研究ノート
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年代後期の農村季節託児所における保健婦の役割
-川島瓢太郎『農村保健婦』(山雅房発行,1942年9月)を手がかりに-渡 邊 洋 子 本稿 は,農村季節託児所 (註1)が飛躍的に発展 した1930年代後期 の農村保健婦 の実態 と役割 について,川島瓢太郎 r農村保健婦』
の記述 を手がか りに考察す る ものである。仕 事 の性格上,農村 や農民生活 に 「外部者」 として最 も深 く関わることとなった保健婦の仕 事 と活動 の実態 を, 「共同託児」
に焦点 を当てつつ,同書か ら読み取 りたい。それによっ て, この時期 の農相 における季節託児所の意味 と機能,季節託児所の設立 ・運営面で保健 婦が果た した役割 について,示唆 を得たい と考 える。 1 保健婦の実態 と求め られた資質 川島瓢太郎の手 による 『農村保健婦』 は,産溝橋事件以後の戦時体制の下, 「自己の健 康 を向上増 強す る」
べ く 「健民運動」
が展開 されるようになった1942(昭和17)年9月に 公刊 された。 川島については,農村保健婦の実態 を知 る立場 にあった人物であることは推 測 されるが,同書の記述か らは知 る手がか りが ない。だが,確かなのは,厚生省が 「保健 婦取締」
のために前年 に発令 した 「保健婦規則」 を受 け,実践家の観点か ら,農村保健婦 の需要の高 さと仕事の重要性 とを世 に訴 えるべ く,本書が執筆 された点である。 1940(昭和15)年9月に厚生省衛生局が手がけた 「保健婦 に関す る調査」(表1) によれ ば,同時点 に保健婦 として仕事 を していた者は,全国で18,447人である。 全国的 にみると, 保健婦の数が多いのは4,998名 を有す る愛知県であ り,同県 は他県 を圧倒 的 に引 き離 して いる。 これ に,福 岡県 (1,981名),新潟県(1,464名),兵庫県 (1,235名),大阪府 (1,212名) が続 き,後 は何百人ない し何十人の レベルである。 また最低 は,高知県 (ハ イフンの記載 だが,ゼ ロ名 を示す もの とも推測 される) と岩手県の2名である。 これ らをみ ると,保健 婦の分布 については,地域差がかな り大 きか ったことがわかる。 「資格別」
に見 ると,その内訳 は,産婆お よび看護婦が3,731名,産婆が6,518名,看護 婦が5,138名,その他が3,060名 となる。す なわち,保健婦の大多数が産婆 ・看護婦免許 (餐 格)のいずれか をもち,その うち五分の-程度の保健婦が両方 をもっていた。看護婦免許 状 を取得後, さらに2
年課程 を経 て助産婦 ・保健婦 になる現在 (註2
)と異 な り, 「産婆」 養成が 「産婆学校」
で も独 自に行 われたことか ら,看護婦免許状 を伴 わない 「産婆」
が存表1 〔保健婦 二開 スル調 〕(衛生局調 昭和15年9月15日現在)
Ⅹ
府 県 関府 県 市 町 村 学 校 そ の 他 の 団 体 別保 係健市 町 村関 婦係 学 校 関 係 そ の 他 の使 用団 体 関 係 書 芸数 資 姦 産 婆 看 護 婦 そ の 他格 別 総 数 北 海 道 10 6 122 32 26 6 119 19 170 青 森 3 - 64 28 33 2 50 10 95 岩 手 2 - - - 2 - - - 2 宮 城 3 - 76 5 10 19 49 6 84 秋 田 5 - 81 1 4 2 67 14 87 山 形 5 ll - 45 32 10 17 - 59 福 島 3 - 45 21 23 - 46 - 69 茨 城 3 40 32 19 328ll 33 12 75 栃 木 381 30 3 365 17 32 414 群 馬 361 5 47 14 60 ll 413 埼 玉 9 1 51 17 13 - 64 1 78 千 葉 54 1 49 12 16 2 57 21 96 東 京 43 388 371 64 230 10 619 13 872 神 奈 川 28 13 106 21 29 5 130 4 168 新 潟 1,351 - 93 20 43 1,30410 117 - 1,464 富 山 8 - 10 3 10 ll - 21 石 川 12 - - 9 5 6 - 21 福 井 10 76 32 3 51 40 30 - 121 山 梨 182 - 31 2 16 167 32 - 215 長 野 757 122 20 39 153 20 685 - 938 岐 阜 3 - 68 - 7 - 64 - 71 静 岡 9 22 102 19 6 13 131 2 152 愛 知 4,795 18 140 46 45 2,028 192 2,731 4,998 三 重 3 43 13 17 21 13 40 2 76 滋 賀 4 6 10 10 京 都 36 4 166 57. 120 8 120 15 263 大 阪 164 331 670 47 214 78 898 22 1,212 兵 庫 1,000 28 185 24 539 532 144 - 1,235 和 歌 山 7 - 6 213 42 161 23 226 鳥 取 218 2 27 59 96 53 8 306 島 根 9 - - 43 8 3 40 1 52 岡 山 6 12 29 26 26 21 9 17 73 広 島 17 33 113 24 75 24 86 2 187 山 口 537 4 168 4 150 408 54 1 613 徳 島 6 - 22 3 17 - 13 1 31 香 川 3 28 13 13 31 - 28 - 59 愛 媛 9 - 80 6 19 - 74 2 95 高 知 1 福 岡 1,609 1 350 21 754 634 382 ll 1,981 佐 賀 8 102 - 4 - 101 6 111 長 崎 10 153 て 1 124 32 163 熊 本 12 82 - 14 62 7 94 大 分 2 - 47 - 16 4 26 3 49 宮 崎 10 3 63 421 12 415 67 3. 497 鹿 児 島 3 3 87 - ll 4 51 27 93 沖 縄 - - 1 13 -.・.. ・13 1 -.-.■. 14 合 計 12,003 土,148 3,832 1,465 3,731.、 6,518 5,138 3,060 18,447在 し得 た。特 に愛知や新潟 な ど,保健婦数が多い県 には, この ような 「産婆
」
資格のみで 保健婦 として働 く者が大多数 を占める県がみ られる。 特 に注 目されるのは,1
,
4
6
4
名中1
,
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4名が この ような 「産婆」資格のみで保健婦 を して いた新潟県である。 この要因お よび背景 については検討 を要す るが,大地主制 と日本海側 の厳 しい天候の もと,米作 を主 とす る農村地帯 に覆われた同県で,保健婦 ない し産婆が, 独 自の存在意義 をもっていた ことは想像 に難 くない。 これ らの保健婦の大半 (1,
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1)は 県 に所属す る ものであ った。保健婦の使用主体の内訳 は,府県1
2,
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03
名,市 町村1
,
1
4
8
名, 学校3
,
8
3
2
名,その他の団体1
,
4
6
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名 と,圧倒的に府県所属の保健婦が多 く,同県で もその 傾向が顕著であることがわか る (註3
)。 川島によれば,1
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年代か ら∼4
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年代 には,看護婦あるいは産婆の資格 をもち,保健婦 の仕事 を1
年以上引 き続いて行 った者 には,無条件で保健婦の免許が与 え られ,1
年未満 の者や看護婦 ・産婆の免許 を持 たない者 には審査 によって,免許が与 え られた。 この段 階 において 「保健婦」
に相当す る名称 は,多様であった。 「巡 回看護婦」(主 として恩賜財団済生会に所属する者),「結核予防婦」
(
恩賜財 団結核予 防会),
「保健指導婦」(東京保健館),
「社会保健婦」(主 として社会事業協会,一般呼称),
「社 会看護婦」(日本赤十字社 に所属する者),「訪問指導婦」
(
主 に隣保訪問事業方面),「公衆衛 生婦」(公衆衛生院,公衆衛生訪問婦 とも呼ばれた),「学校養護婦」(市町村,学校看護婦 と も呼ばれた),「公衆衛生看護婦」(
所沢保健館 など,保健看護婦 とも呼ばれた),「結核保健 婦」(
健康相談所),「社会保健委員」(島根県),「訪問看護婦」(一般呼称),「保健婦」(官立保 健所,産業組合, 恩賜財団愛育会)その他である。 季節託児所 との関わ りでは, 「母性乳 幼児指導婦」
「保育指導婦」
「保育指導員」 とい う呼称 もあった とい う。 これ らをすべ てを 「保健婦」の名称 に集約す る一大契機 となったのが, 「保健婦規則」
の発令である。 「保健婦」
の免許規定 を整備 し,保健婦 の専 門性 の確保 と質的向上 を目指 す もの として,1
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(昭和1
6
)
年7
月に 「保健婦規則」が出 されるにいたる。 彼が 「わが 国保健婦事業が ようや くその緒 についた」ことを意味す る もの と評価す る同規則 には,吹 の ような具体的内容が盛 り込 まれていた (原文は縦書 き)。 保健婦規則 厚生省令第三十六号 (昭和十六年七月十 日) 第一条 保健婦の名称 を使用 して疾病予防の指導,母性又は乳幼児の保健衛生指導傷病者 の療養補導其の他 日常生活上必要 なる保健衛生指導 の業務 を為す者 (以下保健婦 と称 す)は年齢十八年以上の女子 に して左 の各号の一に該当 し地方長官の免許 を受 けたる者 に限る。 -、保健婦試験 に合格 したる者 に して三月以上本条本文の業務 を就業 したる もの 二、厚生大 臣の指定 したる学校又は講習所 を卒業 したる者地方長官免許 を与ふ る時は保健婦免状 を下付 す 第二条 精神病者 、伝 染性の疾患 あ る者又 は素行不 良 と認 むる者 には免 許 を与へ ざる もの とす 第三粂 保健婦試験 は地方長官之 を施行 す 第四条 保健婦試験 は一年以上看護又 は産婆 の学術 を修業 したる者 に非 ざれば之 を受 くる ことを得 ず 第五条 試験 は左 記科 目に付 之 を行 ふ但 し看護規則 第二条第-項各号 の一 に挙 ぐる資格 を 有す る者 に付 ては第一号 、第二号 、及 び第八号乃至第七号 の科 目の試験 を免ず る こ とを 得 一、解剖学大意 二、生理学大意 三、環境 産業及学校衛生大意 四、結核 其の他慢性伝 染病予 防並 に寄生 虫病予 防大意 五、急性伝 染病予 防大意 六、母性及乳幼児衛生大意 七、栄養大意 八、救急 処置及消毒 方法 九、包帯術 及治療 器械取扱 方大意 十 、看護 方法 十一、衛生法規大意 十二 、社 会事業大意 、 十三、社 会保 険大意 第六条 保健婦 は傷病者 の療養補導 を為す場 合 に於 て主治医師あ る時 は其 の指示 を受 くる こ とを要す 第七条 保健婦 は其 の業務執行上必 要あ る ときは看護婦規則第一条及第十 一条 の規定 に拘 らず看護 の業務 を為す こ とを得 第八条 保健婦 の業務 に従事す る場合 に於 ては厚生大 臣の定 むる徽章 を使用 すべ し 第九条 第-条第-項 の規定 に依 る地方長官 の免 許 を受 けず して保健婦 の名称 を使用 し同 条第一項 の業務 を行 ひたる者 は五十 円以下 の罰金 に処 す 第十条 看護婦規則 第六条乃至第十条 の規定及 び其 の罰則 の規定 は保健婦 に之 を準用す 第十一条 本令 中地方長官 とあ るは東京府 にあ りては警視総監 とす (註
4)
川 島は,同法令 が保健婦 の専 門性 を重視 し,高等女学校卒業者 を念頭 にお いて資格 を課 してい る こ と,また関係 者 の 間で,同校卒業者 も しくは産婆 ・看護婦 の免許 の取得者 を「-般保健婦
」
とし,その指導者 として,専門学校卒程度の 「指導保健婦」
をお くとの意見 も 出 されている と紹介す る。 これ らの考 え方は, 「この程度の教養がなければ生活の指導 な どといふ ことはで きる ものではない」との認識 に基づ くものである。 これに対 し,彼 は 「現在実際 に活動 してゐる保健婦 に徴 して考へ るな らば,専 門卒 も高 女卒 も高小卒 も, とくに実績 においては変 らぬ し, より高級 な学校 を卒業 した者で も,実 際的な知識 と,その為人においてスランプ してゐることはあるであ らう。 ことに,農村 に あっては,いわゆる頭でっかちであるよ り,その実質が要求せ られるといふ ことは大切で ある」
と述べ た。川島 自身は,小学校卒業程度の女子 に保健婦 としての実際知識 を授 けた ら 「それで十分」
と考 えた。 もちろん教養 は 「高いにこ したことはない」
が 「素晴 らしさ 学歴必ず しも高い教養 を意味 しない」。む しろ 「保健婦の人 としての素質 こそ他のすべ ての 条件がそろっている以上 に得難い」と 「素質」
を強調 している。 この 「素質」
に関わって農村保健婦の実際 を知 る立場か ら,川島は次の ように述べ る。 最近の保健婦志望者 をみるにこの点非常 に優秀 な ものがあるとお もふ。 す なわち燃 え るや うな情熱 に駆 られておのれの もつ技術 をす こ しで も御 国のため,人々のため捧げる といふ うつ くしい心根 より出発 してゐる人が実 に沢山であることだそれは敢へ てかかる 難事業の中に実 を挺せ んとす る彼女たちのひとしくいだ くひとつの信念 ともなってゐる や うに考へ られる。 しか してこれを宗教的信念 とは一概 にかたづ けられないす ぐれた向学心 と研究心 とが 火のや うに燃 えてゐるのである。 筆者が直感 したのはここにこそ精神 と科学の揮然一体 となったわた したちの国ならでは見 られぬ特異 なすがたがある といふ ことだ (註5)0 この ような保健婦 については,社会事業団体,保健所,産業団体,軍人援護会 などで, 短期 間の養成が行 われている。 具体的には,官立保健所,府県社会事業協会,恩賜財団済 生会,府県衛生課,恩賜財団結核予防会,産業組合, 日本赤十字社,愛国婦人会 (大 日本 婦人会,公衆衛生院,国民健康保険組合)な どが挙 げ られる。 静岡県,栃木県では県立養 成所が特設 されている。 その講習会は例 えば,先進的な山形県では,次の ように実施 され た。 同県では,1
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6
(昭和1
0)
午,社会事業協会 によって東村 山郡長崎町 に社会保健婦が設 置 されたの を端緒 とす る。1
9
3
8
年7
月に東北更新会乳幼児妊産婦指定村 として3
村落 に, っいで,翌年5
月に北村 山郡 に1
名,同6
月鶴 由市 に2
名,それぞれ社会事業協会 によっ て設置 された。同年,同協会主催の もと,2
8
日間にわたる第1
回保健婦養成講習会が実施 された (第2
回は3
3
日間)。 同講習会の科 目内容は,表2
の とお りである。 さらに,県下の保健婦 を指導育成す るため,東北更新会な らびに社会事業協会の嘱託 と iZして,保健婦の衛 にあたる 「保健婦指導者
」
が県社会課 に設置 された。昭和15
年度の保 健婦講習会への県補助金は1
0,
2
7
0
円で,国庫か ら数千円の補助が出 されている (註6)。 表 2 山 形 県保健婦
養成講 習会 講習 科 目 一 覧 (カ ッ コ 内 は 実 施 時間 数 ) 第 1 回 (昭和 14
年度) 第 2 回 (昭和 15年度) 社 会 保 健 一 般 社 会 事 業 一 般 生 活 更 新 事 業 母 性 並 乳 幼 児 保 護 事業
局 と 婦 人 憎 期 建 設 と 婦 人 の 使 命 社会 調査 要 論並 保健婦の 使命 伝 染 病 並 寄 生 虫 皮 膚 病 般 児 童 育 児 婦 一 救 栄 ー t 並 般 ■ 法 並 坐 宿 人 般 療 急 秦 法 学 看 並 並 実 習 実 習 毒 護 肖 衛 、7 実 生 法 法 習 軍 事 援 護 医 療 保 護 事 業 保 健 婦 と し て の 活 動 並 実 習 報 徳 講 話 研 究 座 談 会 視察 (保健婦事業先進地,特殊児童 養護 施設) (17)
( 3 ) ( 3)
し11mu lph H一I.tH1m Hu 4 1 2 rl U nHul川U iZq ( 5) ( 9 ) ( 6 ) (2 8 ) (1 8) 1..1■mu 一..■.-■mu ー hu 9 2 00 r: iZq nt■u n Ⅶ相川u (1 2) ( 3 ) (1 5) (1 5) (1 0) 農 村 隣 保 事 業 通 論 社 会 事 業 概 論 東 北 更 新 全 事 業 の 概 況 時 局 と 婦 人 問 題 衛 生 行 政 並 衛 生 統 計 伝 染 病 並 寄 生 虫 予 防 同 実 習 結 核 予 防 実 習 育 児 法 般 小 児 疾 患 健 康 相 談 実 習 婦 人 衛 生 並 一 般 看 護 法 健 康 教 育 栄 養 学 並 実 習 農 村 住 宅 改 善 の 問 題 産 業 組 合 と 保 健 問 題 全 購 連 と 保 健 資 材 軍 事 援 護 の 精 神 と 医 療 保 護 ト ラ コ ー マ 撲 滅 の 理 論 並 洗 眼 実 習 保 健 婦 に 関 す る 一 般 事 項 並 実 習 社 会 事 業 関 係 法 規 [ 琴 外 ] 方 面 委 月 の 活 動 そ の 他 講 演 研 究 座 談 会 視察 (保健婦事業先進地,結核療養 所 、少年教護 院) ( 1 1 ) ( 5 ) ) ) ) ) ) 4 4 6 9 7 ( ( ( ( ( (1 ) 5 (14 ) (12 ) ( 8 ) (18 ) (14 ) ( 4 ) ( 4 ) ( 3 ) ( 6 ) (2 2 ) ( 4 ) (2 2 ) (2 0)2
「保健厚生運動」 と保健婦事業 本書執筆当時,農村の保健婦事業 は,全国各地の官立保健所,各町村役場,全 国各地の 産業組合 ・医療利用組合 ・国民健康保険組合 ・社会事業協会 な ど諸団体,一部の農村隣保 鰭,東北更新会,愛育会 な どで実施 されていた。保健婦 は, これ らのいずれかの機 関 ・団 体 に所属 しつつ,厚生省の設立 に端 を発す る保健厚生運動 を実地 に担 っていたのである。 この時期 の保健厚生運動 は,以下の3
つの系統で展 開 されていた とい う。 (1)医療施設の整備拡充 ・農村 に対する公益総合病院の設置 ・無医科診療所の設置 (この実施期 間 として,公益総合病院,公益事業団体,産業団体) (2)医療費負担の軽減 ・疾病保険の普及徹底 と医療保護 (この普及のための国民健康保険の強制的加入,その他の疾病保険の実施, 日本医療営団の機能発動- これは川島 自身の希望) (3)保健指導 一主 として予防医学的立場 における保健指導の向上 (この指導機 関 として,保健所,保健相談事業) この うち3番 目の保健指導 を主 に担 う保健所 は,1937年 (昭和12)年 に保健所法 によっ て設置 された保健指導機 関である。 本書執筆時点で,全 国で約150カ所 あ り,厚生省 は こ れ を550カ所 に増やす ことを目標 とした。保健所の任務 は,衛生思想 の滴養,栄養 の改善 お よび飲食物の衛生 に関す る事項,衣服,住宅その他環境の衛生 に関す る事項 ,妊産婦お よび乳幼児の衛生 に関す る事項,疾病の予防に関す る事項,その他健康 の増進 に関す る事 項,疾病の予防に関する事項,その他健康の増進 に関す る事項 な どがあ り,各種 の健康相 読,巡回相談,座談会,家庭訪問などを通 して,-か所13万人以上の人口を担当 し,組織 的活動 を始めていた。 一方,保健婦 は保健指導の 「手足」
であ り 「前衛」
であった。 この時期 の保健婦の普及 状況 は,人口10,000人 に対 して 1名 にも達 しない状況であ ったが,一般 には,人口4,000 人に対 して1名の保健婦 を置 くことが 「標準」
とされていた。 川島は,保健婦活動 を 「平 常 な社会 にあって も,必要 な国民生活の文化的指導」
と位置づ け, この 「標準」
の レベル で も 「一名の保健婦 にたい して相当の重荷」と述べ て,人口500人 に 1名が 「限度」
であ ると指摘 している。 特 に,銃後農村の 「保健厚生運動」 を担 う保健婦 に求め られた取 り組み姿勢 は,同時期 の農村指導者たち と共通す る要素 を持 っていた。保健婦活動が 「保健厚生運動 の最前線」 を形成 している根拠 として,川島は以下の諸点 を挙 げている。 ィ、大衆の中に入 って内側 か らこれを指導 し,生活の実際に即 して愛情深 き教本的位置 を占める。 つ ま り天下 り式の とは り一辺の指導 と違ふ こと。 さうしろこうしろの単 なる教示者でない こと。 ロ、 さうした個 々の家庭の個別的 な指導であることは,人間的 な結 びつ きにまでいたる であ らうこと。 ハ、従って生活全般 にわたって,結 びつ くこと。 こ、大衆 の側か らいへ ば容易 に受 け容れ られること。ナマの指導でない こと。 ホ、 さらに医師の よき助手であること。看護婦 と異 な り痔 ゆい ところへ まで手が とどき, 医師の活動 を円滑 にせ しめること。 (註
6)
3
「共同託児」の実態 と保健婦の役割1
9
3
0
年後期の 「農村共同化運動」は,農会や産業組合 を中心 に,生産の合理化 を第一の 柱 とす る 「共同作業」お よび,その徹底化 を目的 とす る生活の合理化 に位置づ く 「共同炊 事」
「共同託児」を三大柱 として展 開 された。 この うち 「共同作業」(表3・表 4)は,第-に農業生産力 を高める もの として提唱 され た ものであるが,川島は 「農村相互扶助の伝統的精神」の高揚や農村生活全般の合理化 を 「誘発」
す るもの として も,奨励 した。 また 「農村栄養の充実」
「農村労働の合理化」
「食料 需給の調整」な どの現実的必要か ら生 まれた 「共同炊事」(表5
)について彼 は,農民の 「食 生活の是正」
や 「労働力」
である農村女性の 「母体 としての健康水準維持」,「孤立的 な家 族制度」
か ら地域 を単位 とす る 「全体的な家族制度の確立」
にむけた 「全体主義」の構築 を も視野 に入れつつ,その意義 を強調 している。 表3 共 同作 業 の農 地 規 模 別 実施 件 数 年 次 20坪以下 20-50坪 50坪以上 計 昭 和 1 0年 12,655 5,885 1,075 19,611 同 1 2年 15,705 8,052 1,662 25,419 同 1 4年 17,523 9,921 2,326 29,770 (本書128貫 よ り。農林省調査 に もとづ くもの) 表4 種 目別共同作業実施組 合数 と能率増進割合 種 目 実 施 組 合 数 個る 能 率 増 進 割 合人 作 業 に 対 す 共 同 田 植 ・77,672 12% 共 同 除 草 31,672 15% 共 同 麦 播 種 (整 地 を 含 む ) 20,544 20% (本書130頁 よ り)表5 共同炊事全国普及状況 開 設 数 開設数 (春季) 開設数㈱ 開 設 数 開設数-(春斡 開設数㈱ 北 海 道
0
0
0
滋 賀0
4 4 青 森 2 2 2 京 都 4 2 2 岩 手 15 - - 大 阪0
0
0
宮 城 9 - - 兵 庫0
76 76 秋 田 10 23 8 奈 良-
15 ll 山 形 17 150
和 歌 山0
12 9 福 島 - 10 0 鳥 取0
13 40 栃 木0
26 31 島 根 1 32 36 茨 城 19 20 5 岡 山 16 - -群 馬 2 3 5 広 島 17 220 0 埼 玉0
- - 山 口0
0
17 千 葉 21 348 150 徳 島0
5 5 東 京0
3 5 香 川 5 28 28 神 奈 川 2 269 254 愛 媛0
8 ll 山 梨 2 5 8 高 知0
2 2 静 岡0
3 1 沖 縄0
0
0
長 野0
72 101 福 岡0
3 1 新 潟0
17 12 佐 賀 50 520
岐 阜0
120 120 長 崎 1 0 32 32 愛 知0
12 5 熊 本 2 108 108 重 1 25 25 大 分 2 304 304 富 山0
37 30 宮 崎0
35 35 石 川0
0
25 鹿 児 島 2 43 43 (本書140-141頁。 『農村保健年報』によるもの) 表6 虚溝橋事件以降の季節保 育所開設数 年 次 施春 設 数 保 育 児 数季 施秋 設 数 保 育 児 数季 施合 設 数 保 育 児 数計 謂日児数荏 昭 和 12年 9,315 502,501 2,048 93,354 ll,363 595,855 52.4 昭 和 13年 13,099 711,407 3,439 160,336 16,538 871,743 52.7 昭 和 14年 16,263 871,843 4,520 236,226 20,782 1,129,102 54.3 (本書155頁より。 『農村保健年報』によるもの) 表7 季節託児所の経営主体別実数 と全体 に占める割合 (昭和15年度調査) 経 営 主 体 別 実 数 割 合 % 公 営 104 ll.34 私 営 宗 教 関 係 252 27.48 婦 人 団 体 241 26.28 社 会 事 業 127 13.85 学 校 110 12.00 個 人 34 3.70 理 業 団 体 29 3.16 そ の 他 20 2.14 計 917 100.0 (本書159頁より。 『農村保健年報』によるもの)さらに 「乳幼児保護」 と直接 に結 びつ くもの とされた 「共同託児
」
は, 「猫の手 もか り たい といふ農繁期の激労期 において母親の手 にお よばないために,た また ま疾病 の危険 に さらされる事実か ら,未然 にまもる」 とい う点で特 に重視 された。 産溝橋事件の起 こった 1937(昭和12)年以来の農村部の 「季節保育所」
の開設数は,表7の ように,増加の一途 をた どっている。 特 に昭和15年度 は,同12年度の2倍以上の増加 を見せ ているが,川島は この点 について,以下の ように述べ ている。 一般 に季節保育所 といほれてゐるが, これ らの ものの うち,わた したちが真 に保育所 と称 しうべ きものはまことに何分の一 にも足 りぬであ らう。 厳密 な意味か らいってそれ は保育所の名称 に値 ひ しない ことである。託児所 といって も, もっと簡便 な無造作 な も のである。 数字の う-では とにか くも膨大 な感 じをあたへ るが,その 日取 る火取 るの保育所の内 容 はおそろ しく低劣であ り,粗悪である。 まった く当面の直接的な便法 といふだけの も のであることが看取で きよう。 (註8)
この ような 「保育所」
では,表7
の ように,公営 は一割強 に過 ぎず,宗教団体や婦人団 体が設立 した ものが多か った。社会事業団体や学校が経営主体 となった ものが,それに続 いている。 開設期 間は,1
0
日間か1
週間,または5
日間 とい うような短期 間の ものが,「絶 対多数」
であった とい う。 この点 について川島は, 「下 よ り乳幼児のそこにおける健康確 保 な どといふ仕事 はのぞむべ くもない」
との認識 を示 している。 だが,同 「保育所」の急 速 な普及 を 「農村の将来 に対 して大 きなポイン ト」
とみなす彼 は, 「徐 々に,刻 々 と,か か る粗末 な安直保育所が,次第 に内容 をとと、の-,組織 され,やがて常設的な もの となる ことをわた したちは期 さねばな らぬ」 との長期 的期待 を も抱 いていた。 川島は, 「季節保育所」 を,保健施設 よ り 「生活の合理化のための社会的施設」 と位置 づ けている。 彼 は愛国婦人会機関誌 に掲載 された 「季節保育所」 関係者根岸松枝 の見解 を 引用す る。 根岸 は,同 「保育所」が 「生産力の増進 を図るために幼児 を受託す る」 とい う 考 え方か ら生 まれたこと,産溝橋事件後 は 「御 国の為 に何 よ り重大 な人的資源の確保 とい ふ点か ら,農村 における乳幼児 と母性 の保護お よび教化啓蒙 といふや うな文化的使命 を必 ず併せ持つ」
もの と考 え られるようになったこと, さらに 「季節保育所ハ以 テ農村隣保施 設の素因 タラシムベ シ」
と,皇后が 「恩下賜金」
を出 したことで 「総 ゆる農村隣保事業の 根基 としての保育所」 との認識が生 まれたことを明 らか に している。 また根岸 は, 「銃後の農村 を守 る社会的施設」
として, 「共同炊事」
「共同作業」
等 と密 接 な関係 を もつ 「優良保育所」
も徐 々に増 えていると指摘 した。そこで新 たな課題 として, 「受託」
の焦点が従来の7,8歳の子 どもか ら 「一番母親の足手纏 ひにな り,心労の種 となる
」
「三歳以下の乳児」に移 り, 「兎 もすれば過労 にな り勝 ちな農村母性の心身の健康 を 守 る」ところに目標が変わって きたことも明 らかにされた。保育内容 も「新体制の保育所」 に合わせ, 「保育項 目に捉 ほれた保育項 目,即 ち幼児教育 といふや うな豚着状態」か ら「す べ ての点 に精神保育,身体保育 に細やかな心遣 ひが捧げ られ」るように, また 「保健 と朕 の方面 に重点 を置いた実践保育」が 目指 されるべ きとされた (註9)0 前記 に も述べ た とお り,産溝橋事件以降, 「共同耕作」の全般的な指揮 にあたった農会 な ど各種産業団体関係者は,生産の合理的運営が生活の合理化 を無視 してはな し得 ない こ とを痛感 したのであ る。 そ こで,産業団体や 「常会」
によって, 「共同炊事」と 「共同託 児所」
の経営が積極的に行 われるようになった。保健婦 はそこで,次の ようにめ ざま しい 活躍 を見せ たのである。 ここは部落の託児所 だ。 ちようど正午だったので子供たちは本堂の大広 間にあっ まっ てお弁当 をたべ てゐる最 中であった。 (ここの託児所 はお寺 を利用 した もの) 大 きなおむすびをたべ る子供や大 きな弁当箱 をひろげてゐる子供 たちな ど, さまざま である。 副食 は保健婦の献立 によって,愛育班員や女子青年団のひとび とが調理 にあた ってゐる。 この 日の御馳走 は鉄火味噌だった。調理の方法 は味噌二〇 グラム,ニシン五 グラム,大豆一〇 グラム,ニ ンジン一
〇 グラム,胡麻五 グラムで, これを渦でいためる のである。 分配 された子供 たちはみな美味 さうにたべ てゐる。 毎 日村の学校か ら応援 に 女教員が監督 に来 てゐるのださうだが,今 日は郡下の女教員大会-参加のため男の訓導 が代理 に きてゐた。 婦人会の会長 さん もきて子供たちの面倒 をなにかれ とみてゐる。 食 事がすむ としば ら く休憩 だ。 まもな く訓導の合図で子供達 は庭-集合す る。保健婦の指 導で 「お手手つないで」
の遊戯がは じまった。 この遊戯 は子供 たちにとって一番 たの し いのであ る。 皆声 をは りあげて踊った。遊戯 に疲れた子供 たちに午寝 の時間があた- ら れる。 保健婦 は毎 日このや うに託児所 を巡回 し,幼い子供たちにも生活改善や衛生思想 を植付 け,村の 「保健の神」 と仰がれなが ら村び との生活改善 と体位向上の仕事 に涙 ぐ ま しい活躍 をつづ けてゐる (註lo) これは,農村季節 「保育所」
の訪問記者の 目に映 った保健婦の活動 の一端 を記 した もの である。 川 島はこの文 に触 れて 「農繁託児所の開設 にあたって,保健婦が心身 をささげ, その困難 を克服 しつつ前進す る姿 には想像 もお よばぬ強烈 なた くま しさを感 じないではお れない」
と,感想 を述べ た。一般 に, この ような 「保育所」
は村内の寺社 を利用す るか, 適当な場所 を借 りるかで まか なわれた。 この 目的のために,新 たに建物 を建築す ることは まれであ ったがゆえに,施設設備 も 「応急の措置」の範囲 を出る ものではなか った。 この ような劣悪 な状況 にあ る 「保育所」
で 「乳幼児の保護」
を引 き受 ける 「保母の任」
を的確 に務 め ることがで きるのは,村 人の生活 に唯一 「専 門家
」
として関わ り得 る,保健 婦 なのであ った。保母 を他 に求め る時で さえ,保健婦が これ を十分 に指導す ることが 「理 想」
とされた。 以下 は, この ような 「保育所」
に携 わった保健婦 自身の記録 である。 この村 はすで に四年 ばか り前 か ら村 当局 の経営で部落 ごとに農繁期託児所が開設 され, 国民学校 の先生が総動貞で保母の任 にあたっ て下 され相当の成績 をお さめてゐる由。開 設場所 も九 カ所 にお よび出席率 もむろん よ く心 あ る ものの眼か らみ る と、実のその文化 的、教育的効果 のあがってゐることは うたが ひな く、何 として も存続せ しめ る価値 はあ る ものだが、多大の労力 を奉仕 す る保母の立場か らながめ る と、 どうも肝心 の農家 のひ とりひ と りの親 たちに、はた してそれ らの施設 を心か ら要求 し、 これ を利用 し、保母の はねお りに精神 的 に も酬 ゆるだけの感謝の気持があるのか どうか とうたがは しくなるや うな態度 にで られ ることがあるので、つかれた身体 になんだか はねを り損 の くたびれ も うけのや うなあ とあぢが残 ることもあ る とは保母 さん方のいつ は らぬ内輪 ばな しで、多 少例年の ことともなれば惰性的 な気持 もてつ だひ積極性 もあ ま りみ られ ないや うなかん じが、 自分 にはチ ラ とす る。 と くに男の先生方のおは くには託児所の保 母 はなに よ り苦 手 ら しく、む しろ田植 な どの農業労働 の方へ直接勤労奉仕 した方が、 よ り効果的で 自分 たち もその方が助 か る との意見 もあ り大 いに うなづかれ るふ しもある。 農家の反対 の声 を二、三 きいてみ る と、 -、放っておいて も託児所 にだす くらゐの こどもは家の まは りでなんか して遊 んでゐ る。 二、託児所 にだす となる と、 まん ざらの恰好 もしてやれない。エ プロン、ハ ンカチ、 紙、弁当 と忙 しい ときは子供 の要求 をみた してや るのが とて もわづ らほ しい。 (こ れ に対 してそのあや まっ た考へ をい くら説いて もなか なか理解 で きず、理屈 はむろ ●●●●● んその とは りだが と頭 で合点い くのみで、い ざとなるととな り同志 の見栄 と女 たち は競ふ気持がぬけ きらない) 三、託児所 に もやれないや うなその下の乳幼児 のあそび相手 をとられて しまふ。 等 々 何処 で もよ くきか され る共通の声 である。 こんな声があが るの も,要す るに当面 さ しせ まっ てゐる増 産,労力不足援助 に直接結 びつつかぬ文化面 をと りあげてゐるの と,そ の経営の基礎 を助成金 に或 は他 よ りの奉仕的労力のみ に依存す るため, 自主性 を欠如 して ゐ るためか らではあ るまいか (註1
1
)
4
結びにかえて 一農村 「指導者」 としての保健婦 と 「共同託児」
保健婦 自身が, この ように季節 「保育所」の経営 に対 して リアルな認識 を持つ ことがで きたのは,保健婦 とい う仕事が,農民の生活実態 をあ りの ままに受け止め,理解 し,その なかに深 く立 ち入 って保健指導 を行 うものだったか らにはかならない。川島は, この時期 の保健厚生運動 について 「保健婦の如 き活動が大衆の生活 と根ぶか く結 びつ くことによっ てのみその効果 を百パーセ ン ト挙 げ うる」と述べ, 『保健婦読本』の著者小宮山新一の 「手 を取 り膝 を交へ 口か ら口へ手か ら手へ正 しい科学的な生活指導がなされるために保健婦 に 対す る期待 は実 に大 きい」 との指摘 を紹介 している。 この ように,川島は保健婦 を,農村の 「文化的指導」者 と見な していた。 そこで 「保健 婦活動の特異性か らいって保健婦 自身の指導者 としての完成 も大切 なこと」
としている。 特 に 「指導者意識」
が 「横行」す る状況の中で,その ような意識 を 「いか に現実 に対 して 無力であ り,誠意のない ものであるか」
と批判す る。 そ して, 「指導者」
としての保健婦 像 を,以下の ように措いている。 保健婦のごときは農民の生活 とふか く接触す るといふ よ り,それに強 く結 びついては じめておのれの任務 を果す ことがで きるのである。農民 自身の心奥 にまでふか く入 りこ み指導者 といふ よ り人間 としての心や りをもつのでなければなるまい。 さうしてそれが おのづか ら保健婦 を指導者 といふ格 にまでたかめるといふ風であるのが大切である。 外観的 にあた- られた地位 とか,名誉 とかいった ものはなによりも農村で活動 をは じ めた ときにおいて明瞭なかたちで不必要 な もの となるのである。 わた したちは保健婦活 動 をさういふ もの として理解 し,かつ進めてゆ くのでなければならぬ。 (註12) この ような保健婦の仕事 は,大別 して生活指導 と保健婦指導 にあった。 「共同託児」
は, 前者の生活指導のなかに含 まれる。 生産の合理化,効率化,能率化 を掲げた 「農村共同化 運動」 は,個 々の農民 によって程度の差 はある ものの,農民の生産形態 と生活形態 を根本 か ら変 えようとす る ものであった。 そこには, 「すべ ての ものが共同精神 とい うは らか ら の意識 を養 うこと」
「ひ とりひとりが健康 を確保 し,共同の精神の下 に自己の責任 を果す と いふ こと」
が 「国を富 ます」
前提 として,重視 された。 そ こで川島は, 「生産 を合理化 し,農民の無節制 な労働強度か ら解放 し,一定の健康度 を確保す る」 もの として 「共同作業」 を, 「生活の簡易化,栄養 による健康確保 ,生産へ 注 ぎ込 む労働力の不足 を補ふ」
もの として, 「共同炊事」
「共同託児」 を挙 げている。 三者 の関係 は, 「作業の共同化」 によって農業生産力が上が り,同時 にそれが,農村生活の他 の部面の合理化 を誘発 し, 「共同炊事」
「共同託児」
をも付帯的に随伴す るようになって,そ こで初めて 「農村 の全面的刷新
」
が展望 され るにいたった とい うものである (註13)。 す なわち, この時期 の季節託児所 は,国家的要請 によって,農村社会が農作業の共同化 による構造変革 を迫 られた際 に,それ を支 える生活の合理化 ・共同化 の一環 と して開設 ・ 運営 された ものであ った。ゆえに, 「親の都 合」
による 「託児」とい う側面 は免 れない。 とはいえ,特 に安全 ・衛生 に配慮 した 「乳幼児 の保護」
とい う点では,川島が可能性 を兄 いだ した ように,子 どもの側 にたって,その心 身の生活 をま もろ うとす る ものであ った。 特 に,身体 的存在であ る乳幼児 には,午 (月)齢が小 さいほ ど,心 と身体 の健康 や発達 は 不可分 の もので る。 それゆえにこそ,季節託児所が, 「乳幼児 の心 身の保護」とい う立脚 点の もとに運営 され ようとした とい う事実 は重要 なのであ り,保健婦が関与 したか らこそ, 明確化 し得 た もの といえよう。 この ような 「託児」
事業 は,農村で巡 回訪 問指導 を担 う保健婦 とい う存在 を通 して,初 めて,心 身両面の健康 を重視 し,子 どもを生活者 として トー タルに捉 える保護 ・教育活動 と しての素地 を培 っていったのであ る。 この保健婦 の 「農村指導者」としての位 置づ けを 含 め,新潟県内の季節託児所 の発達経緯 を考察 し,全 国的動 向の中に位置づ けることが, 筆者の当面 の課題である。 特 に同県では,産婆資格取得者が保健婦の大多数 を占めてお り, 季節託児所 の開設 ・運営 にあたっての保健婦 の役割のみ な らず,農村 に とっての 「産婆」
の意味 について も,示唆 を得 られる もの と思 われる。 これ らは調査 中であ り,詳 しい考察 は,別の機会 を期 したい。 [註] (1)戦前の日本の農山漁村において農繁期など一定の時期に限って臨時に設立 ・運営 された託児 施設については,農繁期託児所や季節保育所など,場合によって呼称が異なる。戦時期の厚 生省児童局においても川島の著書の中で も, 「季節保育所」が使用 されている。だが,本論 文では, 「季節託児所」に統一 した。 (2)厳密には,1948 (昭和23)年 7月に施行 された 「保健婦助産婦看護婦法」第十九条において, 保健婦国家試験の受験資格が,定められている。そこでは,看護婦国家試験に合格 した者, または,看護婦国家試験受験資格の一つに該当 した上で,同条に定める条件のうち一つを満 たした者が,保健婦国家試験の受験資格をもつものとされている。 (3)川島 r農村保健婦』81-84頁. (4)同前書,72-74頁。 (5)同,69-70頁。 (6)同,85-92頁。 (7)同,156頁。 (8)同,158-160頁。ノ(9)同,160-161頁。
(10)同,162-163頁,前川政子 r保健教育」第5巻第10号・11号。
(ll)同,99頁。
(12)以上,104-106頁。