何が社会福祉の「対象」か
一諸概念と認識枠組について‑
岩 田 正 美
1 . はじめに
何が社会福祉の対応すべき問題(ニード〉かの解明は,あらゆる社会福祉政 策,方法にとっての大前提である
Dこれにはこつの意味がこめられている。一 つは,問題(ニード)の実在そのものが,そもそも社会福祉を存在させている のだからその解明なくして社会福祉を論じられないという意味での大前提であ る。もう一つは対応すべき社会福祉の政策や方法の妥当性の評価やその改革も また,常に問題(ニード)の中で,それらの政策や方法がその問題をどう解決
しあるいは変容させたのかとしづ視角からあっかわれなければならないとい う意味である。いずれも,自明の事柄であり,それが社会福祉の「対象」論と 呼ばれる 1つの領域を形成しようとしてきた。しかし近年の社会福祉の議論 の中では,その論調の変化のタテマエが問題(ニード)の変化を基盤にしてい るにもかかわらず,その変化自体は本格的には究明されてこなかった。たとえ ばわれわれは,このような変化を,高齢化社会の到来とか家族機能の減少とか
とし、ぅ表現や,それを説明するいくつかの統計的数字で「了解」しているが,
そのことが,何の問題を誰にどのようにひきおこしているのか,その問題は以
前の問題と問題の本質においてどう区別されうるのか,あるいは,新たな問題
はどの程度に一般性をもっているのか等についての事実の「発見」を必ずしも
十分に行ってきてはいない。もちろん, r 独居老人調査」とか「ねたきり老人
の介護調査 J あるいは各種のニーズ予測調査が数多く行われてきていることを
無視するわけではないが,ある新しいサーピスや政策を誘導するための(予算
要求資料としての)あるいはそのさいの受給者判定基準作成のための調査以上
2 何が社会福祉の「対象」か
の「事実」の発見はどれほど行われてきたで、あろうか。
このような新しい問題の本格的究明の不十分さは,新しい問題に内包された 本質とその一般性(外延)を示すべき諸概念の混乱不明確きとしても現われて いる o すなわち,現在われわれは,生活問題,ニード(ズ),福祉需要,生活障 害,福祉問題等々の多様な用語をその場その場で「適当に」使いわけている。
この「適当に」とし、う意味は,各々の用語の位相性を大まかに区別する一ーた とえばニ{ドと需要の対置すべきレベルの違し、一一一場合もあるが,むしろ多く は,生活問題は多義的すぎるので,さしあたりニードとし、う用語を用いると か , ニードも暖昧であるから需要とするとか,生活問題より生活障害とした方 が説明しやすいといった「適当さ」を含んでいる。そして 1 つ 1 つの用語その ものが深められ,少なくとも共通語の位置を獲得する前に次の「新語」が生み 出されるかの状況である。
これらの諸用語は,少なくとも,従来の社会福祉の「対象」の本質を示し,
その一般的広がりを示した「貧困」概念の克服をめざして使用されてきたもの である
Dもちろん生活問題とかニードとし、う用語は従来からあったが,それは 貧困の一要素としての生活問題を示す用語,もしくは実践領域でのみ使われて きたニード概念であって,今日の場合のように,貧困以上のものを,又は貧困 以外のものを示そうとする意味での,また政策対象としての意味で使われてき たのではない。したがってこれらの用語の混乱, (私自身も含めて)一人の研 究者による「適当な」使いわけは,新しい問題状況をなんとか説明したいため の模索ともいえよう。欧米の社会福祉の前提として貧困概念はその内容を豊富 化しつつもまだ生きているといわれるのに対して,何故にわが国の社会福祉研 究においてこのような貧困概念の克服(放棄)が至上命令とされるに至ったの かは,きわめて興味深いテーマであるが,それは別の機会にゆずるとして,新 しい状況には新しい概念をというのであれば,その概念の明確化が必要であ り,少なくとも次の点が深められなければならないであろう o すなわち,第 1 に諸用語の示すものは何か(範囲と位相),第 2に,その本質(共通性) およ びそれと貧困概念との異同,第 3 V こ,その広がり(一般性)である。
このような概念の明確化は,先に述べた「事実」の発見の作業と共に行われ
るべきものであるが,本稿ではさしあたり,現在混乱して使用されている概念 を第 1 ,第 2 の点にてらしあわせで検討する。その上で,このような概念の混 乱が,概念そのものというより,対象把握の方法・枠組にかかわっている, と いう認識から,対象把握の枠組とそこに不可欠な基本要素についての若干の私 なりの考えを,問題提起として述べておきたい。
2 . 諸 概 念 ー ( 1 )
社会福祉の「対象」を把握する用具として最も多く用いられてきた生活問題 と L 、う用語は先述したように新しいものではない。すでに戦前の 1920 年代から 用いられているものであり,それは労働者階級の成熟を背景とした貧困の労働 問題と生活問題への分化を基礎としていた
Dしたがってこの場合の生活問題と は生活場面における貧困現象を総称するものとして位置づけられ,その問題分 析の中心は家計構造分析であった。これは少なくとも 1960 年頃まで続く位置づ けであり, したがって貧困概念を克服するものではなく,むしろその生活場面 における適用といえよう
Oこれに対して,今日主として用いられている生活問 題とは,①問題の発生経路が,労働問題→生活問題,あるいは収入の不足→生 活問題の図式ではとらえられない多様な経路をもち,②問題の形態自体も収入 の不足による生活苦だけではなく多様なものを含んでいる,ものをさす用語と
して登場している
1)。 そこで生活問題は,貧困問題をそのうちに含むが,それ より広い概念として位置づけられたといえよう。
それでは, このような広い概念の示す範囲はどのようなものか。社会福祉と
の関連で生活問題について関心をもちつづけている研究者に一番ヶ瀬康子,真
田是,副田義也がいるが,このうち副田は,まず問題を 4 つのレベルに分けて
いるヘすなわち,政策的範時,実践的範時,運動論 i 的範鴎,それと科学的範
時である。真田もほぼ似た視角から,政策のきりとった問題を福祉問題として
区別している。このようなレベルの整理は,必要不可欠なものであるが,問題
は,科学的範鴎としての生活問題ということになろう o なぜならば,冒頭に記
したように, このような客観的事実としての問題の実在なしには,そもそも社
会福祉が成立しないからであり,われわれは,ある政策的意図の下にきりとら
4 何が社会福祉の「対象」か
れた問題や,実践の中から示される問題の範囲を,それと比べて評価しなくて はならないからである
Oところが, この科学的範鴎としての生活問題の範囲の設定(つまり科学的基 準の設定)については副田は悲観的である
O特に貧困問題以外の類型(副田に よれば非貨幣的問題)では科学的範鴎で科学的基準が形成されておらず,それ が問題の規定を恋意的なものにしがちであるj3)と述べている。その理由とし て副田は,生活問題研究に用いられる諸科学がし、まだこの類型の科学的基準作 成へ貢献するところまでいっていないからだと指摘している。たとえば,保育 問題においては児童が心身ともに健康に発達していくために必要とされるサー
ヴィスの質と量の特定がなされないからである。
しかしさらに言えば,このような意味での科学的基準という側面ばかりで なく,次の意味でも生活問題概念は不明確である。一般に副田も例示している ように,生活問題は類型ごとに分析されるのが通例であり,その総称として生 活問題概念が対応しているのだが,しかし生活問題とし、ぅ概念を使う以上,生活 問題としての共通性,本質こそがまず問われなければならないはずである。児 童の保育問題とか老人問題の本質ではなくて,まずそれらを生活問題としてく
くる意味が明らかにされなくてはならない。もっといえば,老人問題一般と生
活問題としての老人問題,障害者問題一般と生活問題としての障害者問題との
区別,あるいは都市問題としての公害問題と生活問題としての公害問題,金融
問題としてのサラ金問題と生活問題としてのサラ金問題……等々の区別がなさ
れねばならないのではないか。それには,生活問題概念にそれらを生活問題と
してくくる本質が内包されていなくてはならない。生活問題の範囲はその本質
に従って限定されるべきであろう。そして,もしもこの概念が貧困概念の克服
として設定されるならば,その本質においてどれほど異っているかが明らかに
されなければならないことになろう。以上の点について生活問題概念はいまだ
不明確であり,問題の羅列にとどまっている。これについて副田の先の指摘を
援用すれば,児童の保育にとっての必要サービスの質量の特定ではなく, この
児童や老人を含め,それらの諸関連の下にある生活全体の必要の特定化が必要
であり,それを明らかにすべき諸科学の不十分さが問われるということになろ
うか。
なお,上のような生活問題としての本質を明らかにした上で,さらに問題を どのようなサプグループに分類していくかは, I 多様性」を強調する生活問題 概念にとって重要な点となる
Oそれは,政策的,実践的,運動論的なそれぞれ のレベルで、の分類がありうるしまた科学的範時としては,上にのべた生活問 題概念としての本質の展開上にそった,たとえば生活に必要な諸財サービスの 素材的相違に着目した,あるいはそれを享受する世帯員の質的相違に着目した 分類等がありうる。いずれの場合も,それぞれのレベルをわきまえて使われね ばならないしまたその分類基準のもつ意味を明らかにしておくべきであろ う。今のところ生活問題の分類は,世帯員個人別(児童,老人,障害者……) かあるいは問題の局面別(住宅問題,教育問題……)にとらえられているよう であるが,それぞれの基準はそれほど明確ではなく,たとえば前者の場合は,
政策レベルにおける福祉サービスの分類(福祉 6 法の範囲)と重なりあって,
政策レのベル分類なのか,生活問題の本質の展開からなしうる分類枠なのか,
あいまいである
Oまた後者をも含めて,家族と個人との関係,特に生活レベル における個の成立度,生活における諸局面の関連の整序などについての本格的 な議論がなされていないので,問題をどの次元でどのようなグループごとにく
くるかは,それらの本格的な究明とあわせてなされなくてはならないであろう。
なお,生活問題概念の一つの展開方向として,最近生活障害という用語が目
につくようになった。この用語を使い,かっこれを社会福祉の対象として積極
的に位置づける寺脇隆夫によれば, I 個人ないしはその家族を単位として展開
される日常的生活行動にあって,その基礎をなす人間の生活行動能力における
未成熟,低下(老化),喪失や損傷,一時的機能低下などに起因して生ずる個
人ないし家族の生活活動の困難のことである。 J4) この概念の本質は基礎的生活
行動能力の障害である。とすれば,まずこの生活行動能力とは何か,およびそ
の能力の障害(未成熟,低下,喪失,損傷,一時的機能低下)の判定基準が構
築されなければならないであろう
Oまた,未成熟や低下を,幼年期,老年期一
般にあてはめてしまうと,たとえば子供の全てがもっ未成熟と,その子供の中
での今日の意味での障害との区別がつかなくなる。むしろつかなくてよいとい
6 何が社会福祉の「対象」か
うことであれば,障害と L 、う概念をあえて用いる必要もなくなると思われる。
さらにこれを起因とする生活困難と,そうではない生活困難の区別をどこでつ けるかも問題となろう。なお,寺脇も述べるように,生活障害状態は普遍的概 念(超歴史的)であり,これを歴史的産物である社会福祉の前提としてストレ
ートにおくには,やや無理があるように思われる o
3 . 諸概念ー( 2 )
ケースワーク論としてではなく,政策論としてニード(ズ)概念が用いられた のは70 年代に入ってからのことである。それは,生活問題把握のあいまい性,
怒意性を一つの理由としているが,何よりも社会福祉供給計画論あるいは福祉 経営論の胎頭と関連している。すなわち,社会福祉の政策科学においては,単 に要求や目標の羅列に終ってはならず, r 政策目標およびその達成期間の設定,
プライオリティの決定,代替的政策手段の摘出,実行的政策手段の選定などの 基本項目が明確化 J5) された計画が必要である D この場合, この計画(又は経 営)のためには需給モデ、ルの設定が不可欠で、ある。このような計画モデルに は,たとえば先の生活問題は多義的,あいまいで使用されにくいとして,供給 又はサービスに対置される概念としてニード又は需要概念が登場してきたので、
ある
D従来の政策と貧困,あるいは政策と生活問題とし、う対置と比べて,より 抽象化,モテ。ル化された概念といえよう。
ところで,上のような 70 年代以降のニード概念は,それ以前の主としてケー スワーク論などでとらえられてきたような主観的なものではなく,一応「社会 的ニード」ととらえられているが,京極高宜によればそれは次の 2 つの位相を もっと指摘されている。すなわち,一つは,特定の福祉サービスと結びつい た,そのサービスへの顕在的ニードであり,需要(ディマンド(ズ))という概 念でもおきかえられる。これは,政策から線引きすることもできるし,受け手 の側の要求レベルで、線引きすることもできるが, r ごくわかりやすくいえば,
需要は特定の社会福祉サービスに対する新規申請者数と受給者数との合計とみ
ることもできる」ぺ この顕在的ニード=需要概念は,あくまである供給を前
提としそれとの対応関係の下で使われる概念であり,そのレベルにおいて
は,明快なものではあるが,それ以上のものではなし、。
そこで, より重要なのは京極のいうもう一つのニード,すなわち潜在的ニー ドあるいは潜在的ニードをふくんだニ{ド全体ということになる。これは,先 の生活問題概念でいえば,科学的範暗に属し,前記の顕在的ニードは,政策,
実践,運動レベルの生活問題概念にそれぞれ照応するということもできる。社 会福祉のそもそもの存在,あるいは又その変化ということを考える場合,先の 顕在的ニードからではなく,潜在的ニードをふくめて考えねばならないことは 明らかであろう。ところが,このような潜在的ニ{ドあるいはそれと顕在的な
ものをふくめてのニード概念については,需要概念ほど明解ではない。
まず,このニ{ドをあれこれのニードに分けて考察するのではなく,多様な ニードの中にある本質(共通性)にそって整理する必要を指摘した三浦文夫 は,次のようにニード概念の本質を述べている「ある種の状態が,一定の目標 なり,基準からみて読離の状態にあり,そしてその状態の回復改善等を行う必 要があると社会的に認められたもの」とし,前段の「ある種の状態が,ある種 の目標や一定の基準からみて議離の状態にある J 7}ものを依存的状態(又は広 義のニ{ド)と呼び,その後段の社会的に認められたものを要救護性(あるい は狭義のニード)としている o この場合,ある種の状態とは個人や集団,地域 社会の状態になるわけだが,個人と集団(といっても集団にもいろいろある)
と地域の状態はきわめて広すぎ, どの視点からどこまでの状態をみているのか
という点,および,訴離と L、う場合は,ある基準からのより高い講離とより低
い訴離の両方を含んでいる点において,きわめて抽象的な規定となってしまっ
ている o 生活問題概念が,その本質規定において不明確なのに,生活という言
葉である範囲を漠然とでも示しまた問題とし、う言葉でその要解決性を示して
いるのとは対照的であり,共通性を示そうとしながら,その範囲や問題性をよ
り不明確なものとしているように思われる。問題は,何(あるいは誰)の, ど
の状態(範囲)のどちらかの方向をむいた議離かということになろう D したが
って,三浦が指摘するように,一定の基準で測るのだからその尺度が問題にな
るのはその通りであるが,その前に何を測るのかとし寸前提,つまり社会福祉
を成立させ,改革を必要としている「ある状態」そのものについて明確な規定
8 何が社会福祉の「対象」か
が必要になろう。しかしこのような抽象性が,ニード(ズ)概念の便利さでも あるため,今日の社会福祉の議論においては,最も多く使用されており,その 中で場合によっては抽象性が次のような混同さえ引おこしていることは注意を 要する
Oすなわち, ニード一般と社会福祉を成立させているニ{ドとの混同で ある。たとえば,ニードを市場モデルにあてはめて説明する場合などは,ニ{
ズ無限とおくとか, ニードの充足方法として,家族,地域,市場,制度を並列 させておくなどがよくみられる。しかし,社会福祉の存在そのものは,人間の ニード一般から成立したものではなくて,資本主義社会というある特定段階の 社会において,市場を媒介として他人(企業)の生産した生活財サーピスを購 入しそれをこの社会に特有な型と大きさをもっ家族内部の相互サービスを介 して個々人が享受すると L 、う基本図式のもとでは,充足されない部分のニード が「問題 J をひきおこすかぎりにおいて,それへの「対策 J として登場したも のであるはずであるへ したがって,社会福祉は政策原理によって存在してい るのであって,その前提はニード一般ではなく, r 特定」のニードということ になろう。対象論は,この「特定」を具体的に解明する領域であり,概念は その解明の用具であるはずである o
さて,上のような, ニード(ズ)概念そのものの抽象性からは少なくとも,今 日の社会福祉改革の前提としての対象の変化は説明されない。むしろ,それを 説明するのはニードの形態変化ということになろう
Oニード概念の分類につい ても,あれこれ可能な分類基準が示されている。たとえば, 先 の 顕 在 的 ニ {
ド,潜在的ニードの他,人間の基本的ニードとして,
(1)衣食住の充足,
(2)健康 の保持,増進,
(3)身体的経済的保障,
(4)自己表現の欲求,
(5)集 団 参 加 の ニ ー
に
(6)信仰的自由の確保, というような分類や,規範的ニードと比較ニード,
第一次ニードと第二次ニードなどがあげられている。しかしこれらは,欧米で
試みられている概念構成であり,必ずしも日本において十分検討されているも
のではない問。これらに対して,むしろ日本の現実レベルにおいて,最も良く
使われ, しかも上述した社会福祉改革の前提としてのニードの変化を示そうと
したものとして,貨幣的ニードと非貨幣的ニードの分類がある
Oこの分類基準
は,サービスが貨幣で行われるか,現物なりサービスそのものでなされるかに
よっているが,それは同時に,ニードそのものが,市場で調達されうるが所得 が少ないためにもたらされるのか,それとも,そもそも市場には存在しないこ
とによってもたらされるのか, というところにあり,その意味では, ニードの 発生経路における分類軸といえないこともない。ただし こ こ で 注 意 す べ き は,所得が少ないという意味と,市場には存在しないという意味の解釈であ る。所得が少ないというのは,一般的所得水準からみて少なく, したがって一 般的所得水準が十分に対応すべき質量の財・サービスも享受できないという意 味と,そうではなくて,ある「状態」のために必要とする財・サーピスが質量 ともに「平均」より増大しその財・サービスは市場でも購入しうるが,それ には相対的に所得が少ないとし、ぅ場合の 2 種類がある。もともと貧困の発生経 路としてはこの 2 つが指摘されており,前者の場合,年金,公的扶助などが対 応し,後者には,医療保障,児童手当などが対応してきた。この後者の場合は 医療保障にみられるように,必ずしも貨幣的対応ではなく,直接現物サービス が対応することも少なくない。また,市場に存在しないとし、う意味は,そのニ ードがきわめて少数の特殊なニードであり,かっそれをもっ人の所得がきわめ て高額ではないので市場を形成しえない, (少数のニードでも,高所得の場合 は,ある限定された範囲の市場が形成される)場合か, ニードをもっ人が多く ても,その大多数が所得が低くて利潤採算がとれない場合である。しかしい ずれの場合も「公平」な資本の運動は,利潤の見通しがつき次第すぐにも市場 化がはかられていくのであって, ニードが高所得層まで含んだ多数のものにな るか,あるいは,供給側の技術革新なり,低賃金労働の利用などで, I 大衆価 格」が実現しえれば,またたくまに市場に出まわることになろう。逆に, これ まで市場にあった商品が利潤採算があわなくなれば引き上げられていくのも当 然、で,その意味では,市場にある,ないという基準は,諸資本間の競争の中で たえず動いていくものといえよう o したがって,貨幣非貨幣という分類基準 は,ニードの発生経路を一定程度反映してはいるが,むしろサービス供給方法 からの分類としてのみ意味あるものといえよう 9 ) 。
そうなると,いわれているような貨幣的ニードから非貨幣的ニードへの変化
という事態を,対象そのものの変化と一致させて,つまりその本質の変化とし
1 0 何が社会福祉の「対象 J
かて用いるのは,やや無理がある。むしろあくまで,三浦のいうさしあたりの
「操作的」分類概念として用いるべきであろう o そうであれば,対象の変化そ のものを説明する他の分類の試みがもう少しなされてもよいのではないか。た とえば,先に示した基本的ニードの構造などの検討ゃあるいは,判定尺度とし て大きな意味をもっているであろう規範的ニードと比較ニードのそれぞれの基 準の背後にある構造,ある規範基準なり比較基準なりが現実に意味する内容の 検討 1 1)などが結局必要になってくるのではあるまいか。その場合, ニード概念 の抽象性が「基本」の範囲を抽象化してしまうおそれもある。結局,社会福祉 を成立させている前提としての「特定」のニードの概念化が必要であり,その 本質に従った分類化がなされねばならないであろう
Oなお,貨幣,非貨幣とし、う分類に関連して,貨幣的という用語について一言 のべておけばこれは商品社会における財やサービスの商品形態に対応した言葉 であって,その財やサ{ピスの有用性を示すものではない口しかし,ニーズと か不充足とし、う場合は,むしろ有用性を享受できないとかその結果と L 、う意味
となる。貨幣は特定の有用性を何ら示さず,むしろ全ての有用性との交換可能 なものとして存在しているが, ニーズや不充足は,ある特定の有用性と関連し ている。したがって対象の状態からいえば,有用性との関連で必要財・サ{ピ スとその充足,不充足が問題になり,逆に政策の対応としては,その有用性の 補充を,貨幣形態で行うかどうかが問題となる。このあたりの理解が社会福祉 の議論においては不十分なまま,概念が日常用語的レベルで、使われやすい。ま た,貨幣的ニーズないしは問題と貧困概念を同一視する傾向も根強いが,明治 期から模索されてきた貧困概念を,各種の調査資料によって一度でも確認して みれば,むしろ,収入,貨幣タ{ムのみで計量できない諸問題を包括する概念 として明確化されてきたことに気がつくであろう。たしかに収入標準で示され る基準の作成が行われてきたが,その内包するものは,各種の生活上の諸問題 であり,それゆえに,収入問題ではなく,貧困問題範障が成立してきたのであ
る o
4 . 問題把握の枠組
以上のように,社会福祉の「対象」たる問題は,その需要レベルで、は,測定 しうる状況があるが,その水面下の,社会福祉を存立させ,改革を必然化させ るものとしての問題そのもののレベルで、は必ずしも十分とらえきれてはいな い。諸概念はそれを明確に分析する用具とはなっていないといえよう。それ は,用語自体の問題(ニードか生活問題か生活障害かなど)であるよりも,む しろいずれの用語を使うにせよ,それが対象の本質を示すものとしての用具に まで高められていないからである口すなわち,あれこれの生活問題ではなく,
なぜ生活問題としてくくれるのか,あるいは,ニード一般,無限のニードでは なく,社会福祉の前提としてのニード(ズ)とは結局何なのか, ということであ る 。
それは,換言するならば,概念を明確化するプロセスでもあるところの問題 把握の方法自体にかかわっているのかもしれない。生活問題とか生活障害とい う場合の生活理論,ニードという場合のニードの構造や基本的ニードの存在と いった要素の重要性が多かれ少かれ指摘されながらも,本格的にそれらの枠組 の中で,問題の本質にせまることは十分なされず,表面的レベルで、のみ概念を 操作した問題把握がなされすぎたのではなかろうか。しかし, I 克服すべき」と される従来の貧困概念が,多量の事実の発見と蒐集の中で試行錯誤をくり返し ながらもいくつかの生活法則を見出しそれとの関連で深められていった経過 をふまえるならば,それ以上のものを示そうとする諸概念こそ,従来の生活理 論や人間論にかわる理論枠組の中で問題を整序し,そこから概念の明確化をは かるべきであろう。(それ以外のものを示そうとするならばなおさらである。)
そこで,以下では対象をどのような枠組の中でとらえるのか,そこにおける 必要な要素は何かについて,私なりの考えを示しておきたし、。それは概念の明 確化にとって不可欠な作業であり,また当然「事実」としての諸問題の分析枠 組みとしてその有効性が試めされねばならないものである o
まず,出発点におかれるのは,抽象的人間や抽象的生活一般ではなく,今日
の社会における生活の実態である。この生活の基本的単位は,個人とその家族
1 2
何が社会福祉の「対象」かである
D家族は前の社会の家族形態を母体としそれに影響されながらも,資 本主義社会の経済循環と,その個人のおかれた位置に応じた変化をとげる。ま た,この中で家族成員たる個々人と家族との関係も変化し,個々の労働力とし ての市場への登場と消費市場における個別消費者としての位置づけを媒介とし て,個人への分解または個の確立の過程をその内に含む。
さて, この個人と家族の生活は,一定の生活財・サービスによって支えられ
る。この生活財・サービスのうち,ある社会で個人や家族が再生産(世代的に
も)されていくために必要不可欠なある幅を「社会的必要」と呼んでおきた
い。この「社会的必要」は,まず第一に人間の必要一般から規定されうる。た
とえば,人間は食べねばならず,外界から身を守るために衣服をまとい,定在
としてあるために住居を必要としそこを拠点として他と交流するために雑多
な財を必要とする。そのために財を生産する労働,財を享受する過程での諸サ
ービスを不可欠とする。「ニード」論でのいわゆる衣食住などと称される基本
ニードまたは労働の欲求などがここに含まれるが,それらは衣・食・住……と
並列にならべられあるいはそれらの欲求と労働の欲求が別々にあるというよう
な羅列的関係にあるのではなく,たとえばストック財とフロー財・サ{ピスと
の一定の関係,個別財,家族共通財,社会(共同)財との相互関連の体系,あ
るいはそれらの財の生産とその消費による人間の生産というような,構造とし
て理解されねばならない。第二に,以上の「社会的必要 J は抽象的・一般的な
まま存在しているのではなくて,常に歴史、的・文化的, 自然環境の規定をうけ
たある形態をまとって現われ,またたえずその生産様式によって規定されてい
る。したがって上の必要は,ある社会に特有な形態をとって現われ,またある
社会に特有な組みあわせをもっ
Dしたがってこの「社会的必要」の範囲は単に
栄養学,生理学,心理学等々の範囲としてあるのではなく,むしろある生活様
式によって規定されている。たとえば,手づかみで生肉を食べる社会の食への
ニ{ドと,ナイフやフォークで調理した食品を食べる社会の食へのニードと
は,そのニード、の基準たる「社会的必要」の組みあわせにおいて異なる o だか
ら,いわゆる生活問題の科学的範鴎とか規範的ニードそのものもある絶対的構
造をもっとはいえそれは同時に常に相対的な形態を含まざるをえない。第三
に,今日の資本主義社会で、は,大半の生活財・サービスは商品形態をとり,労 働は直接自らの必要手段を生産するための労働で、はなく,他人の必要を生産し 収入を獲得する手段としての労働と,家族内部に残され,私的な相互サービス としての家事サーピスに分岐する口また, I 私生活」の成立によって, そ の 内 に取込まれて私的に処理される個人財と多数の特定・不特定の人々と共同で使 用される共同財との区別がより明瞭なものとなってし、く。この場合一つの強力 な方向は,商品化,個人財化であるが, しかし!資本主義社会には, この社会な りの共同性の成立があり, とりわけ都市化は,商品としての,また直接国家や 自治体の供給による共同財・サービスの発達を不可避なものとしてきた。いわ ゆる「社会的共同消費」概念 1 2 にあるいは今日のそれを村落の共同消費との比 較で,専門家,専門機関による専業・分業システムによる共同処理としてとら
えた都市的生活様式概念 1 3 ) は,このような新たな共同性の発展,定着に着目し たものである口このような新たな共同財は,今日の社会における地域生活の条 件を形成し,土地と職業に固定された旧社会とは基本的に異なるが, しかし 1 人では生きることのできない人間に不可欠な共同性の新しいあり方として,近 代的な生活環境を成立させていく
Oそこで,以上から「社会的必要 J を図示すると第 1図のようになる。まず,
中心円 A は個人と家族の個別的フロー財・サーピスであり,食,衣,その他日 用品や個別的社交のための財サービスがここに含まれる
Dこの A に含まれる財
とサービスの具体的内容とその範囲は,具体的なある社会の生活様式に規定さ れる。次に,その外の円 Bはこの個人的フロー財やサーピスを享受して生活
し次代の人聞を生産していくために必要な家事サービス部分である。この一 定量と, A の一定範囲はセットで理解される o A が増大すれば B は縮小し,あ
るいは A の節約のために, B が増大する。さらに, A , B の外枠にある C は ,
この個人と家族の「私生活」を外と区別し,その定在を保障する住居と家具な
どのストック財である o この C と A , B も一定の関連をもち, とりわけ C の内
容は, A , B の内容を規定する。最後に最も外側の点線で囲んだ D 部分は共同
財部分であり,基本単位としての個人と家族の外側でその「私生活」の一般的
条件を形づくる。したがってこの共同財も A , B , C と一組みで理解されねば
1 4 何が社会福祉の「対象」か
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﹁D 共同財(公的財商品財)・サービス一 および自然環境一
一
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