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内田百閒「山高帽子」論(二〇〇六年度卒業論文要旨集)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 内田百閒「山高帽子」論(二〇〇六年度卒業論文要旨集). Author(s). 敦賀, 七重. Citation. 札幌国語研究, 12: 149-149. Issue Date. 2007. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2475. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) ﹁こぶとり﹂研究. 内田百聞﹁山高帽子﹂論. 川龍之介として捉えられ、その二人の関係を描いた作品として. 本作品に登場する育地と野口という男は、これまで百聞と芥. 近代文学研究室 三〇九七 敦賀 七東. 本研究では、﹃宇治拾遺物語﹄ の﹁鬼に癌取らるる準﹂と、. 解釈されてきた。そこで本研究では、二人の交友関係からでは. 古典文学研究室 三〇八一鈴木 智美. 二人の爺の措かれ方の特徴と、教材としての価値を明らかにし. 明治から平成までの﹁こぶとり﹂の比較と変遷について考察し、. フについて考察することで、本作晶の特質を明らかにするとい. なく、作品の中に繰り返し登場する山高帽子と顔というモチー. 思われるかもしれないにもかかわらず、青地は独自の価値観を. た時代、山高帽子を被り続けるということは周囲におかしいと. 山高帽子は二人の対立のきっかけとなる。作品の舞台となっ. 、つことをねらいとした。. ょうとしたものである。特に一人目の爺と隣の爺の性格、一人 の爺の評価の言葉や知恵や質さの描き方は時代ともに変化し、. 目の爺の知恵がどのように措かれているのかに注目した。二人 時代が求めている像やその時代の子ども向けの本の意図によっ 二人の爺の性格を措くために使われている語を見ていくと、. て人物や美点の措かれ方が変わってくることがわかった。. 通じる。さらに、育地は顔にもこだわりを見せる。その人間の. 人格を示すものとして機能している顔というものに対して嫌悪. 持ってそれを被り続けた。このようなこだわりは百聞自身にも. 感を抱くのである。顔が変化することは自我の危機を示すため、. 戦前の作品ではその作品によって子どもの教育を行おうとする 化する。一人目の爺の知恕は ﹃宇治拾遺物語し だけではなく現. 菅地は額をわずらわしく感じる一方で、恐れてもいる。. 意図がみられ、戦後から平成になると二人の爺の描き方が多様. けではなく、鬼が喜ぶような歌詞を考えるユーモアが措かれる. どもたちに語り継ぐべき魅力がある。子どもに与える本として. 知恵の措かれ方や歌や踊りの掛け声のリズムの面白さなど、子. 描き出していると言える。. らのモチーフは、百聞独特の感覚や、抱えている不安・恐怖も. として用いられている。同時に、他作品にも多く登場するこれ. を描き出すために、山高帽子や顔というモチーフが狂気の象徴. 同じように狂気に囚われていく姿が措かれており、その高まり. 本作品には、共通性を持った二人が互いに影響しあいながら. 代の作品にも描かれており、その知恵も、痛を惜しがる振りだ など、多様な描かれ方をされるようになった。. の優れた点を利用して授業や教室での読み聞かせに生かすこと. 教科平には﹁こぶとり﹂は二▲十年間ほど採用されていないが、. が出来ると考える。. 149.

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