【論 説】
ジェヴォンズの自由資本概念について(1)
─特権的主体と経済体系─
野 下 保 利
1.はじめに
19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて、先行していたイギリスの後を追う ようにフランス、ドイツ、アメリカなどの諸国で預金銀行システムが急速に 発展した。預金銀行の発展にともなって銀行システムは安定し貸付能力を拡 大する。他方、銀行システムの発展を基礎にして、商品取引や債券・株式取 引をおこなう各種の商品取引所や証券市場も成長してくる。国際的には、各 国における銀行システムの発展を基礎に金本位制が確立され、外国為替シス テムが構築されることになった。ここに国際金本位制が成立した。
国際金本位制の成立は、イギリスの金融中心地であるロンドンの諸銀行に 各種の国際金融取引の仲介をおこなうことを可能にした。ロンドンの預金銀 行やマーチャント・バンクは、ロンドン銀行宛て為替手形の発行・引き受け を積極的におこなうことによって、外国貿易などの国際決済を仲介した。同
目 次 1.はじめに
2.問題の所在─投資家と経済体系
3.ジェヴォンズにおける経済学の課題と方法
4.資本と時間、均衡利子率 (以上本号)
5.自由資本とは何か─自由資本概念と資本主体 6.自由資本概念の含意
7.むすび
時に、各国の外債がロンドンで起債され、ロンドンは貿易金融だけでなく資 本市場取引の国際金融センターになっていった。
内外金融システムの成長にともなって、商品取引所での信用取引や債券・
株式を売買する投資家達が増大する1)。現代の証券投資家の始祖ともいえる 投資家たちは、しだいに景気変動など経済全体の運動に大きな影響を及ぼす ようになった。こうした新たな資本主体は、所得形成に用いる財や資本の選 択だけでなく、資本価値の評価においても、農業分野や製造業分野で実物資 本を使用する資本主体と異なった方法を用いるようになった。こうした事態 は、古典派経済学に深刻な疑問を提起することになる。
第 1 に、商品取引所の信用取引や銀行借り入れによって資金力を増した投 資家による消費・生産目的ではない商品取引が活発化し、財価格を生産費か ら大幅に乖離させるようになった。こうした価格形成の変容は、実物財価格 は生産費用に規定されるとする古典派価値論の説明力を大きく削減した。第 2 に、株式や債券など非労働生産物の取引が増大し、資本所得形成の重要な 手段となった。新たな資本取引の増加は、資本を生産手段に限定し、利潤及 び利子という資本収益の源泉を労働生産物に求める古典派経済学の資本理論 及び所得理論の現実妥当性に疑問を提起することになった。
こうした疑問に対する解決の 1 つは、労働価値論に需給論を接合すること である。しかし、需給論を価格形成の基礎とするとき、需給均衡時の価格水 準の決定ができないだけでなく、主体が財を需要する際の基準ないし動機が 不明となる。あらためて価格形成の基準、すなわち、価値論を構築する必要 が生じた。ジェヴォンズをはじめとする新古典派経済学者は、古典派価値論 に代えて効用価値論を提唱することによって、生産費から大きく乖離する価 格形成を説明しただけでなく、各種の非労働生産物、すなわち債券や株式、
さらには暖簾代や特許権など無形資産も資本概念に組み込み、価値評価の対 象に加えることを可能にした。
ジェヴォンズは、投資家という新たな資本主体の登場による実物財価格形 成及び無形資産を含む資本概念の拡張の要請を、固定資本や流動資本といっ
た実物資本でもなく、貨幣資本や貸し付け可能資本にとどまらない自由資本 という「独創的」な資本概念を用いて分析しようとした。ジェヴォンズの資 本価値概念は、時代的制約もあって、長期には生産費説を受け入れる一方、
将来の需要が生産財価値を決めるという新古典派資本価値論を主張するとい う矛盾した二面性を克服できなかった。こうした二面性をもつにもかかわら ず、ジェヴォンズは、自由資本概念によって、投資家の台頭によって経済体 系の運動が大きく変化するようになった新たな現象を分析しようとした。投 資家という新たな資本主体の影響を自由資本という独自の資本概念によって 分析しようとしたジェヴォンズの手法は、その後、ベーム─バベルクの資本 利子論、ヴィクセルの自然利子率、そしてフィッシャーを出発点とする時間 選好利子論を介して、現代経済学に継承されることになる。
本論文は、貨幣的経済分析(monetary theory)の展開史の観点から2)、自 由資本概念に焦点を当てジェヴォンズ資本理論を検討する。従来、ジェヴォ ンズ資本理論は、その曖昧さをしばしば指摘されてきた(Keynes, 1937, p.
75; Robbin, 1936, p. 94)。また、資本理論で仮定されている代表主体につい て明示的記述がないため、オーストリア学派など資本利子説の立場からは評 価される(Bohm─Bawerk, 1891, p. xxiii)一方、ネオ・リカーディアンなど 古典派資本理論を継承する立場からは資本概念の混乱などの点が批判されて きた(Steedman, 1972, pp. 105─6)。しかし、主体によって資本の運用成果を 評価する時間軸が異なり、財や資本の価値評価方法も変わってくる3)。そし て、20 世紀になって台頭した証券投資家が利子率と有効需要原理をマクロ 経済の主要な規定要因にしたように、価値評価方法の変化は経済体系の運動 に決定的影響を与える。ケインズが指摘したように、経済学に主観的価値評 価を導入した最初の経済学者がジェヴォンズにほかならないとすれば
(Keynes, 1936, p. 74)、ジェヴォンズ資本理論の検討は、投資家という新た な主体の台頭が、どのように財や資本の価値評価方法を変え、どのように経 済体系の運動に影響を与えるのかという問題を検討するための格好の素材を 提供する。そして、こうした検討は、「投資家としての個人」を暗黙裏に代
表主体とする現代経済学の特異性と問題点を明らかにすることにもなる。
2.問題の所在─投資家と経済体系
ジェヴォンズの経済学、特に、交換理論は、従来、生産費用を基礎とする 古典派価格形成理論から断絶し、主観的価値評価に基づく価格形成理論の構 築に経済学上の貢献があったとされてきた。すなわち、古典派経済学から断 絶を評価する見解がジェヴォンズ評価の主流を占めてきた(Blaug, 1985, pp.
295, 306─7; Walsh and Gram, 1980, p. 123)4)。こうした断絶説からすれば、ジ ェヴォンズをはじめとする初期の新古典派研究は、古典派経済学から決別 し、生産要素の効率的配分を一般均衡論の枠組みで静態的に分析しようとし た点に学史的意義があることになる。しかし、近年、書簡や未発表資料の公 刊もあって、ジェヴォンズをはじめとする「限界革命」がもたらした経済学 の意義について再評価が試みられるようになってきた(Bowley, 1973; 井上, 1987; Peart, 1996)。新しい「限界革命」研究は、次の点を明らかにした。第 1 に、新古典派経済学の中核理論である限界生産力説や効用価値論は、経済 学の歴史において早くから存在し、19 世紀初めにすでに確立されていた。
第 2 に、ジェヴォンズ、ワルラス、メンガーの研究は、多くの点で違いがあ り、新古典派経済学者を同一視することはできない。第 3 に、新古典派経済 学者においても古典派経済学が主な対象としたける経済成長について研究に 進展がみられる。
新しい「限界革命」研究においては、従来の断絶説に代わって、新古典派 経済学を古典派経済学において萌芽的に存在した要素を発展したものと捉え る古典派経済学との継続性が重視される(Peart, 1996, pp. 36─7)5)。こうし た継続説に基づけば、新古典派経済学を継承する現代経済学は、経済学の連 続した発展のうえに位置づけられることになる。特に、ジェヴォンズの経済 分析は、古典派から継承された交換過程分析を発展させたアロー=デブルー に至る一般均衡分析のパイオニアと捉えられることになる。
継続説に対して、経済学への数学的適用の特異性に焦点に当て新古典派経 済学を検討した一連の研究(Mirowski, 1984; Schabas, 1990; 成島, 1992)は、
新古典派経済学の古典派経済学からの断絶をあらためて強調することになっ た。特に、ミロースキは、継続説を次の 3 点で批判する(Mirowski, 1984, p.
362)。
第 1 に、ジェヴォンズやワルラス、さらにジェヴォンズの後継者であるエ ッジワースの手紙や著作において、彼らは、古典派経済学からの根本的断絶 を繰り返し表明している。第 2 に、限界革命が古典派経済学から断絶させる 重要な点は、効用価値論の導入ではなく、経済分析への数学導入の特質にあ る。第 3 に、新古典派経済学者の多くが、自らの経済学が科学的性格をもつ ということを根拠に古典派経済学との違いを強調した。
ミロースキによれば、ジェヴォンズをはじめとした新古典派経済学者は、
19 世紀中葉以降のエネルギー論の発展から大きな影響を受けて古典派経済 学からの脱皮を図った。新古典派の主要な構成要素、すなわち、効用価値概 念と一物一価の法則、一般均衡概念は、実体主義あるいは物質主義力学から フィールド・パラダイムに基づくエネルギー論への転換を経済学へ導入しよ うとしたものにほかならない(Mirowski, 1984, p. 377)。特に、ジェヴォンズ については、彼の主な研究対象であった、経済学、石炭問題、太陽黒点と関 連した景気循環研究、そして、科学論の間には、エネルギー論を介して密接 な関係を確認することができる。経済学における効用の最大化、イギリスに おける石炭形態でのエネルギー枯渇、そして、地球のエネルギーの源である 太陽が景気循環に及ぼす影響といったジェヴォンズが生涯をかけて研究した 問題はすべて、当時のエネルギー論から影響を受けた主題であった。もっと もミロースキによれば、様々な物理現象を共通のエネルギーによって生じる と捉えるエネルギー論の経済学への導入は、物理学のその後の発展にともな うフィールド理論を曲解した形で導入されることになった。
ジェヴォンズ及び新古典派経済学が物理学におけるエネルギー論の展開に 影響を受けたものであるとしても、それだけでは、財及び資本の主観的価値
評価を価格形成の根拠とする経済学の台頭と、そうした経済学が一般的に受 容されるようになった根拠を十分に説明できるわけではない。ミロースキの 問題点は、経済学への数学導入に否定的なメンガーを新古典派経済学の例外 として位置づけざるをえなくなる点(Mirowski, 1984, p. 371)に現れてくる。
財及び資本の価値評価における主観性は、ジェヴォンズからはじまる新古典 派経済学の最も重要な特徴であるだけでなく(Keynes, 1937, p. 74)、メンガ ーとオーストリア学派が最も強調する見解にほかならない6)。
主観的価値論の登場と受容を投資家層の台頭と関係づけて説明したのが、
ブハーリンである(Bukharin, 1927)。ブハーリンは、オーストリア学派、特 に、ベーム─バベルクの議論が、近代的資本家、あるいは「世紀末のブルジ ョワ」である金利生活者の考えを反映したものだと主張した(Bukharin, 1927, p. 58)7)。ブハーリンによれば、オーストリア学派の主観的価値論は、
株式取引所における証券価格の価格形成を反映しており、主観的価値論及び 限界効用といった新古典派に共通する分析ツールは、19 世紀末の投資家の 考えを理論化したものであった8)。
古典派経済学の数量化が平均原理や線形メトリックを用いるのに対して、
新古典派経済学は限界原理をはじめ非線形メトリックを用いて経済量を分析 する(Mirowski, 1989, pp. 142, 209)。限界原理など非線形メトリックの導入 は、経済取引の連続性を仮定する必要があるが、こうした連続性の仮定は、
実物財取引よりも端数まで処理可能な金融取引に適したものである9)。さら に、新古典派経済学者が多く用いた資本価値のフォワードルッキングな評価 にしても、農業や製造業にある実物資本ではなく、投資家が運用する株式や 債券など金融商品の価値評価方法に適したものである。こうした投資家の価 値評価は、主観的であるだけでなく、投資家としての運動(レファレンス・
フレーム)が価値評価の座標系を規定するという意味で客観性をもつ。
投資家は、その他の資本主体と異なって、投資を開始してその成果を得る までの事業期間、すなわち資本の回転時間を弾力的に変更することができ る。実物資本を用いる資本主体にとって時間は自然によって与えられる絶対
時間であるのに対して、投資家にとって資本運用の時間は投資した金融商品 の収益性予想に応じて主体的に変化させることができる。このことは、投資 家の行動する場である経済的時空間が絶対時間を前提とするカルテシアン空 間ではなく、時間と空間が相対的関係にある非カルテシアン空間となること を示唆している。新古典派経済学者が経済量の数量化にあたって非線形メト リックを用いたのは、単に、経済学を科学的にするためだけでなく、当時台 頭しつつあった投資家の経済行動と投資家によって影響を受ける経済現象を 分析せざるをえなかったことを背景としていた。そして、投資家の台頭が現 実経済を反映していたために、投資家を代表主体と事実上仮定する新古典派 経済学は、一般にも受容されるようになったのである(Keynes, 1936, pp. 82
─3)。
ジェヴォンズの効用価値論は、エッジワースやフィッシャーに引き継がれ たばかりでなく、効用の性質や計測問題など効用理論の精緻化への道を開い たと評価されてきた(Peart, 1996, pp. 6─7)。しかし、効用価値論はまた、主 体の行動理論、特に、財及び資本の価値評価行動の理論でもある(Robbins, 1936, p. 97)。投資家の事業期間の決定が他の分野の資本主体と大きく異な るだけに、時間の問題は投資家の経済学としての新古典派経済学にとって決 定的な意味を持っている。事実、ジェヴォンズは、限界効用価値論という財 及び資産の価値評価方法をはじめて体系的に提起しただけでなく、経済主体 の行動と密接に関連する時間を経済学へ導入する必要性を強調した10)。 「経済上の問題には全て時間が介在しており、我々は時間の流れの中で生 活し、考え、行動している。つまり我々はまるで時間を創造しているので、
単位時間当たりの供給の大きさ、生産の大きさ、消費の大きさ」(Jevons, 1888, p. 63)。
農業や製造業の分野において、事業期間は自然に支配され意識的に変更す ることは困難であった。そのため、農業や製造業における主体を反映した経 済理論は、あえて時間の役割を強調する必要もなかった。しかし、各種の転 売可能な債権を取引する投資家は、転売時期を意識的に変えることが可能で
ある。一旦取得した債権をいつまで保有するか、どこで売却するかを自由に 選択できる。したがって、経済学へ時間を導入することの強調は、ジェヴォ ンズが投資家という新しい主体が価値評価方法の変化や資本概念の拡張と密 接に関連することを事実上認識していたことを示唆している11)。後述するよ うに、ジェヴォンズの初期の経済学研究は、景気変動における投機家ないし 投資家の役割に注目した研究(Overstone, 1837; Mills, 1866, 1867)から大き な影響を受けていた。
投資家の台頭は、価値評価や資本概念を変容させることになる。太陽系の 惑星の運動が太陽の生む時空間に規定されているように、経済体系の運動も また、ある時代、ある国の代表主体の運動(レファレンス・フレーム)に規 定される12)。すなわち、投資家という新たな資本主体の台頭は、主体が行動 する場、すなわち経済的時空間の幾何学的構造(制度)を変え、経済体系の 運動を変化させる(野下, 2014, 21 ページ)。
『経済学の理論(The Theory of Political Economy)』において、交換、生 産、分配は同じ比重で論じられず、それら全ては効用理論の適用理論とされ た(Black, 1970, p. 19)。資本についての章は、交換理論と密接な関係も必要 不可欠な関係もなく、交換理論の追記であると評価されてきた(Peart, 1996, p. 115)。事実、「資本の使用と交換の過程との間には、密接な関係あ るいは不可欠な関係があるわけではない」とされている(Jevons, 1871, p.
222)。しかし、ジェヴォンズは、「経済学は交換の価額であるだけでなく資 本化の科学でもある」(Jevons, 1871, p. 222)と述べ、交換理論だけでは経 済学は完成せず、資本の諸原理を考察する必要を強調している(Jevons, 1888, p. 223)。両者がともに重要な理論分野をなすならば、両者の関係を切 り離して理解するのは問題があり、両者の関連を検討しなければならない。
実際、財の価格付けは、資本の価格付けの基礎をなし、資本や土地、労働の 価格付けは所得形成の基礎をなしている。他方、資本の価格形成は、投資家 の将来の資本の収益予想に依存し、財の価格形成の主観性に影響する。その 意味で、交換理論と資本理論は、相互依存関係にある。
ジェヴォンズの資本理論は、オーストリア学派など資本利子説の立場から 一定の評価を受ける(Böhm─Bawerk, 1891; Keynes, 1936, p. 75)一方、しば しば批判に晒されてきた(Stigler, 1948)。特に、自由資本概念は、古典派資 本理論を継承する立場からは、資本概念の混乱に加え、投資と資本の関連や 利子論に重大な瑕疵があると批判されてきた(Steedman, 1972, pp. 105─
6)13)。しかし、ジェヴォンズにおいて、自由資本は、投資家の台頭にともな う新たな現象を分析しようとして導入された概念であり、概念上の混乱に理 論的苦闘の跡を見出すことができる。これまでの研究は、どのような主体を 代表主体として仮定しているかを明確にすることなしにジェヴォンズ資本理 論の検討してきた。そのため、ジェヴォンズ資本理論の意義と問題点を明確 に把握することができなかった。投資家との関連で自由資本概念の意義を整 理するとともに、投資家の台頭が経済体系の運動をどのように変容させたの かという問題を分析するため、ジェヴォンズ資本理論を再検討する必要があ る。
3.ジェヴォンズにおける経済学の課題と方法
ジェヴォンズの『経済学の理論』の最初の諸章は、価格形成の根拠を明ら かにする説明に当てられている。ジェヴォンズは、長期には価値が生産費に よって規定されることを否定したわけではないが14)、次の 3 点で古典派価値 論を批判する。第 1 に、経済学者はすべての財貨に労働が費やされていると いう事実を強調し、価値は労働に比例するという結論は、事実と全くかけ離 れている(Jevons, 1871, p. 163)。第 2 に、古典派価値論は、生産すること が不可能な財貨について説明できない(Stigler, 1950, p. 85)。第 3 に、財お よび資産の価値は、生産費よりもそれらが生む将来収益を重視して価値評価 される15)。
古典派価値論の問題点を説明するために、ジェヴォンズは、労働価値説に 需要供給論を折衷することで満足せず、ベンサム流の「幸福」という概念を
据えた価値論(効用価値論)で交換分析を基礎づけようとする(Peart, 1996, p. 90)。さらに、効用、価値、労働、資本などを数理科学を用いて正 確な数量的概念として捉えようとした(Jevons, 1888, p. vii)。
財の効用の度合いを価値量の規定とする効用価値論は、財の価値を評価す る主体の行動理論でもある。したがって、人間行動の分析が、効用理論の出 発点をなすことになる。ジェヴォンズは、価値に関する代表的な 3 つの概念 として使用価値、欲求の評価または強度、そして交換比率を挙げる(Jevons, 1871, p. 80)。そして、ジェヴォンズは、人間の行動に及ぼす要因を人間行 動の結果をみることによって、人間の感情を測定できると主張する。すなわ ち、財の購入によって得られる効用が財の価格付けと等しいので16)、欲求の 評価は交換比率と密接に関連する。使用価値は総効用であり、その価値は最 終効用によって決定され、さらに、財の交換比率は購買力によって決定され るという価値評価方法が提起される(Jevons, 1871, p. 81.)17)。
「われわれは、重力をそれ自体、認知し、あるいは測ることができないの と同じように、われわれは、感情を測ることができない。しかし、われわれ が振り子の運動への作用によって重力を測るように、われわれは、人間の精 神の様々な決定によって感情が等しいことや等しくないことを測ることがで きるだろう」(Jevons, 1871, p. 11)。
ジェヴォンズは、シーニアの言説を肯定的に引用し、労働費用、そして労 働生産物の費用だけでなく、節欲によって生まれる資本の費用も同様に計算 可能だと主張する(Jevons, 1888, pp. xx─i)。すなわち、リスクの程度、富の 量など価格付けされるすべてが効用をもつと捉えることによって、労働生産 物だけでなく、価格をもつすべてについて同じ数学的扱いができるようにな る。消費を一定期間繰り延べる行為である節欲やその結果として資本も、価 格付けされる限り、効用によって評価できることになる。
効用価値理論は、価値論として次の優位性を古典派価値論に対してもって いる。第 1 に、需給論では需給均衡の水準を規定できないという経済学上の 問題点を効用価値論によって回避することが可能になった。第 2、古典派が
価値の分析対象とした労働生産物以外の各種財やサービス、そして非生産財 の金融資産や自然資源の価格付けを、古典派のように例外として理論的対象 から外したり、需給論で片付けたりするのではなく、価値論を基礎に説明す ることを可能とした。第 3 に、資本価値ないし資産価値の評価方法として生 産費用に依拠しない資本価値評価方法を導入した。第 4 に、効用価値論は主 体の主観的判断と密接に関連しているので、資本価値評価を資本主体の主観 的判断、すなわち主体行動と関連づけることを可能にした18)。
ジェヴォンズら新古典派経済学者が古典派経済学に対して変更を求めたの は、主に価値(価格)論であるが、価値論は所得理論、そして資本理論と密 接な相互関係にある。資本の価格付け、すなわち資本価値評価は財の価格付 けと同じ原理で説明されなければならず、資本の価格付けは所得形成の基礎 をなすからである。その意味で、ジェヴォンズにとって、交換理論だけでは 経済学は完成せず、資本の性質と諸原理を考察する必要があった(Jevons, 1888, p. 223)。そして、価値の性質とならんで資本の正確かつ明確な概念を 導くことが、経済学の知識の本質を構成することになる(Jevons, 1871, p.
294)。
『経済学の理論』において、資本の理論は、第 8 章の結論を別にすれば、
最終章の第 7 章で論じられる。第 7 章において、まず、資本の機能が論じら れ、次に資本が時間と密接に関連することが述べられ、資本と投資の関係が 定式される。その後、資本収益率としての利潤率と利子率の決定要因の分析 が行われる。同時に、資本概念にかかわる既存理論の問題点が論じられ自説 の正しさが確認されることになる。
4.資本と時間、均衡利子率
(1) 投資と資本
ジェヴォンズは、経済主体の選択と密接に関連する時間を財や資本の価値 評価の問題に導入しようとした。彼の資本理論においても、資本収益率とし
ての利潤率と利子率の決定を定式化する際に時間は決定的な重要性をもつよ うになる。
資本を問題とする場合、ジェヴォンズは、まず、J. S. ミルに代表される 古典派経済学が資本として食料や機械、家屋、さらには流動資本や固定資本 など様々な富の要素を挙げてきた点を批判する。そして、彼は、資本概念に は単純化が必要だと主張し、資本を以下のように定義する(Jevons, 1882, pp. 232─3)。
第 1 に、資本は、どのような仕事にも従事する各種の労働者の生活を維持 するために必要な生活必需品の集計量として定義される。なぜなら、資本の 唯一かつ重要な機能は、労働者が生産物が生産されるまで長期にわたって働 き続けること、すなわち、事業の開始から終わりまでの期間を設けることを 可能にすることにあるからである19)。具体的には、食料の保存量は資本の主 要な構成要素ではあるが、衣料、家具、その他の日常使用する物品の供給 も、資本を構成するとされる。第 2 に、資本は、投資分野に前貸しされる蓄 積されたファンド(accumulated fund)として定義される20)。この定義にお ける資本は、生産の目的のために、道具、機械、あるいは予備的作業などを 供給するために巨額支出を可能にする。第 3 に、資本は、どのような部門で も投資可能な資本、すなわち、自由資本と定義される。賃金が、あらゆる職 業の労働者の生活を支えるのであるから、日々の生活を維持するために必要 なあらゆる種類の品目の盛り合わせは、どのような産業にも無差別に投下さ れ、一定期間充用され、引き上げられる特徴をもつ自由資本と捉えられる
(Jevons, 1871, p. 235; 1888, p. 243)。自由資本は、賃金基金説における賃金 ファンドに類似しているが、ジェヴォンズは資本量を一定と仮定している点 で賃金基金説を一時的な有効性しかもたないと批判する(Jevons, 1871, p.
273)。しかし、後述するように、どの分野にも投資され、固定資本や流動資 本といった実物資本にも転換される自由資本を、賃金を構成する各種生活必 需品と捉えるのは二重定義の可能性もあり問題を含むことになる(Steedman, 1972, p. 16)。
ジェヴォンズは、労働は消費することを唯一の目的をもって行われ、生産 は消費財を生産することを目的とすると捉える(Jevons, 1871, p. 39)。こう した労働観ないし生産観から、ジェヴォンズにおいては、資本は、事業期間 の間、労働を用いることができるために前貸しされる生活必需品、すなわち 賃金の実物的素材として認識されることになる(Jevons, 1871, p. 223)。他 方、ジェヴォンズはまた、資本は生産の目的のために、道具、機械、あるい は予備的作業などを準備する際に必要となる巨額支出としても認識されてい る(Jevons, 1882, pp. 232─3)。資本をまず賃金として捉える一方、生産手段 を取得する手段としても認識するというジェヴォンズにおける資本概念は、
一見、矛盾しているようにもみえる(Steedman, 1972 pp. 122─3)。しかし、
この 2 つの資本概念を統合しようとして導入されたのが、自由資本概念にほ かならない。ジェヴォンズにおいて、自由資本は労働者を雇用するために用 いられる一方、流動資本や固定資本などに一時的に固定される場合もあると 捉えられる21)。
ジェボンズにおいて注目すべき点は、資本と時間との関連を強調すること である。経済上の問題には全て時間が介在し、時間との関係で供給の大きさ、
生産の大きさ、消費の大きさを分析しなければならいと主張される(Jevons, 1888, p. 63)22)。資本が時間と密接に関係するのは、第 1 に、生産に時間がか かり、資本の役割は生産期間を長期化できることにあり、第 2 に、技術革新 によって生産過程が改良されるほど生産期間は長期化し、生産過程や技術改 良の間、労働者を生活させるため資本が必要になる、ためである23)。ジェヴ ォンズによれば、仕事の開始から終了までに経過する時間、すなわち、生産 期間は、労働者が生産を開始し消費するまでの期間を意味し、資本の問題は 時間の問題に還元される24)。
但し、ジェヴォンズにおいて、生産と消費が同時に行われる過程だけを取 り扱っているわけではない。後述するように、生産と消費が別々に行われる 場合も分析されている。したがって、資本の問題は、時間に還元できるとさ れる場合、生産と消費が同時に行われる場合と両者が別々に行われる場合を
区別する必要がある。ここでは、生産と消費が同時に行われる場合の期間を 生産期間とし、生産と生産過程の成果を消費ないし販売する過程を含む期間 を事業期間(資本の回転時間)、投資が行われる期間を投資期間としよう。
投資期間において、投下された投資は、資本として機能し続けると仮定さ れ、各期に投資された資本の回転期間の違いは無視される。そのため、投資 期間の長さと投資量の増加が同一視されることになる。さらに、投資期間の 間、労働者は生産と同時に資本を消費するので、投資期間は生産と消費が行 われる生産期間と同じとなる。
ジェヴォンズは、資本と時間の関係について、ある時点になされる投資と 過去の投資結果である生産手段などの形態にある資本との区別を強調する。
投資が一次元の量であるのに対し、資本量は各時点の投資と投資期間の長さ という 2 つの要素の積、すなわち二次元の量となる(Jevons, 1871, p. 229;
1882, p. 228)。投資と資本の関係を示す図 1 において、OXは、投資期間を 示し、各点(例えば、a点)の矩形は各時点の投資量を表す。投資期間
(OX)を基底とする矩形の面積は、投資期間における資本量を表している。
図 1 から、道具や原料などの初期コストを無視し二日目以降に労働を一単 位ずつ加えられていくように投資する場合、初日の労働費用、すなわち投資 をaとすれば、n日間の資本(I)は、(1)式のようになる25)。
図 1 投資期間における投資と資本
出所:Jevons (1888), p. 229, Fig. X
O a X
I=a+2a+3a+...+na=a
(
n(1+2 n))
=a(
n+2n2)
(1)(1)式にみられるように、投資量は生産期間の長さにともなって増大す る。特に、(1)式の右辺はnの二乗項を含むので、投資期間が長くなるほ ど、資本量は急激に増大すると計画される(Jevons, 1871, p. 237)26)。 投資と資本の関係を定式化したうえで、投資期間と区別される事業期間を 導入し、事業期間における投資と資本の関係を検討するために、農業を例に とって説明している。図 2 は、事業期間を投資期間と消費期間に分けた上 で、投資と資本の関係を描いたものである27)。
図 2 における投資と資本量の関係は、次の仮定が設けられている。第 1 に、資本家は固定資本を用いず、労働者を雇用するためにだけ資本を投下す る。第 2 に、事業の開始から終了までの期間、すなわち事業期間は二年とさ れる。すなわち、投資と資本量との関係を導く際に消費の役割を考慮するた めに、事業期間は、投資(生産)期間と、生産された投資成果を消費する消 費期間に分けられている。したがって、労働者の雇用期間、すなわち、事業 期間は二年にわたる一方、投資期間は 1 年で、9 月 1 日から翌年の 9 月 1 日 までに投資と生産が行われるが、その後、9 月 2 日から 12ヶ月まで生産成果 について、労働者による負の投資過程、より正確には消費過程がおこなわれ る。
図 2 事業期間と投資期間
出所:Jevons, 1888, p. 230, Fig. XI, 一部修正
0 t
W
図 2 において、三角形の高さが最大投資量を表し、投資期間は事業期間を 示す底辺の半分となる。したがって、資本量(資本投下量)は下辺を底辺と する三角形の面積に等しくなり、最大投資量と投資期間によって決まる
(Jevons, 1888, pp. 230─1)。wを投資(賃金)、事業期間をtとすれば、資本 量(I)は、
I=1
2tw (2)
となる。
事業期間と投資(生産)期間、そして消費期間の関係は、ジェヴォンズの 企業活動に関する特異な認識を示している。ジェヴォンズの仮定する事業で は、投資によって労働者が雇われ、生産が行われ投資成果を得ることができ るが、投資成果は投資家に回収されるわけでも、また生産規模を拡大するた めに用いられない。通常の事業の場合、投資期間と生産期間が一致し、生産 に必要な生産手段を調達したり、労働者を雇用したりするために必要な時間 がないと仮定した場合でも、事業期間は投資期間と異なる。事業期間は、生 産のための資材の購入と労働の雇用からはじまり、資材と労働を結合して生 産し、生産物を販売して生産費用に収益を加えた価値を回収して終わる。事 業期間は、投資(生産)期間に加えて投資(生産)の成果を実現するための 流通期間を含むことになる。
なぜ、ジェヴォンズは、投資と資本量の関係を示すために、投資期間と生 産期間を同一視するだけでなく、投資成果の実現過程を消費過程と仮定した のだろうか。こうした仮定を行うのは、生産、あるいは労働は、消費を唯一 の目的とする過程として捉えられているからである(Jevons, 1871, p. 39)28)。 労働者が、消費目的のために生産を開始し、生産の結果として生み出された 生産物を労働者が消費するまでを事業期間とするのである。しかし、そのこ とだけが、こうした仮定の理由ではない。農業家や産業企業のような実物資 本への投資を行う資本主体と比較して、投資家における事業期間と投資期 間、そして消費期間は著しく異なっている。投資家の場合、投資期間の間に
資本を積み増し、それ以降は、資本からの報酬を待つ待機期間となる。投資 家は、投資した資産の利子収益、あるいは売買益の予想との関連で、投資期 間及び待機期間を主体的に短期化ないし長期化することができる。すなわ ち、投資家にとって、投資期間も待機期間も意識的に変更が可能である。ジ ェヴォンズの事業期間や投資期間、そして消費期間は、生産過程を含む事業 に直接参画せず経営の外部から事業をみる投資家の立場から捉えていること を示している。
ジェヴォンズは、先の例と異なって消費期間がなく事業期間と投資期間が 同一の場合における投資と資本量の関連を定式化している。この場合、tを 事業期間にかかる時間(t=1...n)、D pを投資された資本の増分、Iを資本量
(総投資量)とすると、
I=
Σ
tD p (3)となり、事業期間にわたって投資された資本量は、時間単位当たりの投資と 時間の積となる。(Jevons, 1888, pp. 25─2)
ジェヴォンズは、さらに、事業期間にわたって毎時間消費がおこなわれる と仮定して、消費の影響を導入して投資と資本量の関係を定式化している。
ここで、D qを生産物の販売もしくは消費者の消費によって費消される資本 とすると、(3)式は、次のようになる。
I=
Σ
tD p−Σ
tD q (4)(4)式を整理すると、
I=
Σ
(D t p−D q) (5)となり、したがって、
I=t
Σ
(D p−D q) (6)となる。(6)式から、資本量は、時間の関数となり、「単純に」時間に比例
するという結論が導き出される(Jevons, 1888, p. 235)29)。
資本量が投資期間という時間の関数であるという結論は、資本収益率とし ての利潤率及び利子率を導く際に重要となる30)。すなわち、資本収益率を計 算する際に、産業部門や企業によって異なる時間当たり資本量や貸付額の大 きさの違いを無視できるからである。他方、メンガーは、生産過程や販売な どの面で各事業に投下される資本や貸付の大きさは、時間当たり異なる可能 性を指摘している(Menger, 1976, p. 159, note 21)。ジェヴォンズとメンガ ーは、ともに、代表主体として投資家を事実上仮定したにもかかわらず、資 本の扱いには違いがある。投資家が台頭しつつあったイギリス金融市場を理 論化の対象としたジェヴォンズに対し、銀行の影響力が未だ強かったドイツ 金融市場を前にして、メンガーは、投資家の価値評価方法の主観性を抽象し 強調する一方、投資家と産業企業の関係については現実に引きずられること になった。
(2) 時間と均衡利子率
ジェヴォンズは、賃金と並んで資本の報酬としての利潤及び利子につい て、古典派からの転換を図る。ジェヴォンズは、リカード賃金論における自 然賃金説に代えて労働の生産寄与分を賃金とすることによって価値の生産費 説を批判する(Jevons, 1871, p. vi.)。他方、利潤については、利潤は生産物 の控除ではなく節欲の代価として捉えられる。節欲が資本を生み、利潤の源 泉となる。すなわち、節欲による消費を控えたことによるマイナスの効用は その代価として収益を要求することになるため、節欲の代価が利潤ないし利 子となる(Jevons, 1888, p. 233)。
生産物は、利潤と賃金の和として捉えられる。利潤と賃金は互いに独立の 報酬であるが、生産量が所与とすれば、利潤が最初に決定され、監督者賃 金、リスクに対する保険、利子に分解される(Jevons, 1871, p. 270)。賃金 は、地代、税金、資本の利子を控除後、労働者が生産したものに比例して変 化する。
ジェヴォンズは、資本収益率である利潤率を導く際に、次の点を仮定す る。第 1 に、労働者が自分たちで資本を投下する場合と、資本家が資本を投 下して労働者を雇う場合は区別できない。第 2 に、資本家が得る投資の報酬 が利潤であり、労働者の報酬が賃金である。第 3 に、毎期節欲が行われ投資 される限り、利潤は所得流列(annuity)として自動的に発生する31)。 ジェヴォンズにおいて、供給が増大すれば効用が低下するという限界効用 の逓減は、資本の場合にも当てはまる。もし、保有する資本がなくなれば、
資本の報酬はほぼ無限になり、資本が大量に供給されるならば、資本の最終 単位の効用は低下する。資本収益率について特徴的なのは、利潤率は投資量 とではなく時間の関数として定式化されていることである。
節欲、すなわち資本の効用(価値)をUとすれば、事業期間全体の資本 の効用(価値)はUTとなる。資本家及び労働者は、事業期間に商品量M を受け取る。したがって、時間当たり資本家及び労働者が受け取る商品は MT−1となり、事業期間わたって受け取る効用(MU)は、
MU=UT×MT−1 (7)
となる。
利潤率は資本家あるいは労働者が受け取る時間当たり価値なので、利潤率
(r)は、
r=MU
T =MUT−1 (8)
となる32)。
ジェヴォンズにおいて、貸付資本も自由資本を構成する資本の 1 つである
(Jevons, 1888, p. xlix)。ジェヴォンズは、貸付も商品でなされるとした上で
(Jevons, 1888, p. 234)、利子について論じている。第 1 に、貸借契約は特定 の物質の物理的一定量の返済契約である。第 2 に、貸借契約は借り手に賭に 出る機会を提供し、貸し手には利子をもたらすという効用を生む。第 3 に、
貸付も資本と同じく商品量あるいは効用量によって計測される。効用量につ
いては契約に定められていないので、負債の返済は借り入れ時の効用と等し いとされる。したがって、各期の貸付をM、貸付期間をTとすれば、貸付 の大きさ(MT)は貸付期間に比例する。貸し付けた商品に効用価値(U) が付くならば、利子はMUTとなり、時間あたり利子、すなわち利子率は、
MUT−1となる。ジェヴォンズの利子率規定においても、貸付元本の大きさ は貸付先にかかわらず時間とともに増加するとされる。その結果、利子率は 時間の関数とされる。
ジェヴォンズは、資本主体間の競争が利潤率を市場利子率に等しい水準に まで下落させるとして、主体均衡利子率を導く。そのとき、投資の基準収益 率は、市場利子率と等しくなる。
「(資本家たちは─引用者)必要とされる種類の労働に最も安い賃金率を支 払う。そして、もし、生産物が平均を上回るならば、最初にその分野に進出 した人々は大きな利潤を手に入れる。このことは、まもなく、他の資本家に よる競争を呼び起こす。……こうした競争は、利子率の通例の市場金利だけ が投資した資本に対して獲得される水準に到達するまで続けられるだろう」
(Jevons, 1871, p. 271)。
何故、市場利子率が主体均衡利子率、すなわち、投資の基準収益率となる のであろうか。第 1 に、資本の市場は、他の全ての市場と同様に、一時点 で、一物一価が成立する。すなわち、リスク、障害、その他原因を考慮外に おけば、市場利子率はすべて同一となる。第 2 に、どのような資本主体も、
資本を大量に充用したため収益率が他の資本の充用分野より低くなれば、資 本を貸し付けることによって市場利子率を得ることができるので、市場利子 率が最低収益率となる(Jevons, 1871, p. 244─5; 1888, pp. 243─4)。第 3 に、
資本家間競争が各分野に充用される利潤率を均一化し、市場利子率に等しい 水準にまで下落させる(Jevons, 1871, p. 271)。
市場利子率を投資の基準収益率と設定した後、ジェヴォンズは、時間の関 数として、資本収益率、すなわち利子率を導こうとする。注意すべき点は、
ジェヴォンズの利子率論は自由資本なしには成立しないという点である
(Jevons, 1871, pp. 244)。ジェヴォンズは、資本が投資されたままにとどま る時間と投資と再生産の条件は産業ごとに様々であることを指摘する
(Jevons, 1888, p. 237)。それにもかかわらず、利子率を、異なった生産過程 の具体的事情を考慮することなしに、労働支出、すなわち投資とその結果の 間の時間の連続関数として一般的に表現することができる主張する33)。なぜ なら、自由資本は同質なので、どの産業分野の資本も他の分野の資本で置き 換えることができ、自由資本の収益率はあらゆる分野で均一化し、自由資本 の最後の増分が引き出す利益が全体の利益率を決定するからである。
時間との関連で利子率の規定要因を一般的に定式化する際、ジェヴォンズ は、次のような性格をもつ事業を仮定する(Jevons, 1871, p. 245─6; 1888, pp.
244─5)。第 1 に、産出される生産物は労働投入量の関数であり、労働投入量 は、事業期間における労働時間(t)に規定される。第 2 に、事業期間中に 労働投入によって産出される産出量は、労働時間単位当たりの生産物量
(F)に労働時間(t)をかけた値となる。
もし、t期末に、生産物(Ft)を受け取り、この生産物を資本として労働 時間をD t延ばせば、労働時間総計はt+D tとなる。そのとき、生産物は、
F(t+D t) となる。時間延長D tによる生産増分はF(t+D t)−Ft、すなわち、
FD tとなる。資本収益率は生産物の増分によって規定され、利子率と一致す るはずである。また、時間当たり投資は一定であるので、利子率は資本の増 分 (D t・Ft) に対する生産増分 (F(t+D t)−Ft) の比率にほかならない34)。
r=F(t+D t)−Ft D t × 1
Ft (9)
(10)式を時間について微分すれば、
r=dFt d
1 Ft=F ′t
Ft (10)
となり、利子率は資本量に対する産出量の微分係数の比になる。
ジェヴォンズは、商品量で導いた(11)式を、効用価値を用いて書き換え ている。単位時間当たりの効用価値をaとすれば、
r=F ′t Ft= a
at (11)
となる。したがって、効用価値で表した利子率は、
r= a at=1
t (12)
であり、利子率は時間に反比例するという同じ結論が引き出される(Jevons, 1888, p. 246)35)。
ジェヴォンズは、主体均衡利子率の決定を地代決定の原理と同一と考え る。そして、地代決定の原理が、土地、資本のあらゆる充用分野に適用され るべきだと主張する (Jevons, 1888, p. xlix)。しかし、ジェヴォンズにおける 地代は、最劣等地の価値を農産物価格が規定することから説明する古典派地 代論と異なって、農業分野にとどまらずあらゆる分野で、最大効用がもたら されるよう固定資本としての土地を利用することから生まれる(Jevons, 1888, p. xlix)。すなわち、地代は、利子率を超える収益性の高い充用分野に よって決定される (Jevons, 1888, p. xlvii)。ジェヴォンズの地代論は、土地、
労働、資本に投資する資産選択理論の一環として提示されている。
ジェヴォンズの利子率の定式からから確認できることは次の 4 点である。
第 1 に、利子率は、生産物の増分を全生産物で割った値であるので、もし、
資本投下による生産物の増加の伸び率を維持する手段を見いださないなら ば、急速にゼロに近づく36)。第 2 に、資本量は、事業期間に比例するので、
事業期間が長いほど、資本量が増加し、利子率は低下する。生産物の生産期 間の長期化するほど、大きな資本が必要になり、それに反比例するように利 子率は低下することになる。第 3 に、利子は必ずしも生産過程に投資された 資本が生み出すとは限らず、消費財の保有にも利子が発生する(Jevons, 1888, p. 248)。第 4 に、ジェヴォンズは当時のイギリスの金融市場の実情を 十分に熟知していたにもかかわらず(Jevons, 1975)、実物経済分析の伝統に 引きずられて市場利子率決定の市場均衡分析を行っていない(Steedman, 1972, p. 119)。均衡利子率は、実物資本と金融資産の区別も曖昧な投資一般
を行う投資家の主体均衡利子率にほかならい。その結果、実物財市場と金融 資産市場との区別及び関連の分析を欠くことになった。
利子率を時間との関連で説明する見解は、古くは 16 世紀から存在すると いわれる。ジェヴォンズの意義は、利子率が時間の関数であると定式化した ことである。利子率と時間との関係は、後に、ベーム─バベルクによる現在財 と将来財の交換差額に基づく資本利子説を生みだし、フィッシャーによって 時間選好利子率として定式化されることになる。利子率を時間の関数と定式 化することに関して、ジェヴォンズは現代利子論の源流の一つをなしている37)。 ベーム─バベルクやフィッシャーにおいては、ジェヴォンズと違って、消 費繰り延べの時間が長いほど均衡利子率は高くなる。通例、投資家は、投資 して成果が得られるまでの時間が長いほど高い投資収益率を要求する。投資 家の要求が実現する市場環境が備わっていれば、投資成果の取得期間が長く なるほど利子率は上昇するはずである。何故、ジェヴォンズは、投資期間が 長いほど利子率が低下するという結論を導いたのであろうか38)。第 1 に、ジ ェヴォンズの時代にあって、利子率を含め資本収益率は低下傾向を示してい た。そうした時代背景のもとでは、利子率が低下するという主張は現実に照 応していた。事実、ジェヴォンズは、スミス以来の利潤率低下傾向論を、自 己の利子率の定式によって説明しようとする(Jevons, 1887, p. 252)。第 2 に、ジェヴォンズは、投資期間の長さと資本の豊富さとを同じと認識してい た。したがって、イギリスで分業が進み生産過程が長期にわたることは、大 量の資本の存在が資本の限界効用を低下させ利子率を低下させることにな る。第 3 に、ジェヴォンズの時代にあっては、投資家は投機を行う商人と未 分化であり、要求収益率を市場実現できる特権的主体の地位を未だ獲得して いなかった。
市場利子率は、時間の関数というよりも、貸付額に対する利子の比率であ る。貸付額は貸し手の貸付態度及び借り手の借入需要によって変わり、企業 規模や産業の違いによって変化する。そのため、貸し手は返済能力を評価し て貸付額を決定し、借り手も返済可能性を判断するために市場利子率が事前
にわからなければ借り入れ契約を結ぶことができない。しかし、ジェヴォン ズは、市場利子率決定の分析を欠いたまま、時間の関数として利子率を導出 している。このことは、ジェヴォンズにおける均衡利子率が、貸付利子率と いうよりは投資家の期待投資利回りであることを示している。
(続く)
注
1) 本論文では、農業分野や製造業分野、そして商業分野において実物資本に投資する 資本主体と異なり、外国為替取引や商品取引所、証券取引所における各種清算取引 や各種証券など売買可能な金融資産に投資する資本主体を投資主体として定義す る。
2) 貨幣的経済分析は、債権債務関係の形成が経済活動に重要な役割を果たすようにな ると現れることになる。しかし、古典派経済学に代表される実物経済分析から明確 に区別される貨幣的経済分析は、各種売買可能債権を取引する投資家の台頭が生じ てから登場する。しかし、ジェヴォンズに代表される新たな貨幣的経済分析は、金 融経済を動かす資本主体を明確に把握するなしに経済分析をおこなったため、絶え ず実物経済分析と混在した理論展開を示すことになる。本稿は、貨幣的経済分析の 源泉を探る一連の研究(野下, 2008; 2012; 2014)の一環である。なお、ケインズ以 降の貨幣的経済分析の展開については、Rogers (1989)及び 野下(2001)を参照。
3) HFT(高頻度取引)を用いる証券投資家は、取引と資本の回転の時間を極度に短縮 し証券価格形成を変質させた。この事実は、投資家にとって時間が可変的であり、
時間が資産の価値評価方法に影響することを顕在化させた(Easley et al., 2013, p.
13─4)。
4) 従来、ジェヴォンズ、ワルラスおよびメンガーらの初期新古典派は、古典派経済学 が関心を払わなかった要素投入の配分の問題を中心課題としたと捉えられてきた
(Walsh and Gram, 1980, p. 123)。特に、ジェヴォンズは、経済的厚生が資本蓄積と 人口成長に依存しているという古典派の根幹に関わる観念を捨ててしまったと評価 されてきた。この点については、Peart, 1996, pp. 36─7 を参照。
5) ピアートは、ワルラスやメンガーに対してジェヴォンズの独自性を強調する一方、
古典派経済学との継承関係を強調している(Peart, 1996, p. 38)。
6) 主観価値論への転換は、価値評価を担う主体の転換も意味している。ミロースキが 新古典派経済学のニュートン力学的基礎を否定するにもかかわらず(Mirowski, 1984, p. 365)、初期新古典派は経済主体が運動する経済的時空間について絶対時間 と絶対空間を前提している点で古典力学の時空間認識にとどまっている。
7) マルクス派経済学では新たな資本主体を金融資本概念によって捉えようとした。し かし、銀行資本と区別される投資家概念あるいは証券取引資本概念を析出できない