はじ めに
本 稿は
� の ちに 京 都 府尋 常中 学 校� そ して 京 都 府立 第一 中等 学 校 へ と 発展 す る京 都府 中学 の初 代 校 長を 務め た今 立吐 酔 の教 育 資料 を翻 刻 して 彼 が京 都 およ び日 本の 教 育 史上 で果 たし た位 置 を 研究 する うえ で の資 料を 提供 しよ うと する もの であ る� 本稿 で翻 刻す る資 料は 基本 的 に私 が収 集し たも ので ある が� しか し一 部の 研究 者に は知 られ てい た もの であ る� ただ 今日 まで 奥深 く書 庫に 眠� てい たた め� 社会 的に は 殆 んど 知 られ ない でい た� 今回 私が 翻刻 する もの は� そう した もの の
一 部で あり
� 吐酔 研 究に と� て不 可欠 なも ので ある
� と ころ で� 私 が� 吐酔 の教 育資 料を 翻刻 しよ うと する のは
� 彼 が京 都 およ び日 本の 近代 の黎 明期 に教 育界 で重 要 な 役割 を果 たし たに もか か わら ず� 今日 忘却 され
� 不 当に 扱わ れて いる と思 うか らで ある
� 彼 の教 育 資料 を翻 刻す るこ と で 江湖 に供 し� 彼 の 研究 が更 に進 むこ と を 期 待す るも ので ある が� その 際� 問 題 にし なけ れば なら ない のは 教 育 資 料自 体 の 研究 であ る� なぜ なら
� 吐酔 の 資料 か ど うか 明確 でな いも の もあ るか らで ある
� 本 稿で はそ の点 も考 え� 翻刻 しよ うと する もの で ある
�
今立 吐酔 の教 育資 料の 研究
川 村 覚 昭
要 旨 本 稿 の 目 的 は� 明 治 十 二 年 に京 都 の 最 初 の 中 等学 校と し て 設 立 さ れ た京 都 府 中学 の 初代 校 長 を 務 め た 今 立 吐酔 に 関 す る教 育資 料 を 翻 刻 し て� 彼 の京 都 およ び 日 本 で の教 育 史 上 の位 置 を 研 究 す る た め の資 料 を 提 供 しよ うと す る も の で あ る� 今 立 吐酔 は� 近代 日 本 の 黎 明期 に ア メ リ カ に 留学 し
� 西洋 近代 の 理 化学 を学 ん だ 開 明 的 人 物 で あ り� 京 都 の 近代 化 に 重要 な 役 割 を 果 た し た教 育 者 で あ る� 彼 の教 育 実 践 の 背 景 に は
� 近代 科学 の 思想 と と も に 浄 土 真 宗 の 開 祖 で あ る親 鸞 の 宗教 思想 が あ り
� 今 回 の教 育 資 料 の 翻 刻 に 当
� て は� 彼 の教 育 思想 の 研 究 に 重要 と 思 わ れ る 科学 およ び 宗教 に 関 る も の を 中 心 に し た� 更 に 多 く の教 育 資 料 の う ち 吐酔 の 資 料か ど うか を 吟 味 す る こ と も 本 稿 の 目 的 と し た
�
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�ワ
� ド� 教 育 史 上 の位 置
� 近代 科学 の 思想
� 宗教 思想
� 教 育 思想
� 吟 味
Ⅰ 問 題 意 識
京 都府 中学 の初 代 校 長を 務め た今 立吐 酔 の教 育 思想 と 教 育実 践の 全 体 像 につ いて は既 に発 表し た� 私は
� 彼 の教 育思 想 と教 育 実践 の背 景 には 彼 の 宗教 思想 があ り� それ が彼 の教 育の 基礎 にな
�て いる と考 え てい るが
� そ のこ と を 既に 論文 で明 らか にし てお いた�1�
� 教 育 と 宗 教 と の 関 係 は 今 日 に 於 て も 教 育 学 研 究 の 重 要 な 問 題 で あ る� そ れ は� 公教 育 に 於 て 国 家 が 宗教 をど のよ う に 扱 うか と い う教 育行 政 上 の 問 題 が 国 民 の 思 想 信 条 と 関
� て 問 わ れ る か ら で あ る
� 近 代 社 会の 成立 は基 本的 に人 間が 個人 の自 由 獲 得を 決意 する とこ ろか ら 始る こと を考 える と
� 人間 の思 想 信 条の 自 由 を侵 す教 育は 否 定 され ね ばな らな いで あろ う� しか し� 優れ た教 師の 教 育 実践 には しば しば 宗 教 思想 が 背景 にあ り� それ が教 育思 想 の 土台 と な り� 教 育 実践 を促 し てい る� 我 々 は� その 典型 と し てペ スタ ロ� チを 知� てい る� 彼 の 墓 碑に 記さ れた
�全 ては 他 者 のた めに して
� 自 己た めに は何 事も なさ ず
�Alle für andere, nicht füAlle für andere, nicht füAlle für andere, nicht fr sich
�� と い う 銘 文は
� 彼 の人 と 為 り を よ く 顕し てい る言 葉と して 知ら れて いる が� そこ に見 られ る彼 の教 育実 践 はプ ロ テ スタ ン ト の信 仰 を 中心 に す るも の で あ� た� 彼 は 言 う�
� 神 を忘 却し たり 神に 対す る人 類の 子と して の関 係 を誤 認 した りす るこ と は� 全人 類に おけ る人 倫と 啓 蒙と そ して 智慧 との 一切 の浄 福力 を破 壊 する 源 泉だ
� 従� て 人 類が 神 に 対し て こ のよ う に 子心 を 失 うこ と は� 世界 の 最 も 大 き な 不 幸 だ
� と い う の は そ れ は 神 の 父 と し て の 教 育 を 挙げ て不 可能 にす るか らだ
� そ して この 失わ れた 子心 を回 復す るこ と
は� 地 上 に おい て 失 われ た 神 の子 た ち を救 済 す るこ と だ�2�
�� と� こ の 言説 に ある よ う に� 彼 は� 実 際� 自 ら の私 財を 投 げ 出し て極 貧の 子ど も たち の救 済の ため に教 育に 専 念 した ので ある
� そ こに 彼 が� 今 日で も
�人 類の 教 師� あ るい は� 教 聖� と 仰が れ� 教 師 の理 想 像と し て尊 敬 の対 象に な� てい る所 以が ある と 言 えよ う� 今立 吐酔 が� こう した ペス タ ロ
�チ と比 肩で きる 教 師 であ るか どう か はこ こで 問 う こと はで きな いが
� 今 立吐 酔 が 明確 な宗 教 観 をも
�て い たと いう 意味 では ペス タ ロ
�チ と類 似性 を持 ち得 るの であ る� 彼 の 宗教 観 は仏 教 の なか でも 最も キリ スト 教 の 信仰 形態 に近 い浄 土真 宗に よ るも ので ある
� こ れは
� 人 類救 済の 可能 性を 開い た� 一切 衆生 悉 有 仏 性� と い う大 乗仏 教 の 精神 が阿 弥陀 仏の 救 済 論に 最も 具体 化し てい る こと を親 鸞の 身証 的開 明に よ
� て明 らか にさ れた 宗教 であ り� 極重 悪 人の 人間 の中 にも 仏性 を見 よ う とす る阿 弥陀 仏の 絶対 の救 済を 主張 す るも ので ある
� 従
�て
� こ の信 仰形 態に 立つ もの は� 堕 ち ると ころ の ない 絶 対 の安 心 感 とと も に 他者 へ の積 極 的 な救 済 活 動を 展 開 する
� そ れは
� 親 鸞の
�自 信教 人信
� の 言説 によ く表 れて いる が� 今立 吐酔 の教 育 実践 にも その こと が現 れて いる よ う に思 われ る� 京 都 府 中 学 は� 明 治 十 九 年 の
� 学 校 令
� に よ
� て 京 都 府 尋 常 中 学 校 にな る� そし て翌 年七 月に 今立 吐酔 は校 長を 辞職 して 徳 永 満之 が第 二代 校 長と なる
� 彼 は� 後に 清沢 姓を 名の
�て 近代 日本 に於 て世 界的 な 仏教 思想 家と して 活躍 する 清沢 満之 であ る� 彼 自 身も 阿弥 陀仏 の信 仰 を中 心に 活躍 し� 親 鸞 の浄 土思 想 を 世界 的な 宗教 思想 へと 押し 上げ る こと に努 力し た人 物で ある
� こ の点 か ら 見る と
� 今立 吐酔 は� 同じ
宗教 的基 盤 に 立ち なが らも
� 今 日で はま
�た く無 名に 終� てい る� 確 か に 今 立 吐 酔 は
� 清 沢 満 之 の よ う な 哲 学 的 な 思 索 の 訓 練 は 受 け て い ない し� 哲 学 的な 著作 も発 表し てい ない
� しか し� 彼 は� 来日 した グ リフ
� スか ら 嘱望 され
� 彼か ら 西洋 近代 の最 新の 理化 学 を学 び
�し か もア メリ カの ペン シル ベニ ア大 学 留学 に よ� てそ れを 深め た人 物で あ る� その 意味 では
�日 本と は違
�た 異文 化の 地で 当時 とし ては 最新 の 科学 思 想を 直 接 肌で 感 じ 修め た 最も 開 明 的な 人 物 の一 人 な ので あ る� その こと が� 京 都 府中 学 の 校長 に抜 擢さ れる 原因 でも あ� たと 考え ら れる
� しか し
�彼 に 対 する 評 価 は� 清 沢満 之 と 比べ る と 皆無 で あ る� 私 は� そ の 違 い を 見 据 え た と き� そ こ に 今 立 吐酔 の教 育 実 践 家と し ての 教 師 たる 姿が ある よ う に思 える
� 彼 には
� 後 で見 るよ うに
� 科学 者と して のキ リス ト 教 批判 の論 文な ど も ある が� それ 以上 に彼 は教 育 者で あ� たの であ る� 彼 は� 親 鸞的 な大 乗的 浄土 思想 を背 景に 科学 教 育に 専念 した 教 育 者で あ� たの であ る� そこ に自 らの 信仰 を哲 学 的 に 理論 化し よ うと し た清 沢満 之 と は本 質的 に違 うと 言わ ねば なら ない で あろ う� 本稿 では
� こ うし た問 題意 識を 持ち なが ら� 今立 吐酔 に関 す る乏 しい オリ ジナ ルな 教 育 資料 を出 来る 限り 翻刻 し� 注目 され なが ら も無 名の 内に 去� た彼 の実 像を 知る 手 がか り を得 よ うと す るも ので あ る�
Ⅱ 今 立 吐 酔
の教 育 資 料 解 題
今 立 吐 酔 自 身 の も の と 思 わ れ る オ リ ジ ナ ル な 教 育 資 料 は 甚 少 で あ る� 彼 の自 筆 のも のに 関し ては 生家
・満 願寺 に残 され てい る書 簡� 詩
文 およ びア メリ カ留 学 中 の手 記が ある のみ であ り� その 他 は 全て 間接 的 なも ので ある
� た だ国 立公 文書 館に 保存 され てい る公 文書 には 彼 自 身 が上 申し たと 思わ れる 若 干 の資 料が ある
� しか し� 間接 的な もの では ある が� 彼 が 書い たと 思わ れる 論文 や書 簡 が様 々な 著書 に採 録さ れて いる
�キ リス ト 教 批判 の論 稿と して は神 崎 一 作編 集 の� 破 邪 叢書
�� 明治 廿 六 年� 哲 学書 院
�国 立 国 会図 書 館 所蔵
�� お よび 明如 上人 伝記 編纂 所篇 の� 明如 上人 傳�
� 昭和 二年
�に 見 ら れ る
� ま た 留学 前 後 の 書 簡 に つ い て は山 下 栄 一 氏 の 著 作� グ リ フ
� ス と 福 井
�� 昭 和 五 十 四 年
� と� グ リ フ
� ス と 日 本
�� 一 九 九 五 年
� に 採 録 さ れ て い る� 私 が山 下氏 か ら 聞 い たと ころ によ ると
� そ れ ら に 採 録 さ れ た 書 簡 は い ず れ も満 願 寺 に 保 存 さ れ て い た も の で あ る と の 説 明 で あ
� た が� 私 自 身 は そ れ ら と 同 じ 書 簡 を 満 願 寺 で 確 認 す る こ と は で き な か
� た� 散 逸 し て い る と 思 わ れ る� 更 に 山 下 氏 の 論 文� グ リ フ� ス と 今立 吐 酔
�� 日 本 英学 史 学 会� 英学 史 研 究
�第 8 号� 一 九七 五年 九月
� に も書 簡が 紹介 され てい る� また 吐酔 が第 三高 等 中学 校の 京 都 設置 の経 緯を 回想 した 論稿 が京 都府 立第 一中 等学 校の 同 窓会 誌� 会誌
�� 大正 九年 十二 月� にあ る� 更 に 吐 酔 の 教 育 資 料 と し て 出 色 な の は� 徳 重 文 書�3�
� で あ る
� こ れ は� 国 史学 者 の徳 重 浅 吉 博 士 が� 皇 紀 二 千 六 百 年 と 京 都 府 教 育 会 創 立 六十 周 年 を記 念し た� 京 都 府教 育史
� を 編集 する さい に収 集さ れた 膨 大な 教 育 資料 群の こと であ り� 今日
� 全 部で 二十 一巻 が残 され てい る� そ の 中 に今 立 吐酔 に 関 す る記 録 が 多数 散 見 され る の であ る
�� 徳 重 文書
�は 基本 的に 京 都 府の 教 育 に関 する 公文 書を 収集 して いる もの