近 世 女 子 用 往 来 に 見 る 産 育
一「憧れ」としての往来物
金 崎 充 代
はじめに一問題視角
1
9
7
0
年代は、女性史研究にとって画期的な時期であった。特に、近世女性史の見直しが進んだの は、女性たちが女性学や女性史を手掛けたことが大きな要因であろう 。今までは女訓書や女子用往 来、特にその教訓の部分に書かれていることを重視し、それを背景に女性の抑圧史を描いてきた。 しかし、現実の女性の生活はもっと自由だったのではないかという見方が出ている。r
貞女二夫に まみえずJ というが、実際には離婚率や再婚率はかなり高かったことから、イデオロギーと現実の 事離が指摘されるなど、実態の解明が進んでいる。但し、このような見方をする場合、女訓書や女 子用往来には触れられない。だが、単なるイデオ ロギーだと片付けることはできないだろう 。山川(198
3
) は
『
女大学
』
についてこのように述べている
。~
こうしづ書物を、何も分らぬ十歳ごろか
ら、毎日くり返しくり返し、暗記するほど読みもし、手習いにもしていた時代には、娘たちはひと りでにその通りに信じ込んでいました。』 やはり、女訓書は女性の生活に何らかの影響を与えてい たはずなのである。 それは一体どのような影響だったのだろうか。 ここでは、視点を産育に絞り、特に女子用の往来 物に書かれた産育についての記事が庶民の女性にどのような影響を与えたかを考察してみたい。第l
章では、 民俗学と女性史の分野で、産育がどのように取り扱われてきたかを考える。第2
章では、 女訓書か ら女子用往来が生まれてくるいきさっと女子用往来に実際に載せられていた産育に関す る記事について述べる。第3
章では、結局庶民の女性にとって女子用往来とは何であったのかを、 「憧れJ という視点をもって解いてみたい。第
1
章 先 行 研 究 の 概 観
1
.民俗学における産育 民俗学では、女子用の往来物について全くと言っていい程言及されない。民俗学の特徴は、文章 としては残 されていないが、親から子へと生活の中で継承されていく習俗を集めるという点にある ことから、あ くまで文献である往来物は、民俗学の研究の対象とはならなかったのだと思われる。 しかし 、往来物か、民俗学に糊する女性たちに全く影響を及ぼさなかったとは考えられない-
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の理由として、民俗学の研究者か集めた習俗は、明治になって突然出現したのではなく、近世ー か ら 連 綿 と 続 吋 た 町 あ る こ と と 女 川 ベ ー ス に 作 ら れ た 江 戸 時 代 の 女 子 用 往 来 物 は : •-
1
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明治時代になっても数多く出版されていることが挙げられる 。柳田国男ら民俗学研究者の努力は 長い歴史の中で、庶民が習俗として子育ての方法を工夫し、蓄積してきたことを、明らかにしてき た。 ル 作 山 本 体 ん しかし、大藤(
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.
6
0
)
によれば、その産育の民俗において、胎児から赤ん坊、さらに各発達段 階を経て一人前になるまで、子どもを中心とした見方は多いが、母親の側にのみ視点を当てて考え たものは君、外に少ないという 。 ここで、民俗学における産育を、できるだけ母親に比重を置いて、簡単にみておこう 。嫁が身ご もった時、大抵は、嫁の実家の母親が姑に挨拶にいき、嫁が十分に働けないことを告げる 。姑は重 労働こそさせないか、働いたほうがお産が軽いという経験から、産む間際まで嫁を働かせた。出産 は、婚家でする場合と嫁の実家でする場合がある 。育児の主導権は姑にあり、嫁は姑の指導の下に 子 どもを育てたか、実際の子どもの世話は全て母親がするものであり、大家族でどんなに人手があ っても 、普・過は人に任せるということはなかったとし寸 。大体 7歳頃になると、女の子は子ども時 代に別れを告げ、大人になる準備期にはいる。女の子に課されるのは、子守、炊事、掃除など。中 で も故鎚は非常に;主要視された。交子に対する教育は母親の受け持ちである 。 一人前の主婦・f
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籾となるために、 7歳頃から家事を手伝わせ、思春期に当る 10---13頃には情操教 育を行い1、やさしさや柔らかな心などを教えるのだ。大藤は、これが母性の源となるとしている。 仇 w , 外 品 H 比 ・ L-nMUu s -T ' ' ' 蜘 " " H 阿 川 川 1 1ル マ キ i k 峰 fT 丸 山 仙 吋 今 -A M -h ﹄ い 品 川 り ' 甘 U A 川 川 川 町 ・ ' h 附 M ' 土 八 宮 穴 A r ι U 1 引 -m m h 讃 ﹃ g D J L抜
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.女性史研究における産育 近│立女性史研究か産育をどのように取りk
げているか。簡単に言えば、 「腹は借り物J という言 咋があるとおり、女性は 「産Jのみに係わり、 「育Jには携わらないと考えられてきた。1
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1
伴(
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.
4
7
)
によれば、 『ものごころがつくと、もう結婚めあての教育だった。……嫁して継 可を生むことか、生まれおちたときから女にあたえられた唯一の使命であった』という 。r
子育て のl
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では、多くの女性問教訓│容が仮名で舎かれていることから、子育て論か、内容 ・形式ともに くの人に聞かれたものであったしている。 しかし、そこで言われる教育者としての母親の態度は 中医i
からの直輸入的性絡が色濃く、実用的なものではないとしづ 。小
LLI (.1991) によれば、女子J
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の往来物の内容は、妻 ・嫁としての女性のあり方に重点がおかれ、 としての'
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に視点を置いた徳田はほとんど見られないとし寸 。家庭における女子教育の重要性 を主弧した個所でも、教育する者として 「母親Jが単独で登場することはない。胎教は重要なもの とされているが、生まれた後の育児などのことに関しては何の言及もない。以上のような傾向の理 由として、l
つは女を徹底して愚かな存在と考える女性観、もう iつは現実問題として、母親にはI:h~
7t1Q 1を敬えられて を継ぐ息子を教えることはできなかったのではないかということが挙けら ている。 -1'9-つまり、民俗学ては柳田国男のいう 「妹の力 を背景として母れを儲 くのに対し、女性史は は借り物Jという言葉の上に、近世の母殺の抑圧的な状態を描こうとする ,そこでは、女訓容な しは友子用往来をとのように捉えるかかナきな分かれ目となってiる,女性史研究では、近世の女 性は抑圧一辺倒ではなかったという見方が出ているが、その場合に女子用往来をどう いう視点で捉 えるかが大きな課題となっているように思う 。
第
2
章
女子用往来にみる産育
‘1
.女訓書と女子用往来 まず、女訓引から女子用往来が生まれてきたいきさつについて述べる。 こlの点│についてほ、石川(
S
.
4
8
)
の解説が詳しい。 これによると、 古代 ・中世の女子の を中心として、雅やかな朗らかな女性を育むことが目標であった。だから 婚生活にはいるまでの官少年期の女性であ った。 江戸時代初期に入ると、中国で編まれた女自I
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が│直接に移植され7 堂 一方で、q
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世から(云ifi:された教育理念、も蕊えてはいなかった。近 し、新しい近世独自の女-子教育が生まれて 度の存続 ・強化が図られ、女子教育の自棋は、主総として • うになっに 」 lVJ£
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ケ月 、なくさみの 読み物だけでな く、実用的な堅い書物も貸本屋から借り出されていたことなとか分かる。だとすれ ば、女子用往来なども貸し出 されていたのではないだろうカ 。2
.女子用往来にみられる産育 前章で、江戸時代、母親は 「育Jに余り係わ らなかったする意見を紹介したが、そうとも 言えな いのではないだろうか。女子の教育に携わったのは母親であるし 、男子に対しても 、日常生活の験 はやはり母親が受け持っ たのではないだろうか。幸い、最近女子用往来の まとま った翻刻版か出た ので、子育ての心得を取り 扱 った記事が相当数に上ることが分かる 。それの一例を挙げてみよう 。 (江森、H.
5)
15
1
1
1
1
たとえば、『
女
式目
~
(上)の 「七 女子、おさなき時よりそだてゃう の作法Jでは、女子の教 育について、男子よ りも慈し んで育て、7
つになれば読書や手習いをさせ、1
0
歳頃から外ヘ出さず 裁縫を教えて母親の手伝い をさせるよ うにと述べら れている 。~女教艶文庫~ (明和6
、1
7
6
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)
の 「子そだての心得Jでは、子を養育するこ とは女の第一の役割であり 、懐妊すれば胎教を行い、出 産すれば教の道を怠っ てはな らないとして いる。 『女九々の声~ (天明7
、1
7
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7
)
の 「小児おしえ草j では、男女に限らず、小児は友人とする子 どもに影響を受けるも のだか ら、 『親たる 人、 その友をゑらみであそばしむべ し。』 とある。小山(
1
9
9
1
)
は、家庭 における女子教育の重要性を主張し た部分でも、教育する者とし て 「親Jr
父
母J という 言葉が使われている のは、現実に母親が関与 していた女子の教育であっ ても、母の責任 領域とは見倣されていなかったか らだと考えているが、そうだろうか。女子用の書物 に書かれて い る以上、 「親Jの務めとして書かれていることは、母親の務めであると考えて差し支えないのではぬ
l ないだろうか。 ~女有職掌文庫~ (慶応2
、1
8
6
6
)
の 「小児育てよ う井に薬方Jでは、生まれて間 もない赤ん坊から手習にい く年齢 くらいまでの子どもの育て方について述べている。この記述から、 手習いに行かせるまでに、母親自身が、生活に必要な一般常識程度の知識を子ども の身につけさせ ,ρ
J
ることが要求されていたと考えられる 。同様の記述は他にも散見される 。 また女子用往来の中には、養育風景を描いた絵が見られる 。母親 らしき女性が子どもに食事をさ せている絵や子どもの衣装を整えている絵、子どもの遊び相手になっている絵などがある。 これら の風景は、子どもの教育にとってささいなことかもしれない。 しかし 、食事をさせながら 、服装を 整えてやりながら、遊ばせてやりながら、母親は恐ら く子どもにた くさんのことを話しかけるだろ う。実際、絵の中で、母親はいずれも何事かを喋っているように描かれている 。仏頂面をしている わけではない。これも教育の一形態だとは言えないだろうか。 次に胎教についてだが、胎教に関する記述は多い。~子育ての 書』 によると、胎教は 、医学的な 面と女子教育的な面とを含むが、前者に多少の発展を見ながら、後者では、女子に対し 一貫して精割
1: t F 2 . ,1 ρ 0・ h v I ' ' H H M a -,-21-神修養を説くに終始しており、これは、教育者としての母親がほとんど存在しなかったことと対応 していたのではないかとしている。 しかし、胎教には 「育Jの面もあるのではないだろうか。単純に考えてみても、妊娠
5
ヶ月にで もなれば腹はせせり出してくる 。その中では紛れもなく自分の子どもが育っているのだ。妊娠中は 様々に行動が制約される。往来物でも、行動、食事から精神のあり様まで指示されている。 自分の 自由を制限されながらも、産まれてくる子どものことを考える 。 もう少し言えば、自由が制限され るからこそ子どものことを考えるのではないだろうか。 自分の身に何も変化がなければ、子どもの ことなど考えないだろう 。 これこそが 「育Jの意識につながるのではないか。 『いなご草』は、婦人の胎教より、産前 ・産後の養生を記している。 まず、胎教の意義は、良い 子を産むために母親の心身を正しいものにすることにあるとする 。次に、 f小学』の中の胎教の内 容を分かり易く解説し 、寝る姿勢、枕の高さ、膝の曲げ方、手の位置、座り方、立ち方、食べ物、 見聞きするものに至るまで、事細かに禁止事項が定められている 。その次の章では妊娠中のからだ の保養について述べ、 保養が悪ければ難産で死ぬ場合もあるとしている 。貴人に難産が多いのは、 産について色々思い悩む暇があり、御馳走を食べ過ぎたり、大事にされ過ぎて外の風にも当らせて もらえなか ったり、不必要な薬を飲まされたりするからである 。身分の低い者の状況はこれと全 く 反対なので、 難産が少ないという 。その他、懐胎後の男女の交わりの禁止、つわりなどに対する薬 の用い方、懐妊に伴う病気の種類について述べている 。 『いな ご草』 を読んで分かることは、胎教と産前の保養は別項目として扱われていることである 。 普段通り人つとめていれば安産であるのみならず、生まれてくる子の知恵、や才覚も優れたものにな るとしづ 記述 もわずかにあるが、 「保養Jの大部分はあくまで妊娠時の過ごし方について書いてあ り、産まれてくる子どもの善し悪しと結び付けてはいない。 その他、胎教については、 『女重宝記大成』、 『女教補談嚢I (宝麿4
、1
7
5
4
)
の 「産帯秘鑑一、『
女雑書
教
訓鑑
~
(文化9
、1
8
1
2
)
の 「懐胎十月守本尊弁びに婦人養生J、 『大宝百人一首紅葉 錦s
(
天保1
2
、1
8
4
1
)
の 「産に臨み心得の事j や 「産前産後食物禁忌Jなどにきかれている 。 いず れも妊娠中の女性の行動を事細かに具体的に制限、もしくは指示しているのだが、その制限や指示 に従うか従わないかで、生まれてくる子どもの賢・不賢が決まるとするような記述は、全てにある わけではない。子どもに対する影響よりもむしろ、指示に従えば女滝で無事に出産で、きることを強 調しているものもいくつかある 。 ここま でで、 往来物に「育Jの記事がみられないというのは真実ではないということが明らかに できたのではないだろうか。確かに、道徳的な教訓に比べると 「育J に関する記事は多いとは言え ないか、母親は全く育児に係われず、 「版は{昔り物Jであったとも言えないだろう 。-22
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3
章
女子用往来とは何か
1
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憧れ」 としての女子用往来 江森(H
.
6
)
は、女子用往来の世界は、いまだなぞのヴェールに包まれた部分が多いことを指 摘している 。例えば、どの程度出版され、どの程度の層にまで普及し、どのように利用されたのか などは、完全に明らかになっているとは言い難いという 。 江戸時代より明治初頭にかけて公刊ないし筆写され流布した女子用往来物は、千種をかなり上回 ると推測される 。 (石川│、S
.
4
8
)
女子用の往来物は、その普及とともに、判形 ・内容等、多様な 形式を伴って刊行されていく。利用者が庶民へと拡大したことによって、各人の学習レベルや、懐 具合に応じた選択の幅が広がっていったと解される。 従って、往来物の読者層は庶民にまで広がっていたと推測できる。だが、そこに載っている記事 は庶民的であるとは言いがたい。例えば、女子用往来のほとんどが、子育てに係わって乳母の選び 万を解いている 。それらは共通して、乳母の性質によって子どもの心ばえが変わるから、乳母は律 義で素直な女がょいとし寸。乳母を選んでいる様子を描いたと恩われる絵も掲載されている 。また 第 2~ との係わりで言えば、乳母を選ぶ際、上述のような「育」に係わった条件のもとで決定する ことになっているということは、母親も育児に係わっていくことと同義だと考えられる。 乳母を雇うということは、ある程度生活に余裕のある層のすることである。当時の支配階層であ る武士、富裕な商人などが雇っていたと考えられる。乳母を選んでいる様子を描いた絵でも、乳を 出している女より、そばでそれを見ている人々の服装のほうが明らかによい。だが、経済的余裕が なければ、武士でも乳母を雇わないこともあったようである 。 (太田、1
9
9
4
)
また、頼山陽の母の u き残した日記によると、子ども全員に乳母を付けたわけではなく、母親の体調が悪いときのみ雇 ったことが伺える。(林、1
9
9
3
)
ましてや庶民の家庭ならば、余程の経済的余裕がないと乳母を雇 うということはあまりなかったのではないだろうか。 第2
章で胎教のことに触れたが、 『し、なご草』には、貴人には難産が多く、身分卑しいものは難 産が少な いという記述がある。同様の内容は 『女重宝記大成』 などにもみられる。 これをもう少し 進めて考えると、身分の軽いものには、安産のための身体の保養は必要でないということになる。 司台数j と名付けられた妊娠中の様々な行動に対する注意が、子どもの賢愚に係わるという主張が 全てで、はなかったということは、前章でも述べた。それならば、往来物を読む庶民、特に下層の娘 にとっては、胎教の持つ意味は何だったのだろうか。筆者は「憧れJだったのではなし、かと考える 。 凶定された身分社会の中で、いつか乳母を雇ったり、のんびり胎教のことを考えながら産に臨むよ うな生活をしてみたいと思っていたのではないだろうか。そして、次節で述べるが、女の子という のは、男子よりも、結婚によって、そういう生活ができる身分になるチャンスが多かった。r
憧れJという視点で、女子周往来の子どもの養育に関する絵をもう一度見てみよう 。江森-23-(
1
9
9
0
)
は、その論文の中で、よと子用往来の中の手習図の大部分は 子屋ではなくてお上
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の家庭内ての幽たと解釈している その線拠のーっとして、明るい設がわ近くで、庭の立 込みあるいは手水鉢かハノクになっていることを挙げている。 そのよ lうに考えると、図AやE
は上 流階級の家庭を錨いていることになるし 、図B
、C
が一回明確iこ武士階級のものだと解することが できょう 。 また ~]D は他の絵とは少し締図が追うので分かりにくいが、左上の部分に径がわが見え ているので、窓から覗いている他物は庭にうわって L、るものだと分かる。 絵の登場人物は武士階級と思われる衣装を者ている。 庶民の鍛たちにとって、これらの往来物は自分の身近r
は作米物を見ることで、自分たちよりも上の階級の生活をカ ないたろうか。そして、その憧れを として 九 匂カ
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から見て匂 く • つ まtこ 七てられた• 、mや} ()[' i
社
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いる(0 ‘ ' n J 吋 ~,)でi; 生み出す一端を担ったのが女子用往来物であったのかもしれない。 -・..-
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三
事
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く
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C-25-参考文献
石川松太郎編, ~ 日本教科書大系 往来編』第1
5
巻, (,槻講談社,S
.
4
8
別巻n
(往来物系譜) , (術講談社,S
.
5
2
井上茂子訳, ~女の皮膚の下一十八世紀のある医師とその患者たち ~ , (:紛藤原書庖,1
9
9
4
江刺昭子著, ~透谷の妻一石坂美那子の生涯- ~ ,日本エディタースク ール出版部,1
9
9
5
江森一郎監修, ~江戸時代女性生活絵図大事典』 第 1-"9 巻t :(捕大空社,H
.
5
『江戸時代女性生活研究~ , (術大空社,H.
6
江森一郎著, ~r
勉強J時 代 の 幕 あ け 一 子 ど も と 教 師 の 近 世 史 ー し (紛平凡社,1
9
9
0
大内兵衛・大内節子訳, ~女性の解放~ , (槻岩波書底,S
.
3
2
太田素子著, ~江戸の親子一 父親が子供を育てた時代~ ,中央公論社,1
9
9
4
貝原益軒著, ~養生百11 ・和俗童子百11~ , (:鮒岩波書庖,1
9
6
1
上笠一郎著, ~ 日本子育て物語一育児の社会史~ ,筑摩書房,1
9
9
1
川本静子著, ~ガヴァネス (女家庭教師) ~ ,中央公論社,1
9
9
4
久下司著,~
ものと人間の文化史 4
化粧
~
,法政大学出版局,1
9
7
0
小島慶三著,~
江戸の産業ルネ
ッ
サンスー近代化の源泉をさぐる
~
,中央公論社,1
9
8
9
小山静子著,~
良妻賢母とし 1 う規範
~
, :(槻勤草書房,1
9
9
1
佐伯順子著,~
遊女の文化史
~
,中央公論社,S
.
6
2
桜井役著,~
女子教育史
~
, (株)日本図書センター,S
.
1
8
佐藤泰子著, ~ 日本服装史~ ,建吊社,1
9
9
2
鹿野政直著,~
婦人・女性・おんな一女性史の問いーし
(
鮒岩波書庖,
1
9
8
9
渋川久子著,~
近代日本女性史
①
教育
~
,鹿島研究所出版会tS
.
4
5
島本久恵著,~明治の女性たち
~
,みすず書房,S
.
4
1
下山弘著,~
遊女の江戸一苦界から結婚ヘ
~
,中央公論社,1
9
9
3
女性学研究会編,~女性学をつくる
~
, :(掬勤草書房t1
9
8
1
神保五蒲校注,~新日本古典文学大系86
浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探A(:紛岩波書 庖,1
9
8
9
世界教育史研究会編,~
世界教育史体系34 女子教育史
~
, (術講談社,S
,5
2
関山直太郎著,~
近世日本の人口構造一徳川時代の人口調査と人口状態に関する研究ー
ト
吉川弘文館,S
.
3
3
総合女性史研究会編,r
日本女性の歴史 女のはたらき J, (,紛角川容庖・H. 5
『日本女性の歴史 文化と思想2・(鮒角川書庖 tH
.
5
高群逸枝著,~
女性の歴史
』
上・下,
(,術講談社,S
.
4
7
'. -26-' -26-' -26-' a R , B F p d F , , , , -, -F . ・ ‘h・h帯刀貞代著t ~ 日本の婦人~ t (槻岩波書庖t