• 検索結果がありません。

[The Thought and Techniques in the Preservation of the Environment : The Case of Tai Ethnic Group in Xishuangbanna, Yunnan]

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "[The Thought and Techniques in the Preservation of the Environment : The Case of Tai Ethnic Group in Xishuangbanna, Yunnan]"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

東 南 ア ジア研 究 35巻3号 1997年 12月

雲南 タイ族 の環境保全思想 と技術

-

西双版納 の村 か

ら-郭

春 *

TheThoug

hta

ndTe

c

hni

que

si

nt

hePr

e

s

e

r

v

at

i

ono

ft

heEnv

i

r

onme

nt:

TheCas

eofTaiEt

hni

cGr

oupi

nXi

s

hua

ng

banna

,

Yunnan

GLJOYanchun*

Asinotherpartsoftheworldtoday,thetropicalforestlocatedinXishuangbannahasdecreased rapidly inthepastseveraldecades.Thelossoftheforesthasbroughtwithitenvironmental degradation,andcampalgnSforpreservationoftheenvironmentandrationaldevelopmenthave begunrecently. InsplteOfthissituation,ifyouweretovisittheTaivillageinXishuangbanna,

youwouldbefascinated bythebio-diversitythatstillexiststhere. Thepaddyfields,trees,

bamboos,teafields,andvariousklndsofplantsallslgnifyanaturalvitality. AnanalystsOf thislocalecologicalsituation issignlficantforpossiblerestorationoftheenvironmentinthe restofXishuangbanna.

ThispaperexaminesecologlCalutilizationinaTaivillage. Thetechniquesofoccupations are considered,and farmlng "models"relating to the forestare investlgated. Through an analysts Of these farming models,the paper examines the Ta主 people's view of their environment.

Initially,traditionalagroforestry cultivatlOn is studled. The models explored include: mixedcultivationofcamphortreesandteatrees,cultivatingindigoplantsinforestclearings,

and cultivating siamese senna(Cassia siamea) for firewood. Afterinvestigating the actual environmentalsituation ofthese models,the economic and ecologicalbenefits ofthem are discussed.

Homegardeningisalsoexamined. Through ananalysisofthekinds,distributionanduses ofthe various plants.the economic and ecologicalbenefits ofthe homegarden are also investlgated.

Further.theholy forestlinked toAnimism lSStudied. Through an investigation ofthe sociaトculturalbackground oftheholy forest,therelationship between thevillagersand the forestisexplored.

Inconclusion,thepaperarguesthatagroforestrycultivation,homegardeningandprotection oftheholy forestareexcellenttraditlOnaltechniquesofland use. These"models"share a commoncharacteristlCOfsustainableuseofanaturalresource,anddemonsratethattheforest isprotectedasthemostlmpOrtantnaturalbasISOfthevillage'Sexistence. Ta主peoplebothtlSe and preservenature,and thiscan be regarded astheessenceofthelrnaturalview ofthe environmentandtheworld aroundthem. Basedonthisindigenousview,Ta主peopleseekto coexistwithnature. Finally,thepaperpolntSOutthattheexampleoftheTa主people'spractice

isanexcellentumodel"forrestoringtheenvironmentinXishuangbanna.

*京 都 大 学 大 学 院 人 間 ・環 境 学 研 究 科 ;GraduateSchoolofHumanandEnvironmentalStudies,Kyoto University,46Shimoadachi-cho.Yoshida,Sakyo-ku.Kyoto606-01.Japan

(2)

東南 アジア研 究 35巻3号

は じめに

本論 で対 象 と して い るの は雲南省 の西南 端 に位 置す る西双版納 州 とそ こに住 む タイ族 で あ る。 西双版納 州 には,熱帯森林 が広 く分布 して い る。 当州 の土 地 の

9

5%

余 りが 山で,

5%

足 ら ず の土地が 山間盆地であ る

。1

9

5

0

年代 まで は

,3

5%

の焼畑地 を除いて も,森林 は山地 の

6

0%

を 覆 っていた。 しか し

,1

9

9

0

年代 の西双版納 の統計 を見 る と,森林 の割合が

3

0%

以下 に落 ちてい る。 つ ま り,過去40年 間に,森林 の半分が消 えて しまった こ とになる。 森林 が急速 に減少 した 原 因は以下 の三つ と考 え られ る。 一つめ は人 口増加 (大量の漠族 の移民及 び当地域 に住 む少数 民族 の 自然増) につ れて耕地拡大 の要求 も増 えた こ と,二つ め は政府 に よるゴムな どの プラ ン テーシ ョンの導入,三つめ は燃料用 の薪 の伐採 (生活用及 び工業用)であ る。 森林が減少 した 結果,西双版納 には人 と自然 の間 にあ った固有 のバ ラ ンスが破壊 され,水土 の流失が ひ ど くな り,環境 が 日増 しに悪化 してい る。今後 の地域 の開発 に伴 って,環境 の悪化 は一層厳 しくなる 可能性 があ る。 この ような情勢 において, 自然保護 や持続 的 な開発 な どを求め る声 が高 まって い る。 西双版納 の タイ族 は一般 に盆地 と潤槍江及 びその支流域 に分布 してい る。 野生 の動物 や植物 の採集,焼畑,永続 的耕地 と, タイ族 は自分 たちの土地利用技術 の集密化 を発展 させ て きた。 タイ族が稲作 を主 な生業 とす るの は,西双版納 の広 い森林が タイ族 の盆地での稲作 に よい条件 を提供す るか らであ る。 水 は森林 か ら安定的 に流 出 して水 田 を港概す る。 また水 の中に含 まれ る有機物 や栄養分 は稲作 の基盤 を支 える と信 じられてい る

。1

9

5

0

年代 まで タイ族 は 自給 自足経 済の もとで,農業技術 を緩 やか に発展 させ て きた。 しか し

,1

9

5

0

年代以来,政治的 な理 由や無 計画 な開発 が原 因 とな って,西双版納地域 の森林 はひ ど く破壊 され, それは タイ族社 会の生活 に も強 く影響 を及ぼ した。それに加 えて, タイ族 の稲作 は化学肥料 や農薬へ の依存が高 まって お り,一部 の水 田や山林 で はゴムやサ トウキ ビな どの換 金作物 の栽培 も始 まってい る。 こ うい った現 象が見 られ るに もかかわ らず,今 日の タイ族 の村 は,予想以上 に,魅力的 な村 の景観 を 保持 してい る。 その秘密 は村 をおお う緑色 にあ る。 森林 が減少 した西双版約 の他 の地域 におい て は,荒れた土地が広 く見 られ,生態環境 の悪化が 目立つ。それに対 して, タイ族 の村 は,水 田,樹木,竹,茶及 びいろいろな植物 の緑色が旺盛 な生命力 を表 わ してい る。 タイ族 の村 固有 の この ような景観 につ いて分析す るこ とは,西双版納全体 の生態系 の回復 及 び人 と自然 との望 ま しい関係 の再建 に意義 のあ るこ とであろ う。 以上 の問題意識 の もと,本論 は タイ族 の村 を対象 とし,村 の景観 を解析す る。 具体 的 には, タイ族 にお ける生態環境利用技術 を取 り上 げ,その利用 の実態 を考察す る。 特 に, タイ族 の生 業 の中で森林 と関連 の深 い農耕 に注 目す る。 それ らの農耕 の形態 を分析 す るこ とによ り, タイ 466

(3)

郭 :雲南 タイ族 の環境保全思想 と技術 族 の 人 々の 自然 に対 す る見方 , つ ま り彼 らの環境 思想 に アプ ローチ した

い。

調査地域の概要及び民族 の概説

1.調 査地域 の概 要 西双 版 納 州 は雲南 省 の南 端 の国境 地 帯 に位 置 し,東 は江 城 (Jiangcheng) ハ 二 ・イ族 自治 県 と思 茅 (Simao) 県, 西 北 は潤 滑 (Lancang) ラ フ族 自治 県, 東 南 と西 南 は ラ オ ス と ミャ ン マ ー に接 して い る。 国境 線 は966.3km に亘 る (ラ オ スの部 分 が677.8km, ミャンマ ーの部 分 が 288.5km)。 当州 は景 洪 (Jinghong) と劫 侮 (Menghai) と劫隠 (Mengla) の 3県 か ら成 り, 面 積 は19,112.5kmごで あ る ([;11参 照 )。 州 内 の 山脈 は北 か ら南 - 傾 斜 し,次 第 に東 と西 の両 翼( へ 拡散 す る。 一番 高 い 山 は標 高2,429m で, 最 も低 い河 岸 は標 高477m で あ る。 全 州 の 山地面積 は18.000km2,総 面積 の95.1% を占め る。 山 間 に49の盆 地 が 分 布 し, そ れ らの面 積 は978kmコ, 総 面積 の4.9% を占 め る。景 漢 , 劫隠 両 県 の盆 地 は標 高 500-700m で, 劫 海 県 の盆 地 は標 高 約 1,100m で あ る。 州 内 の主 な河 川 は潤 浪 江 (Lancangjiang) で あ る。

槍 江 は青 蔵 高 原 か ら発 し, チベ ッ トの東 部 か ら雲南 に流 れ込 み,西双 版納 を経 由 して ラ オス- 流 れ 出す 。 そ の後 , メ コ ン川 と名称 を変 えて , ラオ ス, ミャンマ ー, タイ, カ ンボ ジア, ベ トナ ム を貫 き, 最 後 に南 シナ海 に注 ぐ。 最 人 河 川長 が約4.500km に もな る メコ ン川 は雲 南 省 にそ の上 流域 (1,050km) が あ り, そ の うちの 158km は酉 双 版 納 州 を流 れ る。 西 双 版納 は熱 帯 気 候 区 の北 端 に位 置 して お り,高 温 多雨 の気 候 で あ る。 乾 季 と雨 季 は明確 に分 か れ るが, 四季 の別 は明瞭 で は ない (図 2参照 )。 こ う した 自然 条件 の下 で,西 双 版 補 に は 「植物 王 国」, 「動 物 王 国」 と称 され るほ ど の植 物 及 び動 物 群 落 が形 成 され た。 酉 双 版 納 の民 族 は タイ (倭) 族 を主 体 と して, 漢, ハ ニ (恰尼 ), ラ フ (粒 神 ), プ ー ラ ン 図 1 西双版綱川地 図 ℃ 25 20 15 10 5 1 2 34 5 6 7 8 9101112 図2 西双版綱川の 月別気温 と降雨 467

(4)

東 南 アジ ア研 究 35巻3号 (布朗), イ (秦), ジ ノ (基増),ヤ オ (揺), ワ (侃 ), カイ (回),ベ - (自), ミヤオ (苗), テ ンポ (景頗 ),チ ワ ン (壮) な ど14族 を含 む 自治州 であ る。 タイ族 は雲南省 に最 も古 くか ら定住 す る民族 の一つで, その祖先 は古代 の百越 に遡 る

『史 記』 や 『漢書』 な どに よる と,案代 以前 か ら百越 は長江 東南 の沿海 部, す なわ ち今 の祈 江, 福建,広東 ,広西 か ら雲南,東南 アジア北部 にいた る広範 な地域 に分布 していた。彼 らは文 身 断髪 (入墨 を して髪 を切 る) な どの共通 の習俗 を持 っていたに もかかわ らず,地域 ご とにそれ ぞれ別 の種 族名 を持 っていた。漢族 は彼 らを揮 (sham)と呼 び,唐 代 には金歯 (jinchi),銀歯 (yinchi),末代 には白衣 (baiyi),元代 には金歯, 白衣 以外 に, 自夷 (baiyi)と も呼 び,明代 には 自夷,晴代 に は擢夷 (baiyi)と呼 んだ。 これ らの名称 は漢族 の タイ族- の蔑称 で あ り, タイ族 は taiと自称 した。taiは 自由人 を意 味す る。 雲 南省 の タイ族 は大 き く三つ に分 け られ る。tailwは漠族 に水 タイ (shuitai) と呼 ばれ, 主 に西 双 版 納 州 及 び徳 宏 (Dehong)州瑞 麗 (Ruili)な どの県 に分 布 してい る。taineは漠族 に早 タイ (hantai)と呼 ばれ,主 に徳宏州及 び 景 谷 (Jinggu), 臨 槍 (Lincang) な ど の 県 に 分 布 し て い る。 taiyaは 漢 族 に 花 腰 タ イ (huayaotai)と呼 ばれ,主 に元江 (Yuanjiang),新平 (Ⅹinping)な どの県 に分布 してい る。 中

華 人民共和 国の成立後,漢族 はこれ らの傍系 を統一 して タイ族 と称 してい る。 タイ族 はシナ ・ チベ ッ ド語系 チ ワ ン トン語族 の タイ語 を話 し, ミャンマ ー文字 に基 づ く文字 を使用 す る。 ま た,彼 らは独 自の タイ暦 を もち,上座部仏教 を信仰 してい る。 2.調査村 の概 要 本論 の調 査 のため に,景洪 県 の敵軍 (Menghang,Ganglangbaと も呼 ばれ る) と劫 海 県 の劫 混 (Menghun)郷 皇緬 (Manmian)村 に滞在 した。調査 期 間は1995年 の 7月か ら 9月 までの 3 カ月間及 び1996年10月か ら11月 までの 2カ月 間であ る。 デー タは主 に聞 き取 りに よって得 た。 劫 竿 は景洪 か ら31km離 れ,海抜 は約 520mで,典 型 的 な タイ族 の bazi(盆 地) であ る。 一方, 劫 混盆地 は,全 州49の盆地の 中で面積 の大 きな盆地 であ り,海抜 は1,160-1,180mで

,

潤槍江 の支流であ る流 沙河 (Liushahe)の南 岸 に位置す る。 この盆地 には四つの川 (Nanhun,Nankai,

Nanao,Nanyang)と一つ の天然湖 (Hulutang)があ り,河川敷 とデル タは劫混 の農業活動 の中 心 地 となってい る。 星緬村 は劫 混郷政府 の所在 地 か ら7km離 れ た山裾 の崩積性 台地 に位 置す る (写真 1参照)。 郷 政府 の所在地 には市場 があ り, そ こか ら星緬村 まで は水 田が広が ってい る。 水 田の 中に延 び る一本 の細い 道 が 鼻緬村 と郷 政府 とをつ ないで い る。 この村 道 に沿 って,鼻緬村 の手前 約 1 kmの盆 地底面 には タイ族 の村 が二つ あ り, 鼻緬村 を通 って, 山の方- 向か ってい くと, ラフ 族 の村 とハニ族 の村 が分布 してい る。 畳緬村 には,134戸 の世帯 に667人が居住 してい る。 図 3に星緬村 の地 図 を示す。畳緬村 には 468

(5)

郭 :雲南 タイ族の環境保全思想 と技術

小 川 が 流 れ て い る。 水 は 山頂 の貯 水 池 か ら流 れ て きて , 水 田 を港概 す る。 村 は三 つ の 地 区 に分

か れ る。 小 川 の 右 側 はManlongと呼 ば れ , 小 川 の 左 側 は 下 部 が Mannongと呼 ば れ , 上 部 は

Manneと呼 ば れ る。 昔 はManlongだ けで あ ったが , 人 口 の増 加 に よ り三 つ の 地 区 に分 か れ た。

村 の す ぐ近 くに神 林 で あ るdiula林 とmiao林 が あ り, 村 の 墓 場 で あ るbahiao林 も遠 くな い。 村 全 体 に井 戸 が10個 あ り, そ の 内 ,飲 用 の井 戸 が 6個 , 水 浴 び用 と洗 濯 用 の井 戸 が4個 あ る。

村 に は仏 寺 が 1軒 あ り, そ こ に は ミャ ンマ ーか らや って きた お坊 さんが 1人 , 村 の子 弟 の僧 侶 が11人 い る。 樹 齢 不 明 の古 い菩 提 樹 が4本 , 村 び とに とって村 の心 臓 (中心 ) を表 わす シ ンボ

ルzhaimanl) (写 真 2参 照 ) が 3個 , 木 の 門 枠henmen2)が12個 あ る。 ま た, 村 び とが 経 営 す

る売 店 が3軒 あ り, そ こで 日用 品 を売 って い る。 そ の他 , 青 年 セ ン ター や 茶 葉 の租 加 工 工 場 も あ る。 水 田 は村 の 近 傍 か ら平 野 - と伸 び, 畑 は 山 の傾 斜 地 - と伸 び て い き, サ トウキ ビ畑 と茶 園 に分 け られ る。 サ トウ キ ビ畑 が133ム (1ha-15ム), 茶 園 が347ム の 面 積 をそ れ ぞ れ 占 め る。 そ の他 , 養 魚 池 が36ム あ る。 村 び とは, 水 田 で稲 作 , 山 の斜 面 で畑 作 や茶 園経 営 を行 い , 屋 敷 の周 囲 で ホ ー ム ガ ー デ ン を運 営 し, 養 魚3)も行 う とい うの が , タイ族 の村 の お お まか な農 業 的 景 観 で あ る。

土地利用 と景観の変化

図4に1950年 代 に お け る曇緬 村 の土 地 利 用 図 を示 した。 これ を現 状 の土 地 利 用 国 (図 3) と 比 較 す る こ とに よ って , 曇緬 村 で の 両 時 期 に お け る土 地 利 用 の 変 化 を特 徴 づけ る こ とが で き る。 表 1は, 両 時 期 に お け る土 地 利 用 面 積 を比 較 した もの で あ る。 タイ族 の村 にお い て さえ, 約40年 間 で 大 きな土 地 利 用 変 化 が 見 られ る。 顕 著 な変 化 を列 挙 す る と, 第 一 に, 人 口 の増 加 に 1) タイ族 は自らが居住 す る村 落 を萱 (man)と呼 び, また萱 を人間 と同 じように考 える。つ ま り曇に は心臓があ るo星の心臓 はzhalmanといい,-一般 に村 落の中心部 にあ ると考 えられ, シンボル とし て,杭あ るいは大 きな石 を設 ける。村の老 人の話 に よると,最初 にzhaimanを設けたのは村が創立 された時期であった。zhaimanを設 ける時, まず地面 に穴 を掘 り,中に銀や金,宝石 な どを埋 める。 そ うす ると,村が豊かになると考 えられる。宝石などを埋めた所 に また杭か石 を設 ける。それか ら, 三年 ご とにzhaimanを修理す る。 今では, コ ンク リー ト製の もの も多 く見 られ る。 それにzhaiman

は村 落 を見 守 る神 と認 め られ,毎年 祭 が行 われ る。 祭 は稲 を収穫 した後 に行 われ る。 坊 さん は

zhaimanの前でお経 を唱 え,村 びとは新米のご飯や,おい しい料理,花などをそこに供 える。

2)zhaimanを中心 とした村落は東,西,南,北4つの方向にhenmanと呼 ばれる木造の門枠 をそれぞれ 設 け,外 の鬼の侵入 を阻 もうとす るO門枠の上 に竹 の筒 を掛 ける。筒の中には水,穀物 と砂 が入 っ て い る。 henmenも三 年 ご とに修理 され るが, そ の時 期 はzhalmanの修 理 と同 じで あ る。 毎 年

henmenの祭が行われ,坊 さんはhenmenの下でお経 を唱え,村 び七 は新 しい水 と穀物 を入れ替える。 祭の時期 はzhaimanのそれ と同 じである。 3)村 には養魚池が36ムあ り,各家 に養魚池があるわけではない。何軒かの家はそれぞれの養魚池 を借 りて魚 を飼 う。魚は主 に自家消費 に,た まに村 び とに売 る。魚が多 くとれた場 合は,市へ行 って売 る。筆者 を泊めて くれた村長の家は,その弟の家 と共同で 1ムの養魚池 を借 りて魚 を飼 っている。 池 を借 りるお金 として,毎年20元 を村社 に払 う。.昨年 はハ クレンを1,000匹ほ ど養殖 し,今年 は300 匹ほ ど養殖 していた。,養殖す るハ クレンのほ とん どは自家消費用である。 469

(6)

東南 アジア研 究 35巻 3号

図3 1996年の畳緬村の地図

写真1 免緬村 は劫混郷政府の所在地 か ら7km 写実 2 相の心臓 と思われるzhaiman

離れた山裾 に位置する。 470

(7)

郭 :雲南 タイ族 の環境 保 全思想 と技術 図4 1950年代 の曇緬 村 の地 図 よ って世 帯 数 も増 加 し, これ に伴 って屋 敷 地 の面 積 が 急 増 した こ とで あ る。 聴 き取 りに よる と,1950年 代 に は村 の世帯 数 は40-50世帯 しか なか った こ とか ら,40年 間で約3倍 に増 加 した こ とに な る。 屋 敷 地 は屠 住 環 境 に優 れ た場 所 を選 ん で 新 設 され る ため, 新 しい集 落 (Manne とMannong)も水 田 よ りも高 い場 所 にあ って,排 水の便 が 良 く,傾 斜 が 少 な い, 元 の林 地 を 伐 り開 い て造 成 され た。 この場 所 は, 元 の集 落 (Manlong)に隣接 し, 村 の集 住形 態 が維 持 さ れ て い る。 第二 に, 屋 敷 地 の増 加 に伴 って, 屋 敷 地 内 に屋 敷 を1射 )巻 くか た ちで つ くられ る Ⅹunと呼 ばれ るホ ーム ガーデ ンの 面積 も増 えた こ とで あ る。 第三 に, 茶 園 の面 積 が増 加 した こ とで あ る。茶 園 には二つ の種類 が あ る。 一つ は古 くか らあ る樟 ・茶 園で, ここで は黄樺 と茶 の Agroforestry栽培 が 行 われ て い る。 も う一つ は,1990年 に 入 って郷 政 府 の指 導 に よ り傾 斜 面 に 開墾 され た新 茶 園で あ る。 茶 園 の面積 が増 えた こ とに よ り, 村 内 に民 間 の製 茶工場 が建 設 され 471

(8)

東 南 ア ジ ア研 究 35巻3号 表1 鼻緬村 の土地利用 の変化 (単位 :ム) 土地利用 1950年代 1996年 水 田 1,300 1,092 茶 園 畑 神林 diura 神 林 miao 墓場bahiao 林 竹林 屋敷 地 仏寺 道路 水路 養魚池 224 347 50 133 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0

0

5 0 1 5 1 4 1 荏 :1950年代 のデー タは聴取 りか ら得 た。 た。第四に,集落の南東側 に位置す る畑 の面積 が拡大 した ことであ る。 それのみな らず,作付 パ ター ンが トウモ ロコシや大豆 な どの 自給作物 か ら,主 にサ トウキ ビの換 金作物 に転換 した。 第五 に, 1990年代 にな って,村社 が水 田の一部 を掘 り下 げて養魚池 を造成 し, これ を農民 に貸 し出 した ことであ る。 これは,漠族 の移入民が行 っていた技術 を取 り入 れた ものであ る。 第六 に,龍 山林 (miao林,diula林, bahiao林) の面積 が若干 で はあ るが減少 したこ とであ る。 減 少 した分 は,茶 園,水 田,サ トウキ ビ畑 に転換 した。 第七 に, 人 口は増 大 した に もかかわ ら ず,水 田面積 はあ ま り変 わ っていない こ とであ る。 全体 的な傾 向 を述べ る と,水 田の面積 のみが一定 に保 たれ,屋敷地面積 と茶 園 ・換 金作物畑 の面積 が増加 した代 わ りに,林地 の面積 が減少 して きた といえる。村 の面積 の多 くを占め る水 田の面積 が維持 されて きた理 由は,主食 の米 をで きるだけ 自給 しようとい う目的の他 に,林地 よ り低地 にあたる水 田に屋敷地 を構 え ようとす る と,水 田 を盛土 しなければな らず,造成費が 余分 にかか る とい った理 由があ るか らであ る。 以上 の ような近年40年 間の土地利用変化 の傾 向か ら,今後 の皇緬村での土地利用変化 につ い て展望 しようとす る とき,次 の2点 につ いて考察す るこ とが必要 であろ う。 第一 に,最初 にふ れた ように,西双版約 の他民族 の居住地で は荒れた土地 や光景が広 く見 られ るの に対 して, タ イ族 の村 で は景観 的 に植 物 の緑色 が村 を覆 って い る よ うに見 え る理 由 は何 か とい うこ とで あ る。 第二 に,今後 とも人 口増加 に よる屋敷地面積 の拡大 と,商業経済の流入 に よる茶 園 ・サ ト ウキ ビ畑 な どの換 金作物栽培面積 が増大す る とす れば,村 の どの地 目がその犠牲 にな って減少 す るか とい うこ とであ る。 以下で は, この二つ の課題 につ いて検討 を加 える。 472

(9)

郭 :雲商 タイ族 の環境保全思想 と技術

I

V

伝統的な

Agr

of

o

r

e

s

t

r

y

栽培

1.Ag

r

o

f

o

r

e

s

t

r

y栽培の利点 Agroforestryとは,あ る農地内で農業,林業 あるいは牧畜業 な どを複合的 に結 びつ け,各生 物種が固有 に もつ空間 と時間- の要求の違 いを考慮 して,ある地区内の光のエ ネルギーや,水 や,土壌 などをで きる限 り有効的 に利用 しようとす る土地利用の形態 あるいはそこでの利用技 術 を指す。 この技術利用 に伴 って,多様 な農業生産物 と高 い産出量 を得 ると同時に,水土の流 失 を減少 させ,土地の生産力 を安定 させ る とい った 目的 を もつ。 Agroforestry栽培 は樹木 と作物の両者で構成 されている。 この ような栽培方法 は,作物栽培 による土壌肥沃度の低下 を樹木か らの有機物の提供 によ り補充す る といった機能 を持つ。一般 に,Agroforestry栽培 の生態 ・経済的効果 につ いては,以下の ように言 われている [許 1993: 7-12]。 ① Agroforestry栽培 の多層構 造 は降雨 を幾 重 に も阻 むため,雨 の ポテ ンシ ャルエ ネル ギーを弱 め る。 この ことは水分の土壌への浸透 を促進 し,表土の流失 を減少 させ る。 ② 多種 多層 の植 物 を備 え るAgroforestry栽培 は よ り多 くの太 陽 エ ネルギー を吸収 で き る。植物 の層が多ければ,群落内の微気象はさらに改善 される。 群落内の最低温度 と相対 湿度 は層 の増加 につれて高 まるが,最高温度の方 は逆 に低 く抑 えられる。 この ように,棉 物 は自ら生長 に好 ま しい環境 を作 り出 している。 ③ 天然林での間作 は補足的な収入 を得 られ る上 に,森林生態系の栄養循環 を有効 にす る。 また,人に食料や薪 な どを提供す る以外 に,農村の余剰労働力 を受 け入れる。 ④ 熱帯 の商品樹木 は一般 に植 えてか ら6- 8年後 に収穫で き,木材の生産 は10-15年後 になる。 この収穫 までの長い間に経済的な収入が得 られない 。Agroforestry栽培 で は農作 物,あるいは低木か ら短期的な収入 をもた らす ことがで きる。 その収入で,農民 は生活 を 維持で きる。 また,多種類の生産物 を得 られるため,市場の不安定 と自然災害か らの悪影 響 に強 く,投資の リス クを減 らす ことがで きる。 さらに,複合栽培の長所,つ ま り土地生 産性 の増 加,病 虫害 の防止, 農産物の質 と量 の向上, とい った利点 をAgroforestry栽培 は備 えている。 タイ族の人々は昔か ら経験的 に Agroforestry栽培 を実践 して きた。以下 にその具体的 な実 例 を示そ う。 473

(10)

東南 アジア研 究

3

5

3

号 2.棉 (クスノキ)・茶園 皇緬 村 の 山の斜 面 には,茶 園が分布 して い る (図

1

参照)

。3

4

7

ムの面積 を占め る茶 園の 中 で,古 い茶 園 (約

4

0-5

0

年前 に造 った茶 園,写真

3

参照) は

2

2

4

ム,新 しい茶 園 (近年造 った 茶 園,写真

4

参照) は

1

2

3

ム をそれぞ れ占めて いる。 茶 園 には茶樹 だけが生 えて い るので はな く,樺 の高木 もあ る。

雲南 大業茶 (cameliasinensis(Linn.)0.Ktze.var.assamica (Mast.)Kitam.)と黄樺 (タイ語 で はmaizhonglong, サ ッサ フ ラス木,cinnamomum pathenoxylum(Jack)Nees)は劫海県 に伝 わ る 種 であ り,長 い栽培 の歴史 を持つ。有名 な 「普滑茶」 (puercha, プ-アル茶) の主産地 は劫海 県であ る。活 の時代 には,茶 は劫海県 の主要 な商品 とな ってお り,当時,劫 海で生産 された茶 菓 は,すべ て普滑 県 (西双版納州 の北部 にあ り,思茅 地 区 に位 置す る) を経 て奥 地-運 ばれ た。普渇 は茶葉 の集散 地で あ った こ とか ら,「普滑茶」 とい う名 をつ け られた。 この名 は今 で も用 い られてい るが,本当の産地 は劫海県であ る [西双版納州政府接待処

1

9

9

3

:

1

3

5

-

1

3

8

]。

茶樹 と混作 され る黄樺 は高 さ

1

0-2

0

m

の高木で,樹冠 が よ く茂 り,葉 にカ ンフル を含有 して い る。 タイ族 は昔 か らその葉 を利用 して, カ ンフル を取 り出 し,商品 と して売 っていた。 その 過程で,人 々は,黄樺 の林 に生 える茶 は他 の場所 に生 える茶 よ り生産量が高 くて,品質 もよい とい うこ とに気づ いた [邸

1

9

9

3.

'1

-

2

]。

茶 の需要増大 につ れて,茶 の栽培面積 が広 が ってい った。 そ して, 山の傾斜面が茶園の開墾地 として選 ばれ,茶園の開墾が始 まった。茶 園 を開墾 す る時 に,特 に黄樺 の木 を残 して, その間 に茶 の苗 を植 え る。 も し黄樺 の数 が足 らなか った

ら,maituoluo (タイ語,SchimawallichiiChoisg, 紅 木 荷) やmaifei(タイ語,pterospermum acenfoliumW illd,趨子樹) な どの用材種 も残 され る。 残 され た樹 木 は地面 か ら

2- 3m

の 間 に枝 を切 り落 と し,それ よ り上部 の枝葉 を丸 い形 に努定す る。 そ うす る と,茶樹 の生長 に有利 と考 え られていた。 この ような樺 ・茶 園の栽培 は

2

0

0

年以上 の歴 史 を もつ [同所]

近年, 山の斜 面 に新茶 園が造 られた (図3参照)。茶 園 を設 ける前 の斜面 は,二次林 だ った 写実 3 畳緬村 の樟 ・茶 園

4

7

4

写真4 最近 開墾 された茶園 (星緬村)

(11)

郭 :雲南 タイ族 の環境保 全思想 と技術 が

,

潅 木 を全部切 って しまって,樺 と茶樹 の苗 木 を植 えた。 まず 斜面 に深 さ50cm,幅80cm の 溝 を掘 る。 溝 と溝 の間 には1.5m の距離 をお く。以上 の作 業 を 4月 まで に行 う。 5月 にな って か ら,溝 に生 えた雑草 を除 き,再 び土 を溝 に戻 して台地 を平 にす る。 この一連 の作業 は,茶畑 の土 を柔 らか くす るため に行 われ る。 6月 に茶 の苗 を植 え る。 1haの土地 に茶 の苗 を3万 本 ほ ど二列 に密 植 して, そ の間 に200本 ほ どの黄樺 の苗 を植 え る。茶 園の造成 は郷 政府 の指 導 に よって行 われ,各世帯 か ら毎 日一 人の労働 力が提 供 された。村全体 で123ムの新茶 園が造 られ, これ は村 の人 口に従 って各世帯 に分 け られた。 その後の茶 園の管理 は各世帯 ご とに行 われてい る。 9月 に は,茶 の苗 は35-50cm に伸 びる。 その時 に苗 の主幹 を地面 か ら20-25cm の所 で切 って しま う。 この よ うな労完 を茶筒 の成長期 に三, 四回行 うと,生 長 した後 にた くさんの枝 が 生 え る とい う。茶樹 の高 さは一般 に1m以下 に保 たれ, それ以上 に生長 した ら,毎年 12月以後 (茶摘 み を しない時期 ) に勇完 す る。 黄樽 は4m以上 にな った ら,枝葉 を切 って カ ンフルの原 料 とす る。 その後二,三年 ご とに-En]枝葉 を収穫 す るO以前 は村 び とが 自分 た ちで カ ンフル を 精製 していたが,近年 で は職 人 に売 って い る。 また,最近古 い茶 園の改修 も行 われて い る。 古 い茶 園の茶樹 は,長 い期 間勢走 しなか ったか ら,2-3m の高 さまで生長 して いた。 この ため,数年前 に,郷 政府 の技 師の指導 で,台刈 更 新 と呼 ばれ る次 の よ うな方法 を用 いて,古 い茶 園 を改修 した。 まず,古 い港木型 の茶樹 を

5-10cm ほ どの茎部 を残 して, い っぺ んに全部切 った。 切 って得 た茶樹 の主幹 は薪 に し, 枝 と葉 は細 か くして か ら肥 料用 に茶樹 の傍 に掘 った溝 に埋 め た。 そ の後,2年 ほ どで茶 樹 を再生 さ せ ,3年 目か ら茶摘 み を始 め た。茶摘 み は 3月か ら11月 まで の間 に 4, 5日ご とに1回行 われ る。 畳緬 村 の古 い樟 ・茶 園 (図 3参 照 ) もまた改 修 され た。 そ こで再生 した茶樹 の高 さは1 m,株 間 は 1m, うね幅 は 2m あ る。 茶園 の中の黄樺 は不 規則 に分布 して い るが, ほぼ昔 の状 態 の ままに分布 して い る と考 え られ る。 樹冠 図 は図5の通 りで あ る。 樺 の葉 はカ ンフル を生 産す る原料 にな る とともに,茶樹 に 日陰 を作 り出 してい る。 臼蔭 は茶 葉 の質 を高 め る。 樟 ・茶 園で は,春 に茶 の芽が 出 るの は,単一 の茶 園 よ り一週 間 くらい早 い と い う。 また樺 の香 りは茶葉 に特 別 な風味 を もたせ ,病 虫害 の予 防 に も効果 的であ る。樺 ,茶 の 枝葉 は空 間的 に二層 の構造 を作 り, この構 造 は降雨 のポテ ンシ ャルエ ネルギ ー を弱 めて,水土 の流 失 を減 少 させ る。 換 言 す れ ば, 茶 園の土 及 び土 の肥 沃 さを保 持 す る こ とが で きる。 それ に,樺 の落葉 は土壌 有機物 にな る。 要す るに,樺 と茶 園の混作 は,土地 の生 産力 を安 定 させ , カ ンフル と茶菓 の持続 的 な産 出 に効果 的で あ る。 3.熱帯林下 の藍 (ア イ)栽培

藍 (Baphicaca†tthuscusia(Nees)Bremek.) は タデ科 の草 本植 物 で, そ の葉 は藍 色 の染 料 を 作 る原料 とな る (写真 5参照 )。 タイ族 は藍 をhuangmanと呼 び,千 年 以上 利 用 して きた

[

475

(12)

東 南 ア ジ ア研 究 35巻 3号

:

:

:

(

t

I

;

+

;

'

.

:

"㌔ O a l

■1

図5 樺 ・茶 園 の樺 の樹 冠 図 (30mX50m) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 胸高周囲 1.24 0.81 0.85 0.83 0.87 0.87 0.93 1.01 0.77 0.93 0.84 0.9 上書 :2]。 昔 は主 に野生の藍 を採集 して利用 したが,野生の藍で需要 を満た しえな くなると, タイ族 は藍 の栽培 を始めた。野生 の藍が森 の林下 に もっぱ ら生 えていたの を見て, タイ族 は林 下 に人為的 に作 ったギ ャップで藍 の栽培 を行 った。試行錯誤 の結果,林 内の渓流 に近 く,土壌 が肥沃で, 日があ ま り当た らない場所が藍 の栽培 に最 も適す ることが分か った。 タイ族 はその ような場所 を選 び,播種 か挿 し木 を して藍 の苗 を育てる。生長期 間は4カ月 くらいで,数年間 は藍 を収穫 で きる。 タイ族の人 は藍で 自分が織 った布 を染め る。その方法 は以下の通 りであ る。 藍 の茎葉 を3日 ほ ど水 に浸 し,その後,石灰 を入れて,木の棒 で藍 の茎葉 をどろどろにつ く。 これ を布で渡過 す る と藍色 の染料 となる汁 を得 る。 布 をその汁 に浸す時間の長短 によ り,いろいろな藍色 に染 476

(13)

郭 :雲南 タイ族の環境保全思想と技術 写真5 ホ ー ム ガ ー デ ン に植 え られ た藍 め られ る。 こう して得 た布 を用 いて服 や生活用品 を作 る。 昔 の タイ族 の女性 は嫁 に行 く時 に, 藍色 の蚊帳 を嫁入 り道具 と して持参 した。蚊帳 は新婚夫婦 を病気 や災害 な どか ら守 る と考 え ら れた。 近年,市場 で布製品 を買 う人が 多 くな り, 自分で布 を藍色 に染 め る人は,大体年配 の人であ る。 また,藍 の栽培 を盛 んに行 ってい るのは,主 に山岳 に住 むハニ族であ る。 タイ族 は自分で 栽培す る人 もいれば,ハニ族か ら買 って使 う人 もい る。 最近で は, ホームガーデ ンで藍 を栽培 す るこ ともあ る。 この栽培方法 には,次 の ような利点があ る。天然林 の地面 には,草本 の植物が生 えてい る。 それ らの草 を全部切 った後 に藍 を植 える。 そのため,森 の生態循環 には,大 きな影響 はな く, 逆 に,栄養物 の循環 を有効 に利用 して,人に収益 を もた らす ことがで きる。 また,その活動 は 林 内のギ ャ ップで行 うため,森林 には害 を及 ぼ さず に,環境 保全 の ため に もよい技術 とい え る。 4.薪炭林 と しての鉄 刀木

(

Ca

s

s

i

as

i

ame

a

Linn.)の栽培 西双版納州の景洪,劫隠地 区の タイ族 の村で は,多 くの家が家の周 り及 び村 の周辺 に鉄刀木 を植 えている。 タイ族 は鉄刀木 をgexilieと呼 び,薪 と して利用す る。 昔, タイ族 は焼畑 をす る時 に,何種類 かの樹 木 の種子 を農作 物 の種 に混ぜて , 同時 に植 え た。

2

,

3

年 間の焼畑耕作 後の休 閑期 間に,樹木 は大 き くなる。 タイ族 の人はそれ らの樹木の 幹 を切 って,薪 と した。その後, 2, 3年経つ と,鉄刀木 の切 り株 は旺盛 に萌芽す るが,他 の 樹 木の萌芽更新力 は弱 い。 タイ族 の人 はこれ に留意 し,焼畑地 に作物 の種子 と鉄刀木 の種子 を 477

(14)

東南 ア ジ ア研 究 35巻3号

_

-

-

-

三 三 -図6 鉄刀木 と作物の混作 第三年 目以後 混植 す る。 耕作方法 は次 の ようであ る。一年 目の雨季 に陸稲 (あ るいは大豆 な ど) と鉄刀木の種 を混ぜ て播種す る。 初年度 には陸稲 のみ を収穫 す る。 二年 目に,鉄刀木の若木が

5

0

c

m

ほ どになる と, 落花生 や大豆 な どを間作 す る。落花生 な どの作物 を収穫 す る時 には,若 木 の高 さは もう

1.

5

m

くらいに伸 びている。 その時 には,樹木が こん も りと茂 ってお り, 間作 はで きな くなる (図6 参照)。

4

年 を経 る と,樹木 は

4-6m

の高 さにな り,幹 の直径 は

5c

m

に達 し,薪 と して使 え る ようにな る。 最初 に,鉄刀 木の樹幹 を地面 か ら

0.

5

m

の所で切 る。切 られた樹 は まもな く芽 を出す。それか ら

3

年 ご とに枝 を伐採 して,薪 にす る。 鉄刀木 は植 えてか ら

5

0

年以上利用で き る といわれ る。 この ように,マ メ科 の高木であ る鉄刀木 は,生長が速 い上 に,再生力 も強 い。 さらにその薪 は強 い燃焼力 を もつ ため,薪炭木 と しての利用価値 は高 い。 このため, タイ族 は家の周 りや, 村 の周辺 に鉄刀木 を植 え,薪炭林 を形成 した (写真 6参照)。 タイ族が鉄刀木 を栽培 して,燃料 に使 い始 めてか ら,天然林 の伐採 は抑制 された。鉄刀木の 栽培 は森林 保全 に積極 的 な役割 を果 た した。 ところが現 在, 人 口増加及 び経 済 の開発 につ れ て,鉄刀木の燃料 と しての役割が低下す る傾 向があ る。 しか し,近年 の森林減少 の一 因が薪炭材伐採 であ ることを考 える と,西双版納地域 のみな ら ず,他 の地域 において も,鉄刀木あ るいは他 の樹種 の栽培 に よる薪炭林 の形成 は今後 とも推進 写実 6 薪炭林の gexilie(鉄刀木,cassiasismea Linn.) 478

(15)

郭 :雲南 タイ族 の環境保 全思想 と技術 され るべ きで あ ろ う。 図7 タイ族村 のAgroforestry栽培 の構造 5.タイ族 のAgroforestry栽培 の生態的効果 につ いて これ まで考察 して きた タイ族 のAgroforestry栽培 の構 造 を同化 す る と, 図7の よ うにな る。 Agroforestry栽培 は多種 の植物 で構 成 され, 自然 に多層 の群落が形成 され る。 多様 な構 成要素 と多層 の構造 は,植物 とそれ を取 り巻 く環境 との間の物 質やエ ネルギ ーな どの交換 に関 して次 に示 す 三つ の差 を形 成 す る。 第一 に, 生物 ・生 態 的性 質 の違 う各種 植物 が平 面 的 に作 り出す 「平 面差

,

第二 に,垂 直構 造 において 異 なる空 間 を利 用 す る 「空 間差

,

第三 に, 各植 物 の生 長発育 の 1)ズムが異 な るこ とか ら生 じる 「時 間差」 で あ る。 この三つ の差 が一つ の三次 元調和 系 を形 成 して い る。 これ以外 に も,有機物 の栄養循環 リング (樹 木 の 自己施肥効果) が存在す る。 この循環 リングにおいて は,樹 木 と作 物 の枯枝 や枯葉 な どが高温 多湿 の条件下で分解 され る。分解 された有機物 の栄養 分 は再 び樹木 と植物 に吸収 され る。

タイ族のホームガーデ ン

タイ族 の村 の屋敷地 の周 りは まが さで取 り囲 まれ,外 か ら見 る と,屋敷 が緑色植物 に囲 まれ てい る よ うに見 える (写真 7参照 )。 この屋敷 地周 りの空 間が タイ族 の ホ ームガーデ ンで あ るo

タイ族 は この ホーム ガーデ ンをxunあ るい はhom honと呼 ぶ

「我 が 家の 菜園」の意味 を も つ。菜 園で はあ るが, Xunの 中 には野菜 以外 に も, 多 くの緑 色植 物 が あ る。生 け垣 か ら,節, 建 材,果樹 , 食用植物 ,薬 用植 物 ,観賞植物 及 び宗教 的 な意味 を持 つ植物 まで幅広 いo xunの

(16)

東南 アジ ア研 究 35巻3号 写実 7 ホームガーデンに囲まれた竹楼家屋 中は,一般 に 「空 中菜 園」 とい う特殊 なスペ ースが あ る。 それ は竹 や木 を用 いてつ くるが,家 禽 や家畜 な どに よる食害 を防止す るため に,地面 か ら

2- 3m

くらい離 して設置 し, さらに周 囲 をまが きで取 り囲 む。空 中菜 園 の土 の厚 さは

1

5-2

5

c

m

で あ る。 そ こで は一般 に 日常生活 に 必要 な調味料,香辛料,野菜 な どが栽培 され,時 に果樹 の苗 を育 て る。 1.ホ ームガーデ ンを構成 す る植 物

Ⅹun

で栽培 され る植物 の品種 は, 四百種 以上 に もお よぶ [龍

1

9

9

3:6

7

]

。 現 地調査 で は, ホームガーデ ンで栽培 され る植物 は次 の四種類 に分 け られ る。

(

1

)

食用植物。野菜,果物,食料植物,香辛料,調味料,油用 の植物 な どを含 む。 その品種 数 はホーム ガーデ ン全体 の半 分 ほ どを占め る。 日常 生 活 で消 費す る以外 に,余剰 分 を市 で売 る。 表 2に示す品種 が ある。

(

2

)

薬 用植物。各種 の病気 に効果 の あ る薬 草 が

xu

n

に何種 類 か あ る. しか し,一般 に一 品 種 は数本程度 しか栽培 しない。特 にmoyatai(タイ族 の民 間医者) は, ホーム ガーデ ンで多 く の種類 と量 の薬草 を栽培 す る。 近年

,Xun

で薬草 を商 品作 物 と して栽培 す る人が増 えつつ あ る。 表2 食用植物 の種 類 食用植 物 植 物 種 野菜類 キュウリ,カボチャ, トウガン,シロウリ,白菜,キャベツ,カリ フラワー,ダイコン,ネギ,ニンニク,ナス, トウガラシ,エンサ イ, ドクダミなど 果物類 480 ヤシ,ビンロウ,マンゴー,ザボン,ナガミパ ンノキ,バナナ,バ ショウ,ザクロ,グァバ,パパイヤ, ミカン, レモン, レイシ,ス モモ,モモ,ブ ドウ 食料 植物 トウモロコシ,ダイズ,エンドウなど 抽 用 の作 物 落花生,ゴマ,エゴマなど

(17)

郭 :雲南 タイ族 の環境保全思想 と技術 (3) 観賞植物 。観賞用植物 の種類 は多 いが,大 き く,花,竹,観葉植物 に分 け られ る。 分布 の位 置 も多様 で,屋根 ,バ ル コニ ー, まが きの周囲,小道 のそ ばな どに植 え られ る。 (4) 自生植物 。 ホーム ガーデ ンには,栽培植物以外 に,雑草 と自生 の植物 が生 えて い る。 こ れ らには有用植 物 が多 い,moyataiは有用植物 につ いて多 くの知識 を持 ってい る。 食用 ,薬用,観賞用 とい った複 数 の用途 を備 えた植物 も多い。例 えば,藍 は伝統 的 に染料 と して利用 され る以外 に, その葉 は耳下腺 炎 と腸 炎 に効果 が あ る薬草 と して も用 い られ る。 一 つ のXunに は多 くの植 物 が植 え られ るが,年 に よって, また季節 に よ って,異 な る品種 を植 える。 以下 で は, ホームガーデ ンの構造 につ いて考察す る。

2.

ホ ームガーデ ンの構造 Xunの構造 を図 8に示 した。 水平構 造 を見 る と,植物 は家 とまが きの間 に分布 してい る。植 物 は用途 に応 じて異 な った配置 をみせ る。 観賞植物 ,調 味料 と香辛料 は屋敷 に近 い所 で栽培 さ れ る。 観賞植物 は屋敷 に住 む人 々に安 らぎを提供 し,毎 日の料理 で使 う調 味料 と香辛料 は,家 の近 くにあ る と便 利 で あ る。 これ に対 して,澱粉植物 ,建築 用材,薪炭林 及 び果樹 は家 か ら遠 い所 で栽培 されて い る。 次 に,垂 直構 造 を見 る と,Xunは植物 の高 さに よ って4, 5層 に分 け られ る。上層樹 は10m 以上 の高 さが あ り, 主 に菩提 樹 (FicusrelfgiosaLinn.) や竹 な どで構 成 され る。 第二層 は高 さ が5-10mで,主 に果樹 な どで構 成 され る。 第三層 は高 さが1- 5m の低 木 と草本 の多年生植 物 で,生 け垣 ,バ ナナ,バ シ ョウな どが含 まれ る。 第四層 は高 さが1m以下 の草本植物 と野菜 類 で,調 味料,澱粉植物 ,薬草 な どが含 まれ る。 この四層 以外 に,各層 の間 には ウ リ類 と着生 H(m) ユ2 10 8 6 4 2

0

2 4 6 8 10 1 2 14 16 18 20 D(m) 家 か らの距離 図 8 タイ族 のホームガーデ ンの構造 t i去 :A :鑑 賞植 物 B'.調 味 料 と香 辛料 CI.果物 D:澱 粉類 植物 E:ジ ャガ イモ類 F:バ ナナ とバ シ ョウ G:竹 H:野菜 Ⅰ:薬材 J:高木 K:新 し :まが き 481

(18)

東南 アジ ア研 究 35巻3号 植物 の ランな どがあ る。 次 に, ホームガーデ ンの機能 につ いて検討す る。

3.

ホームガーデ ンの機能 (1)実用 的な価値 ホームガーデ ン内の植物 は食料,現金収入, 日常生活用 品 を提供 している。澱粉作物 (サ ツ マ イモ, トウモ ロコシな ど) と野菜類 は人 と家畜 な どの重要 な食料であ り,果樹類 (ヤ シ,マ ンゴーな ど) は 自家消費の以外 に,商品 として現金収入 を提供す る。調味料 と香辛料 と薪 な ど は 日常生活 の必需品で,薬用植物 は病気 の治療 に役立つ。 (2) 宗教 ・文化的 な価値 タイ族 は上座部仏教 を信仰す るため,仏寺 に植 え られる植物 も宗教上 の意味 を持 っている。 仏寺 に植 える植物 はホームガーデ ンに も多 く栽培 されて いる。 例 えば,菩提樹及 び他 のFicus 類 の樹 木 はⅩunに植 え られ, それ らは実用的 な価値 を持 つ とい うよ りも,宗教上 の意味 が大 きい。 また,Ⅹunに よ く見 られ る一種 のguobaixie(紅木,BixaorellanaLinn.)は,伝統 的 な 祭 日や宗教 活動 の際 に,供物 を染 め る色素 と して用 い られ る。 観賞用の花 や果物 な どは神仏へ の供物 として使 われる。 観賞植物 の栽培 は宗教 や信仰 とも関 係がある といえる。 また, タイ族 の女性 は艶やかな色 の花 を髪 に飾 るのが大好 きであるが, こ れ らの花 は一般 にⅩunで とれ る。 (3) 生態 的な効果 ホームガーデ ンにおいて栽培 され る植物 の水平構造 と垂直的 な多層構造 は,人 と動物 に快適 な小環境 を提供 し,植物 自身の生長 に もよい生態空 間 を作 り出 している。 ホームガーデ ン内の 物質の循環 を考 える と, タイ族 の家 のゴ ミ,生活廃水,人 と動物 の排継物 な どはたいていガー デ ンの内部 で循 環 してい る (図9)。図の ように, ホーム ガーデ ンはそれ独 自で安 定 した循環 系 を備 え, その中で有用植物 な どの持続的 な生産 を続 けるこ とがで きる。 図 9

ホームガーデン内の物質循環

482

(19)

郭 :雲南 タイ族の環境保全思想 と技術

4.

ホ ームガ ーデ ンの変容 1970年代 以来,西双版約 で は, 人 口が急 速 的 に増加 して きて,交通 と通信 の情況 も改善 され た。特 に近年 で は,観光業 の開発 や市場経 済 の影響 な どに伴 って, ホーム ガーデ ンは大 きな変 化 を とげ,栽培 され る植物 も変 わ って きた。 伝統 的 に, ホ ーム ガーデ ンで植物 を栽培 す る 目的 は ここで 日常生 活 に必要 な もの を確 保す る ためで あ った。 このため,蘇,建材 ,果樹 ,野菜 な どの比率 が高 く, また,植物 の種 類 は多様 で あ る。 ところが近年,商 品作物 や観賞 用植物 な どの単 一栽培 が盛 んで,経 済的 な価 値 の高 い 植物 が多 く栽培 されて きてい る。 それ に伴 って, ホ ーム ガーデ ンの植物構造 も単 一 にな って き た。 よ く見 られ るパ ター ンは

,

「果樹 ・薬 草

の二層構造 と, 「果樹 ・バ ナナ ・野菜」 の三層構 造 であ る。 低 海抜 盆 地 (景洪 県 な ど) の タイ族 の村 には,近年 ゴムの導入が大 がか りに行 われてい る。 それ は国営林場 で の ゴム栽培 の影響 を受 けた結 果 で あ る。 特 に政府 の補助 と市場 の需 要 に応 じ て, 人 々は もとの天然林 ,伝統 的 な薪炭林 ,菜 園,水 田 にゴム を植 え る。 ゴムは農民 に高 い収 益 を もた らす ので, ホ ーム ガーデ ンで もゴムの苗 を育 てた り, また栽培 した りす る風 潮 が高 ま って い る。

ⅤⅠ

アニ ミズム と龍 山林

1.「神林」 と 「村 の墓 場」 愛緬 村 の周辺 には,龍 山林 と呼 ばれ る林 が三つ あ る。 また,他 の タイ族 の村 に も龍 山林 が存 在 してい る。 龍 山林 は村 び とに厳 し く保護 され,伐抹 が 禁 止 されて い る。 ここで は,龍 山林 の 実態 及 び社 会的背 景 につ いて考察す る。 タイ族 は上座部仏教 を篤 く信奉 す る一万 ,彼 らの意識 の 中 には土着 の信仰 もまた強 く残 って い る。 こ こで い う土着 の信仰 とは最 も原始 的 なカ ミの観 念 に基 づ くアニ ミズ ム (Animism)を 指す。 タイ族 の人 々は不意 に出没す る カ ミの動 きを, 自然 の 中で注意深 く見守 り, カ ミの怒 り を招 か ない よ うに用心深 く行動 す る。 そ して供 え物 を捧 げて カ ミの ご機嫌 を うかが う。 タイ族 は, 自然 の 中で 人間 と稲 を格 別 な もの と考 え, この二つ は内部 に魂 を持 つ と考 える。 この よ う な村 び との信仰心 は 「龍 山林」 の存在 を通 して, その精 髄 を うかが い見 る こ とがで きる。龍 山 林 は 「神 林 」 と 「村 の墓場 」 の二 つ の場 所 を指 す。神 林 はdiula林 とmiao林 に分 け られ,塞 場 は村 び とにbahiaoと呼 ばれ る。 これ らの龍 山林 は村 か らそ う遠 くない所 にあ る。 2.diula林 とmiao林 diulaは村 の神 で あ り,村 の創 出時期 に村 のため に一 身 を捧 げ た英 雄 と思 われて い る。diula 483

(20)

東南 アジア研 究 35巻3号 の霊魂 は永遠 に村 とと もに存在 してい る と考 え られ,村 び とはdiulaを村 の近傍 の林 に住 ませ て,毎年祭 を行 う。 当然,diulaが住 んでい る林 は厳 し く保護 されてい る。 miao林 は菩薩 の墓場 と考 え られ,diula林 と同 じように保護 されていて,毎年祭 を行 う。30 年前 に起 きた文化大革命 の時期 に, タイ族 の住 む地域 で も行政 の指導 に よ り,diula林 とmiao 林 に茶 の木 を植 え る こ とにな ったが,村 び とはdiula林 とmiao林 の伐採 をお それ,結 局,茶 樹 の管理 はほ とん ど行 われて こなか った。今 の畳緬村 にはその時植 えた茶樹 が雑草 の ように残 って い る。 現在,diula林 は3ム,miao林 は1ムあ るが,茶樹 を植 えた時 に一部 の木 を切 って 図10 Diula神 林 の樹 冠 図 (35mX45m) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 胸 高周 囲 0.47 0.33 0.57 0.34 1.03 0.52 0.4 0.48 0.38 1.05 0.6 0.48 1.18 0.68 0.9 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 A 樹一高 :10-13m No21:祭 りの樹,樹幹 にろ うそ くが残 っている。樹の下 に竹製のむ しろをひいている。 484

(21)

郭 :雲南 タイ族 の環境 保全 思想 と技術 図11 Miao神林 の樹 冠図 (40mX45m) 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 2.15 7.06 3.35 2.35 2.3 1.15 ().66 0.67 0.6 0.8 0.72 1.7 0.82 樹 高 :10-13m しまい,現 存 す る木 の多 くは後 で植 えた もの なので , 大 木 は少 ない 。diula林 とmiao林 の樹 冠 図 を図10と図11に示 した。

3

.bahiao林 (村 の墓 場) 精霊信 仰 をす る タイ族 は, 死 ん だ人 が生 きて い る人 と同 じよ うに村 落 で生 活 して い る と考 え るの で,bahiaoと称 す る村 落 墓 場 を設 け る。 昔 は そ こで土 葬 を行 って い たが, 土 地 利 用 の変 化 につ れ て,広 いbahiaoの一部 が 農 地 に な り, 火葬 が 多 くな って きた。 今 は ほ とん どが 火 葬 で, bahiaoに埋 葬 され る。 伝 統 的 に, bahiaoで は生 産 活動 は行 わ れず , 伐 採 も され な い。曇 緬 村 のbahiaoは今 で は20ム くらい だが, 昔 は もっ と広 か った という 。 1958年 の 「大躍進」 の 時代 に炭 を焼 くため に, 木 を多 く切 った上 に,一部 の林 地 は農地 に改 造 され た。 そ の後 に再生 485

(22)

東南 アジア研 究 35巻3号 した林 は伐揮 され ない ように村 び とが守 って きたので,外 か らは林 が茂 って い るように見 える が, 中に入 ってみ る と,雑木林 の印象 を受 け る。 もとの天然林 に回復 させ ようと思 えば, これ か ら数十年 かか るであろ う。 あ る 日,村 長 とbahiao-行 った。村長 に よる と,火葬 をす る時,死 んだ人 の家族 は必 ず あ る決 まった量 の薪 をbahiaoに持 ち込 まなけれ ば な らない とい う。 それ は,で きるだ けbahiao 林 内の木 を切 らず に,持 ち込 まれ た薪 を使 うためで あ る。bahiao林 に入 ろ うと した時 に,柿 長 は急 に恐 が る ようにな り,私 は入 らない と言 った。困 ってい る うちに,一 人の老 人がや って きて,その人が一緒 に入 って くれ る と言 った後,村長 は少 し落 ち着 いた様子 で, なかば しぶ し ぶ とbahiao林 に入 った。村長 の よ うに,多 くの タイ族 の人 はbahiao林 を恐 い所 だ と思 ってい る一方で, 自 らに とって大切 な林 だ とも考 えてい る。

ⅤⅠ

おわ りに

これ まで タイ族 の生 業 の 中で も, 主 に森 と関連 す る農 耕 の実 態 につ い て考 察 して きた。 Agroforestry栽培 , ホーム ガーデ ンニ ング,龍 山林 のいず れ もが タイ族 の伝統 的な土地利 用技 術 であ る。 これ らの土地利用技術 につ いてモデル化 を試 みれ ば,図

1

2

の ようになる。 タイ族 の 村 において も林地 自体 の面積 は年 々減少 して い った に もかか わ らず,景観 的 には村全体が緑色 植物 に覆 われて い るように見 えたの は, この ような土地利用技術 をタイ族 の人々が現在 で も維 持 し続 けてい るか らである。 この ような技術 を保持 してい る限 り,今後,屋 敷地 や換 金作物 の 栽培面積 が さらに増加す るこ とになる と して も,景観 的 に荒 れた農村風景が広 が るこ とは避 け られ るであろ う。 ここ40年 間の傾 向 と同 じように,今後 と も,世帯数 の増加 による屋敷地面積 の増加 と,商業 経 済 の流入 に よる換金作物栽培面積 の増加が続 くとす れば,近未来 の村 の土地利用 図 は どの よ うに措 かれ るのか。 これ につ いて予測す るの は難 しく, ここで は,考 え方 のあ らす じを示 す に とどめたい。 これ まで,屋敷地 の拡大 は,一定面積 内の集住化 の方 向 よ りも,林地 を伐 開 して 外 に新 たに集落 を形成 してい く,拡散 の方 向 にあ った。 ところが,現在, この方 向 に も限界が 見 え始 めて い る。 屋 敷 地 や換 金作 物畑 が さ らに周 囲 に拡 大 しよ う とす れ ば, その候 補 地 は,

Manlong集 落の南側 にあ る疎林 地か,村 の西側 の水 田,あ るい は龍 山林 しか ない。Manlong集 落 の南側 の疎林 地 は,地形 に凹凸が激 し く,住 宅地 にす るには造成 コス トが必要 であ る。 水 田 に して も同様 で あ る。 龍 山林 につ いて は,その面積 が減少 す る傾 向 はあ る とはいえ, この林 を 伐 開 して他 の 目的 に利用す る ことはあ りえない と著者 は実感す る。 そ うす る と, コス ト的 に無 理 な場所 に進 出す るか,あ るいは,屋敷地拡散 の方 向性 を集住化 の方 向 に変 える必要 がでて く る。 屋敷地 や換 金作物畑 の外延 的 な拡大が様 々な限界 につ きあた ってい る現在 の状況 は, タイ 486

(23)

郭 :雲南 タイ族 の環境 保 全思想 と技術 図12 タイ村落 の環境 保護 型生 業 の実態 族 の村 の土地利用 が今 後 どの よ うに展 開す るか とい う予測 を立 て難 くして い る。 人 口増加 や商業経 済 の流 入 とい った現実 は, タイ族 のみ な らず西双版納 の少 数民 族全体 に共 通 す る課題 であ る。 これ らの現 実- の対処 の仕方 が民族 ご とに異 な るこ とは明 らかで あ るが , 地域環境 の保全 とい う立場 か らは,何 らかの政策 的対応 が必要 となろ う。 本論 で は, タイ族 の 村 にお け る土地利用 の変化 と生態 利用 の実態 を通 して, タイ族 の環境 観 とい った もの を うかが いみ る こ とがで きた。 その環境観 は 自然 と共存す る生 き方 , あ るい は環境 に適 応 した持続 的 な 発展 を求 め る生 き方 にあ る。 この よ うに 自然 と深 く結 びつ く生 き方 は, タイ族 の環境 保全思想 487

(24)

東南 アジア研 究 35巻3号 の精髄である とい って もよい。 タイ族 の実例が今後 の西双版納全体 における生態系 の回復 及 び 持続 的な発展 に とって よい参考 となることは明 らかである。 謝 辞 以下 の ような多 くの方 々の協 力 と助言 に支 え られて,本稿 をま とめ る こ とがで きた。 ここに厚 く感謝 の 意 を表 したい。 まず, フ ィール ド調査 の際 にお世話 にな った タイ族 の人々 に感謝 したい。 また,勧混郷政府 か らの協 力 も言 い尽 くせ ないほ ど大 きい。 原稿作 成 にあ た って は,指 導教 官 の古 川久雄先生 (京都 大学), 山 田勇先生 (京都 大学) 及 び向井 史郎 先生 (京都 大学) か ら内容 と日本語 に関す る適確 な助言 をいただいた。 なお,本研 究 は京都 大学東南 アジア研 究 セ ンターの山田勇教授 を代表者 と した 「人 と森林世界 に関す る 大陸間比較研 究」 の一環 と して行 われた。研 究協 力者 に加 えていただいた こ とに心 か らお礼 を申 し上 げた い。 参 考 文 献 加茂直樹.1994.「環境 と人間

」r

環境 思想 を学ぶ人のため に』 京都 :世界思想社 . 龍春林.1993.「西双版納庭 園植物研 究

『熱帯植物研 究論文報告集』 (二):66-73. 呂恩琳.1992.『西南環境 治理』昆 明 :雲南教 育 出版社 . 『民 族問題 五種 叢書』 雲南 省編 集 委員会 (編).1983.『西 双版納 タイ族社 会総合調査 (-)』 昆 明 :雲 南 民族 出版社 . .1983.『西双版納 タイ族社 会総合調査 (二)』 昆 明 :雲南民族 出版社 . .1995.『雲南民族民俗和宗教 調査』 昆明 :雲南民族 出版社 . 沼 田 真.1995.『自然保護 とい う思想」 東京 :岩波書店. 大塚柳 太郎.1994.「資源 とその利 用 の ダイナ ミズム

『講座 地球 に生 きる3 資源へ の文化適応- 自然 と共存 のエ コロジー』 東京 :雄 山闇. r倭族簡 史」 編写組 (編).1986.『倭族簡 史』 昆 明 :雲南 人民 出版社 . 渡部 武

;C.

ダニエ ルス (編).1994.『雲南 の生活 と技術』 東京 :慶友社 . 王科等.1990.『西双版納 国土経済考察報告』 昆 明 :雲南 人民 出版社 . 西双版納州政府接待処 (編).1993.『西双版納概 覧』 昆明 :雲南民族 出版社 . 西双版納風景名勝 区規劉建設委員会 (編).1989.『西双版納 覧勝』成都 :四川辞書 出版社 . 許再富.1993.「混農林系統- 熱帯 山地 開発 的一個新策略

『熱帯植物研 究論文報告集』 (二):1-13. 征鵬等.1993.『西双版納風情奇趣録』 昆明 :雲南民族 出版社 . 郵寿 青.1993.「西双版納 タイ族伝統混 農林業 的初歩研 究

『熱帯植物研 究』32:113. 488

図 3 1 9 9 6 年の畳緬村の地図

参照

関連したドキュメント

が漢民族です。たぶん皆さんの周りにいる中国人は漢民族です。残りの6%の中には

Answering a question of de la Harpe and Bridson in the Kourovka Notebook, we build the explicit embeddings of the additive group of rational numbers Q in a finitely generated group

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

Definition An embeddable tiled surface is a tiled surface which is actually achieved as the graph of singular leaves of some embedded orientable surface with closed braid

[r]

This paper is an interim report of our comparative and collaborative research on the rela- tionship between religion and family values in Japan and Germany. The report is based upon

俗曲藝》第 70 期,1991)、曹琳《覡教傳人-南通童子胡錫蘋》(《民俗曲 藝》第

俗曲藝》第 70 期,1991)、曹琳《覡教傳人-南通童子胡錫蘋》(《民俗曲 藝》第