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第一次大戦勃発直後のロンドン株式取引所崩壊の原因をめぐって

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長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 67-80頁 1991

第一次大戦勃発直後の ロン ドン

株式取引所崩壊の原因をめ ぐって

The Views in regard to the Cause of Breakdown of the London

Stock Exchange soon after the Outbreak of World War I

1914年7月25日のオース トリア ・- ンガ リーの セル ビアに対す る最後通告の以前において、大量 の国際証券が最初 にウィー ン、次いでベル リン、 ペ トロブル ク、 さらにパ リで異常 なほ ど売却 され た。 ベ ル リンの状態はパニ ック寸前であった。 セル ビアに対す る強硬 な覚書の うわさがすでに市場 に 流れていたか らで冬 り、有力 な銀行の

1

行が、顧 客 に業務 を停止す ると勧告 していたか らである。 他 方、パ リの 取 引所 は7月8日発 行 の大 口の 3÷%フランス政府債 に対す る過大な応募が行 わ れたに もかかわ らず、 まもな く沈滞 した。パ リ取 引所はウィー ンとベ ル リン市場の弱気によって影 響 され、銀行株 は急激に下落 した。 7月21日、オ ー ス トリアの最大の情報通 と知 られた金融業者 ロ ーゼ ンベル クが 多量の ロシア公債や東洋の公債 を 売却 した とい う事実は、非常 な不安 をもた らした。 3%公債 は81fr以下に落 ちこんだ。新 たな3‡% 公債 はわずか14日間で90.25す なわち発行価格 以 下の

1%

まで下落 した。 これはフランス証券市場 の歴史の うちで特 異な相場 であった。 7月22日に、 さらに決済が行 われたが、 2、 3日に実際上、市 場に全然買手が ないほ どの緊張が高 ま り、市場 は 興奮状態 となった。1914年7月25日のオー ス トリ ア ・- ンガ 1)-のセル ビアに対す る最後通告 は、 ヨー ロッパ主要 国の為替市場 と証券市場に決定的 な直接的影響 を及ぼ した。 『バ ンカー ズ・マガジン

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に よれ ば、 オース トリアのセルビアに対す る最後通告に ともなう金融上の諸結果について次のように叙述 している

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7

月25日 (土)のオー ス トリアの最後 通告 はロン ドン貨幣市場 とロン ドン証券市場 を混

河 合

Masanobu Kawai

乱状況 に落 し入れ た。 コンソル 公債 の値段 は £72‡に下落 した。それ以外の証券 も比例的に低 落 した。 7月27日の月曜 日、市場の恐慌状態は一 層あ きらか となった。外国為替取引はほ とん ど不 可能であった。 コンソル公債 は71に下落 した。最 大の懸念は7月29日 (水)の株式取引所の決済に 関 していだかれた。- 7月27日(月)に、営業 を開 始 したロン ドン株式取引所 とウォール ・ス トリー トは、 ヨー ロッパ諸国の取引先の証券売却によっ て殺到 をうけた。両 中心地の証券売却の影響 は一 層 きわだっていた。それ も数 カ月以前か ら証券売 却が継続 したか らである。 ロン ドンでは隔週毎の 決済の度に市場のガラが生 じたことで悪条件が重 なった。他方、 ロン ドン宛のパ リ小切手がこ ゝ数 日間の恐慌 で約24.74サ ンティーム下落 した。また アメ リカ為替はポン ドあた り5‡ ドルに接近 した。 ウォール ・ス トリー トで大量の証券が売却 された ため、送 金 が ニ ュー ヨー クで は不 可 能 で あ っ た。」(1) ヨー ロッパ大陸の為替市場では、 7月24日-27 日の4日間に、 2、 3の為替市場で不安が一挙 に 表面化 した。 この当時ロン ドン残高 を保有 してい たパ リの為替市場 はロン ドン残高の一部 を回収 し は じめ、パ リの為 替 レー トは2‡%サ ンティーム に下落 した。 これに対 して、 ドイツの8日間の為 替 レー トは

2

‡フェニ ヒに上昇 した。ウィー ン、イ タ リアの為替 レー トは10ない し9ポン ド上昇 した。 ニュー ヨー クの電信振替為替 レー トは4.8885ドル か ら4.9450ドルに上昇 した。以上の為替 レー トの 上昇 は海外 に保有 された短期流動債権の大幅 なロ ン ドンの回収に負 っていた。 ヨー ロッパの証券市場では、 7月27日にウィー ンで株式取引所が閉鎖 され、同時に割引率が

4%

(2)

68 長 野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 か ら5%に引上げ られたOアムステルダム とブ リ ュ ッセルの取引所 も閉鎖 された。- ンブル クの株 式取引所は7月30日に開かれなか った。ベ ル リン では業務が現金ベー スでのみ行 われた。戦争が ど うにか回避 され るか、起 きて も少 くとも局地的な ものに とどまるとい う期待 が実際上 あったが、 日 が達つにつれてその見方は ます ます希望のない も の となった。平和に向って動 きだす力が持続す る のには もはや手遅れだ とい う見方の方が根拠 をも って きた。か くして、証券売却の殺到が続 き、 ロ ン ドンでは大陸の顧客のために大量の証券が売却 され ることとなった。 7月28日のオース トリア ・ - ンガ リーのセルビアに対す る宣戦布告は、 ロン ドン金融市場ばか りか ヨー ロッパ大陸の為替市場 に動揺 をもた らし、2、3日後に崩壊 を必至 とした。 ヴ イ クタ一 ・モルガ ン (E.Ⅴ. Morgan)は、 "StudiesinBritishFinancialPolicy"の第1章 1914年の恐慌の胃頭で、「国際金融におけ るロン ド ンによって行 われた多 くの機能の うちで、株式取 引所の業務 と引受業務 とい う二つの ものが、戦争 恐慌 と関連 して特別の重要性 をもつ ものであった。 ロン ドンは世界に於け る最大の株式市場 であった。 ロン ドンは広範囲の証券 を取扱 ってお り、 多 くの 企業が外国取引先のための業務に専念 した。 多量 の外国為替が ロン ドン残高であったが、それ らの うち少 くとも3億5千万ポン ドが巨大マーチャン ト・バ ンカーか、株式銀行の名儀入 りの ものであ った。株式ブ ローカー と引受商会のいずれ もが完 全に彼等の取引先か らの支払いに即座に依存 して いた」 とし、 ロン ドンの恐慌の原因 となったのは 国際決済機構の崩壊によるもので、最初 に打撃 を 受けたのは、 ロン ドン株式取引所 であった と述べ ている。 (2) 7月29日(水)はロン ドン株式取引所の決済 日で あった。暗黙の うちに。取引所のすべての仲買人 は取引 を- らした。 そ してある場合 には名 目価格 で相場 をつけ ることさえ拒否 した。 この 日、 ロン ドン株式取引所 と取引 をもつ 7企業が破綻 した。 7月30日(木)に、 ドイツ企業 と非常 なか かわ り を もった重要企業 であ るメザ ス ・デ レンベル ク

(MessersDerenburg

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Co)社の破産が決定的

となった。 テレサ ・サーボ-ネ (TereseSeabour --1 6 -ne)は「7月20日と30日の間に、387の代表的な証 券の価値は記録的 な1億8,799万 2千ポン ド、ぎっ と5.6% と下落 した。10日間の5.6%の下落は正常 な月毎の相場の動 きと比較すれば、相 当な もので あった

(3)と言っている。 株式市場委員会 は30日(木)の午後会議 をもち、 翌 日の朝に破産 を防 ぐために どんな手段が とられ るべ きか討議 した。ついに、委員会は7月31日(金) に株式市場の閉鎖措置 を決定 した。 この措置はロ ン ドンで株式市場が1773年に創立 して以来は じめ てであ り、かってない株式市場の危機 であった。 セイヤー ズは1914年の恐慌 は ヨー ロッパ各地の 証券取引所か ら始 まった とし、 その理 由 として、 これ らの取引所では戦争の不安がロン ドンでの不 安 よ りも先に広が ったか ら、国際的に取引されて いた証券が大量に売却 され、次々に市場 を危機に 陥れ、あるいは実際に市場閉鎖 に導いて長期 資本 市場 を崩壊 させ、次いで対外送金の困難は外国為 替市場 での為替 ポジョンを極度に悪化 させ、やが てこれが短期 国際信用の崩壊 を引 き起す主な要因 となった とした。国際的に広が った証券取引所の 崩壊は、即座 にロン ドン証券取引所に影響 したこ とは言 うまで もないが、セイヤー ズは同取引所へ の民間銀行の短期貸付残高は約8千万 ポン ドと見 積 り、これだけで もロン ドンの一部の銀行 を震 え あが らせ たに違 いない と

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で指 摘 している。 (4) サ イクス (ErnestSykes)はロン ドンの民間銀 行による株式取引所に対す る貸付 はビール ・ブロ ー カに対す る貸付 よ りも総額 において相 当に少な い。 ロン ドンの民間銀行は手形で2億 ポン ド保有 してお り、手形 を担保 に1億 ポン ドをビール ・ブ ロー カに貸付けている。株式取引所に対す る貸付 に関 しては、株式取 引所委員会 は委員会の メンバ ーか ら戦争勃発時の貸付残高について確証的な情 報 を得 た。 このような貸付の総額 は8千万 ポン ド で、その うち

2

千万 ポン ドが民間銀行以外の貸手 によるものであった。 この貸付 は株式 と社債の保 有のため使 われた(5)と言っている。 同様 なことは、 カー コルデイ (A.W.Kirkaldy) も指摘 している。す なわち 「証券市場-の対外送 金の破綻は、危機以前に行 われていた取引に影響 を及ぼ したが、セル ビア との敵対行動の勃発後、

(3)

河合正修 第一次大戦勃発直後の ロン ドン株式取引所崩壊 の原因をめ ぐって 69 大 陸か ら根強 い売却圧力が なされた。 これ らの影 響 は証券価格 の下落 であ り、 この こ とはす ぐさま 信用買いされたそれ らの証券 に反作用 した。 この 時期 の ロン ドン株式取 引所-の貸付 は約8千万 ポ ン ドであ り、 その うち半分 が株式銀行 に よって、 残 りは他 の団体 に よって貸付 け られた。相場 の継 続 的な下落は利得 を喪失 させ たであろ う。 そ して それゆえ貸手は さらに追加的証券 を担保 に請求す るか、返済期 日が満期 になった切迫 した要求 に応 じなければ な らぬ こ とを予想 してその貸付 の返済 を求め たであろ う」 と。 (6) この ように ロン ドン株 式取引所- の貸付 の大部 分 が、株式銀行 か らの借入れに依存 していたので あって、 この期 の株式銀行 の行動が また問題 とさ れ るところであ る。 ロン ドン株 式取引所の崩壊 の 主 たる原因が、大陸か らの証券売却 に よるもので あ るとす るセ イヤー ズ、 カー コルデ ィの主張は、 ウィザ- スや ホ- トレイによって も指摘 されてい る ところであ る。 ウイザ- ス

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は ロン ドン証券 市場が閉鎖 を余儀 な くされたのは、大陸か らの証 券売却 の殺到 であった と言 っている。 (7) またホ- トレイ

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も 「ポン ドに 対す る差 し迫 った需要 は ロン ドン証券取引所 にお け る証券売却 の洪水 を惹起 した。 この時 ジ ョーバ 達 は戦争の急速 さか ら価格 をどこまで下げた らよ いか、いか な る もの をいかな る条件 で買 うべ きか を知 らなか った。31日の朝、株式市場が閉鎖 され るべ きこ とが急拠決定 され た」 と。 (8) シュワー プ

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で 「ヨー ロッ パ危機 は大幅 な資金需要 に よって

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月には巨額 な売却注文が株式取 引所 で取 引 されたので、株式 価格 はひ ど く下落 したO 多額 の 口座勘 定 をもつ ロ ン ドン ・ブ ロー カーの 多 くの対外取引先 を含 む 多 くの人々が債務不履行 に落 ち入 った

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日に、 オー ス トリア とセル ビア との間で宣戦が布告 され た。 その月の最後の3日に、外 国株式取 引所 のい くつかが閉鎖 され、 ロン ドン株 式取引所に もい く つかの破綻が生 じた。 もし破綻 を防 ぐ処置が とら れないな らば、株 式取 引所 の メンバーの間に さら に 多 くの破綻が生 じ、 それに ともなってそれ以外 の 多 くの人々の破産 が生 じたであろ う。株式取 引 所 は7月31日に閉鎖 し、閉鎖 しなが ら緊急決議 と 緊急規則 を通過 す るこ とで事態 に対処 した」 (9)と 述べ ている。

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はホ- トレイ達 よ り も具体 的に状況 を伝 えている。 スター リングを保 持す るために、 ロン ドンの銀行 は最終的 な手段 に よらなければ ならなか った。す なわち商 品か、 さ もな くば金 を船積す るこ とが不可能 なのでロン ド ン株式取引所 に於 いての売却 の手段 によらぬばな らなか った。 巨額 な債券が 出来 るか ぎ り最高の値 で外国 口座勘定 のために市場 で売却 され た。 その 結果 は完全 な崩壊 であった。 同時に、巨額 な対外 負債 の未払残高に よって ロン ドンの7企業 とグラ スゴの

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日に支払い を停止せ ねばな らなか った。 デ レンベル ク

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とい う有 名 な商会 を含 む

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日に違約者 である こ とを宣告 された。 多 くの さらに有名 な会員が翌 日に支払 い を停止せ ねば な らぬ こ とが危供 された。 この よ うな諸条件 の もとで、大 きな圧 力が指導的 な銀行業者 とブロー カー達か ら株 式取引所委員会 に加 え られた。最終 的に長時間の討議の後、 7月 31日の金曜 日の朝、定例 の株 式市場が開かれ るほ んの少 し前に追 って通知 のあ るまで株式市場 を閉 鎖す るこ とが決定 された。(.0) ソンネ と同 じ見解 はスバルデ イングで も展開 さ れてい る。 (ll) ホ- トレイ達が大陸か らの証券売却 もしくはポ ン ド需要 のために ロン ドン株式取引所の閉鎖 を決 定付 けた と考 えてい るのに対 して、 ソンネはロン ドン株式取 引所の閉鎖 は株式銀行 、 ビール ・ブロ ー カの株式取引所 に対す る貸付債権 の回収 のため の圧 力 であった と解 している。 タラパムは

7

3

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日にイングラン ド銀行が公定 歩合 を

3%

か ら

4%

へ 引上 げたこ とが、 ロン ドン 証券市場 に対 して巨額 な証券売却 をもた らし、パ リに ゴール ド、 ラッシュをもた らした としている が、 ロン ドン株式取 引所 の巨額 な証券売却が株式 取引所 の閉鎖 に導 いたか どうかにつ いては さだか に言及 していない。(.2) 以 上 の 見 解 に 対 して、 ヴ イ ク タ ・モ ル ガ ン

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は株式取引所 の崩壊 について 二つの要 因か ら説明す る。 ロン ドン株式取引所 は 内外か ら激 しい売却圧 力に さらされたか、通常 の

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長野大学紀要 第13巻 第2 ・3号合併号 1991 株式売却の支払いがで きない以上に大 きな困牡は 以前の株式買入れの外国人か らの債務の回収 であ った。事態の もう一つの要因は株式取引所 と民間 銀行 との関係であった。民間銀行 は株式取引所で 取扱われている多額の証券 を保有 していた。そ し て民間銀行 には貸付の担保 として顧客に よって 多 額の証券が預け られていた。 こ ,数 日の株式価格 の暴落は民間銀行 に対す る影響 を十分且つ さび し い ものに したこ とは疑いない と。(13) この点に関 して、モルガンは株式取引所が最初 に打撃 を受けた機構であったO株式仲買人は彼の 株式保有に金融 をつけるために大 きな借入金に依 存 していた

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月の このような借入金は約 8千百万 ポン ドであった。 その うちぎっと半分以 下は株式銀行か ら、残 りは大部分外国銀行 によって 提供 されていた。外国銀行はつねに幾分低 い金利 で資金 を提供 していた。ある部分 はマネー ・ブロ ー カーの機関 を通 じて貸付け られた。危機 は株式 取引所の何 人かの メンバーの資金が証券の長期の 価格下落に よって弱体化 された とき、株式取引所 に不都合 な事態が訪れたときに生 じた。 オース ト リア とセル ビア との戦争勃発の翌 日、株式価格 は 新 たに最低記録 を更新 し

、1

企業が破綻 したが、 これはおそ らくイギ リスの民間銀行が株式市場か ら貸付 を回収 したこ とによると報告 された。30日 (木)に、その週の最大の破綻が生 じた。 メザス ・ デレベバル ク社の破綻であった。(14) 以上のモルガンの叙述の中で、株式仲買人が借 入れた資金約8千万 ポン ドの うち、その うち約半 分以下が株式銀行か ら提供 された資金 としている が、 この数値は前記のカー コルデイの数値6千万 ポン ドと大 きくくい違 っている。 モルガンは株式 仲買人の借入れは株式銀行 よ り外国銀行か らの借 入れが大 きい とみている。この点はデ・チェコ(de Cecco)が株式取引所の崩壊は、株式ブロー カーに 債務返済 を求め るロン ドンの外国銀行 によるとし た見解 と一致す るO(15) マ クベ イ (F.L Mcvey)は7月30日に コンソル 価格が

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以下に下落 したこと、株式取 引所が大陸か らの証券売却の殺到 を受けていたこ と、そして株式取引所の継続は、証券価値の下落 ならびに民間銀行貸付のよ り多 くのマー ジンのた めの民間銀行か らの支払請求 を意味 した。(16) - 18 -マ クベ イはロン ドン株式市場 を開いているか ぎ I)、証券価格の一層の下落 を惹起 し、民間銀行の 株式取引所 に対す る貸付のマー ジンを低め ること か らその貸付の回収 を促 した と解 している。マ ク ベ イは暗に証券価格の下落が株式取引所の閉鎖の 原因であると推測す る。また、ブラウン

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はロン ドン株式取引所の閉鎖 の原因について次のような見解 をとっている。 ロ ン ドン株式取引所が開かれているか ぎり、 ロン ド ンの証券売却 を通 じて多額のスター リングの供給 を得 る手段がなお も利用できた。 しか しなが ら、 恐慌の一つの要 因は海外の株式取引所が閉鎖 され たことであった

。 7

月30日に、ニュー ヨー ク株式 取引所、 ロン ドン株式取引所、公設のパ リ取引所 のみが開かれたままであった。その結果、 ロン ド ン株式取引所の外国勘定についてすべての種類の 証券売却が膨大な量で集中的になされたこ と、外 国為替市場の困難、恐慌のシ ョックによる投資需 要の減退 と株式銀行の株式取引所に対す る貸付の 回収によってロン ドン株式取引所の閉鎖に導いた としている。(17) ケインズ(J.M.Keynes)はロン ドン株式取引所 の閉鎖の原因について次のような立場か ら明 らか に している。恐慌の最初の打撃は株式市場か らふ りかか った

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2

8

日の火曜 日、オー ス ト1)アは セルビアに対 して宣戦布告 を行 なった。大陸の諸 市場 は事態の悪化に備 えるこ とを直 ちに決定 した。

7

月30日(木)にロン ドン、ニュー ヨー ク、パ リの 株式市場 を除いて、株式市場がすべ て閉鎖 された。 金曜 日に、 8月31日までパ リの証券市場が決済 を 延期 したこ とが、 ロン ドン株式取引所の閉鎖 を予 告 した。すべての株式市場の閉鎖 は列強の戦争布 告に先がけた。大戦勃発によるロン ドン株式取引 所の閉鎖 とい う空前の出来事 は、外国か らの証券 売却が殺到 したため生 じた と多 くの人々の主張 し ているところであるが、それは全 く別の事情か ら 起因 している。第

1

の原因は、外国人が以前の証 券買付に もとづ いてロン ドン証券取引所に対 して 負 っている債務 を履行 できなかったためであ り、 第

2

の原因は、市中銀行 (株式銀行)の行動がこ れに拍車 を加 えた。 第

1

の原因について、ケインズは次の ように主

(5)

河合正修 第一次大戟勃発 直後の ロン ドン株式取引所崩壊の原 因をめ ぐって 71 張 している。 危機 は2、 3日前 の外国人に よる証 券売却か ら生 じないで、全 く反対の原因か ら生 じ た。 すなわち、決算 日以前の外 国人の買入れか、 以前の決算 日か ら繰越 しされた買入れか ら生 じた。 決算期 には外 国の取引先か らロン ドン取 引所 に多 額 の金が当然支払われ るべ きであ る。外国の取引 所 の閉鎖、外 国諸 国に対 して宣告 された完全且つ 部分 的モラ トリアム、最終的には、パ リの決済の 延期 が外 国取 引先か らの債務 を当分 の間回復 させ ない ことに した。突然、19日期 日付の勘 定の決算 が ロン ドン市場 に到来す ると、海外 で とられた緊 急措 置は外国 とコネ クシ ョンをもつ数 多 くの企業 に とってただちに外国の顧客 か ら満期 の額 を支払 わせ るこ とは困難であ り、 あ るいは不可能 に させ た。 ドイツ と最 も業務 を提携 し、重要 な企業 であ る

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の水 曜 日の破産 は、 株式市場の メンバーに事態の性格 を国内に伝 えた。 パ リやベル リンか ら満期 の額 を確保 で きない とう わ さされた

1

2

の企業がみずか ら金曜 日に除名 の手 続 きをとった。 これ らの企業の破産 は必然的にお びただ しい企業の破産 をもた らす にちがいない。 支払停止 をうけた メンバー は海外か ら予想 され る 貨幣 を支払 うべ き責任 を負 っていた。 したが って、 どの企業 も安全 だ と思 わなか った。株式市場委員 会 は急迫 した一般的 な支払不能の影の もとで直 ち に行 動 しなければ な らなか った。か くして、株 式 市場委員会は ロン ドン株 式取引所 の閉鎖 を決定 し た 。 (18) 第2の原因であ る株 式銀行 の行動 について、 ケ インズは株式銀行 が ロン ドン株 式取引所に対 して 恐慌 的手段 を とったこ とに よる としている。す な わち、証券価格 の暴落のため、株 式銀行 は株 式取 引所 に対す る貸付 を回収 しは じめ たことに よる と い うこ とであ る。 この こ とは株式仲買人 を周章狼 狽 させ るのに十分 であ った と考 え られ る。 当時、 株式銀行 が株 式取 引所 に対 して貸付けた額 は、 多 分

8

千万 ポン ドか ら

1

億 ポン ドにのぼ るといわれ てい る。(19) これが株式銀行 の流動資産 の うちで どの程度 の 割合 を占めていたかにつ いては後 に検討 しよ う。 この株 式銀行 の株式取引所 に対す る恐慌的手段が、 株式市場委員会 をして株式取引所の閉鎖の決定 に 至 らしめ た主 因であ るとケインズはみてい る。 ケ インズは 「もし株 式取引所が翌 日 (31日)に閉鎖 しなか ったな らば多 くの他 の企業が外国取引先か ら支払わねばな らぬ支払 を受取 らないで破産 した であろ う。 そ して これ らの破綻 は続 いて資金 を所 有す る他 の企業 を巻 きこんだであろ う。 これ らの 破綻 に もとづ く強制的 な証券売却 は証券価格 を破 滅せ しめ たであろ う。損失 をカヴ ァして資金 を回 収 しよ うとす る民間銀行 の側 の行為 によって証券 のすべ ての借手がひ ど く困惑 したであろ う」 (20) と指摘 している。 この ように、 ケインズは株式 市場 を依 然開いた ままに放 置 しておけば、証券価 格 は破滅的にな り、株式銀行保有 の証券担保価値 は一層減少 しつづ けたであろ う。 このこ とか ら、 株式銀行 は株式取引所 に対 して株式取引所閉鎖 の 圧力 を加 えた と推測す る。 以上、詳細 なケインズの株 式取 引所の閉鎖 に至 る行論 を見て きた。 しか し、 ケインズの ロン ドン 証券市場危機 に関す る証券業務上か らの説明 (決 算 日以前の外 国人の買入れか、以前の決算 日か ら 繰越 しされ た買入 れか ら危機 が生 じた とい う説 明)ははっき りした説得性 を欠 くものであ る。問 題 の所在 は7月20日か ら7月30日に至 るおびただ しい証券 の売却が、第一次大戦の勃発 をは らんだ 時期 であって、 この ような国際緊張の激化が ロン ドン株式取引所の証券価格 を急落 させ 、 メザ ス ・

レンベ ル ク社 を破綻 させ、他 に多 くの企業の破 産 を予想 させ たこ とである。証券価格 の下落がか な りの程度の ものであ るとすれば、ケインズ も指 摘 してい るように、 これは株式銀行 の行動 に も当 然影響 を与 えたはず だか らである。 またこれ故 に 株式銀行 等の ロン ドンの シティが株式市場委員会 に圧 力 を加 え、株式取引所 の閉鎖 を実行 させ た と 考 え られ るのであ る。 この問題 に関 して、 『ェ コノ ミス ト』誌 と 『バ ン カー ズ ・マガ ジン』が どの よ うな見解 を取 ってい たか を次に見 てみ よう。 まず、1914年8月 1日土曜 日付の 『ェ コノ ミス ト』誌 は次の よ うに記述 してい る

「事 態 をみれ ば、戟争が月曜 日か ら金曜 日に発展す るにつれて、 国際信用の微妙 なシステムは これ までけ っ してみ られ なか ったよ うな、 あるいは想像 もされなか っ た一連の打撃の もとに金融界は ぐらついた。特 に

(6)

72 長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 中心地では、1907年のオーヴアレン ド・グーニイ 恐慌の際にロン ドン、ニュー ヨー ク、その他のア メ リカの シティ等は疑い もな くよ り暗い経験 をも ったが、かつて以前にない広範囲且つ世界的規模 の ものであった」 (21)とし、最 も最近の ロン ドン株 式市場の閉鎖以前の利用可能な証券相場の平均価 格の相場表 を示 し (第

1

表参照)次の ような説明 を与えている。 市場には緊張がただよい今週の市場の動 きはロ ン ドン株式市場の最近の歴史に於いて実際類例が ない。週末が訪れると、オース トリアのセルビア に対す る最後通告が、驚 きと共に金融界 を衝撃 し た。土曜 日、月曜 日には、証券価格の下落は異常 なほ どに激 しい ものであった。株式は投げ売 りさ れ、外国銀行 は貸付の回収 にあた り、 また担保証 券の売却 を余儀 な くされた。他方、大陸の諸市場 の閉鎖はロン ドンに全面的に売却の流れ を向けた。 ロン ドンでは、株式仲買人が証券価格 を下げ、価 格に値開 きを付けた。証券の売却が続 き、間 もな く株式市場ではその他の証券の変動 と共に、株式 仲買人が コンソル価格の値幅 を広げ る異常 な光景 がみ られた。上記の表は最後通告の証券価格 に対 す る影響 を示すのに使われている。 この表の筆者 の算定に よれば、 7月22日∼30日の 9日間の総平 均価格の下落率 は

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%

であった。最大の下落率 を示 したのは国際的に投機的な株式である。その中には ユニオン ・パシフィック鉄道株

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8

%

があった。 ウィー ン取引所 とブタベ ス トの取引所 は閉鎖 され たの も同然であった。他方、ウォール ・ス トリー トはロン ドンの例 に したがった。 この間、すべ て の為替が下落 し、送金 を希望す る人々は金 を現送 す るよう余儀 な くされた。 パ リ、ベル リン、 ロ ン ドンのいずれが最大の打撃 を受けたか どうか を 言 うのはむつか しいが、むろん、信用の負担が最 大であったのはロン ドンにおいてである。 (22) このよ うに 『ェ コノミス ト』誌は、大陸の証券 市場の閉鎖 を契機 に して、 ロン ドン株式取引所の 相場の全面的崩落が生 じたこと、そ してロン ドン 株式取引所 に於 いて最大の下げ幅 を記録 したのが 国際的な国際証券の銘柄 であったこ と、 とりわけ 鉄道株、 その他証券の価格下落が激 しか ったこと このような株式価格 の暴落 を引 き起 し、 ロン ドン 株式取引所の崩壊 を生みだ したのは列強間の戟争 -20 -の恐れによるものであった と伝 えている。 Fバ ンカーズ・マガジン

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は、大恐慌のタイ トルでシ リー ズを組んでいる。 それは1914年9月号か ら始 っている。 この号でロ ン ドン株式取引所の恐慌についてふれてい る。 7 月27日の 日曜 日に始 まった週の大部分 において、 ロン ドン株式取引所 とウォール ・ス トリー トは大 陸の取引におけ る証券売却で殺到 を受けた。両中 心地 とも証券売却の影響は一層 きわだっていた。 それ とい うの も数 カ月の期 間にわたって以前か ら の売却が継続 していたか らであった。恐慌 のこれ ら数 日間に、ロン ドン宛のパ リ小切手は約24.70サ ンティーム下落 した。他方、ア メ リカ為替はポン ドあた り

5

‡ドルに接近 した事実か らこれ ら証券 売却 の額について一定の推定がな りたつであろ う。 さらに、 ロン ドンでは隔週の決済の波に市場の崩 落が生 じた事実で諸条件が悪化 した。 ア メ リカ為 替の状態か ら、 ウォール ・ス トリー トで売却 され た大量のアメ リカ証券 を送金す るこ とがほ とん ど ニュー ヨー クで不可能であったので、全般的恐慌 の悪化 を大規模 な もの とした。 7月29日(水)、 7 月30日(木)に、外国の証券取引所は実質上崩壊 し た。 イングラン ド銀行か ら大量の金が流出 した。 30日に、公式の割引レー トは 4%まで引上 げ られ た。 しか しなが ら、その時 までに、株式市場の状 態は全 くパニ ック状態 となった。パ リの取引所が

1

カ月間、決済 を延期す ると知 らされた とき、 ロ ン ドン株式取引所が翌 日に閉鎖 され るであろうと い う恐れが もちきりであった。 この ことは実際、 7月31(金)に生 じた。 多 くの点で金融恐慌 の クラ イマ ックスを画 した一 日であった。株式取引所委 月会 は早朝に会合 をもち、株式取引所 を開かない ことに決定 した。 (23) 以上、これ まで多 くの経済学者、Fェ コノ ミス ト』 誌、Fバ ンか-ズ・マガジン』のロン ドン株式取引 所の崩壊に関す る見解 を取 り上げて きたが、 これ らの見解 には、大 きく分けて二分 された。第

1

の 見解 は大戦勃発 による大陸の証券市場の証券売却 が ロン ドン株式取引所 に与 えた影響。 とりわけパ リ取引所の

1

カ月の支払延期 の及ぼ した影響、第

2

はケインズに代表 される見解 で、証券買入れの 外国人の既存債務 と株式銀行 のロン ドン株式取引

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河合正修 第一次大戦勃発直後のロンドン株式取引所崩壊の原因をめ ぐって 73 第1表 ロン ドン株式取引所上場証券の当日の平均価格 種 類 Jul19y814 Jul19y2142 Jul191y247 Jul19y3140 J1の下落率%9ul14y2平均価格2-30 イギ リス公債21/2% コンソル公債 753/. 751/2 721/2 70 -7.2 23/4% ア イル ラン ド土地保証債 751/2 751/2 72 71 -5.9 3% 地方 自治体 債 85 85 83 83 -2.4 31/2% イン ド億 893/. 891/. 86ソ2 86 -3.6 3%首都水道債 82 82 82 80 -2.4 4% ロン ドン港債 3% グラス ゴ債 (1921) 外 国政府債4% オー ス トリア金債 898411/2/2 98741/2 8962 974611//22 -2.-9.56 41/2% ブルガ リア債 (1909) 82 82 80 80 -2.4 3% フ ランス土地億 821/2 81 77 1/2 761/2 -5.6 3% ドイツ公債 76 75 731/2 72 -4.0 4% ギ リシア 513/4 50 49 48 -4.0 4%- ンガ リ金債 791/2 79ソ2 76 731/2 -7.5 31/2 イタ リア公債 94 94 93 91ソ2 -2.7 41/2% 日本政府債(ス ター リング) 947/8 943/4 931/2 89 -6.1 4%ノル ウエ公債 99 99 99 981/2 -0.5 4% ス ウェー デ ン令債 84 84 84 84 -.・.. 41/2% ル」マニア公債 92 921/2 92 92 -0.5 ペ ルー企業 (優 先株 ) 383/. 371/2 311/; 28 -25.3 5% ロシア公債 (1906) 1021/2 1021/; 98 93 -9.2 4% セル ビア公債 781/2 761/2 67 67 -12.4 4% トル コ公債 81 81 80 78 -3.7 鉄 道債券グレー ト .ウエス タン 115l/4 1143/. 1123/4 1081/2 -5.4 ロン ドン .ノー ス ウエス ト 127 127ソ2 1243/4 121 -5.1 ミッ ドラ ン ド 721/1 711/4 673/. 63 -ll,6 カナ ダパ シフィ ック 1981/2 191 _176 166 -13.1 グラム ド .トラン ク 363/4 331/4 30 26 -21.8 南 パ シフ ィ ック 993/4 983/. 94 86 -12.9 ユニ オ ンパ シフ ィック その他証券セ メン ト連合会社 165019//1.6 16521/2 1555ソ」 1157 -2-4.7.85 ブ ラジル取 引会社 781/2 741/2 65 58 -22.1 - ドソン湾会社 812/16 83/16 73/. 71/2 -0.1 マル コル会社 21/4 21/16 17/8 19/16 -0.2 シェル輸送会社 431/32 49/16 41/.6 37/8 -0.1 リオ .テ ィン ト会社 687/8 67ソ2 62ソ2 54 -20.0

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74 珪町大学 紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 所に対す る貸付 の回収 である。 ケインズは第

1

の 見解 をとりつつ も、第

2

の見解 を強調 している。 第1の見解、第2の見解 も、 ロン ドン証券取引 所の証券売却についてふれているけれ ども、一体 その規模 が どの程度の ものであるかについてはっ きりさせ ていない。 ロン ドン株式取引所の証券価 格の下落が、 どの程度の ものであるかについては Fバンか-ズ・マガジン』が算定 しているが、『バ ンカー ズ ・マガジン』は証券価格の下落率 を根拠 に積極的な見解 を展開 していない。最近、『バ ンカ ーズ ・マガジン』の資料 を根拠に、積極的な見解 を示 しているのが、テレサ ・サーボ-ネ (Teresc Seaboune)である。彼女は "The Summer of 1914.〟in

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で次のように述べている。「戟争の も つ金融的意味は、世界の株式市場で最初に感 じら れた。 そこでは、国際的に取引された証券の巨額 な売却が証券価格 を下落に導いた。政治的緊張が 高まるにつれて、売却が増加 した。次いでこれは 正常な金現送点の範囲 を越えて外国為替市場の散 漫な変動 を起 しは じめた。数 日の事態の うちに、 外国の証券取引所が引続いて取引を停止 した。外 国為替 レー トは純粋 に名 目的 とな り、国際送金の 仝制度 と、 したがって国際信用は麻痔状態に落ち 入った」 (24) とし、 オース トリア とセルビア との間の関係が 悪化す るにつれて、戦争の可能性が増大 して、 こ の結果は一層確かな ものになるにつれて、人々は 金融 リス クを計算 しは じめ、金融 リス クにみずか ら備 えたであろ う。人々は国際的に取引された大 量の証券 を売却す るこ とによってこのことを行 な った。 7月25日、土曜 日のオース トリアのセルビ アに対す る最後通告は、決済繰 り延べが回収 され るであろ うとの うわさと一致 していた。 7月30日 (木)、 ロン ドン、ニュー ヨー ク、パ リを除 く主要 な証券取引所は閉鎖す るの を余儀 な くされた。 こ れ らの閉鎖はロン ドン株式取引所に対す る証券売 却の殺到 をもた らした。勿論、証券売却 を通 じて スター リングを得 ることは、依然可能であった。 このことは外国為替相場がイギ リスに順に動 いた 事実か らあきらかである

。 7

月の先週、 ロン ドン 株式取引所の証券売却量は株式価格に重圧 をもた らした。7月20日と30日の間に、387の代表的な証 - 22 -券の価値は記録的な1億8,799万2千 ポン ド、 ぎっ と5.6% と下落 した。10日間の5.6%の下落は正常 な月毎の相場の動 きと比較すれば相当な ものであ った。すでに市場が沈滞 した時に5.6%の下落が訪 れた。 (第2表参照) サー ボ-ネはまたイギ リスの株式ブロー カが 多 量の資金 を外国取引先か ら借入れ、その半ば を証 券の買入れに使 ったが、これ らの額は7月末に満 期 となる決算 日の末に返済 され ると予想 した。 し か しなが ら、外国証券取引所の閉鎖、その他の諸 国の完全且つ部分的モラ トリアムの負担、最終的 にはパ リの決済が8月31日に延期 され るとい う知 らせが外国取引先か らのこのような債務 を返済で きないことに した。株式市場の送金の破綻は多 く のブローカを困難な状態においた。 なぜ なら、彼 等は証券 を担保 として用いなが ら彼等の取引先の ために証券の購入に金融をつけ るために資金 を借 り入れ てい たか らであ る。資金借 入れの総額 は 8,100万ポン ドと報告 されたが、その うち4,000万 ポン ドが株式銀行によって貸 し付け られ、 さらに、 2000万 ポン ドがその他のイギ リスの銀行 とイギ リ スの海外銀行 とか ら貸 しつけ られ、 さらにその残 りは非銀行部 門か ら貸 し付け られた。 この資金の 大部分 は証拠金 を払って貸付け られた。 そのため に担保が差 し出さねばならなか った。 そ して借 り 入れの市場価値 を10%ない し20%上回って維持 さ れた。 7月の二 、10日間の証券価値の急速な下落 はこの証拠金 を浸食 した。 したが って、民間銀行 は コールを回収す るか、よ り高い証拠金 を積みは じめた。銀行の要請に応 じて、 ブロー カ達 は彼 ら の保有す る金縁証券の幾分か を売却す るよう余儀 な くされた。それは不可避的に証券価格 を一層引 き下げた。か くして、ロン ドン株式取引所は緊張 に耐 えられな くな り、 7月31日に、株式市場の閉 鎖 を決定 した(25)と述べている。 以上、テレサ ・サーボ-ネは ロン ドン株式取引 所の証券価格が7月20日か ら7月30日までの下落 で証券の市場価値 を1億8,790万 ポン ド喪失 させ、 その下落率5.6%が 自己の算定 に よる過 去の変化 率か らみて もあさらかなように大戦前にみ られな い ものであった としている。 (第3表参照) ところで、『バ ンカー ズ・マガ ジン』 (1914年号)

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河合正修 第一次大戦勃発直後のロン ドン株式取引所崩壊の原因をめ ぐって 75 第2表 ロン ドン株 式取 引所の証券価値 の変動(1914.7.20-1914.7.30) (単位 :千 ポン ド) 名 目 額 種 類 市 場 価 額 比 較 増 減 率 1914.7.20 1914.7.30 堰 減 £ 862,786 イ ギ リ ス . イ ン ド 公 債 6£90,355 6£46,101 £60 4£4,254 - 6.4 52,250 市 自 治 体 債 45,812 45,137 675 - 1.5 82,850 植 民 地 政 府 債 79,288 78,697 591 - 0.7 18,250 市 自 治 体 債 (植 民地 と外国 ) 16,479 16,214 265 -1.6 881,950 外 国 政 府 債 746,677 699,155 47,522 - 6.4 310,750 イ ギ リ ス 鉄 道 普 通 株 269,513 255,866 13,647 - 5.1 133,500 社 債 券 116,066 112,866 3,200 - 2.8 149,500 優 先 株 128,168 124,483 3,685 - 2.9 26,000 イ ン ド 鉄 道 債 25,366 25,229 137 - 0.5 88,400 イ ギ リ ス 保 護 領 鉄 道 債 83,686 76,377 7,309 - 8.7 346,000 ア メ リ カ 鉄 道 株 346,085 318,335 27,750 - 8.0 178,000 金 偵 券 167,425 166,050 1,375 - 0.8 63,940 外 国 鉄 道 58,645 55,174 3,471 - 5.9 29,338 イ ギ リ ス 銀 行 株 182,650 177,514 5,136 - 2.8 10,175 植 民 地 銀 行 株 20,657 20,007 650 - 3.1 15,420 半 外 国 銀 行 株 - 34,958 32,438 2,520 - 7.2 15,900 醸 造 株 20,040 19,847 193 -1.0 9,000 運 河 港 湾 5,040 4,960 80 -1.6 36,701 産 業 株 81,662 77,063 4,599 - 5.6 3,180 電 燈 電 力 4,021 3,986 35 - 0.9 7,120 土 地 投 資 株 21,537 20,877 660 - 3.1 28,635 ガ ス 債 33,290 32,190 1,100 - 3.3 5,390 保 険 株 40,606 39,057 1,549942 - 3.8 ll,910 秩 . 石 炭 -. 鉄 鋼 株 20,796 20,856 + 0.3 7,200 始 舶 株 14,546 13,604 - 6.5 8,885 電 信 電 話 10,542 10,462 80 - 0.8 4,970 軌 道 . 乗 合 自 動 車 5,516 5,501 15 - 0.3 2,715

道 2,854 2,789 65 - 2.2 20,704 南 ア フ リ カ 鉱 山 株 55,458 45,699 9,759 -17.6 9,703 銅 鉱 山 株 41,208 34,766 6,442 -15.6 3,424 種 々 の 鉱 山 株 1,763 1,417 346 -19.7 60 188,052 純減 少率- 5.6

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76 長野大学 紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 第3表 サーボーネの算定による株式価額 月 日 価 額 £ 増 減 £ 変 化 率 % 1912 12 19 1913 1 21 - 3,3,55326,9,18560,6,000000 + 12,316,000 +0.35 1913 2 19 3,491,232,000 - 47,934,000 -1.35 1913 3 19 3,463,139,000 - 28,093,000 -0.80 1913 4 21 3,496,540,000 + 33,401,000 +0.96 1913 5 20 3,485,174,000 - ll,366,000 -0.32 1913 6 20 3,396,940,000 - 88,234,000 -2.53 1913 7 21 3,385,737,000 - ll,203,000 -0.33 1913 8 20 3,416,924,000 + 31,187,000 +0.92 1913 9 21 3,434,506,000 + 18,582,000 +0.54 1913 10 20 3,379,311,000 - 56,195,000 -1.62 1913 11 21 3,364,047,000 - 15,264,000 -0.45 1913 12 18 3,341,085,000 - 22,962,000 -0.68 1914 1 20 3,389,478,000 + 48,393,000 -+1ー43 1914 2 20 3,455,452,000 + 65,974,000 十1.97 1914 3 20 3,407,840,000 - 47,612,000 -1.38 1914 4 20 3,406,191,000 - 1,649,000 -0.05 1914 5 20 3,385,562,000 - 20,629,000 -0.61 1914 6 20 3,383,128,000 - 2,434,000 -0.07 1914 7 20 3,370,709,000 - 12,419,000 -0.67 1914 7 30 3,182,717,000 -187,992,000 -5.58 1915 1 20 3,114,027,000 + 68,609,000 -0.35 1915 2 19 3,092,243,000 - 21,784,000 -0.70 1915 3 20 3,017,660,000 - 74,583,000 -2.41 1915 _4 20 3,053,496,000 十 35,836,000 +1.19 (出所) Bankers'Magazine,vol.XCVII,ⅩCVIII.Nos.838-54,January1914-May1915. は1907年 1月に最初 に掲載 した証券 リス トの価値 額 と1914年7月30日の証券 リス トの市場価値額 と を比較 しているが、 それによれば1907年1月21日 の証券 リス トの価値額 は38億4,317万7千 ポン ド、 1914年 7月30日の 証 券 リス トの 価 値 額 は31億 8,271万7千 ポン ドであったか ら、 この間の捻収縮 顔 (価値喪失額)は、6億6,046万 ポン ドであった。 (第4表参照) この 7年 間の下 落率 は17.2%で あった。 この よ うに、証券価値 の下落は依然か ら 続 いていたが、1914年2月20日の証券価値額34億 5,545万2千 ポン ドに比 して1914年7月30日の証券 価値額 は31億8,271万7千 ポ ン ドで2億7,273万5千 ポン ドの価値喪失 を示 し、 その下落率 は7.89%で ほぼ 1割近 くが わずか5カ月間に喪失 した。 この 5カ月間の うち、 2月20日か ら 7月30日の価値喪 -24 -失額 がわずか3,483万3千 ポン ドであったのに対 し て1914年7月20日か ら 7月30日の11日間の市場価 値 喪失額 は1イ意8,799万2千 ポ ン ドと約5.4倍 にの ぼ る。 この間の証券価格 の暴落が いかにす さま じ か ったかがわか る。 またこの間の市場価値喪失額 が民間銀行 の ロン ドン株式取 引所 に対す る短期貸 付8千万 ポン ドを上 回っているこ とか らもいかに 大 きな影響 をロン ドン株式取引所 と民間銀行 なら びに外国銀行 に及ぼ したかがわか るであろ う。 ま た民間銀行 の ロン ドン株式取 引所 に対 して貸付 け た額8千 ポン ドが民間銀行 (ロン ドン手形交換所 加盟飯行)の総貸付額 の うち どれほ どの割合 を示 していたか、且つ民間銀行 (ロン ドン手形交換所 加盟飯行) の流動資産の どの程度 の割合 であ り、 7月20日か ら 7月30日の証券価値喪失額 とどの よ

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河合正修 第一次大戦勃発直後のロン ドン株式取引所崩壊の原因をめ ぐって 77 第4表 ロン ドン株 式取 引所 の証 券価値 の変動(1907.1.21-1914.7.30) (単位 :千 ポン ド) 名 目 額 種 類 市 場 価 額 比 較 増 減 率 1907.1.21 1914.7.30 増 減 £ 862,786 イ ギ リ ス . イ ン ド 公 債 8£04,364 6£46,101 5,5,£411082 15£8,263 -19.7 52,250市 自 治 体 債 48,830 45,137 3,693 - 7.6 82,850植 民 地 政 府 債 84,586 78,697 5,889 - 7.0 18,250.市 自 治 体 債 (植民地 と外国 ) 17,277 16,214 1,063 - 6.2 881,950外 国 政 府 債 810,785 699,155 111,630 -13.8 310,750 イ ギ リ ス 鉄 道 普 通 株 309,153 255,866 53,287 -17.2 133,500社 債 券 136,360 112,866 23,494 -17.3 149,500優 先 株 151,850 124,483 27,367 -18.0 26,000 イ ン ド 鉄 道 株 28,840 25,229 3,611 -12.5 88,440 イ ギ リ ス 保 護 領 鉄 道 債 95,945 76,377 19,568 -20.4 346,000 ア メ リ カ 鉄 道 株 438,520 318,335 120,185 -27.4 178,000 金 債 券 179,050 166,050 13,000 - 7.3 63,940 外 国 鉄 道 69,952 55,174 14,778 -21.1 29,338 イ ギ リ ス 銀 行 株 185,977 177,514 8,463 - 4.5 10,175 植 民 地 銀 行 株 21,191 20,007 1,184 - 5.6 15,900 醸 造 債 20,886 19,847 1,039 - 5.0 9,000 運 河 港 湾 5,469 4,960 509 - 9.3 36,701産 業 株 85,509 77,063 8,446 - 9.9 3,180電 燈 電 力 4,360 3,986 374 - 8.5 7,120土 地 投 資 株 24,264 20,877 3,387 -14.0 28,635 ガ ス 債 34,782 32,190 2,6,582139892847 - 7.5 5,390保 険 株 33,639 39,057 +16.1 ll,910秩 . 石 炭 . 鉄 鋼 株 27,094 20,856 -23.0 7,200船 舶 株 8,502 13,604 +60.0 8,885電 信 電 話 ll,346 10,462 - 7.8 4,970軌 道 . 乗 合 自 動 車 5,444 5,501 + 1.1 2,715

道 2,986 2,789 - 6.6 20,704南 ア フ リ カ 鉱 山 株 87,737 45,699 42,038 -48.0 9,703 銅 鉱 山 株 56,600 34,766 21,834 -38.6 3,424種 々 の 鉱 山 株 10,665 1,417 9,248 -86.5 10,577 6711,0,053777純減 少率-17.2

(12)

78 長野大学紀要 第13巻 第2・ 3号合併号 1991 うな関係 にあ ったか、 この11日間の証券価格 の下 落の衝 撃度 を確 認 してみ よ う。次 いで ロン ドン手 形交換所加盟 銀行 の保有証券 に どれほ どの影響 を 与 えたか、 これ に よって ロン ドン手形交換所加盟 銀行利益 金 はいか な る影響 を受 けたか を検 討 しよ

う。

まず ロン ドン株式取 引所 に対す る民間銀行 の貸 付 が民間銀行 の絵貸付 の どの程度の割合 を示 して い るかであ るが、民間銀行 の総貸付 は

1

9

1

4

7

月 未の統計数値 が得 られ ないの で これに近 い もの と して6月30日の数値 でみ る と、3億9,168万 ポン ド であ り、 (第

5

表参照)この うち約

8

千万 ポ ン ドな い し1億 ポン ドが ロン ドン株 式取 引所 に対 して貸 付 け られて い る と推定 されてい るか ら、低 く見積 って8千万 ポン ドが ロン ドン株 式取 引所 に貸付 け られ た とみ て、 ロン ドン手形交換所加盟 銀行 の総 貸付額 の約20%が ロン ドン株 式取 引所 に対 して貸 付 け られて い るこ とにな る。 これはか な りの比率 であ る。何 故 な ら、 ロン ドン手形交換所加盟銀行 の総 資産 の56.85%が貸付 け に よ って 占め られ て いたこ とか らもあ きらかであ るか らであ る。 また 加盟銀行 の流動 資産

(

1

9

1

4

.6.

30現在 ) は、 コ 第

5

表 手形交換所加盟銀行貸借対照表

(

1

9

1

4

.6.

30) (単位 :ポン ド) 負 債 加 盟 銀 行 払込資本金 銀行 券流通と 準 備 金 預 金 .当 座勘 定 引 受 手 形と 裏 書 利 益 金 そ の 他 総 負 債 パー クレ銀行 3,600,000 1,600,000 61,740,267 322,131 140,670 332,9.487957 67,403,068 キャ ピタル .カン トリー ズ銀行 1,750,000 800,000 40,858,543 1,680.206 103,450 45,219,199 グ リー ン .ミル ズ .カ リイ銀行 1,000,000 500,000 17,617,544 1,280,408 106,968 20,504,920 ロイズ銀行 5,008,672 3,600,000 106,895,364 3,890,279 426,487 119,820,000 ロン ドン二カン トリ .ウエス トミンスタ銀行 3,500,000 4,000,000 90,865,122 6.384,965 270,549 105,353,123 ロン ドン .サ ウス ウエス タン銀行 1,200,000 1,350,000 21,552,133 1,031,269 977,133 26,110,535 ロン ドン .シテ ィ .ミッ ドラン ド銀iT 3,700,000 4,348,650 94,636,061 7.353,110 391,378 110,429,199 ロン ドン株式銀行 2.970,000 1.125,000 37,107,348 2,380,076 252,156 43,834,580 マー テ ィン銀行 500,000 185,000 3,151,278 327,863 42,137 4,206,278 ナ シ ョナ ル親行7p 1,500,000 1,288,242 14,470,362 91,496 522,154 17,882,211 ナ ン ヨナ ル ロヴ イ /ンアル銀†T ユニ オ ン .ス ミス銀行 3,3,000,554,000785 2,1,000,150,000000 71,41,1355,33,338157 4,756,694,443369 433,93,046027 49.450 76,51,920.298,734881 合 計 31,283,457 21,946,892 601,409,517 30,192.615 3,759,155 391,894 688,983,530 (単位 :ポン ド) 資 産 加 盟 銀 行 手元現金行預 け金ラン ド銀とイング マネ と短期通知貸コ-Jレ. 手形割 引割 引 と 貸 付貸付 政府証券投 債券.その他投資資 株式と 引受 手形と 裏 書 店 舗 稔 資 産 バー クレ銀行 9.029.178 6,779,500 8,636,251 27,762,844 4,268,784 8,829,845 322.131 1,774,535 67,403,068 キ ャ ピ タル .カ ン トリーズ銀行 6,347,859 6,517,391 b 24,258,656 2.743,599 2,626.015 1,680,206 1.045,473 45,219,199 グリ-ン.ミルズ.か )イ銀行 2,854,103 4,607,230 b 8.523,737 912,298 1,957.144 1,280,400 370.000 20,504,920 ロイズ銀行 18,191,315 10,579,709 14,506.335 56.839,921 5,083,285 7,801,651 3,890,279 2,928,307 119,820,802 ロ ンドン一カ ン トリ .ウエス トミンス タ銀行 12,499,529 13.668,407 19,228,085 42.026,669 5,364,786 4,309,957 6,384,965 1,871,325 105,353,123 ロ ン ドン .サ ウス ウエ スタン銀行 3,403,016 3,226,566 2,955,032 10,514,975 1,854,884 i.994,984 1,031,269 1,129,809 26,110,535 ロン ドン .シティ .ミッ ドラン ド銀行 15,128.192 12,510,356 10,230,300 54,081,382 3,246,713 5,589,984 7,353,110 2,290,162 110,429,199 ロン ドン株 式銀行 5,844,875 5,481,499 5,931.247 16,745,531 2,418,062 3,987,546 2,380,076 1,045,744 43,834,580 マー ティン銀行 836,966 538,900 831,221 1,015,430 260,300 203,598 327,863 132,000 4,206,278 ナ シ ョナル銀行 2,101,023 2,677,046 3,163,073 7.228,334 1,768,030 556,634 91,496 296,575 17,882,211 ナ シ ョナ ル 7○ァル銀行 ロヴ イ ンシ 10.741,441 5,466,412 b 45,431,402 6,257,310 1,014,169 694,369 1,315,631 76,920,734 ユ ニオン .ス ミス銀行 6,485,371 6,911.549 6,155,620 18,228,543 1.733,425 5,097,217 4,756.443 1,930,843 51.298,881 合 計 93,462,868 78,964,565 71,637,164 312,717,424 35,911,296 49,967,194 30,129,615 16,130,404 688,983,530

(出所) TheEconomi st'sBankingSettlementandtheBankers'Magazine

(13)

-河合正修 第一次大戦勃発 直後の ロン ドン株式取 引所崩壊 の原因 をめ ぐって -ル及び短期通知貸の7,896万4,565ポン ド、手形 割引7,163万7,164万 ポン ド、手元現金 とイングラ ン ド銀行預 け金9,346万2,868ポ ン ドの合 計 2億 4,406万4,597ポン ドであるか ら、 この流動資産 に 対す る民間銀行の ロン ドン株式取引所に対す る貸 付比率 は約33%でかな りのウェイ トを占めている わけである。 ロン ドン株式取引所に対す る民間銀 行貸付8千万 ポン ドが、 7月31日の株式取引所 の 閉鎖 によって回収不能に落 ち入ったことは、 ロン ドン手形交換所加盟銀行 をして驚惜状態にさせ る に十分 であった。 この11日間の証券価値喪失額

1

億8,799万 ポン ドは ロン ドン手形交換所加盟銀行 の流動資産比率の

7

7

%

を占めたことか らもうかが われ るように、1914年7月末のロン ドン株式取引 所の証券価格 の暴落がいかにす さまじい ものであ ったか を明 らかに している。 また7月20日か ら 7月30日の11日間の証券価格 下落率5.6%の影響受けて、手形交換所加盟銀行の 総投資 (イギ リス政府証券 +債券 +株式+その他 投 資) は8,587万8,490ポン ドか ら実質 上8,106万 9,295ポン ドに減少 し、過去の480万9,195ポン ドの 投資 をふいに したわけである。 これはまたこれ ま でに営々 と築 いて きた利益金375万9,155ポン ドを 優 に帳消 しにす るものであったのである。 またこ の11日間の ロン ドン株式取引所の証券価値 の喪失 額1億8,799万 2千 ポン ドは ロン ドン手形交換所 加盟銀行 の証券投資額8,587万8,490ポン ドをも凌 駕す るものであった。 以上の分析か ら判明 したように、第一次大戦の 勃発 によるロン ドン株式取引所の証券価格の暴落 は、 ロン ドン株式取引所 を恐慌状態に陥 し入れ、 民間銀行 をして震感た らしめ るほ どの民間銀行の 保有証券 に甚大 な打撃 を与えた。か くして、 この 11日間の ロン ドン株式取引所の証券価値 の下落は 株式銀行 にロン ドン株式取引所に対す る貸付 回収 や閉鎖圧 力 を加 えるに十分 であった と想像 させ る にかた くないのである。 このことは ソンネな らび にケインズの第

2

の見解が妥当な ものであったこ とを立証 してい る。 (かわい まさのぶ 教授) (1990.10. 7受理) 79 [注]

(1) TheBankers'insuylanCeManagey:S'andAgents

MagaZine,pp.32ト322.

(2) E.V.Morgan,StudiesinBn'tishFinancialPol -icy1914-25,Macmillan.London1952,p,4. (3) TeresaSeaboune,"TheSummerof1914",in

FinancialCn'sesandtheWorldBankingSystem. p.88.

(4) R.S.Sayers,TheBank

o

fEngland18911944,

CambridgeUnivesityPress.London1976,p.94. (5) ErnestSykes,"SomeeffectsoftheWaronthe

LondonMoneyMarket,"inJournal

o

ftheInsti -tu

t

eo

fBankey:S.pp.73-74.

(6)A.W.Kirkaldy,Bn'tishFinance1914-21,Sir lsaacPitman.London1921,p.2.

(7) HartreyWithers,WarandLombardStyleet,J. Marray.London1918,p.18.

(8) 良.G.Hawtrey,A Centu

7

yO

fBankRate,Frank Cass.London1962,p.124.

(9) W.S.Schwabe,EHect

o

f

War on stock ExchangeT71anSaCtions,Effingham wi1son,Lo n-don1915,p.1.

(10)H.C.Sonne,Thec砂 .pp.1ト12.

(ll)W.F.Spalding,TheLondon Money Mayket, Effingham Wilson.London1915,p.182.

(12)ClaphamSirJ,"AccountofthefinancialCrises inAugast1914,"in SayersR.S.TheBank

o

f

England18911944.Appendix3.CambridgeUni -versityPress.1976,p.31.

(13)E.V.Morgan,StudiesintheBn'tishFinancial Policy.Macmillan.London.1952,pp.5-6. (14)Ibid,pp.4-5.

(15)MarcellodeCecco,MoneyandEmpire,Basil Blackwell,oxford.1974,p.142.

(16)FrankL.Mcvey,TheFinancialHistot7y Of

GyleatBritain,1914-18,oxfordUniversityPress. New York.1918,p.8.

(17)William Adam Brown.Jr,Theinternational Gold Standwd Reinteゆyleted1914-34.VoL.I. AmsPress.New York.1940,p.13.

(18)J.M.Keynes,"War and FinancialSystem August1914,"inEconomicJoumalXLVppA601 463.

(14)

80 長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991

(19) J.M.Keynes,"EconomicArticleand Corre -spondenceAcademic,"intheCollected Writings ofJohnMaynwdKeynesXI.Macmillan.Cam・ bridgeUniversityPress,p.289.

㈹ Ibid.pp.287.

CH) TheEconomistVOL.Lxxix.p.219. C22) TheEconomnist.VOLLxxix.p.220.

CZ3)TheBankers'inswanceManLqerS'andAgents MqazineSeptember,1914.No・846,p.322.

糾)TeresaSeaboune,"TheSummerof1914,"in

FinancialCrisesandtheWorldBankingSystem.

p.77.

位5)Ibid.,pp.88-90.

参照

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