福島第一原子力発電所事故被災者の生活再建への情報 支援のあり方
Informational Support for Recovery of Lives of Fukushima Nuclear Power Plant Accident Victims
関澤 純
SEKIZAWA Jun
1.はじめに:研究目的と方法
福島第一原子力発電所(福島原発)の事故は、幅広く国民生活、経済、技術、社会 のあり方のすべてに関わるだけでなく、影響の甚大さ、解決への時間の永さからも、
戦後最大の複合リスク事象と言える。これまで、事故の原因と組織的対応の問題点の 究明、また健康影響の可能性などについては、国内外で技術的および専門的視点から 多くの分析がされてきた。
しかし多様な被災者の事故時とその後に関して実態の分析および遭遇する課題、と りわけ生活とコミュニティーの再建の見通し、また復興過程における被災住民による 主体的な取り組みと、またそのことに関わる情報支援のあり方の検討は十分なされた とは言い難い。原発事故に関わるこれまでのリスク・コミュニケーション実態を見る と、専ら行政、専門家と直接事故に責任を持つべき事業者側により一方的になされて きた。原発事故のリスクを負うことになった被災者は放射線による健康影響の可能性 や除染による環境リスクの低減と言った技術的な話に限らない、生活やコミュニティー の回復の見通しに関わる適切な情報を必要としている。
ここで、地域、世代と家族、生計、健康障害の有無などによる違いと複雑かつ多岐 にわたる課題があると同時に、深刻かつ重大で共通する未解決の問題(廃炉、高レベ ル放射性残骸処理)がある。このため原発事故による被害は、福島県の避難者、また 除染と帰還といった大雑把な括りや、あるいは単純な費用対効果という枠組みによっ ては、簡単に問題を語れない。
今回、福島第一原発周辺の双葉郡内における状況の異なる大熊町、浪江町、川内村 の
3
町村に焦点をあて、事故前、また直後の住民への情報提供と避難状況、事故後7
年近くを経過した被災住民の実情と思いを地元のNPO
他と協力して、被災者から直接 聞き現実の深刻な問題の一端を調査した。大熊町では、かつて福島第一原発が立地し町民の約
3
分の1
が原発関連の仕事に従 事してきたが、事故後は町民の大半が居住していた地域を帰還困難区域に指定され、中間貯蔵施設の設置を認めさせられている。浪江町は、原発関連の予算こそなかった
が、今回事故による放射性汚染を強く被ることになり広範な地域を帰還困難区域に指 定された。川内村は、農林業中心の山間の村で、原発から
20 km
圏内にかかるが風向 の関係などで比較的汚染が低くて済み、除染によりほぼ1
年で帰村が可能となったが、避難者にとり決して問題が片付いておらず事故の影響は広く深く継続している。国に より帰還困難区域を除く大部分の地域で、2017年
4
月時点で避難指示が一斉に解除さ れたが、多くの避難民は確かな生活再建の見通しを持てているとは言えず、「原発事故 を忘れないでほしい。いまだ続く放射能を理由とする風評被害やいじめを無くしてほ しい」などの思いを抱えている。事故後
6
年半以上経過し「風化」が危惧される現実に、事故経過を事実に基づき検 証すると同時に、帰還困難区域の方、帰村を許可され戻られた方、避難継続中の被災 者に、生活の現状とこれからをどのようにお考えかについて、筆者は共同研究者とと もにインタビューし考察を加え、映像アーカイブ作成を通して情報面からの支援を進 めている。本論文では、さまざまの違いを抱えながら、住民が適切な情報の提供と支 援を受け、互いに協力しつつ自ら主人公として意思決定をして、コミュニティーの再 建と普通の暮らしを取り戻すという共通課題を実現する方向について、住民への直接 ヒアリングと映像アーカイブの作成を通して被災者の事実を知り、情報支援のあり方 を探る。2.事故経過と事故当時における住民への情報提供
事故経過の概要を表 1に示す。1999年に東海村の
JCO
核燃料試験棟での作業員の教 育不足による稚拙な作業から重大事故が起き作業員2
人が死亡し600
名以上の犠牲者表 1 福島原発事故の経過と対応
年月日時刻 事象と対応
2011年3月
11日 14:46 東日本大震災発生
19:03 原子力緊急事態宣言発出
20:50 施設半径2km圏に避難指示
21:23 施設半径3km圏に避難指示
12日 5:44 施設半径10km圏に避難指示
15:36 1号機建屋で水素爆発
18:25 施設半径20km圏に避難指示
14日 11:01 3号機建屋で水素爆発
15日 0:12 4号機建屋で水素爆発
11:00 施設半径30km圏に屋内退避指示
25日 施設半径30km圏に自主避難勧告 4月22日 施設半径20km圏を警戒区域指定。
大 熊町、富岡町、双葉町全域、川内村、浪江町他3市町村の一部を警 戒区域に指定、浪江町など4市町村の一部を計画的避難区域、川内 村他4市町の一部を緊急時避難準備区域に指定
2012年4月 帰還困難区域、居住制限区域の指定 出典:国会事故調(2012)より
を出した。さらに周辺地域への情報提供の不備が問われた本臨界事故を受けて原子力 災害対策特別措置法が制定された。この法律による緊急事態宣言が福島原発事故の直 後に発出された。しかし国による避難指示は時々刻々変遷し、必要な情報が的確に住 民に届かず、以後の対応に混乱を招き、さらには除染や避難指示解除などが適切な説 明なしに一方的に進められ、住民の生活再建の判断に大きな障害となっている。
大熊町、川内村、浪江町の震災前と最近の人口概要を表 2に示したが、多くの方が 元の居住地に戻れず住民票のみを残す、あるいは一部家族のみが旧所在地に残るとい う状況にある。震災前と最近で一見人口に大きな違いが見られないが、大熊町では事 故現場の修復と廃炉作業にほぼ数千人が毎日働き、これら作業員の通勤を容易にする ため比較的汚染の低い大川原地区を先行復興ゾーンとして優先的に除染し東京電力(東 電)関係者と作業員約
3
千人の居住区を設定したため、町外からの流入者が多数いる。原発事故による避難指示などの区域指定状況を図 1に示す。地域ごとの線量分布は、
水素爆発の日時と放射性プリューム(煙の柱)の動きと風向や、その後の降雨など天 候の影響も受け、大変複雑なパターンとなった。
事故当初の住民への情報提供と住民による危害の認知状況、および不安要因ほかに ついて内閣府調査から抽出し表 3に示す(内閣府 2015)。前述の原子力緊急事態宣言 を聞いた人は
2
割に満たず、何が起きたか分からず、物流輸送の立入り制限により飲 食物や日用品が欠乏し、行先の不明のまま、渋滞する道路を家族と別行動で避難せざ るを得なかった方が多くいた。すなわち法令や制度はあってもその適用について具体 的に考慮されておらず、事故後に146,000
人以上の方が強制的に避難させられ、4万人 近い方が放射線量が高いとされた地域から自主避難した(国会事故調 2012)。
浪江町では、全町民約
21,000
人余りが避 難対象となり、役場機能は1
年半で4
回も 移動した。当時の浪江町長馬場氏は国の指 示を待たず、全町民の安全のために避難を 開始したが、このように緊急時においては 現場市町村の判断が尊重されるべきである と日本弁護士会シンポジウム(日本弁護士会2016)で指摘した。
川内村は津波の被害はなかったが、3月
表 2 大熊町、川内村、浪江町の人口推移
(単位:人)
震災前 最近(調査時期)
大熊町 川内村 浪江町
11,505 3,038 21,434
10,568 (2017年8月31日)
2,714 (2017年11月30日)
18,132 (2017年8月31日)
出典:ふくしま復興ステーション、2017
図 1 年間累積放射線量による地域指定 区分
出典:ふくしま(2016)
12
日に隣接する富岡町から原発がおかしいので避難を受け入れてほしいとの連絡を受 け、その日のうちに村人口の2
倍以上の8
千人が避難してきた。川内村には直接指示 はなかったが、TVで水素爆発報道を見るに至り3
月16
日には当時の村長は郡山市の「ビッグパレットふくしま」の了解を得て全村避難を開始した。
3.被害の実態と対応
事故対策の予めの備えと、適時の的確な情報を欠く中、住民が居住地から強制的に 退去させられたり、あるいは不安から自主避難した過程で、介護や治療の必要な方が 手当てのないままの移動を強いられた。また生活や帰還の見通しが立たないことによ り自殺に追い込まれる方も出て、福島県の直接の放射線被ばくによらない震災関連死 者数は平成
27
年9
月までに1
千人近くおられる。震災で被災した東北4
県における震 災や津波による直接死ではない、震災関連死の累計(図 2)を見ると福島県がとびぬ けて多く、年月を経るごとに増加している。「復興」の掛け声や予算措置があっても、住み慣れた土地に戻れず、生業の見込みが立たず、家族がバラバラにされたことで、
生きる気力をなくした方、介護を受けられず障害を抱えたまま居住場所を転々と移さ せられた方もおられた。大熊町における人的被害は、平成
28
年7
月末現在、死者126
人(直接死11
人、間接死115
人)、行方不明1
人となっている。とりわけ同町の双葉 病院では入院患者のうち、少なくとも44
人の方が点滴やベッドの装備のない自衛隊の バスで移動させられたために亡くなられている。浪江町では、震災と津波による直接 の死者182
人(うち行方不明31
人)のほかに、平成27
年末までに避難生活などによ 表 3 福島原発事故避難者アンケート結果(2011 年 3 月 11 日~4 月 30 日。百分率は質問毎の有効回答中の割合)
情報の入手と内容について
原子力緊急事態宣言を聴取 16.5%
事件の事情が不明 39.0%
避難先が不明 47.7%
避難に関し市町村からの情報提供なし 49.7%
ラジオ、TVが主な情報源 49.9%
不安要因について
飲食物と日用品の欠乏 57.7%
交通の渋滞 42.3%
携帯電話不通 51.8%
家族と別離になった理由について
避難時に別だった 29.8%
移動が困難だった 34.3%
出典:内閣府(2015)より作成
る震災関連死は
378
人おられた。川内村では震災による直接死はなかったが、3年半 後における震災関連死は72
人に上っている。帰村しても仕事の見通しや生きがいを持 てず自殺に追い込まれた若夫婦らの悲惨な事例が2016
年のNHK
スペシャル番組の中 で紹介された。他方では厚生労働省は早期に周辺
17
都県で実施された食品汚染の検査(初年度に検 査数13
万7
千件)と基準超過食品の出荷停止(初年度の暫定規制値超過数は1,204
件で
1%以下)対策により、食品摂取からの被害防止について多くの関係者の努力を経
て成果をあげてきた。また福島県では甲状腺検査の実施(平成
28
年末まで延べ57
万 人受診。うち本格検査で一定サイズの結節等の見つかった方は延べ2,709
人)を通し て健康影響の可能性について診断に基づく指示や助言がなされている。環境省による 環境の放射性汚染の除去は、放射性汚染対処特措法で国が除染を担当する特別地域と、市町村が担当する除染状況重点調査地域に分けられ、国直轄除染は帰還困難区域を除 き平成
29
年3
月末に除染完了とされ、後者については28
年9
月末現在、県内28
市町 村の除染が完了、8市町村の除染が継続中である。4.放射性汚染の除染と帰還・復興への課題
原発事故による避難者はピーク時(2012年
5
月)の164,865
人から2017
年1
月には81,130
人に半減したとされる(ふくしま復興ステーション 2017)。国は原発事故に伴う避難区域を設定し、放射性物質汚染対処特措法(2011年
8
月公布)による生活環境 の除染を2017
年3
月終了を目標に進めて来た。避難指示区域のうち5
年を経過しても 年間積算線量が20
ミリシーベルトを下回らないおそれのある帰還困難区域を除き、避 難指示区域の避難指示を除染終了とあわせ解除するとされた(環境省 2016)。国の政 策では、除染すなわち環境修復であり放射線被害の可能性による避難の前提がなくな り、住民は帰還すべしという一律かつ単線的な構図が示されている。1年間の延長は されたものの2018
年3
月を契機に、応急仮設・借上げ住宅の供与や、精神的損害賠償 は終了するとされた。図 2 東北 4 県における東日本大震災後の震災関連死
出典:復興庁(2015)
しかし原発事故の被害は放射線による健康被害の可能性だけではない。除染が終了 しても、人が住まなかったため荒廃した家屋の問題や、生存の基盤である商業施設、
介護や医療などのインフラの復旧・再開についての目途は立っていると言えない。国 はイノベーション・コースト(福島・国際研究産業都市)構想の具体化を進めようと しているが、避難者の多くは高齢者であり帰還住民の就職・雇用機会が本構想で確保 されるとは思えない。
そもそも年間の追加被ばく線量が
1
ミリシーベルト以下となることを目指す国の長 期の除染目標数値は放射線による健康影響の可能性の検討というより、技術的および 政策的な考慮で決められたと言える。今から
50
年近い前に米国、ソ連、中国、フランスほかの国々が大気圏内核実験を繰 り返していた時期に日本を含む全世界が放射性降下物で強く汚染され、信頼性高い公 表データを元にすれば、当時の国内の食品や環境だけでなく、人の内部曝露について も福島原発事故直後と同等以上に汚染が広がっていた事実(関澤 2013)はまったく参 照されていない。ここで原発事故の影響は問題でないと言うのではなく、国が歴史的 な事実について適切な説明をせず、森林や底泥を除外した地域的に限界ある除染を進 めることにより、住民の不安解消を図ろうとしてきたところに根本的な問題がある。核実験のみならず核兵器の保管や使用は過去も現在も決して許されるべきでないこと は当然ながら明白である。
自主避難者に対する応急仮設・借上げ住宅の供与の終了は、居住、避難、移住、帰 還の自己決定権を認めた「原発事故子ども・被災者支援法」を形骸化させ、自主避難 者に対する損害賠償が避難の継続や移住を保証するものになってない。除染と帰還を 前提に原発避難者の消滅と問題の終焉を図ろうとする政策に対し、「復興とは何か」が 改めて問われているとの指摘がされている(川崎 2016)。また最近では横浜市に福島 県から避難していた小学生が「放射能がついている」と言われ、いじめにあいながら、
学校で適切な指導がされていなかった事件が大きく報道された(毎日新聞 2016)。
5.町村の復興への取り組みと住民アンケート調査ほかに見る被災の影響
(1)大熊町の取り組みと住民アンケート調査(大熊町 2016)
全町民約
11,500
人余りが町外への避難生活を余儀なくされ、2013年度に中屋敷地区(避難指示解除準備区域)と大川原地区(居住制限区域)で除染は完了したものの町民
の約
96%が居住していた地域は帰還困難区域に指定され、現時点でも除染の計画はな
い。2012年
9
月に「大熊町第一次復興計画」を策定、2014年度には中間貯蔵施設の建 設や東京電力賠償の第四次追補等の環境変化を踏まえ、第二次復興計画を策定してい るが、町の直面する課題は山積みである。中間貯蔵施設の建設を
2014
年12
月に受け入れたものの「いつまでに、どのような 状況になるのか」の時間軸が不明、不確定な除染の効果、生活環境の被ばく線量の明 確な基準が欠如している。一緒に生活していた家族が職場や子供の学校の変更等の事 情によりバラバラに生活する状況を強いられ、生活再建の遅れがある。状況改善策の 一つとして、町外コミュニティーの形成を検討しているが、復興公営住宅の建設が遅れており、雇用の確保、賠償問題など多様なニーズへの対応が必要である。県内の主 な避難先は、浜通り(42%)、中通り(17%)、会津地方(15%)、県外の埼玉、茨城、
東京に
25%と大変広範囲になっている。
大熊町住民意向調査(2015年
8
月郵送配布、回答者数2,667。回収率 50%)より見
ると、「町への帰還意向(以下括弧内は有効回答中の%)」は、戻りたい(11.4%)、戻 らない(63.5%)、判断つかない(17.3%)となっている。他方「町とのつながりを保 ちたいか」には、そう思う(60.8%)、思わない(7.2%)、わからない(28.7%)と答 えている。居住区域の大半が帰還困難区域に指定され、「戻らない」と多くの方が答え つつも、町のコミュニティーを大切にしようとする町民がほとんどであった。「戻りた い」と答えた方が帰還まで待てる年数を、3年以内(22%)、5年以内(18%)、10年 以内(22%)、帰れるまで(44%)と答えていることもこのことを裏付けている。「戻 らない」と答えた理由としては、原発の安全性、生活と家の状況、健康と医療環境な どが、それぞれ50~58%を占めていた。
(2)浪江町の取り組みと住民アンケート調査(浪江町 2017)
浪江町の郵送アンケート調査(2016年
9
月。回収4,867
人。回収率53.6%。以下回
答中の%)を見ると避難先は、県外が26.7%、福島市 16.8%、いわき市 14.2%で、県
外避難世帯の69.5%が同じ福島県外居住を希望している。避難指示解除後の帰還意向
では、戻らないと決めている(52.6%)、判断がつかない(26.2%)、すぐに・あるいは いずれ戻りたい(17.5%)となっており、帰還時期はいずれ戻りたい(63.6%)、すぐ に戻りたい(30.7%)であり、微妙な選択を迫られているように見える。(3)川内村の取り組み(川内村 2014、復興庁 2017)
川内村は事故後翌年
1
月に帰村宣言を発出し、同年10
月には一部が避難指示を解除 され、天皇皇后両陛下が除染現場の視察・励ましに来られ、復興大臣、環境大臣、総 理大臣も来村した。2013年には第4
次総合計画のもと復興計画に取り組みを始めた。2016
年6
月に残った地域の避難指示が解除されるなど、除染と帰還の指標的な扱いを 受けているように見られる。しかし郵便物宛先を自宅住所にした方で見ると2017
年5
月1
日現在、村民2,717
人中2,181
人(80.4%)である。6.被災者へのヒアリング
筆者は、立教大学大学院
21
世紀社会デザイン研究科長坂俊成教授の指導のもと、NHK
の「東日本大震災証言プロジェクト」(NHK 2013)の編集責任にあたってきた経 験を持つ同研究科社会デザイン研究所宮本聖二研究員の協力を得て研究を進めている。われわれは
NHK
が原発事故を地域の一時的な事件報道としてではなく、わが国未曾有 の深刻な自然災害プラス人為事故で被災した住民に密着し彼らの証言と、被災後の生 活を映像に記録した経緯に習い、被災者の体験や思い、教訓を後世に伝承し生かすべ きであると考えた。このため被災者の思いと自己決定権を尊重する復興の在り方、帰 還しない選択をした方の生活再建支援のあり方を、被災者の人権擁護等について配慮しつつ、映像と音声で記録し広く長く視聴できるように蓄積し、研究成果を映像アー カイブとして社会に発信し、国や自治体等に提言することにした。
避難先または被災現地で、インタビュー形式で、映像と音声を同時に収録した。具 体的には、被災前の家族との生活、仕事、地域の活動、発災直後の避難行動、緊急時 の避難施設での及び現在の生活、避難先の住民やコミュニティー、自治体とのかかわ り、郷里に残してきた住宅、一時帰省、復興まちづくり計画等へのかかわりと自身の 将来(生活や仕事、家族との関係、避難先の活動に関する意向や希望など)、自治体、
国、東京電力への要望、及び社会で共有したいこと、将来世代に伝えたいことなどに ついて聞いた。インタビューに際しては、表 4の企画書と同意書を示して説明し、同 意書では各項目ごとに同意の有無を確認している。以下現在同意された範囲内でイン タビューの内容の一部を記載する。
(1)大熊町避難者のヒアリング
2016
年5
月と2017
年7
月に、NPO法人「大熊町ふるさと応援隊」のメンバー、同 町町会議員、また同町出身で元福島県立医大教授の方たちと共に、現在も立ち入りが 制限されている被災地を訪問し、事故当時と現況について見聞きした。大部分が帰還 困難区域のなか比較的線量が低い大川原地区が先行除染され、除染や廃炉作業に携わ る事務所や社宅が建設されている。帰還困難区域に立ち入る際は検問ゲートで名前を 確認され線量モニターを渡される。元の水田は柳や雑草が茂り荒れ果てている。海沿 いの避難所になっていた公民館は津波に襲われ建物は半分がもぎ取られたまま残って いるが、当時住民は間一髪で津波より救助された。避難先となった田村市や会津若松 市でも地域の方たちはとても暖かく受け入れてくれた。しかし各地に避難した方の中 には、「放射能がついている」と嫌がらせを受けた住民もいるとのことである。なかな か先が見えない中にあっても、熊本大震災の時には、大熊町職員が物資を届け、川内 村の農作業を手伝う町民有志がいて、それぞれができることをがんばっている。しか し除染が進まないところは荒れ果てていくばかりの実情だ。2017年7
月に現地を訪ね たが、原発事故現場で働く数千人の労働者や関係者向けの住宅は新築され長期にわた る作業の継続をサポートできるようになったものの町民の住宅は帰還困難のまま、ほ ぼ住める住宅が取り壊しを待つばかりとなり避難者はやり切れない思いで我が家を見 表 4 インタビュー内容の公表に関する同意確認法福島の原発被災者等の証言や活動に関するドキュメンタリーの撮影の企画について(概要)
1 目 的(略)
2 実施体制(略)
3 撮影の方法(略)
4 インタビューの内容(避難者。略)
5 インタビューの内容(行政職員、その他支援者等。略)
6 著作権・肖像権と映像の公開について
映像ドキュメンタリーの撮影・公表に関する同意書(項目のみ。項目ごとに同意の有無を確認)
1 肖像権(個人が特定可能な容姿の写真や動画を無断で撮影・公表されない権利)について 2 撮影資料の使用(公表等)の範囲について
3 個人情報の公表について 4 著作権について
ている。
(2)浪江町避難者のヒアリング
2016
年3
月につくば市に避難中の被災者3
人に避難先で、事故当時と現況について 聞いた。「震災発生時に警察が防災服を着ているのはなぜだろうと訝ったが、まさか原 発があんなことになるとは思いもよらなかった。店から現金と濡れタオルだけ持って 山間の集落に逃げたが、数千人でいっぱいになった。人が多いため、支給品を遠慮し たら二度ともらえなかった。二本松の新聞に『原発難民』という言葉を見て腰を抜か した。二本松も人でいっぱいになり、車で長岡まで逃げたが『一生帰れない』と聞か され、帰省をあきらめたが本当は未だあきらめきれない」など生々しい話が語られた。「つくばに避難後、一時帰宅したが家は悪臭でたまらなかった。東電関係者は当初よ り情報を提供され避難バスが手配されたが、浪江町職員には情報が入らず何の通報も なかった。東電は被災者の補助のために分厚い書類を提出させたが、東電側弁護士の 仕分けは酷だった。被災直後のお金が必要な時に通帳なしでは銀行預金が使えず困っ た。仮設住宅や借り上げ住宅の住民と、個別避難民に対する自治体の支援に差があり 過ぎる。被災地を死の町にするのでなく何年かかっても生き返らせてほしい」などと も話された。
(3)川内村のでのヒアリング
2016
年9
月に川内村商工会長を訪ね、事故当時と現況について以下のような話を 伺った。「川内村の避難は決して早くなかった。3月14
日に衛星電話がつながったが、原子力保安院の幹部は富岡町長に対して絶対安全を繰り返していた。富岡町民は川内 村に一次避難をしたが
TV
で爆発事故を知り、川内村と富岡町の合同対策本部は16
日 に避難を開始した。国はSPEEDI
情報を隠し、マスコミは50 km
圏内進入禁止と伝え、そのため物流は
30 km
圏で輸送停止となり、自衛隊ヘリコプターも飛ばなくなり、見 捨てられたと感じた。川内村は奇跡的に線量が低く、1年足らずで帰村が開始された が、国が『除染で避難指示を解除すれば住めるようになったので帰りなさい』と言う のは乱暴だ。国はイノベーション・コースト構想を唱えているが、暮らしを中心にし た、しっかりした計画が必要だろう。村長は心の復興が大切と言い、森林が8
割以上 の過疎の中山間地域では、キノコや山菜採りが生きがいで、山の生活が取り戻せない と人は戻って来ない。」などと語られた。7.討論とまとめ
(1)事故現場の状況
事故から
6
年以上を経過したが、原発事故被災者の多くは元の家に戻れないでいる。事故現場の廃炉は
40
年先とされ、現在も事故現場の安全対策は十分ではない。2017 年に入り、ようやくメルトダウンを起こした炉内にカメラが挿入されたが、詳細を知 ることができず、高線量の核燃料デブリをどのように取り出すかの方針はまだ立って いない。(2)被災地と避難者のさまざまの状況
福島県の原発事故被災者と言っても、住民の居住する地域は浜通り、中通り、会津 地域では状況は大きく異なり、一括りで論じられない。同じ浜通りの双葉郡内の原発 周辺の大熊町、浪江町、川内村の間でも、元の生活環境と現状、今後の展望に地域差 が大きい。また同一の町・村の被災者の間でも、世代、家族構成、居住地域、職業な どにより、事情は大きく異なる。これらの違いに対し丁寧に配慮した具体的な対策が 検討される必要がある。
(3)国の取り組みの効果
東日本大震災からの復興を支援する名目で、2013年
1
月1
日から25
年間にわたり、所得税額の
2.1%相当額が復興特別所得税として徴収されている。2011
年6
月に設置 された復興事業推進役の復興庁は32
兆円の予算を抱えてきたが2020
年末には廃止予 定である。膨大な予算が災害公営住宅、防潮堤建設、除染などにつぎ込まれてきたが 廃炉計画は具体化されず、6年たった今も福島原発事故避難者の生活の見通しは明確 でなく、除染後即帰還という国の区切りに従うか否かで、被災者が分断されようとし ている。自由民主党の憲法改正草案では大規模災害時に首相が「緊急事態の宣言を発 することができる」とし、内閣は「法律と同一の効力を有する政令」を制定し、国民 の人権や財産権を制限できるとしている(毎日新聞 2017)。原子力災害対策特別措置 法による緊急事態宣言が福島原発事故直後に発出されたが、適切な指示に至らなかっ た。日本弁護士連合会は大規模災害対応に名を借り、憲法に内閣権限強化と国会機能 を停止させる緊急事態条項を設けることに対し、その実効性と共に潜在的危険性を指 摘し反対意見を強く表明している(日本弁護士連合会 2017)。(4)あるべき復興の姿
多くの被災者は「帰還困難」と指定された中でも、コミュニティーの繋がりの維持 を重要に考えている。国によるイノベーション・コースト構想など県外の大企業進出 を中心に据えた提案に対して、自らの暮らしを中心にした身近な計画の必要性を訴え ている。双葉郡
8
町村は2017
年度の地域復興のグランドデザインをまとめる協議に入 り、住民避難による人口減と帰還率の伸び悩みが懸念される中、町村間広域連携の在 り方を探り、双葉郡再生加速化につなげる検討を始めている(福島民友 2017)。(5)地元の結束を主体とする取り組み
双葉郡では若者有志を中心に「未来会議」を発足させ、将来を考え、行動する動きが ある(双葉郡未来会議 2016)。それぞれ大きな障害が立ちふさがり、抱える問題には複 雑な違いがある中でも「離れていてもお隣さん」を合言葉に相互に助け合い、不足する 部分を補いあう気運がある。国が、原発事故への十分な安全対策を推進しないまま、む しろ国内原発の再稼働を推進することを目指す動きに対し、被災地住民は国の指示待ち というよりも、自ら主人公となり将来を築いてゆこうとしており、福島が日本の真の意 味での再生と復興への転換を目指す重要な切掛けを作ることが期待される。
例えば、南相馬市長と飯館村長は原発事故時に、家族とコミュニティーの結束を守
ることを最優先と考え、国の指示を待たず住民の避難を自主的に決断したことを、相 馬市で開催された「こどもと震災復興国際シンポジウム
2016(2016)」で報告した。
相馬市は国の支援を期待する前に自ら
100
以上の自治体との間で災害時の相互扶助 の協定を結び、新築倉庫に保存食、飲料水、調理器具、燃料、寝具などを備蓄するこ とを始めた。折しも2016
年4
月に熊本地方で大きな連続地震が発生した際に直ちにこ れら備蓄品を届けたと相馬市長は同シンポジウムで語った。(6)国際的な支援と動向
2015
年3
月に仙台で185
国の代表が参加した第3
回国連防災世界会議があり、"BuildBack Better"
の標語が採択され、安倍首相は日本の防災技術の優秀さを自賛し途上国への資金援助を約束したが、福島原発事故についてはほとんど触れなかった。
同時期に福島市で「国連防災世界会議
in
福島」が地元の資金援助と参加者の寄付に より開催され、原発事故の実態と地元を中心とした対応が紹介された(WCDRR in福 島 2015)。会議では欧州からチェルノブイリ原発事故後の対応の教訓も報告されたが、ここには日本政府代表は公式に参加しなかった。国連大学サステイナビリティー高等 研究所で福島避難者の実情調査を担当した難民政策の専門家
Mosneaga
氏は、避難し た人々が元の居住地に戻るか、避難先に留まるか、または新たに別の居住地を求める か居住地選択の自由、隣人と共に暮らす社会的な環境と、公共福祉の確保が、基本的 人権として認められるべきと報告した(Mosneaga 2015)。本会議では、次のふくし ま行動宣言が採択された。すなわち「被災者の生活再建の実現と人間の尊厳を取り戻 すことが復興再生の最重要課題」、「誰もがアクセスしやすい透明性の高い情報プラッ トホーム構築」、「生活再建やふるさとの復興再生への合意形成システム構築」の3
点 である。福島県復興ビジョン検討委員会座長を務めた鈴木浩福島大学名誉教授は、除 染完了即帰還という単線的政策に対し、多様な道筋を認めつつ、生活の質、コミュニ ティーの質、環境の質という三つの質を、どれくらいの期間にどう満たしてゆくかの プログラムを準備する必要を主張している(鈴木 2017)。(7)災害のアーカイブという取り組み
われわれは
2016
年に発足した防災未来アーカイブ研究会(2016)の一員として、福 島の被災者、当事者のための映像アーカイブ・データベースを単に被災の記録として だけでなく、帰還困難区域を中心に被災前の暮らしや文化の記録を継続的に支援する ツールとして、一般社団法人「協働プラットフォーム(2014)」のサイトにおいて福島 アーカイブを公開する計画を進めている。サイトではすでに災害アーカイブ東北広報 版を公開している。本アーカイブは単なる思い出ではなく、ともすれば帰還か否かで 分断される被災者に記録の共有を通して今を確かめ、将来に向け自主選択をする支援 を提供するものである。さまざまな状況の違いについては、順序だてた見通しの上に 立つ適切な情報提供と、自治体および住民の広域連携とが生活とコミュニティーの再 建を支える基盤になるだろう。(8)危害を背負う人々が主人公となるリスクへの備えと新たな展望
自然災害と人為的不備の重層したわが国未曽有の災害事象に対して、リスク研究者 は何を考え、何ができるかが問われている。事故後
6
年を経た今、被災者の「原発事 故を忘れないでほしい。いまだ続く放射能を理由にした風評被害やいじめは無くして ほしい」との願いを大切に、被災者の思いと事故の実態を広く共有し、これに学ぶ基 盤を提供したいと考える。リスク・コミュニケーションが様々な形で試みられているが、リスク・コミュニケー ションの本来の主役は被災者であり、行政や専門家が放射線による健康影響の可能性 や除染によるリスク低減の科学的情報を一方的に解説することではない。筆者は今回 の試みで、被災者の声に学び彼らを主人公とする復興の前進と問題解決を目指す対話 と信頼構築を進めることこそがリスク・コミュニケーションの本来の趣旨に沿うもの と考えている。
■参考文献と資料
防災未来アーカイブ研究会、2016、公開シンポジウム「未来をつくるアーカイブ:大規模災害 情報の利活用に向けて」 https://publicpolicy.yahoo.co.jp/2016/03/0913.html(最終アク セス日 2017年2月18日)
ふくしま、2016、避難区域の変遷について ─ 解説 ─ http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/
portal/cat01-more.html(最終アクセス日 2016年5月27日)
ふくしま復興ステーション、2017、避難区域の状況・被災者支援 http://www.pref.fukushima.
lg.jp/site/portal/(最終アクセス日 2017年2月18日)
福島民友、2017、双葉8町村、広域連携へ全体構想で協議、合併巡る議論視野 http://www.
minyu–net.com/news/news/FM20170312-155697.php(最終アクセス日 平成29年3月 12日)
復興庁、2015、「東日本大震災における震災関連死の死者数(平成27年9月30日現在調査結 果)」復興庁・内閣府・消防庁、平成27年12月25日
復興庁、2017、原子力被災自治体における住民意向調査 http://www.reconstruction.go.jp/
topics/main-cat1/sub-cat1-4/ikoucyousa/(最終アクセス日 平成29年9月22日)
双葉郡未来会議、2016 http://futabafuture.com/(最終アクセス日 2017年1月16日)
川内村、2014、東日本大震災福島第一原子力発電所事故・川内村の記録・平成26年3月 http://www.kawauchimura.jp/pdf/2016/kiroku.pdf(最終アクセス日 2016年9月3日)
川崎興太、2016、福島除染・復興政策の転換期における除染・復興に関する課題、日本オペレー ションズ・リサーチ学会2016年秋季シンポジウム http://www.orsj.or.jp/~nc2016f/sympo sium.html(最終アクセス日 2017年2月18日)
環境省、2016、除染情報サイト http://josen.env.go.jp/(最終アクセス日 2017年2月18日)
国会事故調、2012、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、『国会事故調 報告書』徳間書 店、東京
こどもと震災復興国際シンポジウム2016、2016、"こどもと震災復興国際シンポジウム報告"
http://ieei.or.jp/2016/06/opinion160606/(最終アクセス日 2017年2月18日)
協働プラットフォーム、2014 http://www.platform.or.jp/(最終アクセス日 2017年2月18 日)
毎日新聞、2016、福島から避難生徒、手記を公表 横浜の中1 http://mainichi.jp/articles/2016 1116/k00/00m/040/063000c(最終アクセス日 2017年2月18日)
毎日新聞、2017、緊急事態条項 「首相の権限強化」検討を 自民改憲議論 https://mainichi.
jp/articles/20170706/k00/00m/010/123000c(最終アクセス日 2017年10月9日)
Mosneaga, A., 2015, Restoring livelihood after disasters: the case of Fukushima’s nuclear evac- uees. UNU–IAS Policy brief No.2 015
内閣府、2015、「東日本大震災における原子力発電事故に伴う避難に関する実態調査」 http://
www.bousai.go.jp/jishin/sonota/hinan-chosa/(最終アクセス日 2016年4月5日)
浪江町、2017、平成28年度住民意向調査報告 http://www.town.namie.fukushima.jp/site/sh insai/14273.html (最終アクセス日 2017年9月25日)
NHK、2013、『証言記録 ─ 東日本大震災』NHK出版、東京
日本弁護士連合会、2016、「シンポジウム 大規模災害と法制度~災害関連法規の課題、憲法の 緊急事態条項~」2016年4月30日、弁護士会館
日本弁護士連合会、2017、「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対す る意見書」 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2017/170217_
3.html(最終アクセス日 2017年10月9日)
大熊町、2016、「平成27年度大熊町住民意向調査報告」 http://www.town.okuma.fukushima.
jp/fukkou/node/143/ (最終アクセス日 2016年10月14日)
関澤純、2013、『食品の安全と放射性汚染』コープ出版、東京
鈴木浩、2017、多様な道筋を認める復興を、赤旗日曜版2017年3月12日号
WCDRR in福島(2015)WCDRR in福島について http://wcdrrfukushima.businesscatalyst.co m/wcdrr-in-%e7%a6%8f%e5%b3%b6%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6--wc drr-in-%e7%a6%8f%e5%b3%b6.html(最終アクセス日 2016年10月14日)