• 検索結果がありません。

Microsoft Word - SF4-40

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Microsoft Word - SF4-40"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

SF小説 「不思議な枕」第4部:ナザレのイーサー

著者:角茂谷 繁 (かくもだに・しげる) 40章 アレクサンドリア 39章で私(著者の角茂谷繁)は、大友猿若君の代わりに不思議な枕で眠り、夢 の世界でイーサー時代のマルヤム館に赴いた。イーサー(ヘブライ語では、イエ ス)時代のユダ王国の地図(紀元 6~70 年頃)を図 40.1 に示す。 図 40.1 イーサー(ヘブライ語では、イエス)時代のユダ王国の地図(紀元 6~70 年頃)。なお、当時のユダ王国では、国民の記述や会話はヘブライ語で行われ、国際 語はギリシャ語であった。

(2)

私がマルヤム館で眼を覚ますと少年イーサーになっていた。なお、当時のユダ王 国では、国民の記述や会話はヘブライ語で国際語はギリシャ語であった。神Bが私 の脳の中で言語翻訳機能として働いているので、私は古代ヘブライ語と古代ギリシ ャ語の読み書きが自由にできた。 朝食後、養父ユースフはマルヤム館の子供たちを集めて、いつものようにユダヤ 教の聖典の講義を始めようとした。その前に、私は養父ユースフに質問をした。 私「アバ。聖典に書いてあることは、総て真実なの?」(著者の注:「アバ」とは ヘブライ語で「お父さん」という意味です。) 養父ユースフ「もちろん、真実だよ。聖典を書かれた先生方は、エホバ神のお導き で聖典を書かれたのだから、誤りは微塵もないのです。これを、聖書の無謬性とい うんだよ。」 私「ボクはアバから沢山の聖典を学びました。でも、聖典に書いてある内容を考え て見ると、総てが真実とは言えないのではないか、とボクには思えるのです。」 養父ユースフ「具体的にはどんな事?」 私は、養父ユースフの問いに対して、「例えば、モーゼの出エジプト記に関して は、ボクは次のような点に納得が行かない」と言った。 ➀出エジプト記では、モーゼはエジプト王・パロにイスラエール民族の解放を願っ たが、パロは聞き入れなかった。そこで、エホバ神はモーゼを介してエジプト人に 十の災害(ナイルの水を血の色にした。蛙の害。ブヨの害。アブの害。疫病。すす の害。雹の害。イナゴの害。暗闇の害。エジプトの初子を全部殺した)を与えた。 ついに、パロはエジプトの神々がモーゼの神に敗北したことを認め、イスラエール 民族がエジプトを出ることを認めた。ボクの考えでは、「エホバ神はエジプト人民 に対して随分と酷い仕打ちをした」と思う。特に、「エジプトの初子を全部殺し た」ことはテロ行為で国際犯罪だ。もしボクがエホバ神なら、もっと賢明な方法で、 パロを説得したよ。 ➁出エジプト記では、モーゼは2百万人のイスラエール民族を率いて、エジプトを 脱出した。パロは多数の奴隷を解放したことを悔やんで、戦車部隊を動員してモー ゼ一行を追跡した。モーゼ一行が海岸に追い詰められた時、エホバ神は海を二つに 裂き、真ん中に乾いた地が現れた。イスラエール民族の全員が対岸に渡り終えた時、 エジプトの軍勢が海中の道を通ってイスラエール民族を追ってきた。その時、海は 元に戻って、エジプト軍は全滅した。ボクの考えでは、「2百万人ものイスラエル 民族全員が対岸に渡り終えるには、何日もかかる」と思う。その間に、逃げ遅れた イスラエール人たちはエジプト軍に虐殺されると思うよ。ボクは「2百万人という 人数は多すぎる」と思うよ。出エジプト記を書いた先生が、人数を勝手に水増しし たのでしょう。ボクは「出エジプトのイスラエール民族の人数は、千人前後が妥当 だ」と思うよ。 ➂出エジプト記では、モーゼ一行の2百万人はシナイの荒野を進んで行った。食料 が尽きかけたので、民衆は不満を言った。エホバ神は天からパンの一種であるマナ を与えて、この苦境を救った。ここでも、ボクは「2百万人という人数は多すぎ る」と思う。更に、ボクは「たとえエホバ神が2百万の人々に毎日食料を与えたと しても、2百万の人々が毎日出す糞尿の処理はどうしたの?」との疑問を持つよ。

(3)

➃出エジプト記では、モーゼはシナイ山に40日留まり、燃える柴の中にエホバ神 の臨在に遭遇した。このようなエホバ神の臨在を示す現象を「シャカイナグローリ ー」と呼ぶ。エホバ神はモーゼに「わたしはわが民を、エジプトから救い出し、乳 と蜜の流れるカナンの地に導こう。そのために、わたしはお前を選んだ」と言った。 エホバ神はモーゼに「十戒と律法」を授けた。シナイ山でエホバ神がモーゼを介し てイスラエール民族と結んだ契約を「シナイ契約」あるいは「モーセ契約」と言う。 シナイ契約は、「イスラエール民族が律法を守るなら、約束の地で祝福された生活 を送ることができる。もし従わないなら、裁きに遭うであろう」との内容であった。 ボクの考えでは、「エホバ神がモーゼだけに啓示を与えても、イスラエール民族の 総ての人々がモーゼの言い分を信用できるとは限らない」と思う。もしボクがエホ バ神なら、モーゼだけと闇取引をせず、イスラエール民族全員の前に姿を現して、 全員と正々堂々と契約を結ぶよ。 ➄出エジプト記では、モーゼがシナイ山に40日留まっている間、民衆の一部は不 安になり「金の子牛像」を作って、その前で歌い踊っていた。モーゼは「金の子牛 像を礼拝した者たちを殺せ」と命じて、約3千人を除いた。ボクの考えでは、「モ ーゼの方に責任がある。民衆を長期間にわたり放置しておくと、一部が不安になる のは当たり前だ」と思う。ボクは「皆を放置しておきながら、約3千人の不満分子 を処刑するのは、アンフェアーな大虐殺である」と思う。もしボクがエホバ神なら、 イスラエール民族全員の前に速やかに姿を現して、民族全員を指導するよ。 ➅出エジプト記では、モーゼ一行はシナイの荒野を40年間放浪し、モーゼは 120 歳で亡くなった。エホバ神はモーゼの後継者にヨシュアを選び、「今、お前とこの すべての民は立って、ヨルダン川を渡り、わたしがお前たちに与えようとしている 土地に行け」と命じた。ヨシュアの軍勢はエリコの城壁の周りを行進した。イスラ エール軍が「ときの声」を上げると、頑丈な城壁が崩れ落ちた。イスラエール軍は エリコの城内に突入し、内応者・ラハブの一家以外の全住民を殺戮した。これを 「聖絶」と言う。ボクの考えでは、「聖絶を認める神は、愛の神ではなく正体は悪 魔だ」と思う。もしボクがエホバ神なら、布教には暴力を用いず、理論的な説得と 身をもって示す実践により行うよ。 ➆出エジプト記では、ヨシュアはカナンを征服する戦いの中で、その日の内に勝利 を決定づける必要が生じた。ヨシュアは無意識に「太陽よ、ギブオンの上で動くな。 月よ、アヤロンの谷で動くな」と祈った。エホバ神はヨシュアの願いを聞き届け、 太陽と月は天に静止し、一日の長さは通常の一倍半になった。ボクの考えでは、 「もしエホバ神が天地創造の神で、自然法則を決めた神なら、自分の都合で自然法 則を変更するのは卑怯だ」と思う。もしボクがエホバ神なら、ヨシュアに「自然法 則の範囲で成果を出せ」と命じるよ。ボクは「自然法則を変更してまで人類を甘や かすと、人類は奇跡を頼りにして自助努力をしなくなる」と思う。 以上のような私の意見を聞くと、養父ユースフの顔は真っ青になり、頭を掻き毟 った。そうして、突然、私の前に土下座して両手をついて泣きながら次のように言 った。 養父ユースフ「イーサーよ。お前の意見は正しい。わしは長い間、ユダヤ教の聖典 と律法を勉強してきた。その結果、他人様を教える立場になった。ユダ国では名前 の知れた教師として認められている。お前たちにも、小さい頃から聖典と律法を教

(4)

えて来た。しかし、わしはイーサーが今言ったようなことを、微塵も考えなかった。 これは正に、背負った子供に教えられるとの諺の通りである。今、イーサーに言わ れて、わしの目が開いた。わしがこれまで学んできた聖典には、正しい教えが書か れていないことが分かった。わしは、心からお前たちに、わしの犯した過ちを詫び る。しかし、わしが学んだ聖典と律法は、昔から無謬であると信じられて来た。わ しには、それを覆す証拠がない。どうすれば、良いのであろうか?」 私は養父ユースフを助け起こしながら次のように言った。 私「アバ。お手をお上げ下さい。ボクはアバを責めた積もりではありません。ボク の日頃の疑問をお伺いしただけです。ボクの意見に対して、アバがこれほど烈しく 反応されるとは、思ってもいませんでした。御免なさい。」 養父ユースフ「イーサーよ。お前はわしの実子ではない。しかし、わしはお前が生 まれた直後から我が子同然に育ててきた。お前が初めて寝返りをして、周りをキョ ロキョロと見回した時には、本当に可愛かった。そんな赤子の頃から、お前はいつ の間にか成長し、わしが気付かない事を教えてくれた。わしは嬉しいのじゃ。」 私「アバ。ボクもアバが大好きです。しかし、ユダヤ教の問題は、こんな田舎のユ ダ国に居ては解決できません。ボクは世界の学問の中心地のアレクサンドリアに行 きたいのです。アレクサンドリアには、大図書館があり、良い先生方が大勢おられ ます。そのようなアレクサンドリアで勉強すれば、この問題も解決できると思いま す。」(著者の注:図 40.2 にローマ帝国時代の西地中海の地図があります。アレク サンドリアとユダヤの場所を確認して下さい。) 養父ユースフ「アレクサンドリアには、わしの同業者のユダ人がいる。キレネ館の シモンという人物だ。丁度、シモンからわしの所に、奴隷少年5人と奴隷少女5人 の注文が来ている。マルヤム館では、3名の若手が 10 人の奴隷をアレクサンドリア に届けることになっているから、イーサーも初仕事としてこの3名に加わってくれ。 そして、お前がアレクサンドリアに着いたらキレネ館に滞在して、ユダヤ教の勉強 をしておいで。費用は、幾らでもアバが出してあげる。」 私「本当、アバ。有難う。是非、アレクサンドリアに行かせて下さい。」 養父ユースフ「それから、パンテラ隊長が今日、マルヤム館に来るそうだ。隊長が 来たら、お前がロマ市民権を持っているとの証明書を書いてもらいなさい。旅行中 は、ロマ市民権があれば何かと便利だよ。」 以上の経緯で、私は実父のパンテラ隊長にロマ市民権の証明書を書いてもらった。 そして、私はマルヤム館の二人の若手と一緒に 10 人の奴隷を連れて、アレクサンド リアに徒歩で向かった。イーサー時代のアレクサンドリアは、皇帝領エジプトの首 都で、ロマ帝国ではロマ市に次ぐ第二の大都市であった。(なお、アレクサンドリ アの動画サイトは、図 40.2 の説明文の後にありますので、是非ご覧下さい。)

(5)

図 40.2 ローマ帝国時代の西地中海。なお、映画「アレクサンドリア」の動画は、 次のサイトにあります。http://www.youtube.com/watch?v=FOrmvCuBpKQ 我々マルヤム館の3名は、10 人の奴隷をアレクサンドリアのキレネ館に無事送り 届けた。その代金が、私のアレクサンドリアでの勉強資金となった。キレネ館の主 人のシモンは、北アフリカのキレネ市の出身で、私と同じようにロマ人とユダ人の 混血で、風貌は私によく似ていた。 キレネ館はマルヤム館の倍以上の広さがあり、我々と同様に、石工業、飲食業、 旅館業を営んでいた。主人のシモンは、私の養父ユースフと同様に、地元では有名 な大学者であった。彼は、アレクサンドリア図書館の付属大学において、魔術学部 の主任教授を担当していた。魔術学部には、占星学科、錬金学科、心霊学科、手品 学科、治療学科、薬草学科、祈祷学科などがあった。 キレネ館のシモンと私は次のような会話をした。 シモン「君がアレクサンドリアに来た目的は何かね?」 私「はい、先生。私はユダヤ教の聖典や律法に、大変疑問を感じております。ユダ ヤ教の聖典によれば、イスラエール民族は神官・モーゼに率いられて、エジプトを 脱出して、カナンに向かったと書いてあります。先ず、私はエジプト時代のイスラ エール民族の本当の歴史を研究したいと思います。」

(6)

シモン「なるほど。君はよい所に目を付けておる。エジプト時代のイスラエール民 族の歴史を研究したいなら、アレクサンドリア図書館のファラオ年代記を調べて見 なさい。図書館にはエジプトの総てのファラオの年代記を、ヒエログリフとギリシ ャ語で書いた書物がある。」 私「私は、ギリシャ語の読み書きはできますが、ヒエログリフは読めません。」 シモン「年代記は、ヒエログリフ文書とそれを翻訳したギリシャ語で書かれている ので、先ずギリシャ語で読んで見なさい。ヒエログリフ文書を解読したければ、ヒ エログリフをこれから勉強すればよい。勉強の仕方は、わしが教えてやろう。わし の見たてによれば、君はユダヤ教を改革したい志があるようじゃ。それなら、魔術 学をしっかり勉強せねばなるまい。幸い、わしは魔術学を少々研究しておる。じゃ から、魔術学もそのうちに教えて進ぜよう。」 私「はい、先生。有難うございます。よろしくお願い申し上げます。先ずは、アレ クサンドリア図書館に行って、ファラオの年代記から勉強してみようと思いま す。」 シモン「それがよかろう。せいぜい、頑張りなさい。」 私「はい、先生。」 以上の経緯で、私はファラオの年代記を調べる目的でアレクサンドリア図書館に 行った。図書館の入口で私は門番と次のような押し問答をした。 私「ボクは、この図書館のファラオの年代記を読みに来ました。」 門番「ここは、お前のような子供の来る所ではない。業務の支障になるからさっさ と帰れ。」 私「この図書館に入館するのに、年齢制限があるのですか?」 門番「特に、年齢制限を定めた規則はない。じゃが、ここの書物は皆んな難しいぞ。 お前のような子供には分かるはずがない。ここに来られるのは、殆どが年配の方々 ばかりだ。お前は何才か?」 私「ボクは 12 才ですが、ロマの市民権を持っています。これが、市民権の証明書で す。シモン先生の紹介状もここにあります。これは小額ですが、あなたの袖の下に お納め下さい。」 門番「エエー。何ですと。何ですと。貴方様はロマの市民権をお持ちで、しかもシ モン大先生の紹介状もお持ちになる!それを、早くおっしゃって下さらないと、私 めは困ります。ロマ市民権をお持ちの方に失礼があると、我らエジプト人は首が飛 びます。知らぬこととはいえ、貴方様には大変失礼を申し上げまして、申し訳ござ いません。これまでの事は、どうか無かったことにしていただきたく、ぞんじま す。」 私「分かった。分かった。ボクはともかくファラオの年代記が読めればよいの だ。」 門番「はい。はい。先ず、ここの貴賓室でお休み下さい。お酒もコーヒーもご自由 にお飲み下さい。年代記の責任者を直ぐに連れて参ります。」

(7)

門番はにんまりとして銀貨を懐に納めて、貴賓室から出て行った。私は貴賓室の ソファーに腰を下ろして、コーヒーを飲んだり菓子を食べたりして待っていた。し ばらくすると、門番が杖をついた老人を連れて貴賓室にやって来た。老人は腰に多 数の鍵をぶら下げていた。 老人「私がファラオ様の年代記を管理いたしております、ベンゾフェノンにござい ます。貴方様は、どのファラオ様の年代記をご覧になられるのでしょうか?」 私「先ず、ボクはラムセス2世の年代記を見たいのです。モーゼの出エジプトをエ ジプト側ではどのように記録しているかを、調べたいのです。」 老人「クレオパトラ様がエジプト女王であらせられた時代には、私はこの図書館付 属の大学で、歴史学部の主任教授をいたしておりました。クレオパトラ様がアウグ ストーストに殺されて、エジプトがロマ皇帝領になりました。私はクレオパトラ様 の教育係りをいたしておりましたので、主任教授を免職になり、今は年代記を管理 する仕事についております。従いまして、私は総てのファラオ様の年代記を熟知い たしております。ラムセス2世様の年代記には、モーゼなる人物や彼の出エジプト は記載されておりません。」 私「そうですか。じゃあ、モースなる人物はラムセス2世の年代記に載っています か?」 老人「モースなら載っています。彼はガデシュの戦いで、カナン人傭兵の隊長でし た。」 私「そうですか。じゃあ、モースが載っているあたりを拝見出来ますか?」 老人「承知いたしました。ご案内いたします。」 私「よろしくお願いいたします。これは小額ですが、あなたの袖の下にお納め下さ い。」 老人はにんまりとして金貨を懐に納めて、私を書庫に案内してくれた。アレクサ ンドリア図書館は驚くほど広く、老人は曲がりくねった通路を1kmくらい歩いて、 ラムセス2世の年代記を納めた書庫に案内してくれた。私一人では、とてもそこま でたどり着くことは不可能であった。老人は書庫の鍵を開け、書庫の中のある戸棚 の鍵を開けた。 老人「これが、ラムセス2世様のガデシュの戦いを記載した年代記です。年代記は ヒエログリフとギリシャ語で書かれております。貴方様は、ヒエログリフとギリシ ャ語をお分かりになられますか?」 私「ボクはギリシャ語を読めるけれど、残念ながらヒエログリフは読めません。」 老人「ギリシャ語がお分かりになれば、大丈夫です。ヒエログリフ文書の翻訳がギ リシャ語で書かれております。」 私「有難う。それでは、年代記を拝見します。」 老人「私は倉庫の番人室に控えておりますので、ご用があればいつでもお呼び下さ い。」

(8)

私は、ラムセス2世のガデシュの戦いを記載した年代記を読んだ。戦いの経過は 長々と記載されていた。しかし、その内容は周知の事実と同様で、要するに「ラム セス2世の大活躍により、エジプト軍が大勝利した」ことしか書かれていなかった。 別に目新しいことは何も記載されていなかった。モースに関しては、「カナン人傭 兵の隊長は、ヘブル人のモースであった」としか記載されておらず、モースの活躍 ぶりは何も書かれていなかった。 そこで、私はベンゾフェノン老人を呼び出して、次のような質問をした。 私「ここに、ヘブル人のモースと書かれています。ヘブル人の事を書いた書物はあ りますか?」 老人「はい御座います。エジプトに侵入した野蛮人どもと題する書物がございまし て、そこにヘブル人の条が御座います。この書物は国家機密になっておりまして、 ロマの市民権をお持ちの方しかご覧になれません。それでは、ご案内いたしま す。」 ベンゾフェノン老人は別の書庫に、また曲がりくねった長い通路を通って案内し てくれた。今度は、所々に検問所があり、私はロマ市民権の証明書の提示を求めら れた。老人は書庫の鍵を開け、書庫の中のある戸棚の鍵を開けた。 老人「これが、ヘブル人の条です。」 私「どれどれ。ワー凄い。凄いことが書いてあります。これぞ、私が探し求めた文 書です。この文書の模写はできますか?」 老人「機密文書なので、模写は出来ません。ロマ兵の立会いの下で、ロマ市民のみ が閲覧することが許されております。」 私「はい。分かりました。ここで暫く、ヘブル人の条を読んで行きます。先生には 大変お世話になりました。」 老人「どういたしまして。私でお役に立つことが御座いますれば、何でもお申し付 け下さい。喜んで、お手伝いいたします。」 私は立会いのロマ兵に銀貨を与えて、ヘブル人の条を一気に読んでしまった。そ こには、次のような衝撃的な内容が書かれていた。 ➀この文書は、現人神であらせられるラムセス2世陛下の忠実な臣下であるベンダ サンとイザヤ父子が、蛮族・ヘブル人の行動をつぶさに観察し、陛下にご報告申し 上げる文書でございます。数年前、ヘブル人の神官・モースなる者は恐れ多くもラ ムセス2世陛下と密約を結びました。我ら父子は残念ながら、その密約の内容を知 りません。陛下はご存知と拝察いたします。ともかく、この密約をたてに、神官・ モースは千人余りのヘブル人を率いて、エジプトから逃亡し、彼らの故郷と称する カナンに向かいました。ヘブル人は無知蒙昧にして、文字を知りません。我ら父子 はヘブル人に紛れ込み、書記としてモースに重用されております。この地位を利用 して、蛮族・ヘブル人の行動を密かに陛下にご報告申し上げる次第でございます。 ➁そもそも、蛮族・ヘブル人とは何者であるかを、ご説明申し上げます。第 13 王 朝(紀元前 1782-紀元前 1650)の支配力が弱体化いたしましたので、周囲から蛮族 共が下エジプトに流入して、傭兵や奴隷となりました。カナン人の一派で、ハビル 人と呼ばれた数十人の集団がこの頃に下エジプトに移住して、下エジプトにあった

(9)

首都の傭兵に雇用されました。ハビルとは「河の向こうから来た盗賊団」の意味で す。その後、カナンから下エジプトに侵入したヒクソス人が時のファラオを首都か ら追い出して、征服王朝である第 15 王朝(紀元前 1663-紀元前 1555)を建国しまし た。「ヒクソス」とは、「異国の支配者達」の意味です。首都防衛に雇われていた ハベル人は、時のファラオを裏切ってヒクソス軍に内応したので、首都が容易に陥 落したのです。 ➂上エジプトのテーベに避難していたイアフメス王(在位:紀元前 1570-紀元前 1546)は、数万の軍勢を率いて下エジプトからヒクソスを追い出して、エジプトを 再統一されました。イアフメス王からの王朝が第 18 王朝です。数千のヒクソス軍勢 は、ヨシュアに率いられてカナンに逃亡しました。下エジプトに置き去りにされた ハベル人は、イアフメス王の捕虜となりヘブル人と呼ばれるようになりました。ヘ ブル人はヒクソス時代には支配階級でありましたが、第 18 王朝では奴隷に落とされ ました。これは、彼らが行った裏切り行為に対する当然の報いです。 ➃第 18 王朝のアメンヘテプ4世(在位:紀元前 1350-紀元前 1334)は、アマルナ 改革と呼ばれる宗教革命を行いました。テーベの守護神・アメン神を祭る神官勢力 がファラオを抑えるほど強くなりましたので、ファラオはアメン大神殿を閉鎖して、 唯一神アテン(アテンは太陽神)のみを祭る世界初の一神教を始めました。ファラ オは自らをアクエアテン(意味:アテンに愛されるもの)に改名し、テーベの都を 棄てて、新たな地に新都・アケトアテン(意味:アテンの地平線)を築きました。 ヘブル人の神官・アブラムーシはこの時流に便乗して一神教に改宗し、ファラオに 協力しました。それゆえ、ヘブル人は奴隷から解放され、ファラオの尖兵となり、 多神教の神殿をあちらこちらで破壊しました。 ➄しかし、アマルナ改革は理想が先走り、エジプト国内に大混乱を招きました。外 交も疎かになり、ヒッタイト王国の台頭を許しました。息子のツタンカーメン王 (在位:紀元前 1334-紀元前 1325)が即位すると、周囲の圧力でアメン神が復活し、 新都・アケトアテンも廃棄されました。ヘブル人は奴隷に逆戻りして、いっそう虐 げられる事態になった次第です。自業自得です。 ➅このような卑しいヘブル人は、ラムセス2世陛下の御世になり、にわかに横柄に なりました。それは、ヘブル人の神官に就任したモースなる者の姦計によるものと 思われます。ヘブル人の神官・アブラムーシは一神教に改宗しましたが、彼らの神 であるエホバは一向に姿を現さず、彼らは困り果てておりました。所が、神官・モ ースは突如として「エホバ神からの啓示が得られた」と公言するようになりました。 我ら父子は、神官・モースが虚言を弄していると考えましたので、我らは彼の欺瞞 を見破る機会を狙っておりました。 ➆神官・モースは「ヘブル」が卑しい名前であると気付き、民族名を「イスラエー ル」に勝手に変更しました。我らはこの傲慢な変更を認めません。先に書きました ように、モースは千人余りのヘブル人を率いて、エジプトから逃亡し、彼らの故郷 と称するカナンに向かいました。彼らはエジプト国内で地震に遭遇しました。我ら は「愚かなヘブル人は、地震に伴う津波により全滅するであろう」と期待しました。 所が、神官・モースはヘブル人を高台に避難させ、津波の被害を免れました。神 官・モースは厚かましくも「神はイスラエール民族を護り賜うた」と宣言しました。 ➇モースの一行・千人は、エジプトを出てシナイの荒野を彷徨いました。食料が尽 きかけたので、ヘブル人は不満を言いはじめました。我ら父子は「これで、ヘブル 人はモースを殺して、エジプトに帰るだろう」と期待しました。所が、陛下からの

(10)

食料が届きました。神官・モースは厚かましくも「エホバ神は我らイスラエール民 族に天からパンを与え賜うた」と宣言して、苦境を逃れました。 ➈モースの一行・千人は、シナイ山に着きました。モースは神の啓示を得ると称し て、下僕を一人だけ連れてシナイ山に登りました。それから 40 日間、モースからの 連絡がありませんでした。シナイ山で雷鳴が鳴った夜に、下僕が密かに我ら父子の 所に来て、シナイ山に登るように言いました。我らが山頂に着くと、モースが我ら に「十戒」を石版に彫るように命じました。我らが「十戒」を彫り終わると、モー スは「この十戒は、エホバ神が彫ってわしに与えたことにしてくれ」と言いました。 モースは我らが彫った「十戒」を持って山を下り、ヘブル人に「エホバ神が雷鳴と 共に山頂にお姿を現わされ、この十戒をお彫りになってわしに与え賜うた」と宣言 しました。これで、我ら父子は「モースがヘブル人に嘘をついている」と見破るこ とが出来ました。 残念ながら、ヘブル人の条は欠損していて、➈の所で終わっていた。しかし、私 は「ヘブル人の条に➀から➈までに記載されている文書は、ユダヤ教の聖典は真実 ではない、との証拠になる」と確信することが出来た。私はキレネ館に帰り、シモ ン先生にアレクサンドリア図書館での調査結果を報告した。私の報告内容とシモン 先生のご意見は、次章(41章)に記載する。 (40章は、2013年10月8日に執筆完了。)

参照

関連したドキュメント

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

 ZD主任は、0.35kg/cm 2 g 点検の際に F103 弁がシートリークして

そのため、夏季は客室の室内温度に比べて高く 設定することで、空調エネルギーの

あの汚いボロボロの建物で、雨漏りし て、風呂は薪で沸かして、雑魚寝で。雑

家内と夫 め お と 婦舟 ぶね として約 40 年間やってきました。息子は 3 人おって、今、長男は弘 こうしんまる

都調査において、稲わら等のバイオ燃焼については、検出された元素数が少なか

 学年進行による差異については「全てに出席」および「出席重視派」は数ポイント以内の変動で

すなわち, 法律専門の補助またはサービスから完全に行える