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(1)

日常のなかの名誉 -- トルコ・イスタンブルの事例

から (分析リポート)

著者

村上 薫

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

247

ページ

49-55

発行年

2016-04

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00002979

(2)

分析リポート

  中 東 に お け る 名 誉 と い う と き、 真っ先に思い浮かぶのは、性的な 不始末を犯した女性が夫や父、兄 弟など親族に殺害される名誉殺人 かもしれない。トルコでナームス と呼ばれる名誉もまた、マスメデ ィアや国内外の人権団体、フェミ ニストによってしばしば名誉殺人 と の 関 連 で と り あ げ ら れ て き た。 だが名誉はつねに陰惨な暴力事件 に結びつくわけではなく、人びと の社会的アイデンティティや経済 生活と密接に関わっている。さら に名誉の解釈は時代や階層によっ て多様でもある。本稿では最大都 市イスタンブルの郊外に暮らす地 方出身者の日常生活から、名誉殺 人とは別の名誉の世界の断片を切 り取ってみたい。

  ト ル コ 語 の ナ ー ム ス( namus ) は、狭義には親族の女性のセクシ ュアリティの保護/管理を通じて 維持される個人や集団(家族・親 族、村落共同体、民族など)の名 誉をさす。ある女性のナームスは、 彼女の家族や親族全体のナームス でもあることになる。これにたい し広義のナームスは、正直さ、人 の道にかなっていることやそのこ とによって尊敬されること、自尊 心などを含む。ナームスを守るこ とはしばしばイスラムの教えとし て語られるが、その起源はイスラ ム以前にさかのぼる。ナームスに 類似した概念は、地中海沿岸から 中東、南アジアにかけての地域を 中心に、広く観察される。   オスマン帝国の崩壊を経て一九 二三年に成立したトルコ共和国で は、イスラム的封建的社会秩序を 打破するために女性の地位改革の 必要性が唱えられ、女性はスカー フをはずし、学校教育を受け、社 会 に 進 出 す る こ と が 奨 励 さ れ た。 またスイス民法を模範とする世俗 的民法の制定(一九二六年)を通 じて、一夫多妻が禁止され、女性 からの離婚の申し出が可能になる など家族関係の近代化がはかられ た。 同 じ 年 に 制 定 さ れ た 刑 法 が、 二〇〇四年に改正されるまで、名 誉殺人を減刑の対象とし続けたこ とに象徴されるように、国家はナ ームスの概念を支持し維持する役 割も果たしてきた。だがトルコ社 会においては、一連の改革を経て、 ナームスは基本的には近代化にな じみにくい、伝統的で宗教的な価 値観として位置づけられてきたと いえよう。   そのナームスは、一九九〇年代 半ば以降、女性への暴力との関係 で世論の注目を集めるようになる。 きっかけは、高校や学生寮で素行 に問題があるとして病院で処女検 査を受けるよう強要された女子高 校生が、屈辱的な検査を拒否して 自殺する、あるいは素行を疑われ たことを家族の恥であるとして父 親や兄弟の手で殺される事件が相 次いだことにあった。その後、二 〇〇〇年代に女性への暴力を人権 問題とする認識が国際的に高まり、 中東や南アジアの名誉殺人が注目 を集めると、トルコでも名誉殺人 が社会問題化した。だが、名誉殺 人が国内外の人権団体やフェミニ ス ト か ら 厳 し く 批 判 さ れ る 一 方、 名誉殺人の背景にあるナームスの 概念が正面から議論されることは ほとんどないように思われる。

  筆者が二〇〇六年から調査を行 ってきたS区は、トルコの最大都 市イスタンブルのはずれに位置す る。一九八〇年代終わりに全国各 地からの急激な人口流入により成 長し、市内でもっとも教育水準や 所得水準が低く、選挙では常に親 イスラム政党が勝利する宗教的に 保守的な地域として知られる。二 〇〇〇年の人口センサスによれば、 二五歳以上の人口のうち小学校修 了未満は、イスタンブル市全体で

名誉

事例

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一 三・ 八 % に た い し S 区 は 二 一・ 七%、六歳以上の女性の非識字率 は、 イ ス タ ン ブ ル 市 全 体 で 一 〇・ 五%にたいしS区は二〇・〇%で あった。男性は、日雇いの建設労 働者や荷運び人夫などインフォー マルセクターの仕事に就くものが 多い。   S区の人びとのあいだでは、女 性は結婚するまでは主に父親によ って、結婚後は夫によってナーム スを守られるべきだと考えられて いる。つまり、女性は結婚するま では父親のナームスであり、結婚 後は夫のナームスになる。父親や 夫だけでなく、兄弟やおじ、従兄 弟、結婚後は夫の親族や、女性親 族もまた、彼女の行動に干渉する。 女性は貞淑な女性として自ら行動 を律するとともに、親族、とくに 男性親族のいいつけを守り、従順 に振る舞うことが求められる。   男性もまた、ナームスの秩序を 守るため、さまざまな規則に沿っ て行動するよう求められる。彼ら は親族女性の行動を監督するとと もに、親族以外の女性とは距離を 置かなければならない。他人の妻 を凝視することは、彼女だけでな くその夫のナームスを傷つける行 為であり、暴力沙汰に発展しかね ない。子どもたちは、女の子であ れば兄のいうことに口答えせず従 うよう躾られ、男の子は姉や妹を 守るよう躾られる。   テレビドラマなどの影響で若者 を中心に恋愛結婚志向は強まって おり、たとえ見合結婚でも親では なく本人が結婚相手を決めるべき だという結婚観は親世代の間でも 広く共有されている。とはいって も、娘に異性と交際することを許 す 親 は ま だ 少 数 派 の よ う で あ る。 女性は結婚前に性的関係をもつこ とを厳しく禁じられ、結婚後に夫 以外の男性と性的関係をもつこと も許されない。仮に関係をもった 場合は、相手の男性よりも、女性 の身持ちの悪さが厳しく責められ る。   離婚のハードルは高い。これは 夫や夫方の親族にとって、いった ん自分たちのナームスとなった女 性が離婚後であっても他の男性と 性的な関係をもつことは、受け入 れがたいという感覚があるからで ある。離婚した女性は、ふたたび 実家の親族(父親や兄弟)のナー ムスとなり、彼らの監督下に置か れる。   寡婦は離死別を問わず実家に引 き取られるか、独立した世帯で子 どもと暮らす。寡婦は性的な経験 が あ り 性 的 な 欲 求 を も つ た め に、 男性につけいれられやすく性的に 危うい存在とみられて、厳しく監 視される。   S区の女性の日常生活は、ナー ムスを守るためにどのような服装 を す べ き か、 誰 と 社 交 す べ き か、 どこまでなら女性一人で出かけら れるかなど、さまざまな規則や制 限のもとにおかれている。   家庭によって許容度はさまざま だが、ほぼ共通していえることと して、親族以外の男性と二人きり になることは避けるべきとされる。 女性の服装は、外出時には全身を すっぽり覆うコートを着用するも のから、頭部だけスカーフで覆う もの、スカーフを着用しないもの まで多様だが、スカーフを着用し ない女性であっても肌が大きく露 出する服装は避ける。   一般化は難しいが、結婚して子 どものいる女性が、バスに乗って 親族を訪問したり病院や役所に出 向くときは、夫や夫の両親(近く に住むか同じ建物に住むことが多 い)などから許可を得るか、帰宅 してから報告することが多いよう である。近所の雑貨店や青空市場 の買い物や、子どもの学校への毎 日の送迎には許可はいらない。   女 性 の 就 労 は 制 限 さ れ て い る。 女性は家庭にいるべきだという日 本でも馴染みのある性別分業の考 え方がトルコでも根強いことに加 え、働きに出れば親族以外の男性 と接触せざるをえないからである。 高学歴化(最近になって義務教育 は高校まで延長された)と現金需 要の増大とともに、近くの縫製工 場などに働きに出る独身女性は増 えている。だが結婚後は夫が働き に出ることを許可せず、家庭に入 ることが多い。   およその傾向として、クルド系 を多く含む東部出身者や、イスタ ンブルに移住してからの年数が浅 いほど管理は厳しい。また独身の 若い女性はもっとも厳しい管理の 市の補助付きパンの売店に並ぶ女性たち

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日常のなかの名誉―トルコ・イスタンブルの事例から― もとにおかれる。   実際には、規則がすべて守られ ているわけではなく、若い女性が 親の目を盗んで恋人と会うことな ど は よ く あ る こ と で あ る。 だ が、 規 則 を 破 っ た こ と が 露 見 す れ ば、 彼女は家族から制裁を受け、さら に厳しく行動を制限されたり、と きには暴力をふるわれる。S区で は凶悪犯罪は少なく、名誉殺人は ほとんど起きないといわれる。し か し 少 な か ら ぬ 女 性 は 夫 や 父 親、 兄などから殴打など身体的暴力を 日常的にふるわれており、それは しばしばナームスを理由とする。   ところで人びとの行動を律する 価値としてこれほど重視されるナ ームスだが、日常会話でナームス という言葉が使われることはあま りない。たとえばある女性の振る 舞いについて話すのにナームスと いう言葉を口にすれば、ナームス が 問 題 に な っ て い る こ と に な り、 それだけで彼女のナームスは傷つ きかねないからである。会話のな か で ナ ー ム ス を 話 題 に す る な ら、 具体的な名前を出すことは控えら れ る。 ナ ー ム ス が 傷 つ く こ と が 「(当該女性の)名前が出る」と表 現されることを示すように、ナー ムスは、不適当とされる振る舞い に及んだ場合だけでなく、そうし た振る舞いをしたと噂されるだけ で傷つきかねない。

  では、ナームスの保護を理由に 日常生活で行動を制限されること を、女性自身はどのように受け止 めているのだろうか。実はこれは 人によっても、また場面によって も異なり、一様ではない。夫の嫉 妬深さを窮屈だとこぼす女性もい れば、習慣化し束縛と感じない女 性や、さらには次のインジのよう にむしろ望ましいことと受け止め る女性もいるからである。   インジ(仮名。以下で紹介す る人の名前もすべて仮名)は二 人の子どもと日雇い建設労働者 の夫と暮らす三〇代(最初のイ ンタビュー時の年齢)の女性で ある。まだ村にいたころ、夫と 駆け落ちした。彼女は区の中心 部にある病院(ミニバスで一〇 分程度)など少し離れた場所に 出かけるときは必ず夫に付き添 ってもらう。これは夫が嫉妬す るからというより、読み書きが できないこともあって彼女自身 が一人で出かけるのは怖いと感 じているからだった。夫は、イ スタンブルの「もっと進んだ地 区」でも働いた経験があるので、 「 自 分 は 開 明 的 で 嫉 妬 な ど し な い」というが、彼女にとって夫 に嫉妬され行動を制限されるこ とはむしろ好ましいことだった。   「 嫉 妬 す る の は、 相 手 を 守 る ということです。家族にたいし て献身的ということです。嫉妬 しないのは、たとえば戸口の外 で通りがかりの人と話していて も、 何 も い わ な い と い う こ と。 焼きもち焼きなら、こういうこ とは受け入れられません。夫は、 よそ者だけでなく、村の人とも 私が話すのをいやがります。守 るというのはそういうことです。 嫉妬しなければ、その家にはみ んなやってきて、ほら、あそこ の亭主は焼きもちを焼かないと い う。 何 を さ れ て も い い の だ、 関 心 を も た な い の だ と 」。 彼 女 に よ れ ば、 誇 り あ る 男 性 な ら、 家族に恥ずかしい思いをさせな い。家族を守らない男性は無責 任だ。女性は夫に守られるべき で、自由に生きるのはだめだと いう。   インジにとって、夫から嫉妬さ れて行動を制限されることは、妻 と し て 守 ら れ 大 切 に さ れ て い る、 自分は夫のものであるという実感 につながっている。それに夫が嫉 妬しなければ、親族や周りの人々 から、夫からどうでもよいと思わ れている妻だと思われて、妻とし ての面目を失い、恥ずかしい思い をしなければならない。つまり彼 女にとって嫉妬されることは、夫 の妻であるという社会的アイデン ティティに関わる。妻という社会 的地位を確実にしたいのなら、 「自 由に生きるのはだめ」なのである。   ナームスの保護が社会的アイデ ンティティに関わるのは、夫婦の あ い だ に 限 ら な い。 あ る 寡 婦 は、 「 ナ ー ム ス は 自 分 で も 守 れ る が、 誰 か に 守 っ て も ら う ほ う が い い。 夫方の親族からも父方の親族から も 守 ら れ た い。 そ う す れ ば 幸 せ。 守られている、気遣われていると 感じて、嬉しいから」と語った。   インジやこの寡婦の言葉は、セ クシュアリティに干渉され、ナー ムスを守られることが、誰かに守 られているという安心感や誰かの 妻であり娘であるという帰属感に 通じていることを示している。た しかに彼女たちのような女性ばか りでなく、あれこれいわれること

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を抑圧としか感じられない女性も 少なからずいる。だがそうした個 人 差 を 含 み つ つ、 「 ナ ー ム ス を 守 る」とは、男性による女性にたい する支配を含んだ保護の関係とい えるだろう。

  ナームスの保護には、経済的側 面もある。   サビハ(三〇代女性)は、嫉 妬深く怒りっぽい夫が、子ども たちに無関心なうえ、彼女が働 きに出ることも許さず、国の貧 困世帯支援制度の申請にも協力 的でないことに腹を立てていた。   「 夫 は 階 段 清 掃 の 仕 事 に 行 っ てもいいかと聞いても反対しま す。腹が空いたからといって死 ぬほどではないだろうと、何も なければマカロニ(安価な食事 を指している)を食べればいい というのです」 。   「 夫 は 私 た ち を 守 っ て い る と は い え ま せ ん。 精 神 的 な ( manevi ) こ と だ け 気 に し て 経 済 的 な( maddi ) こ と を 気 に し ないなら正常じゃない。精神的 なことだけでなく経済的なこと も同じくらい気にかけるべきで す。お腹が空いているときに食 べ物を持ってきてくれないのな ら、私の存在は彼には関係ない ということです」 。   サ ビ ハ が 述 べ た「 物 心 両 面 ( maddi manevi ) で 守 る 」 も ま た、 ナームスを守ることを言外に含ん だ 表 現 で あ る。 Maddi と は「 物 質 的、 物 理 的 」、 manevi は そ の 対 義語で「精神的、心理的」の意で あ り、 「 精 神 的 に 守 る 」( manevi korumak ) は 配 慮 や 気 遣 い、 励 ま し、ナームスを守るため慎み深い 行動を命じることなど、幅広い意 味が含まれる。サビハはここでは、 ナームスを守るために行動を制限 するという意味で使っている。サ ビハにとって、妻子の扶養は夫の 責任であり、夫がその責任を放棄 しながら、彼女に嫉妬して働きに 出さないのは、 「正常ではない」 。   サビハの語りの背景には、調査 地に暮らす多くの女性は夫や親族 に経済的に依存せざるを得ないと いう事情がある。失業の増加と雇 用の不安定化により、夫ひとりの 収入に依存する生活はますます困 難になりつつある。そもそもイス タンブルのような都会では現金が な け れ ば 何 も 手 に 入 ら な い。 「 村 では牛乳を飲んで、ヨーグルトを 作っていた。村では青い野菜も肉 もほしいと思わなかった。肉は月 に一度だったし、果物を食べよう とも思わなかった。お金を使わな かった。私たちは羊飼いだったか ら村でも貧乏だった。でも粉でパ ンをつくって食べていた。ここで は干からびたパンすら口に入らな い。村でも貧しかったけれど、こ こでは働くかそうでなければ飢え る。お金を払わなければ何も手に 入らない」 (三〇代女性) のである。   そのためサビハのように、失業 中 の 夫 に か わ っ て 働 き に 出 た い、 あるいは副収入を得て家計を助け たいと考える妻は少なくない。だ がサビハの夫に限らず、S区の男 性は職場や通勤途中で親族以外の 男性と接触することを嫌って、ま た一家の大黒柱としての面子を保 つために、妻や娘が家の外に働き に出ることに反対しがちである。   経済的扶養とナームスの関係は、 夫婦のあいだに限られない。   ひとり娘と暮らす四〇代の寡 婦ヌライは、交通事故の後遺症 で働くことができなくなり、親 子は娘が得るわずかな収入と夫 の遺族年金で生活している。 「弟 はお金に困っていないか、と私 に聞くことはありません。私か らは彼にはいえません。私がい かに家賃の支払いに苦労してい るか、年金でやりくりしている か、彼のほうで気づくべきなの に。私のほうからいえば、きょ うだいである意味がありません。 私はとても孤独です。弟が電話 してくるときは、誰とつきあっ ているか、週末に誰と会ったか しか聞きません。弟は私を管理 す る け れ ど、 私 を( 経 済 的 に ) 支えてはくれないのです。こん なの公正じゃありません。もし 弟が私のナームスを気にするな ら、私を支えなければいけませ ん。もし支えないなら、私に出 かけるなとかいう権利はないの です。 もし金持ちの男性から (経 済的に)支えると申し出を受け たら、彼がたとえ結婚している 男性であっても、私は拒否しな いでしょう。だって弟は支えて くれないのですから」 。   女性のセクシュアリティはつね に男性の脅威にさらされていると いう考えのもとでは、女性は夫や 親族男性に経済的に依存せざるを えない。そこでは、女性のナーム

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日常のなかの名誉―トルコ・イスタンブルの事例から― スを守ることは、彼女がほかの誰 にも経済的に依存しなくてすむよ うに保障することを意味する。仮 に彼女が困窮して身内以外の男性 を頼れば、彼女は見返りに性的関 係を求められると考えるからであ る。ある女性のナームスを守ると いうとき、そこにはしばしば経済 的な保護と支配、たとえば扶養す ることによる身体の保護、就労の 制限を通じた労働力の支配なども 含まれるのである。

  しかしこうしたナームスの考え 方には、変化も起きている。以下 では二組の夫婦の例を紹介しよう。   エズギ(三〇代)は、夫方の 親族と同じ建物に三人の子ども と住んでいる。内装職人の夫は 徴兵を逃れるために市中心部の 繁華街に住んでおり、エズギた ちへの送金は久しく途絶えてい る。夫はエズギたちが住む家を 彼女に黙って抵当に入れて多額 の借金をしたが、返済できなか った。家を差し押さえられそう になったエズギは、夫の親族に 支援を頼んだが断られてしまっ た。反発した彼女は、もう親族 の い う こ と は き か な い と い う。 最近パンタロンをはきはじめた ことを義姉たちに注意されたが、 「 ス カ ー フ で は 彼 ら に 合 わ せ て いるけれど、パンタロンをはく のは認めさせた。私が困ってい る と き に 経 済 的 に( maddi ) 守 らないなら、 精神的に ( manevi ) 私 を 守 る 権 利 は な い 」 と い う。 パンタロンは腰の形が出るため、 保守的な人びとは女性が身に着 けることを嫌がる。エズギは独 身時代にスカーフをかぶってい なかったが、結婚後は夫方の親 族 に 合 わ せ て か ぶ り は じ め た。 しかしもう服装のことで文句を いわれてもいうことをきくつも りはないという。   夫方の親族から助けを得られ なかったエズギはその後、夫の 借金の返済と当座の生活費にあ てるお金をもらうため、夫を訪 ねることにした。筆者は彼女に 同行したが、調査地の他の人び ととは違って夫は、一見して外 国人とわかる筆者に興味を示さ ず、なぜ妻と知り合ったのかと も尋ねなかった。夫と話をつけ て別れたあと、彼女はがっかり し た 様 子 で こ う い っ た。 「 ほ ら ね。彼は私が今晩どこに泊まる のか、誰と会うのか全然気にし ていなかったでしょう。もう少 し嫉妬してくれたらいいのに」 。   サ ビ ハ が そ う で あ っ た よ う に、 エズギにとっても経済的に支援せ ずにナームスにだけ干渉するのは 不当なことに思えた。だが彼女は、 義理の姉たちの干渉は経済的な支 援がないかぎり受け入れがたいの にたいし、夫の干渉は、彼が扶養 責任をほとんど放棄しているにも かかわらず、むしろ歓迎している。 夫には誰に会うのか、どこに泊ま る の か と 関 心 を 持 っ て ほ し い し、 嫉妬してほしい。エズギにとって 夫の干渉や嫉妬は、夫が彼女を大 事に思っていること、彼女を愛し ていることの証であった。   エズギはまだ一〇代のころ、近 所に住む今の夫と恋仲になり、駆 け落ちして結ばれた。夫による束 縛を親族によるそれとは区別する エズギの感覚は、若い世代が恋愛 結婚に憧れ、愛情で結ばれた夫婦 が幅広い世代で理想化されるなか で生まれた新しい感覚といえるか もしれない。

  インジの夫の弟のメフメットは、 兄たちとイスタンブルに出稼ぎに 来ていた。筆者が彼と出会ったの は、彼が里帰りした村でアイシェ を見初め、イスタンブルに戻った あ と も 彼 女 と 電 話 で 交 際 を 重 ね、 婚約したところだった。   妻は家で夫に従うべきだという インジの話を横で聞いていたメフ メットは、次のように語り出した。   「 女 房 が カ フ ェ に 行 け ば、 俺 よ りもっと顔のいい男をみつけて恋 人 に な る。 そ ん な こ と に な れ ば、 俺の手は血に染まるだろう」 。   「 俺 た ち に は ナ ー ム ス と い う も のがある。金持ちは、女がほかの 男 と 話 せ ば 恋 愛 し て い る と い う。 新聞に誰と誰が恋愛関係とか書い てある、あれだ(タブロイド紙の 芸能人のゴシップ記事を指してい る )。 で も 俺 た ち 労 働 者 や 貧 困 層 は、同じことをすれば売春してい るという。俺たちは金持ちよりも ナームスを大事にする。でもこれ は 教 育 を 受 け る こ と で 変 化 す る。 女の友達というものが可能になる。 俺 が 党 と 関 わ っ て い な か っ た ら、 あんたと並んで歩いたりしなかっ た。俺たちにはそういう考えがあ るんだ」 。   メフメットはインタビューさせ てもらえる女性を探していた筆者

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を、一日かけて地域の知り合いに 紹介して回ってくれたが、これは 彼が当時、中道左派系の自由連帯 党( Ö D P )の活動に関わり、男 女は共に活動に参加し対等に議論 すべきことを学んだから可能にな ったことで、そうでなければ親族 以外の女性と――当時筆者は三〇 代終わりで彼とは一〇歳以上離れ ていたのだが――並んで歩くこと はありえなかったというのである。   その後二人は結婚し、インジた ち の 家 の 二 階 で 新 生 活 を 始 め た。 妻のアイシェは働きに出ることを 望んだが、メフメットはこれを許 可せず、家に居るよう言い渡した。 以下はアイシェの言い分である。   「 女 性 は 都 会 に く る と 服 装 が 変 わるし、話し方も変わります。モ ダンで時代にふさわしい服装をす るようになるのです。 でも私は (そ ばにいるメフメットを指して)こ の人のせいで変わることができま せん。ほかの人が私のことをみな い よ う に と、 服 は 彼 が 選 び ま す。 嫉妬するのです。私のことをムッ ラー(本来はイスラムの知識に通 じ た 人 へ の 尊 称 だ が、 「 狂 信 的 」 という意味で使っている)のよう に抑圧するのです。口では民主主 義だとかいうけれど、実はムッラ ーなのですよ!   スカーフをとっ てお化粧したいのに。私は村では もっとモダンに暮らしていました。 村の人は無知だと思われているけ れど、私は中学まで出たし」 。   「 村 で も お 洒 落 に 興 味 が あ っ た し、 身ぎれいにしていました。 (な のに今は、といいたげに)夫から プレゼントがほしい。今までもら ったことがありません。食卓を整 えてキャンドルを灯したい。ロマ ンチックにしたい。特別な日はお 祝いしたいのです。結婚記念日と か誕生日とかヴァレンタインデー とか。私のことを好きといってほ しいのに、それもいってくれなく て、 『 わ か っ て な い の か?』 と か いうのです。家族についてのテレ ビ番組をみていると、こういうの はどこの家でも同じらしい。私た ちだけではないようです。プレゼ ントを買ってほしいし、サプライ ズをしてほしい。女性なら誰だっ てそうしてほしいのに」 。   だがメフメットは、夫婦の間で 贈 り 物 を す る の は、 「 海 沿 い( ボ スポラス海峡を見下ろす高級住宅 地を指す)に住んでいる連中」だ けだという。アイシェは息子の一 歳の誕生日を祝いたいが、メフメ ッ ト は そ れ も 許 さ な い。 「 そ う い うことに慣れさせないためだ。俺 たちはそういうことはしない。イ スタンブルに来てもしている人は いない。そういうことは西洋から 伝わったことだ。村ではそういう ことをする人はいない。ここに来 てテレビをみて祝いたがるように なったのだ。俺たちが祝うのはバ イラム (イスラムの祝日) だけだ」 という。

  以上のメフメットとアイシェの エピソードからは、ナームスや恋 愛、結婚などにたいする夫婦や男 女の温度差が伝わってくる。   アイシェにとって、都会の男性 と結婚することは、狭い村社会か ら 自 由 に な り、 ス カ ー フ を と り、 お洒落をして出かけること、夫と 二人のイベントを楽しむような生 活を意味した。彼女にとって結婚 は恋愛の帰結であり、したがって 結婚はロマンチックなものでなけ ればならなかった。彼女にとって はナームスもおそらく愛情の問題 であっただろう。   一方、メフメットは、家で食事 をつくり夫を待つ妻を期待し、彼 女に目をつけるかもしれない他の 男たちに激しく嫉妬している。彼 にとってナームスは、男としての 体面により近い。結婚前の電話に よる交際は、妻子を守り従える夫、 一家の主になるという現実的な目 標に直結しており、恋人気分を楽 しむようなものではなかったかも しれない。   二人の温度差の背景には、村出 身の女性にとり都会の主婦が今で も強い憬れであることがある。村 の女性にとって都会で主婦になる ことは、重労働からの解放ととも に、豊かな消費生活や社会階層的 な上昇を意味する。そのような豊 かさは、結婚記念日やヴァレンタ インデーに贈り物をして祝うよう な、ロマンチックな夫婦関係を演 出する豊かさでもある。   また都会で主婦になれば、姑な ど年長女性の支配からも解放され る。インジ夫婦の家の二階で始め た新婚生活は結局、インジ夫婦を はじめ夫の親族からあれこれ干渉 され窮屈なものになったが、彼女 は村よりも自由な生活を期待して いたであろう。

  二 人 の エ ピ ソ ー ド か ら は ま た、 ナームスが階層的アイデンティテ

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日常のなかの名誉―トルコ・イスタンブルの事例から― ィ と 関 係 し て い る こ と も 伺 え る。 メフメットは、金持ちなら恋愛と いうところでも、自分たちにとっ ては売春同然だ、自分たちは金持 ちよりもナームスを大事にすると いう。メフメットがいう金持ちと は、海沿いの高級住宅地の住人を はじめとする人びとであり、夫婦 で贈り物をしたり子どもの誕生日 を祝う習慣をもち、メフメットの 目からみれば、いわば西洋かぶれ である。彼らは男女の関係も自由 で、 西洋風である。一方、 「俺たち」 は、トルコやイスラムの伝統に忠 実であり、バイラムを祝い、イス タンブルに来たからといって浮き 足だったりはしない。メフメット は、ナームスについて語りながら、 「 連 中 と は 違 う 俺 た ち 」 を 正 当 化 し、労働者、貧困者、あるいは村 の人間という階層的アイデンティ ティを再生産しているのである。   もっとも、 このように頑なに 「西 洋風」を忌み嫌うメフメットだが、 ナームスの考え方は教育を受ける ことで変化すると語っていること に注意したい。彼は、左派系の政 党活動を通じて民主主義や男女平 等などの思想に触れたことで、親 族ではない男女が友人や同志とな りうることを学び、それまでの見 方が変わったと述べている。トル コ社会では、学校教育は近代性を 象徴する。そうした教育――メフ メットにとっては、左派の政党活 動が学校であった――を受けるこ とで、伝統的慣習に縛られない社 交が可能だ、というのである。

  「ナームスがない奴だ」 。   S区で男性が相手をそう罵れば、 暴力沙汰に発展しかねない。ミド ルクラスの若者のあいだでは、今 やこうした言葉は重みを失い、 「他 人の妻をみる」ことがナームスを 傷つけるという感覚も失われてい る。だがS区の人びとのあいだで は今でもナームスは重い言葉であ る。ただし、ここまでみてきたよ うに、S区でもナームスは暴力に 結びつくだけではなく、さまざま な顔を持ち、変化も起きている。   変化のひとつは、経済的不安定 が増すなか、S区の人びとにとっ て扶養を通じたナームスの保護の しくみが困難になりつつあること である。サビハとヌライのように、 扶養されずに行動だけ制約される と嘆く女性は、今後ますます増え るかもしれない。もっとも、こう した状況で当惑しているのは、女 性以上に男性であるかもしれない。 男性にとって妻子を養えないこと は、ナームスの保護者としての面 目を失うことであり、大きなスト レスとなるからである。   また、ナームスを愛情の問題と 捉えるような感覚も生まれている。 ただし夫婦であっても必ずしも考 え方は一致しない。夫による妻の 行動への干渉を、妻は愛情の証と 受け止め、夫は自身の体面を守る ために必要なものと考えることは 珍しくない。メフメットがそうで あったように、夫にとってナーム スは、まだまだ愛情よりも世間体 や 面 子 の 問 題 と い う こ と だ ろ う。 なお、エズギの夫は妻への関心を 完全に失い、後に妻と離婚したが、 彼のようなケースはむしろ稀であ る。妻のほうがナームスを愛情と 関連づけがちなのは、年長者と男 性が強い権威をもつ社会では、愛 情で結ばれた夫婦関係は、若い男 女、とりわけ女性にとって、そう した権威からの自由を与えてくれ るからである。 ( む ら か み   か お る / ア ジ ア 経 済 研究所   中東研究グループ) 《参考文献》 ① Sirman, Nükhet “Kinship, Poli -tics, and Love: Honour in Post-C olo nia l C on te xt s— T he C as e of Turkey, ” in Shahrzad Mojab and Nahla Abdo(eds.), Violence in the Name of Honour: Theo ︲ re tic al an d P oli tic al C ha lle ng ︲ es, Istanbul: Istanbul Bilgi Uni -versity Press, 2004. ② Ü stü nd ağ , N az an “T op lum sa llık , Şid de t ve K ad ın lık İ liş kis i Üzerine Bir Deneme, ” Amargi, 4, 2007. ③村上   薫「トルコの都市貧困女 性と結婚・扶養・愛情―ナーム ス(性的名誉)再考の手がかり として」 (『アジア経済』第五四 巻第三号、二〇一三年) 。 ④―――「イスタンブルの駆け落 ち事情」 (『アジ研ワールド・ト レンド』 No.226 、二〇一四年) 。 ⑤――― 「トルコの名誉殺人」 (『ア ジ 研 ワ ー ル ド・ ト レ ン ド 』 No.233 、二〇一五年) 。 ⑥ヨナル・アイシェ『名誉の殺人 ――母、姉妹、娘を手にかけた 男たち』安東建訳、朝日新聞出 版、二〇一三年。

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1 Library, Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (3-2-2 Wakaba Mihama-ku Chiba-shi, Chiba 261-8545). 情報管理 56(1), 043-048,

Basic Input-Output Table of Thailand, 1975, (IDE Statistical Data Series, No. 30), Tokyo: Institute of Developing Economies. OSCAS-NEC (Office of Statistical Coordination

発表者,題名,発表・発行掲載誌名,発表・発行年月 ○Shinji Tokunaga, Toshiyuki Araki: “Wallerian degeneration slow mouse neurons are protected against cell death

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