琉球の創造力(六)ー命ど宝と長寿文化の創造ー
著者
比嘉 佑典
著者別名
HIGA Yuten
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
37
ページ
33-49
発行年
2002
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00009392/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja琉
球
造
力
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六
)
創
の
1 i命ど宝と長寿文化の創造
1 1 1 一、不老長寿人類の願い 不老長寿の願望は、今も昔も万民の夢でありロマンである。不老長寿を 願うあまり、多くの不老長寿伝説が創り出された。 限りある命に、不老不死を求める夢なんて所詮無駄なことであると分かつ ていても、人は不老不死の夢を見続けてきた。そしてその願望は、数々の 伝説の中に現れている。 わが国では、八百比丘尼伝説がその一つである。 むかし、若狭の国の高橋権太夫という長者に一人の幼い女の子がいた。 ある時、父が竜宮でもらったという人魚の肉を、この女の子が見つけて食 べてしまった。女の子はやがてきれいな娘に成長したが、不思議なことに それからというもの何歳になっても老いることなく美しい姿のままだった。 百二十歳の時、娘は世の無常を感じて髪をおろし、比丘尼姿となって諸国 巡遊の旅に出た。行く先々で病気の人を治したり、貧しい人を助けて田畑 を耕したりした。やがて、諸国巡遊の旅を終えた比丘尼は、故郷の若狭に 戻って隠棲していたが、八百歳の時、洞窟に入って食を断ち入定した。後よ
ヒ
嘉
典
佑
世の人々は、比丘尼がことのほか椿の花を愛していたことから玉椿の姫と ( 1 ) も呼んだという。(福井県小浜市) 衰えることのない、若さと美貌を授かった不老長寿の伝説である。 また、古くから﹃続日本紀﹄や﹁十訓抄﹄、﹁古今著聞集﹄などの文書に 記された﹁養老の滝﹂は、若返り(長寿) の清水として、養老山の奥深い 山中の滝の伝説である。(岐阜県養老町) 霊亀年間(七一五1
七一七)、美濃の国に貧しいが父思いの若者がいた。 名は源之丞といい、薪を売って酒好きの老父を養っていた。ある時、薪を 採りに山に入ったところ、岩の聞から湧き出る水を見つけ手に掬ってひと 口呑んでみると、それは芳香の漂う美酒であった。源之丞はそれからとい うもの毎日これを汲んで老父に欽ませて扶養した。老父はこの水によって 白い髪は黒くなり、顔の織もなくなってすっかり若がえった。この不思議 な 泉 の 噂 は 、 やがて元正天皇の耳にも届いた。痛く感動された天皇はこの 地に行幸し、源之丞の孝心に感じ入り、彼を美濃守に任じ、年号を﹁養老﹂ と改めた。また、八十歳以上の老人に位を授け、孝子たちを表彰したとい ぅ。今も養老寺には、養老伝説を記した﹃謡曲註本﹂と、元正天皇が発せ一
一
一
琉 球 の 創 造 力 ( 六 られたという﹁養老改元の記﹂、霊泉の発見者である源之丞の木像が保存 ( 2 ) されているという。 筆者は沖縄の不老長寿を考える場合に、まず比丘尼伝説の﹁竜宮﹂と、 養老の滝伝説の﹁酒﹂に注目してみたい。この二つは、沖縄長寿のキ
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ワl
ドであるからである。そのことに関しては後方で論じたいと思う。 不老長寿伝説に限らず、古代から王朝および天下盗りの戦国武将たちの 不老長寿に対する欲望は、ただならぬものがあったようである。﹁養生﹂ にはじまり、食物の効能(薬膳、薬酒、薬茶、素食) や不老長寿薬に心血 を注いだ。中でも、徳川家康は薬づくりの名人、今でいえば薬剤師である。 L せ つ ぎ ん え き た ん は ち み が ん 家康が調合しつくらせた薬剤は、紫雪(風邪)、銀液丹(疾)、八味丸(健 ま ん び ょ う え ん そ ご う え ん 、 っ き い え ん ま さ え ん 康薬)、万病円(寄生虫)、蘇合円(下痢)、烏犀円(中風)、摩沙円(切 り傷)などがある。れっきとした薬剤の専門家である。薬の考案は、 し、 つ てみれば長寿の素作りである。特に権力者は、不老長寿にご執心であった。 二、不老不死の元祖中国 何といっても、不老不死の本場・本家は古代中国である。そもそもの発 端は﹁道教﹂である。 道教とは﹁儒教・仏教とともに、中国三大宗教の一つ、道教教理の原型 は不老長生を求める願いと、老子・荘子などの無為自然を中心とする道家 思想とである。そのなかに、ト占や五行思想や医術などが時代とともに流 れこみ、他方、儒仏二教の倫理や礼儀も融合して、現在見られるような道 ( 3 ) 教が成立している。多神教である。﹂と﹁道教事典﹄(平河出版社)で定義 しているが、むしろ筆者は、窪徳忠(東大名誉教授) の定義が、不老長寿 四 を考える場合妥当だと思うのでここで拝借したい。 ﹁道教とは、古代の民間信仰を基盤として、神仙説を中心とし、それに 道家・陰陽五行・しんい・医学・占い星などの説や、亙女の信仰を加え、 仏教の組織や体裁にならってまとめられた、不老長生を目的とする呪術傾 ( 4 ) 向の強い現世利益的な自然宗教である﹂とするものである。それだと、神 仙説ということと、呪術と自然宗教に関する不老長寿が明確になってくる か ら で あ る 。 道教にしても、古代中国の神話伝説にしても、そのスケールの大きさに 五OOO
年の歴史を感じさせると同時に、大陸という規模の大きさ、﹁山 海経﹄等にみられる原始山岳信仰(仙境)は、他を圧倒している。 まず、長寿者の代表格である彰祖から取り上げてみよう。三浦圃雄によ れば、﹁彰祖というのは長命者の代名詞のような人で、戦国末期には寿八 百歳というその長寿ぶりが人々の共通理解になっていたようであるが、前 漢の劉向(∞- n
・ 忍 ' ﹀ ・ ロ ・ ∞ ) の 作 に 帰 せ ら れ る ﹁ 列 仙 伝 ﹄ で は 、 彼 は 八 百 歳 った、と書かれている。この彰祖は葛洪 を生き切った末に﹁昇仙し去﹂ ( N∞
ω ' ω h F ω ) の著と伝えられる﹃神仙伝﹄になると更に変容してゆくので あるが、そこで著者は彰祖に、長命者と永生者というより長命・永生者 と仙人とのレヴェルの相違を次のように語らせている。 ひ ん じ ゅ 人は気を菓受して生まれた以上、方術を知らずとも気をうまく養えば 常に百二十歳までは生きられる。そこまで生きられぬ者は気を損なっ ているのだ。その上さらに道を会得したなら二四O
歳は可能だし、そ さわ の倍の四八O
歳まで大丈夫だ。道理を窮めたなら、不死だって不可能 で は な い 。 仙人にはなれない。 し か し 、では仙人とは何か。彰祖は云う。 仙人とは、あるいは身を跳らせて雲に入り、翼もないのに空中を飛行 き ぎ は し する。あるいは龍を御して雲に乗り、上は天界の階にも至る。あるい は鳥獣に変化して青雲の上に遊ぶかと思えば、江海の中を潜行したり れ い し 名山を飛び回る。あるいは元気を食らい霊芝を味わう。あるいは人間 社会に出入りするが、仙人とは気づかれない。あるいは身を隠して人 から見られない。顔には尋常でない骨相が備わり、体には奇異な毛が ( 5 ) はえている。おおむね人里離れた所を好んで俗人と付き合わない o ﹂ 一九九三年、筆者は一年間交換研究教員で武漢市の華中理工大学(現在 は華中科学技術大学)に滞在した。その問、かつて仙人が住んでいたとい う武陵源(張家界)に行ったことがある。奥深い山奥に、切り立つ石林の 山、まさに墨絵の世界そのものであった。当時は外国人にとっては足を踏 み入れられなかった未開放地域であったために、パスポートを預ける形で 案内された。切り立つ石山の林、どこまででも続く石林、霧がかかって神 秘に包まれていた。疑いもなく仙人が住んでいる神仙境だと、肌で感じた も の で あ る 。 途中、ひときわ険しい切り立つ断崖の石の山があって、ガイドにいわせ ると﹁仙人岩﹂だといった。昔、八十歳の老人がこの険しい直角に切り立 つ断崖を、駆け足で軽々登った所だというのである。ただただ驚きとため 息が出る思いで頂上を眺めていると、その時、突然猿が筆者の肩に飛び乗っ て、両足で筆者の首をしめつけるようにして一屑に座ったのである。瞬間、 ピカツとまぶしいフラッシュをあびた。そこに、カメラを持った写真屋が にっこりと笑いながら、
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元でいかがですかと手を出したのである。不 琉 球 の 創 造 力 ( 六 意打ちを食らって驚いたが、 記念にと思って買った。今にして思うに、あ れは奇異の毛がはえた仙人ではなかったかと思う。﹃神仙伝﹄にかかわる 仙人に興味を持ち、文献を読み解いていく内に、あれは猿に化けた仙人だっ たに違いないと、妙な幻想にかられたものである。 仙人・仙道呪術は、古代中国のお家芸ともいうべき独特の不老不死の世 界である。そこは、永遠の活力と生命力を高める俗世界を超える不死の思 想が、大樹のように根をはった世界である。不老長寿を約束する八仙や、 ﹁ 列 仙 伝 ﹄ ( 七 十 四 名 の 仙 人 ) 、 ﹁ 神 仙 伝 ﹂ ( 九 十 二 名 の 仙 人 ) 、 ﹃ 歴 世 真 仙 体 道通監﹄(九百三十八名の仙人)、﹁有象列仙全伝﹄(五百八十一名の仙人) の面々。仙人にはことかかない、中国の不老長寿の夢は、果てしなく壮大 な不死幻想である。 時の権力者もしかりである。秦の始皇帝と漢の武帝は、神仙に執着した 皇 帝 で あ る 。 始皇帝は秦王の曾孫として生まれ、紀元前二五九年わずか三十九歳で中 国を統一し、始皇帝を名のったが、天下巡遊の旅の途にあって、わずか五 十歳の生涯を閉じた皇帝である。神仙に魅惑された始皇帝は、秦山におい て不老長寿を祈る儀式を行い、この儀式は後に、山岳信仰に組み込まれて いくが、始皇帝はやがて徐福と出会うのである。﹁山東半島にやって来た 始皇帝に、方土の徐市たちが海上の三神山の探索を行うようそそのかす。 徐市はまた徐福の名を持って知られる人物である。 ほ 、 つ ら い ほ 、 つ じ よ 、 っ 、 え い し ゅ 、 つ と遠からざる海上に蓬莱、方丈、横洲とよばれる三神仙が浮かび、 -人 を 去 る こ -・・二一神仙には仙人が住まい、不死の薬が存在し、烏や獣はすべて無垢 の白色をしており、黄金や白銀で宮殿が作られている。三神山は遠くから 五琉 球 の 創 造 力 ( 六 は雲のごとくに望見されるものの、さて側まで近づくと、水中に没するか、 あるいは風が吹きおこって船をひきもどしてしまうため、これまでにだれ ( 6 ) もたどり着いたものはいない﹂といって、数千人の童男童女たちをつれて 三神山へ行って仙薬を取ってくることを申し出た。 つまり、有名な﹁徐福 伝説﹂である。三神仙のひとつ蓬莱山は、日本だといわれ、佐賀県、愛知 県、山梨県などに、徐福伝説が散在している。筆者が中国滞在中にも、徐 福学会なるものがあって、徐福研究学会誌も発行されていた。その会誌が 日本語の訳本(﹁不老を夢見た徐福と始皇帝中国の徐福研究最前線│﹄ 勉誠社)として出版されている。 漢の武帝も始皇帝と同様に神仙に取り付かれた皇帝だが、ここでは割愛 したい。ちなみに、武帝の年寿は七十歳であった。長命というべきか。 不老不死をめざす仙道呪術の世界は、奥の深いものがある。永遠の生命 を獲得する道教については、神仙(生死を超えた理想郷にすむ仙人と霊威 を放ち続ける個性的神々)、道(悠久中国の思想の根本をなす深遠なる自 然宗教の系譜)、不老長寿(身体の中の自然の制御、永遠の生命を得る密 教的方法論)、方術(驚くべき手法を駆使して常識を超えた道教呪術)、霊 ( 7 ) 符の呪法(不可思議な力を発揮する神秘的霊符)等が説かれ、不老不死の 理想郷への渇望にはすごいものがある。西洋の﹁錬金術﹂に比べると、東 洋の神仙は、深層精神文化において秀でたものがある。 三、中国の長寿の里を訪ねて わざわざ、不老長寿の里をさがし訪ねたのではない。観光の目的で見学 してきた所が、たまたま長寿の地域を歩いていたのである。 ム ノ、 道教の楽園世界は﹁仙境﹂と呼ばれるもので、そこには神仙たちが棲む 永遠のユートピアである。陶淵明の﹃桃花源記﹄ は、﹁桃源境﹂と呼ばれ る理想郷の生みの親である。武陵の漁夫が人里は離れた山中のユートピア・ 桃源の里に迷い込んだ話である。現在では武陵源(張家界) 一帯といわれ ているが、筆者は二度にわたってその武陵源を訪れたことがある。前述し たように、仙人が住んでいてもおかしくないほどの、幻想的な張家界であっ た 。 お世話になった大学での会食の時に、武陵源の話に花が咲いた後、武陵 源からそう遠くない所にある神農架の話に及んだ。その時、学長の口から ﹁神農架には野人が住んでいるといわれている。彼らは、始皇帝のことも、 中国五千年の歴史も知らない。ましては、現代中国が共産主義国家だとい うことも知らないらしい﹂と言われたのには驚いた。そのとき筆者の脳裏 には、雪男を連想した。 ついで仙人を想像した。武陵源の渓流を下り、大 洞窟を歩き、切り立つ石林の奥深くさ迷い歩いた経験からして、ひょっと して事実かとも思った。そういえば﹁中国の﹁野人﹂﹄(周正、田村達弥訳、 中公文庫) の本も出版されている。 次いで行ったのは、天山山脈一帯にある、新彊ウイグル地域である。筆 者は天山山脈の、伝説で名高い﹁天池﹂を見学した後、地元のウルムチと トルファンに滞在した。砂漠の中のオアシスのように所在しているトルフア ンでは、ひげをはやした風格のある老人たちに出会った。中国でも有名な ブドウの産地として知られるトルファンは、シルクロード長寿圏の一つで かくしゃく あった。カメラを向けると、静かに手を上げて制止する、穏やかで墨錬 とした老人の態度に威厳すら感じ、一瞬カメラを引込めた。印象的なのは、
老人の落ち着いた穏やかな表情であった。 この地域は、直接仙境ではないが、昆器(実際の崖忠岡山脈ではない) 聖域に住むといわれている西王母(最高位の仙女)の伝説が伝えられてい お お ま げ か し よ う る所でもあった。﹁西王母は髪を優雅な大留に結い、華勝という極上の冠 に黄金色の錦の衣をまとい、万能のお札を持っている。年のころは三十ほ どで、絶世の美女。まさしく、女仙の最高位にふさわしい気品と実力を備 ( 8 ) えている﹂といわれている。西王母は、いろいろな伝説に顔を出す女仙た だが、不老長寿に関しては、漢の武帝の話はよく知られている。 筆者は帰国後、沖縄の長寿について調べていくうちに、長寿文献の中で、 ( 9 ) ( 日 ) ﹃シロクロード長寿郷﹄と﹃長寿の秘密﹄で、ウルムチ、トルファンつま り、シロクロード長寿郷を後で知ったのである。 四、世界の長寿地域 長寿文献を探索して分かったことは、世界的に長寿地域が存在すること であった。例えば、シルクロード長寿地域、 つまり新彊ウイグル ( 中 国 ) 、 ウズベキスタン、 カザフスタン フンザ(パキスタン)な ( 中 央 ア ジ ア ) 、 広
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ど 西t
、で 巴ブあ 馬↓り ( 旧 ソ 連 ) コl
カサス やビルカバンパ ( 南 米 エ ク ア ド ル ) 、 ( 中 国 ) 等 で あ る 。 それらの地域は、技術革新・近代文明から離れた地域、 つまり伝統的な 文化を継承している地域である。近代文化があまり発達していない地域に 長寿が多いことに注目しておこう。アフリカのマサイ族もその例である。 これらの長寿地域は、近代文明の発達が遅れているせいもあって、戸籍制 度が十分に整備されていない。そのため、正確な年齢確認は不明な点が多 琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) ぃ 。 し か し 、 一般的に高齢者の多い地域である。筆者の経験では、元気の の よいお年寄りが多いということである。健康で、元気老人なのである。 とりわけ長寿地域といわれているところは、 コl
カサスと新彊ウイグル とアンデス山中のピルカバンパである。この三地域の特徴は、内陸でしか も山国である。 コl
カサス山脈にかこまれたコl
カサス、天山山脈・昆忠岡 山脈にはさまれた新一騒ウイグル ( ウ ル ム チ 、 ト ル フ ァ ン ) 、 アンデス山脈 山中のビルカバンパなどである。長寿国は山国か、不老不死の仙境もやは り山中であるのか。 しかしまて、現代では、世界一長寿国は海国の日本である。その中でも とりわけ沖縄は、世界一である。摩詞不思議、 いつのまにか沖縄が世界一 長寿郷。灯台下暗し、足元に不老長寿があったのである。それは、山国説 を十分にひっくり返す根拠になる。太平洋上に浮かぶちっぽけな島、世界 地図でもほとんど小さくて見えない島・沖縄が、長寿オリンピック金メダ 由 ち ルである o A 叩ど宝の島の誇りである。今、高齢社会をむかえて、長寿県沖 縄ブl
ムにわいている。数多くの長寿研究報告がなされている。 ひとつ仮説を立てておこう。それは海流説、だ。山脈とは反対に、00
海 流・海峡説である。沖縄は、黒潮海流の真っ只中にある。 さてここで、三神山と徐福伝説を思い出そう。はるか東の海上に忽然と 浮かび上がる島・蓬莱山。日出づる彼方に浮かぶ島、無上にして最高の理 想郷。徐福が三千人の童子をつれて、渡っていった蓬莱島は日本だという 説がある。古い地図では、台湾や琉球が蓬莱山(島)と呼ばれている。 はたまた、海底の神仙境﹁竜宮﹂に言及しよう。蓬莱などの三神山は、 海に浮かぶ聖域だが、深い海底ないしは湖の底にも神仙の棲む理想郷あり。 七琉 球 の 創 造 力 会 ハ ) それが竜宮である。竜宮は、浦島伝説の中に息づく海底の理想郷である。 この説話は、洞庭湖周辺に伝わる﹁龍女伝説﹄と ﹃仙境掩留説話﹄を下地 にして、日本に移入されて各地に浦島伝説を生んだといわれている。沖縄 もまた、竜宮だといわれている。海洋の桃源郷・ユートピアである。 蓬莱山は霊気楼に包まれて、誰一人として見たことがない。はるか束の 海上に浮かぶ島だというから、沖縄もその範曙に入るだろう。沖縄・竜宮 城のイメージは、束の海上の理想郷である。そういえば、沖縄のグスク (城)が、世界遺産に選ばれたのも、何かの因縁だろうか。 それはさておき、まぎれもなく現実に、現在沖縄は世界一長寿の島であ る。老人たちは、シルバー・ゴールドメダリストである。長寿オリンピツ ク・ゴールドメダリストである。不老不死・仙道呪術や仙人修業なんか、 わざわざやらないのに長寿になった。なんの苦労もなく・苦しい修業もな く長寿になることこそ、実は仙道の理想なのではないか。それが不可能だ か ら 、 いちいちややこしい修業をやらざるを得ないのである。﹁自然体の 長寿﹂これが、沖縄長寿の秘密であると筆者は考えている。 求めよさらば与えられん的道教の修業は、骨がおれる上に、不老長寿へ の坂道を歩くようなものである。道教を調べてその不老長寿の方法を見て 思うに、あの修業は大変だ。一房中術(陰と陽の神秘的合一)にいたっては 至難な技である。筆者ならとうにあきらめる。不可能を可能にすることく らい、難しいことはない。理想や幻想はめったに手に入るものではない。 だから、理想であり幻想なのだ。 長寿の島沖縄、世界一、世界一長寿とさわがれているわりには、沖縄の 老人はそんなに頑張ってはいない。 一 位 に な る た め に 、 一生懸命なところ j
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(まあまあ、ほどほど)なのである。頑張り屋の長寿で はなく、年も忘れて年をかさねる自然体的長寿が沖縄の長命だろう。その 方が、もっとも気楽で理想的である。そのことを、逆説として掲げて、沖 縄の長寿についてみていきたい。 五、沖縄の庶民と長寿 長寿は人類の願いであるとはいえ、歴史的に庶民にとってどうであった のか。秦の始皇帝(当時の権力者) は手に入れた権力や地位欲しさに、 や貴族階級の者にとっては、不老長寿 のどから手の出るほど欲しい最も大事 な宝物・願望であったのではなかろうか。秦の始皇帝をはじめ、漢の武帝 にしても、あれだけご執心だったのは、自らの永久権力保持に絶対必要だっ たからである。だから、あれほど不老不死を渇望したのである。 健康で長生きするのは、基本的に人々の願いではあるが、しかし、長生 きされては困ることだってある。例えば、貧乏のどん底にあった庶民の生 活においては、百年も長生きされてはそれこそ困るはなしである。口減ら しの間引き、特に長寿に関しては、楢山節考は、その象徴的例である。年 老いた老婆を背負って、おば捨て山に捨てる話は、人々を悲痛な思いにさ らした。貧しい庶民にとっては、長寿はありがたいどころか、現実には迷 惑なことであった。できることなら、長生きして欲しい反面、長生きされ たら後が困るのも生活の現実であったからである。 先祖崇拝の根強い沖縄の庶民にとっても、長寿者はある意味で厄介者で み の つ h。
例えば、八十八歳のトl
カチの祝い (斗掻き祝い)と九十七歳のカジマャーの祝いの風習は、近年長寿祝賀の宴となっているが、﹁沖縄民俗調査﹂ によれば、﹁それ以前の昔においては、この二つのトシビ儀礼は、八八歳 や九七歳になった老人を早くあの世へ引きとって貰いたいと願う模擬葬式 の秘祭が行われていたことである。その風習は戦後最近まで行われていた が、深夜に近親者のみで取り行なう秘密の御願なので、 一般の世人にはよ く知られていないようである。 八八歳のト
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カチ祝いには、そ の前晩、祝わる当人が寝てから上に白衣をかぶせ、枕元に御箸を十字に立 てた枕飯を供え、香をたいて近親者が手を合わせるが、周囲の女たちは、 しくしくと泣き、司祭者の長男が、もうあの世にいかれるいい年だから、 どうか早く引き取って下さいという祈願の言葉をのべたという。昔は九七 歳まで生きのびる人は、ほんとうに古来稀なりであったが、この時には当 人を乗り物にのせ先頭の者は箸を持って墓まで模擬葬式をしたという。そ ( 日 ) してその模擬葬式に出会うことは極端に忌まれていたという。﹂ 生活がかかっているからといって、 殺すわけにもいかない。あの世に送 る事、迎えてもらうことしかない。模擬葬式は、 いってみれば﹁早く死ん でくれ﹂という儀式である。したがって、長寿世界一沖縄の歴史において は、かつて不老長寿願望なんてなかったのである。金持ちゃ武家貴族階級 の者でない限りは、貧しき一般庶民にとっては無縁のものであった。その ことは、沖縄に限らず世界共通の思いであったろう。親を思う心は人一倍 あっても、貧困の前にはどうすることもできなかった。近年やっと、長寿 が慶福事となってきたのである。 かつて、パジルホl
ル大佐から﹁武器亡き国が東方にあり﹂と開いたナ ポレオンは、テーブルをたたいて﹁信じられん﹂といったと言う。もしも、 琉 球 の 創 造 力 会 ハ ) 秦の始皇帝が琉球の模擬葬式の話しを聞いたら、同様に﹁信じられん﹂と 叫んだにちがいない。もったいない話しデl
ピ ル ( 話 し で ご ざ い ま す ) 。 六、長寿郷・沖縄の長命文化 まず沖縄の長寿文化を理解する根底には、﹁長命文化﹂という観点は欠 かせない。﹁沖縄の長寿現象や沖縄の長寿者を理解するということは、そ の背景にある﹁沖縄﹂そのものを理解するということに他ならない。﹃沖 縄そのもの﹄とは、沖縄の歴史や文化をひっくるめた総体的な理解であ る。・・・・・それによってのみ、沖縄の長寿現象や沖縄の長寿者をより ( ロ ) 深く理解することができる。﹂ このような観点から沖縄の長寿についていろいろ調べてみたが、直接長 寿に関する文献は、ほとんど見当たらない。秋坂真史によれば﹁沖縄県に おける初期の長寿研究の系譜を眺めてみると、本格的な沖縄長寿の研究は、 本土での勃興の影響を受けて、昭和六0
年代に入って開花したといえる。 それまでは、全国と同様、琉球国においても、近世までは直接﹁長寿﹂に 関する著作は皆無であって、健康保持を意識して書かれたものとしては、 わずかに﹃御膳本草﹄(一八三二年、渡嘉敷通寛)が知られるのみである。 しかもこれは、いわゆる食事療法に関するものであるが、当時の﹃健康書﹂ ( 日 ) の テ1
マとして主流のものであった。﹂というのである。 あれだけ中国との交易・文化の交流があり、風水や火の神やその他いろ いろ道教の教えを導入し、生活に色濃く影響しているというのに、なぜか 道教の根本・不老長生の目的が欠けており、したがって不老長寿を追い求 める方術は発達しなかった。せいぜい生活の安全、健康祈願程度のもので 九琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) あ っ た の で あ る 。 直接長寿文化の文献や長寿の秘訣がないのであれば、間接的に長寿を支 える文化についてみてみる手立てしかないであろう。そこで、長寿を成り 立たせている文化的要因について、文献等にあたってみた。それによると、 例えば、﹁沖縄発・爽やか長寿の秘訣﹄ で 、 高 良 倉 吉 は 、 きこえおおきみ 仰(ニライカナイ楽土郷)とオナリ信仰(開得大君を頂点とする守護神と ニライカナイ信 ヨコ型社会(ユイマ
l
ルによる相互扶助)、墓を中心とする ( U ) 集団性があると指摘している。 し て の 女 性 ) 、 また、鈴木信は、﹁沖縄の長寿の秘密﹂ で、ユイマl
ルと祖先崇拝(そ の担い手としてのオパl
の 存 在 ) 、 ウ ガ ン (御願、自己解放、治癒作用) 等を指摘しながら次ぎのように語っている。﹁つまり、祖先崇拝の実践に よる世界観、さらに精神療法を取り入れた沖縄の精神文化が沖縄のオパI
の長生きの要因の一っと考えられる。興味あることは沖縄では、沖縄の持 つ伝統の琉歌、古典、舞踊などの民俗芸能、 モアイ(面合) や シl
ミl
サ イ(清明祭)等の風習が現在も生きていて、沖縄の精神文化を形作ってい ( 日 ) ることである o ﹂ 田中寛二と中村完らの、﹁長寿社会沖縄に生きる﹂では、祖先崇拝、敬 老精神、墓や仏壇、清明祭やお盆、 ( 近 隣 相 互 シ ス テ ム ) 、 老 ユ イ マ1
ル ( 凶 ) 人の高い地域貢献意識などをあげている。 その他に、長寿には、空手、泡盛(百薬の長)といった意見もある。 以上あげたのは、長寿文化のキーワードであるが、それらの考え方の背 景にあるものは、沖縄の歴史がもっている﹁チャンブル 1 文化性﹂である。 いわゆる周辺諸国による文化的複合性である。﹁沖縄文化史辞典﹄によれ 四 0 ば、沖縄は﹁中国や朝鮮・南方諸地域(インドシナ、シャム、マ レ
l
、
ィ
ンドネシア)等との交渉は日世紀の中継貿易時代から連綿と何百年間も続 い て い る の で 、 いろいろな文化の流入があったと思う。琉球婦人の髪の結 い方はラオス地方の髪の結い方とまったく同じだといい、琉球の名酒泡盛 はシャムのラオロン酒の製法そのままであるとは、実地調査された束恩納 寛惇の報告である。沖縄の首里・那覇の上流婦人が愛用していたビンガタ (紅型)という型染めの着物は、図柄は本土の友禅その他の型染技法によ りながら、その染色の材料色彩は南方系で、それでもって美しい琉球独特 のピンガタが独創生産されている。朝鮮との交渉もずいぶん古い時代から あったらしいが、最近、民俗学、民族学者の研究テl
マとして取りあげら もんちゅう れている門中という親族組織を表す語葉も朝鮮には五OO
年前の文献か らあったという。七OO
年も続いている中国文化の影響は沖縄人の信仰生 活・年中行事その他各方面に及ぼしていることは歴然としている。火の神 の沖縄固有信仰に道教の竃信仰が混入し、中国の土帝君信仰がいつの頃に か招来されて沖縄に定着している。年中行事の清明祭や祖霊祭に紙銭を焼 く民俗、墓制の面では亀甲型の墓の発達など、各方面に中国文化の影響が ( げ ) 見 み ら れ る 。 ﹂ このように周辺諸国の文化的背景をぬきに、それらを理解することはで きない。ニライカナイ信仰(はるか彼方の遠い海から船でやってくる神) は、明らかにそのこととかかわっている。 オナリ信仰は、沖縄人の信仰や祭杷組織の基本である。オナリは姉妹の ことであり、その家の守護神である。オナリには守護する霊力があるとの 信仰である。女神(姉妹)が守護するという信仰は、沖縄の独自の信仰形態である。沖縄にオナリ信仰が発生したのは、往古より男たちの海外生活 が活発に行われたためで、島を離れて遠く航海する自分の肉親の安全を女 たちが祈ったところから発生したとされている。オナリ信仰は、原始社会 から政治社会へと発達するにつれて、聞得大君が琉球国王のオナリ神・守 護神の形に拡大されていくのである。 特に沖縄のオパ
l
の長寿は、このオナリ神の血筋をひくものだろう。オナ リDNA
とでも呼んでおこう。沖縄の女性は長生きである。特に元気がい ( 国 ) ぃ。そのオパーたちのたくましさと元気印は、書物にもなってベストセラー となった。話題になった映画﹃ナピl
の 恋 ﹄ の オ パl
は、腰が痛い痛いと いいながら、恋に落ちて駆け落ちするほどのたくましさ、この恐ろしいエ ネルギl
はオナリのDNA
か、脱帽である。 ところで、﹁琉球国 沖 縄 の 天 命 ﹄ の著者である高嶺善包は、沖縄が世 界の癒しのオアシスになるとして、次のように述べている。 沖縄が、生命のオアシスと呼ばれることの根本の理由は、他にある。 自然が美しいというだけではない。自然が美しいということだけであ れば、他の国や地域にもある。しかし、生命の同化、という宇宙の真 理に目覚めさせるだけの聖なるエネルギーは、他の国や地域にはない のだ。生命のオアシスとは、母なる癒しのオアシスである。沖縄には、 生命を生み出す、母なるエネルギーがある。それは沖縄が神々の島で ( 日 ) あるからである。 それは、まさにオナリ信仰の基底にあるものである。生命のオアシスに ついては、後に検討しよう。 琉 球 の 創 造 力 会 ハ ) 七、沖縄卜 l ト l メ l 不老長寿境論 沖縄の長寿文化を考えるにあたって、道教に代わるべき新たな﹁沖縄不 老不死論﹂﹁不老長寿論﹂を展開してみたい。結論から先にいえば、﹁トl
トl
メl
不老長寿論﹂である。 ト l ト l メ l とは、位牌のことである。古くからは、グワンス ( 元 祖 、 先祖神)が記られている所を称してト l ト l メ!ともいっている。ト!ト l ( 初 ) メl
論争は、女性でも一族のグワンスを受け継げるかの論争であった。筆 者は、ト l ト l メ l を広い概念で捉えたいと思う。 ト1
トl
メ1
とは、単なる位牌ではなく、グワンス (元祖、先祖神)を 中心とする祖霊信仰、先祖崇拝を総称または象徴した概念であり、それら を総括・統括する名称であると規定したい。トl
トi
メl
は、墓を中心と する一族集団・門中と清明祭の組繊・行事に集約される祖先崇拝・祖霊信 仰の総称である。 したがって、ト l ト l メ l 不老長寿とは、ト l ト l メ l を中心に長寿を 願い実現することであり、トl
トI
メl
不老長寿境(オアシス)とは、不 老長寿の場(ネットワークも含んだ)・境界である。こう規定しておこう。 してみると、沖縄の不老長寿の仙境・桃源郷は、はるかニライカナイとか 東方の海上とかといった別世界に存在するものではなく、常に身の回りに、 生活の中に、或る時、或る空間の中に存在する世界である。いわば、トl
ト l メ l を中心としてつくり出される世界のことである。それを、ト l ト l メl
不老長寿境(オアシス)と呼んでおこう。 トl
ト1
メl
長寿境は、またあの世とこの世とを先祖によって結ぼれた 四琉 球 の 創 造 力 会 ハ ) ところ、生命のオアシスでもある。生者と死者がともに暮らす生命の楽土 境・常世の国、蓬莱仙境である。︿命ど宝﹀の邦である。 したがって、ト
l
トl
メl
不老長寿の根本精神は、生者と死者とをつな ( 心 を 休 め 慰 め る も の ・ 所 、 ぐ永遠の生命の信仰である。生命のオアシス ぬ ち ぐ す い つまり︿命の薬﹀が、ト1
トl
メl
の 根 本 で あ る 。 憩 い の 場 ) 、 先祖神・先祖崇拝の祖霊信仰は、沖縄民間信仰の独特の形態をもってい る。本土のように、仏教を中心とする宗教は沖縄の一般庶民の生活を変化 させるには至らなかった。ただ仏教は、首里・那覇の上流階級によって、 都会を中心に信仰者が集まっていた。 一般庶民は、道教の影響を受けなが ら、自らの祖先・祖先崇拝・祖霊信仰を生活の全般の支柱としていた。 筆者が本土で生活して困ったのは、宗教の問題と家紋である。﹁どちら の檀家ですか﹂、﹁宗派は何ですか﹂、﹁家紋は何ですか﹂の返答に困惑した のである。本土で生活して驚いたのは、檀家制度と仏教式お葬式である。 ゃ ん ば る や ま 筆者の住んでいた山原地方の農村では、ほとんどなかったことである。大 和妻をもらい、知人や親戚の冠婚葬祭に参加するたびに、違和感をもった ものである。亀甲墓と石碑の墓との違い以上に、宗教・信仰の違いは筆者 を戸惑わせた。お稲荷信仰、キツネやタヌキといった動物を記ることも沖 縄では皆無である。第一沖縄には、キツネやタヌキは存在しない。やはり 沖縄においては、先祖以来延々と祖霊信仰・祖先崇拝を貫いてきた。それ が沖縄の根強い信仰形態であるならば、不老長寿の願望もそのことに求め た い の で あ る 。 まず、先祖神とは、﹁グワンスという。ある血族団体の始祖神・遠祖神 もんちゅう のこと。沖縄本島では血族団体を表す言葉に門中、 ハラなどがあり、そ 四 れら門中・ハラの始祖神は御獄の神である場合が多い。始祖神・遠祖神を 祭る香炉はまた門中・ハラの根屋(総本家)にあって門中の人々に祭られ ( 幻 ) て い る 。 ﹂ 先祖崇拝とは、どのようことなのか、﹃沖縄文化史辞典﹄によれば、﹁沖 縄では仏教をはじめとする外来宗教が、長い間根をおろすことが出来なかっ たが、その要因の一つは、沖縄の固有信仰と目すべき祖霊崇拝が一般住民 の聞に深く広く根をはっているからである。沖縄の人々は祖先という言葉 を口にしない。先祖という言葉を用いる。方一百でシンズといっている。シ ンズの概念も単純ではなく幅が広い。まず先祖の中には、その一族の始祖 がまっさきにあげられる。 移住の年代に区切りをつけて、先の世 ( サ チ ヌ ユl
)
、中の世(ナカヌユl
)
、今の世(ナマヌユl
)
というよう な呼び方をする地方もある。また、もっとも古い始祖の時代を原始時代と 考えて、神の世(カミヌユl
)
という呼び方をする人々もいる。 いずれに せよ、これらのシンズたちは、その一族の始祖であると考えられているの である。次に先祖の概念の中には単に始祖だけではなく、それから後も、 現在使用中の墓に葬られている祖先の人々もシンズとよぶ。そのことから 人々は自分たちの墓のこともシンズという。 つまりは、始祖をはじめ現在 使用中の墓に葬られている人々をもひっくるめて先祖と呼んでいることで ある。沖縄の人々の祖先崇拝熱の原因は、要するに、祖先の霊というもの は子孫の繁栄を願い、 いろいろな災害から子孫を守ってくださるものであ る。だから、その報恩感謝のために、絶えず先祖を拝まなければならぬ。 また先祖というものは子孫から手厚い祭りがあって、はじめであの世で安 住するのであって祭る者がいなければ安住出来ない。もし、子孫にして先祖の祭りを怠ったりすると、必ず先祖からの知らせがある。その知らせは 子孫の病気災害となって現れるものである、!ーとの考え方が強く一般の 人々の心に存在していたからである。そのような信仰が根本にあるため、 沖縄人の祖先崇拝熱は昔から今にいたるまで盛んであるといえる。 . . 沖縄人の祖先崇拝熱の象徴は、あの壮大なる門中墓に見ることが出来る。 沖縄人がシンズとよぶ墓は、祖先の安住の地であると共に、自分たちの永 住する場所、住まいであるという考え方があるので、どうすればりっぱな 墓を造れるか、りっぱな墓を造りたいというのが沖縄の古老たちの大きな 念願である。その壮大な墓、広い墓域で一年に何回かの墓前祭が行われる。 、 ( 包 ) とくに春の清明の季節にある清明祭は盛大である。﹂(傍点引用者) では、盛大に行われる清明祭とはどんな行事だろうか。清明祭とは、 もんちゅう ﹁旧暦一一一月の清明の節に、門中または、その分節の小集団のメンバーが 行う先祖祭のこと。各家庭から重箱に入れた餅などのお供え物を持ち寄る か、あるいは、あらかじめその祭りの費用を各家庭より徴収し、その門中 などの集団の宗家で女性達が共同で供え物の食物を準備して、共同の墓地 に集まり、先祖の霊を拝んだあと供え物を分けて食べる。沖縄の墓はその 墓の前部にかなりの空間があるのがほとんどで、そこに莫藍などを敷き、 参集した人々が遊びをかねたような気分で、日頃疎遠な親類との交わりを あたため合う。この清明祭は共同墓にその墓を使用している家族成員が参 集し祖先祭聞を行う儀礼が中心である。 この清明祭は十八世紀の 中ごろ中国から沖縄に伝わったといわれており、沖縄本島における門中組 ( お ) 織の生成発展のプロセスと密接なつながりを持つ祖先祭記行事である。﹂ ( 傍 点 引 用 者 ) 琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) このような先祖崇拝の中で、先祖の霊つまり祖霊はどうなるのか。祖霊 は、ウヤファ
l
フジヌマブイという。﹃沖縄では三十三年忌は神になるお 祝いであるとして、その供養は盛大であり、そのお供え物は祝儀に準じて 餅やお菓子などはすべて赤いものを用いる。人間の霊は死後四十九日まで は人家に訪れてくるが、四十九日の法事がすむと訪れなくなる。そして後 の生活にはいる。何年かたって洗骨をすますと、その霊は いよいよ浄化される。そして三十三年忌の法事がすむと、完全に神になれ ると信じられている。神になるというのは、どういうことを意味している か漠然としているが、愛とか憎しみとかの人間的感情が消失し、もっぱ ら、子孫の幸福繁栄を祈り、子孫の守護者に転化するという考え方ではな いかと思われる。したがって神になった祖霊は、決して幽霊になって現れ たり、子孫に病気などの災害を与えるようなことはしなくなる。祖霊は強 力な子孫の守護神となるのである。 生(グショl
)
神となった祖霊はどこへ行く か。これも明確ではないが、年中行事中の盛大な墓前祭(旧正月十六日の 墓前祭、旧三一月の清明祭)などから考えると、神となった祖霊はやはり墓 ( 出 ) にいると考えているようである。﹂(傍点引用者) ぷ ん お墓で墓前祭と清明祭を行うが、旧暦の盆になると、今度は祖霊・先祖 プ ン 神を各家庭に招くのが盆の行事である。﹁盆のことをシチグワチ ( 七 月 ) と称し、旧七月十三・十四・十五日の一一一日間にわたって行われる。祖霊を 各家に招いて今年の豊作に対する感謝の意を表すと共に来年も豊作である ようにと祈願する行事である。 ( お 迎 え ) と 称 十三日はウンケl
して、祖霊を招く日である。昼頃から位牌を清め、香炉を整え、仏壇の両 脇にはムシナ(六品)、あるいはナナシナ(七品)などと称するそなえ物 四琉 球 の 創 造 力 ( 六 が置かれる 0 ・・・・夕方になると門にテ
l
ビ(松明)を焚き、家族そろっ て土下座して、ウンケl
サ1
ビラ(お迎え致しましょう)とか、 メ ン ソ1
レ
(いらっしゃいませ)とかいって生きている人を迎えるよに祖霊を迎 える。仏壇に十三日から十五まで三度の食事ごとにお膳がそなえられ る 。 -・・十五日は昼頃から、本家・分家、外戚関係の家をめぐり、仏 壇にお茶・煙草などをそなえる。ウl
クイ(お送り) は祖霊との別れの念 を表すために宵も一O
時をすぎた頃から仏壇の前で始められる。夕食のお 膳のおそなえの後に、肉・魚・餅などの料理がそなえられ・祖霊の数だけ ンチャビ (紙銭)が焼かれる。それがすむと六品か七品とかいわれたもの と香炉を戸外に出し西の方に向って家族の成員で合掌し、ヤl
ンメンソ1
チクミソl
リ(来年もいらっして下さい)と言って、香炉から線香をとり ( お ) 出して地面に置き酒をかける o ﹂これでお送りは終わり、また来年の盆に 祖霊を迎えるのである。 このように、祖霊信仰・先祖崇拝の一連の組織・行事全体を、不老長寿 の観点から筆者は、ト l ト l メ l 不老長寿論を展開したいのである。 まず家を中心として、家の中に仏壇が座敷の正面にあり、先祖のトl
トl
メ (位牌)が堂々と名前・戒名がつらなっている。そこは、 一 番 座 敷 で もっともよいところである。そこで家族は毎日・日常的にそこで寝起きし、 先 祖 の ト ト メ (位牌)と向かい合うのである。そこで祖霊は、 家 の守護神となる。ト1
トl
メl
を通してあの世とこの世を結ぶのである。 ト l ト l メ l に 手 を 合 わ せ て 、 いろいろ祈願するのである。そこには始祖 以来先祖の祖霊たちと現世の人々とがつながり合う︿永遠の生命線﹀であ る。そこは、不老不死・不老長寿の生命のオアシスである。 四 四 また今度は、墓前祭や清明祭を通じて祖霊の居住する墓参りを行い、そ こで祖霊とごちそうを共にしながら、三味線を奏で、民謡を唄い、楽しく 愉快にひと時を共有し合う。しかも、門中そろっての懇親は、血族共同体 意識を高揚し、親族集団へのアイデンティティーを強固なものにする。お かみあしぴ 墓は、沖縄人・親族にとっては、祖霊と遊ぶ︿神遊﹀の場所であり、いつ てみれば、生者と死者・先祖と家族が神遊びを通してつながり結び合、?水 遠の生命のオアシスである。ほんのひと時、現世のしがらみから解放され て、先祖と命をかよわせ・命を共有するところに、ト l ト l メ l 不老長寿 を見い出すのである。 先祖崇拝は、また敬老精神を生み出す。沖縄のオジl
、 オ パl
( 老 人 ) が尊敬されているのは、先祖崇拝・祖霊信仰のおかげである。また、老人 たちが誇りと自信をもっているのは、先祖が常に尊敬の対象であり、自分 もいずれは先祖神・子や孫たちの守護神になるという自負心からだろう。 さらにまた、沖縄人の思考形式で、何か困ったときには﹁先祖返り﹂を する思考方法も、先祖崇拝・始祖とのつながりで思考・発想することを学 んだのである。さらに、沖縄人は、﹁源郷意識﹂が特に高いとは、村武精 ( お ) 一の指摘である。これなども、先祖崇拝と関係していると思う。 このようにみてきて、これを総括すれば、沖縄の不老長寿の根本は、トー ト l メ l を中心とした、長寿の鎖・循環系である。それをト1
ト l メ l 不 老長寿論としたい。 ところで、長寿には、心理的・精神的長寿と肉体的・身体的長寿がある。 世間では、肉体的長寿を年齢(加齢)を基本に長寿の物指しが当てられ、 科学的研究も盛んになってきた。しかし、筆者は長寿文化を取り上げるには、どうしても精神的長寿を問題にせざるおえない。ご先祖様を引き合い に出せばなおさらである。 ト
l
トl
メl
長寿では、身体的長寿と精神的長寿を問題にしたい。肉体・ 身体は有限であり、 いつかは滅ぶ。精神は、加齢とは関係なくその人の心 のもちょうである。﹁身(肉体) は有限にして心(精神は) は 永 遠 で あ る ﹂ と考えたい。心身長者論、これがトi
トl
メl
長寿論の骨格である。 八、ユイマl
ルとテl
ゲl
主義は長寿の思想 始祖神をはじめ、祖霊・先祖崇拝によって組み立てられた祭杷体系があっ て、その中の門中を中心とした相互扶助は、 ユ イ マl
ルという生活原理を 生 み 出 し た 。 ユ イ マl
ルは、農業労働などにおいて、家族労働だけでは人手が足りな い時、親戚または他の複数の家族が手伝いにくる。また他の家族が人手不 足の場合、そこに複数の家族が手伝いに出かけることからいわれたもので ある。このように労働を相互に助け合う相互扶助のことをユイマl
ルと呼 ん で い る 。 鈴木信は﹁沖縄の長寿の秘密﹂のひとつとして、 ユ イ マl
ルをあげてい る。ストレスに強い楽観主義とでもいえようか、 ユ イ マl
ルについてこう 述べている。﹁沖縄の文化の中にはストレスをうまく解消し、またリラク ゼl
シヨンを勧めていく素材がたくさんある。沖縄の伝統文化の中には有 形無形の長生きを育む素質をもっているものが豊富である。その一つにユ イ マl
ルの精神がある。それを長生きのコツだと考えてキーワードとして ユ イ マl
ル を 挙 げ た 。 ユ イ マl
ルはグループを作って助け合うことであ 琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) る -ユ イ マl
ルは決して門中や地縁の人々の聞のことのみではな ぃ。また同じしま(故郷) の人だけではなく、学校の同窓会とか趣味の会 とかいろいろなサークル活動などを通して親睦を国り、必要に応じて助け 合うことである。この中からユイマl
ルの精神が生まれてくるはずである。 なにか困ったことが起きた時、闘部難にもめげず、助け合い、慰めあう共生 ( 幻 ) の精神が健康長寿の一つのコツではなかろうか。﹂ その通りである。 ユ イ マl
ルを、健康長寿の素と考えることに注目した ぃ。ユイマ!ルの持つ精神性は、ナサキ(情け) である。沖縄はチムナサ キ(人情)の島である。琉球民謡にしても、 ウムイ、ナサキ(思い、情け) の歌が多い。一三味線は情感を奏でる。助け合って生きるユイマl
ルの精神 が生んだ賜物であろう。ィチャリパチョウデl
・ ユ イ マl
ルである。イチヤ リパチョウデl
とは、出会った人は皆兄弟だという仲間意識のことである。 そのことが、健康長寿を助ける元になっているのである。長寿には、安心 が第一である。安心・癒しは、 ヌチグスイ(命の薬) で あ る 。 次にあげたいのが、テl
ゲ1
主義である。﹃世界一長寿の島・沖縄の謎﹄ の著者、大城真太郎は長寿の秘訣にテl
ゲl
主義を持ち出していわく、 ﹁沖縄の人はおとなしく、無神経でのろのろして、お尻に火がつかないと 仲々動かない。物事をてきぱきと処理することに欠けている。競争心、闘 争心も弱く、なるようにしかならない、何とかなるだろう、というあきら めの心が強い。いわゆる沖縄のテl
ゲl
主義である。・・・・テl
ゲl
主 、 ( お ) 義は、沖縄人の心の広さと大らかさの発する根源である。﹂(傍点引用者) ﹁ て え げ え ﹂ の 神 々 に つ い て 、 てえげえとは﹁まあ、あまり固つ苦しく 考えるな﹂とか、﹁あんまり固いことはいわんで﹂とか、﹁そうこせこせ、 四 五琉 球 の 創 造 力 ( 六 せかせかせずに﹂とか、そんな時に﹁てえげえ﹂という言葉を沖縄の人は 使うようです、とは、辰濃和男のことばである。てえげえは、 テ
l
ゲi
の ことである。辰濃は、﹃反文明の島りゅうきゅうねしあ紀行﹄ の 中 で 、 ﹁ て え げ え に つ い て ﹂ 一章をさいて書いているが、著書全体がのんびりし た反文明的な、りゅうきゅうねしあにふれている。結論の箇所が長寿に関 係するのであげておこう。 ﹁ごくおおざっぱに本土と沖縄とを図式的に対峠させれば﹃競争社会﹄ 対﹁共同社会﹄ということになるでしょう。そして沖縄の共同社会の中に、 ぼくは憾の様々な姿を見つけることができる。その中には老子のいう﹁無 為﹄の哲学も含まれていますし、ソロ!の ﹁ 膜 想 ﹄ の精神も含まれている、 と 思 い ま す 。 競争社会の中にあるのは、 根性・効率・スピード・学歴尊重・大量生産・成功・管理・豊かさ・ 流行・力・早いもの勝ち・点数主義・コンピューター・合理性・人間 疎 外 。 瀬の社会の中で、その一つ一つに対峠するものは何か。それぞれ次のよ うなものを考えたい。 慎想・てえげえ・漫歩・仲間・手づくり・創造・無為・質素・はだし・ ( 却 ) やさしく・ものぐさ・愛情・自然・神秘・人間らしさ。 それらの対崎は、長寿を考える上で最も参考になろう。沖縄の共同社会 にある生活のトl
ンは、テl
ゲーである。ナンクルナイサでもある。ナン クルナイサは、なんとかなるさ、成り行きに任せる、といった意味である。 それは、あきらめるという消極的意味ではない。沖縄自然体というか、老 四 六 子の無為というか、 つまり無為自然・沖縄マイペースである。くよくよし な い で 、 のんびり、ゆっくり、自然にまかせて、はだしの人間としてテl
ゲl
に生きることこそ、精神的長寿のコツであり、ひいては肉体的長寿を 助長させるものである。テl
ゲ 1 で生きれば、長寿はナンクルナイサ。 九、長寿としての食文化 さて、これまで沖縄の長寿について、文化的・精神的な面からの不老長 寿についてみてきた。今度は、肉体・身体的側面からの長寿に言及したい。 いうまでもなく、健康長寿には食生活が肝心である。最近の長寿の書物は、 長寿食に関するものがほとんどである。 おいしいものをたらふく食べて、長生きしたいのはみんなの願いである。 しかしそうはいかない。最も貧しい沖縄がなぜ世界一長寿地域なのか。そ こには、貧しくても独特の食文化が存在するからである。その一つが、チヤ ン ブ ルI
食文化である。﹁沖縄では、副食のおかずはその調理法で、 チ ヤ ン ブ ルl
、 ン ブ シl
、イリチl
のコ一つに大別される。チャンブルーは、肉 類、豆腐、野菜などの材料をとり混ぜた油妙めである。このチャンブルl
は沖縄の最も一般的な副食としてのおかずである。 ン ブ シl
は 、 味噌を豊富に利用した煮物であり、材料は煮汁の出やすいものがよく使わ れ、野菜の煮汁の多い汁物といったところである。 イリチl
は 、 チャンブルーのような妙め物ではなく煮物であり、さりとて、 ン ブ シl
の ように煮汁は多くない。煮汁が出ても妙め煮する。クl
ブ(見布)イリチl
、 ( 初 ) デl
ク 一 一 ( 切 干 大 根 ) イ リ チl
、 グ ン ボ1(
ごぼう)イリチーなどである o ﹂ どう見ても、豪華なごちそうだとはいえない。むしろ質素である。東洋( 訂 ) 大学の創設者井上円了が、 明治四
O
年二月に沖縄を訪問しているが、沖縄 の印象を、よく豆腐をたべていることと、お線香の匂いのする島だといっ ている。豆腐は沖縄の伝統的食材である。お親香は、祖霊・先祖崇拝のし るしである。円了がいみじくも沖縄を、﹁蓬莱仙境なり、武陵桃源なり﹂ と漢詩をうたっている。いわば、不老長寿境なのである。 ﹃長寿世界一は沖縄 その秘密は豚肉食だった﹄という松崎俊久の著書 は、常識を覆す長寿論である。脂肪分をひかえめにというこれまでの学説 をひっくり返し、長寿の秘訣は、豚肉食だという。そういえば、沖縄の人 は、豚のなかみ(内臓)、豚骨、 アシティビl
チ(豚足)、ミミガl
( 耳 ) といった豚丸ごとすべて食べるのである。おまけに、ヒ1
ジヤグスイ(山 羊料理)もたいらげる。山羊肉は、お祝いの時によく食べる。山羊のサシ ミも好物である。筆者の博物館の落成式には、山羊料理で祝った。 松崎は、長寿の大宜味村を調査して、長寿の食生活について次の点を指 摘 し て い る 。 ①米飯を過食せず、②漬け物も食べず低塩食、③肉(豚)を副食の中心に おき、④緑黄色野菜を多く食べ、①魚も好み、⑥豆腐を多食、⑦乳製品を ( 幻 ) 老人も本土以上に摂取ということが、長生きの秘訣だという。 家森幸男、冒険病理学者が探る世界の長寿食によれば、沖縄の長寿の秘 訣は次の通りである。 豚肉を使った多彩なメニューで、日本のほかの地域では不足しがちな たんぱく質を豊富に摂っている。しかも、 ゆでて脂を落として食べてい る 食物繊維や身体によいミネラルがたくさん含まれている昆布を、日本 琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) 一 多 く 食 べ て い る 。 あっさりした味付けで、塩分の摂取量が日本一少なく、脳卒中や胃が んを防いでいる。 ( お ) 大豆料理の種類が豊富で、植物性の良いたんぱく質を摂っている。 第五十二回日本栄養学会・食糧学会による沖縄の長寿の結論は、総合的 に長寿について検討されている。﹁沖縄は全国一脂肪摂取が多く肥満率が 高いにもかかわらず、心疾患、脳卒中、がんなどの死亡率が低い理由とし て、低い食塩摂取と、沖縄一旦腐、豚肉、にがうりやへちまなどの瓜類、緑 黄色野菜、見布などの食材を中心とした食生活と、豊かなタンパク質とミ ネラル ( カ リ ウ ム 、 カ ル シ ユ ウ ム 、 マグネシウム、亜鉛 他)摂取といっ た食事要因の他、沖縄の地理的・歴史的・文化的背景、温暖な亜熱帯気候 (祖先をうやまう、つよい家 ( 弘 ) 族の終、友人を大事にする、生涯現役精神、やる気)等の諸要因﹂が、沖 とゆったりとした精神風土やライフサイクル 縄の人を長寿たらしめているといことである。 一O
、生命創造のオアシス生命の大地珊瑚礁 これまで、沖縄の長寿について、伝説、歴史的・民俗学的、文化的、さ らには長寿食の観点からみてきたが、最後に環境的要素について、最も重 要な点にのみ限ってふれておきたい。それは珊瑚礁という生命体・生命の オアシスのことである。いってみれば、沖縄は巨大な珊瑚礁という生きた 生物体の中に存在しているからである。 珊瑚礁は、沖縄の自然の中で最も誇るべき存在です。珊瑚海域は人々の 生活と最も関係深く、現在では観光資源として年間数百万人もの観光客が 四 七琉 球 の 創 造 力 ( 六 ) 訪れている。珊瑚礁は、石灰質の骨格をつくるサンゴ類・動物の遺骸によっ て堆積した岩礁である。沖縄は、サンゴ礁という生物が造った巨大な構造 ( お ) 物である。島は生きている。サンゴ礁生物体である。﹃サンゴ礁の自然誌﹄ の 著 者 、 チャールズ・
R
・C
-シェパードは、﹁サンゴ礁の海には、世界 中のほかのどの海域もまったく比較にならないほど、多くの生物がいるの である。﹂としながら、サンゴ礁は世界の海の中でも、最も興味をそそら れる生態系だといっている。その生態系が︽生命のピラミッド﹀を形成し ていて、サンゴ礁の生物同士は密接に関係し、生物は礁を造り、逆に礁は 生物を上に乗せて回転している大きな車輪であり、この車輸の機動力は、 ほかのすべての地球上のシステムと同様太陽であり、そしてこの車輪の回 転は、波や風にも影響されるという。生物体系の無限の多様性と生物の宝 庫として、珊瑚礁は生命のヒラミツドの体系をなしている。このように、 珊瑚礁が育てた沖縄島は、サンゴ抜きには考えられない。生命のピラミツ ドである珊瑚世界の上に、沖縄人は暮らしを立てているのである。そこは、 生物体としての生態系のコスモロジーであり、人聞はそこで呼吸し、珊瑚 礁文化を開花させているのである。 太陽と海流に育てられた珊瑚礁、珊瑚礁の生命の台地に咲いた生命の花、 これが沖縄・不老長寿の楽士境である。太平洋上に浮かぶ、サンゴ礁の生 成発展する蓬莱仙境。そこでは、百歳の老人たちが尊敬され、家族や社会 から大事にされ、ユ
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マ
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ルの情けにふれ、食は質素だけれど、心は豊に 安穏の日々を送っている。百薬の長の泡盛を噌み、三味線に合わせて民謡 を楽しみ、舞踊・芸能を堪能する。青空に心を躍らせ、青い海の波聞に心 を浮かべ、美らさ島宇宙の揺り篭に揺られて、不老不死の境地にひたる。 四 人 そこは、現代の蓬莱仙境・生命のオアシスである。これが沖縄長寿郷だ。 長寿とは、単に加齢を重ねて百歳に至るだけでない。精神的に、百歳の 命の宝を積み上げることである。ただ百歳を生きるのではなく老境に入ら ば、泰然自若・無為自然に生きることである。 ぬち もし世界に、命ど宝銀行があったら、沖縄は、貯蓄高世界第一の大金持 ち で あ る 。 で I い ち ぬ ち ヌチド(命が)第一、これが沖縄の尊い宝である。誠に命ど宝デl
ビ ル 。 め で た し 、 めでたし。これをもって、連続の本論文を完結する。 注 ( 1 ) 別 冊 歴 史 読 本 ﹃ 健 康 長 寿 の 日 本 史 ﹄ 冬 号 、 新 人 物 往 来 社 、 ( 2 ) 別 冊 歴 史 読 本 前 掲 書 ( 3 ) 野口銭郎他編﹃道教事典﹄平河出版社、一九九四年、四四二貝 ( 4 ) 吉元昭治﹃不老長寿100の知恵﹄KKベストセラーズ、一九九五年、 九六頁 ( 5 ) 三浦園男﹁不老不死という欲望│中国人の夢と実践﹂﹃アジア遊学﹄ぬ2、 勉誠社、一九九九年、一一一一一頁 ( 6 ) 士口川忠夫﹃古代中国人の不死幻想﹄東方書庖、一九九五年、五一五二頁 ( 7 )∞
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﹃道教の本﹄学研、一九九二年 ( 8 ) 前掲書﹁道教の本﹄九五頁 ( 9 ) 森下敬一﹃シルクロード長寿郷﹄出版芸術社、平成四年。 ( 叩 ) 家 森 幸 男 ﹃ 長 寿 の 秘 密 ﹄ 法 研 、 平 成 七 年 (日)前栄田義見・他偏﹃沖縄文化史辞典﹂東京堂出版、昭和四七年、一五頁 ( ロ ) 秋 坂 真 史 ﹃ 沖 縄 長 寿 学 序 説 ﹄ ひ る ぎ 社 、 二 O O 一 年 、 ﹁ は じ め に ﹂ の 項 (日)秋坂﹁前掲書﹂四一四二頁 ( H ) 高良倉吉﹁沖縄の伝統的な社会生活﹂松崎俊久編著﹁沖縄発・爽やか長寿 の秘訣﹄学苑社、一九九三年 (日)鈴木信﹁沖縄の長寿の秘密﹂日本栄養学会・食糧学会監修、 一 九 九 二 年 尚弘子・他編﹃沖縄の長寿﹄学会センター関西、一九九九年、七一頁 (日)田中覚二、中村完(長寿社会沖縄に生きる)前原武子編著﹃生涯発達﹂ナ カニシヤ出版、一九九六 ( 刀 ) 前 掲 ﹁ 沖 縄 文 化 史 辞 典 ﹂ 六 頁 ( 日 ) 元 気 オ パ l の書は現地でベストセラーになった。沖縄オパア研究会編﹁沖 縄オパア烈伝﹄双葉社、二 OOO 年、﹃続・沖縄オバア烈伝、ォバアの配!﹄ 二 O O 一 年 (日)高嶺善包﹁琉球国沖縄の天命﹂おもと出版、一九九八年、四五頁 ( 却 ) ト l ト l メ l 裁判国際婦人年行動計画を実践する沖縄県婦人団体連絡協 議会編﹃ト l ト l メ l は女でも継げる﹂新報出版、昭和五六年、結論は女 性でも継げることになった。 ( 幻 ) 前 掲 ﹃ 沖 縄 文 化 史 辞 典 ﹂ 一 一 一 九 頁 ( 詑 ) 前 掲 ﹁ 沖 縄 文 化 史 辞 典 ﹂ 一 一 一 九