長崎大学教育学部社会科学論叢 第70号 31‑46(2008)
境 界 域 史 の 可 能 性
‑ 長崎 と朝鮮半島南部の地域史 ‑
鈴 木 理 恵
Thepo s s i b i l i t yo fhi s t o r yo ff r o n t i e rr e g l O n
Ri eSUZUKI
は じめ に
長崎県域 の歴史 は,朝鮮半 島や中国大 陸 と近 い ことに規定 されて きた。古代 にお いて, 対馬 ・壱 岐 は朝鮮半 島か らの先進文化 をいちはや く取 り入 れ ると同時 に防衛 の砦 の役割 を 果 た し,五 島列 島 は遣唐使 が中国へ渡 る際 の碇泊地 を提供 した。 中世 において五 島列 島 は 倭冠 の拠点 と もな った。元冠 によ って甚大 な被害 を受 けたの は対馬 や壱 岐で あ った。近世 の長崎 出島 は対外交渉 の窓 口 と位置づ け られ,対馬藩 は朝鮮外交 の任 にあた った。
い っぽ う,歴史教科書 にお いて長 崎地域 が ま と もに取 り上 げ られ るの は, 島原 の乱,鍾 国体制下 の出島や朝鮮通信使 な どに関わ ってであ って,近世期 に入 ってか らで あ る。 教科 書 に掲載 され た特徴 あ る扇形 の出島図 はイ ンパ ク トを与 え る。 それだ けに長 崎 といえば,
「海外 へ の唯一 の窓 口」, 「異 国情緒」 とい ったイ メー ジが定着 して い るので はないだ ろ う か。2005年秋 に長 崎市 にオ ープ ンした長 崎歴史文化博物館 の常設展示 内容 も近世以 降 を対 象 と して い る。 しか し, それ までの長 崎 に歴史 が なか ったわ けで はない。
歴史教科書 の長崎関連記述 は,中央政府 との関連 で果 た した役割 が取 り上 げ られ,長 崎 地域 に生 まれ育 った人 び とを 日本 国家 (郡 ・中央) に一元 的 に同化 させ る役割 を担 ってい るよ うに思 われ る。 た とえ ば対馬 の人 び とは, 対馬北端 か らお よそ50kmしか離 れて いな い釜 山の歴史 を学ぶ ことは要 求 されないの に,600kmも離 れた奈良 や京都 の歴史 を学 ばな ければな らない。長 崎地域 の人 び とも近代以 降 の国民 国家 のなかで 日本人 と して暮 らす こ とを余儀 な くされた以上,現 日本国域 の歴史 を学 ぶ ことが必要 で あ ることは言 うまで もな い。 ただ,抽象 的な 「日本人」 で あ る以前 に,長 崎地域 で生活 す る具体 的な個人 で あ るこ とを忘 れ るべ きで はない。
長崎地域 に暮 らす人 び との生活 が, 同地域 が朝鮮半 島や中国 に近 い ことに規定 され る現 象 は,今後大 陸移動 で もない限 り変 わ らない。 そ うで あ るな らば, その シチ ュエー シ ョン のなかで どのよ うに生 きて い くべ きか模索 して い くはか ないだ ろ う。 本稿 の 目的 は,長崎 地域 に視点 を置 いた うえで北部九州 と朝鮮半 島南部地域 をひ とっ の文化 圏 と して と らえ, そのなかで人 び とが どの よ うに生 きて きたか を知 る ことを通 して,今後朝鮮半 島や中国の 人 び ととどの よ うな関係 を結 んで い くべ きか を考 え るための歴史教育 の あ り方 を模索す る ことにあ る。 第1章 で中学生 を対象 と した ア ンケー ト調査結果 を分析 して歴史教育 の問題 点 を検討 す る。 第2章 で は長 崎地域 の地理 的特性 が どのよ うに歴史 を規定 して きたかを見
る。 第
3
章 で授業案 を提示 したい。1.中学生の歴史学習意識 と古代 「対外」関係史知識 (1)歴史学習意識
長崎県下の中学生を対象 に して
2 0 0 5
年7・1 0・1
1月に 「東 アジア交流史に関す るアンケー ト調査」 を実施 した。 その目的は,学校 における歴史教育のあ り方が生徒 の束 ア ジアにつ いての見方や考え方 を形成す るのにどのよ うに関わ っているのか明 らかにす ることにあ っ た。長崎市 内1中学校,壱岐市内3中学校,対馬市 内4中学校 に調査協力を依頼 したとこ ろ,壱岐市内1
校 を除 く7
校 の1 4 2 5
名か ら回答が寄せ られた。地域 と学年 の分布 は以下 の とお り。 長崎市5 9 5
名( 4 1 . 8 %)
,壱岐市3 2 2
名( 2 2 . 6 %)
,対馬市5 0 8
名( 3 5 . 6 %)
。1
年生4 5 6
名( 3 2 . 0 %)
,2
年生5 2 8
名( 3 7 . 1 %)
,3
年生4 4 1
名( 3 0 . 9 %)
。耳
;.汝+
:I̲I‑)(,7‑fy:
?{r,,I(,.: /,,/衣 ̲lillLrJ:.TJ'茸irJI/ J<!/),iJ<!/:.''1]I,It? xX
1年生 4.6% 28.1% 17.1% 1.3% 14.9% 3.5% 23.2% 7.2%
2年生 2.1% 46.4% 7.4% 0.8% 8.0% 1.7% 28.8% 4.9%
3年生 2.0% 30.8% 6.8% 10.0% 3.6% ll.1% 28.1% 7.5%
図 1 社会科学習 について
ア ンケー トで は, まず学年 を尋ねたあ と,第2・3問で社会科学習,なかで も歴史学習 に関 して生徒が どのよ うに感 じているのか尋ねてみた。第2問で 「社会科 の授業や勉強 は 好 きですか ?」 (複数回答可) と質問 し,選択肢 と して①歴史 の分野が好 きだ,②地理 の 分野が好 きだ,③公民 の分野が好 きだ,④社会科 は好 きではない,⑤ その他, を設 けた と
ころ,図1のよ うな結果 とな った。
好む分野 と していずれか 1分野 のみを選 んだ生徒 は
7 1 0
名( 4 9 . 8 %)
で,2
分野 を選 ん だのは2 2 1
名( 1 5 . 5 %)
,3
分野 ともに選 んだの は2 0
名 (1 . 4 %)
であ る。 学年別 の内訳 は 図1のよ うになる。 1年生で地理,2年生で歴史,3年生で公民 を好 む傾向が うかがえ る が,特 に公民 は3年生で学習す ることにな っているか ら,1・2年生で公民分野 を好む割 合が低 いのは当然だろ う。歴史分野 を選んだ生徒 (歴史 は好 き+歴史 ・地理 ともに好 き+歴史 ・公民 ともに好 き+
3
分野 ともに好 きなど) は7 3 2
名( 5 1 . 4 %)
で,学年別 にみ ると 1年生 が2 2 2
名( 4 8 . 7 %)
,2
年生 が2 9 7
名( 5 6 . 3 %)
,3
年生 が2 1 3
名( 4 8 . 3 %)
で ある。 いずれの学年 を通 じて も歴 史分野 を好 きだ と答 えている割合が5割程度 にのぼ っていることは注 目され る。 好 む分野 と して地理 を選 んだ生徒 は3 1 8
名( 2 2 . 3 %)
で,学年別 内訳 は1
年生1 6 4
名( 3 6 . 0 %)
,2
境界域史の可能性 33
年 生
8 5
名( 1 6 . 1 %)
,3
年 生6 9
名( 1 5 . 6 %)
で あ る。 公 民分 野 を好 きだ と答 え た生 徒 は1 7 2
名
( 1 2
.1%) で,1
年 生3 8
名( 8 . 3 %)
,2
年 生1 7
名( 3 . 2 %)
,3
年生1 1 7
名( 2 6 . 5 %)
で あ る。い っぽ うで社会科 を好 きで はな い と答 え た生徒 が
2 6 . 8 %
,4
人 に1
人以上 の割 合 で い る こと も確 かで あ る。 歴史分野 を好 む生徒 が多 いだ けに,歴 史分野 を苦手 とす る ことが社会 科 全般 を好 まな い主 た る原 因 にな って い るので はな いか と思 わせ る。第
3
問 で は 「歴史 の授 業 や勉 強 につ いて どの よ うに感 じて い ます か ?」 (複数 回答可 ) と重 ね,以下 の① 〜⑪ か ら選 んで も らった。① 〜④ は歴史学習 につ いて の肯定 的 な考 え,⑤ 〜⑦ は否定 的 な考 え,⑧ 〜⑪ は歴史学 習意欲 に関 して み るための選択 肢 で あ る。 結果 を あ らわ したのが図2で あ る。
①歴史 を学 ぶ ことは, これか らの社会 の あ り方 を考 え るために大切 だ。
②歴史上 ので き ごとにつ いて, ど う して だ ろ う, なぜ だ ろ うと考 え た り調 べ た りす るの は 楽 しい。
③ 時代 が新 しくな るほど現代 社会 に関係 が深 いので,今 に近 い時代 の歴史 を学 ぶ のが お も しろい。
④ 時代 が古 くな るほ ど現代社 会 との違 いが大 きいので,今 と異 な る時代 の歴史 を学 ぶ のが お も しろい。
⑤年代 や人 の名前 な ど,覚 え な けれ ば い けない ことが た くさん あ って たいへ ん だ。
⑥ 歴史 を学 ん で も日常生 活 に は役立 たな い。
⑦1000年 も2000年 もむか しの ことを学 ん で何 にな るのだ ろ うと疑 問 に思 うことが あ る。
⑧ 源義 経 や織 田信長 な どの よ うな有 名 な人物 につ いて くわ しく学 びたい 。
⑨一部 の支配者 や有名 な人物 だ けで な く,一般民衆 の暮 ら しにつ いて も くわ しく学 びたい。
⑲ 自分 た ちが暮 ら して い る地域 の歴 史 につ いて くわ しく学 びた い。
⑪ 外 国 や世 界 の歴史 につ いて くわ しく学 びたい。
⑫ その他
丑 i
葉
4
雀荘
慕 +γ+洗VT ; ・Tt#‑Ent r「■■【 ・..1
無記入 ① ② (∋何に ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫
1年生 0
. 7 %
28.7% 42.1% 20.4% 45.8% 65.4% 20.8% 30.3% 35.1% 23.5% 30.7% 44.5% 1.8%2年生 0.9% 24.4%33.7% 13.8% 41.5% 67.2% 26.5% 36.6% 27.7% 16.5% 24.2% 27.3% 1.3%
3年生 0.2% 22.2% 28.6% 14.7% 35.1% 67.3% 26.8% 34.7% 21.8% 15.2% 17.0% 24.0% 1.6%
図2 歴史 の授業 や勉強 につ いて感 じる こと
いず れ の学 年 で も⑤ が最 も高 くな って お り, つ いで④ を選 択 した生 徒 が40.9%, ② が
34.8%,⑦ が34.0%と続 く。 学年 が あが るほどに,① 〜④ の歴 史学習 へ の肯定観 を示す選 択肢 を選 ぶ割合 が低 く,⑤ 〜⑦ の歴史学習へ の否定観 を示す選択肢 を選ぶ割合 が高 く,⑧
〜⑪ の歴史学習意欲 を示 す選択肢 を選 ぶ割合が低 くな る傾 向 にあ る。 中学3年生 は学校 の 授業 で は もっぱ ら公民分野 を学 ぶ ため,歴 史学習 か ら遠 ざか ることが これ らの一 因か も し れないが,理 由 はそれだ けで はないだ ろ う。
⑤ が66.7%を 占めて い る ことか ら, 「歴史 は暗記科 目」 とい うイ メー ジが定着 して い る ことが うかがえ る。 しか し,歴史分野 を好 きだ と答 え た732名 の なかで も405名 (55.3%)
が⑤ を選択 して い る (405名 は⑤ を選 んだ950名 中の42.6%を 占めてお り,決 して低 い とは いえない) ことか ら, 「覚 え るのが た いへ ん」 と感 じる ことが,歴史嫌 いに は直結 しな い ことを示 して い るといえ るだ ろ う。 歴史 を好 きだ と答 えた生徒 も年代 や人名 を覚 え ること をたいへんだ と感 じっっ も, それ以上 の魅力 を歴史学習 に感 じて い ることを うかがわせ る。
その魅力 とはな にか につ いて,図
3
を もとに考 えてみ たい。図
3
は,生徒 が好 きだ と答 えた分野 の組 み合 わせ別 に,第3
問 の回答 のあ り方 を ま とめ た もので あ る。 まず, 「社会科 は好 きで はない」 と答 え た生徒382名 に注 目 したい。覚 え る のがた いへんだ と感 じて い る生徒 が83.5%にのぼ り, その ことが歴史分野 を嫌 い, ひいて140%62800%0%0%0%0% I//Jz!;/,1i',/ t/‑yr,,I /F I ̲)l r/ /rI'/IJ /,I//) 堆rj
I,Jだl
〜 /i :I
歴史は好き(509名) 地理は好き(147名) 公民は好き(54名) 歴史 .地理ともに好き(126名) 歴史 .公民ともに好き(74名) 社会科は好きではない(382名)
①社会のあり方 28.5% 21.1% 18.5% 31.0% 33.8% 16.8%
②考え調べる 47.2% 27.9% 16.7% 61.1% 60.8% ll.0%
③近い時代 15.1% 19.7% 18.5% 27.8% 27.0% 8.6%
④今と異なる時代 . 57.2% 27.9% 22.2% 61.9% 54.1% 17.5%
⑤覚えるのがたいへん 56.2% .68.7% 75.9% 55.6% 52.7% 83.5%
⑥生活に役立たない 13.9% 23.8% 33.3% 6.3% 13.5% 46.3%
⑦何になるのか疑問 24.0% 27.9% 42.6% 19.0% 20.3% 54.2%
⑧有名な人物 37.1% 24.5% 13.0% 47.6% 43.2% 9,4%
⑨民衆の暮らし 21.2% 13.6% 13.0% 27.0% 29.7% 9.4%
⑩地域の歴史 25.7% 30.6% 13.0% 36.5% 18.9% 14.9%
図3 好 きな分野 と歴史学習意識 の関連
境界域史の可能性 35
は社会科 を嫌 いにさせている主因 とな っていることを うかがわせ る。 また,⑥⑦ の歴史学 習 に対す る否定的考えの割合が比較的高 く,逆 に①〜④ の歴史学習 に対す る肯定観 を示す 割合が低 く,⑧〜⑪の歴史学習意欲 も低 い。
歴史 を好 きだ と答 えた生徒709名 (歴史のみ+歴史 ・地理 +歴史 ・公民) に共通す るの は,②④ の割合が高 く,⑤⑥が比較的低 く,⑧⑨が比較的高 い ことである。 地理分野 を好 む生徒 (地理 のみ+歴史 ・地理) は⑲ の割合が比較的高 く,地域 の歴史 に関心があること が うかがえ る。 公民分野 のみを選択 した生徒 と,社会科 を好 きでないと答えた生徒 は,①
② および⑧〜⑪ の割合が低 く,⑤〜⑦ の割合が高 い点が共通 している。 歴史学習への意欲 が低 い といえ る。
複数分野 を好む生徒 は,①〜④の割合が高 く歴史学習 に肯定的で,⑤〜⑦が低 く,⑧〜
⑪ の割合が高 く意欲的であることがわか る。 歴史 と地理 の両分野 を好む生徒 にその傾向が 顕著である。 また,歴史分野 を好む生徒 とそ うでない生徒 を比較す ると②④⑥ に大 きな差 が見 られ るが,特 に歴史 と地理が結 びっ いた ときに⑥が低 くな っていることが 目を引 く。
歴史好 きは④ の割合が高 く古 い時代 を好 む傾向にあるが, それで も⑥ 「歴史 を学 んで も 日常生活 には役立 たない」 とか,⑦ 「1000年 も2000年 もむか しの ことを学んで何 になるの だろうと疑問 に思 うことがある」 と考え る割合 は比較的低い。歴史を好 む生徒 は② の割合 が高 い ことか ら,歴史上 の ことが らについて考えた り調べた りす る楽 しさを知 っているこ
とが,⑤〜⑦ の否定的な見方 を低 くしているもの と考 え られ る。
しか し,全般的にみて も歴史を好む生徒 についてみて も,④⑧⑪ の割合が高 く,③⑨⑩ が低 いことか ら, 自分 たちの身近 な歴史 には興味が向いていないことを うかがわせ る。 歴 史教育 の大 きな課題であろ う。
(2)古代 「対外」関係史知識
ア ンケー ト調査の後半で は,古代 の対 中国 ・対朝鮮半 島関係史 に関す る質問を した。第 4問 と第5問で は,「縄文〜平安時代 の中国 (大陸) (第5間では 「朝鮮半島」)と日本列 島 との関わ りについて, あなたが持 っている知識 はどのよ うな ものですか ? 思 いっ くこ とばで もかまいませんか らで きるだけ貝体的に簡潔 に書 いて ください」 として,縄文時代 か ら平安時代 にかけての中国 (大陸) および朝鮮半島 との関わ りにつ いての知識 を書 いて
もらった 。
中国大陸 に関 して は,961名 (67.4%) の生徒がなん らかの単語 を書 き, その種類 は185 語蓑,回答語数 (延べ数) は2735語 にのぼ った。回答語数の分布を示 したのが表1である。
表1 中国大陸および朝鮮半島との関係史 に関する回答語数
回答
語数 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 以上 回答語ll数合計(延べ) 回答者数合計 平均語数1 平均語数2 中国
大陸 464282247167 105 66 34 30 7 10 7 6 2735 961 1.92 2.85
註)①平均語数1‑回答語数合計/全人数1425名
②平均語数 2‑回答語数合計/回答者数合計
表2 中国大陸および朝鮮半島 との関係史 にかかわる知識
順位 中国大陸 語童数 :185 朝鮮半島 語童数 :111 1 遠隔使 347(24.4) 渡来人 229(16.1)
2 遣唐使 333(23.4) 百済 106(7.4)
3 渡来人 251(17.6) 白村江の戦 い .新羅 との戦 い 91(6.4) 4 金印.印.漢委奴国王 .親魂倭王 161(ll.3) 仏教 84(5.9)
5 稲作 .米作 り .米 139(9.8) 稲作 .米 79(5.5) 6 文化 110(7.7) 新羅 56(3.9) 7 漢字 .文字 92(6.5) 文化 46(3.2) 8 卑弥呼 91(6A) 技術 42(2.9) 9 仏教 83(5.8) 高句麗 36(2.5)
註) ( )内は%。
最 も多 くの単語 を書 いた生徒 の語数 は17語 で あ った。 1425名 ひ とりあた りの回答語数 は 1.92語 で, 回答者961名 ひ とりあた りの回答語数 は2.85語で あ った。 これ に対 して朝鮮半 島に関 して は,600名 (42.1%)が回答 し,語乗数 は111に,回答語数 (延べ数) は1080と な った。最 も多 くの単語 を書 いた生徒 の語数 は8語 であ った。半数以上が無記入であった ために,全生徒 ひとりあた りの回答語数 は0.76語で1に満 たないが,何 らか書 いた生徒 の 回答語数 はひ とりあた り1.8語 とな った。 中国大陸 に関す る知識が朝鮮半 島に関す る知識 を上回 っていることが明 らか とな った。
さ らに回答 が多か った単語 を10位 まで示 したのが表2であ る。 ( )内 は全人数 に占め る割合 を示す。表2か ら次の2点 を指摘 したい。第一 に,中国関係史 に比 して朝鮮半島関 係史 に関す る生徒の印象が薄 いことである。中国大陸 に関 しては,4人 に1人が 「退隠使」
や 「遣唐使」を書 いてお り,生徒 にとって これ らの印象が比較的強い ことを うかがわせ る。
「遣唐使」 や 「遠隔使」 は小学校 か ら高校 に至 るまでの社会科 あ るいは日本史教科書 には 必ず登場 し, しか も小学校 の教科書 には遣唐使遭難 のエ ピソー ドや遣唐使船 の絵 などの祝 覚的情報が盛 り込 まれている(1)ので,印象 に残 りやす いと考え られ る。 これ に対 して,朝 鮮半島 との関係史 については最 も回答 の多か った 「渡来人」です ら16%にとどまっている。
また,稲作 ・漢字 など朝鮮半島を介 して入 って きた ものが中国 との関係で とらえ られ る傾 向が強 いの も特徴的である。
第二 に,長崎地域,特 に調査地である壱岐市や対馬市 には,原 の辻遺跡 を代表 と して中 国や朝鮮半 島 との関わ りを示す遺跡 ・遺物が多 いに もかかわ らず,回答のなかに現われな か った ことか ら,地域史への生徒 の関心が薄 い ことを うかがわせ る。
第6問で は,古代 にお ける中国大陸 ・朝鮮半 島 との関わ りにつ いての知識欲 を尋 ねた (選択式)。「知 りた い と思 う」 と答 え た生徒 (( ) 内 は
1‑ 3
年生 の内訳) は1 1
.9%(15.1・11.6・8.8),「知 りたいと思 わない」生徒 は26.8% (20.6・26.7・33.3),「どち らと もいえな
い」
生徒 は51.6% (53.1・51.7・50.1),「中国 (大陸)・朝鮮半島 との関係で は近境界域史 の可能性 37
十
無記入 大 ・半島か 日本列島から 交流がさかん あまり交流が その他 中国大 陸 7.1% 50.6% 20.2% 16.6% 5.1% 0.4%
図4 中国大陸 ・朝鮮半島との関係 イメージ
現代史 のほうが重要 だか ら,古代史 にはあま り興味を持てない」生徒 は7.6% (8.8・7.6・ 6.6)で学年があが るほど意欲が低下す る点 は図2と共通 している。
第7問および第 8問で は,縄文時代か ら平安時代 にか けての中国大陸および朝鮮半島 と の関係 についてのイメー ジ (選択式) を尋ねたところ,図4のよ うにな った。
旧石器時代以来,古代 においては,朝鮮半島か ら九州 あるいは日本列 島にや って くる人 の数のほうが中国か らや って くる人 よ りも圧倒的 に多か った。 一時的であろ うと,永住で あろうと,である。 特 に7世紀後半 の朝鮮半 島動乱期 には,百済人 を初 めと して,貴族階 層か ら一般民 まで少 な くとも数千人 に及ぶ広 い階層 の人 び とが畿内や東国に移住 した(2)。 図4か ら,事実 に反 して生徒が朝鮮半 島 との交流が活発でなか った とい うイメー ジを持 っ ていることがわか る。
第9問で は日本の古代国家 についてのイメージ (選択式) を問 うた ところ,以下 のよう な結果 とな った (( )内は
1‑3
年生 の内訳)。回答 は分散 しているものの①③④ の割合 が比較的高 く,中国 との関係 の強 さを認識 している生徒が多 い ことがわか る。(彰中国の制度 をそ っくりそのまま取 り入れて,中国 によ く似 た国家 をっ くった
‑‑
‑21.8% (23.7・23.9・17.2)②朝鮮半島の国々を手本 に して,朝鮮半島の国々によ く似 た国家 をっ くった
‑ ‑ ‑
5.8% (7.7・4.7・5.0)(診中国の制度 を参考 に したが,中国 とは異 なる日本独 自の国家 をっ くった
・‑‑31.2% (30.0・28.6・35.4)
④中国を手本 に したが, その際に中国の制度 を 日本 の実態 にあわせて変えた
・・・・・・24.7% (21.5・23.3・29.7)
⑤ 中国の制度 を取 り入れたが,国家づ くりは朝鮮半 島か ら渡来 した人 び との力を借 りなが ら進 め られた‑‑7.6% (6.1・9.7・6.8)
⑥ その他‑‑0.8% (1.8・0.4・0.5) 無記入‑‑8
. 1 %
(9.2・9.5・5.4)第10問および第11問では,現在の中国および韓国 に関す る情報源を尋ね,選択肢 として,
① テ レビや ラジオのニ ュース ・ドキュメ ン ト・講座 ・特集 など,② テ レビ ドラマや映画,
③ イ ンターネ ッ ト,④新聞,⑤雑誌 や書物,⑥旅行 (中国あるいは韓国へ行 った経験があ る),⑦留学生 な ど中国か ら来 た人 か ら話 を聞 く,⑧学校 の授業,⑨ その他, を設 けた。
中国情報 に関 して は, ①79.2%, ⑧50.3%, ④36.9%, ③30.0%, ②22.9%, ⑤17.5%,
⑥⑦3.6%, の順であ った。韓国情報 に関 して は,①79.9%,②40.6%,⑧39.5%,④36.9
%,③29.9%,⑤20.1%,⑥10.3%,⑦4.5%, の順 であ った。①③④ はほぼ同率だが,②
⑥⑧で差が開いた。韓国情報 を② で得ている生徒 の割合が比較的高 い ことは,近年 日本 に おいて韓国のテ レビ ドラマや映画が流行 した ことを反映 している。 ⑥韓国旅行 を経験 した ことがある生徒が1割 に及んでいるのは,韓国に近 いとい う利便性 ゆえだろ う。 ⑧ の差が 約10%開いたのは,生徒が学校授業 を通 して韓国について学んでいるとい う意識が低 い こ
とを示す。
2.
長崎地域 の地理的特性現長崎県域 の地理的特性 と して, 日本の最西端 に位置 し,平坦地が少 な く,海 に囲まれ, 海岸線が複雑で,島が多 い, とい うことがあげ られ る。 こうした特性 はそ こに暮 らす人 び
との生活 に大 きな影響 を与 え,歴史のあ り方 を規定 して きた。
(1)複雑な海岸線 と多島性
日本 の海岸線 の長 さは1,000km2あた り約88kmで世界的 にみて も長 いほ うだが, なかで も都道府県別 にみたときに長崎県 の1,000km2あた りの海岸線 は約1,025kmで圧倒的に長 い。
総延長4,195kmの海岸線 は,600近 い島々 と,複雑 に入 り組 む入江 ・湾 ・半 島 ・岬 などに よって,対馬 ・壱岐 ・五島列島 ・平戸諸島 ・西彼諸島を形成 している。 このよ うな地形 は, 古 くか ら海 に親 しみ海 とともに生 きる海 の民を育んで きた。対馬佐賀貝塚か らいたや員や, ひお うぎ員が出土 しているが これ らは潜水 によ って捕獲 されたのだろ う。 対馬 ・壱岐 ・五 島には現代 に至 るまでアマ (海女 ・海士)が絶やサザェ, ナマ コなどを獲 る習俗が存続 し て きた(3)。多島性ゆえ,魚介類 を求 めるためあるいは島間の移動 のために,船 に乗 る必要 に も迫 られたはずである。 地形 もそれを促 しただろ う。 島陰を利用すれば敵や強風 などか
ら守 られ る し,複雑 な海岸線 によ り形成 された入江 は港 に適 している。
また,平地が少ない,土地 の生産性が低 い, などとい った条件が重 なると,行動範囲の 拡大 につなが る。 世界的 にみて も同様 の地形 は海 の民 を育んで きた。 デ ンマーク, フィン
ラン ド, スウェーデ ンなど北欧のいわゆ る 「ヴァイキ ング」 と呼ばれ る人 びとは,優れた 航海術 と造船術 を馬区使 して8世紀末か ら外洋 に乗 り出す ことがで きた(4)。16世紀以降 カ リ
ブ海 に出没 した海賊 はイギ リス人, フランス人,オ ランダ人 を主体 と したが,風向 き,水 の流れ,潮 の満 ち引 き,時化 などを知 り尽 くした巧みな船乗 りで もあ った(5)。現在 も東南 ア ジア海域やイ ン ドネ シア周辺海域 には海賊行為が発生 し日本関係船舶 も被害 を受 けてい る。 日本列島内において も,瀬戸 内海 (特 に海岸線が長 く島が多 い現愛媛県域)で はかつ て村上水軍が勢力をほこった。長崎県域 も倭冠や松浦覚 の根拠地であ った。
対馬 は 『魂志』東夷伝倭人条 に 「土地山険,多深林,道路如禽鹿径,有千余戸,無良田, 食海物 自活,乗船南北市躍」 と書かれ,『対馬国貢銀記』(11世紀) や 『海東諸国記
』
(15 世紀) に も耕地 に乏 しく食糧確保 を他地域 との交易 に求 めなければな らなか ったよ うすが(
記 されている(6)。近世期 の対馬藩宗氏 は朝鮮 との貿易 を独 占 し, その利潤 を家 臣に分与す ることで知行 に替えた。現在 もその89%が山地で農業 に適 していないことに変わ りはない。
遣唐使船 は
8
世紀 に入 ると,従来 の北路 (朝鮮半 島沿 いに北上す るルー ト) を捨て,東 シナ海 を突 っ切 って中国沿岸 にたどりつ く南路 を とるよ うにな った といわれている。 南路境界域史の可能性 39
の場合 に五 島列 島が最後 の寄港地 とな った。 『肥前 国風土記』 には値嘉 嶋 (五 島列 島) に 遣唐使船 の碇泊す る港 と して相子 田 と川原 の二っがあ った と記 されて いる(7)。古代 におい て もすで に五 島列 島 は日本 の最西端 と認識 されていた(8)か ら, 中国 に最 も近 い ことは知 ら れていたはずである。 その うえに,五 島列 島が要害や風待 ちに適 した地形 を備 えてい る(9)
ことや,海 を熟知 した民 の存在 も魅力だ ったので はないだ ろ うか。
(2)海流 ・季節風
長崎地域 を囲む東 シナ海 を北上す る対馬暖流や,季節 によ って吹 く風 は, はるかかなた の情報 を もた らして くれ る。 複雑 な海岸線 も影響 して長崎 には漂着物が多 い。熱帯地域か らさまざまな植物 の果実 や種子 が海流 に乗 って漂着 してい る(10)。代表的 な漂着果実 ココヤ シは もちろんの こと, イルカ ンダ (ア ジアや南太平洋 の熱帯か ら亜熱帯 に分布), ゴバ ン ノア シ (東南 ア ジアか ら南太平洋 の島々の海岸 に分布), オオ ミナ ンキ ン‑ ゼ (イ ン ド・
マ レー半 島 な どの河 口付近 に生息), サキ シマスオ ウノキ (東南 ア ジア ・ポ リネ シア ・ア フ リカ ・奄美大 島以南 の南西諸 島に分布), シロ ップ (熱帯 に広 く分布), ホウガ ンヒルギ (イ ン ド・東南 ア ジア ・南太平洋 に分布), モ ダマ (東南 ア ジアか ら南太平洋 に分布), モ モ タマナ (東南 ア ジアや南太平洋諸 島の海岸 に生息) な どの果実や種子 の漂着 が記録 され ているとい う。 壱岐原 の辻遺跡 か らはココヤ シの果殻 でつ くられた笛が出土 した。古代人 も浜辺 に打 ち寄せ られた ココヤ シを拾 い, 自分 たちの暮 らす土地 とは植生 の違 う土地 があ ることを認識 しただ ろ う。 現在 の長崎 に も, 日本国内か らはもちろん韓 国 ・中国か らの漂 着 ゴ ミが流 れ着 いて いることは周知 の通 りである(ll)。
対馬か ら朝鮮半島へ渡 るには海流 を利用 し,遣唐使 や中国貿易船 な どが東 シナ海 を横断 す る際 に も季節風 を利用 した。現在 の海上輸送 に使 われ る船 や漁船 の多 くは動力船 だか ら 航海が海流 や季節風 に左右 され ることもないだろ うが,海 に漂 うばか りの物体 は水流 と風 任せであ ってかっての帆船 や人力 に頼 って いた頃の航海 への想像力 を掻 き立 て る。
(3)好漁場
長崎県 には有人 島が55島存在 し,都道府県別 にみ ると沖縄県 (40島),愛媛県 (32島) な どを抜 いて圧倒的 に多 い(12)。「離 島」 で は漁業 に従事す る人が多 いのが特徴 である
。
『国勢調査報告』 によれば平成12年 の長崎県労働人 口の うち漁業従事者 が 占め る割合 は2.8%
で あるが, 「離 島」 (平成12年国勢調査 当時の離 島) の漁業従事者 は13.8%を 占めて いる。
平地が少 な く農業 に適 さない島が多 いためで あるが,好漁場 に恵 まれて いることも漁業が さかんな理 由である。
平成15年 の長 崎県 の漁業生産量 はお よそ31万3千 トンにのぼ り,全 国比5.2%で北海道 (約28%),宮城県 (約 7%) につ いで3位 とな った。漁業生産額 は1,086億 円で, 同7.3% で北海道 (約17%)につ いで2位 とな った。漁業経営体数 の全 国比 は8.1%, 漁業就業者 数 のそれ は8.4%,漁船隻数 のそれ は7.8%を 占めた(13)。 これ らの数字 は,水産業 が長崎県 の基幹産業 であ ることを示 している。 漁業部 門別 にみ ると,平成15年 の総生産量 の うち沖 合漁業 が約67%を占めてい るのが特徴 的であ る。 魚種別 にみ ると, あ じ類 ・さば類 ・いわ し類 ・いか類 な どの漁獲量 が 目立 って多 いが, その ほか, マグロ ・ブ リ類 ・タイ類 も少 な くない。
ところで,長 崎県域 に残 る縄文時代 の遺跡か ら西北九州型結合釣針 や石鋸装着錆 の歯が 出土 して い る(14)。西北九州型結合釣針 は,鹿骨製 の軸部 と猪牙製 の針 を紐 で結 ぶ と7cm
にもなる大型 の針で, マグロ ・サ ワラ ・アラ ・シイ ラ ・サメなどを捕獲す るために使用 さ れたと考 え られている。 石鋸装着錆 は,木製 の柄 の先端両側面 に溝 を掘 り,鋸歯状 に加工 した黒曜石 をはめ込んだ もので, イルカなどを突 き刺すのに適 している。 これ らの遺物 と ともに諸遺跡か ら大型魚や海獣の骨が出土 している。 長崎地域 に暮 らして きた人 びとが縄 文時代か ら沖合 に船で乗 り出 していた ことが明 らかである。
以上 のよ うな地形的特徴 は,佐賀 ・福岡地域や朝鮮半 島南部 に も該 当す る。 海 に慣れた 人 びとが北部九州 と朝鮮半 島を往復 していたことは,結合釣針(15)や石鋸装着錆 などが朝鮮 半島南部や北部九州 に分布 して出土す ることか ら裏付 け られ る。 このような漁具の共通性 は,獲物 の共通性か ら来ている。朝鮮半島南部新石器時代 の遺跡や北部九州縄文時代の遺 跡ではマグロ ・ブ リ ・マダイ ・エイ ・サメ ・クジラ ・イルカ ・ア シカなどの共通 した魚や 海獣類 の骨が出土 している。 好漁場 を挟んで両地域 の人 びとが海 に乗 り出 し,互 いの土地 を行 き来 していた ことを うかがわせ る。
以上,述べて きたよ うな地形的特性 は,朝鮮半島南部 に も該当す る。 済州島に海女が多 いの も,火山島のために岩石が多 く,年間を通 し風が強 いために農業 には適 さず,魚介類 の豊富 な海 に職 を求 めた結果 とされている(16)。地理的特性の共通性が,長崎地域 と朝鮮半 島南部 の人 びとの生業や生活,習俗 に共通性を もた らしたといえ る。
3.
授業案以上か ら,長崎地域がその地理的特性 に規定 された歴史 を積 み重ねて きたに もかかわ ら ず,現在 そ こに暮 らす中学生 は身近 な地域史を認識 していないことが明 らか とな った。 そ
こで,長崎県 の産業や地理 に関す る知識 を生か して長崎地域史 を学ぶ ことので きる授業 を 構想 した。 この授業で は長崎地域が朝鮮半 島 と密接 な関係 を有 していた ことを扱 うので, 朝鮮半 島を通 じて大陸文化 を受容 したとされる 「日本歴史」 を学ぶ導入 として も有効であ る。 以下 の授業案 は
,2 0 0 6
年4
月 に大学生1 5
名 ・短大生1 3
名 の2
クラスを対象 に実践 した 事例を もとに作成 した ものである。授業方法 と しては,教員が資料 を提示 して課題 を学習者 に投 げか け,学習者が シー トに 記入す る方式 を とる。 学習者 ひとりひとりが考え,書 き, まとめ,報告す るとい う具体的 な作業 を保障す るためである。 教員 は,学習者 と学習者,学習者 と資料 の媒介者 の役割 を 果 たす。授業で大切 なのは教員が どれだけ教えたかで はな く, ひとりひとりが どれだけ学 んだか とい うことであるか らだ。基本的知識を習得す ることに加 え, その事項が互 いにど のよ うに関連 しているのかを理解す ることが重要 である。
このよ うな方法を採用す るのは,歴史,学問,学校 (学習) とい う3つの観点で学習者 を主体 とす るためである。 まず,歴史的主体 とは,学習者 ひ とりひとりが社会 の構成員で あ り, 日々の生活を営む ことによ って現在進行形で歴史 をっ くっている主体であると自覚 す ることを意味す る。 一部 の支配者や文化人 などのいわゆる 「偉人伝」 と しての歴史を学 んでいる限 り,歴史学習 は絵空事で しかない。他人事 と してで はな く, 自分 の生 き方 に関 わ る歴史学習であるべ きだ。
学問の主体 とは,学問 とは創造的な ものだ と学習者 白身が感 じるよ うになることを意味 す る。 教科書 に書かれた ことが らが動か し難 い固定的な知識 と して与え られれば,学習者 はひたす らそれを覚 え る しかないだろ う。 ことばを覚 えなければそれを操作 して思考す る
境界域史 の可能性 41
ことがで きないか ら,人物 ・年代 ・事件 などを覚え ることが必要 なのは言 うまで もない。
しか し,時代が古 くなればなるほど, もともと答えの出ない, あるいは考古学的な発見 に よ って覆 され る運命 にあることが らが少 な くない。比較的新 しい時代 について も,「事実」
の評価が社会 の変化 によ って変わ ることは しば しば経験す ることである し,歴史教科書問 題 に象徴 され るように国によって歴史認識が異 なることもある。 大切なのは 「正 しい答え」
を覚えさせ ることで はな く,学習者 ひ とりひとりに考 え る自由を保障す ることだ。 自分の 出 した答 えがまんざ ら間違 っていないか も知れないとい う自信, 自分 たちも学問 に参加 し ているとい う感覚を学習者が持っ ことがで きれば,歴史学習のイメー ジは全 く違 って くる
はずである。
学校 (学習) の主体 とは,学校や教師 との関係性 のなかで学習者が抑圧 された客体 にお しとどめ られ ることな く,主体的 に活動で きることを意味す る。 パ ウロ ・フレイ レは教師 (預金者) による一方 的語 りか けが生徒 (空 の金庫) を機械的な暗記者 にす ると して,銀 行型教育 を批判 した(17)。 そ こでは,すべてを知 っているとされ る教師が考え,語 り, しっ け,選択 し,行動す る主体であ り,何 も知 らないとされ る生徒 は,教え られ, しっ け られ, 教師の選択 を押 しっ け られ,教師の行動 を通 して行動 した と幻想す る客体 にお しとどめ ら れているとい う。 フレイ レは,教師 と学習者 の教え る‑教 え られ るとい う関係性 を固定化 せずに,課題 (教師 と学習者 の両方 に批判的省察 を うながす媒体) を媒介 と しなが ら対話 を通 して互 いに教え合 う課題提起型教育 を提唱 している。 課題提起型教育 は学習者 を批判 的思考者 にす ることが可能である。 そのためには,資料 に基づ き,手順 を踏んで論理的な 思考 を積 み重 ねてい く必要がある。 そ うした ことの積み重 ねによ って学習者 は創造的な主 体 とな りうるだろう。
ね らい :縄文時代 の長崎地域 の海民 と,新石器時代 の朝鮮半島南部 の海民 とは,同 じ魚 を 求めて海 に乗 り出 し, あるいは交易のために互 いの土地 を往来 していた。 そ うした往来 の延長線上 に稲作 の伝来が位置づ け られ ることを理解す る。 前近代 は,舟 による交通が さかんであ った こと,現長崎県域 の造船業や
水産業が さかん とい う産業構造 の特徴が,同 地域 の地理的特性 やそれに規定 された歴史 に よって形成 された ものであることを理解す る。 形態 :4‑ 5人程度のグループを くむ。考え る,
書 く, まとめ る,発表す る, とい った個人的 作業 を全員 に保障す ると同時に, グループ内 で多様 な考えに触れ,互 いの意見 に触発 され て個人 の考えをみつめなお し,意見 を修正す る機会 を提供す るためである。
教員側 の用意 :朝鮮半 島南部か ら西北九州 にかトンサムトン けての地図 (あるいは板書),韓国東三洞員 塚 出土 の縄文土器片 ・結合釣針 の写真,長崎 壱岐松崎出土 の櫛 目文土器片の写真 (あるい は絵),西北九州型結合釣針 の写真 (あ るい は絵),発掘 された丸木舟 の写真(18)。
図5 朝鮮半島南部か ら西北九州 に かけての地図
第1段階 :朝鮮半島南部 か ら九州で作 られた土器が,西北九州か ら朝鮮半島で作 られた土 器が出土 した理 由を考え る。 地図上 の朝鮮半島東三洞 に縄文土器 の写真,壱岐松崎に櫛 冒文土器 の写真 を貼 る。東三洞貝塚,松崎遺跡,櫛 冒文土器 などの説明を簡単 にお こなヨント う。 東三洞員塚 は,現在 の韓国釜山広域市 の南,影 島区にある。7500年前か ら3500年前 までの4000年間をか けて形成 された5文化層か ら,櫛 冒文土器や石器,漁具,装身具, 動物 の骨 などとともに縄文土器や腰岳産 の黒曜石が出土 した(19)。櫛 冒文土器 は朝鮮半 島 新石器時代 の土器で櫛 目の沈線文が施 されているのが特徴である。 その器形 ・胎土 ・施 文の特徴が九州の曽畑式土器 に影響 を及 ぼ したといわれている(20)。松崎遺跡 は壱岐市勝 本町の湯 ノ本湾内にあ り,縄文時代後期 を中心 とす る遺跡である(21)。
疑問の提示 : 「なぜ九州で作 られた縄文土器が東三洞か ら見つか ったのか。 逆 になぜ朝鮮 半島で作 られた土器が壱岐松崎で見っか ったのか」 という疑問を学習者 に提示す る。
学習者 の作業 :まず考 え られ る可能性 を個人で シー トに記入 し, グループ内で各 自の意見 をひととお り述べたあ とにグループで意見 をまとめて報告す る。
シー ト :東三洞か ら見っか った縄文土器 と壱岐松崎か ら見っか った櫛 目文土器 のそれぞれ に関 して,aどこの人が運んだのか (運搬主体),bなんのために運んだのか (運搬理 由),Cどのよ うに運んだのか (運搬手段) の3点 について考 え られ る可能性 を書 く。 次 に, a〜 Cで出 した答 えを組み合わせて,最 も確かだ と考え られ る可能性 を文章 にま
とめる。
教員の作業 :グループか ら出された意見 の a〜 Cについて黒板 にまとめる。 出された可能 性 に関 して吟味 してい く。 aに関 して は,交易 (物 々交換) とい う答えがあが ると予想 され るが, これについて は土器がなんのために作 られ使われた ものであるかを確認 させ る。 土器 は食糧の貯蔵や煮炊 きに利用す るものであ り, 日常的で どの地域 に も存在す る ものである。 しか も壊 れやすい。 したが って,土器 自体が交易 の対象 となることは考え に くい。何 らかの活動,交易の結果 と して土器が他地域 に運 ばれ, その地 に残 された と 考え られ ることを説明す る。 すなわち,縄文土器 は九州 に住んでいた人が,櫛 冒文土器
は朝鮮半 島に住んでいた人が,他地域 に持 ち込んだ ことになる。
第2段階 :地図 に人 の動 き (朝鮮半 島か ら壱岐へ,壱岐か ら朝鮮半 島へ) を矢印で書 き入 れ,「なぜ両地域 の人 たちは互 いの地域 を行 き来 していたのか,交易がなされていた と す るな らば何がその対象 とな ったのか」 とい う疑問を提示す る。 地図上 の朝鮮半 島東三 洞 と長崎脇岬 に結合釣針 の写真 を貼 り,結合釣針 の説明をす る。 結合釣針 は,軸 の部分 と針 の部分 を別 の素材 でつ くって結合 させ使用 した大型
(7
cm以上) の釣針 である。「なぜ同 じ形 を した漁具が朝鮮半 島南部 と長崎でみつか るのか
」
「結合釣針でなにを獲 る のか」 と問 うてみ る。 朝鮮半島南部 と北部九州 の諸遺跡か らは共通す る大型魚 の骨が出 土 していることか ら,両地域で同 じよ うな漁具 を使 って同 じ獲物 を求めていた とい うこ とがわか る。 そ して これ らの大型魚 は沖合 に出なければ獲れない ことか ら,両地域 の人 びとが外洋 に出ていた ことがわか る。 以上 の ことを もとに して,「なぜ両地域 で,他地 域製作 の土器が出土す るのか」 とい う質問に もどり, グループ内で意見交換 させ,発表 させ る。 大型魚を求めて丸木舟で沖合 に出た人 びとが持 ち込んだ土器が互 いの土地 に残 っ たと考 え られ ること,朝鮮半島か ら出た舟 は壱岐や対馬を中継地 と したであろ うことを 確認す る。境界域史 の可能性 43
第
3
段階 : 「なぜ長崎地域 に暮 らす縄文人 は沖合 まで魚 を とりにい ったのだろ うか, なぜ 朝鮮半島までい ったのだろ うか」 とい う疑問を提示す る。 長崎県域 の現在 の産業構造や 漁業生産高 などについて説明 し,漁業が さかんであることを確認す る。縄文時代 か ら現 代 まで漁業が さかんなのは,長崎地域が海 に近 く,豊かな漁場が近 くにあるとい う環境 にあることはもちろんだが,それだ けで はない。 そ こに暮 らす人 び とが海 に慣れ親 しむ 条件,あるいは海 に乗 り出さざるを得 ない理 由があ った。その理 由を,平坦地が少 な く, 島が多 く,海岸線が複雑であるとい う長崎地域 の地形的特性か ら考え る。 世界的に漁業 がさかんな国々や, ヴ ァイキ ングが出た北欧や海賊が活動 したカ リブ海 などを地図帳で 確認 して, その地形 の共通性 を理解 させ る。 朝鮮半島へ渡 った理 由について は,東三洞 か ら腰岳 (現佐賀県伊万里市)産 の黒曜石が出土 していることか ら黒曜石 の交易がお こ なわれていた ことが考 え られ る。まとめ :以上 のよ うな朝鮮半 島南部 と北部九州の海 の民 の往来が,縄文時代 の終 りに北部 九州 に稲作 を もた らした。高度経済成長以降現代人 の主 たる交通手段 は自動車 や鉄道 に 移 って しま ったが, それ以前,特 に前近代 は陸上 の徒歩か船 による海や河川 の交通が主 であ った。 そのため,継続的に活発ではなか ったにせよ長崎地域 と朝鮮半 島 との行 き来 が連綿 と続 いて きた。
大学生 の意見 :東三洞か ら見っか った縄文土器 に関 して は,a①北部九州の人,②壱岐の 人,③朝鮮半 島の人,b(丑交易,②文化伝承 ・技術移入,③贈 り物,④漁の途 中に偶然 発見 した陸地 に上陸,⑤移民 (新天地 を求 めて ・生活地 を もとめて)が生活道具 として 持 ち込んだ,⑥漁 の途中に船か ら落 と した, C①船,②漂着, とい った可能性が示 され た。壱岐松崎か ら見つか った櫛 目文土器 に関 して は,a①北部九州 の人,②朝鮮半島の 人,b①交易,②文化伝承 ・技術移入,③捨て られた ものが漂着,④移民が持 ち込んだ,
⑤中国 に行 こうとして漂着, C①船,② いかだ,③漂着, とい う可能性が示 された。受 講生か らは 「中学校では大 まかな事だけしか学ばなか ったことが,長崎周辺を ピックアッ プ して, 自分で考 えた り,皆の意見 を闘いた りして答 えを探 してい くとい うのはとて も 楽 しか った
」
「歴史 は史料 (文書 は じめ遺物 ・図像 ・音声 ・伝承 などがある) でつ くら れ るとい う言葉が理解で きた授業だ ったと思 う。 今回 はある事実 を もとに私 たち白身が 考察 し,歴史 をひ もと く作業を したが, これまで歴史 の伝承 を担 って きた人 々の考 え方 や苦労がわか ったよ うな気が した。 また, あるひとっの史料だ けを もとに して考 え るの ではな く,確証 のある既成事実や他 のさまざまな史料 ・証拠 などと照 らし合わせて考察 す ることが大切だ とい うことも学べた」
「東三洞や壱岐か らの出土品 につ いて,交易 ・ 漂着 などさまざまな想像がで きてたいへん楽 しか った。 自分 たちの生 きていない時代の 歴史が どうであったのか考 えるとい うのは実 に興味深か った」 とい ったよ うな感想が寄 せ られた。 しか し,「縄文時代か ら韓国 と交流があ った とい うことに驚 き, お互 いに深 い歴史があるのだ とい うことに気付 いた」 とか, 「縄文時代 か ら日本 は他国 との交流が あった ことがわか ります。国 と国 との公 な交流だ った とはいえませんが,海 を渡 ること で他 の国の良 い文化や技術 を取 り入れ, 日本文化 の発展 に貢献 した と思 います」 といっ たよ うに,国 とい う固定観念をはずす ことはで きず,課題が残 った。本授業 は大学生や短大生 に対 して実施 した ものであるが,説明を具体的にす ることで中 学生や高校生 を対象 にす ることも可能である。長崎県下 の中学生 には 『ふ るさと長崎県』(22)
とい う,地理 ・歴史 ・公民 の各分野か ら長崎県 につ いて詳細 に書 かれた冊子 が配付 されて いるか ら, これを活用すれば長崎地域 か ら日本歴史 をみなおす ことがで きるだ ろ う。
おわ りに
朝鮮半 島の新石器時代 や西北九州 の縄文 時代 には国や国境 は存在 しないか ら,人 びとは 生業 のために,パ スポー ト無 しに互 いの土地 を行 き来 す ることがで きた。何千年 も経 った 現在で も長崎地域 の地理 的特性 は基本的 には変 わ らず, そ こに暮 らす人 び とは当時 と同 じ よ うに漁業 をな りわい と して生 きて いるものの,かってのよ うに朝鮮半 島 との問 を 自由に 行 き来す ることはで きな くな って しま った。かって海 の民 を主体 とす る共通文化圏 に属 し ていた両地域 を,ふたっの国 に隔てたの は海だ けで はない。
自然環境が生活様式 を規定す るとい う普遍性 に もかかわ らず,人 は民族 や国家 とい うも のに縛 られて きた。 その歴史 に気づ くことがで きれば,近代が作 り出 した国民 国家 を相対 化す ることが可能 にな るだ ろ う。 グローバル化 が進 み人 や情報 が国 を越 えて動 いて いる。
国民国家が 自明の もので はな くな ったいま,人 と人 の関係 とい う ミクロな視点 に立 ち戻 り, 人 の移動 や社会的結合が どのよ うに, そ して どのよ うな地域 を生成 して きたのか につ いて 歴史的 に明 らか に して い くことが重要 であ る。 その際 に境界域史 の視点 は歴史研究 と歴史 教育 の可能性 を広 げて くれ る(23)。
註
(1)鈴木理恵 「歴史教育 にお ける遣唐使 の発見 ‑ メデ ィア と しての教科書分析
‑
」,『教 育史 フォー ラム』2,2 0 0 7
年。(2)古代 の 「渡来人」 に関 して は, 関晃 『古代 の帰化人』 (関晃著作集第三巻,吉川弘文 館,
1 9 9 6
年),樺又根 『古代 日本文化 と朝鮮渡来人』 (雄 山閣 出版,1 9 8 8
年),井上満郎『古代 の 日本 と渡来人』 (明石書店
,1 9 9 9
年), 田中史生 『倭 国 と渡来人』 (吉川弘文館,2 0 0 5
年) など多 くの研究が ある。( 3 )
「長崎県 の海女 (海士)」 (海女 (海士)民俗文化財特定調査,1 9 7 9
年),大 島暁雄監修 ・ 都道府県教育委員会他編 『日本 の漁村 ・漁携習俗 調査報告書集成11九州地方 の漁村 ・ 漁携習俗』,東洋書林,2 0 0 4
年。( 4 ) B
・アル ムグ レン編 (蔵村不三也訳)『図説 ヴ ァイキ ングの歴史』,原書房,1 9 9 0
年。(5) フィ リップ ・ジャカ ン (増 田義郎監修,後藤淳一 ・及川美枝訳)『海賊 の歴史』,創元 社
,2 0 0 3
年。( 6 )
対馬 に関 して は,永留久恵 『対馬古代史論集』 (名著 出版,1 9 9 1
年),永留久恵 『古代 史 の鍵 ・対馬』 (大和書房,1 9 9 4
年( 1 9 7 5
年初版)),正林護 『なが さき古代紀行Vo l . 1
対馬』 (タウ ンニ ュース社
,1 9 9 5
年) な どの文献 が あ る。 また,坂 田邦洋 『対馬 ヌカ シ にお ける縄文時代 中期文化』 (別府大学文学部考古学研究室,1 9 7 8
年),坂 田邦洋 『対馬 越高尾 崎 にお ける縄文前期文化 の研究』 (別府大学文学部考古学研究室,1 9 7 8
年) な ど 遺跡 に関す る個別研究 もあ る。(7) 『肥前国風土記』松浦 の郡,植垣節也校注 ・訳 『風土記』 (新編 日本古典文学全集5), 小学館
,1 9 9 8
年,P3 3 7
。(8) 『延喜式』巻十六 に載 せ られ た追傑祭文で は,疫鬼 を,東方陸奥 ・西方遠値嘉 (五 島
境界域史の可能性 45
列島)・南方土佐 ・北方佐渡 とい う四至 よ り遠 い ところに追放す るよ うに規定 している。
( 9 )
東野治之 『遣唐使船 東 ア ジアのなかで』,朝 日新聞社,1 9 9 9
年。(10)中西弘樹 『漂着物学入 門』,平凡社
,1 9 9 9
年。(ll) た とえばいわゆ る使 い捨 て ライ ターの漂着 につ いて藤枝繁氏 が調査 して い る
。
「デ ィスポーザ ブル ライ ターを指標 と した海洋漂着散乱 ゴ ミの流 出地推定」『漂着物学会誌』1,
2 0 0 3
年。(12) 日本離 島セ ンター
『 2 0 0 2
離 島統計年報』。(13)九州農政局統計情報部編 『東 シナ海地域及 び九州 にお ける漁業動 向』,九州農林統計 協会協議会
,2 0 0 5
年。(14)木村幾多郎 「縄文時代 の 日韓交流」,後藤直 ・茂木雅博編 『東 ア ジアと日本 の考古学』
Ⅲ,同成社
,2 0 0 3
年。渡辺誠 「朝鮮海峡における漁民 の交流」,『日韓交流の民族考古学』, 名古屋大学 出版会,1 9 9 5
年。西谷正 「古代朝鮮 と日本 との交流」,李成市 ・早 乙女雅博 編 『古代朝鮮 の考古 と歴史』,雄 山闇,2 0 0 2
年。(15)西北九州型結合釣針 は朝鮮半 島のオサ ンリ型結合釣針 (江原道 オサ ンリ遺跡 (韓国新 石器時代早期 の代表的遺跡)か ら多量 に出土。軸 は貢岩製,針 は骨製) に起源 を もっ。
(16)飯 島秀郎 ・矢野博 ・角 田泰造 「韓国済州島海女 の潜水作業実態 につ いて」,『民族衛生』
5 8‑2,1 9 9 2
年。(17) パ ウロ ・フ レイ レ (小沢有作 ・楠原彰 ・柿沼秀雄 ・伊藤周訳)『被抑圧者 の教育学』, 亜紀書房,
1 9 8 8
年( 1 9 7 9
年第一刷)。(18) 東三洞貝塚 か ら出土 した遣物 の写真 は,音^T]t喜瑚春巻^l塾召人l三号 (東三洞貝塚展示館 図録,釜 山博物館
,2 0 0 2
年) に掲載 されている。 西北九州型結合釣針 につ いて は,木村 幾多郎前掲註(14)論文 や渡辺誠前掲註(14)論文 に図が掲載 されて いる。 丸木舟 に関 して は次 の よ うな文献 が あ る。 茂在 寅男 『船 と古代 日本』 (PHP研 究所 ,1 9 8 7
年 ), 松枝正根『日本古代 の軍事航海史』上巻 (かや書房
,1 9 9 3
年),石井謙治監修 『日本 の船 を復元す る』 (学習研究社,2 0 0 2
年),千 田稔編 『海 の古代史』 (角川書店,2 0 0 2
年)。(19)東三洞貝塚 につ いて は,舌骨音司書尋^l吏召人l三号 (東三洞貝塚展示館 図録), 森浩一 監修 『韓国の古代遺跡』
2
百済 ・伽耶篇 (中央公論社,1 9 8 9
年) な どを参照。( 2 0
) 櫛 目文土器 につ いて は,佳鐘赫 「櫛 目文土器時代 韓半 島新石器文化 の動態」,西谷正 ほか編 『韓半 島考古学論叢』,すず さわ書店,2 0 0 2
年,参照。 『園立 中央博物館』 (韓国 ソウル, 中央博物館展示図録,2 0 0 0
年) に岩寺洞か ら出土 した櫛 目文土器 の完形写真が 掲載 されて いる。( 2
1) 中上史行 『壱岐 の風土 と歴史』, 中上史行,2 0 0 2
年( 1 9 9 5
年初版)。
『勝本 町文化財調 査報告書 第1
1集 松崎遺跡』,長 崎県勝本町教育委員会,2 0 0 3
年。(22) 長崎県教育庁学校教育課編,長崎県教育委員会。
( 2 3 )
日本史 を越 え る歴史教育 に関 して は,加藤葺編 『越境す る歴史教育』 (教育史料 出版 会,2 0 0 4
年),西川正雄編 『自国史 を越 えた歴史教育』 (三省堂,1 9 9 2
年) な どの研究が あるが,二 国 にまたが る地域 (境界域) をひとっの文化圏 と して とらえ る視点 か らの研 究 は管見 の限 りで はない。付記
本稿作成 にあた り,長崎県下7中学校 の生徒1425名 のみな さん にア ンケー ト調査 にご協 力 いただ きま した。 ここに記 して感謝 申 し上 げます。 なお,本稿 は,平成17年度長 崎大学 高度化推進経費 による成果です。