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官営八幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策
一1920年代日本帝国主義と鉄鋼資源問題一
奈 倉 文 二
序 求」に漢冶薄条項をも盛り込むのであるが)。
言うまでもなく,原料資源問題は,地理的,技 たがしかし,1920年代に入ると,一方では,借 術的条件もさることながら,必ず当該産業の具体 款関係の進展それ自体がもたらす漢冶薄公司の衰 的発展のあり方,その国際的・国内的条件(社会 退と・他方では・中国における民族的気運の勃興 経済的・歴史的条件)により規定されるものであ と揚子江一帯の戦乱とにより・日本側は契約通り る。戦前(第二次大戦前)日本資本主義の発展の の鉄鉱石を確保することが困難となるに至る。こ あり方が「国内市場の狭隙」と「国内資源の貧 うして,「中国鉄鉱石の不安」に直面した官営八 困」を解決する方向をとるのではなく,むしろ逆 幡製鉄所は・新たな「鉄源」の探究と拡大を模索 に,それを創出し,且つ帝国主義的大陸侵略によ する。1920年代日本鉄鋼業は,鉄鉱石の「安定 り「拡大再生産」していったのに照応して,鉄鋼 的」確保策を遂行する上で一つの転機を迎えたの 業の発展のあり方も,軍事的性格を帯びつ〜,中 である。
国鉄鉱石等の「低廉且つ安定的供給確保」のため では・官営八幡製鉄所は・中国鉄鉱石「安定 の帝国主義政策を遂行していった。その中心的役 的」確保の困難に対して・いかなる解決策をもっ 割を担ったものは戦前日本鉄鋼業において基幹的 て対処し・どのような新たな「安定的」確保策を 役割を占めていた官営八幡製鉄所(国家資本)で 遂行せんとしたのか。そして・その帰結はいか あった。 に。本稿は・この課題を果すために,当時の八幡 すでに先学の業績が明らかにしているごとく, 製鉄所の三大鉄鉱石供給源たる中国大冶,桃沖及 ッ営八幡鰍所は,その設立過程において,弔歯 びマレー鉄鉱石の確聯を検討し沿わせて新た 大冶鉄鉱石確保の見通しを得ることにより,当初 な鉄鉱石資源確保のための資金的条件をも考察 予定していた国内鉄山開発を放棄するとともに, し・1920年代日本帝国主義にとって鉄鋼資源問題 第一次借款(1904年)以降の相次ぐ「漢冶捧公司 がいかなる意味をもっていたのかを総括的に示さ
借款」 (大蔵省預金部資金融通・=国家資本投資) んとするものである。 (2)
により,大冶鉄鉱石の独占的納入を実現した。即 〔註〕
ち,農商務省(製鉄所所管),大蔵省預金部,横 (1)三枝博音・飯田賢一『日本近代製鉄技術達史』(59 l正金銀行(当初は日本興業銀行が関与)の「三 9〜601頁)1957年,佐藤昌一郎「製鉄原料借款につ
位一体」的帝国主義政策により初めて中国大冶鉄 いての覚書」(r土地制度史学』第32号1966年),同 鉱石の「低廉且つ安定的供給確保」が成し遂げら 「戦前日本における官業財政の展開と構造,皿」(『経 れたのである・しかも1913年の彪大な1・500万円 営志林』第4巻第1号),安藤実r日本の対華財政投 借款契約により日本側の漢冶捧公司に対する金融 資』1967年。「漢冶捧公司借款」研究はその他にも 的支配は確立した(もっとも,日本帝国主義は一一 多いが〔たとえば,最近では藤村道生「官営製鉄所 層の支配強化を企図し,いわゆる「対華21ケ条要 の設立と原料問題」(r日本歴史』Nα292・1972年)〕・
28 茨城大学政経学会雑i誌 第33号
ここでの要約は佐藤,安藤両氏に負っている。 の存在を知った。本稿とは視角を異にするが合わせ
(2)「漢冶薄借款」研究については先学の業績(とく 参照されたい。
に安藤,佐藤両氏)に依拠し,必要な限りで基本資
料に言及するにとどめる。しかし,両氏のすぐれた 1 1920年代における鉄鉱石問題 研究は,主として日本帝国主義の対中国投資のあり はじめに,問題の所在をより明確にするために,
方(と半植民地中国との関係)及びその製鉄所財政 当時の主要な論調を中心として,1920年代におけ にとってもつ意義という視角からなされてきたの る鉄鉱石問題をやや包括的に検討しておこう。
で,本稿では,それを継承しつ》も,とくに1920年 第一次大戦後,とくに1920(大正9)年の戦後 代日本帝国主義が直面した中国鉄鉱石確保の困難に 恐慌後,日本鉄鋼業は深刻な不況に陥り,以後の
対して,いかなる「安定的」確保策を遂行したか,
@ 前途に関する様々な「悲観論」が唱えられた。そという視角から整i理する。佐藤氏の研究は「裕繁 、 の多くの論調の共通点は「本邦原料資源の貧困」公司借款」にも言及している。本来であれば,股 .....
栗,載寧等の朝鮮鉄鉱石についても考察せねばなら を立論の前提とし,海外資源の活用による打開策 o ●
ないが,一つには資料的制約と,二つにはそれらが を強調している。しかし,1920年代初頭における (1)
すでに日本帝国主義の直接的支配下に組み込まれて 「悲観論」は,主として民間鉄鋼資本(とくに製 いたこと,三つにはそれらが当時は補助鉱石として 銑資本)に関するものであった。というのは,言 使用されていたこと等の理由により,本稿では省略 うまでもなく,当時の我国輸入鉄鉱石の主要部分 する。尚,本隅の草稿ほ官完成後,池上和夫「中国 は中国鉄鉱石であるが,その大部分は官営八幡製 借款の一形態」(『一橋論叢』71−6,1974年5月) 鉄所に独占的に納入され,民間鉄鋼資本はその
乙
謔P表 八幡製鉄所鉄鉱石入荷高 (単位千トン,千トン未満四捨五入)
年 度 陣釧中国1貼i〔桃沖〕1マレー1フ・リピン 計
1915(大正4)
@16( 5)
65 213
P83
269 Q67
唱
k269〕 曇
k276〕
487 S64 17( 6) 1 94 300 〔300〕 1 1 395 18( 7) 0 170 360 〔360〕 i l 2 531
19( 8) 1 191 4461 k35・〕, l I 8 676
20( 9) 1 235 5151〔363〕・ 10 1 760
21( 10) 0 187 481 〔250〕 〔107〕 137 805 22( 11) 一 91 575 〔274〕 〔230〕 : 169 835 23( 12) 一 94 607 〔293〕1 〔304〕 156} 856 24( 13)
Q5( 14)
3一 99
P16
682 U46
〔254〕1 〔349〕
k239〕…〔3・1〕
2561 】267
1,040 P,028
26( 15) 2 132 310 〔97〕, 〔201〕 293 1 737
27(昭和2) 1 234 537 〔338〕 〔166〕 : 485 1,257
28( 3) 一 215 674 〔401〕i 〈 754 1,643
29( 4) 一 224 627 〈, ハ 863 1,714
30( 5) 一 222 571
果2爾1889
1,68131( 6) 一 111 314 不 V 618 1,042
32( ?)
R3( 8)
: 152 E・gl
343 T54
明 i 766>l lL・・1
1,261 P,775
〔註〕*出所が異るため左の数値を越えている。
〔出所〕 『八幡製鉄所50年誌』(昭和25年)巻末附表。ただし,中国鉄鉱石中,大冶については,大蔵省預金部 『支那漢冶薄公司借款二関スル沿革参照書類』(昭和4年),桃沖については,同『支那裕繁公司借款二 関スル沿革』(昭和3年)。
奈倉:官営八幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策 29
「恩恵」に浴さなかったからである。しかも,他 石問題が重要であることを指摘する。鉄鉱石の輸 方,第1表に見るごとく,八幡製鉄所鉄鉱石入荷 入価格については,第一次大戦期の経験から,再 高については,大冶鉱石がすでに1920年を頂点と び活況にな矛tば「俄カニ奔騰ノ勢ヲ加フルハ必
して減少しつつあったが,大冶鉱石不足が桃沖鉱 然」と警告するが,注目されることは,「製鉄所
● ● o ■ ■ ● ● ● ●
石によって補われ得た結果,八幡製鉄所にとって ノ購入価格ト其ノ他買鉱トヲ比較スレハ其ノ価格 庶,中国鉄鉱石不足はいまだ早程深刻化していな 二少カラサル径庭アルヲ知ルヘシ」と指摘してい かったからである(詳しくは後述∬参照)。 ることである。ここには・中国鉄鉱石の八幡製鉄 鉄鉱石等の鉄鋼資源対策の重要性については, 所への納入価格の低さが帝国主義的借款契約に基 従来から各種調査会などで一般的には指摘されて くものであるという事実が端なくも語られてい
きたが,当時の状況を反映し,且つ,より具体的 る。 (2) o … . . ・ ● ・ ●
に主張したものとして,製鉄所長官白仁武の「本 そこで・問題は・我国製鉄業全体として量的に 邦製鉄業二関スル意見」(大正11年12月)がある。 も価格上も不安である鉄鉱石の「安定的」確保を 同「意見」は,「或鉄原料ノ供給確保」中とく いかに実現するかにある。その「統一方針」は,
に鉄鉱石対策の重要性を指摘し,「支那及南洋」鉄 「一・共同組合叉ハ会社ヲ設クルコト。二,製鉄 鉱輸入の状況,輸入鉄鉱価格,供給鉄鉱の予想, 所ヲシテ其ノ局二当ラシムルコト」の二法ある 鉄鉱資源確保に関する「統一方針」などを具体的 が・前者の方法によると「巨大ノ資本ト少カラサ に検討・提案している。その骨子のみを述ぺると, ル経費トヲ要スル」のに対し・「製鉄所ハ大冶桃 20年代初頭までの「支那及南洋」鉄鉱輸入につい 沖及南洋ノ鉄山二一牢く琴紳ぞ有七彗ζ鯵孝り傘 ては第2表の通りであり,官営八幡製鉄所のみが リアルニアラサルモ之レニ立脚シ順次有益ナル他
● … ● ● ■ ● ■ ● ■ ● ● ● ● ■ e ● o o ・ ・
「支那及南洋」鉄鉱の独占的納入を実現したのに ノ資源ニモ干係ヲ及ホスニ便宜アル地位経験ヲ有 対し,「製鉄所以外ノ民業工場二至リテハ之ヲ必 ラ」 (傍点引用者)ており,大量購入と運搬が経 要トスル外鉱二全ク定リタル資源ナク頗ル不安ノ 済的でもあるので,後者の方法が適当である・と。
姿ナリトス」と,民問鉄鋼資本にとってこそ鉄鉱 この方法により,今後八幡製鉄所が確保する安価 第2表 「支那及南洋」鉄鉱輸入(製鉄所別) (単位,トン)
119・6(大正5)年・917(大正6)年11918(大正7)年i・919(大正8)年1・92・(大正9)年 1921(大正1・≧釜
八幡難所㈹t281,… 1R25,000 308,000 489,000 540,000 600,000
釜石製鉄所 1 1,750 … 20,000
日本製鋼所 35,000 28,000{ 50,000 65,000 35,000 1
東洋 製 鉄 7,850 15,000
}26,000
三菱製鉄(兼二浦) 7,355 17,183 39,590 10,000
其 他 69,000 12,817
計 ⑬ 316,000 353,000 442,205 599,000 642,340 630,000 需要総額(c) 640,000 660,000 910,000 1,420,000 1,420,000 900,000
A/B(%) 88.9 92.1 69.7 81.6 84.1 95.2
B/C(%) 49.4 53.5 48.6 42.2 45.2 70.0
削i出所) 白仁武「本邦製鉄業二関スル意見」大正11年12月(製鉄所文書『製鉄調査会調査資料及報文類』大正14年 2月,所収)。
30 茨城大学政経学会雑誌 第33号
且つ大量の鉄鉱石を需給に応じて民間製鉄所にも 南洋鉄鉱」に多くを期待せず,「内地」鉱鉱の開 供給することが可能になる,という。つまり,同 発と「南満貧鉱開発」を強調しているのである。
「意見」の製鉄原料確保策の内容を一言で言え こうした鉄鉱石問題に関する「危機論」的見解 ば,官営八幡製鉄所は,その国家的使命に基き, とその打開策に対して,当時,少数ながら「楽観 今後も引き続き帝国主義的鉄鉱石供給契約を実行 論」的見解もあった。その一つは石原広一郎「我
することにより低廉且つ大量の鉄鉱石を確保し, 製鉄原料鉄鉱供給の将来は憂慮の要なし」 (大正 (6)これを民間鉄鋼資本にも供給し,もって「製鉄国 15年)である。石原はマレー鉄鉱石開発当事者で
策」を果さんとするものである。 あり,その立場から,「南洋鉄鉱」の埋蔵量,品 だが,現実の事態の進行は,官営八幡製鉄所に 位について詳細に述ぺつ》,そのいずれも有望で 独占的に納入されてきた中国鉄鉱石の数量が停滞 あり,「経済的価値」についても,諸鉱山いずれ し,やがて減少するに至り,今や八幡製鉄所自身 も露天掘であり,海上運賃も低下の見込み(当時 の鉄鉱石の「安定的」確保策が問題となるのであ すでに鉄石自家輸送,後述皿参照)であるので十
● ● ● ●
り,1920年代半ば以降,鉄鉱石問題に関する「悲 分採算が合うと述べている。さらに注目されるの
観論」はより深刻化する。そのうちの注目すぺき は,「隣邦支那に於ける如く国際的諸問題を惹起 (4)
烽フは,野田鶴雄「製鉄国策中原料鉄鉱確保策樹 するに至らず」と述べ「政治的」にも安全なこと
立二関スル私見」(大正15年)である。 を強調していることである。但し,石原自ら,そ (5)
@すなわち,同「私見」は・「本論ノ拠ッテ来ル の安全性は「平時安全に本邦に供給するを得ぺ 処」が「支那鉄鉱需要ノ不安」にあることを明ら し」と限定している。すなわち,戦時輸送不能の かにし,揚子江流域の諸鉱山の「経済的状態ハ頗 場合のみ問題となるが,石原は,これを「先ず有 ル険悪」,且つ,窮地に陥る度に我国の借款によ り得ぺからざる事にして敢て憂ふるの要なきな
り弥縫し「辛ジテ其余端ヲ保テルノ状態」であ り」と楽観視しているのである。
り,其の将来は予想し得ないと述ぺる。そこで,
中国以外に鉄鉱石を求めるとすれば,「朝鮮及ビ 〔註〕
南洋二指ヲ屈セザルベカラズ」と述べつつも・朝 (1)稿本『日本鉄鋼史』第3巻第4分冊第5章参照。
鮮については鉱量が豊富でないので, 「鉄鉱供給 (2)製鉄業調査会第1諮問事項(『鉄と鋼』第3年第 上ヨリ見テ補助的地位二置ク」のが妥当であり, 3号,大正6年3月,所収),臨時財政経済調査会諮
「南洋方面」も地理的及び経済的関係から「補助ト 問第3号及び答申(『財政経済25年誌』第4.5巻,
シテ利用スル程度」と判断している。とすれば, 254〜266頁所収)等。
残るは「内地鉄山ノ開発」と「南満州ノ貧鉱ノ利 {3)八幡製鉄所所蔵,製鉄所文書r製鉄調査会調査資
用其他」しかない。「内地鉄山」に関しては,と 料及報文類』(大正14年2月)所収・同資料は稿本 げ
くに「国家有事ノ際」を考慮して重視すべきと 『日本鉄鋼史』第3巻第6分冊にも収録さる・
ω もっとも,我国鉄鋼政策全体としては,「支那及し,赤谷鉄山を例にあげ,「内地鉄山放置」を批
南洋鉄鉱」を一括して把握し,その増大を前提とし判する。そして,「南満貧鉱開発」については,
た議論もある。たとえば,製鉄鋼調査会答申(1925
キでに鞍山製鉄所の研究が相当の成績をあげてい 年4月) 〔通産省『商工政策史』第17巻(大橋周治 るので,遅くも数年以内に経済的にも利用可能と 稿)収録〕及び同調査小委員会報告「製鉄鋼調査第 なると判断し,「満州」製鉄業を拡張するだけで 一問題(我国二於テ製鉄鋼業ハ経済的二成立スルノ
なく,「内地」にも輸送し,官営八幡製鉄所でも 可能性ヲ有スルヤ)二対スル研究」同年2月(前掲 使用すべきであると述べる。以上,この「私見」 製鉄所文書所収)。だが,同小委員会の一員でもあ
は, 「国家有事ノ際」に備えるという視点から る吉田豊彦(当時陸軍中将)の「製鉄振興策ノ綱要
(野田は当時海軍中将,製鉄所技監), 「支那及 私見」同年2月(同文書所収)は「南支及馬来ノ鉱
奈倉:官営入幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策 31 石ノ如キハ戦時二方リ之ヲ放棄スルノ巳ムヲ得サ 銑(鉄鉱石及び銑鉄)納入高が契約高に比して著 ルヘキヲ以テ戦時鉄鉱供給策トシテハ内地及鮮満二 しく不足することのうちにあらわれる。即ち,第 亘リ自給自足ノ主義ヲ確実ヌ・ルノ必要アリト認ム」 3表に見るごとく,1920年以降の契約量は従来よ
と。この戦時を想定した議論は以下の野田鶴雄の議 り飛躍的に増大して鉄鉱石60万トン,欽鉄25万ト 論にも通ずるものである・ ンとなっており(1913年の1,500万円借款契約に
㈲ 『日鉄社史編集資料』第1部(新日本製鉄株式会 ・・・・・・・・…
@ 基く),八幡製鉄所はこの契約量を前提として鋼 社本社調査部所蔵)所収。
@ 材75万トンの第三期拡張計画を実行しつ㌧あった(6)『鉄と鋼』第12年第9号(大正15年9月)所収。
(1915年着手,29年完成)。しかし,漢冶捧公司 皿 中国鉄鉱石「安定的」確保の「危機」 の鉄鉱石生産高は頂度ig20年の82万トンを頂点と では,そもそも1920年代において鉄鉱石問題を して激減し,八幡への納入量も同年の36万トン 惹起した根因である中国鉄鉱石「安定的」確保の 強を頂点として減少する。そこで,八幡製鉄所で
「危機」はいかなるものであったか。そして・そ は契約量をはるかに下まわる毎年度協定数量の締 の対策はいかに 結を余儀なくされるが,1922年以降の鉄鉱石納入 L 漢冶捧公司維持策 量は多くの場合それをも大幅に下まわる結果とな
● ●
中国鉄鉱石「安定的」確保の「危機」は,官営 る。
・・・… 。… (1)
八幡製鉄所にとっては,まず漢冶捧公司よりの鉱 だが,すでに先学の業績において明らかなごと 第3表 漢冶薄公司の鉱銑生産高,八幡製鉄所への契約量,納入量及び単価
(単位:数量千トン,単価円ノトン)
鉄 鉱 石 銑 鉄 年 蛙副契約則雛藤鮒鞭 単司噸 契縫綴舗綿鵜陣価一噛『 闇一…一
、915i,、5h7。〜22。 25。1 269 一R.00 i136
80 ・・15−・a・・
i 追加 19
16 i 558 250〜340
@ i l17 5421250〜340 280 R00
276
D88Q12 3.00 R.00 R.40
i 148
猿M8
80〜120 W0〜12Q
45 T0
41 T0
26.00 S2.50
181629 250〜340 360 360 3.801137 1
80〜120 50 50 120.00
・9168・ 250〜340 350 350 6.00;1 80〜120 1 60 60 92.00
2。i824 600 350 363 4.50 1 124 80〜1201 80 75 70.00
1 追加 】3
21 384
@ 1 600 350
250 3.45 124 250 100 74 46.45
22i 346i 600 250 274 3.52 148 250 200 136141.55
追加100 1 1
23 i 487
@ i
600 350 293 3.52 159 250 100 67140.69 24i @ 1
Q5 Q6 Q7 Q8
449 P 316
@ 84
@244
P 420
堰f
600 U00 U00 U00 U00
2501 254
F蓋1鷺講〔象〕ll8}〔象〕累 300} 338〔象〕ll8〔象〕411 1
3.52 R.80 S.50 T.50 T.50 T.50
176 250
Q50 Q50 Q50 Q50
120
@100P1 一
@ 一P_
m
88140.00
一
k註〕〔象〕は漢冶薄公司による象鼻山鉄鉱石の買鉱分。 『
〔出所〕大蔵省預金部『支那漢冶薄公司借款二関ス・ル沿革参照書類』 (昭和4年)512〜516頁。
32 茨城大学政経学会雑誌 第β3号
く,かかる事態は相次ぐ「漢冶薄公司借款」によ た。つまり,日本側にとって重要なのは鉱銑の供 る八幡・漢冶薄の支配従属関係の形成それ自体を 給とその代金による借款元利支払であるとの考え
o ● ●
主要因としてもたらされたものである。とりわけ 方を再確認しつつも,公司生産費を圧迫している 八幡製鉄所が漢冶捧の鉱銑を独占的に低廉価で納 のが日本への元利支払分(財務費の大部分を占め 入し,しかも,その鉱銑代金による旧来からの尤 る)であることをようやく認め,かかる措置がと
大な諸借款元利の優先払(鉱銑代金よりまず諸借 られたのである。 (5)款元利分が正金銀行のもとで差し引かれ,残余あ しかしながら,850万円借款はその実行過程で
る場合にのみ漢冶薄に交付)を実施し続けたこと 早くも一頓座を来す(預金部よりの融通額は645 は漢冶薄を経営不振に陥らしめており,八幡の鉱 万円で中断,第4表参照)。その理由は,事業整理 銑納入価格はすでに漢冶薄の生産費をはるかに下 (850万円借款の前提条件)の一環たる蒲郷炭鉱の
まわっていた。したがって,こうした漢冶捧・八 労働者「大整理」に基因する争議,株薄鉄道輸送 (2)幡間の関係のもとで従来通り鉱銑納入を続ける限 力減退等により揮郷よりのコークス供給困難とな
り(しかも契約量をはるかに下まわる),漢冶薄 り,1925年io月以降全ての銑鉄製造(漢陽,大冶 の経営はますます悪化せざるを得ない。 とも)が停止され,事業拡張も極めて困難となっ
● o ● ● ■ ● o ● o ● ● o ●
であるとすれば,旧来の借款契約を前提とした たからである(第4表中の事業建設拡張資金残額
● ● ● ● ●
以後の日本側の漢冶捧公司対策は,さしあたり, 参照)。したがって,850万円借款は,事業拡張に
● ● ● o ● ● ●
もはや鉱銑供給増大策たりえず,漢冶薄公司を維 は殆んど使用されず,短期借入金の借替に役立っ
・ ・ o ● ● ●
持し(支配強化を企図しつつ), もって鉱銑供給 たに過ぎず(第4表中の正金銀行短期借入金返
● o ● ● ■ ● ●
を継続ならしめ,多少とも借款元利を償還するこ 済),他方,事業整理の実行は薄郷争議等を惹起
■ ● ■ ●
とに力点が置かれざるを得ない。即ち,帝国主義 し,銑鉄生産を中止に至らしめる。
● ● 。 ● ● ● 。 ● ● 。 . ● ● ・ 。 ● 。 … ● ・ く6)
的階款契約の弥縫策たる性格を有する漢冶薄公司 かくして,1926年には日本への銑鉄供給は全く
● ●
持策である。かかる性格は1925年の850万円借款 杜絶し,鉄鉱石』供給も激減する(前掲第3表参 契約と27年の200万円借款契約の内容においても 照)。しかも,捧郷争議はさらに激化しつつあり,
明らかである。 漢冶捧公司の財政難もその極に達した。かかる事 まず,850万円借款について言えば,この借款の 態のもとで,最低限鉄鉱石供給だけは持続せしめ そもそもの性格が1,500万円借款(1913年)中の るために行われたのが200万円借款(1927年1月)
設備費借款900万円の続借款として漢冶捧側より である。
要請されたものであった。つまり,大戦期の設備 この借款は預金部資金整理方針(後述IV参照)
費高騰下に漢冶薄側の計画が遅延し,且つ上記の の確定後だけに政府部内においても問題化した。 (7)関係のもとで公司財政を圧迫していたのであり, しかし,漢冶捧公司の維持なくして大冶鉄鉱石の
漢冶薄は正金銀行等により応急融資を受け,辛 供給と旧来の彪大な借款元利の償還は不可能であ じて破綻をまぬがれていた。こうした事態のもと る,と閣議決定により判断され,実行された。そ
(3) (8)
で,日本側は漢冶捧を放置しておくことは鉱銑供 の使途は「未払給料賃銀,未払材料費」等「緊急
給杜絶をもたらすと認識せざるを得なかった。 償還ヲ要スル債務弁済並作業上欠クヘカララサル (4) そこで,日本側は同借款に応じるに際し,一方 資金」である。しかも,今回は,さらに一方で (9)で日本側技術顧問,会計顧問に監督強化を指示し 「代理経営」条項等の様々な監督強化策を施しつ
つ㌧,他方で,漢冶薄公司側の要請に部分的に応 つ,他方で,鉄鉱石代金の値上げ,八幡よりのコ
(10)
じ,新旧全借款の元金償還を3ケ年据置としたほ 一クス実費供給及び新旧借款条件の緩和を実行し か,利息を一率に6分とし(従来7分,6分5, た。とくに借款条件の緩和について言えば,つい
6分と様々),同時に元利均等償還方法を採用し に従来の借款元利優先払を一時的に(3年間)停
奈倉:官営八幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策 33
第4表 850万円借款用途及び融通額 (単位千円)
1 融 通 年 月 日
用 途 当初予定額
@ 1192隠・・1192鳳・61192す929 残 額 事業建設拡 張 資金 靱274 P 一一P 1,200 2,074
正金銀行短期借入金返済 ・,51・[ ・,535 (一)25
製鉄所コークス代支払
1,。5、; 1
1,050 1
公 司 営 業 費 1,665 1,665 0
計 8,5001 4,200 1,050 1,200 2,050
1
隔一一一一一一皿 正金保留政府資金 52 備 考
公司宛貸付残額 2,102
(註) 大蔵省預金部より横浜正金銀行への交付額。正金銀行より漢冶捧公司への交付額内訳及び年月日は省略。
(出所) 大蔵省預金部『支那漢冶薄公司借款二関スル沿革』 (昭和4年)201,202頁。
止し,まず製鉄所納入鉱石代金より漢冶蔀公司の 〔註〕
生産費ならびに「緊急費」を優先的に支払うこと (1}この問,日本側は漢冶蔀をして象鼻山・紀家絡開にしたものである。この措置は1926(大正15)年 発権獲得を画策しつ、も失敗。結局,八幡製鉄所と
度以降に適用され・さらに29年以降も3年間廷長 しては象鼻山鉱石の買鉱(第3表註参照)と桃〜中鉱 されることにより・以後の諸借款元利支払は事琴 石の増加(後述)によるほか大冶鉱石不足の補充策
上停止されることになる。即ち,さしあたりは漢 をとりえず。 (11)
治毒会南あ羅i痔比ま乙夫治鉄鍾右あ旗給轟岳を優i (2)詳しくは佐藤昌一郎前掲論文(『土地制度史学』
先酌諌瞳乙チることにより,以後の預金部資金へ 第32号),安藤実前掲書を参照されたい。
の元利償還は殆んど停止するに至るのである(第 (・)大儲預金部『支醸牌借款燗スル沿革』昭
° 和4年(以下『漢冶捧沿革』と略)171〜177頁。5表参照)。 このことが官営八幡製鉄所の新な製・・・・・・・… 。・・・・・・・・… ω次の文書はその事情を端的に示す。「今回申出ノ
鉄原料獲得のための資金構想をいかに制約したか 続借ヲ拒絶シテ現状ノ儘二放置スルニ於テハ,公司
は後述GV)において明らかにされるであろう。 ハ遂二救フ可ラサルノ窮状二陥リ其ノ事業継続ハ不
可能タルニ至ルヘシ,之レ本邦ノ製鉄政策ノ上ヨリ第5表 漢冶薄公司に対する本邦諸借款元利調
(昭和4年3月末現在) (単位千円) シテ又債権回収ノ見地二於テ到底忍フコト能ハサル
銀行別陸釧利息 合計 処ナリ…(中略)…即チ公司ノ存立維持ヲ計ルコト n本邦軍事上拉産業上ノ必要ナリト云フヲ得ヘシ」
日本興業銀行 2,052 4。81a46・ (同上書183頁)
横浜正金銀行 36,628 乳916 w544習譜繍2喜誘灘書19募藤前掲書1。。
計 13亀68° 8・324147,004 ト
〜108頁。
くに「製鉄原料関係借款製鉄所へ承継二関スル ヨ係省次官協定」(大正15年2月26日)には次の明
〔註〕利息中には延滞利子をも含む。正金銀行中に
@ は,銀行自己資金分(元利合計612千円)を 確な規定あり。「製鉄原料関係二於テ今後預金部及 含む。 国庫ハ新借款ノ要求二応セサルコト又現在ノ条件ヲ k出所〕大蔵省預金部『支那漢冶蔀借款二関スル沿革
@ 参照書類』(昭和4年)38⊥頁。 変更セサルコト」(『支那漢冶薄借款二関スル沿革
34 茨城大学政経学会雑i誌 第33号
参照書類』昭和4年・以下『参照書類』と略b403 繁公司はすでに茗大な借入金を抱え,「経営ノ困 頁)・ 窮其ノ極度二達シ殆ンド解散ノ已ムヲ得サルニ迫
(8}「公司ノ状態此ノ儘ニシテ移推セハ製鉄所ハ遂ニ レリ」という状況であったこと,第2に,中日実
主要原料ノ供給ヲ喪失スルノ虞アルノミナラス我巨 業は,裕繁解散という事態になれば既得権たる桃 額ノ債権モ亦不測ノ損失ヲ免レサルヲ以テ之レカ対 沖鉄鉱石の独占的購買権(=一手販売権)を失う
(9)『漢冶捧沿革』227頁。 は,当時大冶鉄鉱石の供給不足(契約に比して)
(1。〉「代理経営二関スル協定書」(r参照書類』181 に直面レ,.孕尊セ神㌘芋や嬉∫別ラ筆寧資源ヲi探 頁)。その他の監督強化策は,整理委員会の設置, 究シ・第ニノ漢冶蔀ヲ作ルノ必要ヲ感ジ」 (傍点
日本側代表者を最高顧問とすること,一切の収支は 引用者)ていた折であったので,その要請を積極 日本側会計顧問の同意を経るぺきこと,日本側技師 的に受け入れたことである。つまり,すでに経営 (2)
ノよる各廠の統制等である(「公司援助二関スル協 不振に陥っている裕繁公司を日本側の支配下に繋 定書」,『参照書類』164〜167頁)。 J留する1ことにより桃沖鉄鉱石の対日供給を継続せ
(11)同上書167・387〜389頁。尚,1927〜28年には藩郷 しめることが当初からの課題であったのである。
を中心とする労働運動の激化に加えて,武漢及び南 こうして,1920年12月,八幡製鉄所は1921年度 京政府による漢冶捧公司の「接管」(Receivership) 10万トン,翌年度以降20万トンの桃沖鉄鉱石を標 問題が生ず(『漢冶藩沿革』109〜112頁。『参照書 準単価(荻港本船積込渡)トン当り銀3元50仙
類』450〜462頁。安藤前掲書109〜112頁)。 (4・48円)で購入する契約を中日実業と締結する
とともに,大蔵省預金部資金150万円の貸付が実
2・ 裕繁公司維持策 行される(第6表参照)。この「裕繁公司借款」 (3)
次に,大冶鉄鉱石の不足を補う役割を担った桃 は大蔵省預金部を正金銀行・中日実業経由で裕繁 沖鉄鉱石の確保策について。 に貸付け,製鉄所納入鉱石代金をもってまず貸付 裕繁公司による桃沖鉄鉱石は,従来は裕繁・中 資金の元利償還に充当せしめる,という「漢冶薄 日実業間,中日・東洋製鉄間の契約に基き,主と 公司借款」と酷似するものである。しかも「裕繁 (4)
オて東洋製鉄に供給されていたが,第一次大戦後 公司借款」の場合は上述のごとき経緯により,そ の東洋製鉄の不振により官営八幡製鉄所に肩代り の当初から裕繁の「債務整理」の課題を担わされ されることになったものである。この間の詳細な る。否,というよりもむしろ,「債務整理」を挺
経緯は別稿にゆずる。 として,新たなる国家資本投資により,日本帝国 (1)
ここで明確にしておくべきことは,第1に,裕 主義の鉄鉱石確保策が遂行される。
第6表 「裕繁公司借款」に関する預金部資金融通状況
一 一一 一 一一一一
融通順序及利率 1償還期限 差 引 融通年月 融通方法 讐金静贋曾1雪引 鴨輔) 現在高i千円)
使 途
大正9年12月 蜷ウ12年2・3月
@ 計 1 1
貸付金
@〃
6分5
i5分5)5分5
7分5
i6分6)6分
7分5
i6分)6分
15ケ年
i17ケ年17ケ年)1
しP,500「239
@ :3,250旨 364
@ 14・75°
奄U°3!
1,261 Q,856 S,147
@ 」
{灘難望襯静流動資金(20万円)旧{債整理資金(305万円)
(註) ()内は大正12年2月改訂。
(出所) 大蔵省預金部『支那裕繁公司借款二関スル沿革』(昭和3年6月) 1・2,11.16頁
奈倉:官営八幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策 35
第7表 裕繁公司借入金内訳 (単位千円)
一 一一 一一 一一一 一一
大正9年11月現在 1 大正11年6月現在
借入先廟限金額隔 考陪入知金額 備 一璽
漸江銀行 大正9.8.31
1
T30 中日実業 2,500 (東鉄出資 2,320中日出資 180)
正 金 当座借越 150i 1,080 〃 1,460 (正金出資 1,500の残金)
台 銀 大正9.8.27
[
Q00 (営業資金) 〃 1,500 儲縮鮒1,181)
1
R口銀行1 9.10.23 1 200[
@ し
〃 770 (中日小口貸付)
住友銀行1 9.a11
Q江銀行1照211 1
400 P50
<中日名義>
@ 700
上海支那銀行
Z友銀行
400 R80
朝 銀1四・・i15・ 「 i (山元設備整理) 合 計 7,010 1
e地支那小口i<高利> 1 700 1
小劃 2,480
東洋製鋤 隔・4° i
合 計 14,720
一一 一一一 一一一一『
〔出所〕第。6表に同じ(但し14.15.66〜68頁)。
即ち,第1回預金部資金貸付150万円中の債務整 して裕繁・正金・製鉄所三者間の契約とせんとし 理資金は68万円であるが(第6表),これは第7表 たこと,契約量の鉱石が納入されない場合を考慮 に見るごとく,当時の裕繁借入金472万円中の漸 して「予メ事業代理ノ委任状ヲ交付スルコト」・
江銀行分(ニロ)のみに該当するものであり(こ 「日本側ノ推挙スル経理顧問ヲ傭膀スルコト」・
れを優先的に返済させたのも日本側支配下への繋
留策である),その後各種債務は逆に増大して1年 第8表 「裕繁公司借款」に基く桃沖鉄鉱石の 半余りの間に701万円となり,再び債務整理を主 八幡製鉄所への納入高 (単位千トン)
内容とする第2回預金部資金貸付325万円が実行 ウれる(第6表中債務整理資金305万円は第7表
?フ中日分150万円と77万円,上海支那銀行分知
年 黷P−}
次
@ 一P921(大正10)年1
難塵入副差引齪一忙一 l i 100* 107
@ 7
万円,住友銀行分38万円に充当)。 22
@この間の詳細な経緯も省略せざるを得ないが, 23 2001 230
P29・13・41 30P 14
この過程でとられた日本側の対策について注目す ・ 1
リき点を若干指摘しておく. 24 129・13491 9
第1に,今回の借款契約に際しては・大冶鉄鉱 25 290 301 1 11
@ i
石の供給不足は八幡製鉄所にとって一層深刻と 26 1・2・・ 堰「99
なって・・たので,桃沖簾石契縞を2°万トンか 27 133° 166i△164 1
ら29万トンに引き上げている(当初30万トン案で 1
?チたが鉱量減により29万トン,第8表参照)乙) (出所)大蔵省預金部『支那裕繁公司借款二関スル沿革』
@ (昭和3年)251頁。
第2に,当初日本側が示した契約条件は中国側 (註)・大正10年度納入契約高は同頁によれば20万ト の猛反対に会う。とりわけ,中日実業の介在を排 ンであるが,契約書(同書71頁)により訂正・
36 茨城大学政経学会雑誌 第33号
「価格ノ年限ヲ十五年トスルコト」等についてで 第9表桃沖鉄鉱石価格内訳(大正11年12月決定)
(単位 トン当り円)
たが, 「事業代理ノ委任状」の件,経理監督の
潤C技師長の選任の件については事実上日本側の 裕 繁 手 取 3.00
@ *
(3.00弗)
主張を達成する。 新旧借款元利負担 1.58 〔→1.53円〕@ **
第3に,今歯たに決定された桃沖鉄鉱石の価 東洋製鉄出資二対ス嘲当 0.32
格内訳は第9表の通りであるが,問題はこの価格 計く荻港渡価格) 4.90
決定の方法である。即ち,八幡製鉄所は裕繁・中 荻港八幡間運賃 2.70
日による値上げ要請(4・48円→7円見当)を「他 総 計 7.60 鉱石トノ関係上之ヲ認メ難ク」と拒否し(大冶鉄
鉱石を低廉価で確保していることが有力な根拠と 〔註〕】ケ年採掘量29万トン(17ケ年間採掘)
*17年賦年利6分5案 **年利6分に決定後さる!),まず荻港渡価格を「精々五円」とした 〔出所〕第8表に同じ(但し19.20頁)
上で・「桃沖鉄山ハ其ノ経理状況二幾多節減ノ余
地ヲ存スル」と判断し,裕繁に経費節減を要求す 低下せしめようとするものである。
奮よ狽体的に言えば・第1・表に見るごとく, だが,こうした価格決定方法ぎ芝り,且つ従来 八幡製鉄所は中日実業提出の裕繁公同生産費を大 通りの鉱石代金による借款元利優先払という規定 ■ o
揩ノ節減可能と判断し(査定し)・将来生産費を を貫く限り,さしあたりは(すぐには生産費の徹 新価格中の裕繁手取分3・00ドル以下にかろうじて 底的切下げを実現できないのであるから)裕繁公
第10表 裕繁公司トン当り生産費見込(i採掘鉱量30万トン案) (大正11年8月)
一一鼈 一一
@ }一}一一
@ 一 7胃一一一一 一旧一一一一
中 日 実 業 提 出 i
費 目
一一
@ 一}一一一一
L笙・次案L第2次案 一一1一一一一 製 鉄
鼈鼈齊R一一
所 査 定 案
採掘及山元経費
弗1,000 弗.700
貨車積込及鉄道運賃 ,300 1,600 1 .200
貨車卸江岸積立本船積込 .300 .300
輸出税及常関税i .330 1D330 .330
「鉄 損1
.480 .4801
.480
i
チ 別 劃(地方納金ニシテ年額8万6千弗) .288
(半 減) .144
株 主 配 当 o 費
?@ 日 利 益
(株金120万費 1割2分以上) 「
@ ・5°°1 1.,。。1 (6朱約)
@ ・7121 朧驕諜嫡1 ・5001
.240
D500 D100
計 44101 3.910 2,944
円 円 円
元 利 償 還 費
5.292 4.629 A.53。1 1.53。
1.20替 3,553
@ * P,570 合 計 6・822 6.2221
@ 1 1 5,123
〔註〕*印,原資料には元利償還費が空欄となっているが,差額より計算。
〔出所〕第8表に同じ(但し113頁)。
奈倉:官営八幡製鉄所による鉄鉱石の「安定的」確保策 37
司の経営を一層悪化させざるを得ない。そこで裕 以後の裕繁公司の帰趨も漢冶薄と同様である 繁側の要請にも部分的に応じ若干の譲歩を行う。 が・略述すると次のごとくである。
即ち,新旧借款とも償還期限を17ケ年,利率を6 裕繁公司の八幡製鉄所への鉄鉱石納入量は・
分に改定し(前掲第6表参照),且つ鉱石代金保留 1924年の35万トン弱を頂点として以後減少する 額の一部解除を行う。後者について言えば,従来 が,25年までは契約高を超過している(前掲第8 の契約においては,鉱石代金を毎回全額を借款元 表)。しかし・すでに24年6月以来の桃沖付近の 利償還額に達するまで正金銀行において留保する 戦乱も一因となり,裕繁の経営難は一向に改善さ
ことになっていたのであるが,「カクテハ桃沖ハ れない。こうした事態のもとで・日本側は裕繁に
● ● ■ ● ● ● ● ● ● ● o ● ● ● ● ● o ・ . ・
殆ト休山スルノ外ナキ」という結果になるため, よる採掘量増加と八幡製鉄所以外への販売要請を
● ● ● ● ■
最低トン当り1円を留保し,他を裕繁に交付する 鉱量の限界を理由に拒否しつつ・臨時的措置とし というものである。つまり,鉱石代金による借款 て1924年度分の鉱石代値上を行う(裕繁手取分銀
(10)
元利優先払という規定を早くも一部放棄すること 3ドルー−3.50ドル)。だが,かかる臨時的措置 を余儀なくされたのである。 により裕繁の窮状が解決されるわけではなく・次 以上,「裕繁公司借款」は「漢冶葬公司借款」 々に新たな弥縫策を講じる。即ち・鉱石代臨時値 と形態的に酷似するだけでなく,その実質的内容 上げを毎年度継続しつつ,日本側は裕繁の経理調
● ● o ■ ● ● ■ ● ・ ●
焉C桃沖鉄鉱石の供給継続(大冶との関係では増 査・監督強化を実行し,経費節減を督励するが実 大)あたああ捨索公南羅痔叢(単なる維持策では 績は芳しくなく(第ll表参照,生産費合計は値上 なく債務整理の実行と結合した日本側の支配強化 げ額3・5ドルをも大幅に上回る)・1926年には2 策)であり,その性格は早くも喬由圭義爵倍款臭 年間の元金償還停止措置をとり(利子のみ支払)・
病ゐ轟寵蜜たる性格を帯びる。 鉱石代金中29万トンを越える分については留保金 第11表 裕繁公司の鉱石生産費節約標準及び実績 (単位 トン当り弗)
節 約 標 準 実 績 費 目 (拶15年末月27・5°°) (大正15年10月〜12月月平均 18,133トン)曙鵯年鵠籍紛
i採鉱ヨ リ 山元卸費迄 1,018 1,167 2,011
鉄 路 課 0,251 0,279 0,319
山元ヨリ@ 運 輸 課 0,178 0,197 0,271
船積費迄@ 修 理 課 0,081 0,099 0,145 鉱 山 経 費 0,354 0,533 0,757 特 別 費 0,284 0,502 0,459 経 費 0,180 0,359 0,673 鉄 桐 0,480 0,480 0,460 輸 出 税 0,330 0,330 0,375
計 3,156 3,946 5,480
利 息 一 一 1,104
合 計 3,156 3,946 6,584
〔出所〕第8表に同じ(但し252頁)。
38 茨城大学政経学会雑i誌 第33号
額を全額解除して裕繁に交付することを決定し, 「技師長ノ選任二就テハ裕繁及裕繁顧問森格並二中 さらに1927年以降は特別交付金(トン当り1円15 日間二於テ協議スルコトトナシ而シテ事実二於テハ 銭)を与えるという措置をとる(事実上の鉱石代 製鉄所ノ推薦二依ラシムルコト」,と(「第2回預 値上げ)。 だが,現実の鉱石納入数量は1925年の 金部資金融通二関スル三省決議ノ変更」大正11年12 R0万ト蕩ら2・万トン,17万トンと激減すること 月2・日,同上書・3・頁)・
(8)同上書15頁。により(前掲第8表参照),先の29万トン超過分に
(9)佐藤昌一郎氏によれば,裕繁手取分銀3.00ドルとついての規定は何ら効果を果さない。かかる事態
金1・85円という価格二元制がとられたのは,裕繁手のもとで,その他の措置も全て1930年頃まで継続 取分を抑制する意図と日本資本の裕繁公司への参
され,かくして裕繁公司による借款元利償還も事 入・支配とを密接に結合したもの,という(「戦前
実上殆んど停止するに至る。即ち・裕繁公司対策 日本における官業財政の展開と構造皿」,『経営志 も・桃沖鉄鉱石供給継続を優先的課題とする以 林』第4巻第1号掲載)
上,帝国主義的借款契約の弥縫策を講じることに (10)『裕繁沿革』21.22頁。
より,同公司の存立維持を計らざるを得なかった (11)以上,同上書24〜39頁。
のである。
(1騰「大躍おける製銑資本の存在形態」 皿「南醐業公司借款」とゼレー鉄鉱
〔r茨城大学人文学部紀要(社会科学)』第8号掲 石依存への傾斜
載予定〕 次に,マレー鉄鉱石について,官営八幡製鉄所(2)飯田賢一氏所蔵資料『桃沖鉄山二関スル沿革』 と南洋鉱業公司(後の石原産業)との関係に焦点(大正13年頃製鉄所編纂と恩われるもの)6頁,大蔵 をしぼって考察する。省預金部『支那裕繁公司借款二関スル沿革』(昭和
3年)〔以下『裕繁沿革』と略〕11頁。 八幡製鉄所は,石原広一郎によるマレー半島ジ
(3}同上書12頁。尚,供給契約数量は契約書(同書71 ヨホール鉱山(別名スリメダン鉱山)の発見後,
頁)により訂正。 石原個人との聞に鉄鉱石供給契約を締結した(19 ω間に中日実業が介在していることだけが異るが, 20年4月♪。 この契約は純然たる鉄鉱石の売買契 これは従来の経緯によるものであると共に,国家機 約であり(漢冶捧・裕繁両公司の場合と決定的に 関が前面に出ることによる中国側の反擁を柔らげる 異る), その契約内容は,石原が1920年度2万ト 役割を果す(後述参照)。 ン,21年度5万トン,22年度以降10万トン以上の
(5)次の文書はその事情を示す・「大冶鉱石ハ予定ノ 鉄鉱石(鉄分55%以上)を標準価格トン当り20円 半額ヲモ期待シ難キ情況ト相成候結果三十万噸以上 (製鉄所渡し)で八幡に供給するものとなってい
ノ大量ヲ桃沖二依リ充タササルヘカラサルヲ以テ… る。これにより石原は鉄鉱石の安定的供給先を確
」(「第2回預錦齢纐二関ス・レ大巖酪 保ε,鮮鎌公司轍立する(192・年9月).
外務三省決議」大正11年8那日・『裕繁沿革』1°9 ジ。ホール鋤の採掘は同年12月より着(趣
頁)。
@ れ,出鉱状況は同年2万トン,以後14万トン,20万(6)同上書16.17頁。
トン,24万トンと毎年度増産され,良好であった(7)即ち,「覚書ヲ以テ協定ノ鉱石数量ヲ引渡ササル
(すでに八幡への納入契約量以上となっているこトキハ代理経営ヲナシ得ルコトトスヘキヲ以テ委任
状ヲ取ラサノレモ事実二差支ナキモノトト認ム」,「経 とに注目)・しかし・南洋鉱業は,採掘量30万トン 理監督ハ従来中日ノ派出員二於テ事業並二経理上ノ 以下では採算が合わないと見込まれていたので一 調査ヲナシ助言ヲ与へ来リタルニヨリ将来モ此ノ形 層の増産計画をたて・さらに輸送運賃の低下をは
● ● ● ● ● ■
式二依リ製鉄所ハ出張員ヲシテ中日ノ嘱託員タラシ かるため鉱石自家輸送をも計画した。そこで,南 (3)メ右ノ任務二当リ監視ノ実ヲ挙クルニカムルコト」, 洋鉱業はこの計画に基き,トレンガヌ鉱山(別名