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南アジア研究 第5号 005堀本 武功「南アジアの地域紛争-1970年代以降のカシミール問題」

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102 ■論 文 ■

南 ア ジ ア の 地 域 紛 争

1970年

代 以 降 の カ シ ミー ル 問 題

堀 本 武 功

1.  は じめ に 地 域 紛 争 は,紛 争 主 体 に よ って 国 家 対 国 家 の紛 争 と中 央 政 府 対 反 政 府 組 織 の 紛 争 とい う二 つ の タイ プ に分 類 され る.冷 戦 終 結 後,湾 岸 戦 争 の例 を除 い て国 家 間 の紛 争 は影 を潜 めつ つ あ るが,国 家対 反 政 府 組 織 の紛 争,最 近 で は 「低 強 度 紛 争

」(low intensified conflict)と も呼 ば れ て い る地 域 紛 争 は,相 変 わ らず世 界各 地 で頻 発 して い る.し か し,仔 細 に検 討 す れ ば,低 強 度 紛 争 の性 格 も冷 戦 終 結 に よ って相 当変 化 して きて い る.現 在 起 きて い る低 強 度 紛 争 の大 方 は,あ る国 や特 定 地 域 に 内在 す る矛 盾 が原 因 とな って 発生 す る民 族 紛 争 ま た は エ ス ニ ック紛 争 で あ り,い わ ば,内 在 型 地 域 紛 争 で あ る と言 え よ う.冷 戦 後 の世 界 で は,冷 戦 構 造 に起 因 す る地 域 紛 争 に代 わ って,こ の 内在 型 地 域 紛 争 の頻 発 が懸 念 され て い る の で あ る. 南 ア ジ ア の地 域 紛 争 は,従 来 か ら基 本 的 に は内 在 型 地域 紛 争 で あ り,イ ン ドに お け る シ ク教徒 の独 立運 動,ス リラ ンカ に お け る タ ミル人 の独 立 問題, パ キ ス タ ン にお け るシ ン ド独 立運 動 な ど をは じ め大 小 さ ま ざ ま な例 を あ げ る こ とがで き る. 南 ア ジ ア各 国 は,宗 教 や言 語 な ど に よ って形 成 され た 多 くの民 族 を も っ て 構 成 され る多 民 族 国家 で あ る.大 部 分 の 国 は,第 二 次大 戦 後 に独 立 し,直 ち に ネ イ シ ョ ン ・ビル デ ィ ン グ に 着 手 した.そ の際,最 大 の 問題 とな った の は,そ れ ま で存 在 しな か っ た 「国 民 」 意 識,そ して国 家 を形 成 す るた め,何 堀 本 武 功 ほ りも とた け の り,国 立 国 会 図 書館,現 代 南 ア ジ ア政 治 専 攻.主 要 論 文: 『70年 代 以 降 の カ シ ミー ル 問題 』 外 務 省,1992

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南 アジアの地域紛争1970年 代以降の カシ ミール問題 103

カ シ ミー ル お よび そ の 南 ア ジ ア にお け る位 置

出 所:Richard P.Cronin, The Kashmir Dispute:Historical Background to the Current Struggle. CRS Report No.91-563F, July 19, 1991, p.iii お よ び 斉 藤 吉 吏 『イ ン ドの 現 代 政 治 』 朝 日新 聞 社,1988年,239頁 ほ か よ り作 成.

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104 南 ア ジ ア研 究 第5号(1993年) を理 念 と して 多 民 族 を統 合 して い くか で あ っ た.い わ ゆ る国民 統 合 の 問題 で あ る.国 民 統 合 は,今 もって 経 済 開 発 と と もに南 ア ジ ア各 国 に と って最 大 の 課 題 で あ る. 各 国 が採 用 した 国 民 統 合 の理 念 は,イ ン ドを除 き,い ず れ も国 内 の優 勢 な 民 族 ・宗 教 グル ー プ(多 数 派)の 理 念 だ っ た.従 っ て,劣 勢 な民 族 ・宗 教 グル ー プ(少 数 派)は ,い きおい,ア イ デ ンティティー を求 めて分離主義的 な動 き を見 せ る よ うに な る.南 ア ジ ア に お け る地 域 紛 争 の多 くは,民 族 問題 の処 理 に係 わ る もの で あ る と同 時 に,国 民 統 合 の成 否 に係 わ る問題 な の で あ る. しか し,南 ア ジ ア の地 域 紛 争 は,単 な る内在 型 とは言 い切 れ な い性 格 を合 わせ 持 っ て い る.そ れ は,地 域 紛 争 の多 くが,南 ア ジ ア に お け る国 際 問 題, 特 に 当事 国 とイ ン ドと の 二 国 間問 題 と深 く関 わ って い る こ とで あ る.例 え ば,ス リ ラ ンカ が抱 え る タ ミル人 独 立 要 求 を め ぐる 問題 は,同 国 で 最大 の国 内 問題 で あ る と同 時 に タ ミル人 出身 国 ・イ ン ドとの 国 際 問題 とな って い る. イ ン ドは,南 アジ ア の中 で一 国 で域 内全 体 の人 口,面 積,GNPな どの約 7割 を占 め る大 国 で あ り,地 政 学 的 に見 て も,他 の南 ア ジ ア諸 国 は イ ン ドを 取 り巻 く位 置 に あ る.こ の た め,南 ア ジ ア域 内 の 国 際 問題 は,い ず れ もイ ン ドを軸 に展 開 され る こ とに な り,イ ン ド以 外 の 国 か ら見 れ ば,対 印 関係 は 国 の 内外 政 策 を左 右 す る大 きな 問題 とな るの で あ る. 本 稿 の 目的 は,こ の よ うな特 質 を持 つ南 ア ジ ア の地 域 紛争 の中 で,典 型 的 な例 で あ るカ シ ミー ル 問題 を取 り上 げ,内 政 と国 際 関係 との相 互 関係 お よび 冷 戦 後 の状 況 下 にお け る今 後 の 展 開 を中心 に検 討 す る こ と に あ る.カ シ ミー ル 問題 は,印 パ 問 の 問題 で あ るが,本 稿 で は 主 にイ ン ド側 の視 点 か ら考 察 す る. な お,カ シ ミー ル 問題 とは,当 初,カ シ ミー ル帰 属 をめ ぐ る印 パ の国 際 紛 争 を意 味 して い た が,そ の後,ジ ャム ー ・カ シ ミー ル 州(以 下,JK州)と イ ン ド中央 政 府 との 関 係 に 関 す る 争 い を も意 味 す る よ うに な り,89年 以 降 に はJK州 で 発 生 して い る イ ン ドか らの 分離 運 動 を め ぐ る 国 内 問題 も加 わ っ た.印 パ 問 の国 際 問題 として の カシ ミー ル 問題 とイ ン ド国 内 問題 と して の カ シ ミー ル 問題 は,密 接 不 可 分 の 関係 に あ る.そ こで 本 稿 で は,こ の二 つ の 「カ シ ミー ル 問題 」 を一 括 して 「カ シ ミール 問題 」 として と らえ る こ と とす る.

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南 ア ジ ア の地 域 紛争―1970年 代 以 降 の カシ ミー ル 問 題 105 2.  第 一 次 お よ び第 二 次 印 パ戦 争 わ が国 の本 州 とほ ぼ 同 じ広 さ(22.2万km2)を 持 つ カ シ ミー ル は,英 国 の 植 民 地 時 代 のイ ン ドに お い て は,藩 王 国 を形 成 して お り,藩 主 は ヒ ン ドゥー 教 徒 だ っ た が,藩 王 国 住 民 の約5分 の3は ム ス リム(イ ス ラー ム教 徒)で あ っ た.こ の藩 王 と藩 民 との宗 教 上 の食 違 い が,現 代 に至 るカ シ ミー ル 問題 の 出 発 点 とな った. 印 パ 両 国 が47年 に 分 離 独 立 した際,カ シ ミー ル 藩 王 は 最 終 的 にイ ン ドへ の加 入 を選 択 した.し か し,ム ス リム多 住 地 域 を基 礎 に して 国家 を建 設 し よ う と して い た パ キ ス タ ン は こ の選 択 を 認 めず,48年 に は 第 一 次 印パ 戦 争 が 勃 発 した1).翌49年1月,48年8月 の 国連 イ ン ド ・パ キ ス タ ン委 員 会 決 議 に 基 づ い て停 戦 が実 現 し,49年7月 に画 定 され た停 戦 ライ ン(地 図 参 照)に よ り カ シ ミー ル は,印 パ で暫 定 的 に分 割 領 有 され た.決 議 は こ の ほか 両軍 の撤 退 お よび 帰属 決 定 の た めの住 民投 票 を予 定 して い た が,い ず れ も今 日に至 る ま で実 施 され て い な い. イ ン ド側 カシ ミー ル はJK州 として イ ン ド連 邦 の一 州 を構 成 して い る.こ の うち,ア クサ イ ・チ ン地 域 は,イ ン ドが領 有 を主 張 して い るが,50年 代 に 事 実 上 中 国 の管 理 下 に入 った.パ キ ス タ ン側 カ シ ミー ル は 「ア ーザ ー ド ・カ シ ミール 」 お よび 「北 方 地 域 」 とな って い る. 65年9月6日 に開始 され,安 保 理 決 議 に よ って 同 月23日 に 終 結 した第 二 次 印 パ 戦 争(65年 戦 争 とも言 われ る)も,カ シ ミール を め ぐっ て戦 われ た.翌 66年1月,イ ン ドの シ ャ ー ス トリー首 相 とパ キ ス タ ンの ア ユ ー ブ ・カ ー ン大 統 領 は,ソ 連 南 部 の タシ ケ ン トにお い て紛 争 の平 和 的 解 決 お よび両 国軍 隊 の 撤 退 を内容 とす る宣 言 を行 った. この戦 争 の 勝 敗 につ い て は,引 分 け説2)や パ キ ス タ ン有利 説3)な どが あ る が,結 局,軍 事 的 に は勝 者 も敗 者 もな い戦 争 だ った とい う と こ ろが妥 当な 見 方 で あ ろ う.し か し,65年 戦 争 が 国 内 に与 えた影 響 とい う点 で は,パ キ ス タ ンが受 けた ダ メ ー ジ の 方 が大 きか った. イ ン ドは,第 三 次 五 ヵ年 計 画 の 失敗 と未 曾 有 の 食 糧 危 機 に喘 ぎ な が ら も, 65年 戦 争 の遂行 を通 じて 国 内 を ま と め る こ とに成 功 した.不 幸 に もシ ャー ス トリー 首相 は,宣 言 採 択 の翌 日,タ シ ケ ン トにお い て 心臓 麻痺 のた め客 死 し た.そ の結 果,シ ャー ス ト リー は イ ン ド国 内 にお い て殉 教 者 的 なイ メー ジ を

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106 南 ア ジ ア 研 究 第5号(1993年) 獲 得 し,シ ャー ス トリー が締 結 した タシ ケ ン ト宣言 の 客観 的評 価 は 困難 とな って い る.し か し,パ キ ス タ ン に よ るイ ン ド側 カシ ミー ル の解 放 を阻 止 で き た 点,お よび 安 保 理 決議 ・タ シケ ン ト宣言 が と もに住 民 投 票 に よ る カシ ミー ル 帰属 問 題 の解 決 に触 れ て い な い点 か らみ て,65年 戦 争 はイ ン ドにプ ラ ス の 結 果 を もた ら した と評価 で き る だ ろ う. 一 方 ,パ キ ス タ ン側 の得 失 につ いて,「 パ キ ス タ ン は以 前 の よ うに隣 の大 国 に よ って そ の独 立 を 損 な わ れ る との 懸念 を持 た ず に 済 む よ うに な っ た し, イ ン ドは 小 隣 国 に 対 す る勝 利 を 当然 の こ と と考 え られ な くな った 」4)と い う 評 価 も あ る.し か し,パ キ ス タ ンは,カ シ ミー ル の解 放 を最 大 の 目的 と して 65年 戦 争 を開 始 しな が ら,安 保 理 決 議 にお い て 「現 地 域 の根 底 を なす 政 治 問 題 を解 決 す る うえで役 立 つ措 置 につ い て検 討 す る」 との 言及 を得 た に留 ま っ た.加 え て,戦 時 中 のパ キ ス タ ンの 防衛 体 制 が西 パ キ ス タ ン に偏重 し,東 パ キ ス タ ンが イ ン ドの攻 撃 に曝 され た こ と に強 い不 満 が高 ま り,後 にバ ン グ ラ デ シ ュ分 離 独 立 の遠 因 とな った の で あ る.ま た,タ シ ケ ン ト宣 言 の調 印 につ い て ア ユ ー ブ ・カ ー ン大 統 領 と対 立 した プ ッ トー外 相 は,66年6月 に辞 任, 67年12月 にパ キ ス タ ン 人民 党 を結 成 した.同 党 は,69年3月,ア ユ ー ブ ・ カ ー ン大 統 領 を辞 任 に追 い込 む 野党 勢 力 の核 とな った. 3.  第 三 次 印 パ 戦 争(バ ン グ ラ デ シ ュ独 立 戦 争)と シ ム ラ協 定 3.1  第 三 次 印 パ戦 争 の概 要 第 三次 印パ 戦 争(以 下,第 三 次 戦 争)5)につ い て は,戦 争 の発 端 も勝 敗 もは っ き り して い る.過 去 二 回 の戦 争 は,印 パ の うち ど ち らが,先 制 攻 撃 した の か,勝 利 し敗 北 した か,さ らには 戦 争 の 目的 を達 成 した の か,い ず れ も不 明 確 だ った.こ れ に対 して,第 三 次 戦 争 の場 合,戦 争 を仕 掛 けた の がパ キ ス タ ンだ った のは 明 らか で あ る.ま た,こ の戦 争 に圧 勝 した イ ン ドは,東 パ キ ス タ ン の独 立支 援 とい う第 一 義 的 な 目的 を達 成 した ので あ る. 第 三 次戦 争 は,バ ン グ ラデ シ ュ独 立戦 争 の別 称 を持 って い るが,事 実 上 は は,第 一 次,第 二 次 の 印パ 戦 争 と同様,カ シ ミー ル 問題 を め ぐ る印 パ戦 争 で あ った と見 る こ とが で き る.そ れ ま で の二 回 の印 パ 戦 争 と同 じ よ うにカ シ ミ ー ル で も戦 闘 が行 われ,戦 争 終 結 の た め の印 パ 協 議 お よび シ ム ラ協 定 に お い て は,カ シ ミー ル問 題 の処 理 が最 大 の テ ー マ とな った.印 パ 間 の最 大 の 問題 が カシ ミー ル 問題 で あ る以 上,両 国 間 の戦 争 は常 に カシ ミー ル を め ぐる戦 争

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南 アジアの地域 紛争―1970年 代以降 のカシ ミール 問題 107 とな ら ざ る を得 な い の で あ る. 第 三 次 戦 争 は,東 パ キ ス タ ン内戦 へ のイ ン ドの武 力 介 入 と,こ れ に続 くパ キ ス タ ン のイ ン ド空 軍 基 地 爆 撃 に よ っ て開 始 され た.イ ン ドは か ね て東 パ キ ス タ ン の 自治 権 拡 大 要 求 に同 情 と支 持 を明 らか に して い た が,隣 国 へ の不 当 な 干 渉 と と られ て国 際 関 係 にお け る孤 立 を招 くこ とを恐 れ,介 入 には 慎 重 で あ った.イ ン ドに介 入 の 口実 を与 えた のは,国 内 に流 入 した 東 パ キ ス タ ン か ら の約1000万 人 と も言 わ れ た 難 民 問題 で あ る.難 民 を 帰 国 させ るた め に東 パ キ ス タ ン の安 定 を確 保 す る とい うのが イ ン ド政 府 の主 張 で あ った.第 三 次 戦 争 は,ま た,71年3月 の総 選挙 で 「貧 乏 追 放 」 とい う達 成 で き る筈 もな い 選 挙 公約 を掲 げ て 大勝 した イ ンデ ィ ラ ・ガ ンデ ィ ー に と って,公 約 実 現 を当 分 の 問棚 上 げ にで き る絶好 の 口実 と もな った. イ ン ドの介 入 には,当 時 の 国 際情 勢 も与 って い た.70年 代 に 入 って か ら の 国 際 関係 にお い て は,そ れ まで の冷 戦 構造 に代 え と米 中 ソ の 「三極 構 造 」 が 出現 しつ つ あ った.三 極 構 造 の進 展 を示 した の が米 中和 解 で あ った.西 パ キ ス タ ンか ら秘 密 裏 に北 京 に赴 い た キ ッシ ンジ ャ ー補 佐 官 が 中 国首 脳 と協 議 した結 果,71年7.月15日 に は ニ ク ソ ン訪 中 が公 表 され た.パ キ ス タ ン側 は 米 中 の和 解 に よ り,こ れ ま で別 々 にパ キ ス タ ン を支 援 して き た両 国 が一 致 し て支 援 行 動 に 出 る こ と を期 待 して い た の で あ る.し か し,中 国 は文 化 革 命 末 期 に あ っ て,林 彪 事 件 に代 表 され る国 内騒 乱 を抱 え て い た.ま た,米 国 はベ トナ ム戦 争 を め ぐっ て国 内 が分 裂 して お り,第 二 のベ トナ ム戦 争 を招 くよ う な他 国 へ の介 入 に乗 り出 す 情 勢 で は な か っ た.従 っ て,イ ン ドの東 パ キ ス タ ン介 入 とい う事 態 に な っ て も,米 中 がパ キ ス タ ン を支 援 して イ ン ドを牽 制 す る可 能 性 は少 な か っ た の で あ る.そ の うえ,イ ン ド側 は米 中 封 じ のた め の対 策 と して,71年8月9日 に 「印 ソ平 和 友 好 協 力 条 約 」 を調 印 して い た. 72年12月3日 か ら開始 され た第 三 次戦 争 の 焦点 は,東 パ キ ス タ ン に お い て解 放 軍 ・イ ン ド軍 の 圧 勝 が 明 らか に な る に した が って,西 部 戦 線 に 移 っ た.問 題 は,イ ン ドが全 勢力 を西 部戦 線 に移 動 させ,西 パ キ ス タ ン,特 にパ キ ス タ ン側 カ シ ミー ル(ア ー ザ ー ド ・カ シ ミー ル)に 進 攻 す るか ど うか で あ っ た.キ ッシ ンジ ャー に よれ ば,ガ ンデ ィ ー首 相 は ア ー ザ ー ド ・カ シ ミー ル南 部 を解 放 し,パ キ ス タ ンの 陸軍 ・空 軍 を一 掃 す る こ と を考 え て い る と見 られ た た め,米 国 は第7艦 隊 をベ ンガ ル湾 に派 遣 す る こ と に よ って(15目 一 著 者 注)イ ン ドの西 パ キ ス タ ン攻 撃 を阻 止 し よ うと した とい う6).

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108  南 ア ジ ア 研 究 第5号(1993年) た しか に,当 時 の イ ン ド国 内 に は,戦 争 終 結 前 にパ キ ス タ ン を さ らに攻 撃 して見 せ しめ とす べ きだ との 雰 囲 気 が あ った.し か し,ガ ンデ ィ ー 首相 自身 は,16目 に東 パ キ ス タ ン のパ キ ス タ ン軍 が無 条 件 降 伏 した時 点 で,世 界 世 論 へ の配 慮 か ら西 部 戦 線 で も停 戦 を決 意 して い た,と い う7).ガ ンデ ィー と親 交 の あ っ た ラ ー ジ ・タ ーパ ル は,そ の回 想 録 に お い て 「イ ン デ ィ ラ は,東 部 戦 線 に お け る降 伏 後,直 ち に停 戦 を命 じ る常 識 を持 っ て い た」 との見 方 を示 して い る8). 一 方,71年4月 以 降 イ ン ド非 難 を繰 り返 して き た 中国 は,12月6日,イ ン ドのパ キ ス タ ン に対 す る 「侵 略行 為 」 を激 し く非 難 し,バ ン グ ラデ シ ュ は 「満 州 国 の再 現 」 で あ る とす るな ど,パ キス タン支持 の姿 勢 を明 らか にして い た.当 時,イ ン ド政 府 は,中 国 が 中 印 国境 にお い て イ ン ドへ 牽 制 の行 動 に 出 た 第 二 次 印 パ 戦 争 時 の体 験 を想 起 して いた に違 い な い.し か し,ガ ンデ ィ ー 首 相 は,閣 僚 に 向 か って,中 国 が 「剣 をが ちゃ つ か せ る」 な らば ソ連 が しか るべ き対 抗 措 置 を取 っ て くれ る こ とを約 束 して い る,と 述 べ た と言 わ れ る9). 12月17目 に終 結 した 第 三 次 戦 争 は,ま さに,南 ア ジ ア を め ぐ る米 中 ソの 駆 け 引 き の 一 幕 で あ った とい え るが,特 徴 的 な こ とは 米 国 の非 介 入 で あ る. 米 国 は,第 二 次大 戦 か ら今 日に至 る まで,東 ア ジ ア,東 南 ア ジ ア,中 東 と三 回 にわ た って地 域 紛 争 に直 接 的 に介 入 して きた が,南 ア ジ ア につ い て は 皆 無 で あ る.米 国 の対 応 は,後 述 す る よ う に冷 戦 後 の南 ア ジ ア 情勢 を検 討 す る う えで,重 要 な意 味 を持 って い る. 3.2  シ ム ラ協 定 の 内容 第 三 次 戦 争 の終 戦 処 理 は,一 般 的 には シ ム ラ協 定 また は シ ム ラ合 意 と呼 ば れ る印 パ 協 定 に よ っ て行 われ た.7月2日 に ガ ン デ ィ ー とプ ッ トー が署 名 し て 成 立 した この協 定 は,「 イ ン ド政 府 お よび パ キ ス タ ン政 府 との二 国 間 関係 に 関す る協 定 」 とい う名 称 が示 す よ うに印 パ 両 国 間 の 関係 を律 す る文 書 で あ る. 協 定 は,大 き く三 つ の要 素 で構 成 され て い る.ま ず,第 一 の要 素 は,両 国 間 の 関係 に関 す る原 則 規 定(第1条)で あ る.同 条 の第i項 お よび 第vi項 は 国連 憲 章 を両 国 間 関係 の 基 本 と定 め,第ii項 は 両 国 間 の紛 争 を 二 国 間交 渉 を通 して平 和 的手 段 等 に よ り解 決 す る こ と を明示 し,第iii項 で は平 和 五 原

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争 ―1970年 代 以 降 の カ シ ミール 問 題  109 則 の適 用 が うた わ れ て い る.こ の条 文 は,印 パ 間 紛 争 に第 三 者 を介 入 させ る べ きで は な い と い うイ ン ドの主 張 に拠 りつ つ,国 連 憲 章 の順 守 を掲 げ る こ と に よ り国連 が 関与 す る余 地 を残 し,パ キ ス タ ン側 の 要 望 を盛 り込 ん だ もの, と言 わ れ る10). また,第ii項 には,「双 方 は平 和 的 かつ 調 和 的 な関 係 の維 持 を阻 害 す る よ う な行 為 を行 い,...援 助 しま た は助 長 す る こ と を防 止 す る」 との文 言 が用 い られ て い る.こ の協 定 が成 立 した 時点 で は,パ キ ス タ ンに お け るパ ク トゥー ン運 動 に対 す るイ ン ドの支 援 も念 頭 に置 かれ て い た模 様 で あ る11).イ ン ド政 府 は,そ の 後,こ の規 定 を根 拠 に,パ キ ス タ ン によ るカ シ ミー ル やパ ンジ ャ ー ブ の テ ロ リス ト支 援 をシ ム ラ協 定違 反 と して非 難 して い る. 二 番 目の要 素 は,当 面 の 両 国 関係 改 善 の た めの措 置(第3条)で あ る.同 条 は,陸 上連 絡 ・航 空 ・運 輸 の 再 開,両 国 民相 互 の訪 問 の 容 易化,貿 易 ・経 済 の協 力 の再 開,科 学 ・文 化 交 流 の促 進 な ど 「両 国 関 係 を漸 進 的 に回復 し,正 常 化 す る」 た め の措 置 を規 定 す る. 三 番 目の 要 素 は,「 永 続 的 平 和 を確 立 す る 過 程 の 手 始 め と して 両 国 政 府 」 (第4条)が 合 意 した 措 置 で あ る.第i項 は ジ ャ ン ムー ・カシ ミー ル 以 外 の地 域 で の両 国 軍 の国 境 の内 側 へ の撤 退,第ii項 は ジ ャ ンム ー ・カシ ミー ル に つ い て71年12月17日 の 停 戦 に よ って 生 じた 停 戦 ラ イ ン を 双 方 が尊 重 す る こ と を明記 し,第iii項 は両 軍 の撤 退 時 期 に つ い て,本 協 定 発 効 の 日か ら30 日以 内 に完 了 す る と した. 特 に,シ ム ラ協 定 第6条 に お い て は,「 ジ ャ ン ム ー ・カ シ ミール 問 題 の最 終 的 解 決 」 の た め,両 首 脳 が再 び 会 合 す る とい う文 言 が使 用 され,カ シ ミー ル 問題 が未 解決 で あ る こ とお よび 印 パ 両 国 が カシ ミー ル 問 題 の 当事 者 で あ る こ とが確 認 され た.イ ン ドは,従 来,カ シ ミー ル 問題 は解 決 済 み で あ りパ キ ス タ ン は この 問題 の 当事 者 で は な い との態 度 を取 り,タ シ ケ ン ト宣 言 にお い て も 「ジ ャ ン ム ー ・カ シ ミー ル が討 議 され,双 方 に各 々 の立 場 を述 べ た」 と の表 現 に と ど ま って い た.シ ム ラ協 定 は この よ うな イ ン ドの態 度 の変 更 を意 味 し,パ キ ス タ ンは、 そ の 後,イ ン ドに対 して,第6条 を根 拠 に カシ ミー ル 問題 にお け る当 事者 と して の立 場 を繰 り返 し主張 して い る. シ ム ラ協 定 は,印 パ両 国 の 主張 を巧 み に ミ ック ス した,妥 協 の産 物 で あ っ た と言 え よ う.両 国代 表 が最 も腐心 した 点 は,相 手 国 に譲 歩 し過 ぎた との 印 象 を与 え,国 内 の批 判 を受 け る こ との な い よ うにす る こ とで あ った ろ う.ガ

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110  南 アジ ア研 究 第5号(1993年) ンデ ィ ー 首相 とす れ ば,戦 争 に勝 利 しな が らパ キ ス タ ン に譲歩 した,と 批 判 され る こ とは避 けね ば な らな か った.一 方,プ ッ トー 首相 の立 場 か らは,敗 戦 国 パ キ ス タ ンが イ ン ドに 一 方 的 に 屈 伏 した 協 定 を 結 ん だ と う け と られ れ ば,軍 の不 興 を買 い,政 権 の不 安 定 に つ な が る虞 れ が あ った.プ ッ トー は, 65年 の タシ ケ ン ト宣 言 が ア ユ ー ブ政 権 崩壊 の 遠 因 とな った 先 例 を想 起 して い た で あ ろ う. シ ム ラ協 定 は,印 パ 内外 で概 ね歓 迎 ・支 持 され た.し か し,イ ン ドの 野 党 の うち,大 衆 連 盟 な どは協 定 に反 対 の 立場 を取 った.大 衆連 盟 の指 導 者 は, 協 定 締 結 に あ た って の イ ン ドの譲 歩 をイ ン ド兵 の犠 牲 に対 す る重 大 な裏 切 り で あ る と批 判 した. シ ム ラ協 定 自体 に は停 戦 ライ ンに つ い て 明確 な規 定 が置 か れ て い な か った た め,協 定 成 立 後 は,停 戦 ライ ン の確 定 が急 務 とな っ た.印 パ 両 国 は新 しい 停 戦 ライ ン を確 定 す る こ とに異 存 は な か っ た が,そ の確 定 作 業 に 国連 を関 与 させ るか否 か をめ ぐ って対 立 した.イ ン ド側 は,49年 に国連 の調 停 に よ り成 立 した停 戦 ライ ン は もはや 存 在 しな い の で,国 連 の 関与 は不 要 で あ る との立 場 で あ っ た.こ れ に対 して,パ キ ス タ ンは新 停 戦 ライ ンが49年 の停 戦 ライ ンの改 訂 で あ る以 上,そ の改 訂 には 国連 の 関 与 が 必要 で あ る,と 主 張 した. 新 停 戦 ライ ンの画 定 は,両 軍 が 旧停 戦 ライ ン沿 い に 占拠 した相 手 国地 を ど う 処 理 す るか とい う問 題 に直 結 して い た.結 局,両 国 は 国連 の調 停 を受 けず, 二 国 間 で高 級 軍 事 専 門家 会 議 お よび 首 脳 特 使 会 議 な ど を行 い,12 .月11日 に 従 来 の停 戦 ライ ンに代 わ る管 理 ライ ン(Line of Control)12)が 誕 生 した. 3.3 シ ム ラ秘 密 合 意 の問題 シ ム ラ協 定 につ い て は,カ シ ミール 問 題 処 理,特 に管 理 ライ ンの取 り扱 い を め ぐっ て 両 国 間 に秘 密 合 意 が 存 在 した か否 か が 謎 に包 まれ た ま まで あ る. この問 題 を最 初 に報 道 した の は,シ ム ラ協 定 が成 立 した 日の翌 日の7月3日 付 け ニ ュ ー ヨー ク ・タイ ム ズ紙 で あ っ た13).同 紙 の 「シ ム ラ協 定:交 渉 進 捗 の裏 で秘 密 協 定 の可 能 性 」 と題 す る記 事 に よれ ば,プ ッ トー はイ ン ドが主 張 す るカ シ ミー ル の三 分 の二 を認 め,実 効 支 配 線 を徐 々 に(gradually)固 定 し た国 境 とす る こ とに同 意 した,と 言 われ る. そ の後,イ ン ド側 で は,ジ ャナ タ党 政 府 のバ ジパ イ 外 相 が秘 密 協 定 の存 在 につ い て言 及 した.彼 は,78年4月8日,イ ンデ ィ ラ ・ガ ンデ ィー 首 相 が

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争 ―1970年 代 以 降 の カシ ミー ル 問 題  111 当 時 の連 邦 議 会 や そ の 閣 僚 に さ え シ ム ラ 協 定 に つ い て は 真 実 を 知 らせ な か っ た,と 指 摘 し た(ガ ン デ ィ ー は15日 に こ れ を 否 定). さ ら に,イ ン ド の 通 信 社UNIの4月20目 付 け 配 信 記 事 は,秘 密 協 定 の 存 在 と そ の 背 景 に つ い て 詳 報 し た.こ れ に よ れ ぼ,ガ ン デ ィ ー と ブ ッ トー は,カ シ ミ ー ル 問 題 の 解 決 策 に は 管 理 ラ イ ン を事 実 上 の 国 境 と し て 凍 結 す る し か な い と い う点 で 意 見 が 一 致 し た と言 わ れ,こ の 秘 密 了 解 が 暗 礁 に乗 り上 げ た シ ム ラ 会 談 を妥 結 に 導 き,ま た,シ ム ラ 協 定 に お い て カ シ ミ ー ル 問 題 を 盛 り込 む こ と を可 能 に し た と い う.そ し て,こ の記 事 は 「消 息 筋 に よ れ ば, 両 首 脳 の 会 談 を記 載 し た 文 書 をイ ン ド政 府 が 所 蔵 し て い る と 言 わ れ る.し か し,ガ ン デ ィ ー と プ ッ トー は,両 国 内 に は こ の よ う な 解 決 策 に つ い て 了 解 を 取 り付 け る こ と を 可 能 に す る よ う な 雰 囲 気 が 存 在 し な い こ と も理 解 し た 」 と 述 べ た14). ネ ル ー 首 相 も,55年 に パ キ ス タ ン の ボ グ ラ 首 相 に 対 し て 「貴 国 下 に あ る カ シ ミ ー ル 地 域 の 問 題 は,現 在 の 実 効 支 配 線 に 基 づ い て 国 境 を 定 め る こ とで 解 決 さ れ る べ き で あ る と い う こ と に 喜 ん で 同 意 す る.わ れ わ れ は 戦 闘 に よ り そ の 地 域 を奪 お う と は 思 わ な い 」 と提 案 し た と 言 わ れ る15).ガ ン デ ィ ー 首 相 は,72年8月2日 の連 邦 上 院 に お い て,恒 久 的 な 平 和 が も た ら さ れ る こ と を 条 件 と し て,管 理 ラ イ ン を 国 境 と し て 考 慮 す る用 意 が あ る こ と を 明 ら か に し て い る. イ ン ド人 ジ ャ ー ナ リ ス トの ノ ラ ニ は,ガ ン デ ィ ー 首 相 の 発 言,シ ム ラ 協 定 の 文 言 な ど を検 討 し て,秘 密 協 定 の 存 在 説 を支 持 し て い る16).イ ン ドの ラ ー ム 国 防 相 は,72年2月4目,実 効 支 配 線 を印 パ を分 け る 国 境 線 と す べ き で あ る,と 述 べ て い る し17),80年2月21目 付 け タ イ ム ズ ・オ ブ ・イ ン デ ィ ア 紙 は,「プ ッ トー は い わ ゆ る ア ー ザ ー ド ・カ シ ミ ー ル をパ キ ス タ ン に 編 入 し,実 効 支 配 線 を国 境 線 化 す る こ と に よ り,カ シ ミ ー ル 問 題 を解 決 し よ う と し て い た 」 と指 摘 し た18).結 局,秘 密 合 意 の 有 無 を 証 明 す る 十 分 な 証 拠 は 現 在 ま で 明 らか に な っ て い な い が,仮 に,管 理 ラ イ ン を 国 境 とす る と い う秘 密 合 意 が 存 在 す る と考 え る と,シ ム ラ 協 定 に お け る 「ジ ャ ン ム ー ・カ シ ミ ー ル 問 題 の 最 終 的 解 決 」 た め に 双 方 の 首 脳 が 会 談 す る,と の 文 言 が 一 定 の 意 味 を持 つ こ と は 確 か で あ る.

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112  南 ア ジ ア 研 究 第5号(1993年) 3.4  第 三 次 戦 争 ・シ ム ラ協 定 の意 味 第 三 次戦 争 は,南 ア ジ ア に お け る イ ン ドの 優 越 性 を確 立 す る もので あ っ た19).イ ン ドは,自 国 の優 越 性 を背 景 に,南 ア ジ ア地 域 に第 三者 が 介 入 す る こ とを排 除 す る意 図 を明 らか に した.シ ム ラ協 定 が 印 パ 問 紛 争 を両 国 だ けで 処 理 す る と うた った の は,イ ン ドの この 意 図 に 基 づ く もの で あ る.イ ン ド は,70年 代 以 降,74年5月 の地 下 核 実 験 を は じめ,75年5月 のシ ッキ ム併 合 な ど,南 ア ジ ア に お け る大 国 の地 位 を明 確 に指 向 して ゆ くが,第 三 次 戦 争 が ま さに そ の 出発 点 とな った の で あ る. また,イ ン ドは,カ シ ミー ル 問題 に つ い て,48年 の国 連 決 議 に代 わ る新 た な 主張 の論 拠 を シ ム ラ協 定 に よ っ て 手 に 入 れ た の で あ っ た.従 来,イ ン ド は,国 連 決 議 に うた わ れ た住 民投 票 の実 施 を迫 るパ キ ス タ ン に対 して,有 効 な反 論 が で き な か った.60年 代 に至 る まで のイ ン ド政 府 は,カ シ ミー ル がイ ン ドの完 全 な一 部 で あ って,カ シ ミー ル 問題 に関 す る国連 決 議 はす で に死 文 化 し,時 代 に そ ぐわ な い もの とな った と主 張 した.し か も,国 連決 議 が実 施 され な か っ た の は,パ キ ス タ ン が兵 力 撤 退 な ど国 連決 議 で定 め られ た条 件 を 履 行 しな か った こ とに原 因 が あ る,と してパ キ ス タ ン を批 判 して い た20).国 連 が係 わ った停 戦 ライ ンに代 わ る管 理 ライ ンの設 定 や二 国 間 に よ る紛 争 解 決 を定 め た シ ム ラ協 定 は,カ シ ミー ル 問題 に 関 す る国連 の束 縛 か らイ ン ドを解 放 した ので あ る. しか し,イ ン ドの大 国化 路 線 は,隣 国 パ キ ス タ ン に強 い警 戒 の念 を生 じ さ せ る こ と と な った.パ キ ス タ ン の対 印 政策 は,独 立 後 一貫 して,イ ン ドに対 して 「平 衡 」 を保 つ こ と を 目的 と して 展 開 して きた21).パ キ ス タ ン は,た と え軍 事 的 に は劣 勢 で あ っ て も,東 パ キ ス タ ン が存 在 す る間 は東 西 パ キ ス タ ン に よ る イ ン ド來 撃 の 仮 想 シ ナ リオ によ り,平 衡 心 理 を 維 持 す る こ とが で き た.し か し,東 パ キ ス タ ン の喪 失 が確 定 した後 のパ キ ス タ ン は,新 た な対 応 策 を模 索 しな け れ ば な らな い. 77年 にプ ッ トー を追 放 して大 統 領 にな った ジ ア に と って,対 印政 策 にお け る最 大 の課 題 は,東 西夾 撃 に代 わ る力 の均 衡 策 を見 い だ す こ と にな った.ジ ア大 統 領 に と って僥 倖 だ った の は,79年12月 に起 こ った ソ連 に よ るア フガ ニ ス タ ンへ の 軍 事 介 入 で あ った.米 国 が パ キ ス タ ン を通 じて ア フガ ン の 「ム ジ ャヘ デ ィ ン」 を支 援 す る政策 を と った た め,米 国 の対 パ 軍 事 ・経 済 援 助 は 急 増 した.パ キ ス タ ン は,米 国 の 挺 子 入 れ を 利 用 して イ ン ドに対 す るバ ラ

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争 ―1970年 代 以 降 の カ シ ミー ル 問 題  113 ン ス を回 復 す る こ とが で きた の で あ る.80年 代 にお け る米 国 の対 パ援 助 は, 50年 代 か ら60年 代 に か け て 共 産 勢 力 の拡 大 を防 止 す る た め に行 われ た対 パ 援 助 と同 様 に,米 国 の対 ソ戦 略 の一 環 で あ っ た.し か し,米 国 の援 助 を うけ た パ キ ス タ ン側 の思 惑 は,米 国 の意 図 とは異 な り,単 にイ ン ドへ の対 応 策 の 強 化 とい う点 に あ っ た の で あ る22). ジ ア大 統 領 が とっ た も う一 つ の対 応 策 は,イ ン ド国 内 の分 離 主 義 者 に対 す る支 援 で あ っ た23).後 述 す る80年 代初 めの パ ンジ ャー ブお よび80年 代 末 の カ シ ミー ル にお け るテ ロ活 動 の 激 化 は,イ ン ドの国 内 的 事 情 を 勘 案 して も, パ キ ス タ ン の テ ロ リス ト支 援 が な けれ ば起 こ りえ な い こ とだ っ た. 最 後 に,バ ン グ ラ デ シ ュ の独 立 は,果 た して,パ キ ス タ ン の建 国 原 理 で あ った 「二 民 族 論 」 に決 定 的 な ダ メ ー ジ を与 え た か ど うか とい う問題 が あ る. こ の点 につ い て佐 藤 宏 氏 は,「 「二 民 族 論 」 が必 ず し も直 ち に統 一 パ キ ス タ ン 国 家 の要求 を意 味 した ので は な い とい う歴 史 的 経 緯 か らす れ ば,バ ン グ ラ デ シ ュ の独 立 はパ キ ス タ ンの否 定 で は あ って も,「 二 民 族 論 」 を直 接 に否 定 し た こ と には な らない.つ ま りイ ン ド亜 大 陸 の 「ム ス リム民 族 」 が複 数 の国 家 を もつ こ と も 「二 民 族 論 」 の範 囲 内 で 想 定 され る こ とで あ った 」24)と して, 二 民 族 論 の崩 壊 を否 定 して い る.バ ー ク ら も同 様 な立 場 か ら 「二 民 族 論 」 崩 壊 を否 定 して い る25).確 か に,パ キ ス タ ンは,東 西 両 地域 で 構 成 され る変 則 的 国 家 とい う独 立 時 の形 態 にお いて は国 民統 合 に失敗 して終 焉 した が,そ れ が 直 ち に二 民 族 論 まで 葬 った とす る の は過 言 で あ ろ う.二 民 族 論 が 崩 壊 して い な い以 上,東 パ キ ス タ ン を失 った パ キ ス タ ン に とって,カ シ ミー ル は ます ます 重 要 な意 味 を持 つ に至 っ た の で あ る. 4.  90年 代 の カ シ ミー ル 問題 4.1  JK州 にお け る分離 運 動 の背 景 JK州 にお け る カシ ミー ル 分 離 運 動 の グル ープ が活 動 を開 始 す る の は,83 年 頃 か らで あ る.同 年,ス リナ ガ ル 市 で行 わ れ た独 立記 念 パ レー ドに爆 弾 が 投 げ つ け られ る事 件 が 起 き,翌 年2月 には,イ ギ リス のバ ー ミ ンガ ム で カシ ミー ル解 放軍 と称 す る グル ー プ が イ ン ド外 交官 の誘 拐 事 件 を起 こ した.し か し,本 格 的 な運 動 が展 開 され る の は,89年 の 後半 頃 か らで あ る.当 初 運 動 の 中心 とな った のは カシ ミー ル独 立 を明 確 に して い る 「ジ ャム ー ・カシ ミー ル 解 放 戦 線 」で あ った が,90年 代 に入 って か らは パ キ ズ タ ン と の合 併 を唱 え る

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114  南 ア ジ ア研 究 第5号(1993年) 「ヒ ズ ブ ル 」(Hizbul-Mujahideen=聖 戦 士 党)が 勢 力 を伸 長 さ せ て い る26). テ ロ活 動 を活 発 化 さ せ た 原 因 と し て は,イ ン ド政 府 が 主 張 す るパ キ ス タ ン 介 入 論 を 別 に す れ ば,(1)JK州 の 経 済 的 停 滞,(2)JK州 政 治 を ま と め る 力 量 を持 つ 唯 一 の 卓 越 し た リ ー ダ ー で あ り,世 俗 主 義 者 だ っ た シ ェ イ ク ・ア ブ ド ゥ ッ ラ ー の 死 去(82年),(3)憲 法 第370条(JK州 に 対 す る 特 別 の 自治 権 付 与)の 中 央 政 府 に よ る 死 文 化,(4)89年12月 以 降 の イ ン ド歴 代 中 央 政 府 が い ず れ も少 数 与 党 政 権 で あ り,強 力 な 政 治 的 リ ー ダ ー シ ッ プ を 発 揮 で き な い こ と,(5)70年 代 以 降 の 歴 代 会 議 派 の 中 央 政 府 に よ るJK州 政 治 へ の 恣 意 的 な 介 入 が も た ら し た,州 民 の 政 治 プ ロ セ ス に 対 す る不 信 感 や 反 中 央 政 府 感 情 の 増 長,な ど が あ げ ら れ よ う27). い う ま で も な く,こ れ ら の 諸 点 は 相 互 に密 接 な 関 連 を持 っ て い る が,中 で も(5)の 原 因 が 大 き な 比 重 を持 っ て い た とみ られ る.52年 の デ リ ー 協 定,75 年 の 中 央 政 府=シ ェ イ ク ・ア ブ ド ウ ッ ラ ー 合 意,86年 の ラ ジ ー プ ・ガ ン デ ィ ー=フ ァ ル ー ク ・ア ブ ド ウ ッ ラ ー 合 意 お よ び こ れ ら の 合 意 に 基 づ い て 行 わ れ た 政 治 的 措 置 は,一 貫 性 を欠 く場 当 た り的 な も の で あ っ た28).当 時 の 連 邦 政 府 は い ず れ も会 議 派 政 権 で あ り,極 言 す れ ば カ シ ミ ー ル 問 題 の 内 政 的 起 因 は 会 議 派 の 政 治 工 作 の 失 敗 に あ っ た と言 え る.こ の 点 で は,パ ン ジ ャ ー ブ 問 題 との 類 似 性 が 高 い. 4.2  カ シ ミー ル 問 題 とイ ン ド人 民 党 イ ン ド政 界 に お い て,カ シ ミ ー ル 問 題 な ど で の 会 議 派(1)の 失 敗 を衝 い て 党 勢 の 伸 張 に成 功 し た の が,ヒ ン ド ゥー ・ナ シ ョナ リ ズ ム を掲 げ る イ ン ド人 民 党(BJP)で あ っ た.BJPの カ シ ミ ー ル 政 策 は 明 確 で あ る.91年 の 選 挙 綱 領 で は,カ シ ミ ー ル 問 題 の 解 決 策 と し て,「1.カ シ ミ ー ル 渓 谷 か らパ キ ス タ ン 要 素 を一 掃 す る こ と,2.現 地 に お け る 情 勢 が 安 定 し次 第,自 由 で 公 正 な 選 挙 を実 施 す る こ と,3.ジ ャ ム ー お よ び ラ ダ ク に 個 別 の 地 域 開 発 評 議 会 を 設 置 す る こ と……5.憲 法 第370条 を 削 除 す る こ と に よ っ て 州 の 将 来 の 地 位 を 明 確 化 す る こ と 」 な ど を提 示 し て い る29). BJPは,イ ン ド に お け る他 の 主 要 政 党 と 比 較 し て 従 来 か ら カ シ ミ ー ル 問 題 に対 す る 関 心 が 強 く,第9回 総 選 挙 以 前 に も 繰 り返 し カ シ ミ ー ル 問 題 へ の 対 応 策 を 提 示 して き た.BJPが カ シ ミ ー ル 問 題 に つ い て 意 欲 的 に 取 組 ん で い る の は,カ シ ミ ー ル 問 題 が 同 党 の対 パ キ ス タ ン 政 策,ひ い て は 同 党 の 基 本 理 念

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争―1970年 代 以 降 の カシ ミー ル 問 題  115 と も直 結 す る 要 因 を 含 ん で い る か らで あ る. 80年4月 に 結 成 さ れ たBJPの 前 身 は,51年4月 に 発 足 し た 大 衆 連 盟 で あ る.大 衆 連 盟 の背 後 に は,ヒ ン ド ゥー 社 会 ・文 化 団 体 を 自称 す る 強 大 な 「国 家 義 勇 団 」(RSS)が 存 在 し た.RSSの 目的 とす る と こ ろ は,「 多 様 な グ ル ー プ を ヒ ン ド ゥー 社 会 に 溶 け 込 ま せ,ヒ ン ド ゥー 社 会 を ヒ ン ド ゥー 教(Dhar-ma)お よ び イ ン ド文 化(Sanskriti)に 基 づ い て 再 活 性 化 す る こ と」 に あ る30). 従 っ て,大 衆 連 盟 が そ の 党 是 と し て 掲 げ た 「一 国,一 民 族,一 文 化 」 は,ヒ ン ド ゥー 教 に基 づ い て イ ン ド を 纒 め 上 げ る と い うRSS理 念 が反 映 さ れ た も の と見 る こ と が で き る.こ こ で 言 うイ ン ド(Bharat)と は,古 代 か ら連 綿 と し て 続 くイ ン ド亜 大 陸 に 存 在 し た イ ン ドで あ り,現 在 の パ キ ス タ ン を も 含 む.こ の 理 念 の 帰 結 と し て,大 衆 連 盟 は ム ス リム 国 家 を 出 現 さ せ た 印 パ 分 離 の 認 知 を 拒 否 し た.こ の 立 場 は70年 代 に 至 っ て も変 化 し て い な い.大 衆 連 盟 は,73年,結 党 以 来 の 文 書 を集 大 成 し て 『党 文 書 』 を刊 行 し た が,同 党 の 原 則 お よ び 主 要 政 策 を ま と め た 第 一 巻 の 冒 頭 に お い て 「大 衆 連 盟 の 政 策 の 目 的 は,イ ン ド とパ キ ス タ ン の 分 割 を終 わ ら せ,印 パ を統 合 す る こ と で あ る」31) と述 べ,依 然 と し て 印 パ 統 一 を党 目的 と し て 宣 言 し て い る. 大 衆 連 盟 に よ っ て 統 一 イ ン ド(Akhand Bharat)と 呼 ば れ る 印 パ 統 一 の 主 張 は,パ キ ス タ ン 側 の 強 大 な 隣 国,イ ン ドに 対 す る 恐 怖 心 を 煽 る 原 因 と な っ て い る.例 え ば,1974年 の 『パ キ ス タ ン 年 鑑 』 は,イ ン ド と の 関 係 に つ い て,パ キ ス タ ン は 当 初 か ら印 パ 間 の 平 和 お よ び 安 定 の た め に 心 か ら の 友 好 を 呼 び 掛 け て い る が,「 イ ン ドの 指 導 者 は,パ キ ス タ ン に対 して 偏 見 に み ち た 態 度 を取 り続 け,統 一 イ ン ド を唱 道 し て い る 」 と記 述 し て い る32). 大 衆 連 盟 は,51年 ―52年 の第 一 回 総 選 挙 用 の 選 挙 綱 領 に お い て,カ シ ミ ー ル が イ ン ドの 完 全 な 一 部 で あ る こ と,カ シ ミ ー ル 問 題 の 国 連 へ の 付 託 を取 り下 げ る こ と,住 民 投 票 は 論 外 で あ る こ と な ど を 主 張 し た 後 で,カ シ ミ ー ル の 将 来 に 関 す る 不 安 定 な 状 況 を終 わ らせ る た め に,「 帰 属 し た 他 州 と同 様, な ん ら の 特 別 な 地 位 を与 え る こ と な くイ ン ド と統 合 され る べ き で あ る 」 こ と を 強 調 し た33).大 衆 連 盟 の 草 創 期 を 研 究 し た グ ラ ハ ム に よ れ ば,同 党 の 主 要 な 関 心 事 は イ ン ド政 府 のJK州 政 府 へ の 政 策 を変 え させ る こ と,つ ま り, JK州 に特 別 な 地 位 を 与 え て い る憲 法 第370条 を廃 止 し,同 州 を イ ン ドの 他 州 と 同 一 の 取 り扱 い と す る こ と に あ っ た,と い う34). 大 衆 連 盟 は,そ の 後,対 パ 強 硬 路 線 に 転 じ,第 二 回 総 選 挙(57年)お よび 第

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116  南 アジ ア研 究 第5号(1993年) 三 回総 選 挙(62年)の 選 挙 綱 領 に お い て 「カ シ ミー ル にお け る パ キ ス タ ン 占 拠 地 域 の解 放 」 を うた った.し か し,第 四 回総 選 挙(67年)の 選 挙 綱 領 に お い て は,「 失 地 回復 のた め にす べ て の 必 要 な措 置 を取 り……印 パ の 最 終 的 な統 一 を信 じ…… 」 な ど従 前 の主 張 を繰 り返 しな が ら も,カ シ ミール に つ い て は 「大 衆 連 盟 は,ジ ャンムー ・カシ ミール州 を他 州 と同等 にし,そ の住民 にイ ン ド憲 法 下 にお け る諸 権利 を付 与 す るた め に,第370条 を削 除 す る」35)と宣 言 す る に留 ま った.こ の政策 転 換 は,第 二 次 印 パ 戦 争 の経 験 に照 ら してパ キ ス タ ン 占拠 地域 を回復 す る こ とが不 可 能 で あ る と認 識 す る に至 っ た た め とい う36).第 五 回総 選 挙(71年)に お い て も,「 宗 教 に基 づ く二 民 族 論 ま た は言 語 に基 づ く多 民 族 論 を唱 道 す る者 は,こ の一 国概 念 に対 す る悪 意 あ る挑 戦 を行 って い る ので あ る.イ ン ドを さ らに分 断 され る危 険 か ら救 うた め に は,こ れ らの分 裂 的 理 念 が しっ か り と排 除 され な けれ ば な らな い」37)と して,カ シ ミ ー ル を他 州 と同 様 に扱 うべ き だ とい う主 張 を掲 げ て い る. 大 衆連 盟 は,77年1.月,他 の 野党 と大 同 団結 して 「ジ ャ ナ タ党 」 に合流, 同 党 の 政 権 獲 得 に よ り初 め て 政 権 の 一 角 を 占 め た が,ジ ャ ナ タ党 分 裂 の た め,80年 にBJPと して再 出発 した,パ キ ス タ ン は,大 衆連 盟 との連 続 性 を 持 っBJPに 対 して も,か つ て大 衆 連 盟 に対 して持 って い た の と同 じ不 信 感 を抱 き続 け て い る.『 パ キ ス タ ン年 鑑1990-91』 は,BJPが89年11月 の総 選 挙 で 第 三 党 に 躍 進 して 少 数 与 党 の 国民 戦 線 に 閣 外 協 力 した 状 況 につ い て 「現 在 の イ ン ドにお け る 連 合 政 権 は,右 翼 過激 ヒ ン ドゥー 政 党 で あ るイ ン ド 人 民 党 の支 持 に大 き く依 拠 して お り,イ ン ドのV.P.シ ン は カシ ミール 問 題 に対 処 す る うえで,あ るい はパ キ ス タ ン との関 係 に お いて 新 た なイ ニ シ ア テ ィ ブ を取 る うえで,明 らか に制 約 を受 け て い る」38)と分 析 して い る. BJPは イ ン ドに お け る 右 翼 お よび保 守 の 見 解 を明確 に 代 弁 す る もので あ り,そ れ 故 にパ キ ス タ ンは,会 議 派(1)お よび 国 民線 戦 に も ま して,BJPの 対 パ キ ス タ ン お よび カ シ ミー ル政 策 に 対 して 極 度 の警 戒 心 を持 つ ので あ る. 同 党 が91年5月 一6月 の総 選 挙 にお い て初 め て20%台 の得 票 率 をあ げ て第 二 党 に躍 進 した こ とは,ま す ます パ キ ス タ ン のイ ン ドに対 す る不信 感 を深 め る こ と とな っ た. イ ン ドに お い て は,80年 代 初 め か らのパ ン ジ ャ ー ブ に加 え,同 年 代 末 に は カ シ ミー ル の分 離 運 動 が 内政 上 の最 大 のイ ッシ ュ ー とな った.い ず れ も宗 教 上 の違 い が 絡 んで い る点 が 特 徴 的 で あ る.90年 代 に入 って ヒ ン ドウー ・ナ

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争 ―1970年 代 以 降 の カ シ ミー ル 問 題  117 シ ョナ リズ ム を掲 げ るBJPが ア ヨデ ィ ヤ 問題 をス ロー ガ ン に して大 き く躍 進 しつ つ あ る こ とは,そ の背景 に あ る カシ ミー ル 問題 を抜 き に して は理 解 し 得 ま い.別 言 す れ ば,カ シ ミール 問 題 や パ ン ジ ャ ー ブ問 題 の存 在 に よ っ て高 揚 させ られ た ヒン ドゥー教 徒 側 の 自己認 識 が,ア ヨデ ィ ヤ問 題 を浮 上 させ た と も考 え られ る. 4.3  米 国 の関 心 90年 代 の カシ ミー ル 問 題 を検討 す る うえで,内 政 面 で はBJPが 重 要 な要 因 で あ る とす れ ば,外 政 面 で は 米 国 の南 アジ ア政 策 を無 視 で きな い ・米 国 の 対 印 パ政 策 は,南 アジ ア地 域 にお け る健 全 な政 治経 済 発 展 のた め に南 アジ ア 二 大 国 ・印 パ 間 にお け る戦 争 の勃 発 を防 止 す る こ と,お よび,共 産 主 義 を封 じ込 め るた め に米 パ の安 全 保 障 関 係 を強 化 す る こ とに主 眼 が置 かれ た39).特 に,カ シ ミ ール を め ぐる印 パ の戦 争 は,民 主 制 度 の支 持 お よび 経 済 開 発 の促 進 とい う米 国 の対 外 政 策 目標 に脅 威 とな る だ け で な く,印 パ に よ る核 開発 を 加 速 す る可 能 性 を持 つ もの と して40),そ の発 生 の防 止 に 関心 が払 わ れ た. 従 っ て,米 国 の印 パ に対 す る基 本 的 な 関心 は核 開発 を初 め とす る軍 事 問題 に あ った とい って よい.こ の こ とは,例 え ば,CISの 年 間索 引 に よ り米 国 連 邦 議 会 が これ まで 取 り上 げた 事 項 の傾 向 を み て も 明 らか で あ る41).し か し, 連 邦 議 会 にお い て も,80年 代 末 辺 りか らは,軍 事 問題 に加 えて 人権 問 題 が 頻 繁 に登 場 す る よ うにな る.こ れ は,在 米 のシ ク教徒 や カシ ミー ル ・ム ス リ ム な ど が議 員 に働 き か け た結 果 と見 られ る. しか し,議 会 の関 心 と比較 す る と,行 政 府 側 は積 極 的 な 関心 を見 せ な か っ た.行 政 府 は 毎 年 刊 行 す る 『国 別 人権 状 況報 告 』(Country Reports on Human Rights Practices)に お い てイ ン ドの人 権 政 策 を批 判 しな が ら も,人 権 問 題 は あ くまで イ ン ドの 国 内 問題 で あ る と の 立 場 を とって き た42).米 国 は,人 権 擁護 の要 求 が 自治 権 拡 大 な い し 分離 主 義 の運 動 の激 化 を も た ら し, イ ン ドの バ ル カ ン化,ひ い て は南 ア ジ ア の政 治 的 な不 安 定 を招 くこ と を懸念 した の で あ る43). 近 年,米 国 が途 上 国援 助 に人権 問題 を リン ク させ る よ うにな った の は,人 権 問題 につ い て積 極 的 な議 会 と慎重 な行 政 府 とい う両 者 の妥 協 の産 物 で あ る と考 え られ る.例 え ば,88-89会 計 年 度 の対 印 援 助 法 案 が議 会 に よ り5,000 万 ドル か ら3,500万 ドル に減 額 修 正 され た の も パ ン ジ ャ ー ブ問 題 が一 因 で あ

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118  南 ア ジ ア研 究 第5号(1993年) つた44).以 後,議 会 で は,直 接 間接 に人権 問題 と対 印援 助 を リン ク させ る修 正 案 が提 出 され て い る.し か し,米 国 の対 印 援 助 額 は92会 計 年 度 にお い て 2200万 ドル にす ぎず,こ の額 は バ ン グ ラデ シ ュ のわ ず か 三 分 の一,ス リラ ンカ と比 べ て もよ りも270万 ドル多 い だ け で あ る こ とか らみ て,援 助 削減 に よ りイ ン ドに大 き な影 響 を及 ばせ る こ とは難 しい だ ろ う45). 二 国 間 援 助 に よ っ て イ ン ドに対 して 影 響 力 を行 使 で き な い場 合,米 国 は, 自国 が主 要 な出 資 国 とな っ て い る国 際 金 融 機 関 を利 用 してイ ン ドに圧 力 を加 え る こ とも考 え られ る.し か し,従 来,米 国 行 政 府 は,優 先 度 が 中位 お よび 低 位 の外 交 政 策 に国 際 的 金 融 機 関 にお け る投 票 行 動 を関 連 づ け させ よ う とす る 議 会 の圧 力 に抵 抗 して きた.米 国 は,湾 岸 戦 争 に際 してイ ン ドが そ の領 内 で 米 空軍 機 の途 中 給 油 を認 めた こ と に報 い る意 味 で,最 近 のIMFに よ る10億 ドル の対 印 緊 急援 助 に賛 成 した と言 わ れ る.米 国 は,イ ン ドと人 権 問題 で 対 立 す る こ と を避 け,今 後 と も友 好 関係 を維 持 しよ う と考 え て い る模 様 で あ る. 米 国 連邦 議 会 調 査 局 の ク ロー ニ ン専 門調 査 員(南 ア ジ ア担 当)は,国 際金 融 機 関 の出 資 国 で あ る 日本 や西 欧 がイ ン ドの人 権 状 況 の改 善 を促 す こ と を期 待 して い る.ク ロー ニ ンは,目 本 や西 欧 が イ ン ドに対 して 影 響 力 を 行 使 す れ ば,イ ン ド政 府 の反 応 とま で は い か な い ま で も関 心 を引 く こ とに な る の で は な い か,と 見 て い る.特 に,日 本 が91年4月 に3億 ドル の対 印 緊 急 援 助 を 行 った こ と と,緩 や か で 慎 重 な表 現 なが ら第 三世 界 へ の援 助 と核 拡 散 ・人 権 問題 とを リン ク させ よ う として い る こ と に注 目 して い る46). 5.  カ シ ミー ル 問 題 の 将 来 カ シ ミー ル 問題 は 印 パ に と って まず 国 内 問題 で あ る.カ シ ミー ル 問題 に は,国 家 理 念(イ ン ドの世 俗 主 義,パ キ ス タ ン のイ ス ラ ム教),国 民統 合,民 族 問 題 の処 理,地 方 と中央 との 関係 の 問題,地 方 の経 済 開発 な ど,ま さ に両 国 が直 面 す る諸 課 題 は すべ て が集 約 され て い る. 特 に,イ ン ドの場 合,カ シ ミール 問 題 は民 主 主 義 の正 統 性 の存 否 に か か わ る要 因 を含 ん で い る.独 立 後 のイ ン ドは,DMK,イ ン ド共 産 党,ナ ガ ・ミ ゾ な ど の 反 体制 諸 勢 力 を,少 な くと も70年 代 ま で に は 曲 が りな りに も体 制 化 させ る こ と に成 功 した.し か し,80年 代 以 降 に発生 した,パ ン ジ ャー ブ 州 お よびJK州 にお け る分 離 運 動 につ い て は,そ の体 制 化 に失 敗 して い る. こ こで言 う体 制 化 とは,政 治体 制 にお いて 目的 を達 成 で きな い た め に体 制外

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南 ア ジ ア の地 域 紛争―1970年 代 以 降 の カ シ ミー ル 問 題  119 化 しよ う とす る勢 力 お よび体 制 外 で力 を付 けた勢 力 を政 治 プ ロセ ス に取 り込 む こ とに よ って,政 治 体 制 に対 す る正 統 性 を再 確 立 す る過 程 で あ る.こ の過 程 こそ がイ ン ド民 主 主 義 の エ ッセ ンス で あ る と も言 え よ う. JK州 は90年1月 以 降,州 知 事 統 治,次 い で大 統 領 統 治 の も とに置 かれ た ま まで あ る.中 央 政 府 指 導者 は最 近繰 り返 してJK州 に お け る選 挙 実 施 の必 要 性 を強 調 し,ま た,そ の実 施 策 を模 索 して い るが,こ うした事 態 の発 生 は イ ン ド民 主 制 の危 機 を示 す もの で あ る.パ ンジ ャー ブ 問題 が沈 静 化 の兆 し を 見 せ て い る現 在47),問 題 の深 さお よび そ の意 味 合 い か ら見 て,カ シ ミー ル 問 題 は,ア ヨデ ィ ヤ問 題 と と も にイ ン ドの二 大 内政 課 題 と化 した観 が あ る. カ シ ミール 問 題 は,ま た,印 パ 問 の最 大 の外 交 問題 で もあ る.過 去 三 回 の 印 パ 戦 争 は,い ず れ もカ シ ミ ール に 係 わ る 戦 争 で あ った.80年 代 後 半 か ら 両 国 間 で議 論 され て い る不 戦 条 約,友 好 協 力 条約,「 信 頼 性 構 築 措 置 」 な ど に は,い ず れ もカ シ ミー ル 問題 へ の対 応 が直 接 ・間接 に関連 して きた.印 パ は 南 ア ジ ア地 域 の二 大 国 で あ るた め,そ の 緊張 関係 が域 内 に及 ぼ した影 響 は 計 り知 れ な い.カ シ ミー ル問 題 は南 ア ジ ア の政 治 的 安 定 に大 き く関 わ って い る の で あ る.さ らに,カ シ ミー ル問 題 は,印 パ 二 国 を こえ た 国際 問題 で も あ る.三 回 の印 パ 戦 争 や そ の処 理 は,そ の 時 々 の 国 際 関係 を抜 き に して は語 れ な い. カ シ ミー ル 問題 が 内包 す る国 際 的 お よび 国 内 的 な 問題 は,結 局,カ シ ミー ル の帰 属 問題 に収斂 され る.し か し,国 連 決 議 に基 づ く住 民 投 票 の実 施 は, レ トリ ック と して は あ りえ て も,も は や,実 現 性 に 乏 しい もの と な って い る.印 パ そ れ ぞ れ の カ シ ミー ル が 過 去 半世 紀 の 間 にそ れ ぞ れ の 国 の政 治 ・経 済 体 制 に組 み込 まれ て し ま った か らで あ る. 恐 ら く,最 も現 実 的 な決 着 は,現 状 維 持,つ ま り,現 在 の管 理 ライ ン を国 境 とす る こ とで あ り,こ れ が両 国指 導者 の本 音 で も あ ろ う.し か し,現 状 維 持 を 口 に した指 導 者 が国 内 で反 対 の矢 面 に立 つ のは 必 定 で あ り,こ の決 着 は 彼 らの政 治 生 命 を賭 した もの とな ろ う.72年 の シ ム ラ協 定 成 立 に際 して,停 戦 ライ ン を国 境 とす る秘 密 協 定 が存 在 した とい う説 は,こ れ以 外 に有 効 な方 法 が 見 い だせ な い こ とを 物 語 って い る.最 近 で は,イ ン ド政 府 高 官 が 管 理 ライ ン を国 境 と して カ シ ミー ル を恒 久 的 に分 割 す る考 え方 を示 した と言 われ る48). 米 国 も,基 本 的 に現 状 維 持 に よ る解 決 を支 持 して い る と見 られ る.90年3

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120  南 ア ジ ア研 究 第5号(1993年) 月6日,ジ ョン ・H・ ケ リー 国務 次官 補 は,米 下 院 の極 東 ・南 ア ジ ア 問題 小 委 員 会 に お い て,カ シ ミール 紛 争 が南 ア ジ ア情 勢 に マイ ナ ス の影 響 を与 え る とい う見 通 し を明 らか に し,イ ン ド政 府 に対 して平 和 的 解 決 の た め に カシ ミ ー ル 内 の 責 任 あ る人 々 と政 治 的 な 対 話 を 行 うよ う求 め た.さ らに 同 次官 補 は,カ シ ミー ル紛 争 解 決 の た め の最 良 の枠 組 み は シ ム ラ協 定 で あ る と の米 国 の見 解 を明 らか に した49).こ の 発言 は,米 国 が従 来 国連 決 議 に基 づ く解 決 を 支 持 して きた だ け に,同 国 の政 策 転 換 と見 られ る. 冷 戦 後 に 登 場 した ク リ ン トン政 権 に 対 し 印米 関係 の 将 来 に つ い て 提 言 し た カー ネ ギ ー財 団 の報 告 書 『イ ン ド とア メ リカ』 も,カ シ ミー ル 紛 争 の解 決 は,印 パ 間 の緊張 緩 和,特 に通 常 兵器 の削減 や相 手 国 内 の反 乱 支 援 の停 止 な ど の措 置 と リン ク させ な けれ ば あ り得 な い と した うえで50),「 米 国 の カ シ ミ ー ル 問題 に対 す る政 策 は,シ ム ラ協 定 の枠 内 で の印 パ の二 国 間協 議 を一 層 促 進 させ る よ うにす べ き で あ る」51)と現 状 維 持 を示 唆 して い る. カシ ミー ル の現 状 維 持 は,米 国 に とっ て も望 む と ころ で あ ろ う.米 国 の南 ア ジ ア に対 す る最 大 の関 心 は戦 争 の防 止52)および 核 拡 散 防 止 で あ り,い ず れ もカシ ミー ル 問題 に 係 わ りを持 って い る.南 ア ジ ア にお け る 核 開 発競 争 は, 結 局 の とこ ろ,カ シ ミー ル を め ぐる印 パ 戦 争 勃 発 の可 能 性 を想 定 した もの で あ る.そ のた め,米 国 と して は,カ シ ミー ル 問題 が 現 状 維 持 の状 態 で決 着 す る こ とが核 拡 散 防 止 とい う安 全 保 障 戦 略 の上 か らも,最 も望 ま しい措 置 とな る53). 印 パ 両 国 に とって,ま た,米 国 の指 導 す る国 際 社 会 の利 害 か ら見 て も,カ シ ミー ル 問題 は,い ず れ 現 状 維 持 の方 向 で決 着 が図 られ ね ば な らな い もの だ ろ う.し か し,現 在 急 速 に変 化 しつ つ あ る 中央 ア ジ ア の情 勢 が この 問題 の将 来 に長 期 的 な影 響 を及 ぼす 可 能 性 を否 定 で き な い.タ ジ キ ス タ ン をは じめ と す る 中央 ア ジ ア の6ヵ 国 は,い ず れ もム ス リム多 住 国 で あ り,現 在,民 族 国 家 の建 設 に着 手 した ば か りで あ る.こ れ らの民 族 国 家 が今 後 どの よ うな 国家 建 設 を行 うの か,特 にイ ス ラ ム教 の取 り扱 い が ど うな る か に よ っ て は,カ シ ミール の民 族 問 題 が再 び 大 き く揺 れ 動 く こ とに な る か も知 れ な い. 注 1) 第一次印パ戦争の始期 について は,確 定 しえない.47年10月 には,パ キス タン 側か らの 「部族」が進攻 し,印 軍 もスリナガル に空輸 されてい る.パ キスタン正 規 軍が参戦 す るのは,冬 期 明けの48年 春頃 である.カ シ ミール問題研 究の第一

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南 ア ジ ア の地 域 紛争 ―1970年 代 以 降 の カ シ ミー ル 問 題  121 人 者 で あ る ラ ム も 明 示 し て い な い[Lamb 1991,Ch.IX参 照].印 パ 戦 争 と呼 称 す る の で あ れ ば,48年 が 妥 当 で あ ろ う.な お,第 一 次 印 パ 戦 争 の 概 要 に つ い て は,[堀 本1992:7-14参 照.ま た,[落 合1972]に お い て は,印 両 国 の カ シ ミ ー ル 問 題 に 対 す る 立 場 お よび 国 連 に よ る 調 停 活 動 等 が 詳 説 さ れ て い る.上 記 の ラ ム の 著 作 は カ シ ミ ー ル 問 題 全 般 を 扱 っ た 好 著 で あ る が,親 パ 反 印 的 な 著 者 の ス タ ン ス が 同 著 の 価 値 を 減 じ て い る と思 わ れ る(同 著 の 書 評 は 『ア ジ ア 経 済 』 第34 巻 第5号 掲 載 の 拙 稿 を 参 照). 2) [Brines:348] 3) [Burke1973:333-335] 4) [Burke1973:336-337] 5) 第 三 次 戦 争 に 関 す る 邦 語 文 献 と して は,次 掲 の とお りで あ る.[加 賀 谷1971], [中 村1971],[森1972],[広 瀬1983],[桐 生1972],[高 橋1973],[山 中1973], [加 賀 谷 ・浜 口1977] 6) [Kissinger 1979:398-403].ま た,米 国 は 西 部 戦 線 の 拡 大 阻 止 の た め,ソ 連 を 通 じ て イ ン ド に圧 力 を か け た と い う. 7) [Malhotra 1991:134-135] 8) [Thapar 1991:336] 9) [Kissinger 1979:389] 10) [Prakhar 1987:392] 11) [Chopra 1988:46] 12) な お,カ シ ミ ー ル 問 題 に つ い て 書 か れ た 論 文 や 記 事 に お い て は,カ シ ミ ー ル に お け る 印 パ の 停 戦 ラ イ ン は49年 の 国 連 調 停 に よ り確 定 さ れ,今 日 に 至 っ て い る と い う不 正 確 な 記 述 が 多 い の で 注 意 を 要 す る.ま た,イ ン ドの 政 治 家,研 究 者,マ ス コ ミ な ど は,管 理 ラ イ ン と言 わ ず に,「 実 効 管 理 ラ イ ン 」(Line of Actual Con-trol)と い う場 合 が 多 い.

13) The New York Times, July 3, 1972 14) [Noorani 1985:201] 15) ibid. 16) [Noorani 1985:200-203] 17) [Prakhar 1987:386] 18) [Prakhar 1987:394] 19) こ の 点 に つ い て は,様 々 な 論 者 が 指 摘 す る と こ ろ で あ る.「 イ ン ド は 南 ア ジ ア だ け で な く,ア デ ン 湾 か ら マ ラ ッ カ 海 峡 に 至 る 全 領 域 に お け る 支 配 勢 力 と な っ た. こ の 地 位 は イ ン ド洋 に お け る イ ン ドの 一 定 の 責 任 を 明 確 に す る も の で あ る 」 [Mankekar 1972:166],「 ガ ン ジ ー 夫 人 の 最 大 の 動 機 に な っ た の は,東 パ キ ス タ ン の 状 況 で は な い.東 パ キ ス タ ン の 自治 権 は 不 可 避 で あ り,そ の 解 決 策 は た く さ ん あ っ た し,わ が 方 も い くつ か 提 案 して い た.む し ろ 動 機 は,パ キ ス タ ン の 孤 立, ソ 連 の 外 交 ・軍 事 両 面 の 支 援,中 国 国 内 の 緊 張,米 国 内 の 分 裂 に あ り,こ れ に 勢 い を 得 た イ ン ド首 相 は,1971年 の 春 か 夏 に,こ の 機 に 乗 じ て パ キ ス タ ン と の 決 着 を 一 挙 に つ け て 亜 大 陸 に お け る イ ン ドの 優 位 を 揺 る ぎ な い も の に し よ う と

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122  南 ア ジ ア研 究 第5号(1993年)

決 心 した の で あ る.」[Kissinger 1979:405],「 イ ン ドは 旧 パ キ ス タ ン の 解 体,つ ま り東 パ キ ス タ ン の バ ン グ ラ デ シ ュ独 立 の 支 援 を通 じ て,南 ア ジ ア 世 界 で 軍 事 的 に 不 動 の 地 位 を確 保 す る に い た っ た.」[中 村1991:266].

20) 当 時 の イ ン ド政 府 の 立 場 を 最 も集 約 的 に 示 し た の が イ ン ド政 府 外 務 省 年 次 報 告

書(68年―69年 版)で あ る(Annual Report 1968-69, New Delhi, nd., p.9-11). 21) [Chopra 1984:140&p.234].印 パ 両 国 民 の 心 理 的 関 係 は,独 立 後 の 両 国 関 係, 特 に 戦 争 原 因 を 検 討 す る う え で 重 要 な 要 因 で あ る. 22) 米 国 は,対 パ キ ス タ ン援 助 が イ ン ド向 け に 流 用 さ れ て き た こ と を 知 っ て い た 筈 で あ る.こ の こ と が イ ン ドの 対 米 観 を厳 し い も の と し た. 23) プ ッ トー 大 統 領 は,1972年7月10目,早 く も 国 民 議 会 に お い て,国 連 で カ シ ミ ー ル 問 題 を 取 り上 げ る の は 自 由 で あ り ,イ ン ド の 朝 か ら 脱 す る た め に カ シ ミ ー ル 人 が 始 め た 解 放 戦 争 支 持 に よ っ て い か な る 結 果 が 生 じ よ う と も,パ キ ス タ ン は そ の 血 を 流 す で あ ろ う,と 述 べ た[Prakhar 1987:410-411]. 24) [佐 藤 近 刊] 25) [Burke 1990:401-402]

26) The New York Times, Oct. 28, 1991に よ れ ば,ヒ ズ ブ ル は パ キ ス タ ン の 軍 情

報 機 関 で あ るInter-Services Intelligenceの 支 援 を 受 け て い る と言 わ れ る. 27) こ の ほ か,イ ラ ン革 命,ソ 連 の ア フ ガ ン 進 攻 が 南 ア ジ ア の ム ス リ ム に 与 え た 影 響 な ど も 上 げ ら れ よ う[Lamb 1991:323].な お,カ シ ミ ー ル 問 題 を エ ス ニ シ テ ィ の 視 角 か ら 検 討 す る こ と は 可 能 で あ ろ う.例 え ば,ヴ ァ ル シ ネ イ は,イ ン ドの 「セ キ ュ ラ ー ・ナ シ ョ ナ リ ズ ム 」 ,パ キ ス タ ン の 「宗 教 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 」,カ シ ミ ー ル の 「エ ス ニ ッ ク ・ナ シ ョ ナ リ ズ ム 」 と い う観 点 か ら カ シ ミ ー ル 問 題 を 分 析 し て い る[Varshney 1991].し か し,カ シ ミ ー ル 問 題 を 「エ ス ニ ッ ク 紛 争 」 と し て 扱 い に は,エ ス ニ シ テ ィ の 素 因 と な る べ き「Kashmiriat」(カ シ ミ ー ル 人 で あ る こ と)の 構 成 概 念 が 不 明 確 で あ る う え,カ シ ミ ー ル 問 題 の 起 因 で あ る イ ン ドの 国 内 要 因 お よ び 印 パ を め ぐ る 国 際 関 係 な どが 捨 象 さ れ て し ま う危 険 性 が 大 き い の で は な か ろ う か. 28) [堀 本1992:61-66]参 照.タ ー ク ル は,カ シ ミ ー ル 問 題 解 決 の 最 大 の 障 害 は,パ キ ス タ ン に よ る テ ロ支 援 で は な く,イ ン ド政 府 が 確 固 た る カ シ ミ ー ル 政 策 を持 っ て こ な か っ た こ と に あ る と指 摘 し て い る[Thakur 1992]. 29) [BJP 1991:7] 30) The RSS Constitution, n.d. p.2 31) [BJS 1973:15]

32) Pakistan Year Book 1974, Karachi, East &West Publishing Compwy, 1974, p.87 33) [BJS 1973:55-56] 34) [Graham 1990:35-41] 35) [BJS 1973:148-151] 36) [Baxter 1971:197] 37) [BJS 1973:174]

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南 ア ジ ア の地 域 紛 争―1970年 代 以 降 の カシ ミー ル 問題  123

38) Rafique Akhtar ed., Pakistan Year Book 1990-91 , Karachi, East & West Publishing Company, 1990, p. 278

39) [Lockwood 1991 : 1] 40) ibid., p. 7

41) Congressional Information Service, CIS Annual Index, 1970-1992. 42) [Cronin 1991 : 43]

43) ibid.

44) [Cronin 1991 : 44] 45) [Cronin 1991 : 45] 46) [Cronin 1991 : 46]

47) India Today, February 15, 1993

48) [Clad 1992].最 近 で は,フ ァル ー ク前JK州 首 相 が,91年2月,印 パ の停 戦 ラ イ ン は恒 久 的 な国 境 とす べ き で あ り,そ れ 以 外 に解 決 策 が な い,と 述 べ て い る. 49) [Lockwood 1991:8-9].国 務 省 が下 院 ア ジ ア ・太 平 洋 問題 小 委 員 会 か らの質 問 書 に対 す る 回答 書(90.9.10)に お い て も,カ シ ミール 問 題 につ いて,国 連 決 議 が 時 代 に そ ぐわ な くな っ て お り,シ ム ラ協 定 の 枠 内 で 解 決 され るべ きで あ る,と の 見 解 を示 して い る. 50) [Harrison 1993 : 33] 51) [Harrison 1993 : 34] 52) 米 国 国 務 省 のT.C.シ ヤ ー フ ァ ー(Ms. Teresita C.Schaffer)近 東 ・南 ア ジ ア 局 国 務 次 官 補 代 理 は,90年7月18目 の 米 国 下 院 聴 聞 会 に お い て,米 国 の 南 ア ジ ア 政 策 の 最 優 先 度 が 「戦 争 の 防 止 」 で あ る,と 言 明 し た(Hearing and Markup

before the Subcommittees on Human Rights and International Organizations and on Aisa and Pacific Affairs of the Committee on Foreign Affairs, House of Representives on 101 Congress, 2nd Session, July 18, 1990, "Human Rights in South Asia ", p. 81

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参照

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