1. 課題の設定
本稿の目的は、 教育内在的な議論(1)を展開する 「教育における平等」 研究から脱却し、 教育と社会 との接続関係から 「教育における平等」 研究の新たな視角(2)を得ることにある。
我が国の教育学界における 「教育の平等」、 より具体的にいえば、 教育における能力主義をめぐる研 究は、 1995年に黒崎勲によって 現代日本の教育と能力主義 が刊行されて以来、 さして進展がない ように思われる。 上記著書を検討した長谷川裕も、 社会学や哲学の分野での能力主義の研究の進捗に 対し、 「教育こそを主要な対象領域に据え、 教育について立ち入った分析を行いつつ、 教育における能 力主義を原理的に考察する、 そのような議論は、 私には進展しているようには見えない」(3) と評価し ている。 この著書のなかで黒崎が一貫して追求したことは、 「諸個人の能力の差異 (自然的不平等)」
と 「社会的職業的分化と階層化 (社会的不平等)」 という2つの論点から教育制度の理論を構築すると いう点である(4)。 この論点は、 「教育における平等」 を規範のみならず、 制度として機能させるうえで 欠かすことのできない論点だと思われる。
しかしながら後述するように、 我が国の教育における平等と能力主義をめぐる議論は、 すでに黒崎 によって検討されてきたように、 上記2つの論点について必ずしも自覚的な議論を行っているとはい えない。 そのことのみならず黒崎の議論も、 論理整合性がとれていないのではないかと思わせるよう な議論も一部あり、 黒崎の議論にすべて依拠するわけにもいかない。 「教育における平等」 研究の新た な視角を得る本稿の目的はこうした点にある。
結論を先取りしていえば、 「教育における平等」 は、 教育そのものの規範から導かれるものではなく、
「教育における平等」 研究の視角
―教育内在論からの脱却を中心に―
Perspective for “equality of education” research
Focusing on the departure from the ideas inherent in education
福 島 賢 二
Kenji FUKUSHIMA
(1) 「教育内在的な議論」 とは、 教育領域における諸問題 (本稿であれば教育における能力主義) を教育の内側 (教 育領域) のみにおいて解決しようとするものである。 本稿では、 教育内在的な議論の問題解決を教育の外側 (社会領域) との接合において見出すことを意図している。
(2) 本稿で検討する 「新たな視角」 とは、 教育制度設計までを視野に入れた教育における平等研究の端緒的視点を 導くことに止まるものである。 本稿で得られた視角が、 どのように教育制度設計に結合するのか、 という点に ついては紙幅の限りもあるので他日に期すこととする。
(3) 長谷川裕 「教育における能力主義についての原理的考察に向けて−黒崎勲の能力主義論の検討を通じてその論 点設定を行う」 琉球大学教育学部紀要 68号、 2006年、 80頁.
(4) 黒崎勲 現代日本の教育と能力主義 岩波書店、 1995年、 71頁.
教育を社会との接続関係のなかでとらえてはじめて導かれるものと考える。
2. 「教育における教育」 研究をめぐる議論の展開と課題 (1) 「教育における平等」 研究をめぐる議論の展開
我が国の 「教育における平等」 をめぐる議論には、 ある特徴がある。 ここでは、 「教育における平等」
の議論を牽引したともいえる代表的議論を紹介しつつも、 それらの議論に通底していた特徴を浮かび 上がらせる。 そうすることによって、 既存の 「教育における平等」 研究の停滞の理由が、 その特徴に よるものであったことが明瞭化されるだろう。
「教育における平等」 研究は、 大きくは2つの論点から構成されている。 ひとつは、 「経済的不利の 解消」 に関わる平等研究。 いまひとつは、 「能力における不利の解消」 に関わる平等研究である。
まず、 経済的不利の解消に関わる研究は、 教育における平等の理念とされる教育の機会均等原則の 基本的性格を明らかにすることからはじまる。 思想史的にこの課題を究明したのが堀尾輝久である(5)。 堀尾によれば、 平等の理念として機能していた機会均等原則は、 産業革命を契機とする資本主義社会 の進捗にしたがい機能転換したという。 「資本主義のもとでは、 平等とは、 せいぜい機会の均等にすぎ ず、 かつまた…機会均等と結びついた公正原則も、 人間と社会の不平等を前提とし、 社会的諸価値の 不平等な配分の合理化の原則にすぎなかった」(6) として、 機会均等原則は、 「人間の生来的不平等と、
その才能の差異を前提とし、 そこから無媒介的 (直接的) に導きだされる競争と出世のイデオロ ギー」(7) となり、 「平等を形式的平等と矮小化し、 形式的平等即
ヽ
機会の平等 (均等) として、 従って、
むしろ実質的平等の対立物として、 競争の自由と実質的不平等の合理化の原理」(8) へと変貌した。
こうした堀尾の先行研究を引きながら教育の機会均等原則の役割を明瞭化したのが、 法哲学者の小 林直樹である。 「機会均等が、 そのまま単に形式的に適用される場合、 現実の不平等を合理化するイ デオロギーに堕しさることに注意しなければならない」(9) と警鐘を鳴らしつつ、 「とくに経済=社会的 配分の不平等が、 いわば構造的に存在する資本制社会においては単なる機会の均等の保障だけでは、
チャンスそのものの範囲もそれへの距離も、 人々によって大きく異なる」(10) という点を鑑みて、 「可能 かつ必要なのは、 すべての人間がそれぞれの環境の中で、 最大限の全面発達がなされるように、 不当 かつ非条理に作用する社会的条件を可能なかぎり是正することである」(11) と小林は述べた。
この小林の主張は、 その後、 法解釈によっても正当性が与えられる。 例えば憲法学者である成嶋隆 は、 (旧=1947年) 教育基本法3条1項が差別禁止事由として 「経済的地位」 を加えたのは、 憲法・教
(5) 堀尾輝久 現代教育の思想と構造 岩波書店、 1971年 (初出、 「 教育と平等 をめぐる問題 (上・下)」 思想 岩波書店、 1963年4・8月号).
(6) 同上書、 224頁.
(7) 同上書、 219頁.
(8) 同.
(9) 小林直樹 「教育における平等」 日本教育法学会編 講座教育法2 教育権と学習権 総合労働研究所、 1981年、
15頁.
(10) 同上論文、 16頁.
(11) 同上論文、 17頁.
育基本法の掲げる 「教育の平等」 原則が、 ≪外的条件の平等 (経済的不平等の除去−福島)>を当然に 含意しているからであると解釈する(12)。
以上のように教育の機会均等を焦点に究明されてきた 「教育における平等」 研究は、 ひとつに 「経 済的不利の解消」 に収斂しているといえる。
さて、 「教育における平等」 研究のいまひとつの論点として挙げられるのが、 能力発達における不利 の解消に関わる平等研究である。 この論点は、 (旧=1947年) 教育基本法3条1項の 「ひとしく」 と
「能力に応ずる」 という語句をどう解釈するのかということに収斂している。 従来 「能力に応ずる」 と は、 「教育を受けるに適するかどうかの能力に応ずるという意味であり、 経済的理由など能力以外の事 由による差別は許されないが、 教育を受けるに必要な能力によって差別されるのは当然である」(13) と いう解釈がなされてきた。 能力を先天的・遺伝的に決定されるという理解を前提にするこうした能力 観は、 「能力程度主義」(14) と呼ばれた。 そしてこの能力観は、 人間の能力は環境や支援によって変化可 能とする発達心理学や教育学の実践の成果によって、 その後、 「子どもの能力発達のしかたに応じてな るべく能力発達ができるような (能力発達上の必要に応じた) 教育を保障される」(15) という発達主義 的な解釈 (教育的な解釈=条理解釈) がなされていった。 こうした解釈は 「能力発達保障主義」(16) と 呼ばれるが、 この能力観は、 今日、 法学分野においても優位性をもった解釈として認められている。
ところで、 教育の機会均等原則と能力発達保障主義は、 同じ文脈のなかで語られることも多い。 こ れは、 教育機会が能力によって差別されてはならないという趣旨で、 能力に違いがあってもそれに応 じた教育機会が提供されるべきという議論であり、 それは障がい児教育において深められてきた。 渡 部昭男は、 教育法学における憲法26条及び (旧=1947年) 教育基本法3条の条理解釈が、 障がい児教 育における教育条件整備においては確実に平等に至っていると、 その成果を評価する。 そのうえで、
「 教育を受ける権利 を 機会の平等保障 =権利の形式的保障に留めず、 権利主体である個々人の 発達の必要に応じた教育の創造=権利の実質保障にまで昇華させようとの意図がそこにはある」(17) と いい、 機会均等概念に諸個人の 「教育要求権」 を含み込む解釈を渡部は提起する。 すなわち、 「発達=
right to development (概念) を 発達・発展・開発への権利 として全一的に構成 (し)、 個々人の
全面的な発達は、 それを可能にする社会的条件がなければ実質化しえないし、 個人の属する共同体の 発展や人類社会全体の進歩なくしてはありえない」(18) と、 これまで個人次元で議論されてきた 「発達」
概念を社会次元で議論すべきとするのだ。 渡部の機会均等論は、 「すべての子どもが能力発達のしかた
(12) 成嶋隆 「教育の機会均等と学校教育」 川合章・室井力編 教育基本法歴史と研究 新日本出版社、 1988年、 138- 139頁.
(13) 宮沢俊義 日本国憲法 日本評論社、 1962年、 268頁.
(14) 「能力程度主義」 という言いまわしについては、 以下の論考に倣っている。 広沢明 「教育の機会均等」 永井憲 一編 基本法コンメンタール 教育関係法 日本評論社、 1992年、 28頁.
(15) 兼子仁 教育法 新版 有斐閣、 1978年、 231頁.
(16) 広沢明 「教育の機会均等」 前掲論文、 28頁。
(17) 渡部昭男 「 教育の機会均等 原則の使命は終わったか」 教育科学研究会編 教育 国土社、 1997年3月、 36-37 頁. ちなみに渡部はその後、 上記論文を加筆修正している。 渡部昭男 「第3条 教育の機会均等」 教育科学研 究会編 いま、 なぜ教育基本法の改正か 国土社、 2003年.
(18) 同上論文、 37頁.
に応じてなるべく能力発達ができるような教育を保障される」 と条理解釈した兼子の 「能力発達」 概 念において、 個人と社会とを架橋する端緒的視点を切り拓いたという点で教育の機会均等解釈を発展 させている。
(2) 「教育における平等」 研究の課題
それでは、 こうした 「教育における平等」 研究は、 今日、 どのような評価がなされているのか。 上 記2つの論点を体系的に検討している黒崎勲の議論を縦糸として、 上記研究に共通する課題を浮かび 上がらせていこう。
まず黒崎が批判の遡上に挙げるのが堀尾輝久の議論である。 堀尾の機会均等原則に関わる分析につ いて黒崎は、 「堀尾の教育の機会均等原則に対する批判は、 この原則自体の意義を否定するものではな かった」 点に着目しつつ、 「新しい人間理解にもとづく、 新しい社会構成原理」 の究明によって、 この 原則を 「その文脈的位置づけの変化によって機能転換させる」 と堀尾が述べた点に対し、 そこでいう
「文脈的位置づけの変化による教育の機会均等の原則の機能転換とは、 いかなるものであるのか」 と問 う(19)。 そして黒崎は、 「教育の機会均等原則についての先駆的検討の結論は、 我々にとっては到達点と してではなく、 出発点として理解されるべきものである」(20) と堀尾を酷評する。 堀尾の議論に対する 黒崎の苛立ちは、 一言で言えば、 「新しい社会構成原理」 に関する言及がない状態において、 機会均等 原則を 「機能転換させる」 と主張することのリアリティのなさにある。 そしてそれは、 機会均等原則 の積極面から導かれる具体的な教育制度とは如何なるものか、 という問いについて堀尾が回答してい ないことへと収斂していく。 こうして黒崎は、 堀尾が機会均等原則の積極面として導き出した論点が、
すでに 「アメリカにおける教育制度理念をめぐる論争状況のなかでの主題」 とされていることを指摘 しながら、 その理念を制度として具体化した補償教育政策やそれと平行する教育の機会均等原則の再 検討が、 「我々に対してもちうる問題的意義は明らかであろう」 とアメリカの教育制度研究を高く評価 するのだ(21)。
次に黒崎が批判したのは、 教育の機会均等原則を哲学的に基礎付けた小林直樹である。 産業社会の 要請する一元的能力に規定された 「能力に開かれた成功 (the career open to merit)」 に代わる新た な原理として、 ホッフスタッター (A. Hofstadter) が提唱した 「人格に開かれた成功 (the career open
to personality)」 を小林は提唱した(22)。 しかし黒崎は、 こうした小林の議論に対して、 「非現実的ない
し空想的な議論である」(23) と喝破する。 その理由を黒崎は、 アメリカの社会学者であるデイヴィス
(K. Davis) とムーア (W. Moore) の能力主義の定義を参考に次のように述べる。 すなわち能力主義
理念を検討する場合、 社会構成原理から見出される前提条件である、 a.資源の穏やかな希少性と、 b.
(19) 黒崎勲 「教育の機会均等原則の再検討」 東京都立大学人文学部 人文学報 №171、 1984年、 2頁.
(20) 同上論文、 3頁.
(21) 同.
(22) 小林直樹 「教育における平等」 前掲論文、 20頁.
(23) 黒崎勲 教育行政学 岩波書店、 1999年、 139頁.
諸個人の利害の対立、 という条件を踏まえる必要があるが、 小林の議論はそうした条件に無自覚なも のとなっていると(24)。
さらに黒崎は、 「能力発達に応じた教育を保障する」 という議論を展開する教育法学者に対しても教 育制度に対する視点が忘却されているとして厳しい批判を行う。 例えば、 「子どもの既存の、 とりわけ 先天的な能力差などを基本的な前提にしたりすべきではない」(25) と主張する兼子仁の議論に対し、 黒 崎は、 この議論は 「一言で言えば、 教育制度の原理として 能力に応ずる教育 という原理を一切否 定するものである」(26) と指摘し、 「教育制度の理論を考えるならば、 諸個人の能力の差異と社会の階層 化の問題は、 教育の本質の名によって検討の視野からはずしてよいというものではなく、 むしろこれ こそ教育制度の理論の主要な構成要素として、 まさに検討しなければならないのである」(27) と喝破す る。
こうした批判の根底にある黒崎の問題意識は、 能力主義の理念とその教育政策を批判する側の主張 が、 能力主義に対して 「しばしば感情的なものとなり、 また、 特定の事例にのみ通用するような個別 的な批判に終わっ」(28) ているため、 「能力に格差づけられる制度の一切が平等主義に反するものとして 否定の対象にされた」(29) ことにある。
以上のように既存の議論への黒崎の批判は、 「制度」 という視角からという点で一貫している。 この 点からいえば既存の 「教育における平等」 論は、 能力発達の保障という教育的営みから 「教育におけ る平等」 のあるべき姿を措定した、 いわば規範論であったといえる。 したがって規範のみに立脚した 既存の 「教育における平等」 研究は、 黒崎流にいえば 「制度なき規範」 論であったと結論づけられる ことだろう。
3. 社会的規定としての教育
(1) 「制度なき規範」 論となった理由
それでは既存の 「教育における平等」 研究は、 なぜ 「制度なき規範」 論として展開してしまったの だろうか。 そこには能力主義をかわすための論理として教育を社会から分離することによって 「教育=
学校」 領域のみで子どもの能力の発達を保障しようとした意図が関係している。 ここではそうしたも のを能力主義批判の文脈から読み解いていく。
まず、 能力主義とは何か。 堀尾の説明によればそれは、 「教育の原理である以前に社会の原理であり…
それはメリトクラシーということばで表現され業績主義と訳されることもある」(30) 。 この能力主義を 我が国の文脈に即してみた場合、 それは 「教育制度を、 産業界の要求に応じて多様化して格差づけ、
(24) 同上書、 138-139頁.
(25) 兼子仁 「 国民の教育権 運動の論理」 世界 1974年1月、 238頁.
(26) 黒崎勲 現代日本の教育と能力主義 岩波書店、 1995年、 70頁.
(27) 同上書、 71頁.
(28) 同上書、 9頁.
(29) 同上書、 6頁.
(30) 堀尾輝久 現代日本の教育思想 青木書店、 1979年、 157頁.
学校を競争=選別の体制にくみかえることを軸とし、 その多様化して制度に人材・能力を 合理的 に配分する」(31) 原理といわれる。 こうした原理は、 すべての子どもの可能性を信じ、 その能力の全面 的発達を教育目標とした場合、 高い能力をもつもののみを優遇していくものだとして戦後の民主的な 教育学者からは批判されてきた。 例えば堀尾輝久は、 「人間には生まれつき能力差があるのだとして容 認することはできない」(32) という認識から、 「教育とは本来どうあるべきものなのか、 ひとりひとりの 発達と学習の権利を保障することを軸にして 能力に応じて という教育はどうあるべきかというこ とを考えるべき」(33) と次のような解釈をする。
能力の発現のおくれている子どもにたいしては、 まさにその子に必要な教育のてだてを十分にほどこすこと が発達を保障することですし、 それが能力に応じた教育、 発達に応じた教育になるわけです。 そういう意味で はハンディキャップを負っている者にはいっそう豊かな教育が保障されなければならない、 それが発達の必要 に応じた教育であり、 能力に応じての教育であるということになる(34)。
こうした堀尾の能力主義批判は、 子どもの発達を支援する 「教育=学校」 を、 産業界の要求に応じ た人材配分原理の下請けにしないための基本理念としての性格をもった。 結果、 能力主義批判の文脈 は産業界の要求とは分離した 「教育的価値の独自性」(35) という文脈のなかで継承されていくこととな る。
ここで教育における能力主義批判が体制に馴化されてしまったことを、 教育と社会との分離的把握 にあったと指摘するのが後藤道夫である。 後藤は 「能力主義批判が、 結局のところ教育の領域内部の 論理によってのみにおこなわれ、 社会的処遇原則としての能力主義・競争主義にたいする原則的な批 判と接合されていない」(36) ところにその問題を見出す。 後藤によればその問題は、 堀尾が 「国家権力 の強権的な教育への介入だけでなく、 60−70年代型社会に特有の、 労働者階級の教育要求それ自体の 馴化 をつうじた支配層のヘゲモニー確保にたいしても、 たたかいうる理論的可能性をもっていた」
にもかかわらず、 その可能性が 「半ば挫折した」 ことにあるという(37)。 堀尾は 「親、 子ども、 教師を 中心とする 国民 が、 資本主義経済と権力的な政治から独立して子どもの 発達 を保障するべき、
独自な領域として 教育 」(38) を想定していたが、 実際は 「親の意識、 教師の 常識 、 子どもの先入 観の全体をつうじても、 教育における能力主義は浸透してきた」 のであり、 その点でいえば 「労働者 階級が体制内化 (=馴化) されるという問題が堀尾氏にはほとんど扱われていな」 かった(39)。
(31) 同上書、 164頁.
(32) 同上書、 173頁.
(33) 同上書、 228頁.
(34) 同.
(35) 同上書、 182頁.
(36) 後藤道夫 「臨教審批判と国民の教育権論」 池谷壽夫・後藤道夫ほか著 競争の教育から共同の教育へ 青木書 店、 1988年、 224頁.
(37) 同上論文、 214頁.
(38) 同上論文、 210-211頁.
(39) 同上論文、 216頁.
つまり、 「国民の教育要求それじたいが 馴化 され、 能力主義競争を容認する構造が奥深く生じて いる、 あるいは生じつつある、 という把握は弱く、 要求じたいを批判的に分析し、 よりわける、 とい う課題が堀尾氏の枠組みからは理論的に出てきにくい構造になって」(40) いるというのである。
それはなぜか。 理由は、 社会と教育のつながり方の想定にある。 能力主義という文脈でいえば、 「教 育の領域における能力主義批判が、 産業を中心とする社会的原則としての能力主義を拒否ないし忌避 する志向や人間像を否定してなされるのではなく、 他領域の非教育的介入をふせぐ、 という方向で組 み立てられている」(41) 。 ゆえに、 能力主義による体制に馴化された親、 子ども、 教師の態度を保留と したままで、 事の問題を国家又は産業界のみに収斂させることによって構成された教育領域の自律性 を基軸とする能力主義批判は、 「現実的であるかのようにみえて、 その実、 リアリティを欠いてい た」(42) と後藤はいうのである。
(2) 「能力の全面発達」 論における社会の位置
確かに 「発達の必要に応じて」 という 「能力の全面発達」 論には、 社会的視点が欠けているという ことは教育学者からも指摘されてきた。 例えば牧柾名は、 「 発達の必要に応じて という事柄のなか には、 社会的要請 にこたえてという内容は含まれないのか」(43) と問いつつ、 「 発達の必要 という 言葉のうちには、 当然のことながら、 人間が類的存在として人格発達をとげていくことが含まれてい る」(44) とし、 教育における平等の問題は、 「労働生活においてみずからをどう実現するのかという問題 に帰着する」(45) と述べていた。
なるほどこの見解は、 確かに全面発達を追求するあまり、 社会制度に関わる条件を視野に入れず、
あたかも教育が社会と隔絶した真空状態のなかで展開していたことを示唆するものである。 その証拠 に、 学界の支配的見解に対し、 「実際問題として、 社会制度として教育が組織され…ているのに、 1人 ひとりの発達の必要に応ずるということは事実上不可能」 であり、 「 発達の必要 ということを、 一 定の条件のもとで−その改善ととりくむということを含んで−考えるほかはない」 と牧は語ってい た(46)。 この 「一定の条件」 が、 教育を社会との関係、 すなわち学校が階層の再生産機構になっている のを指していることは容易に理解できる。
「発達の必要に応じて」 という 「能力の全面発達」 論が、 社会的規定として教育をとらえ損なう難 点を抱えていることは理解できた。 しかし全面発達に関わる議論が、 なぜ、 学校による階層の再生産 構造を覆い隠す機能を果たすことになったのかは、 今少し説明がいる。 その説明はこうである。 教育 による能力主義は、 まさに堀尾が明らかにしたように、 産業界の要請を背景にした選抜原理であると
(40) 同上論文、 217頁.
(41) 同上論文、 225頁.
(42) 同上論文、 226頁.
(43) 牧柾名 教育権と教育の自由 新日本出版社、 1990年、 183頁.
(44) 同上書、 186頁.
(45) 同上書、 188頁.
(46) 同上書、 184頁.
いう点で極めて社会性を帯びた、 すなわち社会的規定によって生じているものであった。 社会的規定 によって能力主義が教育に浸透しているのであれば、 発達可能態である子どもを守るためには、 規定 要因そのものである社会から教育を切り離し、 社会的規定を受けない空間が必要であった。 ここで浮 上したアイデアが 「教育=学校」 次元によって子どもを囲い込み、 能力の全面発達を保障するという ものである。 この時点で教育と社会との関係は断絶する。 教育と社会との関係が断絶すれば、 当然に 社会的規定として顕現化する階層の再生産機構としての学校という視点は取り入れられることはない。
「教育=学校」 を基礎にした子どもの能力の全面発達という平等理念が、 階層の再生産機構としての学 校を覆い隠す機能を果たすという理由はここにある。
(3) 「発達保障」 論批判
発達可能態である子どもを能力主義の浸透から守るという全面発達の議論は、 結局、 能力主義をよ び込んでいるという教育の内側からも批判された。 「発達保障論」 批判がそれである。 障がい児も健常 児も発達過程においては共通した法則性をもつという根拠を明示することによって障がい児も健常児 同様の適切な教育条件整備が必要であることを示した 「発達保障」 論は、 人の誕生から青年期に至る 発達の過程を、 三つの段階をもった六つの階層を経ることによって成し遂げられるという前提のもの、
そうした過程が可逆操作を通じて共通に高次化していくという発達の法則性を導き出したものであ る(47)。
しかしながら、 発達の高次化過程の法則性という考え方に対しては、 様々な批判がなされてきた。
例えば篠原睦治は、 「子どもの存在が、 発達的存在としてしか捉えられていないから、 子どもは大人へ 向かう時間的系列の中へ (発達診断を回路として) 一元的に規定されることしか考えられない」 と、
発達保障論を 「 発達 至上主義的 人間 観」 だと批判する(48)。 また山下恒男も、 「個体 (個人) の 発達を問題にする場合と、 制度とか社会・文化のようなものを想定する場合の両方を含んでいる」 「発 達」 の意味は、 さしあたり、 「ある同一の意味内容において具現化された 発達 となり、 それ以外の ものにおいて現実化されたとき、 進歩 と呼ばれるのならば、 個人とそれ以外に対して期待されたも のは基本的には同一のものであり、 個人の発達と社会の進歩の段階を計量する物差しもまた同一でな ければならない」(49) 過程を経て、 最終的には生産性と効率性という近代制論理が 「発達」 を規定する と診断する(50)。
これらは、 能力主義の浸透から子どもを囲い込むという前提のなかで行われている教育的営み (=
発達保障的営み) そのものが、 能力主義をよび込んでいるという批判である。 この批判からも分かる ように、 能力主義の浸透をかわすために 「教育=学校」 という次元で子どもを囲い込んだとしても結 局、 能力主義は浸透してくる/いるのである。 ここから能力主義に対抗するには、 能力主義の浸透の
(47) 田中昌人 人間発達の科学 青木書店、 1980年、 第Ⅱ部・第1−第3章参照.
(48) 篠原睦治 「障害児の教育権」 思想批判 現代書館、 1986年、 106−107頁.
(49) 山下恒男 (新装版) 反発達論−抑圧の人間学からの解放 現代書館、 1986年、 18頁.
(50) 同上書、 40頁。
防止ではなく、 能力主義の生成源を機能転換させることが必要なことが見出される。
4. 「教育における平等」 の視角 (1) 黒崎勲の議論の難点
ところで黒崎の議論を 「教育における平等」 研究に即して検討した場合、 その議論に難点はないの であろうか。 ないとすれば黒崎の議論に依拠していれば、 教育における平等研究の新たな視座は切り 拓けるはずである。 しかし黒崎の議論にも、 難点が存在する。
端的に言えば黒崎の議論は、 古典的な選抜原理としての能力主義を教育において徹底させるととも に、 多様な能力に応じた 「教育制度 (=学校制度)」 を構築することを通じて、 多様な能力発達の支援 を、 多様な能力を承認する教育機関で行っていくというものである。 黒崎の議論は、 最終的に能力主 義に回帰していくものであるが、 市場によって序列化された能力を一旦相対化するという経過を辿っ ているところに彼の議論の新しさがある。 そのことは、 次の言葉に凝縮されている。
能力の差異が市場能力という形態で序列化されていることの不当性を批判することは正当であり、 重要なこ とではあるが、 それによってこの能力の差異の問題それ自身を回避するわけにはいかない(51)。 能力主義批判の 課題は…能力を市場能力として機能させる社会的分化の枠組みを原理的に転換させることに及ぶものであり、
学校制度の問題に即していえば、 教育の成果を意味する個人の具体的能力についての自己認識を、 相互に孤立 した私的生活のそれから社会的性質のそれへと転換させるところにある(52)。
ここで黒崎は 「能力を市場能力として機能させる社会的分化の枠組みを原理的に転換させる」 ある いは 「教育の成果を意味する個人の具体的能力についての自己認識を、 相互に孤立した私的生活のこ れから社会的性質のそれへと転換させる」 と語っているが、 黒崎の議論は、 これに耐えうるものとなっ ているのか。 答えは否である。
もしこの問いに耐えうる議論をするならば、 市場に価値づけられた能力とは異なる能力を見出し、
その能力が社会的分化にどのような影響を及ぼすのかという点にまで言及する必要がある。 しかし黒 崎の議論はそうはなっていない。 むしろ市場に価値づけられた能力という点に黒崎の議論は収斂して いる。 黒崎の議論の流れを、 大づかみに追ってみよう。
まず黒崎は、 戦後教育学において能力主義理念は、 「 能力と適性に応ずる教育 と 発達の必要に 応ずる教育 という二つの原則が、 今日の教育理論を二分している」(53) 状況にあったととらえる。 特 に 「教育政策の動向を批判的に論じる側の理論的主張は、 一貫して能力主義と多様化政策を差別的、
選別的教育理念として否定し、 共通教育と教育の平等化を要求するもの」(54) であり、 その主張が能力
(51) 黒崎勲 「学校制度の分化と能力に応ずる教育」 岩波講座 子どもの発達と教育7 岩波書店、 1979年、 191頁.
(52) 同上論文、 192頁.
(53) 黒崎勲 現代日本の教育と能力主義 前掲書、 6頁.
(54) 同.
主義に対して 「しばしば感情的なものとなり、 また、 特定の事例にのみ通用するような個別的な批判 に終わったりしている」(55) ため、 「能力に格差づけられる制度の一切が平等主義に反するものとして否 定の対象にされた」(56) と診断する。 そして能力主義批判の議論を、 社会制度における前提条件 (a.資 源の穏やかな希少性であり、 b.諸個人の利害の対立) という観点から検討し(57)、 それらの議論を 「能 力主義理念の戯画化」(58) として喝破する。 こうした日本の現状とは裏腹に 「能力に恵まれた者が 自 らの生来の資質に対する権利 を基本的自由の一つとして完全に保護され、 (そのルール) にしたがっ て得ることのできるものは当然に得る権利がある 」(59)と語った米国の政治哲学者ロールズ (J. Rawls) の議論を、 社会的不平等を補償原理によって補填する制度へと結合するものと評価する。 そして能力 主義批判の制度化として構築されていたと思われていた補償プログラムの実際は、 「社会構成原理とし ての能力主義は、 そのまま肯定されていた」(60) 点に着目する。 この点から能力主義の否定ではなく、
能力主義を教育的営みと整合させる方法として、 単に社会的要請に応えるのではなく、 諸個人の教育 要求 (能力発達の主体性) と社会的要請との均衡として 「教育理念の多様化」 が有効であると黒崎は 主張するのだ(61)。
黒崎の議論で最も問題があるのは、 社会構成原理としての能力概念を定義し、 そこから能力主義の 正当性を主張しているにも関わらず、 社会構成原理そのものを組み替えるような能力概念の究明がほ とんどなされていないという点にある。 黒崎によって導き出されている能力概念は、 デイビス (K.
Davis) とムーア (W. Moore) に依拠したもので 「①いかなる社会にも他の地位よりも重要であり、
その地位につくために特別の力量が要請されるような特定の地位がある、 ②これらの特定の地位にふ さわしい力量を教育訓練によって獲得することができる才能をもった個人は少数のメンバーに限られ ている」(62) 等という市場的価値を等閑視したものとなっている。
もとより黒崎が能力主義を社会構成原理であると考えた理由は、 学校が社会の従属変数、 すなわち 学校は階層を再生産しているという再生産理論の知見が重要であると認識したからに他ならない(63)。 とするならば、 学校が社会の従属変数になっていることは認めるものの、 社会的規定としての学校の 自律性を模索する究明がなされなければならなかったのではないか。 そうでなければ、 黒崎の初発の 問題意識である 「能力を市場能力として機能させる社会的分化の枠組みを原理的に転換させる」 こと はできないであろうし、 それ以上に 「諸個人の教育要求 (能力発達の主体性) と社会的要請との均衡」
(55) 同上書、 9頁.
(56) 同上書、 6頁.
(57) 黒崎勲 教育行政学 前掲書、 138〜139頁.
(58) 黒崎勲 現代日本の教育と能力主義 前掲書、 76頁.
(59) 同上書、 100頁.
(60) 同上書、 168頁.
(61) 同上書、 181-192頁.
(62) 黒崎勲 教育行政学 前掲書、 137頁.
(63) 黒崎は、 再生産論者であるボールズ、 ギンタスの言葉を引用しながら次のような認識を示す。 「すなわち 自由 な市場制度に内在する諸力のもたらす不平等は、 教育のもつ平等化の力によって相殺できるという 楽観主義 を排し、 …しかもなお、 真に平等化の実現のためにはたしうる教育制度の独自の課題、 役割を解明するという ことである」 と。
という議論自体も成り立ち得なくなる。
(2) 再生産論からみる 「教育における平等」
それでは、 黒崎によって究明されずにいる社会的規定としての学校の自律性を模索した研究はある のか。 ある。 再生産理論の批判的継承を教育学の分野から進めた小玉重夫の研究がこれにあたる。
小玉は、 学校制度を中立的な器のようなものとしてとらえる見方を誤謬とし(64)、 公教育としての学 校は不平等な階層構造を再生産し、 正統化する機能を果たしていることを認める。 これは、 社会学に おける再生産理論の、 いわば今日的再評価である。 ここで小玉が再生産理論をあえて持ち出してきた 背景には、 学校が階層の再生産機構であるという再生産理論の知見が教育学でほとんど顧みられるこ とがなく、 教育改革が進行していることへの苛立ちにある。 現に1960年代の米国の教育改革が学校制 度を中立的な器とみなし、 その内部において平等を達成するための方策を財の再分配政策 (=補償教 育政策) として行ったが成功には至らなかった(65)。 その理由を小玉は、 この方策では 「資本主義経済 の再生産過程にはらまれている対立や統制、 支配のメカニズムを、 認識の射程におさめることができ ない」(66) からだと再生産論者のギンタス (H. Gintis) とクラーク (B.Clark) を引きながら診断する。
生産の社会的関係と教育の社会的関係との構造的対応を前提に繰り返されると説明されてきた再生産 理論は近年、 対応原理の内実を究明する方向へと進捗している。 すなわち、 「生産の社会的関係と教育 の社会的関係との対応が…予め予定された性格をもつものとして把握されている」(67) が、 例えば 「社 会の階層化と教育の階層化とが関連する機制 (メカニズム) の解明が行われていない」(68) という批判 への応答が行われていると小玉は分析している。
この点に関して再生産論的なパースペクティブを強く保持しつつ理論的展開を行った論者としてウィ リス (P. Willis) がいる。 ウィリスは、 ハマータウンの野郎ども (69) で労働者階級の若者たちの反学 校文化に焦点をあて、 階級構造の再生産がこの反学校文化に媒介された彼らの工場文化への自発的順 応を通じて行われることを説いたことで有名だが、 ここには構造の受動的担い手としての地位に甘ん じない被支配階級の自律的な抵抗の可能性を導き出す 「文化的生産」 という概念戦略が用いられてい た(70)。 これを小玉は、 「構造概念の硬直性と再生産の決定論的な性格を、 構造に対する文化の自律性を 説くことにより克服する試みとしてまとめることができる」(71) と評価している。
こうした再生産理論の研究の進捗を紹介した小玉は、 黒崎によって未完のものとされた社会的規定 としての学校の自律性を究明したものといえる。 しかしこの究明だけでは十分ではない。 残された課
(64) 小玉重夫 教育改革と公共性 ボウルズ=ギンタスからハンナ・アレントへ 東京大学出版会、 1999年、
66頁.
(65) 同上書、 第1章・第3節.
(66) 同上書、 61頁.
(67) 同上書、 86頁.
(68) 同上書、 87頁.
(69) 原著は、 Willis, P., Learning to Labor, Saxon House, 1977. である。
(70) 小玉重夫 教育改革と公共性 前掲書、 87-88頁.
(71) 同上書、 89頁.
題は、 社会的規定としての学校の自律性のなかで、 「能力を市場能力として機能させる社会的分化の枠 組みを原理的に転換させる」 方法を見出すことである。
この課題を究明するにあたって ハマータウンの野郎ども の訳者である熊沢誠の議論は傾聴に値 する。 というのも熊沢は、 エリートではなく 「ノンエリートがコンプレックスをもたないようにする にはどうするのか」(72) という問題意識の下で、 複線型学校を大々的に肯定しており、 その議論は 「単 線型学校=平等」 と措定する教育学者にはまったく想定外の平等論を提起するからである。 熊沢が複 線型学校を肯定する背景には、 日本の中流階級であるサラリーマン的なライフスタルを標準とする一 元的な価値から離脱・脱落した子どもたちを職業において平等に承認するために、 普通教育のみなら ず専門教育を充実させるというねらいがある。 この構想は、 まさに ハマータウンの野郎ども に描 かれていたイギリス労働者階級の若者 (野郎ども) が、 上の階層に制度的に 「行けない」 というより は 「行かない」 という主体性をもっていることへの共感から生まれている・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ (73)。 <よい普通高校>→<
よい大学>→<安定した職への就職>というライフコースが 「標準」 とされている日本においては、
そのコースから離脱・脱落したものは、 「いわれある格差」 として潜在的に承認すべきものとされてき たと熊沢は分析している。 なるほど確かに、 障がい者差別や女性差別などは 「いわれなき差別」 とし て解消がなされてきたが、 公平な状態での競争からの離脱・脱落については平等論の文脈でほとんど 触れられることはなかった。
この点について後藤道夫は、 戦後の民主主義教育を先導者であった堀尾輝久の議論を分析しながら、
堀尾の能力主義批判の立場は、 「さまざまな留保条件はつけているものの、 公正な選抜=競争 とい う要素を承認したものとなっている」(74) と語る。 ここでいう 「公正な選抜=競争」 とは、 まぎれもな く 「いわれある格差」 のことを指している。 後藤は、 教育における能力主義批判の議論が成功しなかっ た背景には、 「公正な選抜=競争」 を子ども・親・教師が体制に馴化されながら承認していったことに あると分析する。 そして、 「公正な選抜=競争」 というイデオロギーから脱却するためには 「競争に勝 てないあるいはそれがきらいな階層のなかに、 そうした文化を再生させることである」(75) と指摘する。
こうした 「非競争主義の文化の創造と再生」 という論点は、 能力主義の根源的批判及び新しい平等 を構築するうえでの極めて示唆的である(76)。 というのは、 この、 「非競争主義の文化の創造と再生」 を 学校のなかで育むことが、 「能力を市場能力として機能させる社会的分化の枠組みを原理的に転換させ
(72) 熊沢誠 「学校教育に職業教育の視点を―熊沢誠氏に聞く」 唯物論研究協会編 唯物論研究年誌第3号 教育・
共同・平等 青木書店、 1998年、 33頁.
(73) 同上論文、 22頁.
(74) 後藤道夫 「臨教審批判と国民の教育権論」 前掲論文、 223頁.
(75) 同上論文、 230頁.
(76) もちろん構造に対する文化の自律性という主張が楽観主義であり、 むしろ構造に対する文化の従属性をウィル スの議論は裏づけるものであるという指摘も可能である。 以前 「再分配」 と 「承認」 を巡る論争をN.Fraserの 議論に依拠しながら筆者は検討しているが (福島、 2008)、 その際、 構造と文化を巡る対立は、 いずれか一方の アプローチのみでは解決し得ないという知見を得ている。 一方に偏らないアプローチをどのようにとるのかと いうことに関する明確な解が導き出せている状況ではないのだが、 さしあたり文化の承認に関わるアプローチ を前提としつつ、 当該承認に寄与する資源分配、 すなわち構造への介入を文化次元から行う方法が可能ではな いかと筆者は考えているところである。 本稿も潜在的にはそのスタンスを意識している。
る」 ことにつながる視角を与えるからだ。
5. 非競争主義の文化の創造と再生
− 「ノンエリート青年」 によるライフコースからの示唆
「非競争主義の文化の創造と再生」 を実現するポイントは、 人の生のあり方を規定している 「標準」
という規範からの脱却にある。 先述したように、 <よい普通高校>→<よい大学>→<安定した職へ の就職>というライフコースが日本においては 「標準」 化されており、 そうした 「標準」 的ライフコー スを獲得するために、 みなが学校を媒介にした競争に参加していた (る)。 しかしこの、 「標準」 とい う生の規範が、 何かしらの要因で組み替えられ、 それが端緒になって新たなライフコースあるいは文 化を創造する契機となっているとするならば、 その要因を利用する手だてはない。 それを利用して社 会変革につなげようと構想するのが、 社会学者の中西新太郎である。
中西は、 90年代後半における日本の青少年事情を、 「縁辺化」 として表現する(77)。 「縁辺化」 とは、 90 年代における雇用構造の変化が、 学校から社会への移行過程を劇的に変貌させ、 それによってライフ コースを前提にした学校生活の位置づけが変容し、 結果としてライフコース全般にわたる階層分離の 拡大が労働環境を中心に形づくられていることをいう(78)。 こうした 「縁辺化」 による若年層の雇用状 況、 就業行動の大幅な変化は、 日本的雇用の下で想定されてきた 「標準的ライフコースをドラスティッ クに組みかえる」(79) と中西はいう。 これは、 「大学を出たら一人前になってくれる、 つまり会社に就職 して 落ち着く 」 ということや 「大学を出た後、 職人になる修行をするとか言い出す」(80) という標準 的なライフコースからの脱却を意味する。 「どのみち第二標準へと吸収されてしまうのであれば、 低位 の処遇水準であっても自分が満足できるような仕事に就きたいと感じる」(81) 若者の意識は、 「日本型雇 用の下での従来の標準像とは異なる魅力的なライフコース探求」 となっており、 「第二標準の出現を見 すえ予測したものになっている」(82) と中西は分析する。 もちろんこうした雇用状況、 就業行動の大幅 な変化が 「企業論にみられるような、 新自由主義的な自営業推奨と軌を一にするものにほかならな い」(83) と中西は慎重である。 しかし中西は続ける。 「自ら納得できるかたちで働くことができ、 しかも 生活不安が解消される基本的保障が存在するなら、 その働き方が社会的にみて第二標準であることは 必ずしも忌避されることがらにはなるまい」(84) 。 むしろ 「従来の標準には決して到達できない…若年 層のライフコースが、 実質的に、 「よりよい」」 第二標準のあり方を模索する点で共通の幅広い地盤を、
潜在的にではあれ、 もつにいたること−そこにこそ注目すべきである」(85) と。
(77) 中西新太郎 「縁辺化される若者たち」 世界 岩波書店、 2000年5月.
(78) 同上論文、 87-88頁.
(79) 中西新太郎 若者たちに何が起こっているのか 花伝社、 2004年、 230頁.
(80) 同上書、 192-193頁.
(81) 同上書、 232頁.
(82) 同上書、 231頁.
(83) 同上書、 232頁.
(84) 同.
(85) 同.
近年、 中西はこうした 「第二標準」 の世界で生きる若者の世界を他の研究者とともに調査結果とし てまとめている。 そこでは、 「ノンエリート青年の生を規定する社会標準のもとで、 それなりにやって いける方策や手段を考え、 よりましな方向への模索を試みる姿が潜んで」(86) おり、 それが 「ノンエリー ト青年層の 漂流 のなかに存在する 戦術 であ」 ることが見出されている。 こうしてノンエリー ト青年を 「新自由主義社会の波間に漂う漂流者としてではなく、 よりましな位置を目指す航海者とし てとらえる直すことが求められている」(87) と中西は診断するのだ。
こうした調査結果は、 社会構造的な要因において青年のライフスタイルが変化していることを単に 構造的要因としての問題に帰結させるのではなく、 構造要因のなかにある青年の主体性を読み取りつ つ、 その主体性発揮を保障するための社会変革を求めることを示唆する。 そして中西の主張は、 一貫 して人々のなかで所与化された 「標準」 という生の規範に対する異議申し立てにもなっている。 所与 化された規範とそれによって目隠しされた状態を中西らは、 「所与性のドグマ」(88) として表現している が、 まさにこの 「所与性のドグマ」 に、 既存の 「教育における平等」 の議論もあったととらえること ができないだろうか。 すなわち表面的には能力主義を批判しつつも、 潜在的には、 <よい普通高校>
→<よい大学>→<安定した職への就職>というライフコースを所与として、 そうした所与としての 生のあり方である 「標準」 というライフコースのルートに、 すべての子どもを 「教育=学校」 を通じ て乗せることを前提として、 「教育における平等」 という概念を用いていたということを。 そうである とすれば、 「標準」 化されたもの (「標準」 化された能力) を脱 「標準」 化していくところに、 新しい
「教育における平等」 の視角はあるといえる。
6. 結びに代えて
最後に、 学校という領域における 「非競争主義の文化の創造と再生」 が社会的文脈との関係でどこ まで有効性があるのかということを示して結びに代えたい。
「学校の自律性」 といってもそれはあくまで社会的規定の枠内においてであることを忘れてはなら ない。 この点を忘却していては、 学校の自律性において 「能力の全面発達」 の平等を掲げていた堀尾 輝久に代表される戦後教育学の議論へと逆戻りしてしまう。 本研究が戦後教育学の議論と異なる点は、
社会的規定における学校の自律性の枠内であり、 また社会的規定における学校の自律性の枠内におい て 「非競争主義の文化の創造と再生」 を語っているということである。 学校は社会的規定の産物であ るから 「非競争主義の文化の創造と再生」 を学校のみで行うことにリアリティはない。 したがって非 競争主義の文化は、 学校よりも社会の側でまず創造・再生されなければならないだろう。 イギリスの 労働者階級の若者たちが、 構造の受動的担い手としての地位に甘んじなかったのは、 まさに反学校文 化を支える文化 (労働者階級文化) が社会の側に存在していたからにほかならない。
(86) 中西新太郎・高山智樹編 ノンエリート青年の社会空間 大月書店、 2009年、 10-11頁.
(87) 同上書、 32頁.
(88) 同上書、 5頁.
それでは学校はそうした文化が社会で創造され、 根づいていくことを待つしかないのか。 否、 学校 は、 非競争主義的な文化を創造し、 根づかせていく主体が、 確かに社会のなかには存在しているとい うことを、 学習活動を通して伝達していくことはできる。 例えば 「この中学、 この高校、 この大学を 出れば可能性としてどういう業界に入り、 どういう職種につくことが多いかを、 欺瞞なく生徒たちに 示す」(89) ことや、 「人に命令を下すような職業に就く人々の意のままにならない分厚いノンエリート層 が存在すること」(90) を学校において伝えていくことはできる。
それ以外にも、 非競争主義的な文化を創造していく担い手を育成していくこともできる。 例えば既 存の学校制度において偏差値序列の最底辺に位置づけられた 「教育困難校」 と呼ばれる学校等を、 職 業との連関のうえでカリキュラム改革させていくことによって偏差値的価値を相対化した能力を育み、
それをテコにして非競争主義的な文化を創造していくのである。
この点に関わってかつて黒崎勲は、 偏差値序列に一元化されない 「教育困難校」 とされる京都の学 校の教育活動の分析をし、 それを 「教育の平等化と個性化をめぐる新しい探究」 と評価していた(91)。 最終的に能力主義に回帰した黒崎の近年の論考に比べると、 市場に価値づけられていない能力や学校 制度を探究しているとも解釈できるこの評価は実に興味深い。 なぜならこの視角には本稿においてこ れまで検討してきたような社会構成原理を組み替えるような能力観、 すなわち非競争主義的な文化の 創造と再生をしていく端緒的視点があるからである。 黒崎の残したこの未完の事業を、 教育制度設計 を可能とする教育における平等論構築の視角として踏まえることが、 今後の教育における平等研究に は必要であろう。
「教育における平等」 とは、 子どもの能力の全面発達を 「教育=学校」 のみにおいて行っていくと いう視座ではなく、 能力主義を生成している社会次元の原理、 例えば階級・階層の再生産から構成さ れる職業や学校というものに纏わりついている支配的価値を、 脱標準化するという視座から考究して いく必要がある。 本研究において見出された新たな視角は以上の点である(*)。
<引用文献>
〇兼子仁 「 国民の教育権 運動の論理」 世界 1974年1月.
〇兼子仁 教育法 新版 有斐閣、 1978年.
〇熊沢誠 働き者たちの泣き笑顔 有斐閣、 1993年.
〇熊沢誠 「学校教育に職業教育の視点を―熊沢誠氏に聞く」 唯物論研究協会編 唯物論研究年誌第3 号 教育・共同・平等 青木書店、 1998年.
〇黒崎勲 「学校制度の分化と能力に応ずる教育」 岩波講座 子どもの発達と教育7 岩波書店、 1979
(89) 熊沢誠 働き者たちの泣き笑顔 有斐閣、 1993年、 124頁.
(90) 熊沢誠 「学校教育に職業教育の視点を―熊沢誠氏に聞く」 前掲論文、 22頁。
(91) 黒崎勲 「中等教育の平等化と個性化」 教育科学研究会 現代社会と教育 編集委員会 現代社会と教育3学校 大月書店、 1993年、 240−241頁。
(*) 本稿を完成させる過程で査読者2名から貴重なコメントを頂いた。 ここに明記して感謝したい。