Ⅰ 張愛玲を日本語で読むことの可能性
間 ふさ子
張愛玲は1943年に20代前半の若さで彗星のように上海 文壇にデビューし、一躍人気作家となった。1945年以降 も上海に留まり作家活動を続けたが、中華人民共和国成 立後、1952年に香港へ出て、のち1955年にアメリカに移 住した。彼女の執筆活動は10代から亡くなる年までの長 きに亘ったが、代表作というべき作品はすべて20代に書 かれたものである。
アメリカ移住後は、コロンビア大学の中国文学研究 者・夏志清の再評価をきっかけに香港・台湾で続々と作 品集が出版され、根強い人気を誇ったが、中華人民共和 国では長らく禁書扱いになっており、改革開放期の1980 年代になってようやく人々の目に触れるようになった。
その後、彼女が1995年に亡くなる前後から、中華圏に おける張愛玲ブームは過熱の様相を呈し、今日に至って いる。
日本においては、1980年代以降、吉田とよ子、池上貞 子、藤井省三、浜田麻矢、梁有紀、卲迎建などの研究者 が研究を行っているが、単行本として一般の読者が手に 取れるものは、2002年に出版された卲迎建著『伝奇文学 と流言人生 1940年代上海・張愛玲の文学』(お茶の水 書房)のみであった。今年になって池上氏がこれまでに 発表した論文等をまとめた『張愛玲 愛と生と文学』 (東 方書店)を上梓され、これでようやく2冊になった。
1作品の翻訳は、1950年代に「赤地之戀」と「秧歌」が ほぼリアルタイムに翻訳された
2のち40年近いブランク が存在した。1990年代以降、「金鎖記」、「傾城之戀」な ど代表作といえるものは基本的に翻訳出版されている
(表1参照)が、そのほとんどがアンソロジーの中の1
作という位置づけであり、日本では張愛玲およびその作 品の知名度はそれほど高かったとは言えない。
張愛玲の名を一躍日本に知らしめたのは、台湾出身の 映画作家・李安が監督し、2007年にベネチア国際映画祭 の金獅子賞を受賞した映画「色¦戒」 (2007年)であろう。
「アン・リー」の『ラスト、コーション』という映画作 品によって、原作者の張愛玲を「アイリーン・チャン」
として認識した日本人が多かったと思われる。映画化が きっかけだろうが、「色 , 戒」は二人の訳者によって翻 訳・出版されており、そのうち一つは手軽に入手できる 文庫本である。
表2には日本で公開された張愛玲原作の映画を掲げ た。表1と見比べてみると、映画の日本公開時期と、原 作の日本語訳の出版時期とが微妙に呼応していることが わかる。上記の『ラスト、コーション』が最も顕著な例 だが、これは興味深い現象である。あくまで筆者の想像 の域を出ないが、日本における張愛玲の受容は、文字よ り映像が先行していた、あるいは邦訳の出版には映画の 公開がなんらかの形で影響を与えていたと言えるかもし れない。
さらに一歩踏み込んで、日本人が張愛玲を受容するに は、文字より映像のほうが手っ取り早い、と言うことは できないだろうか。
筆者がそう考える理由はいくつかある。第一に、張愛 玲は絵が得意で、彼女の小説も画面感が非常に強いこ と。第二に、張愛玲は、物体にさまざまな意味や心情を 託す技法を多用すること。第三に、張愛玲の生きた時代 や社会の状況、さらには彼女が属していた階級は今の日 本人の理解からは遠いこと。こういった要素を現在の日 本語で表現するのはそうたやすいことではない。張愛玲 の作品世界を日本人に伝えるためには、日本語より映像 のほうが盛り込める情報量が多いのではないか。
張 愛 玲 を 読 む(1)
― 高季文「『留情』教学筆記」―
【翻訳】
間 ふさ子 (福岡大学人文学部)
**
共同翻訳者:妹尾加代、中島文子、大坪加都子、谷口由華、(以上現代中国語講座「孩子王」クラス)
1
張愛玲研究の動向については、池上貞子『張愛玲 愛と生と文学』(東方書店2010年)第四部を参照。
2
藤井省三氏によると、張愛玲作品の最も早い邦訳は、1944年6月20日〜26日に『大陸新報』に連載された室伏クララによる「燼余録」で
あるという。(藤井省三「張愛玲文学在日本」劉紹銘・梁秉鈞・許子東編『再読張愛玲』牛津大学出版社2002年192頁)
とはいえ、誰もが映画を撮れるわけではないし、映画 には映画作家の解釈がついてまわる。やはり、張愛玲が 繰り出す言葉を通して、彼女の文学世界を読み取り、感 じ取ることが必要だ。
問題は、日本語を使ってそれが可能か、ということで ある。
筆者の参加している現代中国語講座「孩子王」クラス では、1989年から中国・台湾の現代文学を講読し、読了
したあと日本語に翻訳するという作業を行っている。こ れまでに阿城、李暁、張大春、沈従文、白先勇、朱天心、
黄春明、余秋雨などの作品を読んできた。張愛玲は2001 年から2010年まで10年の歳月をかけて、長崎大学非常勤 講師の高季文先生とともに「傾城之戀」、「紅玫瑰與白玫 瑰」、「金鎖記」、「留情」、「琉璃瓦」を読んだ。その間、
仲間たちとずっと話し合ってきたのは、「張愛玲は日本 語に訳せるか」、「訳すとしたらどのような文体か」とい
3
藤井省三監修、桜庭ゆみ子・上田志津子・清水賢一郎訳『浪漫都市物語 上海・香港40’s』所収。
4
藤井省三編『笑いの共和国―中国ユーモア文学傑作選』所収。
5
池上貞子訳『傾城の恋』所収。
6
今福竜太、沼野充義、四方田犬彦編『世界文学のフロンティア⑷ノスタルジア』所収
7
丸山昇監修、佐治俊彦主編『中国現代文学珠玉選2』所収。
8
丸山昇監修、白水紀子主編『中国現代文学珠玉選3』所収。
9
吉田とよ子のペンネーム。
10
南雲智訳『ラスト、コーション 色・戒』集英社文庫所収。
11
池澤夏樹個人編集『世界文学全集3-05 短編コレクション1』河出書房新社所収。
12
第10回東京国際映画祭で上映。
13
原作者として韓子雲とともに張愛玲の名がクレジットされている。
表1 これまでに日本で出版された張愛玲作品の邦訳一覧
出版年 原 作 邦 題 訳 者 出版社
1 1955 赤地之戀 赤い恋 柏 謙作 生活社
2 1956 秧歌 農民音楽隊 並河 亮 時事通信社
3
1991
封鎖 封鎖 清水賢一郎
JICC出版局
34 傾城之戀 戦場の恋―香港にて 上田志津子
5 燼余錄 香港―焼け跡の街 清水賢一郎
6 私語 囁き 清水賢一郎
7 到底是上海人 やっぱり上海人 清水賢一郎
8 1992 洋人看京劇及其它 外国人が京劇およびその他を観ると 藤井 省三 白水社
49
1995
金鎖記 金鎖記 池上 貞子
平凡社
510 留情 留情 池上 貞子
11 傾城之戀 傾城の恋 池上 貞子
12 1996 紅玫瑰與白玫瑰 赤薔薇・白薔薇 垂水 千恵 岩波書店
613 2000 年青的時候 若い時 伊礼智香子 二玄社
714 2001 心經 心経 丸尾 常喜 二玄社
815 2004 半生緣 半生縁 方 蘭
9勉誠出版
16
2007
色 , 戒 色・戒 南雲 智
集英社
1017 多少恨 愛ゆえに 南雲 智
18 浮花浪蕊 浮き草 南雲 智
19 相見歡 お久しぶり 南雲 智
20 2010 色 , 戒 色、戒 垂水 千恵 河出書房新社
11表2 これまで日本で公開された張愛玲原作の映画(張愛玲自身のシナリオ作品は除く)
原 作 原 題 邦 題 監 督 制作年 日本公開
1 傾城之戀 傾城之戀 傾城の恋 許鞍華 1984 1992
2 紅玫瑰與白玫瑰 紅玫瑰與白玫瑰 赤い薔薇 白い薔薇 関錦鵬 1996 1996
3 半生緣 半生緣 半生縁
12許鞍華 1997 1997
4 海上花列傳 海上花 フラワーズ・オブ・シャンハイ
13侯孝賢 1998 1998
5 色 , 戒 色¦戒 ラスト、コーション 李安 2007 2008
う問題であった。すでに翻訳がたくさん出版されている にもかかわらずこのようなことを言うのは失礼なことか もしれないが、筆者にはまだこの二つの疑問に対する答 えは得られていない。
類似の疑問は中国人も抱くようである。2000年10月に 香港の嶺南大学で開かれた「張愛玲與現代中文文学国際 研討会」において、日本における張愛玲受容について述 べた日本人研究者の報告に対して、中国の作家・王安憶 は以下のように講評している。
この日本の先生のテーマも興味深いものでした。
日本にも「張迷」がいるんですね。張愛玲の魅力は 主に言語にあると思っている私には一つ疑問が湧き ました。それは、張愛玲の言語は日本語を通してど のように日本の読者を魅了したのか、ということで す。
14張愛玲作品の魅力を日本語を通して表現することは至 難の業である。そのため、妹尾加代、中島文子、大坪加 都子、谷口由華および間ふさ子の5名は、講読を終えた 段階で、再度内容を復習し、日本語翻訳に向けての準備 運動をしようと考えた。それが、ここに訳出した高季文
「『留情』教学筆記」である。
本論で取り上げた「留情」は、1945年2月に『雑誌』
第14巻5期に発表されたあと、1946年11月出版の『伝奇 増訂本』に収められた短編小説である
15。再婚同士の 夫婦が、妻の親戚の家に出かけていきそこを辞すまでの 半日間に登場人物たちが交わした会話や、街の様子、室 内の調度といった描写を通じて、二人の過去や夫婦関係 の軋みをくっきりと浮かび上がらせ、算盤尽くで結びつ いた初老の男と中年女の行く末を暗示している。
この「留情」は、池上貞子氏の翻訳(表1参照)と作 品についての論考
16がある。池上氏の論考は、張愛玲の 創作における「留情」の位置とこの作品が書かれた意味 を確認し、再評価を行おうとしたものであり、その指摘 には首肯できる点が多い。
とはいうものの、高季文先生による講読は、池上氏と は必ずしも一致しない別の読み方を私たちに示してくれ た。その最大の違いは、池上氏がこの作品の結末を「プ ラスの方向を示している
17」と読んでいるのに対し、高 季文先生は「今後の不安が潜んでいる
18」と読む点であ ろう。「隣家の電話の呼び出し音」、「インコ」、「虹」を ヒロイン・敦鳳の心の動きを示す重要な道具立てと見る
点は同じだが、とらえ方は正反対と言ってもよい。
例えば、二度にわたって登場する隣家の電話のベル は、どうしても気持ちを通わすことのできない夫婦の関 係を暗示している。一度目は誰も受話器を取ろうとせ ず、壁のこちら側で聞いている敦鳳をドキリとさせる。
二度目は、隣家の使用人が電話を受けたので敦鳳は思わ ずほっとして、それをきっかけに夫・米氏を見る目がわ ずかに変わる。だが、高季文先生は、すぐあとに続く「ば あやのいらいらしたがさつな口調の『もしもし』という 一言で、かけた相手の言い出しにくい頼みごとをバサッ と切ってしまった」を忘れない。心の変化は起こるがそ れはすぐに絶ち切られてしまうのだ。
「虹」の理解についても同様である。虹が二人のこれ からを暗示しているのは確かだ。だがそれは「残虹」で あり、「短くて真っ直ぐ」な不完全な虹である。
夫にむかっ腹を立てていた敦鳳は、親戚の家に行く途 中に気づいた「インコ」のことを夫に教えなかった。と ころが親戚の家で気持ちの変化が起こり、彼女は辞去す る際に夫にマフラーを巻いてやる。そして帰り道の二人 は「やはり互いをいつくしんでいた」。そこで敦鳳は思 う。「郵便局の向かい側を通る時、インコのことを彼に 話すのを忘れないようにしようと」。この文からは彼女 の心が夫に対して開かれたかのように読める。だが私た ちは忘れてはならない。なぜなら彼女がそのインコに気 づいたのは、その家が彼女の最初の婚家を思い出させる からなのだ。そして彼女は何の屈託もなしにそのことを 米氏に伝えようとしている。
さらにもう一つ、物語の末尾に「葉子在樹梢 , 眼看 它招呀招的 , 一飛一個大弧線 , 搶在人頭 , 落地還飄得多 遠」[下線部引用者]という部分がある。池上氏の訳で は「梢のうえの葉がおいでおいでをしたかと思うと、見 る間に大きな弧を描いて舞い上がり、人の意表をついて はるか遠くまで飛んでから落下した
19」[下線部引用者]
となっている。
この部分を高季文先生は以下のように説明された。
「鮮やかな葉」という言葉に続くのは、「アオギリ の落ち葉が手招きするように大きな弧を描いて飛ん だ」という文だ。一息つく暇もあらばこそ、すぐに、
「地上に落ちたら次はどこまで飛んで行くことがで きようか」という残酷な状況に引き継がれる。気持 ちが舞い上がった瞬間、実はその先に墜落が待って いるのだ。
14
王安憶「講評」劉紹銘・梁秉鈞・許子東編『再読張愛玲』(前掲)200頁
15
本講読で使用したテキストは、『傾城之戀―張愛玲短篇小説集之一』皇冠文化出版典蔵版第34刷(2001年)に収められたものである。
16
池上貞子「張愛玲『留情』について」『張愛玲 愛と生と文学』(前掲)155-175頁。
17
池上貞子「張愛玲『留情』について」(前掲)173頁。
18
本文12頁参照。
19
池上貞子訳「留情」『傾城の恋』平凡社1995年153頁。
夫婦間の感情に対する二人の期待、近づく人生の 黄昏、時間の切迫感が、「どこまで飛んで行くこと ができようか」という反問の意味を持ちながら、疑 問符ではなくピリオドを用いた表現で、遠くまで舞 い上がることのできないどうにもならない思いを直 截に伝えている。
20[下線部引用者]
「はるか遠くまで飛ん」だと読むのと、「遠くまで舞い 上がることができない」と読むのでは全く逆の印象にな る。
この読み方の違いはなぜ起きたのか、これについて説 明するのは簡単ではないかもしれない。ただ、筆者もこ の作品を初めて読んだとき、漠然とではあるが池上氏と 同様の受け取り方をしていた。生活のためだけに選んだ 結婚相手にふと感じたやさしい気持ち、それを「留情」
と言うのだろうと考えたものだ。算盤尽くの夫婦だが、
電話がつながり、虹が出て、ふと心を寄せ合う、それは まさに日本人好みの結末と言えそうだ。
ところが、張愛玲はそれほど甘くはない、と高季文先 生は講読の際、再三にわたって私たちに示唆された。そ れでも筆者は半信半疑であったし、おそらくほかのメン バーも同様だったのではないかと想像する。先生にてい ねいに解説していただきながら読んでいったにもかかわ らず、筆者は「日本人好みの結末」の呪縛から抜け出せ なかった。今回、高季文先生の「教学筆記」をじっくり 翻訳することで初めて納得がいったというのが正直なと ころである。
この準備運動を経たのちに「留情」を日本語に訳せば、
池上氏とはまた趣の異なる翻訳が出来上がるはずであ る。とはいえ、張愛玲の文章が読者に与えるイメージ、
彼女が使う言葉に込められたさまざまな情報を日本語で 表現できるのか、という問いは、やはり大きな課題とし てそのまま残っている。
Ⅱ 「留情」教学筆記
高 季 文
**張愛玲は「自序」で自身が小説を書く目的は「伝奇の 中に普通の人を見つけ、普通の人の中に伝奇を見つける ことだ」と語っている。「普通」と「伝奇」はもともと 対立的なものである。だが張愛玲の小説においては、伝 奇物語の主人公はみな普通の人でありながら、その普通
の男女の愛情に伝奇的な味わいがある。
張愛玲の短編小説集『傾城之戀』の第一篇「留情」は 1945年に発表された。文章のイメージの豊富さや構成の 緻密さから言うと、一見したところ張愛玲の他の作品に 出てくる人物ほど鋭くて鮮烈ではないように思える。し かし、全てが計算高く利己的な一組の男女が織り成す物 語は人生の機微に迫るものがあり、精読するに値する。
燃えていく炭のように
彼らの家では11月に火鉢を出した。
11月は年の暮れで、まもなく秋から冬になる。1年は 12 ヶ月、時間はすでに10 ヶ月あまりが過ぎ去った。小 さな火鉢は、雪のように白い灰の中に赤い炭が埋もれて いる。張愛玲は炭に例えた感情をこのように記してい る:炭というものは、初めは木で、緑色をしており、そ の後枯れて炭になる。ぼうっと赤い火が通り、また生き 返る。炭はかつて命ある木であったが、いつの間にかそ れは様変わりし、もはや緑色ではない。一度は枯れたも のが、火がつくと生き返り、再び生命を得たようだ。だ が焼けて燃えているということは、苦しみにさいなまれ 続け、生きているとはいえ、まもなく灰になる運命なの である。
年の暮れ、炭の灰――絶望が待っている。
(翻訳:谷口 由華)
二羽の彩鮮やかな「アヒル」
結婚証明書がある。額縁におさまって壁に掛かってい る。張愛玲は得意の風刺を用いて、彼らの家に結婚証明 書はあるのだとからかっている。となるとどのような婚 姻で、どのような感情であろうか、わざわざ結婚証明書 を掲げる必要があるとは。一枚の紙切れで何を証明しよ うとするのか。
証明書には薄い青緑色の水の上に浮かぶ、二羽の彩鮮 やかな「アヒル」が描かれている。張愛玲は互いに睦み 合うオシドリではなく、アヒルを用いて、これは一対の 彩鮮やかな「アヒル」の婚姻だと嘲笑している。
米晶堯 安徽省無為県人 59歳 光緒11年
21乙酉 正月11日亥刻生
淳于敦鳳 江蘇省無錫県人 36歳 光緒34年
22戊 申3月9日申刻生
張愛玲は中国四大小説の一つ『紅楼夢』の影響を強く受 けている。そのため登場人物の名は自ずと主題に合致 し、同音異字の使用・比喩・原義の拡大が多くの手がか りを与えてくれる。
20
本文12-13頁参照。
21
[訳注]1885年。
22
[訳注]1908年。
**
長崎大学非常勤講師。
「米
ミー」という字について、以前の社会において男性は、
女性が食い扶持を確保するための手段であり、米氏の
「米」はまさに最適の苗字になる。「晶」という字につ いて、水晶は宝石であり、氷のように冷たく透き通った ガラスのような心で、聡明で冷静という意味がある。堯 は、三人の聖帝の一人、卓越した優秀な男性である。男 性に経済力があり、聡明で優秀であれば、どのような時 代、年齢になっても伴侶を見つけることは可能である。
敦鳳の名前には「鳳」という字がある。高い枝に舞い 上がる鳳凰というイメージをまず表面的に捉えることが 可能であろう。その他の部分については、話の展開に 沿って、あらためて後ほどより詳細な解説をおこなうこ とにしたい。
この夫婦の年齢について、どれほど鈍感な読者であろ うと2人の年齢差は23歳だと計算できる。――では年老 いた夫と若い妻と言えるのか! ? いや、36歳の女性を 若い妻と言うにはいささか無理があるだろう。では36歳 と59歳の『結婚』はいったいどのような結びつきになる のか。
(翻訳:谷口 由華)
「出かける……!」どこへ?
結婚証明書の額の下のふたり。 「ちょっと出かけてく る。」米
ミー氏が外出時、口にした最初の言葉であり、全編 における最初の会話でもある。最も簡単で、ありふれた 一言ではあるが、作者は、気まずさを繕うかのように コートを取りに行き、という表現で、米氏が敦鳳の気分 を充分窺ったうえで口にしたことを表している。米氏 は、うつむき無言の敦鳳に向かって、 コートを着かけて、
彼女の方を見ながら、どうしようもないといった微笑を 浮かべていた。
外出しようとして、ちょっと出かけてくるという一言 は、先ず気まずさを繕うかのように言わねばならない。
服を着るわずかな時間にさえ、途中でその手をとめて敦 鳳に眼をやる。常につきまとう遠慮とあきらめが、瞬時 頭の中に浮かぶのだ。
敦鳳の返事を待つのは、時間的にはしばらくの間――
米氏の感覚であるが、ここにはまた、敦鳳の簡単には承 諾したくない気持ちも現れている。無言の中に、おのず と、外出がはばかられる表情が見てとれる。
このあたりのいきさつ、結婚証明書の額の下における ふたりの関係は、実は、敦鳳の視線の先にある毛糸に よって締めくくられている。灰色で、くちゃくちゃと 白っぽい毛玉が沢山からみついた毛糸。沈黙の中で、互 いの胸中にあるしこりを説明しているのである。
(翻訳:妹尾 加代)
「あちら」と彼女―実に口に出しにくい
「行ってすぐ帰って来る。」同じ内容に付け加えられた
すぐという言葉が、外出が長い時間ではないことを強調 している。
米氏の外出は、つまり「あちらへ行く」ということで ある。だから実に口に出しにくいのである。それは米氏 の屋敷は「ここ」にあり、 「あちら」にもあるというこ とである。二人の妻を擁することに伴う苦労は、家が二 つに分かれることである。では、家に帰るというのは、
どの家に帰るのか。どちらも家である以上、見に帰らざ るを得ないという状況が生ずる。つまり、あちらへ行く 困難とどうしようもない状況である。
またあちらというが、その家には奥様がいることを忘 れてはならない。すなわち正式に結婚した妻である。で は敦鳳の前で、米氏は正妻のことをなんと呼べばいいの か。「家内」、「女房」それとも名前で呼ぶのか。当然、
どれを用いようと誰の前でもはばかることの無い呼称 である。だが敦鳳の前では使うことができない。その ため、「ここ」で正妻に話が及ぶ時には――彼女となる が、しかし、「彼女」と言うとかえって親密な印象を与 える。そのため「ここ」で彼女のことを言う際、張愛玲 はあちらという言葉を使い、掴みどころのない曖昧な言 い方にしている。正妻が存在することは、二人とも承知 している。だがこの内縁関係の結婚においては、決して 大っぴらに口にすることの出来ない話題なのだ。
あちらへ行く、それにすぐ帰って来る、という一言を 補い、そこには長く居ないことを説明している。またひ とつには、新「婚」の敦鳳を安心させるため――私の心 はここにある。あちらへ行くのは少しの時間ですぐ帰っ て来ると、男は口先だけで愛を約束しているのである。
米氏は言った。「具合がよくない。見にいかねば」、
「ひどく具合が悪いが、だれも家を見る人がいない。ど うもあちらへ行ってくるしかないようで――」正妻と内 縁の妻。過去の女となった彼女は、病気でかなり具合が 悪い、ひどく具合が悪い状態になってはじめて、見に行 かねば、どうもあちらへ行ってくるしかないようだとい うことになるのだ。これは敦鳳に対して、妻に会いに行 くのは、道義上であり責任上であって感情からではな い、行きたいのではない、行かざるを得ないのだと弁明 しているのである。「現在」の女である敦鳳は、この正 妻と内縁の妻という三角関係の婚姻において優位に立っ ているはずだ。前段にあるように気分をそこねても当然 だろう。本当にそうなのか。話はこう続く。 敦鳳は苛立っ て言った。「そんなふうに言って、ひとに聞かれたら、
わたしの立場はどうなるのよ」この家には米氏以外に、
敦鳳が言葉に気をつける必要のある人が居た。―張
チャンマー媽で ある。
張媽は半分戸の開いた浴室で洗濯をしていた。彼女は 米氏の家に昔から居る使用人であり、家の中の事情を仔 細に承知していた。あとで…。文章はここで、読者に、
米氏に対する新たな認識を与える。米氏の名前は晶堯と
いう。彼の頭の中は水晶のように冴え、又したたかであ る。自分に昔から仕えている使用人を、新しい屋敷の敦 鳳の身辺に置いた。彼の目的は言わずとも分かる。そう すれば自分の生活様式を守ることが出来るし、張媽は自 分のために便宜を図ってくれ、いつ何時でもこの屋敷を 監督してくれる(注意! 張媽の姓は張。「張望張眼」
つまりのぞいたり、見詰めたりして看視することを意味 する)。敦鳳には米家の仔細をわきまえた張媽が身辺に いて、自分の味方はおらず、彼女の自由にも限度がある ことを窺い知ることが出来る。話すこと、行為、また金 銭的にも、常に米氏の抜け目のない計算の中におかれて いるのである。
敦鳳敦鳳、彼女は蹲っているほかない鳳である(敦と 蹲は中国語では同音のdūn)。翼を広げて高々と飛ぶこ とはできない。
(翻訳:妹尾 加代)
飲食、什器の役割
短編小説というものは、限られた紙幅の中で、一字一 句がすべて重要な役を演じている。セリフひとつの内容 や語調が、往々にしてドラマの展開をはかったり、登場 人物の性格を付加的に説明する。
敦鳳は「張媽」と声をかけると言いつけた。「今 夜はふたりとも家で食事をしないからね。野菜二品 は食べていいわよ。豆腐はベランダに出してこごら しといてちょうだい。火鉢の炭は灰をかぶせて埋め ておくのよ。いいわね!」
ここでは、張媽が食べていいのは「野菜二品」で、豆 腐はこごらして残しておかなければならないことが分か る。これは、後で説明される敦鳳の出自は名立たる家柄 で、かつて上海で一二に数えられた古い大商家であった ということと矛盾している。また、古いという表現は、
昔は大きな商家であったが、今のことではないと暗示し ている。敦鳳の経済力とは関係がなく、使用人に対する 吝嗇ぶり、これは彼女の出自が必ずしも豊かな状態では なく、人の心を捉える術も心得ていないことを物語って いる。使用人と話をする態度にも、奥様らしい従容とし たところが無く、見栄を張り、もったいぶって、あたか も意地悪でとげとげしい、水商売の遣り手女を思わせる という具合である。この部分はあとに続く敦鳳の髪型や 服装の形容と対照して見ることが出来る。
前髪には綿の詰め物をいれて高々ともちあげ(見栄 を張る、もったいぶることを暗示)旗袍は十分ゆっ たりと仕立ててあって、決して小さすぎるわけでは ないのに、なぜか中身はぴんと張り詰め、まるでワ イヤ-入りのコルセットを着けているように見えた
(見栄を張る、もったいぶることを暗示)。
きつい性格で、いつも顔をこわばらしており、水商売の 遣り手女を思わすというのは、あるいは自衛の心理が働
いているのかも知れない。張媽という、あちらの奥様が 実は本当の奥様だと知っている使用人の手前、平静な態 度を保つのはむずかしいことではなかろうか。
飲食については、その日、米氏の為に用意されていた のは、
敦鳳は言った。「今日はもともとわたしの食べるも のはないわ。鍋物と魚の煮凍りは、どちらもあなた のためにわざわざ作ったの」
この二種類の料理からは、11月の寒い日に、 「あなたの ためにわざわざ」やさしい気配りをして、熱いものと冷 たいものを組み合わせたのだとは到底感じられない。中 国人には、熱い料理と冷たい前菜を組み合わせるという 方法はあるが、しかし冷たい料理は魚の煮凍りがあるだ けで、これはいつの残り物を使ったのかわからない。ま た暖かい料理は、鍋ものがわずか一品だけ。その上もと もと鍋の材料に用意されていたのは野菜と豆腐の類で、
使用人の口には入らず取って置かれた材料がどんなもの であったか、知るすべはない。しかし、夕食を大事に し、飲食を重んじる中国人、特に金持ちの男性にとって、
多種多彩な料理が準備されていない、満足感のないこの ような夕食は、あまりにも粗末でがっかりさせられる。
これは、16歳で嫁入りし、23歳で夫と死別し、十数 年の後家暮らしののち、やっと米氏のもとに嫁いで来 て、今はけっこう楽しいという敦鳳の「結婚」の背景と は矛盾している。36歳の敦鳳は、13年待って、やっと嫁 いだと表現されているが、あなたのためにわざわざとい うのなら、少なくとも、たっぷりあっておいしく、米氏 を喜ばせる料理であるべきだ。だから、注意深い読者な ら、張愛玲が読者に伝えたいことが、「為すことと言う ことは別物」、つまり言行一致しない敦鳳の性格である ことにすぐ気付くだろう。
米氏のような敏感で利巧な人間にとって、敦鳳の行為 は情のない冷やかなものであり、夫婦関係の冷淡さが
「口には出さぬともよく分かっている」。米氏がそれを 聞いて、客間に引き返すしかなかったことも納得でき る。そして、紫檀のおもてのついたひと重ねの拓本帖の 前に立ち、それらを揃え合わせた。薄緑色の玉製の印鑑 入れ、氷紋の筆立て、水滴、銅のさじ、手を触れるとど れもひやりとする。陰鬱な午後、部屋の中の机の上にき ちんと整頓して置かれた文具類がことさら冷え冷えと目 を引く。
自分の気持ちを整理する必要があったのだろう。59歳 の「結婚」において、この目端の利く男性は、日々の暮 らしの面倒をみてくれる女性が欲しかったに過ぎない。
年齢は二の次、容貌が美しければ当然いいことだ。だが 最も大事なことは、まずは飲食の世話である。
それゆえ、敦鳳が食事のことを話すのを聞いた後、眼
にふれた紫檀、玉、氷紋、水滴、銅のさじから、どれも
冷え冷えとしたものを感じたのだ。曇天、明窓浄机、こ
れは天候の、家庭の陰鬱な冷たさであり、夫婦間の感情 の冷ややかさである。それぞれの器物は持ち主のセンス と経済力を暗示しているが、同時に、持ち主が外面から 内面へと感じ取った、淡々とやりすごすことの出来な い、骨を刺すような冷たさと符合するのである。
(翻訳:妹尾 加代)
輪タクの中のふたり、沈黙の中にいくたり同乗していた のか?
雨の日の輪タクの中から街の景色をぼんやりと眺めて いるうち、米氏は心の底に深く沈んだ記憶を次々と呼び 覚まされた。生きた証ともなる過去の日々、その歳月を 共に過ごした家族――子供たち、神経質な妻のこと。若 い日の結婚は、あわただしく滅茶苦茶で、記念とするほ どのいかなる楽しい思い出もなかった。この以前の妻と は、互いに手をあげたり罵りあったり、苦痛ではあった が、しかし、確かに心に触れるものもあった。
五十九歳の「結婚」を、彼は軽率に運んだのではな い、あらかじめちゃんと聞き合わせて、一切をきちんと 計画してすすめ、望んだものは、些かの安らぎと艶福で あった。しかし、敦鳳に対しては、客人に対すると同じ ように、 「すみませんね」と言い、「どうもありがとう」
と言わねばならなかった。二人の結婚は、 「どうもあり がとう、すみませんね」、というだけの冷たい関係に過 ぎなかった。
米氏の眼に映る敦鳳の表情はうわべをかざっているも のに過ぎず、素顔でいても作り物のように整ってみえ た。このようなあの手この手を計算できる利巧な人間が 娶ったのは、かつては美しかったが今では中年の、すで に36歳になる寡婦であった。彼の聞き合わせ、計画はな んであったのか。結婚歴があり、13年の寡婦暮らしをし た女を娶ったが、結婚、出産に対して、彼女は当然過分 な期待はしていないはずだ(まして、前夫は梅毒で死ん だ可能性がある)。59歳の男はもはや子供を生み育てる ことは望まないし、その責任も負いたくない。13年の寡 婦暮らしをした女を娶れば、若い頃どんなに美しくても もはや驕りは消えうせ、当然共に過ごす人との暮らし を大切にすることをわきまえているだろう。このような 女は、59歳の自分にとって当然最も見合った選択であっ たはずだ。やって来たのは、しかしながら…。もったい ぶって格好をつけるだけの、気持ちも上っ面ばかりの妻 であった。
作者は輪タクの中で米氏の目に映った敦鳳を描写する ことによって、前段で言おうとした敦鳳の言行一致しな い、人に対して情のない上っ面ばかりの性格を、暗示か ら明示へ転じた。
輪タクに乗った敦鳳は……自分の夫に肩をよせ、大い に平穏を感じていた。しかし三十六歳の敦鳳が目を留め たのは、街角で男が長着をまくり壁に向かって小便をす
る姿であった――寒さも気にせず。彼女の最初の反応は
――いったい寒くないの! 意に介したのは羞恥心では なく、男性の下半身が寒いかどうかである。
道端の洋館のベランダの籠に吊るされた大きなオウム を見ると、いつも通るたび、きまって以前の婚家を思い 出した。その上、ほんとうは指を差して米氏に見るよう に言おうと思っていたのだが、今日は先ほど、些か、彼 に対して感情を害したため、見るように言わなかった。
ここで話は一転する。敦鳳は「物を見て人を思い出す」
のであるが、洋館とオウムを見て以前の結婚生活を思い 出した。そのうえ、米氏にもそれを見せようとした。こ の時、読者の頭の中に敦鳳が本来言おうとした言葉が浮 かぶだろう。「あそこね、わたしの以前の嫁ぎ先に似て るの。」だとすれば米氏はどんな顔をすればよかったの か。全く驚くべき一幕である。もちろん読者は米氏のた めに胸をなでおろすだろう。なにしろ今日は感情の行き 違いがあったため、その不必要な気まずさを免れること ができたのだ。張愛玲の手によるこのようなどんでん返 しの諧謔には思わずにやりとさせられる。しかし、この ような話題は「この」夫に告げるにふさわしいものなの か。敦鳳はいささか愚かではあるまいか。実は、張愛玲 は最初から戯れて敦鳳のことを、姓は淳于(Chúnyú)
とし、それぞれ同音の愚蠢(yúchǔn)の意味を暗示し ていたのである。愚かでバカ、その上、「敦」は前段で
「蹲」を連想させた以外に「鈍」と同音、つまり、バカ で愚かで鈍い。彼女はこの三つを兼ね備えているのであ る。
(翻訳:妹尾 加代)
敦鳳の身内 新しい? 古い? 中国的? 西洋的?
親戚を訪ねる。身内の人々は敦鳳の結婚前の生活背景 と言うことができる。結婚後敦鳳が唯一訪ねることが出 来るのは母方のおじの家、楊家である。暮らし向きが傾 いた楊家が住んでいるのは、中流の上レベルの横町の住 宅である。
楊家は1940年代に調度品としてステンレスで縁取りし ている革製の角テーブルを使っているが、これは何年も 前のものであった。ステンレス製品はその時代にはモダ ンで貴重なものであったが、何年も前のものなのだ。モ ダンではあるが古いということが強調されている。
楊家は、ずっとハイカラであった。楊家の祖父の時代 から英語を学び、学校に進み、洋行し、嫁の出産時には 新しいやり方を用いるようになった。楊夫人の客間はサ ロンの意味あいをもっている。西洋式の教育を受け、西 洋式の産褥につくやり方、自由な男女関係などの概念は 新しく、西洋的だ。しかし、そのステンレスのテーブル を使ってやるのは麻雀――正に中国の国粋である。
楊夫人の娘の月娥が学校で参加しているのは崑曲研究
会で、歌っているのは崑曲であり、英語劇のサークルで
はない。母と娘が舞台に登場し演じるのは他の男と情を 通じて夫を陥れ子供を追い出す「販馬記」の芝居だ。後 段で月娥の命名に疑問をもつ人がいることと併せて読む と、実に意味深長である。
楊夫人が着ているのは、にせムートンのオーバーであ る。楊(Yáng)という姓のものがニセの羊(yáng)を 着ている。楊家が「ニセ」の「ムートン」を羽織るニセ 毛唐だという風刺である。
大奥様の部屋に並べられているものは、大奥様が使う はずもない金属製の机、金属製の肘掛け椅子、金属製の 文書棚、冷蔵庫、電話である。これら当時の誰もが好ん でいた斬新な外国製品の数々を大奥様も好んでいたの で、その暗く、窓を開けることのない閉ざされた空間に 置かれていた。老婦人の部屋の装飾品となったオフィス 家具は、新しいと思わせるどころか却ってぎくしゃくし た感じを与えている。加えて、アヘンはやめたけれども 部屋にはまだアヘンベッドがある。中国の古いものは 断ったが、そのままの形で部屋に置いてあるのだ。後段 の彼らの生活様式と照らし合わせて読めば、作者の皮肉 は言わずともわかる。
住居、装飾品、家財道具、服装すべてに中国と西洋が 入り交じっており、新しいようだが古いという共通点が ある。置くべきでないものが沢山部屋に置いてある。所 有している或いは占有しているというべきかもしれない が、にもかかわらず、使うすべを知らないし、自分以外 の人間には使わせないという奇妙さだ。これは、生活を 西洋化しようと努めているのに、考え方が進歩できない ということを暗示している。彼らの家は開かれた空気の 中にないばかりか、逆に、窓を閉ざした大奥様の部屋の ように、新しい空気が入ってこないのだ。彼らは骨董を 売って家計を支え、毎日麻雀に明け暮れている。新しい 外観を身にまといながら、昔の土壌に寄生して命をつな いでいるのである。
張愛玲は道具にことよせて、楊家はうわべは斬新に見 せかけているものの、実情は陳腐さが根深くはびこって いるのだと批判している。だからこそ楊家の名字は楊
(Yáng)、ニセの洋(yáng)なのである。先進的でモ ダンに見えるが、実は中国式でも西洋式でもないどっ ちつかず、うわべの西洋化を追い求めるニセムートンの オーバーを羽織ったエセ毛唐で、封建的腐敗が骨の髄ま で根深く染み込んでいるのだ。
(翻訳:大坪 加都子)
結婚前と結婚後、男と女の三角関係
二人が「結婚」する前、楊家のサロンでは、敦鳳の従 兄とその妻・楊夫人そして米氏が女一人男二人の三角関 係を形成していた。その三角関係が敦鳳の結婚を成就さ せたのだ。
敦鳳が米氏と初めて会ったのも楊家であった。主人夫
妻はその日も口げんかをしていた。それは非常に洋風 の、まるで恋人同士のようなケンカで、側杖を食らった 米氏は、これ見よがしに敦鳳に話しかけてきた。楊夫人 に焼き餅を焼かせるためだ。
米氏は焼き餅を焼いたがゆえに敦鳳に話しかけ、家ま で送ってくれたのである。それは敦鳳にとって大いに自 尊心が傷つけられることではあったが、チャンスでも あった。夫の死後十年以上独身でいた敦鳳が、再婚する ためにどんな努力を払ってきたかは想像に難くない。
「結婚」前の敦鳳は、従兄の妻・楊夫人に接する時も 細心の注意を払っていたはずである。当然、楊夫人を自 分の最大の恋敵とみなし、楊夫人・米氏・敦鳳という新 たな三角関係の下方の位置に甘んじていた。その時、
彼女は負けるわけにはいかなかったが、何気ないふ うを装っていた。細心の注意を払った鷹揚さを持た ねばならなかったのだ。
楊夫人は昔から立て板に水、弁舌爽やかであった。
かつて旦那様、奥様連のなかにいたころは、まっと うな人ばかりだったので、彼女がおきゃんで大胆だ としか見えなかったものだ。
親戚の誕生日を敦鳳はきっちり記憶していた。なぜ ならば懐が寂しくなればなるほど、人前で恥をかき たくないと思うようになっていたからだ。
「結婚」前の彼女は、他
よそ家
さまでご馳走になるのが心苦し く、折に触れ手みやげを欠かさなかった。
結婚証明書を手に入れた敦鳳は、「結婚」後はもう安 心だった。何はともあれ米氏は彼女の夫なのだ。楊夫人 にどれほど多くの恋人がいようと、米氏・楊夫人・敦鳳 の三角関係においては、彼女が米氏を手に入れた。三角 形の頂点に位置したのである。その結果、楊夫人に対す る彼女の評価はこう変わった。
従兄の妻である楊夫人は男なら手当たり次第で我慢 ならない。
楊夫人の立て板に水ぶりは、中身は同じでも、こう いった連中に聞かせるとなると、途端に下品になる。
「結婚」後は、彼女の縁結び役となってくれた楊夫人 のロマンスでさえ、
「火遊び」として批判の目で見てしまうようになっ た。
楊夫人がどれほど多くの恋人を持っていても、結婚は できないし、生活費ももらえない。それゆえ敦鳳は色を 正したのである。結婚前興味津々だったこれらの事に対 し、結婚後の敦鳳は毅然とした態度を取るようになっ た。楊夫人のロマンスは、不倫であり、賢いこととは言 えない。
従って、三人が腹を探り合う関係において敦鳳は想像 上の絶対的優勢をものにした。とりわけ、米氏が正妻の 家に行き、再び楊家に敦鳳を迎えに来るという一段:
次第に暮れていく部屋に三人で座っている時、彼女は
形を成していない三角関係の恋愛の記憶を、あることな いことおさらいしていた。彼女は勝利したのだ。上々の 勝利とは言えないにせよ、勝利は勝利である。それは彼 女に薄ら寒い親戚の家で冷めたお茶を手にして、眉をひ そめ、高価な口紅を塗っている状況を楽しませた。余裕 綽々の態で、この上なく気分良く、お茶を飲む気はさら さらないのに、汚れた茶碗を捧げ持って、右に回し左に 回しして勝利の喜びを享受している。敦鳳の「結婚」は、
楊家において、とくに楊夫人の前で、これまでの三角関 係が逆転して、曰く言い難いバランスを彼女にもたらし たはずである。彼女がしょっちゅう楊家を訪ねるのは、
おそらくこのゆえでもあるだろう。
逆に楊夫人の方から敦鳳を見てみよう。米氏は敦鳳と 結婚するまで楊夫人目当てに楊家に通って来ていたのだ から、彼女がいなければ敦鳳が米氏と知り合うこともな かった。結婚後、二人が楊家を訪れた時、楊夫人が敦鳳 を見る目つきは、頭のてっぺんからつま先まで、あたか も敦鳳という人間を彼女が一人で作りあげたかのようで あった。まして米氏は彼女のタイプではない。求愛者が 多いのを厭わないのは女性の虚栄心に過ぎない。女性と して敦鳳は楊夫人にはとてもかなわない。彼女はただ、
「あなたがどんな男の人がいいのか知ってるわ。見 かけは二の次ね…米さんのような」、「今のようなの が理想にぴったり」
なのだ。
敦鳳も、楊夫人の前で自分の幸福を認めることは、楊 夫人の恩恵を認めることなのだと思っている。
これは、楊夫人にすれば、敦鳳に対する施しなのであった。
それなのに「結婚」したとたん、彼女の前でこれ見よ がしに米氏の新しいお屋敷での地位――使用人に財布の ひもを握る奥様として見られていることをひけらかす。
「『奥様、奥様』と言ってくるし、米さんだって――何 かにつけて『奥様に尋ねなさい』を連発するのよ。好意 で私を立ててくれているの…」
楊夫人はそんな敦鳳を眇めつつ、彼女が使用人たちの
「奥様、奥様」という呼びかけを繰り返すのを笑いなが ら聞いていたが、心の中では「まったくのお妾ぶりだ わ」と思っていた。
楊夫人の冷笑には、本物の「奥様」は自分が奥様であ ることを強調する必要もないという意味がこめられてい る。妾だからこそ、使用人たちが「奥様、奥様」と呼ぶ と強調するのだ。このわずか四文字の中に、一度ならず 繰り返し呼ぶのだという敦鳳の得意、そして事情を知り 尽くしている自分の前で敦鳳が「奥様」ぶってみせること に対する楊夫人の嘲りがこめられている。
とはいえ、米氏に挨拶するとき、
楊夫人は斜めに視線を送り、笑いながらゆったりと
「ごきげんいかが、米さん」と言う。
米氏の挨拶に対しては、
楊夫人は溜息を一つつき、「ええ」と答える。息は出 るばかりで吸いこまれることはない。そこには求愛者が もはや自分を求めていないことへの哀怨が滲み出ている
(これもまた思わせぶりな表情だが)。
従って、どんなにつまらない男の為であれ、女性たち には互いに武器をちらつかせ戦いを構える理由がある。
「婚」前であれ「婚」後であれ、男と女の間の矛盾は、
あたかも綱引きのごとく、時にはシーソーにも似て、こ ちらが上になったり相手が上になったりするのだ。
(翻訳:間 ふさ子)
敦鳳は無錫県の人
夫婦の関係を対比するために、作者は、楊家での二人 の話にかなりの紙幅を費やしている。
寒くなってきたので皮の長衣を作るという話になった 時、米氏は敦鳳に誂えるといいよと親切に言う。
敦鳳は言う。「手元に男物の古着が二枚あるから、そ れを作り替えようと思って」。楊の大奥様はそれが彼女 の死んだ夫のものだと分かったし、米氏も当然分かって いた。
敦鳳は自分の過去に対して何の不都合も感じていない だけなのだ。
米氏の親切に対して、敦鳳が持ち出したのは前夫が遺 した皮の長衣である。新品も前夫の古着には及ばないと いうわけだ。
「結婚」後の運勢占いの話が出たとき、大奥様の前で、
彼女は米氏を見ながら言葉を続けた。「私と彼とはこ れから何につけても上手くいくんですって。それに彼は あと十二年寿命があると言うのよ」嬉しげでまるで意外 な喜びであったかのようだった。この「十二年」は米氏 の耳には異様に響き、ぞっと寒気が走った。大奥様も年 配であるから、同様の感じを受け、慎しみのない話をす るものだと思った。敦鳳自身は全く気付いていない。
外国人の占いの話になると、敦鳳はすぐさま前夫を思 い出した。
「亡くなったあの人はくる日もくる日も私につっか かって…」
「ちっともかわいがってくれないのだから、私の言 う事など聞くはずもないわ」
前夫は敦鳳に冷たかったようだが、彼女は前夫の話にな ると止めどがなくなる。
輪タクに二人で乗る話になった時、彼女は自分が華の ようにあでやかに米氏の隣に座っているのに、米氏とき たらメガネを掛けていることの他は、鼻も小さく眼も小 さく、あたかも泣くべきかどうか決めかねているかのよ うだと思っていた。頭から顔までつるつるで、形良く、
三号配給粉で作った高樁マントウのように見える。
36歳の敦鳳は、自分が華のようにあでやかなのに、59
歳のてかてか頭で小目小鼻の見栄えのしない年寄りと一
緒に座っていることが恥ずかしかった。その点、最初の 夫は良いところは一つもなかったけど、人前で夫でござ います、と言うときにみっともない思いだけはしなかっ た。亡くなったときまだ25歳で、細面にすっきりとし た目元、笑うと目がいかにもワルぶって見えた。
作者は、敦鳳が前夫を忘れられないのは、俗に言う「女 は去った男を忘れられない」からだと言いたいのだろう か。そのまえの件
くだりに、彼女は「情けがあり義理があり、
情けがあって節度がある」とあるが、これは本当だろう か。俗に言う「遣り手は金を愛し、姐さんは姿の良い男 を好む」の後者で、若い美男子が好みなのだ。
この一段は、その前に出てくる「彼女は、父の妾に育 てられ、結婚したらしたで嫁ぎ先のお妾連中のあいだで 暮らしていたため、知らず知らずのうちに長三堂子
23ば りの媚びを身につけていた」という部分と呼応してい る。これは外見だけではなく、価値観や考え方の影響も あるはずだ。
芝居の話になると、すぐに「私たちの頃の結婚はあん なふうじゃなかったわ」とくる。 「私たちの頃の結婚」
という言葉が米氏の耳にどのように聞こえるのかも、彼 女には知ったことではない。
話題が旅行のことになると、敦鳳は言う。「これから のことなんて約束できやしない。それに二人とも生きて なきゃいけないし…」これは彼女もさすがに相手を傷つ ける重い言い方だとなんとなく感じ、自分でも少し慌て た。「どちらが死んでるのかわからないけど」と付け加 えたのではあるが。とはいえ、米氏のようによく気が回 る人間に対して、至るところで矢を放って人を傷つける 具合の悪さを敦鳳がとりつくろえるはずもない。
何かにつけ、彼女の言う事を聞かない、彼女を思いや らない、いいところは一つもなかったけれど、少なくと も彼女に恥ずかしい思いだけはさせなかった、彼女が自 分の夫だと認める男のことばかり話す敦鳳は、ことの顛 末を知る楊の大奥様の目にはこう見えている。 「敦鳳は 本当に良い結婚相手に巡り逢ったものだわ。敦鳳という 子は、若くもないのに、米さんの気を悪くさせるような ことばかり言っている。これまでさんざん男に泣かされ てきたというのに、どうして今の幸せがわからないんだ ろう」
米氏が楊家にいないとき、彼のことに話題が及ぶと、
敦鳳の言った言葉はこうだ「それにあの人には何の愛情 も感じないわ」「お金のためですもの」。となると、「遣 り手は金を愛し、姐さんは姿の良い男を好む」の前者の 性質も敦鳳は備えているということになる。それゆえ、
大奥様の目に映った敦鳳は、そのぷっくりとした顔の中 で目だけがこわばっていて、うつろで白目を剥いたよう だ。それにもかかわらず彼女はやはり笑っている。心は
空っぽだが、笑いながらこう言えるのだ。
「すべては生活のためなのよ」
「男の人が必要だったら、米さんには嫁がなかった わ」
「ほんとのところ、ほとんどないのよ。何か月かに 一回あるかないか、なの」
文中では遣り手、長三堂子、妾連中、うわべだけ、う つろなどの語を数多く用いて敦鳳を形容している。一枚 の「結婚証明書」が彼女を非常に安心させたが、生活に 余裕の出た彼女は、吝嗇があちこちで人を傷つけ、福を 得ても大切にすることを知らない様子がおのずと表れて きてしまった。
張愛玲が彼女を江蘇省無錫県出身だとしたのもむべな るかな。無錫は「無惜」と同音、大切にすることを知ら ないの謂である。
(翻訳:間 ふさ子)
米氏は無為県の人
楊家で、寒くなったから皮の長衣を作ろうかという話 になったとき、敦鳳が言っているのが彼女の前夫の衣裳 だとわかって、米氏は不愉快になったが、立ち上がって 手を背中に回し、壁に貼られた対聯を見ているだけで あった。
米氏の態度は「無言」だが、壁を見る動きに意味があ るとは思えない。壁にむかって沈思反省すべきはむしろ 敦鳳のほうであろう。
運命判断の話が出たとき、「結婚」後の運勢を占った ことについて、 彼女は米氏を見ながら言葉を続けた。「私 と彼とはこれから何につけても上手くいくんですって。
それに彼はあと12年寿命があると言うのよ」と嬉しげ でまるで意外な喜びであったかのようだった。この「12 年」は米氏の耳には異様に響き、ぞっと寒気が走った。
…米氏は暖炉の前を通り過ぎるとき、時計をちらっと見 た。この寒気は何からの連想だろうか。36歳の妻はいっ たいどんな思惑があるのか。59歳の人間にとって12年は 長いのか短いのか。
外国の占い師の話になると、敦鳳は大奥様の前で前夫 の話を延々と続けた。米氏は見るからに居心地悪そうに 両足を組み、両手を腹の上に置いて、口をきゅっと結び、
ぎこちなく笑っている。ぎこちなく笑っている様子が敦 鳳に何かを感じさせることができるのだろうか。
輪タクの二人乗りの話になったとき、敦鳳は「なんと なく慣れないのよ」と言う。彼女は自分が華のように米 氏の隣に腰掛けているさまを思っている。敦鳳は米氏に 一瞥をくれ、顔を背けた。頭から顔までのっぺりとして いる米氏がみっともなくて恥ずかしかったのだ。36歳の 敦鳳は、米氏の前で自分を華のようだと感じている。米
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[訳注]高級妓院。
氏を見るときには、一瞥をくれ、顔を背ける。一緒にい ると恥ずかしい思いをする男性を見る気がしないのだ。
……米氏は身を乗り出して新聞を手に取った。実際のと ころ、人生経験豊富な米氏に敦鳳の気持ちが見て取られ ないはずはない。ただ腹の中でわかっているだけで口に 出していう必要もなく、身を乗り出して新聞を手に取 り、この気まずい時間をやりすごすだけだ。
旅行の話題になると、敦鳳は言う。「これからのこと なんて約束できやしない。それに二人とも生きてなきゃ いけないし…」これは彼女もさすがに相手を傷つける重 い言い方だとなんとなく感じ、自分でも少し慌てた。「ど ちらが死んでるのかわわからないけど」と付け加えたの ではあるが。この時も、米氏はしばし身を固くしたが、
立ち上がって帽子を持ち、笑いながら、もう失礼するよ、
と言った。
このように壁を眺め、時計を見、新聞を手に取り、立 ち去る時には笑いながらもう失礼するよ、と言う。米氏 が安徽省無為県の人であるのもむべなるかな。 「無為」
には、やることがない、やるべきことがない、何もやら ないやりきれなさが含まれているはずである。
(翻訳:間 ふさ子)
内縁関係による姻戚をどう呼ぶべきか?
中国人が顔を合わせた時の呼称は、互いの世代の関係 を明確に示すものである。「結婚」後、米氏と敦鳳のよ うな場合、親戚はどう呼ぶべきか、これは最もやっかい な問題である。実家の兄弟達とは同腹ではないので、米 氏はずっと彼らと挨拶をしていない。米氏の方にも正妻 がいるので、なんとも呼び方が難しい。兄弟のほとんど が異腹で、しかも敦鳳が庶出であるため、兄弟と会う気 まずさを避けられたのであろう。
だが、唯一訪ねることが出来る楊家に着いて、米氏が 子供に会った時に子供にどう呼ばせるべきか?作者は周 到に、子供たちが挨拶する機会を三回用意した。
まず、敦鳳と米氏が階段を上り大奥様の部屋に行く上 がり口で、楊夫人の子供たちが現れ、一斉に「おばさ ん、こんにちは」と挨拶すると、あとは曖昧にして逃げ て行った。「おばさん」と呼びかけるが「おじさん
24」 とは言わない。それも一人だけではなく、数人の子が、
しかも、声を揃えて。どう呼びかけるべきかわからない のだ。ならば、黙っているのが最も適切だと子供たちは 思ったのだ。原因はふたつ考えられる。ひとつは、正式 な婚姻関係ではないこと、もうひとつは、子供たちは正 直で、大人のように世故に長けていないので、自分の祖 母と同じくらいの年齢の人を、母親が「米さん」と呼ぶ のなら「おじさん」と呼ぶべきなのか、しかし祖母も 「米 さん」 と呼ぶからには「おじいさん」と呼ぶべきなのか、
母と同世代であり、祖母とも同世代であるならば、いっ たいその人をどう呼んだらいいのか、わからない。曖昧 にするしかない。
二回目は、大奥様の部屋の入り口に、のぞき見する女 の子が登場する。米氏は女の子をからかう。大奥様が子 供に「なんで挨拶しないの。どなたか知らないの?こち らはどなた?」と訊ねるが、米氏自身、内心、 「米さん」
よりほかに呼び方はないと思う。
三回目は、敦鳳も一緒になって「挨拶しなさい、栗を あげるわよ」と言う。対象は同じ女の子である。大奥様 が何気なく子供をせきたてたのは、礼儀を重んじたが故 で、その結果米氏にばつの悪い思いをさせることになっ たが、敦鳳が子供をせきたてたのは、夫婦間の気持ちの ずれである。親戚の家にいる時、敦鳳と米氏の立場は同 じであるはずなのに、夫の危機を救えず、却って米氏を 気まずくさせてしまったという愚かさである。
大奥様は敦鳳のおばである。慣習であれば、大奥様は 米氏を名前で呼ぶべきであるが、 「米さん」と姓で呼ん でいる。これはよそよそしい感じがあり、正式な親戚で はなく他人だという含みがある。
米氏は大奥様に対して「おばさん」という身内の呼称 は使わず、 「大奥様」と呼ぶ。敦鳳と「結婚」している ので目下の者の礼をもって呼んでいるのだが、自分と同 年代でありながら「大奥様」と呼ぶ内心の気まずさは推 して知るべしである。
敦鳳にいたっては一度も米晶堯を「晶堯」とは呼んだ ことがない。ただ、 「ほら」とか「あの人」と呼ぶだけ だ。楊夫人の前でも「みんなは私が米さんのお金を手に 入れたと思っているのよ。米さんは将来遺言状に私に不 理なことは書かないって、勿論わかっているけど」と言 う。
敦鳳ですら、楊家の人の前では、米晶堯を米さんと呼 ぶ。前夫を「死んでしまったあの人」「私の夫」と呼ぶ のとは違って、米氏の扶養の下にあるのに、夫を他人だ と見なしている寒々しい状況である。
(翻訳:大坪 加都子)
現実は愛情にまさり、誰もが損得勘定に長けている 36歳の敦鳳は生活のために結婚した。食い扶持を確保 するという最も現実的な算盤尽くの選択だった。それで も楊太太曰く「理想にぴったり」だ。しかし60歳近い夫 は、妻を生理的に満足させることがなかなかできない。
「私はやきもちやきではないの。それにあの人には 何の愛情も感じないわ」
「ほんとのところ、ほとんどないのよ。何ヶ月かに 一回あるかないか、なの」
「男の人が必要だったら、米さんには嫁がなかった
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