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労働騎士団再考―最近の研究から―

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

労働騎士団再考―最近の研究から―

著者 竹田 有

雑誌名 高円史学

巻 19

ページ 1‑19

発行年 2003‑10‑01

その他のタイトル Rethinking The Knights of Labor

URL http://hdl.handle.net/10105/8800

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労 働 騎 士   団 再 考

‑最近の研究から

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化した資本の攻勢と熟練技能を破壊する機械化とに有効に対処できない職能別組合に幻滅して'1八六九年にフィラデルフィ

アで結成された労働組織である︒あらゆる ﹁勤労者﹂ の連帯を唱えへ富をその生産者である﹁勤労者﹂ に享受させようとし

たこの組織の最終的目標は ﹁賃金奴隷制﹂ の廃止と協同組合的産業制度の樹立であった︒

(Terence Powderly)'

能をもたないご‑少数の炭鉱・鉄道労働者よりなる︑総数わずか九千名程度の組織であった︒八一年には'秘密主義の原則

を廃棄して騎士団の名前を公にLへ誓約を信義の誓いにかえて'秘密結社に対するカトリック教会の反対に対処し︑多くの

カトリック労働者の不安を除去した︒その後へ ボストンからシカゴにかけての工業都市で'主に熟練工による職能別組織の

再建の動きを吸収する形で成長した︒そのため︑構造の上では︑ある特定の職種の熟練工を組織した職能別組合と変わらな

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複数の職種で構成され'連帯の原則により合致した混合 (mixed) 地区ならびに地域会議とが存在することになった︒騎士

団は全ての ﹁勤労者﹂ に門戸を開いたためへ メンバーは多様であり'騎士団を政治団体へ 職能別組合の代替も あるいは道徳

的改革組織と様々に見なし︑多様なプログラム︑即ち︑生産者・消費者協同組合︑団体交渉へ ボイコットへ 土地改革へ 通貨

改革へ 第三党運動へ 共和・民主党との連合等を主張した︒八五年に騎士団は約十一万のメンバーを数えたが'この年の鉄道

王ジェイ・グールドに対するストライキの勝利が全国に衝撃を与え︑半・不熟練労働者を中心にメンバー数が急増した︒い

わゆる大動乱の年である翌八六年にはメンバー数は一挙に七十万を超えへ史上はじめて全国的労働組織が下から構築された︒

しかしながら'騎士団はその急成長のために資本家階級の攻撃を惹起し︑内部抗争もあって'その後急速に衰えた︒メンバー

は八八年には二十六万︑九〇年には十万へと減少し'一一〇世紀に入るまでには消滅してしまったのである︒

その存在がほぼ一八八〇年代に限定され'またその盛衰が急激であったためにへ 騎士団は学界において持続的な関心の的

にはならなかった︒さらに'アメリカ労働史研究の主流をなしてきたウィスコンシン学派は︑騎士団と対立した職能別組合

とその連合体AFLを学界から擁護したこともあって'騎士団に否定的評価を与えてきた︒即ちへ パウダ‑‑らは一九世紀

前半の職人と同じ‑︑自らを労働者ではな‑'農民や小製造業者と同じ ﹁生産者﹂ と捉えへ 失われた企業家の地位を取り戻

そうとして生産者協同組合を組織Lt 生産者に経済的機会を回復させるために土地独占・信用独占に反対し'貸金・労働時

間・労働条件などの職場の問題を軽視した︒従って︑﹁パウグリーは︑前工業的社会への復帰を願う労働改革主義者達の最

後の代表し (グロッブ) であり'騎士団との対立の中での'﹁仕事・賃金意識的﹂ AFLの成立 (八六年) は'同学派によれ

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しかしながら'一九七〇年代における社会史研究の興隆の中から'ウィスコンシン学派を乗り越えようとする新労働史学

が台頭した︒この新動向においては'後ろ向きの非現実的改革主義として切り捨てられてきた騎士団が注目され︑騎士団を

( )

工業資本主義の矛盾に対して正当な批判を加えた真正の労働者階級組織と捉える研究が現れた︒またへ 最近もい‑つか重要

な研究が出されている︒本稿はその最近の成果の中から三点を選んで'現在の労働騎士団研究がどのようなレヴェルにある

のかを見定めようとするものである︒

こ ハ ッタム

ウィスコンシン学派の解釈を今なお継承しているのが︑﹃労働ヴィジョンと国家権力﹄を著したヴィクトリア・ハッタム

Qである︒彼女はアメ‑カ労働運動の特色を ﹁政治における穏健主義と職場における戦闘性との奇妙な交錯﹂ と捉えへ なぜ労

働者の異議申し立ての伝統が政治的形態をとることに失敗したのか︑と問う︒合衆国において政治権力は分立しており︑そ

の中では司法が優位にたちへ コモンローの犯罪的共同謀議という原則によって労働者の集団的行動に規制を加えてきた︒ハッ

タムはへ このアメリカに特徴的な政治権力のあり方と労働者のもつ階級概念(レイバー・ヴィジョン)との関係に注目する︒

アメリカ労働者の階級概念は生産者概念と賃金労働者概念の二つに区別されるがへ このどちらの概念に依拠するかによって

工業化と国家権力への対応が大き‑異なりへ この対応のコントラストを浮き彫りにすることにも ハッタムの研究の眼目があ

る︒

ハッタムによれば︑南北戦争前には︑多‑の熟練労働者は自らを生産者とみなし︑主たる社会的亀裂は労資間ではなくへ

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生産階級と非生産者階級間にあると考えた︒彼らは親方へ 小製造業者へ 農民と同盟する一方へ その政治的・経済的権力を乱

用して国を危機に陥らせている銀行家へ 法律家へ 商人へ 土地投機業者ら非生産者に対抗した︒この生産者の世界観は一八世

紀の共和主義イデオロギーに強‑影響されておりへ 市民的徳︑財産 (熟練技能も含まれる) 所有に基づ‑自立へ 独占(経済

権力の集中) 反対という共和主義的概念によって経済的変化が解釈された︒また︑従属的な女性や黒人へ 旦雇い人夫︑貧者

は共和国の市民としてはふさわし‑ないと見なされて︑生産者から排除された︒

l八二〇年代と三〇年代に生産者は特に二つの新し‑発生した事態を憂慮した︒経済的・政治的権力の不健全な集中を生

み出す独占と︑生産的労働の正当な分配を妨げる投機と交換の活動である︒彼らは独占の原因として州による法人の認可と

排他的特権の付与へ と‑に銀行の認可をあげへ 分権化した銀行制度の下ですべての生産者にクレジットを保証することによっ

て共和主義的な政治経済が存続できると主張した︒またへ すべての勤勉な市民が増大した労働の果実を等し‑分かち合うこ

とが可能となるには'生産規模を小さ‑Lへ 商品をより限定的範囲で流通させ︑投機的成長を避けへ 国法銀行を解体し'公

有地を実際の定住者に分配する必要があった︒この生産者ヴィジョンの下では'熟練労働者は共和国を危機に陥れている独

占を制限するために政府規制が必要だと考え'非生産者もまた組織化するのを妨げられる限りにおいて'自らの集団的行動

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ハッタムによれば'生産者ヴィジョンは一九惟紀末まで支配的影響力を与えつづけたがへ パウダ‑‑ら騎士団内の主流が

この生産者論に依拠していた︒真の抑圧者は銀行家と金貸しであり'小製造業者 (雇用主) と熟練労働者はともに等し‑現

行の金融制度の下で損害を受けている︒雇用主は敵ではな‑︑ストライキは誤りであり'労使の利害対立は調停によって解

決されるはずである︒それ故︑通貨とクレジットの政府管理︑電信や鉄道の国有化︑経済への一層の政府介入が求められる

(6)

のである︒熟練労働者は南北戦争後組織化したが︑政府による保護を求めなかった︒なぜならへ 反独占改革が実施され'共

(pp.114,12230)

紀末において︑生産者ヴィジョンか思い描いていた地域的規模での共和主義的経済発展コースが'全国市場を対象とする大

企業による大量生産モデルに取って代わられてい‑と'ポピユ‑スト農民と共に労働騎士団は敗退を余儀なくされたのであ

る︒他方へ南北戦争後へ 生産者ヴィジョンに異議を唱えへ 別のヴィジョンを提示した熟練労働者へ 組合活動家が存在した︒大

規模な工業発展の中で労資間の対立が先鋭化した一八七〇年代と八〇年代に'彼らは共和主義的経済成長の現実的可能性を

疑問視Lへ自らを貸金労働者として自己認識し'中産階級の改革者と手を切り︑経済的集中を不可避の現実として受容した︒

こうして'集団的に組織化して対抗権力として巨大化した資本の権力を抑止すべきであると考え始めると'司法による労働

者の規制は受け容れられないものとなり︑共同謀議による有罪判決は'組織しストライキを行う権利を否定するものとして

不当と見なされた︒雇用主も等し‑規制される限りにおいて労働者の組織化の司法による規制を受容し︑共同謀議原則の廃

=止を求めなかった騎土団と正反対にも 労働者の集団的行動を保護する課題がここにおいて労働組合に課せられることになっ

た︒しかしながら'政治権力の分立と敵対的司法の優位の下では'政治的動員へ 選挙と政党政治は限界をもたざるを得なかっ

た︒裁判所は苦労して勝ち取った立法上の勝利︑政治的組織化の果実を無効にLへ 殆どすべての集団的行動を共同謀議とみ

なし (後にはより強力な差し止め命令で集団的行動を規制し)へ 多‑の労働立法要求を阻んだからである︒そのため︑労働

者は政治改革に幻滅して国家をバイパスし︑自らの経済的力を武器として'雇用主との直接の交渉と抗議(職場における戦

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して敵対的な司法優位の国家体制とが合わさってt AFL職能別組合が依拠するへ国家に頼らないヴォランク‑ズムと経済

主義的ビジネス・ユニオニズムが生み出されたのである︒

ハッタムによれば︑同じ職種の者が騎士団と職能別労働組合の両方に所属しておりへ両者の間で労働市場で同じ立場の労

働者を取り合った︒それ故へ生産者と賃金労働者のヴィジョンの違いを熟練︑職種へあるいは経済セクターの違いに帰する

ことはできない︒またへ 当時の不安定で混沌とした状況を考えると'多‑の熟練労働者が工業化の別の道を真剣に考えへ そ

の信念に基づいて行動したことは不思議ではなく両方のヴィジョンとも等し‑ヴァリッドであった (p.208)c 以上の点に

おいて'ハッタムはウィスコンシン学派と意見をやや異にし︑騎士団をユートピア的改革者と断罪してはいない︒ただしへ

共和主義的経済発展コースが'国家の支持を受けた大企業による大規模発展コースの前に︑その道を閉ざされてい‑状況下

では'騎士団の衰退は必定であったと示唆する点で'ハッタムの議論はウィスコンシン学派の主張と重なる︒ またへ ハッ

タムはパウダ‑‑らを騎士団の主流と捉えつつも'パウダ‑Iを騎士団と同一視して︑多様な勢力を包含する騎士団を生産

者ヴィジョンに一元化してしまっている︒さらに'生産者ヴィジョンでは女性へ黒人へ貧者︑不熟練労働者らが排除される

が'騎士団はまさにこのような人々を組織しょうとしたのである︒ハッタムの枠組では'騎士団そのものの理解が深まった

とは言えない︒

ハッタムとは反対に'騎士団がすべての労働者の連帯を志向したことを強調したのが︑﹃アメリカ例外主義の形成﹄を著

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したキム・ヴォスである.ヴォスによればt f八七〇年代末までアメリカの労働運動は'資本主義発展の大体同じ段階にあっ

た英仏の労働運動とそれほど違いはなかった︒一九世紀末にも 英仏の労働指導者たちが熟練技能をもたない労働者を初めて

組織化し始めたが'騎士団もはぼ同時期にアメ‑カの労働階級を初めて広汎に︑熟練技能や人種へ 性別に関係な‑紐撤しよ

うとした︒南北戦争後に全国的市場を舞台とする大工場が出現し'機械化と労働の再編成が伝統的熟練技能を希釈化し'増

加した半熟練工と熟練工との均質化が進行した︒熟練工は共通の労働環境と共通の不満をもつようになった半熟練さらには

不熟練労働者の存在をもはや無視できな‑なり︑彼らを運動の中に組み入れて'広汎な基盤をもつ労働組織構築の課題が生

れたが︑この課題を担った者こそ労働騎士団なのである︒しかしながら'英仏の活動家の努力が成功を収めへ 社会主義政党

ないし労働者政党が結成されたのに対して'騎士団の試みは挫折してしまった︒騎士団の崩壊後に支配的組織となったAF

L組合は不熟練労働者を排除し︑政治権力の追求を放棄Lt その結果アメリカ労働運動は英仏の運動と異質なものになって

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質を産み出した決定的歴史状況なのである︒

ハッタムが騎士団のイデオロギーを共和主義的生産者論と規定したのと同様に︑ヴォスもそれを労働者階級共和主義と規

定する︒l八三〇年代に伝統的生産システムが崩れ始め︑自立性が危う‑なった熟練職人は'労働価値説に基づいて労働は

商品ではな‑財産であると主張し'搾取とプロレタ‑ア化に反対するラディカルな︑反資本主義的批判を展開し'永続的解

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的共和主義がこれ以降の五〇年間の'資本主義経済発展への労働者の対応を形づ‑ることになる︒しかしながら'ヴオスは'

三〇年代の生産者ヴィジョンをそのまま五〇年後の騎士団に当てはめたハッタムと異なり'騎士団が南北戦争前の労働言説

(9)

を単に借用したのではないと主張する︒すなわち︑﹁一八八〇年代の労働者階級共和主義はl八三〇年代の労働者階級共和

主義よりもより包括的で︑よりデモクラティックでt より相互扶助的で'そしてより対抗的であった﹂ し︑国家の役割の拡

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まずへ騎士団は三〇年代の誇り高き職人なら決して口にはしないであろう﹁大衆﹂ (masses)という言葉で自らを表現し'

不熟練工であれ︑女性へ黒人︑移民(但し中国人は除‑) であれへ あらゆる労働者に組織が開かれていることを強調した︒

第二に'三〇年代の職人が熟練技能に財産権を主張したのに対し︑騎士団はより普遍的な市民権を主張した︒賃労働は市民

を従属的な階級に堕落させるが故に共和国にとって脅威であり'資本と富の集中は'それが産み出す従属性が労働者の経済

的自立と有能な市民として活動する能力を損なうためにへ 阻止されなければならない︒さらに︑労働があらゆる富を生み出

すのであるから'労働者の創意は社会的・経済的進歩の源であり︑社会進歩と経済的成長の恩恵の公平な分け前を労働者は

要求できる︒つまり'デモクラシーと共和主義的原則の産業への拡大を騎士団は求めたのである︒第三に︑以前の運動と違っ

て'騎士団は'全国レヴェルでは通信・輸送・銀行制度の公的所有へ州レヴェルでは労働統計局の設置へ健康と安全のため

の労働立法などの要求を通じて国家の役割の拡大を求めた︒しかしながら'第四に︑騎士団は何よりも自主的組織の結成と

自助による'相互扶助を重視した︒彼らは地区会議︑ストライキとボイコットへ読書室へ楽団へ パレードへ 巡回講話へ協同

組合︑労働者政党︑さらには独自の裁判制度などのオールタナティヴな制度と実践の柄密なネットワークを作りあげた︒こ

れらは階級的自覚を高め︑相互扶助の実際的経験を示しへ ﹁生産者の自治的共和国﹂というヴィジョンを実体化する役割を

担ったO最後に'オールタナティヴなヴィジョン︑具体的には ﹁賃金奴隷制﹂ の従属性を廃止する手段としての協同組合の

役割をめぐる違いがある︒ヴォスによれば'協同組合は︑三〇年代においては'慣習的生産方法を支えへ職人にコンビタン

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ス (ある程度の収入) を与える手段と見なされていた︒しかし'八〇年代には'産業を共和主義化するへ 即ち何をどうのよ

うに生産するかについてへ 全ての労働者が平等の発言権をもてるように労働を再編成する手段と見なされ'自助の現実的手

段として︑また同時に競争的経済に対する道徳的優位性を示す手段として考えられた︒このようにしても騎士団は'熟練の

壁を破って労働者を組織するために労働者階級共和主義の意味を拡大しt より普遍的でより対抗的のものにLへ オールタナ

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ヴオスは'生産協同組合と ﹁賃金奴隷制﹂ の廃止を強調する騎士団の思想が後ろ向きで︑工業社会の方向性に逆行してい

たという見解も'生産者論に基づいていたために労働者の階級的運動として機能しなかったという見解も'いずれも誇張さ

れていると批判するo例えば'ニューアークの騎士団は戦術的に小雇用主と連帯することによって小雇用主と大雇用主との

分断に成功し'ストライキに勝利したし︑小雇用主の苦境に同情したけれどもへ そのT方で小雇用主に対してもストライキ

を行った︒他方︑騎士団は革命の必要を認めなかったし︑国家社会主義の理念を拒否した︒アポ‑ショニストが終には世論

を変え︑奴隷制が共和主義的政体と矛盾することを納得させたように'騎士団は直接行動へ彼らが示す模範︑そして世論喚

起が賃金制度の廃止をもたらすのに十分だと考えた︒要するにへ騎士団は ﹁現状に挑戦したラディカルな組織﹂ であったが'

革命的な集団ではなかった︒﹁そのヴィジョンは﹃勤労者のデモクラシー﹄であり︑そこでは広汎に組織された労働運動か'

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ニュージャージー州の騎士団組織に詳細な検討を加えたヴォスは貴重なデータをい‑つか提示している︒例えば︑同州の

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る (P.124)c それによると'七八年までの組織は七割以上が職能別会議であり'八三年から八五年には部分会議が増加し'

八六年には準産業別会議の急増が特徴的であり (全準産業別の組織へ 九三のうち七二がこの年に集中して組織された)︑こ

の年に組級された地区会議の約七割が準産業別 (三八%) と部分(三一%) であった︒職能別会議は着実に組織されてはい

たものの (八三から八五年には二〇へ 八六年には三六)︑益々多‑の熟練技能をもたない労働者が組織されて八六年の騎士

団の急成長をもたらしたことが示されている︒

またへ ヴォスは一八七九年から九五年までに製造業労働者を組織した二〇〇以上の地区会議のデータを検討し'従来の見

解の殆どに反論している︒まずへ 熟練工の地区会議の崩壊についてへ 半・不熟練工が多数騎士団に参加したために︑連帯よ

りも職能分離主義をとった熟練工が騎士団を離れて職能別組合に加入したというパールマンらの主張を支える証拠はない︒一

またへ アルマンは'経済発展が熟練技能の希釈化と労働・製品市場の拡大とを同時に惹起する中で︑騎士団は前者(均質化) 10

を重視して全ての労働者の連帯を説いたが,実際は後者の市場インパクトの方がより大きく認識を誤った騎士団は衰退をー

余儀な‑されたと主張した︒しかし'市場の拡大に対応して熟練工が全国職能別組合の組織化に向かい︑騎士団を離れた証

拠もない︒またへ 民族的多様性や産業の多様性が労働者を分断させたというウ‑ストライカーの説も支持できないとする︒

次にへ 半・不熟練層の地区会議の崩壊について'ヴォスは︑熟練工と半・不熟練層の間に︑騎士団内部であれ騎士団と職能

別組合間であれへ 敵意と競争が存在したという議論は支持できないと主張する︒熟練工の職能組織の存在は'騎士団に所属

しているか職能別組合に所属しているかに関係なく 半・不熟練層の地区会議の崩壊原因になっていない︒ただしへ 産業の

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こうして'ヴォスによれば'ニュージャージーでの騎士団の衰退は︑熟練工と半・不熟練層との連帯の欠如のためでもな

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ければ'職能別組合との競合のためでもなかった︒それでは︑騎士団衰退の原因は何であったのか︒雇用主協会が熟練工と

半・不熟練層両方の地区会議に対してもったマイナスのインパクトである︒つまり'騎士団が崩壊したのは︑その急成長と

初期の成功とが強力な雇用主協会の動員をもたらしたためであった︒また︑英仏とは異なりへ この雇用主協会を抑制するよ

うな国家権力の介入はなく 雇用主側の圧倒的な資源と厳しい敵対的姿勢により騎士団は潰されていった︒アメ‑カの労働

運動は英仏の運動に較べて'生れつき﹁異なって﹂ いたり'﹁より限定的﹂ であったり︑﹁より仕事意識的﹂ であったのでは

な‑︑組織労働と組織された資本の間で一八八〇年代において闘われた階級闘争において騎士団が敗退した結果へ そのよう

になったのである︒こうして'騎士団の敗北は'ラディカルな改革と階級全体の組織化を主張する者を落胆させへ実用主義

的な政治と熟練層のみの部分的組合化を奨励する者を勇気︑づけて︑広汎な基盤をもつ労働運動の可能性を四〇年近‑もの間

( p p . 1 9 9 , 2 0 2 , 2 3 1

3 2 , 2 4 0 )

筆者は二〇年も前にボストンの騎士団組織を検討した結果へ その崩壊原因についてヴオスと同じ結論に達していたので'

ヴォスの研究とその結論は歓迎するところである︒しかしながら︑筆者のボストンにしろ︑ヴォスのニュージャージー︑あ

るいは最近の研究が取り上げたデトロイトやシンシナティへ‑ルウォーキーにしろへ いずれも地域的特殊性をもったローカ

ルな場であり︑そこでのそれぞれの結論を普遍化できない弱点がある︒それ故'全国的組織体としての騎士団あるいは全国 執行部に視座をおいた研究が同時に不可欠となるが'つぎに紹介するクレイグ・フェランの研究は全国指導者テレンス・パ

ウダ‑‑に焦点をあわせて'そのような視座を与えてくれる︒

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四 フ ェ ラン

(6)﹃グランド・マスター・ワークマン﹄を著したフェランの目的はパウグリーの名誉回復である︒パウグリーについての先

行研究は殆ど全て彼に否定的であった︒例えば'彼は金ぴか時代の経済的現実とは相容れない'南北戦争以前におけるユー

トピア的伝統の最後のあえぎを表しておりへ ﹁神経質で自惚れが強‑﹂ ﹁いつも大言壮語﹂ Lt ﹁労働者に基本的改善を勝ち

取ることよりも雇用主とその同盟者から拍手を受けることの方に‑‑関心をもった︒﹂ さらに'彼は ﹁自己中心的で﹂ ﹁スト

ライキ中のメンバーの苦境に無関心﹂ であり'彼の ﹁田舎町のモラリズム﹂ は都市プロレク‑アの要求と敵齢をきたし︑

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フェランはこのような否定的評価に反論を加えへ パウグリーを労働者の連帯を目指して英雄的に闘った'進歩的労働指導

者として積極的に評価する︒パウグリーは︑南北戦争後の資本の集中プロセスにおいて熟練職人が自律性を奪われ'労働者

の生活が窮乏化する中では'従来の方策︑即ちへ 職能別組合による熟練工の組織化とストライキによる賃上げと職場での権

利の擁護とは有効ではないと考えた︒そのため彼は不熟練労働者を仲間として迎え入れへ あらゆる労働者の共通の問題を明

確化し'理性的議論を通じて適切な戦略と戦術を打ち出し'統制された大軍団が動員されるならば︑いかなる権力も抵抗で

きず'市民の平等を基本理念とする革命的遺産の理想が現実となるであろうと (ナイーヴではあるが)考えたのである (pp.

2 , 2 7 5 ‑ 7 6 ) c

パウグリーは協同的共和国の萌芽として騎士団を運営しようとしへ連帯とデモクラシーの原則に固執し'下からのイニシャ

12

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ティヴを尊重した︒驚‑ほど多様なメンバーを抱える組織を運営するにはこの方法が魅力的で機能的でもあった︒しかしな

がら'フェランによれば'下部組織の意向を尊重する分権的指導は'同時にへ騎士団の存続に必要な権限の集中を妨げ︑全

国執行部は目標の全国的統一や'官僚的組織︑明確な指揮系統へ 豊かな財源をもつことができなかった︒そのため︑いわゆ

る大動乱の時期に階級戦争が激化した際︑弱体で︑バラバラで'資金のない騎士団は'敵対する雇用主の強力な連合に対抗

できなかった (pp.6‑7,171‑72,183‑86,228‑29,275)c このように︑フェランは'雇用主による攻撃を騎士団崩壊の主因と

みなしてヴォスの結論を採用しっつ'この分権的指導体制が崩壊を阻止できなかった組織上の弱点であったことを強調して

いる︒分権的体制の脆弱性という指摘は騎士団理解の重要なポイントであろう︒

フェランの論点は多岐にわたるが'職能別組警ホーム・クラブの問題に絞って彼の議論を紹介しよう︒まずへ職能別組一

合に関してパウダリーは'熟練工のみを組織した職能別組合に較べ︑不熟練労働者を含めた全ての労働者に加入する権利を 13

与えた騎士団の方がよ︒大き‑︑より強力であり,従って政治の分野でも大きな影響力を行使できると考え︑個々の職種の L

問題に直接関係しない政治的・社会的イシューにも取り組むことで︑職能別組合を乗り越えようとした︒しかしながら'彼

(pp.6062)c'

ニア州の炭鉱地帯ではなく ボストンからシカゴにかけての工業都市で︑熟練工による職能別組合の再建の動きを吸収する

形で急成長Lへ パウグリーはこの職能別に沿った組織化を推進した0

騎士団と職能別組合の闘争は従来イデオロギーと個性の対立として描かれてきた︒サ‑ユエル・ゴンパーズらのも 上業資

本主義の永続性を前提としたプラグマティックなどジネス・ユニオニズムと'ユートピア的で後ろ向きの騎士団の対立であ

る︒ここではパウグリーは酒を飲まない︑弱々しい︑ヒステリックな悪役として描かれ︑労働者が工業化のコース全体を変

(15)

える意思と能力をもっているとナイーヴにも信じたパゥダ‑Iは'工業資本主義に代わる実行不可能なもの (例えば︑協同

)(PP.2412)''

協同組合は失われた企業家の地位を取り戻そうとする欲求をも︑職能別組合への敵意をも反映しておらず︑当時最も良く組

織された職能別組合(鉄鋳型工へ機械工︑葉巻工︑特に靴工など) によって力強‑主張された労働者階級のプログラムであっ

た︒それは︑資本主義の害悪の治療薬として︑生産物の公平な分け前を労働者に提供するシステムとして︑さらには社会主

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かしながら'協同組合への情熱は八一年以降衰えていき'八二年には協同組合基金の徴収は強制ではな‑任意となった︒パ

ゥダリーも'キャネルハーグ鉱山での協同組合事業の失敗によって協同組合に消極的となりへたとえその試みに葦したと一

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職能別組合によっても支持された労働者プログラムであったが,パウダ‑‑執行部のレヴェルではマイナーな問題であった︒l

職能別組織の問題は︑パウダリーにとっては︑イデオロギーの問題ではな‑構造上のジレンマであった︒職能別地域会議

の結成は通常混合地域会議から職能別地区会議を引き離すことを意味した︒貸金へ 時間︑労働条件の統一性を実現する効果

的な手段として職能別組織化の認可を求めた者の殆どは︑騎士団に忠誠を誓いつつも︑混合地域会議が職種 (舵) の問題に

介入することに反対した︒要するに︑職能別組織は職種 (舵) の自治を要求したが︑騎士団のより広汎な原則を拒否した

わけではなかった︒パウダ‑‑はこの職能別組織化に反対ではな‑︑八四年フィラデルフィア総会では全国職能別会議

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ことをよ‑知っていたからである︒他方へ ある都市・地域内の全ての労働者・労働組織を糾合する混合地域会議は︑全ての

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職種に対してストライキやボイコットへの支援へ 調停サーヴィスを提供するとともにへ 他の進歩的グループとのつながりを

深めへ 選挙において影響力を行使し'多様なメンバーが合意を形成するフォーラムでもあった︒もしその翼下にある職能別

地区会議が職能別の組織に吸収されると'混合地域会議はメンバーと資源を奪われ'騎士団の政治的・教育的目標へ コミュ

ニティレヴェルでの活動が犠牲となり︑連帯の理想が職種 (能) の自治の犠牲となる︒

こうして︑両者の対立は先鋭化Lへ 対立は悪意をもった争いになったが'フェランは︑パウダ‑Iが抗争のもつ悪意につ

いての覚悟ができていなかったと言う︒ゴンパーズらは騎士団が組合活動から手を引きへ 教宣活動に専念するように要求し

(後述の ﹁条約﹂)︑騎士団が八七年に職能別組合が組織されている職種においてもNTAを認可していくと︑二重組合主義

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次にへ 騎士団内の最大の内部抗争を引き起こした'ホーム・クラブ (Home Club) の問題を取りあげようO 八一年の騎

士団名の公表と誓約の廃止に反対する︑ウィリアム・ホ‑ランら ﹁原理主義者﹂ はニューヨークを拠点に'マルクス派社会 主義者のセオドア・クーノ'さらには大工組合のリーダーでマルクス派のピーター・マクガイヤーと手を組みへ 反パウダ‑‑

派を結成した︒他方へニューヨークの第四九地域会議 (DA四九) では︑アナキストのビクター・ドゥルーリらが八二年 一〇月にホ‑ランへ ジェイムス・クインらとホーム・クラブという秘密主義的で︑誓約で結ばれた結社をつ‑ってこの地域 会議を支配した︒ドゥルー‑らは反パウグリー活動を行ったクーノ︑マクガイヤーそしてホ‑ランらを保護しt DA四九の

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定説によれば︑ホーム・クラブが八六年六月のクリーグランド特別総会で騎士団を支配するようになり (八八年までその

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支配を維持)︑パウダ‑Iはこのクラブの囚われの身か協力者であったという︒しかしながら'フェランは︑﹁ホーム・クラ

ブの支配﹂ は全‑のフィクションであり︑DA四九に敵対するニューヨークのマルクス派組合活動家ジョン・モリソンがこ

の神話の主な作り手であったと主張する︒モリソンは八五年にDA四九から自立した形でじゅうたん織工組織化の活動をし

たためにt DA四九から彼の地区会議が活動停止処分を受けたことに怒り︑その処分を承認した全国執行部の中の三名がホー

ム・クラブのメンバーであり'パウダリーはホーム・クラブの囚われの身だと誹誘中傷した︒ニューヨーク以外の反執行部

不満分子へ 特にボストンのフランク・フォスターとジョージ・マクネイルはこの非難を利用し'DA四九を弱体化させへ パ

ウダ‑Iをひきずりおろしへ 騎士団を専ら職能別の線に沿って再編成しようとした︒またへ ホーム・クラブの保護下にあっ

た葉巻工進歩組合と対立していた葦工国際組合(os‑o)のアドルフ・ストラッサーとゴンパーKもこの﹁‑たばれホI I

ム・クラブ﹂ の声に加わった︒さらに'モリソンの友であるストラッサーとゴンパーズは'マクガイヤーらと共に︑八六年 16

五月に職能別組合指導者を集めてフィラデルフィア会議を開いた︒大多数の組合指導者はこの時妥協的であり︑その多‑が

騎士団メンバーでもありへ 両者の間にイデオロギー的対立はなかった︒鉄鋼労働組合と印刷工組合は当時騎士団加入さえ考

えていた︒しかし︑ストラッサーとマクガイヤーはDA四九と騎士団全国執行部が職能別組合を破壊しょうとしていると糾

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こうしてt AFLの‑‑ダーとなるス‑ラッサIへ ゴンパーズ'マクガイヤIが騎士団の外から攻撃的組合活動家を率い

て職種 (能) の自治を主張し'内からはモリソン︑フォスターへ マクネイルらが職能別組織を代弁Lt 両者は八六年六月の

ク‑‑グランド特別総会時に手を組みへ ホーム・クラブとパウダ‑Iを攻撃した︒この総会で全国執行部を補佐するために

新たに設置された補助執行部のメンバー選出をめぐって'﹁ホーム・クラブの支配﹂ という報道がなされた︒補助執行部六

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名のうちの四名がクラブメンバーであり'執行部の三名と合わせて多数派を構成し︑彼らは今や騎士団全体を支配Lへ パウ

グリーは彼らの囚われの身となっているというものである︒フェランによれば'事実は︑ドゥルーリの副官クインを除いて'

補助執行部あるいは全国執行部の誰もクラブと共謀していなかった (pp.194‑96)︒しかしながら'アナキストのホーム・ク

ラブによる騎士団の ﹁支配﹂ というヒステリアが起こりへ職能別組合との不必要な争いが開始され'全国執行部に対する一

般メンバーの信頼が損なわれ︑反騎士団感情が大衆や政治家に植え付けられ︑資本家を恐がらせた︒

続いて︑同年一〇月のリッチモンド総会では︑02‑Pメンバーでもある騎士に対し︑いずれかの組織を脱退することを

求める決議が採択された︒しかしながら︑フェランによればへ この採択は ﹁ホーム・クラブ支配﹂を反映したものではなく

騎士団の安定への脅威がストラッサーとゴンパーズから来ているという全般的認識を反映したものであった︒この二人はグー

ルドと対決したサウスウェスト・ストライキの際に騎士団をスト破り組織と非難して騎士団を背後から一刺しし︑全国執行

部のアナキストによる支配を主張して'世間に対して騎士団とへイマーケット事件のアナキズムとを関連づけ'侮辱的な

﹁条約﹂ で騎士団と職能別組合との戦争を煽動したからである︒代議員は'騎士団の力に対する倣慢で誤った認識から'放

逐決議に反対するパウダリーの主張を退けた︒パウダ‑Iは騎士団が組合の敵だという非難をかわすためへ 総会の決定を取

り消す適用免除を出し'放逐決議はニューヨーク以外では概ね無視された︒またへ 八七年二月にはパウダ‑‑は全国執行部

が総会の意思を拒否して放逐命令を撤回するように異例の要求をした︒しかしながら'リッチモンド総会での02‑Dへの

攻撃は大失敗であった︒穏健な職能別組合と友好関係を築き︑﹁条約﹂ を主張する過激派組合を孤立させようとしたパウダ

.・リIの努力は実を結ばず'騎士団内の多‑の組合活動家も反発したからである (p.207)︒

これまでの研究がパウダ‑Iを否定的に評価し'騎士団衰退の責任を ﹁無能なリーダI﹂ である彼に負わせてきたのとは

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