弘前大学教育学部紀要 第5
8号 :
ll‑18(1987年1
0月)
BullFar.Educ,HirosakiUnI'Z;.58:ll‑18(October 1987)
旧仙台藩領におけ る明治前期の頼鞍地
TheAc c umul a t e dPl a c e so ft h eEar l yMe i j iEr ai nt heSe nda iFi e f
後 藤 雄 一 * Ydj iGot 6
( 1 9 8 7.7. 1 6 受理)
論 文 要 旨
旧仙台藩領を例 として,明治前期におけ る集落 の規模,数,機能の相互関係に及ぼす近世の影響につ いて 考察 した。順位規模 曲線に よれば旧城下町仙台の優位性は うかがわれ るが,地方知行制が行われていたため 小城下町的集落 の発達に よ り上に凸の形になっている。次に郡単位で集落の規模 と数 との関係をみ ると4 タ イプに分け られ る。旧城下町仙台,港町石巻の よ うに遠隔 の地域 との関係の強 い都市を除けば,徒歩交通に 依存 していた時期であ った当時においては強 い階層構造は形成 されず,商業機能か らみればはば均等 な機能 量 の分布がみ られた といえる。集落の分布は小城下町的集落を形成す る大身家臣の所領分布 との関連が強 い。
これ らの集落は交通変革に よ りあ るものは都市へ と成長を とげ,あ るものは地方町に とどまることになるの であ る。
1 . は じめに
明治期は,近世 と近代 とが並存 していた時期 と考え られ る。 このなかで も明治前期, ここでは,一応 明治 2 0 年頃 までの ことをい うが, この時期には近世の影響が強 いと思われ る。交通についてみれば,全国的には 主に河川交通,徒歩交通に依存 していた時期であ る。森川 ( 1 9 62 ) は明治初年 の都市分布につ いて全国的展 望を行ない, マクロにみれば地域の人 口密度 と, また, ミクロにみれば,藩領関風 城下町 の有無な どの歴 史的事情が反映 していると述べ ている。それでは,旧落第内では都市的集落の分布を規定す る要因は何であ ったろ うか。本論では森川のい うミクロなスケールで,明治前期におけ る都市的集落分布の構造,すなわち それ らの規模,数,境能 の相互関係について,近世の影響を考察す ることを 目的 とす る。
本研究では,一つの事例として旧仙台藩領を と りあげた。仙台藩は,現在の宮城 県,岩 手県南部,福島県 の一部お よび数 カ所の飛地を藩領 とし,城下町仙台を中心 とす る表高 62 万石の大藩であ る。近世初頭の元和 の一国‑城令に よ り多 くの藩では破却 された城が,地方知行制の仙台藩では例外的に認め られ た白石城のほ かに も残 され,その集落は 「要害 」, 「 所」な どとして大身の家臣が支配 していた。城,要害,所は城 また は居館および家中屋敷,町屋な どか ら構成 され ている。 これ らは格式の差 を示 してはいるが,規模 の差 をそ のまま表す ものではない。 したが って, これ らを一つに まとめ ることがで きる。 この ような事情を有す る旧 仙台藩領におけ る明治前期につ いて検討す る。
1 )
資料 としては,明治 1 2 年の 「共武政表 ( 第 3 回)」を使用 した。 これは陸軍参謀本部に よる詳細な地域調 査で,以後の 「徴発物件一覧表」に連な るものであ る。共武政表には,人 口 1 0 0 人以上 の幅換地について, 戸数,人 口数な どが記載 され ている。緬換地 とは家屋が密集 している地点であ り,各集落を示 してお り,行 政単位で集計 された資料 とは異なる長所がある。人 口規模が大 きいことは必ず しも中心性を有す ることを意 味 しないので,中心集落 とい う用語を使用せず, ここでは都市的集落 または共武政表でい う幅検地 とい う語 を使用 した。
*弘前大学教育学部社会科学科教室
De par t me nto fSoc i alSt udi e s ,Fac ul t yofEdu c a t i o n,Hi r os akiUni ve r s i t y
1 2 後 藤 雄 二
は じめに,幅検地 の全体的な性格づけを行ない,次に, よ りミクロにみ るために郡単位 で分布の特徴を, それぞれ,近世 との関連か らみ ることにす る。なお,本分析では,仙台藩領に取 り囲まれ ている支藩の一関 藩を も地域的連続性を考慮 して対象地域 とした。
2. 旧藩領全域 についての分析
図 1 は 1 0 0 人以上の転較地につ いて順位規模 曲線を描いた ものであ る。 1 0 0 人以上の転換地は,旧仙台藩
5 1 0 5 0 1 0 0 2 0 0 慣任 (bgR) 図1. 輪換地 の順位規模曲線 (明治1 2 年)
資料 : 「共武政蓑」
領では 1 99 あ るが,第 1 位が仙台,第 2 位は北上川河 口の港町石巻であ る。 この図か らほ仙台の人 口の卓逮 性 と曲線が上に凸にな っていることがわか る。西村 ( 1 980) は,明治初期に旧藩領人 口の 5‑2 0%が旧城下 町に集中 していることを指摘 している。仙台には 7. 6%が集中 しているが, これは他の藩 と比べ て低 い値で あ る。 これは仙台藩においては近世を通 じて地方知行制が実施 され,侍の在方居住が行われていた ことが原 因であ る。 また これは,特に大身侍が要害など,小城下町的集落を形成 していた ことが理由として加わ って いた といえる。他には資料 の問題が考え られ る。南部の伊具 ・亘理 の両郡および三陸沿岸の本吉郡では 2 0 0 人以下 の短換地が極端に少な く,記載 もれのあ ることが想像 され る。 しか し, 2 00 人以上について仙台,石 巻を除いてみて もやは り上に凸であ り,中規模 な集落の発達が認め られ る。
2)
次に転検地の性格を概観す るために,地名辞典および宮城県史 2 の付図に よ り記載 もれが少ないと思われ
る人 口2 0 0 人以上の転較地について近世末におけ る機能分類を行なった ( 表 1)。55, 1 51 人の仙台 と1 1, 575
人の石巻を除 くと, 1, ( X氾人以上 1 0 , ( X氾人未満では城 ・要害 ・所 (以下,要害系 の拒検地 とい う)が 4 8% で,
規模の大 きな転検地は旧要害系が半数を占めている。
旧仙台蒲領における明治前期の転換地
表 1. 2 ( 対 人 以上 の幅検地 の近世 末におけ る機能分析 町 場
港 町
宿 場町
I農業集落 漁業集落 不 明
そ の 他 計 1 3
1 0, 0 ( 氾 ‑1 ( 刀 , 0 ( 氾 j1( 5 0 %)
i1( 5 0%) 1, 0 ( 氾 〜 1 0 , ( 氾
05 ( 刀‑ 1, ( X の 2 0 0‑ 5 ( X )
2 3 ( 4 8 %) Fl o( 2 0%)r1 2( 2 4 %)F2(4%)!2(4%)
2 ( 1 ( 泊%) 4 9 ( 1 0 0%)
1 5 3 ?7 4 % ?
,' 1 1 9 4 諾2 6 芸, H Z ' ( … … 芸
,' L1 5( ' 2 2 1 芝目 三 … … 2 芝目 ( ' 1 6 1 芸, 'f 5 7 4 3( ( 1 1 0 鵬 ) 0%)
資料 : 「日本地名大辞典 (角川書 店刊) 」 , 「宮城県史 2」
北上 川
山
図 2. 5 0 0 人以上 の短換地 (明治 1 2 年)
黒 くぬ りっぷ したのは,城 ・要害 ・所 であ った ことを示す。
資料 : 「日本地名大辞典 ( 角川書店刊) 」 , 「共武政表」
1 4 後 藤 雌 二
図 2は人 口 5( 泊 人以上の帖較地 の分布 を示 している。 旧要害系の集落は北部お よび南部では主要摘道 また は北上川や阿武隈 川 沿 いにあ る0‑万
,中部の平野部では北上川の下流部お よび奥羽山脈沿 いに配置 され て いるO奥羽山脈沿いに配置 されたのは.旭額か らの防衛のため と思われ る。北上川の下流部及びその支流は 近世に新 田開発が盛んに行われた地域 であ る,中部では奥州街道に要' I E 一 系 の集落があ ま り配置 され てはいな い ことが注 目され る。北部 と南部で街道に要害系 の集落があ るのは地形的な制約に よるのであろ う。図 3 は 白石 と.要害 のなかで共武政表に記載 され た ものの人 口数 と近世にそ こを領 した家臣の石高 との関係を示 し
1 0, 0 0 0 2 0, 0 0 0 3 0, 0 0 0 石 高( 石 ) 図3. 近世に城 ・要害を領有 した家臣の石高 と明治 1 2 年の人 口数 との関係
資料 : 「共武政表 」 , 「宮城県史 2」
た ものであ る。全体的に正比例関係にあるが,岩谷堂が石高に比べて人 口数が多いのは薄境 の位置にあ るこ とが理 由であろ う。
仙台を有す る宮城郡では他に要害系の集落はない。 また,三陸沿岸地域では地形的な制約に よ り200‑5 0 0 人の間で漁業集落が多い。
3. 郡 を単位 とす る分析
次に,旧藩領内の小地域について緬較地 の分布 とその要田について検討す る。 ここでは資料上の制約( ′ こよ り.それぞれ の面欝が異 な るとい う欠点はあ るが郡単位でみ ることにす る, しか し , 旧仙台藩領のみの人 口 数が不明であ る宇多郡は省略す る。 また ここでは,記載 もれが少ないと考え られ る人 口 200人以上のみを緬 醸地 と して検討す る。一般的に人 口の多い郡ほ ど輪顔地が多いとい う傾向にあ るが,必ず しもそ うな っては いない郡 もみ られ る ( 表 2)。そ こで以下 の よ うな検討 を行 った。
図 4 は.第 1 位の臨模地 とそれを除 く200人以上の幅換地の平均的規模 ( 郡 人口に対す る比率) との関係
を表現 してい る。 ただ し, ここでは幅検地 の記載 もれが 2( 対 人以上で もみ られ る伊具 . 亘理.本吉の 3郡に
つ いては考察か ら除外 した。
旧仙台拝領にお ける明治前期の桓較地 表 2. 各郡の 短
転 地(
明治 1 2 年)
那 名 郡 の
人 口
2. 伊 具 3. 亘 理
33, 5 67 1 8, 3 83
: 5 ;芸 芸 : 1 0 : : 6… : 5 … … 7. 黒 川
8.加 美 9. 玉 造 1 0.志 田 l l. 遠 田 1 2. 栗 原 1 3. 登 米 1 4. 桃 生 1 5. 本 吉 1 6. 牡 鹿 1 7. 気 仙 1 8. 西 磐 井 1 9. 東 磐 井 2 0. 江 刺 2 1.胆 沢
2 2, 4 3 0 2 0, 091 1 6, 421 2 9, 6 66 3 4, 5 9 4 67, 1 9 6 49, 611 4 3, 2 82 45, 9 34 31, 65 2 4 4, 7 82 36, 5 5 0 5 7, 07 6 3 6, 6 4 9 4 3, 07 3
白 丸中 仙岩 大吉 石 森 郵 台 亘 rL p 堤
2
,84 7 5 5
,1 51 描 : 3
,03 4 河 原
岡 中 I T r I u 岩 出 山
2
,0 3 0 2
,34 5 3
,1 0 8 3
,78 9 古 川 ‑ 4
,61 7 馬場 谷地( 涌谷)
若 柳
登 米
飯 野 川 気 仙 沼
石 巻
今泉 ( 陸前 高田) 磐 井 駅( 一関)
千 厩
岩 谷 堂
5
,61 1 2
,682 1
,7 7 3 1
,3 0 9 3
,01 4 l l
,5 7 5 1
,43 3 4
,29 3 8 7 8 5
,36 6 水 沢 l 2
,6 6 3
1 5
2 0 0 人以 上 の転検地
鮎 ..・J.
地数山
口の合計 の全人 口 す る比率 2 9. 4%
2 3. 5
2
8. 0 71. 4 2 5. 7 3 3. 0 4 3. 6
3 0. 0 2 9. 0 3 3. 0
2 3. 7 2 5. 8 1 2. 8 1 7. 8 l l. 8 5 8. 7
1 9. 6
1 5. 8 9. 8
2 0. 0 1 3. 3 資料 : 「共武政表」
( %)
(ド/Po) /N 7 6
5 43
2
】
● 10