著者 村山 盛葦
雑誌名 基督教研究
巻 75
号 1
ページ 39‑51
発行年 2013‑06‑25
権利 基督教研究会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014135
コリント教会の聖餐と 饗宴(シンポジウム)
Eucharist and Symposium in the Corinthian Church
村山 盛葦
Moriyoshi Murayama
キーワード
コリント教会、主の晩餐、聖餐、饗宴、未信者
KEY WORDS
Corinthian church, Lord’s Supper, Eucharist, symposium, unbelievers
要旨
最近の研究において、「主の晩餐」の文化的背景としてギリシア・ローマの晩餐会 が注目されてきている。正餐(dei/pnon)と饗宴(sumpo,sion)の二部構成からなる晩 餐会は、一種の社会制度として哲学者から密儀宗教に至るまで各グループに取り入れ られていた。従来の研究において、「主の晩餐」(1コリント11章)と当時の晩餐会と の比較検討はなされてきた。しかし、主の晩餐と礼拝活動(12-14章)との関係は一 部の研究を除いて全く論じられていない。本小論では、コリント教会が当時の晩餐会 の形態を取り入れ、主の晩餐から礼拝活動という一続きの活動を持っていた可能性を 論じる。さらに、これを前提に、従来ほとんど論じられてこなかった、未信者(1コ リ14:23-24)と主の晩餐の関係について吟味する。本小論では、11-14章で扱われてい る諸問題が、「家の教会」の食卓を中心とした同一場所での一連の活動内での出来事 であること、そして、1コリ7:14に見られる未信者を受容するパウロの言説を論拠 に、未受洗者の聖餐がコリント教会において例外的に認められていた可能性を指摘す る。
SUMMARY
In recent studies, the Greco-Roman banquet has received attention as the cultural
background of the Lord’s Supper. The banquet, consisting of the major meal (dei/pnon) and the symposium (sumpo,sion), was a social institution practiced by a wide range of groups, from philosophers to mystics. In previous studies, the Lord’s Supper (1 Corinthians 11) has been investigated in terms of the customs of the Greco-Roman banquet, but its correlations with the worship activities (1 Corinthians 12-14) have only been discussed in a few studies. In this essay, I argue that the Corinthian church accepts the customs of this banquet and recognizes a sequence of events, from the Lord’s Supper through the related worship activities. Furthermore, I examine the relationship between unbelievers (1 Cor 14:23-24) and the Lord’s Supper, which has received hardly any attention in the previous studies. This essay proposes that 1 Corinthians 11-14 deals with a sequence of events in one setting around the table in a “house-church.” Moreover, it becomes important to understand Paul’s acceptance of unbelievers (1 Cor 7:14). From these arguments, I point out the possibility that the unbelievers were allowed, exceptionally, to participate in the Eucharist in the Corinthian church.
1.問題の所在
コリント教会における「主の晩餐」の問題は多岐にわたる議論を生み出してきた。
その一つはギリシア・ローマの饗宴(sumpo,sion)との関係である。当時、その日の 主要な食事である正餐(dei/pnon)は単に空腹を満たすことが目的ではなく、友人関 係を初めとする社会の人的ネットワークを構築、維持する役割も担っていた。プルタ ルコスは『食卓歓談集』で、「お腹を満たしたが今日は会食はしなかった」と語る、
一人わびしく夕食を済ませたローマ人の独り言を紹介し、夕食は常に友人たちとの
「社交」という味付けが必要である、と論じている(『モラリア』Quaest. conv.
697
C
)。この味付けを強めるためにも正餐のあとには、ワインの飲酒を中心とした、余興や娯楽がともなう饗宴(sumpo,sion)がもたれた1。正餐と饗宴の二部からなる晩 餐会はギリシア・ローマ世界全体に普及した一つの社会制度であったと論じることが できる2。このような「饗宴の文化」の観点から、一部の信徒たちが酩酊状態である 一方、他の信徒たちが空腹であるというコリント教会の問題(1コリ11
:
21-
22)を考察 することができる。実際、研究者たちは、「主の晩餐」の問題がコリント教会に特化 した現象ではなく、「饗宴の文化」に起因していると論じている3。しかしながら、一 部の研究を除いて、「主の晩餐」の問題はそれに続いて報告されている礼拝活動における諸問題(1コリント12-14章)と切り離して議論される傾向にある。
本小論は、「饗宴の文化」の観点から、主の晩餐(1コリント11章)と礼拝活動(1 コリント12
-
14章)が全体集会における一続きの活動であったことを論証する。そし て、この議論を前提に11章の主の晩餐と14章の未信者の存在との関係について考察す る。この問題は従来ほとんど論じてこなかったものである。2.「饗宴」の過ごし方
晩餐会の第二部は饗宴、sumpo,sion、である。sumpo,sionという単語は
sum「共に」
と
po,sij「飲むこと、飲み物」から成っているとおり、「飲み会、宴会」を意味する。
饗宴では、ワインを飲みながらもっぱら自由に会話と議論にふけることが中心であっ た。参加者各自が話題を提供し、意見を出し合い、活発な言語活動がしばしば展開し た(プラトン『饗宴』)。参加者たちの能力や才能を分かち合う良い機会であると同時 に(クセノポン『饗宴』3.4-4.64)、それが口論、仲違いに転じることもあった(アテ ナイオス『食卓の賢人たち』96
E-
100B;
158-
160D
)。饗宴には余興が不可欠であり、歌、竪琴、笛といった音楽がおもに用いられたが、コッタボス遊び、サイコロ賭け、
芝居や踊り、さらには度が過ぎた無礼な行為もあった(プルタルコス『モラリア』
621B, E; 643B; 654C; 654E-F; アテナイオス『食卓の賢人たち』666B-668C)。
2.1.哲学者
第二部の饗宴をどのように過ごすのかは、各グループ ・ 団体によって異なり、それ ぞれ特徴を呈していた。例えば、プラトンの『饗宴』(前4世紀末)によると、哲学者 や教養人のサークルでは、娯楽の要素を「高尚な会話」のための談論と定義づけ、笛 吹きの娘の余興を取りやめている(『饗宴』176E)。そのため、プラトンの描く饗宴 では、ソクラテスとアガトンとの対話、ディオティマとソクラテスの対話、ディオ ティマの教説など談論が支配的となっている(199B-212C)。余興なしでお互いに友 好的な交流を持つことが出来るのは、教養と自制心の表れと理解された(アテナイオ ス『食卓の賢人たち』97A-B)。また、興味深いことは、プラトンの饗宴には基調と して恋の神エロースへの賛美が流れていることである(特に、『饗宴』178A-199B)。
それゆえ、饗宴そのものが談論による一種の礼拝活動としてもたれた、と解釈するこ とが可能である。他方、クセノポンの『饗宴』(前4世紀末)によると、哲学者たちや 教養人たちのサークルでも、笛吹き娘、踊り手、道化師などの余興を取り入れた饗宴 を持った(『饗宴』1.11-16; 2.1-27)。しかし、そこに列席していたソクラテスが余興な しで自分たちで楽しむことを提案したため(3.1-2)、饗宴の参加者は談論に興じるこ
とになっていった(3.4-8.43)。
アテナイオス(後2世紀頃)は、アテネにおいて多くの哲学学派が饗宴の様式や習 慣に則ってそれぞれ会合を開いている様子を伝えている(『食卓の賢人たち』
186A)。それによると、哲学者の会合は、巷で行われているような不摂生や無秩序に ふけるためではなく、「品格と高尚さ」という饗宴の理想的なあり方に沿って持たれ るべきものである、と論じている4。品格と高尚さを具現化するために、参加者たち はどのような話題や論題を持つべきか、そしてどのような食事のマナー(倫理)を守 るべきかについて真剣に議論された(プルタルコス『モラリア』614A-B; 629C-D他)。
さらに、多くの哲学者たちは5、「饗宴」で交わされた会話について書き残すことは 価値ある仕事であると考えていたようだ(プルタルコス『モラリア』612D-E)。この 考えの背景には「テーブルは友をつくる場所」(612
D
)という言葉が象徴するよう に、食卓の歓談は単なる娯楽に終わるのではなく、重要な社会的役割を担っていると いう認識があった6。そして、饗宴のあり方は(食べ物の内容からマナーに至るま で)、健全で秩序ある都市国家(ポリス)の形成と相関関係にあると理解されていた と言って良いだろう7。2.2.ユダヤ教徒(テラペウタイ)8
パウロと同時代、アレキサンドリアのフィロン(前20年頃~後50年頃)はユダヤ教 の分派的グループの一つ、テラペウタイ(qerapeutai,)の饗宴について描写してい る。テラペウタイの饗宴は、「饗宴」という言葉から想像できるものとは違い、質素 で節操ある食卓であった。男女からなるこの集団は、原語(qerapeu,w)が示す通り、
「さまざまな情念や悪徳の無数の積み重ねに起因する」病を癒す者たちであり、ある い は、「 聖 な る 法( ト ー ラ ー)」 と「 自 然 」 に 教 え ら れ て「 存 在 」 に「 仕 え る
(qerapeu,w)」人々の集まりであった(『観想的生活』1.2)9。テラペウタイは親族や友 人たちとの交わりを放棄して、孤独を求め、人里離れた場所で観想的な生活を送って いた。
通常、男女分かれた生活を送り、各自はそれぞれ聖室(セムネイオン)に法(トー ラー)、預言者の言葉、詩編などを持ち込んで神についての「聖なる哲学」に没頭す る(『観想的生活』3.25-29)。六日間、このような生活を送り、七日目に全体集会が持 たれ、最長老が知的な講話(説教)を行う(3.30)。この際も、男女は別々の部屋に 集まるが、二つの部屋の屋根に近い上部は開いており、講話者の声は遮られることな く、女性たちの耳にも到達する仕組みになっていた(3.33)。
テラペウタイは「七週間毎に」あるいは「七週間後に」(この場合、週の祭り、す なわちペンテコステを示す)集い10、饗宴を開いた。彼らは「整然と秩序正しく整列
し」て、まず「顔と手とを天へと向け」、「この[喜ばしい]祭りが、神に喜ばれ、御 心にかなうものとなるように、祈」った後、「『長老』たちが、入会の[古い]順に、
横臥」した(『観想的生活』8
.
65-
67)。女性たちもこの饗宴に参加するが、横臥する位 置は、男女別であった。家具類は粗末なもので、提供される食物はパンと水、塩、時 にヒソプ(ミント系の香辛料)のみであり、ぶどう酒は提供されなかった(8.68;9.69,73-74)。食事の前に、「主催者」が旧約聖書の一部について寓意的解釈に基づく 講話をし、期待通り事が運ぶと拍手を持って講話を終え、続いて主催者のリードによ り、新旧の神を称える賛歌を歌い、その後で質素な食事が運び込まれた(10.75-82)。
「食事の後、彼らは、聖なる徹夜の勤行を行な」った(『観想的生活』11.83)。男 性と女性と二つの合唱舞踏団(coro,j)があり、最も尊敬され、最も音楽に通じてい る指導者のもとで、男女分かれて歌い踊り、神を称えた。そして、この徹夜の勤行の ある時点で、二つの合唱舞踏団は互いに混じり合い、両者は一つとなり、救い主なる 神に対する感謝の賛美を捧げた。それは、紅海において神がなし給うた奇跡の後に、
モーセとミリアムの指導のもとでイスラエル民族が行なった賛美行為を模範としたも のであった(11
.
85-
87)。夜が明け、「太陽が昇ってくるのを見ると両手を天へ向けて 伸ばし,良い一日と真理[の獲得]と思惟の鋭敏さとを祈り求め」、各自の聖室へと 戻り、再び孤独の内に聖なる哲学の研究に没頭したのであった(11.88-89)。興味深いことは、食事の後で持たれる、いわゆる饗宴のところで男女の合唱舞踏団 が混じり合って、賛美し、踊り、それは夜明けまで続いたことである。その歓喜の様 子をフィロンは「あたかもバッコスの饗宴の飲めや歌えの大騒ぎの際に(水で割らな い)生のままのぶどう酒を飲むように、彼らは神によみされるものを飲むのである」
(『観想的生活』11.85)と表現している。晩餐会の第二部にあたる饗宴において、通 常の枠(男女の区別)を超え、バッコスの饗宴と似た様相を呈しながら宗教的パトス が噴出されていることは注目に値する。
以上から、テラペウタイの晩餐会において、食事→饗宴の形式が採用されていたこ と、そして饗宴の部分において歓喜に満ちた礼拝活動が長時間もたれていたことが分 かる。この例は、コリント教会の主の晩餐(1コリント11章)とそれに続く異言、預 言、賛美などを含む礼拝部分(1コリント12-14章)が一連の流れとして持たれていた と理解する上で示唆的である。また、フィロンは、巷で執り行なわれている放縦な饗 宴(『観想的生活』5.40-6.56)、あるいは、哲学者や教養人の饗宴(7.57-63)とテラペ ウタイの饗宴を対比させ、後者は全く異なるものとしている(8
.
64)。このことは、ギリシア・ローマの晩餐会の形態がある種の社会制度として浸透し、ユダヤ人(ここ ではテラペウタイ)にも共有されながら、同時に饗宴の部分はそれぞれ独自のやり方 で持たれていたことを示している。このことは初期キリスト教会、特にヘレニズム文
化が栄えていた都市コリントにおけるキリスト教会の晩餐会についても言えることが できるだろう。
2.3.コリント教会
D. E. Smithは1コリント12-14章の礼拝活動が「饗宴」の活動であったと論じてい る11。この主張によると、コリント教会では賛美、預言、異言、教えなどの礼拝活動 を晩餐会の饗宴の部分に当てていたことになる。この主張を支える論拠は大きく二つ あり、一つは11章と12-14章の重要なつながり、もうひとつはこれらの章に見られる 諸問題が当時の饗宴の諸問題を共有していることである。
①11章と12
-
14章とのつながり1コリ11:17-34で扱われている事柄は、内容から判断して食卓での出来事であること は自明である。冒頭で触れたように12、この箇所と饗宴との関係が指摘されている。
それゆえ、この箇所とそれに続く12-14章とのつながりを考察することで、12-14章の 事柄もまた饗宴での出来事であると論じることが出来る。
(a)まず、11-14章が扱っている事柄は「全体集会」での出来事であることを示 す。sune,rcomai(「一緒に集まる」)という動詞が11章で5回、14章で2回使用され、
14:23を除くと活用形、そして意味上もすべて二人称複数を示している。すなわち、
11
:
17「あなたがたの集まりが(sune,rcesqe)」11:18「あなたがたが教会で集まる際(sunercome,nwn u`mw/n evn evkklhsi,a|)」
11:20「それでは、一緒に集まっても(sunercome,nwn ou=n u`mw/n)」
11:33「食事のために集まるときには(sunerco,menoi eivj to. fagei/n)」
11
:
34「裁かれるために集まる、というようなことにならないために(i[na mh. eivjkri,ma sune,rchsqe)」
14:23「教会全体が一緒に集まり(sune,lqh| h` evkklhsi,a o[lh)」
14:26「あなたがたは集まったときに(o[tan sune,rchsqe)」。
これらの表現から、11
-
14章が扱っている問題はコリントの信徒が一同に会した際の 出来事であることが分かる。さらに、14:23の「教会全体」という表現は注目に値する。ここでは「全体の
(o[loj)」という形容詞が「教会・集会(evkklhsi,a)」につけられ、「誰それの家の教会」
という「各戸集会」と区別されている13。通常は各グループに分かれて「各戸集会」
をもち、特別の機会として「教会全体」の集まりがあったと考えることが出来るだろ う。コリント教会の場合、恐らくガイオの邸宅で全体集会を持ち(ロマ16:23)14、そ の機会以外はステファナ、アキラ・プリスキラなどの家で各戸集会をもっていた可能
性が十分にある(1コリ1:16; 使18:2-3)。主の晩餐は各戸集会で行っていたのか、全体 集会なのか、あるいはその両方なのか、断定することは出来ない。しかし、主の晩餐 は、救い主キリストの死を記念する重要な儀式を含むことから、全体集会で持たれた 可能性が高いであろう。いずれにせよ、14:23の「教会全体」という表現から、14章 は信徒全体が集う重要な機会であること、そして、この機会と11章の主の晩餐の機会 は重要性において同じであることを想定することが出来る。
(
b
)次に、参加者各自の振舞いが教会全体にどのような影響を与えるのか、とい う論点が11-14章で共通していることを指摘することができる。まず、11章の主の晩 餐の問題では、パウロは問題の張本人たちの個人的な行為が「神の教会(h` evkklhsi,atou/ qeou/)」という共同体全体を見くびる行為であると断罪している(11:22)。さら
に、彼らに対して、「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者」と戒めている(11:29)。「主の体」と訳された原語は
to. sw/ma
であり、「主の」に当たる単語はなく、直訳すると「その体」である。29-30節でパウロは、張本人たちに対して、病気や死 という裁きを受けないために、暴飲暴食を避けることを勧告している。この意味で、
29節の「わきまえるべき体(to. sw/ma)」とはまさに信徒自身の生身の体を意味するこ とになる。ただし、信徒の体(to. sw/ma)は洗礼を通してすでにキリストと合一して おり、もはや自分自身のものではなく、キリストの体(to. sw/ma)の一部である(1コ リ6:15, 19)。この身体理解に基づくならば、自分の
sw/ma
の健康に留意することは、キリストの
sw/ma
というより高い次元の事柄に意識を向けることになる。そして、キ リストの体は信仰共同体そのものでもある(1:13; 12:12-31)。それゆえ、パウロは 11:29においてto. sw/ma
をわきまえよ、と戒めたとき、信徒の体を包括する、教会と しての「キリストの体」を念頭に置いていた可能性があるだろう。12章では、多様な霊的な賜物とそれに起因する問題が扱われている。各個人に与え られている賜物についてその内容や出来映えは一様ではない。その事実が信仰共同体 を分裂に導く可能性がある。この危機に対して、パウロは「あなたがたはキリストの 体である(u`mei/j de. evste sw/ma Cristou/)」(12:27)と呼びかけ、それぞれの霊的な賜物 を活かし合いながら一つの体として結束して行くことを勧告している(12
:
4-
11,
28-
31)。各信徒はそれぞれ役割を担っている体の部位(足、手、耳、目、頭など)であ り、体が分裂しないためにお互いが体全体のことを配慮し合う必要がある(12:12- 26)。この事情は、14章においても同じである。ただし、14章では「体(sw/ma)」で はなく、「教会(evkklhsi,a)」(14:
4,
5,
12,
19,
23,
28)の用語が使われ、かつ、より特化 した問題(異言と預言)が言及されている。異言を語る信徒は、その賜物を発揮する ことで自己満足や自己顕示に終始するのではなく、それを通して共同体を造り上げる ことを考える必要がある(14:3, 4, 5, 12, 26)。このように、11-14章において個人と教会の関係性から倫理勧告がなされ、礼拝活動がもたれる「全体集会」における個人の 役割と責任が問われていることが分かる。
(
c
)11章と12-
14章の三つ目のつながりは、双方に預言活動が言及されている点で ある。11章では女預言者の振舞いについて批判が展開されている(11:2-16)。しかし 預言活動自体は否定されていない。14章においては、異言に対比された預言が肯定的 に言及されている。こういうわけで、これらの章は預言という礼拝活動を扱っている 点でも関連性を見出すことができる。②饗宴の諸問題との共通点
11-14章が饗宴の機会での出来事を扱っていることは、これらの章において当時の 饗宴で生じていた同様の問題が見られることからも確認できる。裕福な者による身勝 手な行為(1コリ11:21-22)や暴飲暴食(11:29-30)は、プリニウス(『書簡集』)やプ ルタルコス(『モラリア』)など当時の教養人・知識人が非難の対象としてしばしば論 じている15。また、12-14章には集会の参加者による賛歌、教え、啓示、預言、異言、
異言の解釈など言語活動とそれに起因する問題が描かれている。上述したように、哲 学者の饗宴の特徴として談論があるが、言語活動は哲学者のグループに限られたもの ではなく、饗宴の重要な目的のひとつでもあった。饗宴の参加者は自らの才能を披露 しようと積極的にそれに関わっていくが、結果としてその集いが騒乱・混乱に陥るこ ともあった。諷刺家ルキアノスは言語活動に起因する騒乱を以下のように描写してい る。
もう大多数の者が酔っぱらって、宴席は喧騒に満ちてきた。弁論家のディオ ニュソドロスは自作の演説のいくつかを順繰りに朗読し、後ろに立っている召 使たちに誉めそやされていたし、その次に横たわっていた文法家ヒスティアイ オスは吟誦を始め、ピンダロスとヘシオドスとアナクレオンの詩句をつなぎ合 わせて滑稽きわまる歌をこしらえていた、、、。またゼノテミスは、お付きの者 から細かい字で書いた本を受け取って、声を出して読んでいた(ルキアノス
『饗宴またはラピテス族』17)16。
饗宴の参加者たちは酔いがかなりまわるなか、それぞれの才能を誇示し合い、結局は 同時に各自が声を出し合うという始末である。このように無秩序な状況は、
Smith
が 指摘しているように17、コリント教会の全体集会における酩酊状態(1コリ11:21)と 同時多発的な異言と預言の活動(14:27-33)と酷似している。この状況に対してパウ ロは平和(eivrh,nh)と秩序(ta,xij)を求めたのである(14:33, 40)。以上の考察から、11-14章は「全体集会」における一連の出来事を扱っており、ま た、コリント教会では賛歌、預言、異言などの礼拝活動を饗宴の機会に行なっていた 可能性を指摘できる。当時の晩餐会の形態に沿ってコリント教会の晩餐会を素描して みると、第一部である正餐(dei/pnon)において、食事を開始する合図として「パン の祝福」が行なわれ、食事(愛餐)が開始された。食事を楽しんだあと、第一部から 第二部の移行を示す神々への献酒を行なうタイミングで「杯の祝福」が行なわれた。
現代の聖餐式においては「杯の祝福」のあとに感謝の祈りと讃美歌を歌い終了する が、当時の「杯の祝福」は正餐(dei/pnon)から饗宴(sumpo,sion)への移行を意味し た。コリント教会においては、それは賛美、預言、異言などを含む礼拝活動の開始で あった。比較的裕福な信徒は正餐の最初から参加し食欲を十分に満たすことができた が、貧しい信徒は第一部の終わりか第二部のはじめ頃に遅れて到着したのであろう。
聖餐の「制定の言葉」はいつ語られたのか定かでないが、パンの祝福と杯の祝福と、
二回に分けて語った可能性がある18。
現代の教会生活に馴染んでいる者は、聖餐、食事、礼拝を一連の活動として捉える ことに違和感を覚えるであろう。これについて留意点が二つある。ひとつは、初期キ リスト教において聖餐と食事(愛餐)は区別されていなかったことである。パウロが 伝える聖餐の制定の言葉にあるように(1コリ11:23-25)、パンの聖別→食事→杯の聖 別という流れがあり、食事と聖餐は一体であった。信者以外は聖餐に与れないことを 明言する「ディダケー」(9
-
10)(1世紀末~2世紀初め)においても、なお聖餐と愛餐 は区別されていなかった。イグナティオス書簡(2世紀初め)においてもその区別は 未分化であった(「スミルナのキリスト者へ」7-8)。区別が明確になったのは、殉教 者ユスティノスの時代(2世紀前半)になってからと思われる(『第一弁明』66.1- 67.
1)。もう一つの留意点は、当時のキリスト教会は「家の教会」であったことである。食 卓での食事(聖餐)と歓待、引き続いて食卓を中心に賛美などの礼拝活動がもたれた ことは、家という構造からもごく自然な流れであった19。恐らく、食堂(トリクリニ ウム)とそれに隣接する広間(アトリウム)を開放して一連の活動が持たれたと思わ れる20。初期キリスト教会は祭壇、講壇などの礼拝設備やその他の設備はまだ持ち合 わせておらず、礼拝は礼拝堂、食事は別室の集会室という現代の教会生活の常識は通 用しない。おそらく、当時の集会のあり方は、現代の教会で持たれている「家庭集 会」に近いものであったと思われる。こういうわけで、聖餐に食事がともない、そし て礼拝活動が同じ場所で連続して執り行われたことは特に驚くべきことではない。
2.4.未信者同席の意義について
次に、11-14章が全体集会における一続きの活動であったとする考察を受けて、従 来あまり注目されて来なかった論点を提示したい。14章には以下の通り、礼拝活動に おける未信者などへの言及がある。
14:16「教会に来て間もない人(ivdiw,thj)」
14:23, 24「教会に来て間もない人(ivdiw,thj)」、「信者でない人」(a;pistoj)。
ivdiw,thj
は「素人、凡人」という意味である。この原義から、異言を理解できない平信徒(初心者)21、洗礼志願者22、あるいは、未信者23、など意味の広がりが出てく る。そのどれかに決定することは困難であるが、文脈から判断して、まだ礼拝活動に 馴染みがなく、神学的知識も乏しい人を指していると思われる。当然、異言も理解す ることはできない人である。そのような人や信者でない人が造り上げられるように、
教会全体が彼ら、彼女らに対して配慮をすることをパウロは勧告している。
教会全体の礼拝活動において、「教会に来て間もない人」や「未信者」が同席して いること、そして、11-14章が同じ場所における一連の出来事であったことを考慮す るならば、「教会に来て間もない人」や「未信者」は礼拝活動に先立ってもたれた
「主の晩餐」に同席し、共同体のメンバーと共に聖餐のパンとぶどう酒に与っていた 可能性がある。
無論、パウロは聖餐に与る前提として洗礼を考えている(1コリ10:1-2, 16-17, 21)。
しかし、ゲルト・タイセンが論じているように24、パウロは例外を認めていると思わ れる。それは配偶者が信者で本人は未受洗である場合、そして、親が信者である子供 の場合である(7:14)。この箇所の文脈は離縁について論じているが、教会に連なる 未信者をパウロがどのように理解しているのかを知る上で貴重な資料である。コリン ト教会において、未信者を配偶者としてもつ信者が、未信者(
=
異教徒)の汚れのた めに離縁すべきかどうか思案していた25。それに対して、パウロは、未信者の配偶者 は信者である配偶者のゆえに「聖なる者になっている(h`gi,astai)」(現在完了形)と 論じ、さらには、そのような夫婦の子供は「聖なる者(a[gia, evstin)」(現在形)であ ると断言している。これは注目すべき見解である。これをどのように理解するか研究者によって様々である。「聖なる根」と「枝」の 喩え(ロマ11:16)を手がかりに、結婚生活を続ける中で未信者の配偶者が信仰を持 つ配偶者によって救いに導かれる可能性が高まる、と解釈する26。あるいは、ここで 使用されている動詞
a`gia,zw(「聖別する、清める、聖なるものにする」)に注目す
る。この動詞はこの手紙では、ここ以外に二か所で使用されているが、いずれとも洗 礼における聖化を説明している(1コリ1:2; 6:11)。このことから、「聖なる者になる」とは「洗礼の聖化」を示している、と解釈する27。未信者の配偶者が信者の配偶者を
通してどのように洗礼の聖化を共有することになるのか、そのプロセスは不明であ る。ただし、「聖性の伝染」という概念は旧約聖書に見られる(出29:37; 30:29; レビ 6
:
18-
20)。聖化された未信者はその帰結として、正規メンバーと同じく神殿(教会)に対して完全なアクセスを獲得することが可能となる28。さらに別の見方として、夫 婦を結びつけた、神の業としての婚姻関係は、教会に属する配偶者の所属(この属性 もまた神の業)を未信者の配偶者にもたらす、と解釈する29。ただし、これは婚姻関 係に留まっていたいという未信者の配偶者の意思がある限り有効である(1コリ7
:
12-
13, 15)。この理解によれば、未信者であっても教会の一員として認知される、という ことになる。いずれの解釈にせよ、パウロは教会に関わっている未信者を排除しようとはしてい ないことが明らかである。また、大半の解釈は未信者が信者と同等の地位が与えられ ることを示している。このことは、上述した「教会に来て間もない人」や「未信者」
が主の晩餐に同席し、聖餐に与っていたという可能性を強めると言える。
「家の教会」で共に食卓を囲み、そこで愛餐と聖餐を行ない、讃美歌を歌い、祈り をささげる。その機会に信者の配偶者であれ、信者の子供であれ、未受洗者が同席す ることがある。このような一連の礼拝活動のなかで、聖餐の部分においてのみ未受洗 者を排除することは、「饗宴の文化」が重視する共食の価値に反するものである。こ のような排除は、フィロンやプルタルコスなど当時の教養人がしばしば非難したとこ ろの、富める者(強者)による貧しい者(弱者)に対する侮蔑行為に相当すると見な されたであろう。パウロが「主の晩餐」において問題としたのは、to. sw/maをわきま えない身勝手な信者3 3の行為であって、未受洗者の聖餐への参加ではなかった。以上の 考察から、パウロは例外的に未受洗者の聖餐を認めた、と考える根拠が十分にあると 言えるだろう。
注
1 A. McGowan, Ascetic Eucharists: Food and Drink in Early Christian Ritual Meals(Oxford: Clarendon Press, 1999)47-52; D. E. Smith, From Symposium to Eucharist: The Banquet in the Early Christian World
(Minneapolis: Fortress Press, 2003)27-31。
2 B. Leyerle, “Meal Customs in the Greco-Roman World,” in Passover and Easter: Origin and History to Modern Times, ed. P. F. Bradshaw and L. A. Hoffman(Indiana: University of Notre Dame Press, 1999)
34-39; Smith, From Symposium to Eucharist, 1-12; G. Rouwhorst, “The Roots of the Early Christian Eucharist: Jewish Blessings or Hellenistic Symposia?,” in Jewish and Christian Liturgy and Worship: New Insights into Its History and Interaction, ed. A. Gerhards and C. Leonhard(Leiden: Brill, 2007)295-97,
303。
3 P. Lampe, “The Eucharist: Identifying with Christ on the Cross,” Interpretation 48(1994)36-49; B. W.
Winter, After Paul Left Corinth(Michigan: Wm B. Eerdmans, 2001)142-58; Smith, From Symposium to Eucharist, 191-200ほか。
4 Smith, From Symposium to Eucharist, 51。
5 プラトン、クセノポン、アリストテレス、スペウシッポス、エピクロス、プリュタニス、ヒエロニュ モス、アカデメイアのディオンなど。
6 Smith, From Symposium to Eucharist, 8-12。
7 Leyerle, “Meal Customs in the Greco-Roman World,” 45; McGowan, Ascetic Eucharists, 3-7。
8 テラペウタイの真偽性について議論があるが、S. J. D. Cohenはエジプトにおけるエッセネ派の支流 であった可能性を論じている(From the Maccabees to the Mishnah[Philadelphia: Westminster Press, 1987]171)。
9 邦訳はアレクサンドリアのフィロン『観想的生活・自由論』(土岐健治訳)(教文館、2004年)より。
10 『観想的生活』(土岐健治訳)、111頁。
11 Smith, From Symposium to Eucharist, 200-14。
12 本小論「問題の所在」を参照。
13 ロマ16:5「彼らの家に集まる教会の人々に(th.n katV oi-kon auvtw/n evkklhsi,an)」、1コリ16:19「その家に 集まる教会の人々と共に(th/| katV oi=kon auvtw/n evkklhsi,a|)」、フィレ2「あなたの家にある教会へ(th/|
katV oi=ko,n sou evkklhsi,a|)」。
14 ロマ16:23でも「教会全体が(o[lhj th/j evkklhsi,aj)」と表現されている。
15 詳しくは拙論、「第一コリント書におけるパウロの論敵についての一考察―社会的、文化的視点から」
『基督教研究』68.2(2006)58-77頁、「第一コリント11章30節についての一考察―暴飲暴食、混入物?
―」『基督教研究』73.1(2011)13-25頁を参照。
16 邦訳はルキアノス『ルキアノス選集』(内田次信訳)(国文社、1999年)より。
17 Smith, From Symposium to Eucharist, 201。
18 ユダヤ教の祭儀的会食において、祝福は食事の前後を含めて複数回あったようだ(小林信雄『主の晩 餐 その起源と展開』[日本基督教団出版局、1999年]126頁)。
19 L. M. White, The Social Origins of Christian Architecture, volume 1, Building God’s House in the Roman World: Architectural Adaptation among Pagans, Jews and Christians(Pennsylvania: Trinity Press International, 1996)107。
20 J. Murphy-O’Connor, St. Paul’s Corinth: Texts and Archaeology, 3rd.rev. and expan. ed.(Minnesota:
Liturgical Press, 2002)178-85。
21 A. Robertson and A. Plummer, The First Epistle of St Paul to the Corinthians(Edinburgh: T&T Clark, 1911)313。
22 BAGD, 370。
23 G. D. Fee, The First Epistle to the Corinthians(Michigan: Wm B. Eerdmans, 1987)684-85; D. E.
Garland, 1 Corinthians(Michigan: Baker Academic, 2003)651。
24 ゲルト・タイセン『聖書から聖餐へ 言葉と儀礼をめぐって』(吉田新訳)(新教出版社、2010年)
144-45頁。
25 異教徒との結婚は汚れたものであり、当然、ユダヤ教では厳禁であった(エズラ9章、ヨベル30章 他)。
26 Fee, The First Epistle to the Corinthians, 300-1。
27 Robertson and Plummer, The First Epistle to the Corinthians, 141-42。
28 R. E. Ciampa and B. S. Rosner, The First Letter to the Corinthians(Michigan: Wm B. Eerdmans, 2010)
300。
29 Garland, 1 Corinthians, 287-88。