論 文》
製品イノベーションと組織イノベーションの共進化
複写機産業におけるイノベーションの発生と普及のプロセス
石
琢 也キーワード:製品イノベーション, 組織イノベーション, 共進化, 販売会社, コンフリクト解決
1. はじめに
本論文の目的は, 複写機産業を考察事例として イノベーションの発生と普及のメカニズムを探る ことにある。 これまでイノベーションの発生に関 して, 既存のイノベーション研究の多くは, 各種 要素間の不均衡に発生の源泉を求めてきた。 環境 と組織, 組織と戦略, 組織と技術, 技術と技術な ど各種要素間に生じる不均衡が, 組織における個 人や集団に知覚され, 活動が方向づけられること によってイノベーションが創始されると考えてき た。
その後, 不均衡の是正プロセスのなかで生み出 されたアイデアやモノが, 当該の社会システム内 に一定の普及 (10〜20%) をし, クリティカル・
マスを形成すれば, それ以後はチェンジ・エージェ ントによる普及促進努力がほとんどなくても浸透 し続けるようになる (Rogers [2003])。 またこ の社会システム内の普及には, 個人ないし組織間 の相互参照が強く影響を及ぼす (DiMaggio &
Powell[1991])。 こうしたイノベーションの発生 と普及に関するメカニズムが多々報告されてきた。
しかしながらここで問題となるのは, その不均 衡やギャップの存在を認識しなかったり, あるい は認識しそれによって機能的に優れたアイデアや 製品を生み出したとしても, それが既存のスキー マ (認識枠組み) に基づいて理解しづらいのであ れば, 人々に簡単に受け入れてもらえないという
ことである (加藤 [2011])。
これは何も企業と顧客の関係においてのみ該当 するものではない。 サプライヤーや販売業者ある いは顧客といった価値を共有する集団内 (value network) においても, 既存の認識枠組みがイノ ベーションの導入を妨げることがある (Chris- tensen[1997])。 さらにこの考えに従えば, 一つ の企業内においてもある部門が採用したイノベー ションであっても, 他の部門が拒絶することがあ りえることとなる。 Sapolsky [1967] やRogers [2003] は, この点について次のように論じてい る。 中央集権性や形式性 (メンバーが規則や手続 きを重視する度合い) が低く, 複合性 (メンバー が相対的に高度の知識や専門技術を持つ度合い) が高い場合, イノベーション・プロセスにおける 創始の段階は促進される。 しかしこれと全く同じ 構造特徴が, 組織のイノベーションの実行を難し くしてしまう。 高度に分化・分権化した組織では, 当該部門において迅速にイノベーションが導入さ れたとしても, 他部門における拒絶によって, 組 織全体への適用には遅滞が伴うのである (Sapol- sky[1967])。 ここに組織内におけるイノベーショ ン普及のジレンマが存在する。 では, これまでイ ノベーションを実現してきた企業は, どのように この問題を解決してきたのであろうか。 次節で, コンフリクトを対象とした先行研究とその課題を 確認し, 本研究における考察事例とその分析の焦 点を提示する。
2. 先行研究とその課題
コンフリクト解決とイノベーションの関係は, 密接である。 イノベーションが成功裏に社会に普 及していくためには, その背後で様々なコンフリ クトや齟齬が処理されている。 例えば, Law- rence & Lorsch [1967] は, イノベーションが 争点となる多様でダイナミックな環境下において, 組織が高い成果をあげるためには, 組織を構成す る各々の下位部門が, 直面する下位環境に合わせ て分化すると同時に, 組織全体として必要な統合 を達成する必要を論じている。 分化のメリットを 享受するためには統合が不可欠であり, その統合 には不可避的に発生するコンフリクトの解決が不 可欠であるということである。
しかしながら下位組織が, 下位環境に合わせて 高度に分化すればするほど, 統合は困難になる。
なぜなら組織分化によってその集団間, 部門間に は①構造, ②対人志向性, ③時間志向性, ④目標 志向性の違いだけでなく (Lawrence & Lorsch [1967]), 使用される言葉, メディアの違いが生 まれ (加藤 [1995]), 統合のためには, それらさ まざまな相違をもとに生じるコンフリクトへ対応 する必要が生じるためである。
このような組織において生じるコンフリクト解 決に関して, これまで多様な議論が展開されてき た。 ここでは各種の先行研究から以下に示す3つ の鍵概念をもとにイノベーションへ通じるコンフ リクト解決のプロセスとその課題を提示する。 3 つの鍵概念とは①ダイナミック・ケイパビリティ,
②重量級プロダクト・マネジャー, ③対面解決で ある。 いずれもウェイトの置き方は異なるが, 同 様の能力, 個人, 手段を想定し補完関係にあると いえる。
2.1. ダイナミック・ケイパビリティ
ダイナミック・ケイパビリティ (Dynamic Ca- pabilities;以下, DCと略記) とは, 環境変化 に 応 じ た 組 織 転 換 能 力 を 説 明 す る 概 念 で あ る (Teece, et al. [1997], Helfat, et al. [2007],
Teece[2007])。 このDCを,Helfat,et al.[2007]
は 「組織が意図的に資源ベースを創造, 拡大, 修 正する能力」 (邦訳書6頁) と定義し, 概念の精 緻化と応用を図っているが, その本質は, 資源の 意図的な組み換えを通じて, 組織内外の資源を結 びつけ企業成長の原動力とする企業成長の論理 (Penrose [1959]) にある。 すなわち資源の再結 合により, 関係性の変化を生み出すことによって 環境との適合を実現する能力である。 Helfat, et al.[2007] においては, 経営者によるコーディネー ション (Chandler[1990]) やその概念を外延的 に拡大した資産のオーケストレーションといった 概念が用いられているが, 個人という点からより 詳細を提示するのが重量級プロダクト・マネジャー である。
2.2. 重量級プロダクト・マネジャー
こ の 概 念 の 提 唱 者 で あ るClark & Fujimoto [1990] は, ホンダアコードの開発事例から優れ た重量級プロダクト・マネジャーの特徴を4点挙 げている。 それは①社内外の関係する人々すべて と, できる限り直接的接触を保とうとする, ② (開発に必要な製品技術全般, 生産技術全般, 販 売・マーケティング, 生産管理, コスト管理など) 関係するさまざまな知識を広く深く持っている,
③コミュニケーションの媒介役として, 「多言語 コミュニケーション (multilingual communica- tion)」 能力を有している, ④顧客との直接的か つ継続的なコンタクトを確保するための行動を欠 かさない, という特徴である。
2.3. 対面解決
またこのような個人が統合に際して活用する手 段の1つが対面解決 (confrontation) である。
対面解決とは, 問題に関係のある管理者たちが自 分の捉えた問題の事実や見解についてオープンに 情報を交換し, お互いに徹底的に検討し合い組織 全体にとって最良の解決策を図るものとされる (高橋 [1980])。 これまで数多くの研究がこの対 面 解 決 が 最 も 有 効 で あ る こ と を 指 摘 し て き た (Lawrence & Lorsch [1967], Thomas [1979],
高 橋 [1980] , 沼 上 [2003] , Weiss & Hughes [2005])。
このような3つの概念はいずれも補完関係にあ り, コンフリクト解決のフレームワークとして機 能しえるものであるが, その一方で重量級プロダ クト・マネジャーと対面解決には課題も指摘され てきた。 例えば藤本 [1997] は, 開発リーダー間 の競争の結果, 製品系列全体が過剰設計の方向に 走り始めた場合, 個々のリーダーが重量級である ためにかえってプロジェクト間の調整が難しく, 歯止めがかけにくくなると指摘している。 また高 橋 [1980, 1991] は, より複雑な問題 (例えば各 集団間が異なる価値体系を持っているような場合) においては必ずしも対面解決が有効に働くとは限 らないと指摘している。 先行研究で有効とされて きた概念によって, コンフリクト解決のプロセス が必ずしも説明されるわけではないのである。 と くに組織内で新しいモノやアイデア (イノベーショ ン) が受け入れられ共有されていくプロセスや方 策は, 多面的に検討する必要がある。 新たなテク ノロジーが開発された当初は, その役割や活用方 法は曖昧であることが多く, また新たなテクノロ ジーを既存のシステムとどのように結合するのが よいのか, わからない場合も多い (Chesbrough [2003])。 このような場合, 関係部門・集団間で 多くのコンフリクトや齟齬が発生するだろうし, その解決も困難であると考えられる。
そこで本研究では, 1970年代から90年代前半 にかけて複写機産業において生じた製品イノベー ションに焦点を当て, その発生と普及のプロセス を分析の対象として設定する。 ここで検討する製 品イノベーションとは, パーソナル複写機, デジ タル複写機, フルカラー複写機 (以下, パーソナ ル機, デジタル機, フルカラー機と略記) の3つ である。 これら製品イノベーションを巡り生じた 部門間コンフリクトや齟齬がいかに解消されたの か, それぞれにおいて中心的な役割を果たしたキ ヤノンの開発部門である複写機開発センターと販 売部門となる子会社のキヤノン販売 (現キヤノン マーケティングジャパン) の活動を分析する。
ここであらかじめその結論を示すならば, キヤ
ノンにおけるコンフリクト解決のポイントは, 製 品 技 術 と 販 売 組 織 の ず れ を 伴 う 共 進 化 (coevolution) にあった。 ここでいう共進化と は, 「複数の個体 (ないし集団) が各々別個に進 化を遂げるだけでなく, 個体 (ないし集団) 間の 自由でダイナミックな相互作用を通じて, お互い の進化を促進する状態」 (寺本 [2005] 113頁) を意味している。 ただしキヤノンにおけるこのプ ロセスでは, 必ずしもface to faceの解決プロセ スがとられていたわけでもないし, また効果的な 重量級プロダクト・マネジャーがいたわけでもな かった。 事後的に見れば, 解決に時間がかかり非 効率であった。 しかしながら製品技術と販売組織 のいずれもが変化し, 洗練することによって, 問 題そのものが克服されるプロセスであったのであ る。 以下ではこのプロセスを, 1970年代のキヤ ノンの置かれた状況を明らかにしたのち, 開発部 門の動向と販売部門の動向と交互に示し, 最終的 にフルカラー機市場が勃興するまでの過程を示し ていく(1)。
3. 製品イノベーションと組織 イノベーションの共進化プロセス
3.1. 製品イノベーション①:超高速機の 開発・商品化
1970年代複写機市場におけるキヤノンは, 開 発成果における優位性と競争成果における劣位性 によって特徴づけることができる。
70年1月にキヤノンは, 日本企業として最初 に普通紙複写機を独自技術で商品化し, その後も 継続的に研究開発と商品化を行った。 その一面は 特許の出願状況からも伺うことができる。 71年 から80年にかけて, キヤノンが複写機分野で出 願した特許件数は2,281件と, リコー2,868件に 次ぐ第2位であった(2)。 そしてこのような研究開 発を背景に, 新規性の高い数々の製品イノベーショ ンを実現させていた。 それは72年の世界初の液 乾式複写機 「NPL7」 の商品化, 73年の日本企 業初のフルカラー普通紙複写機の開発・発表, 76 年の普通紙複写機で初めて50万円を切る普及型
の 「NPL5」 の商品化, 78年の日本企業で初と なる超高速機 「NP8500」 (77枚/分) の商品化, 79年のA3判の複写を可能とする世界最小の複 写機 「NP200J」 の商品化と枚挙にいとまがない。
これら開発成果の他社に対する影響は大きく, 例 えば72年に実用化した液体現像方式は, 大幅な 低コスト化を実現する技術方式として, 当時世界 で生産された普通紙複写機の約半分で使用され, 日本国内においてもリコーとミノルタに供与され た技術であった(3)。 70年代, 複写機市場における キヤノンは, 他社と伍するかあるいは上回る開発 成果を出していたのである。
その半面, 競争成果ではキヤノンは他社に後れ をとっていた。 それは複写機ビジネスで重要な販 売組織・販売能力において他社に劣っていたため である。 複写機ビジネスには, 当時から現在に至 るまで存続する2つの特徴がある(4)。 第1が, セー ルスマンによる訪問・対面販売が売買契約の中心 となるということ, 第2が販売後の定期的メンテ ナンスが不可欠であるということである。 セール スマンによる訪問販売が中心となる販売市場では, 必然的にセールスマン数が競争力を規定する要因 となる。 このセールスマン数という点において他 社を圧倒していたのがリコーであった。 78年の セールスマン数は, リコーが7,600人を擁してい たのに対して, キヤノンは3,100人と2倍以上の 格差が存在した (表1)。 またそのセールスマン が属することにもなる販売代理店の数は, リコー
が約3,400社であったのに対し, キヤノンは約
500社と1/6以下であった (表1)。 この結果, 70 年代におけるキヤノンの競争成果は, 伸び悩んだ。
73年から79年にかけてリコーPPCの生産金額 は約31倍もの伸長を示したのに対して, キヤノ ンは約5.8倍の拡大にとどまり, しかも77年ま では小西六写真工業 (現コニカ・ミノルタホール ディングス) よりも少なかった。 79年の生産金 額で見てみれば, キヤノンが458億円であったの に対して, リコーは1,408億円と約3倍の格差が 生まれていたのである (図1)。 この時期のキヤ ノンには, 開発能力と販売能力の間に大きなギャッ プが存在したのである。
しかもこのような販売組織が劣位にあるなか, キヤノン開発陣は78年に日本企業として初とな る超高速機 (「NP8500」 77枚/分) の開発, 商 品化を実現させた。 それまで毎分70枚を超える 超高速機の開発は, ゼロックスの独壇場であった。
大型かつ高額な超高速機は開発自体が困難であっ たばかりか, その需要も官公庁や大企業に限られ, それら組織への販売には専門の販売組織, ノウハ ウを必要としたためである。 事実, 富士ゼロック スはセールスマン数こそ1,755人 (78年) と少な いものの, そのすべてを自社従業員とし, 顧客別 の販売体制 (官公庁販売部, 中央販売部:中央支 社, 産業支社, 商業支社, 金融支社) をすでに構 築し, 高速機市場では約75%の圧倒的な市場シェ ア (78年) を保持していた(5)(表1)。 それに対し てキヤノン販売は, セールスマン数が少なく, 中 小事業所を顧客とする代理店に全販売を依存する
表1 各社の販売体制
セールス人員数 (79年) 代理店 (78年)
合 計 内 訳 数 販売比率
リ コ ー 7,600人
0,470人 (リコー営業部) 2,300人 (地域販売会社) 4,870人 (代理店)
3,400社
4% 36% 60% キ ヤ ノ ン 3,100人 0,300人 (キヤノン販売*直販せず)
2,800人 (代理店) 500社 100%
富士ゼロックス 1,755人 1,755人 (富ゼロ営業部) 0社 0% 出所:各社有価証券報告書, 商工組合中央金庫調査部編 [1979], 東洋経済 1983年8月6日号, 矢野経済研究所編 [1984],
日本経営史研究所編 [1994] より作成
間接シングルチャネル体制であり, 大規模顧客に 対する販売チャネル, ノウハウはなかった(6)。 す なわち, キヤノンには開発組織と販売組織の能力 ギャップだけではなく, 製品ラインアップと販売 チャネルの不一致もまた存在していたということ である。 この組織間の能力ギャップや不一致が認 識され製販両部門においてその是正が行われ始め たのは, ようやく70年代末になってからであっ た。 しかしながらこの組織間の齟齬とその認識こ そが, イノベーションを促進させていくこととな る。
3.2. 販社の組織イノベーション①:マルチ チャネル体制
1970年代末, 開発能力と販売能力のギャップ がキヤノン経営陣において認識され, キヤノン販 売における改革が始まった。 具体的な改革を手掛 けたのは, 77年より新たに販売会社社長として 就任した滝川精一であった。 彼は初めに, 販売チャ ネルの複数化 (=マルチチャネル体制) に着手し た。 これは既存の代理店 (=間接販売) にのみ依 存したシングルチャネル体制から直接顧客へ販売 するチャネルを新設し, 重層的に営業活動を行う 体制であった。 70年代複写機業界では, すでに リコーが実現させておりキヤノン販売内部におい てもその必要性が一部の人間に認識されるも実現
できないでいた販売体制であった(7)。 販社による 直接販売は, 代理店との競合が生まれる。 しかし 代理店支援のためには自らも販売ノウハウを蓄積 する必要があり, 販売チャネルのマルチ化は不可 欠であった。 このため最初に滝川は, 78年に子 会社のセレナー商事を複写機の直接販売会社へと 転換させた。 71年に設立されたセレナー商事は, それまで主に百貨店に対してカメラを納入する会 社であった。 77年の従業員はわずか5名であっ たが, そこに社員を集め, まずは東京地区ユーザー を対象に複写機の直接販売を始めたのである。
この後もキヤノン販売は, 営業不振に陥った各 種販売会社への資本参加を通じて, 関係会社を増 やし, 直接販売チャネルを強化した。 複写機チャ ネルでいえば, 80年に老舗複写機メーカーであ るコピアへ資本参加し, その販売部門を子会社化 した。 70年代末から80年代初頭にかけて, キヤ ノン販売は製販の能力ギャップとその認識を契機 として組織イノベーションを実現させたのであ る(8)。
3.3. 製品イノベーション②:パーソナル機, 白黒デジタル機の開発・商品化
一方, キヤノンにおける複写機の開発部門, 複 写機開発センターもまたイノベーション開発を促 進させた。 1979年に複写機開発センター所長の 図1 PPC生産金額の推移 (1972〜79年)
出所:大塚商会編 [1987] より作成
田中宏は, 長期戦略を設定しそのなかで80年代 を見据えた次世代製品開発の方向性として3路線 を規定した。 それはデジタル機, カラー機, パー ソナル機の3分野であり, それまで積極的に行っ ていた超高速機開発を凍結し, これらに開発を集 約させるというものであった(9)。 この3路線に共 通する特徴は, 新たな市場カテゴリー開拓を目指 したものであり, 従って既存の販売チャネル上で 他社と競合しないということ, カラー機, パーソ ナル機においてもアナログ方式からデジタル方式 への転換を視野に入れていたことであった(10)。 販 売会社の劣位を勘案し, 製品差別化をもって競争 力を獲得しようとする戦略であったといえる。
こうした3路線のなかでも82年に商品化した パーソナル機 「PC10」 「PC20」 は, カートリッ ジ交換方式を採用したことにより専門のカスタマー エンジニアによるメンテナンスの必要性を廃し, また小型化と低価格化の実現によりセールスマン による訪問販売から店頭販売へと販売チャネルの 転換を企図するものであった(11)。
また84年に商品化した白黒デジタル機 「NP 9030は, 一般オフィスを対象とした複写機とし ては世界初のデジタル機であり, デジタル化を通 じて既存のアナログ機では不可能な画像編集や機 体を連結し高速複写機とするなどの新機能を実現 させたモデルであった(12)。 これらパーソナル機や 白黒デジタル機は技術的にはまさに画期的であっ た。 しかしながらその製品イノベーションが, 当 初からその意図通り市場で受け入れられることは なかった。
3.4. 販社の組織イノベーション②:複合 マルチチャネル体制
1982年のパーソナル機の商品化に際して, キ ヤノン販売は約3,000店の電気店, 電卓店, カメ ラ店と契約し, 店頭販売を模索した。 この際には, PCシリーズ単独での売り込みのみならず, PC シリーズにキヤノフアクスミニ (39万8,000円), ミニワープロ (29万8,000円) を加えた3製品を, ミニOA機器の 「100万円3点セット」 として売 り出した。
またキヤノン販売内部にも, 新たにミニOA 営業部を設置し, 84年9月からは 「ミニOAキャ ンペーン」 という店頭販売キャンペーンを実施し た。 このキャンペーンにキヤノン販売は, 準備や 宣伝費用を含め約10億円を投資し, NPシリー ズ契約代理店から552店舗, カメラ店から714店 舗, 電気店から511店舗, このいずれかのルート の契約店から297店舗, 合わせて2,902店舗の参 加を募った。
このキャンペーン自体は, 一定の成功を納めた。
前年同期比で台数では約3倍, 金額では約2倍の トータル売上 (ミニOA:複写機, ファクシミリ, ワープロ) となった。 しかしながらこの後, 「PC シリーズ」 (パーソナル機) に関しては当初意図 したほど店頭販売チャネルでは売れないことが判 明した(13)。 85年のOA機器店頭販売チャネルで の販売比率は, PCシリーズが13.6%, ワードプ ロセッサが67%, ファクシミリが32.2%, 電子 タイプライターが44.3%であった。 ワードプロセッ サや電子タイプライターと比べパーソナル機の店 頭販売比率は10%台と低かったのである。
またPCシリーズは, 店頭へ訪れた顧客に対し てその後セールスマンが直接訪問することで売買 契約に結びつきやすいことも判明した(14)。 これら の事実は, 小型・低価格・メンテナンスフリーを 実現したとはいえ, PCシリーズの販売が依然と して訪問販売に依存することを意味した。 低価格 品にもかかわらず人件費の要するセールスマンに よる訪問販売を必要としたということは, 1台当 たりから得られる収益は少なく, また店頭販売を 成立させるためには, さらなる小型化・低価格化 を必要とすることを意味した。 店頭販売あるいは 訪問販売を主とする代理店の収益向上にもつなが らないことが判明した以上, この時点では, パー ソナル機は積極的な営業対象とはならなかった。
販売面での低迷は, 白黒デジタル機も同様であっ た。 84年に商品化された白黒デジタル機 「NP 9030」 は, アナログ機と比べ高額であったばかり か画質面でも劣っていた(15)。 またキヤノン販売の 大規模顧客向け販売体制も整備途上であった。 こ のため80年代前半のキヤノン販売は, むしろ代
理店の成長という観点から, 売り慣れたアナログ 機販売の重視に至っていた。 この結果, 機体同士 を連結し高速複写を可能とした白黒デジタル機も 複写機開発センターの意図する大規模顧客へは浸 透せず, 導入したのはデザイン事務所など限られ たニッチ分野においてのみであった(16)。
このように技術的には画期的であったパーソナ ル機や白黒デジタル機も, 発売当初は決して成功 したとはいえなかったのである。 キヤノン販売が, 自律的な成長を始めたことにより, 開発部門の意 図と販売政策・販売体制との間にずれが生じてし まった。
ただしこのパーソナル機や白黒デジタル機の商 品化は, その後のキヤノン販売における組織イノ ベーションへとつながることになる。 キヤノン販 売が, ミニOAキャンペーン実施に当たって84 年7月にカメラ販売事業部内に発足させたミニ OA営業部とミニOA販売企画部は, その後85 年にはミニOA事業部へ発展した。 ミニOA事 業部は, それまで事務機販売事業部のみが扱って いたミニワープロやパーソナル複写機をカメラ店 チャネルで扱うための専門部署であった。 また翌 86年には, 電子機器販売事業部が事務機販売事 業部から独立し, その電子機器販売事業部が, 自 らの電気店チャネルでパーソナル複写機の取り扱 いを始めた。 さらに翌87年には, 光機販売事業 部内にシステム機器販推部を設置し, 光機や医療 機器に複写機やパソコンを組み合わせて販売する システム販売を開始した。 これらの動きは既存の マルチチャネル体制から複合マルチチャネル体制 への販売体制の転換であった。
それまでのマルチチャネル体制では, キヤノン 販売における各販売事業部 (カメラ, 事務機, 光 機) は, キヤノン本社事業部との窓口としてプロ ダクト・プランニングを行い, 担当主管チャネル への商品卸機能やルート営業を担っていた。 した がって販売事業部の売上高を増大させる方法は, 担当チャネルを拡大 (代理店の増大・成長) させ, そこに主管商品を売り込むことが唯一の方法であっ た。 そうした体制から他の販売事業部の主管商品 も自らの主管販売チャネルに乗せて販売し, 売上
高の拡大を図るようになったのである。 このプロ セスについて滝川は, 次のように述べていた。
4〜5年前は, よその事業部のものを売る などというと, 初めから気乗りがしないで,
「あんなやつらの売れるか」 というのが落ち で, うまくいかなかった。 最近になってよう やく他事業部の主管商品を別の事業部が売る という関係がだいぶ増えてきた。 カメラ事業 部のミニOA営業も着実に増え, いつの間 にやらワープロも2,000〜3,000台売るように なっている。 また, 電子機器事業部もファミ リーコピアを売っている。 (滝川 [1993] 490 頁)
事業部の裁量権拡大につながるマルチチャネル 体制から複合マルチチャネル体制への転換も, 当 初から簡単に各販売事業部に受け入れられたわけ ではなかったことを示すものである。 しかしこの 当初はパーソナル機販売の一環として始まった販 売策が, 複数の異なる機器を組み合わせて販売す るシステム販売を実現させるための販売体制へと 変わり, 徐々に組織内に定着した。 キヤノン販売 における組織イノベーションは, パーソナル機や 白黒デジタル機という当初は既存チャネルとの齟 齬をきたす製品イノベーションを梃として, 漸進 的に組織内に導入し, 普及させていったものであっ た。 また同時に, 開発部門に対しても製品イノベー ションの洗練化を促すものであった。 PCシリー ズとして商品化されたパーソナル機は, 86年に はFCシリーズとしてより小型化・低価格化が進 められた。
3.5. 製品イノベーション③:フルカラー デジタル機の開発・商品化
一方, 80年代の技術戦略として3路線の一つ に位置づけられた複写機のカラー化は, 複写機開 発センターが継続的に開発を進めていた。 78年 の 「NPカラー」 によるコピーサービス開始を始 めに, 81年の 「NPカラーⅡ」, 83年の 「NPカ ラーT」 の発売とフルカラー機の商品化は進んだ。
こうしたアナログのフルカラー機の開発自体は, キヤノンのみならず60年代末から積極的に各社 が行っていた。 写真やテレビにおいてカラー化が 進展したように, 複写機においてもカラー化が進 展するとの考えから, 各社が技術発表, 実演, 商 品化を行っていたのである(17)。 しかし, 次第にフ ルカラー機を商品化するのは, キヤノンだけとなっ た。 オフィスにおけるカラーコピー需要の増大は 時期尚早であるという見通しに加え, 競争激化の 様相を見せていた白黒アナログ機における市場競 争に対応するため, 80年代前半に至って, 各社 は通常の普通紙複写機の開発に焦点を合わせるよ うになっていた(18)。
一方キヤノンは, この間82年にフルカラー機 のデジタル化に着手し, タスクフォースを発足さ せた。 この積極的な動向は, アナログ方式では原 理的に限界があるとの見通しに加え, 販売能力の 劣位を勘案したうえでなされた判断であった。 こ の点について, 複写機第2事業部長, 三枝孝が端 的に述べている。
白黒複写機の大手顧客は富士ゼロックスに, ディーラーはリコーに抑えられていた。 うち が生き残るにはカラー複写機しかなかった。
成功したら大きい。 しかし本当にものになる か不安だった。 ( 日経ビジネス 1990年7 月16日号, 88頁)
販売面において独自の強さを持つ富士ゼロック ス, リコーに対する巻き返しを, キヤノンは, 製 品差別化の強化, すなわちフルカラー機のデジタ ル化に求めたのである。 こうしてフルカラーデジ タル機 「CLC1」 は, 87年1月に商品化される こととなった。
3.6. 組織イノベーションへ向けた販社の模索
この 「CLC1」 が商品化された1987年当時, キヤノン販売は複合マルチチャネル体制のもと機 器のシステム販売を進めていた。 それは84年の 白黒デジタル機の商品化を契機として, いずれ OA機器のすべてがデジタル化され, 相互に連結・
ネットワーク化されるという滝川が描いた将来展 望のもと進められていた(19)。 しかしこのシステム 販売に対して, 「CLC1」 は完全に適合的な製品 とはいえず, したがって発売当初のキヤノン販売 における 「CLC1」 の評価は, 必ずしも高くは なかった(20)。 この時点ではまだデジタル化したと はいえ, コンピュータとの接続はできず, その市 場規模も未知数であったためである。
こうしたなかフルカラーデジタル機を中心とす る事業に対して, 積極的姿勢を見せていたのがキ ヤノン本社であった。 当時キヤノン本社は, 急速 な円高を背景に業績低迷を余儀なくされていた。
こうした事情から社長の山路敬三は, 「CLC1」
の発売から1か月後の87年2月に, キヤノン本 社内にS2タスクフォースを発足させ, 顧客がど のような画像処理サービスを望んでいるのか, あ るいはそれを使うハードウェアとしてどのような ものが要求されているのか探索を開始させた(21)。 このS2タスクフォースは, 87年7月にはS2推 進事業部と改組され, 同事業部は販売実験 (87 年8月〜88年7月) を開始した。 キヤノン販売 ではなく, 本社主導のS2推進事業部が東京原宿 にサービスショップを開設し, 「CLC1」 を使っ た販売実験を始めたのである。
こうした本社の動向に対抗し, キヤノン販売が 独自にフルカラーデジタル機を軸とした販売実験 を始めたのは87年11月になってからのことであっ た。 京橋日本タイプライタービルにキヤノン販売 もまた実験店舗 「ゼロワンイメージランド」 を開 設し, そこで 「CLC1」 を軸とした実験とデモ ンストレーションを開始した(22)。
これらの事実から分かるように 「CLC1」 を 巡り本社と販社の間には, 当初は明らかな温度差 があった。 しかしながら, その 「CLC1」 の販 売活動を通じて徐々に明らかになったことは,
「CLC1」 が代理店による大手顧客の開拓に有効
であること, また収益面での寄与も高いことであっ た。 この点について滝川は次のように述べている。
カラーレーザーコピアが出てきて, 昨年 (87年) から今年にかけて複写機の売上が伸
びていることもさることながら, 地方の大口 ユーザーも含めてBC (ビッグカスタマー), 大手に飛び込んでいくのにCLCが非常に役 に立っている。 我々自身の売上, 粗利にも大 いに貢献している。 CLCを一台売ると, ディー ラーレベルで粗利が120万〜130万入ってく る。 いろんな意味でCLCは我々の事業に貢 献している。 (滝川 [1993] 574頁)
これまでアナログの超高速・高速複写機が担っ ていた大手顧客開拓と高い収益の獲得が, フルカ ラー機でも可能なことを示す事実であった。 また
「CLC1」 の発売により, フルカラー機の市場稼 働台数シェアも拡大した。 88年6月にはキヤノ ン機の市場稼働台数シェアは71%へ達し, 発売 前の32%から倍増した(23)。 こうした状況が明ら かになるにつれ今度はキヤノン販売が, フルカラー デジタル機の用途開発を積極的に実施するに至っ た。 滝川は88年7月にCLCプロジェクト 「9217」
を発足させ, キヤノン販売の長期計画 「ビジョ ン92」 (88年〜92年) のなかに組み込んだ。 コ ンピュータとの接続が可能となる次世代機を見据 え, 先行的に探索を始めたのである。
3.7. 製品イノベーション④:多機能フルカラー デジタル機の開発・商品化
一方, 複写機開発センターもキヤノン販売をは じめ各方面の要請をもとに, 外部機器との接続を 可能とする 「CLC1」 の後継機開発に着手し た(24)。 その開発は 「現代のカラー原稿を考えた場 合, 印刷, 写真の他にビデオ, スティルビデオ, コンピュータグラフィクス等の電子映像が上げら れ, そのハード出力手段が求められている」(25)と いう考えに基づくものであった。 オフィスにおい て依然としてカラー原稿が少ないという問題を, カラー入力媒体そのものを増やすことによって解 決し, フルカラー機を普及させようとするもので あったといえる。
こうした背景のもと複写機開発センターが89 年6月に商品化した 「CLC500」 は, 「CLC1」
において不可能であった外部機器との接続を, イ
ンターフェイスユニット 「IPU」 の併設によって 可能にし, カラーレーザープリンタとしての利用 も可能とするモデルであった。 フルカラー機能を 前面に打ち出し, オフィスにカラー原稿そのもの を増やす複写機であったといっていい。
この時期他社が, フルカラー機のオフィス普及 にはカラー原稿が少ない状況では難しいと考え, カラー原稿が少ないことを前提にフルカラー機能 を付加的なニッチ機能へ捉え直していたのとは対 照的であった。 例えば, 松下電器 「FPC1」 (88 年), リコー 「ARTEGE5330」 (89年), シャー プ 「CX7500」 (89年), はいずれも 「白黒+フル カラー」 を訴求点としたモデルであった(26)。 また
「CLC1」 への対抗機として急遽開発された富士 ゼロックスのフルカラーデジタル機 「EC10」
(88年) は, 白黒原稿から指定部分を着色してカ ラー複写できる点を訴求点としたモデルであっ た(27)。 いずれもフルカラー機能を中心訴求点とし たモデルではなく, またオフィスにおけるカラー 原稿の少なさに対して対症療法的に対応しようと するものであった。
3.8. 販社の組織イノベーション③:システム インテグレーター
CLCプロジェクトの発足から半年後の1989年 1月, キヤノン販売はグループシステム・インテ グレーター推進会議を設置し, システムインテグ レーターへの転身を明確に打ち出した(28)。 システ ムインテグレーターとは, システムの構築につい てユーザーの要求内容を把握し, それに基づいて 基本設計, プログラム作成, 運用, 保守に至るま で一貫して請け負うものである。 それはフルカラー デジタル機をコンピュータ周辺機器に位置づけ直 すというだけでなく, キヤノン製品の販売会社と いう立場から独自の活動を主体とする立場への転 身表明であったといえる。
それまでもキヤノン販売は, キヤノン製コンピュー タ以外にもアップル (83年10月:パソコン) や IBM(85年4月:オフコン), ヒューレット・パッ カード (86年11月:オフコン) と提携し他社製 の各種コンピュータ販売を始めていた。 これら他
社製のコンピュータ販売をより積極的に進めると 同時にソフト開発事業や各種サービス事業をも包 括的に行いOA機器全般をコンピュータ周辺機 器として売り込んでいこうとするものであった。
正式にシステムインテグレーターへの転身を打 ち出した89年にはネクスト・コンピュータ (ワー クステーション) と販売提携し, その後も90年 にフローティング・ポイント・システムズ (ミニ・
スーパーコンピュータ) およびサン (ワークステー ション), 91年にクレイ・リサーチ (スーパーコ ンピュータ) と立て続けに他社と販売提携した。
キヤノンの販売子会社としての立場からより自律 的な立場へと明確に位置づけを変える行動であっ た。 またこの間の89年には, キヤノン販売子会 社のキヤノンソフトウェアが通商産業省 (現経済 産業省) のシステムインテグレーター認定企業と なり, 翌90年にはキヤノン販売もまた通商産業 省のシステムインテグレーター認定企業となった。
このような動きのもと販売されたCLCシリー ズは, 90年に対前年比63%増となる1万8,000 台が国内出荷され, しかもこの際, IPU付きは, 90年上期18%, 90年下期26%と増大した。 コン ピュータを始めとする入力機器との接続が, CLC シリーズの強みの1つとなったと同時に, フルカ ラー機の普及要因となっていた。 そしてこの90 年代初頭から急速にフルカラー機市場が勃興して いくこととなるのである。
4. まとめと示唆
本研究で考察したイノベーションの発生と普及 のプロセスは, キヤノンにおける開発と販売の両 部門において生じた不均衡や齟齬から始まるもの であった。 両部門においてその問題が認識され, 解決への模索, つまりイノベーション開発が始ま り, 各々が製品イノベーションと組織イノベーショ ンを実現させた。 しかしながら当初から部門間の 齟齬が解消されたわけではなく, そこにもずれが 生じていた。 その結果, そのずれをもとに各々の イノベーションはさらに修正, 洗練化されること となり, そこで適合したイノベーションから定着
するというプロセスが確認された。 ここにはまさ に製品技術と販売組織のずれを伴う共進化のプロ セスが存在した。
この共進化のプロセスにおいて, 販売会社の組 織イノベーションは鍵となるものであった。 販売 会社は, イノベーションを社会に定着させるチェ ンジ・エージェントである。 その販売会社が, 自 らの販売体制を製品イノベーションを梃に変革し, 同時に製品イノベーションの洗練化も促していく ダイナミックなプロセスを生み出した。 それは競 合他社に見られないプロセスであった。 競合他社 は販売組織を変革するというよりも, 製品機能を 絞る, つまりフルカラー機能をよりニッチなもの とすることによって周辺から普及させようとした。
ダイナミックに製品技術と販売体制を変化させ, 一般オフィスというメイン市場への普及を図った キヤノンとはまさに対照的であった。 実際, 競合 他社の行動は, 「市場導入機には製品機能を絞り ニッチ分野に特化させるべき」 (Moore [1991]) というハイテク機器マーケティングのセオリーに 沿った行動であったかもしれない。 しかし, セオ リーから逸脱したこのキヤノンの動きによって, 長らく成立することのなかったフルカラー機市場 が勃興過程に入ることになるのである。
このような本研究で示した事例から得られる示 唆は, 2つある。 第1は, 部門間の齟齬が, イノ ベーション活動を促進させるということである。
本研究で提示したコンフリクト解決のプロセスは, 事後的に見れば, 時間がかかり, 非効率なもので あったといえるかもしれない。 しかし, この探索 的なプロセス, つまり時間がかかるが部門間の齟 齬が顕在化するプロセスがあったからこそ, 新規 性の高い製品イノベーションを一般オフィスとい うマス・マーケットにおいて普及させることに結 びついたといえる。
第2は, 販売組織が開発戦略を規定するという ことである。 これまでハイテク機器のマーケティ ングに関して, 先行研究が示してきたのは, 販売 組織の役割の低さであった。 本研究は, 製販関係 の重要性, とくに販売組織のイノベーションが, 製品イノベーションのあり方に影響を与えること
を実証した。 このことは, ダイナミックな販売組 織の変化が, (開発) 戦略を規定する側面がるこ とを示唆するものである。
《注》
(1) この事例分析に際して, 本研究は主にキヤノン 関係者へのヒアリング, 社内報, 社史ならびに技 術系学会誌, ビジネス誌を参考資料として用いて いる。
(2) 特 許 電 子 図 書 館 (http://www.ipdl.inpit.go.
jp/homepg.ipdl) よ り 筆 者 算 出 。 検 索 式 は , G03G5/00+G03G7/00+G03G8/00+G03G9/00+
G03G11/00+G03G13/00+G03G15/00+G03G21/
00を使用した。
(3) キヤノン史編集委員会編 [1987a] 技術と製 品の50年 キヤノン株式会社, 139頁。
(4) 流通経済研究所編 [1972] 流通ハンドブック 日本経済新聞社, 411412頁。
(5) 日本経営史研究所編 [1994] 富士ゼロックス の歴史:1962〜1992 富士ゼロックス株式会社, 79頁。
(6) 滝川精一 [1997] 転職ざんまい:時計を見て 仕事をするな NOMA総研, 258頁。
(7) 滝川 [1997] 前掲書, 282頁。
(8) キヤノンヒアリング:滝川精一:2005年5月 24日 (於:キヤノン販売品川本社)。
(9) キヤノンヒアリング:田中宏:2005年6月3 日 (於:キヤノン下丸子本社)。
(10) キヤノンヒアリング:高橋通:2005年5月25 日 (於:キヤノン下丸子本社), 田中宏:2005年 6月3日 (於:キヤノン下丸子本社)。
(11) キヤノン史編集委員会編 [1987a] 前掲書,280 頁。
(12) 村松多賀夫 [1984] 「レーザーコピアの多機能 化と高品質化」 電子写真学会誌 第23巻, 第1 号, 49頁。
(13) 滝川精一 [1993] 限りなき創造と繁栄の十六 年:社長講話集 キヤノン販売株式会社, 341頁。
(14) 滝川 [1993] 同上書, 517頁。
(15) キヤノンヒアリング:相馬郁夫:2005年10月 31日 (於:キヤノン下丸子本社)。
(16) キヤノンヒアリング:高橋通:2005年5月25 日 (於:キヤノン下丸子本社)。
(17) 電子写真学会編 [1988] 電子写真技術の基礎 と応用 コロナ社, 541頁。
(18) 守屋晴雄 [1991] 「カラー複写機の製品化と技 術進歩」 社会科学 同志社大学人文科学研究所,
207頁。
(19) 滝川 [1993] 前掲書, 459頁。
(20) 滝川 [1993] 前掲書, 497498頁。
(21) キヤノンライフEX No.143, 1987年, キヤ ノン株式会社, 15頁。
(22) 滝川 [1993] 前掲書, 517頁。
(23) 電子技術 「各社のフルカラー複写機の製品と 開発現状」 1989年, 第31巻第2号, 日刊工業新 聞社, 103頁。
(24) 本間利夫 [1990] 「ディジタルカラー複写機に おける機能の複合化」 精密工学会誌 第56巻第 6号, 精密工学会, 37頁。
(25) 高田優作 [1989] 「キヤノン・カラーレーザー コピア500」 電子写真学会誌 第28巻第4号, 電子写真学会, 45頁。
(26) OAライフ社編 [1989] カラー複写機のすべ て OAライフ社, 2027頁。
(27) 日本経営史研究所編 [1994] 前掲書, 370頁。
(28) 滝川 [1993] 前掲書, 604頁。
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