文学からみた アメリカン・ポップ・カルチャー American Pop Culture from the Literary Viewpoint

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Rikkyo American Studies 27 (March 2005)

Copyright © 2005 The Institute for American Studies, Rikkyo University

American Pop Culture from the Literary Viewpoint

AOYAMA Minami

青山南

 そもそもどういう話をしたらいいか、お話をいただいた時からずっと悩 んでいたんですが、なぜ悩んでいたかというと、まずアメリカン・ポップ・

カルチャーという言葉ですが、これは一体何なんだということです。アメ リカン・ポップ・カルチャーとは結構言うし、それ自体非常に響きがいい。

立教大学アメリカ研究所は今回を第一回として、これから数回いろいろな 方にお話をいただくことになっていて、共通のテーマが「アメリカン

ポッ プ・カルチャー」というものですが、そのアメリカン・ポップ・カルチャー とは一体何なのかというのが良く分からないというのが正直なところあり ます。皆さんも非常に曖昧な形でその辺は認識しているのではないかと思 います。とりあえず分かっていることは、まず映画とか、漫画とか、音楽とか、

そういったいわゆる「ポピュラー・カルチャー」です。「ポップ(pop)」は

「ポピュラー(popular)」から来ているので、そのポピュラー ・

カルチャー、

普通の日本語にすると大衆文化というやつですが、そういうものがアメリ カン・ポップ・カルチャーというものには入るだろうということです。た ぶん皆様の頭の中でまず浮かぶのはそういうものではないかと思います。

ハリウッド映画とか、ディズニーランドとか、その他そういうエンターテ インメントに近いものです。

 そうなんですが、それはポピュラー・カルチャーと普通に言っています。

大衆文化といって、ポピュラー・カルチャーという言葉としてあるんです。

そうするとアメリカン・ポップ・カルチャーというのは、また別なニュア

Rikkyo American Studies 27 (March 2005)

Copyright © 2005 The Institute for American Studies, Rikkyo University

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ンスがあるんじゃないかなとちょっと考えました。これは決して和製英語 ではないですが、アメリカン・ポップ・カルチャーとは一体どういうもの なのか、きっともっと広い意味があるんじゃないかと思って、それでいろ いろ考えていたときに思い当たったのは、アメリカという国は非常に歴史 の浅い国で、世界に誇れる文化があまりない国です。世界に誇れる文化と いうのは、実は消費文化しかないんじゃないか、モノを消費するコンシュー マー・カルチャー(consumer culture)という言葉は、アメリカに関しての み出てきたものですが、つまりアメリカン・ポップ・カルチャーというの はコンシューマー・カルチャー(消費文化)全般を含んでいるんじゃない かというふうに思ったんです。消費文化とは映画とか、漫画とか、音楽と か、つまりどんどん聴き流して忘れていく、漫画も読み飛ばしていく、映 画も観てどんどん次の新作を待つという、そぅいう風にどんどん消費して いくというものです。鑑賞するとか、じっくり考えるとかよりも、とにか く次々と消費していく、そういう文化をせっせと作ってきたのがアメリカ であって、それを強引に消費文化としたのがアメリカ文化ではないかと思っ て、どうもコンシューマー・カルチャー全般を含んだことを入れたのがア メリカン・ポップ・カルチャーではないかと思いました。

ポップ・アートの出現

 そう推理してしまったのには、広い意味での芸術一般とアメリカン・ポッ プ・カルチャーというものを考えて、いろいろ頭を引っ掻き回すとまず浮 かんでくる概念とは、ひょっとすると多くの方は聞いたことがあるんじゃ ないかと思いますが、美術の世界にポップ・アートというのがあります。

まず頭に浮かんでくるのはそれです。皆さんはポップ・アートというと一 番有名なアンディ・ウォーホール(Andy Warhole)を思い出して、ウォー ホールのキャンベルのスープ缶等が良く知られているのでご存知かもしれ ませんが、美術の分野で一つのジャンルにもなって、これもポップ・アー トという一つのジャンルが出来ているわけです。そのポップ・アートとい うのは

1950

年代のアメリカで花開いたものです。これからちょっと映像で

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お見せしますけれども、それこそさっき言いました映画や漫画や音楽をは じめとする大衆文化、ポピュラー・カルチャーといったものを自分たちの 作品の素材にしたり、それだけではなくて、スーパーマーケットの商品や、

広告のネオンサインを含めたいろいろな広告板ですね、アメリカ中にいろ いろ氾濫しています。街をちょっと歩けば、うんざりするくらい広告板が あります。日本は東京がもうアメリカを追い越しちゃったので、ちょっと 渋谷、池袋あたりの繁華街に行くと目が回るくらいですけど、そもそもア メリカから始まったものでした。それとその他アメリカのあちこちに出回っ ている大量生産品です。大量生産品というのは消費することを前提として 作られている、次から次へと使ってもらうためのものです。そういう消費 文明の産物をすべて使って、それを作品にしたのが美術の世界のポップ・

カルチャーというものです。

 そのいくつかをお見せしますが、ご存知の方は今さらという感じもす ると思いますが、結構名前だけ聞いて見たことがないというのがあると 思うので、今こういうのが非常に簡単にインターネットで画像が見られ るようになっています。場合によってはそれを商品として売ろうという 魂胆があるわけですけれども、そうでなくても美術館とかいろんなサイト で見ることができますので、まず最初にロイ・リキテンシュタイン(Roy

Lichtenstein)という人を紹介します。この人は漫画からヒントを得て作っ

た作品です。これを初めて見たときには、わぁすごいって思いました。多 分皆様方も知っている人は何てことないかもしれませんが、初めて見ると

「えっ」という感じがすると思います。それをちょっと最初にお見せしたい

と思います。

 いろいろポップ・アーティストの名前が出ていま すが、ロイ

リキテンシュタインというのはこれです。

これは実際にあった漫画をちょっとコラージュして、

そこからヒントを得て作ってしまう、そういうもの があります。他にも、これもリキテンシュタインの 中でも非常に有名な絵で、漫画の一部をぐっと大き

くクローズアップして、下の点まで見えるような形

(Roy Lichtenstein,1964) Vicki

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にする。こんなことやったのはこの人しかいないんですけど、こういう方 法でやってます。次の作品。これは漫画的なものを流用して作ったもので す。これが堂々とした美術品として登場した

1950

年代にそのことを彼がやっ た、それがまず一つです。これは実際にあった漫画を引っ張って切り抜い てきて、それを加工してやってしまうという、「そんなのありか!」という 感じなんですが、そういうことをやってみせた。さすがにこれを真似てい る人はいないですけど、今サンフランシスコあたりで大規模な回顧展をやっ ています。1950年代に登場したものです。これは先ほど言いましたポピュ ラー・カルチャーである漫画ですね、だいたい普通に出回っている漫画を 利用して、それを素材にして作品を作ってしまう。何か頭をひねるまでも なく、目の前にあるものを使ってしまう。

 それからウォーホールを出す前にもう一人の例として、ジャスパー・

ジョーンズ(Jasper Johns)という画家の作品をお見せします。この人も ポップ・アートの一人として重要な人物です。まず一番分かりやすいので いいますと、いろいろな作品をやっているんですけど、これはビール、厳 密に言いますとエールですが、ビールの缶を忠実に描いたものです。ちょっ とブロンズ風にしてということで

Painted Bronze

とタイトルがついてる んですが、これは実際にあるビール缶です。名画中の名画と言われていま す。次に、この人はアメリカの国旗をいくつも描いていますが、そのうち の一つです。これは

Flag

とそのものずばり、

1950

年代の半ばの作品です。

なぜこれがポピュラー・カルチャーなのかと思われる方がいらっしゃるか もしれませんが、アメリカという国はそこら中にアメリカ国旗が立ってい

Painted Bronze

(Jasper Johns,1960) Flag

(Jasper Johns,1954-55)

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る国です。それはちょっとでも旅行なさって注意してあちらこちらを歩い てみますと、ちょっと上空というか中空を眺めながら歩いてみれば分かり ますが、そこら中にアメリカ国旗が立っています。つまりそうやって常に アメリカ人であることを認識させるからという、もっともらしい理由がつ いてはいるんですが、何かというと立っています。つまりアメリカの国旗 というのは、アメリカという国への愛国心を何とかというよりもまず、一 種の大量生産品のようなものです。常にそこいらにはたはたと舞っている。

ですから多くの人たちがアメリカの国旗を素材として、ジャスパー

・ジョー

ンズ以外もやっていますが、それだけ非常に目に付く。これも僕はアメリ カン・ポップ・カルチャーの一つではないかと思います。

 これもジャスパー・ジョーンズのもう一つの作品ですが、これは商品広 告として出てるんですけど、これもやっぱりアメリカの国旗を素材にした ものです。これは

Three Flags

というタイトルになっていますけれども、

アメリカ国旗を三つ使ってというものです。つまりこういう風に使って作 品にしているわけです。これは名画中の名画です。

 そしてご存知のアンディ・ウォーホールは、いかに彼が大衆文化及び広 告等からヒントを得ているかの例としてお見せします。先ほどちょっとお 話ししましたキャンベルのスープ缶というのはこれですが、実際にあるキャ ンベルのスープ缶をそのまま描いたものです。そしてキャンベルのスープ 缶をいろいろな形で描いているんですけれど、まったくその通りのものを 真似して描いたんです。それから彼がいかにアメリカの大衆文化、広い意 味での消費文化に興味をもっていたかと、例えば有名な女優のマリリン・

Campbell's Soup 1

(Andy Warhole,1968) Marilyn

(Andy Warhole, 1964)

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モンロー(Marilyn Monroe)です。これは有名です。その写真を加工した だけ。大統領も消費文化と言ってしまっては悪いけれども、それはとりあ えずおいておいて、これがスーパーマンです。スーパーマンの画像もちょっ と加工しただけという、それで作品にしてしまう、そういう風なところが あります。この辺はもうほとんど商品広告としてそのまま使っています。

これはこういう商品があるわけです。時間がかかるので全部お見せできな いのが残念です。

 ロイ・リキテンシュタインは漫画からヒントをもらって作り、それから ジャスパー・ジョーンズはビール缶から、あるいは日常目にしているアメ リカの国旗あたりからヒントを得て作品を作ってしまった。一見何の工夫 もない。それからウォーホールに至っては、写真そのものをコラージュし たり、うまく着色したりして、芸術作品として提出しているということです。

こういうものがポップ・アートというものです。ご存知の方もいらっしゃ るでしょうが、初めてご覧になった方は、「何だこれは」ということですが、

これが世界から注目されたアメリカの代表的な美術の一つになっています。

これは先ほどもちょっとお話ししたとおり、1950年代にアメリカから生ま れました。

ポップ・カルチャーが始まる

1950

年代

 1950年代に何でそういうようなものが登場したかという話に行きたい と思いますが、この理由は簡単で、1950年代というのはアメリカで本格的 な大量生産が始まった時期です。1950年代は第二次世界大戦が終わった後 ですが、アメリカはいわゆるアメ車をはじめとして、豊かなアメリカ文化 を世界に誇示するような形で出てきています。今はもうブームとして出て いるミッド・センチュリーとかいったいろいろなデザインのものは、全部

1950

年代のものです。さっきアメリカで花開いたと言ったのですが、もと もと美術史的にいうと、実はイギリスの方から始まったと美術史家の方々 はおっしゃいます。ですがその美術史の方々も一様に口を揃えていうこと は、イギリスで始まったけれども、アメリカにおいて一気に花開いたとい

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う説です。どうしてかというと、それはアメリカで消費文明が、コンシュー マー

カルチャーが、一気に台頭しました。どんな風に台頭したかというと、

まず今や日本でもそこら中にありますし、北京にも出てきて中国にありま すが、マクドナルドが誕生したのが

1950

年代のことです。それから日本に もありますけれども、いわゆるモーテルの先駆けとなった「ホリデー

イン」

というモーテル・チェーンが登場したのも

1950

年代です。それから今では ちょっと落ち目になっていますけれども、女性のヌード写真が真ん中に入っ ていて、それで男の格好良いスタイルを何だかんだと教えてくれる雑誌と して登場した『プレイボーイ』が創刊されたのも

1950

年代です。それから テレビがものすごい娯楽になって、それでそのテレビの前から離れたくな い人たちがたくさん出てくるものですから、電子レンジでチンしてポンと いうテレビ・ディナーという名前がついたインスタント食品のようなもの が登場したのも

1950

年代です。そしてそれから何よりも本格的にスーパー マーケットが登場したのは

1950

年代です。

 今ここに本を持ってきましたけれども、1950年代にどんなことがあった か。我々が考えている以上に我々の今生きている時代の原点は

1950

年代に あると言っていいんですが、1950年代のことを書いた『ザ・フィフティー ズ』(The Fifties、1993)という上下巻のうち下巻だけを持ってきました。今 は新潮

OH!

文庫で安く手に入るようになっていますが、この『ザ・フィフ ティーズ』というのを書いたのがディヴィッド・ハルバースタム(David

Halberstam)という非常にすばらしいジャーナリストです。その人が 1950

年代に何が起こったかをいろいろ書いて、全部項目別にやっていて目次を ざっと見ただけでもすごいんですが、例えば歌の世界ではエルヴィス・プ レスリー(Elvis Presley)が登場する。エルヴィス・プレスリーが登場した ということは、音楽がお好きな方がたくさんいらっしゃると思うのでだい たい察しがつくと思いますけど、そこからロックンロールへ向かって音楽 の世界が新しく変わりつつあるという、その先駆けとして出てきたわけで す。それからコマーシャルというもので人気者が注目されるようになった のもこの時期だというふうに書いています。それからさっき言ったマクド ナルド、ホリデー

イン、『プレイボーイ』、テレビ

ディナー、スーパーマー

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ケットが全部現れたのもこの時期です。それからアメリカでいうとソープ・

オペラという、テレビで連続昼メロとしてやっているものです。これはい つまでたっても終わらなくて話を続けるために

10

年も

20

年もやっている、

そういう連続メロドラマです。そういうものが始まったのも、50年代です。

それから建売住宅が一気に作られて、日本のニュータウンというのは大き な建物になりますが、もっと小さな一戸建てをたくさん作ったニュータウ ンというのが登場したのが

1950

年代です。

 つまり現在の世界の文化、世界の消費文化の根底を作ったのが

1950

年代 なんです。今なおずっとそれを引きずっているわけですけど、そういう風

1950

年代に消費文化というのがどっと現れて、実はこれがつまりアメリ カン・ポップ・カルチャーの始まりだったのではないかと僕は思いました。

ですからアメリカン・ポップ・カルチャーというのは、このとんでもない ものが、今で言うところのアメリカ的なものが次々と登場した

1950

年代を 開始の時期と見るのが正しいのではないかと思っています。

 もちろん遡っていろいろ考えることも出来ますが、これだけ大量に大量 生産の品が、マクドナルドも大量製品、ホリデー・インだってチェーン店 ですから、チェーン店という発想は大量消費ですし、テレビ・ディナーの ようなジャンク・フードのスタートも全部この時期に当たるということで す。ですから芸術家、アーティストたちにとっては、まずは驚きの面と感 動で、これはすごいという風なことがあったと思います。ですから思わず 何か自分が芸術作品を作るよりも先に勝手にいろいろな商品が出てきてし まうので、「まあいいか、もらっちゃえ」みたいな感じでやってったんじゃ ないかと思います。そういう意味で

1950

年代がアメリカン・ポップ・カル チャーの始まりだと思っています。ですから世界がアメリカの文化を認識 してからおよそ今

50

年経ったということになるんじゃないかと思います。

ポップ・カルチャーと対決する文学

 こういう風に考えて、今までのところは美術の話でしたけれども、一応 本日の「文学からみたアメリカン・ポップ・カルチャー」に少しでも近づ

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かなくてはいけないので、何とか近づきたいと思いますが、こういう風に 考えるとアメリカン・ポップ・カルチャーが

1950

年代から始まったという 風にとりあえず決めてしまうと、文学がアメリカン・ポップ・カルチャー と関係する可能性があるのはやはり

1950

年代以降ということにならざるを 得ない。そうするとまず筆頭に挙がってくる作家というのは、ノーマン・

メイラー(Norman Mailer)という作家だと思います。あなたたちもアメ リカ文学の歴史でちょっと習ったかもしれませんが、この人は今でこそか なりのおじいさんになってしまいましたが、1950年代に登場しました。そ れはもう颯爽とした登場でした。1950年代にはマーロン

ブランド

(Marlon Brando)とかジェームズ・ディーン(James Dean)とか非常にカッコいい

若者たちがたくさん登場した時代ということになっているんですが、そう いう中の一人として文学の世界から現れた非常にカッコいい人として、当 時の写真を見るとゾクゾクとするくらいカッコいい男として登場しました。

50

年代に登場して、

60

年代、

70

年代と非常に精力的に活動を続けた人です。

この人は一貫して小説の世界ではいろいろな形の小説をやりましたが、エッ セイとか評論とか、それからいろいろな発言も含めて、そちらの方の分野 で非常に積極的にアメリカン・ポップ・カルチャーと対決した作家でした。

彼が

1950

年代の末に、デビューして間もない頃に出した本の中に代表的な 本があるんですが、これは小説ではなくて、Advertisement for Myself(1959)

いうものです。これはそのまま訳しますと、『僕自身のための広告』という タイトルで、日本でも昔翻訳が出ました。Advertisement for Myselfという何 気ないタイトルですけど、こんな新鮮なタイトルは当時なかったと思いま す。つまり文学者が広告という言葉を自分の本の前にドンともってきたと いうことに多くの人たちが驚きました。これは世界中の作家が驚きました。

一番驚いたのは日本で当時からずっとアメリカ文学をウォッチングしてい た大江健三郎という作家ですけど、大江健三郎はその本に大変なショック を受けて、今では古本屋にしかないかもしれませんが、大江健三郎が最初 に出したエッセイ集というのは『厳粛な綱渡り』というこういう分厚い本 なんですけど、それはノーマン・メイラーの

Advertisement for Myself

とほ とんど作りは同じ、もちろん中身は違いますけど、作りは同じです。どう

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いう作りかというと、つまり短編小説とか、中編小説とか、それからエッ セイとかインタビューとか、そういったものを雑誌のようにごちゃごちゃ 詰め込んだものだったんです。今でこそそういうものはそこら中に氾濫し ていて、今はむしろそういう本しかないといってもいいくらいになってま すけど、そういうものは昔は本には絶対ならなかったんです。そんなもの を本にするのは失礼であると、本というのはそんなものではないという意 識がありましたから、そんなごちゃごちゃしたものなんか、一冊の本にま とめるものではない。ところがそういうものから全部一冊の本にまとめて、

しかもそれに対して

Advertisement for Myself

という自己主張満々の本とし て当時は注目を浴びましたが、それ以上に今振り返ってアメリカン・ポッ プ・カルチャーとの関連で見ると、「アドヴァータイズメント」というタイ トルを使ったこと自体に彼の非常に挑戦的な態度を見るべきでしょう。つ まりアメリカのカルチャーというのは広告なんだということを彼はいち早 く認識したんじゃないかと思います。ですから彼はその後もずっとエッセ イ、評論の分野、ノンフィクションの分野にかなり乗り出していきますけ れども、その方の分野では広い意味でのアメリカン・ポップ・カルチャー にいろいろな形で関わっていきます。アポロ計画という宇宙計画について の本を書いたのも彼です。世界中からテレビで注目を浴びているようなも のは間違いなく彼から見ればポップ・カルチャー以外の何物でもなかった ので、そういったものには必ず好奇心を示していく。それを

50

年代から始 めまして、60年代、70年代とやっていったという、その意欲というか心意 気というか持続力というのは、大変なものがあります。ノーマン・メイラー というのは美術の世界のポップ・アーティストがアメリカの消費文化に対 してどういう風に対決したかということに対して、彼は文学者としてはこ ういう風に対決してやろうということの表明だったように思います。

 もう一人、アメリカン・ポップ・カルチャーを扱った作家として重要な 作家がいます。これもやはり大江健三郎さんはアメリカ文学のウォッチャー でしたから、1950年代

60

年代のアメリカ文学というのはまだまだ新しい 文学で、だいたいアメリカに文学なんてあるのか、と言われていた時代 だったんです。そのときに何か面白そうだというので、大江健三郎さんと

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いうのは世界文学の面白いところを探してくる名人ですから、その人が注 目していたのがやはりアメリカで、一人がノーマン・メイラーでした。そ の次に

1960

年代に入って彼が注目したのがジョン・アップダイク(John

Updike)という作家です。これは今でこそアメリカ文学をやっている人た

ちはアメリカ文学の重要な文学史に必ず出てくる名前なので、「ええっ」と いう感じがするかもしれません。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませ んが、大江健三郎さんが非常に注目を浴びた『個人的な体験』という小説 があります。1964年に出た作品ですが、これはジョン

アップダイクの『走 れウサギ』(Rabbit, Run)という

1960

年に出た作品を完全にパクったもの だと言われています。パクったという言葉は当時なかったのでパクったと いうことはないんですが、大変な刺激を受けた作品でした。『走れウサギ』

という作品は「ラビット」というあだ名がついた男の話ですが、大江健三 郎は自分の小説に

「鳥」

という、

「バード」

というあだ名がついた主人公をもっ てくる。それでウサギの方のアップダイクの話では、自分の奥さんを裏切っ て浮気みたいなことをだんながするという話で展開していくんですが、大 江健三郎の方もやはり妊娠中の妻を放ったらかして「バード」というのが 浮気する話で、ほとんど今、口の悪い批評家が言えば「パクりだ」という ようなものを書いた。つまりそれだけ大江健三郎さんに影響を与えた作家 なんですけど、ずっと

20

年くらい影響を与えていました。そのとき『個人 的な体験』に影響を与えたウサギシリーズというジョン・アップダイクが 書いた作品があります。実はこのジョン・アップダイクというのはウサギ というあだ名の男がどういう風にアメリカの中で育っているか、アメリカ の消費文化の中で育っているか、中産階級のちょっと上の人がいろいろと 車のディーラーをやったり何だかんだと普通の生活を送っているんですが、

その随所随所にアメリカの風俗がどんどん出てきます。ですから風俗小説 の傑作と呼ばれているんですが、最初ので舞台になるのが

1959

年です。そ れでウサギの「ラビット…」というタイトルで合計

4

冊書いています。そ れの一番最後が

1989

年のラビットで最後は

60

歳くらいの年になっていま すが、そこでも主人公がいろいろ不倫したり、ふらふらしたりという様子 を描いています。合計

4

冊で通算すると

1959

年から

1989

年までの

30

年間、

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消費文化というものを結果的に書いたことになります。数年前にまとめて 一冊の本にしましたけれども、こういうようなことをやった作家はいまだ アメリカでは彼一人です。基本的には何てことない話ですが、普通の生活 の中でアメリカの消費文化の中で振り回されていく普通の中産階級よりも ちょっと上の人の姿を書いているんです。

 ですから私が考えているのは、1950年代に花開いたアメリカン・ポップ・

カルチャーに対して、真剣に取り組んでいったのが二人いて、片方のノー マン・メイラーはかなり戦闘的に、挑発的に、基本的に「アメリカン・ポッ

カルチャー馬鹿野郎!」という感じでかかっていって、もう一方のアッ プダイクはアメリカン・ポップ・カルチャーの中で目がくらくらしてる状 態に気がつかずにそこにどっぷりと浸かっている普通の人の生活を書いて いる。そういうものだったのではないかと思っています。

 もちろん他にもたくさんポップ・カルチャーと関わった文学者はいると 思うんですが、とりあえず

1980

年代くらいまでは、アメリカン・ポップ・

カルチャー、つまりは消費文化に関わって小説を書いた人というのはこの 人たちが一番際立っているんじゃないかと思っています。ですからノーマ ン・メイラーあたりの『僕自身のための広告』をもし古本屋で見つけたら 是非買ってみてください。「大したもんだなあ」「え、こんな本なの」とびっ くりすると思います。情報のおもちゃ箱みたいにいろいろなのが入ってい る。アップダイクの作品もずっと通算して読みますと、いろいろしみじみ アメリカの変化が分かる、そういうシステムです。それを

10

年に

1

冊出し ていたというその根気もすごいものです。そういうふうにして

1950

年代か ら本格的に始まったアメリカン・ポップ・カルチャーにまじめに、あるい は挑戦的に取り組んだ作家というとあの二人になるんじゃないかと思いま す。

K

マート・リアリズム

 アメリカン・ポップ・カルチャーというのはそういう消費文化ですから、

消費文化というのは、次々と消費していくわけです。それでお金を使わさ

(13)

れるわけです。そうするとそのうち、お金を持っている人はどんどん消費 できますが、お金を持っていない人は消費できなくなる、あるいは安いも のを買わざるを得なくなる。それでアメリカの社会も大きく変化をしまし た。アメリカは

1980

年代に入ってレーガン大統領が政権を長期にわたって

8

年間もやっておりました。そのときにアメリカで起きたことはどういうこ とかといいますと、今のアメリカと非常に似ていますが、貧富の差がかな り激しくなってきます。階級差が大きくなってきます。金を持っている人 はどんどん金持ちになって、金を持っていない人たちは結構大変な目にあ う。生活が苦しくなる。そういう経済政策をとったりしていたものですから、

レーガノミックスなんて言葉もありますけど、1980年代にアメリカン

ポッ プ・カルチャーというものにたいして、圧倒的多数はそんなに金を持って いない人たちですから当然文学も関わり方が変わってきます。それで

1980

年代には新しい形で文学はアメリカン・ポップ・カルチャーに関わってき たと僕は考えました。

 つまりそれはどういうふうな形で現われたかというと、かなりどっと登 場したんです。彼らのことをまとめて「Kマート・リアリズム」と言われ ました。Kマート・リアリズムを書く人たち。「Kマートって何だ」と思う かもしれませんが、Kマートというのは今つぶれちゃったんですが、西友 の代わりになったウォルマートというのがありますが、ものすごい安売り のスーパーマーケットです。ウォルマートは

K

マートを追い越したんです が、

K

マートというのは

1980

年代に一世を風靡してアメリカに多くのチェー ン店を誇ったものすごく安い品物でしょっちゅう安売りをやっているスー パーマーケットでした。そういうふうな名前をつけて、こいつらが書くも のは

K

マート

リアリズムだ、ということを言ったんです。僕も翻訳をやっ ているトム・ウルフ(Tom Wolfe)という批評家がいて、この人は名前を つけることの名人ですが、例えば「ニュー・ジャーナリズム」なんて今は 日本語にもなってますが、この言葉は彼が作った言葉です。彼は非常に貴 族志向の強い人で、全身白いスーツで身を固めていつもカッコよく決めて るという人で、非常にユーモアもある人ですが、貧乏人嫌いという人なん です。貧しいのなんて嫌いだという。ですからそういうふうな勢力が台頭

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してきたときに

「フン!」

と馬鹿にするような形で

「あいつらのは K

マート

リアリズムだよ」と言ったら割といい言葉なので決まっちゃって、それで

K

マート・リアリズムという言葉が

1980

年代の半ば過ぎくらいから登場し たんです。そういう

K

マート・リアリズムとまとめられた作家たちが実は 次のアメリカ文学を担う重要な作家たちになりました。

 言うまでもなく人が変われば見方が変わって物の 言い方が変わるので、実は今のようにトム・ウルフ が悪口を言った

K

マート

リアリズムの作家たちは、

1983

年の

6

月、イギリスで出た

GRANTA

という雑 誌で、「アメリカの新しい作家たち」として紹介され ました。これが当時出た本の表紙ですが、この雑誌 が世界に与えた衝撃はものすごかった。これは

1983

6

1

日に出たんですが、Dirty Realism つまり、

こういうふうに呼んでも構わないような作家たちが アメリカから台頭しているぞ、という大特集を組ん だんです。特集の対象として入ったのは、見慣れた

名前もあるかもしれませんが、ジェイン・アン・フィリップス(Jayne Anne

Phillips)、リチャード・

フォード(Richard Ford)、レイモンド

・カーヴァー

(Raymond Carver)、

エリザベス

タレント

(Elizabeth Tallent)、

フレデリック

バーセルミ(Frederick Barthelme)、ボビー・アン・メイソン(Bobbie Ann

Mason)、

トバイアス

ウルフ

(Tobias Wolff)

とこういう形で紹介されました。

この号があまりにも好評だったので、さらに数号先には

More Dirt

とい う特集を組みまして、そこにはリチャード

フォード(Richard Ford)、ジェ イン・アン・フィリップス(Jayne Anne Phillips)、エレン・ギルクリスト

(Ellen Gilchrist)、ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)、とこういう

ようなのが入ったんですが、この最初の

Dirty Realism

という号には次 のような序文がありました。この序文というのが僕は非常に大好きですが、

こういうような序文です。

GRANTA

(No. 8, June 1, 1983)

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 新しい小説がアメリカから出現しつつあるようだ。それは奇妙で不気味な類の ものだ。それは、いまイギリスで書かれているどんなものとも似ていないばかり か、アメリカの小説とはこういうもんだろうと思われてきたものともまるでちが う。それは英雄的でも壮大でもない。ノーマン・メイラーやソール・ベローの叙 事詩的野心は、それと比較すると、ぶくぶくに膨れた変ちくりんなまがいものに すら見える。それは、1960年代から

70

年代にかけて出版されていた

― 「ポス

トモダン」とか「ポストコンテンポラリー」とか「デコンストラクショニスト」

とか言われた

文章のような、自意識過剰な実験的なものではない。ジョン・

バースやウィリアム

ギャディスやトマス

ピンチョンの作品は、それと比べると、

気取りすぎに見える。それは大きな歴史的な声明を発表しようとするような小説 ではない。

 それは、そうではなく、まるでちがった視点をもった小説で、土地の細かな特 徴やニュアンス、言葉や身振りのわずかな変化にこだわる。きわめて当然なこと に、それは主に短編小説の形式をとっていて、アメリカの短編小説のリヴァイヴァ ルの一翼を担ってもいる。しかし、それは奇妙な小説群なのだ。

アメリカン・ポップ・カルチャーに関わりのあるのは次からです。

飾りのない、家具もない、低家賃の悲劇で、そこにいる人々は昼間からテレビを見、

安っぽいロマンス小説を読み、カントリーやウェスタンの音楽を聞いている。か れらはロードサイド

・カフェのウェイトレスであり、スーパーマーケットのキャッ

シャーであり、建設労働者であり、秘書であり、失業中のカウボーイだ。かれら はビンゴをやり、チーズバーガーを食べ、鹿撃ちをし、安ホテルに泊まる。どっ さり酒を飲み、たいていトラブルを抱えている。それも、車を盗んだり、ガラス を割ったり、財布をすったりしたことが原因だ。かれらはケンタッキーやアラバ マやオレゴンの出身だが、でも、じつは、どこの出でもいい。かれらは、ジャンクフー ドの散らかった世界を、うっとうしいまでに細かなものでいっぱいの現代の消費 社会のなかを、さまよう放浪者なのだ。1

 これは一部ですけど、つまり

1950

年代の非常に豊かな消費文化から始 まったものが、1980年代の時点になってくるとこういう形に文学が変わら ざるを得なくなってきました。今名前を出した人たちが中心となって、こ れを作ったんです。みんなが一斉に書きました。もちろん作家によって微

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妙に書き方が違うので、例えばある作家は自分の小説の中にやたらと商品 名をいれます。ただ商品名を入れるといってもルイ・ヴィトンだとかフェ ラガモとかが入るんではなくて、Kマートで売っているようなすごく安い 品物が出てくる。あるいはある作家は、ウェイトレスや、安ホテルを舞台 としたり、あるいは車を盗んだりして逃げ回っている男の話を書く。女は 男に振られてどうしていいか分からない、と困っているような小説を書く。

あるいはある作家は失業してしまって、やはり夫に逃げられてしまって職 を探している母子の関係を描くような小説を書いたり、あるいはある人は 建設労働者の現場の様子でそこで男たちの中で悲惨に生活をしているイン ディアンの女性を書いたりする。そういうふうな感じで、基本的には食べ るものといえば非常にお粗末なものしか食べられない人たちを書いたとい うことです。

 今紹介した中で一番有名なのがレイモンド・カーヴァーという作家で、

彼は日本では村上春樹さんが紹介してらっしゃるので、読んでいる方もた くさんいらっしゃると思いますが、日本での受け入れられ方にはちょっと 誤解されているところがありまして、村上さんがやるとなんでもおしゃれ な風になっておしゃれな作家と勘違いされている人も多いんですが、基本 的にはレイモンド・カーヴァーはアメリカに登場してきた貧しい人たちを 書いている。特に初期の頃の作品を丁寧に読みますと、文章はなかなかい いので気がつかないかもしれませんけど、なかなか貧相な生活をしている んです、まずいお粗末なものを食べてですね。ですからカーヴァーもダー ティー・リアリズムとか

K

マート・リアリズムの中に加えられる、という か筆頭です、親分格に扱われました。なぜ親分格に扱われたかというと、

非常に文章が上手かったというのと同時に、このダーティー・リアリスト たちというか、Kマート・リアリストたちというのは、基本的に短編の作 品を書くので、その短編の文章を非常に丁寧に書く。それで生活の身の回 りをすごく書くというので、それを丁寧にやったんです。ですからその人 たちを真似する作家たちが次々と登場して、この話をするとまた別の話に なってしまうんですけど、彼らが働いた影響はアメリカ中に広がっている、

大学の創作科というところに悪影響をもたらして、みんなその狭い世界を

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書くと、いつの間にか「ミニマリスト」という非常に小さな世界を書く人 たちという言い方で、ちょっと悪口を言われるようになりました。その根 本にあったこの雑誌の特集で取り上げられた連中というのは、あくまでも 今日の関連で言いますと、アメリカン・ポップ・カルチャーの成れの果て というか、行き着く先っていうものをじっと見据えた作品を書いたのでは ないかと思っております。そういう風なところで

「文学からみたアメリカン ・

ポップ・カルチャー」というのはいきなり終わりますけれども、1990年代 の前までですが、こういう形で現われていたんじゃないかというのが私の 考えです。

1.

青山南『アメリカ短編小説興亡史 ―

とめどもなくあらわれるアメリカの短編小説をめぐる、

めどもなくあられもない断片的詳説』筑摩書房、2000年。

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参照

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