労災補償の法構造-2-著者
水野 勝
著者別名
M. Mizuno
雑誌名
東洋法学
巻
12
号
2・3
ページ
61-98
発行年
1969-02
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006139/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja労災補償の法構造︵三
水
野
勝
は じ め に ↓ 本質論とその補償の法構造への投映 ① 穀損園復・填補説とその法構造の検討 ω 生活保障説とその法構造の検討︵以上前号︶ 二 補償の法構造ー総括と私見ーー︵以下本号︶ ω 補償の法制度的構造 ︵1︶ 補償講求権の根拠・性格 ︵H︶ 民事賠償との減免関係の構造 ︵斑︶ 重過失の意味 ㈲ 業務上災害のとらえ方 ︵1︶ 業務上災害の意味 ︵H︶ 具体的事例の処理 む す び 労災補償の法構造 口 六一東洋法学
六二二 補償の法構造ー⋮総括と私見i
これまで・災害補償の本質論につき.殿損回復ないし填補説と生活保障説に焦点をしぼり.そこでの照的ないし基 本理念・根拠の担う機能を追求し.その本質論のもつ意義をさぐゆ.若干の検討をくわえてきた.い窟.これを約冨 すれば.つぎのごとく総括できょう.まず. 、 励 .労 使関係の構造霞体に内在ないし規定された労働力殿損の原因たる労災の危険を重視し.なによりも.個別資本の排他 的責任とされる由縁を明確化すべしとの接近視角にたつのにたいし.生活保障説は.むしろ. ﹁業務上﹂災害とされ たことは責任の根拠にかかわるというよりは.責任の範囲の間題であるとし.災害の危険よりも.その結果たる生活 の脅威を重視し.補償の方法・内容にあられた生活保障機能の統一的把握を強調する.そうした相異潜体.基本的に は、前者が災害補償制度を労働力保全政策の一環として位置づけ、これが個別資本の個有責任とされる規範的根拠如 何という観点を接近視角とするのにたいし.後者が右政策の成立条件賛労働運動の高揚にともなう生存権思想を接近 視角とするという差異に起因する.まさに.そのゆえに前者においては.労災の危険が重視され.これが労使関係の 構造にむすびつけられるとともに.補償にたいする個別資本の個有責任の根拠が追求されたのである。その結果. ﹁業務上﹂災害の認定基準趨体は明確化するが.反面.その認定態度が、労働力保全政策を個別資本に担わしめる合 理性の配慮に制約されて厳格化したのである。これにたいし後者においては.災害の危険は個別資本の責任の根拠にむすびつけて追求されず、責任の所在が稀薄化し、 ﹁業務上﹂災害の認定基準も、 ﹁支配圏﹂という枠組のなかで、 支配の強さ︵業務遂行性の程度︶と災害の通常性︵業務起因性の強度︶との相関的判断という態度に帰着するため、認定 技術上、前者に比して明確性にかけるきらいがみられたが、反面、その認定範囲は生存保障の趣旨にそくして拡大さ れる余地がもたらされたのである。 また、補償の性質につき、後者が損害賠償との異質性ないし乖離を帰結するのは生活保障目的、いいかえれば、・下 からの条件にともなう生存権思想の重視のゆえであり、前者、とくに、殿損回復説が損害の填補ないし賠償と異質の 労働力駿損の回復に目的をもとめ、民事責任との競合を否定し、もっぽら補償請求権の行使によって処理されるべき であるとしたのは、上からの政策目的を重視し、その成立条件にともなう生存権思想の軽視に起因することが明らか にされた。そこには、無過失にもかかわらず、補償をうける以上、救済が実損害の回復以下となっても、十分である とのすぐれて政策的なバランス論が伏在するというべく、補償責任の根拠が﹁衡平の観念﹂にもとめられたのも、ま さに、そうしたバランス論を基礎づけるという意味を担うことが理解された。この点鍛損填補説は、下からの条件を 配慮し、帰責事由の客観化も労働者の権利主張に対応する客観的責任の承認としてとらえられ、卒直に、その填補性 ないし賠償性を受け入れていくが、生存権思想の業務上概念への投映は、どちらかといえば、かかる概念の承認自体 が総資本の譲歩として労働者の権利主張、したがって生存権ないし労働権の思想を認容するものとされるにとどま り、その内容は個別資本の個有責任の明確化という視角から厳格に限定されるとともに、そうした個有寅任を基礎づ けるという意味から、いわば、社会法思想によって修正された一種の保護義務を媒介として、労働契約にその根拠を 労災補償の法構造 口 六三
東洋法学 六四
もとめていくこととならざるをえなかった。そうした考え方は契約関係を.かつてのごとく.債権共同体関係として とらえる立場にみちびく危険性をもつ点で疑間が存し.そうでないまでも権利制限の論拠に転化していくおそれの存 する点で、回避されるべき立論といえよう。 もっとも・以上の両説の対置は、その接近視角から帰結されるきわめて概括的な傾向的相異にとどまり・個別的に は・戦損填補説にたちな炉らも.生存権思想を制度の指導理念として認容し.業務上概念をひろく﹁資本機能の範潤 内﹂と解し・かつ損害環補との異質性さえ帰結する見解︵摺欝説.なお.この見解の民事賠償との関係にたいする態度の検 討は後憾一ω黛︶参照︶が存する反面.生活保障説にたちながらも寅任の処在の明確化を意図して・業務上概念を災害 の危険にむすびつけて確定するとともに.補償の根拠を労働契約にもとめる余地をみとめ薦見解 もみら れ・実際上・両説の差異の解消されていく余地の存することは.すでに指摘したとおりである.だが.両説の接近視 角は、極限においては相容れないものであって.茅秘の併列的なモメントとしての強調には理論上無理が存するといえ よう。たとえば、沼田説が業務上災害を資本機能の範囲内の災害として.いわゆる支配圏を枠づけ、これを契約黄任 としてとらえる態度は資本と労働力の結合を基軸とした労働者にたいする事実上の支配を包摂してとらえる余地をも たらすと思われるが︵口⑳︵灘︶註ご一参照︶そろした帰結自体、生存権理念に照射された一種の保護義務 それ自 体.市民法の原理的帰結をこえる存在 を前提せざるをえず.すでに個別資本の責任の論理をこえた生存保障の理 念によって肯定される帰結といえまいか。藪た補償の賠償責任を肯定しながらも、後述するごとく︵二ω︵蕪︶参照︶、 民事賠償との減免関係につき、理論上は、両者の異質性を強調し.これを否定する点で、理論的調整ないし統一性に疑問を生じ、窪田説では、生活保障を本質とする補償責任を基礎づけるべく労働権が根拠とされながらも、責任の所 在の明確化を意図して労働契約に根拠をみとめる余地をみとめられるが、すでに検討したごとく、その論理に飛躍の 存する点を別としても、両者の減免関係を否定するために補償責任を賠償責任との機能的重復を否定することをふく めて、いかに異質なものとして基礎づけるかという点で、その構成に疑間がいだかれよう︵同説については莚二参照︶。 この点は、前説にも妥当しよう。 右の総括から明らかなように、両説の本質観はいずれも反面の欠陥をもつ、そこで、以下、そうした欠陥の克服を 意図し、災害補償の権利性を、一層、徹底させて、これを従属労働関係にたつ労働者の生存保障の制度と解する筆者 の見解を基礎づけ、その法構造観を明らかにしていきたい. ① 補償の法制度的構造 ここでは、憲法規範を頂点とする災害補償法制の連関の把握とそこから帰結される補 償の性格のほか、これに関連する民事賠償との減免関係の処理方法と重過失のとらえ方の問題をふくめて、法制度的 構造として論ずることにする。 ︵1︶ 補償請求権の根拠・性格 労基法が労働条件に関する最低基準の設定によって、従属労働関係にたたざる をえない労働者に﹁人たるに価する生活﹂を確保することを目的としていることはいうまでもない。そのため、労基 法は労働条件をひろく従属労働関係に規定された弊害の規制という観点からとらえ、使用者に一定の義務を課すとい う方法をとるが、災害補償制度もそうした義務の一環として労基法上設定されたものである、それは、憲法上、 ﹁労 働条件基準の制度的保障﹂ ︵憲法二七条二項︶自体にすでに内在する災害補償権を労基法上具体化したものであって、 労災補償の法構造 口 六五
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六六 労災による労働者および遺族の生存の脅威を防止し.これに﹁人たるに価する生活﹂を確保するため、労働者にたい する使用者の労基法上の直接的義務として課せられたものと解すべぎである.したがって.それは労働契約を媒介に 契約規範として労使関係に妥当するというよりは.むしろ、端的に法規範として.直接労使閥に妥当すると解すべ く、そうしたとらえ方のほうが.ひろく、従属関係に規制された弊害の除去.防止を意図し.事実状態としての適正な 労働関係の確立に黎意する法の建前︵罰則と行政的救済との臭備︶に茅・くするといえよう. また.この義務は保護法上 の直接的義務と解されるかぎりで.公法的側面をもつといえるが、使用者の国家にたいする公法上の義務というより は.使用巻の労働嚢にたいする補償の直接的義務が国家 の行政的監督と罰瑚によウて担保されるという.い わば三面的構造に対応して.私法的側面とともに公法的側面をもつ関係にあるとみるべきものである︵拙稿・年次有給 休暇講求権の再検討8労法旬六四八号壬丁三貝参照︶ その意味では.災害補償請求権は私法および公法と区別された社 会法上の独欝の請求権であるということができよう、この関係は、労災保険法上.政府管掌保険として直接国家機関 が給付をおこなうという形式をとる場合でも、すでに検討したごとく︵一②第一類型の検討参照︶補償給付の費用が、 原則として、使用者の負担とする建前が保持されているかぎり.基本的に異るところはない. なお.災害補償権が労働条件基準の制度的保障に内在するとみることは、そこから具体的な労働者の災害補償請求 権を帰結することまで意味するものではない。それは.いわば.一般的な﹁労働基準権﹂とでも称すべき抽象的な権 利の保障にとどまるとみなければなるまい.だが.制度的保障自体、すでに、生存権保障の理念をうちにふくむもの である。たとえ.その具体化が.当該資本制社会の経済的.社会的な発展と内包する矛盾に根源的に規定されながらも、直接的には、具体的な政策意思を媒介として、うちだされるものであるかぎりで相対的差異の生ずることはまぬ がれないにしても、今日、国際的に承認されている水準をいちじるしく下廻る立法は右理念に反するものとして無効 と解すべきものといえよう。また具体化された災害補償制度の解釈運用はこの理念を基底としておこなわれなければ ならない。 以上のように、補償の根拠と性格をとらえる筆者の立場からは、その諸特質、とりわけ、定率補償︵労基法七六−七 条、七九−八O条、労災保険法一四ー六条、一六条の三、一七−八条︶、行政的履行の確保︵労基法八五i六条、労災保険法三五 ー八条︶、譲渡・差押の禁止︵労基法八三条二項、労災保険法二一条二項︶は賃金を唯一の手段とする労働者および遺族の 生存保障を志向するものと解され、また、業務上災害も、右指導理念にそくして、一層、その権利性を徹底させ、無 過失責任の帰責構造をこえてとらえるべきものとすること、後述︵二②︵1︶︶するとおりである。 ︵H︶ 民事賠償との減免関係の構造 さて、民法上の損害賠償責任と災害補償責任との減免関係については、労 基法上、たんに補償をさきに﹁行った場合﹂に、 ﹁同一の事由については、その価格の限度﹂で損害賠償責任をまぬ がれる旨を規定するにとどまり、右と逆の場合や第三者が加害者である場合については、なんら定めるところがない ︵同法八四条二項、ただし労災保険法二〇条参照︶。そのため、解釈上、両者の関係をいかに理解すべきかにつき、補償の 本質ないし性質論もからんで、見解がわかれていること周知のとおりである。 右の点につき、筆者は、結論としては、両者の相互減免関係を肯定すべきものと解する。すでにのべたように、私 見によれば、災害補償請求権はいわば労働基準権とでも称すべき一般的権利の制度的保障を具体化したものであっ 労災補償の法構造 口 六七
東 洋 法 学 六八 て.私法および公法上の権利と異なる社会法上の請求権として規定される結果.両者の異質性も肯定される.﹂ととな る.しかし.そのことは両者の減免関係を否定することを帰結するものではない.といっても.それは補償請求権に 二次的副次的に損害填補の機能をみとめる︵安屋、労働災害補償の法理・労働法一三号.一八頁︶からでも.補償と賠償 とを表裏の関係にあるとみる︵有泉・労基法四五三ー圏頁︶からでもない、いわんや.補償責任を無過失性を媒介とし て損害暗償責任の延畏線上でとらえる立場︵末広・時報二〇巻六驚蒸丁四頁.慶谷・判偶ダイムス八二号三畏.吾棄編.註 解・七八一頁︶にたつからでもない. 一見.奇異にもみえようが.むしろ.賠償責任に生存保障の機能をみとめるか らである.副次的にもせよ.損害環補の機能をみとめるこ菰は.生存権を基本理念とするその接近視角と理論上よく 調和するか疑閥が存するし.補償と賠償を表裏の関係とみることは.それが不法行為の発展動向にそくして.両者の 調整を意図したものとして.注爆すべぎ見解といえようが.そうした構成が労働法上の独自の制度として災害補償を とらえていく視角を稀薄化することも否めまい、また.不法行為責任の延長線上で解決をこころみる見解は.その本 質観朧体.すでに問題であり.とりわけ.被災者死亡のさい遺族補償講求権老と損害賠償講求権者とが一致しない場 合においても減免関係を肯定せざるをえず︵慶谷.判例タィムスニ盤篇ー四頁.吾妻編・註解七八五頁︶それが当該の本質 観の当然の帰結であるだけに.保護法上の制度たることを見失うものといえよう、 さて、筆者が請求権競合説と法条競舎説との対立につき、契約関係に特有の危険といっても.債権関係が一定の給 付を尉的とする結合関係であるため、危険が給付の達成を核として定型化していくということ以上の.したがって. 債務不履行.、受領遅滞.危険負担などによって処理されるべき危険以上の特馴の危険を肯定することは、市民法理
上、困難なこと、また右特別危険にたいする責任を一種の保護義務を媒介として帰結することが、保護法の権利大系 の座標に、最小限、権利制限の論拠を導入する危険性をもたらす点で疑問をいだぎ、むしろ、右以上の特有危険は不 法行為法によって処理されるべきものと解したこと、すでにのべたとおりである︵eω註四参照︶。もっとも、この帰 結には、いまなお疑間がのこらないではない。というのは、災害補償請求権の補償額が、通常、損害賠償額を下廻る ことを考えれば、差額を講求しようとする場合、故意・過失の立証が困難なため阻害され、挙証責任が使用者にある 契約責任としての構成の方がより、労働者保護にそくすると考えられるからである。おそらく、致損填補説が、契約 責任としてー民法上の関係をふくめて 構成するのはそうした実践的意図を一因とするとみられよう。しかし、 故意・過失自体、今日では、権利侵害違法事実と相関的に認定されるのであるし、契約関係特有の危険に対応する注 意義務は、とくに、契約当事者としての義務として構成しなくても、危険を内包する企業主体としての地位にともな う義務としてとらえることが可能であり、右義務違反を過失ととらえるかぎり、挙証責任の配分の差異は、事実上、 解消されよう。 ところで、不法行為は私的自治の支配のもとで、自らの経済活動錘契約の自由をとおして取得する財貨によって保 持されるべき本人およびその家族の生存の侵害という意味をもつ、それにもかかわらず、これが生命、身体、財産の 侵害︵それは、いわば市民法的生存権の侵害である︶としてとらえられ、具体的な生存権の侵害と把握されなかったのは、 商品交換社会の即自的反映たる市民法理論が経済的強者・弱者の関係を抽象的に自由平等な人格老像に還元してとら え、かかる関係をそれとして自覚的に構成しえなかったからにほかならない。したがって、資本制生産の進展とその 労災補償の法構造 口 六九
東洋法学 七〇 矛盾の拡大再生産にともなって市民法の一面性があらわとなり.その修正のうえに経済的弱者の生存の権利が法制化 され.生命.身体の侵害がその生存権の侵害として保護をうける段階に至れば.それがいかに損害賠償と異質なもの としてとらえられるにせよ.賠償が現実に果されるかぎり.生存保障の機能をもつと解することができる.だとすれ ば.賠償請求権と補償請求権とは両者の機能が労働者および遺族の生存保障という機能において.一致するかぎり ︵1︶ で.相互の減免関係を肯定すべきものといえよう.両者の関係を右のように解すれば.そのいずれをさぎにおこなっ たかで.結論は左右されない 反対・松岡・労基法下九六九ー七〇頁︶.これにたいし. ... 両者の異質性が上からの政策韓的に力点をおいて帰結され.そこから独欝の減免関係否定の論理が展開されること. 前述︵一ω毅損駿復説の検討参照︶したとお箏であるが.そのさい検討したところから明らかなように.立論の基礎懲 体に問題があり.支持できない。また、右と逆に.下からの条件にともなう生存権思想を補償の翼的ないし基本理念 として両者の異質性を帰結し.理論上.次元の異なる独慮の権利であり、ともに充足されるべきものであるとの前提 のもとに.法八四条二項の趣旨を補償責任者たる使用者が同時に加害者である場合に.補償責任と賠償責任とを重復 して課すことが使用者に﹁酷にすぎる﹂ため.とくに減免関係をみとめたものとする見解︵西村他・労基法論︿窪羅﹀ 三六六頁ほぼ同旨・沼田・労働法論上・四四六i七頁くもっとも.窪繊説では.そこから第三藷が加害藷である場合も、減免関係を否 定されるが.沼曝説では必ずしも否定されない.後述註三参照V︶や右規定の趣旨を賠償責任は損害がなければ存在せず. ﹁補償をすれば、それだけ損害がなくなる﹂ことにもとめ、逆の場合には、明文の規定がないこと、補償が生存保障 の見地からの最低限の定めで強行法規であることを理由に減免関係を否定する見解︵松岡・労基法下九六ー七七〇頁くた
だし、賠償とみなす余地をみとめるので、実際上異ならないV︶も、損害賠償に生存保障の機能をみとめる見地からはとり えない。けだし、沼田説では、補償の賠償責任性を肯定するだけに、両者の異質性の強調から、理論上、相互の減免 関係を否定するという帰結ー機能的重復性の排除をふくめてーがいかに論理的整合において基礎づけられるか疑 問であり、また、松岡説が補償をすれば、それだけ損害がなくなるとされたことは、すくなくとも、補償に損害填補 の機能をみとめ、そこから減免関係の肯定を帰結することに帰し、逆の場合に、むしろ減免関係を肯定するのが論理 ︵2︶ 的帰結といえまいかと思われるからである。筆者は、この点、補償がさきになされたか否かにかかわりなく、賠償責 任は、それが現実に履行されるかぎり、生活保障の機能をもつことに着目して、かかる機能において両者が一致する かぎり、相互減免関係を肯定すべきものと解するわけである。したがって、法八四条二項の規定も、通常、補償が賠 償よりもさきにおこなわれることを予想し、また、これを期待して、注意的に定めたこと以上の意味はないと解す る。このことはたんなる理論的関心からだけではなく、減免関係をみとめる範囲の決定についても重要なかかわりを もつ。 さて、減免関係をみとめる範囲については、主体的人的擁範囲と客体的対象的擁範囲とが問.題となる。この点、法 文上、 ﹁同一の事由については、その価額の限度﹂で減免する旨を明記し︵労基法八四条二項︶、そこでの同一の価額 が、たんに、災害の原因が同一であるにとどまらず、補償と賠償との対象が同一性であることを要することが、異論 なく承認されている︵通説・同旨・大阪高判・昭二九・九・二九・大阪小型自動車事件・高民集七。一〇。七八O、高松高裁丸 亀支判・昭曇丁一二・二六・吉田石油事件・下級民集九二二・工六八二︶ため、対象的範囲については、補償の本質を 労災補償の法構造 口 七一
東洋法学
七二 損害の填補にもとめるにせよ、生活保障にもとめるにせよ.減免関係を肯定するかぎり労働力殿損による積極消極の 損害の墳補にかぎられ.精神的損害たる慰籍料やその他の物的損害に影響がおよぶものではないとされることは、ほ ぽ異論がない ︵慶谷、判例タィムス・八二号三頁ハもっとも.同・労働法講座⑤一三六九頁は疑間とされる﹀吾妻編・註解七八 五頁.有泉・労基法四五四頁、西村他・労基法論み窪繊V三六六ー七頁.花見・災害補償と民事責任・労働法大系⑤一九六頁.大 、、塊 東京高判曝昭三一鵬三土一三嚇購通事件幅高民集九土丁九三舗 、勝ご丁 一 一〇土一〇一七︶だが.人的範囲についてぱ.とくに.遺族補償の場合.補償請求権者と賠償請 求権の相続人とが一致しないことがあるため困難な間題を生ずる。これにつき.補償と賠償との性質の同一性を前提 として.法文に則する蔦と、減免をみ撫めなければ.実損害以上の負担を使用巻に課することになること︵慶谷・判 例タイムス・八二愛二ー四頁︶、賠償が.通常.補償を上廻ることを考えて両者の併存と調整をはかった規定であること ︵吾妻編・註解七八五頁︶を理由に.減免を肯定する見解もあるが.立論の前提たる本質観自体の当否を別としても. 保護法上.最低基準として定立された補償請求権の現実の享受を否定する解決の不合理性は否定できない.この点. 私見によれば.賠償が生活保障の機能を果すかぎりで.相互の減免関係が肯定されるのだから.両講求権の主体の一 致、つまり.補償と賠償の人的範囲が相蔽う関係にたち.かつ労働力殿損による生存の脅威の防止という機能の重復 する限度において.減免関係をみとめるべきこととなる︵ほぼ同旨、荒木・法文論叢一四号六八頁以下.結果同旨、西村他 ・労基法論く窪田▽三六︷八頁.花見・前掲論文一九六頁、東京地判・昭三二・一ニユ芒丁昭光化学工業事件・下級民集八・一 二⑪二三五九︶。以上の帰結は第三者が不法行為責任をおう場合においても異ならない。すなわち、使用者が補償をした価額の限度 で労働者の第三者にたいする損害賠償請求権を代位取得し︵昆四一三条の類推適用︶第三者が労働者に損害賠償を支払 ったときは、その価額の限度で補償義務を免がれると解する︵結果同旨・慶谷・労働法講座⑤二二七〇頁、吾妻編.註解七 八八頁、有泉・労基法四五四頁、安屋・前掲論文一九頁、花見・前掲論文一九七頁、最判・昭三六。一.二四。南海電鉄事件。民集 ︵3︶ ハ五二・三五、大阪高判・昭三〇・二二二向上事件民集一五二・六〇︶ただ、第三者が同僚労働者である場合には、 右の論理的帰結は、必ずしも妥当ではあるまい。けだし、災害補償制度は災害の原因が根源的には従属労働の構造自 体に規定され、一見、労働者の過失が作用因とみえる場合でさえ、当該労働者に問責しえない性質のものであり、そ れゆえに、法も補償を無過失責任として義務づけているからである。この点、学説もわかれているが、右のような補 償責任の構造からみて、使胴者の義務とされる補償の限度︵したがって、重過失の場A降には、療養補償に、遺族補償、葬祭料 ︿法七八条﹀の限度︶で求償できないと解すべきであろうか︵同旨・有泉.労基法四五四頁︶。 問題は、第三者が加害者である場合に、これと被災者の間で示談がなされた場合をいかに解するかである。学説 は、概して、不法行為法上の損害賠償請求権であることを理由に放棄するか否かは私法自治の範囲内にあるとして肯 定する傾向にあるが、ただ、補償と賠償との同一性ないし表裏の関係を前提として、使用者の求償不能の限度で補償 責任も減免されるが、示談後に補償しても、損害賠償請求権代位の条件をかき、求償できないという見解︵最判.昭 三八・六四・小野運送事件・民集一七・五・七一六、通達・昭三八・六丁七・基発六八七号、有泉・労基法四五幽頁、同。判例批 評、季労四九号・二七頁以下︶と補償の強行法規性を理由に、たとえ有効に示談がなされても、補償責任の減免をみと 労災補償の法構造 口 七三
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めず、かつ求償権の行使をも否定する見解︵慶谷。労働法講座⑤︸三七〇頁、吾妻編・註解七八九頁、花見・前掲論文二九 八⋮九頁、沼田・労働法論上四五一頁︶とが対立する。この点、従来.下級審において前者にたつ見解と示談を無効とす る見解との対立がみられたが.右.小野運送事件判決以降.これを踏襲し.前者に統一される傾向にある。後者は・ いわば.不法行為上の賠償請求に関する示談を有効とする私法理論との調整をはかりつつ.実質的に、示談無効説の 意図ー補償の現実の享受ーを達成しよ、努とする見解といえよう.前者についていえば.補償と賠償との同一性な いし近似性を前提とする.恥との当否は別としても.譲渡・差押を禁じ.罰則その他によって被災労働者の現実の享受 が保障された社会法上の補償講求権︵労墓法八三条.二九条一号︶につきこれと次元を異にする不法行為法上の賠償 講求に関する示談の有効性のゆえに.補償の減免をみとめ、、..、、、、.その放棄にひとしい結果を肯定することが.法 の趣旨に反する帰結である紳︶とはなんとしても否定できない。とりわけ.両者の減免関係を損害賠償の生活補償機能 に着響して肯定する筆者の立場からは.賠償が現実に充足されてはじめて補償責任の減免が間題になると解せざるを えず.これを支持できない、その点.後者では.右の欠陥は克服されているといえる。だが、反面.示談さえなけれ ば.肯定された使用者の求償権︵捌︶れは補償の本質観の差異にかかわらず.ほとんどすべての学説が肯定すること前述したと おりである︶が.たまたま.被災労働者第三者間で示談がなされたために奪われるという不均衡を生むことになる。 後者がこうした帰結を欝定するのは.結局.示談により第三者の損害賠償債務は履行され,すでに消滅しているため, 使用者の損害賠償請求権の代位はその基礎をかくと解されること.また労働者の行為により使用者が損害をうけるこ とは往痩あることで、その一場合にすぎないことを根拠とする︵花見・労働法大系紛一九七頁.吾妻編・註解七八九頁、沼国.労働法論上四五一頁︶。だが補償と賠償との相互補完関係を肯定して、示談を有効と解した場合、第三者にたいす る求償権を否定しても、二重取を理由に被災労働者に不当利得返還請求をしてきたとすれば、これを否定することは 困難といえまいか。さらに、損害賠償請求権の代位が衡平の見地を基礎とするゆえに、その類推適用をみると解すれ ば、使用者︵労災保険法上は政府︶第三者間の求償関係は両者の負担関係上、究極的に第三者︵同僚労働者をのぞく︶が ︵5︶ 帰責者とみられる点にあるというべく、かかる関係を無視した求償権否定の不合理性は否定できまい。とはいえ、求 償権をみとめることにより、実質的に、示談を無効とするジレンマに陥ることもさけがたい。そこで、示談の有効性 を前提として妥当な解決をはかろうとすれば、示談が補償を下廻る限度で詐欺、強迫によって意思表示がなされたも のと推定し、使用者に取消権の代位行使をみとむべきであるまいか。これによって、補償の確保と使用者第三者聞の 妥当な調整もえられよう。 ︵m︶ 重過失の意味 法七八条は、労働者が﹁重大な過失﹂のため業務上被災した場合、労働基準監督署長の認 定を条件︵法一〇〇条四項、規則四一条︶として休業補償と障害補償をおこなわなくてもよいとしている︵労災保険法一 九条参照︶。諸外国の立法の通例に反して、重過失を補償の制限事由とした趣旨は安全衛生にたいする注意の喚起と重 過失があるのに、補償責任を課するのは使用者に酷であるとの衡平の観点とにあるとされている︵蓼沼.災害補償.講 座労働問題⑤二二七頁、基準局編著・労基法七五四頁、吾妻編・註解七五六頁、三島・佐藤・労働者の災害補償九四頁、なお、松 岡・労基法下九四四頁は﹁公平の観念が前提とされていることをみとめ、労働者の生存確保を念頭において厳格にとらえるべきであ る﹂とされる︶。もっとも、この衡平の観念を過失相殺の系譜でとらえるか︵基準局編著.労基法下七五四頁以下、渋谷.労 労災補償の法構造 口 七五
小果 洋 法 轡字 七論ハ 基法詳解三六七頁︶生存権思想を背景とし、注意義務の喚起に力点をおいてとらえるか ︵松岡・労墓法下九四四頁以下、 深山・業務上外の認定・労働法大系㈲︷八○頁︶の差異がみられるが.いずれも重過失を伝統的過失概念、つまり、災害 の発生にたいする注意義務の欠除という観点からとらえていく点で軌を一つにする。だが.重過失のさいの補償の制 限を過失相殺の系譜においてとらえる見解が補償の本質と相容れないことはもちろんのこと.これを注意義務の喚起 に力点をおく見解についても. ,.根源的に.従属労働関係の構造自体に規定された個別労働者の行動における 災害として.その注意力を・ それゆえに.無過失責任滋されている樵とを思えば.その合 理性に疑問の生ずることは否めない. そこで.以上の疑問をふまえて重過失の意味を業務上災害の要件に関連づけて規定すべく.労災の危険にたいする 使用者の支配関係をこえて.労働者がその危険を惹起増大する態様ーたとえば.安全衛生にたいする尊守事項・指 示違反などーと指揮命令からの労働者の離脱の態様 たとえば.工場内禁煙違反による災害 とのそれぞれを 基準として認定する見解︵吾妻・概論三九七ー八頁︶や右のうち前者だけを︵西村他・基準法論︿窪磁﹀三五三頁︶あるい は後者だけを︵荒木・法文論叢一四号六六頁︶基準とする見解や両者を統一して.労働良識にてらして資本機能からいち じるしく離脱したとみられる態様によって危険を惹起増大したか否かを基準とする見解︵沼繊・労働法論上四 四頁︶ が主張されている.それぞれのメルクマールが業務上災害たる性格を減殺する意味をもつものとしてとらえられてい るわけである。しかし.労災の危険の惹起増大の態様が、典型的には、安全衛生に関する尊守事項違反や指示違反を 予想するものとすれば.それ自体、指揮命令ー後述のごとく、よりひろく、従属労働に規定された個別企業の労働
者たる行動ないし状態と解するが からの離脱の態様にほかならないし、また、指揮命令からの離脱の態様が、重 過失にとどまり、なお業務上災害として位置づけられ、その減殺の程度が問題になるとすれば、離脱の態様が災害の発 生にかかわる度合をぬきにして決定することは、事実上、不可能といえよう。だとすれば、右第一説から第三説まで の主張は指揮命令からの離脱の態様において、労災の危険を惹起増大することを意味すると置きかえても大差なく、 重過失の一般的認定の技術的仕組においては、第四説に一致するとみることができる。間題は、以上の諸説中前三説 までがいずれも重過失の認定にさいし、使用者側の態度1!安全衛生に関する設備・教育・注意などの実施状況i や労働者側の災害の危険にたいする認識程度を配慮するとはいえ、これを典型的には、交通法規違反、安全衛生に関 する労働者の尊守事項違反としてとらえている点である︵吾妻・概説三九七頁、西村他・基準法論︿窪田﹀三五三ー四頁、 荒木・法文論叢一四号六六頁各参照︶。それは果して、制度趣旨にそくしたものということができるであろうか。なぜな ら、法令違反や安全等に関する尊守事項違反が災害の危険を惹起増大したとみられる場合、たとえ使用者側の安全衛 生等の設備・注意の実施において欠けるところはなかったとしても、同時に進行する労務管理の強化が明示.黙示の うちに心理的圧迫となって、違反ないし横着を生みだしてゆくとみるべき場合が、むしろ通常の型と思われるからであ る︵行政指導において、紡績会社の混打綿工が打綿機の運転作業中、風綿がダストボックスにひつかかっているのに気付き、禁を 侵して緊錠されているビーターカパーをはずして右手を挿入したため、指を切断した災害につき、会社側が法所定の危害防止措置 を施していたこと、右行為の禁止につき、やかましいほど注意していたこと、したがって、被災労働者もその禁止違反を充分承知 していたが﹁仕事に追われ﹂て禁を侵したことを重過失と認定したものがある︿昭二六・二・二七・基収五六二号﹀一般に是認さ 労災補償の法構造 口 七七
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れる傾向にあるが疑問である︶。とりわけ業務上災害を根源的に、従属労働関係に規定された災害として.その社会的存 在性格にそくして労働者保護の見地から.ひろく、とらえるべきであるとの私見からすれば、重過失を理由とする補 償の制限趨体.合理性にとぽしいというべぎであり.本条は立法論としては削除すべきものと考えるが.解釈上も. ︵6︶ でぎるだけ限定的に解すべく その意味で、重過失を故意にも比すべき場合とする定説的見解は是認できる 交通法規違反や安全衛生に関する尊守事項違反のごときも、、使用霧側の態度如何にかかわ鯵なく、労務管理強化の進 行という一般的状況のもとでは.従属関係に規定された個別企業轟、労働者としギ、相当な範囲内の行動態様として補償 の制限事晦にならないと解すべきものといえよう︵同旨・沼瞬・労働法論上響西頁︶.と秒わけ.交通法規違反が対社 会的非難がつよい違反行為であるというごと淋.ただちに.対使用者の関係にもちこまれるべぎではない。したがウ て.個別企業の労働者たる行為ないし状態のもとで..漏れに作用する危険を労働者個人が虚ら惹起したとみられる場 合にのみ重過失と解すべきである.たとえば、個別企業の労働者たる行動申に.私怨による第三者の暴行を受けた場 合や.業務の遂行甲に併行的に行った私用を原因とする災害が考えられよう︵詳細は二②叢参照︶。 ︵ヱ︶ ︵2︶ ほぼ同旨荒木・災害補償の主要問題・法文論叢一四号六八頁以下.もつとも.そ瀕﹂での﹁機能的重復性﹂は補償に賠 償の.賠償に補償の相互的重復をみとめられる。その点.賠償に補償の機能をみとめるにとどまる私児とは異なる。 もつとも.教授は生存保障を鶏的とする強行法規である瀕﹂とをあげるが.その強行性は.生存確保の要請から帰結さ れるものであるとすれば.現実に損害賠償によって.かかる機能がみたされるかぎり、.︺れに反するとはいえまい。事 実.教授の見解によれば、賠償を補償とみなす余地をみとめられるわけで、実際上の処理はこの点に関するかぎり私兇 と異なるところはない。︵3︶ これにたいし、殿損回復説が、ここでも独自の本質観から減免関係を否定するのは別としても、両者の異質性を強調 し、理論上は、減免関係にたつ筋合のものではないとの前提にたって、第三者︵同僚労働者をふくむ︶の責任は加害者 対被災労働者の間題にとどめられるべきものであること、補償責任の基礎をなす社会的危険には、かかる第三者の加害 行為に帰囚する危険をふくむと解しうること、これを拡張する特別規定のないこと、をあげ、実際上も第三者にたいす る求償権を否定する見解︵西村他・労基法論く窪田V三六七頁︶と第三者が賠償をなしても異質性のゆえに補償責任を 免がれず、二重取をした労働者にたいし第三者の不当利得返還講求権をみとめるとともに、補償した使用者には第三者 にたいする労働者の損害賠償講求権の代位取得をみとめるという形式で三者間の調整を意図し、実質的に減免関係を肯 定する見解︵松岡・労基法下九七一頁、沼田・労働法論上四四七頁︶とがある。 前者についていえば、その理由三点 のうち第三のそれは第一および第二のそれが成り立つことを前提とする副次的根拠であることには問題はあるまい。と ころで、その前提とされた二点の理由のうち、第二の補償責任が第三老の行為による災害をふくむと解するとしても、 そこから被災労働者が使用老に補償責任を問うことができるとはいえようが、第三者の行為を原因として︵その原因が 一般論として第三者よりも使用者にあると解しうる場合は別だが︶一定の出損をした使用者の求償権の否定は論理上当 然に帰結されるものではない。また、第一の理由については、第三者の貴任が加害者対被災労働者の間題にとどめられ るのはなぜかという点こそ、まさに問題なのであって、賠償と補償の異質性という前提の敷行理由としては十分でない といえよう。だとすれば、結局、両者の異質性を根拠とする以外の理由づけはなされていないということができる。こ れにたいし、後者は、煩雑の感はある︵通達・昭三二二丁一九・法制局一発七号︶にしても、なによりも補償の迅速 と確実を期した立論として傾聴すべき見解といえる。だが、第三者が加害者である場合に、これに不当利得返還請求を みとめることに問題があるといえまいか︵吾妻・労基法四四八頁も同旨か︶。 ︵4︶ それまでの判例は労災保険法二〇条二項にかかわるものではあるが、第三者たる同家の権利を侵害することは許され ないとして示談を無効とする見解がみられた。判例の動向については辻本他・体系労働基準判例総覧五〇三頁以下・横 井・労基法に基づく災害補償と慰籍料・ジ甑リスト年鑑︵心九六八年︶四六七頁、三島・佐藤・前掲書一四四頁以下参照 労災補償の法構造 口 七九
東 ︵5︶ ︵6︶
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深山・第三者による労働災害と示談の効果・ジュリスト別冊新労働判例百選一〇九頁は、労災保険法二〇条一項の解釈 としてではあるが、その趣旨を被災労働者の二重取りの防止と政府第三者間の填補負担の公平を期したものとしてとら え.求償権は負担関係から生じ.示談に左右されないとされる。その墓本的視角には賛意を表するが.実質的に示談の 効果を否定する点で.なお疑問がのこらないでもない。 労災の危険が個別的注意力をこえる次元の問題とすれば.重過失とはいえ.これを補償の制限事癩とすることの合理 性に疑閲の存すること.本文にのべたとおりであるが.解釈上、法七八条および労災保険法一九条の趣旨を﹁荊事上の 処罰を免れる意味だけ臨に眼走し.民事鉦の責任は免れないとの兇解く沼鐵・権利闘争三〇〇ー一頁︶が提曝慰れてい る. . ﹁行政官庁の認定を受けた鵬合においては⋮−行わなくてもよい﹂ ︵法七八条︶ ?ー滋ぎは⋮⋮行わな いことができる﹂ ︵労災保険法一九条二璽︶という文欝が補償やその保険給付を当然に限定される旨を定めてはいない 鵜とからみて.必ずLも.不可能な解釈ではなく.大い紅共感をおぼえるが.今は、通説にしたがっておきたい. ② 業務上災害のとらえ方 災害が業務上か否かに補償の有無がかかるため︵労基法七五条、七六条.七七条.七九 条.八○条.労災保険法一条︶ その認定如何は労使の重大な関心事であることはいうまでもない。業務上外の認定方法 が労災をめぐるもっとも重要な争点として論じられている由縁である. この点.すでにのべたごとく︵前号論文8および本号一φ蟹頭総括部分参照︶補償本質観.とくに生存権理念の投映度 如何によって屈折はみられるが.総じて、殿損・填補回復説では認定が厳格化する反面.基準の明確性を保持するの にたいし.生活保障説では認定が緩和される反面.基準としての明確化にかけるという差異をぎたし.いずれも反面 の欠陥をもつ.とりわけ、両者.いずれも、無過失責任論の克服を志向するが.いわゆる業務遂行性と業務起因性を厳格に規定する立場はもちろん、これを緩和し、とくに業務起因性の推定ないし緩和をとく立場も、そうした操作自 体、すでに、無過失責任論によってとられてきた態度であること、また、業務と災害の因果関係の存在の必要性が、 前者はむろんのこと、後者においても、支配疑業務遂行性の強弱と業務起因性の推定機能の強弱という相関関係にお いて、保持されていることを考えると、果して、故意過失!業務に対応!と権利侵害ー災害に対応ーとの相 当因果関係を必要とする不法行為の帰責構造をこえて、無過失責任とは異質のものとして把握したということができ ︵7︶ るか疑問といえよう。そこで、以下、右の検討の帰結と疑問をふまえて、業務上災害の構成に関する筆者なりの見解 を明らかにしていきたい。 ︵1︶ 業務上災害の意味 さて、業務上災害にいう﹁上﹂とは、言葉的意味においては、業務と災害の関連をし めす接尾語としての機能以上をでない。つまり、それは業務﹁の上の﹂災害ないし業務﹁に関する﹂災害ということ を意味するにとどまり、当然には、業務起因性を要件とするものではないということ以外は明らかでない。したがっ ︵8︶ て、右両者の関連は補償本質観を基底とした理論上の解決にゆだねられるものといえよう、学説上、生存権理念の本 質観への投映度の強弱に応じて認定態度に相対的差異の生じた由縁である。この点、災害補償の本質を従属労働関係 にたつ労働者の人たるに値する生活を確保するため、憲法二七条の労働基準権の具体化として、労基法によって課せ られた使用者の労働者にたいする直接的義務と解する私見によれば、右﹁業務﹂とは、個別契約上の義務履行性とい う接近視角をはなれ、従属労働関係に規定された特殊部分社会に属する労働者の行動を、ひろく、とらえるため、個 別企業の労働者として相当な範囲内の行動ないし状態ー生理的行為反射行為など行為ないし状態と擬制すべき場合 労災補償の法構造 昌 八一
東洋法学 八二 をふくむ⋮として把握される.なぜなら、業務上災害にいう業務とは使用者の法上の義務たる補償の範囲をその従 属下にある労働者の私生活範囲から劃するという機能を担う以上のものではなく、その限界は従属労働に限定された 労働者の行動︵不作為艮状態をふくむ︶にそくして劃されるべきものだからである。したがって、業務の意味も字義に とらわれることなく、契約を軸とした業務履行性という観点をはなれ.保護法上.負担する使用者の補償業務の範囲 を劃するという見地からとらえなければならない.だとすれば.業務の意味は使用老の指揮命令下にあるか否かを基 底とする態度をはなれ.根源的に.従属労働関係に規定された個別企業の労働者として相当な範囲内の行動とみうる ︵嚢︶ か否か甕たはかかる状況の存在を擬制すべき事構をみ慕めうるか否かが基準とな勢ざるをえない煮いえよう. また.業務と災害の関係.つま勢業務﹁上﹂災害とは.以上の意味における業務に災害の原因たる危険が作用し. もしくは作用したと推定される関係と解し.業務と災害との因果的把握を排除し.無過失責任との乖離を明確にする とともに.従属労働関係に限定された労働者の行動の諸相に作用した危険の惹起する災害を、ひろく.業務上災害と してとらえるべきものと解する.したがって.業務上災害とは、根源的に従属労働関係に規定された個別企業の労働 者として相当な範囲内の行動ないし状態に危険が作用して発生した災害という関係.もしくはそうした関係の推定さ れる災害であればたり、災害の原因たる危険が所属企業をふくむ経済圏の機能麻痺をもたらすような規模の天災地変 等のごとく.個別企業の労働老たる行動ないし状態佳を奪う場合を別とすれば したがって右程度に達しない場合 の災害はなお業務と解する 、業務に内在する危険であるか、通常、随伴する危険であるか、異例の危険であるか ︵鎗︶ を間わないと解すべきである︵反対・通説︶。もちろん.負傷.疾病などの災害が個別企業の労働者なる行動ないし状
態において発生することは、必ずしも、必要ではない。災害の原因たる危険が、根源的に、従属労働関係に規定され た個別企業の労働者として、相当な範囲内の行動ないし状態において作用しているという関係の存在するかぎり、そ の結果たる、もしくは結果と推定される災害は、右行動ないし状態の外で発生しても、差支えない。たとえば、業務 上疾病はそうした場合の典型的場合であるが、業務上負傷でも、無札乗車をとがめた車掌が後日ダンス会場で暴行を うけた事例のごとく、災害とその危険の作用時点が異なる場合には、労働者たる行動ないし状態に災害の危険が作用 して発生した災害という関係が存在し、もしくは存在が推定できるかぎり、業務上災害と解すべきである ︵結果同旨 ・通説、反対通牒・昭二六・丁一三・基収三二九五号︿相当困果関係の継続性を疑問とし、業務との相当丙果関係を認めるにた りないとする。これにたいし、無札入場を制止し、紛争を生じ、駅助役室で面談中、刺傷された場含については、災害の危険のた かい環境であることを理由に業務上災害と認定されているU昭三四・一二二・昭三二・労一八八号参照﹀︶。 右のように、業務上災害をとらえた場合、その認定方法は、実際上はもちろん、理論上も、いわば、労働者の行動 ないし状態の従属労働関係による被規定性の有無にかかり、そうした行動ないし状態に作用した危険と災害の因果関 係は必要とされても、業務と災害の因果関係は問題にならない。そこで、業務とは、まったく、無関係な危険による 災害を業務上災害として使用者に補償義務を課するのは酷であるとの反論が予想される、そうした場合として問題と なるのは、天災地変を別とすれば、他人の暴力による災害、とりわけ、私怨を理由とする場合であろう。この点、の ちにもふれるが、一般論としては、個別企業の労働者として、相当な範囲内の行動ないし状態に危険が作用して発生 した災害であるかぎり、業務上と解し、ただ、その危険が私怨であり、労働者個人が災害の原因を惹起したとみられ 労災補償の法構造 口 八三
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るかぎりで、重過失の一場合として補償の制限事由になるにすぎないと解すべぎものと思う。なぜなら、殿損回復・ 填補説の厳格な業務上外認定態度をしりぞけ、これをひろくとらえようと志向するのは.災害を業務に内在する危険 の現実化という視角からはなれ.むしろ.基本的には.従属労働関係に規定された労働者の行動のゆえにこうむらざ るをえない災害という把握にたつためであって.そうした見地からは.業務に内在する危険とか.業務に通常随伴す る危険とかの形で.危険の業務起因性を間題にしなければならない論理的必然性はなく.第一義的には.労働考の行 動の従属労働による被規定性こそ重視されるべきであり.かかる行動の存在を前提として保護法の精神に照らし.使 用者の負挺すべぎ補償義務の範囲如何が論定されるべきものだからである.そして.私見によれば.まさに.この点 に.補償の労働法上の制度としての独自性が存すると解されるわげである。その意味では.労災の危険は、労災の責 任の根拠を直接的に基礎づけるものでないことはもちろん.責任の範囲の問題としても.その枠組を定めるというよ りは.従属労働関係に規定された個別企業の労働として相当な範囲内の行動というメルクマールによって設定される 責任の範囲の明確化を補完する機能をもつにすぎないといえよう. 以上の業務上災害のとらえ方は.業務上疾病の把握においても異ならない.すなわち.労基法施則三五条一項本文 の﹁業務上の疾病﹂は.その原因たる危険が業務に内在ないし特有の危険であるか.通常.随伴する危険であるが. 異例の危険であるかにかかわりなく、それが従属労働関係に根源的に規定された個別企業の労働者として、相当な範 囲内の行動ないし状態に作用して発生した疾病と解すべきである。けだし、業務上疾病は、概して、危険の作用時と 疾病の発生時が異なるため.列挙にさいし両者の因果関係が明らかにされているが.そのさい.業務に内在する危険か作用する場合には、内容的、場所的に限定された﹁業務に因る﹂もしくは﹁作業に因る﹂疾病︵同則二号、五i二一号 芸二i四号、なお二二号、三六号も、ほぼ、同様の規定︶という形式で、主として、職業性疾患を定め、これ以外に、突 発的事故ないし異例の危険の余地のある場合には、放射線、元素、ガスなど有害物質﹁に因る﹂疾病︵中毒およびそ の続発症︶という形式︵同則三;四号、一四⊥一三号︶で、端的に、危険と疾病の因果関係を定め、また、労働者たる行 動ないし状態に作用する危険をひろく包含する場合には、負傷・労働・その他業務﹁に起因する﹂疾病という形式 ︵問則一号、三五号、三八号︶をとっているものと解しうるからである。もっとも、以上のように解しても、職業性疾 患が明記されている場合には、実益はないが、たんに疾病と定める場合︵たとえば一号、三八号︶には危険原因をひろ く包括する余地を生み、また、有害物質に因る中毒およびその続発症、とりわけ急性中毒の予想できる場合、たとえ ︵難︶ ば、二硫化炭素や一酸化炭素甲毒の場合には、ひろく、個別企業の労働者として相当な範囲内の行動ないし状態に作 用した中毒やその続発症を業務上疾病としてとらえることが可能になるといえよう。したがって、その他業務に起因 することの明らかな疾病︵同則三八号︶の運用も、以上の見地にたって、業務に作用した危険に起因することの明らか な疾病を意味するものとして、とらえ、実際の運用もなされるべきである。 右のように解すると、労災保険法上﹁業務上の事由による﹂災害も、業務と災害の因果関係を要件としたというよ りは、労基法上の補償の要件を前提として、個別企業の労働者として相当な範囲内の行動ないし状態に作用する危険 と災害の因果関係を明らかにしたものとして、統一的にとらえられるといえよう。 ︵∬︶ 具体的事例の処理 以下、業務上災害に関する私見を補足する意味で、若干の具体的問題につき、業務上 労災補償の法構造 口 八五
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外の認定がいかになされるべきかに書及することにしたい、 ↑O まず、業務上災害と解すべき類型は.所定就業時間甲に、個別企業の労働者として.相当な範囲内の行動ない し状態の過程に危険が作用して発生した災害である。所定労働時間申に労働老が本来の担当業務を遂行している場合 がその典型であることはいうまでもない。もっとも.そうした本来の業務の遂行過程を個別企業における労働者たる 行動ないし状態の典型とみるにすぎない私見によれば.とくに.この場合を他と区別してとりあげる意味はない.た だ、そのさい・禁を犯すなどの行為があっても.それが.根源的に.従属労働関係に規定された行動とみるべぎ性質 のものであるかぎ蜂.なお業務上災害と解されることになる︵通牒・照罫7五・二・基収ご九号は満員電車の発車に さいし.連結機に飛び乗ろうとして転落した車掌の死亡を﹁電車の定時運行という乗務舞としての資任感も手伝って﹂右行為にで た事情がうかがわれるとして.業務上と認定したのは.その意味で、正薮である。これにたいし.前掲通牒・昭二六・基収五六二 号が、﹁仕事に追われた混打綿工の風綿除去のための禁止違反による指の切断を業務上とはしたが璽過失ある場合と認定したのは、 それが・根源的に従属労働関係に規定された行動における災害とみうるかぎりで、重過失と認定する.︶とは妥当ではないと解する﹂ なお、ω︵班︶参照︶。 同様の晃地から、本来の業務に附随する行為が.客観的にみて.業務そのものとみられる場合︵たと、えば.雑役夫が 上司の私用を便ずる場合く通牒・昭二三・一一・一〇・基収三二五七号は﹁雑用をすることもその業務の一部としている事情が認 められる﹂として業務上と認定、同旨・通牒・昭三五・丁二五・基収九六四号.蓼沼・前掲論文二一六頁、有泉・労基法四囲二 頁Vや、非番巡査が帰途に泥酔した巡査を看護し.岡巡査の拳銃装壌を制止しようとした鷺編いの暴発による負傷の場合く通牒・昭二六・丁三〇・基収一〇四号は﹁警察官としての職務執行行為とみるべきである﹂として業務上と認定﹀がそれである︶はもちろ ん、本来の業務にともなう必要行為︵たとえば、﹁作業計画達成の必要上﹂なされた人夫確保の報告のため、上司の私宅におも むく途上の崖下転落負傷︿通牒・昭二四・丁一四・基災発一二号﹀や、磨砕作業に必要な敵水用の水を運搬するさい、 コソクリ ート床に転倒打撲による死亡︿通牒.昭三〇二・二六・基収六〇〇二号﹀など︶も個別企業の労働者として、 従属労働関係 に規定された相当の範囲内の行動とみうることは問題があるまい。したがって、そうした行動ないし状態に危険が作 用して発生した災害は業務上と解すべきである。 なお、右の行動が業務と解されるのは、従属労働関係に規定された相当な範囲内の行動に作用した危険による災害 は使用者の補償義務の範囲内にあると解するためであって、労働契約上の義務履行性という接近視角にたって、業務 概念をとらえるためではないことは、これまで、繰返しのべてきたところである。したがって、業務縫個別企業の労 働者たる行動ないし状態を判断するにあたっては、協約・就規・企業ないし職場の慣行にもとづく行為がかかる行為 としてとらえられることはもちろん︵蓼沼・前掲論文二一六頁、深山・労働法大系㈲一七二頁︶、当該労働者の担当業務に つき、企業の枠をこえて、地域ないし同一業種・同産業規模における職務分掌および慣例上、当該職種に従事する労 働者に期待されている行動とか、是認される行動とか、あるいはあえて非難できない行動 ただし、重過失となる ことは格別ーとかであるかぎり、これをふくむと解すべきである。 また、右のように解した場合、本来の担当業務外であり、使用者の明示・黙示の指揮命令をかくとしても、個別企 業の労働者として、社会通念上、当該行動にでるであろうという関係のみとめうるかぎり、そのさいの災害は業務上と 労災補償の法構造 口 八七
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解されよう。火災・風水害における事業場施設防護作業.人命救助。重要物品の搬出行為︵火災に戴、いし、同僚労働者 救助作業中の死亡︿大判・昭七・三・三丁民集二・六・五六五頁﹀、異常出水時における事業場施設の防護作業・人命救護作業 ・重要物晶搬出行為中の負傷・行方不開︿通牒・昭二八・二・二・基収照二二〇号﹀豪雨下で木材流失防上のため監視や資材搬 出申の山林労働者の行方不明︿通牒・昭二九姦丁一六・基収二一〇号﹀などは業務上と認定されている.その他事業場施設・社 宅等の防火背為申の災害も労働者に期待される行動における災害として業務上と解すべぎであるく通牒・昭二四・ご丁一五・基 収四〇二八号は台風のため社宅近くの高駈電線が切断され.枯木にシ澱ートして火を発しているため.社宅類焼を防止すべく防火 活動申の感電死を﹁際己の鷺住する社宅の防火活鋤をもって.事業施設の防火活動とみることは園難貼として.業務外と認定する が.あ憲今に形式的であるといえよう.なお.遼牒 昭縢 土丁︸六・墓発一〇九号は.事業場特設消防隊員の消火作業等に従 事中の災害につぎ.協定・使用者の命令にもとづく行動のほか.作業施設・社宅等の消火・防火を当然の業務とする︶ のほか. せまい山道で対向車の運転未熟をみかねた代行運転のさいの断崖墜落死︵通牒.昭三一・三土一二・基収五五九号︶もそ うした場合に属するとみることができよう。 さらに.所定作業開始・終了の前後の準備行為や後片付け行為も、それが当該労働者の担当業務の性質上必要とみ られる場合や.使用者が作業の実施その他労務管理の必要上、明示・黙示のうちに要誇する場合が業務上と解されるこ とはもちろん︵有泉・労基法四四四頁・蓼沼・前掲論文二一七頁.西村他・労基法論︿窪田﹀三一二五頁︶そうした事情をかく 場舎でも、安易に、労働者の恣意行為と解すべぎではない。むしろ.特段の事情⋮ーたとえば.団交によってそうし た行為の排除につき、すでに合意をみ、現実に職場において定着しているというような事情ーのないかぎり原則として、個別企業の労働者として従属労働関係に規定された行動と解すべきである。このことは飲酒行為の場合につい ても異ならない。それが業務行為そのものとみられる特殊性の存する場合︵酒に酔った飲食店の酌婦の宴席からの帰途の 交通事故︿通牒・昭二四・九二七・基収二九三九号は接客業の特殊性からみて業務に帰因する負傷と認定する。ただし、私見に よれば、業務起因性は問題にならず飲酒行為および宴席からの帰途が全体として個別企業の労働者たる行動としてとらえられ、かか る行動に作用した危険による災害として業務上と解される﹀︶はもちろん、そうした事惜をかく場合でも、商談、取引先な どで酒を勧められることの多いわが国の状況のもとでは、本来の業務に附随し、あるいは関連しての飲酒行為は、そ れに応ずるヤ︺とが個別企業の労働者として期待される行動とみるべき性質のものである。したがって、かかる行動な いし状態に作用した危険による災害が業務上と解されることはもちろん、アルコールが災害の原因たる危険として作 用した結果、発生した災害は業務上と解すべきである︵結果ほぼ同旨・・松岡・労基法下八七〇頁、蓼沼・前掲論客二八 頁、深山.労働法大系㈲一七六頁︶。 そのさい、個別企業の労働者として通常期待される限度をこえて泥酔し、常軌を 逸した行為にでるとか︵落成式にトラックで荷物運搬のためおもむいたトラ,ック助手が祝宴に列席、前後不覚に泥酔し、帰路途 中、車上であばれたための転落死は業務外︿通牒・昭二四・七二五・基災収三八四五号﹀︶、私的飲酒行為、たとえば、二次 会からの帰途の災害︵斧入祝終了後二次会の帰途の山頭の泥酔した下僚の危険防止のための墜落死く昭茎二・五二三・労一二 二号はコ一次会として附近の温泉に酒宴におもむいたことは伐採事業に附随した本来の業務と解することができ︵ない︶﹂として 業務外と認定︶かの場合が業務外と認定されるのを別とすれば、酒量の度をすごして酩酊状態に陥ったこととが重過失 とみられることあるは格別、その結果たる災害を業務外と解すべきではあるまい。 労災補償の法構造 飼 八九