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これは 梅野隆さんの藝林時代に梅野さんより 安藤信哉の作品を四点購入したものの中のひとつで気に入っている作品であります パリの公園での井戸端会議だと思います この作品の連作が 梅野記念絵画館にあると記憶しています ここで 梅野さんについて 少しお話しさせて戴きたく思います 梅野さんが

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Academic year: 2021

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(1)

  この瑛九の 《遊園地》 は一五〜一六年前、 銀座のある画廊のショーウインドーに飾られており、 た ま た ま 通 り が か っ た 私 が、 一 目 惚 れ を し て し ま っ た 作 品 で す。 そ れ は、 私 が 今 迄 見 た こ と の 無いようなクレーを思わせる洒落た絵でした。   そ の 数 日 後 に こ の 作 品 を 見 に 行 っ た の で す が、 山 口 長 男 の 油 彩《 鮎 》 と い う 作 品( 八 号 ) に も出会うことになるのです。   それは長男独特の赤茶色に黒い点が横に数点打ってあるシンプルな作品でした。   気がついてみると、あまり金も無いのに二点とも購入する結果になっていたのです。 中村儀介(千葉県木更津市)

 

《遊園地》

一目惚れ

瑛 九(えいきゅう/ 1911-1960 年) 宮崎市生れ。日本美術学校中退。洋画家、版画 家、写真家。前衛的・抽象的な作品で知られる。 フォトデッサンを制作。1937 年自由美術家協 会創立会員。51 年デモクラート美術家協会結 成。創造美育協会に参加。60 年没。48 歳。 瑛 九 《遊園地》 パステル、 油彩 ・ キャンバス 65.0 × 50.0cm 1957 年

(2)

  こ れ は、 梅 野 隆 さ ん の 藝 林 時 代 に 梅 野 さ ん よ り、 安 藤 信 哉 の 作 品 を 四 点 購 入 し た も の の 中 の ひとつで気に入っている作品であります。パリの公園での井戸端会議だと思います。   この作品の連作が、梅野記念絵画館にあると記憶しています。   こ こ で、 梅 野 さ ん に つ い て、 少 し お 話 し さ せ て 戴 き た く 思 い ま す。 梅 野 さ ん が ブ リ ヂ ス ト ン を 退 社 し て、 ブ リ ヂ ス ト ン 美 術 館 の す ぐ 近 く の 小 さ な テ ナ ン ト( 藝 林 で は な く ) で、 「 古 賀 春 江 の 小 品 展( 水 彩 )」 を さ れ て い る 時、 ふ ら ー っ と そ こ に 足 を 踏 み 入 れ た の が、 梅 野 さ ん と の 出 会 いでもあり、私の絵の収集の始まりでもありました。   梅 野 さ ん は、 感 性、 知 識、 情 熱、 三 拍 子 持 ち 合 わ せ、 又 そ の ひ と つ ひ と つ の 質 の 高 さ、 深 み が人を引き寄せ、なかでも絵画にかける情熱は言葉に表されない程、スゴイものがありました。   又、 藝 林 に は い ろ い ろ な コ レ ク タ ー や 美 術 関 係 者 が 出 入 り し て い ま し た が、 私 も そ の 中 の 一 人 で あ り ま し た。 梅 野 さ ん が い な く な っ た こ と は、 私 に と っ て も、 美 術 業 界 に と り ま し て も、 とても寂しいことだと思っております。   梅 野 さ ん は よ く、 ご 自 分 の こ と を「 野 人 」 と 言 っ て お ら れ ま し た が、 彼 の 様 な 美 の 達 人 が 今 後 出 て く る の か 疑 問 に 思 っ て い ま す。 私 も、 梅 野 さ ん の 芸 術 に 懸 け る 情 熱 を 大 事 に し、 そ の 火 を 消 さ な い よ う、 コ レ ク タ ー と し て、 わ た く し 美 術 館 の 痩 せ オ ー ナ ー と し て、 頑 張 っ て い く つ もりでおります。        中村儀介(千葉県木更津市)

安藤信哉

《対話》

梅野さんと出会って

安藤信哉(あんどう・のぶや/ 1897-1983 年) 千葉県生れ。本郷洋画研究所、太平洋画会研究所、 川端画学校に学ぶ。38 年新文展で特選。40 年 東京聾唖学校で教える。41 年新文展無鑑査。 58 年日展会員。73 年ヘレン・ケラー賞。74 年 日展参与。日本水彩画会会員。83 年没。85 歳。 安藤信哉 《対話》 油彩 ・ キャンバス 102.0 × 73.0cm 1962 年

(3)

  「 小 山 田 二 郎 の 鳥 女 を 出 品 」、 何 気 な く そ う 答 え て し ま っ た あ と で 、改 め て 額 の 裏 を 見 て「 人 間 の 形 態 」 と い う テ ー マ で あ る こ と に 気 が つ く 。   小 山 田 の 描 く テ ー マ の メ イ ン に 位 置 す る 《 鳥 女 》、 な る ほ ど 小 山 田 の 描 い た 《 鳥 女 》 は 「 人 間 の 形 態 」 の 証 で あ り 象 徴 、《 鳥 女 》 と 名 付 け ら れ た 作 品 の そ れ ぞ れ に 移 ろ い ゆ く 、 い や も し か し た ら 定 ま っ た ? 人 間 の 業 が 塗 り 込 め ら れ て い る 。   「 タ ケ ミ ヤ 画 廊 と は 、 シ ュ ー ル レ ア リ ス ト で あ り 詩 人 ・ 美 術 評 論 家 の 瀧 口 修 造 が ブ レ ー ン に な っ て い た 、 戦 後 の 現 代 美 術 を リ ー ド し て い く 伝 説 的 な 画 廊 で 、 個 展 形 式 の 展 覧 会 に 先 鞭 を つ け た の も こ こ だ っ た 。 こ の 日 、 奇 し く も 小 山 田 二 郎 が 第 一 回 個 展 を 開 い て い た 。 し か も 初 日 。 瀧 口 修 造 が パ ン フ の 切 手 代 を 負 担 し 、 美 術 の 仲 間 が 額 縁 を 造 る と い う 手 作 り の 個 展 で あ っ た ( A R E の 中 の 「 小 山 田 チ カ エ さ ん に 聞 く 」 か ら 転 記 ) 」 こ の 日 と は 、 足 跡 か ら 辿 る と 一 九 五 二 年 ( 昭 和 二 七 年 ) 小 山 田 三 八 歳 初 個 展 の 初 日 で あ る 。   戦 後 日 本 の 現 代 美 術 ス タ ー ト の 雰 囲 気 が 映 し 出 さ れ て い る よ う な 風 景 が 目 に 浮 か ぶ 。 過 日 、 千 葉 市 美 術 館 で は 「 瀧 口 修 造 と マ ル セ ル ・ デ ュ シ ャ ン 」 展 が 開 催 さ れ た ( 二 〇 一 一 年 一 一 月 二 二 日 〜 二 〇 一 二 年 一 月 二 九 日 ) 。 今 世 紀 と い う ス パ ン で 現 代 美 術 に 目 を 向 け た 時 、 世 界 で は デ ュ シ ャ ン が 祖 の よ う に 言 わ れ て い る が 、 瀧 口 修 造 と い う 〈 美 術 へ の 業 〉 を 持 っ た 一 人 の 人 間 を 介 し て 日 本 の 現 代 美 術 の 変 革 の 糸 が 紡 が れ て い る 姿 が 見 え て き て 改 め て 興 味 深 い 。     木 村 悦 雄 ・ 正 子 ( 千 葉 県 千 葉 市 )

小山田二郎

《人間形態》

の《

》は

小山田二郎(おやまだ・じろう/ 1914-1991 年) 中国生れ。帝国美術学校図案科、西洋画科中退。 独立展、美術文化協会展に出品。自由美術家 協会会員。日本国際美術展、現代日本美術展 等に出品。1957 年サンパウロ・ビエンナー レに出品。91 年没。77 歳。 小山田二郎 《人間形態》 水彩 ・ 紙 55.0 × 37.0cm 制作年不詳

(4)

  「 一 般 的 に は ほ と ん ど 知 ら れ て い な い 画 家 で す が ……」 と い う 書 き 出 し で 画 家「 小 泉 清 」 を 紹 介 し て い る 一 文 が あ る。 今 回、 小 泉 清 を 含 め、 他 に 小 山 田 二 郎、 小 堀 四 郎、 柳 原 義 達 ( 刻 ) 、 恩 地 孝 四 郎 作 品 を 我 々 的 に は 紹 介 さ せ て い た だ く こ と に し た。 み な 一 般 的 に は ほ と ん ど 知 ら れ て い な い …… と い う 作 家 に 当 た る。 今、 ピ カ ソ、 梅 原 龍 三 郎、 横 山 大 観 で さ え、 教 科 書 で は 見 た け れ ど、 と い う 世 代 が 美 術 界 を 席 巻 す る 時 代、 や む な し か と も 思 う が 淋 し い。 今 回 の 書 籍 で 紹介される作品 ( 作家 ) の大半が 「知られていないが、 忘れ去ってはいけない」 ものばかりであり、 作 家、 作 品 と と も に、 作 品 が 描 か れ た 時 代 の 背 景 を も 含 め て 今 後 の 顕 彰 に つ な が る こ と を 期 待 している。     小 泉 清 は 一 九 〇 〇 年、 小 泉 八 雲 ( フ カ デ ィ オ・ ハ ー ン ) 三 男 と し て 生 ま れ た。 東 京 美 術 学 校 に 進 み な が ら、 画 家 と し て デ ビ ュ ー す る の は 四 六 歳、 突 然 病 没 し た 妻 の あ と を 追 う よ う に ガ ス 自 殺 に よ っ て 命 を 絶 つ の が 六 一 歳、 何 と 激 し い 人 生 か。 絵 を 描 い た 一 六 年 と い う 短 い 時 間 の 間 中、 父 ハ ー ン と い う 存 在 に 影 響 を 受 け 続 け な が ら 苦 悶 の 中 で 描 い た 作 品 の 多 く は、 そ の 内 面 を 叩 き つ け た よ う な 厚 塗 り で 荒 々 し い タ ッ チ の も の が 目 立 つ。 こ の 作 品 も そ の 代 表 的 な も の だが、ガラスの裏から見えてくる青や赤、黄の色は、その激しさとは裏腹に透き通って美しい。 木村悦雄・正子(千葉県千葉市)

小泉

 

《裸婦》

小泉 清(こいずみ・きよし/ 1900-1962 年) 東京生れ。父は小泉八雲。東京美術学校西洋 画科中退。里見勝蔵のフォーヴィスムに影響 を受ける。1946 年新興日本美術展で読売賞。 47 年初個展。48 年一燈美術賞。54 年国画 会会員。銀座フォルム画廊で個展。自死。61 歳。 小泉 清 《裸婦》 油彩 ・ ガラス 17.5 × 27.5cm 制作年不詳

(5)

  大 阪 勤 務 の 時 は 仏 像 も 好 き で 良 く 京 都 を 訪 れ て い ま し た。 そ の 都 度、 京 都 市 美 術 館 近 く の H 画廊に通いHさんの薫陶を受けました。私は日本で有数の画廊主に手ほどきを受けたのです。   あ る 日、 H さ ん よ り ス タ ン プ ラ リ ー を 薦 め ら れ ま し た。 最 後 に は こ の 画 廊 に 行 き な さ い と ア ド バ イ ス が あ り、 京 都 市 庁 舎 の 前 の S 画 廊 を 訪 れ ま し た。 こ の 作 品 と の 出 会 い が あ っ た の で す。 な ん と 一 時 間 近 く も こ の 作 品 の 前 に 立 ち 尽 く し て い ま し た。 哀 愁 を 湛 え た 眼 差 し が 私 を 離 さ な い の で す。 白 目 が 私 を 睨 み、 青 い 瞳 が 私 を 絵 の 中 に 引 き 込 む。 迫 力 あ る 自 画 像 で す。 見 か ね た 京 美 人 の S 画 廊 主 が 私 の 目 を 見 て「 貴 方 に こ の 作 品 を 上 げ ま す。 私 の 言 う 値 で 入 札 し な さ い 」 と 提 示 さ れ た 価 格 は、 私 の 思 っ て い た 価 格 の 半 値 で し た。 小 泉 清 は、 ラ フ カ デ ィ オ・ ハ ー ン、 日 本 名 小 泉 八 雲 の 三 男 で す。 日 記 が 残 っ て い ま す。 「 西 欧 的 追 求 か 東 洋 的 解 脱 感 か、 俺 の 血 管 の 中 に は 西 欧 と 東 洋 の 血 が 闘 っ て い る。 自 分 の な か で 対 立 す る 西 洋 的 な も の と 東 洋 的 な も の を ど う解決していくか」 。小泉清は、昭和三七年に自死しました。   さ て、 自 死 の 理 由 は 妻 の 死 に 加 え、 自 身 の 絵 の 独 自 性 と の 葛 藤、 つ ま り 里 見 勝 蔵 の 影 響( 近 く に 住 む 峰 村 リ ツ 子 さ ん が 語 っ て い た こ と が 伝 え ら れ て い ま す ) と 西 欧 と 東 洋 の 血 の は ざ 間 に あったようです。遺書には「血が複雑すぎたのだろう」と書かれていました。 堀 良慶(千葉県柏市)

小泉

 

《自画像》

哀愁を湛えた眼差しが私を離さない!

小泉 清(こいずみ・きよし/ 1900-1962 年) 東京生れ。父は小泉八雲。東京美術学校西洋 画科中退。里見勝蔵のフォーヴィスムに影響 を受ける。1946 年新興日本美術展で読売賞。 47 年初個展。48 年一燈美術賞。54 年国画 会会員。銀座フォルム画廊で個展。自死。61 歳。 小泉 清 《自画像》 油彩 ・ ボード 28.0 × 19.0cm 制作年不詳

(6)

  「 主 音 と は 定 義 し よ う と す れ ば 価 値 が な く な っ て し ま う が、 そ れ は 光 で あ る。 科 学 の 探 求 の 喜 び は こ の〈 光 〉 に 接 す る 喜 び で あ っ て、 〈 知 る 〉 幸 福 は、 我 々 の 地 上 の 旅 の 終 点 に あ る。 〈 観 照 の至福〉を前以て味わうことである」 。(一九六六年、三上誠)   私 は こ の 作 品 の 赤 が 気 に な り ま す。 結 核 の 病 は 時 に 血 液 が 熱 く 燃 え る 時 が あ る。 体 中 が 熱 く 感じるのです。そして性欲も高まる。この赤は血液の生の太陽の色だと思います。   赤 は 他 に 生、 生 命、 火、 情 熱、 太 陽 を イ メ ー ジ し ま す。 乾 昌 子 と の 新 婚 生 活 を 経 て 五 年 後 に 生 れ た 作 品 で す。 結 婚 後 の コ ラ ー ジ ュ に も 赤 が 現 れ て い ま す。 結 婚 後 の 五 〜 六 年 間 に 赤 が 多 い ようです。   私はこの赤を素直に「血液」そして「生への希望」と見ても良いと思っています。   下 の 黄 土 色 の 帯 に は 光 が 当 た っ て い る。 こ こ は 浜 辺 と 見 る 方 が 良 い よ う で す ね。 浜 辺 に あ る 円の中に描かれたものは何なのでしょうか。魚の頭、 貝の中身、 真珠、 女性の横顔?   人工物? 生 の 痕 跡 を 残 し た 化 石?   い ず れ に も 印 象 的 な 目 が あ る よ う に 見 え ま す。 下 部 の こ げ 茶 色 の 帯 は大地でしょうか。   ち ょ っ と 大 げ さ で す が、 夕 日 は 西 方 浄 土 を 示 す に は、 少 し 激 し い 業 火 に も 見 え る。 三 上 誠 の 人生を残された略歴や画集から顧みると実に大変な人生を送っていました。 堀 良慶(千葉県柏市)

三上

 

《作品》

観照の至福

三上 誠(みかみ・まこと/ 1919-1972 年) 大阪市生れ。京都市立絵画専門学校を卒業。 1949 年星野眞吾らとパンリアル美術協会を結成。 51 年パンリアル美術協会会長。日本画、コラー ジュを制作。52 年結核、手術。福井大学学芸部 非常勤講師。福井県文化芸術賞。72 年没。52 歳。 三上 誠 《作品》 ミクストメディア ・ 紙 91.0 × 110.0cm 1965 年頃

(7)

  私 は、 サ ラ リ ー マ ン 時 代 に 大 阪 勤 務 が 二 度 あ り ま す。 関 西 銘 柄 が 専 門 と い う 訳 で は あ り ま せ ん が、 東 京 で 質 の 高 い 関 西 作 家 の 作 品 が 放 出 さ れ た り、 不 当 に 安 く 放 置 さ れ て い る と き に は 有 り難く頂戴するようにしています。   こ の 作 品 が 下 村 良 之 介 の 代 表 作 で あ る か の 確 認 の 為、 二 〇 〇 八 年 八 月、 京 都 国 立 近 代 美 術 館 で 開 催 さ れ て い た 没 後 一 〇 年、 下 村 良 之 介 展 を 見 て き ま し た。 下 村 良 之 介 の 異 空 間 を た っ ぷ り 楽 し ん で き ま し た。 正 に た く ま し き 創 造 活 動 を 見 せ て く れ て い ま し た。 や は り 一 九 六 〇 年 代 に 創 っ た 紙 粘 土 作 品、 天 空 を 切 っ 裂 い て 翔 ぶ 鳥 の シ リ ー ズ が 創 造 性 ゆ た か で す。 紙 粘 土 作 品 は 下 村 良 之 介 の 独 自 の 表 現 世 界 を 完 成 さ せ た 作 品 群 で す。 下 村 良 之 介 は 生 涯 日 本 の 前 衛 を 突 っ 走 っ た作家の一人です。   パ ン リ ア ル 美 術 協 会 は 新 た な 日 本 画 の 表 現 を 求 め 一 九 四 九 年、 三 上 誠、 星 野 眞 吾、 不 動 茂 弥、 大 野 秀 隆、 下 村 良 之 介 等 一 一 名 に よ っ て 設 立 さ れ ま し た。 パ ン リ ア ル は 旧 来 の 日 本 画 の 革 新 性 を 標 榜 し、 因 習 打 破 を も く ろ み、 文 字 通 り わ が 国 で 初 め て 実 現 し た「 前 衛 」 活 動 と い っ て 過 言 ではありません。   あ る 識 者 が「 神 戸 の 具 体 よ り 京 都 の パ ン リ ア ル の 方 が レ ベ ル の 高 い 前 衛 運 動 で す 」 と キ ッ パ リ 言 わ れ て い た の が 印 象 的 で す。 精 神 的 支 柱 で あ っ た 三 上 誠 が 亡 く な っ た 後 は 下 村 良 之 介 が 指 導的役割を果たしました。         堀 良慶 (千葉県柏市)

下村良之介

《作品》

まさに逞しい異空間の創造!

下村良之介(しもむら・りょうのすけ/ 1923-1998 年) 大阪市生れ。1943 年京都市立絵画専門学校卒。 49 年パンリアル美術協会会員、指導的役割を果た す。日本画、銅版画、彫刻、舞台美術を手がける。 61 年丸善石油芸術奨励賞(留学賞)で渡欧。日本 国際美術展、現代日本美術展に出品。98年没。75歳。 下村良之介 《作品》 淡彩、 紙粘土 ・ 板 130.3 × 89.4cm 制作年不詳

(8)

  私 が 絵 を 収 集 し て い る の は、 絵 を じ っ く り な が め、 そ の 中 に 没 入 す る こ と に よ っ て 得 ら れ る なんとも言えない心地よい世界があるからである。   だ が、 星 野 眞 吾 は 既 存 の 画 壇 の 保 守 的 な 体 質 へ の 反 発 か ら、 前 衛 的 な 日 本 画 に 挑 戦 し た 画 家 で あ り、 人 の 体 に 絵 具 を 塗 っ て 画 面 に 定 着 さ せ る「 人 拓 」 シ リ ー ズ な ど、 私 の 好 み と し て は、 受け入れ難い作品を多く残している。   こ の《 鋏 と 画 鋲 》 も、 真 に 迫 っ た 写 実 的 な 絵 で は あ る が、 描 か れ て い る も の は 鋏 と 画 鋲 と い う鋭利な金属で危険な物であり、心が和むような作品ではない。   し か し、 そ れ で も 私 が こ の 絵 に 惹 か れ る の は、 鋏 と 画 鋲 が 置 か れ た 木 の 板 の 温 も り、 背 景 の 黒 色 の 絶 妙 な 美 し さ と 単 な る 写 実 を 超 え た 危 う さ、 儚 はかな さ と い う 目 に は 見 え な い 内 面 的 世 界 が、 抜群の日本画の技法によって表現されているからである。 小倉敬一(埼玉県さいたま市)

星野眞吾

《鋏と画鋲》

静謐な内面的世界を抜群の技法により表現

星野眞吾(ほしの・しんご/ 1923-1997 年) 豊川市生れ。日本画家。中村正義に出会い、生 涯の盟友となる。卓抜した技法の持ち主で、そ の質感と対象への肉薄は他の追随を許さない。 三上誠とパンリアル美術協会を興し、絵画の革 新を目指す。星野眞吾賞創設。愛知県で没。74歳。 星野眞吾 《鋏と画鋲》 彩色紙本 23.5 × 40.5cm 1974 年

(9)

  一 九 九 三 年、 京 都 の 京 都 市 美 術 館 近 く に あ る H 画 廊 で「 洋 画 家 の 夢・ 留 学 」 展 に 滞 欧 作 五 二 点 が 展 示 さ れ て い ま し た。 そ の 中 で 中 村 義 夫 の《 サ ン ジ ェ ル マ ン・ ア ン・ レ イ の 冬 》 に 出 会 い ま し た。 葉 を 落 と し た 広 葉 樹 の 巨 木 が 通 り に 三 本 立 っ て い て、 そ の 間 を 二 人 の 男 女 が 寄 り 添 う よ う に 歩 い て い る 図 で す。 こ の 絵 だ け 何 故 か 美 し く 見 え ま し た。 油 絵 を 自 分 の モ ノ に し た 作 品 です。静かなたたずまい、シックな黒、茶、黄土色が中心の色調です。美しい作品でした。   あ れ か ら 一 七 年 経 っ て、 よ う や く 東 京 神 田「 I 画 廊 」 で 中 村 義 夫 の 作 品 を 求 め る こ と が 出 来 ま し た。 願 い が 叶 っ た の で す。 大 阪 市 立 美 術 館 で 行 わ れ た 関 西 洋 画 展 覧 会 に 特 待 出 品 さ れ た 作 品《 早 春 薄 暮 》 で す。 こ の 作 品 は 東 京 で 求 め る こ と の 出 来 る 最 後 の チ ャ ン ス だ と 思 い ま し た。 天 を 突 き 破 る 如 く は げ 山 の 迫 力 が 私 を 魅 了 し ま す。 戦 後 間 も な い 頃 の 日 本 の 山 は 禿 山 が 多 か っ たのです。懐かしくしかも静かです。中村義夫は再び本物だと思いました。   中 村 義 夫 は 大 正 一 〇 年 渡 仏。 ア マ ン・ ジ ャ ン に 師 事。 小 出 楢 重 と 交 友。 帰 国 後、 浜 田 葆 光、 小 見 寺 八 山 ら と 大 阪 美 術 研 究 所 を 設 立。 昭 和 初 期、 奈 良 高 畑 に 転 居。 志 賀 直 哉 の 文 化 人 グ ル ー プ 高 畑 サ ロ ン メ ン バ ー の 一 人 と な る。 サ ロ ン の メ ン バ ー で あ っ た 浜 田 葆 光、 若 山 為 三、 新 井 完、 山 下 繁 雄 ら と 親 交 を 深 め 活 動 し た。 そ の 後、 矢 崎 千 代 二 ら と と も に 関 西 パ ス テ ル 画 会 の 指 導 に あたる。 堀 良慶(千葉県柏市)

中村義夫

《早春薄暮》

天を突き破るはげ山の迫力と静けさ!

中村義夫(なかむら・よしお/ 1889-1957 年) 兵庫県生れ。1905 年松原三五郎に師事。17 年東京美術学校卒。21 〜 26 年渡欧。アマン・ ジャンに師事。サロン・ドートンヌに入選。大 阪美術研究所を設立。志賀直哉らと交友。35 年関西パステル画会を指導。57 年没。68 歳。 中村義夫 《早春薄暮》 油彩 ・ キャンバス 55.0 × 66.0cm 制作年不詳

(10)

  こ こ に 挙 げ た 作 品 は、 出 会 い の 瞬 間 で 購 入 を 決 め た も の で す。 自 分 の 精 神 価 値 と 市 場 価 値 と を 天 秤 は か り に か け 精 神 価 値 が 勝 れ ば 買 う。 こ の ス タ ン ス が 無 名 作 家 に 対 し て は 快 い も の で す。 でも実は私には、この作品に何が描かれているのかが未だによく判りません。   こ の 作 品 は そ の 後、 大 川 美 術 館 で 行 わ れ た 網 谷 義 郎 展 で 兵 庫 県 立 美 術 館 所 蔵 作 品 と 共 に 一 番 目立つところに展示されました。私は代表作の一点に昇格したと密かに喜びました。   題 名 に「 二 人 」 と あ り ま す の で 無 理 し て 人 間 に 見 よ う と し て い ま す が、 何 か 変 な の で す。 不 可 解 な 作 品 で す。 私 が ジ ャ ズ ダ ン ス を 楽 し ん で い る こ と も あ り、 こ の 作 品 の 二 人 が 楽 し そ う に ダ ン ス を し て い る よ う に 見 え て な り ま せ ん。 色 彩 は 少 な い の で す が 画 面 か ら 優 し さ、 豊 か さ、 そして動きを感じます。   私 は 比 較 で 作 品 を 買 う 習 性 が あ り ま す。 過 去 の ベ ス ト 一 〇 の 作 品 よ り 良 い 作 品 を 数 十 点、 数 百 点 の 中 か ら 一 点 選 ぶ。 こ の 作 品 も 六 〇 点 ぐ ら い の 売 り 立 て 展 の 中 で 一 番 良 い 作 品 で、 し か も 一番安価だった作品です。 堀 良慶(千葉県柏市)

網谷義郎

《二人》

精神価値の勝利と至福!

網谷義郎(あみたに・よしろう/ 1923-1982 年) 兵庫県生れ。京都大学法学部卒。小磯良平に師 事。1955 年新制作展で新作家賞。59 年新制 作協会展で協会賞。60 年新制作協会会員。大 阪フォルム画廊、大阪梅田画廊等で個展。68 年渡欧。79 年水彩画集刊行。神戸で没。58 歳。 網谷義郎 《二人》 油彩 ・ キャンバス 60.6 × 50.0cm 1967 年

(11)

  こ の 画 に は サ イ ン は な い が、 そ ん な も の は い ら な い。 そ の 美 し さ、 線 の 品 性、 モ ダ ー ン さ、 そ れ だ け で 十 分 で あ る。 こ の 裸 女 に は、 自 然 な な か に も、 清 新 な あ る 妖 し さ が 滲 み 出 て い る。 「 抱 き し め た い 」 衝 動 に か ら れ る。 裸 婦 は 風 景 や 静 物、 人 物 と は 比 べ ら れ な い 程、 描 く の は 難 し い モ チ ー フ で あ る。 裸 婦 画 ほ ど 画 家 の 技 量 や 人 間 性 を 表 出 す る も の は な い。 こ と に デ ッ サ ン は、 色彩といった余分なものがないだけに、それ等を直視できる。   デ ッ サ ン の 生 命 は 線 の 品 性 に あ る。 小 出 三 郎 の 線 に は そ れ が あ る。 こ れ は 習 練 に よ っ て の み 培 わ れ る も の で は な い。 作 家 の 生 活 環 境 や 生 き ざ ま に よ っ て、 自 ず と 描 出 さ れ る も の で あ り、 作 家 独 自 の 世 界 で あ る。 ま た、 小 出 の デ ッ サ ン に は 光 や 音 を 強 く 感 じ る。 そ の 上「 女 」 を 描 か せ れ ば、 「 女 」 自 身 に 備 わ っ て い る 妖 し い 美 し さ を、 自 ら の 手 に よ っ て 創 造 し て い る。 だ か ら、 視 覚 的 と い う よ り も 触 覚 的 な 女 性 の や わ ら か さ が 感 じ ら れ る。 そ れ は、 と り も な お さ ず、 作 家 の 想 う「 女 」 の 姿 を、 自 ら の 感 情 を 移 入 し つ つ、 描 出 し て い る た め で、 こ の 感 情 こ そ が 作 家 の 呼吸であり、それを感じるからこそ、真の美を見ることができる。   この画は小さいが、 大きな油彩に決して負けないすごさを持っており、 私の愛する一点である。 三浦 徹(兵庫県神戸市)

小出三郎

《人》

デッサンの生命は線の品性にある

小出三郎(こいで・さぶろう/ 1908-1967 年) 大阪生れ。信濃橋洋画研究所で小出楢重、国 枝金三、黒田重太郎に師事。1934 年全関西 展で全関西洋画協会賞。38 年全関西洋画協会 会員。独立美術協会賞。47 年独立美術協会会 員。汎美術家協会を結成。大阪で没。59 歳。 小出三郎 《人》 コンテ ・ 紙 7.0 × 22.0cm 制作年不詳 部 分

(12)

  小 出 三 郎 は 大 阪 出 身 で、 信 濃 橋 洋 画 研 究 所 で 油 彩 技 法 を 習 得 し、 二 九 歳 で 独 立 展 に 入 選 し、 独 立 賞 も 受 け た。 戦 後 は 全 関 西 美 術 協 会 を 足 場 に し て、 関 西 の 独 立 展 の 雄 と し て 活 躍 し た た め、 関東では知る人は少ない。   し か し 優 れ た 描 写 力 と 繊 細 な 感 覚 で 描 か れ た《 箱 根 駒 ケ 岳 》 は 中 間 色 を 薄 塗 り し た 山 容 が 静 かに安定した山塊を表現している。   真 鶴 の 中 川 一 政 美 術 館 の 有 名 な 箱 根 駒 ケ 岳 の 明 る い 堂 々 と し た 山 姿 と は 比 較 で き な い か も 知 れないが、渋い燻し銀の魅力がある。 小川榮吉(埼玉県川口市)

小出三郎

《箱根駒ケ岳》

燻し銀で魅了する画家

小出三郎(こいで・さぶろう/ 1908-1967 年) 大阪生れ。信濃橋洋画研究所で小出楢重、国 枝金三、黒田重太郎に師事。1934 年全関西 展で全関西洋画協会賞。38 年全関西洋画協会 会員。独立美術協会賞。47 年独立美術協会会 員。汎美術家協会を結成。大阪で没。59 歳。 小出三郎 《箱根駒ケ岳》 油彩 ・ キャンバス 23.0 × 32.0cm 制作年不詳

(13)

  こ の 絵 は 額 裏 に 淀 画 廊 の シ ー ル が 貼 っ て あ り、 前 の 所 蔵 者 が 大 事 に し て い た こ と が わ か る 程 保存が良い。伝え聞いたところでは喜多村知の遺族が本図を買い戻したいと言っているそうだ。   御 存 知 の 洲 之 内 徹 は、 喜 多 村 知 の 絵 は 物 の 本 質 を 見 て 描 い て い る の で、 絵 に 力 が あ る。 そ れ が 見 る 人 に 迫 力 と な っ て せ ま っ て 来 る か ら、 観 者 は そ れ に 負 け な い 位 の 力 を 持 っ て 向 か わ な い とわからないことになると言っている。   天 才 的 な カ ラ リ ス ト と い わ れ た 喜 多 村 知 の 清 々 し い 透 明 な 色 彩 は こ の 人 の 純 粋 な エ ネ ル ギ ー のほとばしりなのだろうと思う。 小川榮吉(埼玉県川口市)

喜多村知

《海近く》

透明な色彩を操るカラリスト

喜多村知(きたむら・さとる/ 1907-1997 年) 大連生れ。1921 年京都府絵画専門学校入学。 26 年川端画学校に学ぶ。30 年帝展入選。41 年 新文展で特選。50 年三越、52 年資生堂で個展。 63 年渡欧。67 年三越、76 年現代画廊で個展。 95 年下関市立美術館で個展。97 年没。90 歳。 喜多村知 《海近く》 油彩 ・ キャンバス 28.5 × 63.7cm 制作年不詳

(14)

  こ の 冬 山 は 雪 が あ る わ け で は な く、 山 の 形 も 通 念 と は 異 な る 幾 何 学 模 様 の よ う な 半 具 象 の 変 わった絵である。   それでも私を引き付ける何かが感じられたので、 入手したのだが、 作者は全く知らない人だっ た。   あ と で 調 べ て、 三 岸 好 太 郎 と 福 沢 一 郎 に 学 び、 独 立 展 に 入 選 し た あ と、 美 術 文 化 協 会、 新 象 作家協会の会員としてシュールレアリスムの絵を描いていたことを知った。 小川榮吉(埼玉県川口市)

吉川三伸

《冬山》

引き付けられる何かを感じて入手

吉川三伸(よしかわ・さんしん/ 1911-1985 年) 名古屋生れ。1934 年三岸好太郎に師事。38 年独立展入選。40 〜 53 年美術文化協会会員。 53 年新象作家協会設立会員、水彩連盟会員。 戦中・戦後を通じて抽象画家として活躍。名 古屋市で没。74 歳。 吉川三伸 《冬山》 油彩 ・ キャンバス 45.0 × 52.0cm 制作年不詳

(15)

  私 の 母 校 、 瑞 穂 第 一 小 学 校 の 図 工 室 に そ の 画 家 は い た 。 底 抜 け に 明 る い 「 お じ い ち ゃ ん 先 生 」 と い う 印 象 が 残 っ て い る 。 で も 当 時 五 〇 歳 代 だ っ た の だ 。 私 が 小 学 校 六 年 の 六 月 に 眠 っ た ま ま 亡 く な っ て い た そ う だ 。 そ の 先 生 が 画 家 と し て の 顔 を 持 っ て い る な ん て 当 時 の 私 は 思 い も し な か っ た 。   そ の 昭 島 市 に あ っ た ア ト リ エ に は 学 校 の 先 生 や 子 供 た ち が 集 ま り 画 家 に 制 作 を 習 っ て い た と い う 。 「 過 労 だ っ た の で は 」 と は 当 時 を 知 る 先 生 の お 話 だ 。   「 や っ と 自 分 が 納 得 で き る 絵 が か け る よ う に な っ た 」 と い う 晩 年 が 中 心 の 画 集 の 作 品 に は ほ と ん ど サ イ ン が な い 。 そ れ は 未 完 成 と い う 意 味 で は な い 。 先 の 先 生 の お 話 で は 「 生 涯 一 度 の 個 展 」 の 時 に 入 れ る つ も り だ っ た そ う だ 。 そ の た め 作 者 不 詳 と し て 流 れ て い る 作 品 も あ る の で は な い か ?   そ れ を 探 し 当 て る 方 法 は な い だ ろ う か ?   朔 日 会 で キ ャ リ ア を 積 ん で い た の に 脱 会 し た 。「 そ の 訳 は よ く わ か ら な い 」 と 友 人 の 画 家 が 綴 っ て い る 。 そ ん な こ と に 捕 ら わ れ ず 子 供 た ち を 教 え な が ら 自 由 に 進 み た か っ た の だ ろ う と そ の 人 生 に 思 い を 馳 せ る 。 こ の 作 品 に は そ の 吹 っ 切 れ た 明 る さ が あ る 。   「 絵 は 下 手 に か け 」( 姪 御 さ ん の お 手 紙 か ら )、「 混 ぜ ろ 、混 ぜ ろ 」( 同 級 生 の 話 )。 私 も「 色 の 違 い を 出 せ 」 と 教 え ら れ た の を 覚 え て い る 。 記 録 ・ 作 品 ( 奥 様 も ほ と ん ど 所 在 が わ か ら な い と お っ し ゃ っ て い た ) は な い け れ ど 皆 の 思 い 出 の 中 に い つ ま で も 残 る 、 そ う い う 画 家 な の だ と 思 う 。 小 山 美 枝 ( 東 京 都 西 多 摩 郡 瑞 穂 町 )

大塚

 

《ベニス》

自由に明るく〜「おじいちゃん先生」の真の姿

大塚 武(おおつか・たけし/ 1927-1979 年) 栃木県生れ。1948 年栃木県師範学校卒。50 年上京、公立学校に勤務しながら油絵を学ぶ。 57 年朔日会同人、同会の展覧会で各賞を受賞。 60 年安井賞候補。69 年朔日会退会。79 年 急性心不全で没。52 歳。 大塚 武 《ベニス》 油彩 ・ キャンバス 50.0 × 60.0cm 1975 年頃

(16)

  私 は、 立 春 が 近 づ く 頃 に な る と こ の 山 本 弘 の 鬼 の 絵 を 掛 け る の が 数 年 来 の 習 い に な っ て お り、 去年はほとんど一年中、我家の狭い壁面を占領していました。   強 烈 な 印 象 を 残 し て 世 を 去 っ た こ の 画 家 の 心 の 中 に 住 ん で い た の で あ ろ う こ の 鬼 は、 よ く み る と な ぜ か 心 弱 そ う で、 自 分 の 醜 い 姿 に 泣 き 出 し そ う な 顔 を し て こ ち ら を 見 つ め て い る の で す。 こ の 鬼 は 又、 誰 の 心 の 中 に で も 住 ん で い る 鬼 を 描 い て い る よ う で、 私 の 心 の 中 に も 居 る 鬼 と 兄 弟の様にも思えるのです。   こ の 絵 は 激 し い 筆 使 い に も か か わ ら ず、 見 つ め て い る と 画 中 に 引 き 込 ま れ る よ う な 静 寂 感 を 漂 わ せ て い て 画 家 が 自 分 の 心 の 中 を 深 く 見 つ め て い る 思 い が 伝 わ っ て き ま す。 こ の 絵 は 山 本 弘 の 代 表 作 の 一 つ で あ る と 思 い ま す。 私 は も っ と 山 本 弘 の 事 を 知 り た い と 思 い ま す し、 皆 様 に も 知って頂きたいと願っております。 福田豊万(千葉県市川市)

山本

 

《赤鬼》

画家「山本弘」に〈泣き顔の鬼の絵かけて春隣り〉

山本 弘(やまもと・ひろし /1930-1981 年) 長野県生れ。1948 年帝国美術学校中退。個展 中心に発表。ヒロポン中毒となり、20 代前半 に飯田市に帰郷。アルコール中毒。自殺未遂 を繰り返す。飯田市で個展活動。表現主義的 な絵は売れず、極貧生活のなかで自死。51 歳。 山本 弘 《赤鬼》 油彩 ・ キャンバス 53.0 × 45.5cm 1978 年

(17)

  絵 と の め ぐ り 遭 わ せ を 考 え て み る と い ろ い ろ な 偶 然 が 重 な り あ っ て の こ と と 思 わ ず に は い ら れ ま せ ん。 も ち ろ ん い つ も 頭 の な か に 蒐 集 の 意 思 が な け れ ば な ら な い と い う 条 件 が あ る に せ よ、 今ここでその絵を見ることが出来ることは努力と出会いの結果でもあります。   こ の 絵 と の 出 会 い は、 梅 野 隆 氏 の 藝 林 月 報 二 〇 〇 号 記 念 の パ ー テ ィ が 東 京 銀 座 で 盛 大 に 開 催 されたその日でした。   大 川 美 術 館 の 創 設 者 の 大 川 栄 一 氏 が 挨 拶 の 中 で コ レ ク タ ー の 存 在 の 重 要 さ を 特 に 強 調 さ れ て、 多 く の 参 列 者 の 共 感 を よ び ま し た。 私 の よ う な 小 コ レ ク タ ー も 少 し は 美 術 普 及 に 役 立 っ て い る ことを改めて認識させてもらったような気がしてとても快い思いをした記憶があります。   こ の 日 は 他 に 銀 座 と 団 子 坂 で そ れ ぞ れ 一 点 ず つ、 素 晴 ら し い 絵 と め ぐ り あ い、 忘 れ ら れ な い 一日でした。   右側の人はひげをはやしている男性でしょうか。 左側の人は女性でしょうか、 男性でしょうか。 どちらも中高年のようにも見えます。真中は女性でしょうか、何とも気をもませる出会いです。 野原 宏(埼玉県久喜市)

 

創吉

《出会い》

「出会い」に出会う

菅 創吉(すが・そうきち/ 1905-1982 年) 姫路市生れ。絵は独学。カット、政治漫画、図案で 生計をたて、戦後新聞挿絵で活躍。1960 年現代画 廊個展。63 〜 72 年渡米。ロス、シスコ、NY で個展。 永住権取得。ユーモラスな形と禁欲的色彩の中に鋭 く洞察深い認識を見せる。82 年没。77 歳。 菅 創吉 《出会い》 油彩 ・ キャンバス 31.5 × 40.8cm 1977 年

(18)

  「 N P O 法 人 ア ー ト ミ ュ ー ジ ア ム・ ま ど 」 代 表 の 金 井 徳 重 氏 の 常 設 展 示 室 で 麻 田 浩 の 作 品 を 見 ま し た。 何 と も 懐 か し く も あ り、 自 分 好 み の 物 で も あ り ま し た。 旧 友 に あ っ た よ う な 気 が し ま した。   J A A オ ー ク シ ョ ン で 麻 田 浩 の 作 品 が 三 点 出 品 さ れ て い て、 そ れ ぞ れ の 作 品 は 独 特 な 雰 囲 気 で 他 の 陳 列 作 品 を 圧 倒 し て い る よ う に 私 に は 思 わ れ、 強 く 惹 か れ て、 ま と め て 落 札 し ま し た。 入手出来て大喜びしたことが強く印象に残っています。   二 〇 〇 七 年 七 月、 京 都 国 立 近 代 美 術 館 で 没 後 一 〇 年 の 麻 田 浩 展 が 開 催 さ れ ま し た。 同 じ 作 品 が エ ッ チ ン グ の 代 表 作 と し て 一 番 目 立 つ と こ ろ に 展 示 さ れ て い る の を 見 て、 私 に も 美 の 神 か ら の プ レ ゼ ン ト が あ っ た こ と を 確 認 で き ま し た。 二 〇 〇 八 年 七 月、 東 京 オ ペ ラ シ テ ィ ア ー ト ギ ャ ラ リ ー で の 麻 田 浩 展 に も こ の 京 都 国 立 近 代 美 術 館 所 蔵 の 作 品 が 展 示 さ れ て い た こ と か ら し て も、 国内にある作品は少ないのかもしれません。   「自分の目を信じよう」 。誰にも何にも言わせない、そんな絵の一枚です。 野原 宏(埼玉県久喜市)

麻田

 

《花》

美の神からのプレゼント

麻田 浩(あさだ・ひろし/ 1931-1997 年) 京都市生れ。1955 年同志社大学卒。68 年新制 作協会会員。京展須田賞。71 年渡仏。プリ・ナショ ナル賞受賞。カンヌ国際版画芸術ビエンナーレ第 1位受賞等多数。細密な洋画を制作し、銅版画家 としても活躍。京都府文化功労賞。自死。65 歳。 麻田 浩 《花》 エッチング ・ 紙 49.8 × 39.3cm 1976 年

(19)

  こ の 3・ 11の 東 日 本 大 震 災、 福 島 原 発 事 故 か ら 時 間 が 経 つ に つ れ、 頭 に 浮 か ん で 離 れ な い 画 がある。麻田浩のあの泥沼の寂寥とした世紀末のような五〇〇号の大画面 《地 ・ 洪水のあと》 ( 都 国 立 近 代 美 術 館 蔵 ) の 作 品 だ。 こ の 作 品 を 描 い た の は 一 九 八 五 年 で あ る。 体 調 を 崩 し フ ラ ン スより帰国。 長期間にわたるパリ生活に一区切りをつけ、 京都のアトリエで闘病生活を続ける中、 五〇〇号の超大作を集大成として描き残しておこうと決意する。   麻 田 が 幼 少 か ら 心 惹 か れ た 原 風 景 の 一 つ は、 創 世 紀 の ノ ア の 大 洪 水 物 語 に 根 ざ す と い う。 世 界 の 創 世 と 終 末 に か か わ る イ メ ー ジ の 中 に そ の も ろ も ろ の オ ブ ジ ェ た ち が 浮 遊 す る。 こ こ に 掲 げた《物たちのおもい》も、集大成とした超大作《地 ・ 洪水のあと》に登場する数々のオブジェ と 同 じ で、 茶 褐 色 の 画 面 に 不 気 味 な 煙 り が 流 れ、 朽 ち た 枯 れ 木 / ち ぎ れ た 布 / 剥 が れ た 紙 き れ / 紐 や ロ ー プ / 鳥 の 羽 根 や 卵 / 蝶 や い く つ も の 水 滴 / 建 造 物 の 壊 れ た 木 材 / 動 物 の 骨 や 石 な ど である。   麻 田 の 扱 う 素 材 や 題 材 は、 非 情 な ガ ラ ク タ で あ る。 彼 は 現 代 社 会 と 人 間 の お か れ て い る 不 安、 危機的状況を暗示し、警告、予感していたのだろうか?   一九九七年、麻田が自らの命を絶ったのは京都市龍安寺のアトリエであった。 金井徳重(長野県中野市)

麻田

 

《物たちのおもい》

終末を予告する原風景

麻田 浩(あさだ・ひろし/ 1931-1997 年) 京都市生れ。1955 年同志社大学卒。68 年新制 作協会会員。京展須田賞。71 年渡仏。プリ・ナショ ナル賞受賞。カンヌ国際版画芸術ビエンナーレ第 1位受賞等多数。細密な洋画を制作し、銅版画家 としても活躍。京都府文化功労賞。自死。65 歳。 麻田 浩 《物たちのおもい》 油彩 ・ キャンバス 65.0 × 100.0cm 1983 年

(20)

  この《コルシカ風景》作品には一寸したエピソードがある。   二〇〇〇年七月「奥村光正展」が日動画廊で開催された。その折、 《とうもろこしと貝の静物》 と い う 作 品 も す ば ら し か っ た。 ど ち ら を 買 お う か 迷 っ た が、 結 局《 コ ル シ カ 風 景 》 を 購 入 し た。 そ の 後、 日 動 画 廊 の 社 員 の 話 だ が、 最 終 日 に 脇 田 和 先 生 が 画 廊 を 訪 れ、 こ の《 コ ル シ カ 風 景 》 の 画 を 写 真 に 撮 り た い と い う こ と で、 翌 日 プ ロ の カ メ ラ マ ン を 連 れ て 撮 影 さ れ た と い う。 後 日 大 き な 写 真 を 送 っ て い た だ い た。 こ の《 コ ル シ カ 風 景 》 は、 昭 和 五 五 年 第 一 九 回 国 際 形 象 展 に 出品した作品である。   奥 村 光 正 は 無 類 の カ ラ ー リ ス ト で あ る。 そ の 洗 練 さ れ た 色 彩 は、 パ リ に ア ト リ エ を 構 え て 二 五 年、 エ コ ー ル・ ド・ パ リ の 中 か ら 生 ま れ た も の で は な い。 信 州 安 曇 野 の 澄 ん だ 透 明 な 空 間 から生まれた天性のものだろう。   詩 人・ 松 永 伍 一 は、 奥 村 光 正 画 集 で 次 の よ う に 述 べ て い る。 「 具 象 で あ り な が ら そ の 奥 に 潜 む 未 知 な る も の を 彼 は 追 っ て い た に ち が い な い。 つ ま り、 日 常 の 現 実 感 か ら メ タ フ ィ ジ カ ル な 領 域 へ と 守 備 範 囲 を 拡 げ る こ と に よ っ て、 表 よ り 裏 で 感 じ さ せ る 特 技 を、 画 家 は そ れ を 画 面 の 裏 に秘匿しつくすマジックを体得していた。 」   平成九年、奥村はパリで他界。五五歳であった。 金井徳重(長野県中野市)

奥村光正

《コルシカ風景》

信州安曇野の色

奥村光正(おくむら・みつまさ/ 1942-1997 年) 長野県生れ。1968 年新制作協会展で新作家 賞。69 年東京藝術大学大学院油画科を修了。 72 年渡仏。78 年昭和会賞。国際形象展、安 井賞展に出品、主に日動画廊で個展を開催。 87 年巴東会展の結成に参加。パリで没。55 歳。 奥村光正 《コルシカ風景》 油彩 ・ キャンバス 80.0 × 80.0cm 1980 年

(21)

  作 家 と 初 め て お 会 い し た の は、 二 〇 〇 三 年 一 〇 月、 梅 野 記 念 絵 画 館 の 企 画 展「 北 欧 の 風 土 と 心 を 描 く 」 で の ギ ャ ラ リ ー ト ー ク の 会 場 で あ っ た。 ネ ク タ イ を き り っ と 締 め た 神 経 質 そ う な 長 身の紳士である。   三 岸 黄 太 郎 の 作 品 に 出 会 っ た の は 今 か ら 半 世 紀 前 の こ と。 初 期 の 茶 褐 色 の 静 物 画 シ リ ー ズ 時 代 で あ る。 彼 が 三 〇 代 の 頃 は、 抽 象 画 旋 風 が 日 本 中 に 吹 き 荒 れ、 抽 象 画 全 盛 の 時 代 で あ っ た。 しかし、彼は一貫して具象画を追求していた。   第一回安井賞展(一九五七年)にも出品し、 以後数回出品する。その数年後渡仏し、 ブルゴー ニ ュ 地 方 の ヴ ェ ロ ン 村 に 住 み 着 く。 モ チ ー フ は 一 本 の 樹 木、 屋 根、 城 壁、 畑 ……。 一 見 ぶ っ き らぼうで単純なフォルム、分厚いマチェールが美しい。洗練された透明な色彩は実に印象強い。   二 〇 〇 九 年 一 〇 月、 銀 座 高 輪 画 廊 で「 三 岸 黄 太 郎 展 」 が 開 催 さ れ た。 丁 度 伺 っ た 時 は 元 気 な 姿で会場におられた。その二か月後、一二月二九日に訃報を聞くとは……。 金井徳重(長野県中野市)

三岸黄太郎

《谷あい》

黄太郎のパリ

三岸黄太郎(みぎし・こうたろう/1930-2009年) 東京生れ。父は洋画家・三岸好太郎、母は三 岸節子。1953 〜 55 年渡仏。兜屋画廊、大 阪梅田画廊で個展。56 年新樹会会員。昭和会 展招待出品。東邦画廊、日本橋三越、日動画廊、 高島屋等で個展。2009 年没。79 歳。 三岸黄太郎 《谷あい》 油彩 ・ キャンバス 72.8 × 72.8cm 1982 年頃

(22)

  一 九 九 八 年 の 夏、 金 子 の 作 品 に 運 命 的 に 出 会 い ま し た。 没 後 二 〇 数 年、 閉 ざ さ れ た ま ま の 状 態 で 私 の 前 に 現 れ た の で す。 画 家 の 孤 独 感 と 美 に 生 き る 人 生 観、 金 子 が 生 き た 時 代 の 変 遷、 戦 後 の 思 想 の 戸 惑 い、 己 自 身 へ の 矛 盾 と 理 想 が、 渾 然 一 体 と な っ て 私 に 語 り か け て き ま し た。 画 家 が 生 き る と い う 事 の 難 し さ を、 彼 は 何 時 諦 観 し た の か。 描 か れ た 美 し い 銚 子 の 風 景 は、 潮 の 匂 い が し ま し た。 海 は 生 命 で あ り、 母 で も あ る こ と を 強 く 感 じ さ せ ま す。 以 来 金 子 の 魅 力 に 取 り つ か れ、 少 し ず つ 美 術 の 世 界 に 知 ら れ る よ う 顕 彰 を 続 け て お り ま す。 銚 子 の 老 舗 の 履 物 店 の 次 男 と し て 生 ま れ、 小 学 校 時 代 か ら 絵 の 才 能 を 発 揮 し た 金 子 周 次。 後 に 世 界 的 な 版 画 家 と な っ た 浜 口 陽 三 と 机 を 並 べ、 画 才 を 競 っ た と い い ま す。 戦 前 は 家 業 の ゲ タ 職 人 と し て の 生 活 を 余 儀 な く さ れ ま し た が、 戦 後 の 混 乱 期 に、 絵 描 き と し て 生 き る こ と を 決 意 し、 生 涯 独 身 で 木 版 画 ・ 油 絵 ・ 水 彩 画 ・ 書 ・ て ん 刻 な ど の 制 作 三 昧 の 生 活 に 入 り ま し た。 周 り の 人 々 に は ブ タ 小 屋 に 住 む 貧 し い 絵 描 き と 映 っ た よ う で す。 し か し、 そ の 作 品 は 心 豊 か な 郷 土 愛 に 満 ち、 純 粋 な 人 柄 を 彷 彿 と さ せ ま す。 な か で も 木 版 画 に は、 先 人 の 版 画 の 亜 流 で は な く 生 涯 を と お し て 試 行 錯 誤 を 繰 り 返 し な が ら 創 出 し た で あ ろ う 金 子 独 特 の 絵 画 的 表 現 が 見 ら れ ま す。 版 画 と い う ジ ャ ン ル を 離れて大きな意味での絵画的完成を求めていったのではないかと感じます。 此木三紅大(千葉県匝瑳市)

金子周次

《入港》

潮騒の音、海の香りが漂う作品群

金子周次(かねこ・しゅうじ/ 1909-1977 年) 銚子市生れ。1957 年一線美術展入選。版画家・ 船崎光治郎主宰の「版画を創る会」会員。64 年日本版画院展新人賞。大調和展に出品。生 前の個展は一度だけであった。77 年没。68 歳。 没後 20 年、松山庭園美術館で遺作展。 金子周次 《入港》 木版画 ・ 紙 45.0 × 63.0cm  1970 年代

(23)

  山 縣 章 の 作 品 に 出 会 っ た の は、 二 〇 〇 五 年 頃、 成 田 空 港 に 程 近 い 富 里 の レ ス ト ラ ン で あ っ た。 小 さ な 水 彩 の 風 景 が 三 点 ほ ど。 心 地 よ い 素 朴 な 良 さ を 感 じ た。 そ の 絵 に 会 う た め 何 度 か 足 を 運 ぶ う ち に、 絵 は、 す で に 他 界 さ れ た 近 隣 の 画 家 の 作 品 で あ る と 知 り、 ご 家 族 に 作 品 を 見 せ て い ただくことになった。   ア ト リ エ は、 期 待 に た が わ ぬ 情 感 溢 れ る 絵 で 満 た さ れ て い た。 こ こ は、 無 名 の 天 才 画 家 の ア ト リ エ だ。 こ の ま ま 埋 も れ さ せ て は い け な い、 多 く の 人 に こ の 情 感 を 伝 え た い と い う 思 い が 溢 れた。   サ ラ リ ー マ ン で あ っ た の で 生 業 の た め の 絵 は 描 か ず 汚 れ の な い 真 に 迫 る 絵 を 憚 はばか る こ と な く 制 作 し た。 ひ た す ら 描 き、 描 く こ と の 悦 び に あ ふ れ た 画 家 の 絵 は、 何 と 豊 か な こ と か。 こ の 格 調 の高さは作者の精神であろう。 自然の風景の中にその人生を重ね、 抒情深い。 絵描きになりたかっ たであろう少年時代の絵の中にも並はずれた才能を感じた。   画 帳 に 几 帳 面 に 整 理 さ れ た、 長 年 に 亙 る 日 々 の 通 勤 電 車 の 中 で 描 け る よ う に 工 夫 し た 超 ミ ニ サ イ ズ の 作 品、 ミ ク ロ 絵 の 世 界 も 大 き な 広 が り と 豊 か な 色 彩 に 満 ち て、 そ の 制 作 数 は 二 万 点 に 及 ぶ。 ミ ク ロ 絵 を 始 め て 以 来、 水 彩 画 を 描 き 続 け、 一 九 九 四 年( 平 成 六 年 ) 第 五 三 回 創 元 展 文 部大臣奨励賞受賞、その年永眠、享年七七歳であった。 此木三紅大(千葉県匝瑳市)

山縣

 

《蓮沼海岸》

気高き魂のうた

山縣 章(やまがた・あきら/ 1917-1994 年) 宮城県生れ。山倉克己に師事。創元展と日本 水彩画展に出品。1984 年水彩連盟に初入選。 91 年創元展準会員賞。93 年創元展会員新人 賞。94 年創元展文部大臣奨励賞。94 年没。 77 歳。 山縣 章 《蓮沼海岸》 水彩 ・ 紙 38.0 × 50.0cm 1988 年

(24)

  若 い 頃 に 感 銘 を 受 け た も の ご と は、 生 涯 に わ た っ て 影 響 を 及 ぼ す よ う に 思 う。 一 九 八 〇 年 代 は じ め、 毎 年 の よ う に 個 展 を 開 い て い た 福 地 敬 治 と の 出 会 い は 忘 れ が た い 出 来 事 で あ っ た。 個 展 の 案 内 状 に は よ く、 パ リ に 滞 在 し て い た 当 時 の 興 味 深 い エ ピ ソ ー ド が 綴 ら れ て い た。 画 家 仲 間 と の 交 友 や 馴 染 み の パ ン 屋 の 爺 さ ん の こ と な ど、 そ の 思 い 出 は 作 家 の 心 の ふ る 里 を 思 わ せ た。 文 章 に 滲 む 情 感 は 会 場 に 並 ん だ 絵 の 雰 囲 気 と 溶 け 合 い、 展 覧 会 の 印 象 を よ り 深 い も の に し た。 個 展 会 場 の 作 家 は 寡 黙 で あ っ た が、 発 す る ひ と 言 に 相 手 へ の 気 配 り と や さ し さ が こ も っ て い た。 そ の 細 や か な 心 遣 い と 作 品 か ら 感 じ 取 れ る 豊 か な 感 性 と が 二 重 映 し に な り、 絵 に 対 す る 信 頼 が い っ そ う 増 す の だ っ た。 ど ん な 小 さ な 作 品 で も、 真 剣 に 取 り 組 ん で 描 け ば 後 々 見 て も 見 応 え が あ る 筈 と、 作 家 は 日 ご ろ 説 い て い た と 言 わ れ る。 細 部 に ま で 神 経 の 行 き 届 い た 作 品 は そ の 言 葉 を裏付けている。 福地敬治の絵は、 彼が愛したひとつの世界を窺わせる。 絵に込められた詩魂は、 静 か な 感 動 と な っ て 人 々 の 心 に 生 き 続 け る に 違 い な い。 遺 さ れ た 作 品 は、 自 分 自 身 の 宝 を 心 に 抱 き、 そ れ を 慈 し み つ つ 磨 き 上 げ て い く こ と の 大 切 さ を、 画 家 の 遺 志 と し て 告 げ て い る よ う に 思われる。 棚橋 章(千葉県松戸市)

福地敬治

《山村》

若き日に出会った豊かな感性

福地敬治(ふくち・けいじ/ 1930-1997 年) 大阪生れ。1955 年大阪市立美術研究所修了。56 年春陽会研究賞。68 年春陽会会員。69 〜 71 年 関西女子美術短大専任講師。69 年渡欧、通算 7 年。 パリ市立美術研究所修了。銀座美術ジャーナル画 廊、三越本店等で個展。97 年没。66 歳。 福地敬治 《山村》 油彩 ・ キャンバス 38.0 × 45.5cm 制作年不詳

(25)

  こ の 銅 版 画 ほ ど 簡 潔、 か つ 的 確 に 幼 児 を と ら え た 作 品 が あ る だ ろ う か。 と く に 口 と 舌 の と ら え 方 は 絶 妙 で あ る。 い ま に も 無 邪 気 な 笑 い 声 が 聞 こ え て 来 る よ う だ。 「 頑 が ん ぜ 是 な い 子 」 と い う 表 現 が、ぴったり当て嵌まる。   この画は一九七三年、 駒井哲郎五三歳の作品、 死の三年前に制作したものだ。 この前後、 《街》 《魔 法 陣 》《 流 れ 》 な ど、 面 白 い 作 品 も 多 く、 ま だ 周 囲 を 冷 静 に 観 察 す る 余 裕 が あ っ た の だ ろ う。 自 分の死を意識した最晩年の傑作、 《丘》 《岩礁》 《樹木》 《影》 など、 四季シリーズとは対照的である。 これらの作品群からは、 鬼気迫る印象を受け、 いささか息苦しい。 私個人としては、 それ以前の 《笑 う幼児》に魅かれる。   私 が こ の 銅 版 画 を 求 め た の は、 一 九 七 五 年 の 早 春 で あ っ た。 三 五 年 以 上 も 昔 の こ と で あ る。 同 時 期、 二 見 彰 一 氏 の《 や わ ら か な 闇 》 も 求 め た。 絵 画 を は じ め、 芸 術 な ど 全 く 無 関 心 な 無 骨 者の私にとって、余りにも、ささやかなコレクションの始まりであった。   私は端午の節句が来ると、この画を眺めながら柏餅を食す。そして番茶を一杯。 鈴木正道(千葉県柏市)

駒井哲郎

《笑う幼児》

もっとも簡潔な幼児像

私のコレクション事始め

駒井哲郎(こまい・てつろう/ 1920-1976 年) 東京生れ。銅版画家。1942 年東京美術学校卒。 戦後ルガノ、サンパウロ ・ ビエンナーレで受賞。 春陽会会員。72 年東京藝術大学教授。長谷川潔、 浜口陽三と並ぶ銅版画の先達。夢と現実を結ぶ 文学性の高い作品を制作。76 年没。56 歳。 駒井哲郎 《笑う幼児》 シュガーアクァチント ・ 紙 19.8 × 20.1cm 1973 年

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