企業活動の主体性
著者
平尾 賢三郎
雑誌名
東洋法学
巻
1
ページ
259-278
発行年
1957-11
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007755/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja企
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巳 念 日 三 ( 1 ) たる出回忌自包ロ氏は企業における主体性を主張し、特に企業家の主 企 業 活 動 の 主 体 性 二五九東 洋 法 学 二 六 O 観的精神を強調し、企業活動から生ずる諸々の財産はすべてここから発すべきものとした。これは株式会社企業にお いては機関の活動の活発必、取締役会の権限強化を招来せしめるものであり大いに経営者の利益を擁護するものであ る 。 これに対し
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ロの向。件。教授が、これを取り挙げられたのは、この意味において意義があると思うのである。 また客観的意義における商企業の法律的把握においても、従来企業の経済的統一を法律上いかに一体として把握す べきかに苦心し、古来論争あった処であるが、遺憾ながら日本においても独逸においても総合物S
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自 ω 回目氏も現行独逸実定法がこの点については将来の立法を待つべきことを述べ た だr
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4 3 経済的企業の法律学的把握 一九世紀以来経済学における企業の概念を法律上統一的に理解せんとする動きがあ 何となれば企業に関する概念規定において経済的見地に立たない場合には、個々の法律や個々の規定にの みとらわれ、統一的な総論と経済的及び法律的概念規定の正しい認識に欠けるからであり、概念の適合性は法律の中 でなく、進歩的運動が基礎づけられる経済の本質の中に存在するからである。 っ た ( 1 )。
この点に関し 2 8 0 W O ( 2 ) は法律秩序においてはまだ企業の統一的概念は在存しないが、 は、既に容認されているよりも大なる範囲で企業統一が認められているとの結論に達した。 個々の法律領域において しかしそれにも拘らず、学説における混乱と不明瞭が支配した。 まず関民経済概念規定から生産手段の組織を把握し、 企業を生産手段と安全な販売機会の組織として特色づける 企 業 活 動 の 主 体 性 一 一 大東 、詳 法 学 一 一 六 説 ( 8 ) 、物と権利による要素とその従物とのついた精神的組織体として把握する説 (4)@ これらの学説においては主観的要素との関係なく、特に企業主、使用者及び労働者と結合する人的結合が無視され て い る 。 また生産手段と労働力についての組織と解し、国民経済学上の定義に拠って企業を商品と人間との結合と定義する 説 ( 5 ) 、活動の本質とする説 ( 6 ) 、これらは具体的な企業の譲渡その他の取引には不適当と考えられている。 また企業概念を特別財産として、 法、或は不正競業防止法の上に位するより高次の秩序の統一としての理解は ( 7 ) この中に経営協同体の人的結合の場 所を見出し得ないし、また企業活動も評価されていない。 また企業は個人法 ( R ) なりとの見解も経営協同体の団体的側面を無視したものである。 つぎに企業を企業主と労働者との人的結合と見る見解 ( 9 ) に あ っ て は 、 また事実的無体財産として、 また無体財産に関する権利として、また民法、商 国民経済上の目的に従い非常に詳細な方法 で人的結合が取り挙げられ、その社会的統一として表現される。 しかし所謂人的結合のない企業も亦多く春在し、これのみが企業を区別すべき絶対的な特徴でなく、そこには物権 法的な目的としての企業が無視されている。 しかしまた企業の概念に関し利潤を必要とする考えは拒否さるべきである(担。 五保険団体は、これを企業として見るのが経済生活の通念であるからである。 なおこれについて国民経済学者の要求する費用負担(問。
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の問。件。教授はバイエルンの蓄害保険は法律上国家の補助金を受けるが、なお国民経済的に企業たるを失わないとされる。 これに対し医術、芸術或は科学的な企業は経済的過程の外に営まれるので真正の企業ではないとされる
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経済と法律の関係について直観的に言えば国民経済学の概念は z m 丘ロミにあるに対し、法律学のそれは E m a -8 3 を目指すがゆえに、国民経済学説は言語に依在し、その有効性に応じてその概念を構成する。そしてそれは事実の中 の現象を捕え、経済的、技術的方法における成果の外、統計学上の方法を有している。これに対し法律学概念は法律 上の用語に拘束され、取引における機能上の成果(宮昇 280 ロ 0・ ﹀5 4
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同吉田吃を目指している(ぎ。しかし今日その 考察方法は接近し、法律学は単なる印。ロg
のみでなく影山口をも考慮し、また国民経済学もm
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を 凌 駕 し 、 目的と効果を問う。 そ の 例 え ば 間 賞 窓 口 。 後に法律秩序において非常に拡大して解釈される。何となれば 同R
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に似た構造を認め、なお強制問R
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規定は市場支配よりも寧ろ市場の影響 をねらうことの中に現われ、また保険法においても動産保険の場合には経済的概念に近い被保険利益の利益と価値た の概念は国民経済から由来し、 る保険価格なる用語が商法の中に規定されている如きである。 また保険法における危険団体の概念についても同様である。これは国民経済において決定され古くから使用された これが保険法に関して基礎的意味を有する法律概念となった(ぎ。 概念であるが、 企業に於ても亦同様であって、 概念は企業の集団或は多数企業と関係ある個々の法律に使用されるが、思考上は経済的に規定した企業の一種或は一 面のみを整理しつつ把握する多くの法律に春在し、商法、民法、株式法、不正競争防止法、 そこでこの機能上の成果について同・ 4 ・2
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教授の言うところに従えば、 企業 商 標 法 、 経済法ー労働 企 業 活 動 の 主 体 性 一 二 ハ東 洋 法 学 一 一 六 四 法、租税法の場合に関して常に一目で認められない場合でも存在する。そしてこの経済的に定義した企業を広義にお ける企業と称している。何となれば従来の他の既容の概念構成では単に広義における企業の二闘を稔し、これを法律 上の規定によって整備するに過ぎず、しかもこれに企業という名称を与えるのでこれが誤解の原因を作った(日。 し かしこれは前の広義における企業に対し、その狭義における企業を指すのである。 しからば経済上定義した企業の概念、すなわち広義における企業は如何に解せらるべきかについて、今日国民経済 学上の学説においてもまだ一致していないのであって(ぎ、
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に向って統計的、静止的でなければならない。法律秩序は経済的統一の機 能的効果を求める。個々の法律や規則はこれを捕え独立の法律的概念や固有の概念を形成し、或は評価する。その法 律的効果を捕えるためまた法律的価値を与えるために法律は統一性を破る。しかし統一は無意味ではなく、それはそ こにあって多くの独立的効果の混和の中に自己を示すのであると(立。 2 J1 巴・同g
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東 洋 法 学 一 一 六 六 或は伴なわずに発展され、 し、更にこれを商企業の概念決定に応用された。 そしてこれは企業の種類と各種の企業家の属するカテゴリーを決めるべき標準であると すなわち広義における商企業は経済的統一であり、それは法律的意味では商に棒げられた活動の総体である。それ はわれわれが確定した企業の国民経済的中心概念の変種であり、法律的意味における商の概念を取扱うので、取引活 動のみならず、経済的意味における商の実定法を定める各個の活動も考慮には入って来ると ( 2 ) 。 商法典においては明らかにこの用語を使用せ ず、それら三つの面が独立に把握、評価され互に相互関係に立つのであると。 かくの如き広義における商企業は観念的には商法に基礎をおくが、 まず第一に商経営活動であるが、 これは商的営業の経営、或は積極的に立てた活動、すなわち主観的意義における 商企業を取扱う。商経営活動は商企業には特に自動的要素であり、企業に区別すべき色彩を与えたが、 索、こそ後述回忌
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ロ氏の主観的精神に当るものであるう。 この自動的要 そこでこれが商人の企業を生み出し、主観的に商人の概念を想像し、そのために商人法を創造した。すなわち商人 (日商第四条、独商第一条﹀、必然的商人(日商第四条第二項、独商第六条)、可能性商人(独商第三条 ν、 商号登記による商 人(独商第五条﹀、商事会社たる商人(独商第六条)を区別する。 ことになり、商人的活動の観察は完全商人と小商人とを分離せしめ、 そこでまた営業の外部に春在する活動が考慮さがる つぎに経営活動による法律行為、すなわち商行 為に導き、更に経営活動によって生じた活動領域へと導くのである。 出 回 忌 自 き ロ 氏 は 前 述 の ご と く 同 ・ 4 ・2
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教授の三つの放射に基ずき主観的権利によって体系化し、第一に事業計 画を生ぜしめてこれを実現せしめる主観的精神、第二に感常的に認めうる外界の事物に泌澱している構想たる牢観的精神、第三に精神の担い手とも言うべき有形に把握できる環境の事物とした ( B ) 。 同 ・ 4 ・
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教授もこの点大休同趣旨をとっていると認められるが、国各自自口氏は企業における人格権の外、 来の無休財産権の理論を加え、更に企業の中特に主観的精神の有する自由な創造活動性の尊重と保穫を強調し、他方 社会秩序からする法律取引上の制限を述べている。 まず人聞は文化的創造物を創造せんとする精神的要求を満足させる文学、芸術、科学上の作品や技術の面で新しい 従 発見をした。また彼の手に代る有効な道具をもって原料の生産に奉仕し、経済生活における生産と商品の交易と分配 に俸げられた企業を発展させ、そして始めて現代の分業よりなる国民経済を可能にする ( 4 ) 。 かくのごとき企業は人間の手によって発展した人間精神の所産である。 司 ロ ゲg
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口氏の主観的精神はこの他、随所に見られるが、芸術家、或は作品を生ぜしめる科学者の精神、或は企業 家のそれであり、創造的行為に対する能力の中に全く思考的春在としての人間たることを示し、また企業生活と企業 主の構想については、企業は企業主の人格との在続すなわち、彼に永続的に新しい衝動を与えるところの精神と存続 し、経済生活の変化に応じて適合する。この維持力、継続的発展、彼 φ 先見の明ある市場研究がなければ、企業生活 は消滅し、企業構成部分は単なる死滅した商品、道具、建物等々の蓄積となり果てるとされる(三。 2 これが商企業においては狭義のものであり、 こ れ と 、 つ ぎ に 同 ・ 4 ・2
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教授の客観的活動領域であるが、 国-Z
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ロ氏の客観的精神乃至は客観的精神的財産とを比較する。 この場合前者の活動領域は後者の客観的精神に第三の環境の事物をも含めたものではないかと見られる。 ま ず 同 ・ 4 ・。向。件。教授の客観的意義における企業は狭義における企業であり、 物や権利義務の総体たる活動領域 企 業 活 動 の 主 体 性 二六七東 背 ー 法 必 以 動 寸L・ 一 一 六 八 として企業活動の客観的抗澱物と称せらるるものである ι それはまた広義における法律的に独立せる一面であり、経 営活動、経営協同体に対立すべきものであり、各種の法律取引の対象となるべきものである。 この企業財産を二つに分け一つを事実的関係からなる財産的価値と、他は特別財産たる土地となす。前者は顧客、 販売機会、仕入元、内部組織、取引経験や取引上の秘密から構成され、活動領域の固有の本質としてあらわれる。こ れは各種の物や権利、義務を伴なったものであるとした。 これは一般農企業、林業の場合のごとく、企業 は特別財産たる土地を中心に随伴現象としてあらわれる。ゆえにその企業は非独立的に関与する。 この狭義における企業の活動領域の主人は企業家であり、その者によって確実な効果を受けるので経営活動と結合 これに対し後者は活動領域が必然的に土地に依在した場合である ρ す る 。 この点において
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ロ氏の創造的活動領域と同趣旨になるわけである。 中に社会法上の労働者の権利、義務が特別財産として混入するため経営協同体にも関連してくるといわれた。 しかしそれは特別財産としての限度に留っているところにこの面の主体性は未だ認められていないのである。 狭義における商企業 ( 6 ) に 対 し 、 同 ・ 4 ・ C 問。件。教授はこれは経営活動によって創造された活動領域たる客観的な洗 澱物であり、特別財産としての商行為たる客観的意味における商経営なりとする。ゆえに狭義における商行為は静態 的意味における商企業活動に応じた固有の支配可能的特別財産である。それは顧客、販売機会、取引関係、内部組織 及び取引義務などのごときその構成要素やその他併合附加されたものからなり立っている。また商的企業の針働者が 経営協同体の中に根ざしている請求権や義務も渉特別財産としてこれに属すると。 し か し 更 に 同 ・ 4 ・ の 向 。 持 。 教 授 は こ のこれに対し回忌
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氏は人間精神の作品の第二の要素として客観的精神を挙げた。 うる事物に消澱しているところの外界におかれた構想とされ、更にこれを企業の精神的創造の第二の要素として客観 的精神的財産として採用した。 客観的精神とは感覚に認め そこでこの主観的な企業精神と客観的精神的財産との関係について三つの原理を立てたが?﹀、 ける事業計画は人間精神から解明され、外部の目的物に封入されその中に客観化する。客観的精神的財産はそれが起 因するところの主観的精神に対して独立を達成し、それが附属している目的物とともに自己の在在を達成し、それと ともに取引可能になるとされ、 第二には外形的、感覚的に認めうる物体に封入された精神的財産は第三者から再認され把握される。彼はそれから その中にある精神を解放し、取り挙げ理解され、その者のために使用されることは可能である。従ってその同一性を 変えず企業の継続によってその精神を把握することが可能であるとされ、 第三にかように精神的財産の独立にも拘らず主観的精神との関係は春在したままである。特に企業の場合は継続的 精神活動が必要であり、その場合精神的内容を伝えるため企業者たる人聞は交換されるが、企業の譲渡の場合屡々従 来の企業家は一連の人的関係によって彼の取引と結合されているとされた。 第一には企業にお つぎには 出 口σ g m
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氏の説の第三の要素としての精神の担手になる環境の有形に把握できる事物によって精神的 作品を生ぜしめる場合である。前述のごとく同・ 4 ・ の 向 。 持 。 教 授 の 第 二 の 説 は 国5
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口氏にあっては第二と第三の説 に分れている訳である。 この第三要素は精神的創造の場合にはやはり第三の要素たる人的関係、非物質的関係及び物質的財産と三つに分れ 企 業 活 動 の 主 体 性 二 六 九東 洋 法 学 二 七 O る。人間関係とは労働者、材料供給者、顧客等の企業の構成要素に入るもので、非物質的財産とは特許権、実用意匠 案等の構成要素に入らないものと、。。。血豆=や標識(問。ロロ
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ロ氏は客観的精神的財産と環境の事物との関係を分析して述べたが、 まず第一に客観的精神は自由に浮動状態たることはできない。 そ れ は 物 ( 冨 乱 。 乱 。 ) に 結 合 さ れ て お り 、 感覚的に 認めうる形を必要とする。 第二に客観的精神はそれが託せられた対象物とは密接な関係にも拘らず、その中には生じないとして精神と物質と 明確に区別し、精神的内容はたとえそれがその中に発生することができるとしても物質的な事物から構成されず、精 神的なものは下部の上に呼び起きれそしてそれによってのみ運ばれるという高い在在程度を一示すものである。 第三に精神的なものが物質的型態をとってそれによって担われねばならない場合でもそれらは分離し難いのではな く、精神的目的物の感覚的に認めらるる基礎はまた精神的なものがその同一性を失うことがなければ交換しうると し ( 8 ) 、 その例として原稿に託せられた思想はその同一性を変更せられることがなければ、 この物質と精神との切断可能性が、何故それが真似、模造、幾佑にもされるかという理由になると。 この客観的活動領域の中環境の事物に対しては統一的に把握せんとの試みが各国においてなされた(と。回 忌
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氏の説として企業活動の動態的状態たる企業給付命ぷロロ件。g
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口氏はこの企業給付について、生産並びに販売機構、 組織とは静態を表 容を誘引する力、 。 。 。 仏 語 山 口 取 引 経 験 、n v
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ロ及ぴ材料供給者、顧客、労働者に対する開拓関係はそれらが既に独立の権利義務とならない限りは、共同してのみ企業 給付を生じ、取引において独立の意味を生じないがゆえに企業の構成部分と見られる。企業給付は精神的な組織形体 の有休化、実現や完成の過程に帯在するものであると。 すなわち文砧的にして技術的な創造物が物質的土台の上に基礎をお号、家屋、船舶、機械、家具調度、原料、半製 品、既成品のごとき有休物のみならず、特許、実用新案意匠或は著作権の無休財産権から労働者や得意先や媒介者の この点に関し宮
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・ 開 同 N g n F は精神的結合たる組織体を加える。それらの客体は企業家が自 それらの集団や総括の中に給付(戸巳E
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也 、 人的関係と結合する。 己の構想をもってこれを把握するから、 組織計画及び企業家の客観的 精神を含むとされる。 国各自何百口氏の如上の見解において主観的精神と客観的精神との相異は、 か否かであって、如何なる主観的精神も社会生活に登場し、存在を認めらるるものは既に対象に託されていることを まず対象(のo
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に託されている 前提としなければならないと考える白この場合ー客観的精神とは企業主が手段として利用する有体物をはじめ諸々の客 体に既に封入された他の企業主の精神が普通であるう。勿論企業主の主観的精神も既に春在せる他の企業主の精神を 利用することもありうると思う。 ただかかる他の創造的精神の完全な利用は模倣となって芸術的、技術的作品にあっては価値を有せずその名に価し ないであろう。その点に関し芸術的創造精神とは何か新しいもので創造され、或は少くとも発見されるが、企業給付 はまた実際的な組織形体の有体化、実現及び完成の中に春在するのであって、それは新たに考え出されてはならない と述べられる。ゆえに企業者自身の活動する主観的精神が客観化される場合を広義の創造的精神として述べ、更に自 企 業 活 動 の 主 体 性 七東 洋 法 学 七 己が既容の他の企業主の精神を利用する普通の場合についてはこれを狭義の精神的創造としてこれを区別しているも のと考えるのである。 在的、先験的であり、 また企業の有体的な基礎と精神的財産との関係については、 その他の無体財産は先験たるに過ぎないと主張するが、 国 同
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吋 ( 時 ) は企業の精神的結合は有体的基礎に内 出 回 忌58
口氏は芸術的作品や発見の場 合と少しも異なるところなく、 ただそれによって運ばれるに過ぎないとされる。 11 10 一 ﹃ ・ 4 ・ の 向 。 ュa
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5 ・ 水 島 広 雄 教 授 、 企 業 担 保 と し て の 英 国 語 動 担 保 に つ い て 、 私 法 第 一 一 ユ 号 水島広雄教授、中央大学七十周年記念論文集イギリス淫動担保の索摘、第五九七頁 出 回 目u B
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・ 日 N ・ 主観的権利 として認められるのである。 さて以上の企業における三面を主観的権利によって体系づけんとする点が国5
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口氏の独自の説 四 国 各 自g
ロ氏によれば主観的権利とは人間と人間との関係であり、それは一方が他方に対して正当の利益の保護と 実施を可能にし、許すごときものとし、この利益は人聞の外部に在在する目的物、特に客観的な精神的財産に及ぶこ とができ、そしてその利益は固有の活動と発展をその内容に持つことができ、これを価値努力(司2
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﹀と名 付けた。この場合他人に対しても自己を保護すべき価値を有し、またその実現可能性の請求権を与えるものは彼に基 礎をおいているところの客観的な価値内容£2
。 £ 島 民 話 君 。 見 官 官 胃 ) ( と な り と す る の で あ る 。 また自由に者在し、取扱い、努力し、労働し、産業上活動し、一般に自己を 展開すべき権利を有しているということを否定することはできない。それがまた多くの人々に帰属した権利を統一的 目的物に与えられるという事情は、権利の本質が目的物にではなく、人と彼或は人と他人との関係の種類に導かれね ばならない。企業を単なる事実的状態或は単なる財産としての観測は企業に集中した利益を保護し、経済生活にこれ 人は目的物に対する権利のみならず、 を実現するには何等必要でないといわれる ( 2 ) 。 主観的権利の承認に関しては、第一にその上に法律的支配が実行されるところの権利目的(問。。宮お0
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仲)のない主観的権利は考えることができないという見解は、すべての原始的な権利 のごとく、権利といえばすぐ人間を取巻く事物を見るというロ l マ思想の残津を述べるものであるとし、主観的権利 企 業 活 動 の 主 体 性 七東 洋 法 学 一 一 七 四 が対象に結合するということは人間的人格とその努力ーその目的、目槙及び何憶を中心におくところの現代の文化評 価 に 矛 盾 す る と し た ( 三 。 また主観的権利の承認は第二に企業家自身の手により、また必要な場合には訴によって彼の利益の維持防禦する手 段を与えるものである。判決はこの綜合集中した利益を保護する必要性に対し、これが理解を拒むことができず、常 すなわちわれわれの法律秩序は企業に対する侵害、 に企業保護のための訴を認めねばならない(ユ。 対し特に成文法をもって保護する。すなわち公序良俗に反する方法により他人に損害を与えた場合一般条項によって 保護せらるべくハ目民第一条第九 O 条 、 独 民 第 八 二 六 条 ﹀ 、 日 民 第 七
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条、独民第八二三条第一項に従い、﹁そ の他の権利(或は﹁他人の権利﹂﹀﹂として見られ不法行為上の保護をうける。 すなわち人は単なる有体的な基礎を越えてその背後に隠れた精神的給付とその中で客観的な部澱物を把握し、その 就中不正競業に 保護を要求するようになった。 主観的権利の承認の第三の基礎は営業経営における利益意思の有体化を要求し、その侵害を肯定した。 その場合それがたとえ事実的に経営を阻害するものであれ、法律上の許可を否認するものであれ、またその終結或 は制限を要求するものであれ、経営の有体的基礎に対する侵害を正当化し、そしてその春続に関係している。 現在の独立の営業経営の場合に単にその意思活動を取扱うばかりでなく、この意思は既に客観的な有体化を経験し たことによって、品経営に関する主観的権利の承認のために竪固な基礎が与えられる。 個々の権利領域の限界は互に人聞の共同生活の中に融合し、交叉し、屡々ぼかされるが、裁判官は徹底的に注意と 保護に価する利溢を徐々に苦労して抽出し、それに絶対的な権利を認め権利領域の聞に限界線を引くため、共同生活原理に対する違反には一般条項の適用を制限し、個々の権利について規定する具休的条項を適用すべきである白すべ ての人間的利益は他人によって尊重せられることを要せず、ただ客観的価値の在在している権利利益のみが尊重せら るべきである。 主観的権利なるものは人の人に対する関係としてこれを見るならば、それは当然に社会的秩序によって制限を生ず る替である。その場合二種類の制限が存在することとなる。すなわち第一に正当防衛、緊急避難、五当の自救行為等 の代表的で一般的特徴に従いきめさせたもの、それは日民第七二
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条、独民第八二三条第一項の文言のいうような不 法の性格のないものであり、第二に利益考慮の原則から個々の場合の事情に従って生ずるものである(
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・ 吋 ア 5 五 企業活動の主体性の動向 さてこの主観的権利によって客観的利益は如何に追求せらるべきであるうか。 絶対的権利の場合には、まず事実上社会的な基礎秩序に反する行動が存在したか否かがまず探究せられねばならな い。その上はじめて社会生活の基礎秩序の枠内に有し得ない行動が特別の理由から正当と認められるべきか否かを閑 題とせねばならない。 この限界は一般的に確定することはできない。或は狭く、或は広い。何となれば権利はある場合においては、他人 企 業 活 動 の 主 体 性 二七五東 洋 法 戸 時 寸a 一 一 七 六 これに反して他人 の利益が一層必要と見える場合には、自己の権利を実現することはできない。客観的価値に基礎をおき、正当な利益 が何れにあるかを考慮して抽出し、利益考慮の原理に基ずき与えられた
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当な利益を、漸次にこれに従って各個の場 に認められた利益に対抗してより重要な理由あるときは、これを強行貫徹することがありうるが、 合に限界線を樹立するということだけが可能である(と。 ここにおいてドイツ株式法第七O
条の取締役の基本的義務が想起せられるが、日本商法第二五四条の二の取締役の 忠実義務より更に積極的にして﹁明確に取締役は自己の責任において営業及び従者の福祉並びに国民及び国家の共同 の利益の要求する所に従い会社を指揮すべきことを要する﹂と規定するが(之、これは前述のごとくナチスドイツ時 代の指導者原理に基ずく規定ではあるが、今日の要求と何等矛盾することがないと考えられる。 そしてこれは生産手段の所有者と経営者との権限の分離は近代の大企業において著しい特長となって来た結呆であ り、従って経営者は資本の所有者でなきに拘らず、経営一切に重要な事項を自己の裁量において行うようになった ( 8 ) O ただこのドイツ株式法第七O
条の解釈においても取締役は単に株主の利益代表者にとどまらず、企業の資本的 利強と並んで労働者や公共の福祉をも考慮せらるべきものであるとともに、勿論社会的理由から或は一般の利益にお いて正当な株式会社利潤の縮少についての行為については何等責任を負わないハ 4 )。 この労働者の福祉に実効を生ぜしめるため一九五一年五月一一一日の共同決定権法(冨5
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が 重 役 会 に お け る 規 定 を 変 更 し た ( 丹 ) 。 は株主総会によってはその三分の二、労働者によっては残り三分の一が選任される(経営組織法第八七条)。 監査役について これら商人と殺の使用人及び労働者との経営協同体に関しては目下なお変革過程にあるが、商企業の特質として番頭、手代及び商業見向者︿出
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腎とに関する商法の規定は業務代理権や商事伐理権に関する規定によっ て補足されている。同・ 4 ・2
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教授は企業の経営的統一として経営協同体を入れたが商企業の中には斯様な使用人 この点から見れば経営協同体は広義における商的企業の本質的 ( 4 ) 必要 や労働者を有しないものも春在しうるので、 性がないかも知れないが、 かくの如き小規模の商企業は経済生活において重要な役割を演じていないと(£、 いわれ ることから者えやはりその春在を肯定せねばなるまい。 出c v
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ロ氏は労働者は顧客とともに人間関係の中に入れられるが、労働者に対する関係が独立の権利義務となら ない限りは企業給付の部分となるに過ぎないと解し、ただ企業譲渡の場合労働関係に関しては、労働者に関係なく譲 渡人と取得者とによって契約することはできないとし、労働者は大抵既に労働契約締結の場合に、新企業主による労 働関係の引受に対して黙示的に同意したと看倣すことができるに過ぎず、その場合労働者は正規の契約解除権を有す る と し た 。 これに対し企業の譲受人は労働関係の承継に関し企業取得者は未来において生ずる義務を引受ける一方、従来生じ た義務に関しては譲渡人が原則として責任を負うとし、この場合労働者が請求権を有している場合には、果して何処 まで従来の権利を保有しているかは労働者保護の観点から答えらるべく、これについては企業法的見地からは生じな い。何となれば企業は貯働者が全部退職または移動するも企業の同一性は維持されるからであると? )
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この二つの考えを比較すると同・ 4 ・2
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口氏よりも使用人、労働者の地位の向上に対し積 極的であることが認められる。企業者及び企業型態が現代企業法において大きな問題となりつつあるが、使用人、労 働者に対する保護は従業員持株制度など段々厚きを加えるとともに、企業に対する真面目なる参加関係は尊重される 企 業 活 動 の 主 体 性 七 七東 洋 法 ~ 弓一 二七八 一方経営に無関心なる投機的浮動株主や一般株主に対しては、投資の保護が期せられるとともに会社荒 しに対しては対策が構ぜられねばならない。 何れにしても企業関係者に対し企業乃至その移動につき衝平なる発言権が与えられねばならない。この場合特に資 金調達の確保と顧客、消費者 ( 8 ) の保護が重視されねばならない。 べ き で あ る 。 かくして企業についての主観的権利はわれわれの文化の枠内に在する価値及び利益秩序のうちにおいてのみ保護さ れ、また株式会社の占める公共的地位から将来の立法によりこれら利害関係者の衝平なる発言権の行使が可能になっ た践にこそ企業活動の主体性を発揮できるのである。 2 出 口 V B M 吉 田 、 ω ・ 削 W ・