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2005N / / A A 2 2 Tatsuya Sh 4 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY OCTOBER 2017

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(1)

Tatsuya Shimono

 下野竜也は、プログラミングの達人だ。知 られざる名作や演奏機会に恵まれない傑作 に光を当てるケースも多く、それがファンの興 味を刺激してもいる。彼がN響の定期公演 に初めて登場したのは、2007年12月。この ときも、最初と最後にフンパーディンクの《歌 劇「ヘンゼルとグレーテル」》の楽曲、間にプ フィッツナーとリヒャルト・シュトラウスの作品を 配した、「ドイツ後期ロマン派、ポスト・ワーグ ナー・プログラム」を披露して、思慮深さを印 象付けた。これに限らず、彼はさまざまなオー ケストラにおいて、ドヴォルザークの《第6番》 以前の交響曲(《第6番》は2014年10月のN響定 期公演でも取り上げた)やヒンデミット、コリリャー ノ、フサの作品、邦人作品、スッペの序曲、 J.S.バッハの編曲作等々をプログラムに盛り 込み、巧みな構成で耳を惹きつけながら、曲 の魅力を明らかにしてきた。  だが下野の真価は、正攻法にして生気や 活力がみなぎる音楽作りにある。明快な造型 で楽曲の成分を明示しながら、音楽の感興 に沿った気迫や熱度を顕すその演奏は、あ ざとさや誇張など微塵もなく、緻密にして今 生まれ出るかのようなライブ感にあふれてい る。しかも有名曲とレアな曲に、同等のパッ ションが込められる。これまで複数のオーケ ストラで接してきたベートーヴェンやブルック ナーの交響曲も、ドヴォルザークの《第1番》 から《第6番》までの交響曲も、あるいはフサ

Tatsuya Shimono

下野竜也

明快

構成

、緻密

音楽作

N響

共演

を重

るマ

エス

© N ao ya Y am ag uch i ( S tud io D iv a)

今月のマエストロ

(2)

や邦人の作品も、等しく濃密でパッショネイト だった。こうした真摯な全力投球あってこそ、 プログラミングが意味深く輝くといえるだろう。  下野は、2005年の初共演以来、N響にた びたび客演し、定期公演は今回が通算7回 目の登場となる。地方公演や海外(台北)公 演を含めると2013年以降は毎年指揮してお り、直近は2017年1月の定期公演だ。彼は、 2016/17シーズンと2017/18シーズンの定 期公演に続けて登場する唯一の日本人指揮 者でもある。これもまた、前記の姿勢に対す る信頼の表れであろう。  今年1月の定期公演は、彼の特徴を如実 に示すものだった。前半にマルティヌーの《リ ディツェへの追悼》とフサの《プラハ1968年の ための音楽》、後半にブラームスの《ヴァイオリ ン協奏曲》を置いた、やはり若干珍しいプロ グラム。特に後半をヴァイオリン協奏曲が占 めるケースは、定期公演では滅多にない。こ のプログラムについて下野にインタビューした 際、彼は意図をこう語っていた。  「前半2曲は戦時中の残虐な行為と弾圧 への祈りや怒りが込められたメッセージ性の 強い作品で、後半は人間賛歌ともいうべき音 楽。どちらも同じ人間が作ったものであるこ とに恐怖を感じますし、こうした悲劇によって 生まれた作品を聴くと、平和な当たり前の生 活を守り、次世代に繋げていくことが我々の 責任であるのを痛感します。ただ、希望や平 穏な気持ちをもって会場を後にして欲しいの で、あえて協奏曲を後半に置きました」。  実際の演奏も、まさしくその通りだった。前 半のシリアスな楽曲は、張り詰めたトーンで 胸を締め付け、緊迫の度合いを増す現実社 会を想起させずにはおかなかった。すると後 半のブラームスの《ヴァイオリン協奏曲》が、こ れまでにないほど明るい光を放つ。この名 曲はかくも希望と幸福感に充ちた音楽だっ たのか …… と感嘆させられ、音楽を楽しめ る平和な状況に感謝せずにはいられなかっ た。これぞプログラミングの妙。公演全体に 接したその時にこそ体感し得る感銘を与えて くれるのが、下野の大きな魅力であることを 再認識した。  今回のAプログラムもまた意味深い。一 見して明らかなモーツァルトとベルクの対比。 前後半ともに、モーツァルトの代表的なオペ ラ・セリアの序曲とベルク最晩年の傑作が並 び、ウィーンで活躍した2人の作曲家、そして ウィーン音楽の黄金期の始まりと終わりが、 巧みなプログラミングに光る マエストロ下野の魅力 モーツァルトとベルクで シリアスなテーマに挑むAプロ

Tatsuya Shimono

(3)

150年の時を超えて相接する。  今回はすべてがシリアスだ。モーツァルトの 《イドメネオ》は、息子イダマンテを生贄に捧 げねばならない王イドメネオの苦悩と、イダ マンテを救うトロイアの王女イリアの愛を描い た物語であり、ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》 は、20歳を迎えずに早世した、マーラー未亡 人と再婚相手グロピウスの娘マノンのための レクイエム。前半をあえてくくれば、「息子や 娘の死」が通底している。また、モーツァルト の《皇帝ティートの慈悲》は、皇帝を暗殺せん とする廃帝の娘ヴィテッリアが鍵を握り、ベル クの《ルル》は、奔放な行為のあげくに殺され るルルの物語。後半は「魔性の女」がテーマ と言えなくもない。  音楽的には、ニ長調の主音やハ長調の主 和音で始まる作品と、十二音技法を用いた 作品が対照され、150年の変化の実態が示 される。モーツァルトのオペラ・セリア序曲の 重厚な音楽は、N響のサウンドともマッチしそ うだし、ブッファの序曲に比べて演奏機会が 少ないこれらの作品を、下野がいかなるテン ポや表情で聴かせるかが注目点。ベルクの 作品では、下野の明快な解析や構築が良き 効果を発揮し、両曲の名作たるゆえんを実 感させられるであろう。加えて、コンクールで 実績を挙げた後の進境が著しいヴァイオリニ スト、クララ・ジュミ・カン、ルル役で成功を収め ているソプラノ、モイツァ・エルトマンと、「いま 耳にしたい」ソリストが2人登場する点も、興 味の幅を広げる。  下野のプログラミングの妙、そしてN響と の緊密な音楽作りから、終始耳を離せない 公演だ。 [しばたかつひこ/音楽評論家]  1969年鹿児島県生まれ。鹿児島大学教育学部を卒業後、桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室、イタ リアのキジアーナ音楽院、ウィーン国立音楽大学などで指揮を学ぶ。2000年東京国際音楽コンクール 指 揮〉、2001年ブザンソン国際指揮者コンクールの優勝で脚光を浴びて以降、国内の主要楽団へ定期的に招 かれ、ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団など、海外の著名楽 団にも多数客演。2006年から読売日本交響楽団の正指揮者、2013年から2017年3月まで同楽団の首席 客演指揮者を務めた。さらには2011年広島ウインドオーケストラの音楽監督、2014年京都市交響楽団の常 任客演指揮者に就任(2017年4月から常任首席客演指揮者)。2017年4月には広島交響楽団の音楽総監督に 就任した。近年はオペラでも活躍。霧島国際音楽祭、サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本 フェスティバル)など、音楽祭への参加も数多い。京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻教授。  NHK交響楽団には2005年以来たびたび客演。今回は2シーズン連続の定期公演出演となる。[柴田克彦] プロフィール

Tatsuya Shimono

(4)

Christoph Eschenbach

 揺るぎない芸術的信念と次世代演奏家へ の愛ある眼差し。今どきの「見せる」タクトで はなく、無骨といえば無骨なのだが、この人 の音楽にはブレがない。語り口は独特だが、 筋が通っている。  指揮者としては働き盛りの77歳。孤高の 存在感を誇るクリストフ・エッシェンバッハは 今年5月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 恒例の「夏の夜のコンサート」の指揮台に招 かれ、オペラ・バレエの調べや歌曲を交じえ たスラヴの名曲に腕を揮った。最近リヒャル ト・シュトラウス《歌劇「ばらの騎士」》の侯爵 夫人で名唱を披露した、メトロポリタン・オペ ラの女王ルネ・フレミングとの共演だった。  ジョン・ウィリアムズの映画『ハリー・ポッ ター』の〈ヘドウィグのテーマ〉もプログラムに 含まれていた。アンコールはスメタナ《歌劇 「売られた花嫁」》の〈旅芸人たちの入場と 道化師の踊り〉、それにヨハン・シュトラウス2 世の《ワルツ「ウィーンかたぎ」》で、指揮者とし てのキャリア早45年のエッシェンバッハの顔 も思わずほころぶ。  シェーンブルン宮殿庭園でのウィーン・フィル 「夏の夜のコンサート」への出演は、3年ぶ り2度目だった。エッシェンバッハと同フィルは 2003年5月、ブルックナー《交響曲第7番》を仲 立ちに出逢い、以来ウィーン楽友協会での公 演や音楽祭はもとより、ヨーロッパ、アジアへの ツアーでも共演を重ねている。BBCプロムス

Christoph Eschenbach

クリストフ・エッシェンバッハ

指揮者

アニ

無骨

鬼才

音楽

© E ric B ris sa ud

今月のマエストロ

(5)

Christoph Eschenbach

クリストフ・エッシェンバッハ

の大会場を沸かせたブルックナー《交響曲第 8番》(2005年)、日本でも披露したブルックナー 《ロマンチック》(2011年)、ウィーン国立歌劇場 での《カプリッチョ》(2013年)、ザルツブルク音 楽祭の《ドン・ジョヴァンニ》(2014年)もあった。  10年前、パリ管弦楽団(首席指揮者在任: 2000∼2010)との公演中に話を聞いた。  「たくさんの音楽を愛しています。近代のフ ランス音楽では、まずルーセル。ドイツ系では シューベルト、シューマン、リスト、ワーグナー、 ブルックナー、ブラームス、ヨハン・シュトラウ ス、マーラー、シェーンベルク、ヒンデミット。 ウィーン古典派は挙げなくていいですよね。 ロシア音楽もレパートリーです」  公式指揮者デビューは1972年4月、ハンブ ルクでのブルックナー《交響曲第3番》とのこ と。その3年後にはサンフランシスコ交響楽 団を指揮しアメリカ・デビューも果たす。1980 年代以降は、ロンドン・フィルハーモニー管弦 楽団の首席客演指揮者、チューリヒ・トーン ハレ管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者、 ヒューストン交響楽団の音楽監督、90年代 はシカゴ交響楽団の夏のフェスティヴァルで あるラヴィニア音楽祭の音楽監督、NDRエ ルプフィルハーモニー管弦楽団(旧北ドイツ放 送交響楽団)の首席指揮者を歴任。2010年 から2017年夏までワシントン・ナショナル交 響楽団と、同響の本拠地であるジョン・F・ケ ネディ・センターの音楽監督を務めた。  2007年のインタビューに戻す。  「フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督(在 任:2003∼2008)を兼 務し、ドイツでは 教 育音楽祭でも指揮しています。札幌のPMF (1990年代にマイケル・ティルソン・トーマスと共同 で芸術監督)については、あなたもよく知って いるでしょう」。  ドイツの音楽祭。それは1986年、エッシェ ンバッハの盟友でもあったピアニストのユス トゥス・フランツが、北部のシュレスヴィヒ・ホル シュタイン州に創設した音楽祭だ。アメリカの タングルウッドやアスペンと並び称される国際 教育音楽祭で、エッシェンバッハは次代を担 う若手演奏家が顔を揃えたシュレスヴィヒ・ホ ルシュタイン音楽祭オーケストラアカデミーの 育成に尽力する。この夏、同オーケストラは 創設30周年を寿ぎ、メシアン《トゥランガリラ 交響曲》に挑んだ。指揮はもちろんエッシェ ンバッハに委ねられている。  次世代に手を差し伸べるといえば、10年 前にはこんなこともあった。舞台は2007年 指揮者としての充実したキャリアと 次世代への慈愛 歌心あふれる ピアニストとしての顔

(6)

の北九州国際音楽祭。筆者は当時この音 楽祭のミュージック・アドヴァイザーを仰せつ かっていた。同年のメインはエッシェンバッハ 指揮パリ管弦楽団による《幻想交響曲》で、 マエストロを芸術上の父と仰ぐラン・ランによ るベートーヴェン《ピアノ協奏曲第4番》もプロ グラムされていた。深い絆で結ばれたふたり。 これは千載一遇のチャンスだ。  会場入りしたエッシェンバッハに、協奏曲 後のアンコールに連弾をリクエストする。マ ネージャーを通じ事前にお願いはしていたの だが、やはり直接話をしないことには何も始 まらない。エッシェンバッハ曰く「あなたの熱 意はわかった。練習用のピアノを用意してほ しい」。ラン・ランとのまさかのシューベルトの 連弾演奏に北九州・小倉のホールは沸きに 沸いた。パリ管弦楽団副コンサートマスター の千々岩英一氏も後日「あのアンコールは印 象に残っています」と短文を寄せて下さった。  近年エッシェンバッハは、バリトンのマティ アス・ゲルネとシューベルトの《美しい水車屋 の娘》《白鳥の歌》《冬の旅》に想いを寄せ、 ザルツブルク音楽祭、ミラノ、パリ、ニューヨー クで共演。レコーディングも続けてきた。珠 玉のドイツリートと呼応させるべく、崇高な歌 と美に彩られた《ピアノ・ソナタ第21番変ロ長 調》も弾いている。  Bプログラムで弾く(!)のは、可憐なモー ツァルトだ。歌への憧れに満ち、室内楽ふう の創りも魅力となるイ長調のコンチェルトは、 声高に申すまでもなく、彼の十八番である。  指揮者としては定期公演初登場となるクリ ストフ・エッシェンバッハ。77歳の名匠が選ん だのは、ブルックナーの長篇とともに、ここぞ という場面で演奏・録音してきたブラームスの 交響曲で、ミニ・チクルスの趣。満を持しての ブラームスというわけだが、エッシェンバッハ は内なる烈しさを「まとった」鬼才である。もと より予定調和を愛でるマエストロではない。  ブラームスの喜び、再発見の旅に誘ってく れるのではないか。 [おくだよしみち/音楽評論家]  2017年2月に77歳を祝った。最高峰のオーケストラ、オペラハウス、音楽祭を行き来する名匠で、最近もウィー ン・フィルハーモニー管弦楽団、ミラノ・スカラ座などに客演。とくにウィーン・フィルとは密接な関係を築いている。  1940年ドイツ、シレジアのブレスラウ(現ポーランドのヴロツワフ)生まれ。1965年のクララ・ハスキル国際ピアノ・ コンクール(スイス)などに優勝。トップ・ピアニストとして活躍後、1970年代前半から指揮活動を本格化させる。  これまでにチューリヒ・トーンハレ管弦楽団、ヒューストン交響楽団、ラヴィニア音楽祭、NDRエルプフィルハー モニー管弦楽団(旧北ドイツ放送交響楽団)、パリ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団などの要職を歴任。 2010年から2017年夏までワシントンのジョン・F・ケネディ・センター並びにワシントン・ナショナル交響楽団の音 楽監督を務めた。1979年、ギュンター・ヴァントの指揮でベートーヴェン《ピアノ協奏曲第1番》を弾き、NHK交 響楽団定期公演に初出演。1987年にはブラームス《ピアノ協奏曲第1番》を弾き、ツィモン・バルトが弾いた同 《ピアノ協奏曲第2番》の指揮も行ったが、定期公演を指揮するのは今回が初めて。[奥田佳道] プロフィール

(7)

指揮]下野竜也

ヴァイオリン]クララ・ジュミ・カン

ソプラノ]モイツァ・エルトマン

*

コンサートマスター]伊藤亮太郎

[conductor]

Tatsuya Shimono

[violin]

Clara-Jumi Kang

[soprano]

Mojca Erdmann*

[concertmaster]Ryotaro Ito

PROGRAM

A

第1867回

NHKホール

10/14

6:00pm

10/15

3:00pm

NHK Hall

Concert No.1867

October

14

(

Sat

)

6:00pm

15

(

Sun

)

3:00pm

モーツァルト

歌劇「イドメネオ」序曲[

5

Wolfgang Amadeus Mozart

(

1756–1791

)

Idomeneo

, opera K.366–Overture

ベルク

ヴァイオリン協奏曲

「ある天使の思い出のために」

27

Ⅰアンダンテ― アレグレット Ⅱアレグロ― アダージョ

Alban Berg (

1885–1935

)

Violin Concerto

Ⅰ Andante–Allegretto Ⅱ Allegro–Adagio

モーツァルト

歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲[

5

Wolfgang Amadeus Mozart

La clemenza di Tito

,

opera K.621–Overture

ベルク

「ルル」組曲

*

35

Ⅰロンド Ⅱオスティナート Ⅲルルの歌 Ⅳ変奏曲 Ⅴアダージョ 

Alban Berg

Lulu–Suite

* Ⅰ Rondo Ⅱ Ostinato Ⅲ Lied der Lulu Ⅳ Variationen Ⅴ Adagio

・・・・ intermission ・・・・

(8)

 ドイツ、ハンブルクの生まれ。ケルン音楽大学で学ぶ。2002年、ベルリ ンでのドイツ連邦コンクール声楽部門で優勝し、同時に現代音楽特別賞も 受賞。ベルリンを中心に本格的な歌手活動を始める。  2006年8月、モーツァルト《ツァイーデ》のタイトルロールでザルツブルク 音楽祭に初出演、2014年8月にはR.シュトラウス《ばらの騎士》のゾフィー を歌う。2011年10月、モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》のツェルリーナ役 でメトロポリタン歌劇場に初出演。2012年、初役となるベルリンでのベルク《ルル》(ウンター・デン・リンデ ンの国立歌劇場が改修中だったためシラー劇場での公演)のタイトルロールが絶賛される。現代音楽にも力を 入れており、2009年5月、シュヴェツィンゲン音楽祭でのリーム《プロセルピナ》初演ではタイトルロール を務め、この公演を権威ある『オーパンヴェルト』誌の年間最優秀初演賞へと導いている。  美声、深い知性、美貌を兼ね備えたエルトマンはオペラのみならず演奏会や歌曲と幅広く活躍している。  NHK交響楽団とは2014年1月、オルフの2作で初共演している。 [吉田光司/音楽評論家]

モイツァ・エルトマン(

ソプラノ

 マンハイム出身の韓国系ドイツ人ヴァイオリニストで、2009年ソウル国際 音楽コンクールのヴァイオリン部門優勝を手始めに、ハノーファー国際ヴァイ オリン・コンクール第2位、2010年仙台国際音楽コンクール優勝、並びにイ ンディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクール優勝など、多くの受賞歴を誇る。 なおJumiはドイツ語風のユミではなく、ジュミと発音して欲しいと語る。  ヴァレリー・グラドフに手ほどきを受けた後、名教師ザハール・ブロン、ドロ シー・ディレイ、キム・ナムユンのもとで学ぶ。またミュンヘンで名ヴァイオリニスト兼指揮者のクリストフ・ ポッペンから教えを受けた。2012年、カーネギー・ホールの大ホール「スターン・オーディトリアム」にリサ イタル・デビュー(ピアノ:ソン・ヨルム)し、好評を博す。近年ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場 管弦楽団、ギドン・クレーメル指揮クレメラータ・バルティカ、チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー 交響楽団などと協奏曲を弾いた。恩師ポッペンとの共演も多い。NHK交響楽団定期公演初登場。  1708年製のストラディヴァリウス「エクス・シュトラウス」をサムスン文化財団より貸与されている。 [奥田佳道/音楽評論家]

Program A

|SOLOISTS

クララ・ジュミ・カン(

ヴァイオリン

© M ar co B or gg re ve © Fe lix B ro ed e

(9)

 《イドメネオ》(K.366)はミュンヘン宮廷劇場からの依頼で作曲、

1781

1

29

日に謝肉 祭期間の主演目として初演された(2月5、12日再演)。ギリシャ神話に基づく物語(ジャンバッ ティスタ・ヴァレスコ台本)は、クレタ島の王イドメネオがトロイア戦争終結後の帰路、海で嵐に遭 遇し、海神ネットゥーノに助けられるが、引き換えに息子の王子イダマンテを生贄にせねばな らなくなり、それが 藤と苦悩を生み出す、というもの。故郷ザルツブルクでは大司教コロレー ド伯爵との関係は決して良好でなく、他への転職もままならなかった当時のウォルフガング・ アマデウス・モーツァルト(1756∼1791)にとって、ミュンヘンからの依頼はまさに干天の慈雨。 当時ヨーロッパ随一の楽団を有したマンハイムのカール・テオドール選帝侯がバイエルンに移 り、楽団の主力楽員はこぞってミュンヘン宮廷へ転籍していた。

1777

1778

年のマンハイ ム滞在中に親しく交流した音楽家たちとの再会もモーツァルトを高揚させたに違いない。果 たして、《イドメネオ》は圧倒的な完成度と緻密さを誇る一大傑作となったのである。  序曲(4/4拍子、アレグロ、ニ長調)は、モーツァルトのオペラ・セリア系列の序曲では初めて 単一楽章を採る。トランペットとティンパニを伴う華やかなファンファーレ風主題は、開幕ベ ルに似た機能を果たすとともに、イドメネオ、そして初演時の客席にいた選帝侯を始めとす る貴族達の威厳を表すと言って良いだろう。特に弦楽器が俊敏に広い音域を動き回る場 面が散見されるのは、イドメネオの苦悩の動機となった海の情景と関連づけられるかもし れない。また、副次的な主題のように現れる短調の楽節は苦悩の象徴であろうか。この序 曲はオペラ本体からの主題などの引用が見られないとはいえ、聴き手を物語の世界へ引 き込む魅力を備えているのである。なお、序曲の最後は完全に終止をせず、トロイアの王女 イリアが国や家族を失ったにもかかわらず、敵方の王子イダマンテを愛してしまった苦悩を 独白する第

1

幕冒頭へと直接繫がるように工夫されている。 [安田和信]

Program A

モーツァルト

歌劇「イドメネオ」序曲

作曲年代 おそらく1780年の秋にオペラ全体の作曲開始。だが序曲は全体の作曲が終わってから書くのが普 通であったから、総稽古の始まる1780年12月5日以前か、総稽古の期間中に成立したと思われる 初演 1781年1月29日、ミュンヘン宮廷劇場にて 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ1、弦楽

(10)

 ウィーンの作曲家アルバン・ベルク(1885∼1935)は、

1935

年夏、ある少女の死に捧げる ヴァイオリン協奏曲を書き上げる。この曲を献呈された「天使」とは、アルマ・マーラーと彼女 の

2

人目の夫ワルター・グロピウスとのあいだに生まれた娘マノン・グロピウスであった。ベル ク夫妻もたいそうかわいがっていたマノンは、

1935

4

月に病のため

18

歳でこの世を去って しまう。《協奏曲》は

2

部から構成されており、前半は天使のような美しい少女を、後半は襲 いかかる病、そして死を描く、というプログラムをベルク自身が示唆している。第

2

部後半に織 り込まれたバッハのコラールの旋律は、マノンへのレクイエムという印象を一層強めている。  ベルクがこの曲に着手したのは、

1935

2

月のことであった。アルノルト・シェーンベルク の下で十二音技法を学んだベルクは、ヴァイオリンの開放弦をなぞるソ─レ─ラ─ミのモ チーフと三和音の連鎖とを含む基本音列で全曲を構成し、無調と後期ロマン派的な浮遊 する調性感を巧みに接続するという、ベルクらしい変容の手腕を発揮している。しかし、そ の見事な基本音列も、全体の構成も、マノンの訃報以前に出来上がっていたことがベルク の書簡などから明らかになっている。すると、彼の最初の構想はどのようなものだったのか。  研究者からは、ベルクが自分の運命を表す数と考えていた「

23

」と曲の小節数とを関連さ せることで自身の生涯を回顧したのではないか、あるいは最初期のスケッチのメモからはナ チス・ドイツへの拒絶のメッセージが読み解けるのではないか、といった解釈も出されている。  真実は明かされないままに残されているが、いくつものモチーフの緻密な関係性のなかに 秘めた意味を重ねあわせたその音楽は、 めいた表情のままに不思議な魅力を放っている。 [澁谷政子]

Program A

ベルク

ヴァイオリン協奏曲

「ある天使の思い出のために」

作曲年代 1935年 初演 1936年4月19日、バルセロナ、国際現代音楽協会音楽祭。ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・ク ラスナー独奏 楽器編成 フルート2(ピッコロ2)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン1)、クラリネット3(アルト・サクソフォーン1)、バス・クラ リネット1、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、テューバ1、ティン パニ1、大太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、シンバル付き大太鼓、小太鼓、タムタム、ゴング、 トライアングル、ハープ1、弦楽、ヴァイオリン・ソロ

(11)

1791

9

6

日、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト

2

世がプラハにてボヘミア王としての戴 冠式に臨んだ。その祝賀のためのオペラとして初演されたのが、ウォルフガング・アマデウ ス・モーツァルト(1756∼1791)の《皇帝ティートの慈悲》(K.621)(ピエトロ・メタスタジオによる 台本をカテリーノ・マッツォラが大幅に短縮・改作)。同地のイタリア・オペラ監督ドメニコ・グァル ダゾーニは当初ウィーン宮廷楽長アントニオ・サリエリに作曲を委嘱しようとしたが断られ、

1787

年から宮廷作曲家を務めていたモーツァルトに白羽の矢が立ったのである。《イドメ ネオ》以来約

10

年ぶりのセリア系列のオペラ創作、しかも初演まで

2

か月もない時点(おそ らく

7

月中旬)での緊急の依頼であった。当時は《魔笛》(K.620)や《レクイエム》(K.626) の仕事も抱えており、《皇帝ティートの慈悲》の創作はまさに突貫工事だったと想像される が、円熟の極みにあるモーツァルトの筆はこの作品でも冴えている。  題名にある「ティート」とは

1

世紀、実在のローマ皇帝ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌ スのこと。物語は皇妃候補をめぐっての愛憎劇を軸として、皇帝暗殺未遂事件にまで発展 するが、ティートは周囲の裏切りにも慈悲をもって許し、幕となる。〈序曲〉(4/4拍子、アレグロ、 ハ長調)の主要主題では、《イドメネオ》にも似た華麗なファンファーレの前半部分に、強弱 の対比とクレシェンドが効果的な後半部分が続く。一方、フルートとオーボエが主導する柔 和な副次的な主題は、威厳を強調する主要主題との性格の差異を明確にする。《イドメネ オ》の〈序曲〉にはなかった展開部でおもに主要主題後半の弱音部分を扱った後、再現部 では副次主題に続いて主要主題が回帰し、皇帝の威厳と物語の大団円を暗示するかのよ うな堂々たる終結に至る。 [安田和信]

Program A

モーツァルト

歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲

作曲年代 モーツァルト自身の『全自作品目録』には1791年9月5日付で記入されている。依頼から初演までの 短さを考慮すれば、序曲は初演の直前に成立した可能性が高い 初演 1791年9月6日、プラハ国民劇場にて 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ1、弦楽

(12)

 後期ロマン派から無調、そして十二音技法へ。

20

世紀前半の音楽史に重要な功績を 残した新ウィーン楽派のなかで、アルバン・ベルク(1885∼1935)は《オペラ「ヴォツェック」》 で興行的な成功を手に入れ、《ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」》が広くレ パートリーとして定着するなど、ある意味で特異な存在であると言える。  《ヴォツェック》は

1925

年の初演以来、

20

世紀オペラの古典と評されてきた。「歌う声に よる伴奏付き大オーケストラのための交響曲」となってしまった楽劇から、オペラを「退屈な 劇」とすることなく、「人間の声に仕える芸術形式」へと取り戻すこと。そのためにベルクは 無調の語法の一方で、

3

15

場をそれぞれのドラマと結び付いた器楽形式によって構築す ると同時に、「ベルカントの発展の可能性」を追求しながら、さらにレチタティーヴォに代わる シュプレヒシュティンメの語る声を用いて、《ヴォツェック》を書いたのだった。  その理念は

2

作目のオペラである《ルル》にも、より拡大されて受け継がれている。前作と 同様にベルクは自らの手で、フランク・ヴェーデキント(1864∼1918)の

2

つの戯曲、『地霊』と 『パンドラの箱』を

3

幕の台本へと編纂した。それにより《ルル》のドラマは、第

2

幕の真ん中 を頂点に、世紀転換期を生きたファム・ファタル(フランス語で「運命の女」、すなわち男性を破滅 させる魔性の女のこと)であるルルが人生を登り詰め、そして凋落していくという、シンメトリー 構造のなかに置かれることになった。オペラの前半、ルルはその魅力で

3

人の夫たち(医事 顧問官、画家、シェーン博士)を次々と破滅させていく。そして彼らは後半、売春婦へと身を落 としたルルのもとに、

3

人の客(教授、黒人、ジャック)となって復讐にやって来る。このルルを 中心とする因果応報の世界を、ベルクは十二音技法によるオペラとして作曲した。ここでは ルルの音列から、すべての登場人物の音列が導き出され、《ヴォツェック》では場ごとであっ た器楽形式は、シェーン博士にはソナタ形式、その息子のアルヴァにはロンド形式と、登場 人物ごとに与えられている。さらに《ルル》における声は、全くの演劇的な語りからシュプレ ヒシュティンメ、そして歌にいたるまでの間の、さまざまなレベルを自在に行き来する。  《ヴォツェック》に続く《ルル》で、ベルクはさらなる飛翔を遂げるはずだった。

1929

年秋 に作曲が始まり、

1934

年春にはすべてのスケッチが完了。完成に向けて懸命にオーケスト レーションが進められるなかで、ベルクは

1935

4

月に《ヴァイオリン協奏曲》の委嘱を受け、 それを書き上げた後、同年

12

24

日にこの世を去った。すなわち《ルル》は、第

3

幕の始め

Program A

ベルク

「ルル」組曲

(13)

までしかオーケストレーションがおこなわれなかった。しかしながら僥倖と言えるのは、あ わせて《ルル組曲》が残されたことであった。これは本編の宣伝となるべく、

1934

11

月 にベルリンで初演されたもので、オペラから抜粋された

5

つの音楽のうち、最後の

2

曲は第

3

幕からとられている。第

3

幕についてはフリードリヒ・ツェルハによる補筆完成版が

1979

年 に初演されているが、実のところ今日まで、《ルル》は第

2

幕までを上演し、第

3

幕は《「ルル」 組曲》の第

4

曲と第

5

曲を演奏する、というやり方が続けられている。その意味において、未 完の《ルル》は《「ルル」組曲》によって完結されているとも言えるかも知れない。  第1曲〈ロンド〉 第

2

幕第

1

場および第

2

場のルルとアルヴァの場面の音楽から。アル ヴァはルルに母親を毒殺され、父親のシェーン博士を射殺されてもなおルルの虜になって いる。アルヴァの情熱的な性格がロンド形式と、サクソフォーンの音色によって表現される。  第2曲〈オスティナート〉 第

2

幕の第

1

場と第

2

場の間に上演されるサイレント映画のた めの音楽。オペラの内容を集約するように、映像はシェーン博士を殺したルルが逮捕され てから解放されるまでの出来事を映し出し、無窮動の音楽もシンメトリーに構成されている。  第3曲〈ルルの歌〉 第

2

幕第

1

場で歌われるルルのアリアで、オペラのすべてを生み出 すルルの音列によって歌い始められる。ヴェーデキントが徹底して「若くてかわいい印象」を 求めたルルに、ベルクはコロラトゥーラ・ソプラノの声を与えて応えた。  第4曲〈変奏曲〉 第

3

幕第

1

場から第

2

場への間奏曲。ヴェーデキント作のリュート・ソン グを主題とする、

4

つの変奏からなる。当時の町の広場には、手回しオルガンを鳴らしなが ら風刺的な歌を歌うベンケルゼンガー(大道歌手)たちの姿があった。  第5曲〈アダージョ〉 第

3

幕第

2

場の終局の音楽。第

3

の客である切り裂きジャックの登 場とともに始まるが、この音楽はルルとシェーン博士の場面の音楽に他ならない。ルルは 唯一愛したシェーン博士を殺し、シェーン博士と同じ歌手によって演じられるジャックに刺 し殺される。ルルの最期に、ルルに無償の愛を捧げたゲシュヴィッツ伯爵令嬢が寄りそう。 [石川亮子] 作曲年代 1929年秋から。オペラとしては未完に終わった 初演 《「ルル」組曲》としての初演は1934年11月30日、ベルリン国立歌劇場、リリー・クラウスのソプラノ、 エーリヒ・クライバーの指揮による 楽器編成 フルート3(ピッコロ3)、オーボエ3(イングリッシュ・ホルン1)、アルト・サクソフォーン1、クラリネット3(Esクラリネッ ト2)、バス・クラリネット1、ファゴット3(コントラファゴット1)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テュー バ1、ティンパニ1、大太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、小太鼓、トライアングル、タムタム、ゴ ング、ヴィブラフォーン、ピアノ1(連弾)、ハープ1、弦楽、ソプラノ・ソロ

(14)

Wenn sich die Menschen um meinetwillen umgebracht haben,

so setzt das meinen Wert nicht herab. Du hast so gut gewußt,

weswegen Du mich zur Frau nahmst, wie ich gewußt habe,

weswegen ich Dich zum Mann nahm. Du hattest Deine besten Freunde mit mir betrogen,

Du konntest nicht gut auch noch Dich selber mit mir betrügen.

Wenn Du mir Deinen Lebensabend zum Opfer bringst,

so hast Du meine ganze Jugend dafür gehabt.

Ich habe nie in der Welt etwas anderes scheinen wollen,

als wofür man mich genommen hat; und man hat mich nie in der Welt für etwas anderes genommen,

als was ich bin.

Lulu! Mein Engel!

Laß dich noch einmal sehen! Ich bin Dir nah!

Bleibe Dir nah! In Ewigkeit! 人がわたしのために自殺したとしても、 そんなことでわたしの価値は  下がったりはしない。 あなたにはよく分かっていたはず、 なぜわたしを妻にしたのか、 わたしにも分かっていたようにね、 なぜあなたを夫にしたのかを。 あなたはわたしのことで  あなたのよき友たちを騙したけれども、 わたしのことで  あなた自身まではうまく騙せなかった。 もしあなたが自分の晩年をわたしのために  犠牲にしているのならば、 そのためにあなたはわたしの青春のすべてを  手に入れたじゃないの。 わたしはこの世の中で  世の中が思った以上の人間でありたいと 思ったことは一度もないし、 世の中だって、 わたしがそうである以上に  わたしを受けとめたこともないでしょう。 ルル! わたしの天使! もう一度顔を見せて! そばにいるわ! ずっとあなたのそばにいるわ! 永遠に!

ベルク 「ルル」組曲 歌詞対訳

Berg Lulu-Suite

訳◎石川亮子|

Translation: Ryoko Ishikawa

3

曲|ルルの歌(

歌:ルル

III. Lied der Lulu

5

曲|アダージョ(

歌:ゲシュヴィッツ伯爵令嬢

(15)

指揮・ピアノ]クリストフ・エッシェンバッハ [コンサートマスター]ライナー・キュッヒル

[conductor & piano]

Christoph Eschenbach

[concertmaster]Rainer Küchl

PROGRAM

B

第1869回

サントリーホール

10/25

7:00pm

10/26

7:00pm

Suntory Hall

Concert No.1869

October

25

(

Wed

)

7:00pm

26

(

Thu

)

7:00pm

モーツァルト

ピアノ協奏曲

12

イ長調

K.414

27

Ⅰアレグロ Ⅱアンダンテ Ⅲロンド:アレグレット

Wolfgang Amadeus Mozart

(

1756–1791

)

Piano Concerto No.12 A major

K.414

Ⅰ Allegro Ⅱ Andante Ⅲ Rondeau: Allegretto

ブラームス

交響曲

1

ハ短調

作品

68

51

Ⅰウン・ポーコ・ソステヌート─アレグロ Ⅱアンダンテ・ソステヌート Ⅲウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラチオーソ Ⅳアダージョ― アレグロ・ノン・トロッポ、 マ・コン・ブリオ

Johannes Brahms (

1833–1897

)

Symphony No.1 c minor op.68

Ⅰ Un poco sostenuto–Allegro Ⅱ Andante sostenuto

Ⅲ Un poco allegretto e grazioso

Ⅳ Adagio – Allegro non troppo, ma con brio

・・・・ intermission ・・・・

(16)

 ウィーン時代のウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756∼1791)は主に自らの独奏 を想定した演奏会用ピアノ協奏曲を量産した。先陣を切った《ピアノ協奏曲第

12

番イ長調》 (K.414)、姉妹作の《第

11

番へ長調》(K.413)、《第

13

番ハ長調》(K.415)は

1785

1

月、同 地のアルタリア社から出版されている。協奏曲出版の関心が薄かった彼としては異例である。  初版譜に先立ち、

3

曲は手書き楽譜の予約販売が試みられた。

1783

1

15

日付 『ウィーン新聞』掲載の広告は

3

曲が「管楽器付の大管弦楽でも、

2

つのヴァイオリン、ヴィオ ラ、チェロの

4

声でも演奏可能」である旨を謳っている。管楽器を省き、最小で各声部

1

名 の弦楽合奏でも伴奏可能な協奏曲の出版は

18

世紀後半に広く行われた。この

3

曲も当時 の出版慣習に従って作曲されたのだろう。また、

1782

12

28

日付の父レオポルト宛書 簡で

3

曲について「簡単すぎるものと難しすぎるもののまさに中間で、非常に華麗です―耳 に快く― もちろん空疎にならず ― いろいろなところで ―専門家も満足できます― とはい え―専門家でない人も、理由を知らずにこれらに満足するはずです」と記しているのも、出 版を示唆するだろう。  第1楽章 アレグロ、

4/4

拍子、イ長調。寛いだ性格が際立つ。

2

種の主題は穏やかで、 強い対比を持たない。  第2楽章 アンダンテ、

3/4

拍子、ニ長調。ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735∼1782)の

1763

年に作ったあるオペラ序曲からの引用とされる穏やかな主題で始まる。これは

1782

1

1

日に亡くなったバッハの追悼と解釈されている。  第3楽章 ロンド:アレグレット、

2/4

拍子、イ長調。陽気なロンド。第

2

エピソードの後に 第

1

エピソードが再現され、カデンツァとなる点が変則的。 [安田和信]

Program B

モーツァルト

ピアノ協奏曲

12

イ長調

K.414

作曲年代 日付などを記した資料が現存せず不明。ただし、K.414の終楽章として作曲され始めたロンド イ長 調 K.386(未完)の自筆総譜は「1782年10月19日」の日付を持ち、遅くともこの年の秋に作曲が始 まったと推定されうる 初演 明確な記録がなく不明。作曲者主催の演奏会で取り上げられたのは間違いないだろう 楽器編成 オーボエ2、ホルン2、弦楽、ピアノ・ソロ

(17)

 《ドイツ・レクイエム》の完成によって偉大な創作の道筋をつけ、

3

曲の弦楽四重奏曲、《ピ アノ四重奏曲第

3

番》の完成をもって独自の作曲語法を確立したブラームス(1833∼1897) にとって、《セレナード》以来、

14

年ぶりに取り組んだ管弦楽作品《ハイドンの主題による変 奏曲》の後に残された課題は交響曲であった。  シューマンが《交響曲第

3

番「ライン」》(作品97)を完成した

1850

年からブラームスが《交 響曲第

1

番》を完成する

1876

年までの時期は交響曲の変革期ということができる。ベー トーヴェンののちに交響曲を作曲することの困難さを最も深く理解していたのがブラームス である。《第

1

番》の交響曲は最初の構想から完成までに約

20

年以上の年月を要した。ブ ラームスは

1855

年にハ短調の交響曲の構想をもち、

2

台のピアノ用のソナタをもとに交響 曲に仕立てる試みを行った。その後、

1862

年にクララ・シューマンに交響曲の第

1

楽章を送 り、それをピアノで弾いて聴かせており、クララは

7

1

日付の手紙でヨアヒムに次のように書 き送っている。「ヨハネスが少し前に私に最初の交響曲の第

1

楽章を送ってきました。どん なに驚いたことか。それは次のように大胆に始まります」。クララはこの文章に冒頭部分の 譜例を添えているが、そこには序奏はなく、フォルテでドが鳴らされた後、現在のアレグロの 部分から始まっている。続けてクララはこう記す。「それはちょっと難しいのですが、私はす ぐに馴染みました。楽章は素晴らしい美しさに満ち、モチーフは見事に扱われていて、ます ます巨匠らしさが彼の身についてきたようです。すべてがとても興味深いやり方で織り上げ られています」。しかし序奏部分を欠く第

1

楽章は完成稿における偉大でモニュメンタルな 性格からは程遠い。  

1862

年にクララの前で演奏して以降、

1876

年までこの交響曲の創作の進 をうかが わせる資料はない。

1868

年にクララの誕生日のためにブラームスはスイスからお祝いの手 紙に添えて、アルペンホルンの旋律を記す。その旋律はその後、第

4

楽章の序奏の主題に 採り入れられ、交響曲に崇高な気品を与えているが、

1868

年の時期はまだ交響曲との結 びつきはなかったと見られる。その後も、交響曲の作曲がブラームスの脳裏から離れるこ とはなく、さらに出版人のフリッツ・ジムロックからも「交響曲のことを忘れないように」との催 促を受けていた。ブラームスの逡巡は、ベートーヴェンの伝統の継承もさることながら、

19

世紀後半における交響曲創作の意義にあったと思われる。作曲の最終段階で第

1

楽章に

Program B

ブラームス

交響曲

1

ハ短調

作品

68

(18)

序奏が付加されて、この交響曲全体の性格が決定された。この作品の独自性のひとつは、 重々しいティンパニを伴う重厚な書法を駆使した序奏部分にあるといっても過言ではない。  ブラームスが《第

1

番》に本格的に取り組むのは

1876

年に至ってからで、同年

10

月、ブ ラームスはヨアヒムとジムロックへの手紙で同年

11

4

日の初演を約束する。作品を書き 上げると彼はピアノでクララの前で全楽章を弾いて聴かせる。それについてクララは日記に 「

10

日、ヨハネスが彼の交響曲全部を私に弾いて聴かせてくれました。私は悲しみ、打ち のめされたことを隠すことができません」と記している。作品は

1876

11

4

日、デッソフ 指揮でカールスルーエにて初演されたが、この時の楽譜は最終稿ではない。ブラームスは 初演後にパート譜を回収し、さらに推敲を重ねていったが、初演稿のパート譜の一部に回 収漏れがあり、図らずも今日初演稿を垣間見ることができる。つまり、第

2

楽章のヴァイオリ ンとヴィオラのパート譜が発見され、このパート譜をもとに初演時の響きが再現されている。 復元された初演稿はその響きや作品構成も完成稿とは異なる。  第1楽章 序奏ウン・ポーコ・ソステヌート─主部アレグロ、ハ短調、

6/8

拍子。壮大な 序奏で開始する。宿命的な印象を醸し出すティンパニの連打がこの交響曲の性格を決定 している。続いてアレグロの主部に入り、主要主題が提示される。楽章はソナタ形式で構 成され、主題の動機が入念に展開される。第

1

楽章は同じく序奏をもつ第

4

楽章とシンメト リックな構成となっている。  第2楽章 アンダンテ・ソステヌート、ホ長調、

3/4

拍子。初演稿は

ABACA

5

部分で 構成されていたが、初演後指揮者のデッソフの意見および彼の推敲を経て、出版譜では

ABA

の構成に改変された。  第3楽章 ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラチオーソ、変イ長調、

2/4

拍子。優美な楽章 で、間奏曲としての性格をもっている。彼の友人の指揮者ヘルマン・レヴィはこの楽章と第

2

楽章を「セレナードか組曲向き」と述べている。  第4楽章 序奏アダージョ─主部アレグロ・ノン・トロッポ、マ・コン・ブリオ、ハ短調(ハ長 調)、

4/4

拍子。序奏に続いて、主部はハ長調で素朴で堂々とした主題が提示される。ハ短 調の第

1

楽章に始まり、ハ長調でフィナーレを締めくくるという手法は、ベートーヴェンの《交 響曲第

5

番》を継承している。 [西原稔] 作曲年代 1855年、1862年、1868年、1876年 初演 1876年11月4日、第1回予約演奏会、オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷管弦楽団 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロン ボーン3、ティンパニ1、弦楽

(19)

指揮]クリストフ・エッシェンバッハコンサートマスター]篠崎史紀

[conductor]

Christoph Eschenbach

[concertmaster]Fuminori Maro Shinozaki

ブラームス

交響曲

3

ヘ長調

作品

90

40

Ⅰアレグロ・コン・ブリオ Ⅱアンダンテ Ⅲポーコ・アレグレット Ⅴアレグロ

Johannes Brahms (

1833–1897

)

Symphony No.3 F major op.90

Ⅰ Allegro con brio Ⅱ Andante Ⅲ Poco allegretto Ⅳ Allegro

ブラームス

交響曲

2

ニ長調

作品

73

47

Ⅰアレグロ・ノン・トロッポ Ⅱアダージョ・ノン・トロッポ Ⅲアレグレット・グラチオーソ(クワジ・アンダンティーノ) Ⅳアレグロ・コン・スピーリト

Johannes Brahms

Symphony No.2 D major op.73

Ⅰ Allegro non troppo Ⅱ Adagio non troppo

Ⅲ Allegretto grazioso (Quasi andantino) Ⅳ Allegro con spirito

PROGRAM

C

第1868回

NHKホール

10/20

7:00pm

10/21

3:00pm

October

20

(

Fri

)

7:00pm

21

(

Sat

)

3:00pm

NHK Hall

Concert No.1868 ・・・・ intermission ・・・・ ・・・・ 休憩 ・・・・

(20)

1883

年、ブラームス(1833∼1897)は

50

歳を迎えた。この年の夏をブラームスはライン 河に面した美しい保養地、ウィースバーデンで過ごした。ここでの休暇期間に作曲された 重要な作品がこの《交響曲第

3

番》である。この作品の作曲に取り組んでいた最中、ブラー ムスは友人のシュトックハウゼン主催の演奏会で

26

歳のコントラルト(現在のアルト)歌手の ヘルミーネ・シュピースと出会う。この女性の歌唱の素晴らしさと女性としての魅力にブラー ムスは心を揺さぶられ、やがてシュピースを結婚の対象として意識するようになる。しかし、 結婚まで踏み切ることはできなかった。

1892

年、シュピースは

35

歳の時、法律家と結婚す るが、その翌年、ウィースバーデンで急逝する。  ウィースバーデンからウィーンに戻った

1883

10

月、ドヴォルザークがブラームスを訪問す る。この時ブラームスは高く評価するドヴォルザークの来訪を大いに喜び、ドヴォルザークの 求めに応じて、この交響曲の第

1

楽章と第

4

楽章をピアノで演奏して聴かせている。新作の 交響曲を聴いたドヴォルザークは、「前の

2

つの交響曲を凌駕する」との感想を述べている。  《交響曲第

3

番》は作曲経過を示す資料の少ない作品で、伝記作家のカルベックは

1883

年夏には完成したと推測している。この時期に作品が一応、成立したのは間違いな いが、これは決定稿ではなく、その後さらに推敲が重ねられている。ブラームスの常として、 完成後、初演を含めて多くの演奏の折に改訂を重ね、初版が最終的な稿となる。この作 品の作曲にあたっては、最初の

2

曲の交響曲の他に、

2

曲の序曲や《ヴァイオリン協奏曲》 および《ピアノ協奏曲第

2

番》の作曲の経験が土台となっており、非常に熟達した動機労作 や対位法が駆使されている。それだけではなく、その後のブラームスの重要な表現手法と なる、長調と短調の融合や、非常に自由な転調、第

1

楽章の主題が第

4

楽章の最後に再 現されるなど、いわゆる循環主題的な手法など、随所に彼の卓越した創作手法の数々を 見ることができる。この交響曲では、シューマンの《交響曲第

3

番》やワーグナーの《タンホ イザー》からの影響も指摘されている。ブラームスは

1875

年に《タンホイザー》の第

2

幕の 自筆譜を手に入れ、作品を深く研究していた。要請を受けて作品はワーグナーに返却され るが、返礼として《ラインの黄金》の豪華装丁版の寄贈を受けている。作品は

1883

12

2

日、ウィーンにてハンス・リヒターの指揮でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演 された。

Program C

ブラームス

交響曲

3

ヘ長調

作品

90

(21)

 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ、ヘ長調、

6/4

拍子。管楽器群による力強い前奏に続い て、この動機を受けて低音楽器がファ─ラ♭─ファという上行の動機を奏し、それに対応し てヴァイオリンがファ─ド─ラ─ファという下行動機を奏して、見事にシンメトリックな作りを 示している。この冒頭部分はラ♭とラという半音関係をうまく使うことによってヘ長調と変ニ 長調の

2

つの調を自在に横断する自由さを獲得している。これはブラームスの新しい調感 覚と動機手法を示している。第

1

楽章冒頭の下行動機は、シューマンの《交響曲第

3

番》の 第

1

楽章で登場する動機と類似しており、その関連性が指摘されている。  第2楽章 アンダンテ、ハ長調、

4/4

拍子。全体で

134

小節の比較的短い楽章であるが ソナタ形式が土台になっている。まずクラリネットが主要主題を奏し、ファゴットがそれを支 える。この楽章の主題は弦楽器群と管楽器群が対話のように交代する形になっている。ク ラリネットとファゴットが弱音で主題を奏すると、そっと弦楽器群がそれに応える。《交響曲 第

1

番》以来、ブラームスの交響曲では管楽器が独特の役割を担っている。  第3楽章 ポーコ・アレグレット、ハ短調、

3/8

拍子。ブラームスの個性とも言えるメランコリッ クで深い叙情性を湛えた表現は、この第

3

楽章に見事に集約されていると言っても過言では ない。この楽章は

3

部形式で構成され、第

1

部でチェロによって奏される主題が、第

3

部では ホルンによって朗々と感動的に再現される。中間部は変イ長調で、夢想的な楽想である。  第4楽章 アレグロ、ヘ短調─ヘ長調、

2/2

拍子。このフィナーレは面白い始まり方をする。 第

3

楽章のハ短調の余韻を引き継いで、ドで開始するために、第

4

楽章は一瞬、ハ短調で あるかのような錯覚を与える。弦楽器群およびファゴットが同じ旋律を弱音の抑制された 音量で奏して、陰鬱な雰囲気で始まる。この楽章ではハ短調とハ長調、ヘ短調とヘ長調の 陰と陽の表現が効果的に用いられ、最後は明朗なヘ長調で締めくくられる。なお、楽章の 最後の部分で、弦楽器が第

1

楽章の冒頭の主題を静かに再現して作品全体を締めくくる。 [西原稔] 作曲年代 1883年夏 初演 1883年12月2日、ウィーン、楽友協会大ホール、第2回フィルハーモニー演奏会、ハンス・リヒター 指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロン ボーン3、ティンパニ1、弦楽

(22)

19

世紀ヨーロッパの作曲家たちの課題は「いかにしてベートーヴェンを超えるか」であっ た。特に交響曲の分野では、ベートーヴェンの

9

曲の交響曲の存在はあまりにも大きかっ たのである。ベルリオーズの標題交響曲やリストの交響詩は、ベートーヴェンが踏み込んだ 「人生の表現」という領域を、多彩な管弦楽法を駆使して追究したものである。他方にお いてブラームス(1833∼1897)は、彼らのように特定の内容表現は伴わず、あくまで純粋な 音の構築によってベートーヴェンを凌駕しようと考えたから、その困難はさらに大きかった。 こうして《交響曲第

1

番ハ短調》の完成(1876年9月)には、その構想からは

20

年、具体的に 最初のスケッチからは

14

年の歳月を要した。  大仕事を終えたブラームスは、翌

1877

年の夏を、オーストリア南部ケルンテン地方、ウェ ルター湖畔の保養地ペルチャッハで過ごした。そこでの彼は、《交響曲第

1

番》を

4

手ピアノ 用に編曲するかたわら、すでにこの《交響曲第

2

番ニ長調》の作曲に着手している。友人の 批評家ハンスリックに宛てて「ウェルター湖は処女のような土壌だよ。そこではメロディが飛 び交い、踏みつけないように用心する必要があるほどだよ」と書いているように、ブラームス は美しい自然に抱かれて、解き放たれたように美しい旋律を書き続けることができたので ある。しかし完成は秋に持ち越された。場所は南ドイツの保養地バーデン・バーデン近郊リ ヒテンタールである。この地は、ブラームスとクララ・シューマンが好んで滞在した所でもあり、 この時も出会いがあった。

10

3

日付のクララの日記には、次のような記載がある。「ヨハ ネスが今晩やって来て、彼の《第

2

交響曲ニ長調》の第

1

楽章を弾いてくれた。それは私を 大いにうっとりとさせてくれるものだった。その楽章は、創造性において《第

1

交響曲》の第

1

楽章よりも意義深いと思う。終楽章の一部も聴いた。私は喜びでいっぱいである。この 交響曲によって彼は、聴衆の前でも《第

1

番》以上の決定的な成功を得るだろう。音楽史も また、その独創性と素晴らしい仕事によって魅了されるだろう」。  クララの予想通り、

12

30

日、ウィーンでの初演は大成功を収めた。ところが翌

1878

1

10

日、ブラームス自身の指揮によるライプツィヒ、ゲヴァントハウスでの再演は失敗に終 わった。落胆したブラームスは、

1

13

日、出版社ジムロックへの手紙では、第

1

楽章を書 き直そうかと提案している。幸いにしてその改作は行われず、私たちはこの美しい第

1

楽章 をそのままの形で楽しむことができるのである。

Program C

ブラームス

交響曲

2

ニ長調

作品

73

(23)

 第1楽章は序奏を持たず、いきなり低弦による特徴的な基本動機(レ─ド♯─レ)と、ホル ンによる牧歌的な第

1

主題によって開始される。第

1

ヴァイオリンによって紡ぎ出される優し い旋律も、基本動機と関係している。ヴィオラとチェロが大らかに歌う第

2

主題はイ長調。第

2

主題部は歯切れの良い付点音符による新素材を得て盛り上がり、再び第

2

主題で締めく くられる。入念に構成された展開部、楽器法に工夫を凝らされた再現部を経て、徐々に消 え入るようなコーダが、ティンパニの弱奏によるロールをもって印象的に楽章を閉じる。  第2楽章のアダージョは、自由な構成による美しい緩徐楽章である。チェロが歌うロ長調

4/4

拍子の主要主題は、アウフタクト(弱起)から始まり、拍節と有機的なフレージングのず れが、微妙な美しさを生んでいる。

3

部形式の中間部は、嬰ヘ長調

12/8

拍子の明るく優雅 な楽想で始まるが、ロ短調の劇的な展開を経て、主要主題が回帰して再現部となる。  第3楽章はロンド形式だが、

2

つの中間部を持ったスケルツォとも考えられる。ただしここ では主要部がト長調

3/4

拍子、アレグレット・グラチオーソとゆったりした動きなのに対して、

2

つの中間部はどちらもプレスト・マ・ノン・アッサイと、速い動きであるところが常識の逆を 行っている。第

1

の中間部はト長調

2/4

拍子、第

2

の中間部はハ長調

3/8

拍子と変化に富 み、それだけいっそう主要主題の田園的な楽想への回帰が懐かしく感じられる。  第4楽章は、アレグロ・コン・スピーリトの軽快なフィナーレ。壮大なソナタ形式で構成され、

1

主題は冒頭から弦の斉奏で開始される。第

2

主題は、第

1

ヴァイオリンとヴィオラによっ て開始される大らかな賛歌として発展する。この主題は長いコーダにおいても中心素材と して用いられ、このブラームスの「田園交響曲」を、喜びに満ちて締めくくっている。  ブラームスは、《交響曲第

1

番》においては、同じハ短調で書かれたベートーヴェンの《交 響曲第

5

番「運命」》の超克を試みた。さらにこの《第

2

番》においては、ベートーヴェンの《第

6

番「田園」》の世界を、自分なりに発展させることを試みて、かつ成功したのである。 [ 口隆一] 作曲年代 1877年9月、バーデン・バーデン近郊リヒテンタールで完成 初演 1877年12月30日、ウィーンにてハンス・リヒターの指揮で 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、 ティンパニ1、弦楽

(24)

 黒白の絶妙な配分といい、動きのあるテイ ルといい、燕尾服ほど絵になる装いはないだ ろう。最近、オーケストラでも燕尾服が少しず つ着られなくなっているのは寂しいことであ るが、タキシードも詰襟も、あるいはその他の 服装も、伝統と洗練の極致を示すこの服装 に並び立つものはない、と私は思う。 くシ ﹂に

Ak ik o F uka i

楊洲周延『欧洲管絃楽合奏之図』(1889年〔明治22年〕、京都服飾文化研究財団所蔵)。燕尾服は明治初期に日本に 入ってきた。鹿鳴館ではたびたび洋楽の演奏会が開かれ、演奏者は洋装の正装、男性は燕尾服、女性はバスル・スタイルのド レスを着ている

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 燕尾服が今のような形に整ったのは19世 紀後半の英国。それ以前からの男性服の長 い伝統を各所に受け継ぎながら、テイル、白い ウエストコート(チョッキ)、胸を固く糊付けした ウィングカラーの白いシャツ(イカシャツ、イカ胸シャ ツ)、ホワイトタイ(白い蝶ネクタイ)、黒い側章が付 いたズボンという特徴ある服装となった。  夜会用礼装と格付けされる燕尾服が、英 語で、テイル・コート(tail coat / swallow-tail coat) と呼ばれるのは、その長い尻尾に由来して いる。ちなみにテイルがある最上級の礼装は 現在2つあり、ひとつが燕尾服で、もうひとつ がいわゆる日中用のモーニング・コート。2つ の大きな違いは、夜用と日中用の違いの他、 前身頃が直角に切り取られている燕尾服に 対して、モーニング・コートは斜めに切り取ら れ、また合わせるズボンがグレーの縞という 点である。モーニング・コートは、2017年の ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニュー イヤー・コンサートに登場して話題になったか ら、思い出される方も多いだろう。  このウィーン・フィル・スーツのデザインを担当 したのは、イギリスのデザイナー、ヴィヴィアン・ ウエストウッドと彼女のパートナーでオーストリ ア出身のアンドレアス・クロンターラーだった。 ヴィヴィアンが、伝統や既成概念を打ち破っ て名を挙げたことは広く知られるが、ウィーン・ 2017年1月1日に発表されたウィーン・フィル・スーツ(Vivienne Westwood) 燕尾服の歴史

参照

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