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(1)

翠 ,

論 叢

第 十 三 披 論

民 族 及 び 民 族 政 策

松 下 正

で三佳子

昌 子

本稿の終局の目的は︑大日本帝闘の統治圏内に在る日本民族︑朝鮮民族︑牽樗に於ける諸島族が如

何にして現在よ b 以上の高度の文化慣値を享受し特るかの具躍的方法を探求せんとするに在る︒斯る

目的達成の手段とし τ 衣の二つの方法が考へられる︒

第一は︑岡家とし τ の日本と︑日本民族︑朝鮮民族︑其他の諸民族との闘係を歴史的︑統計的に研

究し︑其れど基礎とし℃賓際政策ど考案するのである︒

第一一は先づ民族といふ普遍的枇命日現象を如何に認識すべきかを研究し︑而して斯る認識の下に如何

民族及び民旋政策

(2)

jffj 

E

さ白色元乙

第 十 三 勝

・なる政策︑か理論上可能なるかを推論し︑其れを基礎とし℃我闘に趨用せんとするのである︒

雨者のうち何れが賞盆多 3 かは相営議論の分れると乙ろであらう︒然し︑第一の方法は砂くとも筆

者にと b ては︑極めて困難である︒此方法に依る時は︑一宮に庚く資料を日本︑朝鮮︑官空間等の歴史民

求めな︵ではならぬのみでなく︑現在如何なる政策が採用せられてをるかを詳細に熟知しなくてはな

らない︒所謂︑民情︑統計︑法令︑言語︑其他各種の資料が輯集︑整理 3 れ︑而して後初めて問題の

本質が把握され得るのであ b ︑問題の解答は更に其後に来らなければならないのである︒

其れは園策途行︑叉は審議に従事し℃人ムザには可能であ b ︑而して︑ある程度まで賀行詰れ℃をる︒

然し︑其れが極めて不完全である乙とは営局者の能力問題は別として︑問題取扱ひの方法に内政する

困難性に依ると乙ろも亦極め τ 多いと思はれる︒況んや︑筆者の如︿賞際の情報に乏しい者には此方

法は殆んど不可能に近いのである︒故に︑筆者は第二の方法を採用する乙とにした︒却ち︑先づ初め

に︑庚く承認せられ究皐者の説を主確とし τ 民族概念の認識を得︑而し τ

其 認

識 ょ

9 必然的に推論せ

らるる政策の研究に移らんとするのである ο 勿論︑凡ての皐設を紹介する乙とは不可能でもあ b

︑ 不

必要である

c

筆者が理解し︑大躍に於℃同意し得る説︑又は特に紹介批剣する乙とに依 b て筆者自身

の認識を朋かにし特るもののみを塞げること比した︒諸説を︑其れが皐説として如何に債値あるもの

本るにせよ︑只漫然と平面的に羅列することは本稿の目的に添はないと信じたからである︒

(3)

本稿の終局の目的は︑前越の如く︑具鵠的︑賓践的である︒本稿に於て採用せんとする一般的理論の

研究が知何なる程度まで賞践的債植を有するものなるかの貼に就いては議論の飴地はあらう︒然し︑

某れは︑皐と賓践に闘する更に本質的問題の解答を待って初め℃解決せられる姑であっ τ ︑本稿の如 3 特殊の目的を有す忍場合には割愛して差支ないと思ふ︒筆者は只︑其問題の結論としてヴインデ y

バンドを引用するに止める︒

﹁知る事と欲する事とは偶然に我冷のうちに結び付けられてゐる二つのカではなく︑離すべからゴる

如く結合してゐるものである︒ 一個の︑同一の︑其自身分割すべからざる本質並びに生命の二方面で

あって︑只心理的反省民於てのみ︑分解せられ得るに過ぎない︒其魚に之そ︑線ての認識は︑意志生

活に於ける特殊の傾向並びに一つの力と魚らんとする︒其れは諸事物に就ての債値判断を推移し︑諸

意欲を離陸更し︑創造し︑満足し︑又は消滅せしめんとする︒他方︑其矯に乙そ︑意思のうちには︑認

識の目標方向を決定せ λ

と す

る 意

向 が

あ る

の で

あ る

︒ :

: :

: ・

杢 韓

的 に

云 へ

ば ︑

Lq

は思惟する場 A

口 氏

意欲することを無くする諜には行かない︒心理的に観察すれば︑寧ろ︑思惟の総ての力はか︑る慣値

に基づいてゐる︒たしかに此結に過諜の源泉︑があるのであらラが︑同時に異躍の力も潜んでゐるので

あ る

0

: ・

: :

ハ 他

方 ︶

常 銭

に 劃

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認 識

は 丸

山 巾

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一 一

一 一

一 口

︑ 附

加 す

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︑ ゲ

イ ン

Y バンドの﹁営魚﹂が筆者の目的︑又は心理的動機である︒然し︑

E命

民族及び民族政策

(4)

商 事 論 議

第 十

一 一

一 披

立︿れに封する認識︑︵却ち︑如何なる政策が採用さるべきかの問題﹀は﹁常に貫在に劃する認識︵郎ち

民族の本買を認識する乙と︶なく℃しは賞行じ得られない﹂ことを筆者は確信するのである︒

・次に︑筆者の採用せん左する方法に艶し︑次のやうな反駁が珠想遣れる︒其反駁は皐問上明瞭は背

理であるに拘らず︑俗説として︑最一近殊に流行してをるのみなちず︑筆者自らが箱冷もすれば其俗説

を奉ずるものなるが如 3 誤解を受くる乙とある事情に鑑み︑

一 臆

の 緯

明 を

必 要

と 思

ふ ︒

其 俗

説 と

は 印

ち ︑

今まで一般的原則として鹿く承認されてゐたものを日本に営てはめゃうとして失敗した例は砂くな

ザ︒日本は特殊の閣情を有するから一般的原則は日本に適用苫れ難いのであると︒然し︑掛る議論の

誤謬なることは直ちに論誼されるであらラ︒如何なる特定の場舎にも趨用され得る乙とが﹁一般的原

則﹂の成立保件である︒若し︑ある設が一つの特定の場合に遁用されなかったとすれば︑其れは其詑

が﹁一般的原則﹂で−なかったか︑又は遁用する者が其れを理解せず︑﹁一般的原則﹂ならざるものが趨

用せられたかの何れかでなければならない︒今日までに日本に趨用せられ得なかった﹁一般的原則﹂

も右の何れかの場合に相借問する︒殊に後遺園として欧米に礎達した﹁原則﹂を趨用すべく酷儀なく

された我闘の如 3 は欧米にのみ趨用苫れ得る原則をご般的﹂な b と誤認した乙とが甚だ多い︒日本

が一岡家であ

p

夕︑日本民族︑が一民族である之とが自明の理である以上︑﹁一般的原則﹂は日本の特殊の

(5)

場合にも趨用 3 れ得るやう構成忌れたものでなければなら本い︒然らぎるものは﹁一般的原則﹂の名

に 背

く ま

で で

あ る

設 ︵

一 ︶

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崎町ロ品目︒吋

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活 用

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自閉漫忠男﹁経涛原論﹂上︑一一一・!ご二頁に依る 51

第一篇

民 族 の 本 質 第一章

民 族 の 概

メ』.

4

己 、

第一節

一諸

如何なる枇曾科皐に於℃も用語の意義︑又は定義は必ずしも一致し℃をらない︒其れは言語なるも

のが思想接表の用具とし℃不ウ万全なる乙と︑延いては︑人聞の思想共自馳胞が不完全なることの結果で

も あ

b ︑又其れの龍明であらうが︑枇

A

智科皐に於ては︑以上のやうな一般的原因の外に︑其れが未だ

ハ或びは永久に︶主観的性質を脱してをらぬといよ事賃に困る乙とが多いのである︒

部ち︑観ろ者が観勤を具にする時は定義も自ら異ならぎるを得ない︒例へば閤家の如主も是主枇曾

皐者が観たる時と法皐者が観たる時とでは共立場︑が異るから︑定義も異る︒然し︑我

Lq

は 何

れ を

日 正

何れを非とする乙とは出来ない︒何れも貫在せる枇命日現象の部分的把握であ b

︑ 其

れ の

喜 一

面 ︑

絶 封

言 者

書室

民族及び民放政策

ヨ 五

(6)

等主

邑 守

第 十

一 一

一 説

v二一』

把握は現在の人智の及ばぎると之 λ である︒其意味に於て定義は必︑ずしも↓なるを要せ向︒寧ろ多数

在るを歓迎すベであらう︒

次に述べる諸家の定義又は概念は必ずしも一致してを 6 ぬが︑其二つが直ちに︑民族概念の暖昧な

る之︑とをも︑諸説のうち何れかが模謬なるかをも詮明してをらね乙ーとは明かである︒

然し︑弦に﹁民族﹂が其れの本質を論ずる前に特に定義昌れ・怠ければならない理由がある︒其れは

﹁ 民

族 ﹂

及 川

小 企

パ れ

に 関

聯 す

る 語

が 種

ム ザ

雑 多

な る

意 義

を 附

さ れ

1

従って甲の観る民族と乙の観る民族とは

別個のものを意味してをる乙とが多いからである︒例へば︑﹁米関は種冷の民族よ h

成 る

﹂ と

言 は

れ ︑

叉 は

一 一

民 族

b とも言はれてゐる︒アングロサクソンは一一民族と呼ばれてゐるに拘らず︑同系統の人

ん 可 よ

b 成

る オ

I ストレリアは英帝閣内に在る一民族として英本間と卦立して考えられてゐる︒其れは

前述の場合の如く︑同一客躍に封し︑単に立場を異にする乙とから生ずる差異では在く︑別個の客鯉

に封する同一の名栴である︒共れが問題を混乱せしむる乙主謀︑たしい︒

然し︑我闘の﹁民族﹂が常識語として稿冷一定せる意義を有する乙とは誠に幸である︒内地人︑朝

鮮 人

H 本帝国の人民なるも別個の民族衣 b と言はれ︑金醐胞を綿稽する時は是を﹁日本園民﹂と言つ

てをる︒即ち︑常識語として︑漠然ながらも︑人民は政府に封し︑統治の客膿と概念ヨれ︑民族は別

糧の停統を有する地域集圏を意味し︑園民は是れを外国人民到し︑日本の闘籍を有するものと凪はれ

(7)

てをる︒然るに︑其れらの語は一度皐術語として用以られる時︑外園語︑特に︑英語︑ドイヅ語の同守

丘 ︵ 一

F

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︒ 55

MJ1cHFU4

込町

市宮

等の語と闘聯し℃用以られるので︑却って混乱を招主易いので

司VPP

あ る

英語︑ドイツの間三守口は一アアン諾の回己目︒を語源とし︑出生又は人種の意味を八 ︒

7 u U

︒故に言語皐

的には出与問︒ロは同一の人種的系統に麗する人々を意味する︒然し︑英語のヨ注目︻︶ロは大躍に於て日

本語の園民に相営し︑稀に岡家及川

ω

民族と混用活れる︒ドイヅ語・としての

H P

江戸は其れの語源を隼

重して同一の人種的糸統に属する人の集圏の意味に解せられ︑英語の

回 三 同

C E

河日本語の E

﹁ 民

族 ﹂

に近く︑多敷設に依る英語の岡山

P 4

7 ロ日本語の

﹁ 困

民 ﹂

に 封

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︒ ︼

問 問

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︒ 然

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︸片は日本語の﹁閤民﹂を意味すると同時に﹁人民﹂ゆども意味する︒例へば︑

WF

ン チ

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I

一 授

の 如

主 は

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︿ ︒

とは﹁統一あ b 組織ある岡家の凡℃の成員よ b − w

構 成

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合 同

﹂ ︑

印 ち

︑ 人

民 を

意 味

す る

ものとし︑同丘町富を岡氏の意味に解し︑英語の

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と同意義を附してをる︒然るに︑

プ 戸

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用 語

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加 之

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英 語

の 岡

山 主

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ロ 及

び 濁

語 の

4 c

F が主れと皐向上明瞭に直別 3

る べ

3 m w 件 忠 3 3

Z 邑を意味する場合に用以られてゐる乙とである︒却ち︑ 一定の組織又は結合たる岡

家と共同社曾たる岡氏が同一義に用びられ℃をるのである︒新くの如く︑英濁語に於ては

3

闘家︑悶

民族及び民族政策

(8)

ー 向

第 十 三 掠

/I

民︑人民︑民族の四語が常識語としては勿論︑皐術語とし℃も混用 3 れ︑議む者をして其の煩雑に堪

4 ι

ざらしむるものがある︒

それは外岡語であるから我ム干の闘すると乙ろに非ずとして簡単に片づけ℃仕舞へばそれまでである

が︑皐問が普遍的である以上︑砂なくとも白園語の用法だけは一定され度きものである︒我園の皐者

のうちにも︑外園に於て用語の一致な 3

た め

諜 課

︑ 誤

解 に

陥 る

者 が

甚 ︑

た 多

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は い

遺 憾

に 堪

え ず

︑ 其

意 味に於℃も我ムザは砂なくとも日本語の術語︑だけは明瞭に識別し℃置く必要がある︒

民族の定義は後に是を述べるつも b であるが︑設に一一腹︑民族と園民の匡別を明にする必要がある

と思よ︒常識語としての民族は﹁日本民族﹂﹁朝鮮民族﹂の如く同一の偉統を有する地域集圏を意味し︑

皐術語も太臆其れに順臆し℃差支無いと思はれる︒然し︑﹁園民﹂は其れの常識語が梢冷不明瞭である

から︑相

LV

詳細なる考察を要すると思ふ︒

﹁園民﹂は前越の如く︑外岡人に卦し℃帝園の臣民を線稗する場合に用以られてゐるのであるが︑其

れと同時に﹁民族﹂と同意義にも用びられてをる︒例へば同色自己UBが﹁民族主義﹂と諒されると

共に﹁困民主義﹂とも誇され︑﹁民族精神﹂が﹁閤民精神﹂と同義に用以られるが如くである︒その場

合に﹁民族﹂が杢然﹁園民﹂と同一なるかと言ふに必ずしも然らず︑﹁民族﹂といよ時は梢

Lq

不完全叉

は原始的の祉舎を意味し︑﹁園民﹂は相営に文化の進んだ吐舎を意味する︒皐者のうちにも︑﹁民族﹂

(9)

と﹁岡氏﹂を其意味は解轄し︑其直別の明かでない場合には常に﹁民族叉は岡氏﹂と言つ℃をる人も

あ る

︒ っ

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︑ 民

族 ︑

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一 民

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︑ た

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か ら

︑ 皐

術 語

と し

て は

﹁園民﹂を﹁岡家を組織する民族﹂と解し度きものである︒ 3 うする時は︑文化の高い民族は多く園家

を組織してをるから常識語としての第二の意味にも大韓合致し︑外園人に封して白岡氏を封立せしむ

る常識語の第二の意味にも︑

一 悶

家 ︑

一 民

族 の

場 合

に は

合 致

す る

一園家︑数民放の場合には以上の

定義は常識語の意味を離れるのであるが︑其時は佃

Lq

の場合に臆じて﹁人民﹂﹁臣民向閤籍﹂等の語を

以て置き換へる乙とが出来る︒

岡氏は自ら岡家を組織する民族であるから︑民族は必ずしも岡民でないが︑岡民は必ず民族である︒

国家を組織するか否かは勿論︑重要なる差ではあるが︑其差は直ちに民族の存否を決定する程度のも

のではない︒然るに岡氏は図家を絶卦候件とする︒﹁民族十闘家 H 園民﹂である︒印ち︑岡氏は僚件附

の 民

族 で

あ る

右のやうに規定 3 れた﹁民族﹂に卦する外岡語は前に述︑たやうに誠に不統一あでる︒筆者は引用せ

えとする著者が其本園語に如て如何なる用語を使用するにせよ︑其れの内容によ b

︑ 其

れ を

﹁ 民

族 ﹂

と課すべき場合には﹁民族﹂の語を嘗てる乙とにした︒

民族及び民族政策

ブL

(10)

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論 叢

第十三時酔

第二節

\ 

イ ズ の 設

Z4

ズ数授は先づ局主︵︶ロなる一請が極めて暖昧になった結果︑十九世紀の初宇から

H A

E E

任者とい

ム語が欧洲各閣の皐者に依つ℃使用遣れるやうになった乙とを述べ︑其れを失のやうに定義してゐ

る ︒

﹁ 同

一 叉

一 は

近 似

の 言

語 を

語 ︑共逼の歴史的停続を寧ぴ︑特殊の文化粧曾を構成し︑又は特殊の文化 b

↓枇曾を構成すると信ずる人の集聞である﹂

2

此意味に於て︑民族は政治的統一無くして存在し得る︒郎ち︑自己の組織ヨれたる主催岡家無くし τ 存し得る︒同時に︑同一の閏家の下に数多の民族の存する乙とも可能でお b ︑事買である︒勿論︑

近代の一般的傾向は一民放︑ 一同家主義に謹 λ でをるが其れは別個の問題である

G

民族が政治的民統

一 京

れ て

︑ 主

権 園

家 を

持 つ

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る 時

︑ 我

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を ︑

﹁ 問

国 内

﹂ 又

は ﹁

民 族

園 家

﹂ と

栴 す

る ︒

﹁ 民

族 同

家 ﹂

は常に民族に基礎を置くものであるが︵民族は必ずしも﹁民族関家﹂を保件とするものではない︒岡

家は本来﹁政治的﹂にあるに反し︑民族は本来︑﹁文化的﹂であら\偶々政治的になるのである︒︵四︶

本章に於℃は主として民族の概念を形式的に規定すれば宜しいのであって︑其内容に深く立ち入る

へイズ教授の定義に就いて特に注意すべき鮪の二三を述べ

乙 と

は 是

れ を

次 章

次 干

に 譲

る の

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る ︑

が ︑

(11)

る 必

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へイズ教授は民族を﹁人の集圏﹂

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唱︒毛色

HgQ

︼?と観てをる︒而して如何なる集固であ

第 一

に ︑

るかと一五ょに﹁同一又は逗似の言語を語 b ︑共通の歴史的停統をせび云

Lq

﹂であっ τ ︑等しく﹁人の

集 園

﹈ ︑

た る

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集 嗣

聞 と

民 族

と を

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境 界

線 を

文 化

的 保

件 に

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る ︒

其 れ

は 彼

が ﹁

文 化

粧 合

同 ﹂

といよ語を明記してゐる賭よ b 観 τ も極めて明瞭であらう︒然し︑誌で問題とな b 得るのは︑民族が

果して酔怠る文化集固であるか否かである︒

民族が丈化集国文は文化枇曾なる黙に異論を挟むものは砂−なからうと思ふが︑共れが文化集開たる

には更に他の重要なる健件に依つ℃基礎づけられてをるのではあるまいか︒

現存の諸民族は多く地域的に分布され℃をる︒勿論︑彼等は閤際関係の複雑化の結果︑決し℃草純

に一地域にのみ幡居してをるわけではないが︑大瞳に於て︑同一地域に共同生活をするといよ事賓が

彼等に共蓮の文化を持たしめたと蹴る乙とが出来る︒勿論︑ユダヤ民族の如 3

は世界各闘に住居し︑

某住居地内に於℃特殊の文化枇命円を構成してをる︒然し︑彼等と雄も︑本来︑一地域集闘であっ売のが

特殊の事情のため分散したのである︒加之︑現在︑彼等が向︑多少の特殊的文化集圏を形成し τ

ゐ る

のは︶彼等が他の赴曾内に於℃︑特殊の地域集圏を有してゐるからであらう︒若し︑

ユ ダ

ヤ 民

族 が

某最初の地域枇舎の崩壊と共に各閣に分散し︑他の地域社曾に個人的に流入した?とすれば︑彼等は到

民族及び民族政策

(12)

jfff 

挙 論 叢

第 十

一 一

一 挽

底 今

日 の

如 く

一 一

民 族

主 潟

す 乙

と は

出 来

・ な

か っ

た で

あ ら

ラ ︒

彼 等

が 今

命 ︑

一民族主矯す所以のものは︑

地域枇曾を形成したからである︒

へイズ教授と錐も決して民族の地域的要素を否定するのではない︒ハ五︶然し︑彼は其れを︑宗敬︑

人種︑他の物質的僚件と共に︑民族構成の一因と観てゐるに過ぎない︒本章は︑前述の如く︑民族論

の内容に入る之とを目的としてをらねから︑某結に就い℃の詳論は避けるが︑民族の概念を形式的に

規定するに際し︑其れの地域的集圏なる黙をも追加すべきであらうと思ム︒

次に︑へイズ数授は︑民族が文化集固なる勅を力説する飴 b ︑民族は﹁本来︑文化的であ b

︑ 偶

冷 ︑

政治的になる﹂と論じてゐる︒

民族と岡家とは皐向上︑明瞭に匝別詰るべきは勿論︑民族と閥民とも亦匝別高るべきは前越の遁 b

で あ

る ︒

へイズ教授が﹁偶冷︑政治的になる﹂と言ったのは恐らく︑民族は政治的に組織活れ︑調立

の園家を持つ時と然らざる時とがある乙とを強調せ λ がためであらラ︒然し︑集圏︑が﹁政治的﹂なる

か否かと︑濁立の園家を組織するか否かとは別問題である︒民族は︑へイズ教授の認むる如く︑濁立

の﹁傾向﹂を有するものである︒猫立の傾向を有する乙とは民族が﹁政治的﹂なる乙とを意味し℃は

を ら

肉 ︑

た ら

う か

勿 論

へイズ教授の説くと乙ろを杢臆よ

AY

観る時︑彼は決して民族の政治性を否定し℃をるのでは

(13)

ない︒唯︑彼が︑﹁政治的﹂といム一百薬を梢冷不用意に使用し史︑め概念構成の正確性主主眼とする本

章に於 τ

一 一

腹 の

考 察

を 試

み た

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る ︒

︵ 六

第三節

︑ ︑

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言 培

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ス チ

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︑ ミ

wy

の民族概念は概念構成の正確性に於℃殆んど間然すると乙ろなく︑筆者の

其れを助成したところが甚だ多かった粘から観℃︑煩を厭はず其原文と私語とを引用し︑精々詳細に

分 析

し ゃ

う と

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︒ E K F

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因︒

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呂 田 ︒

H 4 0

由︒

阿白

Z

回 目

4 0

q E

︵ 七 ︶

私語

﹁人類の一部は次の場合︑一民族や構成すと言ひ得る︒即ち︑人々が彼等自身と他の人々との聞に存在ぜぬところの共渇の諸同

情に依って結合せられる時

l i

而して一足諮問情たるや彼等をして他の人々に叫制するより以上の喜びを以て相互に協働ぜしむるも

のであり︑同一の政府の下に在ることを願はしめ︑同して英政府たるや︑事ら彼等自らに依るものなるか︑又は彼等自らのうち

の一

部に

依る

もの

なる

べき

一を

願は

しむ

るも

のヤ

ある

ミ Y は先づ民族の本質を﹁共通の諸同情﹂と観念し︑其﹁共通の諸同情﹂が何に起因するものなる

重量

民族及び民族政策

(14)

商 拳 論 議 第 十 三 貌

F司

か を

次 の

. 如

く 説

明 す

る ︒

民族的戚情︵共通の諸同情︶の起因は一つでなくし τ

︑ 数

多 で

あ る

時とし℃其れは人種又は姐先を共通にする乙とに依 b ︑時としては︑言語の共通︑宗教の同一性に依

b ︑叉時としては地問的環境が作用する︒然し︑最も強い紐帯は︑政治的停統︑共同歴史の所有︑而

して其れらの結果たる共通の追憶である︒即ち︑過去に於ける一切の喜慌︑苦痛︑名春︑屈辱等が彼

等 を

L τ

共通の念を持たしむるのである︒以上のうち︑何れの一っと雄も︑不可棋の要素ではない︒

三国語に分れ℃ゐるスヰスが強烈なる民族意識を持ち︑

U V

U 1

9 I

と ネ

I プ Y スとは共通の言語︑宗教

を持ち乍らも長く別個の民族意識を持ち︑アレミシユとワ

Y

ンは別々の宗教︑言語を持つに拘らず I

共 通

の ベ

Y ギ I 民族意識を持つ︒然し︑大躍に於 τ ︑民族意識は其れを構成する諸要素の強度に正比

例 す

る の

で あ

る ︒

ハ 八

U

UY

の民族概念を盟解するに営 b ︑最初に注意しまくてはならぬ勤は彼が其れを魚すに営 b

極 め

注意深く︑民族を定義する乙とを避けた乙とである︒彼はえ町田

3

E

田 白

色 宮

市 島

64F

含 出 口 ︒ 旬 ︑ 等 の

言葉を避け︑殊更に廻 b

く ど

h n B

ミ ゲ

O E E E o o g 辛 口 件

P ︒

E E 巴

− 宮 山

1 w

と 一

五 ふ

表 現

を 用

ひ た

k B

4 3

は不確定を表す用語であるから︑被は彼の民族概念以外の民族概念の構成せらるる之とを諌め認めた

の で

あ る

l

(15)

凡そ︑定義が一度輿へられる時︑其れはニ様の作用を持つ︒第一民共れは認識の卦象を限定する︒

第二に其れは他の要素を共れよ b 排斥する︒定義は境界を明示することである︒ハ九︶故に一観念又は

一要素は其れが如何に重要であっ τ も︑其れが揖界線の外側に出づる乙と可能なる時は︑其れは最初

よ b

排 斥

す べ

き で

あ る

へ イ

ズ の

如 3 は明に此諜謬を侵してをる︒彼は一方に於て民族を﹁同一又は類似の言語を語る:::

人の集圏﹂在 b と規定し乍ら︑他方に於ては言語︑が必ずしも結封的要件でない乙と認め℃をる︒言語

在る民族概念構成要素が概念の境界の内外を随時比俳俳し℃ゐる有様である︒然し︑へイズの異意は

言語と民族との不分離なる闘係主強調しゃうとしたのであって︑錯誤は彼が共れを定義の形式で表現

しゃうとしたと乙ろに存するのである︒

ミ Y は民族が極めて定義し難い乙とを知 b

故 意

に 其

れ を

遡 避

し た

の で

あ っ

. た

衣 に

︑ ミ

Y が

特 に

♂ ︒

臣 民

吉 伸

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といふ宇を用 u

− 党

結 に

注 意

を 要

す る

o

︒ ︒ E

出 丘 町

Z Z J

の第一の意味は

士 宮

g g u ざ 田

作 曲 ︑

E W

−−成立せしむ︑又は成立を促すーーである︒♀︶卸ち︑最初よ b 存在し得るも

y

の に

閲 し

て 用

び ら

れ る

に ︒

比 田

元 主

避 け

︑ 一定の俊一件の下江︑殺生するものなる乙とを暗示したのであ

原 る

文 の

之 内

ョ 以

下 の

丈 章

は 口

町 族

の 構

成 せ

ら る

る 傑

件 を

述 べ

た の

で あ

る ︒

民族及び民族政策

円五

(16)

導 基

論 叢 第 十 三 挨

一 六

先引っ彼は一共通の諸同情﹂が民族の本質的要素なる乙とを規定し︑而して︑共﹁共通の諸同情﹂の

内容に言及する前に其れが﹁彼等自らと他との聞には存せぎるもの﹂であると言つ℃其消極的方面を

明かにし︑最後に︑其れの内容が﹁他の人々に艶し τ ょんリ以上の喜びど以て相互に協働﹂せんとする

戚情と︑﹁同一の政府の下に在る乙とを願﹂よ戚情在ることを説く︒

民族の概念を規定するに際し︑我

ι f

は民族を他の集圏に封して直別すると同時に︑諸民族封立の現

買をも合意する必要がある︒何と−なれば其れは車に事費であるといよだけ汚なく︑諸民族卦立こそ民

族概念の不可分要素であるからである︒ミ

UF

は共れを消極的表現で言以謹してゐる︒そして︑民族を

他の集闘に封して区別する揖界を︑協働せ λ とする欲望の相封的大い志と︑﹁同一の政府の下に在ると

とを願﹂よ欲望とに置いてをる︒第一は相封的︵卸ち︑他の民族との関係に於 τ

も よ

b 低い程度にて

可能なる子と︶であるが︑第二は結封的である︒故に︑ミ Y の民族概念を最も簡略に言ひ換へると︑

﹁同一の政府の下氏在る三とを願ふ﹂﹁共通の同情﹂を持つ﹁人類の一部﹂となる︒却も︑﹁人類の一部﹂

が主格であ b ︑﹁共通の同情﹂が其れを限定し︑﹁同一の政府の下に在ることを願よ﹂乙とが更に共れを

限 定

し ℃

を る

斯く規定されたミ Y み民族概念は歴史的責在允る民族を十二介に表現してをるであらうか︒

先づ其れは﹁人類︒一部﹂である之とに依 b ︑中世の紳墨羅馬帝閣の人民ゃ︑時来現宣される乙

ey

(17)

理論上︑可能なる世界国家の下に在る人類の全部とは明瞭に区別される︒

然し︑誌で問題とな b 得るのは︑此概念が果し℃古代及び中世の都市園家を組織せる枇曾を排除し

得るであらうか︒彼等も亦︑﹁人類の一部﹂であ b

︑ ﹁

共 通

の 同

情 ﹂

を 持

ち ︑

而 し

℃ 其

れ は

﹁ 同

一 一

り 政

の 下

に 在

る 乙

と を

願 ふ

﹂ ︑

が 如

き も

の で

あ っ

た の

で は

・ な

か ら

う か

此黙に於℃ミ Y の表現が和々誤解を招き日現いものである之とは承認しなくてはならない︒然し︑ミ

ルの概念を更に細かく分析する時彼の概念︑が右のや

4

ーな現象を排除するものなる乙とが解る︒彼は明

瞭に﹁同一の政府の下に在る乙とを願ム﹂主胞を﹁人類の一部﹂とし︑而し℃其﹁一部﹂を﹁彼等﹂

にて現し︑共﹁彼等﹂を二分又は三分する乙とを許さなかった︒勿論︑﹁其政府たるや:::彼等のその

一部﹂である乙ともあ b

特るが︑其れは統治の主控を指したのであって︑﹁願ム﹂ものの主躍ではない︒

− 願

ふ ﹂

主 鯉

は 飽

く ま

で ﹁

彼 等

﹂ 全

部 で

な け

れ ば

な ら

な い

︒ 然

る に

︑ 古

代 及

川 い

中 世

の 都

市 圏

家 を

組 織

し 枇

曾 は

︑ 一

枇 舎

の 一

部 の

み が

闘 家

を 組

職 し

︑ 他

の 部

分 は

全 然

其 れ

に 閲

奥 せ

ず ︑

又 ︑

新 る

統 治

肢 態

を ﹁

願 ﹂

はなかったのであち︒近世の初め︑言語︑習慣︑宗数等の分解︑綜 A

口 一

り 結

果 ︑

人 類

の 一

部 が

︑ 某

れ ら

を起因とし℃﹁共遁の同情﹂を持ち︑﹁同一の政府の下に在る乙とを願ム﹂やラになったのである︒其

政府が事政 b

睦 た

る と

︑ 共

和 政

盤 ︑

た る

と は

別 問

題 で

あ る

故に︑我冷はミ Y が或ひは明示︑或以は合意に依 b ︑十二分に民族の概念を規定したものと断定し

民族及び民族政策

(18)

商 挙 論 議

第十コ一旗

F

得 る

の で

あ る

然し︑筆者は必ずしもミ Y の表現に満足するものではない︒

ミ Y の概念構成の弱結は論理的誤謬を恐るる徐 b ︑必要以上の警戒と︑﹁逃道﹂とに浦吉れ℃ゐる乙

とである︒今︑其一二を翠ぐるに︑斯くまで正確なる概念を何故定義の形式に τ 表現しなかったので

あらうか︒其れは彼の自由主義的皐問的良心の然らしむると乙ろであらう︑が︑人智の有限なる乙とを

認むる以上︑積極的定義を︑避ける乙とは必ずしも人文の接達を助ける乙ととは思はれないのである︒

第二に︑彼は︑前越の説明に依って明かなる如く︑﹁彼等自ら﹂の合意に依って古伏︑中世の世曾を

其民族概念よ b 除外する乙とに成功し℃をる︒然し︑其れは草に彼の論理の誤 b

で な

い 乙

と を

一 不

す の

みであっ τ ︑民族概念をよ b 明瞭︑又は豊富にした乙とにならない︒乙れは所謂︑説く乙とよ

AY

も 逃

ぐる乙とを先にしたとの批判を免れない貼であると思ふ︒

又︑最後に︑彼が﹁其政府たるや︑専ら彼等自らに依るものなるか︑又は︑彼等自らの一部に依る

ものなるか﹂と云ひ︑﹁共通の諸同情﹂の主躍に封し︑特に二つの場合を想定し℃をる︒然し︑其れは

民族概念の構成には不必要な表現である︒事政々治なると民主政治なるとは政醐胞の差であっ τ ︑民族

と他の集圏とを区別するに際し℃は無視し℃差支ない現象ではあるまいか︒

然し︑以上の批剣はミ Y の民族概念の根基には何等の関係無きことものなる乙とは敢℃断る必要も

(19)

無 い

と 旧

PF

第四節 マツキ 1 パ 1

の 一

へイズ︑及び其他多くの皐者五﹀に共遁せる論理的課謬は︑彼等の規定すると乙 λ の概念を以て民

族−ならぎるものにも営てはめ得る勅にある︒誠に︑

ヘイズの定義を以℃古代希臓の都市岡家の市民に

趨用せんか︑都市の﹁市民﹂は定義に依って直ちに民族と呼ばれる乙とになる︒又︑中世紀のイタ9

ヤ諸都市の﹁市民﹂にも同様の定義が下 3 れるであらう︒勿論︑彼等ども﹁民族﹂な b

定 義

す れ

ば ︑

定義に依つ℃彼警は﹁民族﹂化するであらうが︑斯る定義が︑其定義を奥ふる者自身の概念と遠かぎ

る乙とは免れない︒殊に︑

へ イ

ズ の

如 3 は歴史家とし℃の立場よ ︑民族及伏民族主義が近代的現象 b

なることを再三力説してをるのである︒

斯る誤認一は民族の歴史性を無覗又は軽視するか︑然らずんば︑ へイズの如く︑其れを重要楓しっ︑

概念規定の際に︑歴史性を一躍除外しなくては民族の本質を把掻し得ないかの如き錯誤は陥る子とか

ら 生

ず る

の で

あ る

民族が時間?と空間に依って限定せられた現象である之とは凡での皐者の認め︑又︑常識の肯定する

と乙ろなるに拘らず︑其れの歴史性を概念外に放逐し−なければならぬ理由は何庭に在らうか︒否︑歴

~~

釘間

民族及び民族政策

(20)

商 摩

言 鎚

第 十

一 一

一 抜

一 一

O

史性は民族の概念よ b 不分離︑不可快の要素である︒

以 下

マツキ

I バーの説くと乙んを紹介批判しゃう︒

マ ヅ キ

I バーは先づ︑言語とか宗教とか一五ム民族構成の要素を以て民族の概念を規定し難き之と遮

ベ︑多くの皐者の定義が寅は定義にあらずして﹁質問﹂である乙とを精通し︑其例として︑民族の定

義のうち最も庚く引用せられてゐる Y ナシの定義を翠げ︑其れを批判する︒ Y ナシに依れば

﹁民族を構成するものは同一の言語を語 b ︑叉は同一の種族民属する黙にあらず︑過去に於て共同的

に偉大なる事業を成就し︑而して︑将来に於ても同様の之とをしゃうと欲することに依 b て構成せら

れるのである﹂と︒然し︑弦に﹁偉大なる事業を成就﹂し︑自ら﹁民族﹂な b と信ずる人間とは一睡

誰のととであらうか︒そのやうな乙とは家族に依 b ︑舶舶の舶員に依 b 又は謀反人の闇聞に依 b

て も

同様に戚ぜられるのではなからラか︒然し︑彼らが﹁民族﹂を構成せぬ乙とは明瞭である︒

﹁ 民

族 と

は ﹂

マヅキ

I バーに依れば︑﹁ある特殊なる枇合接達期に於ける歴史的保件の下に圃家の統一

を有してゐるといよ共同枇舎の意識︑又は今向岡家の統一を通して表現志れんとする共同枇舎の意識

で あ

る ︒

ハ Z

2 7

2 5

句凶白子︒盟国理主︒︒陸自己ロ日々三

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Y 4

出品

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品 目立 つ

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回目

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白内

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鳥︒

U

︵ソ

ヤ一

い︶

(21)

この定義が極めて難解にして︑明瞭を焼くことは認め−なくてはならない︒

然 し

︑ 思

ふ に

マ ヅ

T バ I は乙れよ b 以上に簡明に自己の概念を表現し符なかったらしい︒彼は

其有名在るのむ

E g g s

−を一九一七年に出版し︑其後︑

一 九

O ︑

一 九

二 四

一 九

二 八

の 三

同 に

一 旦

b

て其れを改版してゐるに拘らず︑又︑﹁共同社合﹂︑﹁結合﹂等の如く民族を密接攻る概念を根め℃明

快に説明し℃ゐるに拘らず︑﹁民族﹂の定義は掬論の乙と︑其れに針する詳細なる説明すら避けてゐた

のである︒共れは彼が決し τ ︑其れを無視してゐたのでも・なければ︑忘却してゐたのでも在い︒其れ

を重要視する飴 b

︑ 経

ι 干しく定義し符なかっと見−なければならない︒被が民族の定義を典へたのは︑

i

一九二六年出版の世話冨己

0 2

霊民営に於てである︒郎ち︑共同枇舎の概念︑結舎の概念︑が確立高れ

た後︑初めて民族が稲 ι

年 明

瞭 に

把 掻

さ れ

た の

で あ

る ︒

故に︑マヅキ I バ T の民族概念を明瞭に理解するには其れに先行する他の概念を理解せねばならな

い︒然し︑其れは後章に譲る乙ととして︑技には︑不充分ながら︑彼の定義を分析的に説明して︑後

章以下に於て越ベゃうとすると乙ろの準備と魚きう︒

民族は共同社曾の意識である︒

民 族

は ミ

Y の言ム如く﹁人類の一部﹂でもなければ︑ ヘイズの如く﹁人 ι

干 の

集 圏

﹂ で

も 攻

く ︑

又 ﹁

命 日

﹂ 其

も の

で も

な い

︒ !

共 れ

は ﹁

意 識

﹂ で

あ る

︒ ハ

十 二

︶ 論

民族及び民族政策

(22)

警喜

言命

叢 第 十 三 披

民族が祉命日的現象なる結に就いては異論はない︒然し︑其れを以て一の﹁枇曾﹂と見るべきか︑又

は ︑

壮 命

日 の

﹁ 意

識 ﹂

窓 口

由 ︒

と見るべきが問題である?其れを﹁吐曾﹂を見る立場は人 ι

干 の

集 会

を 彼

が集合し︑何らかを意識し℃共同動作を採る朕態を外部よ b 観察したる場舎に成立する︒其れを﹁意

誠﹂と観る立場は︑入

Lf

が共同動作をとるに際し︑彼等をして斯く行動せしむる内在的原因よ b 観察

したる場合に成立する︒

マ ヅ キ

I バーは︑共同社命日の存荘と其れを意識する子ととが不可分なあ乙と

に着目し︑共同一枇曾日共同意識︑共同意識

n n 共

同 枇

命 一

H

在る方程式に到達したのである︒若し︑雨者︑か

同一本らば︑柿故︑民族を定義するに際し︑﹁共同世曾の意識﹂と言はずして﹁共同枇合︑郎ち︑其れ

の意識﹂と明記し在かったのであらうか︒其れに劃する彼の解答は奥へられ℃をらぬが︑察するに︑

民族︑其他の共同社舎が和今もすれば︑其れを構成する人ゅの意識を超越して存在するが如く観念 3

れ て

を る

か ら

で あ

ら う

︒ ︵

十 一

一 一

U

然らば︑彼の言ふ﹁共同枇命日﹂とは何であるか︒彼に依れば﹁共同社舎とは共同生活の一地域︑却も

村落︑都市︑医︑郡叉は更に大なる地域を意味する︒共同枇曾と栴せられんがためには︑該地域は其れ

よ b 虞い地域と何等かの姑に於て区別され−なければなら在い︒共同生活は其自身︑何かの特質を持た

− な

く て

は 在

ら な

い ︒

t i

−−:人冷が共同の生活を替む時彼等は必ず或る種類の︑而して或程度まで濁自

の特質︑卸ち︑風俗︑習慣︑言語等を接達せしめる︒此等は凡て効果的共同生活の標徴であ b

︑ 結

(23)

で あ

る ︒

一共同枇舎は其れよ b

庚 い

共 同

一 枇

曾 の

一 部

で あ

b ︑凡ての共同一枇曾は程度の問題である乙と

が解るであらう︒例へば︑英図人が外闘の都市民住居する時︑彼等は其都市に於ける庚い共同世曾の

うちに生活すると共に︑最も密接なる彼等自身の共同枇曾のうちに生活するととが多い︒其れは共同

生活の程度と親密誌の問題である︒﹂♀四

U

又︑他の個所に於て彼は説明する︒

﹁共同枇曾は其れの構成員が共同生活の相互作用を許す︑氏けの十分なる共通の興味を承認する祉合目的

統一である︒孜ふは既に︑共同世曾が程度の問題であ b ︑其れが容易民地理的境界に依って決定せら

れる乙とを見た︒何となれば︑地方的に接近する乙とは︑菅に︑既存せる類似の興味を共同の興味に

持型化せしむるのみでなく︑其自躍が恒に新たなる共同興味を織るととろの生物的︑及︑以心理的作用を

保 詮

す る

か ら

で あ

る ︒

﹂ ︵

十 四

思 ふ

に ︑

ヤ 叶 ノ キ

I バーの共同枇舎は地域の制約を受けたる共同生活の獄態を指すが如くである︒地

域は二つの作用を有する︒ 一方に於て︑其れは︑其範圏内の生活を単一化する

P

其れは恐らく︑群居

本能︑模放性︑暗示性等の如き人聞の本性に因るのであらう︒他方に於て︑共れは他の地域社曾に讃

して特異性を輿へる︒主とし℃地理的環境︑が異なるからであらう︒此一一つの作用に依って︑地域は共

同 一

枇 曾

を 作

る ︒

~

.

.   同 "

民族及び民族政策

(24)

j

『 命

毒 主

第 十

一 ニ

一 一 四

然 し

マ ヅ −

JJ

・ −

I f

I の共同世命日は決して︑結識的︑叉は排他的のものではない︒凡℃の共同枇曾は

﹁稗一度の問題﹂である︒村落︑都市が共同枇舎なると共に︑民族も亦共同枇舎であ b ︑

一 村

落 の

一 員

たることは一民族の一員たる三とと矛盾じない︒共同世合は﹁珪度の問題﹂であるから︑ある種の共

同吐曾は他の段階の其れよ b 以上の強度を以て︑其れの構成員代作用する︒其作用が認識 3 れる程度

な る

場 合

マ ヅ

I バーは其れを﹁効果的共同社曾﹂と名づける︒例へば︑我園に於て︑﹁日本民族﹂

や村落は﹁効果的共同枇曾﹂であらうが︑郡︑又は匿の如きは稿 b

疑 し

い の

で あ

る ︒

右の如く規定 3 れた共同枇合同を斯く意識する乙とをマヅキ I バーは民族であると言ムのである︒勿

論︑彼は︑民族を他の共同枇曾と全然並列せしめずして︑﹁共同社合の最も完全なる形態が民族である﹂

と言って︑各種の英同枇令内に於ける民族の優越性戸認め℃ゐる黙は注意を要する︒ハ十き

マ ツ

I バーの民族は﹁共同一枇舎の意識﹂であるが︑共れは﹁園家を有し﹂﹁又は今儲岡家を通して

表現当れんとする﹂ことに依って限定詰れてをる︒

我冷は先にへイズが民族を﹁本来︑文化的であ b ︑偶冷︑政治的に怠る﹂と言って︑民族の必然的

政治性を否定し乍ら︑他の個所に於て︑民族が樹立園家を持つ一般的﹁傾向﹂にある之とを力説し τ

ゐる乙とが論理的矛盾である乙とを指摘した︒然し︑ へイズの異意は決し τ 民族の政治性を否定する

のではなく︑民族が岡家を有する場合と然らざる場合とがある乙とを言以度かったのである之とは

(25)

明かである︒闘家を有するにせよ︑有せぎるにせよ︑民族が必然的に政治的なる乙と︑却も︑岡家を

有する場 A 口には其れを意識し︑其れを保持せんとし︑然らぎる場合には︑園家を有し︑其れを通して

自らを表現せんとす忍もの在ることはへイズの認むるととろである︒

斯くの如く解樫されたるへイズの設は?ツキ r バーと殆んど完全に一致するのである︒

wy

は明文を以て﹁同一の政府の下に在る乙とを願び云 ι

乙と言ってをるのであ

h

尚 更

マ ヅ

I

バーに近いのである︒ミ Y

︑ が

﹁ 政

治 ﹂

と 一

吉 っ

た の

に 封

し ︑

マ ヲ

I

バ ー

が ﹁

闘 家

﹂ ー

と 言

っ た

の み

で 雨

者の区別は此特殊の場合には非一本質的である︒

技に我

L r は

Y ︑

へ イ

ズ ︑

マ ヅ

I バーの三者が表現の差乙そあれ︑悉く民族の政治性を肯定し℃ゐ

る 姑

に 注

意 し

− な

く て

は な

ら な

い ︒

ハ 十

六 ︶

? ヅ

I バーの民族は﹁特殊なる枇曾夜連期に於ける歴史的保件の下に﹂殺生した忍意誠で

次 に

ある︒其れの詳細な説明は吹章に於て此を謹べるが︑要するに此結︑がマヅキ I バーをしてプ Y

ンチユ

ヲ ︑

Y ︑へイズ︑其他大部分の皐者に封し彼を特徴づけるのである︒

我ふか民族を概念するに際し︑何故か民族が如何なる環境︑如何なる時代にも殺生し符︑又は殺生

したるものなる︑が如き印象を以

τ ︑其れに嘗る心理的習癖を持つゃうである︒

其れは恐らく︑民族と種族との混同に依るか︑又は民族の永久性に卦する願望が謀って過去に封す

言命

主主

民族及び民族政策

こ 五

(26)

連 喜

書室

第十三時郁

一 一 六

る無限性への信念に轄化したものであらう︒民族の永久性は願はしくもあ h ︑又︑可能でもあるが︑

共れを以て直ちに過去に適用する乙との諜 b なる乙とは明瞭である︒

へイズが共助を明瞭にせず︑ミ Y は其れを意識しっ︑も其れを含しなしたるに過ぎず︑何れも民族概

念の積極的構成には鍛くべからぎるものであるが︑我冷はマヅキ I バ T に於て初めて其賭の明記を見

る の

で あ

る ︒

彼は民撲を﹁特殊なる一枇脅殺定期の歴史的保件の下に﹂稜坐したるものとし︑歴史牲を以て民族概

念の構成を助け℃むるのは車見と言はなければならない︒

第五節 民族の概念に関する私見

筆者はミ

Y とマヅキ﹃バ T の綜舎を以て正しい民族概念を構成し符るものと信ずる︒

問題を簡明にするため左に雨者の関係を固形を以℃表す︒

一 ︑ 民 族 の 主 瞳

人 類

︑ の

一 部

︵ ミ

ル ︶

共 同

枇 舎

の 意

識 ︵

マ ツ

一 キ

l

l ︶

二 ︑ 民 族 の 本 質

共 通

の 諸

同 情

ハ ミ

ル ︶

共同世舎の意識︵マツキ l

l ︶

(27)

一 一

一 ︑

民 族

の 作

ー ノ

υ 他より以上の喜びを以マ協働ずることを欲ナ

国家の統一を過して表現せんとす︵マツキ 1

パ ︸

〈 ロ 〉

同一の政府の下に在るととを願ふ︵ミル︶

四︑民族の費生保件

彼等自らに依る政府たらざるべからやハミル︶ 或る特殊たる枇合護連の歴史的保件︵マツキ︸パ 1 ︶

第一に︑民族の主躍を考察しゃう︒

wy

は其れを﹁人類の一部﹂と言ってをるに掛し︑

マ キ

I

I

は其れを﹁共同枇命日の意識﹂と規定し℃をる︒彼が何故に﹁共同枇曾﹂と云はずして︑其れの﹁意識﹂

と言ったかは稿冷諒解に苦しむところなる之と前述の如くである︒然し︑其れは恐らく次のやうな諸

事情に依るものであると推察出来る︒

リマヅキーバーは枇舎が其れを構成する個人の意識を離れて概念し特ないものである乙とを強調

する者である︒ハ十七︶従って︑彼は民族を枇曾と規定する時は民族が其れの構成員の意識と濁立的に

存在するものなるが如き誤解を生ぜしむる乙とを恐れた乙と︒

" 問

. 耳完

民族及び民放政策

二七

参照

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