グローバル人材の就職と人材サービス業
著者 長峰 登記夫
出版者 法政大学人間環境学会
雑誌名 人間環境論集
巻 18
号 1
ページ 94(1)‑68(27)
発行年 2017‑09‑30
URL http://doi.org/10.15002/00014221
はじめにグローバル人材ということばは︑二〇〇〇年あたりから使われるようになった︒しかし︑それが何を意味するのか︑必ずしも共通理解があるわけではない︒人によって意味するところは異なる︒ただ︑グローバル人材とはどういう人のことをいうのかというとき︑一般的には︑海外で学ぶ日本人留学生︑日本で学ぶ外国人留学生︑いわゆる帰国生︑さらに日本の大学で学びながら交換留学し︑あるいは日本の大学で勉強し︑語学能力試験でそれなりの成績︵たとえば英語能力試験のTOEICで八五〇点前後の点数︶を残し︑海外での仕事にも関心をもつ学生たちのことをイメージしていると思われる︒近年︑多くの日本企業がこれらグローバル人材の育成と採用に大きな関心を寄せている︒政府も教育を通した グローバル人材の育成を政策に掲げており︑それらの流れのなかでグローバル人材という言葉は大学でも広く使われるようになった︒本稿では︑この用語の内実には踏み込まず︑一般的なイメージにしたがって彼らの就職の実態について考察する︒過去を振り返ってみれば︑留学生が︑とくに日本の大企業の採用から閉め出されていた時代もある︒それが一九八〇年代に入って日本企業の国際化がいわれ︑さらに︑一九九〇年代から二〇〇〇年代に入ってグローバル化が叫ばれるようになると︑人材のグローバル化が意識されるようになる︒そうしたなかで︑それまでの社内教育だけでは限界があることが認識され︑海外にいる日本人留学生や日本にいる外国人留学生︑帰国生等の存在が注目されるようになった︒しかし︑日本企業は海外にいる留学生にどう接触し︑採用プロセスに入れるか︑その
グローバル人材の就職と人材サービス業
法政大学人間環境学部 長峰登記夫
ノウハウを持っていなかった︒そこで登場し︑企業と学生双方に接触の場を提供することで︑これら若者たちの就職に一役買ったのが人材サービス業であった︒本稿では︑人材サービス業が︑グローバル人材の就職にどのような役割を果たしたのかを中心に紹介・検討するとともに︑今後の人材の国際化︑グローバル化の一端を︑グローバル人材を対象にした人材サービス業の活動を手がかりに考察する︒まず最初に︑ここで考察の対象となる留学生の数がどう変化してきたのか︑日本人留学生と外国人留学生︑さらに帰国生について見ていく︒つづく第二節では︑彼らの就職の現状を︑若干の歴史的変遷にも触れながら確認する︒第三節では︑留学生等の就職に関連して︑人材サービス業がいかに展開していったのか︑ここでも歴史的経緯も含めて見ていく︒そして第四節では︑留学生等の就職に関する人材サービス業の実態について︑筆者が行った聞き取り調査の結果を紹介しつつ︑それが留学生等の就職に果たした役割を検討する︒第五節では︑留学生等の就職支援を行っている︑自治体等の行政機関や経営者団体︑大学等︑人材サービス業以外の機関による支援活動についても簡単に紹介する︒そして︑最後に︑グ ローバル人材の就職をめぐる現状を確認し︑今後の課題を提示する︒1 留学生等の数の推移留学生等の就職や採用にかかわる人材サービス業の実態について検討する前に︑グローバル人材の中心をなす留学生の数︑すなわち海外で学ぶ日本人留学生︑および日本で学ぶ外国人留学生の数︑さらに帰国生の数とその推移を見てみよう︒
高の影響もあって︑海外の大学の授業料や︑総体として それは︑ひとつには日本経済の好調を反映した急激な円 バブル経済に突き進むなか急増していったことがわかる︒ る︒それによると留学生の数は一九八〇年代末︑日本が 計に基づいて文部科学省︵文科省︶が作成したものであ である︒これはOECDなどの国際機関や各国政府の統 してきた︒その変化を過去二〇年余りで見たのが図表1 交換レート︑その他の様々な要因によって増減を繰り返 日本人留学生の数は時の経済環境やその結果としての
(1) 日本人留学生の数の推移
の留学費用が円換算で大幅に低減したことが大きかった︒一九九〇年から九一年にかけてのバブル崩壊後も留学生の数は増加していった︒一九八六年に約一四︑三〇〇人だった留学生の数は一九九九年には約七五︑〇〇〇人となり︑わずか一〇年あまりの間に五倍強にまで増加した︒その後︑微増もしくは横ばい状態になったものの︑二〇〇四年には八二︑九四五人でピークに達した︒その後︑留学生の数は減少に転じ︑いわゆる若者の内向き志向が言われた︒たしかにそれまで留学先の中心であったアメリカへの留学者数は減少していったが︑新たな傾向として︑中国を中心とするアジア圏への留学者数は増え︑多様化の時代を呈するようになった︒二〇一四年の主な留学先は︑アメリカ︵一九︑〇六四人︶のトップは変わらないものの︑中国︵一五︑〇五七人︶や台湾︵五︑八一六人︶︑韓国︵一︑二一二人︶への留学者が増えた︒これが翌二〇一五年には再び英語圏への留学生増となって︑トップのアメリカは変わらず︑カナダ︑オーストラリア︑イギリスがそれに続いた︒参考のために︑図表1の日本学生支援機構︵JASSO︶の調査を見てみると︑文科省の資料とは異なって︑この数年︑留学生は増加の一途をたどり︑しかも急激に増加
資料出所:文科省が OECD, Education at a Glance、ユネスコ統計局、IIE, Open Doors、中国教育部、台 湾教育部等から収集した資料、および日本学生支援機構(JASSO)の調査資料(「協定等に基づく日本人学 生留学状況調査結果」各年版)によって作成したもの。
注 1: OECD 統計は 2103 年から大学間交換留学等の短期留学を除外している。2013 年以降の留学生減少 には一部それが反映されているものと推測される。
注 2:日本学生支援機構の統計には 1 ヶ月以内の短期留学も含まれている。
していることがわかる︒日本学生支援機構の統計には大学間協定に基づく留学︑および協定に基づかない留学︑さらに一ヶ月未満の短期留学も含まれている︒また︑政府はグローバル化政策推進の立場から︑大学間協定に基づく留学には︑一ヶ月未満の短期留学にも補助金を出しており︑それらが増加の一因となっていると考えられる︒その結果︑二〇一五年には留学生の数は約八四︑五〇〇人になった︒ただし︑これら日本学生支援機構の調査の留学生のほとんどは一年未満の短期留学で︑その割合は九七%︑しかも一ヶ月未満の超短期は六一%に上る︒このように短期留学が急増した理由としては︑学位取得を目的にした留学には多額の費用がかかること︑とくに英語圏諸国では一九八〇年代から九〇年代にかけて大幅な政府の政策転換があり︑外国人留学生の授業料が大幅な値上げになったこと︑短期留学の場合は︑比較的容易に大学経由で政府の補助金の支給対象になること︑あるいは学位取得目的の長期留学の場合︑帰国時期が国内の就職活動開始後になることから︑就職が不利になることへの不安などが考えられる︒
もと生学留人国外様︑同合数場の生学留人本日時の
(2) 外国人留学生の数の推移
上を占める中国︵四一二・%︶が群を抜いており︑以ベ にアとしては圧倒的アジが多い︒なかでも全体の四割 こわらかれる︒あでのるか出よのう地身域生学留に︑ 図地表3は外国人留学生のた域も出身者数を示し別 したものの︑長期的には増加し続けている︒ 金融不安や二〇一一年の東日本大震災後の一時期は減少 これまでの最高を記録した︒この間︑一九九〇年代末の らに増加を続け︑二〇一六年には約二四万人にとなって 〇〇一〇年には約一万二︑四〇〇人となり︑その後さ二 人︑〇〇五〇人を突破二〇し︑年には約一二万五︑〇はためじはし増急かそら︒〇しにて万〇一は年三〇二 1 なした︒その後三年ほど微減を続けたのち︑一九九九年 八人〇〇に三︑五約は年となっこの時期のピークをて︑ 生の数は︑一九八〇年代半ばから大きく増え︑一九九五 五︑人九四九に年八七っ一だ八た等教育機関への留学高 ︒日本学生支援機構の調査によると︑けている︵図表2︶ 代によってり変遷を繰的返しつつ︑長期には増加し続
1 ここでいう高等教育機関への留学生とは︑いわゆる留学ビザで入国し︑日本の大学︵大学院を含む︶︑短大︑高専︑専修学校︵専門課程︶の他︑大学入学を目的にする教育施設および日本語学校で学ぶ人々をいう︵日本学生支援機構﹁平成
28査月三年七一〇二﹂果結調年況状籍在生学留人国外度︶︒
トナム︵二二・五%︶︑ネパール︵八・一%︶︑韓国︵六・五%︶台湾︵三・五%︶がそれに続く︒近年の変化をみると︑かつては中国を筆頭に︑韓国︑台湾を含めた東アジア三カ国が主要な留学生の出身国で︑それにマレーシア︑インドネシア︑タイなどが続いていた︒二〇〇〇年代に入ってベトナムからの留学生が徐々に増加しはじめ︑二〇〇六年には台湾に次ぐ四位︑二〇一二年には中国︑韓国に次ぐ三位となり︑二〇一五年にはベトナムが二位︑ネパールが三位となっている︒従来と比較して︑ベトナ
資料出所:日本学生支援機構「平成 28 年度外国人留学生在籍状況調査結果」2017 年 3 月。
注: 2009 年の「出入国管理及び難民認定法」の改正により「留学」「就学」が一本化され、2011 年以降は 日本語教育機関に在籍する留学生も留学生に含まれることになった。それが留学生増加の一因になって いるものと推測される。
図表 3 出身国別外国人留学生の数
(2016 年度)
地域名 留学生数 構成比
アジア 222,627 人 93.00%
欧州 7,986 人 3.30%
北米 3,009 人 1.30%
アフリカ 1,932 人 0.80%
中東 1,674 人 0.70%
中南米 1,390 人 0.60%
大洋州 663 人 0.30%
その他 6 人 0.00%
計 239,287 人 100.00%
資料出所:日本学生支援機構「平成28年度外国人留学 生在籍状況調査結果」2017年3月。
ムやネパールからの留学生急増が目立つ︒こうした外国人留学生増加の背景には︑これらアジア諸国の経済発展があるとともに︑日本政府の留学生拡大政策がある︒日本政府は︑一九八三年︑中曽根内閣の下でアジア諸国を中心に二〇〇〇年までに留学生一〇万人の受け入れをめざすという︑いわゆる﹁留学生一〇万人計画﹂を発表した︒これは若干のタイムラグをもって二〇〇三年に達成された︒同様に︑二〇〇八年︑福田内閣は︑二〇二〇年までに留学生三〇万人の受け入れをめざすという﹁留学生三〇万人計画﹂を立ち上げた︒﹁留学生三〇万人計画﹂推進策の一環として︑二〇〇九年には文科省が国際化拠点整備事業︵いわゆるグローバル
施している︒ では二〇一六年あたりからこれに沿ったプログラムを実 の大学に集中的に補助金を支給するとした︒多くの大学 バル化牽引型として国公私立三七大学を指定し︑これら た︒トップ型として国立大学を中心に一三大学︑グロー 目的に︑いわゆるスーパーグローバル大学事業を創設し 一環として︑英語だけで卒業できるプログラムの推進を された︒同様に二〇一四年には︑グローバル人材育成の 30︶を立ち上げ︑一三大学︵国立七︑私立六︶が採択 は︑外国人留学生増加の主因となっている︒
〇科ルでは八八大学二八研究でこき動のらあれ︒たっ 2 業できる大学・学部は二四大学︑四八学部︑大学院レベ 三〇学︵大四に二はでル%︶三で︑語よる授業のみ英卒 一学︵二〇体四大で二全年の三七%︶︑大学院レベ四七 年々増えている︒英語による授業を導入している大学は はもうかった大学で英語で行授業が導入され︑その数 ら︑はいるあのか前るれのそさ後︑指なこ定れに業事 科れとは別に︑この文こ省特別事業が開始さまた︑
ぶ子ども︑現地校で学ぶ子ども︑インターナショナルス
ら少なくなってい︒これるの本なで校学人学日はにか 3 あった︒帰国した子どもの数はバブル期に比べると若干 三〇〇人︑同年帰国した子供は約一一︑七八︑七〇〇人で 数約で年五一〇二はので海もちある︒外滞在中のこど る生国帰対ゆわいも︑こもとこでの検討象なる人たど 留学生とは異なるが︑海外赴任している社員たちの子
(3) 帰国生
2 文科省﹁大学における教育内容等の改革状況について﹂︵平成二八年版︶二〇一六年一二月一三日︒3 文科省﹁文部科学統計要覧﹂平成二八年版︒
クールで学ぶ子どもといろいろである︒しかし︑日本人学校にいる場合でも滞在国の言語を学び︑あるいは英語の授業時間が多い等︑国内の学校とは異なる︒日本人学校に入学を希望する現地の子どももいて︑日本人学校にいても異文化体験をする︒海外滞在年数も帰国後の年数もそれぞれ違うが︑高校︑大学では英語で授業を行うコースや学部で学び︑あるいは再び海外に留学する子どもも多い︒これらの子どもたちが︑やがてグローバル人材となる可能性は高い︒ただ︑これらの学生たちのうちどれくらいの者が︑後に紹介するグローバル人材を対象にした就職イベントに参加し︑通常の国内生とはちがう就職活動をしているのかは不明である︒そういうイベントに参加する帰国生はいるが︑それほど多くないというのが実態のようだ︒
2 日本企業の海外進出と留学生等の採用状況
以上から︑日本人留学生︑外国人留学生の数は︑時代によって変動を重ねつつも︑長期的には増加してきたことがわかる︒ただ︑日本人留学生については︑二〇〇四年をピークに減少してきたことは先に見た通りである︒ それと逆の動きとして︑短期の交換留学が増えている︒彼らの就職状況についてみる前に︑グローバル人材が必要とされるに至った経済環境︑直接的には日本企業の輸出と海外進出の状況について見てみよう︒
海六RO︶の二〇一年Eの調査によると︑TJ機構︵ からの脱出を海外展開に見いだしている︒日本貿易振興 近年︑国内市場が逼迫するなか︑多くの企業は︑隘路 本製品は世界中に広がっていった︒ ャパンの製品は海外で高い評価を得て︑様々な分野の日 そうした中で︑自動車や電気製品などメイド・イン・ジ 含め︑多くの日本企業は海外に出てビジネスを展開した︒ 過程で日本企業の国際化が声高に叫ばれた︒中小企業も 一九八〇年代末にバブル経済に突き進んでいった︒その オイルショックに直面したものの︑それから立ち直り︑ 型経済構造で成り立っていた︒一九七〇年代には二度の とである︒戦後日本の高度経済成長もそうした加工貿易 の海外進出は︑その余力があればいつでも考えられるこ を輸出するという加工貿易型の日本経済の下では︑企業 原材料を輸入し︑それを加工して製品に仕立て︑それ
(1) 日本企業の海外進出の現状
外への輸出について多くの企業は︑﹁さらに拡大を図る﹂︵七〇・一%︶︑﹁今後新たに取り組みたい﹂︵一一・八%︶︑︵すでに行っている輸出の︶﹁現状を維持する﹂︵一一・六%︶とし︑これらを合わせると実に九〇%以上の企業が現状を維持して輸出を続けるか︑さらに輸出を拡大するとしている
4︒輸出の拡大を図るという回答は︑二〇一一年に五五%だったものが︑二〇一三年には六七%になり︑二〇一五年には七四%に達している︒二〇一一年の東日本大震災の影響で一時は停滞したものの︑それ以降は拡大傾向にある︒ここ数年で見ると︑日本の企業は規模に関係なく︑ほとんどが海外輸出の拡大を考えているといってよい︒実際︑近年︑かつては想像すらしなかった日本酒や日本食の輸出が注目されている︒では︑海外進出はどうであろうか︒海外進出の﹁拡大を図る﹂︵六〇・二%︶と﹁現状を維持する﹂︵一五・〇%︶を合わせると七五%に達する︒これだけの日本企業がすでに海外進出をし︑それを維持するか拡大しようとしている︒東日本大震災のあと二〇一三年から全体の五〇%台に低下していた海外進出企業の割合は︑二〇一六年に
4 日本貿易振興機構﹁2016年度日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査﹂二〇一七年三月八日︒ 再び上昇に転じた︒震災以降の縮小傾向は大企業に見られたが︑これも回復し︑中小企業は上下運動を繰り返しつつ︑やはり二〇一六年に上昇している︒このように︑企業の輸出志向や海外進出は活発で︑それが留学生や外国人の採用拡大の背景をなしている︒そうした中で高い比率で外国人を雇う︑社内公用語を英語にすると宣言する企業や︑そこまで行かなくても外国人社員が入った会議は英語で行うなどの動きが︑この数年︑マスメディアでも注目されてきた︒
︒海外との連絡要員や通訳として︑戸は閉じられていた 5 人門の用採てし対に生学留本日上︑質実も︑で半前代 ど遠い昔のことではない︒国際化が叫ばれた一九八〇年 ても︑採用の門戸を閉ざしていた時代があった︒それほ んのこと︑海外の大学で学んでいる日本人留学生に対し かつて日本企業は︑日本で学ぶ外国人留学生はもちろ
(2) 過去における留学生の採用
5 日本在外企業協会が海外展開している企業に実施した一九八〇年の調査によると︑回答企業七十一社︵調査対象は三百六十社︶のうち︑﹁海外の大学・大学院卒業者にも採用試験の門戸を平等に開放している﹂と答えた企業は二十一社だけであった︵﹁来れ海外学卒者︱国際戦略に欠かせず︑積極採用増える﹂日経新聞一九八二年三月二五日︶︒
あるいは海外用の会社概要やパンフを外国語で作成するために嘱託等︑非正規雇用で採用されるに過ぎなかった︒その理由は︑採用条件に﹁日本の大学を卒業していること﹂とあったこと︑また︑日本の大学を卒業していても︑採用時の年齢制限が厳しかった時代︑日本の大学を卒業してから留学して卒業し︑帰国すると︑すでに二〇歳代終わりから三〇歳代前半になるため︑応募すらできなかったからである
6︒また︑海外留学生の多くを占める私費留学生に対しては︑当時︑日本の企業によってきわめて厳しい評価がなされ︑それが採用にも影響していたとされる
7︒日本の大学で学ぶ外国人留学生については︑外国人であるが故に︑そもそも終身雇用や年功制の対象とは考えられていなかった︒
こうした状況は一九八〇年代半ば以降の国際化の流れ
(3) 国際化の流れと留学生採用
6 筆者は拙稿で︑日本人留学生の日本企業による採用について時代区分を試み︑一九八〇年代半ば以前は︑日本人留学生はほとんど採用されなかったとした︵︵A︶﹁日本人留学生の日本企業への就職事情︑その歴史的経緯と現在﹂﹃労働法律旬報﹄一七六三号︑二〇一二年三月上旬号︶︒7 森俊太﹁日本企業による外国大学卒日本人の雇用の変化﹂﹃海外日系企業と人的資源﹄同文館︑一九九二年︒ のなかで︑緩やかにではあるが変化していった︒第一に︑大手企業の社員を中心に海外赴任が急増し︑それに対応できる人材が必要になったこと︑第二に︑それら海外赴任した社員の子どもたちが海外で教育を受け︑帰国後の受け入れが学校だけでなく︑就職についても問題化されていったこと︑さらに第三に︑一九八〇年代半ば以降の円高の過程で︑円換算でみると留学費用が大幅に低下して︑日本の若者たちを海外留学に向かわせるようになり︑異文化経験をもった人たちが増えていったこと︑等が考えられる︒第一の問題に対して企業は︑赴任前の何ヶ月間か︑赴任先の国の言語や社会事情等について︑サバイバル的な最低限の研修を施したものの︑所詮は場当たり的対応に過ぎなかった︒第二の問題については︑海外で頑張って働いている社員のことを考えると経営側も対応せざるを得なかったこと︑それに押されて政府や自治体も捲き込んだ国を挙げての問題となり︑帰国生受け入れへの対応策が公立の小中学校や高校でもなされるようになり︑それを意識した特別コースや学校が国公私立を問わず設置されていった︒大学も帰国生には特別枠を設けて入試を実施した︒就職については︑一九八〇年代末から九〇年
代にかけて︑海外赴任した自社の社員の子弟を優先的に採用したり︑グループ企業で優先採用したり︑また︑旅行会社や放送局などでは帰国生のみを対象にした採用枠を設けたりする動きもあった
8︒第三の問題については︑これらの多くが私費留学生で占められる日本人留学生については︑その数が急増し︑国際化への時代的な要請もあって︑彼らへの評価も変わり︑日本の大学卒業という応募時の制約が取り払われるようになっていった
9︒
った︒つまり異文化環境のなかで一時期を過ごし︑日本 たのは︑日本の組織文化に馴染みにくいということであ 帰国生︑ときには日本人留学生について一時期言われ っている︒それを次に見てみよう︒ バル人材とされる若者たちを積極的に採用するようにな こうした時代的流れを経て︑近年︑日本企業はグロー
(4) 近年のグローバル化とグローバル人材の採用
8 これら海外赴任者の子弟の特別枠での採用等については︑拙稿︵B︶︵﹁日本企業による海外帰国子女の採用と時代的変遷﹂人間環境論集第一二巻第二号︑二〇一二年三月三一日︶を参照されたい︒9 近年では︑日本の高校を卒業してストレートに海外の大学に進学というパターンも増えてきているため︑このことは大きな意味を持つ︒ の組織文化に適応しにくいということ︑すなわち日本的な職場秩序︑和を乱すということであった︒その結果︑いったんはこれらの若者たちの採用に踏み切ったものの︑それを見直すとした会社もあった︒しかし︑いまや︑こうした状況は大きく変わった︒後に述べるように︑人材サービス会社が日本の国内外で開催する日本人留学生対象の就職イベントが活況を呈している︒そのことが︑何よりもそうした状況の変化を物語っている︒こうした状況の変化は帰国生や日本人留学生に限らない︒図表4は︑株式会社ディスコの外国人留学生の採用に関する企業調査の結果で︑二〇一六年度の外国人留学生の採用見込みを示したものである︒これによる
出典:(株)ディスコ「外国人留学生の採用に関する企業調査」(2015 年11月調査)。
と︑調査が行われた二〇一五年末の段階で五七%の企業が外国人留学生の採用を見込んでいるか︑予定していた︒それは単なる希望なのか︑あるいは実際に採用したのか︒それを見たのが図表5で︑これは二〇一六年度の採用実績を示している︒前年末に採用見込みだと回答した企業より比率は低くなるものの︑それでも四〇%近い企業が実際に外国人留学生を採用していた︒外国人留学生を採用しようという意欲と実際の採用実績はかなりの水準に達している︒このことは経年変化をみるとより明確になる︒ディスコ社の継続調査によると︑外国人留学生の採用見込み︵計画︶は二〇一〇年の段階では二一・七%︑その年実際 に採用した企業は一一・七%であった︒それが二〇一四年では︑それぞれ五四・八%︑三五・九%へと上昇し︑現状では五九・八%と三八・一%になっている
10︒この点に関する企業の変化は明かである︒このように採用の予定および実績がある企業の比率は高いものの︑実際にどれくらいの外国人が雇われているのであろうか︒先に見た日本貿易振興機構の二〇一六年の調査によると︑正社員に占める外国人比率が数%以内という会社が七五%に上る︒大企業の場合︑外国人比率が一%以内と回答した企業は六割近くになる︒少ないようにも見えるが︑それは一︑〇〇〇人規模で一〇人︑一万人規模になると外国人社員は一〇〇人近くいる可能性があることを意味し︑日本人留学生にすら門戸を閉ざしていた時代からすると︑隔世の感がある︒こうしたグローバル化の流れは︑英語の社内公用語化や外国人の大量採用方針につながっていった︒社内公用語を英語にするという動きは総合商社を中心に︑バブルに向かう一九八〇年代末あたりから見られたことである︒
10 ︵
株︶ディスコ﹁外国人留学生の採用に関する企業調査﹂各年版︑および﹁外国人留学生/高度外国人材の採用に関する企業調査﹂二〇一六年一一月︒
資料出所:(株)ディスコ「外国人留学生の採用に関する企業調査」
(2016年11月調査)
しかし︑それが大きな動きとなって︑マスメディアで注目されたのは︑二〇一〇年から一一年にかけて以降のことである︒その過程で注目されたのは︑社内公用語を英語にすると宣言した楽天や︑外国人の採用を半数にするとしたファーストリテイリング︵ユニクロ︶であった︒この時期︑あるいはその後︑多くの企業が英語の公用語化や外国人の積極採用を目標に掲げていった︒
3 人材サービス業の登場と展開
一九八〇年代末︑バブル経済のピーク近くなると︑中小企業も含めて日本企業の海外進出は当たり前のことになっていった︒バブル期は海外に支店があり︑海外でビジネスをしているかどうかが︑いわば会社のステータスにかかわるという風潮もあって︑草木も海外になびいた時代であった︒そういう中で異文化環境の下で仕事ができる人材が不足していた︒従来型の人材育成の仕方︑すなわち社員の中から少人数を選抜して︑海外の大学︵院︶に派遣するというやり方では︑時間も金もかかりとうてい追いつかない︒では︑そういうなか︑企業は経営の国際化に適応する ため人材の国際化にどう対処しようとしていたのか︒また︑そうした環境の下で︑留学生の就職はどうなっていったのだろうか
11︒
接るく︑また︑業の側からす企と留どに生学てっやう のと側からする報企業の情がな学生他︑の約制たしう 採め︑通常は日本企業の用時をこる︒超え齢年限制の ても一般的に日本語の勉強を含め卒業は何年か遅れるた と同じで︑卒業時には二〇歳代後半になり︑そうでなく も問題であった︒自国で大学を出ていれば日本人留学生 きわめて難しかった︒年齢制限は外国人留学生にとって そのため︑留学生たちの正社員での日本企業への就職は 条件︑および採用時には厳しい年齢制限を設定していた︒ ていることという︑ある意味で純血主義ともいえる応募 上述のように︑かつて日本企業は日本の大学を卒業し
(1) 加速する企業の国際化とそれへの対応
では触れない︒ 展かし︑これらの会社がの後どうそ開にこしは︑ていつこかたっいての る︒ーャチンベのあでもたれの系収会買社た︒っあもしや併合く︑多も 経の歴史的なで過の中か触れらら前部が︑る分があ年るそれはほぼ三〇 たれさ照参を︶A稿︵拙はたい︒社だし︑具体的な会い名に触れていて 11記この項の内容は過去の新聞つにの調査によるもので︑その詳細事
触できるか︑その方途がなかった︒いくつかの国の︑それと思われる大学を個別的に選別・訪問し︑日本人留学生を探して接触するにはあまりにもコストがかかりすぎた︒また︑日本で学ぶ外国人留学生を採用するには時期尚早の感があり︑ビザの手続きなどの問題もあって︑これらの問題をどう解決するか︑企業側︑とくに中小企業にはそのノウハウがなかった︒これらの問題は︑とくに中小企業にとって大きなハードルとなった︒というのは︑これら外国人留学生の就職先は現在でも中小企業に集中しているからである︒外国人留学生が卒業後日本で就職するには︑法務省から在留資格を得なければな らない︒図表6は法務省の統計で︑外国人留学生の就職先の企業規模を示したものである︒これによるとこれら留学生の四割弱は従業員五〇人未満の小零細企業に就職し︑全体で半数近い留学生は一〇〇人未満の中小企業に就職している
12︒一〇数年前に比べると中小零細企業への集中度は若干低下しているものの︑現在でも多い︒これら中小企業にとって︑日本人か外国人かを問わず︑留学生の採用にかかる費用を捻出するのは難しいのが実態であった︒
急速に拡大していった︒やがて︑それは留学生の就職に 働者派遣が合法化され︑それによって人材サービス業は 施行された︒これによって︑それまで禁止されていた労 一九八五年六月には労働者派遣法が制定され︑一年後に こうしたなかで登場したのが人材サービス業であった︒
(2) 人材サービス業の登場
︒雇用状況﹂の届出状況表一覧﹂二〇一七年一月二七日︶ ﹁外国人九%である︵厚生労働省﹁・一%︑五〇〇人以上は一九・体の五二 合︑〇一員業従労場の者働未般一〇人満国全は働労人者外働で業企のく 業への就職が多くなる︒統計の取り方が違うので単純比較はできないが︑ 場大卒の企合は大べて比一は般も大きな違いなにい︒ただ︑一般労働者 12働い中小企業での就職が多いとう労点では︑留学生大卒も者国人外
資料出所:法務省入国管理局「平成27年における留学生の日本企 業等への就職状況について」2016年10月28日。
も業務を拡大していった︒日本人の海外留学生の日本企業への就職が︑新卒の正社員として定期採用の対象になりはじめたのは一九八〇年代半ば以降のことであった︒人材サービス各社は留学生を対象にした就職情報誌の発刊や︑ホームページでの情報提供︵これは後年になってからのこと︶︑日本の春から夏にかけての時期︵アメリカでは年度替わりの長期休暇︶や年末のクリスマス休暇で一時帰国している留学生を対象に会社説明会や面接会等の就職イベントを開催して︑学生と企業に採用・就職情報を提供し︑双方に接触の機会を与えた︒それは︑互いの情報が欠如していたそれまでの企業の採用活動︑留学生の就職活動のあり方を一変させることになった︒人材サービス業のなかの一部の企業は︑まもなく海外に進出して現地法人を設立し︑現地で日本人留学生を対象に就職イベントを開催し︑会社説明会や面接会等の機会を提供するようになった︒そうした動きはまずアメリカからスタートし︑やがてアジアやオセアニア諸国等︑他の国々︑地域にも拡大していった︒
の数はその後も増えつづけ︑留学ブームが衰えることは めていった︒しかし︑バブル期に急増しはじめた留学生 こうした留学生採用熱はバブル崩壊とともに急速に冷 八九年に現地法人を設立した︒ 説明会﹁キャリアフォーラム・イン・USA﹂を開催し︑ ィスコは一九八七年︑ボストンで留学生対象の合同企業 ップメントインタナショナルもこの年参入している︒デ 法人を設立している︒ソニーグループのキャリアデベロ ンポラリーセンター︵現パソナ︶がロサンゼルスに現地 いった︒一九八五年には他の業界大手のリクルートやテ その後まもなく︑この動きは他の同業者にも波及して にまたがる人材紹介業をはじめた︒ つ日本マンパワーはアメリカに現地法人を設立し︑両国 であった︒一九八四年︑当時人材紹介業の最大手のひと リカ進出が始まったのは︑一九八〇年代半ば以降のこと るという実態があった︒こうした人材サービス業のアメ も︑留学先の筆頭に来るのはいつの時代もアメリカであ リカ合衆国であり︑時代によってその数に変動はあって た背景には︑最も多くの日本人留学生が向かう先はアメ 人材サービス業の海外進出がアメリカからスタートし
(3) 人材ビジネスの海外進出はアメリカから
なかった︒また︑バブル崩壊後も経営の国際化は進行していった︒二〇〇〇年代に入ると︑ますます多くの人材サービス会社がアメリカに進出していった︒二〇〇一年にはダイジョブ・ドットコムや外資系人材サービス会社AIGスタッフはアメリカの人材会社と提携し︑これら現地企業の情報力を利用するかたちで参入していった︒二〇〇二年にはニフコがジャパンタイムズと提携し︑日本人留学生や国内にいる外国人留学生をも対象にした就職・転職サービス専門のサイトを立ち上げた︒二〇〇三年には︑ユニバーサルコンツェルンがアメリカのNPO団体の協力を得て︑日本人留学生対象の就職情報の提供を開始した︒同様に︑二〇〇五年にはクイック︑二〇〇六年にはプロフェッショナルバンク︑二〇〇七年にはエヌシーネットワーク︑スタッフサービス︑ジェイエイシージャパン︑パソナグローバル︑KOA︑ラクト︑テンプホールディングス︑外資系のロバートハーフジャパンがアメリカで事業を開始した︒さらに︑二〇〇八年には毎日コミュニケーションズ︑ウェブドゥジャパンがそれぞれアメリカに進出した︒二〇一一年になるとフォースバレー・コンシェルジュが新規参入し︑地域を限定しない日本人留学生向けの就職支援サイトを 開設した︒これらは二〇〇〇年代末までの業界の動きであるが︑その後も多くの新たな人材会社が立ち上がり︑留学生等を対象にしたグローバル人材領域に参入していった︒しかし︑多くの人材サービス企業は︑後述のような大規模なセミナーやイベントを開催するというよりは︑個別対応で︑すなわち得意先の企業の依頼にこたえ︑あるいは就職・転職を希望する留学生や留学経験者等の要請に応じて︑対応していたといってよいだろう︒いずれにしても︑このように海外留学生等を対象にした就職支援ビジネスは︑まずアメリカで開始され︑拡大していった︒また︑この業界にとって現地での情報が重要であることから︑現地の同業者や大学との提携をとおして事業展開を行うなど︑ビジネスの仕方も多様化していった︒
ポールへの進出を計画していた︒また︑日本にいる外国 はガンシ港︑香や湾台にですに年六八九一は︑ーワパ にとどまらず︑他の地域へも拡大していった︒日本マン 人材サービス業のこのような動きは︑やがてアメリカ
(4) アジアやヨーロッパへの拡大
人留学生に対して︑日本滞在中のアパートやアルバイトの紹介を行い︑卒業時には就職をあっせんするという戦略的な対応をおこなっていた︒背景には︑一九九〇年代に日本人留学生が増えたというだけでなく︑日本に来る外国人留学生も増えていったということがある︒このようにアジアからの留学生が増え︑一九八〇年代の半ば︑アメリカからスタートした海外における人材紹介ビジネスはアジア各地でも展開され︑さらにヨーロッパやオセアニアなど他の地域にも拡大していった︒こうして海外に進出した人材紹介ビジネスは︑海外に出て行った日本人留学生と︑日本で学ぶ外国人留学生で日本企業への就職を希望する学生たちを対象に拡大していった︒
4 留学生対象の人材サービス業の活動内容
以下は︑人材サービス企業の聞き取り調査に基づくものである︒聞き取り調査については︑残念ながら多くの場合協力は得られなかった︒以下に紹介する内容は︑好意で調査を受け入れていただいた会社の担当者から提供していただいた情報や見方である︒その際︑会社名を出さないこと︑追跡ができないような書き方に配慮するこ とを条件に受け入れていただいた︒したがって︑ここでの紹介も︑あえてA社︑B社等ともせず︑聞き取り調査の結果をすべて文章の中に埋め込んで︑会社の概要も規模等も紹介しないことにした︒調査を受け入れてくれた会社は数社である︒会社名を出して言及している場合もあるが︑それは新聞記事で紹介されていたり︑ホームページ等で公表されている場合に限定されており︑今回の聞き取り調査とは関係ない︒すでに触れたように︑人材サービス会社は国内と国外でビジネスを展開している︒性格が異なると思われるので︑国内外を分けて紹介︑検討することにする︒
企業や留学生等の数は︑主催企業によりまちまちである︒ 的である︒言うまでもなく︑これらのイベントへの参加 期の年二回︑東京や大阪で実施するというのが最も典型 のクリスマス休暇を利用して日本人留学生が帰国する時 の長期休暇︵日本の春から夏にかけての時期︶と︑年末 ントを開催している︒アメリカやヨーロッパの学年末後 は︑留学生等を対象にした大規模な就活セミナーやイベ 国内で最も積極的にこの事業を推し進めているところ
(1) 日本国内で行う就活イベントとその特徴
しかし︑大規模なところでは︑たとえば二日間やって参加企業は数十社〜二〇〇社以上︑参加留学生の数は延べで二〇〇〇人〜四〇〇〇人︑あるいはさらに多くの企業や留学生が参加することもあるようだ︒ホームページによると︑たとえばディスコ社は﹁日英バイリンガルのためのキャリアフォーラム﹂と銘打って︑東京と大阪で就職イベントを開催している︒同様に︑マイナビは﹁国際派就職EXSPO﹂として︑やはり東京と大阪で︑パソナは﹁JOB博﹂として︑東京︑名古屋︑大阪で実施している︒イベントの中心的対象は︑海外の大学を卒業見込みの日本人留学生と日本の大学を卒業見込みの外国人留学生であるが︑帰国生も参加する︒日本人留学生に関する参加資格の目安は留学期間一年以上とみてよいだろう︒そう考えると︑先に見た交換留学生は︑そのほとんどが滞在期間が一年未満︑しかも一ヶ月未満が過半数を占めていることから︑こういうイベントの対象外ということになる︒ただ︑人材サービス企業の事業は多様化してきていて︑たとえばディスコ社のホームページによると︑これとは別個に交換留学生や社会人対象のイベントを開催し︑ま た︑オンラインでのスカウト採用も行っている︒ダイジョブ・ドットコムは転職者対象のグローバル人材転職フェアを開催している︒交換留学生については︑半年や一年未満の交換留学生は︑三年〜四年学んで学位を取得し︑帰国する学生に比べると︑語学力においても︑異文化体験の内容や質においても異なり︑これらの者に対する企業側の見方やニーズも異なるという判断によるものであろう︒しかも︑近年︑この短期の交換留学生が急増しているのは先に見た通りである︒オンラインでのスカウト採用は︑希望する学生の履歴書を企業が閲覧できるようにし︑企業がある学生に興味を持てば︑その学生に連絡できるようにするシステムである︒帰国生については通常の就活をしていることが多く︑こういうイベントに参加するかどうかは︑その学生が海外の滞在先で通学していた学校のタイプ︵日本人学校か現地校か︑あるいはインターナショナルスクールか等︶や︑語学力︑経験の範囲︑海外での滞在年数︑帰国後の年数︑その人の考え方等で異なるであろう︵海外赴任は三〇歳代︑四〇歳代が多く︑子どもは幼稚園から小学校段階が多い︒実際︑二〇〇四年の帰国生の六割近くは小学生であった︶︒また︑社会人については︑とくに留学
経験があるとか海外勤務の経験がある︑あるいは外資系企業への関心等で通常の転職とは異なるところがあり︑また︑これらの者については企業側のニーズも異なるということであろう︒
通常の説明会との違い
上述のような留学生等を対象にした就職イベントは︑通常の日本人学生対象の就職イベントと違う︒それは前者では説明会だけでなく︑その場で面接まで行うことが多いということであろう︒イベントを主催する方では説明会ブースの他に︑面接ブースも設けている︒面接ブースを利用するかどうかは参加企業の意向しだいで︑必ず面接をやるということではない︒また︑面接ブースを利用すると追加の費用がかかる︒こうしたなか学生は履歴書を持参し︑また︑イベント開催企業の方でもその旨学生には指導しているようである︒面接の結果︑企業の方はその場で即日内定を出すこともある︒これが通常の会社説明会との最大の違いであろう︒通常の就活イベントで即日内定が出ることはまずない︒もちろん︑その場で内定を出すかどうか︑何人に出すかも企業によって異なるが︑それなりの数の学生は内 定を得ているようである︒日本的な企業組織への適応
日本人留学生や帰国生は扱いにくい︑日本の企業組織に馴染みにくいとして︑かつて採用の見直しをした企業もあった︑ということにはすでに触れた︒しかし︑イベントを主催する側の担当者は︑グローバル系の就職イベントに参加する企業は︑そういうことを承知の上できている︒そういうケースがないとは言えないが︑以前に比べるとずっと減ってきているとみる︒また︑企業が留学生に求めるのは︑語学力はもちろんあるが︑それ以外にチャレンジ精神やバイタリティ︑積極性︑行動力などで︑少しぐらい尖っていても︑むしろそれが社内の活性化につながっているという見方もある︒たしかに留学するということは︑言葉や大学での勉強だけでなく︑友人や人間関係など日常生活でも相当の苦労は避けられない︒若者の内向き志向が言われるなかで︑あえてそういうことに挑むという姿勢は︑とくに海外展開をしようという企業にとっては重要であろう︒留学に対する語学以外の面での評価が高いことは︑経団連の企業調査でも確認できる
13︒イベントを主催するある企業の担当者はこうも見る︒たしかに留学生や帰国生は扱いにくいという見方はあったと思うが︑それは近年大きく変わってきているのではないか︒国際化とかグローバル化は何十年も前から言われてきたが︑二〇一〇年前後の数年でその意味するところは大きく変わってきた︑と︒たしかにその頃は︑政府がグローバル化に向けて具体的に動き出し︑財界もそれを政策化し︑大学その他の教育機関にグローバル化に向けた改革を提言した時期でもあった︒他方︑この時期︑大学も送り出し︑受け入れも含め︑留学生の増大に動き出し︑あるいは英語で行う授業の導入や拡大を行い︑さらには英語だけで卒業できるコースや学部︑学科︑専攻科を開設したり︑増設したりした︒
︒ケート結果﹂二〇一五年三月一七日︶うが︑いまは数ヶ月か半年の︑半分旅行気分の語学留学 育け向用活成・材の求人ルバーロてにめにらンアるす関み組り取るれ する人たちだ︒この辺の見方は企業も共通していると思 視力学語れ︑さジ重ずまが神精そはいのあ次連﹁団経る︵グでこうとと 一年以上としているので︑参加する人たちはそれに該当てい言る︒いとっな位三えは換とると︑異文化験理解︑チャレンョン経 シ位ー精神を持ち続けるが一位︑二﹂をよケ占ュミコるニに国外め︑語社でも留学生等を対象にした就活イベントで留学経験は に姿るす応対ち︑軟柔持を心﹂︑勢概﹁れ既ンレャチず︑ジわ成とに念ら グか︑うい験とー経﹂学留レンゾーかもしれない︒当﹁ られる人材の資質として︑﹁海外との社会・文化︑価値観の差に興味・関 語学留学については︑こうも見る︒果たして︑それを13 のをがグローバル展開進企めるなで求め団経業と︑連調るか査によ ものである︒ 換留学でもよいということになるかもしれない︑という OEICで八〇〇点台の点数を持っていれば︑短期の交 ればよいという場合もあり︑そうであれば︑たとえばT る︒ただ︑すべてがそうではなく︑ある程度会話ができ れる場合は正規入学し︑学位を取得することが前提とな か︒会計とか工業技術︑ITとか専門的な知識を求めら どういう職種に就くかによっても違ってくるのではない 会社の担当者は以下のようにみていた︒それは入社後に い︒企業はこれをどう評価するのか︒ある人材サービス 学まであり︑しかもその中には語学研修だけのものが多 は二〜三週間から一ヶ月︑あるいは半年や一年の交換留 る︒学位取得を目的にした典型的な留学の他︑短い場合 一時代前と違って︑いま﹁留学﹂には多様な形態があ
﹁留学﹂の評価
も多くある︒果たして︑それに企業が納得してくれるか︑難しいのではないか︒ただ︑英語試験で高い点数を持っていれば説得材料のひとつにはなるかもしれない︒もっともな意見のように思えるが︑グローバル化の名の下に︑大学はいまそういう微妙なグレーゾーンの﹁留学﹂を量産しており︑それは政府のお墨付きとなって補助金ももらえるというのも事実である︒
社会人や公共機関の参加
就職イベントへの社会人の参加は︑多くないのが実情のようである︒就職イベントは現役の大学生が中心であり︑また︑社会人で仕事経験のある人は︑エージェントを経由して個別に就職活動をする人が圧倒的に多いという︒そういう実態を反映して︑人材サービス会社の方も社会人の参加を想定はしているものの︑積極的な広報活動をしているわけでもなさそうである︒ただ︑先に触れたディスコ社のように︑社会人を別枠で扱っているところもある︒実際︑少ないとはいえ︑イベントへの社会人の参加はあり︑中には企業派遣で留学し︑帰国して参加するというケースもあるようだ︒転職に対する考え方が変わってきたということであろうか︒そういう人たち は会社に不満があるというよりも︑キャリア志向が強く︑自分のキャリアアップを考えての行動という側面が強いのではないかというのが︑イベントを主催する側の担当者の見方である14︒時代の変化を感じるのは︑国連機関や国の省庁︑都庁など公共機関の参加である︒国連機関については︑日本が負担している拠出金の額に比して︑日本人職員が少ない︑それは国際機関で仕事ができる人材が少ないからということが︑以前から言われていた︒公務員の場合は採用試験に合格しないと採用はないが︑留学生は実情を知らないが故に受験してくれないということもあり︑広報の一環として参加しているということのようだ︒したがって︑これに関しては先に触れた即日内定ということはない︒
あったようだ︒ い制度自体の否定につがりかねななとつし社会たっぶもをてえあて︑目 が︑事たしうそもたっあ業企たを態け避を留ば︑れじ講学策しとうよて に費たっかかは︑学留合場たの用て一部を返還し職もらうことにしし退 慮こしているというこにがあった︒とれ一に以限年定内後帰はていつ国 帰職転に後国たが員社きてしするケースが増えて︑企業が対応に苦勉強 14か一九八〇年代から九〇年にで学ての時期︑企業派遣で外国の大け
年たただ︑企業の方もこうしや加企業・学生はそれぞれ数十社から二〇〇社︑数千人〜り方に慣れてきた二〇一〇 参加は多いところでは︑たとえば連続二日間やって︑参内定を出し︑相当数の学生たちが内定を得ているようだ︒ 内定を得ているかは知り得ないが︑かなり多くの企業がて若干の波もあるが︑長期的には増加傾向にあるようだ︒ が渡米することもあった︒参加学生のどれくらいの人がい者数もに減少したとこうともあり︑年によっ参加と よいだろう︒かつては採用決定権を持つ担当重役や社長二〇〇八年のリーマンショックの後など︑参加企業数︑ 同時アメリカの場合︑二い︑そういう双方のニーズが結びついた結果だと言って〇〇一年のやロテ発多 留学生の側も限られた時間︑機会の中で早く内定がほしイリンガルの就職イベントを開催している︒ いうことがある︒企業側はほしい人がいれば取りにいき︑本人留学が多いことから︑ディスコ社は︑上海で日中バ 開催している︒日本に来る中国人留学生︑中国にいく日国内の場合以上に︑双方が会える機会は限られていると メリカ︵ニーヨーク︶とオーストラリア︵シドニー︶でそうしたことの背景には︑採用する側もされる側も︑ もあることは国内開催について述べたと同様である︒︶と開ー︶して海上国︵ニ中︑催る︒ドマアもビナイい ︵シの他の国ではイギリス︵ロンドン︶︑オーストラリア履歴書持参で面接に臨み︑企業側は即日内定を出すこと 会場では説明会ブースと面接ブースが設けられ︑学生はカではボストン︑ロサンゼルス︑サンフランシスコ︑そ っている︒ディスコ社のホームページを見ると︑アメリ人員面から難しい︑というのが実情のようだ︒イベント の開催は一九八七年で︑それ以来約三〇年間継続してや海岸が中心になり︑内陸部まで手を伸ばすことは費用や アメリカの場合︑場所的には学生数が多い東海岸と西地域で継続してやっているのはディスコ社である︒最初 て就職の機会を探しているということであろう︒ると︑大規模に︑しかも長年にわたって︑広く世界の各 期が日本の就活時期とズレているため︑積極的に参加しやり方にはかなり違いがあるようだ︒ホームページで見 いて︑企業と接する機会が限られており︑また︑帰国時る人員にも制約があるため︑イベント開催企業によって︑ 業側にも採用したいという意欲があり︑学生側も海外に海外の場合は費用もかかり︑ノウハウにも︑対応でき
(2)
一万人近くになることもあり︑規模は非常に大きい︒企海外での活動
前後になると︑即決的な内定は︑ブームになった一時期に比べると減っているようである︒留学生の方も次第に就活のやり方に関する情報が流通し︑慣れてくると︑かつてのように慌てる必要はなくなったという事情がある︒
5 その他の留学生就職支援事業 以上は民間企業の人材サービス業を通した留学生の就職事情であるが︑それ以外にも収益を目的としない留学生たちの就職支援もある︒ここではそれについて簡単に紹介しよう︒この領域では九〇年代は︑留学生の採用が意識されはじめたという程度で︑積極的に留学生の就職支援に向けて動くということはなかった︒そうしたなかで注目されるのは︑一九九〇年一一月にラビコムが立ち上げたユースボウル・ジャパンという組織である
15︒これは︑日本企業への理解を通して外国人留学生の日本理解を深めようという︑産官学協同による組織で︑企業見学などを通して︑将来の国内外での日系企業の採用につなげようとい
日経産業新聞︑一九九〇年一一月七日他の関連記事︒ 15 ス﹂会立設ンパャジル・ウボ総ー就ユ﹁学生の留職人援社団法支 九業企員に会は後年社〇万︵入会金100円︑年会一費 発にたるメンバーが起人や理事名タ︒たしトをースてね連 田か稲早はら応側学大︑省学大な︑表々慶︑ど錚代の学大 やラ︑セコムなどの社長会長など︑官界からは大蔵セ京 設︑サ船︑大和銀行︑鹿建堂︑島ントカトヨーーイ︑ーリ そが立発起人代表となり︑設の他︑産業界からは三井造 肩︑名氏藤︵学吉瀋き書長はのもい衛︶のの時もれず当 東うものであった︒JRの日本山下勇長︑亜細亜大学会
団財からは厚労省と科省︑文界日か営経本者の当はら時 就関に援職学の生留﹁るす支連設側絡政︑け府を﹂会議協 経が足不験雇の用留生学課と題たしでこそ︒きてえ見て 関報情るす足に職就ので不はがて国外︑人っ側に業企と 施そ︒たし査実を調態結の実果っ本日はて︑と生学留に 支りあの援の職就生学留方﹁いにを︑つ置設し﹂会談懇のて 〇は省労厚︑年一〇二︒議らの職問題が就論なっていくに 国いが化際らの済経さそっにう伴彼進てっ︑にこたし展と が日︑え増留生学人国外本でのも就︑え増に生む望を職学 動ら見はき目たっ立に外れ以いな九︒年〇九代一︑しかし らこうした動きにもかわかず代︑れ︑はそ年〇九九一 に生約一︑〇〇〇人い達していたとう︒人学 60本人円︶︑学生会員は外国留日学生約一︑二〇〇人︑万
体連盟︵日経連︶や商工会議所︑大学側からは各大学の就職担当者︑その他NPOや人材サービス会社などが参加した
16︒しかし︑そうしたなかで実際に留学生の就職支援に向けて動き出すのはもっと後のこと︑二〇〇〇年代半ばないしは後半以降のことである︒このころからいろいろな動きが見られるようになるが︑それらの動きにはいくつかのパターンが見られる︒当事者間で相互に連携や協力関係があるため明確に区別できるわけではないが︑大きく分けると以下のようになる︒第一は︑どこが主導するかは別にして︑産官学または産学連携によるもの︑第二は︑大卒の採用難や海外展開のための人材の必要性から︑優秀な留学生を採用したいが個別企業では難しいという地元企業のニーズを背景に︑地方自治体が主導するもの︑第三は︑地域の経営者団体︵主として商工会議所︶が主導するもの︑第四は︑民間企業などの協力を得て大学が独自に行うものである︒上で触れた二つのケースは第一のパターンで︑民間企業もしくは厚労省が主導したものである︒他に﹁埼玉国際
二〇〇一年七月一二日︒︒への就職支援を開始した︒様同の動きは京都でも見られた 16 聞︑連新経日﹂討検し足﹄協絡発省﹃就﹁労学生の留職支援厚を 興を﹂構機学振術業産おとのし生て企元地業学留人国外 る︑年同︒せいて九さ展北体州団市九北﹁州郭外の市は 〇に年八〇を二︑し設創はそれ明を発とへ会説業企同合 企業就で業験ーャチンベ体小でシき制プッ度ンイーるンタ 二ば大のケースである︒阪〇〇は六の内府中府阪大︑年 な第二の自治体が中心とうっはえとて︑たンータパ行 ンシップを実施するとで合意した︒こ な企内道生的来将のへ業の就たーンイめタるをす職推進 五や小樽商科大学など道内人大︑学学留外国てし携連が 所幌商工会議学と北海道大︑札には年七〇〇二︒るいて ヘどなスルるルタンメむも含生じ始を動活め応談相活に や体団済経自体治元地連と題携のし問職就や生留︑て学 ﹁学ちいあ大が学九四支生︑援ムコ創設を﹂しアシーソン ものもある︒たとえば︑〇〇二で四県︑は内県知愛に年 経営外団体と連携して︑者国職うを行援支人就生学留の まくい︑たい︒るてしかつのや地大体治自元で同共が学 を︑に的目〇進推用雇の二催〇面五開を会接年毎らか年 人業企小中も内県︑でのの環材し育学留て生と一の策成 た玉県︑さいま市︑さいたま同商し置設た共所議会が工 ーンセトスポサネジータあ﹂のケースがり︑これは埼ビ
二〇〇八年︑京都府は府内の大学で学ぶ留学生のために会社見学会を催したり︑企業の人事担当者との意見交換の場を用意したりして︑将来外国人留学生の地元企業への就職につなげる活動を開始している︒ほぼ同じ時期に同じような動きが福岡でもみられた︒福岡県は︑九州大学など地元七大学および県内四つの商工会議所と連携して﹁福岡県留学生サポートセンター﹂を立ち上げ︑留学生の生活や就職の支援を開始している︒いずれも独力では留学生の採用が難しい地元企業に呼びかけ︑いずれは海外展開の担い手となる人材獲得をめざすものであった︒第三は地方の経営者団体によるもので︑様々な地方で行われている︒初期のものとしては︑岡山県中小企業団体中央会が二〇〇五年に開催した︑地元企業と留学生の交流会がある︒岡山県内の大学で学ぶ留学生を対象に︑企業の担当者と留学生が面談をするというもので﹁勤務地は上海﹂とか﹁インド方面の営業マン﹂など︑具体的な条件を示して説明がなされていたとされる
17︒自治体の動きの中で対応が徹底しているのは埼玉県である︒県は二〇一三年に﹁グローバル人材育成センター埼玉﹂を創設
年一〇月一四日︒ 17 経交流会﹂日聞新就︑〇〇五職二の︑初﹁岡の企業山外︑人留学生国 とるげな職つに就なうい設ものであったが︑置当初か的ら 開と隔月で研究会を催し企業の情報交換を通して︑将来 任をッタスフ専︑に長室置二人くりと︒たあでっぶ充うい実 ︒態の援そ始たし開はを勢ト︑リクルー出身の副理事を 室アトーサ学リャキ生を﹂ポ設生支職就の置学留︑てし 最人外の多ので中学学大の留国生東を﹁は大留たてえ抱い ケあでスー大の学京東はンる二︒当日︑時本︑年四〇〇 組第四は個別大学による取りみ︑その典型的パターで
いる︒ 18 をの目的とする高校生対象教育活動を行ったりして理解 を化てした奨学金制度つくっ文異留学を推奨したり︑︑ 在本日の住生内県︑にらさ人に学を対象︑留学を目的と 留県の生学支人国外にくと内企業しへ︒るいて援を職就の 年︑毎をれそンし画企をトベ開催しにて︑げなつ会接面るい ︑県が生学国ずわ問を人内外業企様とイな々るきで触接 ーガ京東︑ル本ビンリキやなスど︑るが人本日︒いてし加参 む機政玉五︑含を局働労関行賛N助東TT日てしと員会 六議会の会として県内一員大︑学協運埼営体済経五団︑ とてし営関機G運︑し﹁営協GS運議会を立ち上げた︒﹂
八月時点︒ 18ロホ年七一〇二ら︒かジーペムーのーグ埼ータンセ成育材人ルバ玉
松下電器︵当時︶など二六社が参加を表明していた
19︒明治学院大学も二〇〇六年︑外国人留学生だけを対象にした就職ガイダンスを開催して︑留学生の就職支援を開始した︒二〇〇八年には帝京大学が︑留学生の就職支援をテンプスタッフに委託し︑支援を開始している
20︒近年になって︑東大や早稲田︑明治の各大学は学内で会社説明会を実施している︒他方︑立教大学や法政大学では学内で就職ガイダンスを行い︑名古屋大学は日本貿易振興機構と共同で二〇一六年に初めて留学生対象の就職イベントを開催するなど︑留学生の就職支援を行っている︒これらの中には参加学生が三〇人〜五〇人の小規模のものもあるが︑状況は変わりつつある︒ただ︑多くの大学では未だ手つかずの状態にあるといってよいであろう︒これら以外にも︑変わったところでは︑在日本大韓民国民団︵民団︶による就職支援がある︒韓国が留学生の多い国の一つであることは先に見たとおりであるが︑民団
一四日︒ 19東経月九年四〇〇二聞︑新業産日大︑﹂﹁新室援支職就の生学留設
産業新聞︑二〇〇八年七月三一日︒ 20 援︑経日﹂託受らか京帝ずま大支タ職テンプス﹁ッ留学生の就フ︑ わ況の中で行のれたもである状︒ か学で見た︑様々なたちの留生のなうよのこは援支職就 あ二年一〇〇︑は化ルバりたてをい上堺たっ︒し開展急に し生学留て︒うこ採いな得の材用人・ログのーむ含を職就 大られも学政も府以上︑生学この職支援を考えざるを就 こ学留られの︒るす応呼に生望多就くを職むの本日がで 人の生学留は国外府政幅大本増大をれそが学︑しに標目 政育教の府援︑はにき動のグーロがバ日︒るあ響影の化ル いしにれず見︒るれらもてが︑生支職この就学留たしう あ徴特ういとるはで専るいとんどがほ門生校への留学学 関就るす与やが体治自関イ職にベトは︑その多く︑あン て人の間民のしと主︑はサ材企ース業であり︑政府機ビ ︑留人本日圏り限るみで都学生の職支援を担っている就 含は援支職発の生学留︑め活就に︒首︑だたなたいてっっ 一か前年〇後〇二のこはら後︑日本人の海外留学生も 加も多いいとう︒ こ就には韓国関連の企業このへ職望む日本人学生の参を 参も業企行︒るいてっ国韓加関︒連しだた︑いが多業企の ︑は就職フェアを開催し就主に韓学生の職支援を留国人
終わりに日本企業が日本人留学生や帰国生を正社員として採用しはじめたのは︑一九八〇年代半ば以降のことであった︒男女雇用機会均等法ができて総合職に女性が採用されはじめたのも同じ時期であったが︑総合職を数百人採用するような日本を代表する大企業でも︑女性の総合職採用は一人か二人というのが実態で︑男女平等は形式だけではないかと新聞や雑誌で批判された︒留学生採用の初期も当たらずとも遠からずの状態にあった︒他方︑一九八〇年代末︑日本経済はバブルの頂点に達したが︑そこに至る過程で企業の海外進出はあたり前になるなか︑企業側も海外での生活・教育経験をもつ帰国生︑海外の大学で学んだ留学生の採用を考えていた︒しかし︑どうすれば留学生に接触できるか︑日本の企業は五里霧中の状態にあった︒そうした状況に風穴を開けたのは人材サービス業であった︒それは︑労働者派遣法が制定され︑人材サービス業が大きく動きはじめたときでもあった︒人材サービス企業は︑留学生等を対象にした就職イベントを開催し︑企業と留学生の橋渡しをするようになっ た︒イベントは国内だけでなく︑海外でも行われるようになった︒海外はアメリカからはじまり︑ヨーロッパ︑現在ではアジア諸国でも行われるようになっている︒日本人留学生を対象にスタートしたイベントには︑やがて外国人留学生も加わり︑二日ほどのイベントで参加者数が千人単位に拡大し︑海外では延べ数千人から一万人近くにもなるほどの規模になっていった︒時代の変転のスピードは速い︒二〇一〇年前後からは︑留学生等の雇用に関連する機関も彼らの就職に関心を示し︑具体的に動き始めた︒留学生を受け入れ︑送り出している大学︑彼らの採用を考える企業︑そういう地元企業のニーズに応えようとする自治体︑あるいは経営者団体も︑留学生等の就職支援に動き出した︒こうした過程を経て︑現在では日本人留学生だけでなく︑日本企業の四割近くが外国人留学生を採用するまでになっている︒ただ︑ほとんどの大学は留学生を送り出し︑受け入れるだけで︑彼らの就職に必要な情報やノウハウを持っているわけではない︒異文化の影響を受けた日本人留学生たち︑異文化のなかで育ってきた外国人留学生たちを︑どう企業や機関に結びつけていくか︑また︑受け入れた企業や機関は彼らをいかに活用していく
か︑それがこれから問われていくであろう︒その過程で︑国内外で︑少しずつとはいえ︑日本人以外の労働者だけでなく管理職も増えてくると︑採用や賃金︑昇進︑労働時間︑転勤などのあり方も含め︑伝統的な日本的雇用が改めて見直し︑修正を迫られることになるであろう︒人材の多様化とかグローバル化は未だ緒に就いたばかりで︑これからその真価が問われることになる︒