• 検索結果がありません。

英語授業における文化理解の理論と実践 : イディオムを通して知る言語文化とコミュニケーションの効果

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "英語授業における文化理解の理論と実践 : イディオムを通して知る言語文化とコミュニケーションの効果"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者

大喜多 喜夫

雑誌名

教職教育研究 : 教職教育研究センター紀要

25

ページ

5-15

発行年

2020-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10236/00029214

(2)

英語授業における文化理解の理論と実践

― イディオムを通して知る言語文化とコミュニケーションの効果 ―

大喜多 喜 夫

⚑ はじめに 平成の時代は、昨年、幕を下ろした。筆者が英語教育 に、中等教育の学習指導要領の視点から興味を持ったの は、平成元年に告示された学習指導要領が最初であっ た。この頃、国際理解という言葉が、さかんに英語教育 の分野で使われ始めたので、これが学習指導要領で、ど のように扱われているのかに関心を持った。他方で、平 成元年に告示された学習指導要領は、戦後の文部行政を 大きく見直すことになる臨時教育審議会注1)の答申を受 けたもので、世間の注目も高かった。 以来、平成29年告示の中学校学習指導要領、平成30年 告示の高等学校学習指導要領に至るまで、中学校、高等 学校とも平成元年告示のものから数えると、⚓度、学習 指導要領が改訂されてきた。 これらの学習指導要領を通して見ると、教科科目とし ての外国語(英語)での文化理解が、学習目標として明 文化されているのが分かる。本稿では以下の⚓点を検証 したい。 ⚑)それぞれの学習指導要領における教科としての外 国語(英語)のなかで、学習の「目標」として文 化理解が扱われてきた経緯。 ⚒)文化理解を英語学習でおこなうことの意味。 ⚓)文化理解を推進するうえでの、英語イディオムを 学習する意味と効果。 なお、本稿でいう文化理解とは、あくまでも外国語と しての英語を取り巻く文化を広く知ることであり、おも にイギリスやアメリカの風俗や歴史を学ぶことに限定し て取り扱いたい。 ⚒ 中等教育の学習指導要領での文化理解の取り扱い 中等教育の学習指導要領について論じるうえで、本稿 では対象を中学校学習指導要領としたい。高等学校、中 学校共に「目標」として掲載されている文言は、表現に 多少の違いがあっても、ほぼ同様の内容であるから だ注2) 表⚑は、平成元年告示以降の中学校学習指導要領の 「目標」における、文化理解に関する記述の変遷をまと めたものである。 なお、平成元年に改訂された一つ以前の中学校学習指 導は、昭和52年に告示されたが、そのなかの第⚒章第⚙ 節第⚑「目標」には「外国の人々の生活やものの見方な どについて基礎的な理解を得させる。」とあり、「文化」 という文言はない。しかし、「人々の生活やものの見方」 は、まさに文化そのものを意味する表現に他ならない。 また、その前の昭和44年に改定された中学校学習指導 要領の第⚒章第⚙節第⚑「目標」には「外国の人々の生 活やものの見方などについて基礎的な理解を得させる。」 と、昭和52年の告示内容と同じ文言が見られる。 以上からも分かるように、英語という言葉の学習と文 化の見識を深めることは、裏表の関係であり、この両方 の学習を学習指導要領では長らく「目標」としてきたこ とが理解できる。なお、文言として「国際理解」は、平 成元年度の中学校学習指導要領だけでのみ見られ、以降 は使われていない。 ⚓ 外国語の学習における文化理解に関する世界の動き 前項では、日本における英語教育と文化理解との関係 を、文部科学省(あるいは先の文部省)の教育政策の視 点に立って考えた。それでは、海外では外国語教育と文 化理解について、どのように考えられているのか。 そもそも文化理解という概念は、global perspective (地球的視野)に立って、全人類的な問題の解決に取り 組もうとするのが出発点であった。そして、この視点に 立 っ た 国 際 間 の 相 互 理 解 を 目 指 す 教 育 を global education と呼ぶが、アメリカでは1980年代に入り、 表⚑:中学校学習指導要領「外国語」(英語)における 「文化理解」に関する記述の変遷 公示年 記 述 内 容 平成元年 言語や文化に対する関心を深め、国際理解の基礎を 培う。 平成10年 外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め… 平成20年 外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め… 平成29年 外国語の背景にある文化に対する理解を深め… (記述場所はすべて第⚒章第⚙節第⚑「目標」)

(3)

global education を外国語教育のなかで実践しようとす る運動が本格的に始まったという。Mantel-Bromley (1993)は、これを最初に提唱したのは Srasheim であ

り、1979年のことであったとしている。 Srasheim(1981: 67)は次のように言う。

The emergence of global education with emphasis on transnational issues and cultural awareness is refocusing foreign language teachers’ attention on the goals and objectives of culture…

つまり、global education の必要性に着目したのは、 そもそもは教育実務者である外国語教員であったとのこ とである。高等教育機関や研究機関で従事する研究者の 発想ではなかったという。 この考えは、以下の⚒つ論文によっても、明確に裏付 けられている。

Evans & Gonzales(1993: 39)は、

One of the major concerns of the foreign language profession today is to find a way to improve better cross‒cultural understanding while continuing to develop linguistic skills.

と、また Morgan(1993: 42)は、

There has been numerous indications in recent years that the language teaching profession is becoming more aware of the significance of an understanding of a foreign culture as an integral part of communicative competence.

と、それぞれ述べている。 前者は、言語の運用能力の陶冶をしつつ、文化理解を 進めることが言語教育に従事する教員の大きな関心ごと であり、後者は、コミュニケーション能力の大切な側面 として、文化理解がますます重要になっているというの が、これら⚒つの論旨である。両者の視点は少し異なる が、文化理解への関心のそもそもの出発点は、教育現場 の教員である点では、一致している。 どちらも、外国語教育における文化理解の重要性に焦 点をあてている点で、よく似た立場を取っているが、 Damen(1987, 178)はさらに次のように言う。

…culture learning, along with the four traditional skills‒‒reading, writing, listening, and speaking̶ can be accorded its rightful place as a fifth skill…

(下線は筆者による)

つまり、外国語の運用能力としての従来からある⚔つ のスキル注3)、すなわち「聞くこと」「読むこと」「話す

こと」「書くこと」の⚔つに、ʠa fifth skillʡ(第⚕番目 のスキル)として「文化学習のスキル」を加えた。

以上のように、外国語教育における文化理解を重要視 する考えは、日本に限ったものではなく、世界の流れだ と言える。

⚔ 日本の外国語教育における文化の学習

さて前項で紹介した Evans & Gonzales(1993: 39)、 Morgan(1993: 42)、お よ び Damen(1987, 178)で 言 われる文化理解との関係で述べられた外国語とは、もち ろん英語を含めた、広く外国語を意味する。しかし、本 稿では外国語を英語として捉え、英語教育において、言 葉として英語を、今日まで育んできた歴史や人々の考え 方を学ぶ視点に立って論を進めたい。なぜなら、日本人 にとっては、中等教育における外国語というのは、長ら く英語であったし、20世紀から21世紀に入ってもやはり 外国語教育としての対象は英語が中心となるであろう。 しばらくはその地位は揺るぎないと考えられる。(もち ろん、英語を学ぶ意味は、この数十年を振り返れば、か なり変わってきたことは確かではある。) では、具体的に本稿でいう文化とは、いったいどのよ う な 人々 の 背 景 に あ る 文 化 な の か。図 ⚑ は Crystal (1995: 107)と Kachru(1997: 68)をベースにしたサー クル・モデルである。これは世界で英語がどの程度、使 われているかを示すイメージ図である。中心にあるのが イギリス、アメリカ、オーストラリアなど、英語を first language とする人たちで、全体の20%から29%、 数にして⚓億2000万人から⚓憶8000万人。その周りにあ るのがインド、シンガポール、フィリピンなど、英語を second language とする人たちで、全体の26%、数にし て⚓億人から⚕億人。そして最も外側にあるのが中国、 ロシア、日本など、英語を foreign language として学習 する人たちで、全体の45%から53%、数にして⚕億人か 図⚑:英語を使用する人々のサークル・モデル Based on Crystal (1995: 107) & Kachru (1997: 68)

2XWHU&LUFOH 2XWHU&LUFOH (QJOLVKLVDVHFRQG ODQJXDJH HJ,QGLD 6LQJDSRUH3KLOLSSLQHV PLOOLRQ ([SDQGLQJ&LUFOH ([SDQGLQJ&LUFOH (QJOLVKLVDIRUHLJQODQJXDJH HJ&KLQD5XVVLD-DSDQ PLOOLRQ ,QQHU&LUFOH ,QQHU&LUFOH (QJOLVKLVILUVWODQJXDJH HJ8.86$$XVWUDOLD PLOOLRQ

(4)

ら10億人ということになる。 以上から英語は上のモデルの総和、つまり11億人から 18億人の共通した言語であると言えるが、著者が対象に するのは、図⚑で示された Inner Circle に属する部分で ある。これらの人々の背景にある文化を理解するという 観点で論を進める。 ⚕ イディオムとそれを学習する意義 イディオムとは何か、またそれを学習する意義は何 か。ここではこれらを、具体例をあげて詳しく説明した い。 ⚕-⚑ 文化的意義と言語的意義 それぞれの言語には、特徴的な表現がある。例えば英 語には like turkeys voting for Christmas という慣用表 現がある。「自殺行為のような」として用いられる。し かしこの意味は、この慣用句を構成するそれぞれの単 語、すなわち turkeys(七面鳥)、voting for~(~に賛 成の投票をする)、Christmas(クリスマス)だけから は想像できない。このように、それぞれの単語の本来的 な意味からはまったく離れて、特別な意味を持つ単語の グループをイディオム注4)という。 このイディオムと同じようなものが日本語にもある。 例えば「五十歩百歩」がそうである。字面だけからでは 「大した違いはない」の意味はイメージできない。した がってイディオムは比喩的な表現の⚑つであり、「慣用 表現」と訳されることが多い。 それでは、イディオムを学習する意義は何か。先ほど の五十歩百歩を例に取って考えると分かりやすい。この 慣用句のいわれを知る意義は考えると、よく分かる。こ の慣用句の由来は、古代中国の四書の⚑つである孟子の 一編である梁恵王からという。孟子は、50歩を逃げた兵 士が100歩を逃げた兵士を嘲笑したことを引用し、梁の 恵王も利による限りは他の王と大した変わりがない、王 たるものは仁を基本とすべきだと説いたという。 このことからも分かるように、五十歩百歩を学習する ことで、この慣用表現の成り立ち、歴史、つまり背景に ある文化を知ることができる。ひいては日本語が形成さ れた歴史のなかでの、中国との文化的な関係なども知る きっかけとなる。言い換えれば、日本語における慣用表 現を知ることは、すなわち日本語を育んできた文化その ものを知ることであると言っても過言ではないだろう。 慣用表現を学ぶことの文化的な意義はここにある。 五十歩百歩を含め、慣用表現について知ることは、こ れだけではない。慣用表現の意味を知り、これを適切な 場面で使うことで、話し手(もしくは書き手)の意図が、 より端的に、時には感覚的に伝えることができ、また会 話の流れにちょっとしたアクセントを加えることができ る。したがって、慣用表現を利用することは、日常のコ ミュニケーションをよりスムーズに進めるうえでの、大 切な要素になる。人と人がメディアを媒体とせず、直接 話を進める技能、つまり、今、中等教育で叫ばれている コミュニケーション能力の育成を考えると、慣用表現を 学ぶことの言語的な意義は大きいと思われる。 以上、慣用表現を学習する意義には、文化的な意義と 言語的な意義の⚒つの側面がある。次に、これを中等教 育におけるイディオムの学習について、具体例をあげな がら考察したい。 ⚕-⚒ イディオム学習の具体例 前項では、日本語における慣用表現を学習することに ついて理論的な考察をした。ここでは、英語のイディオ ムについて学習することに置き換え、英語学習において は、どのような効用があるのか、具体例をあげて考えた い。

先にあげた、like turkeys voting for Christmas を例に 取ると、この由来を知ることは言語文化的にどのような 意味があるのだろうか。 このイディオムの由来は、古く、17世紀に入り、イギ リス国教会(16世紀、エリザベス⚑世により設立)から の抑圧をのがれ、新大陸に向かった人々の歴史にまで、 さかのぼることができる。これらの人々は、総勢102人、 the Pilgrim Fathers とよばれ、the Mayflower に乗船し、 1620年の11月、Massachusetts 州の Plymouth に到着し た。その年、彼らを待っていたのは飢えであった。約半 数が亡くなったとされるが、それを救ったのは turkey (七面鳥)であった。1621年、宴がインディアンを交え て開かれたというが、その時、この鳥の料理は宴席を賑 わせたらしい。この様子は、1622年に発行された A Journal of the Pilgrims at Plymouth に書かれている。

以来、七面鳥はアメリカでもイギリスでも縁起物とな る。アメリカでは Thanksgiving Day(感謝祭)(11月第 ⚔木曜日)は別名、Turkey Day(七面鳥の日)と呼ば れるほど、七面鳥の料理を前に人々は入植者の歴史に思 いを馳せるとされる。 七面鳥が振る舞われるのは、この日だけではない。結 婚式などの祝宴には、この鳥の料理注5)が付きもの。し たがって、スーパー・マーケットには年中、まるまる一 匹の七面鳥が冷凍コーナーには並んでいる。 しかし、何といっても食材としての七面鳥の消費が ピークに達するのはクリスマスで、この時期はこの鳥に とれば受難の季節となる。したがって、この鳥がクリス マスの行事に賛成の投票をすることは、まさに「自殺行 為 の よ う な」こ と に な る。Like turkeys voting for Christmas というイディオムが、このような文化的な背

(5)

景から生まれた表現であるという歴史的な認識を深める ことは、まさに、イディオムを学習する文化的な意義で ある。 一方、一般的にイディオムを学習し、これを実際の場 面で使う効用とは何か。それは、イディオムを駆使する ことで、人と人とのコミュニケーションのなかで、伝え たいことを端的に、時には直感的に伝えることができる 点である。あるいは、逆に直接的にではなく遠回しに、 何かを伝えたいときにも、比喩的な表現としてのイディ オムは大きな味方となる。

Like turkeys voting for Christmas が使われる会話例 としては、次のような場面が考えられるだろう。

A: Are we going to sign the paper? B : Oh, on. We couldn’t possibly do that.

A: Why not? It’s almost like a give and take, isn’t it? B : Never! We’d be helpless. It would be like turkeys

voting for Christmas.

(大喜多, 2020: 126) また、このような例文も見られる。

Lawyers supporting non‒legal methods of solving disputes are like turkeys voting for Christmas.

(Hands, 2012: 466) 両方の例とも、伝えようとすることを概念的な、ある いは抽象的な語彙を用いることなく、身近で具体的な語 彙を用いることで、より分かりやすく、より端的に伝え ていることが理解できるであろう。 以上でも分かるように、イディオムを学ぶ過程で、文 化的なことを学ぶ意義は大いにあるし、またイディオム を習得し、適切な場面で使用することは、コミュニケー ション能力の向上に寄与するものと思われる。 ⚖ 英語教育における文化理解としての文化とは何か 英語教育のなかでの文化理解というが、一体、何を対 象とするのか。どのような文化的な要素を捉えて、文化 理解とするのか。 文化的な要素を分類する時、およそ⚒種類の基準があ る。⚑ つ はʠculture‒generalʡとʠculture‒specificʡ、 そ し て も う ⚑ つ はʠlarge‒CʡCulture とʠsmall‒cʡ culture に分ける尺度である。ここでは、それぞれの基 準を具体例をあげて説明したい。 ⚖-⚑ Culture‒general と culture‒specific Culture‒general と culture‒specific の分け方について は、Damen(1987: 262)は以下のように説明する。 The cultural content contained in a textbook may be seen as culture‒specific (related to the patterns of a particular culture), or culture‒general (related to general aspects of culture as a universal adaptive human mechanism). つまり、culture‒general と culture‒specific に分ける 方法では、culture‒general は世界の普遍的な文化に関 するもの、つまり世界の多くの人にとっての共通した価 値基準となるものである。この分野のトピックとして、 従来より英語科教科書で扱われているのは、国際ボラン ティア活動、平和問題、先住民、人権問題、環境問題、 動物保護、国際親善、食糧問題などである(大喜多, 1996)。 他方、culture‒specific とは、人々にとってそれほど 普遍的でない、どちらかと言えば特定の時代によって、 あるいは地域によって異なる現象となるものである。こ れは例をあげると、いとまがない。アメリカのホーム・ パーティ、日本の学校の文化祭、オーストラリアの朝食、 ブラジルのサッカー、イギリスの学校生活、観光地とし てのボストンの紹介など注6)である。 本稿が取り扱うイディオムの形成に関係が深いのは、 culture‒general と culture‒specific の分け方をすれば、 後に示すいくつかの具体例からも分かるように、極端に 一方に偏るものではない。

⚖-⚒ Large‒C Culture と small‒c culture

Large‒C Culture は、また下記にあるようにʠbig‒Cʡ Culture とも称されるが、次のような定義で用いられる。 When learning about a new culture, theʠbig Cʡ Cultural elements would be discovered first; they are the most overt forms of culture. These are the ʠShakespearesʡ, theʠGaudi’ sʡ, the Michelangelos, the Vazovs ̶ the famous figures, literature, architecture, music, dance, history̶things that will never go away. (https://erasmusmyway,2020) すなわち、最初に五感で発見しうるもので、時代の流 れのなかでも次の世代に引き継がれるものである。例え ば、歴史的な巨匠が残した作品、ベートーベンの音楽、 シェイクスピアの作品、ガウディの建造物、ミケラン ジェロの美術品などのほか、ピラミッド、万里の長城な どの有形、無形の世界的な遺産を意味する。これらは、 この後、人々の価値の変化にかかわらず存続するもので

(6)

ある。なおこのタイプの文化を「客観文化」ということ もある。

一方、small‒c culture については下記の引用が示すよ うにʠlittle‒cʡculture とも称されるが、定義は次の通 りである。

ʠLittle cʡ culture, in contrast, is the more invisible type of culture associated with a region, group of people, language, etc. Some examples of little c‒culture include communication styles, verbal and non‒verbal language symbols, cultural norms (what is proper and improper in social interactions), how to behave, myths and legends. This is the stuff that is here today and may go away tomorrow, yet it makes living today absolutely positively possible. We cannot live without little‒c culture; we cannot communicate without little‒c culture.

(下線は筆者による)(ibid) つ ま り、large‒C Culture と 比 較 す る と、small‒c culture とは、より特定の地域、時代、グループの人々 に限定されたもので、長続きはしない。例えば風俗、習 慣、行動や信念などで、人々の毎日の生活に密着したも のであり、これなしでは普段の生活は成り立たない。な お、このタイプの文化を「主観文化」ということもある。 この引用で著者が下線を施した部分は、大変、示唆的で ある。この部分をよく念頭に入れて、さらに論を続けた い。 さて、日本における文部行政においては、ここ30年前 間の英語学習の流れは、Grammar Translation Method から、コミュニケーション能力の育成へと大きく変わっ た注7)。この流れのなかで、外国語教育における large‒C

Culture と small‒c culture との取り扱いを Dechert, C. & Kastner, P.(1989: 178)は次のように説明する。

Hand in hand with the Grammar Translation Method, for instance, went the teaching of achievements and achievers in literature, music, art, history, politics―fields that are widely referred to as components ofʠcapital‒CʡCulture Especially in the wake of the teaching for Communicative Competence and the Proficiency Approach, however, the perception of culture has been broadened. As a consequence,ʠsmall‒c cultureʡ moved into the center of attention of the foreign language curriculum: if the student is expected to function in the foreign language culture, she has to be familiar with everyday life, habits, values,

thoughts, beliefs, food, dress, etc. of the people. (下線は筆者による) 先に念頭に入れてほしいと申し上げた下線部と、この Dechert, C. & Kastner, P. の下線部からの接点は、先の 下 線 部 中 のʠcommunicateʡと こ の 下 線 部 中 の ʠCommunicativeʡである。私たちの日常の言葉のやり 取りとかかわりの多いのは、⚒つの下線部からも分かる ように small‒c culture であることが理解できる。換言 すれば、外国語の運用能力としての従来からある⚔つの スキル、すなわち、「聞くこと」「読むこと」「話すこと」 「書くこと」の⚔つの技能に、第⚕番目の言語運用能力 として Damen(1987: 178)が加えた「文化学習のスキ ル」とは、この small‒c culture が中心になっているこ とが理解できる。 以上からも分かるように、コミュニケーションのツー ル と し て の 英 語 の 育 成 が 急 務 と な っ て い る な か、 Damen(1987)のいう fifth skill とは、おもに small‒c culture のことである。そしてこの分野の知識、すなわ ち目標言語を(ひいては母語を)これまで育んできた日 常生活、習慣、思考方法、食生活、服装、ジェスチャー などの正しい理解が、スムーズなコミュニケーションに は必要である。これは communicative competence とし ての⚑つである socio‒linguistic competence と立場を同 じにする考えである。

⚖-⚓ Socio‒linguistic competence としての small‒c

culture の学習 日本における英語教育への期待は、この30年間に大き く変化した。その結果、コミュニケーション能力の育成 が、最も大きな学習課題として定着した。もちろん、外 国語学習におけるコミュニケーション能力の育成の必要 性は、世界的に見れば1970年代の中頃から大いに議論の 対象となっていた。議論は先ずコミュニケーション能力 の定義づけから始まった。そこで、この議論に当時、一 応の決着をみたのが Canal & Swain(1980)であった。 Canal & Swain (ibid) は communicative competence として以下の⚔つを定義づけた。 ・grammatical competence ・socio-linguistic competence ・discourse competence ・strategic competence Grammatical competence(文法的能力)とは、音声、 綴り、語彙についての能力のほか、文法の規則にならっ て 語 を 変 形 さ せ た り 文 を 構 成 す る 能 力 の こ と で、 linguistic competence(言語的能力)とも呼ばれる。コ ミュニケーションを図ろうとする⚒人の言語が異なって いたのでは、コミュニケーションできるどころではな

(7)

い。たとえ同一言語内であっても、⚒人が属する地域や 社会的な集団によって言語システムが著しく異なる場合 は、同じことが起こりうる。 Discourse competence(談話能力)とは、コミュニ ケーションに従事する人同士、お互いに相手の話の流れ に合わせようとする(合わすことができる)能力のこと である。下の対話の例はこの discourse competence が 著しく欠如している例である。 A: コロナウイルスの感染者が大阪でも増えてきた ね。 B : 今日これから孫が遊びに来るんです。 A: 髄膜炎も引き起こすんだって。 B : おやつはアンパンマンのラムネにしようか。 これでは、お互いに好きなことを言っているだけだ。 Strategic competence とは「戦略的能力」と訳される。 これは、コミュニケーションが不意に途絶えた場合、そ れを修復できる能力のことである。例えば、話している そばを爆音を響かせてバイクが通過した時、話をしてい る本人がくしゃみをして話の内容が相手に伝わらなかっ た時、意味不明の言葉を聞いた時、早口で聞き取れない 時がそうである。このような場合、一方は「もう一度、 大きな声で(or ゆっくりと、はっきりと、など)お願 いします」「それはどういう意味ですか」と聞き返す必 要がある。また、そのように要求されたら、相手に伝わ り易いように言い直す必要がある。このような能力が双 方にあって、コミュニケーションが続けられる。この能 力を strategic competence と呼ぶ。 Socio‒linguistic competence(社会言語能力)は人が コミュニケーションするとき、社交においてその場にふ さわしい言葉使いができる能力のことである。小学校か らの仲のいい友達との会話では、「おれ」「おまえ」で何 の問題もない。しかし、結婚式で偶然に同席した初対面 の人に対しては、このような言葉使いは社交上許されな い。社交的に、言い換えれば「社会的」に問題である。 つ ま り socio‒linguistic competence と は small‒c culture の要素、すなわち日常生活、習慣、思考方法、 食生活、服装、ジェスチャーなどを正しく理解し、社交 場上、スムーズにコミュニケーションを営むことのでき る能力のことである。このように、話し相手の言語の背 景にある文化を知ることは、コミュニケーション能力と は深い関係にある ⚗ イディオムの由来から知る文化とコミュニケーショ ンの効果 英語のイディオムの由来をたどることで、言葉として の英語が育まれてきた文化を知ることができる。この具

体例は、like turkeys voting for Christmas でも示した通 りである。ここでは大喜多(2020)から、さらにいくつ かの例を紹介したい。イディオムをさまざまな角度から 考察することで、言語の背景にある文化理解を深めるこ とができるだけでない。意味を把握することで、学習者 は言語活動のなかで有効にイディオムを活用し、自身の コミュニケーション能力の育成に寄与することができ る。 ⚗-⚑ イディオムと食文化 食べ物をテーマにしたイディオムの由来を知ること で、英語圏での文化を知ることができる。

a) Not someone’s cup of tea:

イギリス人の紅茶好きは、よく知られている。イギリ スで紅茶が飲み始められたのは1600年代とされている。 チャールズ⚒世(1660-85)は、1662年、ポルトガル女 王キャサリンと結婚するが、女王は、東洋航路の発見に よりもたらされた、当時は高級品だった中国茶と砂糖を 持参して飲み始めたらしい。それがやがて貴族社会の女 性達に広まったのは、17世紀中頃になってからという。 しかし、まだまだ紅茶は高級な物で、誰にでも手が出 せる飲み物ではなかった。やがて、もともと「私の好き な香りの紅茶」という意味で使われていた someone’s cup of tea が、「~のお気に入りのもの」の意味で使わ れ始めたのが1800年代末だとされる。 一般人にまで紅茶を飲むという習慣が広まったのは 1920年代で、以降、ティー・タイム、とりわけアフタヌー ン・ティーの時刻となれば、「お茶にしましょうか」の 意味で、Shall I put the kettle on?という表現も定着した という。そして someone’s cup of tea をもっぱら否定構 文のなかで「~の好きなものでない」の意味で使われる ようになったというのが、このイディオムの由来と背景 にある言語文化である。

コミュニケーションの手段としては、次のような場面 が想定できる。

A: Shall we go to the Japanese place for dinner tonight?

B : It’s not my cup of tea, I’m afraid. b) Eat humble pie:

このイディオムは中世イギリスにさかのぼる。昔、 umble(古 く は「鹿 や 豚 の 臓 物」の 意 味)が 入 っ た umble pie という食べ物があり、おもに humble(身分 の低い)人の食べ物であったとされる。語源的には umble と humble は関係ないが、イギリスでは19世紀末 まで、あちこちの地域で語頭の h は発音されなかった ことが多く、humble は umble と同じように発音され

(8)

た。この傾向は現在、ロンドンで話されている英語に 残 っ て い る が注8)、こ の 関 連 で umble pie は や が て

humble pie と呼ばれるようになった経緯がある。 また、humble は「卑屈な」の意味を持つ形容詞であ り、また食べ物としての pie との連想で、eat と humble pie とが結びつき、1800年代の初めからイディオムとし て eat humble pie(恥ずかしく思う、誤りを認める)が 使われ始めたという。

このように、eat humble pie の由来を知れば、中世の イギリスの食文化に触れることができる。普段の会話の やり取りでは、次のような場面が想定できる。B の思い が感覚的に、直感的に A に伝えることができよう。

A: It’s quite unlike you getting angry like that at the party.

B : Well, I think I should eat humble pie. c) Where’ s the beef?:

いかにもアメリカ的な土壌が生み出したイディオムで ある。ハンバーグは、もともとドイツのハンブルグで始 まった家庭料理である。18世紀から20世紀前半にかけ て、海を越えてアメリカに渡ったドイツ人が、この郷土 料理を新大陸に伝えた。以来、この食べ物は人気商品と して、多くのレストランで競って販売されることにな る。 ア メ リ カ の ハ ン バ ー ガ ー の チ ェ ー ン 店 で あ る Wendy’s が1984年のテレビ・コマーシャルを流した。 このなかに中年の女性が、ライバル会社の商品に見立て たハンバーガーをまじまじ見て、Where’s the beef?(こ のハンバーグの牛肉はどこにあるの?入っていないじゃ ないの)と、声を大にして叫んでいるシーンがある。別 のバージョンでは、この苦情を電話で聞いた会社の役員 が、座っている椅子から仰向けに倒れるシーンがある。 また別のバージョンでは、さらにアメリカらしいユーモ アあるコマーシャルが見られる注9)。比較広告の方法が 日本と異なる。これも日本では考えられないアメリカの 放送文化の一側面だ。 この表現は、「中身はないじゃないか」という意味で 広く使われるようになった。ことに、政治的な論争で使 われることが多く、1984年、大統領選挙での民主党の指 名大統領候補者ウォルター・モンデール氏もこの表現を 使ったという。 日常の会話では、次のような場面で使用される。 A: What do you think about his speech? B : It’s nothing. Where’s the beef? d) Bring home the bacon:

アメリカ生まれとされているこの表現が、初めて文章 のなかで使われたのは1920年代であるが、実際にはそれ よりかなり以前から日常的に使われていたようだ。 19世紀末に西部開拓時代は終わり、町が形成される と、あちこちで定期市が催されるようになった。農産物 や畜産物の品評会のほか、いくつかの屋台も店を並べ、 また余興も催された。これが、さらに規模を大きくした のがカーニバルで、この頃の風俗に由来するいくつかの イディオムが、大喜多(2020)では紹介されている。こ こで取り上げる bring home the bacon もその⚑つであ る。 市やカーニバルには、放った豚を手でつかまえるとい う余興があった。しかし、その豚はただものではなかっ た。体の全体に油脂が塗ってあるので、思うようにいか ない。周りからの歓声や声援のなか、首尾よく成功すれ ば、ゲットした豚一頭、あるいは bacon(塩漬けの、あ るいは干した豚肉)が賞品として家に持ち帰ることがで きたという。この bring home the bacon はイディオム として「生活の糧を得る」「成功する」の意味で広く使 われる。なお、これに類似する風習は、古くイギリスに もあったとする文献もある。

日常では、このイディオムは以下のような場面で使わ れる。

A: Why do you work late every day?

B : I have to. I need to bring home the bacon for my large family.

⚗-⚒ イディオムと娯楽・スポーツの文化

娯楽・スポーツをテーマにしたイディオムの由来を知 ることで、英語圏におけるまた別の側面の文化を知るこ とができる。

a) The buck stops here:

ここでいう buck は、本来は「雄鹿」のことで、この イディオムはポーカーなどのカード・ゲームから由来す る。アメリカでは19世紀になり、ポーカーが娯楽として 人気を集めた。ポーカーでは親がディーラーとなりカー ドを配る責任を持つが、この親は順番に回り持ちにな る。 そこで、次に誰が親になるのかを示すために、その人 の前に置かれたものが、柄が雄鹿の角でできたナイフで あったという。やがて the buck として「責任」を意味 するようになったのは、19世紀の中頃とされている。な お、現在、⚑ドルを buck と呼ぶが、ナイフの代わりに ⚑ドル銀貨を置いた名残りだという説がある。 アメリカ第33代の大統領 H. トルーマン(1945-53) は執務室の机に The BUCK stops here!(責任は全て私 が取る)と書かれた表示を置いていたのが、このイディ オムの由来である。また、pass the buck とは「責任を 転嫁する」の意味で使われる。

(9)

日常的には、次のような場面で The buck stops here. が使われる。

A: Who did all this?

B : I did. The buck stops here. b) Behind the eight ball:

ビリヤードの楽しみ方には、アメリカ式とイギリス式 とがあるようだ。アメリカ式のポケット・ゲームでは、 ⚑番から15番の球を順に玉受けに入れるが、⚘番の黒球 は最後に入れるというルールがある。誤ってこの球を他 の球より先に入れてしまったり、この球に触れたりする と反則になる。したがって、the eight ball(⚘番と書か れた黒球)の背後の球を打つ時には、よほど注意が必要 になる。「不利な立場にある」「困り果てる」という意味 では、1920年代から使われ始めている。

一般的には、次のような場面で使用される。

A: They seem to have no idea what to do about the new coronavirus outbreak.

B : To be fair, they are behind the eight ball. c) A Monday morning quarterback:

アメリカならではのスポーツ、それはアメリカン・ フットボールである。世論調査によると一番の人気のス ポーツだとされている。そのなかでも、全米レベルで注 目されるのはプロ・リーグである。プロ・リーグのレ ギュラー・シーズンは、毎年⚙月の第⚑週目に始まり12 月の第⚔週目に終わる。この間の17週の間に各チームは 16試合戦う。たいていのゲームは日曜日に行われるの で、月曜日の朝ともなると、前日の試合を好き勝手に評 論する人が、あちこちに見られることになる。 このスポーツの見どころは、両チームがどのような作 戦のもとで互いに攻め合い、守り合うかである。攻める 側 に 立 っ た チ ー ム の 作 戦 の 司 令 塔 と な る 人 が、 quarterback というプレーヤーである。

したがって a Monday morning quarterback とは、文 字通りなら、月曜の朝になって、すでに勝敗の結果が分 かっている試合の作戦の立て方について、「私が司令塔 なら、あの時、あのような作戦をとらず、このような作 戦を立てたのに」などと言う人のことである。 このイディオムはやがて「結果についてあれこれと好 き勝手に批評する人」の意味で使われるようになった。 1930年代からのことだという。 実施に使われるのは、次のような場面である。 A: You should have done it the other way.

B : Yes, but that was all we could do. You are really a Monday morning quarterback.

d) A ballpark figure: 世論調査では、アメリカで人気のあるスポーツは一位 から順番に、アメリカン・フットボール、バスケット ボール、そして野球である。しかしそれぞれのスポーツ のプロのリーグが設立された年代を調べると、野球は先 ずナショナル・リーグが1876年、次いでアメリカン・ リーグが1901年、アメリカン・フットボールのリーグが 1920年、バスケットボールのリーグが1946年である。こ のように野球が最も古く、それだけ野球の関連したイ ディオムが英語には多い。 こ こ で 紹 介 す る イ デ ィ オ ム の な か の ballpark は baseball stadium の別名で、すでに1900年頃には使われ ている。アメリカでプロのリーグが始まったころ、球団 のオーナーは経営上の理由で、実際の観客の数より多 い、おおよその数しか発表しなかったという。日本のプ ロ野球でも1980年代のころまでは、理由はともかく概数 だけしか公表されなかった時代が長くあったことは事実 である。 またイディオムとして「概数」を意味する a ballpark figure は、そ れ よ り 古 く か ら 使 わ れ て い た in the ballpark(妥当な)や out of the ballpark(妥当でない) という表現から、派生したのではないかとする説もあ る。

日常では、以下のような場面で使用する。

A: How much will you spend on your skiing trip? B : For now, I can only give you a ballpark figure. ⚗-⚓ イディオムと市井の文化

イディオムが由来する町なかの人々の暮らしぶりから も、庶民の文化を学び、コミュニケーションに生かすこ とができる。

a) Bark up the wrong tree:

農作物を作ると途端に悩まされるのが、害虫、害鳥、 害獣への対処方法である。これは内外を問わない。この イディオムに関係するのは害獣で、最近は日本の各地で も被害が報告されているアライグマである。 アライグマは夜行性の動物で、夜な夜な出没しては、 せっかく育て上げ収穫を楽しみにしていた農作物を食い 荒らす。そんなアライグマに業を煮やした農夫が、番犬 に見張らせることにした。ある夜、番犬がけたたましく 吠えた。農夫は、さあ来たとばかり犬を放し、鉄砲を手 に追いかけた。(アライグマは攻撃的で、人にも危害を 加えることがある。) しかし、敵は木登りがじょうず。近くの木に逃げ登っ た。犬は地面から上に向かって吠え続けて、主人の来る のを待った。やっと主人が到着し、木の様子を伺って も、いるはずの敵の姿はないようだ。闇夜に紛れて別の

(10)

木へと移動していたのである。

Bark up the wrong tree(間違いする)が由来してい るのは、こんなこととは露も知らず、吠え続ける犬の姿 である。日常では次のような場面で使う。

A: Why did you break my glasses?

B : I didn’t. You’re barking up the wrong tree. b) Show one’s true colors:

英語には海事に由来するイディオムが多い。イギリス は島国で、日本と同様の海運国でもあった。ここでの colors は複数形で使われ、各種の旗を意味する。より正 確にいうと「船舶旗」、それも大腿骨と頭骸骨がデザイ ンされた「海賊旗」のことである。 14世紀から15世紀にかけて、ヨーロッパでは航海時代 を迎え各国は世界へと進出する。次第に、船舶を狙った 海賊が現れるようになった。当時、船舶同士は敵か味方 かを,船舶に掲げられた旗で判断するしかなかった。海 賊船は最初、襲撃しようとしている船舶に味方であるこ とを示す船旗を掲げて安心させ接近した。そして、襲う 直前になって本来の海賊旗を掲げたという。

なお with flying colors は「見事に」「意気揚々と」を 意味するが、この colors も船舶旗である。海戦に勝利 して、色とりどりの船舶旗をマスト一杯になびかせ、誇 らしげに母港に凱旋するイメージである。

日頃の対話では、show one’s true colors(本性を表す) は次のような場面で使う。

A: He said he changed his mind and he wouldn’t stand for us. It must be a joke.

B : No. He showed his true colors. That’s what it is. c) Burn a midnight oil:

今なら、夜なべして仕事や勉強しようと思っても、何 の心配もなくできる。でも、これは電灯があるおかげ だ。しかし、電気がなかったころは石油ランプかローソ クに明かりを灯して、夜遅くまで仕事をするしかなかっ た。このイディオムでいう oil とは、石油ランプで使う ための油である。 石油のランプには、かなり古い歴史があり、したがっ てこのイディオムは17世紀の始めには使われていた記録 が残されている。 日常では、以下のような場面で「夜遅くまで頑張る」 の意味で使われる。

A: You’ve been burning a midnight oil lately. What’s up?

B : Well, I will have a big exam tomorrow. d) Like chicken scratches:

このイディオムが使われ始めたのは、1950年と案外と 最近である。日本でも昔は各家庭で、卵を生ませる目的 で鶏を飼っていた時代があった。ニワトリと呼ぶように 自宅の庭で放し飼いをすることが多かった。田畑に飛来 する鳥をよく観察していると、やたらとエサを求めて地 面をつつき回すのが分かる。鶏も同じである。 ただ、飛んで来る鳥と比較すると、鶏は飛ぶことがで きないので限られたスペースのなかでしかエサを探せな い。しかも鶏は通常の鳥より大きいので、より多くのエ サを探し求めねばならないのか、鶏を庭で放し飼いする と、地面にやたらと嘴(くちばし)で、あるいは足で、 引っかいた跡(つまり scratch)が残る。

イディオムとしての like chicken scratches は「(筆跡 が)ミミズのはった跡のような」として使用されている。 まさにこのような市井の文化的背景のなかから生まれた イディオムである。著者が生まれ育った幼少期の農村の 風景を、懐かしく思い起こさせる表現である。古今東 西、同じような生活を人間は営なんできたのだ。なお like a headless chicken(ばたばたしている)のイディオ ムも英語にはある。これも著者の幼少期の体験を思い出 させる。鶏がさばかれている場面である。

実際には次のような場面で使用するイディオムであ る。

A: Look at his handwriting. Just like chicken scratches.

B : Oh, give him a break. He’s only eight. ⚘ まとめ それぞれの言語には、ユニークな慣用表現がある。そ の慣用表現を使って人はコミュニケーションをする。回 りくどい表現を使うことなく、難解な語彙に頼ることな く日常の言葉で、ときには感覚的に、直感的に、また的 確に言いたいことを相手に伝える。 英語ではこの慣用表現をイディオムという。このイ ディオムの成り立ちを知ることで、言語を育んだ文化を 知ることができる。つまり、英語の学習を単なる語学の 学習としてではなく、文化の理解に結び付けることがで きる。 イディオムの成り立ちを知り用法に親しむ効用は、こ こにある。コミュニケーション能力の陶冶と文化の学習 を統合するのがイディオムの学習である。 またイディオムを知ることの効果はさらにある。それ は、英語を話す人々が共通に持っている情報や知識に基 づいて、彼らが普段、何気なくかわすユーモアやジョー クを理解できる点である。ユーモアやジョークのなかに は、本来のイディオムをその音韻や単語の一部を言い換 えて、面白おかしくパロディー化しているものが実に多 い。あるいは、イディオムとしての意味を、あえて曲解

(11)

してジョーク化している場合も多くある。雑誌や新聞の 連載漫画、テレビ・ドラマ、映画などには、イディオム の由来や意味を知って、始めて味わえるユーモアや ジョークにあふれている。 注釈: 1)臨時教育審議会答申。当時の内閣総理大臣中曽根康弘氏 が教育の全般的な刷新を目指し、総理大臣直属の諮問機 関として臨時教育審議会を設けた。同審議会は1985年⚖ 月以降、第一次から1987年の第四次にわたり、合計⚔回、 審議内容を総理大臣に答申した。この答申のなかで、中 等教育における外国語教育の改善について、「中学校及 び高等学校を通じて…特にコミュニケーション能力の育 成や国際理解の基礎を培うことを重視する」(大蔵省印 刷局:1988,6)ことが提言された。この提言を受けて、 文部省は中学校と高等学校の新たな学習指導要領を平成 元年⚓月に告示した。 2)例えば「目標」のなかで文化理解に関する項目に関すれ ば、平成29年告示の中学校学習指導要領第⚒章「各教科」 第⚙節「外国語」⚑目標(⚓)として「外国語の背景にあ る文化に対する理解を深め,聞き手,読み手,話し手, 書き手に配慮しながら,主体的に外国語を用いてコミュ ニケーションを図ろうとする態度を養う」とあり、平成 30年告示の高等学校学習指導要領第⚑款目標(⚓)として 「外国語の背景にある文化に対する理解を深め,聞き手, 読み手,話し手,書き手に配慮しながら,主体的,自律 的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする 態度を養う」(下線は筆者による)とある。両者の違い は、「自律的」があるか否かだけである。 3)言語運用能力はこれまで⚔つの技能に分けて考えられて きたが、平成29年告示の中学校学習指導要領からは、「聞 くこと」「読むこと」「話すこと[やり取り]」「話すこと [発表]」「書くこと」の「五つの領域」とした(第⚒章 第⚙節 第⚒英語「目標」)。高等学校学習指導において も同じ。

4)idiom の語義は、a group of words that has a special meaning that is different from the ordinary meaning of each separate word. For example,ʞunder the weatherʟ is an idiom meaningʞillʟ.(Longman Dictionary of

Contemporary English 4th)が示す通りである。本文中、 例としてあげたほか、give in(屈服する)のものまで含 める。 5)stuffed turkey(なかに玉ねぎ、パン粉のほか、パセリ、 タイム、セージ、ローズマリーなどを詰めた丸焼きの七 面鳥)が、アメリカのニュー・イングランド地方(Main, New Hampshire, Vermont, Massachusetts, Rhode Island, Connecticut)各州での伝統的な料理。

6)なお、これら culture‒specific の例は、中学校外国語科 用文部科学省検定済教科書として平成27年⚓月に検定さ れた『New Horizon English Course 1』(東京書籍)から 引用した。

7)臨時教育審議会は、以降の英語教育の在り方を答申し た。それは、これまでの grammar translation method に加えて、より communicative な要素を学習内容にと りいれることであった。この提言は平成元年の⚓月に公 布された、中学校および高等学校の学習指導要領に反映 されている。中学校学習指導要領第⚒章第⚙節外国語 第⚑目標に、「外国語で積極的にコミュニケーションを 図ろうとする態度を育てる」とあり、高等学校学習指導 要領第⚒章第⚘節外国語 第⚑款 目標にも、「外国語で 積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育て る」とある。平成元年度以前に告示された中学校および 高等学校の学習指導要領の目標には、「コミュニケー ション」という文言は見られない。 8)語頭の h を発音しないロンドンっ子の特徴は cockney accent として知られている。映画『マイ・フェア・レ ディ』でオードリー・ヘップバーン扮する花売り娘エラ イザの英語がそれである。 9)以下の U‒tube には、当時のテレビ・コマーシャルがそ のままアップされている。思わず苦笑する。

https: //search. yahoo. co. jp/video/search? p = wendy% 27s + where%27s + the + beef + 1984&aq = ‒1&ai = tezb9ogHSquQgkYE7UbT4A&ts = 6503&ei = UTF‒8& fr = top_ga1_sa (as of March 6, 2020)

参考文献:

Ammer, C. (2013) The American Heritage Dictionary of Idioms 2nd. Boston, MA: Houghton Mifflin Harcourt.

Canal, M. and Swain, M. (1980) Theoretical bases of communicative approaches to second language teaching and testing. Applied Linguistics 1, 1-47.

Cates, K. A. (1990) Teaching for a Better World: Global Issues in Language Education. The Language Teacher 14, 5. 3-5.

Crystal, D. (1995) The Cambridge Encyclopedia of the English Language 2nd. Cambridge: Cambridge

Univer-sity Press.

Damen, L. (1978) Culture Learning: The Fifth Dimension in the Language Classroom. Reading, MA: Addison‒Wesley Publishing Company.

Dechert, C. & Kastner, P. (1989) Undergraduate Student Interests and the Cultural Content of Textbooks for German. The Modern Language Journal, 73, 2. 179-191. Evans, G. & Gonzales, G. (1993) ReadingʠInsideʡthe Lines: An Adventure in Developing Culture Understanding. Foreign Language Annals, 26, 1. 39-48.

Flavell, R. & Flavell, L. (2006) Dictionary of Idioms and their Origins. London: Kyle Cathie Ltd.

Hands, P. (2012) Collins COBUILD Idioms Dictionary. Glasgow: HarperCollins Publishers.

Hendrickson, R. (2008). Word and Phrase Origins 4th. New

York, NY: Facts On File.

Kachru, B. (1997) World Englishes and English‒using communities. Annual Review of Applied Linguistics, 17, 66-87.

Mantel‒Bromley, C. (1993) Preparing Teachers to Make a Difference in Global Education. Foreign Language Annals, 26, 208-216.

Morgan, C. (1993) Teaching Culture at A‒level, Language Learning Journal, 7, 42-44.

Okita, Y. (2015) To Learn How to Teach English. Hyogo‒ken, Japan: Kwanseigakuin University Press. Srasheim, L. (1981) Establishing a Professional Agenda for

Integrating Culture into K‒12 Foreign Languages: An Editorial. Modern Language Journal, 65, 67-69.

(12)

安藤昭一(編)(1991)『英語教育現代キーワード事典』増進 堂

大喜多喜夫(1995)外国語(英語)教育における国際理解に 関する考察『英語教育研究』19,116-121.

大喜多喜夫(1996)中学校英語科教科書に見られる国際理解 性―地球的視野からの分析―The Language Teacher 19, 6, 18-21 大喜多喜夫(2000)『英語教員のための応用言語学』昭和堂 大喜多喜夫(2004)『英語教員のための授業活動とその分析』 昭和堂 大喜多喜夫(2020)『使って楽しい英語イディオム400選―由 来と用法―』関西学院大学出版会 野村達朗(1992)『民族で読むアメリカ』講談社 大蔵省印刷局(編集発行)(1977)『中学校学習指導要領』 大蔵省印刷局(編集発行)(1988)『教育改革に関する答申― 臨時教育審議会第一次から第四次(最終)答申―』 大蔵省印刷局(編集発行)(1978)『高等学校学習指導要領』 大蔵省印刷局(編集発行)(1989a)『中学校学習指導要領』 大蔵省印刷局(編集発行)(1989b)『高等学校学習指導要領』 文部省(1989c)『高等学校学習指導要領解説外国語編英語編』 教育出版株式会社 大蔵省印刷局(編集発行)(1998)『中学校学習指導要領』 大蔵省印刷局(編集発行)(1999)『高等学校学習指導要領』 東山書房(2008)『中学校学習指導要領』 文部科学省(2018)『中学校学習指導要領』 https://erasmusmyway.wordpress.com/2017/05/19/big-c-culture-little-c-culture/ (as of March 3, 2020) https://kotobank.jp/word/ 五十歩百歩-501225

(as of February 28, 2020)

https://www.nikkansan.net/feature/ サンクスギビングデー の雑学-由来や歴史、七面鳥 /3/ (as of March 1, 2020) (おおきた よしお・関西学院大学教授)

参照

関連したドキュメント

Shi, “The essential norm of a composition operator on the Bloch space in polydiscs,” Chinese Journal of Contemporary Mathematics, vol. Chen, “Weighted composition operators from Fp,

[2])) and will not be repeated here. As had been mentioned there, the only feasible way in which the problem of a system of charged particles and, in particular, of ionic solutions

事 業 名 夜間・休日診療情報の多言語化 事業内容 夜間・休日診療の案内リーフレットを多言語化し周知を図る。.

しかし,物質報酬群と言語報酬群に分けてみると,言語報酬群については,言語報酬を与

Amount of Remuneration, etc. The Company does not pay to Directors who concurrently serve as Executive Officer the remuneration paid to Directors. Therefore, “Number of Persons”

に文化庁が策定した「文化財活用・理解促進戦略プログラム 2020 」では、文化財を貴重 な地域・観光資源として活用するための取組みとして、平成 32

Hoekstra, Hyams and Becker (1997) はこの現象を Number 素性の未指定の結果と 捉えている。彼らの分析によると (12a) のように時制辞などの T

北とぴあは「産業の発展および区民の文化水準の高揚のシンボル」を基本理念 に置き、 「産業振興」、