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現代中国の回族社会における屠畜の周縁化 動物供犠と殺生忌避の事例分析から

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Research Note

/研究ノート

澤井 充生

In the People’s Republic of China, the Chinese government has adopted affirmative action policies towards ethnic minority nationalities since 1949. Muslim

現代中国の回族社会における屠

畜の周縁化

動物供犠と殺生忌避の事例分析から

Marginalization of Slaughter among

Hui Muslim Communities in China

A Case Study of Animal Sacrifice and Avoidance of Killing

SAWAI Mitsuo

Ⅰ . はじめに Ⅱ . 研究の背景 Ⅲ . 調査地概要 Ⅳ . 犠牲祭の供犠 Ⅴ . 屠畜の伝統技法 Ⅵ . 罪深き屠畜専門家 Ⅶ . 屠畜業の社会主義改造 Ⅷ . おわりに

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minority nationalities generally enjoy certain privileges such as daily religious activities, pilgrimage, the Islamic Feasts, burial, halal slaughter especially in Muslim-majority areas of China. Although Muslim minorities had suffered from the political oppression mainly during the Cultural Revolution, halal slaughter has never been prohibited by the government.

Halal slaughter continues to be performed only by ritual specialists of mosques in Hui Muslim communities. Prior to 1949 and the founding of the PRC there used to be a ritual specialist called a “knife ākhund (Islamic scholar)” in mosques of Hui Muslims. The “knife ākhund” refers to a person who had a responsibility for the slaughter of animals according to the Islamic Law. His special status indicates that halal slaughter had been marginalized as a highly religious activity by ritual specialists in Hui Muslim communities.

In Huhehaote city of Inner Mongolia, the Hui locals know the story of the Prophet Ibrahim and his son Ismail and prepare for the sacrifice on the Feast of Sacrifice as the sunna of the Prophet. They carefully treat an animal as a sacred victim that is thought of as a being created by God. On the other hand, most locals are not willing to slaughter an animal for themselves, so that they always request an “ākhund” to slaughter the animal. In other words, those who bought an animal for the sacrifice are not able to play the role of the Prophet Ibrahim on the Feast of Sacrifice. The main reason for this is the local moral system that dictates the killing a being created by God means committing a gunāh (sin) in this world.

Furthermore, it must be noted that the socialist construction in 1950s and the Cultural Revolution from 1966 to 1976 had brought private slaughter industries under state control and prohibited religious activities in mosques. Because of this, most Hui locals lost an opportunity to observe slaughtering and to learn how to slaughter in daily life. As a result, except for Islamic reformists, only an Islamic scholar and his disciples slaughter an animal at most of mosques in Huhehaote city. This means that halal slaughter faces extreme marginalization in Hui Muslim communities.

Although a number of studies have been made on the ethnographic analysis of the Feast of Sacrifice (e.g., Ohtsuka 1989, Combs-Schilling 1989, Bowen 1993, Hammoudi 1993, Fujimoto 2011), little attention has been given to the techniques, logics, and changes of the slaughter. In this paper, I examine the marginalization of slaughter by focusing on its traditional techniques, the positionality of ritual specialists, and the socialization of slaughter industries in Hui Muslim Communities.

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I. はじめに

1949年の中華人民共和国の成立後、中国共産党・政府は少数民族に対して優遇政策 を導入し、イスラームを信仰する少数民族(1)に対しては日々の宗教活動、マッカ巡礼、 イードの開催、土葬、ハラール食品の生産などを幅広く容認してきた。もっとも宗教活 動が1950年代後半から1970年代後半にかけて中国共産党の政治運動によって翻弄さ れたことはあったが、ハラール屠畜が禁止されることはなかった。 本稿では、屠畜が回族社会(2)のなかで維持されてきた一方、周縁化されてきたこと に注目したい。調査地(内モンゴル自治区フフホト市)では、犠牲祭にしろ、日常の屠 畜にしろ、清真寺(マスジド)の一般信徒(3)は殺生を忌避するため屠畜を自分自身で行 おうとはせず、宗教指導層に屠畜を依頼する。歴史を紐解けば、清真寺には1958年頃 までは屠畜専門家が配置され、屠畜代行は専門家しか担当できない慣行として実践さ れてきた。つまり、屠畜は殺生忌避の観念に結びつけられて周縁化されてきたのである。 そのほか、近年、回族の屠畜をとりまく状況は変わりつつある。例えば、調査地 では2016年までは犠牲祭の供犠は清真寺の敷地内やその周囲で実施できていたが、 2017年、中国共産党・政府によって禁止され、清真寺から遠く離れた精肉加工会社で しか実施できないことになった。つまり、供犠は公権力によって回族の生活圏から切 り離されてしまったのである。ただし、屠畜の不可視化は突然発生したことではなく、 実は、1950年代の社会主義改造の時代に始まっており、党国家の介入は必ずしも目新 しいことではない。 このような回族社会の状況をふまえ、本稿では、屠畜の周縁化という現象を、屠畜 の伝統技法、屠畜専門家の立場、屠畜業の社会主義改造という三つの側面から検討する。 以下、2016年に調査地で参与観察した犠牲祭を手掛かりとし、まず、屠畜の伝統技法 がどのように実践されているのか、次に、屠畜がどのような土着の論理によって周縁 化されてきた/いるのか、さらに、屠畜業が社会主義改造によってどのように変容し たのかを記述し、最後に、回族の屠畜が現代中国の政治・社会変動との相互作用のな かで不可視化しつつあることを論じる。

II. 研究の背景

屠畜に関わる先行研究の動向(4)を簡単に整理しておきたい。近年、人類学では動物 の殺生が人間と動物の相互交渉という視点から議論されている[奥野 2011; 奥野・シ ンジルト 2016]。動物殺しは供犠研究や生業研究で長らく扱われてきたが、表象研

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究や生業研究(または経済研究)に回収されてしまう傾向があった[シンジルト 2016a: 3-4]。それを乗り越えるため、奥野やシンジルトは動物殺しという実践それ自体を生 活世界と関連付けながら緻密に議論し、彼らの論集ではヨーロッパ社会におけるユダ ヤ教やイスラームの屠畜とクセノフォビア[花渕 2016]、コモロ諸島における牛と人間 の駆け引きにもとづく情動的関係[花渕 2011]、オイラト社会における家畜に優しい 屠畜方法が肉の味を最高にするという土着の論理[シンジルト 2016b]などが報告され ている。 ムスリム社会の屠畜に関しては犠牲祭を中心とした文献研究やフィールドワークが 実施されてきた。犠牲祭の起源および供犠の方法については堀内勝がアラビア語文献 をもとに詳細に解説している[堀内 2007]。大塚和夫は宗教学者M・エリアーデの議 論を参照し、イードを預言者の「祖型」として捉え、犠牲祭の意味を預言者イブラーヒー ムの伝承と関連付けながら詳細に論じた[大塚 1989: 40-41]。大塚はイスラームの年 中行事の分析に「祖型」という視点を取り込んだことが画期的な試みであった。 犠牲祭を取り上げた個別の民族誌的調査は欧米の研究者を中心に行われている。例 えば、インドネシアを調査したJ・ボーエンによれば、アチェー北西の村落では犠牲獣 は復活の日に死者の乗り物となり、供犠が生者・死者の強固な紐帯を生み出す。それ ゆえ、犠牲祭で社会的な関心を集めるのはケンドゥリという饗応儀礼で、饗応が生者・ 死者に報奨をもたらすとされ、盛大に実施される。犠牲祭はインドネシアの土着の饗 応儀礼のなかに組み込まれており、村民同士の相互行為とコミュニケーションを活性化 させる行事として実践されている[Bowen 1993]。 モロッコを調査したA・ハムーディーによれば、マラケシュのベルベル人村落では犠 牲祭の集団礼拝、説教(訓戒)、供犠が男女分業のもとで厳粛に実施された後、未婚男 性の仮装パレードが開催される。未婚男性は供犠獣の毛皮を身に纏い、仮面を被って 練り歩き、非日常的な世界を演出する。つまり、イスラームに由来しない仮装が犠牲 祭とともにイスラームの行事として実践されている[Hammoudi 1993]。同じくモロッ コで犠牲祭を調査したE・コームズシリングによれば、国王が犠牲祭の日に子羊を供 犠し、その様子がテレビで実況中継される。国王は預言者ムハンマドの末裔であり、 供犠の演出は王権の正統性を再認させる装置となっている。国王の供犠を視聴した民 衆は男性が中心となって供犠を執り行う。犠牲獣の大きさは家父長制の権威と男性の 繁殖力を示すため、男性が購入する家畜のサイズが重視されるという[Combs-Schilling 1989]。 カザフスタンの犠牲祭を調査した藤本透子によれば、カザフ人社会では供犠の方法 や朗誦する聖句の正確さが村民の間で議論の的になる一方、死者供養や祖先との系譜 関係が強く意識される[藤本 2011]。犠牲祭における系譜関係の意識化、死者祈念儀

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礼の盛大な実施は、ソ連崩壊後、中央アジア遊牧民社会に生起した宗教復興・民族文 化復興を示す新しい兆候だといえるだろう。 近年、ハラール認証のグローバル化にともない、屠畜に焦点をあわせた研究も散見 される。社会学者F・バーガード・ブラックレルは欧州におけるハラール屠畜を外国人 排斥問題と関連づけて議論し、欧州諸国において儀礼的屠畜に対する規制が強化され るなか、ムスリム移民が示す文化的適応(例えばスタンガンの導入)を詳細に論じた [Bergraud-Blackler 2007]。 回族研究では、経済自由化政策導入後の家畜仲買業、皮革業、ハラール食品生産な どが学位論文を中心に取り上げられているが、屠畜に特化した民族誌的な調査はほと んど実施されていない。回族の屠畜に関する記録資料としては、日本人が1949年以前 に中国で観察・記録したものしか残されていないが(例えば川村[1928]、小林[1940]、 仁井田[1951])、資料的価値は高い。 ここまでみたように、ムスリム社会の屠畜に関しては、犠牲祭の起源や過程、犠牲 祭の祝祭化、供犠と王権との象徴的関係、ハラール食品生産の変容などが調査されて おり、それぞれの特性が明らかにされている。しかし、その一方、屠畜それ自体を照 射したもの、例えば、屠畜の伝統技法、屠畜従事者の役割・立場、屠畜業に対する国 家統制などが包括的に議論されているとはいいがたい。本稿では、回族の民族誌的資 料をもとに屠畜の周縁化という現象の意味を仔細に検討する。

III. 調査地概要

まず、調査地の概況を整理する。内モンゴル自治区は中国北部に位置する省レベル の民族自治地方で、首府はフフホト市である(地図1)。内モンゴル自治区の総人口は 2625万人、行政区分上、9地級市(フフホト市、オルドス市、烏海市、バヤンノール 市、包頭市、ウラーンチャブ市、赤峰市、通遼市、フルンボイル市)、3盟(アラシャン 盟、シリーンゴル盟、ヒンガン盟)から構成される。内モンゴル自治区の主要な民族 は漢族(1965万687人)、モンゴル族(422万6093人)、その他の少数民族(82万9541人) と報告されている。少数民族の人口は全体の20パーセントを占める(5)。一方、フフホ ト市の人口はおよそ305万人で、行政区分上、4市轄区(回民区、玉泉区、新城区、賽 罕区)、4県(清水河県、武川県、托克托県、和林格爾県)、1旗(土黙特左旗)から構成 される。2010年の統計資料によれば、主要な民族は漢族、モンゴル族、回族、満族で (少数民族は13パーセント弱)、回族の人口は少ないが、その大多数が回民区に集住する。 回民区の回族人口はおよそ2万2020人である[馬文成 2012: 6]。

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フフホトは16世紀にモンゴル人アルタン・ハーンが建設し、明朝との交易で栄えたが、 満洲人が支配した後、フフホトに「綏遠城」と「帰化城」が建設され、「帰綏」と呼ばれ るようになった。モンゴルは駱駝、馬、驢馬、牛、羊など数多くの家畜を中国の西北 や内地(西北以外の地域)に対して供給しており、清朝期以降、「帰綏」は家畜交易の中 継地として西北、内地、モンゴルを繋ぐ交易で栄え、「駝城」(ラクダの都市)と呼ばれ ていた。中華人民共和国の成立後、1954年に「帰綏」は内モンゴル自治区の首府フフ ホト市となった。 現在、フフホト市には清真大寺、清真東寺、新城寺、清真東北寺、清真南寺、清真西寺、 清真北寺、清真西北寺、団結寺、清真小寺、祥和寺の11の清真寺が存在する。フフホ ト市に暮らす回族の祖先は最も早い時期には清朝康熙年間に主に華北地方から移住し、 1693年、帰化城の北門外に清真大寺を建設し、その周囲に集住した。その後、回民の 移住者が増加し、いくつもの清真寺を建立し、集住地区を形成した[政治協商会議呼 和浩特市回民区委員会・『呼和浩特回族史』編輯委員会 1994]。中華人民共和国の成立 以前、帰化城の北門外に集住した回民には駱駝運送業、家畜販売業、家畜仲買業、屠 畜業、精肉販売業、飲食業などに従事する者が多かった(6) 地図1 中国内モンゴル自治区フフホト市の位置 (出所)Google Mapをもとに筆者作成。

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中国イスラームについて簡単に説明しておくと、大部分がスンナ派のハナフィー法 学派に属すが、伝播時期・地域によっていくつもの「教派」が形成されている。主な「教 派」の内訳は、伝統派のカディーム派、スーフィー教団(ジャフリーヤ派、フフィーヤ派、 カーディリーヤ派、クブラウィーヤ派)、改革派のイフワーン派、サラフィーヤ派となる。 伝統派やスーフィー教団はアラビア語やペルシア語の宗教書を多用し、土着の慣習・ 儀礼も積極的に受容するのに対し、改革派は批判的な立場をとる。現在、フフホト市 には、カディーム派の清真大寺、清真東寺、新城寺、清真東北寺、清真南寺、清真西寺、 清真西北寺、団結寺、祥和寺、カディーム改革派(実質的には改革派)の清真小寺、イ フワーン派の清真北寺があり、大多数の清真寺は伝統派に従う(地図2)。 地図2 調査地の清真寺分布図(2019年) (出所)Google Mapをもとに筆者作成。

IV. 犠牲祭の供犠

それでは、2016年9月にフフホト市で観察した犠牲祭の様子を描写していこう。清 真大寺では、数頭の大きな牛が紐で縛られ、50頭以上の羊や山羊が敷地内の柵の中に 放たれていた。供犠を行う一般信徒たちは家畜を事前に購入し、犠牲祭の数日前には 清真大寺へ運び込んでいた。家畜の主な産地は、牛がフフホト市郊外、羊が内モンゴ ルのフフホト市武川県、ウラーンチャブ市四子王旗、包頭市ダルハン・モーミンガン連 合旗(百霊廟)、シリーンゴル盟東烏珠穆泌旗、同盟アパカ旗などである。毎年、犠牲 祭の時期には家畜の価格は上昇し、最低価格で牛が1万元、羊が500元ほどである(7)

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犠牲祭では牛は七人、羊は一人で購入する(世帯主の男性が購入する)。清真大寺の管 理責任者(60代後半)によれば、2016年の犠牲祭では清真大寺では10数頭の牛、200 頭前後の羊が購入されていた(8) 犠牲獣の条件にはいくつかの決まりがあり、どのような家畜でも構わないというわ けではない。フフホト市では、牛、羊、山羊が相応しい家畜だと考えられている(9) 犠牲獣は年齢も考慮され、牛が2歳以上、駱駝が5歳以上、羊が生後半年以上、山羊 が1歳以上と定められている。家畜の性別も重要で、犠牲獣は預言者の息子の代役と みなされているため、雌ではなく、雄でなければならない。また、健康状態も考慮す べき条件のひとつで、身体に欠損がある家畜、病弱な状態にある家畜は犠牲獣に選ん ではならない。清真大寺の一般信徒(60代後半)によれば、羊を購入するときには「黒頭、 白身子、黒蹄子、長角的」(頭部が黒く、体が白く、蹄が黒く、角が長い)などの特徴 が重視されるという(10)(写真1)。 犠牲祭当日、早朝の集団礼拝が終わると、家畜を買った信徒たちは供犠の準備にす ぐさま取りかかった。筆者はアリー氏(11)(男性、元教員、60代後半、カディーム派)の 供犠を観察させてもらった。アリー氏は清真大寺に通う一般信徒で、集団礼拝の後、 自分の羊を清真大寺の裏手へ運び出し、屠畜の順番を待っていた。羊が逃げ回ると困 るため、アリー氏は弟とともに羊の足を紐で縛り始めた。羊や山羊の場合、三本足を まとめて縛る。 清真大寺では、「教長」(宗教指導者)のほか、その弟子(原則、清真大寺の寄宿学生だが、 元学生も含む)五、六人が屠畜を担当することが慣例となっている。一般信徒は供犠 写真1 供犠獣。頭部が黒い羊が好まれる(2016年撮影)

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を依頼する場合、教長やその弟子の誰かに声をかけ、順番を待つ。清真大寺はフフホ ト市で一般信徒の数が最も多く、毎年、犠牲獣が多いため、一時間近く待機すること は珍しくない。屠畜の順番が回ってくると、アリー氏と弟は羊を空きスペースへ移動し、 地面の上に寝かせた。そこへウスマーン氏(男性、元学生、40代後半)がナイフを右手 に握ったまま近づいてきた。ウスマーン氏は清真大寺にイスラーム諸学を学んだ元学生で、 毎年、犠牲祭の供犠を担当する。ウスマーン氏は手馴れた様子で羊の位置を確認する と、自分の体をキブラに向け、姿勢を正した。アリー氏と弟もウスマーン氏の横に並び、 自分たちの体をキブラへ向けた。 全員の準備が整うと、ウスマーン氏はドゥアー(12)をアラビア語で静かに念じ始めた (写真2)。ドゥアーの朗誦後、その場にいる全員が顔を両手で撫でる仕草を行った。こ れは供犠のための祈念である。その後、ウスマーン氏は羊の頭を左手で押さえ、羊の 顔をマッカの方向へゆっくりと向けた。さらに、左手で羊の両目を覆い、ナイフを羊 の喉元にそっとあてがった。「ビスミッラーヒ・アル=ラフマーニ・アル=ラヒーム。アッ ラーフ・アクバル」(慈悲深き慈愛あまねく神の御名において。神は偉大なり)。ウスマー ン氏はバスマラを唱えながらナイフを一気に動かし、目にもとまらぬ速さで喉元を切っ た(写真3)。ウスマーン氏は羊の喉元から血が流れ出る様子を静かに見届ける。羊の 首は羊が息絶えるまで切り落としてはならない。 写真2 供犠の前のドゥアー(2016年撮影)

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羊が息絶えると、ウスマーン氏はその場から立ち去り、他の羊が繋がれている場所 へ向かった。その後、アリー氏は家畜の解体担当者(男性)に声をかけ、羊の解体作業 にとりかかった。犠牲祭の日には家畜が多いため、いずれの清真寺もハラール精肉加 工会社に職員の派遣を依頼する。解体担当者は屠畜されたばかりの羊を仰向けに寝か し、毛皮を剥がし始めた。ナイフで羊の足首に切り込みを入れ、足首から毛皮を剥が していく。時折、切り込みから空気を吹き込み、毛皮を剥がしやすくなるよう工夫す る。足首の毛皮を剥がし終えると、ナイフで下腹部に切り込みを入れ、胴体の毛皮を 写真3 羊の供犠(2016年撮影) 写真4 羊の解体(2016年撮影)

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ゆっくりと剥がし始めた。内臓を傷つけないようにナイフを慎重に扱い、下腹部、胴 部、胸部から毛皮を剥がし、胴体を剥き出しにする。その後、内臓を胴体から取り出し、 鉄パイプで組み立てた吊り場に羊の足・脚を引っ掛け、逆さ吊りにし、水で洗い始め た(写真4)。特に胴体部分に汚物が残っていないかどうか念入りに観察しながら水を かける。こうした洗浄が終わると、解体作業は完了したことになる。

V. 屠畜の伝統技法

清真大寺の犠牲祭で印象深かったことは、屠畜従事者が「動物は人間と同じ被造物 であるから乱暴に扱ってはならない」と発言し、犠牲獣の取り扱いに関して注意をし ばしば喚起した場面である。これは屠畜従事者だけでなく、一般信徒によってもよく 指摘されることであり、珍しいことではない。以下、屠畜従事者が注意点として列挙 した伝統技法を紹介しておこう。 まず、(1)家畜を蹴り上げたり、鈍器で殴ったりしてはいけない。人間が動物を虐 待すると、最後の審判の後、火獄へ送られると信じられているからで、動物虐待が戒 められる。次に、(2)家畜が逃げ回らないように足を縛る場合、三本足をまとめて縛 らないといけない。回族は数字に関しては偶数より奇数を優先するが、四本足を縛る と家畜に過剰な負荷をかけてしまうからである。(3)刃物を研ぐときは家畜の両目を 覆い隠さねばならない。これは家畜に恐怖心を与えないためである。(4)家畜の頭を 南に向け、顔を西へ向けなければならない。犠牲獣を神に捧げるときにキブラを常に 意識する必要があるからである。(5)屠畜では鋭利な刃物を使って家畜の頚動静脈・気管・ 食道を一気に切断しなければならない(13)。これは家畜に必要以上の苦痛を感じさせな いための配慮である。また、刃物を使う時には人差し指を真っ直ぐ伸ばし、刃物の峰 に乗せなければならない。この持ち方は屠畜が神の名のもとでの行為であることを確 認するための技法である。(6)屠畜従事者は沐浴を予め済ませなければならない。こ れは供犠のニイヤを確認し、身体の汚れを洗い流し、心身ともに清浄な状態に保つた めである。(7)屠畜の後、犠牲獣の骨は土の中に埋めねばならない。供犠獣は人間の 代役を務めるため、人間の遺体を土葬するのと同様、その骨も丁寧に処理すべきだと 考えられているからである。 もっともこれらの注意事項をどこまで実践するのかには個人差がみられるが、犠牲 祭だけでなく、普段の屠畜でも動物に対する配慮が強調される。例えば、フフホト市 では教長や一般信徒たちが次のように発言する場面に立ち会うことが多かった。「イスラー ムの世界観ではインサーン(人間)もハヤワーン(動物)もアッラーから見れば泥土から

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創り出した同じ被造物なのだから、インサーン(人間)はハヤワーン(動物)に対して敬 意を払わねばならない(14)」。動物が人間と同じ神の被造物であるという認識はクルアー ンやハディースの記述によっても確認できることであり、彼らの発言に根拠がまったく ないわけではない(15) 実際、フフホト市では、イスラームの実践に自覚的な信徒は動物への配慮を善行と みなし、犠牲祭にかぎらず、普段の生活でも注意深く行動しようとする。例えば、屠 畜の妥当性をめぐって清真寺の古老たち(男性)が熱心に議論する様子を目撃したこと がある。フフホト市には市政府認定のハラール精肉加工会社(兼屠畜場)があるのだが、 ある会社では真夜中に家畜が屠畜されている(16)。このことを聞いた古老たちは驚きの 表情を見せ、「動物も人間と同様、夜中には寝るのだから、真夜中の屠畜は行っては ならない」「動物も人間と同じ被造物だから、眠りにつく夜中に命を奪ってはならない」 と口々に言い、精肉加工会社の屠畜のやり方を批判したのである(17)。屠畜の適切な時 間帯についてクルアーンやハディースには具体的な記述はみられないが、古老たちが 家畜を夜間に屠畜することの「不適切さ」を非難したことから、動物に対する彼らなり の特別な配慮を読み取ることができる。

VI. 罪深き屠畜専門家

清真大寺の犠牲祭で最も気になったのが屠畜代行である。屠畜の方法を知るのであ れば、たとえ一般信徒であっても屠畜しても構わないはずだが、カディーム派の清真 寺では教長やその弟子(宗教指導層)による屠畜しか合法的な屠畜として認知されてい ない(18)。モロッコやインドネシアの犠牲祭では家畜を購入した本人(主に男性)が供犠 を担当するが、回族社会(主にカディーム派)では一部の宗教指導層に屠畜を依頼する 慣行が根づいている。犠牲祭に参加する信徒たちは預言者イブラーヒームの故事にま つわる訓戒を聴き、預言者のスンナを追認することができるが、その一方、供犠を自 力で行わない時点でスンナを忠実に再演できていないことになる(19)。カディーム派の 一般信徒は供犠をスンナとして認識するにもかかわらず、なぜ屠畜代行を依頼するの だろうか。 その背景・原因を考えるにあたって、1949年以前の屠畜に関する記録を参照してお きたい。回族の屠畜については日本人研究者が1949年前後に詳細に報告している。例 えば、北京回民の同業者組合を調査した仁井田陞は次のように記録している。 従来は駱駝についても牛羊などと同じく、各々の家に屠宰師即ち老師傳(刀師付)

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を呼んできて、所定の方式に従いこれを屠殺した。たとえ回教徒と雖も、老師傳 の手によらず各人勝手に殺したときは、その肉は食用に供し得ないばかりか、何 にも使いものにならない[仁井田 1951: 273]。 仁井田によれば、日本軍が撤退する1945年以前、北京では「刀師傳」と呼ばれる者 が屠畜を担当し、他の信徒による屠畜は容認されていなかった。また、「師傳」(師匠) という名称・呼称から、「刀師傳」が周囲の信徒から尊敬される地位・役職として存在 したことがわかる。 仁井田のほか、トルコ研究者の小林元が1945年以前に中国華北・東北で回民社会を 視察し、屠畜の様子を具体的に記述している。 かれらは家畜を縄、その他を用ひて不動の横臥状態に導き、その顔面をメッカの 方角に向けて殺す。かれらは屠殺のさいにもキブラを忘れないのである。しかも、 この屠殺にあたつて回教の教役者の立ち會ひが要求されてゐる。といふのも、屠 畜はかやうな教役者が回教的心念の後に、「比司抿倆席頼黒按拉胡艾克白雷(憑主 的尊名起、主是至大的)」と口念しながら、その頚動脈を疱刀によつて裁断しなけ ればならないからである。この種の教役者は、しばしばアホンといふ通称をもつ て呼ばれてゐるが、かれはかならずしも回教寺院の教長ではない。かれは屠殺の ための教役者として、とくに牛羊公會また駱駝公會などによつて雇はれたもので ある場合が多い。いはば、かれは屠殺専門の職業教役者にあたる。[小林 1940: 220-221] 仁井田や小林が目撃した華北・東北の屠畜専門家は1949年以前、フフホトにも存在し、 「刀師傳」(下刀師傳)は「下刀阿訇」または「帯刀阿訇」と呼ばれ、清真寺に在籍し、屠 畜を担当していた。「阿訇」(āhōng)という名称はペルシア語のアーホンド(ākhund)に 由来し、イスラーム学者を指す尊称である。この語彙からわかるように、「下刀阿訇」(下 刀アホン)は単なる屠畜従事者なのではなく、一般信徒から敬意を払われる専門家であっ た。ただし、その反面、下刀アホンは両義的な存在でもあった。例えば、下刀アホン は他の宗教職能者と同様、正規のイスラーム教育を受けたことがあるにもかかわらず、 家畜を頻繁に屠畜していたため、グナーフ(gunāh)、すなわち罪が他の信徒より多い とみなされていた。それゆえ、下刀アホンは、例えば、集団礼拝のときには最後尾に 並ぶこと、アザーンを担当しないこと、冠婚葬祭などの行事でクルアーン朗誦を先導 しないことなどを暗黙のルールとして遵守しなければならなかった(20) 屠畜専門家の特殊性について北京市のイスラーム教経学院(宗教指導者養成機関)に

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勤務する回族(男性、教員、50代後半、カディーム派)が興味深い情報を提供してくれた。 この教員は北京出身だが、カディーム派の儀礼に詳しいイスラーム学者なので、彼の 説明を引用しておきたい。この教員がイスラーム学校の学生だった頃、「屠夫不是我的 教民」(屠畜人は我がウンマの民にあらず(21))という俗諺がハディースの一節として教 えられていたという(22)。この俗諺は中国イスラーム界に流通するハディースには記載 されておらず出典は不明だが、下刀アホンのような屠畜専門家が回族社会のなかで周 縁化されていたことを如実に物語っているといえる。こうした屠畜専門家については モロッコやインドネシアの民族誌では言及されていないが、南アジアには屠畜を生業 とするムスリムのカーストが存在し[Akbar 2017: 8-9]、屠畜従事者がマイノリティと して集団化している事例は散見される。 下刀アホンのような伝統的な屠畜専門家は1950年代以降に姿を消すことになる。な ぜなら、中国共産党が1958年に「宗教制度民主改革」を発動し、中国領内の宗教(道教、 仏教、キリスト教、イスラーム)の施設を標的とし、伝統的な社会経済制度(例えばワ クフ制度)、宗教職能者の人事異動、宗教活動(例えば宗教裁判)などに対して社会主 義改造を強行したからである。下刀アホンも例外ではなく、「封建迷信」として打倒・ 廃止されている(23)1978年の経済自由化政策の導入後、屠畜は清真寺に復帰した宗教 指導層(教長やその弟子)によって細々と担当されているが、彼らも下刀アホンと同様、 前述した暗黙のルールを遵守しており、現在も屠畜専門家が周縁化されていることに 変化はみられない。 一般に、ムスリム社会では殺生の罪が意識されることは珍しいはずだが、フフホト 市や北京では、清真寺の教長や一般信徒たちは「下刀アホンにはグナーフ(罪)が多い」 と異口同音に説明し、下刀アホンの特殊性を強調していた。罪の意識に関わることだが、 回族は屠畜を「殺」(shā)ではなく、「宰」(zǎi)という漢字で表現し、「殺」という表現 を忌避する。このような語彙は殺生の後ろめたさを解消するために考案されたのであ ろう。調査地では確証を得られなかったが、殺生を罪と関連付ける説明様式は回族が 仏教の殺生観を受容したことによって成立した可能性が高い。 ここで仏教の殺生観を説明しておくと、東アジアでは肉食の禁忌は中国仏教の伝来 とともに広められた。中国では仏教の五戒は儒教の五常と結び付けられ、不殺生戒は 仁に対応し、肉食は殺生に等しいと説かれた[桐原 2016: 82-84]。『大般涅槃経』、『梵 網経』などの仏典では不殺生戒が特に強調され、肉食は仏性の種子を断ずる大罪とみ なされている[道端 1966: 57]。日本では天武天皇の殺生禁断令(675年)によって狩猟・ 漁労に部分的に制限が加えられ[原田 2012: 264-265]、その後、不殺生戒が穢れ観念 と結びつき、殺生・肉食が排除されるようになった。こうした仏教の観念がどのよう に回族社会に浸透したのかは不明だが、回族の祖先がイスラームを中国社会に定着さ

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せる過程で儒教・仏教・道教の観念を部分的に吸収したことは事実であり、その一環 として、中国仏教の殺生観も取り込んだことは不思議なことではない。

VII. 屠畜業の社会主義改造

1. 家業としての屠畜業の消滅 ここまで屠畜専門家に言及したが、屠畜を生業とする業者の存在にも目配りする必 要がある。なぜなら、フフホトでは回族の屠畜を語る場合、清真東寺の周囲に集住し ていた屠畜業者を無視できないからである。1949年以前、フフホトには馬蓮灘という 地域(現在の新民街)が存在した。そこには回民の屠畜業者が数多く居住し、何軒もの 店舗を構えていた。現在もフフホト市には「馬蓮灘能宰能挂」(馬蓮灘では家畜を吊る して屠る)という言い回しがあるように、馬蓮灘は1949年以前まではハラール屠畜の 一大拠点であった。また、馬蓮灘には清真東寺が建立されており、大多数の屠畜業者 は清真東寺に所属し、屠畜業者が清真東寺を社会経済的に支えていた。 1949年以前、華北や内モンゴルでは屠畜業は毎年旧暦の中秋節から年末が繁忙期で あった。フフホトでは、回民の屠畜業者は馬蓮灘から西へ数百メートルほど離れた家 畜市場で牛や羊を購入し、それぞれの店舗へ運搬していた。屠畜業者は自分の所属す る清真東寺から下刀アホンを呼びよせ、家畜を屠畜してもらい、その後、自分たちで 家畜を解体し、精肉、内臓、骨、皮などを処理・販売していた。最盛期、馬蓮灘には 108軒の屠畜業者が存在したという[政治協商会議呼和浩特市回民区委員会・『呼和浩 特回族史』編輯委員会 1994: 135]。清真北寺の古老によれば、1949年頃、フフホトの 回民集住地域には72軒の屠畜業者が存在し、このうち漢人の屠畜業者は2軒しかおら ず[白慧中 2002: 229]、回民が牛や羊の屠畜業をほぼ独占していた。ちなみに、馬蓮 灘の屠畜業は回民が先祖代々営んできた家業であり、屠畜の技法や家畜の目利き能力 は家業のなかで培われ、祖父から父へ、父から子へと脈々と継承されていた。 しかし、1950年、中国共産党・政府は私営工商業に対する社会主義改造を提唱し、家畜、 毛皮、穀物などの一括管理を実施した。中国共産党・政府がその一環として導入した のが「公私合営」という政策である。「公私合営」は1949年以前から存在する私営企業 を国営化するための措置であった。フフホトの場合、1951年頃、「公私合営」の結果、 馬蓮灘に集住する屠畜業者は自営業を続けられなくなり、大多数が路頭に迷うことに なった。例えば、回族の牛羊肉業者は1950年の時点では281軒存在したが、1953年の 時点では124軒へと減少している[馬珍 2003: 36-39]。中国共産党・政府は救済措置 として屠畜業者の青年層、精肉販売業者、内臓処理業者などを国営の食品会社や百貨

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店などの新しい職場へ配属したが[白慧中 2002: 231-232]、馬蓮灘にあった屠畜業は 家業としては消滅し、伝統技法の継承は途絶えてしまった(24) 馬蓮灘の屠畜業者が社会主義改造によってどのような境遇に置かれたのかを具体例 を参照して確認しておきたい。父親が馬蓮灘で屠畜業を営んでいたユースフ氏(男性、 60代、元会社員、カディーム派)は「公私合営」について次のように説明する。 1955年、私の父親は「公私合営」の後、国営企業の食品会社に配属された。その当時、 国営企業の食品会社は市全体の精肉食品を扱う大型の会社であった。父親は食品 会社内にあった第一廠(回族専用屠場:筆者注)という新たな職場に配属され、幸い、 そこで屠畜業の技術や経験を活かすことができた。父親は1980年代に病気で退 職するまでずっと勤務した。自分の一族は馬蓮灘で先祖代々屠畜業を営んできた から、屠畜業で培われた父親の技術は非常に高く、家畜の目利きもなかなかのも ので、国営の食品会社では技術科という部署で家畜売買を長年担当していた(25) ユースフ氏の父親は屠畜業で培った技法を新しい勤務先で活かすことができたため、 ユースフ氏は「公私合営」に対して否定的な見解を述べることはなかったが、彼の証言 から屠畜業が家業としては存続できなくなったことがわかる。ユースフ氏は屠畜業を 営む家庭に生まれ育ったが、大学卒業後、屠畜業とは関係のない国営企業に就職して いる。このように、フフホトでは馬蓮灘はハラール屠畜の中心地だったが、家業とし ての屠畜業が「公私合営」によって実質的には衰退してしまったことは間違いない。ユー スフ氏は次のように説明する。 私が幼かった頃、普段、父は屠畜の様子を子どもたちには見せようとしなかった。 私自身は幼少期、屠畜の様子をほとんど目にしたことがない。1950年代後半頃、 私の父は「公私合営」の結果、国営の食品会社に配属されたため、屠畜のノウハ ウを父から教えてもらう機会はなかった。父は屠畜業の専門家だったが、私は屠 畜業とはまったく関係のない仕事に就いた。犠牲祭には毎年参加するが、私自身 は家畜を自力で屠畜することはできない(26) ユースフ氏の証言によれば、家業としての屠畜業が「公私合営」によって衰退したこ とがよくわかる。ただし、ひとつ注意点がある。屠畜業が国営化されたからといって、 屠畜の伝統技法が完全に消滅したわけではない。前述したように、現在、屠畜の伝統 技法は清真寺の教長やその弟子らを中心として細々と継承されている。

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2. 屠畜の不可視化 現在、屠畜の伝統技法は清真寺の宗教指導層を中心として細々と継承されていると はいえ、屠畜の不可視化が一層顕著になりつつある。つまり、近年、フフホト市では、 犠牲祭の供犠を怖がる回族(主に青少年)、屠畜の方法を一切知らない回族(主に青年・ 中年層)に出会う機会が多い。2016年の犠牲祭では、供犠の光景をあえて直視しなかっ たり、家畜から飛び散る血や獣臭に嫌悪感を示したりする回族の若者(20代)をよく みかけた。回族の若者が動物の供犠に対してある種の違和感(酷い場合には嫌悪感)を 抱くことには様々な理由が考えられるが、最大の理由は彼らが屠畜を見慣れていない ことであろう。また、その背景には屠畜という伝統的な営為が回族の生活圏から切り 離されたことがある。 実は、屠畜が回族社会のなかで身近な出来事でなくなったことは近年になって発生 した現象ではない。犠牲祭に登場したアリー氏(男性、60代後半、元教員、カディーム派) の体験談を紹介しておこう。 文化大革命が発生した後、フフホト市から農村へ「下放」(農村への移住・労働: 筆者注)されたことがある。ある日、普段は家畜を消費する機会はなかったのだ が、羊が配給される機会にめぐまれ、回族数名と羊を屠畜・解体することになった。 その時に初めて屠畜を行ったのだが、両手が震えるほど緊張した(27) アリー氏は1949年前後に生まれ、父親は駱駝運送業者で、駱駝のような家畜には見 慣れていたが、「下放」されるまで自力で屠畜を行った経験がなかった。文化大革命が 始まったのは1966年で、彼は10代後半の青年だった。ちょうどその頃、フフホト市で は清真寺の閉鎖・転用・破壊、屠畜業の「公私合営」などの社会主義改造がすでに完了 しており、犠牲祭を含む宗教活動は公の場で自由に実施できなくなっていた。清真寺 には下刀アホンはすでに存在せず、屠畜代行を依頼することもできない。このような 時代背景を考えれば、アリー氏の事例は、遅くとも1960年代以降、屠畜を直接観察し たり、公共の場で屠畜を行ったりする機会が減少し、屠畜が身近な出来事ではなくな りつつあったことを暗示していると考えられる。 屠畜の機会が減少した原因として、宗教政策のほか、毛沢東時代の計画経済や食料 不足などの影響も考慮しなければならない。馬蓮灘出身のユースフ氏(男性、60代後半、 カディーム派)の証言を引用し、当時の様子を確認しておきたい。 文化大革命が1976年に終わるまで、毎年の犠牲祭の時でさえ牛や羊などの家畜 を屠畜する余裕がなかった。文化大革命の時期には計画経済が実施されていたため、

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家畜の購入は困難を極めたからである。そのような状況下にあっても犠牲祭を祝い、 供犠を行いたい場合、一般的には犠牲獣として認められていない鶏をやむをえず 屠畜していた。このように、当時、牛や羊のような家畜を自由に屠畜する機会が 限られていた(28) 1949年から1976年までの時期は、中国共産党が様々な政治運動や社会改革を上意 下達で展開し、地域社会の仕組みを抜本的に改革した時期にあたる。フフホト市では 馬蓮灘の屠畜業者は「公私合営」の対象とされ、自営業を諦め、転業せざるをえなくなった。 結果、屠畜業者は回族の生活圏から消え去り、市郊外の国営企業が屠畜を統括するこ とになった。こうした国内情勢をふまえると、屠畜は1976年頃まで中国共産党・政府 によって一元管理されていたため、当時、屠畜は生活圏から完全に切り離されていた と考えても不自然なことではない。もっとも1950年代以降、民族の別なく、中国共産党・ 政府は社会主義改造の一環として私営の屠畜業者を国有化し、工場屠畜を推進したた め、屠畜の不可視化はハラール屠畜に限ったことではない。なお、現在も、精肉加工 会社は動物検疫、衛生管理、死骸処理などの理由から都市中心部には設置されていない。 ハラール精肉加工会社の話が登場したので、家畜解体担当者についても言及してお きたい。フフホト市では、近年、犠牲祭ではハラール精肉加工会社(例えば「蒙伊薩金 山食品有限公司(29)」「北亜清真肉食品有限責任公司(30)」のような回族経営企業)から職 員を派遣してもらい、犠牲獣の解体を依頼する。実は、こうした派遣社員は全員が回 族というわけではなく、漢族も数多く含まれている。それは、ハラール精肉加工会社 に勤務する回族が少ないため、漢族の従業員を雇用せざるをえないという業界事情を 反映しており、また、屠畜業が回族の若年層にとって魅力的な職業ではないことを意 味する。もっとも屠畜(放血式屠畜)は清真寺の宗教指導層が担当するため、漢族によ る家畜の解体作業がハラームとして非難されることはない。ただし、伝統的な慣習と して、回族は同じ回族の屠畜業者や精肉販売店からハラール肉を購入するため、漢族 によるハラール肉の加工・処理・販売に違和感を覚える者は少なからず存在する。 そのほか、近年の状況として、中国共産党・政府の規制強化にも目配りしなけれ ばならない。フフホト市では犠牲祭の供犠は清真寺とその周囲で実施できていたが、 2017年、市政府は公共の場での屠畜を禁止する通達を発表した。市政府の説明によれ ば、犠牲祭の供犠は市政府指定のハラール精肉加工会社でしか実施してはならず、そ の他の場所での供犠が完全に禁止されることになった。このような措置の主な理由は 「衛生上の問題への配慮」とされているが、理由はそれだけでなく、清真寺の周囲に暮 らす一部の非回族(主に漢族)から苦情が出されていたことも一因ではないかといわれ ている。その真相を確認することはできないが、フフホト市では1980年代初頭から犠

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牲祭を再開し、清真寺の周囲で供犠を毎年実施してきた経緯をふまえれば、党・行政 機関の指示は唐突な措置であり、回族住民の間で反対意見は根強い。なぜなら、行政 機関指定のハラール精肉加工会社は清真寺から遠く離れた郊外に位置し、移動手段の 確保が難しく(特に高齢者)、気軽に行くことができないからである。

VIII. おわりに

回族の人々は犠牲祭の供犠獣(主に羊)を預言者の息子の代役とみなし、家畜の取り 扱いには細心の注意を払う。犠牲祭にかぎらず、日常生活でも家畜は人間と同じ神の 被造物として大切に扱われる傾向にある。その一方、家畜(主に羊)は回族にとって身 近な食料のひとつで、普段から頻繁に消費される。ただし、カディーム派の清真寺で は殺生忌避の観念が根強いため、一般信徒は自分自身で屠畜しようとせず、一部の専 門家に屠畜代行を依頼する。このような慣行は殺生の罪を回避するための創意工夫だが、 それと同時に、屠畜を特別な専門職として精緻化させてきた。1958年の宗教制度民主 改革によって伝統的な屠畜専門家は廃止されたが、1978年以降は宗教指導層が屠畜代 行を担当している。現在、屠畜の伝統技法は宗教指導層しか継承しておらず、構造上、 屠畜の周縁化それ自体に変化はみられない。なお、屠畜従事者はたえず周縁化されて きたが、排除される存在ではない(31) 屠畜代行はカディーム派の清真寺で伝統的な慣行として踏襲されているが、イスラー ム改革に傾倒する清真寺(例えば清真小寺や清真北寺)では屠畜代行は提唱されておら ず、教長やその弟子だけでなく、一般信徒も屠畜の方法を学んでおり、個々の信徒が 屠畜を自分自身で行おうとする。なぜなら、屠畜を自分自身で行えば、神からの報奨 を数多く獲得できると解釈されているからである。もっともフフホト市にはカディー ム派が多いため、こうした現象は普遍化しているとはいえないが、屠畜の周縁化を打 破しようとする動きがあることに留意する必要はあるだろう。 最後に、屠畜をとりまく状況の最新の変化を紹介しておきたい。中国国内では、 2010年代以降、テュルク系ムスリムの武装勢力による無差別事件が多発したことが要 因のひとつとなり、2016年頃からイスラモフォビアが蔓延し、ムスリム少数民族の宗 教活動や優遇政策に対する誹謗中傷がインターネットを中心に発信されている。筆者 が北京市で見聞きした話では、2018年8月、清真寺が犠牲祭の写真撮影を控えるよう にという指示を初めて通達したのだが、その理由は清真寺関係者がネチズンによる犠 牲祭の写真の悪用を危惧したからである(32)。ちょうど同じ年、ある人物が北京市で盗 撮した犠牲祭の写真をインターネット上に故意に配信し、それが炎上したため、2018

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年下半期以降、北京市では清真寺の敷地内や路上での屠畜が禁止されることとなった(33) このように、欧米だけでなく、中国国内でも儀礼的屠畜が「残酷」「野蛮」といった否定 的な価値観を付与されつつあり、屠畜をとりまく状況には悪化の兆しがみられる。 (1) 現在、中国共産党・政府はイスラームを信仰する10の少数民族を公認している。総人口 は2300万人強。統計資料は全国人民代表大会のホームページに掲載された報告「我国的民 族政策及其法制保障」(2012年2月3日掲載)(http://www.npc.gov.cn/npc/zgrdzz/2012-02/03/ content_1687354.htm)(2018年11月14日閲覧)を参照した。 (2) 回族の祖先は外来ムスリムとそれと通婚した漢人の末裔とされており、母語を漢語とする。 中国のムスリム少数民族の中で人口が最も多く、2010年の国勢調査によれば、人口は1058 万6087人と報告されている[馬金偉・馬立娟 2016: 47]。 (3) 調査地では、清真寺の信徒集団は「教長」(宗教指導者)、「学員」(寄宿学生)、「清真寺民主管 理委員会」(管理責任者)、「郷佬」(一般信徒)から構成されている。 (4) 本稿では、供犠一般の研究動向については言及せず、ムスリム社会の犠牲祭や屠畜に関す る研究に限定する。 (5) この人口統計は国家統計局のホームページで確認した(http://www.stats.gov.cn/tjsj/tjgb/rkpcgb/ dfrkpcgb/201202/t20120228_30397.html)。 (6) 現在、回族の職業構成をみると、サービス業が42パーセント、製造業と運送業が19パーセント、 事務職が16パーセントを占める[馬文成 2012: 14]。 (7) 中国の通貨単位人民元は1元が約16円(2019年8月現在)。内モンゴル自治区の一人あたり のGDPは6万3896元(2017年)(北京市は12万9000元)、フフホト市の一人あたりのGDP は10万300元、可処分所得は4万3518元である(北京市の場合、可処分所得は5万7230元)。 中国都市部の平均月収は6000元から7000元ほどであるが、2016年の調査当時、回族の地 元住民はフフホト市の平均月収は5000元ほどだと説明していた。こうした情報から、犠牲 祭の時期、牛一頭が平均月収の2倍、羊一頭が平均月収の10分の1に相当し、羊が比較的購 入しやすい家畜だということがわかる。フフホト市の清真寺では牛より羊を購入する信徒 が圧倒的に多い。なお、中国政府のホームページでは最新の情報が掲載されていないため、 統計資料はみずほ銀行中国営業推進部の報告「内モンゴル自治区」(https://www.mizuhobank. co.jp/corporate/world/info/cndb/regions/pdf/R521-0187-XF-0104.pdf)、「北京市」(https://www. mizuhobank.co.jp/corporate/world/info/cndb/regions/pdf/R521-0187-XF-0104.pdf)を参照した (2018年11月13日閲覧)。 (8) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (9) インドネシアのアチェー北西の村落では、一般的には犠牲祭の供犠獣とはみなされない鶏や 鵞鳥なども供犠される[Bowen 1993: 274]。モロッコの犠牲祭では子羊が供犠獣として優先 される[Combs-Schilling 1989: 223-224]。 (10) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。

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(11) 本稿における情報提供者の人名は仮名とした。

(12) アラビア語のラテン文字転写は“Innī wajjahtu wajhiya lilladhī faṭara al-samawāti wa al-arḍa

ḥanīfan wa ma anā min al-mushrikīna. Inna ṣalatī wa nusukī wa maḥyāya wa mamātī lillāhi rabbi al-‘ālamīna. Lā sharīka lahu wa bi-dhālika umirtu wa anā min al-muslimīna, allahumma minka wa laka.”。日本語訳は以下のとおりである。「私は天と地を創られた方に私の顔を向けて、 純正に信仰する。私は多神教徒の仲間ではない。私の礼拝と奉仕、私の生と死は万有の主、アッ ラーのためである。彼に同位者はいない。このように命じられた私はムスリムの一員である。 主よ、(供犠は:筆者注)あなた様からもたらされたものであり、あなた様のためのもので もある」。 (13) 東南アジアや欧米のムスリム社会には気絶処理による屠畜が容認される事例も確認されて いるが、回族社会では、家畜が気絶した後に死ぬことを危惧し、気絶処理は導入されてい ない。 (14) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (15) 例えば、クルアーンの第16章[日本ムスリム協会 1982: 323-324]、ブハーリーのハディース[ブ ハーリー 2001: 177]に関連記述がみられる。 (16) 2017年8月、内モンゴル自治区フフホト市において回族の友人(男性、60代)がハラール精 肉加工会社職員に直接確認した。 (17) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (18) インドネシアのアチェー北西の村落における犠牲祭では供犠する者に特に条件や資格がなく、 男女の別なく、誰もが屠畜することができる[Bowen 1993: 276]。モロッコの犠牲祭では国 王が預言者の末裔として供犠を執り行うが、地域や世帯のレベルでも男性が供犠を担当し、 それが王制の権力と男性の生殖力を体現する[Combs-Schilling 1989: 221-230]。モロッコの ベルベル人の犠牲祭では、世帯主の男性が前日からサウムを遵守し、犠牲祭当日にグスル を行い、神との対面に備える[Hammoudi 1993: 50]。 (19) もっとも屠畜代行が禁止されているわけではない。カディーム派の法学書『偉嘎耶教法経解』 によれば、本人が供犠を行うことが最もよいとされているが、本人が供犠を適切に行えな い場合、屠畜代行は容認されている[賽生発 1993: 261]。 (20) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。

(21) この教員によれば、この俗諺はアラビア語表記では“al-qaṣṣāb laysa ummatī.”と綴られてい たという。 (22) 北京市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2018年8月21日)。 (23) 例えば、北京市では文化大革命の時期に下刀アホンの役職が「封建勢力の代表」として廃止 されている[彭年 1996: 301]。 (24) 内モンゴルでは私営企業は1956年にはほぼ消滅している[内蒙古巻編纂委員会 1991: 14]。 (25) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (26) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (27) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (28) フフホト市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2017年9月1日)。 (29) 2006年にフフホト市出身の回族が創業した私営企業である。同社は牛や羊の飼育および屠畜、

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牛羊肉の加工・販売で成功した。内モンゴルの武川県、通遼市に牧場を所有し、毎年、10 万頭の牛、20万頭の羊を屠畜している。 (30) 2001年にフフホト市出身の回族が始めた屠畜業を専門とする私営企業である。前身はフフ ホト市の国営企業である。 (31) 世界各地の屠畜を取材した作家内澤はエジプトに屠畜業・精肉販売業に対する職業差別が 存在すると報告しているが[内澤 2007: 71-73]、かりにそれが事実であるとすれば、屠畜業 や精肉販売業が差別の対象とならない回族の事例とは対照的である。 (32) 北京市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2018年8月17日)。 (33) 北京市在住の回族男性に対するインタヴュー調査(2019年3月10日)。 参考文献 <日本語文献> 内澤旬子 2007.『世界屠畜紀行』解放出版社. 大塚和夫 1989.『異文化としてのイスラーム──社会人類学的視点から』同文舘. 奥野克己 2011. 「序」奥野克己編著『人と動物、駆け引きの民族誌』はる書房 3-18. ───編著 2011.『人と動物、駆け引きの民族誌』はる書房. 川村狂堂 1928. 「屠宰の儀律」『回教』2 (1) 25-29. 桐原孝見 2016.「肉食は是か非か──梁・武帝の血食廃止によせて」『龍谷大学大学院文学研究科紀 要』38 82-97. 小林元 1940.『回回』博文館. シンジルト 2016a.「序──肉と命をつなぐために」シンジルト・奥野克己編『動物殺しの民族誌』昭 和堂 1-12. ───. 2016b.「優しさと美味しさ──オイラト社会における屠畜の民族誌」シンジルト・奥野克 己編『動物殺しの民族誌』昭和堂 327-360. シンジルト・奥野克己編 2016. 『動物殺しの民族誌』昭和堂. 仁井田陞 1951.『中国の社会とギルド』岩波書店. 日本ムスリム協会監修 1982. 『日亜対訳・注解聖クルアーン』日本ムスリム協会. 花渕馨也 2011.「牛を喰い、牛と遊び、妖怪牛にとり憑かれる」奥野克己編著『人と動物、駆け引き の民族誌』はる書房 169-204. ───. 2016.「儀礼的屠殺とクセノフォビア──残酷と排除の文化政治学」シンジルト・奥野克己 編『動物殺しの民族誌』昭和堂 15-56. 原田信男 2012.『なぜ生命は捧げられるか──日本の動物供犠』御茶の水書房. 藤本透子 2011.『よみがえる死者儀礼──現代カザフのイスラーム復興』風響社. ブハーリー 2001. 牧野信也訳『ハディースⅤ』中央公論新社. 堀内勝 2007. 「イスラムの犠牲祭と供犠獣」中村生雄・三浦佑之・赤坂憲雄編『狩猟と供犠の文化誌』 森話社 326-357. 道端良秀 1966. 「中国仏教と肉食禁止の問題」『大谷学報』46 (2) 49-62.

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<英語文献>

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Marginalization of Slaughter among Hui Muslim Communities in China: A Case Study of Animal Sacrifice and Avoidance of Killing

In the People’s Republic of China, Muslim minority nationalities generally enjoy certain privileges such as daily religious activities, pilgrimage, the Islamic Feasts, burial, halal slaughter since

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1949. Although Muslim minorities had suffered from the political oppression mainly during the Cultural Revolution, halal slaughter has never been prohibited by the government. Halal slaughter continues to be performed only by ritual specialists in Hui Muslim communities. Prior to 1949 there used to be a ritual specialist called a “knife ākhund” who was responsible for slaughter according to the Islamic law. Even now, while most Hui locals prepare for sacrifice on the Feast of Sacrifice, they never slaughter a victim for themselves because of the avoidance of killing animals. Thus, the slaughter has been marginalized as a highly professional practice in Hui Muslim communities. Furthermore, due to the socialization, most locals have lost an opportunity to slaughter an animal in daily life. Consequently, halal slaughter faces extreme marginalization in Hui Muslim communities. In this paper I examine the marginalization of slaughter by focusing on the techniques of slaughter, ritual specialists, and the socialization of slaughter industries.

Assistant Professor, Graduate School of Humanities, Tokyo Metropolitan University

参照

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