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経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 後編 : 付加価値と利潤の違い 利用統計を見る

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経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離

後編:付加価値と利潤の違い

A Difference between Economic Theory and Structure of Economic Circulation : Part2

宇 多 賢治郎

Kenjiro UDA

キーワード:経国済民、貨殖、付加価値、利潤、国益 1.はじめに

 Albert Einstein “We can't solve problems by using the same kind of thinking we used when we created them.”

 前編では、「経済」の語句と構造の変化の流れを示し、次にミクロ、マクロの両経済学の基礎理論で は中間財が軽視されていること、それは生産工程の国際分業と中間財貿易の増加といったグローバル化 の現状の説明には適さないことを説明した。  本稿、後編では、マクロ経済学の付加価値とミクロ経済学の利潤、現実の企業会計の「利益」の定 義を比較し、ミクロ経済学の「貨殖」、つまり金儲けを前提とした政策提言が、国民経済に及ぼす影響 を示す。そのため本稿では前編に引き続き、自身が儲かることを意味する「利」に対する意味として、 「益」を「人や世の中の役に立つこと。ためになること。」という意味で用いる2 。そのため「収益」や「私 益」といった表現は、名詞がそうなっている場合を除き、用いない。 2.ミクロ経済学の利潤最大化 2-1.ミクロ経済学の利潤  まず、ミクロ経済学の理論を整理する。ミクロ(Micro)とは、これ以上分割できない状態にしたも のを指し、経済学では社会の構成する要素をミクロの規模にまで分けたものを、「経済主体」と呼ぶ。  その一つである「企業」は、自らの利潤を最大化することを目的に生産活動を行うと定義されている。 この利潤πの一般的な関数形、入門書に記されることの多い式は、次のようになる。 π = p Q – C ( )  各企業の生産額は、価格p と生産量 Q の積である。C は費用額(cost)を表し、一般的には C(Q)、 つまり生産量Q によって変化するものと考えられるが、ミクロ経済学では必ずしも費用は生産量の関 数ではないため、ここではC( ) と表現してある。  次に、利潤関数の一つである、「生産性」(Productivity)を説明する際の前提となる式を説明する。 π = p F(K, L) – (r K + w L)  「生産性」とは、生産活動に対する生産要素の寄与度、または利潤を産出する際の効率を指し、例え

山梨大学(教育人間科学部 准教授)kuda@yamanashi.ac.jp、研究紹介 Web サイト(http://www.geocities.jp/kenj_

uda/)

本稿の執筆の際、静岡産業大学の牧野好洋准教授、立正大学の石田孝造名誉教授から貴重なご意見をいただいた。 また、本学部皆川卓准教授には、貴重な文献を紹介していただくなど執筆の際、大変お世話になった。ここに記 して感謝申しあげる。なお本稿の文責は、全て筆者に帰す。

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L は概念的な量であり、実際の計算で労働投入時間を用いるか、従業者数を用いるかは定義次第である。 4 「企業所得」と「財産所得」に分ける方法と、利潤と資本報酬に分ける方法は定義が異なるものであるため、二つ の分け方をまとめて説明するのは困難である。 5 定義の違いにより、明確に線引きができないため、ここでは「相当する」という表現を用いている。 ば「労働生産性」ならばπ ÷ L つまり、利潤を労働投入量で除すことによって求める3 。この式の関数 F(K, L) が示すように、生産量はとにかく資本投入量 K と労働投入量 L によって決まる、とだけ定義さ れている。一方、費用C は r K + w L と定義されている。この費用は前編の図1の付加価値の分配の項 目では、賃金w ×労働量 L は「雇用者報酬」、利子率 r ×資本投入量 K はいわゆる「資本報酬」の一部 に相当する4 。資本生産性の議論で費用とされる「資本報酬」とは、具体的には「固定資本減耗」と支 出面で計上される「投資」と考えられる。このことから、残る利潤は「財産所得」と「企業所得」の合 計から、その企業への投資分を引いたものに相当することになる5 。  また、生産性の議論に用いられている費用関数C= r K + w L は一般均衡理論と、それに統計データ を組み込み計算可能にした応用一般均衡理論では、そのまま「家計」の所得になると定義されている。 つまり、ミクロ経済学の生産性の議論では、マクロ経済学で定義された「付加価値」の内、「家計」の 取り分を費用とみなしていることになる。  なお、ミクロ経済学では利潤は完全競争ではゼロになるという説明に対し、本稿ではそれは「企業」 が得る利潤がゼロであるという意味ではないという立場を採る。つまり、もしも他産業に比べて儲かる ことがあっても、完全競争の世界ではすぐに知れ渡り、利潤を求めて他企業の参入や起業が生じるため、 すぐに他の産業と同程度しか儲からなくなってしまうという、相対的な意味であるとする。そもそも、 産業内の各「企業」は価格=限界費用、つまりこれ以上生産を追加しても利潤が得られなくなるギリギ リまで生産活動を行うため、生産活動総体では利潤は生じることになっている。そうでなければ、現実 では生じているはずの利潤と、その分配を得る人の稼ぎを無視した説明をしていることになる。  また、ミクロ経済学では税金も費用として扱う。このことは、例えば公共経済学や環境経済学の理論 書でミクロ経済学を前提に説明がされる箇所で示されている。つまり、企業に対し税金(間接税)が課 せられると、限界費用から導かれた供給曲線は押し上げられるという説明がされる。 2-2.企業の損益計算  次に、ミクロ経済学の「企業」のモデルであるはずの、現実の企業で用いられている「損益計算」の 定義を見る。ただし、マクロ経済学の「付加価値」、ミクロ経済学の「利潤」との概念の比較を目的と するものであり、説明で語弊をもたらさないと思われる定義の相違は無視する。 「損益計算」の定義は、次のようになる。 売上総利益 = 売上 - 売上原価(原材料費) 営業利益  = 売上総利益 - 販売費及び一般管理費(給与や保険料等、当期の費用) 経常利益  = 営業利益 + 営業外収益(所有する不動産の家賃収入や受取利息等)         - 営業外費用(支払利息)  これらの式から、ミクロ経済学の定義する「企業」と現実の企業の違いは、「売上原価」つまり中間 財を費用と計上することと、内訳の違い程度であることが確認できる。また、マクロ経済学の「付加価 値」との大きな違いは、ミクロ経済学と同じく「労働者報酬」が「一般管理費」に含まれていること、 つまり費用として扱われていることである。 2-3.利潤と付加価値の違い  これまでの説明を踏まえ、マクロ経済学の「付加価値」、ミクロ経済学の「利潤」、現実の「損益計算」 の「営業利益」の違いをまとめたものが、図1である。

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井沢(1993)p.18 では、当たり前なことは記録されないことから、その時代の当たり前であった事柄が記載され ない歴史的資料を、現在の当たり前で解釈する方法論の危険性を説明している。  この図1から、企業が生産活動の成果とする「利潤」や「経常利益」を合わせても、「付加価値」に はならないことが確認できる。つまり、国民のWelfare を示す「付加価値」の一部である、「家計」と「政 府」の取り分は「企業」にとっては費用であり、それを減らすとことが、「企業」の「経営」的主観か らすれば合理的かつ「自然」(じねん)、つまり当たり前な行動であることが確認できる。  このように、「家政」的な立場から「経国済民」、国民の受ける益という意味での「国益」を追求する 理論であるマクロ経済学と、ミクロ経済学の「企業」という貨殖を追及する経済主体の説明は、基本理 念から大きく異なっているものであることが確認できる。 3.ミクロ経済学の時代適応性 3-1.利潤最大化と効用最大化が循環する条件  一方、既に指摘したようにスミスも、領主が自身の「利」、つまり「貨殖」を目的とし、「国民益」や 国内経済をないがしろにする重商主義を批判していた。しかし、今日のミクロ経済学の基礎理論では、 利潤最大化のため、費用である家計の所得となる「雇用者報酬」を最小化する行動を合理的としている。 このような、スミスの主張とその発展系であるはずのミクロ経済学の基礎理論に乖離が生じた理由の一 つに、前編の冒頭で取り上げた、社会科学という研究分野の性質が考えられる。つまり、理論が体系化 された当時の状況と、時間が経ち変化した現在の状況が乖離したことにより、理論が現実を説明するの に適さなくなったことによるものである。  このことは「企業」形態の変化を捉えることで明らかになる。ミクロ経済学の基礎理論では、「企業」 は利潤を最大化することが目的と説明されてものの、それではなぜ利潤を最大化するのかということ は、説明されていないようである。しかし、理論が作られた 18 世紀当時の経済構造を捉えれば、理論 で説明されなかった利潤最大化の本来の「目的」が自然(じねん)であること、つまり書く必要がない ほど「当たり前」だったということが推察できる6 図1 価値の違い

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 そのため、まずスミスの時代、つまり産業革命初期の家内制か工場制の手工業であった「企業」の生 産形態に基づいた「貨殖」を説明する。その例として、当時の「家族」と、仕事が忙しくなり臨時に雇っ た少数の「よそ者」で構成される、小規模で原始的な家庭内手工業の「企業」を想定する。  このような家族経営の場合は、諸々の経費と「よそ者」である「賃金労働者」に支払った残りが、企 業主である「家族」の報酬となろう。ミクロ経済学では、これを「機会費用」の概念を用い、次のよう に解釈する7。まず労働に従事した「家族」と「よそ者」を区別無く「賃金労働者」とみなす。これにより、 「家父」は「賃金労働者」としての自身を含む「家族」に対し、経営者として賃金を支払うことになる。 その結果、「家」の取り分は、家族の労働に対して支払われた「雇用者報酬」と会社の運営に必要な「資 本報酬」と「利潤」を合わせた額になる。また、当時の初期的な手工業の形態から、「家族」の人数と 賃金は、どちらも「よそ者」のそれよりも多いことが推察できる。  このような場合、「企業」の利潤最大化行動は、「企業」の所有者家族の「家計」の予算の増加をもた らす。また、これにより「企業」の利潤最大化行動は、所得増加による「家計」の予算制約の緩和をも たらし、消費を増加させ、「家計」の効用の増加をもたらすことにつながる。また、「家計」の消費の増 加は需要面から、貯蓄を介した投資は供給面から、「企業」の生産を増加させ、経済循環を以前よりも 大きくさせる、つまり経済成長をもたらすことになる。  当然のことながら、「よそ者」である「賃金労働者」の「家計」は、費用であるため、「企業」の行動 原理から最小化が図られる。つまり、利潤最大化行動が「家計」総体の所得を増加させる経済循環をも たらす要因となるかは、その内訳つまり「賃金労働者」の比率次第であることになる8 。  しかし当時と異なり、「企業」の大規模化と、それに伴う中小企業の廃統合により、今日の「家計」 の多くは「企業」という生産手段を持たなくなっていることから、「賃金労働者」の「家計」は人数で も所得の額面でも多数派であることになる9 。その結果、ミクロ経済学の定義する「企業」の合理的な 行動原理では、「労働者報酬」という費用に対して最小化行動が採られれば、「賃金労働者」の所得は減 少し、それに伴い「家計」の最終支出も減少することになる。この場合、「利潤最大化」は「家計」の 所得増大につながっていた時代とは逆に、経済循環の弱化をもたらす要因となる。  これが、ミクロ経済学が定める「企業」の「自然」(じねん)な行動であり、ミクロな利潤の増加が マクロな国民のWelfare の増加につながらないという、「合成の誤謬」の一因である。そもそもミクロ 経済学の理論では、「賃金労働者」やその「家計」は軽視されてきた。それは経済学の前提となる歴史 的事実、つまり「賃金労働者」の成立の過程、またそれゆえに「賃金労働者」を蔑視する、偏見がある ことと関係があろう。ポラニー(1975)は、土地から追われ都市に流れた者、勤労意欲のある労働者を 貧民とは別に捉えるべきであることを長年、社会が認知できなかったことを問題にしている。またその 指摘の中で、スミスが「工業労働者を、最も貧しい農作人より知的に劣るもの―というのは、後者はふ つうどんな仕事にでもつくことができるから」と説明していたことを取り上げている10 。 3-2.「政府」の行動原理に対する扱い  一方、「政府」の役割も変化している。歴史的に見れば、王侯貴族などの領主、地主による「経国済民」 よりも自身の「貨殖」を優先した運営を行っていた当時の「政府」は、その「貨殖」を新興の資本家達 により非難され、その「貨殖」は制限されていった。つまり、スミスの時代の「政府の介入」とは、権 7 ミクロ経済学の企業の行動原理については、たとえば奥野(1982)p.75 ~ 79 を参照。 8 当然のことながら、経済成長の要因はこの循環構造だけではなく、技術進歩や人口増加などがある。つまり、そ れらの要因に効果がある間は、この問題を覆い隠すことができる。 9 経営者として雇われた「賃金労働者」が、経営評価から他の「賃金労働者」を生産要素、モノ扱いすることで、 自身に対する報酬を吊り上げる行動原理の説明は、今後の課題としたい。 10 ポラニー(1975)、p.124。

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11 この説明は、規制がその作られた意義が失われたのにも関わらず、既得権益として残っているなどの批判が可能

なものがあることを否定するものではない。しかしそのような反論が主張する者、関係する者の利益誘導である こともあり、単純でないのが経済論争、経済学論争の面白いところである。

12 財務省「日本の財政を考える」http://www.zaisei.mof.go.jp/theme/theme3/)

またGDP には、68SNA、平成 17 年基準(93SNA)、平成 17 年基準(93SNA)の三種類の名目額を、データが重 複している 1980 年、2009 年でつないだ値を、便宜上用いた。 力者による「貨殖」のための恣意的な行動であり、それが「重商主義」として批判されていた。これに 対し、今日の国民国家の「政府」の「介入」は、公共財の提供と、「貨殖」のために外部不経済をもた らす様々な行為を「規制」することであり、スミスの時代の「政府」とは性質が大きく異なる11。また、 政府支出の増加の要因の一つに、「企業」が本来持っていた「家族」を守る、社員のWelfare を保障す るという「家政」の責任を放棄し、「貨殖」を目的にする形態に変化したことで、「政府」がその肩代わ りを行う必要が生じたことがあげられる。例えば核家族化が進み共働きが増えれば、以前は家族の誰か が行っていた家事や介護、ごみ収集当番などの賃金換算されない仕事を行う人手が不足し、その肩代わ りを政府に求めれば、政府の支出額はさらに大きくなることになる。 3-3.マクロな分配・再分配機能の弱体  このことを踏まえ、次に 1990 年以降の経済循環構造の変化の内、筆者のこれまでの研究では扱えな かった「付加価値」の分配、再分配機能の弱化の姿を明示する。  まず、政府支出の増加と国の借金増加の説明を検証する。図2は、いわゆる「ワニの口」と呼ばれる 財務省が用いるグラフを再現、加工したものである。  図2では、財務省が説明に用いる 1975 年以降だけでなく、データが取れる 1955 年からのデータを掲 載した。また、国内経済の規模を示すGDP の値と比較できるよう、左図に額を、右図に GDP 比を示 した。財務省は図2左図を用い、「国の財政は、歳出が税収等を上回る財政赤字の状況」が続いている、 と説明している12 。これを国内経済の規模を示すGDP との比である図2右図を使って検証する。  図2右図を見ると、歳出に占める税収は 1970 年代まで8割~9割で推移してきたこと、1970 年代の 二度のオイルショックの時期に6割まで落ち込むものの、80 年以降回復し、90 年には 70 年代前の水 準まで回復していた。これが落ち込むのは 1990 年以降であり、その理由はバブル経済の崩壊とされる。 しかし、この時期に消費税導入に伴う所得税の累進制の緩和、奢侈品・贅沢品に対する物品税の廃止、 法人税減税といった制度の変更がされている。このような税制の変更以降は、好景気でも歳出の6割程 度しか税収でまかなえなくなっていることから、税収徴収能力が低下していることが分かる。  一方、問題とされている歳出を見ると、政府支出の増加が景気対策によるものであることが分かる。 図2 ワニの口の検証(左:金額、右:GDP 比)

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つまり 70 年代のオイルショックによる二段階の増加後に緩やかに減少し、1997 年のアジア通貨危機に 増加後に再び緩やかに減少し、リーマンショックで 20%の壁を越え、また東日本大震災後に再び増加 した経緯が把握できる。これらのことから、我が国の財政は 1990 年の税制度の変更で税収を低下させ たことにより、不景気に対してされる歳出の増加を、好景気時に埋め合わせることができなくなったと いう歳入側、特に税収構造の問題であるという、あまり説明されることのない一面が見えてくる。  次に、このような税制度の変更と、バブル経済崩壊以降の雇用形態の変化により、分配能力の低下、 いわゆる所得格差が生じ、再分配のための政府負担が増加したことを示す。  図3は、所得格差を表すジニ係数の変化と内訳を示したものである。  図3は、政府の再分配によりジニ係数が 0.4 以下に下げられていること、つまり格差の是正がミク ロ経済学の言う「政府の介入」により達成されてきたことを示している。しかし、再分配前の格差は 1980 年まで減少していたのが増加に転じ、特に 1996 年以降は増加が急激になっている。このことは、 賃金支払いを通じた分配機能が低下し、所得格差が増えたことを表している。  また、税による是正の占める割合は下落し、社会保障によって是正される度合いが高まったことが分 かる。なお、図3右図は、ジニ係数の定義が変更され、「税による是正機能」の値が変化したことを踏 まえ、併記したものである。これによると、以前の形式の方が税による所得格差の是正、つまり再分配 機能が相対的に小さくなっていることから、説明に変わりはないことになる13 。 3-4.ミクロな利のための政策提言と経済循環の喪失  次に、1990 年以降のいわゆる「失われた二十年」を打開する、「国益」のためと説明され、提言され ているいくつかの政策論議の意義を、ミクロな「経済」の意味である「貨殖」つまり私的な「利」への 効果と、マクロな意味である「益」、「経国済民」への効果の二つの面から検証する。  まず、長年積極的に主張がされている法人税減税を検証する。法人税減税が主張される際は、減税に より経済は活発化するため、国益にかない、結果的に税金も増えるという説明がされる。この政策は、 確かに私的な「貨殖」をする一部の者にとっては、効果的な方法と評価できる。しかし、マクロには 1990 年代に税収減と所得格差拡大と税金による再分配機能の弱化をもたらしたことは、前述のとおり である14 。 図3 格差を示すジニ係数の検証 13 このように、構造統計は時期によって定義が大きく変更されることがあるため、長期的な時系列的分析を行う場 合は、慎重さが求められる。 14 こういう主張がされる場合、税率を半分にすれば同額の税収を得るには経済の規模が二倍になる必要があるとい う、算数レベルの単純なことが説明から外されることが多いようである。

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15 投入された総労働時間で割る方法もある。 16 法人税と異なり、価格に転嫁できるため、増加に反対しないという説明も可能。 17 仮に「国益」のためと労働生産性を語るのならば、もう他の生産要素である資本生産性や全要素生産性について も触れる必要があろう。しかし、労働生産性の論議は活発であるにもかかわらず、他の二つははるかに少ない議 論しかされていない。例えば、2014 年 10 月 15 日の論文検索サイトCiNii(http://ci.nii.ac.jp/)のキーワード検索の 結果は、労働生産性 1069 に対し、全要素生産性 128、資本生産性 40 である。また日経新聞の記事検索(無料版) だと労働生産性 200 に対し、全要素生産性6、資本生産性6である。 18 スミス(1789b)p.119 ~ 122。  次に、マクロの労働生産性向上の効果を説明する。そのため、マクロの労働生産性とは「付加価値」 を労働従事者数で割った値である15 。図1を踏まえ、マクロの労働生産性を式で示すと、次のようにな る。

w

L

T

K

r

L

T

K

r

L

w

+

+

=

+

+

+

+

π

π

 この式から、「マクロの労働生産性」の値を増やすには、労働従事者L を減らすか、「企業」の利潤π、 資本報酬r K、間接税 T、賃金 w を増やす必要がある16。これを、これまで説明した「企業」の行動原 理と合わせると、望まない「介入」を行う者に支払う税T と費用である賃金 w を増やすことは「企業」 の行動原理に反するため、残るのは労働従事者L を減らすことだけになる。  これも、私的な「貨殖」を行う者の一部にとっては、効果的な方法と評価できよう。しかしマクロ、 つまり俯瞰的に「経国済民」の視点で見た場合は、労働従事者L を減らしても、「付加価値」を分配す る対象である国民の数は変わらず、ただ失業者を増やすことになる。つまり、この値は解雇によって簡 単に増やすことができるが、それは結果としてマクロには経済循環を損なうことになる17 。  次に、生産の国際的比較優位論を前提とし、「付加価値」の高い生産だけを国内で行い、残りは海外 で行えばよいという、「国内にどの産業を残すか」という議論がある。これも、私的な「貨殖」を行う 者の一部にとっては、各国の経済状況を適切に利用した効果的な方法と評価できる。しかし、マクロに は、前編の図3の生産のグラフの横幅、つまり総生産額(中間財生産+最終財生産)を縮め、また生産 の連鎖である、生産誘発効果を寸断することになる。また、生産の付加価値率を上がれば、中間投入率 が下がるため、生産誘発効果の弱化がもたらされる。その結果、国内の需要が国内の生産を、その生産 が次の国内の生産をという国内の生産の連鎖が起きにくい構造に我が国経済は変化した。また、この反 論として説明される、国際分業によって国外の生産誘発効果を国内に引き込める、という効果が十分に 生じていないことは、宇多(2012)などで示したとおりである。  以上のことから、これらの政策は一部の私的な「企業」の収支を短期的に改善するという意味で、ミ クロ経済学的には合理的で、私的な「貨殖」追求行動にとっては非常に効果的であるものの、マクロ的、 長期的な経済循環構造への影響を考慮していないものであることが分かる。  このような問題が生じる理由に、今日の経済がスミスの「見えざる手」とは異なる「自然」(じねん) で動いていることがあげられる。スミスは「見えざる手」が成立する条件に、「各個人は、かれの資本 を自国内の勤労維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値をもつような方向にもってゆ こうとできるだけ努力する」ことをあげている18 。つまり、スミスの生きた 18 世紀には国外の投資よ りも国内の産業を重視することを「自然」(じねん)とする、「見えざる手」の成立条件が存在していた ことになる。また前述のように各企業の利潤最大化行動が多数の家計の所得増加につながる経済循環構 造が存在したことから、今日のいわゆる「グローバル経済」とは根本から異なる経済原理で動いていた ことが分かる。また、このことは、ゾンバルト(1912)、ウェーバー(1920)、福沢・小幡(1972)など が説明した、資本主義経済にとって重要な前提である、私利の追求が国益、公益をもたらすという関係 が、今日の我が国経済では弱まっていることを意味する。

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4.おわりに  以上、前後編にわたり経済学の基礎理論を、成立した時代の経済構造と今日のそれを比較する形で検 証した。これにより、「oikonomíā」(家政)を語源とする「Economy」(経済)から「貨殖」の意味が分 かれ、手段であった「貨殖」が目的化したことで、本来の目的であるはずの国民のWelfare が損なわれ るという、「経済」の意味と構造の変化を示した。  このことから、我が国の 1990 年代以降のいわゆる「失われた二十年」には、「経国済民」的発想つま り俯瞰的、長期的な視点でもって国民のWelfare につながる循環を考えることをおろそかにし、「貨殖」 の行動理念で短期的な個別の目先の収支の改善を続けたことで、経済循環構造を弱体化させたという、 捉えにくい因果関係があることが分かる。このような、各時代の経済・社会構造を踏まえた、特定の集 団の「貨殖」行動により経済循環が壊され、国民益が損なわれるという傾向は、既に示したように新し いことではなく、「歴史の韻を踏んだ」ものに過ぎない19 。  このことを踏まえ、経済学の基礎理論の現代経済への適合性を検証した。これにより、資本主義社会 の成長の前提である、私的な利を追求することを妨害しなければ公的な国民の益に結びつくという「神 の見えざる手」という理屈は、本来のスミスの説明からかけ離れていること、また今日の我が国経済で はその効果が弱体化していることを示した。また、この前提を置くことにより軽視あるいは無視してき た、生産工程分業による生産誘発効果や、付加価値の分配・再分配が国民経済にもたらす影響などの総 体である、国内の経済循環の構造を捉えることが必要になっていることを示した。  それでは、このような変化を経済学の基礎理論では捉えることができなかったのかは、今後の研究成 果で示していきたい。 参考文献 アダム・スミス(1789a)『国富論Ⅰ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 アダム・スミス(1789b)『国富論Ⅱ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 アダム・スミス(1789c)『国富論Ⅲ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 井沢元彦(1993)『逆説の日本史 1古代黎明編』、小学館。 ヴェルナー・ゾンバルト(1912)『恋愛と贅沢と資本主義』、金森誠也、講談社。 宇多賢治郎(2012)「我が国経済の構造変化の比較分析」、『経済統計研究』、第 40 巻第1号、経済産業統計協会。 宇多賢治郎(2014a)「国際収支の経済波及効果の試算 前編:国際収支が国内経済に与える影響の整理」、『山梨大 学教育人間科学部紀要』、第 15 巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2014b)「国際収支の経済波及効果の試算 後編:国際収支が国内経済に与える波及効果の概算」、『山 梨大学教育人間科学部紀要』、第 15 巻、山梨大学 教育人間科学部。 奥野正寛(1990)『経済学入門シリーズ ミクロ経済学入門 第2版』、日本経済新聞社。 カール・ポラニー(1975)『大転換 ―市場社会の形成と崩壊―』、東洋経済新報社。 佐伯啓思(2014a)『アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)』、中央公論新社。 佐伯啓思(2014b)『ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)』、中央公論新社。 作間逸雄(2003)『SNA がわかる 経済統計学』、有斐閣。 竹内靖雄(2013)『経済思想の巨人たち』、新潮社。 堂目卓生(2008)『アダム・スミス』、中央公論新社。 福澤諭吉・小幡篤次郎(1872)「初篇」、『学問のすゝめ』、岩波書店。 マックス・ウェーバー(1920)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、大塚久雄 訳(1989)、岩波書店。 19 このような「歴史は繰り返す」ではなく、要所で同じことをしてしまう「韻を踏む」という表現の原典には諸説

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