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『源氏物語』における「ゆかし」の考察(三)

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(1)

源氏物

語 ﹄

における

﹁ ゆ

本稿は、前稿﹁﹃源氏物語 ﹄における﹁ゆ か し ﹂の考察同 ﹂ ( ﹁ 締 蔭 国文学 ﹂ ・ 第 二 十五号) に引続き 、 ﹁ 玉霊 ﹂ の巻から﹁ゆかし ﹂ の 語義および好奇心 ・ 欲求を成興する感覚 、 又対象等について 、 逐 一 紙副の許す限り 、 用語例を検討しつつ考察する。 ﹁玉髭﹂の巻では﹁ゆかし﹂という諮は 三 例見当たる 。 そ れ 等 の 用語例を検討していく。

O

笠 倣 介 ﹁ 三 条 、と乙に召す﹂と、呼び 寄 する女を見れば、また 見 し人なり。放御方に、下川なれど、久しく仕うまつり跡れて、か す か の隠れたまへりし御住み処までありし者なりけり、と見なして、 し ゅ う いみじく夢のやうなり 。 主 とおぼしき人は、いと刷州

M

川 判 ど 、 見ゆべくも構へず。 一審目の用語例は 、 ﹁ ゆかしけれ ﹂ と形容詞の己然形で表われ る 。 語義は﹁ゆかしけれ(ど)﹂に下接する 、 ﹁見ゆべくも構えず ﹂ の 文から考察して 、 視 覚意識が働いているものと思われ、 ﹁ 見 たいけ

の考察

~

'---'

れ(ど こ と 意 味 付 けするのが相応しい。そして 、 ﹁ 笠 役 介 が ﹃ 三 条 ょ 。乙ちらで(姫君の御方に)お呼びだ(玉髭の食膳を下げさせる た め ) ﹄ と、呼び寄する女を見ると 、 ζ れもまた右近が見た人であ る。亡き御方(夕顔)のもとで、下働きの女だったけれ ども 、 久 し くお仕え申していて 、 夕顔が内大臣(頭中将)の北の方の 脅迫 を避 けて身を隠し て いた西の 京や五条の家にまで 、お供し ていった者 だ ったではな いか、とは っきり見とどけると 、 本当に夢のようだ。先 客 の ( 玉髭 ) 主 人とおぼしい人はと、右近は大そう 到削川川紅 ど 、 見られないように軟障など構えてあ る 。﹂という叙述描 写中の﹁ ゆ かしけれ(どとは 、 ﹁見たい﹂という視覚的好奇心が旺 織に涌 き起 こ る が 、 軟障の隔 てがあるため ﹁ 見 ら れ そ う に な い ﹂ と 、 右近は主 人と お ぼ しき人を姫 君であるかどうか 、てさわ﹁ 見 た い ﹂ と い う 好 奇心を強く昂揚させながらも、﹁見られそうにない ﹂ と視覚 意 識を 萎 縮 さ せ る 。 ζ のような心情の起伏が伺われる 。 -

(2)

次の用語例を検討する。 すゑつむは江

O

かの末摘花の 雪 口ふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈み て生ひ出でたらむ人のありさま、うしろめたくて、まづ文のけ しきゆかしく恩きるるなりけり。 二 番 目 の 用 語例は 、 ﹁ ゆ か し く ﹂と形容詞の連用形で表われる。 語義は﹁見たく﹂と一応意味 付ける 。 そ し て 、 ﹁源氏は末摘花が お話しにならない程の人であった事を思い出して、落ぶれた境遇で 育った玉震に対しては 、心配で 気になるので 、 ま ず手紙の様子を見 たくお思いになるのである﹂という叙述描写である。即ち、本用語 例中の﹁ゆかしく﹂は﹁見たく﹂と視覚意識を先ず働かせ、﹁手紙 を見たく(読みたく)お思いになる ﹂ が、手紙を読む事によって、 玉髭の外観よりも、知識や人柄の方に好奇心が惹きつけられ、それ ぞ知りたく思う心情が推察出来る。源氏は手紙を読ひという視覚を 働かせるが 、 次に意識路を通り心裡で玉髭の知識や人柄を知りたく 思うのである o ζ れは﹁ゆかしく L という感覚を表わす語に 、 ﹁ 思 さるる﹂という心中で意識を強く持ち続ける語に伴なわせている事 によってもいえよう。結局、﹁ゆかしく思きるる L は 、 ﹁ 読 ん で 知 り たくお思いになる﹂という視覚的行動と心情的欲求を意味するもの と 考 え ら れ る 。 次の用語例の検討に移る。 ひ げ そ う

O

源 氏 ﹁ 灯乙そいと懸想ぴたる心地すれ。親の顔はゆかしきもの と乙そ聞け、さも恩さぬか﹂とて、凡帳すこし押しやりたま ふ 。 三 番目の用語例は、﹁ゆかしき﹂と形容調の連体形で表われる 。 語義は﹁親の顔 ﹂ とあるから、﹁見たい﹂と意味付けるのが相応 ひ しい。即ち、源氏は諮る。﹁乙の灯はほんとに色恋めかしい心地が する。親の顔は見たいものだと聞いているが、( 玉 髭 ) そ うもお思 いになりませんか﹂と。女房たちに、自分が実父であるかの如く思 わせる源氏の心理が伺われる。そして、﹁さも恩きぬか ﹂ と、玉髭 の顔をよく見たいために問う。結局、乙の﹁ゆかしき ﹂ は姫君が 実 父 に ﹁ 会 い た い ﹂ という視覚的欲求を源氏が察して、 言 葉の中に使 用 し た 、 も の で あ る 。 きて、﹁玉霊﹂の巻を検討してきたが、三例共視覚意識を通し て 、 人が人を知りたい・ 会 いたい心情を示している。 次 の ﹁ 初音 ﹂ の 巻 ・ ﹁ 胡 蝶 ﹂ の巻には 、 と の用諮は皆無であった 。 次 の ﹁ 鐙﹂の巻には 二 例 見 当 た る 。 さ い し ゃ う

O

ただ母君の御をぢなりける宰相ばかりの人のむすめにて、心ば お と ろ せなど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとりたまへ お と な る。宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたも大人び たる人なれば、さるべきをりをりの御返りなど書かせたまへば、 召し出でて 、 言 葉などのたまひて 書 かせたまふ。ものなどのた まふさまを、ゆかしと思すなるべし 。 一 番目の用語例は、﹁ゆかし ﹂ と形容詞の終止形で表われる 。 語義は ﹁ ものなどのたまふさまを ﹂ とあると ζ ろ か ら 考 察 し て 、 ﹁聞きたい﹂と意味付けるのが相応しい。そこで 、 ﹁ ゆ か し ﹂ の 周 辺 の描写を述べると 、 ﹁ 後 兵 部 卿 宮 が 、 玉 髭を尋ねて来て 、 玉露にあ - 26ー

(3)

れこれ言い迫る様 子 を 、 源 氏はどんな 事をおっ し ゃ る の か 聞剖阿 川 とお思いになる﹂という 、 源 氏 の旺感な好奇 心が伺い 知れる。源氏 は玉震に好色感情を抱いている た め 、 後兵部卿宮が玉霊に対してな す 言 動 を 意 識 す る 。 従 っ て 、 本用語例中の﹁ゆかし﹂は ﹁ 聞 き た い﹂という聴覚的欲 求 が強く感じられ る が 、 一 方 、 言 い 迫 る 様子も 目で﹁見たい﹂という視覚的好 奇 心も 潜在 しているものと恩われ る 。 こ の よ う に 詳 細 に 、 ﹁ ゆ か し ﹂の感覚を考察 すると、﹁聞いたり ・ 見 たりして知りたい﹂欲求の複 合 感 覚 を 示 すものと思われる 。又 、 ﹁ ゆ か し﹂は﹁思 す ﹂という心中で意識を強 く持ち 続ける語に共有 し 、 一 一 層 ﹁ ゆ か し ﹂ の 感覚を増強させている。 次の用語例の検討に移る。

O

さるは、まことにゆかしげなきさ まには もてなし果てじ、 と大 臣は思しけり、なほさる御心情附なれば、中宮なども、いと う る はしくやは思ひき ζ え た ま へ る 。 二 番目の用語例は、形 容詞 の連体形で 表わ れ る 。 語義は﹁人聞のよくない﹂と意味付けするのが最も相応しい。 そ し て 、 ﹁ 源 氏 は 、 玉髭 に愛情を感じてい るけれ ども、本 当に刈聞剖 のよくない様子(即ち 、 側 室)にはするまいと大臣はお思いになっ ていた。やはり 、 一度は言い迫って口 説 いてみる源氏の御性分で、 秋好中宮などをも、非常に絡麗 に源氏が思 い切り申していら っ し ゃ るのであろうか。﹂と現代語訳出来よう。乙の﹁ ゆかしげな き ﹂ の 感覚をもう少し詳細に考察すると、 源 氏が養女である 玉震 を側 室扱 いにした場合、世の中の人々が その様子を﹁見 た り ・ 聞いたり ﹂ し て 、 よ い感情を持 たない状 態を示し 、 源 氏が その世評 を 気にし意識 を消失させる。従って 、 本用語中の﹁ゆかしげなき﹂は 、 当 人の意 識でなく 、 他者が良くない意識で捉えた複合感覚を示し 、 そ れを当 人が心配して行動を自制する意志をのぞか せ て い る 。 さ て 、 ﹁ 鐙 ﹂ の 巻 の 二 例を検 討してきたが 、 一 方 は 、 当 人の﹁聞 いたり ・ 見たりして 知りたい ﹂複合感覚を 、 一 方 は 、 他 者が ﹁ 見 た り ・ 聞いたり ﹂ した場合、﹁奥ゆかしくない ﹂ 印 象を 表 わす複合感 覚を示して い る 。 次の ﹁ 常夏 ﹂ の巻では六例を数える 。 それ等を 一 例 ずつ検 討 し て い く 。 ま 0 ず

O

源 氏 ﹁ 少 将 、侍従など ゐて参うで来たり。いと跡り 来 ま ほ し げ じほふ ζ h u u ゐ に 思 へ る を 、中将 の い と 実法の人に て ゐ て 来 ぬ 、 無人なめ り か し。乙の人々は 、みな恩 ふ心なきならじ。なほなほしき闘をだ 章 。y h に、窓の内なるほどは 、 ほどに従ひて、明州

UU

思ふべかめ る e b へ ・ 4J -L ep わざなれば 、 乙 の家のおぼえ、内々のくだくだしきほどよりは、 い と世 に過ぎ て、乙とごとしくなれ U 言ひ 思 ひ な すべかめ る 。 一番目の用語 例 は 、 ﹁ ゆかしく ﹂ と形容詞の連用形で 表わ れ る 。 語義は﹁見た い ﹂ と 意 味付け るのが相応 し い 。 そ し て 、 ﹁ 身分の 低い女で も 、 深 窓 の 中 に い る 聞 は 、 そ の 身 分 に 応 じ て 、 ( 心 が ひ か れ)見たい と思う ものでしょ う か ら﹂と 現代 語訳 出来 よう。即ち 、 こ の﹁ゆかし ﹂ は男が身分の低い 女 ・ 高 い女にそれ ぞ れ 、 そ れなり の 魅 力 を 感 じ 、 ﹁ 見たい ・ 会 い た い ﹂ と い う視覚的欲求が切々と涌 -

(4)

き起 こ る。それから、意識 路 を経て 、 話してみたいという行動が 、 心中深くに潜在しているものと考えられる。又 、 ﹁ゆかしく﹂とい う感 覚 を 示す語に ﹁思う﹂という、心 中で意識を強 く持ち 続ける語 に接 続 さ せ 、 ﹁ 見 たい﹂という感覚をより 強 く持 続 させて い る 。 次の用語例を見てみる。 あ そ

O

玉 単 一 ﹁ 乙 のわたりに できりぬべき御 遊びのをりなどに 、 聞きは べりなんや 。 あやしき 山 がつなどの中 に も 、まねぶものあ ま た はべるなる乙となれば、おしなべて心やすくやと乙そ思ひたま へつれ。きは、すぐれたるはさまことにやはべらむ﹂と 、 ゆ か 1 1 1 1 1 1 1 せ ら しげに、切に心に入れて思ひたまへれば 、 二番目の用語例は 、 ﹁ ゆかしげに﹂と、形 容 動詞の連 用形 で 表われ 司 令 。 語義は﹁聞きた そ う に ﹂ と芯味付けるのが相応しい。因に、こ の 周辺の描写を述べると、 玉 髭の父が和琴の弾き手の名手である事を 源氏が語る。玉髭は 、 そ の 父内大臣の和 琴の音 色がいかに高雅 なも のであるか 、 ﹁ 聞 き た く ﹂ 思 う と い う 、 玉 髭の非常に熱心な聴覚的 意識をのぞかせている。と同時に父を敬慕する気持ちを払試し切れ ず会って話したいという慕情も混入しているものと考えられる 。 再び用語例を見ると 、 ﹁ゆかしげに、切に心に入れて思ひたまへれ ば﹂とあり 、 玉笈のひ どく切願する心理が伺われる 。 乙の叙述描 写 に 連繋 する文を次に 示 す 。 ︿ だ ど ぜ ん

O

源 氏 ﹁ き か し 。 あ づ ま と ぞ名も立 ち下りたるやうなれど 、 御前 ふ む の つ か き ひ と の御遊びにも、まづ寄司を召すは、他の国は知らず。ここには 乙れを物の親としたるにこそあめれ。その中にも 、 親とし つ べ き御手より弾きとりたまへらむは 、 心乙となりなむかし 。ここ に な ども、さるべからむをりにはも の し た ま ひなむを 、 乙の琴 て を か た に 、 手惜 し ま ず な ど 、 あ きらか に 掻 き鳴らしたまはむ 乙とや難 からひ。物の上手は 、いづれ の道も 心やすからず のみぞあ め る 。 さりともつ ひ には聞きたまひてむかし﹂とて、調べす こし弾 き た ま ふ 。 ζ と つ ひいとこなく、今めかしくをかし。 ﹁ 乙 れ に も 回 l i l 1 I l l i -まされる 音 や 出づらむ ﹂ と、親の御ゆかしさたち添 ひ て 、 乙 の 事にできへ 、 ﹁ い か な ら む 位 に 、 きてう ちとけ悌きた ま は h u を 聞 か hU ﹂ など思ひゐたまへり。 こ れ は 、 一 二 番目の用語例で 、 ﹁ 御 ゆ か しさ﹂と名 詞で表われる 。 語義は﹁お会 い し た い ﹂と意味付けるの が相 応 し い 。 ζ の場面は 、 二番目の用 語 例 の 玉 霊 の 言葉 を 受 け て 、 源 氏が 再び語る。玉愛の父 が和琴の弾き 手の第一人者である事を。 そ し て 、 自らも和琴を少し お弾きになる 。 そ の音色がはなやかでおもしろいと 。玉藍は聞き入 ね りつつ 、 父は﹁これにもまされる 音 や出づらむ﹂と、誇り 高 い心情 が徐々に昂じ 、 父に早く﹁お会いしたい ﹂ という思慕の念にかられ 、 和琴に つ けても 、 ﹁どのような世 に 、こうして内大 臣 が、打解け て 和 琴をお弾きになるの を聞けるのだ ろ う ﹂ と 、 玉援の純ち位びる心 情が感取出来る 。 こういう描写中の﹁御ゆかしさ ﹂は 、 実父 内大臣 を玉髭が 懐 しむ心情が一入増強し 、 ﹁ お 会 い し た い ﹂ という視 覚 意 識が急速に働き切 望 す る 。 そ し て 、 ﹁ 話 し た い ﹂ 、 和 琴 の 高 雅 な 音 色 を﹁聞いてみたい﹂というさまざまな願 意 が心中深く交 差 し て い る - 28ー

(5)

ものと感知出来る。 次の用語例の検討に移る。 あ お ほ き お ど と き さ き 。﹁・・:太政大臣の后がねの姫君ならはしたまふなる教へは、 か よ よろづの 事 に通はしなだらめ て、かどかどしきゅゑもつけじ 、 お き たどたどしくおぼめく事もあらじと、ぬるらかにこ そ捉てたま ふなれ。げにさもある ζ となれど、人として、心にも、するわ か た お ぎにも、立ててなびく万は方とあるものなれば、生ひ出でたま み や づ か へ ふさまあら心かし。この君の人となり、守 口 仕に出だし立てたま はむ世の気色乙そ、いとゆかしけれ﹂などのたまひて、 四番目の用語例は、内大臣の言葉の末尾に ﹁ ゆかしけれ﹂と形容詞 の己然形で一きわ感情を込めて表われる。 語義は﹁見たいものだ﹂と意味付けるのが最適のように思われる。 それは 、内大 臣が源氏に対して批判意識を醸成し、源氏が明石の姫 君を教育したがその教育方針通り成長せず、生得の資質にしたがっ て成長するであろう。そして、源氏が宵仕えにお出しなさる時の美 しい姫君の姿を ﹁見たいものだ﹂という 、内大臣の視覚意識が涌き 起っている。その心裡には、源氏に対する対抗意識と、明石の姫君 がうるわしく成長した女人の映像を求めてやまぬ美怠識が交差して、 ﹁ゆかしい﹂感覚が働いているのであろうと恩われる。 ζ の ﹁ ゆ か しけれ﹂は、視覚意識が強く働いているものと思われるが、視覚意 識の他聴覚意識も混在した複合感覚と察せられる。従って、﹁見た り ・ 聞いたりして知りたいものだ﹂という心情が感得出来る。 次の用語例は五番目になる。

O

内大臣﹁かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどゃあ t ν d り る。乙と繁くのみありて、とぶらひ参うでずや ﹂ と の た ま へ ば 、 したど 例のいと舌疾にて、近江の君﹁かくできぷらふは、何のもの思ひ かはべらひ。年とろおぼつかなく、ゆかしく思ひき ζ えさせし 御顔、常にえ見たてまつらぬばかり ζ そ、手打たぬ心地しはべ れ﹂と聞こえたまふ。 乙の例文中には、﹁ゆかしく﹂と形容詞の連用形で表われる。 担 問 義 は ﹁ 会 い た い ﹂ と 意 味付けるのが相応しい。そして、﹁ こ う してここに居させて頂いておりますのに、なんの心配がございまし ょ う。長 い 年月気がかりになって 、お会いしたいとお思い申してい た父君のお顔を、常に拝見できませんことだけは、双六で良い目の 出ないと同じような気持ちがするのでごぎいます ﹂ と現代語訳出来 よう。近江の君の視覚的欲求である。即ち、父に敬慕の情をこめて 話す言葉の中に 、 ﹁ゆかしく思ひ﹂と 、 ﹁ 思 ひ ﹂ という心を動かし 続ける語と共に用いられ﹁会いたい﹂意識を強く持続させている。 乙の﹁会いたい﹂意 識 下には、﹁話したい ﹂﹁いつもそばに居 た い ﹂ 等の思いが心 裡に潜夜しているものと考えられる 。 ﹁常夏﹂の最後の用語例を検討する。 だいはんど ζ ろ

O

女御の御方の台盤所に寄りて、重﹁乙れ参らせたまへ﹂と一 一 一 一 口 しもづかへ ふ。下仕見知りて、﹁北の対にさぶらふ童なりけり﹂とて、御 た い ふ も と 文取り入る。大輔の君といふ、持て参りて、ひき解きて御覧ぜ さす。女御ほほ笑みてうち置かせたまへるを、中納言の君とい ふ、近くさぶらひて、そばそば見けり。中納 言 ﹁ い と今めかし - 29

(6)

き御文の気色にもはべめるかな﹂と、ゆかしげに思ひたれば、 4 Bム L ナ ' a a 女 御 ﹁ 草 の文字はえ見知らねばに や あらむ、本末なくも見ゆ る か な ﹂ とて賜へり 。 六番目の用語例は、﹁ゆかしげに ﹂ と形容動 詞 の連用形で 表 われる 。 語 義 は ﹁ ( そ の 文 を ) 同 ん た そ う に ﹂ と意味付けするのが相応しい 。 それは、中納 言 が﹁大変当世風な御手紙のようでとぎいますね ﹂ と 言 うと、その草書体の文 字の 酒落た 書 きぶりに興味を感じ ﹁ 見 た そ うに﹂好 奇 心を昂揚させている 。 中納 言 の 君 は手紙の内容に関心が あるのではなく、草書体のくずしの 誕 百 体に関心があ り 、その書 美 を 熟視したいという学書態度が伺われる 。 そして出来たらそのように 酒落た書体で書いてみたいという 意 識 が 潜 在しているようである 。 ﹁ ゆ か し げ に ﹂ という感覚 語 に ﹁ 思 ひ ﹂ と い う 心中の 意 識を強く 持 続 させる語を伴なわせ、﹁ 見 た そ う に ﹂ す る 意 識を 一 層 昂揚させて い る 。 きて、﹁常夏 ﹂ の巻では、以上検 討 してきた如く 六 個所にわた っ て、﹁ゆかし﹂の用語が見られる 。 これをまとめると、形容詞の連 用形﹁ゆかしく﹂の 二 例において、又、形 容 動 詞 の連用形 ﹁ ゆかし げに﹂の 二 例において、すべて、 ﹁ 思う﹂とい う 心をその方 向 に 動 かし続ける語を伴ない、一きわ強く意識を昂揚し続けている。又、 三番目の用語例には﹁御ゆかしさ﹂と名詞形で表われるが、﹁ゆか しさ﹂に﹁御 ﹂ が伴ない、﹁御ゆかしさ ﹂ と玉霊が実父に ﹁ お 会 い したい﹂気持ちを、和琴にことよせて、対面を切望する個所に敬 意 表現で用いられる。 ζ ういう用例は、﹁源氏物語 ﹂ 中、ただ乙の一 例のみ見られ希少である。因に、﹁ゆかしさ﹂という名詞形は乙の 巻 の 他 、 ﹁ 絵

A

E

の巻に一例、﹁維本﹂の巻に一例、計三例見当たる のみである。﹁常夏 ﹂ の巻のあと 一 例は、形容詞の己然形で、 一 一 一 一ロ 葉 の末尾に ﹁ ゆかしけれ﹂(見たいものだ)と強 意 表現で使用されて いる。以上、見てきた通り六例中の五例はすべて、﹁見たい・会い たい﹂等の視覚意識が働くものばかりであるが、あとの一例、即 ち、二番目の用語例のみ ﹁ 聞きたそうに﹂と聴覚的意 識 が働く例で ある。総じて、この﹁常夏しの巻においては、人物の視覚的欲求を 示す場合が大半を占めている。 そ れは、人の感覚は、視覚機能がよ り一層強く発達しているという表われからきているのではないかと 考えられる 。 次の﹁簾火 ﹂ の 巻 で は 、 語も見 当 た ら な か っ た 。 次 の ﹁ 野分﹂の巻を調 査 し て み る と 、 ﹁ 奥ゆかし﹂とい う 関連語 が一例のみ見当たるが、乙の諮については、稿を改めて考察する 予 定である 。 従って、本稿で問題にしている ﹁ ゆかし﹂という語は、 二諮を数える 。 そ の こ 語について検討する 。

O

タ 泌 ﹁ さばかりの色も思ひわかぎりけりゃ 。 いづ乙の野辺のほ ζ ・ と と とりの花﹂など、かゃうの人々にも、 一 二 一 口 少 な に 見 え て 、 心 解 く り べくももてなさず、いとすくすくしう気高し。またも書いたま む ま の す η な ず い じ ん うて、馬助に賜へれば、をかしき 童 、またいと馴れたる御随身 などに、うちささめきて取らするを、若き人々ただならずゆか し が る 。 ﹁ ゆかし ﹂ という語を調 査 してみたが

(7)

一番目の用語例は、﹁ゆかしがる﹂と動詞の終止形で表われる 。 語義は﹁知りたがる﹂と意味付けし 、 ﹁(見たり聞いたりして)知 りたがる﹂という複合感覚が鴻き起乙る。それは 、 タ霧が書いたこ 通の文のうち、後の一通は、どの女性に渡るのであろうか、その宛 て先を女房たちは矧引削引好奇心が募るのである。即ち、タ霧が意 識しているもう一人の相手の女性は誰であるか、女房達は大いに関 心があり知りたがる 。女性特有の羨望意識が 伺われる 。 本断章の連繋文に次のような用語例が見当たる。

O

渡らせたまふとて、人々うちそよめき 、 九帳ひきなほしなどす。 見つる花の顔どもも、思ひくらべまほしうて、例はものゆかし み す き ほ と ろ 州制ぬ心地に、あながちに、妻戸の御簾をひき着て、凡帳の綻 びより見れば、物のそばより、ただ這ひ渡りたまふほどぞ、ふ と う ち 見 え た る 。 二番目の用語例は、﹁ものゆかしから(ぬこ と、接頭語﹁もの ﹂ プ ラス形容詞の未然形 ﹁ ゆかしから ﹂ プラス打消の助動詞﹁ぬ﹂から 組成された形態で表われる。この語は ﹃ 源氏物語 ﹄ 全 巻 を 通 じ て 、 ただこの﹁野分 ﹂ の 巻に一例のみ存在する希少な形態を持つ語であ る 。 語義は﹁見たくない﹂と意味付けるのが相応しい。そして、﹁明 石の姫君が、紫上の方からとちらにお戻りになるというので、女 一一 房 達が.ざわつきだし、九帳をなおしたりしている。タ霧は先程見た紫 上(棒絞)と玉蜜(八重山吹)を、明石の姫君と比べたくて、いつ もは月利引引い心地なのに、今日は無理に妻 一 戸 の 御簾をひきかぶっ ほころ で、凡帳の綻びからのぞくと、明石姫は物陰からそっと通って ζ ら れると ζ ろがちらつと見えた﹂と現代語訳する 事 が出来、まめ男の タ霧は 、いつもはなぜか明 石の姫君に興味を示きないのに今日は好 奇 心が涌く 。 即ち、見たいと思わなかった心情から、だんだん興味 が涌き起り﹁見たい﹂という心情に変化するその心の揺れを感知す る 事 が 出 来 る 。 きて﹁野分﹂の巻では、 ﹁ 奥ゆかし﹂という関連語葉巻除いて 二 例を検討してきた。前者は﹁ゆかしがる﹂という動詞形で、女一一房 達 が夕霧の書いた二通目の手紙が誰に渡るか知りたいという、女房達 の好奇心を示し、後者は﹁ものゆかしからぬ﹂と、﹁ゆかし ﹂ に 接 頭語がプラスされた否定形で用いられ、﹃源氏物一訪問﹄中にただ一例 しか見られない希少な形態の語で、﹁見たくない ﹂ というタ家が八 歳になる明石姫に興味を示さない心情を示している。 次 の ﹁ 行幸 ﹂ の巻ではただ一例を数える。 ゐ と き

O

亥の刻にて、入れたてまつりたまふ 。 例の御 設 けをばきるもの ま し に み さ か 江 にて、内の御座いと こ なくしつらはせたまうて、御肴まゐらせ た ま ふ。御殿油 、例のかか る所よりは、すこし光見せて、をか しきほどにもてなしきこえたまへり 。 いみじうゆかしう思 ひ き 乙 よ ひ ζ えたまへど、今宵はいとゆくりかなべけれど、引き結びたま ふほど、え忍びたまはぬ気色なり。 ζ の用語例には、﹁ゆかしう﹂と形容詞の連用形で表われる 。 本用語例中でも、﹁ゆかしう﹂という連用形に﹁思う ﹂ という心を 動かす語を伴わせているのは興味がある。語 義 は﹁会いたい﹂と語 -31

(8)

訳するのが最も相応しい。即ち 、﹁御殿油は、普通の 裳着の所にと もすよりは 、 内 大臣が実父であるため少し明るく し であって 、 趣 の あるおもてなしをなさる。内大臣ははなはだしく玉震に到川阿川と 思っていらっしゃるけれども 、 今宵は大そう突然 であるようだから、 腰に裳をお結びになるときなど、ょうこらえきれない様子であるこ という叙述描写中に、内大臣が娘の玉霊に﹁会いたい ﹂ と切なる願 望意識を昂揚させ、そして、祝的覚感を働かせる。その心裡には、 父が娘を思う温情的心理が潜在し 、 ﹁ 会 っ て 話 しがしたい ﹂ という 行動的欲求も秘められているものと恩われる 。 次の﹁藤袴﹂の巻においても 、 ﹁真木柱﹂の巻においても、この ﹁ ゆかし﹂という用語は皆無であった 。 以上本稿では、 ﹁ 玉霊 L の 巻 か ら ﹁ 盲 目 木 柱 ﹂ の巻まで十巻を検討 し て き た 。 ( 続 )

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