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老いらくの恋 ︵大井田︶ はじめに   在原業平とおぼしい主人公の多岐にわたる恋愛を描く﹃伊勢物 語﹄にあって、つくも髪の老女との交流を語る第六十三段は、異 彩 を 放 っ て い る。 ﹁ す さ ま じ き も の︵ 冷 物 ︶﹂︵ 二 中 暦 ・ 十 列 ︶と さ れ る老女の懸想を戯画的に描きつつ、女を﹁なさけ﹂深く受け入れ る男の理想性が称揚される段といえよう。内容の特異さも手伝っ てか、正面から取り上げられることは少ないが、様々な示唆に富 む、重要章段の一つである。そもそも老女の恋という珍奇な話柄 は、必ずしも﹃勢語﹄独自の創意ではなく、多くの源泉が想定で きる。先行作品を摂取し、それらの模倣や踏襲にとどまることな く、物語は新たに何を語ろうとするのか。本稿では、表現や発想 の背景をたどりながら、六十三段の性格について考察したい。   まず、六十三段の全文を掲げよう。     昔、 世 心 づ け る 女、 ﹁ い か で、 心 な さ け あ ら む 男 に、 あ ひ 得てしがな﹂と思へど、言ひ出でむも頼りなさに、まことな らぬ夢語りをす。子三人を呼びて語りけり。二人の子は、な さ け な く 答 へ て や み ぬ。 三 郎 な り け る 子 な む、 ﹁ よ き 御 男 ぞ 出 で 来 む ﹂ と あ は す る に、 こ の 女、 け し き い と よ し。 ﹁ こ と 人は、いとなさけなし。いかで、この在五中将にあはせてし がな﹂と思ふ心あり。     狩し歩きけるに、行きあひて、道にて、馬の口を取りて、 ﹁ か う か う な む 思 ふ ﹂ と 言 ひ け れ ば、 あ は れ が り て、 来 て 寝 にけり。     さて後、男見えざりければ、女、男の家に行きて、垣間見 けるを、男、ほのかに見て、      百とせに一とせたらぬつくもがみ我を恋ふらし面影に見

老いらくの恋

──『伊勢物語』第六十三段とその周辺──

大井田

 

晴彦

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ ゆ    と て、 出 で 立 つ け し き を 見 て、 む ば ら、 か ら た ち に か か り て、家に来てうち臥せり。男、かの女のせしやうに、忍びて 立てりて見れば、女、嘆きて寝とて、      さむしろに衣片敷き今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む    と詠みけるを、男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり。     世 中 の 例 と し て、 思 ふ を ば 思 ひ、 思 は ぬ を ば 思 は ぬ も の を、この人は、思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむ ありける。 ﹁世心つける女﹂とは、好色心の持ち主である女、の意で、 ﹁心つ き て 色 好 み な る 男 ﹂︵ 五 十 八 段 ︶ の 評 言 に 近 い。 す で に 夫 と は 死 別しているのだろうか、年甲斐もなく、新しい男と情を交わした いと思ったというのである。もちろん、世間一般の男がこんな老 女に振り向くはずもなく、よほどの﹁心なさけ﹂ある男でなけれ ば相手などしてくれまい。孝行息子の三郎が白羽の矢を立てたの が、在五中将その人であった。   周知のように、主人公を﹁男﹂と朧化するこの物語にあって、 明確に﹁在五中将﹂と実名で呼ぶのはこの章段のみである。増補 を 経 た 新 し い 章 段 と み ら れ る が、 そ れ だ け に 既 知 の 主 人 公 の イ メージを踏まえつつ、理想化が進んでいるということであろう。 ﹁ 狩 し 歩 き け る に ﹂ と い う 設 定 も、 初 段 や 六 十 九 段 を 意 識 し て い よう。   と こ ろ で、 こ の 老 女 に つ い て、 ﹃ 和 歌 知 顕 集 ﹄ な ど の 古 註 で は、 小 野 小 町 を 指 す と す る。 荒 唐 無 稽 と し て 退 け る の は 容 易 だ が、小町説にはそれなりの根拠があるのである。     昔、 男 あ り け り。 ﹁ あ は じ ﹂ と も 言 は ざ り け る 女 の、 さ す がなりけるがもとに、言ひやりける、      秋の野に笹分けし朝の袖よりもあはで寝る夜ぞひちまさ りける     色好みなる女 、返し、      みるめなきわが身を浦と知らねばやかれなで海女の足た ゆく来る ︵第二十五段︶ この贈答は、語句の共有がまったく見られないという点で、異例 である。これは﹃古今集﹄恋三に連続して載せる業平・小町の、 本来は無関係な歌︵六二二・六二三︶を強引に贈答に仕立てたこ とに起因する。二人の歌人を好一対としようとする意図がうかが えるが、ことさらに﹁色好みなる女﹂と語っているのが注意され る。定家本には見られない、以下のような章段も参考になろう。     昔ありける 色好みなりける女 、あきがたになりにける男の もとに、      今はとて我に時雨のふりゆけば言の葉さへぞうつろひに ける    返りごと、      人を思ふ心の花にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ 二

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老いらくの恋 ︵大井田︶ ︵泉州本︶ 歌 句 の 小 異 は あ る が、 ﹃ 古 今 集 ﹄ 恋 五 の 小 町 と 小 野 貞 樹 の 贈 答 ︵七八二・七八三︶である。     昔、 色好み 、絶えにし人のもとより、      思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざら ましを ︵阿波文庫本︶ これは﹃古今集﹄恋二の小町の歌︵五五二︶ 。﹁夢﹂は小町歌の鍵 語であり、六十三段の﹁まことならぬ歌語り﹂にも関わってこよ う。 こ れ ら に 見 る よ う に、 ﹁ 色 好 み ﹂ の 女 と い え ば、 直 ち に 小 町 が連想されるので あ ︶1 ︵ り 、六十三段の嫗が、年老い零落した小町で あるという古註の理解を支えてもいる。六十三段を二十五段の後 日談として読む可能性を許容するものといえよう。   つくも髪の老女が男に恋を仕掛けるという、この章段は確かに 特異な印象を与えるけれども、老女の恋というテーマは、決して 珍 し い も の で は な い。 ﹃ 万 葉 集 ﹄ 以 来、 少 な か ら ぬ 用 例 を 見 る こ とができる。   ︵ア︶古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童児のごと ︵万葉集・巻二・一二九・石川郎女︶   ︵イ︶神さぶと否にはあらずはたやはたかくして後にさぶしけ むかも ︵同・巻四・七六二・紀郎女︶   ︵ウ︶百とせに老舌出でてよよむとも我は厭はじ恋は益すとも ︵同・巻四・七六四・大伴家持︶ ︵ ア ︶ は、 石 川 郎 女 が 大 伴 宿 奈 麻 呂 に 贈 っ た 歌。 年 甲 斐 も な く 幼 児 の よ う に 恋 に 沈 む 我 が 身 の あ り よ う を 自 嘲 的 に 詠 ん だ 歌 で あ る。 ︵ イ ︶ は、 紀 郎 女 が 大 伴 家 持 に 贈 っ た 歌。 年 老 い て 神 々 し く な っ た か ら と い っ て あ な た を 拒 む の で は な い、 そ れ は そ れ と し て、 こ う し て 拒 ん だ 後 で 淋 し い 思 い を す る こ と に な る の だ ろ う か、の意。なお、郎女は、続けて﹁玉の緒を沫緒に撚りて結べら ば あ り て 後 に も 逢 は ざ ら め や も ﹂︵ 七 六 三 ︶ と 詠 ん で い る が、 こ の 歌 は﹁ 昔、 心 に も あ ら で 絶 え た る 人 の も と に ﹂ と し て、 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 三 十 五 段 に 採 ら れ て い る。 ︵ ウ ︶ は、 家 持 の 返 歌。 あ な た が百歳となって、しまりのない口から老舌を出して、腰が曲がっ てしまっても、私は厭うことなどありません、恋心が益すことは あるにせよ、の意。老醜のさまが露骨に誇張されている点に面白 味があり、まさにつくも髪の老女の先蹤といえよう。もちろん、 石川郎女や紀郎女が実際に高齢であったか否かは問題でない。老 女の恋という奇抜な発想を持ち込むことで、機知に富む歌の応酬 が可能となり、社交の具としての相聞歌が著しい発展を遂げたこ とが重要なのである。こうした遊戯的な相聞歌の延長線上に、六 十 三 段 の 物 語 が あ る と お ぼ し い が、 こ の 段 に は、 随 所 に﹃ 万 葉 集﹄以来の相聞歌︵とりわけ、後期の家持周辺の︶の発想が色濃 三

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ くうかがえるのである。   六 十 三 段 の 発 端 に は、 嫗 が﹁ ま こ と な ら ぬ 夢 語 り ﹂ を し た と あった。   ︵エ︶我が思ひを人に知るれや玉櫛笥開きあけつと夢にし見ゆ る ︵巻四・五九一・笠郎女︶   ︵オ︶剣太刀身に取り添ふと夢に見ついかなるけそも君に逢は むため ︵同・六〇四・同︶ 右は、ともに家持への二十四首からなる贈歌のうちの二首。ちな み に 家 持 の 態 度 は そ っ け な く、 二 首 の 返 歌 が 残 る に 過 ぎ な い。 ︵エ︶の、 ﹁玉櫛笥開きあけ﹂たことを夢に見るとは、胸に秘めた 想 い を 世 の 人 に 知 ら れ て し ま っ た こ と の 暗 示。 ︵ オ ︶ の﹁ 剣 太 刀 ﹂ は 男 性 の 象 徴 で あ り、 そ れ を﹁ 身 に 取 り 添 ﹂ う 夢 を 見 る と は、 恋 人 の 訪 れ の 予 兆 で あ ろ う。 ﹁ う ち な び き 独 り し 寝 れ ば ま す 鏡 取 る と 夢 見 つ 妹 に 逢 は む か も ﹂︵ 古 今 六 帖・ 第 五・ 二 七 〇 二・ 作者未詳︶も同様の発想の歌である。いずれも夢の俗信にすがら ざるを得ない﹁待つ女﹂の苦しみのにじむ歌といえよう。六十三 段では、そうした夢を見ることさえ許されない女が夢語りを捏造 するところに、滑稽さと悲哀が生じてくるのである。   さ て、 老 女 を﹁ あ は れ が り て ﹂、 一 晩 を 共 に し た 在 五 中 将 で あったが、そのような不自然な関係が続くはずもなく、訪れは途 絶える。堪えきれなくなった嫗は、男のもとに出かけて行き、男 を垣間見する。女性が自ら出向くという、あり得ない設定は、笑 いを誘い、嫗の特異さをいっそう強く印象づける。女の姿を認め た 男 が、 素 知 ら ぬ ふ り を し 独 詠 を 装 っ た の が、 ﹁ 百 と せ に ∼﹂ の 歌である。これは前掲︵ウ︶の家持の歌を彷彿させる一方で、次 のような万葉歌と発想を共有している。   ︵カ︶陸奥の真野の草原遠けども 面影 にして見ゆといふものを ︵巻三・三九六・笠郎女︶   ︵キ︶夕さればもの思ひまさる見し人の言問ふ姿 面影 にして ︵巻四・六〇二・同︶   ︵ク︶かくばかり 面影 のみに思ほえばいかにかもせむ人目繁く て ︵同・七五二・大伴家持︶   ︵ケ︶夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし 面影 に見ゆ ︵同・七五四・同︶   ︵コ︶敷栲の衣手離れて我を待つとあるらむ子らは 面影 に見ゆ ︵巻十一・二六〇七・作者未詳︶ ﹁ 面 影 ﹂ の 語 は、 集 中 十 五 例 を 数 え、 い ず れ も 後 期 の 相 聞 歌 に 集 中している。これらの類型的な発想を踏まえて男は歌を詠む。も ちろん、嫗の姿を面影でなく実体と知っての上での演技である。 ここには、面影に関する俗信を相対化する、やや冷ややかで批評 的なまなざしが働いていよう。   ︵サ︶人はよし思ひやむとも玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも ︵巻二・一四九・倭大后︶ これは挽歌の例になるが、天智天皇崩御の際のもの。二十一段の 四

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老いらくの恋 ︵大井田︶ ﹁ 人 は い さ 思 ひ や す ら む 玉 鬘 面 影 に の み い と ど 見 え つ つ ﹂ は こ の 歌 の 改 作 で あ る。 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 中、 ﹁ 面 影 ﹂ の 語 は、 も う 一 例、 ﹁目離るとも思ほえなくに忘らるる時しなければ面影に立つ﹂ ︵四 十六段︶の和歌があるが、恋歌の要語を男性同士の贈答に転用し た点に機知が認められる。また、百十段も﹁面影﹂の語こそない が、同様の発想によっている。     昔、 男、 み そ か に 通 ふ 女 あ り け り。 そ れ が も と よ り、 ﹁ 今 宵、夢になむ見えたまひつる﹂といへりければ、男、      思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂むす びせよ   さて、今にも出かけようとする男の様子を見て、女は、慌てふ ためいて家へと戻る。男恋しさにずっと臥せっていたさまを装う のである。今度は、女が独詠し、男がそれを垣間見するという立 場 の 逆 転 が 見 ら れ る。 孤 閨 を か こ つ、 女 の 歌﹁ さ む し ろ に ∼﹂ は、 ﹁さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫﹂ ︵古 今 集・ 恋 四・ 六 八 九・ 詠 み 人 知 ら ず、 古 今 六 帖・ 第 五・ 二 九 九 〇・作者未詳︶の改作であるが、先行する類想歌として、以下の 万葉歌が挙げられる。   ︵シ︶我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に 衣片敷き 独りかも寝む ︵巻九・一六九二・人麻呂歌集︶   ︵ス︶泊瀬風かく吹く宵はいつまでか 衣片敷き 独りかも寝む ︵巻十・二二六一・作者未詳︶ これらの例からも﹃伊勢物語﹄六十三段が、後期万葉以来の相聞 歌の発想を強く受け継いだところで成立していることが確認でき よう。   第六十三段と万葉歌の関わりを考える上で、次の﹁みやびを﹂ 問答は逸することができない。   ︵セ︶遊士と我は聞けるを屋戸貸さず我を帰せりおその風流士   ︵ソ︶遊士に我はありけり屋戸貸さず帰しし我そ風流士にはあ る ︵巻二・一二六∼一二七︶ 長文の左註が、この贈答の事情を伝えている。大伴田主は﹁容姿 佳艶、風流秀絶、見る人、聞く者、嘆息せざるはなし﹂という美 男子であった。その田主に想いを寄せる石川郎女であったが、良 いつてに恵まれなかった。そこで郎女は、賤しい嫗に変装し、鍋 を 手 に 田 主 の 家 を 訪 ね る。 い わ く、 ﹁ 東 隣 の 貧 女、 火 を 取 ら む と して来たる﹂と。田主は、女の言葉通りに火を与え、そのまま帰 してしまった。仲人なしに押しかけたことを恥じ、願いが果たせ なかったことを恨んだ郎女が、詠んで贈った歌が︵セ︶である。 あなたのことを﹁みやびを﹂とうかがっておりましたのに、一夜 の宿も貸さずに私を帰してしまうとは、間抜けな﹁みやびを﹂で す ね、 く ら い の 意。 田 主 の 返 歌︵ ソ ︶ は、 私 こ そ﹁ み や び を ﹂ 五

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ だったのです、あなたの誘惑を退け宿を貸さなかった、この私こ そ正真正銘の﹁みやびを﹂だったのです、という意である。この 鸚鵡返しのような贈答の眼目は、両者の﹁みやびを﹂の語義のず れに求められる。すなわち︵セ︶では、恋の道に通じた風流人と い っ た 意 味 で あ る の に 対 し、 ︵ ソ ︶ で は、 道 徳 的 で 高 潔 な 人 士 と いった意味で用いているのである。   この問答は、実際に行われたものではなく、机上の創作、歌語 りといった性格のものであろう。大伴田主なる人物は、大伴安麻 呂の次男、旅人の弟、宿奈麻呂の兄に当たるが、実在したか疑わ しい。石川郎女と称する人物についても諸説あるが、複数存在す るようである。ここでは、多くの男性と浮き名を流す好色な女性 にふさわしいものとして石川郎女の名が選び取られたと見ておき た い。 周 知 の よ う に、 こ の 歌 語 り は、 漢 詩 文 の 影 響 が 顕 著 で あ り、とりわけ﹁登徒子好色賦﹂ ︵﹃文選﹄巻一九︶を下敷きとした ものと指摘されて い ︶2 ︵ る 。楚王に仕えていた登徒子が、宋玉を誹っ て 次 の よ う に い う。 宋 玉 と い う 人 物 は、 容 姿 は た い そ う 美 し く ︵﹁体貌閑麗﹂ ︶、弁舌さわやかで、しかも色好みです。後宮に出入 りさせてはなりません、と。宋玉は王に向かって、このように弁 明する。天下の美人が多い楚の国のなかでも、私の郷里、東隣に 住む娘が一番の美人です。この娘が垣根に上って私の様子をのぞ き 見 す る こ と 三 年 に な り ま す が︵ ﹁ 此 の 娘 牆 に 登 り て 臣 を 窺 ふ こ と三年なるも﹂ ︶、私はまだ承諾しておりません。しかるに、登徒 子 の 妻 は、 髪 は 乱 れ、 耳 は つ ぶ れ︵ ﹁ 蓬 頭 攣 耳 ﹂︶ 、 歯 も 欠 け て、 足もよろよろ、背も曲がっています。こんな妻との間に、登徒子 は五人もの子を儲けたのです。私と登徒子と、どちらが色好みと いうことになりましょうか、と。   ﹃勢語﹄六十三段が、 ﹃万葉集﹄を経由して、さらにその典拠 た る﹁ 登 徒 子 好 色 賦 ﹂ を 踏 ま え て い る こ と は 明 ら か で あ ろ ︶3 ︵ う 。 ﹁ 此 の 娘 牆 に 登 り て 臣 を 窺 ふ こ と 三 年 ﹂ が﹁ 女、 男 の 家 に 行 き て、垣間見ける﹂ 、﹁蓬頭攣耳﹂が﹁百とせに一とせたらぬつくも が み ﹂ に、 そ れ ぞ れ 対 応 し て い る の で あ る。 と り わ け 重 要 な の が、 ﹁体貌閑麗﹂の評言である。 ﹃三代実録﹄の業平の卒伝の有名 な 一 節﹁ 業 平 は 体 貌 閑 麗、 放 縦 に し て 拘 は ら ず ﹂ が 想 起 さ れ よ う。また、周知のように、六十九段は、唐代伝記﹃鶯鶯伝﹄を翻 案 し た も の だ が、 そ の 冒 頭 に は 次 の よ う に あ る。 ﹁ 性 温 茂、 風 容 美 し ﹂ と さ れ る 張 生 は、 ﹁ 年 二 十 三 に し て 未 だ 嘗 て 女 色 を 近 づ け﹂なかったが、それを冷やかした友人に﹁登徒子は色を好む者 にあらず。これ兇行あるのみ。余は真の色を好む者にして、適々 我に値はず﹂と、さながら宋玉のごとく答えた、という。   このように、六十三段における主人公は、大伴田主ひいては宋 玉を意識した造型がなされているが、女性への態度はおよそ対蹠 的であり、典拠から大きく離陸してゆく。男は老女を拒むことな く、寛大にも受け入れる。しかしこれは彼が漁色家ということを 意 味 し な い。 ﹁ な さ け ﹂ の な せ る わ ざ で あ る。 物 語 は、 こ の 男 を 六

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老いらくの恋 ︵大井田︶ ﹁ な さ け ﹂ 深 い﹁ み や び を ﹂ と し て 理 想 化 し て 語 っ て い る こ と に なる。   六十三段と同趣向の話として、十四段が挙げられる。東下りの 一章段である。陸奥国にたどりついた男を﹁せちに思﹂った土地 の 女 は、 ﹁ な か な か に 恋 に 死 な ず は 桑 子 に ぞ な る べ か り け る 玉 の 緒 ば か り ﹂ と い う 歌 を 詠 ん で よ こ し た。 ﹁ 歌 さ へ ぞ ひ な び た り け る ﹂ と い う の だ か ら、 人 柄 も 取 る に 足 り な い 女 と い う こ と で あ る。しかし男は﹁さすがにあはれ﹂と思い、一夜を共にする。こ こまでは男の情深さを語っているといえようが、しかし、女の無 知をよいことに﹁栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざと いはましを﹂と愚弄する歌を男は詠んだ。女は真意を解せず、大 喜びしたという後味の悪い章段である。この段では、むしろ野卑 なものを厳しく攻撃し、排斥しようとする﹁みやび﹂の苛酷で狭 量 な 側 面 が 強 調 さ れ て い よ う。 ﹁ ひ な び ﹂ を 退 け る こ と で、 む し ろ﹁みやび﹂はみずからを低い次元へと貶めてしまっている。本 段では、六十三段ほどには男の理想化はなされていない。   万葉歌や漢籍との関連から、この段を見てきたが、別の角度か ら見直してみよう。この段の基層には、より古代的・土着的な信 仰、あるいは祭祀的・神話的な発想といったものが横たわってい るのではあるまいか。   男 の 詠 歌﹁ 百 と せ に ∼﹂ に﹁ 我 を 恋 ふ ら し ﹂ と い う 句 が あ る が、これは、催馬楽﹁此の殿の奥﹂にも見え、老女の恋というモ チーフも共通している。     此の殿の   奥の   奥の酒屋の   うばたまり   あはれ   うば たまり   はれ   うばたまり   我を   我を恋ふらし   こさか   ごゑなるや   ごゑなるや 立派な御殿の奥にある酒屋で酒を造っている﹁うばたまり︵姥専 女 ︶﹂ が、 私 の こ と を 恋 い 慕 っ て い る よ う だ、 け れ ど も、 酒 太 り のようだね、太っているようだね、くらいの意。老いて醜くなっ た酒殿の女の懸想をからかった歌と考えられる。もとより神に献 ずる酒を醸造することは、神聖な行為であり、酒殿は祭祀の空間 であった。その酒をくすねているうちに酒太りしてしまった、と いうのが笑いを誘うが、神聖な酒造に奉仕するこの老女は、巫女 的な性格を帯びていよう。   老 女 の 恋 を テ ー マ に し た 催 馬 楽 を も う 一 つ 挙 げ よ う。 ﹁ 浅 水 ﹂ である。     浅水の橋の   とどろとどろと   降りし雨の   古りにし我を   誰ぞこの   仲人立てて   御許のかたち   消息し   訪ひに来る や   さきむだちや 老い衰えた遊女に、仲介する者があって、公達から手紙があった ことを歌っているのだろう。自分とは不釣り合いな、若い貴公子 七

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ との恋を自嘲する歌とおぼしい。この人物関係はあたかも六十三 段のそれによく似通う。   女の詠歌﹁さむしろに∼﹂も、見直してみよう。先述したよう に、これは、古今集歌﹁さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つら む宇治の橋姫﹂の下句を改めたものである。本来、宇治橋を守る 女神の信仰に関わる歌であったのだろう。とすれば、つくも髪の 老女には、男の来訪を待ち続ける女神・巫女の姿が重ねられても い る の で は な い か。 前 掲 の 紀 郎 女 の 歌︵ イ ︶ に も﹁ 神 さ ぶ ﹂ と あったように、老女には、普通の女性にはない神々しさ、呪的な 力が備わっていたらしい。   こ こ で 古 註 の 解 釈 を 参 照 し よ う。 ﹃ 冷 泉 家 流 伊 勢 物 語 抄 ﹄ は、 前掲の﹃和歌知顕集﹄と同様に、ユニークな解釈で知られる。六 十三段について、つくも髪の老女を文徳妃の紀静子︵名虎女、三 条町︶ 、三郎を惟喬親王に比定し、次のように説く。     百とせに一とせ足らぬつくもがみとは、必ず此時九十九に なるに非ず。五十八なり。つくもがみとは、百鬼夜行の事な り。 ︵ 中 略 ︶ 是 は 狸 狐 狼 等 の 獣、 百 年 生 き ぬ れ ば い ろ い ろ の変化となりて人にわづらひをあたふ。是は必ず夜ありきて 変化をなすゆゑに、夜行神ともいふなり。九十九といふ年よ り変化そむるなり。よりて百年に一年たらぬつくもがみとい ふ。女九十九にはあらねども夜ありきて業平をのぞきてわび しく心苦しき 喪 ワザハヒ をつくるゆゑに 付 ツ ク モ ガ ミ 喪神 といふなり。 古註の常として奇矯な説ではあるが、つくも髪の老女の巫女的な 性格、呪性を言い当てたものとして、一蹴するには惜しいものが あ る。 な お、 こ こ で 実 年 齢 を 五 十 八 歳 と 具 体 的 に 記 し て い る の は、 ﹃源氏物語﹄の源典侍が﹁五十七八の人﹂ ︵紅葉賀︶とされて いることと関係あろう。   老女の巫女性を考える上で、時代は遡るが、次の雄略記の話も 参考に な ︶4 ︵ る 。     また、一時、天皇遊び行して、美和河に到りましし時に、 河 の 辺 に 衣 洗 ふ 童 女 あ り。 そ の 容 姿 い と 麗 し く あ り き。 天 皇、その童女に問ひたまひしく、 ﹁なは誰が子ぞ﹂ 。答へ白し しく、 ﹁おのが名は、引田部の赤猪子とまをす。 ﹂しかして、 詔 ら し め た ま ひ し く、 ﹁ な は、 夫 に 婚 は ざ れ。 今、 喚 し て む﹂とのらして、宮に還りましき。かれ、その赤猪子、天皇 の 命 を 仰 ぎ 待 ち て、 す で に 八 十 歳 経 た り。 ︵ 中 略 ︶ 心 の 裏 に 婚はむと思ほししに、それはやく老いて、婚ひをえ成したま はぬことを悼みて、御歌を賜ひき。その歌に曰ひしく、      みもろの   厳白檮が本   白檮が本   ゆゆしきかも   白檮 原童女    また、歌ひたまひしく、      引田の   若栗栖原   若くへに   率寝てましもの   老いに けるかも    しかして、赤猪子が泣く涙、ことごとその服せる丹摺の袖を 八

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老いらくの恋 ︵大井田︶ 湿らしつ。その大御歌に答へて、歌ひしく、      みもろに筑くや玉垣   斎き余し   誰にかも依らむ   神の 宮人    また、歌ひしく、      日下江の   入り江の蓮   花蓮   身の盛り人   ともしきろ かも ︵二四二∼五頁︶ 雄略が童女を見初めたのが水辺であるというのも、いかにも聖婚 に ふ さ わ し い。 乙 女 の 名 の﹁ 赤 ﹂ は 聖 別 さ れ た 色、 ﹁ 猪 子 ﹂ は 霊 獣を意味し、やはり巫女性とかかわる。後半の﹁丹摺の袖﹂も、 巫女の衣の色である。雄略は赤猪子と婚約したものの、その約束 を 忘 れ て し ま っ た。 雄 略 の 言 葉 を 信 じ、 待 ち 続 け て い た 乙 女 は すっかり老女へと変貌し、ついに天皇に会いに行く。天皇は赤猪 子の貞節に感動しつつも、もはや結婚できないことを悲嘆するほ かなかった。天皇の歌﹁みもろの∼﹂は、三輪の神社の神聖な樫 の木のもと、その樫の木のように、忌み憚られることだ、三輪神 社の樫原童女は、の意。年老いて、神々しさを強めた赤猪子を、 その神聖さゆえに近づきがたい、とする。赤猪子の歌﹁みもろに ∼﹂は、三輪の神域で、築いている美しく立派な玉垣、神に斎き 過ごして年老いてしまった、これからは誰に頼ったらよいのか、 この神に仕える宮人は、の意。あらためて巫女であることを自認 し、かつ雄略を神として称えてもいる。   ﹃伊勢物語﹄より後の例では、 ﹃うつほ物語﹄ ﹁忠こそ﹂巻に 登場する一条北 の ︶5 ︵ 方 、あるいは﹃源氏物語﹄の源典侍なども、好 色 な 老 女 で あ り、 か つ 巫 女 性 を 備 え た 人 物 と し て 造 型 さ れ て い る。次に、源典侍について見てみよう。     年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく心ばせありて、 あてにおぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざ まにて、そなたには重からぬあるを、かうさだ過ぐるまで、 などさしも乱るらむといぶかしくおぼえたまひければ、戯れ 言いひふれてこころみたまふに、似げなくも思はざりける。 ︵ 中 略 ︶ こ の 内 侍 常 よ り も き よ げ に、 様 体 頭 つ き な ま め き て、装束ありさまいとはなやかに好ましげに見ゆるを、さも 古りがたうもと心づきなく見たまふものから、いかが思ふら むとさすがに過ぐしがたくて、裳の裾を引きおどろかしたま へれば、かはほりのえならず描きたるをさし隠して見返りた る ま み、 い た う 見 延 べ た れ ど、 目 皮 ら い た く 黒 み 落 ち 入 り て、いみじうはつれそそけたり。似つかはしからぬ扇のさま か な と 見 た ま ひ て、 我 が 持 た ま へ る に さ し か へ て 見 た ま へ ば、赤き紙の映るばかり色深きに、木高き森のかたを塗りか へしたり。片つ片に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなから ず。 ︵紅葉賀①三三六∼七頁︶ 老齢をも顧みず、色めかしく振る舞う源典侍ではあるが、桐壺聖 代の女官にふさわしく高貴な印象を与える人物で、和歌や琵琶に も堪能であるという。この老女と親しくなった光源氏は好奇心も 九

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ 手伝って、疑似恋愛を楽しむことになる。右の場面の数日後、夕 立のあとの温明殿で琵琶を弾く典侍と出逢った源氏は、和歌の応 酬に興じ、 さらには頭中将まで加わり、 一騒動となる。この舞台と なる温明殿とは、神鏡を奉置する神事祭儀の場であり、そこに仕 える典侍はまさに巫女の役割を担っているといえる。具体的な叙 述については省略に任せるが、典侍と源氏の一連のやりとりは、 御神楽の発想が根底にあるとする説が あ ︶6 ︵ る 。すなわち、庭火↓採 物↓前張↓明星という御神楽の進行をなぞるかのように、神なる 光源氏の来臨を、巫女の典侍が迎え入れるという神婚の構図が看 取できるのだという。そもそも源典侍という特異な人物が、なぜ 物語に導入されるのか。緊張した物語に小休止を入れ、笑いをも たらす、といった理由のみではあるまい。この直前には、藤壺が 皇子を出産したという重々しい場面がある。後に帝となる皇子を 儲 け た、 源 氏 と 藤 壺 の 関 係 は、 や は り 神 婚 と 見 る こ と が で き よ う。源典侍の挿話は、あらためて源氏の王者性・神性を確認し、 藤壺との関係を照射するものであった、と考えられるのである。   六十三段は、その内容の特異さが注目され、他の章段群とは関 連の希薄な、独立性の強い段として扱われてきたようである。当 段が、かなり後になってから増補されたとする理解とも関わって いよう。しかしながら、他の章段と関連づけてみることで、この 段の意義や性格があらためて明らかになることもあろう。前節に 見た源典侍の挿話が、藤壺物語と分かちがたい関係を有している の と 同 じ こ と が、 ﹃ 勢 語 ﹄ 六 十 三 段 に つ い て も 言 え る の で は な い か。 藤 壺 物 語 が、 ﹃ 勢 語 ﹄ 六 十 九 段 の 強 い 影 響 を 受 け て い る こ と は、よく知られている。六十三段/六十九段の関係が、源典侍の 挿話/藤壺物語のそれに対応するような図式が描けるのではある まいか。   六十九段の男が﹁鶯鶯伝﹂を介して、六十三段の典拠たる﹁登 徒子好色賦﹂へと遡り、宋玉の面影を宿していることは先に述べ た。 他 に も 両 段 の 類 似 は い く つ か 指 摘 で き る。 ま ず、 ど ち ら も ﹁ 狩 ﹂ が 男 女 の 出 会 い の 契 機 と な っ て い る 点。 ま た、 六 十 九 段 で は﹁ 小 さ き 童 を さ き に 立 て ﹂ て、 斎 宮 が 男 の 閨 へ と 通 っ て く る が、この童女は六十三段の三郎に対応しよう。女のほうから男を 訪 ね る と は 極 め て 異 例 で、 ﹁ 鶯 鶯 伝 ﹂ を 踏 襲 し た 設 定 だ が、 や は り六十三段のつくも髪の積極性に通ずるものがある。そもそも伊 勢神宮に奉仕する斎宮という存在じたい、巫女そのものである。 斎宮と通ずることは神をも恐れぬ振る舞いに他ならないが、ここ で注意されるのが業平を馬頭観音の化身とする﹃和歌知顕集﹄な どの解釈である。こじつけに過ぎないものの、業平を神仏に準え る発想は顧みられてよい。つまり、来臨する神と、それを迎え入 れる巫女という構図が、ここにも透けて見えるのである。神の立 十

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老いらくの恋 ︵大井田︶ 場にある男と巫女との一夜の逢瀬は、おのずと非日常的な性格を 帯びてくる。斎宮の詠歌は、対句の繰り返しが奏効し、茫洋とし た甘美な感覚を見事に伝えている。    君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか ﹁ 夢 ﹂ が 六 十 九 段 の 鍵 語 で あ る が、 六 十 三 段 に も、 偽 り で は あ る ものの﹁夢語り﹂の語があった。それにしても﹁君や来し我や行 きけむ﹂とは、六十三段の話の展開そのものではないか。この歌 に想を得て、敷衍されて六十三段が形成されたとみるのは穿ちす ぎであろうか。それはそれとして、両章段の親近性は明らかなよ う で あ ︶7 ︵ る 。﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ の 根 幹 を な す 斎 宮 と の 恋 物 語 を 照 ら し 出 すものとして六十三段はあり、両章段を併せ読むことが求められ るのである。   しかしながら、つくも髪や斎宮との交渉が、神婚の様相を呈し て い て も、 神 婚 そ の も の を 語 っ て い る わ け で は な い。 ﹃ 伊 勢 物 語﹄において、男は、雄略や光源氏のごとき、神や王者として造 型されてなどいない。神婚の枠組みを踏まえながらも、そうした 呪的な力はすっかり影を潜め、古代的な信仰は完全に揺らいでい る。あくまで、一人の人間の話として語り進めようとする。六十 三段では﹁まことならぬ夢語り﹂とあるように、夢への信頼もう か が え な い。 ﹁ 面 影 ﹂ に つ い て も し か り、 き わ め て 懐 疑 的 で 醒 め たまなざしが感じられよう。その結果が、男と老女の演技がかっ た振る舞いとなるのはむしろ当然のことであった。 むすび   本 稿 で は、 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 六 十 三 段 を 取 り 上 げ、 主 に 文 学 史 的 な 観点から論じてきた。万葉の相聞歌、歌謡、あるいは漢籍などの 表現と発想が何層にも積み重なりながら、一つの章段を形成して いる様相を明らかにしてきたつもりである。この段では、巫女的 な性格を有した老女との交渉の背景に、さまざまな古代的・土着 的 な 信 仰 や 発 想 が 纏 わ り つ い て い る こ と が 特 徴 的 で あ る。 し か し、そうした枠組みに寄りかかりつつも、物語は、古代的な発想 を す っ か り 退 け、 相 対 化 し て し ま う の で あ る。 物 語 は、 ﹃ 古 今 集﹄仮名序に語られた和歌の威力など、もはや信頼していない。 和歌の贈答を通して女性の心を深く揺り動かし、その魂を我がも のとする﹁いろごのみ﹂的な力を、この男は有してはいない。非 現実的な歌の威力が後退するのとさしかえに、より現実的な男の ﹁ な さ け ﹂ の 美 徳 が 強 調 さ れ て く る、 と い う 関 係 に な っ て い る の ではないか。   古伝承の型に寄り添い、装いつつも、それとは距離を置いた、 ある種の批評意識がここには見られる。その批評性とは、物語が 成長の過程で、おのずと育んできたものであるらしい。 キーワード老女、相聞歌、なさけ、面影、巫女 十一

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名古屋大学文学部研究論集 ︵文学︶ ︵ 1︶ ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ の﹁ 色 好 み ﹂ に つ い て は、 鈴 木 日 出 男﹃ 源 氏 物 語 虚 構 論 ﹄ ︵平成十五年、東大出版会︶第一篇第七章﹁ ︿いろごのみ﹀と和歌﹂を参 照。 ︵ 2︶ 郎女と田主の贈答における漢籍引用については、小島憲之﹃上代日本文 学と中国文学   中﹄ ︵昭和三十九年、塙書房︶ 、蔵中進﹁石川郎女・大伴 田主贈報歌﹂ ﹃万葉集を学ぶ   第二集﹄ ︵昭和五十二年、有斐閣︶など参 照。 ︵ 3︶ 六 十 三 段 の 漢 籍 引 用 に つ い て は、 今 井 源 衛﹁ ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の 形 成 │ 帚 木 巻 頭 を め ぐ っ て │ ﹂︵ ﹃ 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 ﹄ 平 成 六 年 三 月 ︶、 同﹁ 伊 勢 物 語 六 三 段 と 漢 文 学 ﹂︵ 福 井 貞 助 編﹃ 伊 勢 物 語 │ 諸 相 と 新 見 │ ﹄ 平 成 七 年、風間書房︶が詳しい。 ︵ 4︶ 雄 略 と 赤 猪 子 の 交 渉 に つ い て は、 鈴 木 日 出 男﹃ 王 の 歌 ﹄︵ 平 成 十 一 年、 筑摩書房︶第三章﹁雄略の恋と儀礼﹂参照。 ︵ 5︶ 一条北の方については、拙稿﹁一条北の方の造型│﹃うつほ物語﹄作中 人物覚書│﹂ ︵﹃物語研究会会報﹄二六号、平成七年八月︶で論じた。 ︵ 6︶ 鈴木日出男﹃源氏物語虚構論﹄第二篇第六章﹁源典侍と光源氏﹂ 。 ︵ 7︶ この問題について論じたものに、太田美知子﹁パロディとしての﹃伊勢 物語﹄六十三段﹂ ︵﹃國學院大學大学院文学研究科論集﹄三十二、平成十 七年三月︶がある。 * 本 文 の 引 用 は 、﹃ 伊 勢 物 語 ﹄﹃ 催 馬 楽 ﹄﹃ 源 氏 物 語 ﹄ は 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集︵ 小 学 館 ︶、 ﹃ 万 葉 集 ﹄ は 多 田 一 臣﹃ 万 葉 集 全 解 ﹄︵ 筑 摩 書 房 ︶、 ﹃ 古 事 記 ﹄ は 新 潮 日 本 古 典 集 成︵ 新 潮 社 ︶、 ﹃ 冷 泉 家 流 伊 勢 物 語 抄 ﹄ は 片 桐 洋 一 ﹃伊勢物語の研究   資料編﹄ ︵明治書院︶により、適宜表記を改めた。 十二

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老いらくの恋

︵大井田︶

十三

Abstract

An old woman in love:Chapter 63 of Ise Monogatari

Haruhiko Oida

Chapter 63 of Ise Monogatari is very strange and comical. In this chapter, an old woman, who was 99 years old, and called Tsukumogami, loved Zaigo Chuzyo (Ariwara no Narihira) passionately. He took pity on her and went and slept with her. His mercy (Nasake) is worthy of praise. Though funny, this chapter is very important. Because it has a deep connnection with chapter 69.

In Manyoushu, old women composed a lot of poetry, and they often sang about dream and image. Chapter 63 was written according to these poetry, and Zaigo took Sougyoku who was a chainese poet as a model.

Old women, for example, Hiketabe no Akaiko, Gen no Naishinosuke, have been regarded shamans. Tsukumogami was a shaman, too. The mariage of Zaigo and Tsukumogami seems that of god and shaman. But they had lost power of poetry. This chapter doubts of such folk belief. We can say that this chapter is a kind of a review.

参照

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