Ⅲ
遺
第Ⅲ章 遺
1遺 跡 序 説
今回報告す る調査地 は
,宮
城 の各地域 にお よんでい る。すべての調査が宮城門 と宮 の大垣の 実 態 を把握す ることを 目的 と して い た。 調査結果 はおおむね初期の 目的を達 し得 た ものであ り,宮城 門 3・ 脇 門2,そ
して宮の大垣を南面・ 西面 。北面で確認す ることがで きた。 しか し,それぞれの調査地が宮の大垣 に近接 した地域であ ったため
,建
物遺構 は概 して少な く,ま
た そ の重複関係 もほとん ど認 め られなか ったつ。発掘総面積298.2aに
対 して検 出 したお もな遺構 は 建物22,築
地3,塀 22,溝 15,井
戸14,土
墳 10で あ る。遺構各説 においては
,
調査次数の順 でな く,
朱雀 門地 区(第16次・17次),
玉手門地 区 (第15次
),佐
伯 門地 区(第25次),西
南 隅地 区 (第14次),玉
手 門・ 佐伯門中間地区 (第 18次),北
面大垣 地 区(第23次)の
順 で述 べ,そ
の後 その他 の地区を述べ ることにす る。それぞれの地 区での遺構 は番号順 に説明 し必要 に応 じて遺構相互 の関係 に もふれ る。
検 出 した遺構 の種類 は上掲 の とお りで あ り
,用
語 につ いて は F平 城宮発掘調査報告Ⅶ』 に準 じたが2),今 回 の報告で はと くに掘込 み地業,版
築 の用語 を使用 した。基壇 を築 くためには
,ほ
ば基壇 の大 きさで地耐力の十分 な地 山が露 出す るまで掘整す る。 そ して その底 か ら粘土・ 山砂を1〜 2cm,厚
い場合 は10cm程
度 の厚 さに積んで突 き固め,こ
れ を くりかえす。 このような一連の地業を「 掘込 み地業」 とよび,薄
く盛 った上を層 ごとに突 き 固めてい くことを「 版築」 と称す る。版築 は「 掘込 み地業」内のみで行われ るのではな く,基
壇地上部分
,ま
た大垣や宮 内の築地 において も行 われてい る。Ⅲl諄
=4■1=:輩1
本章の構成
掘込み地業 および版築
1)第
14次調査においては,下
層か ら埋葬施設を 含む弥生時代後期の大規模な集落跡を発見 して いるが,こ の報告は別の機会F‐ゆず る。横山浩―・ 工楽善通「 昭和39年度平城宮跡発掘調査概
要」(『年報』1965年 )pp.30。
2)奈
良国立文化財研究所F平城宮発掘調査報告Ⅶ』内裏北外郭の調査
奈良国立文化財研究所 学報第26冊pp.21。 以下『 平城宮報告」と略す。
Fig,9
掘込み地業による基壇模式図2遺 構 各 説
A 朱雀門地区 (6ABX,6ABY区
)調査地 は宮南 面中央 門地 区であ り
,
南北約130m,
東西約80mの
広 大 な地域 であ る。 この地 域 の現状 は水 田が ほぼ平 坦 に連 な ってい る。遺構検 出面 は,
おおむね表 土面下 30〜40cmに
あ る暗福色 ない し灰褐色 の粘質土面であるが,
南半部 で は 後世 の整地土直下 の砂質土 (地山)面
が遺構検 出面 とな った。地 山面 の比高差 は
,当
発掘地 の南北距離約130mの
間で,北
端 と南端 とで は約0.2m程
度 で あ り,お
おむね平坦であるといえ よ う。検 出 した主要 な遺構 は
,宮
南面 中央 門 (朱雀F日)SB1800と
それ にと りつ く南面大垣SA1200, SB1800の
中心 か ら東西 それぞれ約29m離
れた位 置でSA1200に
開 く脇 門SB1801・ 1802,SB
1800の 北 にのびているバ ラス敷 き宮内道路 (SF1950)の両側溝SD1860 0 1900を は じめ とす るい くつ かの溝
,SB1800基
壇上 に設 け られた塀SA1812,ま
たSB1801の
北約9mの
位 置にあ る東 西塀SA1765な
どが あ る。 また広場SH1850は
門のす ぐ北側 にあ り,SD1790と SD1890と
が広 場 の東西を画 している。SA1200(PLAN.2・ 4,PL.3・
6)宮 の南面大垣であ り
,基
底部 と北側犬走 り部を検 出 した。 これ は第14次調査地域(6ADH)
で検 出 した大垣 の東延長部である。基底部 はおおむね北半部を検 出 したにす ぎないが
,SB1800
(朱雀
F])東
妻 に と りつ く部分で はSB1800の
南北心 か ら1,75mの
位 置に北縁が あ る。 この位 置 で は,心
を折 り返 した3.5mの
幅 に復原 で きる。大垣北縁 はSB1800の
東約12mの
位 置で約0.4m,角
を もって南 によるので,南
百大垣 は,基
底部幅がSB1800よ
りが と くに広 くな っていた ことがわか る。大垣基底部 と北側雨落溝 との間 は約3.5mが
平坦面で,犬
走 りとな ってい る。大垣北側一 帯 は宮 当時 の旧地表 と地 山が にば一致 し
,砂
混 りの黒色粘質土か らな り,こ
の上 面 か ら大垣基底部 とほぼ同 じ範 囲で深 さ 0.35〜0.4mに
掘込 み,そ
のなかを丁寧 に版築 してい る。築土は掘込 み線 の約3.5m北
側 まで広 が ってお り,こ
れが犬走 りの基礎 とな っている。 な お,大
垣掘込 み地業 はSB1800と 接す る位 置で その掘込 み地業 によ って切断 され てい る。大垣心 か ら北約
5mに
あ る東西溝 (幅約0.5m)は
大垣 の北雨落溝で ある。SB1800の
東 で は (溝の深さ約0・2m)基
壇 東縁 には達せず北へ斜行 し, SB1800基
壇 の東約5mに
あ る南北溝SD
1790に 接続す る。溝 中には藤原宮式瓦が多量 に落 ちこんでいた。
SB1800の
西 側 において も(溝 の深さ約0。4m)SB1800基
壇西縁 には達せず,約 13m西
側 で南北溝SD1890に
接続 す る。SF1761 4貯 SD1764(PLAN.2・ 4,PL.9)
SB1800東
の宮 内東西道路である。路面幅は約6.5mあ
る。SA1200北
雨落溝を南側溝 と し,SD1764(幅
0,8n強,深
さ0.2m)を
ゴヒ側溝 と してい る。SA1765(PLAN.2・ 4,PL.9)
宮 内道路
SF1761の
北側溝(SD1764)に
ちか く設 け られ た掘立柱東西塀 で あ る。 西端 は南北 溝SD1790に
接 し,発
掘 区内で柱掘形 を4間
分検 出 したが,さ
らに東へ延 びるであろう。柱掘 形 は長方形 (1.2× 1,7五前後,深
さ0.8m)で
大 きい。 柱根 は残 っていないが,
各掘形 か らみて,柱間寸法 は
2.76mと
な る。だ
Ш 遺 跡
SB1800付 SD1763(PLAN.2・ 4,PL.3〜 6)
宮 の南面 中央 門,即
ち朱雀 門であ る (以下SB
1800は朱雀門と称す る)。 礎石 の抜取 り痕 跡を東西 方 向 (桁行
)で 5間
分,南
北方 向(梁行)で 1間
分
,そ
れ ぞれ5,05m間
隔で検 出 した。南の列 はSA1200の
中心 にあた るので,
梁行2間
に復原 で きるが,こ
れ は発掘 区外で ある。根石 は20〜A
35cm大
の ものが多 く,
強 く突 き固め られた褐色合礫土面で検 出 した。 基壇 の基 礎は掘込 み地 業 が な されて い る。掘込み地業 の範 囲は,梁
行 中央柱列を折返す と16.2mに
な る。掘込 み地業 に際 しては褐色砂質上 の地山面 まで削平排 土 し,こ
の面か らほば基壇 の範 囲を1.5〜1.6mの
深 さで穴を掘 り,底
にまず 10〜30cmの
礫 を お き砂質土や小礫 を合 んだ上で互層 に築 きあげてい く。 それぞれ の築上 の厚 さは薄 い ところで約8cmで
あ るが,厚
い ところで は50cmち
か くあ る。門の平面規模 は桁行方 向で
25.25m,梁
行方 向で10。10mあ
り,柱
間寸法 は桁行・ 梁行 と もに5.05mの
等間 にな る。基壇 はその出を漁4mと
した場合,ほ
ば東西33.25m,南
北18,10mに
復原 す る ことが で きる。 この規模 は
,掘
込 み地業 の大 きさとおお よそ一致す る。北面階段 の痕 跡 は確認で きなか った。基壇検 出面 か ら出上す る瓦 は藤原宮式 のみである。基壇 の北 に接 す る東 西溝SD1763(幅
0.9m強,深
さ0.3m)は
雨落溝 の位 置,
あ るいは基壇地覆石 も しくは延石 が据 え られて いた位 置に相 当す るが,地
覆石 や延石 を抜 き取 った痕跡 は認 め られ ない。 また基壇 の位 置を はずれ ると幅約0.5mと
狭 ま ってSF1761中
央 部 を東方 へ続 くので雨落溝 とも決 めが た い。SB1801(PLAL.2・ 4,PL.3・
7・ 8)心 を 言 詈こ こ 悟 竪 重 亀 慾
2桑
こ 罷 と登賞 亀ほ 警 伝子 竜熟岳テ逸FttFttSiと
子 を ヨ生 は柱 根 (径0.4m)が
いず れ も残 って い た。 柱 間 寸法 は4.3mで
あ る。 柱 の下 に直 径 20〜30cmの
石 や 丸・ 平 瓦 を入 れ こん で い る。 柱 の高 さを そ ろえ るた めで あ ろ う。 柱 の 内側 北 に接 して 凝 灰 岩 切石 (東 40×
50cm,茜
30×40cm,厚
さ東西 とも15cm)が
据 え られ て い る。こ れ は 扉 の取 付 けの た め の唐 居 敷 の礎石 で あ る。
SB1802(PLAN.2・ 5,PL.7・
8)鉱 痘播ラ習 穏 軟
0翠
推 帆 η 録 霊:Υ
ぽ 穂 鵞 饂 孟}生
底 にそのまま据 えてい る。朱雀門 と東脇 門の心 々距離を折 り返 す と検 出 した柱 の西
2.3mの
位 置にな るので,朱
雀 門 の東西等距 離 に両 脇 門が設 け られた ことが明 らかで ある。柱 の内側 には 大小 (径 10〜40cm)の
石 を数個 おいてい る。SA1812(PLAN。
2・4,PL.3・
5・ 8)朱雀 門基 壇北縁 に設 け られた 方 形掘形
(1辺
0.5〜0,7m,深
さ0.4m)の
東西塀 で あ り, 7間
分 検 出 した。東端 の掘形 が基壇東北隅にあ るので ,さ らに2間
分西 にあ った可能 性 が認 め られ る。東第
104掘
形以外 の6個
に柱根が残 っていた。 いずれ も と辺20cm前
後 の角 柱 で あ る。3)模
式図の記号0柱
根をとどめる掘形○掘立柱掘形
□礎石抜取痕跡
…推定
C柱
痕跡 をとどめる掘形 Aは 北を しめす。F9
SD1825(PLAN.2・ 4,PL.4。
12)朱雀 門 の基壇 西端 近 くを掘 込 んだ南北溝 (幅
2m,深
さ0.2m)で
,朱雀 門廃絶後 の もので あ る。溝 の北端 は朱雀 門 の北約
6mの
位 置にあ る。 溝 の中で角柱状木材 を2本
ずつ2ケ
所 (Sx1831・1832)に 据 えた状況で検 出 した。 また直径10〜
20cmの
礫 が散在 して い るが,こ
れ は朱雀門西北 隅の根石 が落込 んだ ものであろう。SX1830(PLAN.2・ 4,PL.4・
12)SD1825の
北 端近 くで,
この溝 を また ぐよ うに設 け られた掘立柱2本
の構築物である。 柱掘 形 はやや不整 円形 (径1.lm〜1.2m,深
さlm)で
漏斗状 に 掘込 まれ て い る。 柱 根 (径東0.5m,西 0.4m)が
いずれ も残 って お り,先
端 を尖 らせ て い る。SX1831・ 1832(PLAN.2・
4, PL.4・ 12)SD1825の
底 に角 柱状 木材 を2本
ずつ据えた施設 である。 角材 はいずれ も幅25cm,
長 さ75cm,厚
さ20cm前
後 の もので あ る。 角 材 よ りひ と回 り大 きい掘形 を掘 り,
角材 の上面が10〜 15cm溝
底 よ り上 にな るよ うに据 えて い る。SX1831と SX1832と
は約5m離
れて お り,そ
れぞれ の角材 の間隔 はlmあ
る。SD1825の
深 さか ら して,
これ らの角材 は木 樋据えつ けの台 と考え られ,SX1830は
木樋 に関連 した施設,
例え ば宮廃 絶後 の開 田に伴 う灌漑用水汲上 げのための 水 車 の支 柱 の ごとき ものが考え られ る。SH1850TNl‐
SD1790 o 1810・ 1890o1910(PLAN.2・
4, PL,4・ 10)朱 雀門北側 の広場 で
,東
西51m,南
北37mの
範 囲で あ る。東 は南 北溝SD1790(1目1.2m,深
さ0.6m)で ,西
は南北溝SD1890(幅 0,8m,深
さ0.6m)で
画 し,北
は東半を東西溝SD1810(中冨0.8m,深
さ0.lm)で ,西
半 を東西溝SD1910(I冨o.7m,深
さ0。15m)で
画 し,
中央 部 は南北 道路SF
1950に 連 な る。 この広場 は朱雀門の心 に対称 ではな く,西が
9m広
く,西を画す 南北溝SD1890
を西脇門SB 1802の 西柱位 置に合 わせている。
SX1891(PLAN.2・ 5,PL.11)
SD1900Aの 6ABY区
中央 部で杭 と小枝 を使用 した堰 を検 出 した。SD1900Aを
横断 して幅 2,3〜2.5mで 3段
に組 まれてい る。 その状 況はかな り密で,
直径 約8cmの
杭 を5本
ない し6 本打込 み,そ
れ に小 枝 を交互 に通 して編む よ うにか らみつ けて い る。各段 の間隔 は約0.5mで
あ る。
3段
目の南側 は水流 によって溝底 がえ ぐられ,約 0.2mの
段差 が生 じてい る。SK1949(PLAN。
2)直径約
0.8mの
月ヽ土渡 である。検 出面か らの深 さは約0。lmで
浅 い。玉石数個 とともに,須
恵 質 の家形 陶棺蓋 の破 片 が発見 され た。 なお,こ
の陶棺 と同一個体 の破片がSD1900の
北 端部からも出上 して い る。
SF1950(PLAN.2・ 3,PL.10)
朱雀 門北 の南北 宮 内道路で あ る。広場
SH1850か
ら連 な るもので あ り,東
を側溝SD1860(1目4.5m,深
さ0.1〜0。25m)で ,
西 を側溝SD1900(幅
2.8〜3.On,深
さ0.6〜08m)で
画 して お り,
道 路 は幅約10mあ
る。地 山直上 に灰福色粘質上の整地上があ り,
この上面 にバ ラスを残す ところ が あ るが,こ
れ は広場SH1850内
の南北溝SD1844(幅 0.5m,深
さ0,lm)。 1944(1目o.5m,深
さ01 m)間
で顕著で ある。これ ら
2条
の溝 は断続的 に北 に延 びてお り,
宮 の造営 当初 にSD1860と SD1900が
両側溝 であ った ものを,後
にSD1844とSD1944に
改 め た と考え られ る。20
Ⅱ
遺
ここで 当初 の側溝 について述べてお こう。
SD1900は SD1860西
方約21mに
あ る南北溝 で時期 を違 えて上下 (A・B)に
重 な ってい る。SD1900Aは
幅 2.8〜3.Om,深
さ0.6〜0.8mの
大規模 な溝 で ある。砂 あ るいは砂質上が数層堆積 し,調
査地域 のほば全域 の流路か ら多量 の上器が 出 上 した。 またSD1900Aに
設 け られた堰SX1891上
流 の くばみ か ら木簡が9点
出上 した。 このSD1900Aの
調査地 域 で の南端部 は朱雀門基壇築成時 に断 ち切 られてい る。 したが ってSD1900 Aは
宮造 営前 の溝で ある。 造営後,
この溝 は埋 めたて られ,
宮 内道路SF1950の
西側溝(SD
1900B)と して再使用 され るが,朱雀門の北方約37mの
地 点 で西折 し南北溝SD1890に
接続す る。東側溝
SD1860は
もと もと浅 い溝であ り,後
の削平 のためSH1850内
で は検 出で きなか ったが,SH1850内
で は,SD1900同
様埋 めたて られ た もの と考 え られ る。 そ して東西溝SD1810か
ら南 北溝SD1790へ
接続 させ てい る。 なお,SD1860と SD1900Aに
は さまれ た幅21mの
間は大和盆 地 を縦断 していた下 ツ道 と推測で きる。B 玉手 門地 区 (6ADF区
)調 査 地 は宮 の西 面 南 門地 区で
,発
掘 区 は東 西 約30m,南
北 約120mの
狭 長 な範 囲 で あ る。遺 構 は お お む ね
,や
や 砂 質 の暗 福 色 土 面 で検 出 した が,困
難 な部分 で は地 山 面 で あ る黄 褐色 粘 質 土 面 で 検 出作 業 を行 な った。検 出 した主 な遺 構 は宮 の西 面 中央 門 (玉手門
)SB1616と ,西
面 大 垣SA1600で
あ る。SB1616
に は礎 石 や 根石
,ま
た基 壇 に と もな う施 設 も残存 せ ず,基
壇 の掘 込 み 地 業 部 分 を検 出 し得 た に す ぎな い。 そ の他,西
面 南 門北方 の官 衛 を 区画 す るか の よ うに門 の北 側 約14mの
位 置 に東 西 塀SA1692が
あ る。 このSA1692の
北 に2棟
の 南北 棟 建 物SB1711・ 1717を 検 出 して い る。発 掘 区 北 端 は 旧秋 篠 川 川 床SD1759が
あ る。SA1692の
南 で は,小
穴 や小 井戸 が 多 い。SE1588(PLAN.6・ 7,PL■
7)発 掘 区 の南 辺 部 で
,小
規 模 な丼 戸5基
を 検 出 した。SE1588は
直径1.2m,深
さ約0.8mの
穴 を 掘 り,曲
物 側 板 を2段
据 え,そ
の上 部 に平 瓦 を 曲物 の外 縁 にそ うよ うにめ ぐらせ た井 戸。 曲 物 は下 段 が 直 径34cm,高
さ16cm,上
段 は直 径36cm,高
さ20cm。SE1591(PLAN.6。 7,PL.17)
穴 の底 に径 約
20cmの
河 原 石 を 円形 に1段
め ぐらせ,
そ の上 に約0.5m平
瓦 を小 口平 積 み に し,最
上 部 に径 約10cmの
玉 石 を1段
め ぐらせ た 井 戸 。 上 縁 の 内径0.8m,底
の 内径0.5m,深
さ約0,7m。
SE1595(PLAN.6。 7,PL.17)
河 原 石 積 み の上 部 に瓦 を平 積 み に した 円形 の井 戸 。 上 縁 部 の 内径
0.7m,深
さ約0.5m。 底 に 玉 石 を 敷 き,中
央 部 を 約0。lmく ば ませ 曲物 の側 板 を据 え て い る。SE1596(PLAN.6・ 7,PL.17)
1辺 1.3m,深
さ2.8mの
隅 丸方 形 の穴 を 掘 り,
中央 に径 37〜41cmの
曲物 の側 板 を8段
以 上 積 ん だ井 戸 。 高 さは一 定 せ ず, 8段
の総 高 は 1.9m。曲物 に は底 板 を 固 定 す るた め の釘 穴 が な
く
,こ
れ らが 容 器 の転 用 で な い点 は興 味 深 い。SE1598(PLAN.6。 7,PL.17)
長 径
1.2m,短
径0,9m,深
さ1.7mの
楕 円形 の穴 を 掘 り,西
寄 りに 曲物 の側 板 を7段
以 上 積2ど
んだ井戸。 曲物 の直径 は最小
25cm,最
大 45cm。 上段 に従 うほ ど大 きな物 を積 む。7段
の総高 約 1,lm。SA1600(PLAN.6,7,PL.13)
官 の西面大垣 で あ り
,築
地基底 部を検 出 した。構築 にあた って は地 山面 まで削平 し,こ
の面 か ら0。1〜0.2m掘
込 み,粘
土混 りの砂質土を約0.2m積
み,こ
の上 に河ヽ礫 を混 え た上を版築 し てい る。掘込 み地業東縁 の さ らに東 に築 上が延 び るので,犬
走 り部 は掘込 み線 の東 へ大 き く出 ていた もの と考え られ るが,削
られ て い るためその規模 は定 かでない。掘込 み地業 の西 縁は発 掘 区外 にな るが南面大垣SA1200と
同規模 であろう。SB1613(PLAN.6・ 7,PL.13)
建 滉を 蘇 櫂 蠣 靴 猪 ・
買ィ 紫 Fr亀 哲 と 鰯 園
は小 さ く(径約0。3m強
,深
さ0.lm)不
ぞ ろいであ る。柱根は残存 しない。SB1616(PLAN.6・
7,PL,13・ 14)宮 の西 面 中央 門
,即
ち玉 手 門 で あ る(以下SB1616は 玉手 門と称す る)。 基 壇 上 部 は全 く削 平 され,礎
石 や 根石 は残 って い な いが,基
壇 の掘 込 み地 業 が 行 わ れ て い るた め,その輪郭 によって門の規模 の推定 が可能 であ る。基壇掘込 み部の規模 は南北約
32.lm,東
西 は 発掘 区内で7.6mで
あ る。SA1600入
隅 との距離 は5,6mあ
り,西
面大垣基底 部 幅 を2.7mに
復原す れ ば玉手門掘込 み地業 の東西 幅 は
13,9mに
復原 で きる。玉手 門掘込 み地 業 はSA1600と
接 す る位 置で はSA1600の
掘込 み地業 を切 断 して い る。玉手 門の掘込 み地業 の深 さは,検
出面か ら 0.55〜0.6mで
あ る。底 部 に青色 粘土 塊 を混入 した灰黒色粘 土を約0.2mお
いた後,砂
質 土,粘
質土
,あ
るい は合礫土を互層 に版築 してい く。全体 に丁寧 に行 われてお り,厚
い層 で0,15m,
最 も薄 い層 で は部分 的 にで はあ るが0.05m未
満 で あ る。SK1623(PLAN.6。 7,PL.16)
玉手 門の正面
,発
掘 区東端 で検 出 した東西4m,南
北4.6m,深
さlmの
長方 形 の上墳で あ る。土鍍 内には周囲か ら投 げ こんだ状 況で5層
にわた る堆積上が確認 された。平安時代 の上器 が 出上 している。SE1627(PLAN.6・
7)玉 手 門の前面 にある井戸。井戸枠 はすで に抜 きとられてお り
,長
径4.5m,短
径2.2mの
東 西 に長 い楕 円形 の浅 い (深さ0.3m)抜
取 り時の上境 の西 に寄 って1辺 0,7mの
方 形 の上羨 (深さ0.5m)が
あ り,こ
れが もとの井戸 の規模 にちかい。理土か ら砥石・ 鎌・ 土釜 が 出上 した。SK1636(PLAN.6。 7)
SK1623の
北 で検 出 した1辺
約2m,深
さ約0。2mの
小 土鍍 で あ る。長 径0,3〜0。4mの
玉石 が5個
あ り,根
石 の よ うにみ られ るが,こ
れ に組合 うものはみ られ ない。SD1668(PLAN.6・
8)SB1616東
北10mの
地点 か ら掘 られ た東西溝である。幅2.5mあ
るが,発
掘 区東端 での深 さが 約0.15mで ,ご
く浅 い溝 であ る。溝 の埋土か ら,8世
紀 の須恵 器,土
師器片 と と もに瓦器片, 10世 紀 の黒色土器片が出土 して い る。22
Ⅲ
遺 跡
SA1692(PLAN.6・ 8,PL.14)
SB1616の
北約15mの
位 置で大垣SA1600に
と りつ く形 で設 け られた掘立柱東西塀 である。■間分検 出 したが さ らに発 掘 区外東方 に延 び る。 柱掘形 の大 きさは一定 で ない (o.75×0.7〜1.4×
0.8,深さ
0.5m),柱
根 は西第 3・5掘
形 に残 る。2本
の柱根間が4.7mあ
り,各
柱 間 は2.35mに
復原 で きる。 なお
,こ
の塀 の西 に接 して柱掘形が2個
あ る。東 の掘形 には柱根 (径0.15m)が
残 るが,掘
形 は円形 (径0.6m)で
浅 く(深さ0.2m), SA1692と
状 況が異 な り柱 間寸法 もやや短か い(2m弱
)。 また,西
の掘形 は大垣SA1600の
位 置に,東
の掘形 は犬走 りの推定位 置にあるの で,SA1692と
は別個 の もの とみた。SB1711(PLAN.6・
8, PL.15)SA1692の
北 にある南北棟7間
(16.lm)×2間 (5.2m)の
掘立柱 建物 で あ る。 北2間
目に間仕切 りが あ る。 柱間寸法 は桁行方 向が2.3m(7.5尺)等
間, 2.6m(85尺 )等
間 であ る。柱掘形 は方 0.5〜0.9m,深
さ0.2〜0.4mで
あ る。柱 根 は残存 しない。SB1717(PLAN.6・ 8,PL.15)
SB1711の
西 にあ る南 北棟7間 (168m)× 2間
(4.8m)の掘立 柱建 物 で あ る。柱 間寸法 は桁行,梁
行 と もに2.4m(8尺 )等
間で あ る。柱掘形(方
0.8m,深
さ0.3m)は方形 で あ る。柱 根 は残存 しない。SK1741(PLAN.6。
8)SB1717の
西北で検 出 した長方形 (3.2×2.6m)の
浅 い (深さ0.lm)土
壊 で あ る。底 に小石 が数 個 み られ る。埋土 か ら瓦質土 器が 出上 してい る。 中世 の上墳 で あ る。SE1748(PLAN.6。 9,PL.17)
P地
区北半部 の井戸 で あ る。 直径1.lm,深
さ1.2mで
川原石 (径10〜20cm)を
組 み上 げた中 に, 1辺
約0.85mの
竪板組 の井戸 枠が あ る。柱を4本
立 て,上
部を横木 で柄留 め し,外
側 か ら 竪板を あてている。 おそ ら く当初,石
組 で築 いた ものを後 に竪板組で補強修理 した ものであろ う。底 には直径45cm,高
さ28cmの
曲物 の側板を据 えてい る。板組井戸 の方位 は北 で西へ大 きく振 れてい る。瓦器片 が 出上 して い る。
SE1749(PLAN 6・
9)SE1748の
西 に近接 して設 け られ た竪板組 の井戸 で あ る。枠板 は1辺0.6mで
組 んでお り,各
隅 に柱 を立 て
,上
部 と下 部 に横 木 を 柄留 め し,各
辺外側 か ら竪板を2枚
ずつ立 て て い る。底 に 曲物 はない。SE1758(PLAN.6・
9)SE1749の
北約10mに
あ る。上 径2.3m,底
部径1.2m,深
さユ.2mの
上墳状 で あ るが,枠
板が 抜 きと られ た井戸 で あ る。SD1759(PLAN.6・ 9,PL.16)
発 掘 区の北端を西北 か ら東南方 向 に斜行 す る川で あ る。発掘 区内で は右岸 を検 出 したのみで あ り
,左
岸 は発掘 区外 で あ る。岸 か ら最 も深 い ところで0.8mで
あ る。堆積土 は砂質上であ り,瓦器や羽釜が包合 されてい る。
23
C 佐イ 白
F日J也区 (6AAD・ 6ADE区
)調査地 は宮 の西面 中央 門地 区で あ り発 掘 区は東西約
30m,南
北約120mと
い う狭長 な範 囲を しめ る。水 田面で は発掘 区北端 と南端 とで約lmの
高低差 が あ る。遺 構 検 出面 の傾斜 は北 か ら 南 へ緩傾斜 で下が り,北
端 と南 端 とで は約0.5mの
高低差 が あ る。遺構 の検 出は
,床
土直下 に中世以降 の遺 物を混えた 15〜30cmの
厚 さの堆 積土 を排除 して黄 褐色粘質土面 で行 な った。 この土層 は北方 ではおおむね暗褐色粘質上 で あ るが,南
方 は漸移 的 に細砂を合む整地上 であ る。南 端 ちか くで は秋篠川水系の旧河道を埋 めたててい る。検 出 した主要 な遺構 には宮 の西面 中央 門 (佐伯門
)SB3600が
あ る。 礎石 や根石 は残 っていな いが,基
壇 の基 礎地業 を明 瞭 に検 出す る ことがで きた。 この問 に と りつ く西面大垣SA1600は
,宮跡西辺 の県 道が この地 域 で東 に寄 ってい るため
,検
出で きなか った。SB3600の
東15mの
位 置には,南
北塀SA3590 0 3680が 発 掘 区を縦断す る形で存在す るが,門
を入 った位 置で10間 分 約26mが
開放 され,通
路 とな って い る。検 出 した建物跡 はす べ て この2条
の塀 の東側 にあ り,南 半 部で はSB3560 0 3599。 3640を
,北
半 部で はSB3690を
検 出 した。こ
̀Dイ
也, 南】ヒ塀SA3555。 3557・
356303621,
東西塀SA3567・ 3642・ 3669・367103673等
が あ り,井
戸 と してSE3595・ 3605が ある。SA3555(PLAN.6・
10,PL。22)発 掘 区東南 隅の掘立柱南北塀 で あ る。 掘形 (方
07m,深
さ03m)を 5間
分検 出 したが,
さ ら に北へ延 びるもの と思 われ る。南第4掘
形 にのみ柱根小片が残 っていた。柱間寸法 は不 ぞ ろい だが, 5間
分で13.7mあ
る。SA3557(PLAN.6・
lo,PL.22)SA3555の
西2mの
位 置に近 接 して設 け られ た掘立柱南北塀 で ある。SB3560の
西側 柱 が重複 して お り,SB3560に
先行 す る もので あ る掘形 (方lm,深
さ0,15m)を 4間
分検 出 したが,南
ヘさ らに延 びるもの と思 われ る。北第 1・ 第
2掘
形 の間隔は2間
分 あ り,中
間 の柱掘形 はおそ ら く浅 いために,すで に削平 を受 けた もの と考え られ る。いずれ の掘形 に も柱 根は残 っていない。検 出 した部分で の長 さは
10,95mで
あ る。SB3560(PLAN.6。 10,PL.22)
SA3557の
廃 絶後 に建 て られ た 南北棟7間
(15,6m)×2間
(4.75m)の
掘立柱建物であ る。 南3間
目で間仕切 られている。 掘形 は長 方形 (o。7×10m〜
0,9×0。7m,深
さ0.3〜0,4m)で 6個
の 掘形 に 柱根(径0。15〜
0.25m)が
残 って い る。SA3563(PLAN.6・
10,PL.22)SB3560の
北半部で東側柱筋 のO.7m西
に重複す る掘立柱南北塀 で あ る。7間
分検 出 したが, 発 掘 区外 の北 に さ らに延 び る可能性 が あ る。柱掘形 の重複関係 によ って, SB3560に
先 行す るもので あ る ことが明 らかで あ る。 掘形 は方形 (方0.8〜
1.2m,深
さ0.2〜0。7m)で
あ る。柱根は残 存 しない。柱間寸法 はやや一定を欠 くが,検
出 した部分では約3m間
隔 で あ る。SA3567(PLAN.6・
10,PL.22)SA3563と
直交す る掘立 柱東 西塀 で あ る。 掘形 はきわめて不整形 で小 さ く浅 い。 円形 に掘 ら2イ
Ⅲ
遺
れ て い る もの は約
0.6m,方
形 の ものは一辺約0.5mで
あ る。深 さは0。2m前
後 で あ る。7間
分検 出 したが,中 1間
分 は後 の削平 によ ぅてか検 出で きなか った。7間
分 の長 さは19.7mで
あ る。SK3573(PLAN.6。
10)SA3567の
北 の上墳で あ る。 長径3.lm,短
径2.9mの
楕 円形 で,底
部 は長径1.4m,短
径 1.1mの
平坦面 で あ る。 深 さは1.3mで
あ る。埋土 中には8世
紀 の瓦片や土師器片が混入 してい る。SA3590(PLAN.6・
10。 11・ 12,PL.18)発 掘 区 K・ L・
M地
区の中央 で南北 に長 く連 な る掘立柱塀 であ る。25間 分を検 出 した。南端 は秋篠川 の旧河道 にあた り,そ
の攪乱 によって不明瞭で あ る。北端 の柱掘形 はSK3650の
南 際 にあ るが,こ
のSK3650掘
さ く時 にい くつかの柱掘形が消滅 した可能性が あ る。柱掘形 は方形 (方1.2m〜15m,深
さ08m)で
あ る。 柱根 は残 っていない。柱 間寸法は一定 でないが25間 分で の長 さは
67.2mあ
る。SE3595(PLAN.6。
10・ ■)上縁 の直径 約
2m,底
部 の直径 約0.8m,深
さ0.7mの
円形 の穴で あ る。底 部 に玉石があ り,曲物側 板 の断片 が 出上 して い るので
,井
戸 と考 え る。 瓦器・ 砥石 が 出土 した。SB3599(PLAN.6・ 10,11,PL.21)
基蹴Ⅷ IT埋 魅挑ボ ζ Fi風
=7頂 7正 ヨ
小規模 な建物 で あ る。
SB3600(PLAN.6・
12,PL.18〜20)宮 の西面 中央 門
,
即 ち佐伯 門で あ る(以下SB3600は佐 伯門と称する)。 基 壇上 部 は全 く削平 され,
礎石 や根石 は 残 って いないが,基
壇基 礎築成 にあた っての掘込み地業が行 われて お り
,そ
の輪郭 によってF日の規模 を推定 で きる。掘込み地業 の規模 は南北が29.4m
で あ る。東西 は東辺が発 掘区外 にあ るため確定で きないが
,
発 掘 区内で は約4,7m分
を確認 し た。西面大垣SA1600は ,
この4.7mの
中で は検 出で きなか ったので,
門 へ の と りつ き位 置は おそ ら く玉 手 門 と同 じ位 置と考え られ,佐
伯門の掘込 み地業 の東西幅は玉手 門 とほぼ似た数値 (13.9m)と考 え られ る。佐 伯 門の掘込 み地業 は上部が削平 されてい るので,そ
の もとの深 さは 不 明で あ るが,
遺構 検 出面 で あ る黄福色粘質土面 か らは0,7m残
存 し,
底面 は灰色砂質土 に達 して い る。掘込 まれた底部 には,ま
ず黒色砂質土 を0.06〜0.15mほ
ど積 んだ後,粘
質土,山
砂 等 を版築 して い く。丁寧 に築成 されてお り,最
も薄 い層 で は0.05mに
満 た ない。 中央部におい て は,版
築層 は27層 を数 え た。基壇周 囲の施設 は,基
壇外 構 に伴 う石材,雨
落溝等何 ら検 出できなか った。玉手 門 と比べ ると
,南
北方 向は約2.6m短
い。SE8605(PLAN.6。
10。 11)1辺
約1.2mの
方 形 の穴 を掘 り,横
板を組んだ井戸。深 さ約 0.3m。 底 に直径 10〜20cmの
河 原石 を敷 く。枠板 は腐蝕が著 しく,最
下段 の一部を残す にす ぎない。瓦器 が 出上 した。SD3610(PLAN.6・
11)SB3599の
北 にあ る東西溝 (幅lm,深
さ0.1〜0.15m)で
あ る。発掘 区を横断す るが,東
で北ヘわずか にふれ る。
SA3621(PLAN.6・
11)SD3610の
北で発 掘 区の西端 にあ る南北塀 で あ る。 柱掘形 は方形 (方0.5〜0。8m,深
さ0.2m) で あ る。柱根は残存 しない。3間
分 の長 さは5.5mで
あ る。SD3630(PLAN.6・
11)K地
区か らL地
区 にか けて の南北塀SA3590の
西 にあ る南北溝 で ある幅0.9〜1.lm程
度で あ り,深
さは0。lmに
満 たな い浅 い もので あ る。SB3640(PLAN.6・
11, PL.20)K地
区で南北 柵SA3590の
東 にあ る東西棟3間
(6.3m)×3間
(6.3m)北廂 つ き掘 立柱建 物で あ る。柱 間寸法 は桁 行 。梁行 ともに2.lm(7尺
)等間で あ る。SA3642(PLAN.6・
11, PL.20)SB3640の
北 にあ る東西塀 で あ る。南 北塀SA3590の
東際 に西端 の柱 掘形 が あ り,東
へ4間
分 検 出 して い るが,
さ らに 発掘 区外へ延 び る可能性が ある。 柱掘形 は方形 (方0.5m,深
さ0.2m) で あ る。4間
分 の長 さは8.2mで
あ る。SK3650(PLAN 6。
11・ 12,PL.20)南 北 塀
SA3590の
北 端 に掘 られ た東 西8.2m,南
北7.3mの
精 円形 の 上鍍 で あ る。 深 さは0.2m
ほ どで あ り
,さ
ほ ど深 くな い。埋 土 は黄 灰 福色砂 質 上 で あ り,遺
物 は少 な いが,黒
色 土 器,磁
器 片 が 含 まれ て い る。 平 城 宮廃 絶 後 の上 墳 で あ る。
SA3669(PLAN.6・ 12,PL.19)
Q地
区南辺 で佐伯 門 の東 にあ る東 西塀 で あ る。7間
分検 出 して い るが,さ
らに東方 に延 びる 可能性が認め られ る。柱掘形 は不整 円形 で小 さい (径約0.5n,深
さ0.15m)。7間
分 の長 さは12,3mで
あ る。SA3671(PLAN.6・
12,PL.19)SA3669の
北 にあ る2間
の掘立柱東西塀 であ る。 柱掘形 の規模 はSA3669と
よ く似ている。2間
分 で4。4mで
あ る。SA3673(PLAN.6・
12)SA3671の
北 にあ る掘立柱東西塀 であ る。4間
分を検 出 したが,
さ らに東方 へ延 びる可能性 が あ る。柱掘形 は円形 で きわめて小 さい (径約0,4m,深
さ0.15m)。4間
分 の長 さは8.6mで
あ る。SK3675(PLAN.6・
12)直径
2.4m,深
さ0.4mの
上墳 であ る6底 は楕 円形 になる。底面南辺 に径10cmの
石 が十数個 あ る。SA3680(PLAN.6・
12,PL,18)Q地
区中央で長 く連 な る掘立柱南北塀 であ る。9間
分検 出 した。 柱掘形 は方 形 で1辺
1.2血 以上,
深 さ0.5mの
ものが多 いが,不
整形 で あ る。柱根 は残存 しない。柱 間寸法 は一定 ではな いが,南
辺 の一部を検 出 した北 端 の掘形 を除 いた8間
分 で長 さを求 め ると21.6mに
な る。SB3690(PLAN.6・ 12,PL.21)
Q地
区でSA3680の
東側 にあ る南北棟6間
以上 (5間分13.25m)×2
…間
(5.3m)の
掘立柱建 物 で あ る。 柱 間寸法 は2.65m(9尺 )等
間で あ る。なお,北
側 の第51次 調査 で北妻を検 出 し,桁
行 15間 である ことが わか った。%
Ⅲ 遺 跡
D 宮西南隅地区 (6ADH区
)調査地 は宮 の西南部 で あ り
,宮
の西南 隅確認を 目的 と して調査を実勉 した。 この地域 は宮域 内で も比高が低 く,も
ともと低湿 な地 であ ったようであ る。遺構検 出面 は,耕
作土面 か らおお むね0.8mの
深 さであ り,検
出作業 は灰色砂質土,あ
るいは黄色粘質上 の上面で行 な った。当地 区の西南 隅
,南
北約30m,東
西約55mの
範 囲 は空閑地 とな ってお り,遺
構 の存在 はほと ん ど認 め られ ない。 その北方 では掘立柱建物を8棟 ,南
北塀1条
を検 出 し,東
方 のF地
区で は 掘立 柱建物SB1220とSB1222の 2棟
が あ り,こ
れ らに伴 う塀 を3条
検 出 した。 また,こ
のF地
区では
,小
規模 な丼戸 SE1230 0 1247の2基
を検 出 した。SE1230の枠板 には彩色 を もつ木製 の 楯 が転用 されて いた。 また,発
掘 区の南 をか ぎる農道 と水路 の南 に2か
所小規模 な トレンチを 設定 し,南
面大垣 の嬬地 および外堀 (二条大路北側溝)の
一 部を検 出 した。SA1200(PLAN.13。
14〜16,PL.23・ 24)宮 の南 面大垣 で
,
発 掘区の南辺 に東西全面 にわた って検 出 した。これ は宮中央部の
6 ABY
区で検 出 した大垣 に連 なる。 南縁 は現灌漑用水路 で 破壊 されてい るが
,
基底 部 の築土 を ほぼ8.5mの
幅 で検 出 した。 基底部 は層状 のいわゆ る版築 ではな く,
ブロ ック状 の粘上をつ き固め た もので,検
出 した厚 さは 70〜80cmに
およぶ。大垣本体 は削平 されているが,
発 掘 区のなか ほ ど, I地
区で大垣 の基底部幅2.7mと
北側 の犬走 り3.5mが
確認 され た。付近 か ら多量 の瓦が 出土 して お り,大
垣 は瓦葺 きであ った ことがわか る。寄柱の痕跡 は明 らかには し得 なか った。犬 走 りの北縁 で断続的 に連 なる東西溝 (幅 0,8〜
1.2m,深
さ0.1〜0,2m)は
大垣 の北雨落溝 と考 え られ る。SB1220(PLAN 13・
14,PL.25)F地
区東北隅 で 検 出 した 東西棟6間
以上 (13.32m以 上)× 3間
以 上 (5.32m以 上)の
掘立 柱建物であ る。 柱間寸法 は2.66m(9尺 )等
間であ る。柱掘形 は不整形 で大 きさも一定 でない。西第
3掘
形 に柱痕跡(径
0.2m)を
残す。SB1220の
西妻柱筋は,こ
の南で検出 したSA1222の
妻東柱筋にそろえ ている。SB1220は
発掘区外に延びるため,全
体の規模は不明で,塀
の可能性 も残 している。SA1221(PLAN.13・
14,PL.25)SB1220の
西妻柱列南端 とSB1222の
東妻柱 の北端 とをつ な ぐかのように検 出された柱列であ る。掘形 は方形 (方0.6HI,深 さ0,15m)で
あ る。 南北 の2間
は1.78m(6尺 )で ,
中央 間を2.07m(7尺 )と
広 くとってお り,中
央 を通路 と した もの と考え られ る。SB1222(PLAN.13・
14,PL.25)SB1220の
西南 に検 出 した 東西棟5間
(14.18m)×4間
(lo.91m) 南 廂つ きの掘立柱建物である。東妻 はSA1221に
よ ってSB1220と連 な り,西
妻 はSA1240に
よ って大垣 に連 な る。 このSB1222は
発 掘区 で検 出 した建物 の うち最大 の 規模 を もつ。 柱間寸法 は桁行が 2.96m(10尺)等
間,梁
行 が身舎24.2m(8.5尺 ),
廂 の出3.65m(12尺
)であ る。掘形 は不整 円形(径約
0.9m,深
さ0.5m)で
あ る。廂柱列西第 根 (径30cm)を
残 して い る。古
1〜 3,及
び東端掘形 に柱27
SE1230(PLAN.13・
14,PL.25。 30)SA1221の
西側 にあ って,SB1223の
北 に設 け られた竪板組 の方形井戸である。1辺
約2.lm
の隅丸方形 の穴 (深さ約
2.3m)を
掘 り,
ほぼ中央 に1辺 lmの
井戸枠 を設 けて い る。 掘形底面 に礫を敷 き,幅 50cm,長
さ150cmの
長方形板を一辺 に各2枚 ,計 8枚
立 てな らべ,こ
れ を さ らに2段
に組む。 なお,こ
の井戸側板は後述す るよ うに隼人楯 を転用 した ものであ り,彩
色 の あ る面を外側 に して使用 してあ った。各辺 中央部にあた る板 の合 わせ 目,お
よび上下段 の重ね 部分 には外狽Iから板材 (幅 15〜20cm,長
さ80cm)で
押 えて 目張 りとす る。 側板 内側 の下端 と中 間重 ね部分 の2ケ
所 を,角
材(1辺10cm)を
方 形 に組んだ 内枠で支 え る。 なお,上
段枢 に当て た とみ られ る枠組部材が井戸底 か ら出土 している。上段 の地上 に近 い部分はすでに腐蝕 し,原
状 を保 っていないが
,側
板 の規格 と重 ね の幅 によ って,枢
か ら底 まで2.5mに
復原 で きる。井 戸 内か らは,先
述 の内枠部材,上
段側板 のほか曲物 の断片 が 出土 してい る。SA1240(PLAN.13・
15,PL.25)SB1222の
西妻柱筋 にそろえ,SB1222か
ら南 はSA1200に
達す る6間
の南北塀 である。柱間 寸法 は2,96m(lo尺 )等
間 であ る。柱掘形 は方形 (方0.8〜1.lm,深
さ0.25m)で
あ る。 北第 2・第
3掘
形 に柱根を残 し,第 5掘
形 に柱痕跡を残 している。 なお,第 4掘
形 か ら,6301型
式 お よ び6273B型
式 の軒丸瓦が 出上 した。SA1245・ 1264(PLAN.13・
15,PL.24)SA1200北
犬走 り上 にあ る東西掘立柱列 である。 大 垣 の寄柱 の痕跡か とも考え られ るが,い
ずれ の掘形 も小 さ く(径
0.4m,深
さ0.15m),柱
間寸法 も不ぞ ろいであ り,決
しがたい。SE1247(PLAN.13。
15,PL.25)SB1222の
南 に設 け られ た竪板組 の方形井戸。1辺
約1.9mの
ほぼ正方形 の穴 (深さlm)を
掘 り, 1辺
約lmの
井戸枠を設 けてい る。各 隅 に4本
の柱を立て,中
央 部 に横棧 を柄留 め し各辺 外側 か ら竪板 を5〜 6枚
ずつ立ててい る。枠板 は建築 部材の転用であ る。各隅の柱 は仕 回穴 の 位 置 と形状 か ら極木材 とみ られ,横
棧 は木舞 とみ られ る。削 掛 けが 出土 した。Ⅲ 遺 跡
SD1250(PLAN.13〜
15,PL.29)SA1200の
南 で検 出 した宮 の外堀 であ る。 発掘区南限 よ り農道 と水路を隔てて設 けた トレン チにおいて検 出 した。外堀検 出を 目的 と した トレンチは2か
所 に設 けたが,小
規模 なため,堀
の北辺を確認す るに とどま った。比較的良好 な西 トレンチでは
,大
垣 の南端推定位 置か ら10.5mで
堀 とな る。 この間が嬬地 であ る。SB1290(PLAN.13・
17)掘こ 匙逐易塩
F建
きξ贔 粋 影 工 ど と配 鹿 楓 二留 三I堅
≡ ェ 廂 は梁行1.78m(6尺 )で
あ る。柱掘形 の大 きさは一定 でない (方0.6〜08m,深
さ0.15m)。 柱 根は残存 しない。東方 は発掘 区外 に延 び
,全
体 の規模 は不 明で あ る。妻 中央柱を欠 いている。SE1313(PLAN.13・
16)発 掘区西南 隅にあ る
1辺 2m,深
さ0。4mの
瓦積み井戸。 底 中央 に径lm弱
の円形 に近 い凹 みが あ り,
この部分 に瓦を平積 み した とみ られ るが,
破壊 されてい る。曲物片 が 出土 してお り
,底
に曲物を据えていた ものであろう。SB1333(PLAN.13・
16,PL.26)K地
区でSB1290の
西 に検 出 した東西棟5間
(lo.4m)×2間
(5.06m) の掘立柱建物である。柱間寸法 は桁行2.08m(7尺 ),梁
行2.53m(3.5尺
)である。 柱掘形 は方形 (方
0.8m,深
さ0.3m)で
あ る。西北 隅 と
,
北側柱の東第
2掘
形 に柱根 (径20cm)を
残 し,西
南 隅掘形 には柱痕跡 (径23cm) を残す。SA1341(PLAN.13・
18)SB1333の
北 で南北2個
掘 られ た掘立柱掘形 であ る。両 掘形間の寸法 は5.6mで
あ る。柱掘形 は楕 円形 (長径1.2m,短
径0.95m,深
さ0.2m)で
あ る。柱根は残存 しない。SB1342(PLAN.13・
18, PL.26)者 ラ 亀 臭 と 『二 ξ gfを 積 ≒ 涯 F5:│:!)。 梁 行 す 属
!(:ど:貴;ζ 曾 』 F構 ラ 音 兵 曇
園
SA1345(PLAN.13・
18,PL.26)」地 区中央 やや東 寄 りで検 出 した
9間 (2549m)の
掘立柱南北塀 である。 柱間寸法 は2.55m
(9.5尺
)と
な る。 柱掘形 は楕円形 で不 ぞ ろいである(長径lm〜
1.4m,短径0.5〜0.8m,深
さ0.lm〜0.2m)。 北第 3・
5掘
形 は明 らかで はなか った。SB1366(PLAN。
13・ 18,PL.28)J地
区の東北隅で検 出 した 東西棟4間
以上 (8.85m以 上)× 3間
(8.4m) の掘立柱建物である。柱 間寸法 は桁行2.95m(lo尺),梁
行2.80m(9.5尺
)である。柱掘形 は方形 (方
0.8m,深
さ0.3m)で
あ る。 柱根 は1本
のみ残 り,3個
の掘形 に柱痕跡を とどめ る。東では発掘区外 にのびてい る。SB1379(PLAN.13・
18,PL.28)発 掘 区西北端 にあ る東西棟
4間
(7.3m)×1間
(1.9m)の小規模 な掘立柱建 物 であ る。柱間寸法 は一定 でない。 掘形 は方形 (方0.4m,深
さ0.2m)で
あ る。29
SB1397(PLAN.13・
18,PL.26)SA1341西
の東西棟3間
(4.50m)×3間
(3.39m)掘立柱建物である。柱間寸法 は 桁行が東2間
で1.6m,西
端 間で1,3mで
あ る。梁行 は1.13m等
間 であ る。柱掘形 は 円形 (径0.35m〜0.6m,深
さ0.22m)と方形 (方0.5〜0.8m,深
さ0.15m)と が あ り大 き ない。柱根 は残存 しない。SE1410(PLAN.13・
18)SB1414西
南 際 の径約1.lm,深
さ1.lmの
円形 の穴 に曲物 の側 板を据 えた井戸。 掘形下半部 は曲物を据え るだけの広 さを もつ。 曲物 は3段
を残す。直径34cm,高
さは下段25cm,中
段32cm,上
段 は破 損のため計測不能 であ る。砥石が 出上 した。SD1413(PLAN.13・
18)L地
区の北端部で検 出 した南北溝 (幅 1.0〜1.2n,深
さ01m)で
あ る。発掘 区北端か ら13.5m
南 で消滅す る。 この溝はSB1379・ 1419と 重複す る。 しか し
,SB1419の
内部 を南 北 に通 じなが ら,柱
位 置をはずれて い るところか らみて,こ
の建物 と一連 の ものとも考え られ る。溝埋土か ら,少
量 の上 器片 とともに砥石 が 出上 してい る。SB1414(PLAN,13・
18,PL.27)」地 区 と
L地
区 とにかか る東西棟4間
(9.52m)×2間
(4.76m)の 掘立 柱建物であ る。柱間寸法 は2.38m(8尺 )等
間 であ る。 掘形 は方 形 (方07 m,深
さ03m)で
あ る。 北側柱 す べて と南側柱西第 1・ 第2柱
掘形 に柱根(径 22〜
27cm)を
残すが,西
妻 中央柱 の掘形 は検 出で きなか った。で 溌子 憩 醍着 猛現れ 亀 1咀 及 1砺 !〒 ぽ鷲監距
=風
で小 さい。柱根 は残存 しない。
SE1422(PLAN.13)
SB1419の
西 に設 け られた井戸。1辺
約80cm,深
さ約0.3mの
方 形 の穴 を掘 り,中
央 やや東 寄 りに曲物 の側板 (直径38cm,高
さ15cm以 上)を
据 えて い る。 曲物 は1段
のみ残存 し,そ
れ も上 半部は腐蝕 のため欠失 してい る。埋土 中か ら瓦片が多量に出上 したので,も
ともと瓦組みであった もの と考え られ る。底 か ら瓦器片が 出土 した。
閣 も 一 定 で
さ
Fig■2 SE1410東
南か ら Fig.13 SE1422】 ヒ
西か ら 30
Ⅲ
遺 跡
E 玉手門・ 佐 伯門中間地区 (6ADE・ 6ADF区
)調査 地 は第15次
(6 ADF一
P・R・T区)調
査地 区に北接 す る。こ の 発掘区に南接す る水 田が 東南方 向に大 き く振れて お り
,こ
れ に連 なる形 で一定 の幅を もった水 田が宮の南端 まで認 め ら れ る。 これ は秋篠川 の氾濫 によるもの と考え られ,今
回の発 掘 区は こ う した他 と方 位 のふれた 水 田の北 に連続す る部分 であ り,氾
濫 の痕 跡 の存在が予想 され た。 したが って調査 は,そ
う し た状況を把握す る ことを 目的 と して トレンチ調査 に とどめた。トレ ンチは中央 部やや西寄 りに 幅
6mの
南 北 トレンチを,こ
れ と直角方 向に幅3mの
東西 トレンチを3か
所,計 4か
所 に設定した。
発 掘 区全体 は
,宮
の造 営以前 は南北方 向の河道であ り,こ
れ を宮 の造営時 に埋 めたててい る が,完
全 に埋 めたてて はお らず,幅
約25m,深
さ約1.lmの
南北 に連 な る凹 み とな って い る。検 出遺構 は
,
発 掘 区中央 で検 出 した東西塀SA1970,
この塀 にかか って設 け られ た暗渠SX
1975,ま た
13mほ
ど上 流 に設 け られた暗渠SX1982,鍛
冶工房 に関係 す るSX1983,SK1979な
ど が主要 な ものであ る。第15次 調査 で検 出 した西面大垣(SA1600)は
検 出で きなか った。SA1970(PLAN.19,PL.31。
32)発 掘区中央部 にあ る掘立柱東西塀 である。柱掘形 を
SX1975の
東 で8間 ,西
で3間
検 出 した。東第
1〜
3・7掘
形 に柱根 (径 20〜25cm)が
残 る。 柱間寸法 は一定 でない。 柱根 の残 る東端 の1間
は2.35mあ
るが,SX1975東
の8間
の長 さは18.45mで
あ る。SX1975(PLAN,19,PL.31・
32)SA1970西
か ら4間
目にこれと直交するように設けられた2条
の南北方向杭列で,両
列は0,9m隔
てて並列 している。各列6本
でほぼ0。3m等
間隔であ り,こ
の杭 の両列上端が八字形 に交 又するように打 ちこんでいる。 この両列の外側に板をおき,上
盛 りな どを施 し,暗
渠 と して使 用 したものであろう。SX1978(PLAN.19,PL.32)
南北
3.5m,東
西4m以
上の区画で方形 に杭をめ ぐらせた施設である。西辺10本,北
辺15本,南辺14本の杭を打 ちこんでいるが
,南
北辺の杭列はさらに東方 に延 びるようである。SK1979(PLAN.19,PL.32)
SX1978内
にある円形の上墳である。 上縁部の直径約1.4mで ,
深 さは0,7mを
こえる。土墳 内の堆積土中か らは,金
属利器のための木柄,輔
口,鉱
岸,木
簡が出土 している。木簡には釘 に関 したものが見 られ,鍛
冶関係工房の存在が推測できる。 このSK1979と SX1978と
は,一
連 のものであろう。SX1982(PLAN.19,PL.32)
SX1978の
西に接 して検出 した杭を2列
に打込んだ飽設である。その状況はSX1975に
よ く似 ている。両列の杭 は4本
ずつであ り,そ
の間隔は約0.5mで
ある。 また両列の間隔を南にい く に したが って次第 に狭めている。SX1989(PLAN。
19,PL.32)SX1982の
南 で検 出 した杭 を2列
に打込 んだ施設 であ る。 これ はSX1975。 1982と 異 な り,真
直 ぐに打込 ん でい る。
3′
F 引ヒ
F面大垣地区 (6ABA・ 6ABN区
)調査 地 は宮 の北面 中央 部やや西 寄 りで あ る。 この地域 の地 山 (赤褐色含礫層
)は
南 へ急傾 斜 で 下 が り,南
北約70mの
発掘 区の北端 と南 端 とで は約2mの
高低 差が あ る。地 山面 はち よ う ど大 垣 の推定線 か ら南が大 き く一段下 が って い る。6 ABA区
で は後世 の撹乱が著 しく,
溝・ 土墳・ 池 な どが随所 に検 出 された。 平城宮 に伴 う主要 な遺構 に は
, 6ABA区
北端 で検 出 したSA
2300・ 2330があ り
,い
ずれ も北面大 垣 で あ る。 この北6ABN区
に設 けた幅3m,長
さ30mの
トレンチで は
,北
面大 垣 の嬬地 とこれ に付 属 す る施設SX2333が
あ る。 この他 に小穴 を検 出 し て い るが,建
物遺構 と して ま とま る もので はない。SA2300 4守 SX2333(PLAN.20,PL.33・
34)宮 の北面大 垣 であ り
,築
上 が比較的良好 に残 っていた。大垣 の築造 にあた って は,大
垣心 か ら北約18mま
で旧地表 を削 り,南
に次第 に下 げて きてお り,北
約8mの
地 点か ら南 は地 山をあ らわ して い る。 勾配 は急で18m間
で0.8m下
が って い る。整地 は大垣 の南 にまで及 ぶが,大
垣 の南4mか
らは水 田耕作のために攪乱 されてい る。 こう して整地 した上 に大垣 の中心部 で は入 念 に,
これを はずれた位 置では大 まか に上 を 積 む。 大垣 中心部 は削 り出 した地 山面 を さ らにO.2m掘
込 み,黄
福色粘質土 や砂質土 を0.05〜0,lmの
厚 さで版築 してい る。 残存状況が良 好 な と ころで は9層 ,厚
さ約0,6mあ
る。北側嬬地 は,0.1〜 0,3mの
粘質土 や砂質土 を2層
な い し3層
お き,お
おむね水平 に して い る。大垣 の北約
13mで
検 出 した瓦 とバ ラスを敷 い た施設 (sx2333)は幅1.2mで
東西方 向に連 な る。整地上をわずかに掘 りくばめ,バ
ラスを敷 いた上 に丸瓦片や平瓦片を敷 いてい る。排水施 設 と考え られ,大
垣 か らこのSX2333ま
で の約13mの
間 は平坦で,何
らの遺構 もみ られ ず,北
面 大垣 の嬬地 で あ る。
SD2303(PLAN.20)
6ABA区
中央 で検 出 した東西溝 で あ る。 幅 は一定 で な く,狭
い ところで1.5m,発
掘 区西端 で は広 く,4.5mあ
る。 きわめて浅い (深さ0.lm)。 平安 時代 の遺物 を含んでい る。SD2323(PLAN.20)
6ABA区
北 際の東西溝である。上幅4.5m,深
さ0,8mで
あ る。堆積土 は大 き く3層
に分 か れ るが,い
ずれ の上 層 に も砂 や礫 を合 ん でい る。最下層 か ら中世 の上 器片 や瓦片が 出上 して い る。超昇寺銘軒平瓦が1点
出上 して い る。SA2330(PLAN.20,PL.33)
SA2300構
築前 に宮 の北面大垣 と して設 け られ た掘立柱東西塀 で, 5間
分検 出 した。 柱 間 寸 法 は3.Om(10尺 )等
間であ る。柱 掘形 がSA2300の
版築 の下 にあ るため,SA2330の
全 容 を あ ら わす ことはで きなか ったが,
明 らかに し得 た東第2柱
掘形 は長方形(24m× 2.lm,深
さ1.lm) で ある。柱根 は残存 しない。 この塀SA2330を
築地SA2300に
改造 した際 に地 山まで削平整地 し て い るため,地
山面 か ら下1.2mが
掘形 の底 とな る。築地を構築す る以前 の掘立柱塀 を明確 にした のは
,こ
の地 区のみであ る。32
Ⅲ
遺
G その他 の地 区
上 述 の各地区以外 の遺構 について述べ よ う。発掘調査 は第
25‑2,34,52‑2,58,62次
の 各 調 査 地で行 な った。 いずれ も宮 の大垣 および西一坊大路を確認す るための調査で ある。 北 面 大 垣 確認 の調査 は御前池の東で行 な った第34次と第62次 の調査 であるが,両
次 ともに後 世 の攪 乱 が著 しいため,大
垣 の確認 はで きず,第
62次 調査地ではその他の遺構 も何 ら検 出で きなか っ た。第25‑2,52‑2次
調査 地で は,宮
の西面外堀 と西一坊大路を確認 した。第25‑2次
で 検 出 したSD3698は
,大路 の西側溝 と考 え られ,路
面 幅が約21.5mで
あ ることを確認 した。第58次 調 査 地 は,西
一坊大路敷にあたる地域で あるが,後
世 の攪乱 のため遺構は検 出で きなか った。i
第25‑2次
(尉g8)
SD8697
発 掘 区東端で検 出 した南北溝。西岸 を検 出 したが,東岸 は発 掘 区外 のため溝幅はわか らない。
西岸 に護岸施設 はな く
,緩
傾斜で掘 られてい る。深 さは0,77mあ
る。玉手 間中軸線 とSD3697
西岸 との距離 は約
12mあ
り,宮
の西面外堀の位 置にふ さわ しい。SD3698
SD3697の
西約21.5mの
位 置で検 出 した南北溝 (幅約0・9m,深
さ0,lm)。 埋土 か ら奈良 時代 の 瓦片や土器片が 出上 してい る。SD3697の
溝 幅 を他地域 で検 出 した溝幅 と同 じく3〜 4mと
し た場合,両
溝 の心 々距離 は約跡mで
あ る。SD3698の
西 に接 して右京二条二坊二坪 の東面築 地 が設 け られた場合,犬
走 り5尺 ,築
地基底幅の半 ば3尺
を加 え た位 置か ら玉手 門中軸線 まで約37.5mを
測 る。 この距離 は宮 の東面 で確認 した東一坊大路37.3mに
近似す る。SD3699
SD3698の
西8mの
位 置で検 出 した南北溝 o冨約4m,深
さ0.6m)。 埋土 か ら奈良 時代 の瓦片, 土 器 片が出土 している。水流が多か ったためか,溝幅 は一定 で な く,溝底 には凹みが あ る。第
52‑2次 SD6200
P・
R両
地 区で発掘区の東端 に検 出 した南北溝。 溝幅はP地
区で は約3.8m,R地
区で は約3.lmあ
る。深 さは両地区 ともに浅 く,0.2〜 0.3mで
あ るが,こ
の溝 と宮の西面大垣SA1600ま
で の距離 は約
10mぁ
り,こ
の溝 は宮 の西面外堀 にふ さわ しい。第
34次
(PLAN 21)SD4315付 SK4326
D地
区で検 出 した東西溝。発掘 区の東西両 端部では攪乱が著 しい。中央部 で の幅約
2.2m,
深 さ約
0.5mあ
る。埋土か ら中世以 降の上器片 が 出土 した。南側 のSK4326は
近世の上渡 で あ る。SK4319
C地
区南端部で検 出 した土渡。 発掘区外へ広 が るため,規
模 は確認で きないが,南
北5m以
上 (深さ約
1.4m)の
大 きな もので あ る。底部で東西溝 (1冨1.3m,深
さ0.5m)を
検 出 した。SE4325
C地
区中央部 にある石 と瓦を組上 げた円形井戸。底部の内径約0.6m,深
さ1,3mあ
るが,組
上 げの残存部