Title 近代民主主義国家と市民社会のプロテスタント政治思想序 説 : リンゼイ、アルトジウス、カイパー
Author(s) 豊川, 伸
Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.53, 2012.3 : 251-276
URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=4235
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近 代 民 主 国 家 と 市 民 社 会 の プ ロ テ ス タ ン ト 政 治 思 想 序 説
︱︱リンゼイ︑アルトジウス︑カイパー
豊 川 慎
序
周知のように︑イギリスの政治哲学者であり道徳哲学者の
A・ ピューリタニズムの役割に注目した 1952︶は近代デモクラシーの淵源を一七世紀イングランドのピューリタニズムに見出し︑近代民主国家形成に果たした DAlexander Dunlop Lindsay, 1879︱・リンゼイ︵ Johannes Althusius, 1557/62/63?1638Abraham Kuyper, 18371920︱︱ウス︵︶とアブラハム・カイパー︵︶に注目してみ との関連をさらに明らかにしていくためにも︑リンゼイが詳述しなかった諸点を補う試論として︑ヨハネス・アルトジ the self-governing congregationン﹂︵︶の意義を論じたわけだが︑本稿では近代デモクラシーとプロテスタンティズム イは近代デモクラシー論との関連でピューリタニズムにおけるアソシエーション論︑つまり﹁自治的コングリゲーショ 想的意義であり︑一七世紀同時代の大陸のプロテスタント政治思想の伝統を顧慮することはほとんどなかった︒リンゼ debates︶におけるピューリタン左派の思想や︑オリヴァー・クロムウェル︑そしてロジャー・ウィリアムズなどの思 the Putney︒しかしその際にリンゼイが強調したのはいわゆる﹁パトニー討論﹂︵ 1
たい せて考察することにしたい︒ イの所説を概観し︑次いでアルトジウスとカイパーのプロテスタント政治思想を特にアソシエーション論に焦点を合わ ロテスタント政治思想を展開していたためである︒以下において︑まず初めに近代民主国家の形成過程に関するリンゼ れの時代の課題に応じて︑近代デモクラシーの展開と不可分である社会の中の自律したアソシエーションについてのプ ︒それは一つには︑一七世紀の初期にアルトジウスが︑そして一九世紀後半から二〇世紀初頭にカイパーがそれぞ 2
1. A・ D・リンゼイにおける近代民主国家形成過程論とアソシエーション論 リンゼイは主著﹃近代民主国家﹄︵The Modern Democratic state︶において近代民主国家の形成過程を論じるに際してその第二章を次のように書き始めている︒
近代国家︵the modern state︶︱︱近代民主国家︵the modern democratic state︶はその発展︱︱は一六︱一七世紀の国家の世俗化︵the secularization of the state︶に伴って生じた︒その世俗化は近代国家が特にその当時に中世国家の最も根本的ないくつかの作用理想︵operative ideals︶に対して背を向けていたことを意味した︒主権原理︵the doctrine of sovereignty︶︱︱近代国家の特有の原理︱︱は国家は法に基礎を置くという中世的見解を否定した︒それは全体主義的原理︵totalitarian doctrine︶である︒中世国家は多元的であった︒われわれが見るように︑近代民主国家はいくつかの点で中世的なるものに戻ったのであり︑立憲主義︵constitutionalism︶と多元主義︵pluralism︶に戻ったのであった︒一七世紀の近代国家が拒否した西洋
文明の遺産のこれら諸要素を近代民主国家は新たな形で復元したのであった︒それゆえ︑もしわれわれがこの点で最も重要である西洋文明の遺産のこれら諸要素を簡潔に考察するならば︑近代民主国家の理解に役立つであろう
︒ 3
引用から明らかなように︑リンゼイは﹁近代国家﹂と﹁近代民主国家﹂とを区別し︑一六︑一七世紀における﹁国家の世俗化﹂によって中世国家から移行した﹁近代国家﹂がその特有の原理である﹁主権原理﹂によって国家は法に基礎を置くという中世の国家観を否定したのに対して︑﹁近代民主国家﹂は﹁立憲主義﹂や﹁多元主義﹂などの要素を再び再構築したと指摘している︒そしてリンゼイはその再構築の決定的な契機を宗教改革に始まるプロテスタンティズムに︑とりわけ一七世紀イングランドのピューリタニズムに見ているのである︒ではリンゼイが言うところの﹁国家の世俗化﹂とは何か︑そしてどのように近代国家そして近代民主国家が形成されたと論じているのだろうか︒﹃近代民主国家﹄の第三章﹁国家の世俗化﹂における議論を以下概観したい︒リンゼイによれば︑中世国家は自らを﹁キリスト教世界﹂︵Christendom︶の一部であると考えていた︒そしてこのことは二つのことを意味している︒一つは︑中世国家は﹁より大きな統一体﹂︵a larger unity︶の一部であると自らを考えていたということ︑もう一つは︑この統一体と実際にはあらゆる政治機関が自らを﹁道徳法﹂︵moral law︶に従属するものと考えていたということである︵64︶︒中世国家がキリスト教世界の一部であるということは︑別言すれば︑﹁国家を超える道徳の至高性︵the supremacy of morality over the state︶を承認することを意味した﹂︵66︶︒中世の理論は﹁統治﹂︵government︶と﹁法﹂︵law︶の関連を説明するために﹁自然法﹂︵the law of nature︶の概念を用い︑﹁主権﹂︵sovereignty︶は﹁実定法﹂︵positive law︶の上にあり︑﹁自然法﹂の下にあるとされた︒自然法は法的に有効であるとするならそれは実定法が遵守すべき規範であり基準であった︒王の権威は自然法に具現された権威に由来すると考えら
れたのであった︵58︶︒国家は道徳法︑言い換えれば自然法に従属するものと考えられ︑統治者による実定法は自然法に制約された︵66︶︒リンゼイは言う︒﹁真の中世の立場は神の道徳的権威は道徳法の権威という観点から言い表されていると考えた︒君主の権威であれ︑教皇の権威であれ︑個人の権威は自然法に︑つまりすべての者を結び付ける根本的な道徳法に必然的に基づいていると考えられた﹂︵66︱67︶︒このように中世においては法を制定する統治者は高次の法つまり自然法によって制約され︑法は国家の基盤であることが前提とされていたのであった︒一三世紀の前半は教皇権の絶頂の時代であり︑トレルチが﹁コルプス・クリスチアーヌム﹂︵Corpus Christianum︶という概念で捉えた中世の西ヨーロッパ社会は教皇を中心として支配されていた︒しかしながら︑一三世紀の後半から教皇権は衰退していき︑﹁コルプス・クリスチアーヌム﹂は解体し始め︑﹁中世的統合の崩壊﹂に至った︒リンゼイによれば︑それは一つには中世の法の考え方が時代の急速な変化にそぐわなくなったためである
the new doctrine of sovereigntyな原理﹂︵︶であった︒リンゼイによれば︑﹁主権﹂の特徴の一つは国家を超えるあら 64はや共通の法に拘束されはしなかった︵︶︒そしてこの一六世紀︑一七世紀に顕著になったのが﹁主権という新た absolutist states義国家﹂︵︶の台頭が起こった︒一六︑一七世紀には独立した主権国家が完全に現れるようになり︑も 然法によって制約され︑そのような法が国家の基盤であるという考え方など︱︱が否定されるようになり︑﹁絶対主 一六世紀に入ると︑中世のキリスト教世界において確立されていた諸価値︱︱例えば︑統治者は道徳法あるいは自 69主要な特徴﹂と見なしている︵︶︒ ﹁慣習の領域は縮小し︑政府と行政の領域が増大した﹂のである︒リンゼイはこのような社会の急速な変化を﹁近代の ながら一三世紀後半から中世後期における急速な社会変化に対して慣習法は時代の変化の要求に応えられなくなった︒ the rule of customては十分に機能していた︒大多数の人々は﹁慣習の支配﹂︵︶の下に生きていたからである︒しかし 法は既存のものと考えられていた︒そしてそのような中世の法意識は一三世紀前半頃までの比較的伝統的な社会におい ︒そもそも中世においては 4
ゆる権威︱︱例えば︑教会や帝国の権威︱︱の拒絶であり︑リンゼイはこの主権国家の出現を﹁国家の世俗化﹂︵the secularization of the state︶と表現している︵64︶︒このような﹁世俗国家﹂は自らがもはや国家を超えた法に基礎付けられているとは考えず︑国家を超える法の至高性という考えを拒否したのであった︒既述のように︑中世においては神の道徳的権威は道徳法である自然法という観点から表現され︑君主の権威であれ国王の権威であれ︑それら個人の権威は自然法に基づくと考えられていた︵66︱67︶︒つまり人の権威に対する法の優位が前提とされていた︒しかしながら︑リンゼイによれば︑新たに出現してきた主権理論は中世に国家を束縛した自然法などの制約に対する抗議の表出であり︑法はむしろ﹁主権者﹂︵the sovereignty︶の創作であると主張するに至った︵72︶︒ここでは権威の所在が自然法から主権者へと移行している︒この論理的帰結として﹁主権理論は政治的義務︵political obligation︶から道徳的義務︵moral obligation︶を鋭く分離する﹂︵72︶ことになる
73権神授説﹂によって与えられた解答であった︵︶︒つまり王のみが神の権威を持つとされ︑それゆえにその命令には the irrational religious answerた解答の一つがリンゼイが﹁非合理的な宗教的解答﹂︵︶と呼ぶものであり︑それは﹁王 72という問題は鋭い形で明白に提起される﹂︵︶︒そしてこのような﹁政治的義務に関する新しい問題﹂に対して出され rightauthority法が正しい︵︶からではなく︑法を命じる人の権威︵︶ゆえに法に服従すべきであれば︑主権者の権威 の問題ということもできる︒﹁政治的義務に関する新しい問題﹂に関してリンゼイは次のように言う︒﹁もしわれわれは legitimacyrightnessわなければならないのかという問題である︒これはつまるところ︑法の﹁正統性﹂︵︶と﹁正当性﹂︵︶ とされないならば︑主権者である統治者の命令の正誤や道徳性いかんを問題とせずに主権者のあらゆる命令に対して従 72︶︒政治と道徳の関係︑国家と道徳の関係に関する問題である︒つまり政治的義務を負う主権者の道徳的義務が問題 the new problem of political obligation71︱リンゼイが﹁政治的義務に関する新たな問題﹂︵︶と呼ぶものに他ならない︵ 法の拘束を受けないと考えられるからである︒﹁政治的義務﹂と﹁道徳的義務﹂とのこのような分離が招く問題こそが ︒なぜなら主権理論によればもはや主権者は道徳法である自然 5