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同志社専門学校高等商業部に関する一考察

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同志社専門学校高等商業部に関する一考察

著者 川満 直樹

雑誌名 同志社商学

巻 66

号 5

ページ 901‑921

発行年 2015‑03‑15

権利 同志社大学商学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013944

(2)

同志社専門学校高等商業部に関する一考察

川 満 直 樹

Ⅰ はじめに

Ⅱ 同志社専門学校高等商業部について

Ⅲ 同志社専門学校高等商業部で学んだ者たちについて

Ⅳ 結びにかえて

Ⅰ は じ め に

近年,個別の高等商業学校(以下,高商)に焦点を当てた研究が盛んに行われ,近代 日本の経済界,ビジネス界を支えてきた者たちについて多くのことが明らかになってき た。例えば,三鍋太

1

朗は官立の高等商業学校卒業生,具体的には神戸高等商業学校,名 古屋高等商業学校,山口高等商業学校,彦根高等商業学校を取り上げ,それらを都市部 にある高商と地方にある高商,第一次世界大戦前に設立された高商と

1920

年代以降に 設立された高商などに類型し,先に上げた四つの高商を卒業した者たちの就職状況につ いて分析を行っている。また木山

2

実は,同志社ならびに関西学院高等学部商科の卒業生 と商社マンに焦点を当て,私立学校の卒業生が戦前の商社でどのような活動を展開して いたのかを明らかにしている。それ以外にも原直行・梶脇裕

3

二や山田浩

4

之らによる地方 の高商に関する研究,また長廣利

5

崇による戦間期に高商が学生に対して行っていた就職 斡旋などについての研究,等々があ

6

る。また,忘れてならないのは天野郁夫の一連の研

────────────

1 三鍋太朗「戦間期日本における官立高等商業学校卒業者の動向−企業への就職を中心に−」『大阪大学 経済学』第61巻第3号(大阪大学大学院経済学研究科,201112月)。

2 木山実「小林正直論−戦前期同志社出身の商社マン−」『同志社商学』第63巻第5号(同志社大学商学 会,20123月),同「関西学院高等学部商科草創期の卒業生と貿易商社」『商学論究』第60巻第1・2 合併号(関西学院大学商学研究会,201212月)。また関西学院大学商学部については福井幸男「関 西学院大学商学部の源流を探る(1)−貿易港神戸の発展と人口爆発−」『商学論究』第60巻第1・2 併号(関西学院大学商学研究会,201212月),同「関西学院大学商学部の源流を探る(2)−貿易港 神戸への企業進出,神戸市三大事業そして高等商業学校の登場−」『商学論究』第60巻第3号(関西学 院大学商学研究会,20133月)なども参照のこと。

3 原直行,梶脇裕二「高松高等商業学校卒業生の進路と昇進」『香川大学経済論叢』第78巻第2号(香川 大学,20059月)

4 山田浩之「彦根高等商業学校生の社会的属性−地方高等商業学校の社会的機能−」『松山大学論集』第 10巻第1号(松山大学,19984月),同「戦前における地方高等教育機関の社会的機能−松山高等商 業学校を中心として−」『松山大学論集』第11巻第5号(松山大学,199912月)。

5 長廣利崇「戦間期日本における高等商業学校の就職斡旋活動」『大阪大学経済学』第63巻第1号(2013 6月)。

6 それら以外にも日夏嘉寿雄「学制とビジネスエリート教育」『帝塚山経済・経営論集』第19巻(帝塚山 大学,20093月),大島真理夫「新制大阪市立大学の成立−専門学校から総合大学へ−」『大阪市 !

901)351

(3)

究であ

7

る。天野は,旧制の専門学校を卒業した者たちが日本の近代化に貢献したことを 強調し,旧制の専門学校が日本の経済発展に果たした役割を評価している。

資料1

同志社専門学校高等商業部:大正11年(1922年)4月〜昭和6年(1931年)3

☆ 同志社高等商業学校:昭和6年(1931年)4月〜昭和19年(1944年)3

☆ 同志社経済専門学校:昭和19年(1944年)4月〜昭和24年(1949年)3

☆ 同志社大学商学部:昭和24年(1949年)4月〜現在)

本稿で取り上げる同志社専門学校高等商業部(以下,同志社高商部)は,現在の同志 社大学商学部の起源であり大正

11

年(1922年)に京都の地に設立された。同志社高商 部の変遷は資料

1

が示すとおりであり大正

11

年に同志社高商部が設立,その後発展的 に改組され昭和

6

年に同志社高等商業学校(高商)へ,その後昭和

19

年に同志社経済 専門学校(経専)へ,昭和

24

年に同志社大学商学部(商学部)へとなっていった。

さて,本稿の主な目的は次の二点を明らかにすることである。一つは同志社高商部の 入学者の出身地について検討したい。京都という地に設立された同志社高商部へどのよ うな地域から入学者があったのか。二つ目は卒業生の進路・就職状況について,同志社 高商部で学び卒業した者たちがどのような職を得たのか,などを検討したい。

いくつかの先行研究から地方の高等教育機関がその地域に教育機会を提供し,また都 市部への人材の供給機関としてはたらいたことが指摘されている。しかし,本稿では先 に示した二点を中心に検討するため同志社高商部が地域社会,特に京都や大阪,また関 西地域に与えた影響などについての検討は行わない。またそれに加え,同志社高商部の 特徴を示すために必要となる他の学校(官立の高商,私立の商業系の専門学校など)と の比較なども行わない。それらについては本稿では触れずに機会を改め別稿にて論じた い。

本稿では,『同志社報告書』,『同志社一覧』,『同志社専門学校高等商業部職員及学生 名簿』,『樹徳会員名簿』,『同志社校友会便覧』などの史料を使用した。史料によっては すべての年度が揃っていないものもあるが,本稿の目的を達成するのにはそれほど大き な影響はない。なお,本稿は以下の内容で進めていく。「2.同志社専門学校高等商業部 について」では,同志社高商部に設置されていた科目やそれを担当していた教員など,

主に同志社高商部の概要をみる。次に「3.同志社専門学校高等商業部で学んだ者たち

────────────

! 立大学史紀要』第5号(大阪市立大学史資料室,2012年),松本睦樹・大石恵「旧制長崎高等商業学校 における教育と成果−明治・大正期を中心として−」『経営と経済』第85巻第3・4号(長崎大学,2006 2月),三好信浩『日本商業教育発達史の研究』(風間書房,2012年),橘川武郎・島田昌和・田中一 弘編著『渋沢栄一と人づくり』(有斐閣,2013年)など他にも多数ある。

7 天野郁夫『旧制専門学校論』(玉川大学出版部,1993年),同『高等教育の日本的構造』(玉川大学出版 部,1986年)などを参照のこと。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

352(902

(4)

について」では,同志社高商部の入学者の出身地や彼らの卒業後の進路などを検討す る。最後に「4.結びにかえて」で本稿のまとめを行う。

Ⅱ 同志社専門学校高等商業部について

最初に,同志社専門学校と同志社高商部の設立などについて見たいと思う。

同志社は,明治

45

4

月に専門学校令(明治

36

年)による同志社大学(予科,神学 部,政治経済学部,英文科)を開校した。その後,大正

9

4

月に大学令(大正

7

年)

による同志社大

8

学(文学

9

部,法学部,大学院,予科)を開校した。同志社専門学校の開 校は,このような教育制度の変更の中でなされたものである。具体的には,大学令によ り大正

9

年に同志社大学が開校したことにより,それ以前の専門学校令により開校され た同志社大学は廃校になる予定であった。しかし,それを廃校とせず改組し「同志社専 門学校」を設立した。

同志社専門学校の開校は,上に見たように同志社サイドの要因もあるが,当時の社会 状況も同志社専門学校の開校を後押ししたものと思われる。『同志社百年史』には以下 のような文章がある。

大正時代(一九一二−一九二六)は,第一次世界大戦によって日本経済が飛躍的に 発展し,農業と軽工業中心の経済から,重化学工業経済への第一歩をふみ出した時 代である。この新しい経済を運営するためには,従来の「読み・書き・そろばん」

の商業教育だけでは追いつけないようになり,より高度の商業教育を受けた人材が 必要とされ

10

た。

また同じく『同志社百年史』には以下のような記述もある。

理事会も,おそらくその方針(その方針とは専門学校令による同志社大学の廃校:

筆者)であったに違いない。ところが一九二一年四月一〇日の常務理事会記録に,

「高等商業学校設置ノ件ハ之ヲ宿題トシテ熟考スル事」と記されている。つまり,

「大学令」による大学を発足させた翌年早々,高等商業学校を新設してはどうかと いう意見が,一部関係者の間から出始めていた事実を物語る。京都には当時,同種

────────────

8 大正7年公布の「大学令」によって大学となったのは,慶応義塾大学・早稲田大学,続いて法政大学・

明治大学・中央大学・日本大学・國学院大学・同志社大学であった。

9 当初,神学部の設置を検討していたが「大学令」に法,医,工,文,理,農,経済,商の八つの学部し かなかったため神学部は文学部の一学科として設立された。

10 『同志社百年史 通史編2』1034頁。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 903)353

(5)

の学校はなかっ

11

た。

以上のように,教育制度の変更ならびに社会状況の変化などが専門学校,特に同志社 高商部の設立を後押ししたものと言え

12

る。結果,誕生したのが「同志社専門学校」であ り,同志社専門学校は,神学部,高等商業部,英語師範部,政治経済部の四つからなっ ていた。

当初,上記の四つを設置予定であったが,大正

11

年の同志社専門学校開校と同時に あったのは神学部と同志社高商部であった。神学部の終始時間は午前

8

時から午後

2

時 であり,同志社高商部のそれは第一部が午前

8

時から午後

2

時,第二部は午後

5

時から 午後

10

時であった。しかし,同志社高商部は学校の施設設備ならびに講義を担当する 教員の都合から第二部のみの開校からスタートし

13

た。現時点で把握している同志社高商 部設立当初に授業を担当することになっていた教員は第

1

表の通りであり,大学法学部 から瀬谷佐次郎,中川精吉,米谷彦次郎,石田秀一郎,宗藤圭三らであり,大学予科か ら百瀬清志,柴山健三,そして同志社本部宗教主任の竹崎八十雄,同志社中学校の加藤 延年,それ以外に瀬谷信義,梶原壽一,川島次郎らであった。

また,設立当初の同志社高商部の授業を担当した教員について大正

11

年度の報告書

────────────

11 『同志社百年史 通史編1』981頁。

12 同志社専門学校高等商業部の第一回入学生(川北貞一氏:樹徳会初代会長(1959年〜1963年))は,同 志社専門学校の設立について別の観点から「それに先生の失業救済の意味もあったと思います」(平山 玄『同志社高商・商学部物語:同志社と私』(葵産業経済研究所,1978年)14頁)と述べている。

13 第二回入学生より終始時間が第一部の午前8時から午後2時となった。

1表 大正11年度(1922年)

高商部での職位 教員名(学位) 同志社内での所属先・職位 教授兼主任 瀬谷佐次郎(法学士) 大学法学部教授

教授(兼) 中川精吉(商学士) 大学法学部教授

同(兼) 百瀬清志(文学士) 大学予科教授

同(兼) 柴山健三 大学予科教授

同(兼) 米谷彦次郎(B.A., M.A.) 大学法学部講師 同(兼) 竹崎八十雄(B.D., S.T.M.) 同志社本部宗教主任

同(兼) 加藤延年 中学教諭

瀬谷信義(法学士)

梶原壽一

川島次郎(経済学士)

★石田秀一郎(経済学士) 大学法学部講師

★宗藤圭三(同志社法学士) 大学法学部講師

(注)★は『同志社校友会便覧』には掲載されていなかったが『同志社大正十一年度報告』7−8

(職員の移動)に掲載があった教員。★のついた教員も「高商部での職位」は上の者たちと同じ く「同(兼)」と思われる。

(出典)『同志社校友会便覧(大正十一年十一月調)』51頁,『同志社大正十一年度報告』7−8頁より。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

354(904

(6)

の「同志社総長報告」中で以下のように述べている。

神学部は一面,日本組合教会と協力し,一面大学神学科の教授を以て専ら其の授業 を擔任せしむることにし,高等商業部は専ら大学法学部の教授を以て教授の任に當 らしむることと致したのであ

14

る。

同志社高商部ならびに神学部以外の英語師範部と政治経済部の開始は,教員及び設備 の関係で当分の間見送ることになり,その二つが開始されたのは昭和

2

年であった。

資料2 同志社専門學校學則 第一章 總則

第一條 本校ハ人格ノ修養ヲ旨トシ宗教、教育、政治経済及商業ニ必要ナル高等教育ヲ施スヲ目的トスル 第二條 本校ハ邦語デ教授スルヲ便宜トスル學科ヲ除クノ外英語教科書ヲ以テ教授スル

第三條 前條ノ目的ニ應ジ神學部、英語師範部、高等商業部及政治経済部ノ四部ヲ設ケル 第三章 修業年限、學年、學期及休業日

第五條 本校各部ノ修業年限ヲ次ノ如ク定メル 神學部 四年

英語師範部 四年 高等商業部 三年 政治経済部 三年

第十條 第一學年ニ入學シ得ル者ハ左ノ資格ノ一ヲ有スル者トスル 一、官公私立中學校卒業者

二、専門學校入學者検定規定第八條ニヨリ文部大臣ノ指定シタル學校ノ卒業者(特ニ某學校ノ入學ニ限 リ検定ヲ受ケタル者ヲ除ク)若クハ同令ニ依リ試験検定ニ合格シタル者

三、師範學校卒業者

四、尋常小學校卒業ヲ入學資格トスル修業年限五年以上ノ商業學校又ハ高等小學校卒業ヲ入學資格トス ル三年ノ商業學校若クハ之レト同等以上ノ商業學校卒業者(高等商業部 政治経済部入學者ニ限 ル)

第十一條 前條ニ規定シタ資格ヲ有セナイ者デモ試験ノ上選科生又ハ聴講生トシテ入學ヲ許可スルコトガ アル

但シ選科生及聴講生ハ徴兵猶豫ノ特典ヲ受ケラレナイ

第十二條 入學志願者定員ニ超過シタ時ハ選抜試験ヲ行フ其科目ハ次ノ如ク定メル 英語、国語、體格検査

第九章 學費

第三十九條 入學金ハ金五圓トスル入學ノ許可セラレタ時ニ之ヲ納メルコトヲ要スル 但シ同志社中學卒業生ハ之ヲ要シナイ

第四十條 授業料ハ一ヶ年金七拾圓トシ毎學期ノ始メニ前納スルコトヲ要スル 但シ特別ノ事情アル者ハ願出ニヨリ月納ヲ許可スル事ガアル

第四十一條 校費ハ一學年金六圓トシ毎學期ノ始メニ前納スルコトヲ要スル學友会費ハ別ニ之ヲ定ム

(注)下線は筆者。

(出典)『同志社一覧 大正十二年度』より抜粋。

────────────

14 『同志社報告 大正十一年度』の「同志社総長報告」より。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 905)355

(7)

次に,同志社高商部の概要を確認する。資料

2

の同志社専門学校学則は『同志社一覧 大正十二年度』より抜粋したものである。同志社高商部に関連する箇所(資料中の下線 部)を確認したい。同志社専門学校の設立目的は,第一條にあるように各部での学びに 必要となる高等教育を行うことである。同志社高商部の修業年数は

3

年間であり,入学 資格は第十條の通りとなっており,高等商業部と政治経済部のみ「尋常小学校卒業ヲ入 学資格トスル修業年限五年以上ノ商業学校又ハ高等小学校卒業ヲ入学資格トスル三年ノ 商業学校若クハ之レト同等以上ノ商業学校卒業者(高等商業部 政治経済部入学者ニ限 ル)」も加わっている。

2表 高等商業部(大正12年:1923年)の授業 科目と授業時間数(一週間の授業時間数)

第一学年 第二学年 第三学年

倫理 1 1 1

英語

(会話,作文,譯読) 8

英語 6 6

商業英語 2 2 2

商業学 3 4 3

経済原論 4

商業経済 2

統計学 2

財政学 2

金融論 2

法学通論 2

民法 2 3 2

商法 3 3

簿記 4 2

会計学 2

商業地理 2

商業史 2

商業算術 2

商工経営学 1

商品学 2

商業演習 2

漢文 2

30 29 28

(出典)『同志社一覧 大正十二年度』117−119 より。

3表 高等商業部(昭和2年:1927年)の授業科 目と授業時間数(一週間の授業時間数)

第一学年

第二学年 第三学年 中学校

出身者

商業学校 出身者

倫理学 1 1 1 1

哲学 2

心理学 2

国語,漢文 1 2

英語 7 7 7 7

商業英語 2 2 2 2

法学通論 2 2

民法 2 2 3 2

商法 3 3

商業学 5 5 4 3

商工経営学 2

経済原論 4 4

商業経済 2

財政学 2

金融論 2

統計学 2

外国為替論 2

商業地理 2 2

商業史 2 2

数学及珠算 2 2 2

簿記 4 2

会計学 2

商品学 2

商業実践 2

第二外国語 2 2 2 2

体操 2 2 2 2

38 35 36 36

(出典)『同志社一覧 昭和二年度』149−151頁より。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

356(906

(8)

2

表は大正

12

年,第

3

表は昭和

2

年の同志社高商部の学則にある授業科目と一週 間の授業時間数を示したものである。大正

12

年は同志社高商部設立初期であり,昭和

2

年は同志社高商部末期である。大正

12

年の全授業科目は

22

科目あり,倫理や英語な どの教養的な科目は

4

科目,また専門的な科目は

18

科目設置されている。昭和

2

年の それは,専門的な科目は

18

科目,英語などの教養的な科目は

8

科目となっている。大 正

12

年(第

2

表)と昭和

2

年(第

3

表)の違いは,一つは科目数の違いである。大正

12

年(22科目)より昭和

2

年(26科目)のほうが科目数が多くなっている。4年間で 新たに加わった科目は,「哲学」「心理学」「第二外国語」「外国為替論」などである。も ちろん大正

12

年にあった科目で昭和

2

年になくなった科目もある。二つ目は第一学年 で中学校出身者と商業学校出身者とで受講科目と時間数が異なることである。総時間数 では,中学校出身者が

38

時間,商業学校出身者が

35

時間となっている。異なる

3

時間 の内訳は,一つは「簿記学」の有無で,中学校出身者に対しそれが

4

時間あり,商業学 校出身者にはそれがない。二つ目は「国語,漢文」であり,中学校出身者の

1

時間に対 し商業学校出身者は

2

時間となっている。それぞれが学んできた過程を重視し,それを 補うような時間設定となっていることがわかる。

また昭和

2

年には第二外国語があり,学則には「備考 第二外國語ハ,支,獨,佛,

露ノ内其ノ一ヲ選擇履修セシメル但シ都合ニ依リ其國語ヲ缺クコトガア

15

ル」とあり中国 語,ドイツ語,フランス語,ロシア語の中から一つを選択し履修することになってい た。ちなみに卒業学校別の履修体系ならびに第二外国語の選択については『同志社一覧 大正十三年度』の「同志社専門学校学則」から確認することができる。

今見てきた第

2

表と第

3

表は,学則にあった科目ならびに授業時間数であった。第

4

表はどの教員がどの科目を担当していたかを示したものである。第

4

表から実際に開講 されていた科目がわかり,またそれに合わせて誰(教員)がどの科目を担当していたか もわかる。大正

12

年時に開講されていた科目は

23

科目,開講クラス数(1科目複数ク ラス開講を含む)は

30

クラスとなっている。第

2

表になく第

4

表の大正

12

年にある科 目は「商業語」「交通論」「海上保険論」「銀行簿記」「応用心理学」「珠算」「高等英語」

7

科目である。その逆もあり「財政学」「会計学」「商品学」「商工経営学」「商業演 習」などの科目は第

4

表の大正

12

年にはない。第

4

表の大正

12

年にない科目は第

2

表 から第三学年配当科目であることがわかり,大正

12

年は同志社高商部開校

2

年目の年 であり,科目開講の必要がなかったためであろう。また同じく第

3

表になく第

4

表の昭 和

2

年にある科目は「交通論」「海上保険論」「取引所論」などいくつかあり,その逆も 数科目ある。授業科目の開講あるいは不開講は,授業を担当する教員によるところがあ るためであろう。

────────────

15 『同志社一覧 昭和二年度』151頁。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 907)357

(9)

既述したように,第

4

表から授業を誰が担当していたのかがわかる。大正

12

年では

26

名が担当し,そして昭和

2

年は

44

名の教員が授業を担当していた。大正

12

年時に 授業を担当していた教員は,『同志社一覧 大正十二年度』からは確認することができ ないが,先ほども述べたように,そのほとんどが大学令により設立された同志社大学の 教員であった。資料から確認することができる同志社高商部の専任教員は,大正

13

年 の『同志社一覧 大正十三年度』からであり講師として畠山豊吉(担当科目:銀行簿 記),鈴木隆輔(同志社法学士。担当科目:商業学,商業英語),宮川實(法学士。担当 科目:海上保険論),林純蔵(法学士。担当科目:簿記学,会計学)の

4

名(36名中)

である。また第

4

表の昭和

2

年の教員の職位にある(兼任)は,同志社高商部以外から の教員(27名)を示していると思われ,同志社高商部の教育は同志社高商部以外の者 に多くを頼っていたことがわかる。

4表 同志社高商部での授業を担当した教員と担当科目 大正12年(1923年) 昭和2年(1927年)

校長 海老名彈正 D.D.L.L.D 校長 海老名彈正 D.D.L.L.D 生徒監 石原淳太郎 陸軍歩兵少佐 生徒監 柴木健吉

書記 吉村价三 同志社法学士 教務 吉村价三

事務嘱託 人羅雅夫 教務 人羅雅夫

高等商業

部部長 中川精吉 商学士 配属將校 村田又次郎 陸軍歩兵中佐 教授 中川精吉 商学士 商業学,簿記,高

等英語

高等商業部

部長 中川精吉 商学士

教授 古屋美貞 B.A. 経済原論 教授 中川精吉 商学士 商業英語 教授 中治武二 法学士 民法 教授(兼任)古屋美貞 B.A. 休職

教授 黒川芳蔵 金融論 教授(兼任)和田武 法学士 財政学

講師 竹崎八十雄 B.D., S.T.M. 倫理 教授(兼任)中治武二 法学士 民法

講師 加藤延年 商業地理 教授(兼任)黒川芳蔵 金融論

講師 川島次郎 同志社法学士 商業経済 教授(兼任)石田秀一郎 経済学士 休職

講師 澁川慶之助 同志社法学士 珠算 教授 畠山豊吉 外国為替論,銀行簿記,

商工経営 講師 波多野鼎 法学士 英語 教授 鈴木隆輔 同志社法学士 商業通論 講師 石田秀一郎 経済学士 英語 教授(兼任)能勢克男 法学士 民法 講師 能勢克男 法学士 法学通論 教授(兼任)林要 法学士 独逸語 講師 鈴木隆輔 同志社法学士 商業学,商業語 教授 野洲昶 英語

講師 和田琳熊 文学士 倫理,応用心理学 教授 瀧野市太郎 商業實踐,商品学,商業 英作文

講師 米谷彦次郎 B.A., M.A. 商業英語 教授(兼任)瀨川次郎 同 志 社 法 学

士,経済学士 商業経済,取引所論 講師 鹽見清 M.A. 英語 教授(兼任)宗藤圭三 同志社法学士 統計学

講師 畠山豊吉 銀行簿記 教授 山下芳一 経済学士 海上保険論,交通論,佛 蘭西語

講師 竹林熊彦 商業史 教授(兼任)住谷悦治 法学士 獨逸語

講師 浅野長雄 商業算術 助教授 林純蔵 法学士 会計学,商業簿記,英文

簿記 講師 百瀬清志 文学士 英語 助教授 内藤清二郎 同 志 社 法 学

士,M.A. 商業英語 同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

358(908

(10)

では,次に同志社高商部で授業を担当した教員の学位取得状況を確認したい。第

5

表 は,各年度別にみた教員の学位取得状況を示したものである。大正

12

年を見ると商学 士が

1

人,法学士が

5

人,経済学士が

2

人,文学士が

3

人,同志社法学士が

4

人,日本 以外での学位も

6

人となっている。商学士は第

4

表にあるように中川精吉である。あと で触れるが中川は,東京高等商業学校本科,同学校専攻部を卒業している。

その後,大正

13

年以降は,授業を担当する教員の増加に伴い学位取得者数も増加し ていることが同表からわかる。他の学校と比較をしていないため同志社高商部の特徴を 示すことはできないが,以下の点を指摘することができるであろう。

・同志社で学士(同志社法学士)を取得とした者が年々増加している。

・外国で学位を取得した者もおり,M.A.取得者は年々増加している。

講師 野洲昶 英語 助教授 喜多直之助 同志社法学士 生 命 保 険 論,火 災 保 険 論,商業算術

講師 石田憲次 文学士 英語 助教授 中西良一 法学士 倉庫論,税關論,商業簿

講師 島本英夫 法学士 商法 助教授 牧治雄 支那語,支那経済事情

講師 岡崎文規 経済学士 交通論 講師(兼任)和田琳熊 文学士 心理学 講師 宗藤圭三 同志社法学士 統計学 講師(兼任)加藤延年 商業地理

講師 樋口功 漢文 講師(兼任)エス・シー・

バトレト M.A., B.D. 倫理

講師 宮川實 法学士 海上保険論 講師 淺野長雄 商業算術,數学

(出典)『同志社一覧 大正十二年度』210−211頁より。 講師 樋口功 漢文 講師 今井梅次郎 法学士 商法 講師(兼任)長谷部文雄 経済学士 経済原論

講師(兼任)柴木健吉 體操

講師(兼任)高橋貞三 法学士 法学通論 講師 黒田英三郎 同志社法学士 商工経営学 講師(兼任)大塚節治 M.A., B.D. 倫理 講師(兼任)高橋信司 法学士 英語 講師(兼任)村井藤十郎 法学士 獨逸語 講師(兼任)大坪一 文学士 佛蘭西語 講師 西村國福 法学士 商業史 講師(兼任)藤田義彦 同 志 社 法 学

士,M.A. 倫理 講師(兼任)本多玄雄 文学士 英語 講師(兼任)難波紋吉 同 志 社 法 学

士,M.A. 英語 講師 山田正三 法学士 英語 講師(兼任)村岡景文 文学士 哲学 講師(兼任)エツチ・エス・

ウオータス 會話

講師(兼任)エム・エス・

モロイ B.A. 會話 講師(兼任)二宮源兵衛 M.A., B.D. 英語

(出典)『同志社高等商業部一覧』(昭和2年)71−75頁,『同志社一覧 昭和二年度』236−238頁より作成(主に高商部一覧による)。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 909)359

(11)

上で指摘した点を他の学校のそれと比較したならば,さらに同志社高商部の授業を担 当した教員の特徴が明らかになると思うが,最初にも述べたように他学校との比較は今 回行わない。次回以降に稿を改め比較検討したいと思う。

では,ここで第

4

表の大正

12

年に同志社高商部の授業を担当した何人かの教員の学 歴ならびに職歴等について,現時点で確認している範囲で見ていきたいと思

16

う。

中川精吉は,先にも触れたように商学士を取得している。中川は,東京高等商業学校 本科を明治

35

年に卒業し,その後東京高等商業学校専攻部に進み明治

37

年に卒業して いる。卒業後は,中国へわたり明治

37

10

月に江南実業学堂教習,明治

39

11

月に 東亜同文書院教授となっている。明治

43

9

月には日本大学講師,明治

44

4

月に同 志社専門学校教授,大正

2

4

月に同志社大学教授となり,その後同志社高等商業学 校,同志社大学法学部で教鞭をとった。

黒川芳蔵は,明治

44

3

月に同志社普通学校を,そして大正

3

3

月に同志社大学 政治経済学部経済科(専門学校令)を卒業した。大正

8

4

月より同志社大学法学部,

大学予科,専門学校(高商部),同志社高等商業学校など,また戦後は経済学部(昭和

23

4

月〜昭和

24

3

月),商学部(昭和

24

4

月〜36年

3

月)で教鞭をとってい た。その間,法学部長,商学部長,学校法人同志社理事などを歴任した。黒川の主な担

────────────

16 ここで紹介する教員の学歴や職歴等の主な出典は,主に本人の著書,大学の紀要(特に退官,退職記念 号等),事典などが中心である。

5表 同志社高商部で授業を担当した教員の取得学位について

単位:人。

大正12 大正13 大正15 昭和2

教員数 26 36 43 44

商学士 1 1 1 1

法学士 5 8 13 13

経済学士 2 6 4 4

文学士 3 3 4 4

同志社法学士 4 5 7 8

慶應理財学士 1

M.A. 2 2 5 6

S.T.M. 1

B.A. 2 2 2 2

B.D. 1 2 3

B.S. 1

他(不明含む) 7 11 11 10

計(累計) 28 40 49 51

(出典)『同志社一覧 大正十二年度』210−211頁,『同志社一覧 大正十三年度』199−202 頁,『同志社一覧 大正十五年度』207−209頁,『同志社一覧 昭和二年度』236−238 頁,『同志社一覧 昭和六年度』165−167頁より。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

360(910

(12)

当科目は第

4

表にあるように「金融論」であった。

竹崎八十雄は,大正

11

年の同志社高商部開校時からかかわっている人物である(第

1

表)。竹崎八十雄は『日本キリスト教歴史大事典』によれ

17

ば,札幌農学校予科を明治

30

年に卒業し,その後アメリカのスタンフォード大学で哲学を学び,その後カリフォルニ アの太平洋神学校を卒業した。日本へ帰国後,海老名弾正の推薦により札幌独立基督教 会の牧師となる。同教会を大正

6

年(1917年)に辞し,同年に再度アメリカへ渡りイ ェール大学で神学修士(S.T.M.)を取得し,大正

9

年に同志社大学宗教主任となる。大 正

11

年時の担当科目については資料の制約上不明であるが,大正

12

年は第

4

表にある ように「倫理」を担当していた。竹崎八十雄の祖母竹崎順子は熊本で熊本女学校を設立 し,彼女の妹徳富久子は徳富蘇峰と徳富蘆花の母である。竹崎八十雄は大正

12

9

月 に熊本へもどり,熊本女学校校長に就任し同校の発展に寄与した。

波多野鼎は,旧制第八高等学校を卒業,東京帝国大学法学部英法科を大正

9

年に卒業 している。大学卒業後,南満州鉄道株式会社東亜経済調査局に職を得,その後昭和

22

年まで同志社や九州帝国大学で教鞭をとった。波多野が同志社で教鞭を取り始めたの は,資料から大正

12

年からと思われる。また昭和

22

年に参議院議員となり農林大臣な ども務めた。同志社高商部で担当した科目は「英語」(第

4

表,大正

12

年)とある。同 志社高商部第一期生の証

18

言によると,「ことに波多野先生の,外国の政党抗争物語など,

じつにおもしろかったものです。」「私どものときは,いっこうに経済学の話はなくて,

政治の話ばかりでした。」とあり,英語だけではなく経済学関係の授業も担当していた と思われる。

島本英夫は,同志社大学商学部の初代学部長を務めた人物である。島本は同志社普通 学校出身であり,京都帝国大学法学部を大正

9

年に卒業している。その後,大正

9

7

月に神戸高等商業学校講師,大正

11

年に同校教授となっている。上記の職歴から第

4

表で島本が同志社高商部で「商法」を担当していたのは神戸高等商業学校に在職してい たときであった。その後,大正

13

1

月から長崎高等商業学校教授,昭和

8

3

月か ら和歌山高等商業学校教頭兼教授,その後昭和

17

6

月に同志社高等商業学校長(第 三代)兼教授に就任し,以後同志社大学商学部教授,同大学法学部教授を務めた人物で ある。

島本は,先に述べたように昭和

17

6

月に同志社高等商業学校第三代校長に就任し,

戦中,戦後直後の同志社高等商業学校,同志社経済専門学校の運営ならびに同志社大学 商学部発足に関わってきた人物である。同志社大学商学部の誕生は,島本の尽力による ところが大きい。戦後,同志社経済専門学校の廃校,その後の同志社大学商学部の発足

────────────

17 日本キリスト教歴史大事典編集委員会編『日本キリスト教歴史大事典』(教文館,1988年)835頁。

18 平山玄『同志社高商・商学部物語:同志社と私』(葵産業経済研究所,1978年)13頁。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 911)361

(13)

までの島本の活動については,『同志社高商・商学部物語』に詳しく述べられているた め同書を参照していただきた

19

い。

以上,5名だけではあるが設立初期の同志社高商部の授業を担っていた教員の学んで きた過程や職歴等について見てきた。5名だけでは初期の同志社高商部の教育体制等に ついて,その特徴を示すことはできない。よって今後も第

4

表に掲載されている教員

(特に大正

12

年)についても資料の収集につとめ,同志社高商部の初期の教育体制につ いて明らかにできるように努めたい。

Ⅲ 同志社専門学校高等商業部で学んだ者たちについて

本章では,同志社高商部で学んだ者たちについて見ていきたい。具体的には,どれぐ らいの人数が同志社高商部に入学したのか。また彼らの出身地は,そして同志社高商部 で学んだ者たちの卒業後の進路はどのようになっていたのか,などについて検討してい きたい。

6

表は,大正

11

年度から昭和

4

年度までの同志社の各学校の入学者数,退学者数 そして卒業生数などを示した表である。第

6

表から同志社高商部への入学者や卒業生等 の人数を確認することができる。同志社高商部を中心に同表を見ると,次の点を指摘す ることができる。一つは,大正

11

年度を除き毎年

300

人台の入学者があったことであ る。開校初年度の大正

11

年度は

145

名であった入学者もその後,大正

12

年度は

321

名,大正

13

年度は

300

名,大正

14

年度は

325

名となっており,昭和以降もそれ以前と 同様な入学者がいた。二つ目が在校生の多さである。登簿総数で見ると,中学校の次に 多くの生徒が在籍していたことがわかる。生徒数は年々増加し,大正

14

年度から

800

名を超え,昭和

4

年度には

900

人台となっている。このような同志社高商部の生徒数の 多さが同志社の財政に貢献したことは間違いないであろ

20

う。

────────────

19 平山玄『同志社高商・商学部物語:同志社と私』(葵産業経済研究所,1978年)の「(五)島本校長時 代(昭和一七年−昭和二三年)」と「(六)商学部時代(昭和二四年−)」を参照のこと。

商学部発足時の教員は,島本英夫(商法),原猛雄(貿易),岡本春三(実用英語),沖中忠一(商 品),吉川貫二(交通),長尾義三(金融),平山玄(経済原論),根箭重男(会計),今井信二(簿記),

今井俊一(経営),和田篤憲(商業史)が同志社経済専門学校から移行。黒川芳蔵(金融),岡村正人

(経営)が経済学部から移行。木村喜一郎(会計),四宮恭二(経営),吉岡義睦(実用英語)が大阪商 大から移籍。徳永清行(貿易)が京都大学から移籍。(平山玄『同志社高商・商学部物語:同志社と私』

(葵産業経済研究所,1978年)121−122頁より)

20 同志社高商部の生徒数の増加については,平山『同志社高商・商学部物語』では,「この高商部は入学 志願者が年ごとに増加し,やがて同志社のドル箱となるのである(同書,10頁)」,また『同志社大学 商学部六十年史』には「同志社専門学校に高等商業部を設置することについては,学内では一部に物質 主義の商業教育はキリスト教主義教育となじみにくいという考えがあり,高等商業部の精神的教育を危 惧する向きもあったが,同志社の財政的な面から,全国的に高等商業学校が歓迎されている風潮に便乗 し,多数の生徒を吸引するために設置されたといわれている(同書,68頁)」,また『同志社百年史

通史編1』には「高商部の増収を見込んでの校舎建築であった(同書986頁)」などからもわかる。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

362(912

(14)

6同志社:入学者数,退学者数,卒業者数について単位:人。 大学 舊制大学 神学部

専門学校 中学

女学校 予科法学部文学部 神学部高等 商業部普通学部専門学部 法律学科政治学科経済学科英文学科神学科英文科予科英文科家政科 大正11年度

入学数2404523129145225190734925 登簿総数8*, 5783733325713291459396679315773 退学数8*, 10722221192312859281020 卒業生修了生1231283859455492323 大正12年度

入学数29382493123212562101107568 登簿総数64119303253511722443973763126246100 退学数119113411211412269313722 卒業生修了生140181163587957234 大正13年度

入学数289321041530028018512967116 登簿総数671432129752121356291,044784152314194 退学数149342105612958314127 卒業生修了生160597341631231241076417 大正14年度

入学数28711036173253101701004399 登簿総数64972173017214428351,102772114359249 退学数137221121710115446242723 卒業生修了生166155891643163137123867245 昭和元年 大正15年度 入学数262311144413133102831847653101 登簿総数262311144413138051,10878780409271 退学数1231194131081505562415 卒業生修了生1521587217210184138143729985

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 913)363

(15)

大学専門学校 中学

女学校 予科法学部文学部 神学部高等 商業部英語 師範部政治 経済部高等 女学校専門学部 法律学科政治学科経済学科哲学科英文学科神学科英文科予科英文科家政科 昭和2年度

入学数350325979529930075423011857664104 登簿総数7589883179127222381975421,12177478421275 退学数15561821227026181634423419 卒業生修了生1443319720432031261487612775 昭和3年度

入学数350631611462941131669473241957972102 登簿総数80912222316131242531860118731,15677779389281 退学数133853429390372918432142124 卒業生修了生2421014211317716015811882 昭和4年度

入学数4325118110440993937373257185677196 登簿総数955141332911511323329861531211,06977273380271 退学数16737161290594716049133119 卒業生修了生294846431092311714411610175 資料によっては入学者」や「卒生」の数が異なる場合がある。*:舊制。★:予科修了生14年度卒業生の数は修了生を除く卒業生のみの数2年度本科生のみ (選科生は除く) (出典)『同志社大正十一年度報告』34−35頁,『同志社大正十二年度報告』35−36頁,『同志社大正十三年度報告』37−38頁,『同志社大正十四年度報告』37−38頁,『同志社昭和元年度報告』32−33 頁,『同志社昭和貳年度報告』25−26頁,志社昭和参年度報告27−29頁,財団事業報告昭和四年度)』39頁,42−44頁,47頁,49−51頁,56頁,58−59頁,61−63頁,65頁,67− 68頁より作成。

同志社商学 第66巻 第5号(2015年3月)

364(914

(16)

次に同志社高商部の退学者の状況を確認したい。第

6

表には退学者の人数も掲載され ている。私立専門学校の退学者率が高いことは,すでに天野郁夫なども指摘してい

21

る。

同志社高商部もその傾向が見られる。例えば,入学者数に対する退学者数の割合をみた 場合,大正

11

年度では約

15.8%,大正 12

年度では約

35.5%,大正 13

年度では約

18.6

%,大正

14

年度では約

31%,昭和元年大正 15

年度では約

34.8%,昭和 2

年度では約

23.3%,昭和 3

年度では約

28.4%,昭和 4

年度では約

22.9% となっており,大正 11

年 に開校した高商部は開校当初から少なくとも

15% 以上の退学率があった。そして第 6

表に記載した

8

年間の平均では約

27% という退学率となっている。

退学率の高さは経済的な理由だけではなく,他の理由も考えることができる。例え ば,第四回卒業生のひとりは「一年のうち三分の一以上欠席すると期末試験を受ける資 格がなく,四〇点以下の学科目が一つでもあると落第という試練が待ち受けていた。そ れ程厳格であったから,二年に進級するとき半数近くが落第し,三年で卒業するものは 一五〇名を割り,なかには六年かかって卒業する者も珍しくなっ

22

た」と述べている。同 志社高商部の退学率の高さはその辺の事情も関係していると思われる。

では,次に第

7

表を見ていただきたい。第

7

表の注にも記したが,同表は昭和

2

年と 昭和

3

年を除く大正

12

年から昭和

4

年までの同志社高商部への入学者数を出身地別に みたものである。同表から以下の点を指摘することができる。

①入学者がもっとも多いのは,京都,大阪を中心とした近畿地方である。

②岡山,山口,広島から多くの入学者がある。

①について。最も多くの入学者がいるのは,370人の京都となっており,京都にある 同志社高商部としては当然のことと言えるであろう。京都以下は,大阪(265人),兵 庫(179人)の順となっており,上位

10

以内に近畿の奈良と三重を除く他の府県が入 っている。出身地別の入学者数を割合で見ると,近畿地方(京都,大阪,兵庫,和歌 山,滋賀,奈良,三重)だけで約

56.8% となっており,同志社高商部への入学者の半

分が近畿地方からであることがわかる。また近畿の府県を個別にみると京都は約

20%,

大阪は約

14.3%,兵庫は約 9.7%,和歌山は約 4.4%,滋賀は約 3.9% となっている。こ

の数字からも同志社高商部には,京都や大阪を中心とした近畿から多くの入学生がいた ことがわかる。

②について。次に入学者が多いのが中国地方であり,特に岡山(約

5.3%),山口(約

3.5%),広島(約 3.4%)が上位 10

に入っている。なぜ中国地方から近畿に次ぐ多くの

入学者があったのか。なぜ京都にある私立の商業系の学校を彼らが選択したのか。すで

────────────

21 天野郁夫『近代日本高等教育研究』(玉川大学出版部,1989年)295−298頁,また三鍋太朗「戦間期日 本における官立高等商業学校卒業者の動向−企業への就職を中心に−」『大阪大学経済学』第61巻第3 号(大阪大学大学院経済学研究科,2011年)59頁などを参照。

22 平山玄『同志社高商・商学部物語:同志社と私』(葵産業経済研究所,1978年)15−16頁。

同志社専門学校高等商業部に関する一考察(川満) 915)365

参照

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