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マラヤ北西部の稲作農村 : 農業労働について [A Malay Padi-Farming Community in the Northwestern Part of Malaya: Agricultural Labor]

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(1)

マ ラ ヤ 北 西 部 の 稲 作 農 村

生 ・坪

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Masuo KucHIBA and Yoshihiro TsUBOUCHI

が き

本論 は,京都 大学 東南 ア ジア研 究 セ ンターの マ レ- シア ・イ ン ドネ シア調 査計 画 に基 づ い て , 1964年 7月∼ 12月, 1965年 6月∼ 10月 の2回 にわ た って, マ ラヤ北 西部 の- 稲 作農 村 にお い て 行 なわれ た社会 人 類 学 的調 査 のしい問報告 の第3部 で あ る。

調 査 地 パ ダ ンラ ラ ン村 (Kampong Padang Lalang)の土 地所 有 や経済 事情 につ い て は, す で に, 『東 南 ア ジア研究 ⊂=jj第 3巷 第1号 (1965年 6月 ) に, また,家 族 の特 徴 につ いて は, 同 誌 第4巻 第 1号 (1966年6月) に お いて 報 告 した。本 稿で は,農業 ,特 に稲 作 のため の農業労 働 とそれ に関 す る共 同労 働 の形態 を記述 の主 内容 とす る。 農 業 労 働 の技 術 的 な側

述 に一) いて は,京都 大 学 農 学 部 農学 教室 の高村泰 雄氏 に専 門 的 な観 点 か らチ ェ ック して いた だ いた。 記 して感 謝 の意 を表 した い。 調 査地 の概 要 につ いて は

,

最 初 の報告 で 述 べ た ので , こ こで は最 少 眼 に必 要 な こ とだ けを 略 記す る。 パ ダ ン ラ ラ ン村 は, ケ ダー州 の苫府 ア ロー ル ス ター (AlorStar)の北 酉約 5マ イル に位 IEi'fLf. す る。 村 の中央 を ア ロール ジャ ンブ ス川 (SungaiAlor

J

anggus)が ,北 酉 か ら

東 -貫 流 し, 家 屋 は この

岸 に沿 って細長 く分布 して い る。川沿 いの居 住地帯 の外 側 に,水 け1が碁 盤 の 目の よ うに広 が って い る。 隣村 との境 界 は一 見 した と ころ明 瞭で は な い。 総 人「u,538は, マ レ-人978(63.6%), 申国人546(35.5%), イ ン ド ・パ キ ス タ ン人14(0.9 / 'J/o')か ら成 る. 中

人 とイ ン ド ・パ キ ス タ ン人 は,村 の北班 端 に密焦 して居 住 し, ほ とん どの 者 が ,商 業 , 精 米 業, お よび これ に関連 す る職 業 に従 卓 して い る。 マ レー人根岸206の職 業 構 成 は,表 1の ご と くで あ る。 これ らの うち,本 論 が 分 析 の対 象 と して い るの は, 外 来者 で あ る 2 2

(2)

-Ⅰ羽 ・」甘 Jq:マ ラ ヤ北 西 部 oj稲 作 農 卜j 巡 企 ,止 吏, ホ ス ヒ タル ・ア シ ス タ ン ト ll)JI,:r(::帰

隙 い た 195性 器で あ るC 1 土 地 ・気 象 ・水 ケ ダ ー \

凹!

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抜 3m に 満 た な い低 地 で あ る。

満潮

時に

路 を通 じて 流 入 す るf毎水 の 処 [帯 は , 水lllを 考慮 に

れ る と, か な り ・rT:要 引 現題 で あ る。 、冊 j, U)ほ

ぼ申

心 邦 に位 lF;fL,1:す るパ ダ ン ラ ラ ン

付u

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最 も高

も淘抜 2m 帖 空で あ り, 付 か ら.it'lj-JFl1r・・までの7- 8km の ilHで は 1-2m に 過 ぎ な い

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一水の逆流を

剛直

す る た め に , f '+水路 に は水 門が 設 け られ て い る. 水 門は 同日、打二水 JLWj水 を II;/,隼化 す る こ と に よ って ,

勅 に も役 立 って い る。

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1に,j(す よ う に ,ケ ダ 農 耕 農 村 h J 卜 人 血 精 隼 誓 : . [.てL、 表 1 マ レー 人

世帯・

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職 業* 1964.10

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主 働 役 両 刃 仁 宮 人 石 目 史 夫 -1.f 粍 -LT ︰= 「 ン ∵ Ln 6 7 3 5 1 LO 2 1 1 7 2 1 一・1 1 8 cc) 2 1 206

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甘苦 した叛値 に若 干修正 を加 えてい る。 ー \卜瑚:で は 5月頃 か ら両 西モ ン スー ンU_)た め に 雨 量が 急 増 し,11月頃 までは 雨 季 と な る。 12月 に

乾 燥 した東 風 が 吹 き は Li/)

,

陀 李 に 入 るC 雨 季 に

湿度が高 く,晶混U〕た LVj, E日日 封 ま左 表 2 /j 辛 iIJ /示 JI.LrL (CC)

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,1955-1964 午 」・1 ワ し 3 4 tI J 6 7 8 ∩ コ 0 」 1 2 1 1 1 1 19551956195719581959196019611962 22.8 26.2 27.6 27.6 28.7 28.2 28.2 28.2 28.0 27.8 27.3 27.3 27.2 27.2 27.0 26.8 27.2 26.6 26.9 26.7 26.3 26.7 26.1 26.1 4 6 9 1 63 9 1 4 9 3 3 6 4 8 9 4 3 7 6 7 7 (kU 8 7 7 6 6 6 6 5 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 7 7 7 9 3 4 9 9 2 5 4 5 6 7 8 7 7 7 6 6 6 6 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 9 4 7 9 2 1 7 0 2 5 3 ′ 6 6 7 7 7 7 7 6 7 6 6 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 6 3 7 8 9 2 8 3 5 1 6 9 6 7 7 7 7 7 6 7 6 6 6 5 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 1 1 3 4 4 9 8 6 2 5 7 9 7 8 8 8 8 7 7 7 7 7 6 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 7 8 4 4 1 4 1 2 2 7 9 7 8 8 8 8 8 7 7 7 7 6 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 6 2 9 6 1.〇 9 0 6 4 1 1 9 7 8 8 9 8 7 8 7 7 7 7 CU 2 2 2 2 (ソ山 2 2 2 2 2 2 2 3 6 4 4 4 一 . 3 . 8 . 3 . 3 . 7 .

0

6 7 8 8 8 7 7 7 7 7 7 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 辛 巧 26 . 3 27 . 6 28 . 2 28 . 3 28 . 1 27 . 5* 27 . 3 27 . 1 26 . 9 26 . 7 26 . 6 26 . 4 *1957を除 く9カ年平均

類値 は,

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よ り得 られ た もojDFか ら換算。

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,''jllconomic Geography,27.4

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,1951),

pp.28

7f

・,29 5 .

(3)

-年 月 東 南 ア ジ ア 研 究 軍 5巻 第1号 表

3

間 降

(mm) AlorJanggus,1955- 1964 1

1

9

2 1

2

0

3 4 4 165 5 157 6 199 7 89 8 181 9 124 10 321 11 232 12 96 9; 541 20 ! 114.; 8巨 81 136; 228. 97 …芸.3日 三雲; …65訂 178: 73号 1711 ∴ て∴ 三二 14

6

; 132 72

;

88 0 8 2 5 0 1 4 4 2 5 5 5 3 6 9 5 4 1 2 9 5 8 3 1 1 3 3 4 3 2 4 2 1 ;!90 i 312 1 100 ; 22 1 223897 2 …373 i 233喜 工 冒…i 23347 H 972 弓 7 9 7 4 0 9 7 6 3 3 2 1 347 ; 151 414 . 203 323 1 196 ; 517 436 195 41 ・ 246 ノ 308 ′ 452 49 ; 39 *1955-1963年の平 均 数 値は

,

Department of Irrig

a

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ion and inch よ り換 算。 はだ不快 で あ るが , 乾季 の東 風 は さわ や か で ,特 に乾季 の は じめ の朝 夕 は, 日本 の

秋 を思 わせ る。 ケダ ー平野 は, ほ とん ど水 稲 の 単作地 帯 で あ る。 農 作業 は

季 の開始 と と もに始 め られ ,7- 9月 に 田植 えが行 なわ れ る。満

時 に水 Pはミ閉 ざ され るので , この日]j:/i紬 こ豪 雨 が あれ ば,水 路 か らあふ れ る水 は,容 赦 電 く水 四 ・居 住地 ・道路 の低 地 に浸 入 す る。 この よ うな 状態 が 日用ftT-.え

後 に起 これ ば, 低 地 の

水 L

l

」の苗は腐敗 し,苗の植えか えが 必要 とな る。 した が って, 連 邦政府 の漕 猷

局 (TheDrainage and IrrigationDepart -ment)の駐在 官 吏 は, この時 ,Lglに な る と, * * 5 5 9 3 3 6 4 9 1 9 4 5 2 5 0 3 5 3 8 6 4 3 9 8 1 1 2 2 2 2 3 3 1 8 14 1 87

60

89

05 59 52 30 一 I 1 3 1 4 1 2,323* Drainageの Alor

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在 所 より 得 られ たもの 。 皿 500 200 川 中 巧 月 岡 甲 用 量 ( m ) ) ′t J () / (tj (/ ・I) ll? 図1 調査地付近 の気温 と雨量(1955- 1964平均) 気配 :Station AlorStar

雨量 :Station No.18.AlorJanggus 水路 の水 量 や ,雨 量に糾 か く神 経 を使 う。

高 度 の腐棉土 を含 む灰色 や黒 色 の粘 着性 oj強 い土 地 は,雨季 に は,ね ぼ り克己を

び,膝 まで は ま り込 む個所 が少 な くない。 乾季 に は,それ もす っか り閃 く乾燥 し,裏 作が 不可能 な状 態 とな る。

この よ うな粘 土質 の土 地 は,水 分 を永 く保 つ た め,稲 作 に は非 常 に効果 的で あ る といわ れ て い

(4)

-l廿ト 坪 内 :マ ラヤ北 西 部 の稲作 農 村

るが ,什戸 に は適 して い 左 上 。.('日用 レ)/

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ミ∴浩 二泥 で 湖 上 蝕 み 火 と して :

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で Lf)ろ。,Ll'通 ,小 さな池 o)よ うな 形 を した 廿戸 (telaga)しノ)水が 飲 み 水 に 用 い られ るcLか し,こC/)]F二戸 も沼 /tだ 水

を調

え た もの は 少 な い。 付人 に よ畑 且 再 /Lた、水が 得 られ ろ 廿戸 は ,

村c

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)内 外 に20桐もあ るか な

り (keroh),塩 辛 く (payau)チ,るoLた が って ,政 軒 が

李 の必 要 なL小 二欺 料 水 ,Ji-倶拾 Lは し

水 の

題 は ,

み水C/)み に留 ま I,チ,∴、。 副 っ

た河 C

/)水 は , 1IJJ:Ilu〕水 浴 (mandi)に も 用

。陀

李には

水 は- 回流.7), 量 も少 な くな る。 そ こで , 付人 は 、 再 圧 U)読 れ の

に ,i.5m

C/)深 さの 水 浴 用L/)くぼ み

封 ,Elてる。これ らは ..'下戸で 日J束JHL/〕fJU)とし て裾 られ るが , そ こか ら比較 的 制 りtJ)膏 い 水が涌い て 出 る。 雨季の洪水 (ayerbar)

1

回と

李U〕水 不足 は,砧 /日和こ好 ま しい伏 泥 で .悠fi:い 。 そ

れに

季 の 夜 に雨 が 降 吊

竜宮

1, ㌧古rE.JL は 21

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位 まで 伏 卜L, 陀李 uJ皮 には 18-19oC 位 に 気 iTE.ItLが 卜がろujは 珍 し くた い。 この た め に, サ ロ ン以 外 に 皮石 類 を 三三とん ど

た ず , また 通 風 の よ い

上衣局 に 住 む マ レー人 農艮 は 呼

吸試

射'

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か か

易い。 村 人 の 「.用で

も 'sい と され る病 気 は ,(1) 潰 場, た だ れ , , 折 癖 な どの 「:ZIE,引 rJ右 (2)急 性 /,<L'肯文 炎 ,甘性 六・'lL';.L'友 炎 な ど跡 申 反 器扶 患, (3)急性 結 膜 炎な どの 服 吋,If,(4)卜柚 や

告!

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に よ るt「胴射針 -,二な どで あ る。

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よ うな疾 病 は ,

尺 の労働 力に 少 γよか らず 影響 を 与 え る。 2) 表 4

雨情別 ・卑業

業別農家 叛* 1964.10 PI・兼業 別 耕作両情 1relong

/

局:

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l - 2木満 2 3 1 1 ■ 0 6 8 9 10 ll 12 13 14 15 16 17 18 19 20 2 1 22 2 3

座 業 1 6 2 5 3 2 9 6 7 ー 3 6 4 2 「1 2 3 1 ・︼・l 1 1 兼 業 lI/.JLl ' E

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l農 業が従 3 1 1 1 1 1 3 12 2 1 6 4 3 1 類 ' 1 3 CU 1 5 3 0 7 8 6 6 5 2 3 2 3 1 -りん 1 1 1 104 17 14 135

2) 村人の病気に対処す るた拙 二, 胞偵 所 (dispensar)',tempatubat)が mukim 里位に増設 され ているようであろ o バ グンララン付注 肥西端 J)アロール ジ十ンブス (AlorJanggus)に も,f吊繋な西

洋風平屋建ての弛才紬軒が」i;)り,ホ スヒ';ル ・アシス タン ト土よばれ :yJlJF'i2告と助 F圭帰 1㍗.が常勤 し jilll者が 来て,薬が無料で 与え られノ㌦

(5)

東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1年 表 5 耕 作 規 模 別 農 家 家 族 形 態 家族形態 耕作規模 単 身* S 3relong 未満 2 3 - 5

未満

5 -′ 10 1 10 - 15 1 15 -計 4 夫婦のみ* M 2 2 2 3 核 家 族* N 1 8 6 8 「hU 2 2 2 族 家 Ⅹ 5 6 15 6 2 大 E 紘 01 46 91 0 6 4 8 7 3 3 4 1 *孫などをひきとっている場合を も含む。 詳 しい分類基準は,口羽・坪内 「マ ラヤ北西部の稲作農 村- 婚姻

離婚 ・家族の特質について」『東 南 ア ジア研 究〔_n第4巷 節 1号参照。 目 鼻 家 .労 働 人 口 パ ダ ン ラ ラ ン村 に定 着 す るマ レー人195世 帯 の うち135世 帯 が ,実 際 に水田を耕 作す る農 家 で あ る。 これ らの農 家 を耕 作規 模 別 にみ る と表4の よ うに な るo 小 は3/4relong(約0.2ha)か ら

大 は23relong(約6

.

4ha)に至 るまで か な りの 巾が あ るが , 平 均 は6.4relong(約 1.8ha)とな る。 この よ うな水 田 を耕 作す る農 家 の労 働 力 を調 べ るた め に, まず そ の家 族構 成 に 目を注 ぐこ と に しよ う。 表 5は , 農家 の家 族 形 態 を耕 作規 模 別 に示 す 。 耕 作規 模 が 5relong未満 の農 家 と, 5relong 以 上 の農 家 との 問 に , 拡 大 家 族 の割 合 に 関 して か な りの 差 が み られ る。 この 差 は , 5relong 以 上 の農 家 に お け る労 働 力 の必 要 性 , お よ び扶 養 力 に よ って∠生 じた もの と思 わ れ る。 とは言 え ,核 家 族 の占め る割合 は , いず れ の場 合 で も最 も大 きい。 核 家 族 が 多 い とい う こ とは ,一 戸 、l'1りの労 働 力 が比 較 的少 な い こ とを 予想 させ る。- 農 家 あ た りの労 働 力 を耕 作 規 種 別 に 示す と,表6の よ うにな る

最 も 多い の が ,男1女 1とい う形で あ る。 パ ダ ン ラ ラ ン村 に お い て ほ , 男性 が荒 お こ しを田 当 し,女 性 が刷 的え と刈 入れ を

当す る と い うよ うに

,農

作業 に お け る性 的 な分 業 が は っき り して い る。 したが って , 各農 家 は少 な くと も男女 各 1名 の労 働 力 を保有 しな けjMま,満 足 に稲 作 を行 な う こ とが で きな い。 そ れ に もか か わ らず ,表 6か ら分 か るよ うに ,総 農 家 数 135の うち, 男手 を欠 くもの9,女 手を欠 くもの 17が 表 6 耕 作 規 模 別 に み た 農 家 の 労 働力 1964.10 労 働 力 耕作 冊 L.i .

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(6)

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1

㌧T:マ ラ ヤ 忙

西

部 の稲作 農 村 存 在 す る。 ま た 逆に 21'711十C/)EP]T-・左

す る もレ)悠25, 2告IJJ・_U)

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T・を 有 す る もU)は 14に 過 に して いろ 。 そ の 上 , 既 に述 べ た よ うな/:rElrF・_l/f:.Lc,)悪 条件 弓, 労 働 力 を さ ら に 減 少 せ しめ ろ こ と が あ るo H 卜の よ うな -I-ill1-J衣当 りL/)低

働 力 を 補 う意 味で ,F'iらは 耕作す る上地 をjJj':た な い FZl'ヒ業労 冊 者 の存在が 可能 とな る。 パ ダ ン ラ ラ ン村に 悠 , rEJ一法業 労 働 を

l

:

.

業 とす ろ 世帯 が27あ り, こ の.工 か に 小 規 模 農 家 の 余剰労働

を加 え て ,里 J'・121vT. k J/-24名 C/)Fl畏 業労働者 が 存 在 す,7,。 川 栽 培 植 物 と 家 畜

1

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マ レ

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艮 が 土 に 哉 情 して い ろ

r,/J・悠

稲 で Li=)る。

水稲

に 悠 , そ レ)

,

半日

判 」fHH二よ っ て ,

早/

(padiringan- 播 種 後 約 6カll). 申牛 (padipertengahan- 約 7カ 月).帆 /i:.(padiberat

- 約 8カ月) の 3種 が あ るC こ/iLご〕シ)う ち に , さ らにい く/)かC/)晶仲が あ って . 村 人 は , そ

れ ぞ れ に 名を つ け て い る。 榔

7

で, 早/L:.:二 sesatgoi. padi burma, radin keling, intan

terpilehな どが あ ご),

申圧

に は, Pulothitam,Pulotsutra,晩住 に は, intan merah,anak

didek,padisepot,sesatkelabu,padirambai,pechah jelapangな どが あ る と い われろ。 こ れ らの晶 析 の名 に つ い て の 村 人 の 加 鉦 ま, き わ め て慢 味で あ る。 常 識的に は, 農艮 は

,

耕 作 両損 や 芳働 力を 考 J,F封 二入 れ て ,甘半 申 隼 ・晩 /卜.を通 \【'(量ず √,柿 え る と も 考え られ るが , ラ ン ダ ム に調 査 した43廿 .「Zj申, 早′牛 ま た は晩 圧 C/)み引再え て い る 畏 家 冒 , 約 半 数 の23世帯Pで , そC/)うち20廿 日告ま晩 /巨ノ)み で あ っ た。 桟 りC,)20廿 甘 悠, 早/I:_と

晩什

o) 2種 類 を 主 に 帖 え て い る。 しか し, 哉」,J

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.7IWHi女と粧作

位 の人中 とは 何らC/)帖 牡頼 ミナよい。 こ の よ う に , 労 働力跡 Lrj=「fu的IPjLl分 を 考え て 早牛と

晩/

i

:

./lil-帖え る配 慮 を 必 要 と L,fL,:いU)且 偉 述 す る よ うな 労 働 の扉 用が

易 な た め で もあろ うr,

水稲以 外 に , タ ピ オカ (ubikayu).さ さ.'j'(kachang

panJ

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,と うが ら しの -一種 (chabai- Pi

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,)こほ お ず き (brinjal,terong),か ば 千や(1abu,ketola),

と う もろ こ し (jagon)な ど を庭兄 に/i)しげ か .I)作 って い る 県 ′衣 もあ るが ,そ 0)

は ご くわ ず か よ うに . マ レー 農 民 の 家 の 庭 は, 雨季 にIj:排水 が 悪 くて , 泥沼 cJ)よ うに な り,乾季 には地 判 れ が す る ほ ど乾 燥 して しま うC この よ う

i

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情 が . マ レー rJfi-艮 一 般 に,

什衷

消門oj

菜作 りに 対 多少積極 rr吊こ

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)野 菜 旬 日の 畔 な ど に 帖 え は LJノ)て い る

もあ るが , これ らは 例 外的 な 存 在 で あ る。 稲 や

菜 の ほ か に , 果樹が あ るが.村内 で み られ る 果樹 cJ)柿 酢 悠 /95くな い O赤鉄 C/)J美 (buah 7 7

(7)

東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1号

sawa),侶 橘 類 (limau), パ パ イ ア (buah betek),

桃 の 類 (jambu keling,jambu merah, jambu ayermawar),や し (kelapa,nyior),バ ナ ナ (pisang)な どが 庭 先 に植 え て あ る。 こ れ らの 果 実 は ,

ず れ も 自家

費用 で あ って , ジ ャ ンプ (jambu)な どは , ま だ十 分 に熟 さな い うち に 子供 達 が 食 べ て しま う。 パ パ イ ア は ,

9

月頃 か ら食 べ られ る よ うに な るが , 多 くは な

らな い。 や しの実 は1個20セ ン トで 亮 れ , 店 頭 で は25セ ン トの値 が つ い て い る。

そ の 他 の 主 な 樹木 と して は , 竹 (buloh),ニ ッパ (nipah),ぴん ろ う じl♪(buah pinang)な

どが あ るが , いず れ も人 ズ描勺に栽 培 され な い で , 自然 に な るが ま ま に ま か せ られ て い る。 竹 は 家 の 曙 や

つ くりに, ニ ッパ は屋 根 茸 の材 料 に用 い られ , ニ ッパ

(れiranipah)や ニ ッパ 酢 (Chukanipah)な どを 作 るの に も用 い られ る。

2. 家 畜 ・家 きん

農民

に よ って飼 育 され て い る家 畜 ・家 きん は ,水 牛 (kerbau),牛 (lembu),由宇(kambing), 鶴 (ayam), あ ひ る (itek)な どで あ る。 水 牛 は主 と して水 il」の 借地 に使 用 され るが , 食用 に も

い られ る。 そ の 他 の もの は食 用 の た め で あ る。 家 畜 は購 入 す る こ と もあ るが, pawahと よ ば れ る慣 習 に よ って 封 こ入 れ る方 法 もあ るO 例 え ば , Aが Bの水 」牛 を 世 話 し,小 牛 が で き た場 合 に そ の 代 償 と して も ら う とか,10羽の ひ よ こ を 習 て る場 合 ,

て た者 は3羽 を 餌 育 代 と して も ら うな ど とい うの が これ で あ る。 水 牛 を 銅 育 す るに は ,

銅料

の確 保 , お よ び使 役 の た め に , 若 い 男 の 手が 必 要 で あ り, この労 働 力 の存 在 如 何 が,水 牛保 有 の一 条 件 とな って い る。 水 牛所 有 状 況 を耕 作規 模 別 に み る と表 7の よ うに な る。5relong以上 10relong未 満 の農 家 に お い て所 有 率 が 最 も高 く(56.8%),10relong 以上 15relong未満 (50.0%)が これ に次 い で い る. これ らは中堅 的 な 農 家 で , 自分 の水 牛 を使 って耕 作 を行 な って い る もの と思 わ れ るが , この こ とにつ い て は

,

後 に詳述 す る。 土 地 を全 く耕 作 しな い に もか か わ らず 水 牛 を有 す る もの が あ るが , この理 lilは 先 に述 べ た農 業 労 働 者 の存 在 , お よ び pawahの制度 と関 連 して い る。 表 7 耕 作 規 模 別 水 牛 所 有 状 況 畑作Jr右 tl.iL 水生 頭数 . 8 1964.10 1、.・ ・2 2 5(16.6)と 7 ;)4(8・4 ) 4 1 ノ 5 有 無不明 1 ( 1.7 ) 1 0 (

2

7

.

8

) 6(85・7%)i (5

0

.

0) : 1 ( 14.3) 140(71.9% ) 22 (ll.3 ) 26(13.3 ) 3( 1.5 ) 2( 1.0 ) 1(0.5 ) 1(0.5 ) - 8 -

(8)

-JLII]・坪 内 :マ ラヤ北 西 部 の稲 作 鎧 トj

rrr羊.鮎 お よ :J'、家 什iuj所有 帖 、兄悠,

8

-表1

0U)通 りで あ るO 耕 作規 イ樹伸 二み て IJ,

水牛

a)

合 ほ どきわ だ った 佃 刷 封 別 海で き な い が ,現 ・J表明日二√申 て は ,5relong以 上 10relong 末子[:E..i-, 10relong

上目

二 15relong 付 帯 15relong l上

〕比較的 人 き左 耕 作:r

(

細注 付す る農家

に お い て 多 く

銅召

され て お り, r吊 勺ニー-)い て

.

7

ま. 3relong

廿

仁5relong /信r,Ff..)は い う伸 二お い て 最 も

有 率 が 高 く,3relong 来 満カに わ に次 いで いろ 。 耕 作 規 模

0

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ilni

-所

r

r

.

1

1

1

表 8

規 模 別

所 有 扶 況

0

-3人満 3- 5 5-10 10-15 1 5-47 18 20 27 3 2

)

3 3 4 3 2 5 2 3 1 2 1 1 2 2 1 1 1 11 3 1 1 2 1 作

不 明 1 .-f 60 30 36 44 両 fJ一 率 21.7''rJ 40.020 44.4rf,J/ 38.6'J,, 耕作規模 所 存 類 0 1- 5 6.-10 11-15 16・・ -什 無 木 明 liAr 所 行 率 f-■当 り 平 均 12 5 1 2 ㍉ 7 6 0 8 1 2 ㌦ 8 3 6 -1 3 2 3 表 9

作 規 模 別 現

行川 尻

0

-3木満 3- 5 5-10 10-15 9 0 4 2 4 1 2 2 6 ll 1 2 1 7 4 ∩コ 4 2 1 5 8 nU 1 l 」・l 1 lO 7 1 4 \ 1 5 日H l 1 4 ㍉ 7 7 6 5 11 8 2 ㍉ 8 4 2 1 ■ 4 0 9 1 ㌔ 4 0 3 I-. O 1 nU 1 ㌔ 6 6 5 莞 ∴ 0 6 8 I 0 0 1 3 . 0 〓 J 8 ㌔ nU 7 8 6 . 1 3 ︻(J 9 1964.10 ∩コ 1 3 8 ∩コ 6 4 4 2 2 2 4 1 2 1 1 L19 5 8 5 9 ・ 1 3 1 3 4 1 J 8 6 5 i 4 CU Jr 1 2 ㌧ ・ 5 4 3 1 7 6 これ川川 9

(9)

所 有 数 耕作魂模

・i;-ai 東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1号 表 10 耕 作 規 模 別 家 鴨 所 有 状 況 50 . 22 1.- 5 5 1 5-10 1 5 ll-15 3 1 16-20 21 -有 無 不 明 1 計 60 所 有 率 ! 16.7% 一 戸 当 り 平 均 1.2 5 3 6 1 1 2 i co 3 9 2 6 6 % 4 1 9 4 . 9 8 5 % 6 6 8 3 . 0 2 3 % 0 7 8 3 . 6 2 2 lV 農 作 業 1. 農 業 暦 以 上 に述 べ て 来 た よ うな環境 の

で , 農 作業 が営 まれ る。年 間 の農 作業 の配 分 の一 例 を示 す と, 表 11の よ うにな る。 以下 ,農 作業 の詳 細 を順 を追 って記述 す る。 2. 整 地 乾季 も終 りに近 づ く4- 5月 頃, 田の申 に残 され たわ らと 稲株 (jerami) が焼 かれ る。乾 季 あ げの雨 は,hujankapalkeranji とよばれ るが , この雨 が 降 り

す と, rTlの 畦 (batastepi) が 作 られ ,整地 が始 ま る。

整地 の方 法 に は,3種 類 あ る。 す なわ ち, (1)tajak kapar または apong,( 2)pen-ggiling, (3) tenggala で あ る。 どの方 法 が用 い られ るか は, 土地 の事 情 に よ る。 (1) tajak kapar(apong) tajak とは柄 の長 い大鎌 で4-6kgの重 さ が あ る。農 夫 は, この鎌 を両 手 で振 りまわ しなが ら葦 を刈 る。 tajak を 用 いて水 田の 用意 をす る方 法 を,村 人 は,tajakkaparと 呼 ぶ。kapar とは, 切 りと られ た苛 の意 で 10 1 0 3 4 1 2 2 1 2 18 7 44.4% .71.4% nUHH 4 69 1 l ︼ 9 . 1 4 4 3 % 表 11 農 作 業 の 一 例 (1963年度,10rellong耕作の小作農の場合) 4月上旬 i 芋竃晶 稲株を焼 く 5月 ‖ 八 月 6 7 9月 上旬ノ 中旬 下旬 上旬 三雲‡ 草刈 り

両 あ り(hujankapalkeranji) 20日,畦 を作 る 27日か ら約15日間,撃耕 中旬 苗代作 り ・播種 下旬 19日∼20円,土な らし (sisir) 10日頃か ら,田植 え 枯れ た出の植 え柄え 中旬 下旬 20日,早稲刈入れ 11月上旬 中旬 下旬 12月上旬 中旬 下旬 1月上旬 中旬 下旬 - 1 0-晩生XU入れ

(10)

rlJJ:/]・坪 内 :マ ラ ヤ北西部の

′卜農付

あ る. こU

)力`

法 が適 Hは れ る レ).IjI, 仁と して新 開 地 U〕水 田 で Li;'る こ こ し,よ :)I-I所 で 黒 . UJ吊 ')こ

ま ず,

(batas tepi) ,Jll-作 っ て, /j(与 川 に 流 し込 む 。 これ 鳥 . 1relong(約 0・28ha)あ た り 1槻 3'

作 業 で ,鍬 (changkul) ,Jと)臣 、て 行 左 :'。∴ 畑 二 tajak で 早 を (lJろr一㌧刷 り に 要 す ろ

働 量 は , 章 の は え 只 合 や 刈 り 手の 能 力 に よ っ て 異 な る が . 1relong

耳)

た t')1人 で , 1刊 か ら

5

刷 か か るo 伸 )と っ た 早 が, l週 附 も して腐敗 し悠い ノ〕る と, 1 relong u)

/

J川 巨/)申 に うわ

(batas)状 に 8列 に 一,み

げ ろ - ニ'J/llL-'出 二悠熊 「棋 頼 土日と (sisir tanga亘)が 用 い J,-さL 1人

で 1日 (刷 夕) で で き E・_る 。 4 T

lU

I,い た 一)と了 擁 〕う告 ぐbataskapar)/

J

l

宣 合 に 酬 kさせ ろ

た め に , 底 の 方 の 草 を表

に お き か え る。 ・ T が十 分腐 敗 し

たC

/)

圧 とピ サ て 711言 , 早 U)←) ね の 問 に 稲 の苗 を う え ろ J もは や 開 墾 の 余 地 の な い バ // ン ラ ラ ンで ・且 こ U

〕)

j

行 な わ れ てい!'JIい。 しか し,Tepi Laut,Ayer Hitam ,Mergong な ど

の近 く

cj) 村 で は, 現 在 で も 行 な わ れ て い ろ -(2) penggiling penggiling と は , 刈 取 っ た 早 と 仁/+i-混 ぜ て , 卜,ji-釆 ら か く し, 上を fi:J〕すた こ/)町に

H

T,・で f) る。4) これ は, 1.5m く ら い L)

j

九人 に7cm く J' い C/)鉄 の肺が 7(剛 まか り

し込 ん で あ る。 互 人跡 rl心 に は 鉄 の軸 が 通 され そ しJ)両 IT甘 悠 さ ら に 鉄 の 棒 に 連結 され て , 水 牛 が こ\守 る よ う に な っ て い る。 水 牛 が penggiling キ ニ\く叫 に , 鉄 の園 で 足 を 傷 つ :ナli:い よ う に, penda-gang と よ ば れ る 小 さ な:尾 根 が :亘 、て い る。

penggiling は , 通 常 , 畦 (batas tepl)をJ

くっ て , 水 を 入 れ . tajak/i_,-用 い て・',.'二を 刷 っ

た 後 に ,刈 っ た 早 の腐敗 を 早 め , 同

封二日 キ

な らす た め に 使用 され る 。 10relong (28ha)

の 水 川 ,JiTpenggiling で な らす L/)に, 王

い上

I

写真 1 pengglling ‖--黒 1-li介)

3) 村人 は,

=L

F]・は 暑い こう二 12両 か ∴ 3時ヒ(持 て :引損'J'1,JiJ L7 日 IJ〕十前 中だ 十(軌 く二LTiTr sa

pagi(1湖) とい うし、

4) 二J州 具を ,Kedah 州 両部 (Yen邦トJ〕Dulang7 :i tajak giling ともい :,,

(11)

東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1号 い, 2刷 の労 働 を要 し,3- 4日お きに,4回 ば か り行 なわれ る。 5回以上 行 な うと土 が 柔 ら か くな り過 ぎ,田 植 え に 不便 な ため,通 常

4

回 が 限 度 で あ る。 パ ダ ン ラ ラ ンで は,penggiling を 用 い る人 が少 な くな いが (3割程 度),

単独

で用 い る訳で は な く,牽 耕 の後 に penggiling を行 な う。 鉄 製 の penggiling が用い られ だ した の は

1

0

年 くらい前 か らで , それ 以前 には木 製 の もcDが 用 い られ て い た。 木 製 の penggiling が用 い られ だ した の は

2

0

年 的 くらいだ と もい われ るが確 かで は な い。 (3) tenggala tenggala とは牽 掛 の ことで あ る。 牽 掛 は, 畦 を 作 って草 を刈 り, 山 に水 を入 れ た後 に行 な う。要 す る労 働 量 は,1relong あ た り2- 3割 で あ る。 写真

2

sisirkerbau による田ならし この 1週 間後,水 牛 に大 きな熊

(sisirkerbau) を ひかせ , 川 な ら しを行 な う。 この とき も, sisirtanganの場 合 と同様 に, 回 の

に8つ ば か りの うね (batas) を 作 る。sisirtanganと sisirker -bau との違 い は,前者 に よ る うね は草 が主 で あ るの に対 し

,

後者 で は, 一字と土 が ま ざ って い る点 で あ る。sisirkerbau の場 合 も, だ い た い3- 4日お きに, 3度 ば か り うね を作 る。 そ して最 後 の 用な ら しの4日後 に,sisirkerbau で土 地 を平 準 にす る。この rF・:業 は,perata(rata-eventheground)とよばれ , これ に要 す る労 働 は,1relongあ た り 1もりで あ る。

4

年 前 か ら,tenggala に代 わ って トラ ク ターが使 用 され るよ うにな ったが , まだ十 分 に普 及 して い な い。 整地 の 作業 を,村 人 が どの よ うな形 態 で行 な って い るかを示 す のが,表

1

2

で あ る

。5-1

0

r e-1ong の耕 作農 家 が水 牛 を もつ割 合 が 高 い こ とは既 に示 した が , こ こで も, 彼 等 が主 と して 自 らの水 牛 を使 用 して , 自力 で整地 す る割 合 が高 い こ とが 明 らか とな る。水 牛 を所 有 しな い に も かか わ らず , 自力で 整地 を行 な う者 は,水 牛 所 有者 か ら

,1

期 あた り,現 金 で

M$60-1

20

,籾 米 で 1kuncha か ら 1.2kuncha5'程 度 の借 用料 を払 って , 水 牛 を借 りる。 水 牛を もたず , し か も若 い男 手 を 欠 く場 合 には,水 牛 と人 , あ るいは トラ クタ-を雇 う。水 牛 と人 の場 合 には,

1

2

5

) 1

kuncha

-1

0

naleh

-1

6

0

gantang≒728β

,1

kuncha は,だいたい M$

9

0

に相当す る。

(12)

2-耕

規 模 情地作業 F′- 力(水牛 空 Flf)J雄 用(水牛莞 扉

(水牛藍 トラク}]-[水牛TL,l 不

(

水牛蓋 し

〓ノ

し ‖ ノ L r J 〓 ノし い ノし 日羽・坪 内 :マ ラヤ北西部の稲作農付 表 12 耕作

模 別 に み た 情 地 作 業 3relong

満 3- 5来満 5-10来満 10-15来満 15- 計

18(26・7

'

!

r

22'61・/;

j

'

目 釘39(88・6'''i gil.(55・5''r5

2

0)2。28・6rL

S

81'59・br!'i b)1(2 ・3) 呂)2(11・1) a) 1(14・3) 4.) 4( 3・0) \-. ノ ) 8 1 7 1 2 1 L t ㌧ n U 4 1 i ヽ ・ ト ノ 2

8

0 4 \1. ノ ′ \Iノ \ ノ 0 3 0 0 3 0 5 1 1 ′ し ( ( 5 4 3 1 ^ ' ∼ + 1 4 0

4

0

3

1 書1 4(22・2) 3)3(4218)2;)32(23・7) 40)4(9・1)

"

1(5・6) H 1(14・3)140)14(10・4 )

1(5・6) 40)4(3・0) 4 4 ) 0 0 1 ( 6 3 \ -ノ 0 0 1 ( 30 (100) 18 (100 ) 7 (100 );13 5 (100 )

1relongあ た り,現 金で M$15- 30,粗 末 な ら 25naleh∼ 315nalehを 払 うo l制あ た

′」契 約 で 水 牛 を 他 人 か ら借 りた 者 が , こ

L

)jよ うな 賃仙い ・:=応 じる場 合が あ る。 トラ ク ター

U

)

合 は ・ 荒 お こ しだ け で, Irelongあ た り M$8- 10を 支 払 い , 成 りC))T十業 はEJl力で 行 な うか , a,)る い は さ らに 人 を 扉 う。 3. 苗 代

地 の 情理 もか な りで き た7月申旬 頃か ら, /k件 を車 」、と して(吊 に作 りが ほ じLV)られ るo バ ダ ン ラ ラ ン付 近 に は , 伝統 1伽 二は 2f招 lT匠 眉目巳が あ る。 一 つ は 浮 き苗 代 (tapak semairakit

Roatable seed bed)で あ り, 他 は 晋通 の 苗 代 (tapak semaibiasa)で あ る。 前者 は , 水 深

U

深 い と こ ろ に←)く られ るが , パ ダ ン ラ ラ ンは.西隣 りの 付 に く らべ て ,

L

二地 が や や 高 くな って い る

o

)で, 水深 も浅 くな り, 浮 きF附 し与 つ くる人 は ほ とん どい な い。 以 下 , 二つ の

J

j

法 につ い て や や 詳 し く述 べ る。 (1) 浮 きtrf'目し (tapak semairakit) tapak semairakitは , 米 作 りの た め にiTl上し二C/_)

方法

だ と もい わ れ て い るが ,

T

服バか か り,

現在

で は , この 苗 床 を作る人 は 少 な い0 日 のJ rlr'lTSま たは畦 に 上 を 盛 り上 げ , 多 くの刈り早を し き, そ の上 に バ ナ ナ の葉 を 3m lm く らい に 敷 き, さ らに そ の上 に1.6cm く らい の 上 を FTJr7_く。 灯 , 木 な どで も よ い とい わ れ て い るが , これ に Ij:T-一問 が い るの で 行 な わ れ な い 。 上 に か ぶ せ る 土 に は 粘 土 質 の も0)が艮 い とい わ れ , こCJ)_日 二相 を 播 く。

種 籾 の 量は , 通常ojTF十代

0

_

)

合, 本用 1relong あ た り 2gantang (10aあ た り約 3・24)要 す る とい わ れ るが , 浮 き苗代 の場 合 に は 発芽 率 が よ い の で, 1relongあ た り 1・5gantang (10aあ た り2.44)で 足 り る と さ

る。 種籾 .'ま, 2

J

車 く付

二-

つ上

さ らに3 1川H,除 に む し7)

伏 o)もの に 広 げ てlE.rll;1くと 発 芽 しほ じさzjる。

(13)

東南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第ュr,I

播種 は,農 事暦 (natijahmusim bendang)に従 い, 牛 前5時頃 (suboh)にす ぼ る座 (bintang tujoh,Pleiades)が 見 られ たtlの勧 7時 頃 に行 な うのが最 もよい と され るが, これ に注 意 して い る人 は少 ない

。普

通は大 候 を 見 て適

に仕

事を は じめ る。

播 かれ た種 は,強 い陽 光 を避 け,鳥 に食べ られ な い よ うに,草 (rumputmenyolok)で覆 う。

が浮 くよ うに な って い るO 播種 の 後,約 1週 間 もす る と, 稲 は 10cm くらい に成 長す る。出が30-40本 くらい付 着 して い る約 10cm 平

j

jO

j

土 のかた ま りを , 今度 は, 7-8cm くらいの間 隔を 鍔 いて,普通 の水 苗代 (tapak semaibiasa)に移柚 す る。 この苗代 は, Ⅲ植 え の時 の便 宜を戦 略的 に考 え て , 本 田 の

当な場 所 (通 常 畦沿 い) に作 られ , そ の

も封ま,本 日」の約30分 の 1で あ るO 宙 の先 端 が水 面の上 に 出て いな けれ ば な らないので ,苗 床 の土 は 高

盛 り上 げられる。 そ して苗代 が,鼠 , 毛 虫,

鴨 ,水 牛 な どに荒 らされ な い よ うに,細 い切 り竹 を 詰 め たて た垣 で 囲 む。垣 のため に, ときには

魚綱 が用 い られ る。 JlI和Iiえ は, この後,50日余 りた って

なわれ るが,雨 が多 く て,水 墨 がふ え過 ぎた場 合 には, しば しば延 期 され る。 (2) 水 苗代 (tapak semaibiasa) 水苗代 は,皿の土 を鋤 いた (tenggala)後,鵠鍬 を か けて土 を な ら し (sisir)

,

苗代 の 部分

C

/

)

土 を盛 り上 げ て,排水 して 作 る。 苗 床 は, バ ナナの 幹 (batang pokok pisang)また はニ ッパ

写真3 細い切り竹を詰めたてた壇 で

かこまれた苗代,水深をバケ

ツで調 節 す る

14

o

j幹 (batangpokoknipah)杏, ひ もで結 わ えて ロー ラー (badai)と し,人力また は水 牛 で ひ っぼ り,土 を 平 らに して 作 る。 バ ナ ナの幹 は,土 が付着 せ ず ,極 い た め,好 ん で 用 い られ る。

籾 の用意 の仕 方 ,苗 代 の人 き さは既 述 の通 りで あ る。 菌が 5cm くらい に まで 成 長 す る と, そ ろ そ ろ苗代 の

に水 を入 れ は じめ るが

,苗

の先端 が常 に水 血上 に 出て い るよ うに

意 され る。 また, 水 深 は,7-10cm 以上 に な らな い よ うに され る。 あ ま り水 が深 い と苗 が や わ らか くな り,苗を (ltき抜 くの に囲 るか らで あ る と い う

に述 べ た よ うに, この地域 で は,満 潮 時 に海 水 が漕 潜水 路 に逆 流 して 来 るの を防 ぐた め水 門 が閉 ざ され ,雨 の降 り具合 に よれ ば,水 が非 常 に深 くな るお それ もあ るので ,水深 には か な りの注 意 が払 われ る。

甘 代 の場 合 には , 日柄 え まで40-50日か か る。

- 1

(14)

4-L月」・坪 内 :マ ラヤ北 西 部 の 稲 作 農 村 4. 日l 机 え 日 柄え は 後述 す るよ うに∴ 衣朕 ,近 隣 , 視族,雇 用者 な どC

,

口司

業 と して 行 な わ / iLる。什 rJTIIの 内容 は以

卜C

/)通 りで あ るし まず甘代 で , 直径 10cm く らいU力FJ{T-u

J束

を作

る。 この時,眉は も う70-90cm く ら い に/i:_長 して い る。 眉 oj葉先 を 30cm

勇陳

して , 日

'

J

jk量で

株間

が 30cm あ るい ./a:それ 以 上0j l

l

:

_

帖 え を 行 な う。 (皿穴え は , 手柚 え に よ る場 合 と, kuku kambing とよばれ る 11」帖 え 棒 を用い る場

柚 の傾 向が あ るO 旧柚えU)2- 3日後 に ,根 o)-)か な い 情 を ひ き抜 いて 帖 え か え る。 これ を menyu-1am (replantfresh seedlingsin placeof onesdead) とい う。 バ グ ン ラ ラ ン に お い ては , 古 く は baja 写 真4 苗代か ら昭を ○ きぬ き車 に す ろ 写 真 5 葉 先を L)JIlとられ たFfTtl.の来 写 真6 kuku kambing とよばれ ろll1植 え の道 ,Fと(左 上L_植えかた (右)

- 1

1

5-

5

(15)

南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1号

写真 7 田 植 え

bukit(丘の肥 料)とよばれ る こ うも りの 糞 が肥 料 と して 用 い られ たが ,近 年 で は硫 安 (bajagula)や, 配合肥 料 (bajac hampo-ran)な どの 化

捌 巴料 が用 いられ るよ うに な った。 施肥 は , 借地 が済 ん で

l

桐h:えをす る前 に1回

,江湘

iえ 後 さ らに 1

とい うの が 普通 で あ る。 熱 心 な人 は, 出植 え後 しば ら くして ,稲 の

長 の悪 い

所 に適宜 ま く こ と もあ る。 5. 本 山門 理 と災 害 対 策

植 え後 の主 な仕事 は,小 さなtajakで除草す る こ と, ねず み な どの害 に気 をつ け る こ と, 水 深 を 2- 3日お きに見 に行 くことな どで あ る。 以下 ,主 な災膏につ いて 述 べ る。 (1) 水 吉 u植 え後 の水 深 の調 節 は極 めて 重要 で あ るが ,漕 翫 ・排 水 設備 が十 分 で は な いので , 降雨 量 の 多少 によ って変化 す る水 量 の調 節 は,完 全 には行 なわれ な い。 例 えば,1963年 に,水 田の水 量 を調 節 す るた め に,村 のrL1央 を二貫流 す るア ロ-ル ジ ャ ング ス

の土 手を高 くも り上 げ, この 川 に連 な る水 路 との境 に,水 門 が設 け られ た。 この工 事 の 目的 は,水 不足 の時 に,水Ⅲ に適 当な水 深 を保 たせ るた め で あ ったO しか し, こ

0

)ことは,逆 に

水 を悪 化 させ る結果 とな った。 1964年 は,雨 量が特 に多 い年 で は なか った が,排 水 が良 くなか った た め に,村 の北西部 の低 地 で は

,

深 が増 し, Ll珊 TIえ後 に

が枯 れ て被 害 を蒙 った農 家 が少 な くな い。 村 人 の伝 え る と

ころ に よれ ば,KubangJawa,Kubang Jawi,TepiLaut,Mergongな どの近 接 す る低地 の村 に被

が 多 く,パ ダ ン ララ ンで も約60%の

皿で

,苗

枯 れ の被 害 が あ った といわれ て い る。 この よ うな苗 枯れ に際 して農 艮 が苦労 す るの は,新 た に苗 を探 す ことで あ る。 植 えか え の た め には,苗代 の

を購 入 す るのが最 適 で あ るが ,被害 地 は菌 不 足 とな るので , 自然 ,遠 方 か ら 求 め ね ば な らな い よ うに な る。5km ほ ど離 れ た所 か ら苗 を運 搬 す る場 合 ,ど う して も運賃 が必 要 とな る。 1relongの水 出に要 す る苗 oj量 は30束 (unting)で あ るが, その値 段 は 1束20セ ン ト,

M$6で あ る。 自転 由 で運 ぶ の に人 を雇 うとすれ ば, 1回 に10

運 ん で50セ ン トで あ る。 川舟 (sampan)で は, 1度 に100束 くらい運 べ るが, 1東 あた りの運賃 は, 自転 車 の場 合 と同 じ く らいか か る。 植 えか え のた め に人 を雇 用す れ ば , そ の費 用 は,1relongあた り,M$7で あ る。 従 って ,植 えか えを全 部,賃 労 働 で行 な えば,1relongあた り,M$14.50かか る。 しか し,

代 の

を購 入す る ことは,需要 も多 いか ら容 bjJで は ないO それ に あ ま り (

3

カ月

16 ー 16

(16)

-Ll羽 ・坪 内 :マ ラ ヤ北 西部の稲 作 農 付

以 上 )生 長 した苗 は よ くな い と され るO この よ うな場 合,植 えか え の苗 と して ,す で に本 LL=こ

移植 して あ る稲 を用 い る。 稲 の1株 (perdu)は,6つ に分 け る ことが で き,1relongの稲 は, 6relongの 閏 に植 えか え られ るとい う。 3カ月 くらいの稲 の代価は,1relongあた り M$40-50といわれ る。 この場 合 ,植 えか え られ た 稲 の称 は,通 常 の もojよ り小 さ くな るた め,米 の収 量 は2/3くらい にまで減少 す る。 1964年 のパ ダ ン ララ ンの水 害 は, [摘 f7:え後2- 3日か ら 1週 間 後 の こ とで あ ったか ら, あま り問題 は なか った。 (2) 早 題 字鬼射まあ ま りお こ らな い といわれ る. しか し, 15年 前 に, か な りひ どい水 不足 が あ り,収 穫 は平 年 の

1

/3

くらい しか なか った といわれ て い る。 この時 には, 小 作農 の中には,小 作料 を払 え なか った者 も少 な くなか った。 男 は あ らゆ る賃 労 働を し,女 は龍 (bakul)とご ざ (tikal)を 作 って売 り,生 活 の糧 を得 た とい う。 毎年 5月頃に, 雨乞 いのた め の共 食 儀礼 (kenduritolak bala)が , イ ス ラムC')宗 教 教師 (guru ugama)を

心 と して行 なわれ る。 (3) ねず み の告

1

0

年 前 頃 まで, ねず み が多 く,防 御 の適 当な手段 が なか った うえ,ねず みを い じめ る人 はひ どい 目に会 うとい う信 仰 さえ あ った。 それ ゆ え,宗 教 に詳 しい人 (Orang alim)に頼 ん で ,紙 に コ- ランの文句 を 吉いて も らい, ねず み 除 け (azimattikus) と して ,田の中に入 れ た。

10年 ほ ど前 か ら, 竹 で 作 った ね ずみ取 り(perangkap tikus)を仕掛 け るよ うに な った。 現 在 で は, ねず み が あ ま り多 い と,農 業 局 か ら毒薬 を も らって使 用す るO

写真8

刈 り 鎌

・ 1

7-

-

-写真9 稲 刈 り

(17)

東南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第171

-写 真10 脱 こ く 写 真11 脱 こ くの用具 tongとtanggatong

6. 刈 り 入 れ

(l) 稲刈 り (memotong)

稲刈 りは主 に女性 の仕事 で ,後述す るよ うに,家族 員 ,ゆ い (berderau)の メ ンバ ー, 雇 用 労働 団 (Sharegroup)な どによ って行 なわれ る。1.5m くらい に生 長 した稲 の根 の方 を30-40cm ほ ど残 して ,稲刈 り鎌 (pisau pengerat)で刈 り,刈 った稲 は,直径 25cm くらいの束 に して , しぼ らず に刈 った地点 に置いて お くO (2) 脱 こ く (memukul)と風 選 (mengeroi) 刈 り取 られ た稲 の束を主 に男性 が,板 (papaれ)の上 においた, まわ りを ござ (tikal)で おお 写 真12 自然の風 による風速 18 写真13 手 まわ し扇風機 による風選

ー 1

8→

(18)

口羽・坪 内 :マ ラヤ北 巨姻 二の稲作農 村 った 「お け

(tong) の中の, 小 さなは しご様 の もの (tangga tong)の上 にた た きつ けて, 脱 こ くを行 な う。 この後, 籾 は竹 製 の 「ふ るい」 (nyiru)にか けて 風 選 され るO ち ょうど この時 硯 は, 東風 (angin timor) が強 いので , 自然 の風 を利 用 すれ ば十 分 で あ る。 風 の ない時 には, 手 回 し扇 風機 (kipasangin)が用 い られ る。 この扇 風機 を使 用す る と,1kunchaの籾米 の風 速 に,20セ ン トの借 用 料 を払 わ ねば な らない。 風選 が済 ん だ籾米 は, 家 の そば に建 て られ た 穀倉 (jelapang)の中に

存 され る。 V 稲 作 の 共 同 労 働 ]. 労 働 の 形 態 稲 作の作業 の内で ,共 同労 働を必 要 とす る ものは, 写真14 穀 倉 (jelapang) 山 捕え,刈 入 れ ,脱穀 で あ る. これ らの労 働 の形 態 と して ,村人 は理 念 と して ,三 つ

C

/)ものが あ る と考 えて い る。 第 1は, 家族員 の共 同 だ け によ る最 も単 純 な形 で , 村人 は, この こ とを buat bendang sendiriとい う。sendiriとい うの は, 「独 力で」 とい う意 味 で あ る。 村ノ∪こよれ ば,3relong 未満 の経営 規 模 な ら,家族 員 の労 働 力 で , 団植 えは十 分行 なえ るとい う。 しか し,実 際 に検討 して み る と,3rolong未満 の農家30戸 の うち,家族 員 のみ で Lf]植 えを済 ませ て い るの は,わず か

8

戸 で あ るo これ は,既 に述 べ た よ うに, マ レ-人 の家 族

C

/)主 な型 が単 純 な核家族 で あ り, 家 族 内 に労働 力 の余 力 が少 な い とい う事実 と関連 して い るよ うに思 われ る。 第 2は,家 族 間 の労 働 力 の交換 に よ る伝統 的 な共 同 の形 態 で あ り,derauまた は動詞で ber-derauとよばれて い る。derau とは, 近 隣 な らび に近 くに

住す る親 族 の間で , 一 定 の耕地

山根

(5-10relong)を基 準 に して ,5-20戸 の農 家 が それぞれ の持 ち分の水 LUで , 順次共 同 で Ⅲ植 えや刈 入 れ を行 な う共 同労働 の形 態 で あ る。 闇抽 えや刈 入 れ は,原 則 と して女性 の仕事 で あ る と考 え られて い るた め に,各農家 か らderau に参加す るのは,女牲 1名で あ る. EH柾lIえ の場 合 には, 情運び (atorsemai)山里

件が

,derau の規 模 の大小 に よ り, 1名 また は2名参加 して い る場 合 もあ るが, リ川:.揺-湖封二,女性と共 に これ らの労 働 に従 事 す るこ とを恥 ず べ き こと と考 えて い る。

derauは, どち らか とい えば, 刈入れ よ l)も旧柄 え において , よ ∼)しば しは行 なわれ る。

derauに参 加す る各 家族の闇係 は, あ くまで対等 で あ るが

,閏

定 した もU)で はない

従 って ,

(19)

東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1弓・ derau 集 団 の構 成 は,必ず しも毎年 同 じで は ない。 第3は,不 足 の労働 力を雇 用 (upah)によ って補 な う形 態 で あ る。村人 が upah とい う場合 , 性格 の違 った二 通 りの ものが あ る。 いわゆ る近代 的 な賃労働 と して のupah と,か な り古 くか ら存在 して い る個別主 義 的 な upah とで あ る。 前者 の場 合 には,被 雇 用者 は誰 で あ って もよ く,雇 用者 は誰 を雇 用 しよ うとも,公平 な態度 を とるのを原則 とす る。 15, 6年 前 か ら, パ ダ ンララン村 に も 顕著 に見 られ るよ うに な った upah は,零細 農家 や農業労働者 の女性 か ら構 成 され る作業 集 団 の雇 用で あ る。 この集 団 的労 働 に よ って得 られた収益 は,成員 間で公平 に分 配 され るため に,村人 は, この集 団 の労働形 態 写 真15 田植 えの Sharegroup

を,英語 の share,また は中国語 源 の kongsi と呼 んで い る。relong あた りの雇 用賃 金 が, 閏植 えの場合 には, ほぼ一 定 して い るの に対 し,刈入 れ の場 合 には,早 生 や晩生 の稲 によ って異 な るので,share は刈入 れ の場合 に よ り多 く行 なわれ る。 後者 の場 合 には,雇 用者 と被 雇 用者 とが個 別 的 な関係 にあ り, しか もこの雇 用 関係 にお け る賃金 は,労働 に対 す る報 酬 とい う意 味以 外 の社会 的意 味- 生計 の援 助 とか扶養- を も有 して い る.労働 力 が家族 内 にない場 合 , そ の家族 と個別 的 な関係 の あ る親族 また は近 隣者 を雇 って ,derau に参加 させ る形 の upah もこ れ に入 る。

2

.

現 実 の共 同労働 組 織 [=コ 農 懲 (新字は耕作面積 .「、-relong) [亙]- [亘] AはRを居間 図2 derau(

+

upah):基準耕地面積10relong の場合

2

0

以上 の

で,最 も共 同的 な色彩 が強 いのが derau で あ るが,この 純 粋 な形 は近年 ほ とん ど行 なわれず , 村人 が derau と呼 ん で い る もの は,大部 分 「derau+upah」 の形 式 で あ る。 例 えば,図2におけ るよ うに,derau の 構成 農家 の経営 規模 は,必 ず しも一定 の基 準 耕地面積 に満つ るもの ばか りで はな い。 この 場 合 ,その よ うな農家 は,耕 地 の不足分 を ,他 の家族 の被雇 用者 とな って集 めて くる。 また 労働 力 の ない農 家で は,誰 かを雇 って derau に参加 させ る場合 もあ る。

この よ うな derauが終 了 した後 に,derau

(20)

0-口羽 ・坪 内 :マ ラヤ北西部 の稲作農村

a

)構 成 員 の

の貧 農 や 働 き者 が, share の 集団 を 構 成 し, 雇 用者 を求 め て 仕事 を す るの か , share の一 般 的 な形 で あ るD も っ と も最 初 か ら Share group を構 成 す る もの もあ る。

Ⅲ植 え と刈 入 れ につ いて , 各 農 家 が ,上 述 の労 働 形 態 の いず れ を と るか を 調 べ る と,表13お よ び表14の よ うに な る。sendiri型 は

,

農 家 の耕 作規 模 が 小 さい ほ ど そ の割 合 が 高 く,berderau 型 は,5- 10relong の中堅 農 家 に お いて , そ の割 合 が最 も高 い こ とが 知 られ る。upah 型 の割

合 は ,耕 作面 積 が 増 加 す るにつ れ て 多 くな って い る。

刈 入 れ の場 合 に は , 田植 え に比 して upah が 多 い。 これ は

,

既 に述 べ た よ うに, 稲 の ,ldrl種 に よ って ,必 要 な労 力 が 異 な り, 平 等 な労 力 の交 換 が行 なわ れ得 な い か らで あ るO

さ らに, 刈 入 れ 時 に は ,東 海 岸 の Kelantan や , タ イ領 の Pataniな どか ら, 出稼 ぎ労 働 者 表 13 耕作規模別にみたLu植えの労働形態 Ⅲ作現 代 労働形態 S B Share U S+B S+U B+U 不 明 計 3relong未満 3- 5未満 8(26.7)%・ 9(25.0)% 8(26.7) 16(44.4) 1(3.3) 0( 0) 8(26.7) 11(30.6) 1(3.3) 0( 0) 0( 0) 0( 0) 1(3.3)

0

(

0) 3(10.0) 0( 0) 30(100) 36(100) S-sendiri,B-berderau,U-upah

S B Share U S+B S+U B+U Share+U S+B+Share+U 不 明 1964.10 11 22(50.0) 4(22.2) 2(28.6) F 52(38.4) 1(2.3) 2(ll.1) 14(31.8) 10(55.5) 2(4.5) 0( 0) 0( 0) 1(5.6) 1(2.3) 0( 0) 0( 0) 1(5.6) 44(100) 18(100) 表 14 耕作規模別にみた刈入れの労働形態 3relong未満 3- 5未満 9(30.0)% ; 10(27.8)% 4(13.3) 7(19.4) 2(6.7) 1(2.8) 10(33.4) 17(47.2) 1(3.3) 0( 0) 0( 0) 0( 0) 0( 0) 1(2.8) 0( 0) 0( 0) 0( 0) 0( 0) 4(13.3) 0 ( 0) 計 F 30(100) 36(100)

S-sendiri,B-berderau,U-upall

0( 0) 1 4(3.0) 1 0( 0) 1(0.7) 0( 0) 2(1.5) 0(

0

)

4(3.0) 7(100) 135(100) 1964.10 1 2(4.5)% 1(5.6)% 0( 0)% 22(16.3)% 10(22.7) 1(5.6) 5(ll.4) 2(ll.1) 23(52.2) 11(61.0) 0( 0) 0( 0 ) 1(2.3) 2(ll.1) 0( 0) 0( 0 ) 1(2.3) 0( 0) 1(2.3) 0( 0) 1(2.3) 1(5.6) 44(100) 18(100) 一一21--一 0( 0 ) 22(16.3) 0( 0) 10(7.4) 7(100) 68(50.6) 0( 0) 1(0.7) 0( 0) 3(2.2) 0( 0) 1(0.7) 0( 0) 1(0.7) 0( 0) 1(0.7) 7(100) 135(100) 21

(21)

東 南 ア ジ ア 研 究 第5巻 第1号 表 15 出 稼 ぎ 労 働 者 の 雇 用 1964.10 耕 作規 模 被雇 用者 の世身地 Kelantanのみ Kelantan+ PadangLalang Kelantan+Patani Pataniのみ Patani+ PadangLalang BukitMertajam 計

,

I

-

,

-

--I- 一丁 - _一二∴ l 上 上 5 計 - :I が , 数 名 の組 とな って や っ て 来 る。 これ らの労 働 者 を 雇 用 した 農 家 は , 1963年 度 に は11戸 あ った。 そ の詳 細 は , 表15の通 りで あ る。 1 刈入 れ の場 合 には,derau を行 な い難 い理 由が 明 白で あ るが

,

田植 え の場 合 に は, なぜ , 純 粋 な derau が行 なわ れ な い ので あろ うか。 upahを 多 くして い る 社会 経 済 的 条件 を 指摘 す れ ば次 の よ うに な る。 第 1に,経 営 規 模 が貧 農 か ら富 農 - と拡 散 的 に異 な って いて ,平 均 化 して い な いた め ,近 隣 者 の 問 で , 純 粋 な derauの集 団 を編 成 しに くい。 第 2に,一 方 で は均 分 に近 い相続 法6)と人 口増 加 に よ る農 地 の細分 化 が進 行 し,他 方 , 広 い 通 婚 圏 や貧 農 の離 村 に よ るか な り活発 な地 域 的 移 動 な どの結 果 ,農 地 の売 買 ,貸 借 が ひん ぽ ん に行 なわ れ て ,経 営 規 模 が変 動 し易 い状 態 に あ る。 それ ゆ え ,derau集 団 の構 成 家 族 の 関係 を 永 続 的 に固定 す る こ とが 困難 とな り, また 純 粋 な derau集 団 の編 成 もむ ず か しい。 第 3に, マ レ-人 の家 族構 成 は ,原 則 と して 核 家 族 で あ り,家 族 労 働 力 に余 力 が な いO 若 い 世 代 で は,女 性 が , 妊 娠 ,子 供 の 養 育 ,病 気 な どで働 け な い場 合 に は, た とえ経 営 規 模 が小 さ くて も,upahに よ らざ るを得 な い事 態 が発 生 し易 い。 第

4

に,個 人 本 位 的 な財 の所 有 形 態 が存 在 し, 自分 で 農 地 を所 有 管 理 す る強 い傾 向 が あ る。 従 って ,親 が老 令 に なれ ば ,子 に農 地 を小 作 させ るか ,子 を農 業 労 働 者 と して雇 用 す る。7' つ ま り,農 家 経 済 の点 か らほ , 純 粋 な derauを行 な うこ とが理 想 的 で は あ るが ,上 記 の よ うな社会 的 ・経 済 的条件 が,upahを 避 け得 な い よ うな体 制 を形 づ くって い るので あ る。 従 っ て ,人 を雇 うこ とが 多 い こ とや , 自力 だ けで農 業 を営 む事 例 が少 な い こ とは,必 ず し も, よ く 言 わ れ るよ うな マ レ-人 の怠 惰 な性 質 に よ る とは考 え られず , また ,都 市 か ら近 代 的 な賃 金 雇 用 の観 念 の影 響 を うけた た め で あ る と もい え な い よ うに思 え る。 くり返 せ ば , マ レー人 農 民 の 社会 構 造 の 内面 的性 格 に よ る と ころが少 な くな い ので あ る。 22 6) パ ダンララン村では, 男子を優先 しつつ も均分的な傾向を もつイス ラム法による相続 と, 慣習法 (adat)による男女に平等な均分相続 とが並存す る。 詳細は, 口羽 ・坪内 ・前田 「マラヤ北西部の稲 作農村- 農地所有の零細化について」『東南アジア研究』第3巻第 1号,pp.48-51参照。 7) cf.口羽 ・坪内 ・前 田 oP.

c

i

t

.

,pp・38-41・ - 2

参照

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