継続的インタビュー調査からみるネパール地方圏に
おける生活戦略の変化-故郷定住をめぐる意識を中
心に-著者
小林 正夫
著者別名
Masao KOBAYASHI
雑誌名
東洋大学社会学部紀要
巻
57
号
2
ページ
33-43
発行年
2020-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00011842/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止タビュー調査か 止夫 J
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対象地域
本稿での調介対象地域は、ネパールの西部地域でヒマラヤの山麓部に当たるゴルカ郡プリトゥビナ ラヤン市内のD
地区5)である。ゴルカ群全体の総人口は2
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歳代までが多い)の配偶者や子供などの移住によって市街地が拡大し、居住人口が増えている。ただ し、特段の工業集積や大きな観光資源はなく、出稼ぎ者や高校生などが就職先に県都を選ぶことはあ まり多くない。そのため、若年層男子の人口に関しては、流出超過傾向にある。 今回、インタビュー調在を行ったSさん (50歳・男性)が住むのは、郡都の市街地から4kmほど離 れた農村地域にあたる総戸数4
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地区である。ここは、郡北東部のタプレ村など面ブリ・ガ ンダキ川方面への街道と、郡南東部のブンコット村方面への街道が分岐するところにできた集落で、 徒歩交通の時代 (1990年代半ば)までは茶店や商店でにぎわっていたが、自動車道路が通じてから ●高校(公立) • D中学校 ロD中学校(仮設)□
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● カトマンズ市 ▲ プリトゥピ ナラヤン市 図 1 調査対象地域の地図タビュー調査か 止夫 は、 く、 おり、
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ネパール地震とその後の生活戦略:親世代と子世代の対比
4.1. ネパール地震による被害状況 2015年の地簑のうち、 4月25日の簑源は同じゴルカ郡の北西部で、 D地区でも、人的被害はなかっ たが、「出稼ぎ御殿」と呼ばれる築浅のコンクリートで壁を固めた家屋を除く、レンガ造りの古い家 屋を中心に、 70%以上の世帯で、壁や床・天井に破損/亀裂が生じるなどして、居住不適の診断が 下った。幸いにして雨季前の温かい時期で、緊急支援によるトタン板・ブルーシートの供給も比較的 順調であった。木や竹と組み合わせて、屋根や壁に使うことで仮設住宅を設置し、雨季は地縁コミュ ニティの濃密な人間関係に基づく相互扶助で乗り切った。 このころ目立ったのは外国出稼ぎ者の一時帰国で、通常はできるだけ外国で稼いで賃金を最大限溜 めて帰国するところ、出稼ぎ先やポジション等によるが、枇界各地から復興支援の支援金や自身の貯 蓄とともに里帰りし、その後の復興を検討する人がD地区のみならず近隣でもしばしば見られた。そ うした個人の動きに加え、学校の建物はどこも被災しており10)、諸外国の各種機関・団体が郡内各地 に入り込んで活動していた。こうした動きに直接関わりなく、当時、自身の家族4
人と弟家族4
人に 図2 Sさん宅の仮設住居 (2015.8.8撮影) 援助資材のトタン板・ブルーシートと自家調達の木材・竹で自作 母屋の一部を利用しつつ、のちに、床にも板や敷物を敷き壁に防寒対策をするなどして、 3年 以上使い続けることになった。東洋大学社会学部紀要第57-2号 (2019年度) 図3 D地区中学校地震後の崩壊した校舎
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撮影) 母親とともに暮らしていた母屋が居住不可能になったSさんでも、「ちょっとにぎやかでお祭り的な 状況に感じられた」という叫 4.2. 親世代の生活戦略再考 しかし、雨季が明けた2
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月になり、緊急支援から復典支援へ、よりよい姿の再建へ、と言 われる頃になると、 D地区内では(ネパールの被災地はほぽ共通して、であるが)、出稼ぎ者がいて 復興資金を用立てる可能性がある世帯とそうでない世帯の間に温度差が生じるようになった。ネパー ル政府は、諸外国からの支援金を被災者の住宅再建資金として配布する方針は打ち出したものの、そ の金額や対象者・配布法などを詰めることが出来ずにいた。そうした中で、世帯内で外国出稼ぎ者の 資金を活用できる冊帯は、資材の値上がりなどに備えて、いち早く再建への準備を整えつつあった。s
さんの弟は、建築士として、新たな耐震構造を必須とする家屋再建の現場監督などで日々郡内各 所を回っていた。しかし、自分自身は、レンガや石を土で固めた古い建築様式の自宅を撤去し、耐震 性充分な新規格で再建するための資金を国内での仕事で得るには至らない。 また、S
さんは、地霙前の2
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年に、長らく望んでいた正規教員への昇格が決まり、高校教貝とし てD地区より北方約5kmあまりのタプレ地区の高校に配属され、給与が増えたものの、息子と娘が中 学・高校に上がって(娘の学費は無償ながら)息子の学費や受験に向けた補修費に加え、子どものモ バイル経費など出費がかさみ、通勤用のバイクを買うこともできず、毎日往復2時間以上を徒歩で継続的インタビュー調査から見るネパール地方圏における生活戦略の変化/小林 正夫 図4 D地区中学校仮設校舎 (2015.8.8.撮影) 中国の援助により、臨時的に集落外(図1のD地区左上の口印)に設置された。 通っていた。 そして、結果的に、ゴルカ郡における政府からの被災世帯向け再建資金補助は2017年にずれ込んだ が、その条件は、特定の時期までに家の基礎工事を終了していること、と定められた(後に期限は撤 廃されたが)。すなわち、自己資金で建設に着手できる見込みがないと補助を受けられないというこ とで、これが発布された時の
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さんたちの当惑は大きかった。S
さんも弟も、地区内では、農地は狭 いが定まった収入があり比較的安定していると考えられているが、兄弟が同居している母屋を改築す ることは、子どもへの教育費等を勘案すると12)経済的に厳しいと判断されたためである。結局、 S さんたちは2世帯同居を解消し、弟は自らの技術を活用して母屋の一部を暫定的に改修し母親と同 居、 Sさんは狭い敷地に小型の…近い将来、子供たちは他出し夫婦二人になることも想定し…住宅を 作ることとして、 2018年、ようやく補助申請に至った。s
さんは、これについて、経済格差は外国出稼ぎの有無とリンクするという認識が地震を契機に強 まった、と述べている。そして、長男は高校卒業試験に2度失敗し、話し合いの結果、カトマンズの 商業施設での仕事に従事しつつ進学を想定して学費を自力で準備するとともに、長女が同居してカト マンズの短大に通うことになった。娘は当初、ゴルカでの進学を模索していたが、兄がカトマンズに 行くのであれば、海外への就労により有利なカトマンズでの就学を、とSさんが話を進めたという。s
さんは、 2018年の時点で、ゴルカ郡という地方圏での暮らしと今後の生活戦略についてこう語る東洋大学社会学部紀要第57-2号 …自分自身は, より, た ヽても、 ぎを る。 レ ︶ 欠 ︸ さ し そ ら、 てもよいと思えるよう くり は、 な る いと き とし
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