<昨年の史學地理學界>

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(1)Title. <昨年の史學地理學界>. Author(s). Citation. Issue Date. URL. 史林 (1924), 9(2): 268-346. 1924-04-01. http://hdl.handle.net/2433/247356. Right. Type. Textversion. Article. publisher. Kyoto University.

(2) 第二競. 戸  , 籍一毒忌. ス︹開回 ︵二轟ハ八︶. の歴史哲學﹂︵児玉蓬童,七転︶はナトルブの一九一八年著・. カッシラ∼等の詮を紹介したものである。又﹁ナトルプ. 死し、倫ほこれ等に鋤すみ諸學考の反臣例へはバルト、. 諸家の鰍ψ説φ蟹読きヴィーアルバンドリッカ∼トの躍引田心“ぜ解⋮. 設き起し雁史の論理及び歴史科肇の認識論的見解につき・. 史誓學ミ在來の形而上學ミしての歴史誓畢・この三三より. 墾め知識を批回したものゆまつ歴史の論理學εしての歴. 吉治、講座︶は、同じくリヅカートの三論を旧き、歴史. の種概念であるεの論を進め、爾ほ叉﹁四三の論理﹂︵渡簸.. 相互に三三する概念ではなく、歴史的認識は丈化的認識. 回する事の可能であるし、丈化的認識ミ羅史的認識ミは. かに三って畷溺し後者を腫史的認識ざ名づけ、これを歴. 通化的概念の構成を碍ざすか個性化的概念構成に目ざす. 藤恭経沸論叢︶は文化的認識叉は丈化科畢的認麟は其瞥、. 貿一脈翻ー. 眼家の決蘭騨地理學尿、.        ⋮慧. 7銘九倦  昨年の由學無理學界. 鐵.    働吏  學  界       ゆ ゆ ゆ の    ゆ ヨ ゆ の   ゆ ゆ  ゆ ゆ  の ゆ. 史趨二般歴史學或は樺史帥認識に關する論薯及び紹 介は西南猫逸派の雁史暫皐の影響により前年ε同じく盛 であって、此方面を支配してみる概がある。まつ﹁歴史 學概論﹂︵丹璃泥義︶が三三學に就いて縫三哲學の三三か 略試みたものを雁史家の手によって成された著蓮・、旨して. 繋ぐべきである。著者は其第み部に於ては科墾きしての 歴史の三三を確立せんミし歴史の知識の批詳を試みてみ. る◎回して歴輿は學εして方法論的には文化回読に属 し,歴史陶認識は固性的認識であるぐ恥し、第二部に於ては. 研究法の論をなし三三的鱈在の確定、歴輿望實の確定方 法、史料の種類、実習、補助學、文化史、時代魑分等を、論じ. てま,こまった全罷を把捉すべきであるミしてみる。禽ほ. はすミころの﹁精紳の諸時代﹂9。ゴ、Φ︼二輪乙毯量奮・即ち.、. 倫は把捉に就いては歴愛観念は文化賞値蝋般に係らしめ. 歴史の認識論に示しては﹁文化的認識ミ歴史的認識﹂︵恒.

(3) 型はこれに注意せざりしため層形的になったためである. εするに封してテイラーは學ε史εは異ってみる。歴史.‘. 史哲止血筋書﹂ミ樗するものによって彼の歴史三豊的. 思想を知らん噛こしたものである。而して要言して彼の鷹. によって吾人は個々の入事件を知らうごするのであるミ. 種の墨問・こして居る鮎も同一であるが、法則科學・こ見倣. である一こするの説を蓮べ紹介者が濁れを批詳して三智共. 理は共にプラグマチックであり、究童の分折は眞理は轡. し、又シッラーが其爾者の論をうけて科墨も歴史も其眞. し、普遍的精解の法則ミ名づくべきものがあるこミを主. に現代猫逸哲墨者同の問題ミなってみる方法論上の畢議. に鰯れないこミを慧憾・こするミ附加した。. ︵桑太巌翼、丁酉倫理會倫理講演集︶あり。これはマイン. 画εしての論議には﹁歴史ミ科學ミは別箇の知識なるか﹂. 事件決定の根捺ミ軽んぐ﹂すうものである。爾ほ歴史の企. 史観ミ比較し、遽に前々的閣係を以て最も基礎的な歴史. の史観εして耐會墨的史概を提唱し、祉會畢儲蓄ε荒玉. 観念論的なる精紳的史観、第二唯物的史観に航して第三. 定はヘブライ思想の功績であるを説き希臓垂簾及び預言. らす、歴史の意義を承認するに至らす、歴史の意義の肯. 究︶は急難に於ては優秀なる文化の獲蓬あったにかΣは. してギリシア思想εヘブライ思想﹂︵波多野精一、哲學研. 近五十年間の歴史學を略叙したもので、﹁歴史の意義に閣・. 万里、史學︶がある。主こしてグーチの研究により、最・.  史學爽に繭するものには﹁鰍米史學研究五十年﹂︵霊鑑、.  ゆ ゆ ゆ. ド誌上に登表せられたるものの紹介を虫Sしたのである. 者の思想を検討したのがある。.    第九巻  昨年の史雄塊理學二. これは古代より自然科墨が概括の方面に醜きを置き、奥. 的に別種の知識に騰するものεするこ、この純なるを雷ひ.         第ご號    入前 ︵二六九︶. 書置嚢達の径路﹂︵山口正太郎、経澱論叢︶がある、これ.  夏鳶學虐の接鰯繍に於ける史學の問題には﹁歴史岩崩、.     や     の  の    ゆ  ゆ           の  ゆ  ゆ    む   . 飴即ちコリングウッド“が闘歴史ぐ﹂科墨ミφ望認識込爾帥円融は弥醐理. て﹁第三史観﹂︵高田保馬、思想︶は從來の歴史観郎ち第一. 張するこε彼の猜特の見解があるを指示してみる。而し. 史哲學ざ嗣一の問題・、2商題・こし、騰史學を自然至適ε別. 史哲學は歴史學の理論であるこマ﹂に於て西南猫舌派の歴. 「,.

(4)    第九雀  昨年の艶學船齢學界. は十九世紀後身から二十世紀初にかけて理説経世県界を. 風靡した實際畢的経濟學の問題であるがまたロッシやL.         ・第二號    入山ハ ︵二七〇︶. ﹁江戸の歴史地理﹂﹁利根の額堂ε修治﹂﹁後北條氏の知行. 制度し﹁尾州の産業嚢蓬﹂﹁江戸時代の館山業に就いて﹂の. 由來を考ふる黙に於て注意すべき論文である﹁日本耽半. 論ずるこミによって思想界に大影響を與へた歴史主義の. 御厨に託する古文書についてし﹁李患常鍛の研究﹂﹁前九年. の第一巻ミして﹁李蒋門灘の研究﹂﹁房総の李氏及び相馬. これに次いでは、蝋、武家時代の研究﹂︵大森金五郎︶で、そ. 諸篇は今倫ほ炭入を啓襲せしむる事大なるものがある。. 蔀に就いて﹂︵本庄榮治郎、歴史s地理﹂は叉計雑史の研. 及び後三年役の評論﹂﹁源李爾氏勢力の浴長﹂﹁保元の徽に. クニース乃至歴史派首領シユモラ⋮の思想及び方法論を. 究¶こ穂せらる、もの難多の中より纒濟問題を中心ミする. ついて﹂﹁源李爾氏の分布ε其相互間に於ける覇背﹂﹁幅原. 梅渓︶﹁鎌倉階代前篇﹂︵中鴫孤島︶﹁鎌倉時代後篇﹂︵高須梅. ﹁大和時代﹂﹁飛鳥寧樂時代﹂︵西村眞次︶﹁李安時代﹂︵高須. εしては早誉田大篤農版部の﹁國民の日本実﹂が完成して. に幕府の清減を期せられたのみならす揺政権臼征夷大筆・. 後醍醐天皇が天皇親政の政艦を動産さる・については菅. 史的観察﹂︵三浦周行、中央史壇︶を下したものは、先づ. めて便利である。更に降りて﹁建武中興の政治史的猷會. 遷都の研究﹂の八篇を牧め、所謂源李時代を見るには極. 渓︶﹁吉野時代﹂﹁室町時代﹂︵薄田斬髪︶﹁安土桃山時代旨江. 軍の響きものまでも慶血されたのである事・’2言ひ、鯨じ. 國史 國史に關する論薯の中取づ一般史に博するもの. 戸時代創始期﹂︵西村眞次︶﹁江戸時代興隆期﹂﹁江戸時代燗. て中奥敦府に於ては記録所ミ決断所、窪所ミ武者所ミい. ものに祉會史を限定せんミした提案である。︹西田︺                の   ゆ. 熟期﹂﹁江戸酵代軽忽期﹂︵高須梅淫︶の十二冊が揃うた事. 護の二重機關があった事を指示し、其の原因を新薔爾派,. ふ二重の機關が設けられたミ過様、地方行政も國司、こ守. あらう。﹁日本歴史地理之研究﹂︵吉田束伍︶は博士の強稿. の衝突に愛し,更に趾會陶には公武の差違,若しくは籏. を以て、國史智識砂払上大なる功績があるミ言ふべきで. 中歴史地理に坐する研究生+七篇を探録排印せるもので.

(5) 簸、清華の家絡が無効された事に意義を認めたのは、建. εなったのであって,後宇多天皇の復古思想から日本中. めんための準備であったミ冨ぴ﹁日本文化の濁音﹂︵内藤. 程重くお考になったのであって政樫を北條民の手から牧. ・ら國民の思想を統一し、皇室中心にするために佛教を章. ミ大半寺﹂︵黒板勝美、同誌︶は後宇多法皇は信仰の上か. せて何れも中興の︸面を蓮べたものであり、﹁後宇多法皇. 壼り、新政は地方人志から見放された事を述べたεの併. らうごの豫想は全く裏切られて却て前代を憶はしむるに. 行至らざるなき關束論雁の秘政が當然廓溝さるべきであ. 幽Vによりて更に鑛大せられ、扁般地方民が抱いた非法張. 武新政府の失政が書誌の亡歌、地方官の暴羅、蕪官の非法. を論じたものでは﹁慮仁の胤に就て﹂︵内藤虎次郎室町時. 伺人も耳も傾け襟を正さねばなるまい、此の前後の時代. 願無糖の國禮を傷けるに至ったであらう一こ雷はれた鮎は. 皇たらん一こするにあって、今一年彼か存生するならば金. あり、義満最終の目的は義嗣を天子議して自らは太上天. 永の重事は天皇のためのものにあらすして将軍の年號で. 殊に足利義満の皇室に封ず惹不遜なる態度を難詰し、癒. 蓮べ間々文藝宗敏の問題を取扱って居るものであるが、. 聞の將軍や管領の動静、政界の推移、幕府元老の凋落を. 内義弘の鳳より始めて長尾爲景・北條早雲の勃興に及ぶ. のは面白い解灘であらう。﹁足利時代史﹂︵田中義成︶は大. 心思想犯なり次で日本文化の猫立ミなるのであるミ見た. 虎次郎、同誌︶が後醍醐花園爾帝が宗敏にありては膵宗. 代の研究は下剋上の時代εは祉會の最下級であった足癖. ,武新政ε地方句々L︵牧野鯉之助、歴史ε地理︶が元弘建. を學問にありては宋學を.研究されたのを始めミして中原. が將軍を超した意味であって、足輕の認められた事は一. 面から見れば天才の居なかった時代である、此時代は二. 師緒か元亨元年の辛酉革命に反封詮を出した事や、謎解 ・正統記に覗はるΣ親房の政治に封ずる革新意見の如き. なき時代に、丈學に於てはた思想に於て天下を統一し江. 本道徳の経典εも言ふべきものが生じ,政治上何等統一. 民なりの思想が湧き、終に征西嶺軍宮の関太瀧への返事.         第二號   八七 ︵二七・こ. 此時代にあらゆる方面に革新の紅蓮が知り、大日本は町.    第九巻  昨年の史學題理三界.

(6) 史研究が﹁日本震災史﹂號を出して我賢母來よりの震災を.         第二號   八八 ︵二七二︶. る・こし﹁鎌倉より室町へ﹂︵三浦洋行、同書︶は鎌倉幕府が. 省時代に分ちて説蓮したのは﹁安政の震災.ミ救男盛﹂︵本.    第九巻 昨年の史學地理無界. 御家人の所領保護干渉に全力を盤したに空して室町幕府. 庄榮治郎、経濟論叢︶を詳蓮し九ものご共にこの刺戟より. る各種の論考が或は艶書に或は難誌に現はれたものが多. は所領に亡しては放任開放であった事を指摘し爾政府政. 生じたる産物であったけれさも、ためにわが國史に毒す. 復古思想のある事を論じ﹁室町藤代の文化的概親﹂︵黒旗. 策の根本に於ける相違織を力説し、更にそれを七七文明. る史料の失はれたるものが甚大である事は今更喋々を要. い。中央史壇が﹁天憂地妖震火災號﹂を出したの¶こ、赴旧. の影響によりて設明し九もωであって、是等の諸編を併. せざる事ながら、咋年の史界を顧みるものが何よりも第. ・勝美、岡書︶は此時代を規て公武共に堕落した時代であ. 塗し近燈島本胤會の母胎である室晦時代を充分に閑駆す. 一に痛嘆しなければならない。     ゆ ゆ.  人物傅Sして現はれたものは至って少いやうであって. る事が出來やう。又﹁慶長元湘の京都﹂︵原勝郎、歴史、こ. 地理︶は政礎の江戸に移ってからは大阪方の光は年ミ共. ﹁購入大星族人の生涯﹂︵澤潟久孝、歴史S地醜︶を蓮べ、. 彼は歌入ミ雷はるΣよりも寧ろ選入胞こ需はるべき人であ. に減退するのみであったから京都の公卿は巧みに大阪よ り江戸への方向愛換を試み毎月+八日の欝國赴への滲詣. って老難思想や佛教思想を粗糠に受け容れたけれ、こも儒. 教に淫しては鹸の興味を感ずる事は出來ない痛風で、,こ. を鋏かさすして浦かも所司代屋敷に繊心し駿府江戸ミも 督信を通じたのであるが、此慰撫ある公卿の態度はやが. こか樂天的な所があった、年六十六才の時任地を去るに. るが﹁入宋億寂照に就ての研究﹂︵西岡庇之助、史書雑誌︶. 言って彼の作を麺じて其の人格に逼れんεし九ものであ. 臨み一遊女ミ熟烈な満懐を歌ふ事の趣來た人であったε. て京都市民の態度であって、其碍を樂めばよい、こいふ寸. 分で享樂したミ冨って慶長は足利時代の終りで元和は次 の時代の冒頭であるミ言って居る。九月一日の差曾有の 竃人震災は我が一國史界にも大なる衝自動浩を與へ、これに關⋮す.

(7) 後の彼が華需に通じなかったために專ら筆談によりて求. 年に出職し同年に彼の土に着したものであるざし、入宋. は彼の入宋の年︾長保四年ミする從廉の説を響け長保五. のはない・こいふこSから競物、言語、.信仰、政治肚會組. 鮮關係が濃厚であった事は認められるが彼我吻合するも. 日講演集︶がある、傳読の上から見れば古代に於ける日.  鋤外關係を論究したものには口鮮職蜂史︵財経周行、朝.      ゆ  の の. 法した苦心の程を物語り其筆蹟の頗る見事であった事・を. フ7瀟荊霜囲ぞ口兄一し⋮以て日鋼詞嚇胤蹴誕に一警丁蟹蹴ハへ、紳糊⋮じて酒客. 關係に就ては師弟の嵩置は不明であるけれ盲も文通のあ. 漸くにして洋本風の姓氏を賜はらん事を講署し孝謙天皇. 化鮮人の事に移り、彼等がもミ朝鮮風の姓氏を堕し・πが. 謹し﹁青木昆陽傳補訂﹂︵新村出、史林︶は昆陽ご東涯.この. った事は事實である、しし,直腸の湯器にしても朝鮮文献. の朝善計佛敏の胱素的施設の↓端ぐ﹂して彼等の乞・幽がま. 孫を同化するに役立つだこ雷ひ、更に姦濫醐に起つた衝. の攻究にしても案外に大きい感化を東涯から受けた事を. 始め潤筆王妃、御息所及び其の王子女に就いて略隠し、. 突に論及して、最後に日本文化の異常な獲達、読本難民. 瓦の姓氏を許され、彼から我に接近したが叉送本測に於. 當宮の官位待池及び文學に一瞥を與へ、殿邸知行に就て. の録化入に漏する岡情、兵力の充實ぐ爆口ふ事か蒔直の経. 指摘し、昆陽が延享元年長繭に遊記した事は少くミも延. 記して詐るか,有栖川宮の宮號は伏見宮の租榮仁親王が. 過ミいふ事ミ共に日鮮衣を融和せしめたミ結んだ。次に. ては日鮮關係の密接なろ事蹟の残る事を嫌って史料を煙. 三絶年中嵯峨の有栖川に在らせられしその藤穰を當窩の. ﹁朝鮮役に関する二三の考察﹂︵同人、藝文︶は戴近に菊亭. 享元年でないのみならす長碕に行った事も大に疑.謹・、㎏言. 駈領地が太秦村にあり11繭係より探られたのである、こし. 家から出でた秀吉の名護屋下向記を嬉涙ξして、陸踏に. 減させた事もあり、此旺盛な細民骨無脚は艦化鮮人の子. て故井上博士の設を修正して居る如き僅かな一例であ.         第二號   八九 ︵二七三︶. は訟里侮に一里塚を⋮染かしめ塾 扁塁ゆ望一二十六畷ε定めた 第、九巻  止偏牛の典衆地理學界. る。. ったもの﹁有栖川宮﹂︵武絹勝藏、史墨︶が其の各御世代を. 藩….

(8)    第九巻  咋年の更學地理學界.         第二號  九〇︵二七四︶. が彼の外征計叢に新しい憂化を及ばず一し忽ち船舶の不足. 秘密を保たんがためであったこεや豫期以上の大捷の報. 築城された名島城が名護屋城に見かへられた原因は軍の. 實施した事を指摘し、外征の策源地ミする意岡のために. 交通開始以前の中間に行はれた﹁日本一こ莫越ミの交通﹂︵. あるSした蕗論を訂正して居る。瀧鹿使慶止以後、日宋. 熱海挾に入る航海路中に位する地馳である・こしラオスで. に唐朝に達した、其の箆質地である羅贈爵は贋東より馬. 七去の年次は不明であるけれさも其報は隠裏宗中和元年. 一εしで、親王の御出嚢は貞観八年正月二十七日であり. ぐ﹂海上風波のために渡海延期に至らしめたのは彼が朝鮮. 交通關係を設き秀吉の時既に一里飛脚の欄を廣き下身に. 征伐を以て聖なる國内職の延長ε考へ、特殊の逆転に於. の使者ミして來朝したる事蹟、天暦元年墨黒風脚の事情. 西岡虎之助、歴史地理︶は承卒五年蒋承平が呉越王元磯. 等を詳しく説明し、これら使節の來朝は貿易のためであ. て大に峡くる所があった、めであるε言ったのは旺鮮開 係争の一部をなすの研究である、更に大陸方面に幌線を. ﹁眞如親王の記念S新嘉破﹂︵新村出、歴史芯地理︶に注目. たものではあるまいかミ冨へるに目が着くのであるが、. 古代史に現はるエ常世の國の思想は樂浪借方地方を指し. の直接關係を考察する前に注目さるべきであらう・こ言ひ. 作りあげられた支那文化を研究する事が、我國−こ支那・こ. 歴史地理︶は我古代文化を研究するに法り朝鮮の一部に. つた事が第二であり、慶長十一年家康が伏見に居るざき. 十九年鐙歓使節が秀吉及び外の人に若干の時計を持ち蹄. 大内義隆に置時計を贈ったのが傅來の最初であり、天正. の歴史﹂︵新村繊、歴奥・こ地理︶は天文+九年ヅビエルが. を噌示するものであったミいひ、更に降りて﹁時計傳來. ぎし藤島使時代の名残を止め他面には至るべき日宋交渉. 摘し爾國聞に於ける交通は牟公悪趣のもので一面には過. った外に精碑的の交渉εして曾侶の葦登のあった事を指. するのである、これは天竺入を決行された親王の御事蹟. に宣教師が時計を献じ、これは伏見の城櫓にかけられた. 向けるミき聖人はまつ﹁,常世の國に就いて﹂︵黒板勝美、. を我人史上に永遠に記念すべき方法ミか時機ミかを鐸ぶ.

(9) 物好きな大名は自分の居間に二+も三十もの時計を備附. 程の大きなものであったミ言って其後の傳來を略述し、. 大成功であるミせる読は共に幕電に於ける観覧交渉の︸. を破らしめ長崎入港の許可書を得たのは若年の彼εして・. 駒である、猴﹁江戸幕府の海軍搬張ミ米國﹂︵潤保橋潔、.                       歴史地理︶は徳川幕府が水戸齊昭の進言に從うて海軍創一. けた事もあった事を語り、西洋流の時間を日本国府が探. 設の決意をなし、職質王ウイルレル三世の名によりて日. 扁歩ミして軍艦の建造を米國に注文したのであるがそれ. 嘱したのは文久二年四月七日の御鯛留にあるのが最初で. を観察し、韓じて佛尊卑軍敏官の叛胤参加に關する日佛. はハリスの好意に感激した、めであらうQが監督官派瀧.. あるミ冨って居る。次に﹁箱舘役に現はれたる日佛閣係. 交渉を仔細に物語り、佛國公使の反駁書が新政府の無能. の事に關しては幕府高宮は自らの廉潔を以て米國を推し、. 本國大君に購られたスンピン蜘ち観光以下威臨,朝陽、. にして塗に蕎幕府艦除の鼠走を致さしめた事を指摘し、. 監督宮を出さなかった・めにブルー井ン駐日米國公使等. の考察﹂︵田保橋潔、史學雑誌︶は奮幕府隠亡時に於ける. 僅々嶽名の隠匿將校がよく日本全國の軍除を指興し得べ. にたばかられる事εなったのである、その後米國よりス. 賭龍等の小型ながらも軍艦四隻を有するに至ったがこの. き理なく、ために一家の存立を危くするεの公卿は日本. トンウォール・ジャクソンを購入する事が轟來,こ、れが・. 包丁開係より説き起して離職陸軍敏官團の一部が叛鉦に. 國の名轡を鰻損する事少からざるべしミ言った辛棘なる. 脱走艦隊を磯滅するのであるざし、更に懐いて﹁明治元. 蘭國の好意を無視して文久元年七月に至の海軍鑛張の第. 愛鷹を更に反腿するだけの氣力は恐らく萩政府になかっ. 年奮幕府艦除の江戸溝退去に就いて﹂︵同人、同誌︶は明,. 参加した事情を詳述し次で箱舘占領に製する英佛の活動. たのであらうミ論いて居る事や、﹁露國最初の逡臼使節. 治元年江戸城開渡の際に於て、其強硬分子は最後まで新.         第二號  九一︵二七五︶. 政府に紙抗したが、それは蜜に鷲幕府があらゆう犠牲を. ラクスマン﹂︵播⋮磨⋮楢士ロセ同心融︶の事・蹟を詳細に僅⋮へ、根. 室到著から越年、画館に航行等を蓮べ我幕府の鎭國主護 第九巻 咋年の吏學地理學界.

(10) つでこの由りて來ゐ所は東征大球帯府が勝宍房らの能力. て力堅し、この事件は新敦府が遭難した最初の難關であ. 派の心惜に就て、後者に蘭しては海江田信義の財力に就. 詮明したものであって、前者に關しては擾本望揚ら主戦. 行励のうち品川講脱走の事情及び軍艦引渡、筆写を詳細に. 言うて苦心経熱した海軍であって彼等が此の際に執れる.    第九巷  除年の奥學恥理訴界. 求された彼等の共同生活に於ける諸種の村規約であり、. ける部落閣結の一手段ミ解し、李時にありては自然に要. した諸部落の聯合爾鱈1理解総の現象を見て非常時に於. ず﹂︵牧籔信之助、輝濟論叢︶ミ題し虫εして近江に頻、出. 知すべきものであり、﹁中世末期に於ける村落の結合を論. 排ける熊襲楽劇ないものであって、古代村落の一斑を推. るS言ったのは、やΣ醗,課喋のある説である請して之を.         盤謝二撫脚   九二  ︵二七山ハ︶. 村民に謁して稻置らが命令を懸紐する一こきには人を小高. 村の入々が千人獄上に出る事は、一般に文宇を知らない. 次に、一日本古代の村落﹂︵川上多助、中央史塘︶の中に蝋. の中流以下の階級に關する研究は可なり現はれて居る。. ったものを詳述して居って、肚會構成の一分子である所. 述べ農業村落及び農民階級、工業の組織勢働の編制ミ言. 佐藤藥︶がある蚕ミして暫代及び近世日本の経濟生活を.  法制史縄濟輿励會史方面に於ては﹁日本経濟史概論﹂︶. 代を通じて衝字帯刀の特棲を有し此の地方農村の上層階. ﹁江戸時代地方農村に於ける階級的聯帯組継﹂︵魚澄惣五                     お 郎、歴史ミ地理︶は丹波國保津村を拉し幾って、江戸時. 蕪司のそれミ比して非常に巧妙なものであった、こ言ひ. こεを指摘し、その領民に封ずる爲政者の政策が過去の. のものε逃散者の招致、逃亡の巌禁等によるものである. 町の繁榮、薪町興行、新地の開嚢、鑛山開礎等の積極的. 移動について﹂︵同入、史林︶は移動の原閃ミして城下. がおほいミ論直したものや。﹁近搬初頭に於ける領民の. 一村内の結合は騨事を中心ミする重創に麹慨するこ言. を過信しだ事ε新政府海軍の無力の二黙に存するε言っ た論を併記して置かう。. い丘に上らせて聲の限り叫ばしめ、それを二三度繰返し. 級であった所謂五霧は戦國末期階級打破の時代に乗じて.  の ゆ   ゆ  ゆ ゆ む の ゆ. て全村に普及せしめたも分であらう事によりて推定し得.

(11) 名空の職務は御鰯申渡の傳蓬、入別改、火の元取締であ. 史墨︶が名主の支配には組合持、月行事立身があった事. であるミいって居る。﹁江戸の名主について﹂︵幸田成友、. 黍李S階級制度確立の政策ミによって保護助成され旗の. 縷頭したものであって當時の成上の者であり、三百年の. 亜門貞吉、孤山斑研究︶を研究寿、古書に見ゆる日高見. 其の説を再叙補説して居るが﹁蝦夷の住む旦商見の國﹂︵. 史墨雑.誌︶﹁太右に於ける紀伊大和﹂︵同人、同誌︶に於て. 央に雄飛したのであるぐ﹂言ひ、夏に﹁太古の中國﹂︵嗣人、. ミの室閑地に入り込み遽に大和に第二の根糠を据ゑて中. 不けアイヌ民族の南下に及び、それ一こチャム︸派の北境. の國はヒナ︵夷族︶の住塵の義であって、アイヌ入の北鮮. ったがその置据Sして肝煎、世話掛、市中取締掛、諸色 掛のあった事、名圭の世襲、費買、役料、待遇等を絹平. の起原を舞け、それを更に草創名主、古町名器、軍名主. たミき彼等は取り敢へす蕉貸本をクラキキタ即ち欝陶し. 圷黒氏の論訟中にヒタカミはチヤム一派が北州を嚢黙し. ¶こ共に日高見國も移轄したものである、こ言へるは、前掲. 門前野盗の四等級に分ける事が出着るミ雷って涯戸町政. き北、狸爺なる北國の義で名づけたものである﹁こ言った. に亘りて設明したもので、これが臨代の新古による五種. 制度の一班を物語って居るのは前の請編ミ共に地方制度. の一こ封註する読である。また一,荘斑の生活﹂︵中村直勝、. 史林︶は東大寺葉酸賀國黒田荘の蕪民を拉し來って、反. の研究でありQ﹁太古の本邦民族に就いて﹂︵午熱響応三. 肚會史研究︶読明を加へ南日本の居住民はマラヨボ塀ホ. はしめるSし、チャム族についで來たのはツングース系. 族の移住以前に薗印度系民族の在博せるものなる事を思. 事を需語の上より腰明も、夏に龍蛇信仰の存在はこの民. ばならなかったのであって、此等の窮民を救減せんがた. 慮己の所有する僅少の土地さへも入質し質流ざしなけれ. であって、時には難民のためになる事もあった、莚民は. ために其の生活を脅かされたが、その無上は櫓兵の亜流. 別三斗の官物を黒影に納入し九批菰艮は、絶えず悪蕪の. 民族で、これは主εして出雲方面から入O艮本海方面を.         第二醗   九三︵二七七︶. シや系の民族であって就中その一派のチャム族であった.    第九巻  警士の吏學離飛雲界.

(12)    第九巷  咋年の吏學地理三界.         第二魏   九四 ︵二七八︶. 立を説明しやうミするものが或は政治上より或は軍事上. 情は主−こして當時の族行困難に伸ふ慰安ミ櫓侶の孤忠生−. つて猛烈なる戦備員ミなったりして境内外の警固に任じ. より、或は杜嵩上よりε種々の方面より考へるものであ. めには念佛講頼母子講の如き互助共選機閣があったらし. た傍ら弓矢弦等を製造販資の特急を得或は唱門師Sして. るが、その経濟上よりの考察は至大なものである一この見. 活がそれであるく﹂言ったのや﹁盲追考﹂︵岩橋小農太、同. 人家の門戸に立ち、或は夙の者く﹂して葬儀に干恥し誓事. 地から、地方地主がその所有地を寄進したる礎門勢家野. く、隣郷五箇荘が協力陶心して他言の客観に當る事もあ. を論き﹁放免考﹂︵同人、同誌︶が楡非違使騰の下部たる放. 羊寺院の手より離れて武士に擾聾せん・こ試み、武士また. 誌︶が宕曾の嚢生時代を以て寡黙末頃ならんミし、その. 発はも一こ犯罪者の刑期満ちて放免されたものである。が. 指墨の櫓殖支持に熟中したこぐ︾を説き、斯くて卒氏は殆・. って、自治制の繭芽が既に見える§冨ひ、﹁つるめそ︵犬. 其の末孫はまた非人ミして取扱れた事を言ったのミ併し. ん,ご全國に亙って居つ九地主であり地頭であるεころの. 旦那を麗駕する事を抜きたるぐ﹂は何れも飛動を組織する、. て趾會の落伍者たる人々の澹革を述べたのであるが、こ. 家人を以て事運上の土地管理を行ひ同時に國家の治安維、. 淋人︶考﹂︵喜田貞吉、胤會史研究︶はもミ清水坂の坂の者. れら公民に理る翼々が、水所領家の力に寄りて掛る種の. 持の任に去り頼朝が李氏に代るミ、從來の主從開係が御. 分子についての論饗であった。夏に﹁武士成立の経濟的. 特認を獲得し、終に鮭會的地位を昂上せしめて資本者階. 家人制度に依って一景組織的に一二徹底的に行はれる事. で一種の非人法堂であったものが古論院に属して下級の. 級に達せんミしたる一例εしては﹁禁裡供御人に就いて﹂. ミなったε﹁大名の赴會的及び法的概念﹂︵牧健二、法學・. 要素﹂︵三浦凋行、経石論叢︶は國史上に於ける武士の成・. ︵中村直勝、同誌︶があり夏に﹁慰安朝遊女の研究﹂︵鈴木. 論叢︶は述べ元正大名ミいふ概念は賢路的な者であっ.. 紳人・こなり灘酒物除去の役に服したり山法師の手先ぐ弱な. 登、同誌︶を嚢表し、此の時代に遊女が股盛を極めた事.

(13) 放せられて全動的εなつ江ためぐ﹂二つは大名の経濟力の. 至る一こ一つは將軍言捨大名εの主降癖係が前代よりも解. 性質を有したものではなかったのであるが、室町時代に. て法的なものではない、鎌倉時代に於てはまだ何等法的. ふ﹂︵牧健二、同誌︶は、前詮のよりて薫る史料の誤讃を. れに僻して﹁文治の守護地頭に去て李泉皐士の教へに答. て設置された天下警備の永久的調度であるご断言し、こ. ための臨時的施設ではなく、義履行家の咽喉を薄湿ミし. 置の問題に就工異論を挿み、守護地頭は義経行家追討の. 指摘し、文治の守護地頭を永久的に設置された調号警衛. 矯進に件って領地に於ける櫻力が喰翻した事のために將 軍に服從する事によりて大名なる自らの地位に於て法上. の能力を獲得し漸く法的概念に進んだのであるSし、之 ε併せて﹁大名論﹂︵同人、歴史ε地理︶に於て大名の逸源. を論き、寄食時代に大名はまだ大名ミして特殊な階級的 勢力を成すに至らす實に守護又は地頭ごして活動したも のであって、大名の玄翁はまだ記録に現はれないが、鎌倉. 末期になるミ全國各地に置かれた地頭が漸く勢力を得て 荘園公.領の組織を鍛食し、その年貢を横領し、自己の私. 有化したのであって南北朝室町時代は大名ミしての領地 組織が出町た臨代であり、守護も亦此時代に自己の分國 を領地化したのであるを説き、﹁守護地頭に關する新説α 根本的誤謬﹂︵李御澄,史墨灘誌︶は前年に於て中田博士. ミ牧學士ミの間に数次の論雫が交された文治守護地頭設    第九雀 昨年の奥皐地理學舞、.         第二號   九五 ︵二七九︶. 纂けたのみならか臨後世に大なる影響を興へたミ言った事. た慰や、醍醐天皇の延喜二年の整理政策が湘當な成績を. 田、い化したのは勅旨田が其の備、こなったのであらうεし. 輪租であったが、藤凍氏以下貴族の所有地が多く三輪租. あるけれさも、不輸税の特礎を與へられたも分だけが不. の巾、莚園は元來租税を負嘱しなければならないもので、. ﹁李安朝の蕪園政策﹂︵川上多助、同誌︶は長編であるが、其. 階級の肚垂葉地位を示す一研究・こ見る事が出來やう。. 置かれたものでないぐ㌧する持説を支持して居るのは武士. た、bので、羽撃的な警衛そのものを目的ミして永久的に. の追締を完全に執行する方法亀こして臨勝的に軍政を行う. の制度であるぐ﹂する論の最後の根糠を誕し、義縫等爾志. ■.

(14) 銘九巻  昨年の典學地理學二塁. や二三條天皇の認一所口置の口は東大寺回書により、延 久元年閏二月十︸口であって、翼れに回すろ宜符は三月 二十三珊であったミした事、記録所が頼通の蕪園まで整旗 売し元か巾こうかは不明であるけれ,こも其嫡子の蕪園S錐. も其文書を提出せしめた事は疑ふべからすミした事、蒸 立蕪園停止の勅は不正なる蕪園を淘汰する事が目的であ.         夢二號   九六 ︵二入○︶. らなかったから南朝は足利幕府の劇めた孚濟に倣うて朝. 用分を始めて漸く繰濟上の三振を繋がれたのであって、. 朝用分は臨晦のもので其牧入全部を忍された黙が、牛永. 久的に牧入の掌分を牧めた牟濟ミの相達輪である事を力. 説し工、室阿時代の皇室御領L︵同人、室町時代の研究︶北. 朝側に健はつた御領は主εして長講堂領繁町院領牛分等. であったが、此時代に新に禁裡御料所の名を有ったもの. や各寮司の厨有する・占地よりの牧入、關料、諸公事配置. って正當な手綾によって立てられた蕪園の特椹を慶止す る意志の柔つたものではない一こ言った紬なさは大に煙る. が加はつたのであった、こ言って此頃に於ける皇室財政の. 橋小舟太、歴吏・こ地理︶は室町時代に勾配ある公卿や寺. 唄班を示したものである。﹁京都の屋地子について﹂︵岩. べきであって、延久の記録所については、﹁延久記録所の. 意義﹂︵三浦周行、歴史ミ地理︶が記録所は漿に皇運不明. の蕪園を停慶せしめたものではなく天皇親政の御繧給ミ. 見﹂︵中村直勝、同誌︶は後醍醐天皇が土地に罪する本所. があらうぐ﹂患ふ。次に、﹁南朝の経濟に宿する=一の私. の第一歩であったこ断じたのミ併せ考へて相啓漏する所. 潤灘にする事を根本方針ミし仁もので、撫鐡家樺力失墜. に悉く慨したものでもない・こし、轄じて室町時代に於て. るが、地子賦課の標華や勘定期間はU定せす、町内軒並. 寺祉又は公傷武家に夏冬二季に米銭を納入したものであ. 都の屋地子は鱒入叉は一町或は谷町から其地を知行する. がやがて京都に屋葭子の越つ九所以であらう。面して京. 肚が定期に京郡の町から宅地観を取る;払芯なり、それ. 領家の聯鎖を解かれた結果南朝の所有し給うた八條垂領. 地子・こいふ語は年貢、借地粋,宅地貌の三つの意讃を有. 相論って積極的に國有地を多くするミ共に皇室の御頒を. や竈町院領三分は四散してしまって南帝の手には何も残.

(15) ﹁破物、魚類、綱草、鐵砲頻、鋳物の座に就いて詮明し、. ,於ける座の研究﹂︵脇村義太郎、史學︶は岡地に於ける鞭、. ものを公定し之を強制したのであみミし、﹁紀州田邊に. 吉は私量中の大なるものを擦準さして慰書九合五雲弱の. や、それ以上のものも行はれたが天正+四年に至って秀. 來更に大量な私量も行はれ室町時代には京桝一升程の桝. 制ではなく京桝四合餓のものであったQしかし李安朝以. もので、長保延久の宣旨は非蓮の検定であって公量の改. 町時代に至る聞は大聖似窃つた公定量が行はれて居った. て居る。﹁桝の研究﹂︵鈴木登、同誌︶は奈良朝購代よの室. つて居ったεして、地子が宅地税の意味ある事を力論し. ら鎌倉階代にかけては宋朝鏡の流遜を禁止する事が最も. の制限、紫幣の新鰭によりて物貨を調節したが王朝末か. ︵柴謙太郎、歴史地理︶を見て王朝時代は物費の公定里芋. 極めて懇切に設明せるは、﹁江戸時代以前の物償調陸軍﹂. 瞭二朱銀の嚢行、丈政以後の貨幣の滑革の歎項に分ちて. 徳に至る貨幣の愛遷、正徳より元文に至る貨幣歌態、南. 貨幣の滑草を文瞭より元々に至る野営の憂単元嶽より正. 於ける貨幣流通献態や私鱒を昼餐し、徳川時代に於けろ. う。また﹁日本賃幣史﹂︵読本誠︷︶が上古中世茂び近古に. 塵世であったかも知れないミ言へるは面白い見解であら. た謹左はないけれ㍗こも、見様によっては同氏の軍需品貯. 禁制に關する考察﹂︵柴謙太郎、史學雅誌︶に於て選銭は. 必要な政策霊なり,明認以後は撰銭の禁捌を以て之に當. 晶の製造販賞者を保護し以て城下町補般の繁盛を來さし. 選び取るに罪すして選り除けるの意味のもので室町隠代.    は  最  初  は  専  業  者  の  圏  詩  思  ち  組  の  意  義  で  あ O 由  魅  に  点  て  も座. めん事ξ、座より冥蒲畿を取りて一実の財敢に託した事. 馬に起つた特殊の青線であり、物熱愛動ミは直接何等の. つ九のであるミし、更に別に﹁室町時代の撰銭及びその. ミは座を嚢生せしめた原因であるSして座なるものが人. 關係も持たない。其の禁制は撰銭行儒の禁止を目的ミす. って、終には田屋ざ同じ意義のものεなった労し、必要. ∴駕的に出等した嚇例を述べて居る。次に﹁中世の竹生島﹂. ・るのみならす善悪爾貨の併用を規定しや、︾ミする貨幣流.         第二號   九七︵二入一︶. ︵同人、岡誌︶が淺井民の竹生島を軍事上の目的に使用し    第九巷  昨年の史學地理學界.

(16)  文墨の方面では﹁萬葉集より古今集へ﹂︵吉澤義則、歴. の説を廃したのは注意すべき設である。︹中村直︺. く浸交渉の事象であるS言って前年に現はれた渡邊博士. ない。從って身銭の行爲も禁制もグレシャムの法曽は全. 麺政策であり、他の一面から見れば物債調節策に外なら.    第九巻  昨年の更摯塘理學界. った爾め却て倦怠を生じた結果であるミし﹁畏縮百人一,. て、前田短命なりしを,形式が叢りに整齊の美に顯著であ. ﹁施頭歌について﹂︵胡山生、國學院雑誌︶は愛護達を説い. 谷輪編論叢︶は遍昭の入物を評して洒々落々たりεし、. かつ九ミ蓮べ、﹁歌偲ミしての偲正装昭﹂︵有川武彦、龍胴. 然が私塾を開くや兵庫の富商教育に及した影響は少くな.         第ご號   九八 ︵二八二︶.    ゆ. 史ε理地︶は萬葉,こ古今ミの歌風の差異は、嵯峨より警急. 首講話開題﹂︵逸見仲三鑛、同誌︶は定家言建生ミが小倉. 識して居なかつ九らしいから其の論は不徹底に終ったミ. の一定のものεの二種であるが,彼は此差珊槻を判然意. の設けるしらべは内容の相違に件ふものミ、耳門ぐ﹂して. せ、﹁香川景樹のしらべに就いて﹂︵急騰義期、竪文︶は彼. 蒐集し、附録、こして蓮如上人に註する史料のこ三等を載. を紹介し、﹁難解土入の和歌﹂︵同入︶は其詠百八十三首を. 川正、合掌︶は慈鎭が和歌の上で隆寛ε交麺のあった事. ものであるく︺云ひ、﹁拾玉和歌集・こ隆寛律瞳の三吟﹂︵橋. 紙歌ざ彼εを混訳したる結果態々の論を生するに至った. のが今日の百首であるが、二宮邸に於ける定家自撰の色. 山蕪の燐めに共撰したのを、後に駕家儒氏の手をも経た. に至る四五十年閣に亙る和歌の暗黒時代に國りて醸され たものでめる・こ断じ、﹁歌人大俘族人の生涯﹂︵澤潟久孝. 同誌︶は彼を目して悲痛に亡き易い感情の持主ではある が、其、封象が過逼るミ再び明い光を見出し得る性情の人. であったε考黛﹁本居宣長・こ上田秋成ミの論璽に就い て﹂︵岩橋小彌太、同誌︶は其惑溺の大要を紹介して、右. 典を無批判に奪指して 般の傾向に反蜀せる宣長の忍想 霊、古典の内容にかなり自由な意見を有し而も戯作者肌 であった秋成の態度.こは到底⋮致する事が出置・かった ぐ﹂云ひ、﹁兵鷹の富商−こ丈長﹂︵古出良一、同誌︶は兵庫の. 文事の稽見るに足るに四つたのは徳川中葉鷹見心添の出 でた以後の事であって、蕪村旭莚の翁忌に刺戟され、浩. 璽.

(17) 誌︶は閑居友は軍家の典糠ミなった事を推察し得られる. 緯溶し、﹁軍家物語著揃の資料に就きて﹂︵後藤丹治,同. 脇毅、藝文︶は寳隆の聴き及行った源語の講義に賎して. る事が認められるミ云ひ、﹁三條西賢.隆ミ源氏物語﹂︵山. て蓮作され、歌譲ではなくて和謎で、天台家の製作な. 執ので、本詞章秦部叉は一部は同時に或一入の手によっ. 章ミ梁塵秘露の法文歌ミの間には必ず何等かの關係ある. 憎大報恩寺佛罷内所現和讃考謹L︵志駅馬秀,同誌︶は此詞. 後日月雨都濃の枕詞ミもせられるに至ったもの一こ解し、. 或は自然に省かれてヒサ賓客こなの天の警喩に用ひられ. バた結果、ヒサゴガタミ云ふべきを放意にヨ㌍省いたか. 誌︶は古代に於て天室を日常使用せゐ馳の形に似たS考. 長崎時代を読く事詳しく、﹁ひさかた考﹂︵山田孝雄、同. 論じ、﹁申島四足ε長崎し︵久保猪之吉、心の花︶は廣足の. 彼を標示的假名港論の先皇者ミするは穏常でないミ駁し. 誌︶は上田秋成の無名邉に關する考を不眞寧日なりミし. たが彼に負ふ所は少くないミ論じ、﹁据膳通論﹂︵同人、同. に至らなかった爲めに、國藥は禽ほ長流には起らなかっ. Sしたものであったが朱だ其和歌煮凝融を藁に理解する. て﹂︵岩橋小粥太、同誌︶は長流の歌畢は萬葉研究を中心. は何れも之ε姉妹篇である、﹁下河.邊長流の學問に就い. 本類聚名義抄孜﹂﹁思念寺本類聚名義抄致﹂︵同人、同誌﹀. 云ひ得られをこ説き、﹁高山寺本類聚名義抄致﹂﹁観智院. は賛巻本系統に規するらしき和名抄をも滲考して居たミ. の産物で識者間には直接の引用蘭係あるらしく、R薯者. く只言の法師ミ想像され、内容からして和名抄より後. 其著蓮年代は築安末期叉は鎌倉初期なるべく著者は恐ら. 重るぐ響論じ、﹁類聚名義抄に就いて﹂︵岡田希雄、同誌︶は・. 考﹂︵同入、同誌︶はこれによって當時の伊勢の歴眺地理. 畏門本等には籐り認められぬS見難し、﹁鴨長明研勢記. 國學ミ萩原烏鷺﹂︵俊士破塵雄、同誌︶は甲斐の國墨は初、、. 且、彼の古翻字法の下見は狸創的なり隔こ云ひ、﹁甲斐の. 轟轟下川氏εの蘭係に就いて其億記に新しき光を加へ、. ﹁契沖阿閣梨難事﹂︵同入、歴史地理︶は彼ミ長流似閑見林. ・棲勢瀞宮の故事典禮を研究する上に哺資料を得る事が出.        第﹁  ■  、九︵ご八三︶. 一か、隆回房卿艶詞目障代⋮勝事記海凱邉記宙ハ閲⋮紀一行等εの⋮關係ぼは.    第九巻 昨年の斑墨亀理學界・.

(18) 以後に於ける芭蕉の句境展開の跡を強討し、﹁江戸丈學. 蕉野ざらし紀行評論﹂︵荻原井泉水、早無期丈學︶は貞享. 芭蕉残暑の蕉風及芭蕉に思する参考書蝋斑を叙し、﹁芭. 口功︶は芭蕉以蘭の蓮歌俳文芭蕉の経歴人物俳風詫急撃. のを生じた事は最も注意すべし言論き、﹁芭蕉研究﹂︵樋. る形・式を備へ、殊に和歌の功徳戴襯能の奇特一を脚色せるも. は運勢藥術の功力に慰すろ論諾は室町畔代に於て成熟せ. あのたり¶こし、﹁文藝奇鍛諦の成立﹂︵阪倉篤太郎、同書︶. りて避道ε支那純丈墨の製作ミに率越せん事を期すうに. 梅を繋げ五由櫓侶の儒騨世羅研究の着眼黙は、儒曾ミな. 利貞、室町時代の研饗︶は五山丈墨の開槻Sして雪村友. を警めたεて、元克の徳を詳叙した、﹁豊田文學論﹂︵那波. 古葉的國墨を輪処し、彼の死後は古屋氏の家墨のみ隆盛. 京都摺紳家の流掛汲む物であったか襲爵が斑て伊勢の征. 民﹂︵櫻井秀、史林︶は初期の女装は魅會的影響を受けて.  風俗方面の研究では﹁軍安朝初期の女装及其飛會的背. 布の方法欺況及献上暦に就て説明して居る。. 興宮皇學館史扇島々報︶は暦の語義悪策より古來の暦頒. 家言異ろ著明の鮎なわξし、﹁頒暦史談﹂︵木村春太郎、. 事ε儒敏的訓練よりも惰趣あろ教化を主εしたこミは武. 誌︶は箕、敏育方法並認程を細叙し、有職國史の素養ある. 戸時代に於ける公家階級の女子敏育﹂へ櫻井秀、史學雑・. 是くミも鎌倉末期には有ったものε見られるミ云ひ、﹁江. 入に習字聖書を教へる襟になったのが元で、寺院教育は. 史ミ地理︶は億侶養成に努めて居る闇隅に其蝕業εして俗. て一般の実話を訂正し、﹁寺小屋の淵源﹂︵高橋俊乗、歴. の生年は寛延元年で我國地動説の鼻繋は翁なる事を説き\. でなかった事翁の墓所ば大阪天満東寺志野導寺なる事翁. ︵苗田次郎、國學立縞誌︶は翁の生家山片家が元御薦替屋昌.         第二號  ﹁∩Q●︵二入四︶. ε都市生活﹂︵山口剛、野犬.︶は江戸都市文學が俳譜精瀞. 全く島式を中心的服飾ミし奈良朝式典型の延長完成に外、.    第九悠  昨年の更學馳理藥・界. 豊絶縁すべくして相離れ難かった關係並に洒落太に現は. ならぬぐ﹂云ひ、﹁李安中鞭に於ける女装の構成及種肥﹂︵同.                  ゆ ゆ の    . れた江戸人の通の生活を詳捜して居る。. 人、考古學灘誌︶は定型的構成服飾附凝結衣脹朝服の憂弓.      り    .    む    .  次に墨術薫育等に離しては﹁山片幡桃翁の事蹟補邉﹂.

(19) 愛心官吏庶入の家庭的服飾に就て述べ、﹁李安季世に於. な舞踊藝聾者であって隠子の候補者ではなく且躍子離は. ε云ひ、﹁近眼に於ける京の舞妓﹂︵櫻井秀、岡誌︶は上品. 影ミ同上の物より絡で江.戸時代に厨ら別のものεなった一. ’. ける女装の憂心ざその背景﹂︵追入、歴史地理︶には理髪. 別個の嚢達をしたものであらうミ考へ、﹁賀留多の億來ミ. ものであるざ述べて居る。. の風俗徳用具化粧法服飾構成及形態の推移に就て説き、. 風化し圓融帝より藤原氏盛時に至る迄の内に全く唐風を.  次に歌舞演劇関係では﹁壬生狂言源流考﹂︵吉澤学期、. ﹁藤原式女悪運﹂︵同人、國學院盤誌︶は其女装の噸々に. 腕試し監せし事を論じ,﹁美平良考﹂︵同入、同誌︶は開門. 室購時代の研究︶は舐園御族所潔斎の田無が千生寺の大,. 流行﹂︵新村爵、舞文︶には天文末期或は永藤頃良人に依噛. 以來行はれ來つた黒風ミして最も命脈の長い物の一で外. 念佛に結付きそれが策僧によりて影響付けられて江戸時. て細密なる研究を援表し、﹁西鶴本に記されたる女子の. 國風俗の影響叉は時勢の風潮を受けて其種類を濫費した. 代初期に生れ出でたもの,こ見、閻魔堂縄迦堂の推言共に、. るを最初の傳來、こすべく、天正カルタも元來ウンスンカ. が依然後世に踏襲ゼられ婦人の下髪S共に悪風の二大系. 壬生を眞似たものであらうぐ二云ひ、﹁室町時代の共蓋﹂︵岩. 容姿﹂︵江馬務、風俗研究︶は西鶴本中の女子風俗を分. 統をなした事を蓮べ、﹁萬歳Sその服装の空電﹂︵同書、. 橋小鮎太、同書︶は其作家所作音樂猿繋の徒の祉會的地・. ルタの別稔を有して居た物であり、遊女の名ヵコヒ、キ. 同誌︶は萬歳の起源を男踏歌に猿悪熱樂の分子の混入せ. 位猿樂の座等の諸方西より之が解明を試み、﹁能樂に於. 列繋して説明し、﹁李安朝初期に於ける女装の憂革に就. るものミし、服装其他に就て説き、﹁毬打ぷりん、¶こ羽子. ける假面使用の意護﹂︵岩崎眞澄、思想︶は能樂に於ては. ンゴ松⋮甑悶スベタ町名ρ不ント等は︸兀賀期田多用瓢叩よ・り起つた. 板の新研究﹂︵同人、同誌︶は毬打は正月の相槌卯杖の癒. 面を用ふるが本來的でワキ其他の附随的人物がU般に之・. て﹂︵同人、同誌︶は奈良朝の唐風は嵯峨帝頃より漸次國. 用されし物編子擬の根本的意義は邪鬼を去る事三々は毬.         第二鑛  一〇一 ︵二八五︶.        ゆ ゆ ゆ  .    第九巻  略年②史購塊羅學隻.

(20) ︵中川忠順、思想︶は二八材料方法を設き憂事の裏面に紙を.  更に美術建築の方海を見るに﹁天壽國鴬茶羅に就いて﹂. であらうミ論じて贋る。. 女優によりて代償し得べからざる美鮎を認めたのに基く. 代に於ける此風習の例謹を暴浄古入の女形を賞美せしは. に於ける風俗上の男女性交換の習俗に求め、鎌倉室町時. ・路について﹂︵櫻井秀、史學︶は女形の原流を李安朝趾曾. 理等より考へて豊丘こなし、﹁女形の起原及完成の史的径. 理由は能が其糞達上物眞似を本塗ミするε子方使用の心. じ、﹁能はM入本位の演戯であ.る﹂︵野上豊帰郎、同誌︶其. ても面は能樂の中心的なものであるミ云ひ得られるミ論. 事を物語るもので、實際上面が能の位を規定するよりし. 蒼く理的以外実需の本道から云って傍系的のものもなる. 叉最も陵辱的な現在物が颪を用ひないのは假面の性質に. を用ひないのは能樂がシテ中心の假面劇なる事を意味し.    第九雀  昨年の更學塊理學界. なるべく地方の武人を題材εしたるは露量に値すべき事. 人物の表惜を縛すに巧である事、製作年代は南北朝初期. 同誌︶は其風景諜に秀で武入の動作を描くに特技を有し. 識彫刻に就て論明し、﹁男裳三郎絡詞に企て﹂︵藤懸静也、. し、﹁鎌倉古寺の什賓﹂︵音入,罰誌︶は建長寺圓癒寺の絡. 段で紺地に金銀泥を用ひた筆法には特殊の美感がある隔こ. 支那作﹁こ錐彫し、殴書か白描法を探画したのは賢明な手. 飾的隈取衣紋の集合線條に依る陰影法・’2特徴煽こし唐末の. 羅に就て﹂﹁再び子嶋曼茶羅に就て﹂︵瀧精一、醐華︶は装. 材の内容からも規定されるからである、こ論じ、﹁子嶋曼茶. 的が尼額を含む所から生じ鼓巧の醤油的背景に從って題. れ,こも現存繕巻物には折衷的の物が少くないのは表現目. 規定し一方には色彩派が生れ他方には桜煮派が生じたけ. 法の差が導かれ、之が又内容に影響して内容は又形式を. ふかに・旧りて種々の形式を生じ從って之を形作るべき手. の意味に煮て時間的意味を有し如何に此時間内容を取振.         第二號  一〇二 ︵二八六︶.          ゆ. 當てたるミニ段螢世法の使用書五種の刺繍法の覗今のそ. を云ひ、﹁良全に着て﹂︵圃入、同誌︶は良全ε基面ざを同. 一人ミ見るべく其、號を可翁ε算したが別に宗認可翁ぐ㌧云. れミ何等煽蓮なきミは注目すべしミ云ひ、﹁総二物につい て﹂︵上野直昭、同誌︶は嚇般に給⋮巻物ε云へば必ず何等か.

(21) へる輝曾があって 此混同せられ可翁ごは宗然を指すに ,至り良全は閑却せられたが、彼は南北朝頃佛霞に長ぜし 、元の蹄化灘佃で我國に二元系統の書風移入に大功ある一 入である噛こ設き、﹁鎌倉時代に於ける鎌倉の庭園﹂︵外由英. .策,同誌︶は圭εして吾妻鏡に依りて當時の無明なる庭. ︵源豊秋、歴史哨こ地理︶は桃山時代の此彫刻は群民的童話. の最古の史料¶こしての興味¶こ共にか・ろ説話を建築彫刻. に心用せしもの・こしても注目すべきであるを述べ,﹁鳥居. の研究﹂︵大須賀軽蔑同誌︶は名樗起源品質形式構造慶遷. の経過他の建築物−この關係に就て述べ﹁桃山時代の建築﹂. 寺金堂﹂︵天沼俊一、同誌︶は現物より研究するε此堂は. ︵佐々木恒清、同誌︶は其實例の哨々に就て説朋し、﹁黒光. 文學︶は其傳記入物を叙し叉作叢を評して玉堂は象徴的. 室町時代建立の奈良式明暦探光裳暦附佛殿で珍しき建築. ,園の模襟を紹介し、﹁浦上玉堂ミ釧雲珠﹂︵古川修、早稻田. 雲泉は理想解義の藝術家なりミし、﹁高山正之の影像に. ぐ﹂云へやう喩、旨云ひ、﹁鹿苑寺金閣の建築﹂︵武田五一、室. 町時代の研究︶は金閣の便器は常時の建築界の特長を現. 就いて﹂︵和田信二郎、歴実地理︶は華山筆の物は立原翠. 軒像の下総の一種で高山鴬語所載の物は翠軒像の下絵を. 々木恒清、同書︶は彫刻を除いては何れも未曾有の嚢達. はし大艦篠殿造S佛殿造Sの二者を集めそれに和襟麿檬. たる古建築﹂︵江崎魁偉同誌︶は法隆寺の如き最古の木造. をなし而も皆美的償値の高かりしは宋元文明の影響、こ歴. 粉本ミした、こいふ論があり、現在の所栗田博士所藏菊地. 建築を保有し得たるは良樹種良材の使用製材及蓋果に封. 代將軍の美術癖に由るもので、作晶の眞償は其表現の淡. を併せ使った鮎にあるεし、﹁室町時代の美術工荻ご︵佐. ずる建築上の注意保存の注意装飾的塗料の防腐的翼果及. 洒な黙に存するご論じて居る︹中村喜︺. 容愚筆の物が最も信ずるに足る、こ云ひ、﹁林業家より見. 土地の乾燥に因るもので其用材は附近山林より伐探され.  宗教に製するものを先づ古代信仰瀞言及憩胱の側から.         第二號  一〇三 ︵陥入七︶. 一瞥するマ脇墳纂の祭典に就いて﹂︵本多辰次郎、中央史.  ゆ                          ゆ  ゆ          ゆ ゆ  ロ   . たものであらうく﹂云ひ次で大佛殿の構造用材産地伐探搬 の衝方法を詳論し、﹁氣比瀞宮の桃太郎の彫刻に就いてし    第九巻  嘘年の史學堀理學界.

(22)    第九巷 昨年の更學地理墜界 壇︶はヒ代に於ては黙魂の死後の存在を信じたがそれに 一肉艦に右翼心する燃初顔ミ、瀞⋮離陣する螺懸口・こ。が考へ・られ、晶鯛鞭誉. の祭祀が露蘭祭で後者のが墓前祭であるこミ、大蔵出雲.     り ゆ                 り.         .         第二號  一〇四 ︵二八八︶. は爾部習合の下心があったので、傳蓮一心戒文によれば .二人の年分度者を奏請せられたのも護法の爲のみなら偽. 本・尊ぐ﹂山王棘εに報謝せんミしたのであ.るミいひ、又大. 師に本地垂遊思想のめったこマ﹂を動輪穣の銘で疑しよう. εした﹁諏訪紳肚の研究﹂︵八代國治、國學院錐誌︶は諏訪.                          . 山の眉聞寺を始、こして墓側に寺院を建て、亡嬢を供養し. の上就の賓殿はも・ご本殿で本殿かないミ思はれたのは本. 諸就は陵墓か沸祉ミなった例であるこ、こ、誌面では猿穗. たこミ叉墓に塔婆或は堂を建てたのが寺院になったこε. 地普賢菩薩の遍一切の義から起つた思想でああう叉上下.   の む. を設き﹁我が上代に於ける道家思想側道敏について﹂︵黒. いはれてみるけれ,こも寧ろタブーの一種であらう・こいひ. 爾肚にある御柱も四天王四這生殖器崇舞の憂形であるミ. くから輪写せられ儒教を講來した﹁こ思はれてるる王仁の. ﹁淡路國鳥飼別宮に就いて︵宮迦直一、歴史地理︶は就寺. 板勝美、史林︶は日支の交通は非常に吉く道家思想も早.                                 の                         ゆ . 如きも酒戦の浸潤してみた二親地方から出たので彼や阿. 療養庄について論じたものである。﹁水天宮の研究﹂︵及. .直伎の子孫なる文氏が大祓に上する呪文の如きも道家思. 想であり、其風が紳祉の祭式に及ぼした影響も甚力多く.                    ゆ ゆ   川嘉右衛門、歴史、ヒ地理︶は久留米にあるホ天宮の本工.   ゆ  . の所領に本宮を分遣して其の鰻守でなす事の一例ミして⑳. 紀記の傳訟に於いても道家思想で解せらる・ものがあり. から出る東王父西王母の銘ある二人鏡の如きも軍なる愛. 意味し役行者も其最後の殉教者であったかも知れす古墳. 火災後に火風の爾天宮が祀られ其後火除の紳εして水天. の語の韓化であらう、沁戸の水天宮は元隷の久留栄藩邸. 位尼叉は河堂−こもいふが、原始的の信仰では水赫で雨乞. 尼御前肚の祭瀞は其の名に就いて海紳ミも安徳天皇及二. 姓品−こ見るべきでな匂こいひ、﹁傅教大師ご撫王難﹂︵山. 宮が紀られ當隣諸侯邸内紳の流行につれて繁昌し本柱の. 、葛城生駒演劇の奇憩の詑事も其庭に道観のあったこミを. 田網倉、叡幻宗教︶は大師が大宮二宮を山王ミ樽したの.

(23) ,尼御前、こ關勘づけられて水天宮の名が久留米に逆輪入す. みに至ったミいってみる次に佛数の方面を見るに、﹁元興. Sして帰際的感情的な國風に依毒し叉聖徳太子の影響。≧. 大師のが行の宗教であるのは大師の偉大な信仰ご臼本人. 井懸信、叡山宗教︶は傳教大師以前の宗教が畢の宗教で.             む   の. 寺考﹂︵竹揚寛、史畢會々報︶は醍醐本十八細線起の元興. 宋法逼迫の思想芝に基くものであろざいひ、﹁遽事業の起.                り   む  .                    の 寺.縁起及資財帳を根本史料・こして元興寺の創立事情を明. 源に就いて﹂︵熊田龍雄、密宗畢報︶は大師ω著書には傷.          ゆ  . S見、百濟の彌勒石像の安置せられ尤のは櫻井寺で元興. 論に合一的法門があるから其の起源は既に彼にあるか更. 慈斑智謹爾大師に始るこいふ説もあるが親撰疑なき顯謬. 像も豊穣である・ヒなし、其の他書紀では法興寺が三大寺. に支那に淵源して居るミいひ﹁御慧告に託て﹂︵餓尾子美. 哲學難誌︶は壽盛の華墨五教牽指事記は鑑眞の天台章疏. あるミいひ﹁東大寺壽薙の華嚴墨に就いて﹂︵島地大匙、. で萬葉集に元興寺を飛鳥寺ミいってみるのも亦其一謹で. って、何れも自叙傳の形式を探り其記事大略同︸であっ. 曝露︵三︶砂腫に與へたもの︵四︶諦弟子に與へたものであ. は︵︸︶承和元年+一月+五日付のもの︵二︶二+五二條の. 種は四種の遺告,こ二種の逡越こに分つ事が娼來るが慧告. 同誌︶は察海眞撰の幽幽εして全集に工められてるる六.       ゆ. 心強から塞海の食塩將來迄の聞に成ったものであるが彼. て恐らく第四が其旗型であらうが、文僻に和習を幣び逡.          . 信興編寺の慈訓の學系に属するものらカく其研究態梗は. 告の艦をなさす自粛の語黒滝的な記事あり且つ三敏指蹄. ﹁心しては三論に論及する事少く法相に深く殊に天台の章 硫には非常し奪敬してみるミいひ﹁傳敏宗教の生命﹂︵櫻.    第九巷 昨牟の史藥地理學界.  、      第二號  榊〇五 ︵二入,九︶. 知るべく大師の親撲ミ見るべきは二種の強誠の内所謂承. ■. や請來樹録の記載ε矛盾するから俗撰で其の他は推して. 黙黙を緻蓮して居り至胡海東静法面を異端観せす他宗に. 寺の事丈の見、λてるるのは爾寺が伺︼である事を示すの. の一に撒へられる程の大寺であるのに績紀では猫り元興. 寺ではないミいひ、又縁起によって法興寺に置かれた佛. 撰が多く夫に見④る園蜜統︸の思想も疑はしく遮那業は. め書紀に見ゆる法興寺創立の記事ざ鋤照して爾寺を同朋. ’.

(24)                    り り り      .    第九巷  昨年の史學地理肝魂.  . 和の御駕誠のみであらうごいってみる猫ほ爾密事湘の相 承に就て﹁爲岳に於ける灌頂について﹂︵櫻井貫蓬、叡山 宗教︶は爾霊山に於ける灌頂は︵一︶撃方灌頂︵二︶葉上灌 頂︵三︶山家雛頂の三流の絹承があるが︵.扁︶は永観二年町. 議が苦く金剛薩錘から爾部大法の論難を授かったに始る Sいはれ︵二︶は上野長樂寺環海が榮西の儀軌密具を影響 して正安三年に大衆に授けたのが始で︵三︶は乗林房快仙. が文題三年に山家の光宗流管坦灌頂を受けた事から起り 後大に榮えて却て叡山に磁輸入した一こいひ﹁憲深碧の相 承に就て﹂︵長谷川寛勝、密宗學報︶は束密小野派の内最. も聡く行はれ行規口決の整頓せる水本報恩院の憲町方に ついて諦観憲深は三費院末流であって勝海を教柵阿閣梨 配したこ一こ彼の後に十二の異制承のある事を血脈で示し. 獄道秘方ごの鵬﹄二寳院流の正嫡を雫ふも共に其の正門 であるこ煽こを結べ﹁上童冊立の反映Sしての三登院の嫡                        む 庶﹂︵辻善之助、歴史ε地理︶は後宇多法皇は憲淳に命じ. て道順に三寳院の嫡流を附燧せしめやうミせられた金め.     . 憲淳は隆勝に漉瓶付蓋し乍ら法皇の強請に依って止む塚.      り. 、.         第二號   ﹁○カ ︵二九.O︶. ぐ秘魎聖敬の一部を道順に與へたのが後日の離陸の困を 。なしたこミ法皇は隆勝に重費を徴されたけれさも隆勝は. 道具聖歎を携へて鎌欝に奔った儒めに法皇は道順を三酉. 院の嫡流ざせられたが持明院統では隆勝の訴によって彼. を嫡流S認め後醗醐天皇の御宇には認諾の後なる駕籠を. 正流ミ認められたε響いてみる。﹁恵平俗都ミ日蓮上人﹂                         お ︵冨森大梁.傷心︶は念佛を無間の業εして攻撃した日薄. は我画浮土教の先騒者たる恵心を甚だしく攻撃しないの.                り. みでなく往生要集は落々の方便で櫓都の翼意は一乗要訣. にあるεいってみるのは彼が恵心流の台學を憂けたから. で、其法華開宗には必ず要訣に強いヒントを得たであら. うミいふに撫して同じ北征を捕へた﹁懸心慰都ε日建袈. 人﹂ハ小林是恭、法華︶は鎌愈時代浮土教の勃興は末法思. 想ミ關啓してみるが翻心の念佛思想には末法の意識が濃. 厚でない彼は天台圓教の大成者で止観の妙味に満足せす. 現益界に接鰯するのが其本意であったから、藪に口構. の正倉の要を認めたのであるが日蓮は慶嘉の事観思想に. 影響せあれてみるけれ隔こも一粟要訣が輩に三乗方便五性.

(25) るSいったけれさも彼の思想に一大糠機を示し#佐渡以. は始めは往生亡霊は轟轟の方便で一乗要訣が其眞意であ. 轟のる。更に﹁吾租の慧心行都観﹂︵同人、同誌︶は日誌自身. 覆工乗を無封覗し久遽本締の楽寝に蹄参する所に大差が. も心土三部縄も同一に取扱ってみるのに反して日蓮は法. 各別を排し日切有佛性を主張するのみで諸大乗経は法華. に入りて得度し源信ミ病付Sに台教ぐ﹂束密、こを畢び聖蹟. 之助、史受難誌︶は大江定基が愛妻の死により纏頭の室. で計算したミいひ﹁入宋僧寂照に就いての研究﹂︵西岡虎.. 當時の信仰形式ミして造寺造佛が重んじられ功徳を撒蚤. 系統から日蓮、聖から法然,沙彌から親鷺の宗教が出で又.. 級に及び彼等の間から持経者、聖、沙彌等が出て持適者の. に專修羅佛行者から流魍の判人Sして仰がれてみるのは. る。﹁日本に於ける佛教史家の先騙並に其の馨書﹂︵大屋. 読ミするこミよ6入宋後示寂に至る迄の事蹟を設いてる、. 巡灘の爲め入宋した其の年には諸詮あるが長保五年を正. 役.等が山門の攻攣を避ける爲めに利用し虎のであるが念. 後では往生要集は專野曝佛でもなく選鐸主義でもないの. 佛横行の線は慧心に繭じて居り慧心は天台の獅子心中の. 徳城、宗敏研究︶は凝然の三國佛法徳麺縁起の先購ミし          ゆ   て少納言信西の子なる罷憲に三國博燈碧の著のあったこ. 虫であるミいひ、一乗要訣については履其日本一州園機 純鳳の語を引用するのみで内容には批評を加へてるない. のもので法然減後十六年から壁隣の頃までに信察門下の. 見明、史墨雑誌︶は法然の琵琶中源察聖人私日記は最古. ミを紹介したものである。﹁法然上人諸富成立考﹂︵中澤,             . 包文︶は李安朝は審敏熾盛の時代であるが晩年に至って. 手に成り流布本に上西門院が高倉天皇御宇に法然から得. ざいった﹁晶帯朝に於¢る法華信仰S彌陀信仰﹂︵橋川正. 法華彌陀の信仰漸く現れ法華験記や詫生平の著作が多撒. 戒せられた記事中御宇の羅宇を脆したから後の諸億皆門. ゆ り             ゆ     ゆ   む      . に禺たこミを述べ道長が法華経を受持しつ、念凝した如. 然上人文集ミしての漢語燈録印本に封ずる決疑﹂︵藤原猫 . 院S天皇ミ共に受戒せられた襟に記してみるミいひ﹁法.. 徽に上って居り又往生記によって其信仰が武士庶民の階.         第ご號   一〇七 ︵二九一︶. く験記に現れてみる法華行者の願生者を兼ねたものが多.    第九谷  昨年の史學地軸學界. 卵.

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