 でも 同様 に「 一 」と 記 されて い るが、 「 宗真 」の 名 は 見 えないよう で ある 。なお 、 後述通 り 第七 「 千手陀 羅尼 」と 第九 「 千手陀羅尼 注 」の 間 に 第八 「 易産 タラ ニ」が 挟 まっ て いる 点 、 「 随求得次第不同集之 」と いう あ り 方 が 特 に 如実 に 現 れて いる と 言 えよ うか。   扉 の 次 の 三丁表 の 右半分 に    三宝讃 一 〈 仏 / 法 / 僧 〉   三部讃 二 〈 仏 / 蓮 / 金 〉   三身讃 三 〈 法 / 報 / 応 〉    四智讃 四   本尊讃 五   不空羂索 六    千手陀羅尼 七 〈 前唐院本 / 多武峯本 / 両本 〉   易産 タラ ニ 八    千手陀羅尼 注九   理趣分真言 十 とい う 目録 があり、 本文 も、 これらの 十 の 項目 に 分 けられて いる。   第一 「 三宝讚 」 ( 4 オ ~ 5 オ ) は 、 「 仏讚 」 「 法讚 」 「 僧讚 」から 成 り、 そ れ ぞ れ 四句 ずつ 、 梵文 と 漢字音写 を 左横書 きに する 。   第二 「 三部讚 」 ( 5 ウ ~ 7 オ ) は 、 「 仏部讚 」 「 蓮花部讚 」 「 金剛部讚 」から 成 り、 や は り そ れ ぞ れ 四句 ずつ 、 梵文 と 漢字音写 を 左横書 き に す る。なお、 「 三部 」は 、 「 密教 で、 胎蔵界 の 曼荼羅 における 蓮華部 ・ 金剛部 ・ 仏部 の 総称 」 ( 『 例 文仏教語大辞典 』 ) 。

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  第一 「 三宝讚 」のう ち 最初 の「 仏讚 」の 第一句 の 梵文 ・ 漢字音写 のあ と に    蘇悉地供養法翻云 a 大悲護世尊    同経翻云      ́a 大悲救世尊 と あり( 4オ ) 、 「 蘇悉地供養法 」と 「 同経 」と の 間 で 異 なる 漢訳 a ` aを 並記 し て いる。 第二句以降 も    法云 b 道師備衆芸           法云 c 無辺功徳海           法云 d 我今頭面礼    経云 ́b 善道一切智   ( 第二句 )      経云 ́c 福持功徳海   ( 第三句 )      経云 ́d 我今稽首礼   ( 第四句 ) とい うよ うに、 「 法云 ……」 「 経云 ……」 と い う 形 で 両者 に 載 る 漢訳 b ` bc ` cd ` dを 並記 する 。 同様 の 形 が、 「 法讃 」 「 僧 讃 」の 各句 と 第二 「 三部讚 」の う ち 「 蓮花部讚 」 「 金剛部讚 」の 各句 にも 存 し( 「 仏部讚 」は 異 なる) 、 都合二十句 に 亘 っ て 見 られ る 。そのようにし て 第一 「 三宝讃 」および 第二 「 三部讃 」におい て 対比的 に 掲 げられ た 「 法 」と「 経 」と の 漢訳 は、 一部字句 が 異 なったりはす るものの、 そ れ ぞれ 『 蘇悉地羯羅供養法 〇 』 ( 別本 ) 巻二 と『 蘇悉地羯囉経 〇 』 ( 別本一 ) 巻中 に、 一連 のも のと し て 見 える ( 後者 は 別本二 にも 同 じく 見 える 〈 大正蔵巻十八 684b 〉 。 『 蘇悉地羯囉経 』 巻中 にも 見 える が〈 同 617b 〉 、 部分的 にかなり 異 なる) 。 次 の 通 り。    『 蘇悉地羯羅供養法 』 ( 別本 ) 巻二        『 蘇悉地羯囉経 』 ( 別本一 ) 巻中    歎仏功徳者   a 大悲護世尊   b 導師備衆芸          ́a 大慈救世尊   ́b 善導一切衆   c 無辺功徳海   d 我今頭面礼          ́c 福持功徳海   ́d 我今稽首礼    次歎法徳者    離欲清浄法    能除諸悪趣           真如捨摩法    能浄貪瞋毒

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ    真寂第一義    稽首依法住           善除諸悪趣    我今稽首礼     ………      ………         ………      ………     ( 大正蔵巻十八 717b~c )        ( 大正蔵巻十八 646c~647a ) 第一 「 三宝讃 」の 末尾 に「 蘇悉地経并法同有三宝讚 ・ 観自在讚 ・ 金剛手讚 。 謂之五讚 」 、 さ ら に 「 今云金剛手者 、 蘇悉 地経云明 〇 王 〇 大 〇 威 〇 金 〇 剛 〇 、 同供養法云執 ● 金 ● 剛 ● 也 」と 記 すの は、 『 蘇悉地羯囉経 』 ( 別本一 ) 巻中 の 右引部 の 直前 に「 讃歎於仏 、 次法 、 次僧 。 次歎観自在 。 次歎明 〇 王 〇 大 〇 威 〇 金 〇 剛 〇 」 、 『 蘇悉地羯羅供養法 』 ( 別本 ) 巻二 の 右引部中 に「 歎仏功徳者 … 次歎 法徳者 … 次歎僧徳者 … 次歎観自在 … 次歎執 ● 金 ● 剛 ● … 」 と あるのなどと 、 対応 しよう 。 また 、 第一 「 三宝讚 」の 末尾 にさ らに 続 けて 「 私云 、 観自在讚名蓮花部讚 、 執金剛讚名金剛部讚 」と 述 べる う ち 前半部 のこ と は 、 第二 「 三部讚 」の「 蓮 花部讚 」の 題下 にも 「 蘇悉地謂之観自在讚 」と 断 っ て いる(6 オ ) 。 結局 、 「 三宝讃 」=「 仏讃 」 「 法讃 」 「 僧讃 」と 「 蓮 花部讃 」 ( = 「 観自在讃 」 ) 「 金剛部讃 」 ( = 「 金剛手讃 」 等 )の 「 五讃 」につい て、 「 蘇悉地経并法 」に 載 る 二通 りの 漢 訳 を 対比 させ て いるの で ある 。 なお 、 『 大毘盧遮那経広大儀軌 』 巻上 は、 これら「 五讃 」の 漢字音写 を「 五讃歎 」と し て 列挙 する ( 大正蔵巻十八 97c ~ 98a ) 。   第三 「 三身讚 」( 7 オ ~8 ウ ) は、 「 法身讚 」 「 報身讚 」 「 応身讚 」か ら 成 る。ただし、 「 法身讚 」は 掲 げられ る こと なく、 その 題下 に「 大 〇 日 〇 心 〇 略 〇 讚 〇 也 。 以 ● 前 ● 三部讚中仏部讚 、 是也 。 是故今更不書写之 」と 記 す ( 7 オ ) 。 「 大 〇 日 〇 心 〇 略 〇 讃 〇 」は、 「 大 日如来 の 功徳 を 讃嘆 する 偈頌 で、… … 心略讃 とも 呼 ばれ る。 法身大日如来 の 関連 から 法身讃 と 称 せられ る こともある」 ( 『 新 ・ 梵字大鑑 』 〈 法蔵館 、 平 27〉 。 「 以 ● 前 ● 」 以下 は、 第二 「 三部讚 」の 最初 に 掲 げた 「 仏部讚 」が す な わ ち 「 法身讚 」 ( 「 大 日心略讃 」 ) で あるの で 重 ねて 書写 しな い、と い うこ とで ある。 第二 「 三部讚 」のう ち の 「 仏部讚 」の 題下 に「 三身中 謂之法身讚 」と 注記 し て も い る ( 5 ウ ) 。 「 法身讃 」= 「 仏部讚 」= 「 大日心略讚 」は 、 先述通 り、 第一 「 三法讚 」 第

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二 「 三部讚 」 に 収載 する う ち 唯一 、 「 蘇悉地供養法 」 と 「 同経 」 と の 間 で 異 なる 漢訳 を 二様 に 示 し て いなかった 讚 で あり、 「 翻云一切善種生 」と いう よう に 単一 の 漢訳 を 付 し て いる。その 漢訳 と 漢字音写 ともに 法全 『 大毘盧遮那成仏神変加持 経蓮華胎蔵菩提幢標幟普通真言蔵広大成就瑜伽 』 巻上 ( 大正蔵巻十八 150c )など に 見 える こと 、 知 られ る 。また 、 堀 内寛仁氏 「 心略讃 の『 サラ バ ビ ヤ ビ ハ ン バ 』 の 原語 は sarva-vyabhibhava! で よいか │ ノー 、 sarva-vy āpi! bhav â…… なら ん │ 」 ( 『 密教文化 』 115、 昭 51) 参照 。 「 報身讚 」と 「 応身讚 」につい て は 、 漢訳 を 示 すこと な く、 梵文 を 漢字音写 とともに 左横書 きに 挙 げるのみ となっ て いる 。 上 の 法全 『 標幟普通真言蔵 』は、 「 法身讃 」に 続 いて それ ら 両讃 の 漢字 音写 も 掲載 する 。 十一世紀後半 の 良祐 『 三昧流口伝集 』 巻上 には 「 三身讃 」 各々 の 梵文 と 漢字音写 が 見 える ( 大正蔵 巻七十七 23c ~ 24a ) 。 静然 『 行林抄 』 第二十三 は「 毘盧遮那讃 」と して「 法身讃 」を 掲 げたあ と に 、 「 珍和上以此小 讃為法身讃 。 更加報身応身二讃伝三身讃 」と す る ( 大正蔵巻七十六 173b ) 。 な お 、 『 梵本真言集 』は 、 後述通 り、 第五 「 本 尊讚 」につい て 「 記録曰円仁和上渡之 」と 記 し、 第七 「 千手陀羅尼 」で は 円仁請来 の「 叡山前唐院本 」を 掲 げる が、 「 三 身讃 」も 、 円仁 による『 入唐新求聖教目録 』 ( 大正蔵巻五十五 )に「 梵字三身讚一本 」と 見 える( 1081c ) 。   第四 「 四智讃 」 ( 8 ウ ~ 9 オ ) の 「 四智 」と は 、 「 金剛界曼荼羅 における 四仏 の 智慧 のこ と 」 で、 中尊大日如来 を 囲 む 四仏 それ ぞれ が 徳 とす る 智 ( 智山伝法院選書第十五号 『 智山 の 真言 』 〈 智山伝法院 、 平 22〉 126頁 ) 。 具体的 には 、 末 尾 に「 又礼四智 。 大円 ヽヽ   平等 ヽヽ   妙観 ヽヽ   成所作 ヽ」 ( 9オ) と 記 され る 通 り 。したがっ て「 四智讃 」は「 大 円鏡智 ・ 平等性智 ・ 妙観察智 ・ 成所作智 の 四智 の 徳 を 讃称 する 偈頌 」 ( 『 密教大辞典 』 ) で あ り 、 上引部 「 又礼四智 。 ……」 の 直前 に「 喜鬘歌舞也 」と 見 えるよ う に 、 「 行者 が 内 の 四供養菩薩 たる 嬉鬘歌舞 の 三昧 に 住 して 誦 じ、 以 て 四智 の 徳 を 讃歎 する 」 ( 同上 )も の 。 先 の「 法身讃 」 ( 「 大日心略讃 」 ) を 胎蔵界大日如来 の 讃 に、 こ の「 四智讃 」を 金剛界 大日如来 の 讃 に、 各々 あて る 解釈 もある ( 現代密教講座第四巻 〈 大東出版社 、 昭 50〉 な ど ) 。 「 四智讃 」に 「 梵讃 ・ 漢

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 頌 の 両様 あり て 常 に 四智梵語 ・ 四智漢語 と 称 す 」 ( 『 密教大辞典 』 ) と い う 、 そ れ ら の う ち の 四智梵語 を、 『 梵本真言集 』 では、 漢字音写 とともに 左横書 き にし、その 四智梵語各句 ( 一 ~ 四 )の 下 に 四智漢語 を、    〈 第一句 〉 経翻云金剛薩埵摂受故    〈 第二句 〉 々々得為無上金剛宝          又云得成無上金剛宝    〈 第三句 〉 々々金剛言詞歌詠故          又云今以金剛法歌詠    〈 第四句 〉 々々願成金剛勝事業          々々願為我作金剛事 と、 第一句以外二通 りに 記 し て いる。もと もと 『 金剛頂瑜伽中略出念誦経 』 巻四 が 四智漢語 を、    ・ 金剛薩埵摂受故    得為無上金剛宝           ・ 金剛薩埵摂授故    得成無上金剛宝     金剛言詞歌詠故    願成金剛勝事業        今以金剛法歌詠    願為我作金剛事           ( 大正蔵巻十八 248a )          大正蔵巻十八 253b ) と、 二通 り 載 せる 。 前者 は『 大日経持誦次第儀軌 』 ( 大正蔵巻十八 185a )など にも 見 える 。 第一句 はほ ぼ 共通 して い るが、 第二 ~ 四句 には 相違 が 見 られ る。 『 梵本真言集 』は、 これら 二様 の 四智漢語 を、 右 の 通 り、 相違 のな い 第一句以 外 の 各句毎 に 挙 げたのに 違 いな い。 知 られ る 如 く、 『 金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経 』 巻下 に「 金剛歌詠真言 」 とし て 、 四智梵語 の 漢字音写 が 見 えたり も する ( 大正蔵巻十八 223a ) 。 な お 、 四智讚 につい て 、 宮坂宥峻氏 「 四智讚 の 背景思想 につい て 」 ( 『 大正大学大学院研究論集 』 38、 平 26)や 德重弘志氏 「 四智讚 の 成立 と 展開 」 ( 『 印度学仏教学

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研究 』 64―1、 平 27) 参照 。 『 雑談集 』 巻五│ 2( 三弥井書店刊 「 中世 の 文学 」 ) に は 、 「 コ ト ニ 真言 ノ 声明 、 四智 ノ 讃等 、 甚深 ノ 法門也 」と あ る 。 『 行林抄 』 第二十三 は、 先述通 り「 毘盧遮那讃 」と して 「 法身讃 」 ( 「 大日心略讃 」 ) の 梵文 ・ 漢字音写 ・ 漢訳 を 掲 げたあ と 、 先 の「 五讃 」とこ の 「 四智讃 」の 各漢字音写 、 「 三身讃 」のう ち 「 法身讃 」を 除 く「 報 身讃 」 「 応身讃 」の 梵文 ・ 漢字音写 を、 連続 して 載 せる( 大正蔵巻七十六 173b ~ 174a ) 。   第五 「 本尊讚 」 ( 9 オ ~ 10オ) は 、 漢字音写 のみ 左横書 きに 四行 に 記 す。ただ、 各行 とも 梵文 を 掲 げる べ き 箇所 が 空 白 とし て 残 さ れ て いるの で 、 後 から 補入 す る つもりだったのかもし れない。 末尾 に 六行 に 亘 って 、    本尊讃 、 記録曰円仁和上渡之 。    問 。 本尊者何等耶 。 答 。 通讚也 。 随本尊得 / 名 。 今代入薬師如来梵名 、 則名薬師 / 讚 。 現行於世 。 問 。 何 (?) 故 (?) 云 (?) 通    讚哉 。 答 。 第 / 三句改入随意本尊梵号 / 可用 。 故云通讚也 。 云々 。 と 注記 され る。 第一行以外 の 五行 は、 「 本尊讚 」が 通讚 であ る こ と を 問答体 で 解説 する 。 第一行 に 伝 える 円仁将来 につ いて は 、 『 入唐新求聖教目録 』に「 大尊讃一本 」と 見 える( 大正蔵巻五十五 1082c )のが 気 に 掛 かるものの、 未詳 。   第六 「 不空羂索 」 ( 10オ~ 17オ) に は 、 「 観自在菩薩不空羂索陀羅尼 玄奘訳 」 ( 10オ) を 掲 げる 。 梵文 は 左横書 き。 同陀 羅尼 を 含 んだ〈 不空羂索呪経 〉には 同本異訳 が 漢訳六本 ・ 蔵訳三本知 られ、 「 漢訳 につい て は『 神変真言経 』が 全 てに 於 て 最 も 詳細 であ り 、 不空訳 は 説所 ・ 衆会 には 内容 の 簡略 さや 相異 が 見 られ るが、 他 は 訳語 に 至 るま で『 神変真言経 』 巻第一 とほ ぼ 同 じで あ る 。こ の 二本 に 次 いで は 玄奘訳 がやや 詳 しく 、 闍那崛多訳 ・ 菩提流志訳 ・ 施護訳 はほ ぼ 同 じで 最 も 簡略 で ある」 と さ れ る ( 山田耕二氏 「 〈 不空羂索呪経 〉の 成立 につい て 」〈 『 密教学研究 』8 、 昭 51〉 。 『 梵本真言集 』 は、 右引標題 に「 玄奘訳 」と 注 し て おり 、 これらの う ち 玄奘訳 を 掲 げる 。 実際 、 「 訳云 〈 応先敬礼過去未来現在諸 / 仏 及 〇 菩薩独覚声聞 〉 」 ( 10オL 7 ) の よ うに 、 梵文 の 間 に 計二十四箇所 、 「 訳云 」と して 漢訳記事 が 挿入 されて い るが 、

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ それ ら 全 て、 玄奘訳 『 不空羂索神呪心経 』に 見出 され る( 大正蔵巻二十 403c~404c ) 。 梵文 の 方 は、 例 えば『 長谷寳秀 全集 』 第五巻 が「 大師御請来梵字真言 」の 一 つと して 掲 げる 東寺御影堂宝庫蔵 「 梵字不空羂索陀羅尼 」 ( 児玉義隆氏 ・ 野口圭也氏 「 第四巻 ・ 第五巻概要│ 『 大師御請来梵字真言集 』 所収 の 真言 につい て │ 」 〈 『 種智院大学密教資料研究所 紀要 』 1、 平 10〉 参照 )などとは 大 きく 食 い 違 っ て いるよう で ある。   第七 「 千手陀羅尼 」 ( 17ウ~ 22ウ) は 、 「 南天竺僧菩提梵本 」 ( 17ウ) 「 叡山前唐院本 」 ( 20ウ) とい う 「 千手千眼観世 音菩薩広大円満無碍大悲心陀羅尼 」 ( 17オ~ 20ウ) と、 「 多武峯 ノ 妙楽寺本 」 ( 21オ ) の 「 千手陀羅尼 」 ( 21オ~ 22ウ) と を 、 前者 は 梵漢両様 、 後者 は 梵文 のみ で 左横書 きに 掲 げる。そのう ち 「 叡山前唐院本 」と いう 前者 は、 「 南天竺僧菩提梵本 」 であ る と い う こ と だ が 、『 前唐院見在書目録 』 ( 小野勝年氏 「 『 前唐院見在書目録 』 と そ の 解説 」 〈 『 大和文化研究 』 10―4、 昭 40〉 収載翻刻 )には 確実 に 該当 する と 言 い 得 るも のが 見当 たら な い 。 千手陀羅尼 ( 大悲呪 )には 複数種 あり 、 句数 によっ て いくつかに 分類 されて も い る が( 田久保周誉氏 『 真言陀羅尼蔵 の 解説 』 〈 真言宗豊山派宗務所 、 昭 54〉など ) 、 この 叡山前唐院本 のように 六十三句 のも のは 、 少 なく とも 大正蔵所載 の 種々千手陀羅尼 には 見 られ ず 、 さら に 他 に 知 られないよう で も ある。 『 梵字貴重資料集成 』 解説篇 は、 三密蔵本 『 梵本真言集 』 を 簡単 に 紹介 する なか で、 この 前者 「 叡 山前唐院本 」 につい て 「 千手陀羅尼 は 『 叡山前唐院本 』 と 末尾 に 書 か れ て おり、 円仁請来 の 『 南天竺僧菩提梵本 』 を も っ て 写 し て いる ことが わ かり、 貴重 な 写本 で ある」 と 記 す。   第八 「 易産 タラ ニ」 ( 22ウ~ 23オ) は 、 梵文 と 漢字音写 と 両様 で、 「 妊婦 の 安産 を 祈 って 帯加持 を 行 う 時 、 帯 に 水 で 書 く 陀羅尼 」 ( 『 例文仏教語大辞典 』 ) = 「 易産陀羅尼 」を 掲 げる とともに、その 前後 に   a 女人産生難者誦之 。 不能誦者 、 但 / 把呪一心念及 頂 (頂礼 カ) 、 即生 。 ( 前 )   b 頂帯平安可焼之為 / 灰 、 送置流水中 。 ( 後 )

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  c 師云 、 頂帯時宜用梵本也 。 ( 後 ) とい う、 修法 や 功徳 につい て の 記述 を 加 え て いる。 こ の「 易産陀羅尼 」は 、 東密 ・ 台密 の 諸尊法 の 口決集 など に 見 える。 厳覚 ( 一 〇 五六 ~ 一一二一 )による 東密小野方 の『 伝受集 』 巻三 では 、 「 若女人産生難者説 〇 之 。 不能説 〇 者 、 但把呪一心 念及頂礼 、 易生 」 ( 「 説 〇 」は 「 誦 」の ど の 段階 かにおける 誤写 か) と い うa と 同様 の 記述 の 後 に 陀羅尼 を 掲 げ、 そ れ に 続 けて は 「 頂帯平安了焼之為灰 、 送置流水中 云云 」と いう bと 同様 の 記述 を 載 せる( 大正蔵巻七十八 243c~244a ) 。 勧修 寺流慈尊院方 の 榮然 ( 一一七二 ~ 一二五九 ) による 『 師口 』 巻三 では、 「 易産陀羅尼 」 を 掲 げたあ と に 「 若女人産生難者 、 把呪一心念及頂礼易生 。 已上 経文   口伝云 。 頂戴平安了焼之為灰送置流水中 」と 、 a bと 同様 の 記述 を 載 せる ( 大正蔵巻 七十八 869b   さら に 上 に 続 けて「 頂戴者書紙於陀羅尼以糸結付頂髪也 」と も 記 す ) 。また 、 平安後期 の 台密法曼流 の 静然 『 行林抄 』 第十九 も、 「 易産陀羅尼 」を 掲 げたあ と に 別 の 記事 を 少々挟 んで 、 「 女人産生難者 、 説之 。 不能説者 、 但手把経呪一心念及頂帯 、 即自易生 。 即説呪曰 呪如 前   覚不安即頂帯平安了焼之為灰遠置流水中 」 と 、 や はりab と 同様 の 記述 を 載 せる ( 大正蔵巻七十六 157b~158a ) 。 「 易産陀羅尼 」は 当時 、a や bの 記述 を 伴 った 形 で 流布 して い た こ と が 窺 えよう。cについ て は 、 『 師口 』が「 次開帯中以散杖浸灑水 、 可書梵 〇 本 〇 易産陀羅尼 」 ( 大正蔵巻七十八 869b )と 記 すの と、 対応 しようか。なお、 例 えば、 『 平家物語 』に 建礼門院徳子 の 出産 が 描 かれて い るが 、『 山槐記 』 ( 増補史料大成 ) 治承二年 ( 一一七八 ) 八月十八日条 に「 被供養始 、 毎日放光仏易 〇 産 〇 多 〇 羅 〇 尼 〇 、 二品沙汰也 。… … 而大夫私産易 〇 産 〇 多 〇 羅 〇 尼 〇 有効験之由被申行 。 仍召真言師也 」と 見 え、 徳子出産 に 際 して「 易産陀羅尼 」が 用 いられ た こ と が 知 られ る ( 大谷久 美子氏 「 『 平家物語 』における 平徳子 の 御産 ― 変成男子 の 法 を めぐっ て ― 」 〈 『 紫苑 』9 、 平 23〉 参照 ) 。 本写本 は、 そ の 徳子出産 と まさに 同時代 に 書写 され た「 易産陀羅尼 」と いうこ と にな る。 江戸前期 の 浄厳 『 普通真言蔵 』 ( 東方出版 刊影印 )は 、 「 易産生 〇 陀羅尼 」と して 本陀羅尼 を 掲 げる。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ   第九 「 千手陀羅尼 注 」 ( 23ウ~ 32ウ) は 、 先引通 り『 梵本真言集 』 全体 の 末尾 に「 千手陀羅尼註已下皆加賀明覚聖人 注也 」と 見 えるか ら 、 「 加賀明覚聖人 」による 「 千手陀羅尼 」の 注釈 とい う こ とに なる 。 明覚 とは 、 「 平安時代中期 の 天台宗 の 僧 。 音韻学者 。… … 加賀国 ( 石川県 ) 温泉寺 に 住 し、 温泉房 と 号 し た 」 ( 『 国史大辞典 』 ) と い う 人物 。その 伝 記的研究 は、 松本文三郎氏 「 賀州隠者明覚 と 我邦悉曇 の 伝来 」 ( 『 芸文 』8―5、 大 6)が 早 く、 また 詳 しい。 最近 の『 日 本語大事典 』 ( 朝倉書店 、 平 26)の 「 明覚 」 条 は、 「 安然 によっ て 大成 され た 悉曇学 も、 平安中期 には 、 学問的 には か なり 衰退 し て いたらしい 。そのような 状況 で、 明覚 は 、 ほと んど 独学 で、 日本悉曇学 の 復興 を 成 し 遂 げた 。 延暦寺 ・ 三井寺 に 伝来 する 多 くの 文献 を 渉猟 する こと と 、 日本語 そのものの 音声 ・ 音韻現象 を 注意深 く 観察 す る こと により 、 師伝 を 得 てい な い 不利 を 克服 し、 か え っ て 、 独自性 の 高 い 韻学 を 生 み 出 すこと に なった」 と 記 す。 悉曇学関係 の 明覚 の 著作 とし ては 、 右事典 も 挙 げるよ う に 、 先 に 掲 げた 三密蔵聖教二十七点 のう ち にも そ の 写本 が 含 まれて い る( ) 承徳二年 ( 一 〇 九八 )の 『 梵字形音義 』や、 大正蔵巻八十四 に 収載 され 京都大学国文学会 により 安永三年板 の 複製 が 刊行 されて も い る 康和三年 ( 一一 〇 一 )の 『 悉曇要訣 』が 知 られる 。 これら 明覚 の 悉曇學 ・ 音韻学 に 関 して は、 馬渕 和夫氏 『 日本韻学史 の 研究 』 Ⅰ ~ Ⅲ ( 補訂版昭 59、 臨川書店 )を 始 め、 村上雅孝氏 「 延懐 と 明覚 を めぐっ て ― 日本悉 曇学史 における 一問題 ― 」 ( 『 国語学研究 』 10、 昭 45) 平泉洸氏 「 悉曇 の 伝承 と 温泉寺明覚 」 ( 『 芸林 』 22―3 、 昭 46) 住谷芳幸氏 「 明覚 の『 半音 』 説 」 ( 『 岐阜女子大学紀要 』 17、 昭 63)など 、 研究 が 積 み 重 ねられて いる 。 先 の『 日本語 大事典 』はまた、 「 漢字音関係 の 著作 とし て、 仮名 と 五十音図 を 利用 した 反切法 を 解説 した『 反音作法 』 一巻 ( 一 〇 九三 ( 寛治七 ) 年 )が 著名 。また 、 鎌倉時代書写 の『 九条本法華経音 』は、 明覚 の 撰 と 推測 されて お り、 後世 の 法華経音義 にも 影響 を 与 え て いる」 と 記 す 。 ここ に 挙 げられ た う ち 前者 につい て は 林史典氏 「 日本漢字音 と 反切 ― 明覚 『 反音作法 』 および 文雄 『 翻切伐柯篇 』の 〝反切法〟 ― 」 ( 『 文芸言語研究 ・ 言語篇 』 15、 平 1)など 、 後者 につい て は 築島裕氏 「 法

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華経音義 につい て 」 ( 山田忠雄氏編 『 本邦辞書史論叢 』 三省堂 、 昭 42)など あ り、 後者 と 関 わる 読経道関係 のこ と に 関 して は、 「 明覚 と『 読経道 』 」 ( 『 文学 』2―5 、 平 13) 読経道 の 説話形成 ― 明覚流 を 基点 と し て ― 」 ( 『 仏教文学 』 25、 平 13)など、 柴佳世乃氏 による 一連 の 研究 が 知 られ る( 上記柴論文 は 共 に 同氏 『 読経道 の 研究 』 〈 風間書房 、 平 16〉に 再収 ) 。   これら 以外 さら に 、 右 の『 日本語大事典 』が 全 く 取 り 上 げて いな い 明覚 の 著作 ・ 事蹟 とし て 、 真言陀羅尼 の 注釈 が ある。 『 大仏頂如来放光悉怛他鉢怛囉陀羅尼勘註 』 『 大随求陀羅尼勘註 』や 『 金剛界真言注 』 『 胎蔵界真言句義 』 で ある。 いずれ も 『 国書総目録 』な ど に 著録 さ れ て おり、 前二者 は 大正蔵巻六十一 に 収載 さ れ て も いる。 『 梵本真言集 』 第九 「 千 手陀羅尼 注 」の 掲載 する 「 千手陀羅尼 」の 明覚注 は、 これらと 一連 の 著作 で あるに 違 いな い。 冒頭 に「 千手陀羅尼 」と 題名 を 掲 げた 下 に「 正依経文 傍用他文 」と 記 す( 23ウ 冒頭 )のは 、 『 大随求陀羅尼勘註 』がや は り 題名下 に「 正依不空訳 傍外諸文助 」と 記 すの と 類同 して も い る 。 そ し て、 注意 され る の は 、 こ の 「 千手陀羅尼 」 明覚注 が 従来 には 知 られて い なかった 、 新出 の 明覚 著作 と 見 られ る こ とで ある。 本写本 によっ て、 「 千手陀羅尼勘註 」と いう 仮題 を 付 して 称 する ことの で きそ う な 真言陀 羅尼注釈 を、 新 たに 明覚 の 著作群 に 加 え 得 る こ とが でき るの で あ る 。しかも 、 明覚 から さほど 遠 くな い 時点 、 平安後 期 の 写本 とい う 形 におい てで ある 。 真言陀羅尼 の 注釈 とい うの は 、 明覚 の 著作 ・ 事蹟 の 中 では 先 に 挙 げた 他 のも のと 比 べるに 、 研究 が 遅 れて いるの で はないか と 思 われ る 。その 方面 の 専門的 な 研究 にと って、 本写本 に 収 める 『 千手陀 羅尼勘註 』 ( 仮題 )は、 必要不可欠 の 資料 とい う こ とに なる に 違 いな い。そう した 研究 は 無論 、 稿者 のよく す る ところ では ない が 、 できる こ とな ら 後述 の 吉水蔵本 と 校合 したうえ で の 翻刻本文 くら いは 、いずれ 提示 したい と 思 う。 概 ね 梵文 と 漢字音写 を 左横書 きに 適宜分断 しつつ 掲 げ、 か な り 詳細 な 注釈 を 加 えて い る 。そ の 詳細 なこ と は 、 大正蔵 に 収 載 され た 先出 の 陀羅尼勘註二点 を 十分 に 上回 るも のが あっ て、 唐本 や 不空本 ・ 菩提本 ・ 金剛智本 との 異同 に 関 する も

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ のが 特 に 目立 つ。 今後 の 十分 な 検討 が 望 まれ よう 。   とこ ろで、 右 『 千手陀羅尼勘註 』の 載 せる 「 千手陀羅尼 」の 漢字音写 は、 大正蔵巻二十 に 幾種類 か 見 られ る 「 千手 陀羅尼 」のいずれとも 合致 しな いが、 伽梵達磨訳 『 千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経 』 ( 『 千手経 』 ) の 高野山宝寿院所蔵正嘉二年 ( 一二五八 ) 朱点春日版 に 載 るも のと は 、 ほぼ 完全 に 一致 する 。 同春日版 は、 玄昉 の 発願 にな る 守屋孝蔵氏旧蔵京都国立博物館所蔵国宝天平写本 ( 玄昉願経 )と 同系統 のも の で 、しかも 、その 玄昉願経 が 後 半部 のみの 残巻 で あるため 、 同写本 の 流 れを 汲 む 系統 とし ては 現存唯一 の 完本 で あ ると されて い る 。 ま た 、 平安期以 降 に 流通 した 「 千手陀羅尼 」は 玄昉願経系統 のも の で あるが、 「 千手陀羅尼 」が『 千手経 』の 前半部 に 含 まれて い て 玄 昉願経 には 欠 けて いるの で 、 従来 、 右 の 春日版 を 通 して 当時流通 の「 千手陀羅尼 」の 姿 が 捉 えられてき た 。 以上 、 野 口善敬氏 『ナ ム カラ タ ン ノ ー の 世界 『 千手経 』と「 大悲呪 」の 研究 』 ( 禅文化研究所 、 平 11)に 詳 しい 。 春日版 も 同書所載本 文 に 拠 った 。さ て、 『 千手陀羅尼勘註 』 所載 の「 千手陀羅尼 」の 漢字音写 は 先述通 り、 玄昉願経 の 流 れを 汲 む 春日版 と 一致 する の で 、 平安期以降流通 した 玄昉願経系統 の「 千手陀羅尼 」 本文 が、 平安後期 に 遡 る 写本 とし て 、 こ こ に 新 た に 出現 した こと になる 。しかも 、 梵文 を 伴 った 形 で。 そ の 意義 には 大変大 きなもの がある だ ろう 。 例 えば 、 右野口著 書 は 春日版第十六句 の「 婆婆 」の 一字 を 衍字 とす るが ( 17頁 ) 、 『 千手陀羅尼勘註 』も 春日版 と 同文 となっ て いる ( 26ウ) 点 など、 注意 され る。 『 梵本真言集 』が 載 せる 『 千手陀羅尼勘註 』は、 明覚 による 新出 の 真言陀羅尼注釈 とし ての み な らず 、 貴重 な「 千手陀羅尼 」 本文 を 伝 える もの とし ても 、 髙 い 価値 を 有 する と 言 って よ か ろ う 。 な お 、 先 の 第七 「 千 手陀羅尼 」におい て 二種 の「 千手陀羅尼 」が 掲 げられて いたが 、 『 千手陀羅尼勘註 』 所載 の「 千手陀羅尼 」の 梵文 は、 それ ら の うち の 多武峯妙楽寺本 の 方 と 概 ね 一致 し て いるよう で ある。   第十 「 理趣分真言 」 ( 33オ~ 37オ) は 、 「 大般若理趣分真言 」 ( 33オ~ 36オ) と 「 般若無尽蔵真言 」 ( 36オ~ 37オ) を

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梵漢両様 に 載 せる 。 「 大般若理趣分真言 」は、い わ ゆ る「 大般若呪 」 ( 33オ~ 35オ) と 「 聡明呪 」 ( 35オ~ 36オ) とか ら 成 る。 「 聡明呪 」の 最初 に「 聡明呪曰 」と 朱書 して も あ る 。 それ ら 両呪 は、 『 大般若波羅蜜多経 』 巻五百七十八 「 第十 般若理趣分 」 に 載 る 三神呪 のう ち の 第一呪 ( 大正蔵巻七 990c ) と 第二呪 ( 同 990c ~ 991a ) 。 第三呪 「 聞持不忘呪 」 ( 同 991a )は 載 せず 、 代 わり に 「 般若無尽蔵真言 」を 掲 げ て いるの で あ る 。 その ことは 、 本写本最末尾 の 余白 に「 理趣分 有三陀羅尼 。 一大般若 。 二聡明 。 三聞持不忘 。 而此本無不忘陀羅尼 。 有無尽蔵陀羅尼偈│ 」 ( 37オ) と 朱書 さ れ て も いる。 また 、 「 大般若理趣分真言 」の 題左 に「 与陀羅尼集経第三巻全同 。 若有違処今出之 。 別有梵本 」 、 「 般若無尽蔵真言 」の 題下 に「 出陀羅尼集経 」と 記 すよ うに 、 計三呪 いずれ も 『 陀羅尼集経 』 巻三 に 見 える ( 大般若呪 = 大正蔵巻十八 806c ~ 807a 、 聡明呪 = 同 807a ~ b 般若無尽蔵真言 = 同 806b ) 。 な お 、 上記大正蔵収載神呪 は 皆 、 漢字音写 のみ。   さて、 大般若呪 および 聡明呪 を 収載 する 「 大般若理趣分真言 」と「 般若無尽蔵真言 」とで は 、 掲載 の 形式 が 大 きく 異 なっ て い る 。 梵文 を 漢字音写 とともに 左横書 きに する 点 は 同 じだが 、 前者 には 多 くの 朱書 が 見 られ るのに 対 して 、 後者 には それ が 全 くない 。そし て 、 各句毎 に 区切 って 掲 げた うえ で そ れぞ れに 縦書 きで 注釈 を 加 える とい う 、 前者 と は 異 なる 後者 のあり 方 は、 第九 「 千手陀羅尼 注 」の 場合 と 同様 であ る 。 先述通 り、 「 般若無尽蔵真言 」を 掲 げ 終 えた 直 後 に「 千手陀羅尼註已 〇 下 〇 皆加賀明覚聖人注也 」と 注記 し て いるから、 第九 「 千手陀羅尼 注 」が 明覚 による 注釈 であ る と ともに、 「 般若無尽蔵真言 」 に 加 えられて いる 注釈 も 明覚 のものなの で あろう。 ここ にまた、 やはり 従来知 られて いな か っ たと 見 られ る 明覚 の 真言陀羅尼注釈 が 出現 した ことに な る 。 なお 、そ れらの 中間 に 位置 する 「 大般若理趣分真言 」の 部分 にも 明覚 の 注釈 が 含 ま れ て いるのか 否 かは 、 判然 とし ない 。   とこ ろで 、 「 大般若理趣分真言 」の 方 に 見 える 多 くの 朱書 は、 後 から 余白 や 行間 に 書 き 込 まれ たと いう ようなも の で はなく、 当初 より 意図的 に 墨 ・ 朱書 き 分 けられ た もののよう で あっ て、 本写本 が 作成 され る 時点 (あるいはそ れ 以前 )

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ におい て そ ういう 形式 が 採 られ たのか と 推察 され る 。 中 でも 「 聡明呪 」の 後半部 ( 35ウ~ 36オ) に 朱書箇所 が 多 く 見 られ る 。 三十五丁裏 の 第二行末尾部 から 三十六丁表 の 第二行 まで、 通常通 り 漢字音写 が「 吠 〇 室 〇 洛 〇 …… 莎訶 」と 墨書 さ れて おり 、そ れと 対応 する よ う に 各奇数行 に 梵文 が 掲 げられて いるのだが 、その 梵文 が 全 て 朱書 き に なっ て いるの で ある 。そし て 、 続 く 三十六丁表第三行 ~ 第五行 まで、 梵文 のみが 墨書 さ れ て いる 。そのあ と の 朱書記事 「 是者旧梵本 吠 〇 室 〇 羅 〇 以下如是 。 而与今唐訳既異 。… … 」によるに 、 「 吠 〇 室 〇 洛 〇 ( 羅 〇 ) 」 以下 に 対応 する 梵文 が 梵本 と 唐訳本 とで 異 なる ので 、 前者 を 朱 で、 後者 を 墨 で、そ れ ぞ れ 掲 げ て いるよう で ある 。その ことは、 先 にも 引 いたが「 大般若理趣分真言 」 の 題左 に「 別有梵本 」と 記 し、 同題下 に「 私加注釈 。 梵文頗異 」と 朱書 する の と 、 対応 して も い よ う 。 さ ら に 、「 聡明呪 」 の 前 に 置 かれ た 「 大般若呪 」の 場合 にも 、 「 梵本有 ……」 ( 33オ ) と いった 朱書記事 が 見 える 。 例 えば 沼本克明氏 「 大 般若経 の 陀羅尼 の 読誦 につい て 」 ( 『 安田女子大学大学院文学研究科紀要 』 15、 平 22)は 「 大般若陀羅尼 の 読誦史 にお いて は 、 音読形 から み て も 四声点 から 見 ても 、 梵語原音 に 忠実 に 読誦 しようと いう 努力 は 払 われ て い た 形跡 がない 。 この 原因 の 重要 な 背景 とし て 、 大般若陀羅尼 の 梵文 が 伝承 さ れ なかった こと 、 従 って 円仁請来 の 系統 を 引 く 正当 な 悉 曇学 による 梵語原音復元 の 試 みが 成 さ れ る こ とがなかった ことが 考 えられ る 」 ( 傍線 = 中前 )と す る が、 上 に 見 たよう な 状況 は、 右引傍線部 が 説 くように 「 大般若陀羅尼 」す なわち「 大般若呪 」や「 聡明呪 」の 梵文 が 伝承 さ れ なかった とは、 必 ずし も 限 らない こ とを 示唆 し て いるだろうか。なお、 そ れ ら 大般若経理趣分 の 神呪 につい て は 、 渡辺章悟氏 『 大 般若 と 理趣分 のす べて 』 ( 溪水社 、 平 7)など 参照 。   以上 、 十項目 ごと に 少々知 り 得 たこ と を 書 き 列 ねて き た のだ が 、 それ ら 十項目 を 収載 する 本写本 につい て 、 高楠 『 悉 曇撰書目録 』は 「 平安末 」 、 『 梵字貴重資料集成 』は 「 平安時代後期 」 写 とし 、『 仏書解説大辞典 』 『 国書総目録 』や 『 新 ・ 梵字大鑑 』も 「 平安 ( 朝 ) 時代写 」 「 平安時代 」と す る 。 平安時代 に 遡 る 同類書 と 見 られ るも のと し て は 、 『 新 ・ 梵字

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大鑑 』 第七編第一章 「 現存梵字悉曇資料目録 」の 挙 げる 大治五年 ( 一一三 〇) 写 の 東寺金剛蔵本 『 真言集 』や 平安時 代 のも のと され る 醍醐寺三宝院本 『 真言集 』が 知 られ るほか 、 山本信吉氏編 『 正智院聖教目録 』 ( 吉川弘文館 、 平 19) も 「 常喜院心覚 ( 一一一七 ~ 八 〇) の 集 にな る」 で あ ろうと い う 「 平安時代後期 」 写 とさ れる 『 真言集 』 を 著録 する ( 下 巻 225頁 ) 。 平安期 に 遡 る 同類書 は 少 なか らず 伝来 する よ う だ が 、 本写本 と 同一書 の 他 の 伝本 となる と 一本 しか 知 られ て い ないよう で ある。 『 国書総目録 』に 掲 げる 青蓮院吉水蔵蔵本 ( 未見 ) で ある。 同本 は、 『 靑蓮院門跡吉水蔵聖教目録 』 ( 汲古書院 、 平 11)に 著録 されて お り ( 486頁 ) 、 や は り 平安後期写 の 桝形粘葉装一帖 で あるらしい 。また 、 同目録 によ るに 、 や はり 奥 に「 千手陀羅尼註已下皆加賀明覚聖人注也 」と 付記 さ れ 、そのあ と に 朱書記事 「 理趣分有三陀羅尼 。 ……」 が 見 える な ど 、 京女大所蔵 の と 一致 する 面 が 少 なく ないよ う で あ る 。 両本 の 関係 の 近 さが 窺 われ る 。また 、 先述通 り 三密蔵本 の 扉題下 に 記 され た 「 宗真 」が 吉水蔵本 には 見 えないよう で ある 一方 で、 吉水蔵本 には 三密蔵本 に ない 人名 「 仏子恵海 」が 右引朱書記事 の 末尾 に 朱書 されて い る 点 、 注意 さ れ る。ただし、 「 恵海 」につい て は 未詳 。   吉水蔵本 と 合 わせ て 二本 しか 知 られ な い 稀覯 の 平安後期写本 で あるの で、 『 梵字貴重資料集成 』 図版篇 には 先述通 り 写真二葉 を 掲 げるのみだが 、 本稿末尾 には 全体 の 影印 を 掲載 して お く こ と と し た 。 一頁 に 半葉 ずつ 掲 げる 。た だし 、 前後表紙 と 記載 のな い 遊紙 など につい て は 、 縮小率 を 大 きく し 最初 に 一括 して 掲 げた 。また 、 今回 はマイ ク ロフィル ムから 複写 したもの を 掲 げ て いるの で 、 不鮮明箇所 が 少 なく ない 。 特 に 第十 「 理趣分真言 」に 見 られ る 朱書 はほ とん ど 判読 できない 状態 にな っ て いる 。そ こで、 第十 「 理趣分真言 」 中 の 朱書箇所 に ① ~ の 番号 を 赤字 で 付 し、 影印上 方余白 に 各朱書 の 翻字 ( 梵字 につい て は 同一文字 の 影印 )を 掲 げ て おいた 。また 、 同余白 にその 他種々注記 を 加 えも した。 力不足 のため、 誤読等 も 少 なく ない と 思 われる。 今後 の 補訂 を 期 したい。 ( 本学教授 )

(29)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 3 ウ 1 ウ 前表紙見返し 2 ウ 1 オ 前表紙

(30)

後表紙見返し 38 オ 38 ウ 後表紙 37 ウ ※ 2オ 3ウ 37ウに 文字 らし きもの が 見 えるの は 、 すべ て 裏 うつりしたもの で ある。

(31)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 2 オ(扉) ※ 左端上 「 一校了 」 = 切断 されて 左半分欠 。

(32)
(33)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 4 オ 第一 「 三宝讃 」        仏讃 ※「 蘇悉地 」の 下 = 不明一文字 を 塗抹 。

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4 ウ        法讃        僧讃 ※ 漢字音写末 の「 二 」は 「 一 」の 誤 りか。

(35)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 5 オ

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5 ウ 第二 「 三部讃 」        仏部讃 ( 法身讃 )

(37)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 6 オ        蓮花部讃 ( 観自在讃 ) ※ 二行目冒頭 「 吠 」の 周囲 など、 こ の 一葉 の 写真 、 裏 うつり 多数 。

(38)

6 ウ        金剛部讃 ( 金剛手讃 ) ※「 金剛部讃 」の 右側 や 下方 など、 こ の 一 葉 の 写真 、 裏 うつり 多数 。

(39)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 7 オ 第三 「 三身讃 」        法身讃

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7 ウ

      

(41)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 8 オ        応身讃

(42)

8 ウ

第四

四智讃

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 9 オ 第五 「 本尊讃 」 ※「 本尊讃 」の 下 など 、 こ の 一葉 の 写真 、 裏 うつり 多数 。 ※ 漢字音写中 の「 摩 」と「 羯﹂の 順序 を 入 れ 換 える べ き との 指示 あり。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 10 オ 第六 「 不空羂索 」 ※「 訳 」 中 、 「 及 」と「 菩薩 」の 間 に「 諸 」 を 補入 。

(46)

10 ウ ※ 天部 に 補入本文書込 み。

(47)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 11 オ

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(49)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 12 オ ※ 減滅点 (… )の 施 され た 梵字 と 入 れ 換 え るべき 梵字 を 天部 に 書込 み。

(50)
(51)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 13 オ ※ 冒頭部 など、 こ の 一葉 の 写真 、 裏 うつり 多数 。 ※L 7「 水天 」L 8「 毘沙門異名 」= 通常 通 りの 墨書 のうえ か ら 朱 でな ぞり 書 き。

(52)

13 ウ ※L 7「 象頭神 歟 」= 通常通 りの 墨書 のう えか ら 朱 でな ぞり 書 き。

(53)

〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 14 オ ※ 減滅点 の 施 され た 梵字 と 入 れ 換 える べ き 梵字 を 天部 に 書込 み。 但 、 切断 されて 上 端 が 若干欠 け て いる。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 15 オ ※L 7中央部 など、 こ の 一葉 の 写真 、 裏 う つり 少 なく ない。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 16 オ ※ 減滅点 の 施 され た 行頭 の 梵字 と 入 れ 換 え るべき 梵字 を 天部 に 書込 み。

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〔 資料紹介 〕 京都女子大学図書館所蔵   東寺宝菩提院三密蔵旧蔵聖教群 略解題 Ⅰ 17 オ ※ 行頭 の 梵字 につ き 天部 に 書込 み。

図 2 陰刻朱長方印 「 東寺宝菩提院 」
図 4  京都女子大学図書館所蔵㉓梵本真言集 ( 3 ウ~ 4 オ)
図 6  京都女子大学図書館所蔵㉔梵字形音義 巻二
図 7  『 梵字貴重資料集成 』 所載 「 梵字形音義  第三  一巻 京都 ・ 東寺三密蔵 」

参照

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