・急行 布施駅 3 層化改造工事完成に伴う 1978 年 3 月のダイヤ変更で設定。昼間時以降に設定さ れており、全列車近鉄難波 - 近鉄奈良間で運転。昼間時は快速急行と交互の運用であり、 毎時 3 本運転。原則として快速急行に抜かれることがないため、近鉄難波 - 近鉄奈良間で 先着する。ただし、一部の列車は布施で特急に追い抜かれる。また石切では西大寺発着の各 駅停車と緩急接続を行う。2004 年 3 月のダイヤ変更までは昼間時間帯のみの設定であったが、 以降は沿線利用者を考慮したことや利用客の減少などによる減便で夕刻以降にも快急の運 行本数の 半数を置き換え、準急と統合する形で設定が追加されて現在に至る。編成両数は 平日の日中は 6 両編成、平日の夕方以降は 8 両編成(上りの一部 6 両あり)。土休日はダイヤ 上6両編成の設定であるのだが、実際には終日8両編成で運行されている。急行の10両運 転がないのは石切のホーム有効長が 8 両分しかないためで、平日夕方下りの混雑が目立つ。 また、天理教祭礼時(おおむね毎月19日やその前後と1 月4 - 6 日)には近鉄難波 - 天 理線天理間の急行を運転する。長年、天理行きは途中の布施駅で後続の快速急行を待避し、 難波行きは奈良発の定期急行の続行で運行されるというダイヤパターンが多い。 なお現在の急行は 2 代目で、初代の急行は 1976 年まで運転されていた。初代急行の停車 駅は鶴橋 - 石切間ノンストップで、これ以外の区間は各駅に停車していた。当時東花園駅を 通過していた準急とは布施と河内小阪の 2 駅を通過するだけの違いで、現在の急行よりもむ しろ準急に近い停車駅パターンであったと言える。しかし、1976年のダイヤ変更で準急と統合 されたため、1978年までの約3年間は「快速急行と準急があって急行がない」状態であった。 ・快速急行 1972年11月のダイヤ変更で、それまで走っていた奈良線無料特急の停車駅に生駒と学園 前を追加する形で設定され、無料特急は廃止された。 奈良線の主力優等種別で、終日運転される。地元の利用者は「快急」と略すことが多い。近 鉄難波 - 近鉄奈良間での運転が 主体だが 、朝ラッシュ時の数本の 上り列車は大和西大寺 駅が始発である。この大和西大寺始発の列車に限って設定当初は前身の特急と同様に学園 前・生駒の 2 駅を通過していたが、程なく他列車同様に停車するよう改められた。また、平日 上りの午前 9 時 30 分までに難波駅に到着するすべての快速急行は最後尾(前から 10 両目) が女性専用車両となっている。昼間時は毎時 3本運転。急行と交互の運用である。停車駅は 特 急 の 停 車 駅 に 近 鉄 日 本 橋 ( た だ し 前 身 の 奈 良 線 の 無 料 特 急 は 停 車 し て い た ) と 新 大 宮 (2000 年より)が追加されたのみで、南大阪線の急行と同様に特急を待避しない。従って、上 本町・鶴橋 - 大和西大寺間では特急と同等の停車駅で運転されることになる。朝夕の時間 帯には特急とダイヤを平行して運転されることがある。現在の難波 - 奈良間の最短所要時間 は上り35 分、下り 34分である。 快速急行には比較的5820 系など、閑散時に座席が回転式クロスシートとなるL/C カーが 運用される機会が多かったが、2006年3月以降(各駅停車・準急はそれ以前から)はL/Cカ
ーも 9820 系ロングシート車などの 6 両固定編成車という運用グループの中に一緒に組み入れ られているため、日や時間帯により偏りがある。編成両数は平日の日中は 6 両編成、ラッシュ 時は10両編成(深夜に一部8両あり)。土休日は土曜の朝のみ10両編成。その他はダイヤ 上6両編成の設定だが、実際には長年に亘り8両編成で運行されており、その半数ほどはロ ングシート 4 連車の重連による編成が使用されている。なお、10両編成の一部に、大和西大 寺以西を10 両で、大和西大寺 - 奈良間を 6両で走るものもある。 ・特急 近鉄難波~近鉄奈良間を運行。 1973 年 9 月登場。近鉄難波~近鉄奈良間は 32.8km と近鉄特急系統の中では短距離であ るため、この系統はJRにおける「ホームライナー」的な側面が強く、平日の運行はほぼ朝夕の 通勤時間帯と深夜に限られている。 かつては平日昼間も1時間間隔で運行されていたが、奈良線は各種列車種別が輻輳する 過密ダイヤの上、平均駅間距離が短く、さらに大和西大寺では京都線・橿原線と平面交差す ると いう悪条件も重なり、遅延が常態化していた。また停車駅が類似する「快速急行」(後述) などとの関連もあり、ダイヤに余裕を持たせて一般列車の充実を図るべく、利用率が低かった 平日昼間の特急は廃止された。 1956 年 11 月から「阪奈特急」の運転開始される前の近鉄奈良線では料金不要の「特急」が 設定されていたが、これは1972年11月に停車駅追加の上で「快速急行」に種別を改めてい る。「阪奈特急」の設定されない時間帯には「快速急行」や「急行」が大阪~奈良間の速達輸 送の役目を担っており、1997 年以降はロングシート・クロスシートの両方に転換可能な座席を 備えた一般型車両、L/C カーが奈良線の快速急行・急行の一部を中心に投入されるようにな った。これにより、特別料金不要の同列車が通勤だけでなく特急に代わって観光輸送の役割 も果たすようになっている。これは、大阪~奈良間の輸送で競合するJR西日本の221系を使 用した「大和路快速」への対抗策とみられている。 なお、阪奈特急では間合い運用として投入されるアーバンライナー・伊勢志摩ライナー の デラックスカーを追加料金なしで使用できる。 なお、現行ダイヤにおける快速急行との停車駅の相違点は、近鉄日本橋駅と新大宮駅へ の停車の有無のみである。
4.歴史
近畿日本鉄道の直系母体会社である大阪電気軌道(大軌)初の路線として建設された。 生駒山を超えるにあたって、北側を迂回するルートは既に片町線が、南側を迂回するルー トは既に関西本線がそれぞれ開通しており、建設にあたっては生駒山を一直線に貫くルート しか選択肢はなかった。そのため、当初はケーブルカーの使用まで検討されたとされるが、都市間電車としての効能を発揮するため、同社の設立に尽力した岩下清周の主張もあって、長 さ 3,338m の生駒トンネルを開削し、生駒山の登坂区間にできる急勾配を高出力の電車(デボ 1形)で越えるという案が採択された。 生駒トンネル開削には多額の資金を使い、最後は社長の岩下が私財を投げ打って建設を 続行させたという逸話も残っている。大阪と奈良の間をできるだけ直線ルートで結ぶことにした ため、開業当初は沿線人口が少なく、生駒山の宝山寺や奈良へ向かう観光客が主要な乗客 であった。よって収入は天候に左右され、同社の社員は常に天気に気を使っていたといわれ る。そのため、「大阪電気軌道」でなく「大阪天気軌道」だと揶揄されたこともあった。 その 後、沿線の開発に 伴い乗客数も増えたが、開業時から使用していた小型車では輸送 に対応できなくなり、車体規格を大きくすることにした。それに際して建築限界を拡大する必要 から、新生駒トンネル(長さ 3,494m)を新たに開削している。
年表
・1914 年(大正 3年)4月 30日 大阪電気軌道により上本町 - 奈良(高天町)間が開業。 ・1914 年(大正 3 年)7 月 8 日 終点を高天町から東向中町の大軌奈良駅まで延伸。奈良駅前 駅(後の油阪駅)開業。 ・1914 年(大正 3年)7月 17日 日下駅(後の孔舎衛坂駅)開業。 ・1915 年(大正 4年)6月 15日 花園駅開業。 ・1918 年(大正 7年)日下駅を鷲尾駅と改称。 ・1920 年(大正 9年)7月 13日 額田駅開業。 ・1922 年(大正11年)3月 片江駅を片江今里駅に、深江駅を足代駅に改称。 ・1922 年(大正11年)5 月 5日 大軌奈良 - 上本町間をイギリスのエドワード王子が乗車。 ・1923 年(大正12年)9 月 9日 菖蒲池駅開業。 ・1925 年(大正14年)9 月 30日 足代駅を布施駅に、若江駅を若江岩田駅に改称。 ・1929 年(昭和 4年) 片江今里駅を今里駅に改称。 ・1929 年(昭和 4年)11 月 22日 (臨)ラグビー運動場前駅開業。 ・1936 年(昭和11年)8 月 1日 (臨)人ノ道駅開業。 ・1936 年(昭和11年)11 月19 日 八戸ノ里駅開業。 ・1937 年(昭和12年)4 月 22日 (臨)人ノ道駅休止。 ・1938 年(昭和13年)2 月 1日 人ノ道駅を永和駅として営業再開。通年営業化。 ・1940 年(昭和15年)6月 鷲尾駅(元の日下駅)を孔舎衛坂駅に改称。 ・1941 年(昭和 16 年)3 月 15 日 永和駅を河内永和駅に、小阪駅を河内小阪駅に、花園駅を 河内花園駅に、大軌生駒駅を関急生駒駅に、大軌西大寺駅を大和西大寺駅に、大軌奈良 駅を関急奈良駅に改称。 ・1941 年(昭和16年)9月 富雄駅を鵄邑駅に改称。 ・1942 年(昭和17年)3 月 6日 学園前駅開業。・1942 年(昭和 17 年)10 月 1 日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に 変更。 ・1944 年(昭和19年) (臨)ラグビー運動場前駅休止。 ・1944 年(昭和 19 年)6 月 1 日 関急生駒駅を生駒駅に、関急奈良駅を近畿日本奈良駅に改 称。 ・1948年(昭和23年)3月31日 生駒トンネル内下り坂でブレーキ故障のため列車が暴走。 河内花園駅で先行列車に追突。死者 49 人の大惨事となる。→近鉄奈良線列車暴走追突事 故 ・1950年(昭和 25年)12 月 10 日 (臨)ラグビー運動場前駅をラグビー場前駅として営業再 開。 ・1953 年(昭和28年)4 月 1日 鵄邑駅を富雄駅に改称。 ・1956 年(昭和31年)12 月8日 上本町 - 布施間が複々線化され、大阪線と分離される。 ・1956 年(昭和 31 年)12 月 21 日 特急(料金無料)運転開始、所要時間 30 分。停車駅:上本 町・鶴橋・大和西大寺・近鉄奈良 ・1961 年(昭和36年)9 月 21日 上本町 - 瓢箪山間で大型車両運転開始。 ・1964年(昭和39年)7月23日 生駒トンネルが新トンネルに切り替えられ、上本町 - 生駒 間で大型車両運転開始。石切 - 生駒間の孔舎衛坂駅廃止。 ・1964 年(昭和39年)10 月1日 新向谷トンネル完成により大型車両全線運転開始。 ・1967 年(昭和42年)9 月 1日 ラグビー場前駅を通年営業とし東花園駅に改称。 ・1967 年(昭和42年)9 月 29日 八戸ノ里車庫が東花園車庫へ移転。 ・1967 年(昭和42年)12 月4日 ATS使用開始。 ・1967 年(昭和42年)12 月15 日 東花園駅東方 - 瓢箪山駅西方間高架化完成。 ・1968 年(昭和43年)3 月 20日 東生駒駅開業。 ・1969 年(昭和44年)9 月 21日 架線電圧を600V から1500V に昇圧。 ・1969 年(昭和44年)9 月 26日 八戸ノ里駅東方 - 若江岩田駅西方間の高架化完成。 ・1969 年(昭和 44 年)12 月 9 日 併用軌道であった油阪 - 近畿日本奈良間が地下化。新大 宮駅開業。油阪駅廃止。 ・1970 年(昭和45年)3 月 1日 近畿日本奈良駅を近鉄奈良駅に改称。 ・1970 年(昭和45年)3 月 15日 難波線開通により近鉄難波駅乗り入れ開始。 ・1972 年(昭和47年)11 月7日 料金無料の特急を廃止し快速急行運転開始。 ・1973 年(昭和48年)9 月 21日 近鉄難波 - 近鉄奈良間に有料特急運転開始。 ・1977年(昭和52年)6月26日 布施駅西方 - 八戸ノ里駅東方間の高架化完成。これによ り、近鉄難波駅から八戸ノ里駅東方(大阪中央環状線)まで完全立体交差となる。 ・1980年(昭和55年)3月17日 大和西大寺 - 近鉄難波間で快速急行の一部と特急1本 で関西私鉄初の 10両編成運転を開始(奈良線全線で10両編成が運転可能になったのは 1988 年3 月18 日より)。
・1986 年(昭和61年)3 月 18日 急行の停車駅に石切駅を追加。 ・1992 年(平成 4年)12 月 20日 列車運行管理システム(KOSMOS)稼動開始。 ・1998 年(平成10年)4 月 1日 ご乗降確認システム(フェアシステムK)稼働開始。 ・2000 年(平成12 年)3 月 15日 シリーズ 21(3220系)営業運転開始。快速急行の停車駅に 新大宮駅を追加。同時に準急の大半を大和西大寺止まりに変更。 ・2003 年(平成15年)2 月 23日 八戸ノ里 - 瓢箪山間連続立体交差化事業起工。 ・2006 年(平成 18 年)3 月 21 日 準急停車駅に東花園駅を追加。また、昼間時間帯に区間準 急を新設。 ・2008 年(平成 20 年)5 月 20 日 阪神なんば線開業を前に阪神電鉄の電車(1000 系)が東花 園 - 大和西大寺間を試験走行。 ・ 2008 年 ( 平 成 20 年 ) 6 月 14 日 近 鉄 難 波 - 布 施 間 で 車 上 速 度 パ タ ー ン照 査 式 ATS(ATS-SP)の運用開始。 ・2009 年(平成 21 年)3 月 20 日 阪神なんば線の開業に合わせ、近鉄難波駅を大阪難波駅、 上本町駅を大阪上本町駅に改称、同線と直通運転開始予定。 すいません、年表が長くなってしまいました。