ニホン ニ オケル テッコツ コウゾウ ケンチク ノ ドウニュウ ト ハッテン カテイ ニ カンスル ケン キュウ
開田, 一博
北九州産業技術保存継承センター
https://doi.org/10.15017/14001
出版情報:Kyushu University, 2008, 博士(芸術工学), 論文博士 バージョン:
権利関係:
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第8章 官営八幡製鐵所における鋼構造設計技術者 8-1.官営八幡製鐵所における鋼構造設計技術者
以上、官営八幡製鐵所の工場建築と設計者について述べたが、彼らは創設当初から製鉄 操業技術者とは異なった組織に属していた。すなわち、官営八幡製鐵所の工場建築に関わ る技術者は、創設当初設から工場の建設と維持管理を行う組織に属していたが、明治 42 年
(1909)頃になると建設および維持管理を担当するとともに、設計も行う部門に属し、大 規模工場の建設の際にはプロジェクトチームにも属する技術者であった1〉。
また明治 42 年(1909)以降の官営八幡製鐵所における鋼構造設計技術者の特徴として、
民間である横河橋梁製作所からの招聘技術者の「村上幾一」を除くと、「ロール旋削工場」
を設計した「景山齊」を筆頭に、大学や高等工業学校で機械工学または土木工学を学んだ 技術者であった(表8-1)。これは 3-1-2.建設組織と役割の項で工場建築が機械設備の一 部として扱われていたことを述べたが、昭和初期においては土木構造物の一部として扱わ れたことを意味し、これらの事実は鋼構造設計技術が機械、建築、土木の各分野における 共通の領域であることを示している。なお、表8-1から、明治期に卒業した鋼構造設計技 術者は官営八幡製鐵所への入社前に別の企業での経験があり、大正期の卒業者は卒業後、
即入社していることがわかる。これは大正期には大学などでの教育の充実が図られ、官営 八幡製鐵所では即戦力となる技術者の確保を大学などに求めたことを示している2〉。
表8-1
鋼構造設計技術者一覧*沼田 尚徳 は工場設備よりも橋梁などのインフラ設備における鋼構造物設計が多かったため、別枠とした。
氏名 卒業学校及び学科 卒業年 入社前の経歴 主な担当鋼構造物
景山 齊 京都帝国大学工科大学 機械工学科 明治39 関西鉄道㈱ ロール旋削工場、堂山ロール鋳造工場等 林 交易 東京帝国大学工科大学 機械工学科 明治41 南満州鉄道㈱、
月島電機工作所 東田第五高炉櫓 武田 富吉 東京帝国大学土木工学科 明治41 横河橋梁製作所 三製鋼工場、
六分塊工場等 村上 幾一 東京高等工業学校 建築科 明治45 横河橋梁製作所 三製鋼工場、
六分塊工場等
片岡 隆 不 明 不 明 不 明 堂山製缶工場
足立元二郎 京都帝国大学工科大学土木工学科 大正4 な し 東田海水槽 志道 銕造 九州帝国大学工科大学 土木工学科 大正5 な し 東田海水槽 光永一三男 東北帝国大学工学専門部土木工学科 大正 8 なし 第六分塊工場
綿貫 保一 九州帝国大学工科大学 土木工学科 大正8 な し 新一製鋼工場
井上 泰三 熊本高等工業学校土木科 昭和3 な し 新一製鋼工場
井上 眞治 熊本高等工業学校土木科 昭和3 な し 新一製鋼工場
荒武 清治 不 明 不 明 不 明 精整工場
*沼田 尚徳 京都帝国大学工科大学 土木工学科 明治33 なし 南河内橋、枝光タイドアーチ橋
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8-2.官営八幡製鐵所における各鋼構造設計技術者の経歴
1.景山 齊:明治 12 年(1879)2 月 13 日生まれ。島根県松江中学校、第四高等学校から 京都帝国大学理工科大学機械工学科を明治 39 年(1906)に卒業、関西鉄道 株式会社を経て明治 40 年(1907)に官営八幡製鐵所へ技手の資格で入社、
工務部工作科工場主任および設計主任となる。以後、大正 4 年(1915)に工 作課長、鋼材部長を経て昭和 9 年(1934)に技師長、昭和 11 年(1936)に 本社常務、昭和 17 年(1942)に八幡製鐵所長、昭和 20 年(1945)に本社技 監を歴任した3〉。
2.林 交易:明治 17 年(1884)8 月 12 日生れ。福岡県明善中学、第五高等学校から東京 帝国大学工科大学機械工学科を明治 41 年(1908)に卒業後、南満州鉄道㈱、
月島電機工作所などに勤務した後、大正 5 年(1916)に八幡製鐵所に技手の 資格で入社。景山 齊の後を受けて、大正 7 年(1918)に火入れの第五高炉 櫓の設計を担当し、大正 8 年(1919)に技師に昇格した4〉。
3.武田富吉:明治 15 年(1882)3 月 28 日生れ。明治 41 年(1908)伊東富吉という名前 で東京帝国大学工科大学土木工学科卒業後、志願兵として鉄道隊入隊。明治 42(1909)除隊後、明治 43 年(1910)横河橋梁製作所勤務。明治 45 年(1912)
陸軍工兵少尉。武田性に変更。大正 5 年(1916)に技師の資格で八幡製鐵所 へ入社。大正 8 年(1919)には鐵骨建物設計主任並びに官舎及附属病院設計 主任兼建設主任、その後、建築課長となり、多くの工場および官舎などの設 計や建設に従事した。八幡製鐵所図面センターに「煉瓦造 2 戸建て判任官官 舎(高見 6 丁目)」の図面があり、「大正 8 年 10 月 20 日」の日付で承認者の 欄に「武田」のサインがある。大正 10 年(1921)に退社5〉。
図8-1 煉瓦造 2 戸建て判任官官舎(高見 6 丁目)(八幡製鐵所図面センター所蔵)
武田のサインがあるイギリス風の鉱滓煉瓦造 2 階建てで、2 戸が壁で仕切られた官舎であった。尚、近接してロンドン 長屋という呼称の、鉱滓煉瓦造長屋形式の官舎もあったが、ともに一帯の開発に伴い、解体されて存在しない。
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4.村上 幾一:明治 23 年(1890)年 8 月 15 日生れ。明治 41年(1908)沼津中学校卒業 後、明治 45 年(1912)東京高等工業学校建築科卒業。同時に横河橋梁製 作所に入所。大正 5 年(1916)に武田とともに技手の資格で八幡製鐵所へ 入社。多くの工場建築の設計を実務者として担当したが、大正 10 年(1921)
に内務省に転勤した6〉。
5.足立元二郎:明治 23 年(1890)3 月 21 日生まれ。愛知県立第一中学校、第八高等学校、
東京帝国大学工科大学機械工学科入学、退学後、京都帝国大学工科大学土 木工学科入学、大正 4 年 7 月同校卒。同年入社7〉
6.志道 銕造:明治 25 年(1892)1 月 1 日生まれ。山口県立山口中学校、第五高等学校、
大正 5 年九州帝国大学工科大学土木工学科卒業後、同年入社8〉
7.光永一三男:明治 29 年(1896)11 月 19 日生まれ。山口県立工業学校機械科、愛知県 立工業学校機械科へ転学、大正 8 年東北帝国大学工学専門部土木工学科卒 業後、同年入社。9〉
8.綿貫 保一:明治 25 年(1892)1 月 8 日生れ。明治 44 年(1911)福岡県東筑中学卒、
大正 5 年(1916)第五高等学校卒、大正 8 年(1919)7 月九州帝国大学工 科大学土木工学科卒後同年入社10〉。
9.井上 泰三:昭和 3 年(1928)熊本高等工業学校土木科卒後、「雇」の資格で入社11)。 昭和 8 年に技手に昇格。
10.井上 眞治:同上11〉。
11.沼田 尚徳:水戸市出身。明治 8 年(1875)11 月生まれ。明治 30 年(1897)第一高等 学校卒業、明治 33 年(1900)京都帝国大学理工科大学土木工学科卒業後、
官営八幡製鐵所に技手として入社。明治 35 年(1902)技師。明治 44 年(1911)
修築科長、大正 8 年(1919)土木課長、大正 12 年(1923)製鐵所臨時建 設部長、昭和 2 年(1927)土木部長、昭和 5 年(1930)退官12〉。
8-2.小結
1.官営八幡製鐵所の工場建築に関わる技術者は、明治 42 年(1909)頃になると建設およ び維持管理を担当するとともに、設計も行う部門に属し、大規模工場の建設の際には プロジェクトチームにも属する技術者であった。
2.同様に彼等は、民間から招聘された技術者を除いて、大学や高等工業学校で機械工学 または土木工学を学んだ技術者であった。これは工場建築が当初、機械設備の一部とし て扱われ、昭和初期には土木構造物の一部として扱われたことを意味している。同時に 鋼構造設計技術が機械、建築、土木の各分野における共通の領域であることを示してい る。
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3.官営八幡製鐵所では、鉄骨構造設計技術者の確保にためには、内部での技術者育成よ りも、国内技術の向上に連動して大学などにおける教育の充実が図られたことにより、
鉄骨構造の設計能力を有した人材を外部から採用することが多かった。
以上、官営八幡製鐵所での工場建築の設計技術者の確保に、内部での技術者育成よりも、
大学などにおける教育の充実に伴って、外部に求めたという事実は、わが国における鉄骨 構造設計技術の教育の発展過程を物語っていると言うことができる。
注
1)「工作科」「機械科」「土木科」「建築科」などの既存組織に属しながら、臨時建設本部というプロジェク ト組織のメンバーであり、技師(高等官)、技手(判任官)、技術雇、職工などから成る集団であった。
2)拙稿『大正初期における官営八幡製鐵所工場建築の設計者について 日本における鉄骨構造建築の導 入と発展過程についての研究 その7』(2008 年度大会 学術講演梗概集 建築歴史・意匠 開田一博 尾道建二 日本建築学会 )で述べている。
3)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 明治 40 年』『製鐵むかしがたり』(景山齊:昭和39年 2月、非売品)および『八幡製鐵所五十年誌』(八幡製鐵株式会社 八幡製鐵所 昭和25年11月、非売 品)に依った。
4)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正 5 年 自 1 月至 7 月』に依った。
5)八幡製鐵所史料室所蔵:『高等官辞令集 大正 5 年』に依った。
6)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正 5 年 自 1 月至 7 月』に依った。
7)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正4年』に依った。
8))八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正 5 年 自 1 月至 7 月』に依った。
9)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正8年』に依った 10)八幡製鉄所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 大正8年』に依った。
11)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官辞令原義 自昭和 8 年至同 9 年秘書課』
12)八幡製鐵所史料室所蔵:『判任官以下辞令原義 明治 33 年』、『製鐵所所内報くろがね』(昭和 5 年 7 月 11 日号)に依った。
表8-1 鋼構造設計技術者一覧は筆者が作成した。
図8-1 八幡製鐵所図面センター所蔵