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ばっくとぅざぱすと その二十七 : 一六世紀パラグアイの「生」を描く

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Academic year: 2021

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ばっくとぅざぱすと その二十七

一六世紀パラグアイの「生」を描く

パラグアイと聞いて、「ああ、あそこね」と即答できる人が日本にどれほどいるだろうか。二〇一〇年 六月二九日、サッカーのワールドカップ・南アフリカ大会決勝トーナメント一回戦で日本の対戦相手とな ったおかげで、にわかに有名になったパラグアイである。が、その余韻さえ消えてしまった今となっては もはや忘却のかなたなのかもしれない。そのパラグアイ、しかも一六世紀という古い時代を私は研究し ている。 私が使う史料の大半は、アスンシオン国立文書館(http://archivonacionaldeasuncion.org/)に 所蔵されている史料群、とくに訴訟文書である。文書館所蔵の一六世紀にかかわる文書群は、植民地 本国スペインやペルーなどの他のスペイン領アメリカ植民地からの勅令、諸々の命令文書などの域外 から到来した文書群と、パラグアイ域内で作成された文書群に大別される。概して、域外からの文書は 整理・分類が進んでいるが状態が悪く、他方、地域内で作成された文書は未整理なものの保存状態は よい。ただどの文書も、スペインでボロ布から作られた洋紙にインクで記されたものである。亜熱帯の パラグアイにあっておよそ五〇〇年の時を超えているから、傷み具合は自ずと想像されよう。その中に あって私が使っている訴訟文書は、虫食いはあるものの、かなり状態がよい。訴訟文書に無関心だっ た研究史が文書そのものに示されているようである。 状態がよいと言っても、一六世紀の訴訟文書を読むのはかなり厄介である。まずは手書きであるた め、翻字に忍耐を要する。それに、いわゆる「スペイン語」で書かれているものの、最初の文法書の出 版(一四九二年)からそれほど時間が経っていない時期に書かれたのであるから、現代のスペイン語と 同じというわけにはいかない。c、z、s、それに現代語にはない?の文字が互換的に使われるなど綴り 字が安定しない。それどころか、コンマもピリオドもない。どこまでが一つの文かさえ判らないのに、時 にはラテン語が、時にはパラグアイ先住民の言語、グアラニ語がアルファベット表記され、登場する。通 読は骨の折れる作業である。 しかし、数をこなし慣れてしまえばそれほどたいへんではなくなる。裁判のために作成される文書ゆえ に形式が決まっているということもあるが、手書きとはいえ、その手が限られているのである。行政文 書にせよ訴訟文書にせよ書くのは、スペイン語でescribano、日本語では「書記」や「公証人」と呼ばれる

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人たちである。一六世紀パラグアイに関するすべての史料に目を通したわけではないが、書き手はせ いぜい五人ぐらい。その中でも、行政府の書記を勤めるなど中心的に活躍した公証人はすこぶる丁寧 に文字を書く人である。掲載の史料を見ればおわかりであろう。頭書きに続く行、ちょうど「26」という数 字の隣から始まる行からはその公証人の文字である。頭書きの文字と比較すれば、判読しやすさは明 らかであろう。この公証人は数多くの訴訟文書を残した。それは傷害事件などの刑事訴訟から先住民 の夫役権などをめぐる民事訴訟まで多岐にわたる。 こうした訴訟文書は、行政文書とは異なり、登場する人々の「生」を読む者に感じさせる史料群である。 もちろん、裁判が形式化、「儀礼化」された場であり、その記録は判事などの裁判をする側、そして記録 する書記のバイアスがかかっているという指摘も事実であろう。とはいえ、裁判の場に連れてこられた 被告、あるいは出廷した証人たちの言葉は、判事や書記の、時には当人の意図さえ外れて、彼らの 「生」の一端を私たちにかいま見せてくれることがある。それを拾い集め、彼らの「生」を再現することが 私の仕事である。 最後に、パラグアイの史料について触れる際には忘れることができない人物の名を記しておきたい。 亡師アニーバル・ソリスである。アスンシオン国立文書館員にしてパラグアイ随一、いや唯一とも言える 「古文書学徒」であった師なくして、私の研究は一歩たりとも進まなかったであろう。文書の読み方を一 から教えてくれ、判読不明の文字の照会に応じ、未整理の文書群の中から、私の研究関心に沿った史 料を見つけ出してくれたのである。 。 (社会システム学科 坂野鉄也)

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