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イスラム学者としての井筒俊彦

著者

竹下 政孝

雑誌名

国際哲学研究

別冊7

ページ

82-85

発行年

2016-02-19

URL

http://doi.org/10.34428/00008152

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イスラム学者としての井筒俊彦

竹下 政孝

本年 2004 年は井筒俊彦生誕 100 年ということで、日本では多くの井筒俊彦 に関する著作や論文が出版されました。また全 12 巻(別巻 1 巻)なる井筒俊 彦全集も刊行中であり、現在は第 8 巻まで出版されました。最近の日本にお ける井筒俊彦研究は、彼の独自の哲学者、特に言語哲学、神秘哲学の巨匠と しての側面からの研究が主流であります。しかし、今日は、この席をかりま して、井筒俊彦のイスラム学者としての側面について簡単にコメントしたい と思います。実際、彼は原典であるアラビア語を使ってイスラムを研究した 最初の日本人学者であり、またこの分野において、最初に高い国際的名声を 獲得した日本人学者であります。ここで、「国際的名声」と申しましたのは、 私が、学生時代を送りました 60 年代の終わりから、70 年代のはじめにかけ て、井筒俊彦の名は日本ではほとんど知られていなかったからです。後で述 べる、彼の主著であるコーランの意味論的研究に関する二つの著作は英語で 刊行されました。かれが 20 代で書いた『アラビア思想史』や『マホメット』 はすでに長い間絶版になっていました。井筒俊彦の学者としてのキャリアは、 日本人の多くの中東研究者とは正反対の道を歩みました。多くの日本人研究 者は、学問形成期に、欧米あるいは中東に留学し、帰国してからその成果を 日本語で発表します。井筒俊彦は、学問形成期には留学経験がなく、日本で 教職生活に入ってから、英語のみでその主要業績を発表し、それが海外で認 められ、1961 年日本を離れ、カナダのマックギル大学で教鞭をとります。彼 が日本を離れずに、英語で業績を発表し、それが海外で高い評価を得たとい うことはその当時の日本の研究水準を考えれば驚くべきことです。なぜなら ば、私の学生時代でさえ、アラビア語やペルシャ語の本を所蔵している大学 図書館はほとんどなく、また欧米の二次文献でさえ、完備していなかったか らであります。

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共生の哲学に向けて――イラン・イスラームとの対話(2)――

井筒俊彦の二つの著作 The Structure of the Ethical Terms in the Koran, A Study

in Semantics (1959), God and Man in the Koran, Semantics of the Koranic Weltanscahuung (1964)は、コーラン研究に新しい道を拓くもので、トルコ語、 アラビア語、ペルシャ語などの多くのイスラム諸国の言語にも翻訳されまし た。コーラン研究はイスラム研究の中心であり、西洋の学者によっても、ム スリム学者によっても多くの研究の蓄積がありました。ほとんど原典や二次 文献を所蔵しない日本で、日本の学者がどのようにしてこの分野で世界的な 業績をあげることができたのでしょうか。それは今までとは違った新しい問 題設定とそれに取り組むために考え出された新しい方法論の導入でした。そ れまでの欧米のコーラン研究は、聖書批判学の方法をそのままコーランに応 用した成立史的文献学が中心であり、テオドール・ノルドケの『コーランの 歴史』がその代表的成果でした。また欧米では、コーランのユダヤ教、キリ スト教的源泉の研究も盛んに行われました。代表的な著作はハインリッヒ・ シュパイヤーの『コーランにおける聖書の物語』であります。それに対して ムスリムの伝統的コーラン研究は方法的には各節ごと、あるいは各語ごとの 注釈が中心であり、内容的には難解な個所の文法学的・辞書的説明、啓示の 下った状況の歴史的説明などの文献学的注釈か、あるいは神学、法学、神秘 主義の立場からの創造的注釈が大部分でした。井筒の研究は、まずコーラン を独立した一つのテキストとして設定し、テキストのキータームの分析によ ってコーラン独自の世界観を明らかにしようとしたものでした。また従来の イスラーム研究は方法論に無自覚でしたが、彼は具体的なコーラン研究に入 る前に、方法論にかなりの紙数を費やして論じました。彼がテキストの内在 的分析の方法として採用したのがドイツのヴァイスゲルバーによって展開、 体系化された「意味論的世界観学」とも呼ばれる意味論でした。井筒のコー ランに対する新しいアプローチは欧米、そしてムスリムの多くの学者に大き な影響を与えました。たとえば、彼のコーラン研究から影響を受けたムスリ ムの学者として、パキスタンで生まれ、アメリカで教鞭をとったファズルル・ ラフマン、エジプト、カイロ大学の学者ナスル・アブー・ザイドがいます。 マックギル大学に移ってから、彼の関心はコーランからイブン・アラビー に移り、A Comparative Study of the Key Philosophical Concepts in Sufism and

Taoism (1966-67)を著します。

1983 年版に付けられた序文で彼は次のように記します。

「その当時私は、私の知的生活の新しい段階へ進んで行っていると自覚しつつ あった。それは、近東、中東、極東の異なった哲学的伝統のキータームの文

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献学的に厳密な比較研究に基づいたものであった。」

スーフィズムの中から特にイブン・アラビーを選んだのはコルバンの有名 な著作 L’imagination creatrice dans le soufisme d’Ibn Arabi (1958)に触発された のでありましょう。しかし、上記の井筒の著作中にはコルバンのこの著作へ の言及はありません。実際、この二人の学者のイブン・アラビーに対するア プローチは全く異なります。コルバンは、イブン・アラビーの思想の全体像 を明らかにする意図はなく、彼の興味を引いたいくつかのモティーフ(想像 力によって創造された世界(アーラム・アルミサール)、神の美の顕現である 美しい女性に対する愛)だけを詳述します。全体としてコルバンは、「存在一 性論」と呼ばれるイブン・アラビー思想の哲学的構造の解明にはあまり興味 がなかったように思われます。それに対して、井筒のアプローチは、彼のコ ーランに対するアプローチに似ています。彼は、何百ものイブン・アラビー の著作の中から『叡智の宝石』一冊をテキストとして取り上げ、キーターム を「厳密に文献学的に」分析し、イブンアラビーの哲学的世界観を明らかに します。この研究は一種の explication de texte といえます。彼はイブン・アラ ビーの歴史的背景、彼の背後のスーフィズムの伝統、後世の多くの注釈者を すべて無視してひたすらテキストだけに専念します。(例外的にカーシャーニ ーの注釈書は時々補助的に使われてはいますが。)この書の第一部(イブン・ アラビー)、第二部(老子、荘子)に比べて、両者を比較する第三部は非常に 短いものです。さらにこの第三部の最初に、「方法論序説」が置かれているの は、彼のコーラン研究と同じように、方法論に対する井筒の強い拘りがうか がわれます。 イスラム研究における彼の次の重要な著作は、プールジャヴァーディー先 生が言及された The Fundamental Structure of Sabzawari’s Metaphysics (1969)で す。 もしも井筒俊彦がイランでの研究生活をずっと続けていたとしたら、彼は どのような方向に進んでいったのでしょうか。70 年代のイランは、イラン・ イスラム哲学のルネッサンスでした。コルバンが、アシュティヤーニーとの 共同のもとに、今まで埋もれていた多くの哲学者を発掘し、校訂出版してい ました。おそらく井筒は、スフラワルディー、ミール・ダーマードなどの難 解な著作に取り組んで、かれらの哲学的世界観を次々と明らかにしていった かもしれません。そして彼の初期の構想である「東洋哲学の共時的再構築」 には戻れなかったかもしれません。イラン・イスラム哲学の魅力はそれほど 強いからです。

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共生の哲学に向けて――イラン・イスラームとの対話(2)―― 日本に戻ってからの井筒は「東洋哲学の共時的再構築」に専念したわけで すが、東洋思想の中で特に彼が晩年多く論じたのが思弁的仏教哲学(華厳、 唯識など)です。彼の父親は禅の愛好者で、子供にまで座禅をさせたという ことです。彼がギリシャの合理的哲学に惹かれたのは、この子供の頃の禅の 影響に対する反動であったということです。つまり、彼は長い旅路の末、彼 の出発点である仏教に戻ったのです。しかし、その仏教は禅ではなく、思弁 的哲学的仏教です。このような仏教哲学の再発見は、彼の思弁的哲学的スー フィズムの深い研究を介してのみ可能となったと思われます。 イスラム学者としての井筒俊彦

参照

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