発行 枚方市教育委員会 社会教育部 文化財課
20 20 年 1月 1日ひ ら か た 文 化 財 だ よ り
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〒573-1159 大阪府枚方市車塚 1 丁目 1 番 1 号 電 話 : 050(7105)8058 ファクス : 072(851)9335 メール : [email protected] 確認調査 1 トレンチ 確認調査 3 トレンチ 本発掘調査区 SD1 SD3 SD3 SD4 柱列 SB2 近現代の池 建物 SB1 建物 SB3 0 5m 1 令 和 元 年 9 月 か ら 10 月 上 旬 に か け て、 百く だ ら で ら済 寺 跡( 特 別 史 跡 ) の 北 方 に 位 置 す る 禁き ん や ほ ん ま ち野本町遺跡の南部で、宅地造成工事に先立ち 発掘調査(禁野本町遺跡第 229 次調査)を実施 しました(左写真)。 事前に実施した確認調査では、奈良時代から 平 安 時 代 初 め 頃 の 建 物 2 棟 や 区 画 溝 な ど が み つかり、本発掘調査では新たに同じ時代の建物 1 棟と東西溝などを発見しました(左下図)。 本発掘調査区の北半部では、 東西に長い建物 (SB2・3) が 建 ち 並 ん で い た よ う で す。 北 側 の 柱 列 SB2 は、 柱 間 が 2.4 m( 約 8 尺 ) を 測 り、 建物であれば、 禁野本町遺跡の中で最大級の規 模で、宅地内の主しゅでん殿となる可能性があります。 本発掘調査区の中央部付近では、 東西方向に 並行する 2 条の溝(SD3・4)がみつかりました(下 写真)。両溝の距離は、約 2.7 mを測ります。両 溝の底面は、 東へ傾斜しており、 確認調査 1 ト レンチでみつかった南北方向の溝 SD1 に合流し て い ま す。SD1 か ら は 8 世 紀 後 半 頃 の 土は 師じ器き と 須す 恵え 器きの大きな破片が多く出土しており、 奈良百済寺跡の北側で奈良時代の宅地を発見
~禁野本町遺跡の方形街区~
時代後半の溝とみられます。 これらの溝は、 排水の他に、 宅 地の区画も兼ねていたことでしょう。SD1 が埋まった後、 建 物 SB1 が建築されたこともわかりました。 本発掘調査区の全景写真(北から撮影) 第 229 次調査の主な遺構平面図 本発掘調査区 溝 SD3・4(北西から撮影)推定 方形街区ライン 今回の調査地 市69次 市103次 (特別史跡) 百済寺跡 (特別史跡) 百済寺跡 2 禁野本町遺跡について 標高約 30 mの交かた野の 台地上に立地する古代 の都市遺跡です。南側にある百済寺跡は、奈 良時代から平安時代における百くだらの済王こにきしし氏の氏寺 跡とみられ、その北側に展開するこの遺跡は 百済王氏一族の本拠地と推定されています。 百 済 王 氏 は、 か つ て 朝 鮮 半 島 の 南 西 部 に あって、7 世紀後半に滅んだ百済国の国王の 末 まつ 裔 えい です。百済王敬きょうふく福が奈良時代中頃に陸む 奥つ 守 のかみ となり、同国で発見した黄金を東大寺大仏 造立のために聖武天皇へ献上したことで有名 です。その後、一族が摂津国百済郡から河内 国交野郡へと移住したとされています。 これまでの調査では、奈良時代から平安時 代の建物・井戸・区画溝などが多くみつかっ て い ま す。 遺 跡 北 部 で 実 施 し た 第 69・103 次調査では、南北方向の道路状遺構が百済寺 の南北中軸線の北方延長線上で、それにほぼ 直交する東西方向の道路状遺構が発見されま した。 こ れ ら の こ と か ら、 平 城 京 な ど と 同 様 に 道路と側溝で構成される碁盤目状の街区 ( 方 形街区 ) が形成されていたと推測しています ( 上図 )。 百済寺跡・禁野本町遺跡を中心とする方形街区の復元案
明治の田中家鋳物工場
文化財
コラム
3 現地説明会を開催! 方形街区復元案の再考に向けて 方形街区の復元案によると、今回の調査地 には百済寺跡北辺から北へ 3 本目の東西道路 があるものと想定していました。 ところが、 南側溝に当たる位置に溝はありましたが、そ の北に道路や側溝の跡は発見されず、この場 所では復元案どおりとはなりませんでした。 ただし、今回の調査地でみつかった建物や区 画溝の多くは、百済寺跡や方形街区と同じ方 位で配置されていることから、これらは方形 街区に基づいて建設が進められたものとみら れます。 今回の調査では、方形街区がみつかった遺 跡の北部と百済寺跡との間にも大型の建物を 伴うような宅地が広がっていたことが裏付け られました。どのような景観であったのか興 味は尽きませんが、これを明らかにしていく ためには、周辺の調査がますます重要となり ます。 発 掘 調 査 成 果 を 公 開 す る た め、 調 査 終 盤 の 10 月 5 日に地元を対象とした現地説明会 を開催しました。当日は、130 名の方々が参 加してくださいました。今回のような発掘調 査を継続し、遺跡の内容を解明していくため には地元の方々のご理解とご協力が必要不可 欠です。今後の調査と研究によって、百済王 氏一族等が居住したとされる街の実態を究明 し、地域における古代史の実像を明らかにし てゆきたいと思っています。 (井戸) 図は明治 39 年(1906)3 月に、田中家の事業内容と工場の仕様を記して大阪府に提出した書類 に添付された建物図面です。この図と書類を参考にして 113 年前の工場の様子を確認しましょう。 書類では工場の桁行(横の長さ)は 15 間(約 30m)と記されていますが、昭和 36、7 年頃 に北側(図の右側)が縮小されて桁行 12 間(約 24 m)に改築されており、図の工場は 3 間(約 6 m)ほど長かったことがわかります。大小 2 つの大きさの窓が設置されている点は今と同じ ですが、4 か所設けられている出入口に戸はつけられていませんでした。 甑こしきろ炉の上にある熱を逃がすための設備は「火気抜」とされ、その構造については「木及竹ヲ 以テ骨子トシ土ヲ塗リ上塗ニ白亜ヲ以テス」と書かれています。つまり、この当時は土壁に白 く上塗りがされていたことになります。大きなむくの木がある丘の上に、本瓦葺きの屋根から 白亜の「火気抜」が見える鋳物工場は、ひときわ目をひく建物だったことでしょう。 こういった資料の調 査を進めていけば、今 後も新たな発見がある かもしれません。 (吉川) 現地説明会の様子(北東から撮影) 明治 39 年作成の建物図面(田中家蔵)イベント名 開催日 輝きプラザきららで開催します ① 文化財展示会「交北城の山遺跡 - 穂谷川左岸の複合遺跡 -」 10/15(火)~ 3/31(火) 旧田中家鋳物民俗資料館で開催します ② カマドで小豆粥を炊こう 1/19(日) ③ ちょこっと展「あかりとぬくもり」 1/25(土)~ 4/12(日) ④ 寺子屋講座「布ぞうり講習会」 2/26(水) ⑤ 彫金連続講座 「伝統金工技法による道具づくり・ペン ダントづくり・彫金小箱の制作」 1/18・25・2/1・8・15(土) ⑥ ステンドグラス講座「壁掛け時計」 1/21(火) メセナひらかた会館 6 階大会議室で開催します ⑦ 文化財連続講座④ 「東京第二陸軍造兵廠と香里工廠」 1/25(土) ⑧ 市民歴史講座 「枚方市域における日露戦争関係史料」 3/2(月) 史跡高井田横穴公園(柏原市)と府立近つ飛鳥博物館へ行きます ⑨ 文化財バスツアー 「横穴墓を見る・聞く・学ぶ」 2/23(日) 4 詳細は『広報ひらかた』・ホームページ・チラシなどをご覧ください 無事終了しました 本紙は枚方市ホームページでも公開しています。 新 年 あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す。 今 号 で は、 百 済 寺 跡 と の 関 連 が 注 目 さ れ る 禁 野 本 町 遺 跡 に お け る 最 新 の 発 掘 調 査 成 果 を 紹 介 し ま し た。 特 別 史 跡 百 済 寺 跡 再 整 備 事 業 は 令 和 5 年 度 の 完 成 を め ざ し て い ま す が、そ の 頃 に は 方 形 街 区 の 様 相 も、も う 少 し 明 ら か に な っ て い る こ と で し ょ う。 期 待 に 胸 が 膨 ら み ま す。