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シア トル にお ける日系人帰還 問題

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(1)

岡山大学経済学会雑誌

3 1 ( 4 ), 2 0 0 0,2 5 3 ‑2 7 5

《研究 ノー ト》

シア トル にお ける日系人帰還 問題

黒 川

は じ め に

第2次大戦 の帰趨が明 らかにな って くるとともに ,日系人収容者たちの太 平洋岸諸州への帰還が問題 とな った(1)。 これは困難 な課題 であった。真 珠湾 攻撃 に よって激化 した 日系人‑の‑般市民 の反発はまだお さまっていなか っ たか らである。太平洋岸諸州 の各地 で 日系人への襲撃 ,いやが らせが相次い だ。 シア トル とその近辺 ももちろん例外 ではなか った(2)0

1 94 4

1 0

月 ,帰還 反対派 はホ ワイ トリバ ー ・ピャラ ップ ・バ レイに お いて リメ ンバ ー ・パ ー ル ・ノ\‑バ ー ・リーグ

( RememberPear lHar borLea gue)

を結成 した(3).

1 9 45

2

月 ,キ ング郡 の‑ ‑バ ー ビュー病院

( Har bor vi ew Hos pi t a

l)に復帰 したマサ コ ・タカヨシ

( Mas akoTaka yos hi )とい う看護婦が ,同僚 のいやが

らせに耐え きれず に辞職 した(4)。強硬派の中には ,日系二世 の市民権剥 奪 を 主張す るもの もあった(5)。 日本人移民には帰化権がなか ったが ,二世 は生 ま れなが らに して市民権 を有 していたか らである。 もしも彼 らの計画が成功 し ていたな らば ,戦後 の 日系人社会 は計 り知れない‑ ンデ ィキ ャップを背負 う ことに な った で あ ろ う。他 方 で ,教 会 評議 会

( Counci lofChur che sand Chr i s t i anEduc at i on)の ような 日系人擁護 グル ープは ,彼 らの帰還を順調 な

らしめ るべ く全力をつ くしたC これに賛 成 す る団体 ,個 人 も少 な くなか っ た(6)Oヮシソ トン州知事 ウォル グ レン

( Monr adWa l l gr en)

が帰還 に反対の立

1253‑

(2)

918

場を表 明す ると,教会評議会 ,アメ リカ人種関係評議会

( Amer i c a nCounc i l onRa c eRe l a t i ons )

,アメ リカン ・フ レンズ ・サ ー ビス委員会

( Ame r i c a n Fr i e ndsSer vi c eCo mmi t t e e )

な どの団体が即座に これを非難す る声明を発表

し,ワシン トン大学新聞は第一面 の論説 で 日系人へ の フ ェアプ レイを訴 え たO リメンバー ・パール ・‑‑バー ・リーグがシア トルで集会を開いた時に は

,1 5 0

人を越えるワシン トン大学の学生が抗議のために押 しかけ ,二世 を 支持す る文書を配布 し, リーグの行動を非民主的でナチズム的なものである と非難 した(7)。マイヤー長官

( Di l l o nS. Mye r )

をは じめ とす る戦時転住局

( Wa rRe l o c a t i onAut ho r i t y)

の関係者 も帰還反対運動を厳 しく批判 し,内務 長官のイ ッキ‑ス

( Har o l dl c ke s )は 日系人襲撃事件の被告に対す る判決 が

軽す ぎるとい う抗議声明を発表 した(8)。 日本人の太平洋岸への帰還 は この よ

うな攻防の中で進め られたのであるO

本稿は この ような太平洋岸 ,特にシア トル‑の 日系人の帰還問題に関す る 作業の一部 として,この間に注 目すべ き動 きを示 した,あるいは影響を及ぼ した若干の魁織 と利害勢力の動 向を整理 した ものである。ただ し,黒人新聞 の動 向については触れていない。別稿で強制収容をめ ぐるシア トル諸新聞の 記事を整理 した際に,すでにかな り詳 しく言及 したか らであるO ここで結論 だけを繰 り返 してお くな らば,シア レ レの黒人新聞は,同 じ被差別マイノ リ テ ィとしての立場か ら日系人の強制収容に強 く反対 し,したが って彼 らのシ ア トルへの帰還にも好意的であった(9)0

1

節 市民統一委員会

日系人のシア トル帰還を円滑に進めるにあた って もっとも重要な役割を演 じた魁織 は ,おそ ら く市 民 統 一 委 員 会

( Ci vi cUni t yCo mmi t t e e

,以下

CUC

と略記)であるo

CUC

は1

9 4 4

年の

2

月 ,デ トロイ ト暴動に象徴 される人種 間題 の深刻化 を 憂慮 した シア トル市長デヴィン

( Wi l l i am F. De vi n)

のイニシアテ ィブに よっ

(3)

シア トルにおける日系人帰還問題 919

て設立 された。委員は実業界 ,宗教界 ,公民権運動家 ,労働 団体

( AFL

1

人,CIO が1人)な どの有力者か ら選ばれ ,左翼 とみな され る人物 は含 まれ ていなか った。人種 ,性別 では 白人男性

7

人 ,白人 女性

2

人 ,黒 人 男性

2

人 ,中国系男性 1人であ った。

この よ うに設立時の 目的はむ しろ白人 と黒 人 との間 の融 和 で あ ったが ,

CUC

が 日系人帰還 問題 に取 り魁 む下地は十分にあ った。委員 長 の グ リー ン ウ ッ ド

( Ge o r g eGr e e n wo o d )

は銀行 の頭取 であ ったが ,戦争初期の反 日感情 が絶頂 に達 していた時に公然 と日系人の収容 に反対 した気骨 ある人物 であ っ た。法律家 のバ ーネ ッ ト

( Ar t h u rBa r n e t t

)委員 は,日本人の帰還に

CUC

と な らんで重要 な役割 を演 じた教会評議会 の役員で もあ り,日系人強制立 ち退 きに強 く反 対 して ゴー ドン ・ヒラバ ヤ シを弁護 した こ とで も知 られ て い

(10)0

CUC

の手段 は教 育 と説得 で あ った。 そ の た め

CUC

の委 員 た ち は ,

WRA

その他 の帰還促進 団体 と緊密に連絡を取 りなが ら,関係者に書簡を送 り,新聞に声 明を発表 し, 日系人の受け入れに賛成す る集会 を支援す るな ど の様 々な手段 で ,シア トル 白人社会 の反 日系人感情 を緩和 しよ うと努 力 し た(ll)。以下 の文章は

" No

丁aps"のサイ ンを掲示 した 「農産物街

」( Pr o d u c e Ro w)

の企業 に対 して

CUC

が送 った書簡 の一部である。

2月10日のシア トルP.I.紙はレイテで作戦中に戦死したアメリカ人兵士フランク の記事を掲載 していますOベンという名前のもう一人のアメリカ人兵士,B24爆撃 機の飛行軍曹は2個の名誉ある飛行十字章と,オークの菜で飾られている飛行勲章 を授与されていますO‑ンリーはビルマで小隊を救出し,一人の伍長は "失われた 大隊"を救助しましたOその他多数のシア トル出身者が作戦の中で戦死し,より多

くの者が負傷 していますO

アメリカには,まだ生存 していて帰還してくるであろうこのような兵士たちを受

255 ‑

(4)

9 2 0

け入れる場所はないので しょうか。若い市民たちか らこのような犠牲 と奉仕 を受け 取 っておきなが ら,彼 らと彼 らの父,母 ,兄弟 ,姉妹に対 して,「出ていけ」,「島に 戻れ」,「ここで食料品を買 うな」 とい うのがアメリカ的なや り方で しょうか。

彼 らのラス ト・ネイムは何で しょうか ? 実 の ところそんな ことが大事 なので しょうか。フランクは‑チャです。ベンは クロキですO‑ ソ1)‑は ゴシ ョですO "失 われた大隊"を救出 した伍長はヤマグチですO名前は 日本起源であってもそ の持 ち 主はアメ リカ市民です。

サンフランシスコ ・クロニクルの名誉編集者であるチ ェスター ・p‑‑ルは, ド イツ系 ,イタリア系のアメリカ市民が ヒ トラーや ムッソリーニの残虐行為 のゆ えに 責め られ るべ きではないのと同様に,彼 ら日系アメ T)カ人市民は 7.ウジ ョウの残虐 行為のゆえに責め られ るべ きではない,と述べていますO

しばらく時間をかけてその ことを考え,あなたが ビジネスの場所に掲げてい る反 日本人のサインを除去 して頂けないで しょうか ? 我 々は,あなたが多分上記 の よ うな事実を よく知 らなか ったのだ と思います。我 々は,あなたのフェアプ レイの精 神 ,隣人愛 ,そ して兵士たちがそのために戦 っている民主主義の原理が,国内にお いても踏みに じられ忘れ去 られることのないように とい う,あなたの希望 に訴 え ま す(12)

この書 簡 で は農 産 物 衝 の経 営 者 た ちを 改宗 させ る こ とは で きな か った。 実 の と ころ彼 らは , シ ア トル に お い て後 に吟 味 す るチ ー ムス タ ー組 合 とな らぶ も っ とも強硬 な反 日系 人 グ ル ー プ だ った の で あ る(13)O しか しな が ら

C UC

は ,そ の後 も様 々な方 法 で彼 らに働 きか け

,1 9 4 5

1 0

2 4

日に は ,委 員 会 に 農産 物 小 売 商 協 会

( Re t a i lPr o duc eDe a l e r sAs s o c i a t i o n )

会 長 の ア ドウ ェ ン

( Adwe n )

を招 い て直 接 説 得 を試 み て い る。下 記 の文 章 は 当 日の議 事 録 か ら

(5)

シア トルにおける日系人帰還問題 921

の引用 で あ る。

ア ドウェン氏は,戦争中に食料を生産するために時間とエネルギーを使 って熱心に 働いた農民たちが優先されるべきであるとい うのが ,農産物街 のすべてのデ ィー ラーの主張であると述べたOデイブィス師

( CUC

委員)は,日本人は戦争中に自分 の土地から立ち退かされ農産物を生産する機会を与えられなかったのに,そんなや

り方が公正だろ うか,と尋ねた。

(中略)

日本人はウェスタン ・アヴェニューの農産物街で受け入れ られるだろ うか と尋ね ら れてア ドウェン氏は,彼 らはビジネスのや り方が好かれていないので歓迎 されてい ない,と答えたo彼は主 として

" Ki c k‑ b a c ks "

に言及 したoそれは日本人雇い主が,

日本人雇用者に自分の所有する部屋や自動車を貸与するかわ りに,日当の50%以上 を差 し引 くとい うや り方である。 こうして賃金の基準は意味がな くなる。 これは他 のディーラーが嫌 う多 くのや り方のほんの一つにすぎない(14)a

CUC

は また ,日系 人 の帰還 を支 持す る記事 ,論説 を掲載 す る よ うタイ ムズ 紙

,PI

紙 を含 む新 聞関 係者 に働 きか け る とともに(15㌧ 陸軍 の将 軍 が シア ト ル を訪 れ た時 に ,労働観 合 ,在郷 軍 人会 ,海 外戦争退役 軍 人会 な ど帰還 に反 対 しそ うな団体 を委 員会 に招 いて説得 を試 み てい るQ在郷 軍 人会 な どの代表 は陸軍 の権威 に弱 く,将軍 が協 力 を要 語 す る と,彼 らはただ ちに承諾 した。

しか しなが ら,労働 団体 ,特 に

AFL

系 の シア トル 中央 労 働 評 議 会 (

Cen‑

t r a lLaborCounci

l)や チ ー ムス ター魁 合 の説得 は容 易 ではなか ったoシア t・ ル 中央 労働評議 会 の ドイル

( Char l i eDo l e )

は 「君 らが彼 等 を帰還 させ た結 果

と して ,何 人 が街 灯 か ら吊 され る こ とに な って も我 々は責任 を負わ な いぞ」

と発 言 した と言 う(16)o シア い レは

AFL

系魁 合 の勢 力 が強 い都 市 で あ ったか ら,彼 らの反対 は帰還 した 日系 人 が仕 事 を見 つ け よ うと した時 に きわ め て大 きな障害 とな った。

257‑

(6)

9 2 2

この ように ,その努力が必ず報われ るとは限 らなか った が , も しも

C UC

が存在 しなければ ,シア トルへの 日系人の帰還が よ り困難 な ものにな ってい たであろ うことは ,疑 う余地がない。ノ\ワー ド・ドローカーは ,日系人のシ ア トル‑の帰還が暴力を伴 うことな く行 わ れ た のに は多 くの理 由が あ った が

,「CUC

は そ の 重 要 な 一 因 で あ っ た

i n whi ch t he CUC wa san i mpor t antel ement

」,また 日本 人 帰還 問題 ‑ の関 わ りが 「戦 時 に お け る

CUC

の最 大 の成 果 で あ った

t heCUC a chi eved i t sgr e at es twar t i me s ucce s s

」 と述べている(17)0

2

節 シア トル ・タイムズ紙(18)

戦局に対す る危機感が もっとも強か った時期において さえ ,シア トルの黒 人新聞 ノース ウェス ト ・エ ソタプライズ

( Nor t hwes tEnt er pr i s e)

は 日系 人 の強制収容を厳 しく批判 した(19)Oそれに対 してシア トル ・タイムズの ような 一般紙 は,お しなべて強制収容を支持 した。そ してその ような姿勢は ,強制 収容に よって 日系人が シア トルか ら姿を消 した後 も変わ らなか った

。1 9 4 3

4

1 5

日の社説で タイムズは ,日系人たちに対 して ,「も し彼 らが忠 実 な市 民な らば,不平を言 うのはやめ るべ きである」 と主張す る。

現在の太平洋岸の日系住民に関する規制は,地域の安全のためにもジャップ自身 の安全のためにも継続して実施されなければならないo我が国に本当に忠実な著 は,自分たちの現在の拘禁を戦争への貢献,彼らが忠誠を誓った土地‑の犠牲 とみ なすことができるはずである(20)0

また

5

月1

3

日の社説 では ,強制収容 の是非を問題 に し続けている人 々に矛 先を向けて ,「感傷的なセ ンチ メンタ リズ ムはアメ リカ人 の忍 耐力 を疲 れ さ せている」 と主張 している。

(7)

シア トルにおける日系人帰還問題

9 2 3

我々は戦争中なのであるから,第一に考慮すべきことは我が国の利益を守 るとい うことでなければならない。忠実な日本人への人間愛,彼らの福祉,現在 と将来へ の配慮はこれに続 く2番 目の問題なのである(21)0

しか しなが らまもな く,徐 々にではあ るが ,タイ ムズ紙 の論調 は変化 して い った. ヨー ロッパ戦線 で活躍 す る 日系兵士 に関す る記事 の増加 は ,おそ ら く,そ の よ うな変化 の結果 で もあ り原 因で もあ ったのであろ うOそ して

1 9 4 4

年 の初頭 に ケ ン トで 日系人 の帰還 をめ ぐって住 民 の 間 で議 論 が生 じた 頃 に は ,社説 の論調 はか な り冷静 な ものにな っていた。住民集会 において ,忠実 な 日系人 の受 け入れ を主張 した ワシン トン大学教授 に対 して も,先 に紹介 し た社説 の ごと く不快感 を示す ことな く,「フ ェアプ レイ とい うア メ リカの確 立 した伝統 と,少数派 の権利 を守 るとい うア メ リカの確立 した流儀 に沿 うも のであ る」 とい う評価 を下 してい る。

とはいえ この段階 では ,変化 に まだ限界が あ った。社説 の結論 は結局 ,ケ ン ト住民 自身 の判断 に委ね るべ きだ とい うのであ る。

しかしながらケン トのケースは,局地的なものではあるが,西海岸の他の共同体 の典型なのであるO合衆国の日本人に正義が保障されねばならないと,我 々は確信 しているQ権利を持っている人々の権利は尊重されるべきであ り,便害されるべ き ではない。同様の理由で,彼 らを住民として受け入れることを好まない共同体は, それを強制されるべきではない (22)o

この論理 は ,南部 の各地 で黒 人たちを 白人経営 の レス トランか ら締 め出す ために用 い られ ていた もの と類似 してい る。

しか しなが らタイ ムズ紙 の論調 は ,その後一層 日系人 に有利 な方 向に傾 い てい った。そ して

1 9 4 4

年 11月 には ,日系 アメ リカ人市民連盟

( J ACL)

が当時 ソル トレイ クにおい て発 行 して い た パ シ フ ィ ック ・シチ ズ ン紙 に よ って ,

‑ 259‑

(8)

924

「日系人に関す る記 事 に おいて 明 らか に公正

c ons pi cuous l yf ai ri nt hei r handl i ngofs t or i esr e gar di ngJ apane s eAmer i can

」な新聞の一つ として ,質 賛 され るまでにな っていたのである(23)

それゆえ ,立 ち退 き命令が破棄 されてまもな くの1

9 4 4

年1

2

月2

0

日の論説に おいて,タイ ムズ紙が ,日系人の収容 はやむを得 なか ったに して も,やは り 多 くの忠誠を証 明す る機会す ら与 えられなか った人 々‑の不正であ り,彼 ら はその試練 に見事に耐えて きた と賞賛す るとともに ,徐 々に復帰す る 日系人 は忠誠を証 明された人 々であ り,彼 らは悪意や偏見な く迎 え入れ られ るべ き であると主張 したのは ,必ず しも

C U

C 委員長 グ リーンウッ ドの説得 が原 因 ではなか ったのである(24)。

そ してその後 も,タイムズ紙 は 日系兵士 の活躍 を頻繁 に報道 し,日系人の シア トル‑の帰還 に有利 な方 向に世論を誘導 してい った。

バ ーナーは,「私 の判断では ,反対運動を鎮めた もっとも決 定 的 な要 因 を 一つあげ るな らば,4

4 2

連隊戦闘部隊 と第

1 00

大 隊 の功績 と犠牲 で あ ったO もっとも多 くの勲章を授け られた ,そ して異常に高い比率 の犠牲者を出 した 陸軍部隊 として ,彼 らの記録 は 『愛国的』反対運動を武装解除す るにあた っ て決定的であった」 と述べている(25)O もちろんその こと自体は疑 う余地 のな い事実 であるが ,当時の タイ ムズ紙やP.Ⅰ.紙があれほ ど頻繁 に ,しば しば写 真を掲載 して ,シア トルやその近辺 出身の二世兵士 の活躍や犠牲 を報道 しな ければ ,多 くの シア トル市民がその ような事実を認識す るのは もっと遅か っ たであろ う(26)0

実際 ,ある読者 は次 の よ うな抗議を タイムズ紙 の投書欄に送 っているので ある。

なぜ我々は毎晩,貴紙の紙上に,すぼらしい,優 しい,思慮深い,そして特別に勇 敢な二世の写真やお涙ちょうだい記事を発見しなければならないのか。これは何の ための,あるいは誰のためのプロパガンダなのか。

(9)

シア TlJレにおける日系人帰還問題 925

なぜ貴紙は,わずか

2

7 0 0 0

人程度の日系アメリカ人の中からこのような人々を 選ばなければならないのか。何十万という善良で正直なアメリカ人の中に,貴紙は 大量の,胸がは りさけるような勇敢な行為を発見することができるはずなのに。そ

して我々は皆,そのようなことを聞きたがっているのに(27)0

3

AF

L とチームスター組合

2

次大戦期 の合衆 国におけ る

2

大藩働 団体 は

AFL

(アメ リカ労 働 総 同 盟) と

CI O

(産業別阻織会議)で あ ったOパ シフ ィ ック ・シチズ ン紙 は当時 の合衆 国各地 の諸利害勢 力 の反 日系人的 お よび親 日系人的動 きを克 明に フ ォ

ロー してお り,その中には この両組織 に よる ものが多数含 まれ てい るが ,予 想 され る ように前者 に所属す る全 国阻合 , ロー カル取合 は概 して 日系人を排 斥 し,後者 に関係す る魁 合 はそ の受け入れ に横極 的であ った(28)

.1 9 4 4

3

1 8

日の シチズ ン紙 は この両者 の相違 を次 の よ うに総括 してい る。

アメ1)カ労働総同盟の日系アメリカ人への対応は,その他の非白人グループの労 働者への対応 と同様に,すべてのアメリカ人を平等に扱 うという政策を実際に守 っ ている産業別敵織会議,すなわち

CI

O の立場 とはまった く対照的である(29)o

この ことは もちろん シア トルにつ いて も当ては ま った

。1 9 4 4

9

2 0

日の シア トル中央労働評議会 は , 日系人 の強制 収容 とそれ を実行 した西部防衛 司 令官 ドゥイ ッ ト将軍 以下 の関係者 の行為 をあ らためて賞賛 し,現時点におけ る 日系人 の帰還 は社会 に混乱 と暴動 を引 き起 こす のみな らず ,重要産業 の労 働者 のモ ラルを低下 させ て戦争努力を妨げ る, この よ うな ことはけ っ して引

き起 こしてはな らない ,と決議 した ので あ る(30)0

全 国的に見 る と

,AFL

系組合 の反 日系人的姿勢 は戦争末期 に は緩 和 に 向 かい

,1 9 4 4

年 末 に ニ ューオ リンズで開かれた

AFL

全 国大会 では

,

「日系 アメ リ カ市 民 へ の 根 拠 の な い 迫 害 と 差 別

unwar r a nt ed per s e cut i on a nd

2 6 1 ‑

(10)

9 2 6

d i s c r i mi n a t i o na g a i n s tAme r i c a nc i t i z e n so fJ a p a n e s ea n c e s t r y

」を非難す る 決議が採択 され るに至 った(31)。 しか しなが らこの決議 もシア TJレの

AFL

指 導者 の姿勢 には影響 を及ぼす ことがなか った。 シア トル中央労働評議会議長 の クロー ド .オ ライ リー

( Cl a u d eO' Ri l e y )

は ,す でに述 べ た

1 2

2 8

日の

CUC

において ,出席者に

9

月20日の評議会決議 に 目を通す よ うに求め ,これ は シア トルの20万人の労働者 の9月の時点におけ る考 えであるが ,現在彼 ら の考 えを変化 させ るよ うないかな る 「理論」が存在す るであろ うか ,と主張

したのである(32)0

もっともシア トルのすべての

AFL

系魁合がその よ うな方針を取 っていた わけではなか った。 ビルデ ィング ・サ ー ビス取合

( Bu i l d i n gSe r vi c eUn i o n )

ローカル

7

,AFL

系であるに もかかわ らず ,帰還 して くる 日系 人 を ま っ た く差別す ることな く,組合員 として迎 え入れ た。 そ のた め に多 くの帰還 者 ,特に一世がホテルや病院のポーターや守衛 の職 に就 くことがで きたので ある(33)

とはいえ,この よ うな組合は少なか った。そ して特 に強 く日系人の帰還 に 反対 したのが ,シア トル

AFL

最大 の実力者 である労働 ボス ,デイヴ ・ペ ッ

クが支配す るチームスター組合であ った。

彼 らの機関紙 ワシン トン ・チームスター紙は

,1 9 4 4

9

月 に

,

「労働 団体 はジ ャップ との間に非常 に多 くのいやな経験 を有 しているので ,闘いな くし て彼等 の帰還を受け入れ ることはないであろ うO これは脅 しではない ,単な る事実 の表 明である」 と宣言 したのである(34)0

この ようなチームスター魁合の反 日系人的な政策 は ,シア トルに限 られた ものではなか ったC全国チームスター取 合 の機 関紙 イ ンターナ シ ョナル ・ チームスター紙 もまた

,1 9 4 4

年 の初頭 に

,

「他 の阻合が 目を覚 ま さな いか ぎ

り,全国の戦時生産 のセ ンターは低賃金 と天皇 の永遠 の栄 光 のた め に働 く ジャップであふれ ることにな るであろ う」 と主張 している(35)0

1 9 4 4

年末か ら

1 9 4 5

年 にかけて ,かな りの

AFL

系阻合が 日系人の帰還を支

(11)

シア トルにおけ る日系人帰還問題

9 2 7

持 す る よ うに な って も ,チ ー ムス タ ー取 合 は そ の 方 針 を 変 え よ う とは しな か った

01 9 4 5

1

6

日 と

4

月21日の パ シ フ ィ ック ・シチ ズ ン紙 は そ れ ぞ れ 以 下 の よ うに述 べ て い る。

その例外はAFLのチームスター観合であ り,その太平洋岸におけ る行動 は 旧派 の労働 ボスであるシア トルのデイヴ ・ペ ックに よって牛耳 られている。ペ ック氏 と その雇われ人たちは 日系 アメ リカ人 の太 平洋岸 へ の帰還 を妨 げ るため に絶 え ざ る キ ャンペイ ンを行 い, リメンバー ・パ ール ・‑‑バー ・リーグの ような人種差別 的 行動 の擁護者 と協力 して きた。 この組合の全国機関紙であるイ ンターナシ ョナル ・ チームスター紙は ,ペ ック氏か らの指図を受けて,日系 アメ リカ人住民の潔 白さに 反す る うそ と中傷 の悪意に満 ちたキ ャンペイ ンを行 って きた。

それゆえ,ロサ ンゼルスのチームスター組合 と農産物卸商 との間で日系 ア メ l)カ 人を追放す る代わ りに取合は クローズ ド・シ ョップ条項 を手 に入れ る とい う,「ペ ンデ ィングにな っている取引」が存在す るとい うことを知 って も驚 きはないo しか しなが ら,その ような明らかに差別的な取引が完了 しうるものか否かは別 問題 であ る(36)0

旧派の労働貴族 であるデイ ブ ・ペ ックは ,彼 の影響力が もっとも強力な太平洋岸 北西部‑の 日系人立 ち退 き者 の帰還 を妨げ るための現在 のキ ャンペイ ンに おいて , 正当な労働組合の利益 と行動を踏み外 している。

ク 1)スチ ャン ・セ ンテ ユ リ‑誌へのシア トルか らの報告に よれば ,ペ ックは北西 部の産業界か ら日系アメ 1)カ人を締 め出すために ,委託商人やAFLの国際 チ ー ム スター組合のメンバーに よる 日系人事業者の荷物 の取 り扱いを拒否 したO新 聞 の記 事に よると, ワシソ Tlソ州 の一部のチームスター取合幹部は 1)メンバー ・パ ール ・

‑‑バー ・1)‑グやその類似団体 の非 アメ リカ的行動に協力 している。

(中略)

立ち退 き問題についての最近 のペ ックの行動 は ,アメ リカで最大かつ も っ とも強

‑ 263‑

(12)

9 2 8

力な労働観合集団であるチームスター取合のもう一つの汚点 となるものであ る。 こ の問題についてのチームスター組合の態度が ,ほ とん どの他の労働組合 グル ープ, 特にCIO と多 くの進歩的なAFL 系取合 とは異なっているとい うことは重要であ

る(37)0

も っ と も

6

月 に入 る と,ペ ックの主 張 にわ ず か な変 化 が見 られ た。 ペ ック は ,兵役 に従 事 す る こ とに よって 忠誠 を 証 明 した 二 世 に か ぎ って チ ー ム ス ター組 合 ‑ の加 入 を認 め る , と述 べ た の で あ る(38)o

しか しな が ら, このわず か な譲 歩 す らシ ア レ レで は必 ず しも守 られ なか っ た よ うに思 わ れ る。 農 産 物 小売 商 協 会 会 長 ア ドウ ェソを招 いた 日の

C U

C の

議 事 録 は ,次 の よ うな事 実 を 明 らか に して い る。

彼 (ア ドウェソ)は一つの事件について詳 しく話 したが,それは農産物商協会 が3 日間 日本人復員兵の農産物を取 り扱い,その後チームスター取合が トラックか ら運 転手を引き揚げた とい うものであった。 ア ドウェソ氏は,チームスター取合が復員 兵の農産物を扱 うことに同意 し,しか し3日後に考えを変えたのであると述べた。

会社は運転手がいないのでイクタ (Ikuta)氏の農産物 の扱 いを中止せ ざ るを得 な か ったo これに類 した事件は多数発生 したか と問われてア ドウェソ氏は無か った と 答えたD

ア ドウ ェンの証 言 が正 しか った こ とは次 の委 員会 まで に確 認 され たQ

委員長はイクタ事件についてフィステール氏 (WRAの職員) と協議 し,彼 が ア ド ウェソ氏のこの件についての陳述は完全 に正 しい と述 べた と報告 したO彼 は ア ド ウェソ氏 とサ ンフランシス コとの電話での会話についての速記録を持 ってお り,そ れは彼の我 々への報告 よりも詳細ではあるが ,実質的には同一 であ った。 フ ィス テール氏はこの件や二世に関す るその他の件に関 してチームスター取合 との間には

(13)

シア トルにおける日系人帰還問題

9 2 9

とんど進展がないことにひどく落胆 していると語った(39)。

シア トル近辺 の 日系人 の多 くは農業や農産物 の販売 に関係 していた ので , シア い レの流通業 を支配す るチ ームス ター魁合 の この よ うな動 きは ,帰還す る 日系人に きわめて深刻 な打撃 とな った

.1 9 4 5

年 の

1 2

月 ,シア トルか らパ シ フ ィ ック ・シ チ ズ ン紙 に 寄 せ た 寄 稿 の 中 で エ ル マ ー ・ス ミス

( El me r R. Smi t h )

は以下 の よ うに述べ てい る。

シア トル地域においては,帰還する立ち退き老‑の労働観合の否定的態度が二世 が仕事に就 くことをほとんど不可能にしているOチームスター組合が直接あるいは 間接に関係 しているところでは,特にそ うである。他の州で組合に所属 していた二 世がシア トルの阻合に転籍を拒否されたケースは多い。それゆえ,純粋に人種を理

由とする魁合の差別によって仕事のない熟練労働者が当地に多数存在する(40)0

これ は また ,彼 が‑ レン ・エイママ ン

( He l e nE. Ame r ma n )

とともに ,シ ア T}レの

YWCA

YMCA

を スポ ンサ ー として行 った当時 の シア トルにお け る二世 の状況に関す る調査報告 の結論 で もあ った(41)0

第 4節 C10 と国際港湾倉庫労働者組合

AFL

とは異 な り

,CI

O はか な り初期 の段階か ら 日本 人 の帰還 を支 持 して いた(42)。 シア T)レにおいて もそれ は同様 であ った

。1 9 4 4

6

月 の ワシ ン ト

ン ・ステイ ト

・CI

O ・ニ ュース紙

( Wa s h i n g t o nSt a t eCI ONe ws )

,CI O

の活動家 であ った 日系 アメ リカ人 ,ケ ン ・オ ムラ軍曹 の南太平洋 におけ る戦 死 をかな り大 き く報道 してい る(43)0

1 9 4 4

1 2

月に陸軍 が 日系人 の太平洋岸 へ の帰還 を許可す ると,シア トル

CI

O 評議会

( t h eSe a t t l eCI OCo u n c i l )

はた だ ちに この決定 を歓迎 し,二世兵士 の活躍 を賞賛 しつつ

,

「忠 実 な 日系 ア メ リカ市 民は他 の あ らゆ るア メ リカ市民 と同一 の権利 を持 ってい る上 「コ ミュ

2 6 5 ‑

(14)

9 3 0

ニテ ィの一部の分子 は人種憎悪 の炎を煽 ろ うとしてい る上 「一部の指導的市 民が無知に よって この憎悪 のキ ャンペイ ンに名前を貸 している上 「この人種 的 ヒステ リーを煽 る試みは ,すべてのアメ リカ人に よってわが国民の統一に とっての脅威 であると認識 されなければな らない。すべてのアメ リカ人は詰 個人をその人種 の故に苦 しめ るこの よ うな企 てを拒否 しなければな らない。

これは ヒッ トラーのテ クニ ックである。 これはフ ァシズ ムのテ クニ ックであ る」 と決議 した。1

945

2

3

日のパ シフ ィック ・シチズ ン紙に よると,こ の決議 はすでにシア トル地 区の

CI O

系 ローカルの50%以上に よって批 准 さ れていた とい う(44)0

シア T)レにおけ る個 々の

CI O

系 ローカル‑ の 日系人労働者 の受 け入れ に ついての詳 しい史料を私は入手す ることがで きなか った。けだ し,順調に受 け入れが進 んだために ,新 聞の取材 の対象に もな らず

,CUC

が特 に働 きかけ る必要 もなか ったか らであろ う

。1 944

1 0

月1

2

日の

CUC

には

5

人の

CI O

関 係者がゲス トとして出席 しているけれ ども,海員組合の

Mo l z a c

船長が 自分 の体験 を語 り,あ らゆ る分野におけ る差別 の撤廃 の重要性 を力説 してい るの みで ,特 に

CI O

と帰還 日系人 との関係を論 じた とい う記録 は残 され て いな

(45)0

もっとも,太平岸のすべての地域 の

CI O

系 ローカルがす んな りと 日系 人 労働者を受け入れたわけではない。1

945

5

月 ,カ リフ ォル ニアのス トック

トンで

3

人の 日系港湾労働者が雇用 された時

,CI O

系の国際港湾倉庫労働者 鮭L合

(I n t e r n a t i o n a lLo n g s h o r e me na n dWa r e h o u s e me n' sUn i o n

, 以 下

I LWU

と略す) ローカル

6

のス トック トン支部の阻合貞たちは ,ス トライキ

の威嚇で これに抗議 したのである。

しか しなが ら

,I LWU

の委員長 ‑ リー ・ブ リッジズは毅然 とした態度で こ れに取 り組 んだ。「人種 ,信条 ,皮膚 の色お よび出生国に関係な く,すべてに 平等であるとい う問題についての

I LWU

の立場は ,明確で揺 るぎのな い も のである。我 々は一瞬た りともこの問題 につ いて妥協 す る ことは で きな い

(15)

シア トルにおける日系人帰還問題 931

し,妥 協 す るつ も りもな い」 と彼 は宣 言 したO ロー カル

6

の委 員 長 1)チ ャー ド ・リンデ ン もまた , ロー カル

6

は 「忠 実 な ア メ リカ人 に対 す るいか な る差 別 も許 さな い」 と宣 言 した。 つ づ い て 彼 は ス トッ ク トン支 部 の 資 格 を 停 止 し, さ らに は支 部 組 合 員 に対 して ,人種 や 信 条 に基 づ く差 別 の禁 止 を定 め た

「取 合 規 約 を遵 守 す る」 とい う制 約 に署 名 しなけ れ ば個 々に資 格 を停 止 す る と通 告 した

。7 0 0

人 の魁 合 員 の

6 0%

が す で に この誓 約 に署 名 を 終 え た と

, 5

月2

3

日の タイ ムズ紙 は伝 え て い る。 ま もな くロー カル

6

は関 係者 の審 査 を 開 始 し, 日系 人排 斥 に あた って指 導 的役 割 を演 じた

2

人 の阻 合 点 を除 名 し

,3

人 の資 格 を停 止 す る と と もに ,ス トック トン支 部 の資 格停 止 を解 除 して この 事 件 に決 着 をつ け た の で あ る(46)0

6

23

日のパ シ フ ィ ック ・シチ ズ ン紙 は論 読

" TwoCo a s tUn i o n s "

に お い て

I LWU

, ブ リ ッジ ズ の 対 応 を チ ー ム ス

タ ー ,デ イ ヴ ・ペ ック と対 比 しなが ら評価 して い る.

二つの強力な沿岸の取合が先週 日系 アメ リカ人 との関係でニュースにな ったO‑

つは

AFL

に加盟 しているけれ どもほ とん どの問題において自立的に行動 してい る デイヴ .ペ ックのチームスター組合である。 もう一つは,今週最高裁によって追放 命令か ら解放 された‑ リー ,ブ リッジズを委員長 とす る国際港湾倉庫労働者阻合 で あるO

(中略)

デイヴ ・ペ ックの人種差別的な策謀 とまった く対照的なのは

I L WU

の率直な行動 であって

,I LWU

は先週 ス トック トン支部の

5

人の阻合点を組合の非差別条項に違 反 しているとい う罪で阻合委員会の審査にかけた。 この5人は,すべての アメ リカ 人を受け入れるとい う

I L WU

の方針に対するス トック トンの反乱 の煽動者 であ っ た。ス トック トン支部の資格を停止 し,帰還 した 日系人立ち退 き者 とともに働 くこ とを拒否 した阻合点を懲戒処分に した

I LWU

の行動が,北部カ .)フォルニアの他の 支部やその他の

CI

O 魁織か ら一致 した支持を受けた とい うことは重要である(47)O

ー2 6 7‑

(16)

9 3 2

こうしてス トック トン事件は,CI

O系取合の人種差別に反対す る強固な意

志をあらためて確認す るとい う結果を もた らしたのである。

お わ り に

チームスター阻合をは じめ とす る

AFL

系諸魁合の妨害は ,結局の ところ 戦後 のシア トルにおける日系人の経済活動 の再構築 を止 め る ことはで きな か った 。

もとよ り,魁合の妨害に よって戦後 の出発の時点でつ まず き,その後の立 ち直 りに苦労 した 日系人は少な くなか ったであろ う。すでに老いを感 じてい た一世の労働者に とってほ,致命的であったか も知れない。 しか しなが ら, 全体 としての 日系人社会は ,帰還後の二世を担い手 として ,新たな発展を開 始 したのである。そ してその ようなきざ しは,1

9 4 5

年に

YMCA,YWCA

の 支援のもとに行われた調査においてす ら,すでにかすかなが ら感 じることが でき,1

9 4 7

年に

WRA

の後身である

Wa rAge nc yLi qui da t i o nUni t

が行 った 調査 (シア い レについては

S. Fr a nkMi y a mo t oと Ro be r tW. 0' Br i enの研

究を利用 している)『移動す る人 々』の中で,よりはっき りと現れて くるので

ある(48)a

この ような以後の展開に鑑みれば,本稿で吟味 した諸組織 ,諸利害勢力の 日系人帰還問題‑の取 り組みは,アメ リカ 日系人 の歴史 の一部 として よ り ち,む しろ諸魁織 ,諸利害勢力 自体の歴史的意義を 自ずか ら明らかに した も のと考えることができようO

黒人問題 の取 り阻みに関 して必ず しも成功 した とは言えない

CUC

は,し か しなが らその帰還 日系人問題への真筆な取 り魁みに よって,シア トル史の 中の重要な一部 となったo シア トル ・タイムズ紙は

,1 9 4 4

年以降の客観的な 報道に よって,強制収容の是非をめ ぐる論争の中で犯 した過失を償 うことに 成功 した.他方でデイヴ ・ペ ックとチームスター阻合は,その 日系人に対す

(17)

シア トル におけ る 日系人帰還 問題 933

る差別 と排斥運動に よってその独善的体質を 自ら暴露す る結果 とな った。そ れはペ ックが ,上院のマク レラン委員会に よって汚職 と腐敗を追及 され ,脱 税に よって投獄 され るはるか以前の ことであったO‑ リー ・ブ リッジズ指導 下の国際港湾倉庫労働者観合についてはその逆の ことが言えるのであるO

(1)本稿 では一般に 「日系人」 とい う言葉を 「在米 日本人」,「日系 アメ リカ人」の双方を 意味す るもの として用いているO一部に 「在米 日本人」 と区別 している場合 もあるが, その場合は文脈か ら容易に知 ることがで きよう。

(2)"Neigh borsRapThreatToNisei",SeauleTimes,May6,1945.陸軍省は1944年12月 に翌1945年1月1日を もって 日系人の太平洋岸‑の帰還を認 め る と宣 言 した。 そ の前 後 におけ るシア トル市民の 日系人帰還に対す る賛否両論 は シア トル ・ポス ト ・イ ンテ リジェソサー紙 (以下,PI紙 と略す)の投書欄で うかが うことがで きる。P I紙は両 者をほぼ公平に採用 しているが ,初期の段階では反対の意見の方が強か ったであろ うo Cf,"TheVoiceofthePeople",SeattlePostlnlelligencer(以下,PI),September 23,25,October19,23,26,December23,25,1944,January26,29,February3,6, 1945.なお,12月18日のシア トル ・スター紙は無差BIJに尋ねた8人の市民の意見を掲載

しているが ,帰還 を無条件で支持す るのはわずかに 1人 ,日系 アメ リカ人の帰還は支持 す るが在米 日本人の帰還には反対す るのが2人 ,アメ リカ国籍 に関係 な く日系人 の帰 還に反対す るのが5人で あ った。̀̀whatDoYouSay?",SeattleStar,December18, 1944.

(3)"Farm GroupsOpposeReturnofJapanese",PI,October5,1944,''whiteRiver Valley Farmers Organize Anti‑Evacuee Group",Pacific Citizen,October 14,

"organizeNew Anti‑EvacueeGroupatBainbridgeIsland",ibid.,December2,1944. (4)"Tacky: NiseiNurse,To Return",SeattleTimes,February 1,1945,''Nisei's ReturnCausesRiftlnNursesatHarborview",lbid..February2,"C.B.I.Veteran DefendsNisei,ScoldsNurses",ibid,February 4,1945."NiseiNurse To Leave Seattle",ibid,Februaryll,1945,"FoesOfNiseiNurseRapped",ibid.,March26, 1945,"NiseiNurseBackatPostInNorthwest",PacificCitiZm,February10,1945.

"NiseiNurseLeavesPostAfterProtest",ibid.,February 17,1945,"NurseProtest ReturnofNisei",PI,February3,1945.なお, 2月8日のP I紙 は この Takayoshi Caseに つ い て の賛 否 の投 毒 を 掲 載 して い るO"TheVoiceofthePeople",ibid., February8,1945.

(5)"CitizenshipOfNise1Opposed",SeattleTimes,July 21,1944,"Amendmentto ExileAuJapsProposed",ibid.,March14,1945.

(6)"Vigilance Against Violence Urged on Seattle Christians",Pacific Citizen,

‑ 2691

(18)

934

January15,1944な どo多数の聖職者 ,教会が献身的に 日系人を援助 したoもっとも, 帰還反対の聖職者 もまた少な くなか った ことを次の記事か ら知 ることがで きるO

"Unexpectedopposition toa resolution recommending thatloyalAmericansof Japaneseancestrybepermittedtoreturntotheirhomeswasraisedatyesterday altemoon'ssessionofthe35thcotlVentionofEpiscopalchurchesQfOlympiadiocese heldintheTrinityChurchparishhouse.

Theresolutionwaspassedwitha94‑42vote,butonlyafterarlSingvotewas taken,succeedingaspokenvotelnWhichthe"mos"wereapparentlyasdefiniteas the"yes"votes"("DioceseDividedOverRetumi ngCoastJaps",PI,February13, 1945).

(7)"wallgrenHitsReturnofJapstoCoastNow",PI,January23,''wallgrenliiton Jap Policy",ibid.,January 24,1945,''Governor Wallgren Opposes Return of EvacueestoCoast",PacificCitizen,January27,1945,"U ofWashingtonPapers A

s ksForFairPlay",ibidHFebruary3,1945なお,UniversityofWashingtonDai1yの この号はCouncilofChurches,Washington,NorthernIdahoRecords,AccessionNo 1567‑2Box6(UniversityofWashingtonLibrariesManuscriptCollection)の中に保存 され てい るocf.,"U ofWashingtonWillAcceptNiseiStudents",PacificCitizen, October7,1944,"UnitycommitteeHitsNisei'sFoes",SeattleTimes,April6,1945,

"UniversityStudentsRoutSeattleRacists",PacificCitizen,April14,1945.学生を含 む ワシン トン大学関係者 の 日系人支援活動に関 してはその他,"FightonU SJapanese HitAtUniversity",SeauleT1‑mes,November29,1944,̀̀RaciaLProblem Forums Talked",ibid,April14,1945,"U ofWashingtonGroupMayHoldForumsonNisei lssue",PacificCitizen,April21,1945な どを参 照 。 I)メ ンバ ー ・パ ール ・‑ ー バー ・リーグは シア トル近郊のベル ビューにおけ る4月19日の集会 で も同様 に 日系人 支持者の攻撃に さらされた,"Anti‑NiseiLeadersTakeBeatinglnBellevueForum", Seattle Times,April20,1945,"Report Anti‑NIseiLeaders Routed at Seattle Meeting",PacificCitizen,April28,1945.なお,12月18日の時点では ワシン トン州知事 はアーサー ・ランジル (ArthurBLangile)であったC彼 はまもな く就任す るウォル グ レンとは異な って,帰還は"premature"であるが ,決定す るのは連邦政府である,大 き な混乱 は起 こらないだ ろ う,そ のために州政府 は全 力を尽 くす , と述 べ て い る。

"LangileSeesNoTroublelnJaps'Return",SeauleTimes,Dec18,1944.シア トル市 長デヴ ィン(William FDeviれ)の対応 もウォル グ レン知事 とは対照的であった。1944年 1月には彼 もロサ ンゼルス,サ ンデ ィエ ゴ,ロングビーチ,ポー トラン ドの市長 ととも に 日系人の太平洋岸への帰還 に反対す る書簡を西部方面軍 司令官 に送 ってい る。 しか し,同年12月に帰還が現実の問題になると,"Asthemayorofthiscity,itismyduty toseetoitthatallofourcitizens,regardlessofrace,colororcreed,aregiven equalprotectionunderthelaw,andthatIintendtodo"と宣言 して日系人擁護の立場 を 明 らか に した。"DevinOpposeJap Return Now",SeattleTimes,Junuary,27, 1944,"Equal RlghtsPromisedJapsbyMayor",2'bid.,Dec18,1944彼のそのような努 力の例 として ,cf.,"MayorAssails Vandalism AtJapaneseHome",Z'bidりMay 18,

(19)

シア トル におけ る 日系 人帰還 問題 935

1945.クエーカー教徒の活動の例 として,cf,''QuakersPaintOutInsult,Mow Grass forJapanese",ibidHMay17,1945.アメ リカ社会党 も日系人の収容 に批判 的 で あ り, ノーマ ン ・トマス (NormanThomas)はシア トル訪問の際の演説において 日本人 を歓 迎す るよう訴 えてい るo"U.S.SocialistPartyDemandsRightofJapaneseAmericans ToReturntoEvacuatedArea",PacificCitizen,June17,1944,"CoastWelcome UrgedForJaps",SeattleTimes,September1.1944

(8)"MyerAdmonishesNew GroupOpposingReturnofEvacuees",PacificCitizen, October14,1944,"AntトJapFee‑SeekingGroupsLikeHitler,SaysDillonMyer", SeauLeTimes.April23,1945,"W.R.A.OfficialHitsNiselFoes",ibld.,May 4, 1945,"Leniency ln Anti‑Jap Case Hit by Ickes",ibid,May 31, 1945,cf.,

"WRA BoostingOfNiseiRapped",May23,1945

(9

)拙稿 「第二次大戦期のシア トルにおけ る新聞 と日本人問題

」(

『岡山大学経 済学会雑 誌』,第30巻第4号,1999年,439‑440,443‑447頁 ,参照O

(10)この時期にはシア ト レのみな らず多 くの都市で この ような 目的 を持 った委員会 が設 立 された。そ してサ ンフランシス コのCivicUnltyCouncilも帰還 に 協力 した。"Sam FranciscoCivicUnityCouncilPledgesAid Toward ResettlementofEvacuees",

PacijicCitizen,February10,1945.なお,ワシン トン大学教授のS.FrankMiyamoto もシア トル帰還後 ,委員 に迎 え られ たoHowardA.Droker,SeattleRaceRelations duringtheSecondWorldWar,Pacifz'cNorthwestQuarterly,67‑4(October1976), p・169,RichardC・Berner,SeattleTransformed:World Waru toColdWar,pp.

122‑123,ArthurBarnettRecords,AccessionNo.1598‑4,Box1,Folder3

(ll)CivicUnityCommitteeRecords,AccessionNo.479Box22,Folder6,8,9,"Unlty GroupliitsJapPrejudice",SeattleTimes,January27,1945,"UnitycommitteeHits Niseis'Foes",ibid"April6,1945,

(12)CUCRecords,Box22,Folder9.

(13)Cf,"BoycottingofJapsToBringActionByU.S.",SeattleTimes,July1,1945,

"ProduceMenHitW RA Actions",ibid.July17,1945.

(14)CUCRecords,Box22,Folderll

(15)グ 1)‑ソウ ッドは,1945年12月21日の委員会で市長 ,警察署長 ,お よびシア トルの3 紙 との会合について報告 している。CUCRecords,Box22,Folder7.

(16)この委員会は1944年12月28日に開かれた。AFL系指導者 としては,中央労働評議会 の CharlesDoyle (Executive Secretary),Claude O'Riley (President),Harry Bush (Chairman,ExecutiveBoard)とチームスター取合の委員長DaveBeckの4人がゲス ト として出席 した。記録を取 らない とい う約束の もとで議論 が行われ たために ドイル の 発言 も議事録には残 っていな い。 この発言 は約27年後 の1972年 11月 に ドローカー と バーナーに よって行 われた イ ンタ ビューの際 のバ ーネ ッ トの記憶 に基 づ いてい るo Droker,op.cit,p.173,CUCRecords,Box22Folder7.

(17)Droker,optcit"p、173.ワシン トン大学図書館資料部のCUC文書のガイ ドも次の よう に述べている。"TheCUCnegotiatedwithanumberoffirmswhichrefusedtohire blacks,butgenerallyfailedtoendthediscrimination.TheCUCdid,however,playa

‑2 7 1 ‑

(20)

936

majorroleinensuring thatthereturnofinternedJapaneseAmericanstoSeattle peacefully."Guide,CivicUnityCommitteeofSeattle

(18)膨大な無関係の記事の中か ら主題に関係のある少数の記事 を見つ け る作業 は ,特 に ネイテ ィブでない我 々に とっては ,時間 と神経を使 う作業である。しか し戦時のシア ト ル ・タイムズ紙 につ いてはJohnR.Litz,Japanese‑AmericansintheSeattletimes・

December1,1941toOctober31,1945とい う目録が存在 してお り,そ うでない場合に 比べてはるかに時間を節約す ることができた。なお,Litzの この著作は大戦で戦 った二 世兵士に捧げ られている。

(19)前掲拙稿,439‑440頁 ,参照。

(20)''IfThey'reLoyalCitizens,They'llStopComplaining",SeauleTimes,April15, 1943

(21)"Soft‑Hearted SentimentsTiring American Patience",SeattleTimes,May 13, 193.また6月21日の社説では ワシン トンに 日を向け ,そ こでいか な る決定 がな され よ

うとも,「軍 と太平洋岸諸州は この海岸に沿 った地域への 日本人の帰還を防 ぐ方法 を発 見 しなければな らない」 と主張 している。その他 ,日系兵士につ いての"KeepThem AwayFrom Here",July 14,1943や 戦 時 再 転 住 局 の 方 針 を 批 判 した "TellUs, W.R.A Chief,How YouAnswerThisOne",August6,1943な どを参照。もっとも二 世か ら市民権を奪 うような動 きについては,さすがに7月 9日の社説 で疑 問を投 げか けている。"OfDoubtfulAdvantage",July9,1943.

(22)"ThisLooksLikeaMatterForLocalOptionDecision",SeattleTimes,February 29,1944.

(23)"Editorials:NiseiandthePress",PacificCiti加n,Novernberll,1944なお ここで 挙 げ られ てい るの は SanFranciscoChronicle,PortlandJournal,PaloAltoTimes, SantaBarbaraNews‑Press,LosAngelesDailyNews,SantaAnaRegister,Seattle Times,OaklandTribune,theDailyPeople'sworldofSamFranciscoの9紙であるo (24)̀'LoyalCitizensShouldBeReceivedonTheirMerits",SeattleTimes,December

20,1944

(25)Berner,op.cit,p.127.

(26)‑‑ス ト系であるに もかかわ らずP I紙の帰還問題につ いての報道 も公平 な もので あった。cf.Berner,op.cit.,pp,125‑126,Droker,op.°it,pp.172‑1737 メ 1)カ ソー シャル ワーカー協会 ピュゼ ッ ト・サ ウン ド支部 ,マイノ T)テ ィ権利委 員会議長 ,エ レ ン ・スタンダー ド(EllenMaeStandard)は,投書で次の ようにPI紙 の姿勢を評価 し ている。

"The Minority Rights Committee,Puget Sound Chapter of the American Association ofSocialWorkershasvoted unanimously to commend you forthe fairnesswhich you haveshown in presenting the newsregarding thereturn of JapaneseAmerican tothisarea.We feelthatsome ofthearticleswhlCh have shownthereturningJapaneseAmericanascitizensandformermembersofourown communityhavehadasalutaryeffectuponcommunityattitudes

We appreciate the attemptmade to acquaintthe public with the partthat

(21)

シア トルにおけ る 日系人帰還 問題 937

JapaneseAmericanservicemenareplayinginthewar.Webelievethatcontinuance ofthispolicybyyournewspaperwillbe an indication ofyourdesire tofurther democraticprinciplesandfairplayforallcitizens."(PI,February3,1945). (27)"sheDoesn'tLikeThem",SeattleTimes,September19,1945,

(28)AFL系組合 の反 日系人活動 に関 連す る記 事 に ,"DenverUnionMovestoOust NiseiWorkers",PacificCitiZ:en,July31,1943,"IdahoLaborGroupAsksProperty Law〝,Åug14,1943,"AFL SeeksrestrictionsOnEvacuees",September25,1943,

"AFL WorkersDrop ProtestAgainstKusaka",Oct2,1943,"AttemptofAFL GrouptoGagJapaneseAmericanFailsasMasaokaSpeaksatMeeting",February 26,1944,''StrikeThreatbyAFL GroupHaltsEmploymentofEvacuees",August 5,1944などがある。AFLとその加盟組合が 日系人を受け入れ,あるいは擁護 したとい

う記事に "AFL TypographicalUnionWelcomesEvacueeLinotypist'',Dec2,1944,

"CoastRacistsHitbyAFL Newspaper",February10,1945,AFL Un10nAidslssei lnOpeningNew YorkBusiness",April21,1945などがある。

(29)"NiseiandtheAFL'',PacificCitizen,March18,1944.

(30)CUCRecords,Box22,Folder7

(31)"NationalAFLConventionHitsDiscriminatoryTreatmentOfJapaneseAmerican Group",PacificCitiZ:en,December16,1944.

(32)CUCRecords,Box22,Folder7.

(33)WarAgencyLiquidationUnit,PeoplelnMotion・ThePostwarAdjustmentof the Evacuated Japanese Americans, 1947, Washington, D C., p.119, Bern‑

er,op.cit,129‑130.

(34)"Itmustnothappenagain",WashingtonTeamster,September9,1944.

(35)"NiseiUSA:TheAFLandRaceTensions'',PacificCitizen,February26,1944. (36)"TeamstersUnion",PacificCitizen,January6,1945.

(37)DaveBeckofLabor",PacificCztiZen,April21,1945

(38)"Teamsters'DaveBeck DeclaresOpposition toEvacueeReturn;ExceptNisei ExIServicemen",PacificCitizen,June23,1945,CUCRecord,Box16Folder23. (39)CUCRecord,Box22,Folderll.

(40)"PacificNorthwestLetter:Employment,Housing ProblemsConcern Returned Evacuees",PacificCitizen,December15,1945.

(41)HelenE.AmermanandElmerR.Smith,̀̀surveyofNiseiinSeattle",December 31,1945(CouncilofChurches,Seattle,Records,AccessionNo.1358‑7,UniversltyOf WashingtonLibrariesManuscriptCollection,Box15Folder23),p.64,

(42)パ シフ ィック ・シチズ ン紙 はその よ うな記事を克 明に フ ォ ロー して い る。"CIO UnionsCondemnDiescommittee'ssmearcampaignAgainstJapaneseAmericans", PaciJicCitizen,June24,1943,"Case forNiseiPresented atCIO Conference", August14,1943,"CIO Union'sActionBreaksDowǹUnwrittenLaw'AgainstNisei inFederalBureau",August28,1943,"SamFranciscoCIO BacksRightofEvacuees to ReturnIfMilitary Conditions P ermit",September ll,1943,̀̀cIO Magazine

273‑

(22)

938

ReportsonNiseiAidtoWarEffort",October23,1943,"MartinezCIOBacksRights OfEvacuees",February 12,1944,"CIO in Utah BacksRightsOfLoyalNisei", February26,1944,"SunnyvaleCanneryWorkersUnionProtestsResolutiontoBar Evacueesfrom California'',Marchll,1944,"CIO AutoWorkers,World'sBiggest Union,Urges Fair Play For Japanese Americans",May6, 1944, "American Newspaper Guild Urges Early Retum of NiseiEvacuees to Pacific Coast", September2,1944,"CIO LeaderHitsAFL Union'sAttitudeonNiseiAmericans", December16,1944,"CIO SupportsCitizen RightsOfNiseiGroup",January 13, 1945,"CIO SeeksClearanceforNiseiUnionLeaderinMovetoEnddiscriminatlOn AgainstGroup",March31,1945,''CIO CommendsArmy OrderRevoking Ban", March31,1945,'LNaiionalCIO NewspaperSaysUnionsBackReturnofNisei",June 2,1945,"Columbia RiverDistrictCIO Backs Return ofNisei",June 2,1945,

"CaliforniaCIO ConventionCallsforProtection ofRightsOfJapanese American GIs",December29,1945.

(43)"Japanese‑Arnerican‑CIO Member,DieslnSouthPacificFighting",Washington StateCIDNews,June1944.

(44)"Seattle CIO CouncilExtends Welcome to NISeiEvacuees,Resolution Raps Race‑Baiters",Pacifl'cCitizen,February3,1945.

(45)CUCRecords,Box22Folder4

(46)以上,cf."Bridges0K'sNiseiDespiteStrikeThreat",SeattleTimes,May 17, 1945,''DockUnionPunishedForBarringNisei",ibid.,May23,1945,"Longshoremen backLoyal Japanese",ibid,June5,1945,"ILWU SuspendsLocalforAnti‑Nisei Action",Pacific Clti之en,May 26,1945,1LWU Officials fight Racism With House‑to‑HouseCampaign",ibid,June 2,1945,"ILWU LeadersActto Enforce NoIDiscrimination Pledge in Stockton IncidentOverNisei",ibid,June 2,1945,

"ILWU WillHold FormalTrialForStockton Memberson Race Discrimination Charge",ibid.,June9,1945,"Lo§AngelesCIO CouncilsBacksILWU",ibid.,June 9,1945,''ManinUnionCaseMayNotBeCitizen",ibid,June9,1945,"NiseiUnion Members in Army liailILWU in Stockton",ibid,July 7,1945,''cIO Union CommitteeAsksExpulsionofTwoLeadersofRacistActivityinStocktonUnit", ibid,Åug4,1945,"ILWU LeaderHailsSuccessOfNo‑DiscriminationPolicy",ibid., September1,1945,"Editorials・NiseiandLabor",ibid,October13,1945,"Stockton IncidentClosedasTwoUnionMembersExpelled",ibid,October27,1945 (47)"Editorials・TwoCoastUnions",PacificCitizen,June23,1945.

(48)CfAmermanandSmith,"SurveyofNiseiinSeattle",WarAgencyLiquidation Unit,PeoplelnMotion,pp.113‑133,175

177

(23)

The Return of Japanese Evacuees to Seattle

Katsutoshi Kurokawa

By the order of the United States Government, Japanese and Japanese Americans were removed from the Pacific Coast early in the World War II. When the victory of allies became not so far away, therefore, the return of evacuated people to their former homes turned up as the problem. Many groups began their activities for and against the return of Japanese and Japanese Americans to the Pacific States. The purpose of this note is to analyze the activities of some of these organizations, especially in Seattle.

One of the organizations that helped the peaceful return of Japanese to Seattle was the Civic Unity Committee.

It

was established in February 1944 by Seattle Mayor William F. Devin to alleviate the racial tensions.

The Seattle Times, which had supported the removal of Japanese from the Seattle early in the war, cooperated the CUC and helped the return of Japanese in its editorials and articles. The articles that emphasized the activities of Nisei soldiers who were fighting in Europe were especially effective.

Some labor unions and councils that affiliated to the American Federation of Labor opposed to the return of Japanese to Seattle. The antagonistic campaign by the Teamsters, which was led by Dave Beck, was especially serious and harmful for the successful return of Japanese.

The unions and councils that belonged to the Congress of Industrial Organizations, on the other hand, supported the return of Japanese to the Pacific Coast. The International Longshoremen's and Warehousemen's Union, which was led by Harry Bridges, suspended the Stockton Unit of Local 6 when some leaders of the unit refused to work with returned Japanese.

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参照

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