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資料紹介・京都女子大学図書館所蔵『好色安万於布禰』

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  京都女子大学図書館所蔵『好色安万於布禰』   京都女子大学図書館に、 『好色安万於布禰』 (内題による)という江戸時代の版本一冊が所蔵されており、貴重書に指 定されている (請求番号   913 ・ 57/ko87 )。京都女子大学図書館OPACで本書を検索すると、 「出版情報 :[出版地不明] : [出版者不明] [元禄年間?] 、(中略)著者名 : 西川祐信( 1670 - 1751 )」とある。この情報によると、 『好色安万於布禰』 は、江戸時代中期に京都で活躍していた浮世絵師西川祐信が作画した作品であり、従来知られていない祐信作品という ことになる。   しかし、 本書を調査した結果、 『好色安万於布禰』という全五巻の書と、 西川祐信画『艶色玉簾』 (享保四年[一七一九] 正月刊、 八文字屋八左衛門)の巻三のみを取り合わせた本であることが明らかになった。 『艶色玉簾』の巻三巻末に「 大 和絵師   西川祐信画」とあることから、 OPACでは、 『好色安万於布禰』の「著者名」を西川祐信と認定したと推測さ れる。 [資料紹介]

京都女子大学図書館所蔵『好色安万於布禰』

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22   『艶色玉簾』は『妻愛色双六』の改題本と推定されており )1 ( 、 祐信が春画を描いた、 いわゆる「浮世草子の艶本 )2 ( 」である。 巻 一 の 序 文 で は、 役 者 評 判 記 の 出 版 を め ぐ っ て 確 執 の あ っ た 八 文 字 自 笑 と 江 嶋 其 磧 )3 ( の 和 解 に つ い て 記 し て い る )( ( 。『 好 色 安万於布禰』に取り合わせられた『艶色玉簾』巻三では、釣られ女、蓮葉おじゃれ、綿摘み女、小歌比丘尼、大黒、間 けん 短 たん ( 下 級 の 私 娼 )、 惣 嫁 と い っ た 好 色 風 俗 に 身 を ゆ だ ね る 女 性 達 と 男 性 の 色 事 を め ぐ る 話( 著 者 未 詳 ) が、 祐 信 の 春 画 とともに描かれている。   一方、 『好色安万於布禰』は、未紹介の書であり、 『艶色玉簾』と同様、様々な男女の色事をめぐる話を、春画と共に 描いた「浮世草子の艶本」である。国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録データベース )5 ( 」で本書を検索すると、 「統 一書名   好色あまをぶね (こうしょくあまおぶね) /巻冊   五冊/別書名 [ 1] 好色安満於布禰 (こうしょくあまおぶね) / 分 類   艶 本 / 成 立 年   元 禄 年 間 刊?/ 著 作 注 記〈 般 〉 日 本 艶 本 目 録( 未 定 稿 ) に よ る )6 ( 」 と あ る。 「 艶 本 」 と 分 類 さ れ る性格上、所蔵機関は掲載されていない。   春画や艶本の研究については、従来、タブー視される傾向にあったが、近年、石上阿希『日本の春画 ・ 艶本研究』 (平 凡社、平成 27・ 2)が出版され、近世文学・文化・出版研究と春画・艶本研究が分断されるべきではなく、互いに連続 し た も の と し て 行 わ れ る こ と の 必 要 性 と、 そ の よ う な 問 題 意 識 に 基 づ い た 研 究 成 果 が 示 さ れ た。 な お、 石 上 氏 は、 「 日 本 国 内 外 の 研 究 機 関・ 博 物 館・ 図 書 館 や 個 人 コ レ ク タ ー な ど が 所 蔵 す る 資 料 を 対 象 」 と し て、 「 近 世 期 に 制 作 さ れ た 艶 本の所在情報、 書誌情報を検索できるようにした」 「近世艶本総合データベース )7 ( 」も作成、 公開されているが、 このデー タベースにも、まだ『好色安万於布禰』は登載されていない。   ま た、 平 成 27年 秋 に 東 京 の 永 青 文 庫、 平 成 28年 冬 か ら 春 に か け て 京 都 の 細 見 美 術 館 に て、 日 本 初 の「 春 画 展 」( 十 八 歳未満入場禁止)が開催され、それぞれに多くの入場者を動員し、話題になった )8 ( 。

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  このように、日本近世文学研究者によって春画・艶本研究の意義と成果が示され、春画・艶本が展覧会で公開されて 盛況であった近時の状況を踏まえ、小稿では、未紹介の艶本『好色安万於布禰』について、その概要を紹介するもので ある。   後述するが、本書の挿絵は、江戸時代前期に江戸で活躍した浮世絵師菱川師宣(元禄七年[一六九四]没)風の画風 であり、本書が江戸で出版されたことを推測させる。師宣は、艶本、春画も多く手がけており )9 ( 、本人またはその一派の 絵師が本書の挿絵を描いた可能性もあるが、稿者では明確な判定ができないため、専門家の方々のご教示をお願いした い。   『好色安万於布禰』と『艶色玉簾』巻三の書誌   本節では、 『好色安万於布禰』と、後半に取り合わせられている『艶色玉簾』巻三の書誌を記す。書誌では、 『好色安 万於布禰』は、 『安万於布禰』と略称する。□は破れを示す。 [体裁]   半紙本一冊。袋綴。表紙は、 『艶色玉簾』の原表紙(藍色無地) 。縦二二 ・ 〇㎝×横一六 ・ 〇㎝。 [題簽]   『艶色玉簾』の原題簽の一部が、原表紙に一〇 ・ 〇㎝程度残存。横三 ・ 三㎝。中央。 「□□玉すたれ」 。 [匡郭]   『安万於布禰』→四周単辺。縦一八 ・ 八㎝×一三 ・ 五㎝。      『艶色玉簾』巻三→四周単辺。縦一八 ・ 一㎝×一三 ・ 〇㎝。 [行数]   『安万於布禰』→(序)一〇行、 (本文)一二行。 『艶色玉簾』巻三→一〇行。 [丁数]   全七二丁。

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2(     『 安 万 於 布 禰 』 → 五 六 丁。 ( 序 ) 一 丁、 ( 目 録 ) 二 丁、 ( 巻 一 ) 一 〇 丁、 ( 巻 二 ) 一 三 丁、 ( 巻 三 ) 一 二 丁、 ( 巻 四 ) 八丁、 (巻五)一〇丁。     『艶色玉簾』巻三→一六丁。 [版心・丁付]   『安万於布禰』→(序・目録・巻一) 「あま一   一~十三」 、(巻二) 「あま二   一~十三」 、(巻三) 「あま 三   一~十二終」 、(巻四) 「あま四   一~八□」 、(巻五) 「あま五   一~十」 。     『艶色玉簾』巻三→「色   三ノ巻   二、 四~十八」 。 [挿絵]   (以下、洋数字は実丁数) 『安万於布禰』→(巻一) 5ウ─ 6オ[書き入れあり] 、 9ウ─ 10オ[同前] 、(巻二) 15ウ─ 16オ[同前] 、 20ウ─ 21オ、 (巻三) 29ウ─ 30オ[書き入れあり] 、 33ウ─ 3(オ、 (巻四) 39ウ─ (0オ[書き 入れあり] 、 (3ウ─ ((オ[同前] 、(巻五) (7ウ─ (8オ、 53ウ─ 5(オ。       『艶色玉簾』巻三→ 58ウ─ 59オ、 61ウ─ 62オ、 63ウ─ 6(オ、 66ウ─ 67オ、 69ウ─ 70オ[書き入れあり] 、 71ウ─ 72 オ。 [著者・画師]   『安万於布禰』→著者未詳。序者、林睡。画師未詳(菱川師宣風か) 。         『艶色玉簾』巻三→著者未詳。画師、西川祐信。 [目録題]   『安万於布禰』→「目録」 、『艶色玉簾』巻三→なし。 [内題]   『安万於布禰』→(巻一)なし、 (巻二) 「好色安万於布禰巻二」 ( 図 1参照 )、(巻三) 「好色あまをぶね巻三」 、(巻 四) 「好色阿万を婦禰巻四」 、(巻五) 「好色安万於布根第五」 。     『艶色玉簾』巻三→なし。 [刊記]   『安万於布禰』→なし。

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    『艶色玉簾』巻三→「 つちのとの亥    初春   大和画師   西川祐信筆[祐信の印] 」 [ 備 考 ]  表 紙 見 返 し に、 「 丹 後 国 湊 大 向 村 / 木 下 五 良 太 □ 」 と墨書あり。旧蔵者の署名と推測される。 1ウ上欄に 「大」 、 6ウ上欄に「向」 、 10ウ上欄に「村」 、 12ウ上欄 に「 木 」、 16ウ 上 欄 に「 下 」、 18ウ 上 欄 に「 五 」( 見 せ 消 ち )、 19ウ 上 欄 に「 五 」、 22ウ 上 欄 に「 良 」、 25ウ 上 欄 に「 太 」、 28ウ 上 欄 に「 丈 」、 31ウ 上 欄 に「 為 」、 35 ウ 上 欄 に「 吉 」、 37ウ 上 欄 に「 主 」、 60ウ 上 欄 に「 丹 」、 6(ウ 上 欄 に「 後 」、 65ウ 上 欄 に「 国 」( 見 せ 消 ち )、 66 ウ 上 欄 に「 国 」、 67ウ 上 欄 に「 湊 」、 70ウ 上 欄 に「 湊 」 と墨書。上欄の文字を組み合わせると、見返しに記さ れた旧蔵者の署名と、ほぼ一致する。 26ウに、墨書に よる落書きがある。   上記の[体裁] [題簽]より、 京都女子大学図書館所蔵『好 色安万於布禰』は、 『艶色玉簾』の原表紙を利用して、 『好色 安 万 於 布 禰 』 全 五 巻 と、 『 艶 色 玉 簾 』 巻 三 を 取 り 合 わ せ た 本 図 1  『好色安万於布禰』(13ウ、14オ)

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26 で あ る こ と が わ か る。 そ し て、 こ の よ う な 取 り 合 わ せ 本 を 作 っ て 所 持 し て い た の は、 [ 備 考 ] に 示 し た 旧 蔵 者 の「 木 下 五良太」である可能性が高い。 『艶色玉簾』については、巻三のみを取り合わせている理由は不明である。   さらに、 [挿絵]で示したように、 『好色安万於布禰』の挿絵、つまり春画の大部分に、登場人物のセリフなどを、旧 蔵 者 が 墨 で 書 き 入 れ て い る。 版 本 の 春 画 に セ リ フ な ど を 入 れ て 印 刷 す る こ と は、 菱 川 師 宣 の 艶 本『 床 の 置 物 』( 天 和 年 間[ 一 六 八 一 ~ 一 六 八 四 ] 刊 ) が、 早 い 例 と さ れ る )(1 ( 。 ち な み に、 『 艶 色 玉 簾 』 巻 三 の 春 画 に は、 す べ て、 登 場 人 物 の セ リフなどの書き入れが、画師の祐信によって記され、印刷されている。   『好色安万於布禰』の春画における書き入れが、 「木下五良太」によるものか、他の旧蔵者によるものであるのかにつ い て は 不 明 で あ る が、 い ず れ に し て も、 艶 本 の 春 画 に セ リ フ な ど を 書 き 入 れ て 印 刷 す る 例 が 多 い こ と に な ら い、 『 好 色 安万於布禰』の話の内容に合わせて、旧蔵者が、自分自身で、春画にセリフなどを書き入れ、楽しんでいたことが推測 される )(( ( 。   このように、京都女子大学図書館所蔵『好色安万於布禰』からは、二種の「浮世草子の艶本」を取り合わせたり、春 画にセリフなどを書き入れをするなどして、艶本を享受していた読者(たち?)の姿をうかがい知ることができよう。   『好色安万於布禰』の序文と、目録に記された章題   本節では、 『好色安万於布禰』の序文と、目録に記された章題を翻刻して、紹介する。以下、小稿では、 『好色安万於 布 禰 』 を 初 め と す る 近 世 資 料 の 翻 刻 に 当 た っ て は、 適 宜、 通 行 の 字 体 に 改 め た り、 句 読 点 を 付 け る な ど し た。 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 の 丁 移 り は、   」 で 示 し、 目 録 の 巻 第 二 ま で の 章 題 に お け る 割 書、 お よ び、 巻 第 三 か ら の 章 題 の 改 行 は、 / で示した。

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      序 いざなぎいざなみの二神一女三なんを産給ひしより、夫婦婚合の道今に伝り、古人のぬれ文見たものもなし。それ からそれにおしゆるにあらねど、おのつから此道にかしこくしやうじきになく鳥の声〴〵あかつきの火事太鼓夜来 拍子木に恋のきぬ〳〵をうらみ、秋の色ある虫は、ともしびに身はこがせど、恋のわかれはしらぬものをと、つま ら ぬ 事 ま で を わ が 恋 に 思 な ぞ ら へ、 親 の ゆ る し て あ わ せ し 女 房、 む こ 」( 1オ ) 入 の 娘、 ご け い り の ふ る 女、 髪 切 の後家、つり出しの下女、よばひのおんなに、道ならぬ恋の一いろ、やせのざこね、雲の上にも恋の哀をしる七夕。 もろこしに、まつくろぼう )(1 ( といふものはあまさへ恋に気のみぢかく、わが朝のみるかる男、野ゝ末〳〵に草かるお やぢ、山の奥成狩人まて、色に心をくだくらん。世中に絶て桜のなかりせばとよみしは昔も恋に身をよするにやと、 其貫之といふ人も今見るやうに思ひ候。人間万事さいわうが心の駒のあらたづな、ゆるさぬ人こそ恋しりなれ。   林睡誤序」 ( 1ウ)      目   録     巻第一    一   春    かきごしにつくかげのはごいた/若衆女桜にもたれてみつのゑん    一   夏    こばたたてぬも女房がむつ事/うけ身おしゆる松屋がいつわり    一   秋    しやうれうまつりにのそみかなへる/ふたおやもちし娘をたばかる    一   冬    中だちしたる雪の日のいぬ/鏡をまふりてねふる女    一   神祇   神前にかたる小町が絵すがた/つれなき娘もひけばなびく」 ( 2オ)     第二

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28    一   尺教   さぜんのおしゑに見そめたる恋/かねたゝく下女もおもわずはたらく    一   無常   つちくいの名を得し六蔵がさた/にせゆふれいのれきのふとさよ    一   旅宿   とりちがへたる下女のねどころ/そのぬししれずしめて三ばん    一   遊女   むしんのいへるとりんぼのさた/いんどううけてまよはざる道    一   後家   わが子ながらもはたらきぞよし/りはつにあまるねやの手習    一   ひくに   壱寸いれ候へは壱分だす金/礼金もとらぬびくにがこまごと」 ( 2ウ)     第三    一   せ  いもんたてゝもなく声のごせ/一   直段のたかき作兵衛が道具/一   おもひをはらす念仏のには/一   風 ふう 味 み をわすれぬ遊女が実 しつ 心     第四    一   風呂屋のさうじも百両の礼金」 ( 3オ)/一   拍子あまりてねのとまる三味     第五    一   いたづらなる子は母の中だち/一   作 さく 都 いち がひるねにくわほう成坊主ねて女となる    一   なんによ秘会の大論   十ケ条/附 リ 薬方色々」 ( 3ウ)     さて、 序文は、 「いざなぎいざなみ」の神々による夫婦の契りの神話から説き起こし、 神話の昔から、 当代に至るまで、 あらゆる身分 ・ 立場の男女が色事に心をくだくものである様について述べている。石上阿希は、 「艶本の冒頭に伊弉諾 ・ 伊 弉 冉 の 神 話 を 引 く 例 は 江 戸 初 期 か ら 見 ら れ る )(1 ( 」 と 指 摘 し て い る。 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 で も、 そ の 型 を 踏 襲 し て い る こ

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とがうかがえる。   伊 弉 諾 と 伊 弉 冉 の 夫 婦 の 契 り、 「 一 女 三 男 」 の 神 々 の 誕 生 な ど に 触 れ つ つ、 神 話 の 昔 の 色 事 の 始 ま り か ら、 当 代 の 色 事 の 盛 ん な る こ と に 触 れ て い る 類 似 例 と し て、 吉 田 半 兵 衛 画、 酒 楽 軒 序『 好 色 伊 勢 物 語 』( 貞 享 三 年[ 一 六 八 六 ] 刊、 永田長兵衛・西村半兵衛版)の序文の一部を引いておく。 夫 それ 、色 いろ 道 みち は、むかし、伊 い ざ な ぎ 弉諾伊 いざなみのみこと 弉並尊共 みとのまぐばい 夫婦し給ひて、 (中略)男 なんによ 女交 かう〴〵 合の道はじまれり、と。 (中略)こゝに清 すま し て、 子 し 細 さい らしきは至 いたつ て親 お や じ 仁となり、 酔 ゑい て鈍 にぶ きものは、 うかれて好色男とよばるゝありて、 中比、 中 なか 嶋 じま のうき(一オ) 世橋 ばし のもとにて、一女 によ 三男 なん に逢 あひ 給ひし、 (中略)是より情 なさけ の道ひろく泥 なづみ (後略 )(1 ( )   ま た、 菱 川 師 宣 の 艶 本『 恋 の は な む ら さ き 』( 天 和 三 年[ 一 六 八 三 ] 刊 ) の 序 文 も、 天 の 浮 き 橋 で の 二 神 の 契 り よ り 恋の道が始まったことから書き起こし、 「人間万事」という表現で結んでいるところが、 『好色安万於布禰』の序文と類 似しているため、次に一部を引く。 むかし〳〵うきはしのもとより、恋といふおかしきことしてそのたねをまきちらし給ふにより、末 すゑ の世にはびこり て人と成ぬ。 (中略)人間万事双六さいと打とめ訖 )(1 ( 。   以 上、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 の 序 文 と、 他 の 艶 本、 好 色 本 の 序 文 と の 類 似 を 指 摘 し た。 序 者 の「 林 睡 」 に つ い て は 未 詳 である。   章題については、巻第一から第二の「遊女」のあたりまでは、歌集の部立てや和歌などの題を思わせる言葉が、章題 の 上 に 付 い て い る。 「 遊 女 」 に 続 い て、 「 後 家 」「 ひ く に 」 な ど、 近 世 の 好 色 風 俗 の 女 性 を 列 挙 す る。 第 三 か ら は、 章 題 の上の言葉は付いておらず、やや不統一な印象を与える。   また、目録の章題と、本文の各話前に付けられた章題については、巻第三以外の巻において、文言に小異が見出せる

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30 が、一々の異同の指摘は省略する。   『好色安万於布禰』巻五における養生書『黄素妙論』の受容   本節では、前節の目録で挙げた巻第五の「一   なんによ秘会の大論   十ケ条/附 リ 薬方色々」を取り上げ、養生書『黄 素 妙 論 』 の 受 容 の 可 能 性 を 指 摘 し た い。 当 該 部 分 は、 50オ ~ 56ウ で、 巻 末 の 六 丁 分 に 当 た る。 本 文 の 章 題 で は、 「 な り 平秘密の丹論」とあり、在原業平が、美女に、男女の房中の秘伝と、房事に効能のある薬の製法について問うという形 式になっている。   その形式、および、内容は、安土桃山時代の著名な医師曲直瀬道三が、天文二一年(一五五二)に松永弾正に献上し た (成立年は不明) 房中に関わる養生書 『黄素妙論』 に、 直接または間接的に拠っていることが指摘できる。 『黄素妙論』 は、 明 の 嘉 靖 一 五 年( 一 五 三 六 ) 刊 の『 素 女 妙 論 』 を 道 三 が 抄 出 和 訳 し た も の で、 『 黄 素 妙 論 』 で は、 黄 帝 が 房 中 術 に 通じた神女である素女に房中の秘伝を問う形式になっている。   石 上 阿 希 は、 『 黄 素 妙 論 』 が 絵 巻、 写 本、 版 本 な ど で 広 く 流 布 し た こ と、 お よ び、 近 世 期 通 し て 艶 本 に 受 容 さ れ て い ること、その受容は、主に上方の艶本を中心に見られることなどについて詳述し、また版本の諸本については、六種に 整理している )(1 ( 。『好色安万於布禰』 は、 前述した江戸の出版という推測が妥当であれば、江戸の艶本における 『黄素妙論』 の受容例として注目されよう。   以 下、 今 少 し 具 体 的 に、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 に お け る『 黄 素 妙 論 』 と の 関 連 に つ い て 述 べ て お く。 『 黄 素 妙 論 』 に つ い て は、 石 上 が 整 理 し た 版 本 の 六 種 の 諸 本 の 内、 江 戸 前 期 京 都 長 島 与 三 郎 復 刻 本( 以 下「 長 島 本 」) ( 大 本 一 冊 )( 国 立 国 会 図 書 館 デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン )(1 ( ) の 本 文 と の 比 較 を 行 っ た が、 便 宜 上、 文 化 五 年 跋 の 復 刻

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本 (以下 「文化五年本」 )(中本一冊) (京都大学附属図書館所蔵   マイクロフィルム版富士川文庫 )(1 ( ) 掲載の目次も参照し、 『好色安万於布禰』第五が利用したと推測される部分を、文化五年本の目次掲載の題 )(1 ( で示す。 『好色安万於布禰』第五「なり平秘密の丹論」の冒頭は、次の通りである。 なりひら美女に問 A てのたまはく、男女のけうかうのひくわひはいかん。女こ B たへていわく、天 C 地ゐんやうけうがう せすして、万物生せす。男 D 女のけうがうせざるとき、じんりんめつして、子そんといふ事もなし。しかりといへ共、 け う が う す る に ひ て ん よ う じ ゆ つ あ り。 こ れ ま こ と に よ う 」( 50オ ) じ や う の め E う だ う な り。 君 し ろ し め し た る や いなや。御たづね候へかし。一 F 々にのべ申さん。   ここでは、美女が、男女の交合は、子孫を生むために必要な営みであること、しかし、その交合には秘伝があり、養 生の妙道であることを説いている。   こ れ は、 次 に 引 用 す る『 黄 素 妙 論 』 の「 交 合 和 違 」( 女 性 が 交 合 を 望 む 徴 候 に 関 す る 五 つ の 秘 伝 を 説 い た 箇 所 ) の 冒 頭 を、 適 宜、 省 略・ 改 変 し た も の と 推 測 さ れ る。 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 の 冒 頭 と 類 似 す る 部 分 に傍線を付して、対比した。 くはうていと A ふてのたまはく、おとこをんなのましはり和違いかん。そぢよこ B たへていはく、それてんちいんやう かうがうしては万物をしやうじ、なんによのいんやうましはりあひてしそんをしやうす。しかるあひだ、て C んちの ゐんやうましはらざる時は、四時ならす。ば C んもつしやうぜす。男 D 女のいんやうあはさる時は、じんりんめつして、 しそんたゆる。しかりといへとも、くはいかうするにひてんのようじゆつあり。これまことにやうじゆつのおうぎ、 やまひをいやすめ E うどうなり。いまこ F と〳〵くこれをのへん。   『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 で は、 先 に 引 用 し た 冒 頭 部 に 続 き、 美 女 が、 女 性 が 交 合 を 望 む 徴 候 に

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32 関 す る 五 つ の 秘 伝 を 語 る が、 そ れ に つ い て も、 『 黄 素 妙 論 』 の「 交 合 和 違 」 の 本 文 を 適 宜 省 略・ 改 変 し た も の と な っ て い る。 た だ し、 五 番 目 の 秘 伝 の み、 『 黄 素 妙 論 』 の「 交 合 和 違 」 お よ び そ の 他 の 箇 所 に も 見 出 せ な い 内 容 の 本 文 が 一 部 挿入されており、また、五番目の秘伝の後に、 『黄素妙論』の「交合和違」ではなく、 「浅深利害損益之弁」の本文から の引用が見られる。   それに続いて、 『好色安万於布禰』第五「なり平秘密の丹論」では、 『黄素妙論』の「八深六浅一深之論」 、「五傷之法」 、 「淫情十動之侯」 、「交所吉凶之弁」 、「房中薬術」からの引用が見出せるが、いずれも適宜、省略 ・ 改変が見られる。特に、 「 房 中 薬 術 」 に つ い て は、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 で は、 『 黄 素 妙 論 』 と 同 じ 薬 で あ っ て も、 製 法 に異同が見られる。たとえば、 『黄素妙論』では、 心の深い女性に使用する「緑鶯膏」の製法について、 次のように記す。 ○ちやうじ   三りう   ○さんせう   四りう   ○さいしん   ○りうこつ   ○かいへうせう   ○みやうばん   をの〳〵すこし はかり    右六いろをこまかにふるひて(後略)   一方、 『好色安万於布禰』第五「なり平秘密の丹論」では、 「緑鶯膏」の製法について、次のように記す。 『黄素妙論』 と重なる部分に傍線を付した。 一   しやうさん   一   ふし   一   りうこつ   一   いかのこう   一   さいしん   一   みやうばん   一   さんしやう   三つぶ   此七いろを粉にして(後略)   このように、同じ薬であっても製法に異同が見出せるのである。   以上、 『好色安万於布禰』第五「なり平秘密の丹論」では、 『黄素妙論』からの影響がうかがえ、適宜省略・改変して 利 用 し て い る こ と が 明 ら か に な っ た。 た だ し、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 に、 独 自 の 本 文 や、 薬 の 製法に異同などが見られることから、あるいは、 『黄素妙論』を利用した別の艶本などを参照した可能性も考えられる。

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  い ず れ に し て も、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 第 五「 な り 平 秘 密 の 丹 論 」 が、 江 戸 の 艶 本 に お け る『 黄 素 妙 論 』 の 受 容 例 と な る可能性を指摘しておきたい。   『好色安万於布禰』の挿絵   第一節でも触れたように、 『好色安万於布禰』の挿絵の画風は、菱川師宣風である。次に、 『好色安万於布禰』挿絵の 事例を示し、師宣の絵と並べてみる。   図 2は、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 巻 一 ノ 一 に お け る、 隣 同 士 の 十 六 歳 の 若 い 男 女 が 親 達 の 目 を 盗 ん で 忍 び 逢 う 場 面 を 描 く 挿絵である。若衆がしゃがんだ姿で若い娘を口説く姿は、師宣の艶本にも見出せる。図 3は、男女の相性を説いた師宣 図 2  『好色安万於布禰』巻一ノ一( 6 オ) 図 3  菱川師宣『雑書枕』

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3( 画の艶本 『雑書枕』 (延宝六年 [一六七八] 刊) の挿絵 (国際日本文化研究センターデータベース 「艶本資料」 より掲載) である。人物の顔などの画風も若干異なるが、類似は認められよう。師宣以外の絵師が図 2を描いたとしても、図 3の ような師宣の挿絵を参照した可能性が高いと考える。   ま た、 図 (は、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 巻 二 ノ 一 に お け る、 比 丘 尼 と 寺 の 住 持 と の 情 事 を 描 い た 春 画 の 一 部 で あ る。 比 丘 尼 の 情 事 を 描 い た 春 画 も、 師 宣 の 艶 本 に 見 出 せ る。 図 5は、 師 宣 画 の 艶 本『 好 色 い と 柳 』( 元 禄 頃 刊 ) の 春 画( 国 際 日 本文化研究センターデータベース「艶本資料」より掲載)の一部である。 『好色いと柳』は、 「各頁の上段を左右に二分 して、左に見出しとコマ絵、右にその絵の解説として遊女、茶屋女、素人女などとの口説きのかけひきを述べ下段に春 画を入れ )11 ( 」たものである。図 5は、若い男が比丘尼の口説きに成功して情事に至った様子を描く。図 (と図 5は、比丘 尼の表情や腕の描写、男の口、腕、背中の描写に類似が認められる。しかし、図 (が師宣画とは断定できない。 図 4  『好色安万於布禰』巻二ノ一(15ウ) 図 5  菱川師宣『好色いと柳』上巻

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  な お、 今 一 点、 図 版 掲 載 は 省 略 す る が、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 巻 四 ノ 二 の 春 画( (3ウ、 ((オ ) と、 師 宣 の 春 画 の 関 連 に つ い て 触 れ て お く。 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 巻 四 ノ 二 で は、 盲 目 の 女 芸 人 で あ る 若 い 瞽 女 の 家 に、 男 が 忍 ん で 情 事 に 及 ぼ う とする。しかし、年配の瞽女が同じ座敷に寝ているため、若い瞽女が、男の膝の上に座り、三味線を弾きながら色事を して、年配の瞽女の手前をごまかす。挿絵では、その場面の春画が描かれている。   このように、女性が男性の膝の上に乗り、三味線を弾きながら色事をする春画については、男女の色事の様々な方法 を 集 め て 描 い た 師 宣 の 艶 本『 恋 の む つ ご と 四 十 八 手 』( 延 宝 七 年[ 一 六 七 九 ] 刊 ) の「 曲 茶 臼 」 に 描 か れ て い る。 白 倉 敬彦は、この「曲茶臼」について、次のように述べている。 目立った趣向なので、後続作も多いけれど、知られた図柄だけにその力量が計られる分、誰もが描くといったもの でもなかったようだ。しかしこうした図柄の追跡は、画師間の遠近関係が見えてきて興味深いものがあり、今後も つとめて拾い出していくことにしたいと思う。その点では、こうしたはっきりとした特徴のある図柄はその継承関 係が見やすく、貴重な存在である )1( ( 。   このような指摘からも、 『好色安万於布禰』の画師と師宣の挿絵の近さは想定出来よう。以上の事例から、 『好色安万 於 布 禰 』 の 挿 絵 を、 現 時 点 で は「 師 宣 風 」 と し て お く。 し か し、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 の 春 画 の 中 に は、 や や 稚 拙 に 見 え る挿絵も混じっており、今後の検討が必要である。   なお、前述した「日本古典籍総合目録データベース」で、本書の刊年を「元禄年間刊?」としているのも、 「師宣風」 の挿絵から見て妥当だと考える。

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36   まとめと今後の課題   以上、小稿では、未紹介の艶本『好色安万於布禰』について、祐信画の艶本『艶色玉簾』との取り合わせや、春画に セ リ フ な ど を 書 き 込 む 享 受 の あ り 方、 養 生 書『 黄 素 妙 論 』 の 受 容、 「 師 宣 風 」 の 挿 絵 な ど、 現 時 点 で 気 付 い た こ と を 点 描した。   一方、今回は、肝心の「浮世草子の艶本」としての本作の作風について、十分に述べることができなかった。概して、 男女の色事の露骨な描写に主眼を置いた話、艶笑譚的な話が多いが、中には、同時代の作品との比較検討が必要な話も ある。   たとえば、 巻二ノ四「遊女」と、 巻三ノ四「風 ふう 味 み をわすれぬ遊女が実 じつ 心」では、 いずれも吉原の遊女を登場させ、 「ゆ ふぢよにじつなしと、 いひそめしやつこそにくけれ」 (巻二ノ四、 22オ) 、「うかれめにじつなしといへれど、 さにあらず」 (巻三ノ四、 36ウ)といった「遊女の誠」を説く文章が記されている。   「 遊 女 の 誠 」 は、 延 宝 期 頃 か ら 遊 女 評 判 記 で 説 か れ、 そ の 影 響 下 に、 貞 享 期 頃 の 井 原 西 鶴 の 浮 世 草 子 や 近 松 門 左 衛 門 の浄瑠璃などでも描かれたものである )11 ( 。『好色安万於布禰』巻二ノ四、 三ノ四に見える「遊女の誠」についての文章も、 そ の よ う な 風 潮 の 中、 描 か れ た も の で あ ろ う。 し か し、 西 鶴 や 近 松 の 作 品 に お け る「 遊 女 の 誠 」 に 比 し て、 『 好 色 安 万 於布禰』巻二ノ四、 三ノ四では、その「誠」が、肉体的、性的な側面を強調して描かれているところが特徴的である。   すなわち、巻二ノ四は、遊女が客に、遊女との床入りでの秘伝を身を以て教えて客を喜ばせ、客は他の遊女との床入 りでもその秘伝を試してうまくいったという話、巻三ノ四は、吉原の客である医者が長崎で入手した房中薬を遊女との 情事に利用して、遊女を夢中にさせたといった話で、薬の製法まで記しており、いずれも遊廓版『黄素妙論』とでも言

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う べ き 趣 を 持 っ て い る。 こ れ ら の 話 に つ い て は、 「 遊 女 の 誠 」 を 説 い た り、 床 入 り の 秘 伝 を 説 く 遊 女 評 判 記 類 や 茶 屋 案 内記類などとの関連も想定出来よう。   以 上 の よ う に、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 に つ い て は、 春 画 の 検 討 だ け で な く、 同 時 代 の 他 作 品・ 他 資 料( 好 色 物・ 艶 本 以 外の作品や資料も含む)を視野に入れた作風の検討も必要であることを記して、稿を締め括りたい。 注 ( 1)   石 上 阿 希 編『 西 川 祐 信 を 読 む   西 川 祐 信 研 究 会 論 文 集 』( 立 命 館 大 学 ア ー ト・ リ サ ー チ セ ン タ ー、 平 成 25・ 3) 所 収、 白倉敬彦編「西川祐信春画目録」 115頁など参照。   ( 2)   林 美 一『 艶 本 江 戸 文 学 史 』( 河 出 書 房 新 社、 平 成 3・ 8) (0頁 に お い て、 浮 世 草 子 の「 好 色 物 中 の 艶 本 的 性 格 を 持 つ 作品の謂」という定義で使用された用語。 ( 3)   自 笑 と 其 磧 の 確 執 に つ い て は、 長 谷 川 強『 浮 世 草 子 の 研 究 』( 桜 楓 社、 昭 和 ((・ 3)「 第 二 章   其 磧・ 自 笑 確 執 期( 正 徳初~享保三年) 」 285~ 32(頁参照。 ( ()   松平進「祐信絵本の版行と普及」 7頁( 『浮世絵芸術』 53   日本浮世絵学会、昭和 52・ 9)。 ( 5)   http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi 、平成 28年 11月 28日閲覧。 ( 6)   『 補 訂 版 国 書 総 目 録 』 第 一 巻( 岩 波 書 店、 平 成 元・ 9)「 引 用 書 目 一 覧 」 17頁 に「 日 本 艶 本 目 録( 未 定 稿 )( 林 美 一、 国書研究室蔵、稿本) 」とある。 ( 7)   http://www.dh-jac.net/db1/ehoncatalogue/about.php 、平成 28年 11月 28日閲覧。 ( 8)   永 青 文 庫 で の 盛 況 に つ い て は、 京 都 新 聞 デ ジ タ ル 版( 平 成 27年 12月 22日 ) の 記 事、 細 見 美 術 館 で の 盛 況 に つ い て は、 朝日新聞デジタル版(平成 28年 3月 7日)の記事など参照。

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38 ( 9)   林 美 一 著、 中 野 三 敏・ 小 林 忠 監 修『 林 美 一   江 戸 艶 本 集 成 第 一 巻   菱 川 師 宣・ 西 川 祐 信 』( 河 出 書 房 新 社、 平 成 25・ 3)所収「菱川師宣の生涯」 63~ 67頁、 「夜の師宣(全艶本作品の解題) 」 80~ 135頁など参照。 ( 10)   『SHUNGA』 (永青文庫   春画展図録) (春画展日本開催実行委員会編、平成 27) 256頁参照。   ( 11)   注( 9)前 掲 書 308頁 掲 載 の 師 宣『 表 四 十 八 手 』( 延 宝 七 年[ 一 六 七 九 ] 刊 ) の「 明 別( あ け の わ か れ )」 な ど に も 後 人 の 書 き 入 れ が あ る。 艶 本 に お け る 後 人 の 書 き 入 れ は 珍 し く は な い か も し れ な い が、 『 好 色 安 万 於 布 禰 』 で は、 後 人 の 書 き 入れが春画全般にわたっているところが注目される。 ( 12)   「まつくろぼう」は意味未詳。 ( 13)   石上阿希『日本の春画・艶本研究』第一部第一章「日本春画における外来思想の受容と展開」 (6頁。 ( 1()   吉田幸一編『好色伊勢物語』 (古典文庫、昭和 57・ 3)翻刻編 9、 10頁。 ( 15)   国際日本文化研究センターデータベース「艶本資料」 ( http://db.nichibun.ac.jp/ja/category/enbon.html )。 ( 16)   注( 13)前掲書第一部第二章「中国養生書と艶本─『黄素妙論』の受容を中心に」 55~ 89頁。 ( 17)   http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/25 (183 ( ( 18)   http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/mg5/image/mg5shf/mg5sh00 35.htm ( 19)   文 化 五 年 本 の 目 次 掲 載 の 題 は、 次 の 通 り。 振 り 仮 名 は 省 略 し た。 「 天 真 論 」「 交 合 和 違 」「 九 勢 之 要 術 」「 浅 深 利 害 損 益 之弁」 「八深六浅一深之論」 「五傷之法」 「淫情十動之侯」 「時節善悪之弁」 「交所吉凶之弁」 「房中之薬術」 「道三之跋」 。 ( 20)   注( 9)前掲書 118頁。 ( 21)   白倉敬彦『春画の色恋   江戸のむつごと「四十八手」の世界』 (講談社学術文庫、平成 27・ 9) 72頁。 ( 22)   拙 稿「 『 世 継 曽 我 』 廓 場 考 」( 『 女 子 大 国 文 』 125号、 平 成 11・ 6)、 近 松 浄 瑠 璃『 三 世 相 』 小 考 ─「 さ ん げ 物 語 」 と 遊 女の誠論を中心に─」 (『女子大国文』 128号、平成 12・ 12)など参照。 ( 付 記 )  小 稿 を 成 す に あ た り、 京 都 女 子 大 学 図 書 館、 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー な ど の 諸 機 関 に、 多 大 な る ご 高 配 に あ ず か

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りました。記してお礼申し上げます。

参照

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